常設展 加守田章二 特別展示「若沖が来て くれました」展国内賛助出品 特 集 4 19 _6 30 月 日[金] 月 日[日] 2013年 ● 前期:4月19日 ̶ 5月26日 ̶ 6月30日 (金) (日) ● 後期:5月28日 (火) (日) 第1期展示 岩手県立美術館では、明治から現代にいたる岩手ゆかりの美術家たちの作品を よろ ず て つご ろう 収集しています。季節ごとに作品の入替えを行い、常設展示室、萬鐵五郎展示室、 まつ もとしゅんすけ ふなこしやすたけ 常設展示室 松本竣介・舟越保武展示室の3室で公開しています。 か も だ しょうじ 今期の特集では、没後30年を迎える陶芸家加守田章二(1933-83(昭和8-58)年) をご紹介します。1960年代から新進の陶芸家として頭角を現した加守田は、1967( 昭和 42)年に訪れた遠野の風景とそこで手にした土に魅了され、二年後には遠野に陶房を 築いて、 「曲線彫文」 や 「彩陶」 などの代表的なシリーズを次々と世に送り出しました。常に 独創的な形とデザインを追求し、発表のたび作風を一変させた加守田は日本陶芸界 の鬼才と呼ばれ、彼の作品は今も多くの人々に愛されています。今回は当館所蔵の 13点を全て展示し、多様な表現の展開をご覧いただきます。 また、5月14日からは、企画展「東日本大震災復興支援 若冲が来てくれました- プライスコレクション 江戸絵画の美と生命-」の開催にあわせ、 プライス夫妻の熱意に 賛 同された東 京 国 立 博 物 館 、九州 国 立 博 物 館 、宮 内 庁 三の丸尚蔵 館 、宮 内 庁 正倉院事務所およびMIHO MUSEUMからお借りした日本および東洋美術の優品を、 特別展示としてご紹介します。 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 展示替 佐藤 醇吉 猊鼻渓 1922年 油彩、画布 98.0×64.0 ~5/12 佐々木 精治郎 風景 1929年 油彩、板 26.7×35.1 ~5/12 佐々木 精治郎 風景 1929年 油彩、板 26.1×35.0 ~5/12 佐々木 精治郎 裸婦 1927-30年 パステル、紙 76.2×56.0 ~5/12 佐々木 精治郎 裸婦(後ろ向き) 1929年 パステル、紙 92.5×73.0 ~5/12 五味 清吉 裸婦 1918年 木炭、紙 65.0×50.0 ~5/12 五味 清吉 裸婦 1919年 油彩、画布 65.2×50.0 ~5/12 五味 清吉 ダンサー 1920年頃 パステル、紙 39.5×15.4 ~5/12 五味 清吉 プラハ風景 1922年 油彩、画布 45.5×33.4 ~5/12 清水 七太郎 人形のある静物 1936年 油彩、画布 80.0×116.0 ~5/12 深澤 省三 張家口風景 1938-45年頃 油彩、画布 60.6×73.1 ~5/12 熊谷 登久平 千厩警察署 1927年 油彩、画布 60.9×73.0 ~5/12 深澤 紅子 少女たち (姉妹) 1949年 油彩、画布 72.7×60.6 ~5/12 白石 隆一 三陸の魚 制作年不明 油彩、画布 117.0×91.0 ~5/12 奈知 安太郎 モンマルトル風景 1938年 油彩、画布 49.7×60.6 ~5/12 奈知 安太郎 裸婦群像 1955年 油彩、画布 162.0×130.0 ~5/12 福井 良之助 窓 1954年 油彩、画布 80.1×60.7 ~5/12 福井 良之助 少女 1955-64年 孔版、紙 26.5×28.0 後期 福井 良之助 蘭といちじく 1955-64年 孔版、紙 21.6×40.7 前期 ■常設展示室 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 展示替 福井 良之助 少女 1956年 孔版、紙 36.7×25.8 前期 福井 良之助 うら庭 1959年 孔版、紙 37.0×53.0 後期 福井 良之助 白いえり 1959年 孔版、紙 34.0×27.0 後期 福井 良之助 魚 1960年 孔版、紙 8.2×30.2 前期 福井 良之助 魚 1961年 孔版・銅版、紙 11.0×19.5 後期 福井 良之助 あじさいとカタツムリ 1962年 孔版、紙 24.0×24.0 後期 福井 良之助 孔雀(ひらいた羽) 1962年 孔版、紙 23.9×22.0 前期 福井 良之助 凝固した愛 1964年 孔版、紙 30.0×45.6 前期 齋藤 忠誠 綾襴 1982年 油彩、画布 193.9×130.3 千葉 勝 なか空 1970年 油彩・銀箔・フレスコ絵具、画布 120.0×120.0 千葉 勝 中世の町 '71 1971年 油彩・顔料・銀箔、画布 180.0×180.0 千葉 勝 雪女 1977年 油彩・顔料・銀箔、画布 120.5×120.5 竹(生)(青)(壮) 1979年 油彩、画布 各200.0×100.0 1980年 綿版画 37.8×10.5 前期 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」アーノルド・シェーンベルク 1988年 綿版画 75.5×24.5 後期 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」イヴ・クライン 1988年 綿版画 75.5×24.5 前期 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」グスタフ・マーラー 1988年 綿版画 75.5×24.5 後期 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」パウル・クレー 1988年 綿版画 26.5×11.8 前期 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」ピョートル・チャイコフスキー 1988年 綿版画 75.5×24.5 後期 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」ポール・セザンヌ 1988年 綿版画 75.5×24.5 前期 石川 ヨシ子 大宮 政郎 「ミリオンカラットの友人たち」宮沢賢治 村上 善男 頻度n―(4) 1963年 注射針・樹脂等、合板 129.0×130.0 村上 善男 構成〈コンストラクション〉 1965年 注射針・紙型・ポリエステル・ フィルム保護ロール紙等、合板 181.7×89.5×16.0 村上 善男 作品'65-8 1965年 フィルム保護ロール紙・ テールランプ・樹脂等、合板 171.9×93.5×7.0 百瀬 寿 Square-Blue,Violet,Orange and Ochre 1978年 シルクスクリーン、紙 140.0×140.0 後期 百瀬 寿 Square-Green and Pink 1978年 シルクスクリーン、紙 140.0×140.0 前期 百瀬 寿 Square-Green to Pink 1978年 シルクスクリーン、紙 140.0×140.0 後期 百瀬 寿 Square-Intersecting Purple to Green 1978年 シルクスクリーン、紙 140.0×140.0 前期 百瀬 寿 Square-Red,Green,Blue and Purple 1978年 シルクスクリーン、紙 140.0×140.0 前期 百瀬 寿 Square-Red to White 1978年 シルクスクリーン、紙 140.0×140.0 後期 宇津宮 功 非・場 No.182 2012年 油彩、画布 291.0×654.0 戸村 茂樹 10月・午後 1979年 エッチング・ドライポイント、紙 21.8×17.6 後期 戸村 茂樹 丘 1980年 エッチング、雁皮紙 18.0×35.0 後期 戸村 茂樹 水辺 1982年 エッチング、紙 22.0×17.5 後期 戸村 茂樹 平原 1983年 エッチング、紙 25.6×16.6 後期 戸村 茂樹 樹木に映るⅦ 2011年 鉛筆、紙 76.0×56.0 前期 戸村 茂樹 樹木に映るⅧ 2011年 鉛筆、紙 76.0×56.0 前期 戸村 茂樹 水面に映るⅤ 2011年 鉛筆、紙 56.0×38.0 前期 戸村 茂樹 水面に映るⅥ 2011年 鉛筆、紙 56.0×38.0 前期 堀江 尚志 ある女 1920年 ブロンズ 121.0×65.4×74.7 堀江 尚志 顔 1922年 ブロンズ 61.5×46.8×39.3 昆野 恆 生長の形態 no.1 1964年 石膏・カシュー (オリジナル制作1954年) 昆野 恆 無題 1965年頃 和紙 60.0×170.0×20.0 昆野 恆 かべの幻想 1966年 和紙 70.0×182.0×10.5 1980年 楠に彩色 63.0×38.7×31.5 2003年 大理石(バルカン・ホワイト) 160.0×65.0×35.0 1937年 ブロンズ 158.0×143.5×78.5 舟越 桂 ケイト・トムソン 「会議」のための習作 Moon Dance アリスティード・ 三人の妖精 マイヨール | 常設展示室| 2 100.0×48.0×40.0 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 鈴木 貫爾 吉祥華盤 1967年 ブロンズ 27.0×73.0×23.0 鈴木 貫爾 壺作りの夢 1968年 ブロンズ 46.5×33.0×13.3 鈴木 貫爾 内耳の壺 1968年 ブロンズ 62.5×44.4×22.0 鈴木 貫爾 おのころ島 1971年 ブロンズ 14.4×49.0×31.3 展示替 特 集 大阪府岸和田市出身の加守田章二は、 高校時代から美術の才能を発揮し、 進学した とみもと けんきち 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学) で富本憲吉に陶芸を学びます。 卒業後は ろく ろ 製陶所勤務などを経て、 栃木県益子町で陶芸家として独立。 轆轤成形による灰釉の作品 で次第に評価を確立し、 1967( 昭和42)年には陶芸界初の高村光太郎賞を受賞して、 加守田章二 一躍脚光を浴びました。 加守田が初めて遠野を訪れたのは、 益子への訪問客が増えて制作に支障をきたすよう になり、 作陶に専念できる地を求めて東北を旅していた時でした。 遠野の風土に強く心惹 かれた彼は直ちにこの地に陶房を築く決心をし、 1969( 昭和44)年に陶房が完成すると、 家族を益子に残して遠野での作陶を開始します。 遠野で制作された作品は、器の形、文様、色彩の全てが目まぐるしく変貌を遂げてい ます。 独創性を追求するその姿勢は、 「模様から模様を造る可からず」 と唱えた恩師富本の 教えに基づくものでした。 また、 細かい石粒を含み轆轤成形に向かない遠野の土との出合い は、 手びねりによる豊かな造形への道を開きました。 しかし一方で、 加守田の作品が器以外 の形になることは決してありませんでした。 そこには、一個人の創造力だけでなく、人類が 古代から連綿と作り続けてきた普遍的な形もまた尊重すべきという、 彼の信条が読み取れる ようにも思われます。 年に数回、 遠野で一ヶ月半から三ヶ月ほど作陶に没頭し、 目標の数が完成すると益子 に戻って東京の画廊で作品を発表する生活は、 約十年にわたって続けられました。 しかし 1979(昭和54)年、 体調不良のため加守田は遠野を引き揚げます。 その後もしばらく東京 や益子で作陶を続けますが、 白血病により49歳で不帰の人となります。 その早すぎる死は 多くの人々に惜しまれました。 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 加守田 章二 鉄釉大壺 1967年 陶器 54.3×径41.0 加守田 章二 炻器壺 1968年頃 陶器 50.0×15.0×15.0 加守田 章二 曲線彫文壺 1970年 陶器 22.5×径23.0 加守田 章二 曲線彫文皿 1970年 陶器 8.0×径40.8 加守田 章二 彩陶壺 1971年 陶器 20.8×28.4×13.0 加守田 章二 彩陶長方皿 1971年 陶器 12.7×80.5×30.5 加守田 章二 筒形彩陶 1971年 陶器 30.2×15.6×10.3 加守田 章二 彩色壺 1975年 陶器 47.0×22.1×18.5 加守田 章二 壺 1975年 陶器 52.0×30.0×15.0 加守田 章二 壺 1976年 陶器 43.9×径17.0 加守田 章二 壺 1977年 陶器 43.8×17.2×15.0 加守田 章二 壺 1978年 陶器 31.4x14.0×12.5 加守田 章二 鉢 1979年 半磁器 4.0×径34.8 | 常設展示室 _ 特集| 3 展示替 特別展示 主 催/岩手県立美術館、財団心遠館、 日本経済新聞社、岩手日報社 公益財団法人岩手県文化振興事業団 後 援/アメリカ大使館、南カリフォルニア日米協会、社団法人岩手県芸術文化協会 岩手県商工会議所連合会、盛岡タイムス社、NHK盛岡放送局、IBC岩手放送、テレビ岩手 「若沖が 来てくれました」 展 国内賛助出品 めんこいテレビ、岩手朝日テレビ、エフエム岩手、 ラヂオもりおか 岩手ケーブルテレビジョン、マ・シェリ、情報紙 游悠、 デーリー東北新聞社 岩手日日新聞社、胆江日日新聞社、東海新報社、釜石新聞社 特別協賛/キヤノン 協 力/ロサンゼルス・カウンティ美術館、京都文化協会、小学館、 日本航空 「若冲が来てくれました-プライスコレクション 江戸絵画の美と生命-」は、 2011年3月に み ぞ う 未曾有の災害に見舞われた東日本の被災地の皆様の心を少しでも慰めたいというジョー・ プライスさんと悦子夫人の一念から始まり、 多くの方々の協力を得て開催が実現しました。 震災後、 夫妻は尊敬する美術史家で長年親交のある辻惟雄氏(東京大学名誉教授、 MIHO MUSEUM 館長) へ震災後すぐに連絡され、 辻氏の東北大学での教え子がいる 仙台市博物館へ展覧会開催の打診がありました。 被災三県での開催がまたたく間に計画 されることになる一方で、 プライス夫妻は、 国立の博物館や美術館を回り始めました。 各館の 館長に会って、 このたびのプライスコレクション里帰り展の趣旨を説明し、 賛助作品の出品を 依頼したのです。 監修を引き受けられた辻氏が館長を務めるMIHO MUSEUM や、 さらに は宮内庁三の丸尚蔵館、宮内庁正倉院事務所からもご出品を賜ることになりました。各 所蔵機関から東北地方への応援の気持ちをこめて出品される作品を展示します。 岩手会場には、 東京国立博物館、 九州国立博物館、 宮内庁三の丸尚蔵館、 宮内庁 正倉院事務所、 そしてMIHO MUSEUMから貴重な作品をご出品いただいています。 一部の作品については、 企画展示室でプライスコレクションとともに展示します。 常設展示室 では、 江戸時代の画家である呉春の《山水人物図襖》 (東京国立博物館蔵) をはじめ、 プライス氏が初めて買い求めた若冲の作品《葡萄図》 との関連から、 朝鮮時代の水墨画 の優品である《葡萄図屏風》 (九州国立博物館蔵)、 そして、 生命力を象徴する大輪の花 の文様が色鮮やかな糸で織りあげられた豪華な布地によりつくられた《正倉院模造品 琵琶袋》 (宮内庁正倉院事務所蔵) をご紹介します。 ■会期:2013年5月14日 (火)ー 7月15日 (月・祝) 作者名 作品名 制作年 技法、材質 員数 所蔵先 展示期間 展示場所 常設展示室 呉春 山水人物図襖 江戸時代18世紀 紙本着色 4面 東京国立博物館 5/14-6/9 李蔭庭 葡萄図屏風 朝鮮時代17-18世紀 紙本墨画 6曲1隻 九州国立博物館 6/11-7/15 常設展示室 正倉院宝物模造 琵琶袋 平成3年(1991) 縹地錦、白絁、 1口 白氈 (株)龍村美術織物 伊藤若冲 寛政7年(1795) 象と鯨図屏風 (ゾウとクジラの呼び交わし) 宮内庁正倉院事務所 6/11-7/15 常設展示室 紙本墨画 6曲1双 MIHO MUSEUM 5/18-6/9 企画展示室 藤井松林 百福之図 明治22年(1889) 絹本着色 1幅 宮内庁三の丸尚蔵館 5/18-6/16 企画展示室 伊藤若冲 旭日鳳凰図 宝暦5年(1755) 絹本着色 1幅 宮内庁三の丸尚蔵館 6/11-7/15 企画展示室 | 常設展示室 _ 特別展示| 4 1885( 明治18)年、岩手県土沢(現花巻市東和町)の裕福な家系に生まれた萬 鐵五郎は、 日本画や水彩画に親しむ少年時代を過ごしました。1907(明治40)年に東京 萬鐵五郎 展示室 美術学校(現東京藝術大学)西洋画科に入学してからは、学校で外光描写による堅実 な描法を学ぶ一方、折から紹介され始めた西洋の新しい絵画表現に興味を抱くようになり ます。卒業後間もなく手がけた 《赤い目の自画像》 は表現主義的な激しい色で彩られ、 鋭角的な形を用いた構成には機械文明の速度感を表現に採り入れたイタリア未来派の 影響も見られるなど、様々な前衛絵画に敏感に反応した形跡がうかがわれます。 その後一時期郷里に戻った彼は、 キュビスムの表現を手がかりにしながら自身や風景を 題材に制作三昧の日々を送りました。再上京後はその成果を発表し、 さらなる表現の模索 をつづけましたが、友人たちとの議論や仕事に追われて過労から神経衰弱と肺結核を 患い、療養のため1919(大正8)年に神奈川県茅ケ崎へと転居します。 温暖なこの地で画家は健康を回復し、再び制作活動を始めます。江戸期の南画に傾倒 して自らも数多くの水墨画を描いたほか、水彩画や版画などへも制作の幅を広げ、油彩 画の表現も独自の展開を見せました。 しかし長女の死による深い悲しみと落胆から、彼は ほどなく体調を崩して床につくようになり、1927( 昭和2)年5月に41歳の短い生涯を閉じま した。 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 展示替 萬 鐵五郎 秋草花 1899-1900年頃 墨・水彩・鉛筆、紙 30.0×48.4 前期 萬 鐵五郎 栗 1899-1900年頃 墨・水彩、紙 31.8×46.2 後期 萬 鐵五郎 静物(バラ、本、 リンゴ) 1903年 水彩・鉛筆、紙 17.1×25.6 後期 萬 鐵五郎 静物(りんご、みかん、洋梨) 1904年頃 水彩・鉛筆、紙 20.4×25.7 前期 萬 鐵五郎 男 1907年 油彩、画布 60.0×44.5 萬 鐵五郎 石膏習作 1907年 木炭、紙 63.0×48.0 前期 萬 鐵五郎 石膏習作 1907年 木炭、紙 63.0×48.0 後期 萬 鐵五郎 石膏習作 1907年頃 木炭、紙 63.0×48.0 後期 萬 鐵五郎 石膏習作 1907年頃 木炭、紙 63.0×48.0 前期 萬 鐵五郎 自画像 1908年頃 油彩、画布 16.6×12.1 萬 鐵五郎 裸体習作 1908年頃 木炭、紙 63.0×48.0 前期 萬 鐵五郎 裸体習作 1908年頃 木炭、紙 63.0×48.0 後期 萬 鐵五郎 裸体習作 1909年 木炭、紙 63.0×48.0 前期 萬 鐵五郎 裸婦習作 1909年 木炭、紙 63.0×48.0 後期 萬 鐵五郎 家並 1910年頃 油彩、板 32.9×23.1 萬 鐵五郎 男 1910年頃 油彩、画布 46.0×33.0 萬 鐵五郎 風景 1910年頃 油彩、画布 27.0×40.8 萬 鐵五郎 点描風の自画像 1912年頃 油彩、画布 61.0×45.9 萬 鐵五郎 風景 1912年頃 油彩、画布 25.4×33.6 萬 鐵五郎 赤い目の自画像 1913年頃 油彩、画布 60.7×45.5 萬 鐵五郎 パイプのある静物 1914-15年頃 油彩、画布 40.8×45.7 萬 鐵五郎 絵を描く自画像 1915年頃 油彩、画布 78.7×53.0 萬 鐵五郎 自画像 1915年頃 油彩、板 22.2×15.7 萬 鐵五郎 自画像習作 1915年頃 油彩、画布 53.1×40.9 萬 鐵五郎 土沢風景 1915年頃 油彩、画布 41.0×45.5 | 萬鐵五郎展示室 | 5 ■萬鐵五郎展示室 作者名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 自画像 1916年 油彩、画布 45.7×37.9 萬 鐵五郎 筆立のある静物 1917年 油彩、画布 68.0×57.7 萬 鐵五郎 もたれて立つ人習作 1917年 油彩、画布 33.2×23.6 萬 鐵五郎 木の間から見下した町 1918年 油彩、画布 60.8×80.8 萬 鐵五郎 風景 1918年頃 油彩、画布 45.0×33.0 萬 鐵五郎 裸婦立像習作 1919年頃 油彩、画布 72.3×37.4 萬 鐵五郎 立てる裸婦 1921年頃 油彩、画布 29.6×18.7 萬 鐵五郎 羅布かづく人 1925年 油彩、画布 117.0×80.5 萬 鐵五郎 窓 1926年 油彩、画布 72.7×53.4 萬 鐵五郎 風景(大根木に登る) 1926年頃 油彩、画布 41.0×53.3 萬 鐵五郎 裸婦(宝珠をもつ人) 1927年 油彩、画布 162.7×95.5 萬 鐵五郎 木のある風景 1919-27年 紙本墨画 34.1×34.3 前期 萬 鐵五郎 萌春 1919-27年 紙本墨画 129.6×30.8 前期 萬 鐵五郎 車曳きのいる風景 1922年 紙本彩色 129.9×45.0 前期 萬 鐵五郎 網をつくろう漁夫 1919-27年 紙本彩色 135.6×41.2 後期 萬 鐵五郎 わかれ道 1922年頃 紙本墨画 76.5×64.6 後期 萬 鐵五郎 漁村風景 制作年不明 紙本墨画 139.1×34.5 後期 萬 鐵五郎 図画帳 1899年 19.1×30.7 萬 鐵五郎 スケッチブックその1 1902年 19.0×11.5 萬 鐵五郎 スケッチブックその3 1903年頃 19.0×14.3 萬 鐵五郎 スケッチブックその5 1906年 18.6×11.1 萬 鐵五郎 スケッチブックその 16 1913年頃 16.8×12.8 萬 鐵五郎 スケッチブックその 27 1912・13年頃 18.0×10.6 萬 鐵五郎 スケッチブックその 35 1914年頃 20.1×14.6 萬 鐵五郎 スケッチブックその 40 1921年頃 18.4×11.0 萬 鐵五郎 作品名 | 萬鐵五郎展示室 | 6 展示替 松本竣介と舟越保武は、岩手県立盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校) の 松本竣介 同期生でした。中学時代から松本は画家を、舟越は彫刻家を志すようになりますが、交友が 舟越保武 二人の親密な交流は太平洋戦争を挟んで松本が亡くなるまでつづき、互いのアトリエを行き 展示室 始まったのは二人が上京してから後のことです。 来しては芸術や人生について語り合ったといわれます。盛岡で二人展を開催したこともありま した。松本は1948(昭和23)年にその生涯を閉じましたが、舟越は心の中に生きつづける親友 を追想する文章を多く残しています。 戦後、舟越は洗礼を受け、 カトリック信仰に基づく数々の秀作を生み、大理石や砂岩を 素材とする表現においてもあらたな領域を開きました。 松本の緻密で詩情豊かな作品と、舟越の確固とした造形力に支えられた深く精神的な 作品。絵画と彫刻という異なるジャンルでありながら、二人の作品には通じ合い響き合うものが 感じられます。 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 展示替 松本 竣介 春のスケッチ 1929年 油彩、板 23.7×33.0 松本 竣介 少女 1930年 油彩、キャンバスボード 33.0×24.0 松本 竣介 有楽町駅附近 1936年 油彩、板に紙 72.7×90.9 松本 竣介 序説 1939年 油彩、板 112.1×161.9 松本 竣介 建物と人 1939年 油彩、板 60.5×72.5 松本 竣介 青の風景 1940年 油彩、画布 53.0×72.5 松本 竣介 黒い花 1940年 油彩、板 86.4×60.2 松本 竣介 郊外風景 1940年 油彩、画布 73.0×91.0 松本 竣介 茶の風景 1940年 油彩、画布 50.0×73.0 松本 竣介 煙突のある風景 1941年 油彩、板 37.5×45.5 松本 竣介 議事堂のある風景 1941年 鉛筆・木炭・墨、紙 28.0×34.8 松本 竣介 自画像 1941年 油彩、画布 33.6×24.5 松本 竣介 盛岡風景 1941年 油彩、画布 53.2×72.8 松本 竣介 夕方 1941年 鉛筆・木炭・インク、紙 29.3×39.2 後期 松本 竣介 街角 1941年頃 鉛筆、紙 37.7×45.3 前期 松本 竣介 丘の見える風景 1942年 インク・水彩、紙 27.7×38.1 後期 松本 竣介 議事堂のある風景 1942年 油彩、画布 60.8×91.3 松本 竣介 Y市の橋 1942年 油彩、画布 37.8×45.6 松本 竣介 少年 1942年頃 鉛筆・コンテ、紙 37.0×27.8 後期 松本 竣介 人物 1942年頃 墨、紙 27.1×19.3 前期 松本 竣介 水を飲む子ども 1943年頃 油彩、板 33.0×23.9 松本 竣介 鉄橋近く 1944年 油彩、画布 45.5×53.0 松本 竣介 S少女 1946年 油彩、画布 45.4×37.8 松本 竣介 郊外(焼跡風景) 1946年 油彩、画布 27.3×45.5 松本 竣介 女 1947年 油彩、画布 40.6×32.0 松本 竣介 人 1947年 油彩、画布 116.2×90.5 松本 竣介 子ども 1947年頃 油彩、画布 45.0×37.0 松本 竣介 汽車 1948年頃 油彩、画布 45.5×46.0 舟越 保武 隕石 1940年 大理石(紅霰) 37.0×24.0×33.0 舟越 保武 魚 1952年頃 大理石 24.0×60.0×5.0 | 松本竣介・舟越保武展示室 | 7 前期 ■松本竣介・舟越保武展示室 作者名 作品名 制作年 技法、材質 寸法(cm) 展示替 舟越 保武 カンナ 1953年 砂岩 31.0×20.0×25.0 舟越 保武 魚 1953年 大理石 18.0×87.0×7.0 舟越 保武 少女の顔 1955年頃 砂岩 23.0×16.5×20.8 舟越 保武 ライラック 1960年頃 大理石 41.5×25.5×26.0 舟越 保武 聖フェリッペ・デ・ヘスス (長崎 26 殉教者記念像のうち) 1962年 FRP 183.7×55.0×37.0 舟越 保武 聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル (長崎 26 殉教者記念像のうち) 1962年 FRP 183.4×53.2×40.5 舟越 保武 聖フランシスコ・ブランコ (長崎 26 殉教者記念像のうち) 1962年 FRP 183.2×55.0×38.0 舟越 保武 聖ヨアキム・サカキバラ (長崎 26 殉教者記念像のうち) 1962年 FRP 185.7×54.0×41.0 舟越 保武 原の城(頭像) 1963年 ブロンズ 28.5×25.0×26.0 舟越 保武 R嬢 1970年頃 大理石 41.0×36.0×35.6 舟越 保武 原の城 1971年 ブロンズ 197.0×63.0×57.5 舟越 保武 LOLA 1972年 大理石 40.0×42.0×24.5 舟越 保武 T嬢 1974年 大理石 41.5×41.5×28.0 舟越 保武 ダミアン神父 1975年 ブロンズ 199.0×65.0×61.0 舟越 保武 聖クララ 1978年 砂岩(諫早石) 48.0×48.0×28.0 舟越 保武 聖セシリア 1980年 砂岩(諫早石) 50.0×51.0×30.0 舟越 保武 ANNA 1982年 砂岩(諫早石) 41.5×41.0×25.6 舟越 保武 聖マリア・マグダレナ 1984年 ブロンズ 177.0×51.0×56.0 舟越 保武 聖ベロニカ 1986年 砂岩(諫早石) 42.0×28.0×32.5 舟越 保武 ゴルゴダ 1989年 ブロンズ 35.5×21.0×34.0 舟越 保武 マグダラ 1990年 ブロンズ 37.0×29.5×36.5 作家略歴 石川ヨシ子(いしかわ・よしこ) 1929- イタリア出身、東京都在住 奈知安太郎 (なち・やすたろう) 1909-1986 宇津宮 功(うつみや・いさお) 1945- 盛岡市出身、 フランス在住 深澤紅子(ふかざわ・こうこ) 1903-1993 盛岡市出身 大宮政郎(おおみや・まさお) 1930- 奥州市出身、盛岡市在住 深澤省三(ふかざわ・しょうぞう) 1899-1992 盛岡市出身 加守田章二 (かもだ・しょうじ) 1933-1983 大阪府出身、遠野市で作陶 福井良之助 (ふくい・りょうのすけ) 1923-1986 東京都出身、一関市に疎開 熊谷登久平 (くまがい・とくへい) 1901-1968 一関市出身 舟越 桂(ふなこし・かつら) 1951- 五味清吉(ごみ・せいきち) 1886-1954 盛岡市出身 舟越保武(ふなこし・やすたけ) 1912-2002 一戸町出身 昆野 恆(こんの・ひさし) 1915-1985 宮城県出身、本籍山田町 堀江尚志(ほりえ・なおし) 1897-1935 盛岡市出身 齋藤忠誠(さいとう・ちゅうせい) 1926-1985 岩手町出身 松本竣介(まつもと・しゅんすけ) 佐々木精治郎(ささき・せいじろう) 1885-1971 奥州市出身 1912-1948 東京都生まれ、 花巻市・盛岡市で育つ 佐藤醇吉(さとう・じゅんきち) 1876-1958 一関市出身 村上善男(むらかみ・よしお) 1933-2006 盛岡市出身 清水七太郎 (しみず・しちたろう) 1889-1967 盛岡市出身 百瀬 寿(ももせ・ひさし) 1944- 白石隆一(しらいし・りゅういち) 1904-1985 北上市出身 萬 鐵五郎(よろず・てつごろう) 1885-1927 花巻市出身 鈴木貫爾(すずき・かんじ) 1919-1982 盛岡市出身 MAILLOL, Aristide 1861-1944 フランス出身 千葉 勝(ちば・しょう) 1926-1987 奥州市出身 戸村茂樹(とむら・しげき) 1951- THOMSON, Kate(トムソン、ケイト) 1961- |作家略歴 | (マイヨール、 アリスティード) 青森県出身、盛岡市在住 8 盛岡市出身 盛岡市生まれ、東京都在住 北海道出身、盛岡市在住 イギリス出身、岩手町在住
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