PDF文庫横 - 大阪南ロータリークラブ

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目
次
The ideal of service 奉仕理念
3
職業奉仕とは
9
シェルドンの入会
15
1910 年
23
シカゴ大会
He profits most who serves best
29
Service above self
40
1913 年
58
バッファロー大会
道徳律の制定
94
1918 年
奉仕の図式
106
1921 年
奉仕の哲学
112
1921 年
エジンバラ大会
135
ロータリー哲学
199
事業に成功する方法
203
決議 23-34 の制定
203
四大奉仕への分化
223
シェルドンの逝去
231
四つのテスト
231
Service is my business
238
1
奉仕理念の変化
246
定款上の四大奉仕
253
決議 23-34 の杞憂
256
実業と虚業
270
会社は誰のもの
277
職業奉仕の事例研究
280
参考文献
288
著者紹介
289
2
The ideal of service 奉仕理念
ロータリーでは The ideal of service 奉仕理念という言葉が
よく使われます。米山梅吉は The first Rotarian および This
Rotarian age の翻訳にあたり、これを奉仕の理想と訳してい
ますが、この表現は現代の言葉として馴染みにくい感じがしま
すので、奉仕理念という言葉を使いたいと思います。
ロータリーの奉仕理念とは何でしょうか。理念を哲学に置き
換えて奉仕哲学と読み替えれば、決議 23-34 に
「ロータリーは、
基本的には、一つの人生哲学であり、それは利己的な欲求と義
務およびこれに伴う他人のために奉仕したいという感情との
あいだに常に存在する矛盾を和らげようとするものである。こ
の哲学は奉仕-Service above self-の哲学であり、He profits
most who service best という実践理論の原理に基づくもので
ある。」と定義されています。すなわちロータリーには He
profits most who service best と Service above self という二
つの奉仕理念があることになります。
He profits most who serves best はアーサー・フレデリッ
ク・シェルドンによって提唱されたものであり、ロータリー運
動の本質ともいうべき職業奉仕の理念です。ロータリーが他の
奉仕団体と大きく異なる点は職業奉仕であり、職業奉仕を完全
に理解するためには、その根底にあるシェルドンの思考を理解
しなければなりません。しかし、シェルドンに関する資料は極
3
めて少ないため、これまでその研究は思うに任せませんでした。
この原型となった文章は、アーサー・フレデリック・シェル
ドンが 1910 年に開催された第一回全米ロータリークラブ連合
会で語った He profits most who service his fellows best とい
うフレーズであり、この言葉は 1911 年のポートランド大会で
He profits most who service best というフレーズに変更され
てロータリー宣言の結語として採択されました。
人道的奉仕活動の理念となった言葉の原型はフランク・コリ
ンズが 1911 年のポートランド大会で語った Service not self
であり、この言葉はその後 Service above self に変化し、これ
らの二つの言葉は 1950 年にロータリー・モットーとして正式
に採択されました。残念なことには、この Service above self
は誰がいつどのような意図で提唱した言葉なのかは詳らかで
はありません。
私の調査によりますと、The ideal of service という言葉を
最初に使ったのはグレン C. ミードだと思われ、1915 年に開
催されたサンフランシスコ大会のスピーチの中で「私たちは事
業や経済活動の中で同僚に対して高い ideal of service を与え
ることができないだろうか」と述べています。事業や経済活動
の中という但し書きが付いていますので、これは職業奉仕理念
のことであることが容易に推察できます。
1918 年のカンザスシティ大会で「すべての尊敬すべき事業
の基礎としての ideal of service」という文章が連合会の綱領と
して採択されましたが、これも尊敬すべき事業の基礎という文
4
章から、職業奉仕理念のことを表しているものと思われます。
ポール・ハリスは 1921 年のエジンバラ大会で「ideal of
service の表明を通じて、文明水準を高揚し商工業を成功に導
く原動力にしよう」というスピーチを行っています。これも対
象を商工業にしていることから職業奉仕理念のことだと考え
られます。
1922 年にロータリーの綱領が改正されて、「ロータリーの
ideal of service に結ばれた実業人と専門職業人の世界的親交
によって、理解、親善と国際間の平和を増進すること」という
文章が発表されましたが、文中の奉仕の理想という言葉は「実
業人と専門職業人」という単語に掛っているのでやはり職業奉
仕を意味するものだと考えられます。
1934 年にポール・ハリスはデトロイト大会において「たと
え自動車の車輪が円形でなくなったとしてもロータリーの奉
仕理念は永久に変わることはない」というスピーチをしており、
その後も数多くの著作やスピーチの中で The ideal of service
という言葉を使っていますが、この奉仕理念についての内容は
具体的に述べられていません。
何れにせよこの年代においては、ロータリーの奉仕理念とは
職業奉仕の理念すなわち He profits most who serves best を
指していたものと思われますが、その後奉仕の対象が人道的奉
仕活動にシフトされるに従って、奉仕理念の意味も変化してき
ます。
5
1937 年ニース国際大会において RI 会長ウイル・メーニア
Jr は「誰かが奉仕理念とは、他人のことを思い遣り他人のため
に尽くすことだと定義しました。他人のことを思い遣り他人の
ために尽くすことを通じて、ロータリアンは自らの職業の規範
を高めながら、国際理解と親善と平和を推進するために自らの
地域社会に役立つように努力しています」と述べています。誰
が最初に「他人のことを思い遣り他人のために尽くす」という
表現をしたのかは不明ですが、この説明は明らかに人道的奉仕
活動を指すものと考えられます。
チェスレー・ペリーは 1954 年 3 月にタルサ・クラブで講演
して「多くのロータリークラブが夫々の地域社会で行なってい
る社会奉仕活動の素晴らしい業績に加えて、ロータリー運動は
全体として、ロータリーの会員になる人だけではなく、人類全
体にわたって、他人のことを思い遣り他人のために尽くすとい
う ideal of service が受け入れられ、実行されて行くものと信
じています。」と述べています。
また、1955 年 11 月にコネチカットで行われたインターシテ
ィ・ミーティングで、チェスレー・ペリーは、「ロータリアン
は人類すべてが他人のことを思い遣り他人のために尽くすよ
うになるまで、超我の奉仕の活動に参加するように説得すべき
です。」と述べています。
これらのスピーチからはロータリーの ideal of service は他
人のことを思い遣り他人のために尽くすことすなわち Service
above self を指していることがうかがえます。
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現在は公式名簿 (Official Directory) の最終ページの記載さ
れている brief history of Rotary に The ideal of service とは、
他人のことを思い遣り、他人のために尽くすこと
which is
thoughtfulness of and helpfulness to others という解釈がつ
けられています。ロータリー運動から職業奉仕の理念が徐々に
希薄になり、人道的奉仕活動一辺倒になりつつあることを窺わ
せています。
ロータリーの原点に関する初期の歴史的な資料が欠けてい
るため、ともすれば二次三次資料を通じた間違った記述が伝え
られてきた感があります。
「Golden strand」の記述を頼りに初
期ロータリーの歴史や思想を語っているロータリアンが多数
います。この本は初期ロータリーの数々の出来事を具体的に取
り上げて解説した良い本なのですが、二次資料や三次資料に基
づいて記載されている部分が多いため、「Service not self」の
解釈やフランク・コリンズやシェルドンの経歴を始め、かなり
多くの部分に誤りがあって、その結果間違った解説が定説にな
ってしまうという困った現象すら起こっています。
ロータリーの奉仕理念や歴史を正しく伝えようと思えば、伝
承や第三者が書いた文献に頼るのではなくて、一次文献を探し
出すことから始めなければなりません。
私は 2000 年の夏以来、再三にわたってエバンストンのワ
ン・ロータリー・センターを訪れて、資料室を探した結果、1910
年の第一回ロータリークラブ連合会、1911 年の第二回ロータ
7
リークラブ連合会、1913 年のバッファロー大会、さらに 1921
年のエジンバラ大会に於けるシェルドンのスピーチ原稿を見
つけました。更に 1911 年のフランク・コリンズのスピーチ原
稿や、シェルドンが「The Rotarian」に寄稿した 2 編の小論文
The symbolism of service (奉仕の図式)、The philosophy of
service (奉仕の哲学) も見つけ、これら全ての翻訳と原文は、
私が主宰するウエブサイト「ロータリーの源流」に収録してお
ります。
これらの一次資料を研究することによって、ロータリーに奉
仕理念を提唱した先人たちの考え方や生き様がよく理解でき
ます。そこで、この機会に、ロータリーの哲学とも言えるこの
二つのモットーがどのようにして作られ、更にその思想がどの
ようにして引き継がれていったのかを、できる限り詳しくご紹
介してみたいと思います。
8
職業奉仕とは
ロータリーにおける職業奉
仕の理念は He profits most
who serves best 最もよく奉
仕する者、最も多く報いられ
るというモットーで表されて
います。
職業奉仕とは、アーサー・
フレデリック・シェルドンが
ミシガン大学経営学部のマス
ター・コースで専攻した販売
学を基本として、1902 年に自
らが設立したシェルドン・ビ
ジネス・スクールで、20 世紀の経営学の基本理念として教え
ていた考え方を、そのままロータリーが受け入れて、ロータリ
ーの奉仕理念として提唱したものであり、自分の儲けを優先す
るのではなく自分の職業を通じて社会に貢献するという意図
を持って事業を営めば、結果として継続的な事業の発展が得ら
れるという独自の思考です。
当時の人たちが、「奉仕・・サービス」という言葉から思い
浮かべることは、「神に対する奉仕・・・教会における奉仕活
動や献金」
「国に対する奉仕・・・国に対する忠誠や兵役」
「主
9
人に対する奉仕・・・召使としての役務」といった程度であっ
て、事業上における奉仕というまったく新しい概念を提唱した
のはシェルドンが始めてだったのです。
職業奉仕 Vocational Service という言葉は 1927 年のオステ
ンド大会で、The Aims and Objects Plan が採用されたことに
よって使われるようになった用語ですから、ロータリーが創立
された当時には職業奉仕という言葉は存在していません。さら
に当時のロータリーには社会奉仕や国際奉仕という概念も存
在していませんから、シェルドンの奉仕理念は、原始ロータリ
ーにおける一般奉仕理念であり、四大奉仕の分化に伴って、現
在の職業奉仕理念に引き継がれてきたものだと考えるべきで
しょう。
決議 23-34 によってロータリーの奉仕理念は哲学であると定
義されています。哲学は万古不易ですから、シェルドンが提唱
した職業奉仕理念も、ロータリーがその哲学を自らが変えない
限り、未来永劫に引き継がれていくべきであることは当然です。
シェルドンは自らの論文の中では、vocation という単語は一切
用いず、occupation を使っています。職業は神から授かったも
の、すなわち vocation であるという考えがヨーロッパでは強
かった時代に、なぜシェルドンが敢えて occupation という言
葉を使ったのかを考えてみなければなりません。シェルドンは
経営学という学問上の立場から職業奉仕を説いているわけで
すから、天職論で職業奉仕を語ることは大きな間違いなのです。
ロータリーはこの考え方を、そっくりそのまま他の奉仕団体と
10
は異なった独自の奉仕理念すなわち職業奉仕理念として受け
入れ、今日に引き継いでいます。Profit という単語を巡ってイ
ギリスが拒否反応を示したり、He という代名詞を巡ってアメ
リカでは性限定用語だという批判があるものの、シェルドンの
職業奉仕理念の基本的な考え方はいささかの修正も加えられ
ることなしに現在に引き継がれています。
シェルドンの職業奉仕理念そのものをロータリーの職業奉仕
理念として採択したわけですから、どんなに優れた考え方であ
ったとしても、シェルドンと異なる考え方を、職業奉仕理念と
呼ぶわけにはいきません。
すなわち、職業奉仕の理念を理解しようと思ったら、シェル
ドンが書いたり語ったりした一次資料を理解することが必要
なのです。しかし残念なことには日本ではシェルドンの一次資
料はほとんど紹介されておらず、後世のロータリアンが書いた
二次、三次の資料や伝聞によって職業奉仕が語られてきたのが
現実です。
ロータリーの職業奉仕理念が東洋的発想と酷似している部
分がある影響からか、日本のロータリアンの多くは職業奉仕に
大きな関心を抱き、多くのロータリーの指導者たちが職業奉仕
を説いていますが、シェルドンの職業奉仕理念とはかけ離れた
解説もかなり多いようです。仏教や儒教のような東洋思想を引
き合いにして職業奉仕を語る人もありますが、たとえ似ている
側面はあったとしても、その本質はシェルドンの職業奉仕理念
とは根本的に違うものであることを特に強調しておきたいと
11
思います。
ヨーロッパではキリスト教の
天職論と職業奉仕を結びつけ
て考える人が多いようです。ポ
ール・ハリスが幼少の頃をニュ
ーイングランドで過ごしたこ
とから、ピューリタニズムの天
職論がロータリーの職業奉仕
の根底にあると説く人もいま
すが、ポール自身が「セントラ
ル教会に限られていたわけで
はなく、宗派を異にする各種の
教会はもちろんユダヤ教やイ
マックス・ウエーバー
スラム教の教会にも通った」と
述べている通り、決して敬虔な
清教徒ではなかったことは明らかですし、ロータリーの職業奉
仕理念の構築はポールではなく、アーサー・シェルドンの功績
であることは周知の事実です。
マックス・ウエーバーの天職論がロータリーの職業奉仕の根
底にあると説く人もいますが、これも明らかな間違いです。マ
ックス・ウエーバーが彼の代表的著作である「プロテスタンテ
ィズムの倫理と資本主義の精神」を発表したのは 1905 年のこ
とであり、シェルドンはそれよりはるか以前に職業奉仕の理念
を構築して、それを実社会で応用するためのビジネス・スクー
12
ルを経営していたからです。
職業奉仕を倫理高揚運動と説く人がいますが、これも大きな間
違いで、職業奉仕とは科学的かつ合理的な企業経営方法のこと
であり、シェルドンの職業奉仕理念に則った企業経営をすれば、
継続的に最高の利益が得られることを約束しているのです。そ
してそれを示すモットーが He profits most who serves best
なのです。すなわち職業奉仕実践の受益者はロータリアンであ
ることを忘れてはなりません。
職業奉仕は実利的なものであり、精神的な運動でも倫理的な
運動でもありません。ただし、職業奉仕の実践は顧客の満足度
を最優先した事業経営の方法であり、そのような事業経営をす
る事業所は、当然のことながら高い職業倫理を備えた事業所で
あるという結果が現れます。しかしそれは職業奉仕を実践した
結果に過ぎず、この運動の出発点は職業倫理高揚を目的とした
活動ではありません。
シェルドンの奉仕理念を正しく知ることが、正しく職業奉仕
を理解することにつながります。そこで先ず最初にシェルドン
の職業奉仕理念とはどんな考え方なのかについて述べてみた
いと思います。
さて、私の調査によると、シェルドンは 1910 年、1911 年、
1913 年、
1921 年の都合 4 回の国際大会の講演と The Rotarian
に対する数回の投稿を通じて職業奉仕の理念を説いています。
13
従って、これらの内容を理解すれば、シェルドンが説く職業奉
仕の理念を完全に理解することができます。
1921 年のエジンバラ大会で発表した「ロータリー哲学」と
題するスピーチ原稿は、1991 年に神崎正陳パストガバナーが
東京のロータリー文庫で発見して、それを紹介しました。1910
年、1911 年、1913 年の年次大会におけるスピーチ原稿は 2000
年と 2002 年に私が RI 本部の資料室で見つけ出して、1921 年
のスピーチ原稿と共に私自身が翻訳して、私のウエブサイト
「ロータリーの源流」で発表しました。
なおこれ以外にも The symbolism of service (奉仕の図式)、
The philosophy of service (奉仕の哲学) という小論文が The
Rotarian に投稿されていますが、いずれも「ロータリーの源
流」に収録していますので、ぜひ原文に接していただきたいと
思います。このように神崎パストガバナーと私が発表する以前
には、正式にシェルドンの論文が公開されていなかったために、
日本のロータリアンがシェルドンの論文に直接触れて、シェル
ドンの職業奉仕理念を正しく理解できるようになったのは、ご
く最近のことなのです。
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シェルドンの入会
1868 年 5 月 1 日、ミシガン
州バーノンで生まれたシェル
ドンは、ミシガン大学の経営
学部で販売学を専攻し修士課
程をトップの成績で卒業しま
した。今でこそ、経営学はメ
ジャーな学問ですが、当時は、
ビジネスのマネージメントを
学問として捉えたり、更に販
売学などという分野に関心を
持つ人は少なく、この分野に
おける草分け的な存在だった
と考えられます。その学究生
アーサー F. シェルドン
活の中で、彼は 19 世紀におけ
る商売と、20 世紀における企
業経営は全く違うことを学んだわけです。
卒業後、図書の訪問販売のセールスマンになりますが、素晴
らしい営業成績をあげて、セールス・マネージャーに昇進し、
1899 年には出版社の経営を任されるようになりますが、1902
年にシカゴにビジネス・スクールを設立して、サービスの理念
を中核にした販売学を教える道を選びます。後日、ロータリー
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の職業奉仕理念の中核となった「He profits most who serves
best」に基づくサービス学の概念を、科学として捉え、それを
体系的に教えることが、シェルドン・ビジネス・スクールの方
針だったのです。
1910 年の全米ロータリークラブ連 合会創立以降、「He
profits most who serves best」という奉仕理念を、全国のロー
タリークラブに広める活動の中心になったシアトルやミネア
ポリスのロータリアンたちの多くは、シェルドン・ビジネス・
スクールの卒業生でした。
ポール・ハリスの「This Rotarian Age」には、「1908 年の
ある日の夕刻、ミネアポリスの行きつけの散髪屋の椅子から、
その組んでいた長い足を解いて表に出たとき、突然浮かんでき
た言葉が He profits most who serves his fellows best であ
る」と記載されています。
シェルドンがシカゴ・クラブに入会したのも、同じ 1908 年
1 月ですから、このモットーのフレーズが出来上がったのとほ
ぼ同じ時期だったとしても、その考え方は、自転車の荷台に本
を載せて、ワイオミングの大草原の中で訪問販売をしていた時
代に培われたことは間違いありません。彼自身は、「大学で学
んだことは単なる知識であって、販売学の全ては、実社会に出
てから学んだことだ。
」と語っています。
シェルドン・ビジネス・スクールの広告の冒頭には、「人生
のあらゆる面は、運ではなく、自然の法則によって定められて
いる。成功しているセールスマンとて、例外ではない。」と記
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載されています。
後に道徳律の起草委員と
して、第 11 条をドイツ語で
書き上げたジョン・ナトソン
は、
「1906 年、この学校の広
告を偶然に見た私は、入学金
10 ドルと授業料月額 5 ドル
を払って、684 番目の学生と
して入学した。そして 6 ケ月
の間に 40 冊の教科書を受け
取った。」と回想しています。
すなわちシェルドンは、自ら
がロータリーに入会する以
前から、ロータリーの職業奉
仕理念を説く活動をしており、ロータリーはそれをそっくりそ
のまま利用したに過ぎません。
シェルドンは多彩な才能の持ち主でした。小学校入学から大
学の修士課程終了まで、ずっとトップの成績で通したことはあ
まりにも有名な話です。
経営学者として当時のもっとも新しい分野である販売学を
体系化するとともに、哲学者として宇宙の摂理や自然の法則を
説き、それを発展させて奉仕哲学という新しい分野の理念を完
成させました。インド哲学にも造詣が深く、1913 年の論文に
17
は、インドのバガバン・ダスの哲学書から奉仕の理念を学んだ
という記述があります。しかし、どうやら宗教が嫌いであった
らしく、当時の人としては珍しく「神 GOD」という言葉をこ
とさら避けており、シェルドンの文章の中からは GOD とい
う単語を探し出すことはできません。
彼の文章は極めて美しくなおかつ論理的な文脈であり、1911
年の論文は韻を踏んだ詩のような文体でまとめています。ビジ
ネス・スクールを運営していたことからも判るように、教育と
は知識を教えることではなくて、その人の能力を引き出し、そ
れを成長させることであるという独特な考え方を持った教育
者でもあります。
また高い芸術性を持っていたことは、彼自身はチェロ奏者で
もあり、夫人はプロのピアニスト、子供達もめいめいに楽器を
演奏して、ファミリー・オーケストラを楽しんだという記録が
残っています。
1906 年の後半、シカゴ・クラブは重大な転機を迎えます。
1905 年の創立以来、会員同士の親睦と物質的相互扶助に重き
を置いてきたシカゴ・クラブに、対外的な奉仕をすべきだとい
う意思を持って入会してきたドナルド・カーターの考え方に同
調したポール・ハリスは、1906 年 12 月に定款を改正して社会
奉仕に関する項目を追加し、更に 1907 年 2 月、会長就任と共
に、クラブ運営方針を抜本的に変更して、会員増強、拡大、社
会奉仕の実践を提唱します。
18
しかし、これまで会員に大きな利益をもたらしてきた物質的
相互扶助と、突然提唱された対社会的奉仕活動の概念との乖離
は大きく、これに反発する会員との間で激しい論争が起こりま
す。
そんな状態の中で、シェルドンはハリー・ラグルスの推薦で、
1908 年 1 月にチェスレー・ペリーと共にシカゴ・クラブに入
会します。
ハリー・ラグルスが互恵・親睦派のリーダーであったことか
ら、彼ら二人も、ラグルスが自派の勢力拡大を計って入会させ
たことは明らかですが、その後この二人が共に、ハリー・ラグ
ルスと袂を分かって、共にポール・ハリスの片腕となり、シェ
ルドンは奉仕理念の提唱者
として、ペリーはロータリー
組織の建設者として協力し
たことは皮肉なことです。
シェルドンに対するポー
ル・ハリスの信頼がいかに厚
かったかは、入会の翌々月の
1908 年 2 月(当時のロータ
リー年度は 2 月に始まり翌
年 1 月に終わっていました)
に、彼を情報拡大委員長とい
う重大な役職に任命したこ
チェスレー・ペリー
とからも明らかです。 シェ
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ルドンも、入会僅か 1 ケ月の新入会員であったにもかかわらず、
多くの古参ロータリアンを前にして、彼の持論である「サービ
ス学」を新しいロータリー理念として説くことで、それに応え
たわけです。
毎回の例会毎に、ポール・ハリ
スとシェルドンによって繰り返さ
れる奉仕哲学と拡大の必要性を説
く議論に、大多数を占める互恵・
親睦派の会員たちは、さぞかし辟
易したことでしょう。その白熱し
た議論の雰囲気を和らげるために
ハリー・ラグルスが始めたのが「唱
歌」であったことは、余りにも有
名な話です。
しかしその緊迫した状況はつい
ハリー・ラグルス
に均衡を失い、1808 年 10 月、ポ
ール・ハリスは任期半ばで会長を
辞任し、シェルドンも情報拡大委員長の任を解かれます。
その状況を憂慮したチェスレー・ペリーは、当時 16 クラブ
まで拡大されていたロータリークラブの連合体として全米ロ
ータリークラブ連合会を結成して、その組織にポール・ハリス
とシェルドンを迎え入れ、自らも事務総長として、その腕を振
るうことになります。
20
さて、シェルドンの職業奉仕理念をお話しする前に、当時の
社会情勢や時代背景についてお話しておかなければなりませ
ん。
アメリカン・ドリームを夢見て西へ西へと向かった人たちが
集まった交通の要衝として栄えた無法と腐敗の町がシカゴで
す。
当時のシカゴ駅
資本主義のもっとも醜い面をさらけ出した無秩序な自由競
争の下では、同業者はすべてライバルであり、法さえ犯さなけ
れば金を儲けた者が成功者としてもてはやされました。後ろめ
たい気持ちがあれば、僅かばかりのチャリティーをすれば周囲
の人々は納得しました。だますより、だまされる方が悪いとい
う風潮がまかり通り、誇大広告・虚偽広告は当たり前でした。
こんな状況の中でロータリーが創立されたわけですから、当初
21
は何事でも胸襟を開いて話し合える友情を培うことが目的と
なり、次いで各々が違った職業であることを利用した物質的相
互扶助によって、事業の発展を図ったことも容易に想像がつき
ます。
シェルドンは、物質的な相互扶助に頼らずに、継続的に利益
をあげて事業を発展させる経営方法として、職業奉仕を説いた
のです。当時の時代背景を考えれば、もしも職業奉仕を倫理運
動として進めたとしたら、誰も耳を貸そうとしなかったでしょ
う。
22
1910 年
シカゴ大会
1910 年に全米ロータリークラブ連合会が結成されると、シ
ェルドンは Business Method Committee の初代委員長に任命
されます。当時は職業奉仕という名称はありませんでしたから、
この Business Method Committee が実質上の職業奉仕委員
会だったわけです。
1910 年 8 月 15 日から 17 日まで、シカゴのコングレス・ホ
テルで、第一回全米ロータリークラブ連合会の年次大会が開催
されました。
第一回全米ロータリークラブ連合会年次大会
この大会で、シェルドンやシアトルおよびミネアポリスのロ
ータリアンたちの働きかけによって、物質的相互扶助の慣習か
23
ら脱却して、職業倫理を高めるための最初の公式文書として、
新たなロータリーの綱領が採択されました。
1
アメリカ全土に加盟ロータリークラブを結成することによ
って、ロータリーの原則を拡大発展させること
2
アメリカ全土の加盟ロータリークラブの業務と原則を統一
すること
3
市民としての誇りと忠誠心を喚起しかつこれを奨励するこ
と
4
進歩的で尊敬すべき商取引の方法を推進すること
5
加盟ロータリークラブの個々の会員の事業上の利益を増大
すること
大会の最終日にゴールド・ルームで開かれた晩餐会の席上、
シェルドンは、予てから彼が考えていた奉仕哲学に関するスピ
ーチを行い、He profits most who serves his fellows best と
いう言葉を始めて披露しました。
1910 年第一回全米ロータリークラブ連合会年次大会における
シェルドンのスピーチは次の通りです。
会長及びロータリアン諸君。
19 世紀における商習慣の特筆すべき点は競争である。人間
は長い旅路を漂いながら進化し成長していくものだが、特に今
世紀も間近に控えた 19 世紀の 4 分の 3 を迎えた頃には、毎日
24
毎日が食うか食われるかという動物の本能をむきだしにした
状態が最高潮に達した。
平均的な実業家の座右の銘は、自分がしようとすることを他
の人がしないうちに、最初にすることであり、他人のために善
いことを行うのではなく、むしろその逆のことを行う風潮であ
った。もちろん、注目すべき例外があったとしても、それが鉄
則であった。
商売の原則は、「買手の自己責任」すなわち、買手が用心する
ことであった。
20 世紀における人類は、あらゆる面で知性の円熟期に近づ
きつつある。人類は、無知という精神的な夜の帳を抜けて、知
識の薄明を迎えようとしている。新聞や書籍や学校教育を通じ
て、人類は、昇る太陽の知識の光を享受し、その光は世界中を
照らしている。今や我々は、知識と知恵が満ち溢れる時代に近
づきつつあるのである。
知恵の光が輝き始めた、この 20 世紀の黎明の中に立っている
ことは、素晴らしいことである。20 世紀の商習慣の特徴は協
力することであり、知恵の光に満たされた人間は、他人に利益
をもたらすことこそが正しい処理法だということを理解し、経
営学が人間に対するサービス学であることを理解し、同僚に対
して最も奉仕した者が最も報われる He profits most who
serves his fellows best ことを理解するのである。
私は、この地でシカゴ・ロータリークラブが結成されたとき、
これを歓迎した。そして今、この時代を象徴する、高度な意識
25
へ向かって人類が成長した証拠の一つとして、全米ロータリー
クラブ連合会ができたことを歓迎し、サービスの救世主として、
かいば桶への道を指し示す、20 世紀の空に輝く実業界のきら
星の一つとして、歓迎するものである。
遠方から旅して来られた人々の時間を無駄にするつもりは
ないが、我々の信条の価値を少しばかり話しておきたいと思う。
しかしその話は、クラブ例会に私よりもっと定期的に出席して
いるあなた方の方が、私以上によく知っていると思うので不必
要かも知れないが、我々の可能性について言及することなしに、
この話を終えるわけにはいかないのである。
この運動がどのように発展していくかは、想像することがで
きないと、今夜、委員長が語ったのは賢明である。僅か数年前、
シカゴのレストランで四人の素晴らしい人たちが集まった時
に、彼らが考えたものより、ずっと良いものを作り上げたので
ある。その時は小さな出発だと思ったに違いないし、確かにそ
うであった。この最初の全国大会も、ある人にとっては小さな
ものに見えるかもしれない。しかし、小さい出発の将来性につ
いて、少し考えてみようではないか。
15 年ほど前のある日曜日の朝、私はカリフォルニア州シッ
ソンにいた。私の友人が、サクラメント川の源流を訪ねてみた
くはないかと尋ねたので、私はそれに応えて、一緒に出発した。
町から約 3 マイルほど離れた大きな岩の下から、冷たく透き通
った、泡立つ泉が涌き出ていた。少し離れた所に、鉄泉が涌き
出ており、更にもう少し先に、硫黄泉が涌き出ていた。
26
それぞれは小さなせせらぎを作り、少し先では一つの流れに
まとまって、楽しそうに踊ったり、笑い声をあげながら、谷を
下って海に向う長い旅路を急いでいた。この流れを見ながら、
その源は何処かと尋ねて右を見ると、空に向って 14,000 フィ
ートの高さに聳え立ったシャスタ山がそこに輝いていた。静か
ではあるが、その一方では雄弁な自然の女神の偉大なる力の象
徴であり、自らの力を示すために、自らの鼓動と脈拍で高く山
を積み上げた、創世期の記念碑でもある。
果てしなく続く常緑のシャスタ山のスロープや、斜面の彼方
に広がる山の頂きは、未来永遠に絶えることのない万年雪に覆
われていた。その雪を見上げて、あの小川の源流であるこの泉
の源を見つけることができた。その後、南の方に足を延ばすと、
その小川が川幅を増し、広くて大きい立派な川なっていく様を
目のあたりにした。そこで私は、はるか北の彼方で見た三本の
小川のことを思い出し、小さい出発からの可能性についてあれ
これ考えた。
今宵、我々は預言者の偉大なる才能を持っていないにもかか
わらず、未来のことを予言することができる。ロータリーの全
国組織はやがて国際組織になり、現在の会員に世界中の新しい
クラブが加わり、恩恵を与える川となって、世界中を流れるに
違いない。真実という万年雪に端を発している限り、失敗など
あり得ないのである。
田中 毅
27
訳
彼は、食うか食われるかという人間の本能をむき出しにした
19 世紀の利己的な経営手法を批判すると共に、単に自分だけ
が儲けようという商売から脱
して、他人に対してサービス
することが、事業を成功させ
る方法であることを力説しま
した。
20 世紀の実業人を成功に
導く方法は、利益を他人とシ
ェアするというサービス学を
遵守することであると説き、
その理念を端的に表す言葉と
して、He profits most who
serves his fellows best とい
うモットーを発表したのです。
現在使われている第二モットーに his fellows という単語
が余分についており、「自分の事業に関係する人たちに、最も
奉仕した人が、最も多く報いられる」という意味です。
素晴らしい奉仕理念の提唱であったにもかかわらず、本会議
ではなく晩餐会におけるスピーチであったことと、数多くのロ
ータリアンのスピーチの一つに過ぎなかったことも災いして、
このスピーチの内容を理解できた人はほとんどいなく、従って
反響はゼロに等しいものでした。
28
He profits most who serves vest
1911 年 8 月 21 日から 23 日まで、オレゴン州ポートランド商
業クラブ会議場において第二回全米ロータリークラブ連合会
の年次大会が開催されました。
第 2 回全米ロータリークラブ連合会年次大会
大会議事録によると、その最終日に欠席役員及び会員から寄
せられた多くのメッセージが読み上げられましたが、その中に、
Business Methods Committee 委員会からの報告書の代わり
に、アーサー・フレデリック・シェルドン委員長が用意した「私
の宣言」という表題の演説原稿が同封されており、それをチェ
スレー・ペリー事務総長が代読したと記載されています。シェ
ルドンは所用のためイギリスに滞在中であり、この大会には参
29
加しておりませんでした。
しかし、その内容が、参加者に極めて強い印象を与えたため、
大会委員長のジョージ・ピンカムの提案によって、大会議事録
として配布された報告書の中に演説の全文が印刷された上、
He profits most who serves best という言葉が、この大会で採
択された「ロータリー宣言」の結語として採用されるという結
果に至りました。
1911 年の年次大会で採択されたロータリー宣言は次の通り
です。
ロータリー宣言
現代生活の経済的基盤は人類の成長過程上、必要なものであ
ることを認め、私的な利害関係と社会を形成する多様な利害関
係との間に在るべき正しい相互関係及び調和について研究、発
表、実践すること。更に自己利益追求の強力な要素を経済及び
社会双方の進歩に役立てることを目標とする。
これらの目的の効果的な達成のために、限定的な代表会員制
の原則が採択された。そのおかげで、ロータリークラブの会員
は実業および専門職の明確な各職種から一名の代表者により
構成されている。
この形態の組織は、下記の目標の達成及びその成果により、
クラブのこの基本的な目的を実現するものとする。
1.
各会員は広範囲にまたがった職業の代表者との実際の交
30
際により恩恵を受け、視野を拡大し、見解を広め、専門
分野追求の陥りやすい狭さを是正することが出来る。公
益を形成する多様な個々の利害関係について正しい考え
方が出来るため各会員はこれにより市民及び職業上の責
任を賢明に果たすことができる。
2.
地域社会は会員の統一された組織的な公益のための努力
により恩恵を受ける。公共の問題の検討に際しては、会
員組織の基盤のおかげで、特定利権の支配を受けない、
全ての利害関係者の代表であることが保証されている。
ロータリークラブは制約された代表的な会員組織である
ため、一般的な重要問題について地域社会全体を代表す
る声ではないし、又声になるべきではない。しかし、そ
のような問題についての行動は会員が共有している信念
を統率のとれた努力を通じて表明することにより多大の
影響力があり又そうあるべきである。
3.
経済活動の倫理規準を高め多様な代表的な異職種間に真
の民主主義を推進することにより社会に貢献する。
4.
会員がクラブの会合に参加するように選ばれたことはそ
の会員に対するクラブの信任及び善意の表明である。彼
の職場は彼自身本来の活動の場であり、職種の立派な代
表者としての活動が期待されている。代表として拡大さ
れた知己及びクラブの会員にふさわしい能力、品性に対
する社会的評価から当然の権利として得られる恩恵を享
受することが出来る。
31
会員の身分は特権と責任の両面を持っている。全ての会員が
責任を果たし特権を行使すれば、結果として経済的な活力が社
会の進歩のために効果的にむけられるであろう。
「最も良く奉仕するもの、最も多く報いられる」
東 昭二
訳
第二回全米ロータリークラブ連合会年次大会におけるシェ
ルドンのスピーチ原稿は文頭がすべて that で統一された詩
のような美しい文章です。その内容は次の通りです。
「私の宣言」
私は、以下のことを信じている。
我々は科学的な時代に生きている。世のために努力を重ねる
すべての職業は、急速に、科学を基本とするものに変わりつつ
ある。
我々は、世の中に適応する者のみが生き延びられる時代に生
きている。10 年前よりも、今日の方が更に世の中に適応するこ
とを要求されることを意味し、今日よりも、10 年後の方が更に
適合を要求されることを意味するのである。
我々は商業の時代に生きており、商業や事業は学問である。
学問とは、事実についての適切な見解、把握、比較、記録に基
づいた常識を簡潔に分類することである。
専門職務とは、学問を実践することである。
32
経営学は、「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる He
profits most who serves best」に基づくサービス学である。
実業に取り組み、実業を築いていくことは、これに関連した知
識を体系づけることによって学問的なものに変えていき、専門
職のように実業を高揚させることである。
いかなる団体の成功も、サービスに従事した人々の成功の集
積である。
事業主よりも大きな事業所はなく、その事業所の全員と関係
を持っているのが事業主である。
顧客は事業所のことを熟知している。顧客の獲得と維持の双
方は、事業主の力量如何にかかっている。
広い意味で、すべての人はセールスマンである。それぞれの
人は、それがサービスか商品かにかかわらず、売るべきもの持
っている。
商売上における人生の成功は、末永く利益をもたらす顧客を
確保する技術を持って、事業を営むことによって決まる。
血の通った事業を築いていくのは、利益を得るために、品物
を買うように人々を説得する原動力、すなわち販売術である。
血の通った販売術の源となる心こそサービスであり、最終的に、
買手と売手の双方に利益と満足を与える原動力である。
特にセールスマンに当てはまる、成功するための自然の法則
は、次の四つの項目に要約される。第一に、人は自らを知るこ
と。第二に、他の仲間のことを知ること。第三に、自らの仕事
を知ること。第四に、この知識を活用することである。
33
これらの項目の詳細を述べれば、次の通りになる。
第一に、人間は自らのことをよく知らなければならない。こ
の知識を適用すれば、すべての取引の基本となる信用を得るこ
とができる。
第二に、顧客を最も知性的な方法で扱うためには、その人の
個性、ニーズ、気心、気まぐれ度などの性格についての正確な
知識を持たなければならない。
第三に、熟慮した上で、品物の最も有利な魅力や利点を示し
て、その要点を説明することによって、商品や仕事を分析する
ことができるにちがいない。これは筋の通ったことである。
第四に、どのような手練手管を経て、顧客の心を誘導するか
という、販売の心理原則の知識を持っていなければならない。
ここでは、心理学の実用的な面が生かされてくる。
世界中の品物を作ったり、売ったりする責任を負っている以
上、各人が可能な限り多くの、学問を啓発したり高揚する影響
力を及ぼさなければならない。この啓発と高揚の影響力は、教
育を通じてのみ広めることができる。
教育とは、前向きの資質や、望ましい資質を引き出し、開発
することである。
教育とは、何であろうか。教育の二本の柱とは何であろうか。
第一は育成すること、そして第二は活用することである。
知的な人は、知的な運動と知的な食物を必要とし、肉体的に
成長するためには、それに相当した運動と食物が必要なことは
当然である。
34
教育の成果は、教養だけではなく、健康、富、名誉、環境に
対して調和を持って適応することであり、能力だけでなく、信
頼性、持続性および行動力を持つことである。
教育の効果は、知性だけではなく、身体、感受性、感情、意
思の開発にも適用することができる。
知性的な進取の気性を持つように教育した結果として、能力
や知力、感受性、信頼性、 身体、持続性、 意志、行動力が作
られる。
従って、真の教育の主な目的は、人間の守備範囲を増やすこ
とであり、AERA(訳者注:Ability-能力、Reliability-信頼性、
Endurance-持続性、Action-行動力)という言葉は、これらの
四つの言葉の頭文字によって綴られている。
広い意味における人生の成功は、幸運とか機会というものでは
なく、心理的、道徳的、物質的な自然の法則によって支配され
ている。
これらの自然の法則のすべてを調和させる活動こそ、最高の
成功を意味する。自然の法則の一部を犯すことは、単なる部分
的な成功を意味し、全てを犯すことは、失敗を意味する。
これらの自然の法則を教えることの方が、教育の名において現
在教えられている多くの事柄を学生の頭に詰め込むより、よっ
ぽど有益であることが判る。
すべての男女は、同じ固有の能力と資質を持っており、その
格差は開発の度合いのみで生じる。
よく開発された素晴らしい資質は、前向きのものであり、未開
35
発若しくは間違った開発は、消極的なものである。
進取の気性はこれらの自然の法則を表明する道具である。
正しい資質が作られれば、正しい人間が作られる。 正しい
人間が作られれば、仕事は自ずからよく管理される。
雇用者や市民としての、その人の自らの価値は、その人を管
理する必要性の減少と共に増していく。
管理の必要性は怠慢による失敗と越権行為による失敗によ
って引き起こされる。失敗は消極性によって起こる。
消極性は積極性を開発することによって克服される。
進取の気性を開発した成果は、AREA すなわち、能力、信頼
性、持続性、および行動力である。
すべての正常な人間は、肉体と知性と感情と意思を持ってい
るので、人間は、未熟な原料からより多くの AREA を作りあ
げるために祈るのである。
各人に与えられたこれらの四つの因子を開発し訓練するこ
とによって、未来永劫の成功が保証されるのである。
人類は、知能の発展の見地から四つの段階をたどる。第一は、
無知。第二は、知識。第三は、博学。第四は、英知である。英
知への道は、進取の気性の教育によって作り出される。
すべての職業人は、能力の見地から四つのクラスに分けられ
る。第一は、下手。第二は、初心者。第三は、熟練者。第四は、
名人である。名人への道は、進取の気性から作り出される。
実業界や歴史上の偉大な成功者とは、事務員、商人、セール
スマン、役員、勇士、王にかかわらず、名人の域に到着した人々
36
のことである。
人生には四つの段階がある。第一は、植物や無機物のような
無意識。第二は、野蛮な生物のような単純な認識。第三は、知
識、感覚、意思のような人間の自意識。そして、第四は、人間
が仕えるべき宇宙を認識することである。
宇宙を認識するということは、一般的な良識を開発したり、
人類の連帯を正しく認識したり、物事の同一性や人間の兄弟愛
を現実化することであり、ビジネスの場においてもそれ以外の
場においても「最もよく奉仕する者,最も多く報いられる」と
いう事実を現実化することなのである。
宇宙を認識する道は、進取の気性を開発することによって作
り出される。
サービスをしたいという願望は、利己主義や自らを意識する
という段階から、宇宙を認識するという英知に向かう段階に至
る人間のたどる道として発展したものである。言いかえれば、
我々が利他の心を持って他人の成功を願うことは、自らが成功
への道を歩んでいることである。
我々が霊魂と呼んでいる精神や魂の存在は、身体の寿命と同
様に現実的なものである。人間は進化し、その精神面の発達は
肉体的な発達よりも大であることは事実である。
人間の精神的肉体的な発展は、正常な個々の人間が持ってい
る進取の気性を如何に開発するかにかかっている。これらの能
力は、すべて人間の肉体的な活力に含まれており、その活力は
自覚し、感じとり、意図することができるのである。
37
真の教育は、前向きの能力を育み、強化し、開発することで
ある。進取の気性は、熱が火によってもたらされるのと同じよ
うに、当然な結果をもたらすのである。
すべての人は、事業上および専門職務上で、もっと多く、も
っと良くサービスするための潜在能力を持っている。サービス
の見返りは、必ずや、あなた方にもたらされるのである。
田中 毅
訳
以上のシェルドンの演説を要約すれば次のようになります。
•
商業や事業を営むことは、経営学という科学を実践するこ
とであり、経営学とは He profits most who serves best
に基づいたサービス学である。
•
広い意味で、すべての人はセールスマンであり、各人はそ
れがサービスか商品かにかかわらず、売るべきものを持
っている。
•
事業の発展は事業主の力量如何にかかっており、それは末
永く利益をもたらす顧客を確保する技術を持って、事業
を営むことである。その技術の基になるものが販売学で
あり、それを会得するためには教育が必要である。
•
教育の目的は進取の気性を作り出すことによって、能力、
信頼性、持続性、行動力を引き出して、人間の守備範囲
を増やすことである。
•
人生の成功は、心理的、道徳的、物質的な自然の法則によ
って支配されており、これらの自然の法則のすべてを調
38
和させる活動こそ、最高の成功を意味する。
•
人生において、絶対的な権限を持った宇宙の摂理を認識す
ることが必要である。宇宙の摂理を認識することは、民
族の連帯の理解、すべての物の単一性、人間の兄弟愛の
現実などという一般的な感覚を開発することであり、磨
かれた人は、ビジネスのいかなる場所においても、He
profits most who serves best でなければならないとい
う事実に気づくのである。
•
宇宙を認識する道は、進取の気性を開発することによって
作り出される。サービスをしたいという願望は、宇宙の
摂理を認識できる人間のたどる道であり、利他の心を持
って他人の成功を願うことは、自らが成功への道を歩ん
でいることである。
39
Service above self
ロータリーのもう一つの奉仕理念は、Service above self で
あり、弱者に涙して人道的な奉仕活動を実践する社会奉仕や世
界社会奉仕の活動です。
この Service above self の原
型となった言葉が、1911 年 8
月 22 日に開かれた第 2 回全米
ロータリークラブ連合会の年
次総会のエクスカーションで
ある、コロンビア川をさかのぼ
る船旅の中で、1910 年に創立
されたミネアポリス・ロータリ
ークラブ会長のベンジャミ
ン・フランクリン・コリンズが
即興演説の中で語った言葉
Service-not self でした。
フランク・コリンズ
この言葉はフランク・コリン
ズが提唱した言葉だと信じている人が多いようですが、すでに
ミネアポリス・クラブに定着していたこの言葉を、たまたまフ
ランク・コリンズが引用したに過ぎないのです。 哲学的な意
味をこめて自らが創造し提唱した言葉、すなわちアーサー・シ
ェルドンの He profits most who serves best とは本質的にそ
の意味合いが違うことを理解しておく必要があります。
40
Service-not self という言葉を見て、自己を犠牲にして他人
に奉仕することだと解釈する人が多いようですが、それは間違
いであって、Service-not self にはそのような意味はありませ
ん。
Service-not self に関するさまざまな間違いの元凶は、1966
年に元シカゴ・クラブ会員であったオーレン・アーノルド Oren
Arnold が書いた「Golden Strand」の誤った記述と、それを
そのまま鵜呑みにしてさも真実のように語り続けた一部のロ
ータリー指導者にあります。
「Golden Strand」はロータリーの雑学が満載されていて、
読み物としてはとても面白いものですが、所詮後世の人が伝聞
をまじえながら書き綴った二次文献、ひょっとしたら三次、四
次文献に過ぎませんから、その内容が正しいかどうかを、一次
文献にさかのぼって確認した上で引用しなければ、危険千万な
代物なのです。
「Golden Strand」のこの部分を、私の翻訳でご紹介します。
その日に講演者の一人が、ミネアポリス・クラブの弁護士で
あり会長のベンジャミン・フランク・コリンズ B. Frank Collins
であった。彼の演説は命令調で個性的であり、うるわしき8月
の朝のように力強い話しぶりだった。彼が話しを締めくくった
とき、人々はただうっとりと彼の演説に聞き入っていた。
---中略--二度あることは三度であった。奉仕のテーマが、再び、短い
41
言葉で宣言された。代議員たちは直ちに、その言葉に飛びつい
た。
実際、この演説は、アーサー・シェルドンの有名な宣言、“He
profits most who serves best” を最初に聞いてから、僅か数分
以内になされたものであった。
しかし、このより短い叙述は、再びロータリアンの心を打ち、
各クラブは両方のモットーを採用することを決定した。
---中略--“Service, not self”
そう、何れにせよ、自己の存在を考えることが、まったく悪
いわけではない。例えば、人間は自尊心を持つべきだし、自分
自身を守らなければならない。もし自分自身が零落すれば、奉
仕することなどできるわけはない。従って、“Not Self”が、
何を意味しているかを理解することは、まったく難解である。
自分自身を二の次にしておくのは良いとしても、それを完全に
否定するのはどうかと思われた。
「よし、それなら “Service Above Self” にしたらどうだろう
か?」
誰かが意気揚々と、適切な提案をした。
「それは良いね!」
別の人が叫んだ。たぶんそれは、販売の専門家アーサー・シ
ェルドンの興奮した声であったに違いない。
「それはよい方針であり、すべてを言い尽くしている。」
明らかに、彼の発言は正しく、その提案は満場一致をもって
42
採択された。そこで、数カ月後には、“Service Above Self” は
多くのロータリーのレターヘッドやパンフレットや演説原稿
や宣言文に用いられはじめた。更にしばしば、モットーは
“Service Above Self” と “He Profits Most Who Serves Best”
が組み合わされて印刷された。
田中 毅
訳
下線を引いた部分が間違った記述です。私はそれを確認する
ために 2002 年 1 月にワン・ロータリー・センターの資料室を
訪れて、そこでフランク・コリンズのスピーチ原稿を見つけま
した。 その原稿には「自分の職業は果物の卸売り業者である」
ことと「Service-not self という言葉はミネアポリス・クラブ
が設立された当初から使われていた言葉」であることが明記さ
れています。
コリンズがこのスピーチをしたのは 1911 年 8 月 22 日であ
り、シェルドンのスピーチ原稿がチェスレー・ペリーによって
代読されたのは同年の 8 月 23 日ですから、
「アーサー・シェル
ドンの有名な宣言、He profits most who serves best を最初に
聞いてから、僅か数分以内になされたものであった。」という
記述は明らかな間違いです。
He profits most who serves best はロータリー宣言の結語と
して採用し、全文を配布することが、この大会で採択されたと
大会議事録 (公式文献) に記載されていますが、Service-not
self については何の記述もありません。従って「両方のモット
43
ーを採用することを決定した」という記述は間違いです。
Service-not self の真意については、コリンズのスピーチ原
稿を分析することによって、誰でも容易に理解することができ
ます。残念なことにはこの原稿は、私が 2002 年に発見するま
では誰も見た人はいなかったらしく、これを書いた本人の原稿
を見ることなく、
「Golden Strand」の「そう、何れにせよ、自
己の存在を考えることが、まったく悪いわけではない。例えば、
人間は自尊心を持つべきだし、自分自身を守らなければならな
い。もし自分自身が零落すれば、奉仕することなどできるわけ
はない。従って、“Not Self”が、何を意味しているかを理解す
ることは、まったく難解である。自分自身を二の次にしておく
のは良いとしても、それを完全に否定するのはどうかと思われ
た。」という記述をそのまま信じて、Service-not self を宗教
色の強い自己犠牲の奉仕だと説く人が未だにいることは、非常
に残念なことです。
さて、フランク・コリンズのスピーチ原稿も、私が、ワン・
ロータリー・センターの資料室で発見したものであり、The
National Rotarian 1911 年 1 号に掲載されている「How it is
done in Minneapolis ミネアポリスではどのようにしたか」
という表題の文章です。
次にその全文をご紹介します。
ミネアポリスではどのようにしたか
44
会長および会員諸君。
昨日の午後、シアトル・ロータリークラブのピンカム氏が私
のそばに座り、私たちは、ロータリーについて語り合いました。
私は、会員に利益をもたらし、ロータリーを魅力的にするため
に、ミネアポリスで私たちがしたことの概要を少しばかり披露
しました。 彼は、
「この線に添った短い話なら、多分、ここに
いる他の代表議員の人たちにも了解してもらえるかもしれま
せん。」と言いました。ハリス会長はその発言を採り入れて、
私たちが、ミネアポリスで考えだして努力した方針の概略につ
いて述べるために、私の発言時間を延長すると言いました。
(コリンズ氏は、盛大な拍手によって、中央の演台にあがる
ように要請されました。)
ミネアポリス・ロータリークラブは、1 年前の昨年1月、ハ
リス氏とシカゴ・ラブの 10 名の会員によって組織が作られま
した。私たちは、チャーター・メンバーの公正なリストの下に、
毎月一回、例会を開催するという考えの下で出発しました。 毎
月一回の例会では、私たちが望んでいるようには、会員の関心
を保ち続けられないことが、この勝負の極めて早い段階で明ら
かになりました。そこで、会長は昼食を採りながらこの問題を
入念に調べるために、理事会を開いて、全ての主だった委員会
の委員長を招待しました。この問題は徹底的に議論されて、ク
ラブを良くするために、毎週規則的に昼食会を開催すべきであ
ることが決められました。
45
当時は、7 月と 8 月には例会を開催しない方がいいと考えて
いましたが、その時期がやってくると、例会に対する関心が高
まってきました。出席についても、7 月と 8 月も例会を続けた
方が得策であるという考え方が、強くなってきて、それ以来、
私たちは必ず金曜日に例会を開くということを守ってきまし
た。
ロータリークラブの組織では、なすべきことはただ一つであ
り、それを正しく始めなければなりません。正しく始めるため
には、ただ一つの方法しかありません。 自らの利益が得られ
るかもしれないと思ってロータリーに入ってくる人たちは、間
違った部類の人たちです。それはロータリーではありません。
ミネアポリス・クラブによって採用され、当初から定着してい
る原則は、
「Service, not self」です。
私たちはクラブの会員自らによる例会運営で成功を収めて
いたので、関心を得るために、外部からのタレントを招く必要
は一切ありませんでした。入会を促すための慣例的な事柄とし
て行った一・二の例外こそあったものの、私たちの例会は、厳
密に、ビジネス・ラインに沿ったものでした。 どのようにす
れば結果が引き出せるかという問題については、理事会や種々
の委員会の委員長が慎重に検討し、みんなが完璧な友人関係を
作り上げなければならないという前提で決定されました。
友愛委員会はこの問題を担当して、クラブのすべての会員を
完全な友人関係にするために、その方針に沿ったアイディアを
開発して、それを最高の喜びを持たせる方法で成し遂げました。
46
私たちは金曜日ごとに昼食例会を開催しましたが、一部の会員
が、来週の昼食会のチケット販売係として、前の週に委員長に
よって任命されました。チケットはその人の事業所で販売され
るので、クラブのすべての会員は、彼の事業所に行くことが重
要な義務となり、そこで彼からチケットを買うことによって、
その人やその人の事業を知ることができます。現在、これは、
友人関係を緊密にするために私たちが用いている、最も喜ばし
い方法の一つになっています。 最初、それが提案された時は、
いくらかの反対がありました。 皆は言いました。
「 私たちには時間がありません。 昼食会に行くために、1
時間半かかります。さらに、まわり道をして切符を買うために
は、余分な時間がかかってしまうでしょう。
」
従って、皆が喜んで受け入れるものではありませんでした。
提案は、このような方法で彼らに知らされていました。
「もしあなたが、このクラブの方針である "Service, not self"
に従って行動しているならば、あなた方は、彼の事業所に行く
義務があります。
」
そして、それ以来、私たちは全く何の苦労もしていません。
昼食会に出席する会員の 90 パーセントは、その人の事業所に
行って、そこでチケットを買い、そこでしばしば、事業上の手
腕を発揮します。 少なくとも彼らは、商品を見て、事業所を
見て、それを通じて友人となり、心の中に深く刻み込まれれば、
ロータリーの枝葉が何であるかが判るのです。
会員が私たちのクラブの会員に選ばれた時には、右側の席に
47
司会役によって招かれます。そして、例会の適切な時間帯に、
起立を求められて、司会役によってクラブに披露され、名前や
彼が関与する会社が紹介され、自分の事業についてクラブに簡
単に説明するために、2 分間が与えられます。
その例会が終わるとき、または休憩に入る前には、友愛委員
会の委員長が、多分、彼らを連れてみんなの前に現れて、クラ
ブの出口のドアに案内するでしょう。例会が休憩に入ると、友
愛委員会の委員長はそこに立って、新入会員とすべての会員の
双方を正式に紹介します。彼らは握手をし、話をし、友人にな
ります。それは、一人前の会員として自立するまで、新入会員
を私たちのクラブと結びつけておくために、現実的に役立って
いるのです。
友愛委員会が行った別な活動は、クラブの様々な会員から供
給されたメニューに従って、クラブのディナーを手配すること
でした。そらまめの献立が届けられ、会員の事業所から寄せら
れる全てのもの、すなわち、ロータリーに入っている肉屋から
きたロースト・ビーフ、メニューに載せられている会社の名前
などが書き込まれた会社に備え付けのメモにはうんざりさせ
られたことでしょう。 スープからのデザートまでのすべての
品物は、クラブの会員から提供され、食事のメニューが発表さ
れます。 それは、今まで私たちが開催したうちで、最も成功
した会合の一つであり、全体の会員の 5-6 パーセントしか欠席
しなかったものと思われます。
私たちは、メーカーや卸売業者やクラブ全体が、昼食会や社
48
交的な夜の会合のために、彼らの事業所に招待されたクラブの
会員のおかげで、数多くの夜の催しを行ってきましたが、これ
は、これまで私たちのクラブによって開かれた、夜間の会合の
唯一の例です。私たちは毎週例会を開いていますが、夜間例会
を開く機会を持ったことは一度もありません。
現在、私は果物の卸売業をしていますが、クラブの会員にな
るために、私の友人のスレッシャー氏に会った時に、私はこう
言いました。
「これはすばらしい仲間の集いではありますが、私にとって
どのような利益をもたらす考え方なのかが判りません。しかし、
これに参加することはうれしいことです。」
そして、私は入会しました。ミネアポリスの通りで何十回も
会ったことがあり、話し掛けるほど知っている人たちのように、
知り合いになって、顔をつき合わせてあなた方と話をしたいと
思っていましたが、彼らを知る以上に、ロータリーであなた方
を知ることができました。そのことは、これまで私の人生で手
に入れた最高の物の一つであり、今日の私の事業における最大
の財産の一つでもあります。
その後まもなく、私たちはある計画をたてました。当然のこ
とながら、私たちのクラブには、中心的に事業を営み、クラブ
の会員の上得意である一人の食料品商がいましたが、同時に、
一軒の食料品店だけを上得意にすることは、クラブの全会員に
とっては絶対的に不可能なことでした。 何故ならば、あなた
方の近所に食料品店があると、必要なものがすぐ手に入って便
49
利だからです。
ある日、私の息子が私のところに来て、言いました。
「お父さん。今日、或る食料品商がきて、私たちと取引する
ようにロータリーの会員に勧められたという話をしました。」
私はその会員に電話して、言いました。
「顧客を私に送ってくれたことに対して、とても感謝してい
ます。」 彼は答えました。
「何が起こったかについて、あなたにお話しましょう。 私は
ちょうどお金を持ちあわせていたので、請求書の支払いをしま
した。長い間の中で初めてのことでした。食料品商は、お金を
貰ったことを大変喜んで、私が望んだことを何でもしますと言
ったので、私は、彼にあなたのところに行って、あなたと取引
きをするように話したのです。」
この時以来、私は、その人との取引が増えることを喜んでい
ます。もし私がそうしなかったら、それは私自身の誤りであり、
そうする機会が私に与えられたのです。
もし品質や値段やサービスの点で、その人との取引が成立し
なくても、その人を私のところに回してくれたロータリアンの
過ちではありません。今や、近所にある別の食料品商が私を訪
れて、私に話をもちかけるといったことが何度となく起こって
います。
「或る人があなたのことを話して、あなたのところに行って、
あなたに会いなさいと言いました。
」
178 人の組織のことを理解するようにあなた方に話し掛け
50
るよりも、彼らの一人一人が、それを実行する機会があるとき
に、私のことを宣伝してもらう方がよっぽどいいということを、
あなた方に話しておきたいと思います。
私たちは、ミネアポリスにおいて、ミネアポリスを後援する
ための、全てのクラブの中で最大の会員数を擁するパブリシテ
ィ・クラブを持っています。事実上、みんながそれに入ってお
り、ロータリアンの 99 パーセントは入っています。 数週前、
ロータリークラブのある会員が、パブリシティ・クラブの会長
をゲストとして招待しました。彼はやってきて、礼儀正しく、
私たちに話し掛けながら、会場の中で自由に振舞っているのを
見てうれしく感じました。 彼は言いました。
「皆さん、私は、あなた方に告白することがあります。この
ロータリークラブが創立された時、私は創立会員として署名し
ました。しかし、私は、深く考えすぎたあまり、窮屈で非現実
的なものに思えたのです。そこで、それには賛成するわけには
いかないと考えて、入会しませんでした。しかし、皆さん。創
立以来、あなた方のクラブをずっと見守ってきて、今日、クラ
ブがどんなものかが判り、あなた方のクラブは多くのことを実
行するクラブであることを知りました。私が創立会員として署
名をしながら、このクラブに入らなかったことは、私の人生に
おける誤りであったと考えていることを、申し述べさせてくだ
さい。」
私たちの会長は、創立総会の席上で、講演者の一人がロータ
リーを表明する原則について述べましたが、ロータリーの基本
51
とは違った考え方であることを思い出しました。そして、今日
のゲストは、候補者名簿に記載しておくので、その機会が訪れ
たときには、喜んでいつでも会員になってくださいと述べまし
た。
私たちには、クラブから会員が退会したことを判断する規則
があります。例会を三回欠席すると、原因の調査が徹底的に行
われ、欠席者が理事会に呼び出されて、役員がその弁明が正当
であるとみなさない限り、彼の名前は会員名簿から抹消されま
す。 私たちは、それを二回強行せざるを得ませんでしたが、
共に、結果としてクラブのためになりました。 私たちは、喜
んで参加し、会員になり、規則的に例会に出席できる人たちの
候補者名簿を持っているのです。
私たちは一緒に例会にでることは難しいとしても、部屋のあ
ちこちから、何人かの人が立ち上がって言います。
「彼が努力して私にしてくれたことに対して、感謝したいと
思います。
」 クラブが創立されて以来、
「私はあなたのために、
何々をしました。」と言った人のことを聞いたことはありませ
ん。 このことについては、私たちのクラブでは一度も触れら
れたことはありませんでしたが、何十人もの人たちが、彼らに
紹介してもらった取引に対して、感謝をしているのです。
ほんの数週間前、不動産業者が言いました。
「皆さん、私と 8,000 ドルを超える金額の売買をした顧客を、
或る人が私に紹介してくれたことを話しておきます。もし、こ
のロータリーの会員がその顧客を紹介してくれなかったら、こ
52
の取引が成功するめどは立たなかったでしょう。」
このような例は、ありふれたものです。
私たちは、私たちの昼食のすべての業務を完全に引き受けて
くれるハウス委員会を持っています。私たちに昼食を提供する
場所は、ラディソン・ホテルであり、それは疑いなく、わが国
における最も素晴らしいホテルの一つです。ここにいる人すべ
ては、アメリカ合衆国にある最も美しいホテルの一つで、私た
ちの例会が開催されていることを、確信していると、あなた方
に言っておきたいのです。 私たちは全てのことをハウス委員
会に任せています。彼らは完全に準備を整え、食物が運ばれて、
私たちの前に置かれます。えり好みする必要はありませんし、
無駄な時間を費やすこともありません。 私たちはこういった
会員間の友愛の心を長所にしています。
話を終える前に、クラブで起こった最も喜ばしい一つの例を
話しておきたいと思います。 会員なって半年に満たない人が、
例会で立ち上がって言いました。
「皆さん、私は、この街にある、友愛を基盤とするすべての
神秘的な組織に入っています。私はこれらの組織に何年もの間
所属しています。そして、これらの組織に何年もいたからこそ、
率直にあなた方に言えます。私があなた方のクラブの会員にな
った半年の間に、私が貸家業を通じて会った人よりも、より多
くの人と心を通わせることができました。私は、妻に言いまし
た。『もし私の身に何かが起こり、相談や援助やそのほかのこ
とが必要ならば、ミネアポリス・ロータリークラブに行きなさ
53
い。』と。」
私たちのクラブを象徴する言葉こそ「Service, not self」
です。 (拍手。)
田中 毅訳
コリンズのスピーチ原稿を要約すれば次の通りです。
•
ミネアポリスにはすでにパブリシティ・クラブという一人
一業種制度のクラブが存在しており、その会員をベース
にしてミネアポリス・ロータリークラブが設立されまし
た。
•
ロータリークラブの組織では、なすべきことはただ一つで
あり、それを正しく始めなければなりません。正しく始
めるためには、ただ一つの方法しかありません。自らの
利益が得られるかも知れないと思って、ロータリーに入
ってくる人たちは間違った部類の人たちです。それはロ
ータリーではありません。ミネアポリス・クラブによっ
て採用され、当初から定着している原則は Service-not
self です。
•
例会のチケットを毎週異なった会員の事業所で販売する
ことによって、他の会員が、その会員の事業所を訪れて
親睦を深めると同時に、その会員との取引を拡大するこ
とができます。
•
会員同士の取引や紹介によって事業を拡大してゆくこと
は非常に重要なことですが、これには物理的な限界があ
54
ります。したがって今後はその対象をロータリアン以外
にも広げていく必要があります。
Service-not self という言葉に対する具体的な説明はされ
ていませんが、少なくとも自己を犠牲にして他人に奉仕するこ
とを強いている言葉ではなく、従来から行っていた会員同士の
相互扶助をさらに広げると共に、ロータリアン以外の人もその
対象にしようという意味で使っていることは明確です。
ミネアポリス・クラブが提唱した Service-not self というフ
レーズは、高い次元の人道的奉仕活動を表しているものではな
く、従来はロータリアンのみが独占していた商取引を、ロータ
リアン以外の人にもシェアしようという、シェルドンの He
profits most who serves best に極めて近いスローガンだと考
えることができます。
私の友人が直接ミネアポリス・ロータリークラブと接触して、
フランク・コリンズの評価を聞いたところ、クラブ内で彼の業
績を評価している人はほとんどいないという回答が返ってき
ました。なお、1935 年に発行されたミネアポリス・クラブ 25
周年記念誌には、ポートランド大会でコリンズがこの言葉を述
べたことが、短い文章で記載されています。その後 1915 年に
同じミネアポリス・ロータリークラブのアレン・アルバートが
RI 会長に就任し、再び一時期 Service-not self という言葉が
使われるようになりましたが、彼がどのような意図を持ってこ
の言葉を使ったかはわかりません。
55
ここで 1910 年代という時代背景を考えてみましょう。アメ
リカン・ドリームの名を借りた、極端な自由競争の時代です。
ありとあらゆる策を弄しながら、金を儲けることに狂奔した時
代です。ロータリーが事業経営の中に職業奉仕理念を取り入れ
て、その法則にのっとった正しい事業経営をすれば、必ず事業
の継続的な発展が得られることを実証したからこそ、皆が先を
争ってロータリー活動に熱中したのです。一部の人が言うよう
に Service-not self が自己を犠牲にして他人に奉仕すること
を意図する言葉だとすれば、この言葉に魅力を感じてロータリ
ー運動に参加する人は皆無であったことだけは確かです。
Service above self がシェルドンの創作であったという説に
も疑問があります。私の調査によれば、現存するシェルドンの
文献は、1910 年、1911 年、1913 年、1921 年の大会スピーチ、
The Rotarian に対する 3 回の投稿です。私はそのすべてを翻
訳しましたが、そのいずれの内容も He profits most who
serves best に関する解説に終始しています。もし、Service
above self がシェルドンが提唱した言葉ならば、彼の書いた文
献のどこかにこの言葉が使われているはずです。シェルドンの
いずれの論文の中にも Service above self という言葉はまった
く使われておらず、使われている言葉は He profits most who
serves best のみであることから、Service above self がシェル
ドンの創作ではないことは間違いないと思われます。
何れにせよ、Service-not self を「自己犠牲の奉仕」や「無
56
我の奉仕」と解釈するのは間違いであり、いままではロータリ
アンが独占していた取引を、ロータリアン以外の人にも分け与
えることを Service-not self といういささかオーバーな表現
で表したものに過ぎません。当時の人たちがロータリー運動に
参加した理由は、ロータリアン同士の物質的相互扶助により事
業を発展させることでしたから、宗教や倫理高揚を謳ったとし
ても、誰もこの運動に魅力を感じないことは容易に理解できる
でしょう。そんな中で、今までロータリアンが独占していた取
引を、ロータリアン以外の人にもシェアしようというのですか
ら、当時の人にとってはまさに Service-not self の心境だった
のかも知れません。
57
1913 年
バッファロー大会
1912 年ダルース大会においてロータリーの綱領は次のように
変更されます。
1 すべての合法的職業は尊重されるべきであるという認識を
深め、各会員の職業を社会に対する奉仕の機会を提供するも
のとして品位あらしめること
2 事業および専門職務の道徳的水準を高めるよう奨励するこ
と
3 構想や事業運営方法の交換によって各会員の能率を増進す
ること
4 奉仕の一つの機会として、また成功への道として、情理ある
交友関係を推進すること
5 公共の福祉に対する各会員各自の関心を促し、かつ市の発展
のために他の人々と協力すること
1910 年に、シェルドンが、He profits most who serves his
fellows best を発表し、1911 年に、He profits most who serves
best を発表したことに関しては、かなりの方が知っている事実
ですが、ただ、そのスピーチ原稿の全文が、日本では紹介され
ていなかったに過ぎません。しかし 1913 年のバッファロー大
会において、シェルドンがスピーチをしたという事実は、私が
58
このたび、このスピーチ原稿を入手するまでは、ほとんど知ら
れていませんでした。
この原稿は、大会議事録に収録されていたわけではなく、
1913 年 11 月に発行された「The Rotarian」の中に掲載されて
いる、2 段組 10 ページの長文です。
この「事業を成功させる哲学と倫理」というサブタイトルのつ
いたスピーチ原稿の内容は、1911 年に述べたスピーチの内容
を更に具体的に説明すると共に、この後に発表した 1921 年の
スピーチの原本とも言うべきものです。
この大会で発表されたシェルドンのスピーチは次の通りで
す。
事業を成功させる哲学と倫理
会長、来賓の皆さま、そして紳士淑女諸君。
今宵、この壇上には、「兵隊さん」のように綺麗に勢ぞろい
した一団が控えて、私を忚援してくれています。私は勇気を持
ってこのテーマに挑戦し,十分注意を払いながらも恐れること
なくこの機会に挑戦してみたいと思います。今宵は、何も結論
を出すことはできないかもしれませんが、最善を尽くすつもり
です。 つい先日、霧のロンドンから、太陽の燦燦と輝く「シ
ェルドンの森」にやってきた私が、暫時証明するつもりです。
明日、お話を聞く予定になっている偉大なる人物、エルバー
ト・ハバード氏はかつて、弁解するよりも、説明する方がいい
と語りました。今夜は、めったに頼んだことのない医師からの
59
直接の忠告を聞いているのだと、ロータリーの友人としてあな
た方に言っておく方が間違いがないと思います。その上、私は
親切に手を差し伸べているつもりです。私がしようとしている
ことは、私ができる最善のことであり、必ず私が成し遂げるつ
もりであることを、あなた方に約束いたします。 (拍手。)
ある夜、偉大なる西洋の魔術師バーバンクとの楽しい会話で、
私たちは意気投合して、こう言いました、
「バーバンクさん。もし私が、あなたが如何に素晴らしいこ
とをしてきたか、また、あなたが如何に素晴らしい友人である
かを話すために、大切な時間を十分取らなくても、許してくれ
ますか。」 彼は言いました
「シェルドンさん。それは、ずっと前から聞き続けてきた、
いい話です。多くの人がここにやって来て、その件について長
時間話し込みます。」
だから、多くの素晴らしいことや、素晴らしい人たちについ
て私がお話することを許していただきたいと思います。何故な
らば、私たちは全員、ロータリー精神やロータリークラブの存
在を認め、その考え方について議論の余地など全くありません
から、私はロータリー精神やロータリークラブについてうまく
言うことができるからです。
今宵、私はあなた方の前に立って、詭弁やお世辞抜きで話を
しているつもりです。ロータリーの活動と私の活動とは同一で
あることに誇りを持っていますし、常に、私の力の限りいろい
ろな方法で、それを支えることが私の喜びです。
60
今宵、「事業の哲学と倫理」というテーマでこの国際大会で
演説できることは、この上ない名誉であります。
まず最初に、私は三つの言葉を使って正確な意味を定義した
いと思います。 私が考え付く限り最も適切な定義は、「哲学」
とは「原因によって引き起こされた結果論」であり、 「倫理」
とは「他人に対して正しい行為をする学問」だということです。
「事業」については、多分「多忙」という見解から、今夜、議
論することになるでしょう。 マルホランド氏が述べたように、
たとえ弁護士であっても、もしその人が成功している弁護士な
らば多忙なはずです。
今夜、私達が議論しようとしている事業というものは、別な
角度から見れば、たとえ、世界中が働く人で満ち溢れていたと
しても、人間の能力に及ばないほど数多く存在します。
私は、私の責務として、「成功させる」という言葉をこのテ
ーマに勝手に付け加えて、「事業を成功させる哲学と倫理」に
したいと思います。 従って、その詳細な討論に入る前に、
「哲
学と倫理。事業との関連性」と読み替えることによって完全な
テーマとした上で、このテーマを更に自由に展開していくつも
りです。
更にもう一つの定義が必要になってきます。それは「科学」
の定義であり、私たちみんなが知っているように、「体系づけ
られた知識」または分類された常識です。
事業を成功させるという素晴らしいテーマに、強い関心を抱
いている全世界の人たちの数は、ロータリアンの数とは比較に
61
ならないほど多いと言っても過言ではないでしょう。
今日私たちは、能力という科学の時代に生きているというの
は本当でしょうか?
能力という考え方に基づいて、体系づけられた知識の可能性
を認識することが科学なのでしょうか?
人間の能力全体に関して、すべての自然の法則を広くカバー
するような、また、効果的に活動できるように、基本に忠実な
論理的な整理ができているのでしょうか?
ある夜、ずっと長い間、私にとっては不可能であると思って
いたことが、私のすべての人生の関わりにおいて、成功を収め
る能力は、運不運の問題ではなく、また、意識するか、しない
かに関わらず、神との永遠の摂理に従うか否かの問題であると
いう事実に気づいた時、すべて解明できたことを白状します。
もし科学を超えたものならば、それを自然の法則と呼んでくだ
さい。もし宗教ならば、神の摂理と呼んで、判りやすく述べる
方が良いかもしれません。
今夜、私は、自らの事業において成功を収めるとか成功を勝
ち取るとかいった問題は、たとえそれがどんなことであろうと
も、また、意識するか、しないかに関わらず、自然の法則に従
ったか否かの問題であるという前提で、話しを進めたいと思い
ます。
最も重大な関心を持ってあなた方に説明する次の基本的な
事柄は、あなた方も私も世界中の誰でも、いかなる団体の人で
もできる事柄であり、当然の事ながら、成果を収めるという自
62
然の法則との相互関係を心の中心に置いた、この偉大なるロー
タリーの組織にもできることであります。
とどのつまり人生に関連するすべての事柄は、「私」と「あ
なた」と「私とあなた」に共通して関係する事柄、四番目に双
方の了解の下で「私とあなた」が心を通い合わせて成し遂げた
事柄という、僅か四つ要素によって成り立っており、かつ分類
できるという、簡単な理由に気づかなければなりません。
商売の判断やビジネスの世界でも、この考え方を採用してく
ださい。もし、世界に一人の人間しかいなければ、取引を行う
ことはできません もし、二人以上の人がいたとしても、彼ら
が話し合いをして関わりを持たない限り、取引は成立しないで
しょう。もし今夜のように、相談することが沢山あって、世界
中から多くの人々が集まっても、二人の人の心が通じ合わなけ
れば、取引は成り立たないのです。この四つの普遍的要素によ
って、すべての自然の法則が成り立っているのです。
今夜は、自然の法則について気づいている比較的少数の人た
ちや、実在するにもかかわらず、ほとんど気づいたことがない
人たちと、議論を闘わす時間があります。
私は、様々な職業を代表する実業家として、この理論的な四
つの要素を備えることに、重大な関心を持って挑戦することを
希望します。「心を通い合わせること」は、重力の法則が自然
界を支配しているように、現実の法則として精神界を支配して
いるのです。
私は、このカードから手を離そうとしています、その瞬間何
63
が起こるのか、皆、知っています。(カードは床の上に落ちま
す)
先日、イギリスに行ったとき、このようなカードを放したら、
同じようになりました。(笑い)
ドイツでも同じでした。 人間が作ったものではなく自然の
法則だからこそ、普遍的なものであり、永遠に起こるのです。
ちょうど自然界における法則と同じように、精神界において、
まさに的確に心を一致させる普遍的な法則です。
今夜、ここに居られる大部分の人たちに説明するに当たって、
皆が知っているような話をする方が無難ではあると思います
が、人間の能力に関連した倫理と哲学の問題に話題を向ける方
が効果的ではないかと思います。
たぶんここにいる皆さま方全員が知っているとは思います
が、一人の人から他の人に品物が受け渡しされるという事態が
起こった時に、最初に行うべきことがあります。その最初のこ
ととは、品物を納める側の当事者が好意的な配慮をすることで
す。この重力の法則が物質界の法則であるように、精神界の法
則もそれに劣らず、好意的な配慮、適切な供給、関心の喚起、
興味、適正な拡大、要望の変化、要求等がさらに強くなり、行
動が変化してきます。これは理論ではなく、自然界の永遠な法
則です。
商売の心理をもう少し進んで調べると、好意的な配慮や興味
や欲望や反復行動 -もちろん、私たちはみんな、商売の勘定
の中にリピーターが織り込まれていることは知っていますが
64
- を取ってもらうためには、信用がすべての取引の根底であ
るという法則を認めなければならないことや、私たちが与えた
サービスに対して、相手に満足してもらうためには、信用を得、
信用に値し、信用を保つことで、結果として私たちが満足する
ことが判るのです。
商売の心理の中には、七つの原則があります。順番にそれを
列挙すれば、まず最初にあげられるのは奉仕、次いで結果とし
て得られる満足感、結果として得られる信用、結果として得ら
れる好意的な配慮、興味、欲望、行動です。
長い間、私の心の中では、ロータリーの理念の中心的な思考
である奉仕に対する疑問が、私にとっての大きな難題でした。
私はそれを分析して、答えを得ようと試みました。しかし、イ
ンドの哲学者であり作家であるバガバン・ダスの本を読む日ま
では、その答えを見つけることはできませんでした。ある部分
を読み下っていくと、次のように書かれた、神秘的な真理の三
つの言葉を見つけたのです。
「量、質、状態」。多分、バガバン・
ダスは、商売を懐疑の目で見ていたのでしょう。私は、彼が、
むしろ、商取引を汚い物として見下しており、生き様を変える
ことによって職業としては避けるべきだと考えているのでは
ないかと推察しました。しかし、真理のささやかな三原則「量、
質、状態」を見つけたとき、奉仕の分析を見つけた感じで、思
わず万歳を叫びました。
それぞれの町にあるロータリークラブは、事業における職種
の業界を代表していますが、その職種が何であるかにかかわら
65
ず、その業界は支払ったお金にふさわしい、正しい品質、正し
い量を供給し、その管理状態 - 企業のすべての部門の管理を
意味しますが - は正しくなければなりませんし、サービスも
正しく、その結果威力を発揮した信用も満足感も正しいもので
なければなりません。それによって、リピーターとなる顧客の
問題は解決されるのです。このようにして、私達は、世界中の
商売が成果を挙げる学問に、少なくともささやかな灯が点るの
を見ることができるのです。
今宵、私の意見として最初に述べたように、この倫理や能力
論に関連する言葉こそ、他人に対して正しく処する科学として
扱うべきです。商売の心理を考えると、私たちはなぜ対価を支
払うのでしょうか。「なぜ支払うのか」と、私は敢えて言いま
す。金儲けをすることは決して悪いことではないのに、それを
否定する人がたくさんいます。私はその考えに同意することは
できません。
長い間、世界中の偉大なる宗教は、あの世へ行くための唯一
のパスポートとして良い行いをすることを説いてきました。
他人に対して善行を施したことに対して、この世において今、
配当をもらっているのだという事実に、世界中の人々が目覚め
る時です。
(拍手)
ロータリアンやビジターの皆さま、今宵は、私たちが死んで
から行くあの世の話ではなく、今この世における幸せという立
場に立って、お話をしているつもりであることを覚えておいて
ください。
66
自らの弟子に「すべて人にせられんと思うことは、他人にも
その通りにせよ」と言わしめた、嘆きの人、ガリラヤの民こそ、
未だかつてなかった最高のジェネラル・マネージャーであった
と、私は敢えて申し上げたいと思います。
彼は、これまでの世界の歴史上、誰も考え出したことのない、
最も優れたビジネスの原則を発表したのです。そして、世界の
各地にその拠点を持っているのです。 (拍手)
私達はその考え方に戻るべきです。 「すべて人にせられん
と思うことは、他人にもその通りにせよ」の教えに従って熱心
に活動しようとしない、彼の弟子だと称する人がたくさんいる
ことも事実です。しかし今日、キリスト教会がその信条にこの
標語を適用しようという動きが熟し、キリスト教教会が世界中
で力を持つようになってきてからは、未だ考えられなかったよ
うに、キリスト教の教会に属するすべての男女が、最初から最
後まで、毎日のようにこの信条を守って、取引上でも、彼らが
他人からして貰いたいように、他人にしているのです。
孔子は、「汝の欲せざるところを、他人に施すなかれ」と述
べて、否定的な手法で同じ真実を説いています。多分、嘆きの
人はそのアイデアを借りたのでしょう。
しかし、いまやロータリーは、取引における言葉として、
「最
もよく奉仕する者、最も多く報いられる」と言えるようになっ
たのです。
(拍手)
あなたが他人からして貰いたいように、あなたが他人にしよ
うと思えば、どのように奉仕をしたらよいのでしょうか?
67
友人に対して精神的な境地に達するためには、物質的な欲望を
持った人間として訴えかけるもろもろを離れて、知性を持った
人間として出発する必要があります。
すべての人間には、七つの原則があります。まず最初に、宇
宙が創造されて、この肉体が出現します。次いで、これら二つ
を活性化する磁力の原則が現れます。更に、あなたや私だけで
てなく、動物がもっている本能が現れます。あなた方の犬は全
てを知っていますが、自分が全てを知っていることを知りませ
ん。その原則の上に、知性が現れます。そこで、私達は、考え
たり、記憶したり、想像したりする人間を見つけるのです。そ
の原則の上に真心が現われ、結果的にその上に、心そのものが
現われるのです。
あなたは、現在の若者に対して、心の最終的な要素とは甘い
誘惑と決別し、自分が他人からして貰いたいことを他人にしな
ければならないことを、語りかけます。報酬が得られないこと
は、大きな関心があったとしても、 あなたがよこしまな心や
考え方を超越して、精神的な境地に到達し、利益を得るために
は奉仕をしなければならないし、利益を得るためには公正にし
なければならないことを確信し、真心が届く範囲内で、寛大な
心で、仲間を助けるために、対価を支払わなければなりません。
それが将来に繋がってくるのです。
私たちは誰でも、衣食住を必要とし、それら全てはお金がか
かります。私は、普通の宗教家は、彼の教えの通りに実践すれ
ば、大金を得ることは出来ない、という思い違いをしながら布
68
教活動をしているのではないかと時々思うのですが、どうでし
ょうか。実際のところは、それを実践に移せば、大きなお金が
得られるのです。
「自分のためにいいことをしなさい。」の代わ
りに、
「他人のためにいいことをしなさい。」と説けばどうでし
ょうか。(笑い)
現時点において、それは真実でしょうか。現実的な常識でし
ょうか、それとも理想でしょうか?
ここで、マイヤーズに関する短い話をしてみたいと思います。
マイヤーズは貧しいドイツの農夫でした。彼はたいしたお金を
持っているわけではありませんが、小さな畑を買うだけのお金
を持っており、畑を探していました。彼はある畑に目をつけま
したが、まわりの人たちは、それを買うべきではないと言いま
した。
彼は「どうして?」と尋ねました。
彼らは、「あなたが買おうとしている土地の近所に住んでい
る人は、全くの人嫌いで、うまく付き合えない人です。彼がそ
のような悪い隣人なので、2-3 人の人たちが土地を売りに出し
たのです。
」と言いました。
彼は、「誰でも、うまくやっていくよ。」と言いました。
彼は畑を買いました。畑を買ってから数日後に、彼が問題の
男の森の近くで畑を耕していると、その森で火事が起こりまし
た。マイヤーズは自分の馬を柵に繋いで、火を消すために駆け
出しました。問題の男は煙を見て、やってきて、柵によじ登り、
マイヤーズが火を消している様子を見ていましたが、彼を手伝
69
うために立ち止まろうともせず、彼に火を消させたまま、感謝
の言葉さえ述べずに引き返しました。 マイヤーズは、そのこ
とを笑われ、心貧しい仲間たちは、やっぱり間違いだったと言
いました。
それから数日後、彼は町に行く途中で、問題の男とすれ違い
ました。彼は泥の中で立ち往生しており、一人で抜け出すこと
ができませんでした。マイヤーズは、馬の手綱をほどいて、フ
ックの先に引っ掛けて、彼を引き上げました。その男は「有難
う」の一言も言わずに、その場を去りました。今は、残念なこ
とには、普通の教会の信者でも、彼がこの時他人をしたように、
他人にすることを避けるようです。しかし、マイヤーズは、親
切な行動を取り続けました。
遂にある日、問題の男が、マイヤーズの家にやってきて、
「あ
なたは、泥から私を引き上げ、火事を消してくれた人ですか?」
と言いました。
彼は「そうだ」と言うと、 彼は、
「私の家内が、もし私があ
なたのところに行って、あなたにお礼を言わなければ、私と別
れるというのです。そうなったら困るので、やってきたのです。
私がここきたのは、あなたと話がしたかったからです。 私は
あなたの友人になりたいと思っています。世の中の人は、みな
悪い人だと思っていました。だから、私は人嫌いになったと思
っていましたが、少なくとも一人はよい人がいることが判りま
した。だから私は、友人になってほしいのです。」
そして、彼らは友人になりました。一人の友人を見つけてか
70
ら、彼は他にも友人がいないか捜しはじめ、多くの友人を見つ
けました。そして、彼は幸福な人になりました。
問題は、なぜ、マイヤーズが、他の人たちがするしないにか
かわらず、「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」とい
う教えを文字通り実行したかにあるのではないでしょうか?
現在、マイヤーズは、1,500 万ドルの会社のトップになってい
ます。競争相手がどうあがこうとも、彼の得意先を奪うことの
できないような方法で、彼の会社の顧客や後援者の全員は、彼
に好意的な関心を抱いているのです。そして、さらに、彼は、
彼の会社において当然起こるべきスイライキすら起こさない
ような方法で、従業員たちから、好意的な関心や興味や要望、
再三にわたる好意的な活動を得ているのです。 (拍手)
彼の従業員は彼を愛し、彼にはむかうのではなく、彼のため
に奮闘しているのです。私は、あなた方に友人として言います。
労働者対資本家、資本家対労働者の争いごとは、双方の恥ずべ
きことです。神の永遠の法則を知らないことから生まれるので
す。 (拍手)
シェイクスピアが、私たちの唯一の犯罪は無知であると言っ
たのは、当を得ています。そしてそれは、無知と勤勉さの欠如
であることは、誰でも知っていることです。誰かが、キリスト
教は間違いを冒していると言いました。しかし、それは一度も
証明されていません。 (拍手)
私は、あなた方に言いたい。世界の人々の信条が、「汝が欲
することを他人にもせよ」の考え方、別の言葉でいえば、「最
71
もよく奉仕する者、最も多く報いられる」になれば、大きな進
歩をするに違いないと。それは商売の道を通じ、毎日の活動の
道を通じて成し遂げられなければなりません。私たちは一週間
に一回お祈りするのではなく、一週間に七日間働かなければな
らないのです。
世界中で多くの人に会いました。そして、多くの国を訪れる
ことが私の特権でもあります。私は、真のロータリアンの心と
は、各人が自分のためではなく、他人のために奉仕するという
この教えにめぐり合って、一週間に七日間励むという純粋さで
あることを発見したのです。
(その通りの声:拍手)
私はそれが真実であると信じていますし、それが真実である
ことに、疑いを持っていません。
ここに集まっている多くのロータリアンは、国際大会のため
に集まっているのであって教会の信者として集まったのでは
ありません。しかし、もし文字どおりに、「最もよく奉仕する
者、最も多く報いられる」の教えを実行したのならば、あなた
が意識しようとすまいと、キリストがすべての弟子に、実行す
るように話したことを、あなたは実行しているのです。あなた
はキリスト教のまさしく本質を実行しているのです。
私は、見知らぬ国への旅人としてロンドンに訪れた日、大都
会のロータリークラブのビグロウ会長とスミス幹事がまず私
に挨拶をして、私をくつろがせてくれたことを、決して忘れる
ことはありません。あなたが 3000 マイルの海を渡り、誰も知
72
っている人がいない場所に上陸した時、如何に大きな助けであ
るかを、お話ししているのです。
しかし、私たちは、純粋な商売上の見地から、このことを考
えて見ましょう。自分のためにやってくれた人に対して、問題
の男でさえも、マイヤーズに対して報酬を支払いましたか?
あなたや私は、他の人たちに、自分の火事を消させたり、泥か
ら私達を助けさせますか? そうではありませんね? それは他
人に対する奉仕です。 長い目で見れば、マイヤーズは報酬を
得たのでしょうか? 報酬を得ました。何故なら、彼は問題の
男を決断させたからです。
そのような人は、星の中で惑星が際立つように、ビジネスの
世界の中でも一際際立って見えるのです。如何に謙虚に振舞お
うとも、隠しきれるものではありません。彼がその教えを実行
すると、従業員も後援者もその教えを同じように実行しました。
あなたは彼を止めることはできませんし、奉仕の教えを実践し
て、真の仕事に励んでいるロータリアンを止めることはできな
いのです。
私たちは機を逸しました。 自分のためにそれをするように、
余力を蓄えているようにも見えますが、定かではありません。
しかし、私は、今や、能力論との関連性について、原因によっ
て結果が生じるという考え方に基づいて、哲学的に議論する方
がいいのではないかと思います。
倫理との関連性、他人に対する正しい行動、能力論との関連
性を明確にすべきだと思います。事業における効果的な能力と
73
して、原因による結果、哲学との関係とは何でしょうか。一体
どのようなものなのでしょうか?
ひとたび、世界が自然の法則の支配のもとで生きているのだ
という事実に気付いた時、私たちは効率のよい行動の指針の下
で、力強い進歩を遂げることができるのです。今夜、そのテー
マを詳細に解説する時間があればいいのですが、完全な討論は
無理としても、原因の七つの普遍的な原則と、人間の能力に関
連する哲学の効果について、簡単に言及することで良しとせね
ばなりません。
もし創造主が、ペンで本に書き込みを入れたり、今夜このホ
ールに歩くことができるような生物であったと仮定して、私た
ちが創造主に対して、「原因や能力を判定する基準は何です
か?」ではなく、「能力の価値を判定する基準は何ですか?」
と聞いたとしたら、創造主は、「全ての個人の能力の価値は、
その仕事に必要な管理の程度によって変わります。」と答える
に違いありません。
そこで、私たちは普遍的な法則が必要になってくるのです。
管理の必要が少なければ、その分野における、その人の能力の
価値は大きいことになります。その反対に、その人に非常に多
くの管理が必要になれば、その人の価値はなくなります。 な
ぜでしょうか? 何故ならば、奉仕をしなければ、利益を得る
ことはできないからです。それが、人間の能力に関連する、原
因と結果の最初の法則です。
オフィス・ボーイ、ゼネラル・マネージャー、販売マネージ
74
ャー、外交セールスマンなど、多くの管理が必要な人たちほど、
何も達成することはできません。
もし私たちが、本当に哲学者になって、哲学の観点から能力
を研究しようとしているのなら、その原因の研究に戻る方がい
いかも知れません。そして、こんな質問を創造主にします。
「ど
んな理由で、管理の必要性があるのでしょうか? なぜ特定の
ゼネラル・マネージャーが他のゼネラル・マネージャーよりも、
特定の販売マネージャーか他の販売マネージャーよりも、また、
特定のオフィス・ボーイが他のオフィス・ボーイよりも、より
多く管理する必要があるのでしょうか?」
もし、創造主がここにいて、私たちと話すことができるなら、
創造主は、多くを語らず、ただ一つの答えをするでしょう。そ
の答えとは「全ての人に管理が必要なのは、ただ一つのこと、
すなわち間違いを冒すからです。そして、間違いには、 過失
による過ちと作為による過ちの二種類があります。
」
そこで、再び、私たちは法則を見つけます。法則にはこのよ
うに書かれています。「すべての人に対する管理の必要性は仕
事上犯す間違いによって異なる。」前者は逆説的な法則であり、
後者は直接的な法則です。
そこで、できる限り、私たちが喜ぶやり方をすべきだとして、
「はい、私達は組織を持っています」と言います。しかし、私
は、後戻りすることよりも、前に進まないことを心配していま
す。創造主に対する次の質問は「どんな理由で間違いを犯すの
ですか?」というものです。そして、創造主は、すべての間違
75
いは人間性の否定によって起こると答えるに違いありません。
しかし、すべてのロータリアンは、その偉大なる原則に反対の
立場をとるのではないかと思います。
私たちは、全ての自然現象には二元性があることを知ってい
ます。明るさに対して暗さがあり、暑さに対して寒さがあるこ
とは、あなた方もあなた方の従業員もそして全ての場所にいる
人たちにとっても同様です。
私たちは、明るさと暗さ、暑さと寒さ、積極的または消極的
な性格があることを知っています。記憶は消え去るものであり、
信頼には疑惑が、愛情には嫌悪が、勇気には恐怖が、正確には
不正確があるのです。そのようにして、あなた方は人間の心理
を完全に分析することができます。
人間の全ての間違いは、個人個人の消極的な性格の幾つかが
組み合わされて、描き出される罪であることが判ります。
もし私たちが間違いを減らして、能率を高めようとするなら
ならば、あたかも明かりが闇を追放し、信頼をはぐくむことが
疑惑を追放し、愛情をはぐくむことが嫌悪を追放するように、
積極性を強めなければならないという結論に到達するのです。
そのようにして、積極性と消極性の劇は幕を閉じるのです。
どうしようもない無力さで従業員の手を握って、「大丈夫だ
よ。だけど働き続けようと思うのなら、注文を取ってこなけれ
ば駄目だよ。」と言っている雇い主を可愛そうだと思います。
遺伝と環境の鎖に縛られている人を、可愛そうにだと思います。
私が先ほど触れたバーバンクは、彼が成し遂げたすべての素晴
76
らしいことは、彼が二つの簡単な原則にのっとって成し遂げた
からであると語っています。 最初の原則は、実質的に変わら
ない物でも、最終的には変えることが可能であること。次の原
則は、遺伝とは、過去におけるすべての環境の結果であること
です。そして、彼は、これらの二つの簡単な原則に取り組んで、
種のないプラム、とげのないサボテン、色のあせない花を作っ
たのです。更に彼は、梨の木の仕事に取り組んで、梨の収穫高
をかつての二倍に引き上げました。「私がこの方法を作り出し
ました。ちょうど創造主が私を作ったように、人生を成し遂げ
なければなりません。
」と言っている人を知っています。 (笑
い)
ロータリアンの、奉仕をしたいという願望と奉仕をする能力
の間には大きな差があります。如何なる人の奉仕をする能力も、
体と心と魂の積極性の開発に比例しているのです。
終に私たちは、原因と結果に関する次の法則にたどりつきま
した。すなわち、どのようにして開発し、発展させ、成長させ
るかという原因によって、人間の能力という結果が生まれると
いうことです。全ての事柄は、「教育」という短い単語の中に
封じ込まれており、時々それが問題にされるように思えてなり
ません。私がヨーロッパに行く直前に、少し前までボストンで
学んでいた人が、私に挑戦してきました。私は、教育こそが活
力の鍵であると言いました。彼は「いいえ、それは間違ってい
る。ニュー・イングランドには、生計を立てるために苦労して
いる、ハーバード大学やエール大学の卒業生がいっぱいいる。」
77
と言いました。
そこで、私は、
「あなたは私を誤解している。」と言いました。
「ハーバード大学やエール大学を卒業したこれらの人々は、教
育がないために賃金を得るのに苦労しているのではなく、精神
的な消化不良のために苦労しているのです。
」 (拍手と笑い)
私を誤解しないでください。
これまで私が会ったことがある何人かの人たちは、大学に行
って最高の教育を受けています。私自身でさえも、自分に対し
て失望しており、私が卒業した段階では、十分よい教育を受け
たとは言えません。私の教育が完成されるまでには、長い道の
りが残されているのです。今日の私よりも、今日から一年後の
私が全く進歩していないと感じるのは、嫌なことです。しかし、
これまで私が会った良い教育を受けた人たちの何人かは、大学
に一度も行ったことのない人たちであり、私が会った殆どの人
たちは、大学に行ったにもかかわらず、いい教育を受けていな
いのです。そして、私が会った殆どの人たちは、大学に行った
ことがないか、いい教育を受けたことがないのです。 (笑い)
従って、大学における訓練や教育は、教育の同義語ではないと
いう結論に達します。その語源に戻って、その簡単で短い単語
を見てみましょう。
「能力を引き出す」ことを意味している「E」
と「duco」が発展し、広がって、「教育」という簡単な単語の
基になりました。大学のラテン語の教授なら誰でもそのことを
知っているはずです。
私は、時たま面白半分にそれを試すために、ラテン語の教授
78
に「教育とは何ですか?」と尋ねます。普通は、「学問や教養
やその他もろもろを得ること(数多くの異なった回答がされま
す)」という答えが返ってきます。
そこで、私は、「えーと、あなたはラテン語を教えているの
でしょう?」と尋ねます。
「そうです。」
「教育という言葉の由来は何であり、語源は何ですか?」
「e duco」です。
「それは、どういう意味ですか?」
「能力を引き出す。」ことです。
「しかし、私は、あなたが、教育は知識を得ることを意味する
と言ったと思いますが?」
「技術的なことを望むのなら、それでもいいですが。
」
「いいえ、違います。技術的なことではなく、言葉の本当の意
味、言葉の語源に戻るべきです。」
殆どの大学の教育課程や教育システムは、まさに、知識を詰
め込むことを意味する教育で組まれており、決して、本来の教
育を意味するものではありません。人間の資質の開発や発展を
意味し、それが、彼を勝者に導くのです。何を通じてでしょう
か?
それは、奉仕を通じてです。 奉仕をすることを自らに適用
することによって、自らの資質を開発するのです。
単に奉仕をするだけではなく、自然の法則に従って、勝者と
なる義務があるのです。
79
そこで、問題はどのようにして引き出し、発展させるかです。
それに対する答は非常に簡単であり、世界中の人たちはそれに
対してほとんど完全な見解を持っていると思います。
私が、それがどんなものであるかを見るのは、非常に簡単で
す。例えば、腕を曲げることによって、筋肉の能力を引き出す
ことができます。創造主は私たちに大きな筋肉を与えてくれま
せんでしたが、かなり良いものであり、かつ強いものです。何
かをする必要があるときには、その力を利用し、興奮が鎮まっ
ているときは、その筋肉を適切に育てて、上手に使います。
大学に通いながら、成功する資質を引き出せなかったこれら
の人たちの不幸は、精神的な育成が欠如していたために、精神
的な筋肉を活用すること、すなわち成功するために開発すべき
資質を育むことが突然停止したことです。
今晩、バッファローの先生方を呼んで、みんなに「 2+2 は
幾つですか?」という質問の答えを紙に書くように頼んでみて
ください。すべての先生の答えは、何回しても「4」です。 間
違えることはありません。しかし、同じように先生方を呼んで、
彼らに、「教育とは何ですか?」という質問の答えを紙に書く
ように頼んでみてください。数多くの異なった答えが返ってき
ます。
「教育とは何ですか?」という質問に対する正解は、ただ一
つしかありません。それは「教育」または「発展」です。この
町のまたは他の町の先生方に「発展」させるための方法を、同
じように質問してください。先生方の数と同じくらいの多くの
80
答えを得ることでしょう。「2+2 は幾つですか?」という質問
に対する回答が一つであるのと同じように、「発展」させるた
めの方法や、「育成+活用」の質問に対する回答も一つである
はずです。 (拍手。)
私たちは体の筋肉のような対象物を見ることができます。精
神的で道徳的で崇高な筋肉がバランスよく完全に備わり、それ
が適切に育てられ、上手に使われているという事実に、世界中
の人は気がつくべきです!
ロータリー精神が好きになる、一つの例です。ロータリーク
ラブの会員である仲間に、仲間が備えている奉仕の心を学んだ
り活用するチャンスを与えます。 助けることはできないとし
ても、精神的な成長を引き出すことはできます。それは偉大な
る離れ業です。それをしている人たちの多くは、何をしている
かを知りませんが、 彼らが自覚していることよりも、もっと
良いことをしているのです。私達が他の仲間に奉仕をする際に
は、私達がしていることをよく理解してもらうように、光を当
ててください。
そして、結果はどうなりましたか? 体を適切に育て、上手
に使ってください。その結果、更に持久力が増します。頭脳の
能力を高めるためにも同じ事をしてください。その結果、更に
能力が高まります。人間の品性、信頼、勇気、正直、奉仕の心
についても同じ事をしてください。その結果、より多くの信頼
性を引き出すことができます。意志を強くするためにも同じ事
をしてください。その結果、更に行動力が増します。
81
そして、あなたは、能力のある頭脳と、信頼性のある精神、
持久力のある肉体、行動力を備えた意思を持った人になれるの
です。その全てを備えているのです。
そして、あなたは公明正大で、多才な人、そして、奉仕をし
たいという願望だけではなく、奉仕を実践に移す能力を持った
唯一の人、真のロータリアンになれるのです。 (拍手)
そろそろ、この話題を中止して、結論を述べた方がいいと思
います。 私は、彼らにメモを送ることを約束しました。私は、
スピーチ原稿を書く時間を作ろうと努力します。そしてそれが、
ザ・ロータリアンの国際大会報告にいい記事となって発表され
るのです。 (笑い)
政治的な混乱やそれに類すること捉われず、世の中を高めて
いこうとしている、ここにおられるロータリアンにとって非常
に重要だと思われる、結論に関係する短い言葉を述べたいと思
います。
今日、私は、僅かな時間しか、国際大会に出席することがで
きませんでしたから、決議案を採択するための動議や、ハリ
ー・ホイラーのレポートによって説明された幾つかのアイディ
アに関する討議について、重大な関心を抱きながら話を聞きま
した。
ドルフ氏は、私を招待する手紙の中で、「ロータリー精神の
大きな役割は能率を高めるという信条を進めることだと思い
ます。だから、何かをしようと思ったら、自らの呪縛を解き放
って、能率を高めるというテーマに基づいて、あなたが望む方
82
向に進むべきです。」と述べました。
今、私は、何人かの少年たちの考え方は、多分、幾つかの忠
告をしたシェルドンによって、大きな機会が与えられ、ロータ
リー精神の下でその機会が広がることを喜んでいるのではな
いかと思っています。
しかしながら、私たち自身のためや、私たちの会社の能率を
高めることだけではなく、可能な限り多くの正しい行いをする
ように、そして、現在のことよりも未来を考える人になるよう
に、友人として言っておきたいと思います。
現在のことばかり考えて、未来のことを考えない人は、精神
的な盲目に等しいと、いう諺を知っているはずです。数何年間
の計画を立てる人は凡人です。生涯の計画を立てる人は天才で
す。世代を超えた計画を立てる人は予言者です。ロータリアン
の中には多くの予言者がおり、ロータリー運動の父、ポール・
ハリスはその最たるものであることは、周知の事実です。
(拍手)
私たちは、私たち自身や従業員の能率を高めることは可能で
すし、そうすることは素晴らしいことです。しかし、未来のこ
とを考えましょう。精神的に盲目にならないようにしましょう。
今宵、ここに皆さんと共にいるという名誉を与えてくれたロー
タリアンの関心に忚えるために、私がなすべきことは、現在の
学校制度の欠点について述べること以外にはないでしょう。そ
して、私たちの教育制度を良い方向に改善するために、あなた
が家に帰ってから少しでも助かるために、今夜の私の努力は、
83
決して無駄ではないと思います。
私たちの学校制度の三つのささやかな批判を改善するため
に、三つの提案をします。
まず第一に、トップ・ダウンではなくて、ボトム・アップす
ることです。
これは、次のことを意味します。昔、最初に大学ができた時
には、教育は庶民のためのものではありませんでした。マルホ
ランド弁護士が今日言っていたように、牧師や教師や国の仕事
を管理する人たちの階級のものであり、商業や農業にたずさわ
る人や平民階級のものではありませんでした。これらの国では、
「教育はあなた方のためにあるのではない。」と言っていまし
た。大学のカリキュラムは専門知識を学ぶために組まれていま
した。
高校卒業後のカリキュラムは、どのように編成されていたの
でしょうか? 学生が、大学を卒業できるように組まれていた
のです。
そして、自由の日、マグナカルタ以来、義務教育が採用され
て、それを望むか望まないかにかかわらず、商売の道を歩むか
別の事業の道を歩むかにかかわらず、子供たちは学校に行かな
ければなりませんでした。
そのカリキュラムとは何だったのでしょうか? あなたたち
のうちの何人かは、私と同じ道を歩んできました。小さな赤い
校舎を振り出しに、私の人生に対する大志が、高校に入学し、
大学に入学するためのカリキュラムを通じて得られたのです。
84
小さな赤い校舎から主席で通し、専門知識を学ぶ上でも、大学
でもずっとずば抜けた成績でトップでした。しかし、社会に出
た時は、商売については何一つ知りませんでした。
「O.K.
」の意味さえ知らなかったのです。 (笑い)
私は商品を売るために、路傍に出ました。私はいい成績をあ
げました。そこで、彼らは愚かにも、私をマネージャーにしま
した。私がマネジャーになった初日に、秘書が私の方にやって
きて「シェルドンさん、これでO.K.ですか?」に言いまし
た。
私は、「どういう意味ですか?」と言いました。
彼女は、「もし、これでいいのなら、この上にあなたのイニ
シャルを書いてください。そして、その下にO.K.と書いてく
ださい。」と言いました。
このようにして、私は 3,00 万ドルの会社の支店のマネジャ
ーになりました。
私は信用とか宣伝については、何も知りませんでした。私は、
人生の学校で学ぶことによって、販売術に関するすべてを知っ
たのです。
当初は、恐ろしいほど下手な仕事振りだったので、人は心配
して「若い人よ、この仕事をいつまで続けるつもりかい?」に
言いました。
私は「そんなに長くはありません。
」と答えました。
仲間の一人は、「はっきり言うべきだよ。もし私があなたな
ら、見切りをつけるのに。」と言いました。
85
最初にシカゴに行ったとき、どのようにして書類をファイル
するのかを知りませんでした。そこで、私がこれまでに売った
沢山の本がファイルされた魅力的な書類に目を奪われました。
もし私が、数多くの旧式な書類ファイルや、裏側の数珠繋ぎに
並んでいるファイリング・ケースを見たのなら、それがどんな
種類の本であるか、ついでに、その本のうちのどれが売れない
かも含めて、マネージャーに尋ねたことでしょう。
(笑い) 私
だって、大学の卒業生なのです!
今、ここに、国際大会が召集され、一つの巨大な集団として、
地球上のすべての民族が集っています。ここにいる、皆様方で
す。あそこは弁護士がいます。ここには先生がいます。ここに
は医師がいます。ここには牧師がいます。たくさんの職業人が
集まっています。
しかし、この外にはたくさんの群衆がいます。従って、残り
の人たちが集まれば、数のうえでは断然勝っています。彼らと
はどんな人たちでしょうか? 彼らは、商売や事業を通じて、
世界中で製品を作ったり売ったりしています。
しかしながら、私たちの教育制度は、彼ら庶民のものではな
く、徹頭徹尾、ハイ・クラスの人たちのために作られています。
今こそ、商業等の分野を現在の教育制度に加えるべきですが、
ビジネス・カレッジの現状はどうなっているでしょうか?
ジョージ・ランディス・ウィルソン氏は、ある日私に、ひと
つの話をしてくれました。 きちんと訓練された、素晴らしい
秘書の一人が結婚したのですが、彼は直前までそのことを知り
86
ませんでした。
そこで、彼はシカゴのビジネス・カレッジに電話して、よい
秘書を送ってもらえないかどうかを尋ねました。 「ちょうど
卒業したての少女がいますよ。」
少女はやってきました。
ジョージは、
「あなたはいい速記者ですか?」と尋ねました。
「そうでだと答えるべきでしょう」これが彼女の答えでした。
最初の夜、手紙をだしに行った時、彼女がそれぞれの手紙に 2
セントの切手を貼ったことに気づきました。何通かはとても重
い手紙でした。
ジョージは、「なぜ、全部の手紙に 2 セントの切手を貼るの
ですか?」と聞きました。
彼女は、「今まで手紙を出したときには、いつも同じ郵便料
金を払っています。」と言いました。彼は、送る手紙の重量に
よって、いくらの郵便料金かが決まることを彼女に話し、手紙
の重さと切手の関係について説明しました。彼女は、それを計
算するための数学を十分知らなかったのです。しかし、彼女は
ビジネス・カレッジの卒業生なのです!
私たちの教育制度に関する、ささやかな批判の二つ目は次の
ことです。
完全な人間の四つの部門は肉体と頭脳と心と意思です。私た
ちの教育制度は、四つの部門の教育や開発に均等に向けられて
おらず、知識のみに向けられています。知性のみを開発をする
ことは嘆かわしい限りです。
87
商売の世界では早い段階から、最も素晴らしい能力は信頼で
あるという事実に気づきました。子供の信頼性を教育するため
に、私たちの学校制度はどんなことをしているのか知っていま
すか? 不十分です。
大勢の先生方の間には強い反対意見があるでしょう。学校制
度に関して、今宵語ったことや宣言として述べたことは、教師
に対する非難ではなく、教師が勤務するための制度や方法につ
いてであります。 信頼性、忍耐力、行動力を教育するには、
能力を開発するのと同じくらいの、体系的な努力が必要なので
す。
私たちは、なぜ子供たちを学校に遣るのでしょうか? 彼ら
を人生の戦いに勝つために、適合させる必要はないでしょう
か? それが理由のはずです。
人生における人間の成功は、その人の知識によるものではな
く、その人そのものに懸かっているのです。 そして、その人
が、人間として成功する資質は教育如何に懸かっているのです。
私は教育によって、思考力や記憶力や想像力の資質が引き出さ
れることに関して、あまり関心を持っていません。その人が大
学を卒業した後に、信頼性や忍耐力や行動力がうまく機能しな
いと、勝ち抜くことはできないからです。
ささやかな批判の三番目は、次のことです。私達がしている
唯一の事、すなわち、知識の開発を目的とすることは、間違っ
たことなのです。
その意味は次の通りです。能力は、事実を頭に詰め込むだけ
88
では、開発できません。
私は、そのテーマの教科書を書いた博学な人の下で、心理学
を勉強して、大学を卒業しました。知識を開発する基本を知ら
なかったので、人の能力とは、考えたり、覚えたり、想像する
という人間の能力が集計されたものであることを知りません
でしたし、当然のことながら、これらの三つの能力を如何にし
て開発するかも知りませんでした。
これらの三つのささやかな問題を取り除けば、現在の教育制
度はいいものになります。
学校に対する批評が不必要になることが可能であると信じ
ています。私は、偉大な人、クレーンは遣りすぎだったと思い
ます。彼は、世界のすべての大学を亡くしてしまえば、もっと
良くなると、過激な発言をしましたが、それは無理な話です。
もっと悲惨な状態になるでしょう。
しかし、古臭い先例に捉われたり、絶望的な無力感で手をこ
まねいたり、改善不可能だと決め付けることは、我々にとって
いいことではありません。
改善することは可能ですし、改善しなければなりません。例
えば、学校に行っているすべての少年少女は、高校を卒業する
ずっと前から、もし利益を得たいのならば、社会に出た際に奉
仕をしなければならないという、人生の法則があることを知る
べきだと思います。
陳腐な言葉や金言ではなく、科学的の真理として理解し、さ
らに、どのようにすれば、奉仕をする力が開発されるのかを教
89
えられなければなりません。私は、それが成し遂げられること
を知っています。
ささやかな教育の実験として、最近私は、ロンドンのスラム
街から 15 人の少年を送ってくれるように、ロンドンのジョ
ン・カーク卿に頼みました。多分、あなたたちのうちの何人か
が知っているように、彼は、浮浪児の学校連盟を作った人です。
私は、15 人の小さな仲間を引き取りましたが、彼らのうちの
何人かは 12 歳だというのに、発育不全のため身長が 2 フイー
トしかありませんでした。
そして、6 週間が経ちました。 私は少年たちを黒板の前に
連れて行き、黒板を使って、判りやすく、奉仕の七つの一般的
な原則や、それに関するいい話をしました。彼らは、人間の能
力の自然の法則を理解することができました。学校生活は、彼
らがそれを学ぶのに最もよい場所です。
私たちが共に過ごした最初の夜、私たちが採用しようとして
いる教育方法について、彼らに話しました。
私は、特に「あなた方は、現在あなたが得ているお金よりも、
少しでも多いお金を得るためには、どうすればいいと思います
か?」と尋ねました。
一人が、
「私たちはみんな、安い賃金で働き詰めです。
」と言
いました。そこで、私は、彼らに原因と結果について説明をし
ました。
火が原因であり、熱が結果であることを理解することは、彼
らにとって難しいことではありませんでした。そして、意外と
90
思われるかも知れませんが、小さな火は常に小さな熱を発し、
大きな火は常に大きな熱を発することに関して、完全に私と合
意に達したのです。もちろん、それは不思議なことではありま
せん。 彼らはそれが真実であることを知っていたのです。
そして、その最初の晩が終わる前までには、奉仕が火であり、
報酬が熱であること、そして僅かな奉仕には僅かな報酬が、大
きな奉仕には結果として大きな報酬があることを、完全に納得
させたのです。(拍手)
今や、この子供たちは、より多くの賃金を得ようと血眼で捜
しているのでも、無為に時間稼ぎをしているのでも、単に時間
がたつのを待っているのではなく、あなたの生き様に賭けて、
雇用主に奉仕をする機会を捜しているのです。何故でしょうか。
何故ならば、彼らは、ビジネスの世界、人間の努力の世界、成
功する能力の世界における原因と結果の法則を、僅かではあり
ますが理解したからです。
彼らは、「哲学と倫理」と「人間の能力論との関連」に関す
る片鱗を捉えたのです。(盛大な拍手)
田中 毅
訳
この 1913 年の論文の中で述べられている幾つかの点につい
て、簡単にまとめてみると、次の通りです。
•
事業経営を経営学の中の販売学の実践と定義づけると共に、
原因結果論から奉仕哲学を説いています。火という原因によ
って、熱という結果が生まれます。強い火によって大きな熱
91
が得られるように、大きい Service を行えば、
大きな profits
が得られるのです。
•
Service を行った人が、現世において受け取る見返りが、
profits であると述べています。すなわち、事業経営によっ
て、適正な profits を得ることは極めて正当な行為であるこ
とを力説しています。宗教の教義では、いくら善行を積んで
も、その見返りは来世にしか与えられませんが、実業界にお
いては、奉仕に対する見返りが profit として現世で得られ
るのです。
•
黄金率「すべて人にせられんと思うことは、他人にもその
通 り に せ よ 」 を ビ ジ ネ ス の 世 界 に 適 用 し た 言 葉 が 、 He
profits most who serves best だと説明しています。この
大会に提案された道徳律の制定を強く意識した発言だと思
われます。
•
1921 年のスピーチに出てくる「奉仕の三角形」は、実はシ
ェルドンが考え出したものではなく、インドの哲学者である
バガバン・ダスの本から引用したものであることが述べられ
ており、シェルドンの奉仕理念の中には東洋的思考が大きく
影響していることが窺えます。
•
どのようにして開発し、発展させ、成長させるかという原
因によって、人間の能力という結果が生まれます。これが教
育です。シェルドンがビジネス・スクールを創立するきっか
けとなった教育論が、かなり具体的に述べられており、教育
とは知識を教えることではなくて、その人の能力を引き出し、
92
それを成長させることであると結論付けています。
93
道徳律の制定
職業奉仕理念が確定したことを受けて、この理念を具体的に
実践するために、1913 年のバッファロー大会で特別な道徳律
を作るためのアンケートを出すことが決定しました。
アイオワ州シューシティ・クラブのロバート・ハントが中心
になって、その具体的事項を全国のロータリアンから募集した
ところ、数百にものぼる提案が集まりました。しかし、彼は個
人的事情のため、その役割を同じクラブの会員であるパーキン
スに譲りました。
パーキンスはシ
ューシティ・クラブ
の友人数名を委員
に任命しました。そ
の中には、かつてシ
ェルドン・ビジネ
ス・スクールの学生
であったジョン・ナ
トソンも含まれて
いました。
彼らは、それを 500
語に文章にまとめ
あげ、1914 年のヒ
94
ューストン大会に提出しましたが、この大会では、この道徳律
をすべてのロータリアンに送って、研究することが決まって、
1915 年のサンフランシスコ大会においてほぼ原文のまま採択
されて、公式な道徳律となりました。
職業人のためのロータリー道徳律
1915 年 7 月 19-23 日、サンフランシスコにおける第 6 回国
際ロータリークラブ連合会年次大会によって採用された。
この職業倫理基準は、我々の共通な人間性に基づく思いやり
を心に留めるものである。職業上の取引や野望や諸関係は、常
に社会の一員として自分が果たす最高の義務を考慮すべきで
ある。職業生活のあらゆる場面において、また、自分が直面す
るすべての責任において、先ず最初に考えなくてはならないこ
とは、その双方を終えたときに始めて果たされる責任と義務を
満たすことである。人間の理念と業績の水準をそれに気づいた
ときよりも、少しでも高めなければならないし、このことを考
えることこそ、ロータリアンとしての私の義務である。
倫 理 基 準
第 1 条 自分の職業は価値あるものであり、社会に奉仕する絶
好の機会を与えられたものと考えること。
・ これは綱領上の職業奉仕の項目と一致します。
第 2 条 自己改善を図り、実力を培い、奉仕を広げること。そ
れによって、
「最もよく奉仕する者、最も多く報いられ
95
る」というロータリーの基本原則を実証すること。
・ ロータリーの例会を通じて、お互いに職業上の発想の交
換をしながら、他人の事業上の取り組み方を参考にして自己
改善を図ります。もしも自分の職業態度に問題があれば、そ
れを正さなければなりません。その結果、経営能力が高まっ
て、He profits most who serves best の成果を、自分の事業
所で実証することができるのです。
第 3 条 自分は企業経営者であるが故、成功したいという大志
を抱いていることを自覚すること。しかし、自分は道
徳を重んじる人間であり、最高の正義と道徳に基づか
ない成功は、まったく望まないことを自覚すること。
・ 経営者として、自分の事業を成功させようと考えること
は当然のことですが、正義と道徳に基づかない事業の発展を
望んではなりません。
第 4 条 自分の商品、自分のサービス、自分のアイディアを金
銭と交換することは、すべての関係者がその交換によ
って利益を受ける場合に限って、合法的かつ道徳的で
あると考えること。
・ 商取引の原点は等価による物々交換であり、それが貨幣
を介した交換に変わった時点で、利益という概念が入ったわ
けです。従って、買った者も売った者も、共に満足しなけれ
ば商売は成立しないはずです。
第 5 条 自分が従事している職業の倫理基準を高めるために最
善を尽くすこと。そして、自分の仕事のやり方が、賢
96
明であり、利益をもたらすものであり、自分の実例に
倣うことが幸福をもたらすことを、他の同業者に悟ら
せること。
第 6 条 自分の同業者よりも同等またはそれに優る完全なサー
ビスをすることを心がけて、事業を行うこと。やり方
に疑いがある場合は、負担や義務の厳密な範囲を越え
て、サービスを付け加えること。
・ 自分が提供した商品や技術は、商法上の期限や民法上の
期限を越えて、一生責任を持ちなさいということで、現在の
製造物責任法すなわちPL法を先取りしたものです。しかし、
これを忠実に守れば、会社は潰れる可能性があるという反発
が出て、その後この道徳律が廃止される一つの原因になりま
した。
第 7 条 専門職種または企業経営者の最も大きい財産の一つこ
そ、友人であり、友情を通じて得られたものこそ、卓
越した倫理にかなった正当なものであることを理解す
ること。
第 8 条 真の友人はお互いに何も要求するものではない。利益
のために友人関係の信頼を濫用することは、ロータリ
ーの精神に相容れず、道徳律を冒涜するものであると
考えること。
・ 自分が利益を得るために、友人との信頼関係を利用して
はなりません。
第 9 条 社会秩序の上で、他の人たちが絶対に否定するような
97
機会を不正に利用することによって、非合法的または
非道徳的な個人的成功を確保することを考えてはなら
ない。物質的成功を達成するために、他の人たちが道
徳的に疑わしいという理由から採らないような、有利
な機会を利用しないこと。
・ 道義的に疑義のあるような条件や、機会を利用した取引
はしてはなりません。横流しや不正ルートを利用した取引は、
ロータリーの職業奉仕とは程遠い行為と言わざるを得ませ
ん。
第 10 条 私は人間社会の他のすべての人以上に、同僚であるロ
ータリアンに義務を負うべきではない。ロータリーの
神髄は競争ではなくて協力にあるからである。ロータ
リーのような機関は、決して狭い視野を持ってはなら
ず、人権はロータリークラブのみに限定されるもので
はなく、人類そのものとして深く広く存在するもので
あることを、ロータリアンは断言する。さらに、ロー
タリーは、これらの高い目標に向かって、すべての人
やすべての組織を教育するために、存在するのである。
・ ロータリアンだという理由で特別な配慮をしてはならな
いし、期待してはなりません。ロータリーの創立当初は、物
質的相互扶助として、これが行われていましたが、1913 年
を以って決別したはずです。
第 11 条 最後に、「すべて人にせられんと思うことは、他人に
もその通りにせよ」という黄金律の普遍性を信じ、
98
我々が、すべての人にこの地球上の天然資源を機会均
等に分け与えられた時に、社会が最もよく保たれるこ
とを主張するものである。
・ これが、マタイ伝からの引用だという理由で、この道徳
律を廃止しようという原因の一つになりましたが、これはキ
リスト教に特有な教義ではなく、同じ意味の教えが論語にも、
イスラム教にも、仏教にも書かれています。全ての哲学的な
教えの中には、この言葉が入っており、世界共通の教えとも
言えます。シェルドンも、
「自分が人からしてもらいたいな
と思っていることを、先ず人にしてあげなさい」という教義
と He profits most who serves best は全く同義語であると
述べています。
次のような倫理基準を定めた文章があります。
・ 職業に対する不断の努力が正しく賞賛されるように心が
け、自己の職業の尊さを確信すること
・ 事業を成功させて、適正な報酬や利益は受けるべきである
が、自己の立場を不当に利用したり、人に疑われる行い
をして自尊心を傷つけてまでも利益や成功を求めないこ
と
・ 事業を遂行するにあたっては、他人の事業を妨害しないよ
うに心がけ、顧客や取引先に誠実であり、自己にも忠実
であること
・ 世人に対する自己の立場や行いに疑いが生じたときは、世
99
人の立場に立って解決にあたること
・ 真の友情は損得の上に築かれるものでなく、心と心の触れ
合いによるものであることを自覚し、手段としてではな
く目的として友情をもつこと
・ 国家および地域社会に対する公民の義務を忘れず、かわら
ぬ忠誠を言動にあらわし、すすんで時間と労力と資力を
ささげること
・ 不幸な人には同情を、弱い人には助力を、貧しい人には私
財を惜しまないこと
・ 批評は謙虚に、賞賛は惜しみなく、建設を旨として破壊を
さけること
これはライオンズ道徳綱領と呼ばれるものです。ロータリー
が職業奉仕の理念を持っている唯一の奉仕クラブであると考
えるのは僭越な考え方であって、ライオンズもこのような立派
な倫理基準を持っていることを忘れてはなりません。
ただし、ロータリーの職業奉仕理念は、その受益者がロータ
リアンであり、職業奉仕を実践した結果得られるものが道徳基
準であることです。従って、ロータリアンが受益者になる職業
奉仕の実践を怠って、道徳基準そのものが職業奉仕であると誤
解すると、ロータリーとライオンズの区別がつかなくなるので
す。
1915 年にはロータリーの綱領が次のように改正されます。
100
1 すべての合法的職業は尊重されるべきであるという認識を深
め、各会員の職業を社会に対する奉仕の機会を提供するもの
として品位あらしめること
2 事業および専門職務の道徳的水準を高めるよう奨励するこ
と
3 構想や事業運営方法の交換によって各会員の能率を増進す
ること
4 奉仕の一つの機会として、また成功への道として、情理ある
交友関係を推進すること
5 クラブの地域社会の公共の福祉に対するクラブ会員の関心
を高め、かつ、市、社会、商工業の発展のために他の人々と
協力すること
6 僚や社会一般のために奉仕したいという意欲を起こすよう
会員を鼓舞すること
職業奉仕の理念が完成し、ロータリーの職業奉仕のモットー
が確定し、具体的な活動指針となる道徳律が完成しました。そ
してそれから後のロータリー運動は、その道徳律をいかに自分
の事業所や所属する業界に適用するかという運動に変わって
いきました。そのためには、先ず、ロータリアン自身が同業組
合に入って、すなわち医者は医師会に、飲食店は食品関係の業
界団体に入って、その業界の指導的立場になって、その業界に
道徳律を広める活動に発展します。1925 年の RI の発表による
101
と、ロータリアンが自ら制定に関与して、正しく実行されてい
る、全世界の企業の道徳律は 145 に上ることが報告されていま
す。
業界が採用した道徳律の中で有名なのが、ガイ・ガンディカ
ーが作ったレストラン協会の道徳律です。若年労働者の深夜労
働が当たり前だった時代に、現在の労働基準関係諸法や就業規
則とまったく引けを取らないような、経営者、就業員関係を成
文化することが試みられ、雇用、新しい従業員の融和、昇給の
機会、研修、雇用期間、労働条件、解雇、娯楽施設などのやり
方について、有益な考え方、労働者の関心や福祉の研究、利益
の条件、能力のある者と無い者との評価の判定、雇用、解雇、
賃金、労働時間、休暇、安全を公正に取り扱うための規則、省
力化機器、健康、雇用の継
続、教育、若年労働者の福
祉対策などが定められ、さ
らに食品の検査、代用品を
使わない規格化された献立、
不当表示や過大広告の廃止、
定価販売、礼儀正しさ、注
意深さ、チップをくれる客
だけを選り好みしない、間
違った説明をしないことな
どが定められています。
1920 年にアメリカに禁
102
酒法が制定され、期を一にしてマフィアがシカゴで活動を開始
します。このレストラン協会の道徳律は、禁酒法の絡みで、マ
フィアのターゲットになったレストラン業界を防衛するため
にガイ・ガンディカーが作ったものといわれています。
1920 年から 1930 年にかけての 10 年間が、ロータリーの職
業奉仕が社会に大きな影響を及ぼした爛熟期といえます。シカ
ゴ・クラブは退役軍人のチャンバリン大佐をシカゴ市の防犯協
会の会長として送り込み、マフィアの息のかかった大量の保釈
保証人を告発したり、ロータリアンを証人として出廷させて、
ボビー・フランク殺人事件を解決します。ロータリーは禁酒法
に関連した貿易に関する他国法遵守、贈収賄禁止、適正広告な
どの法制化運動にも大きく関与します。こういった活動は多分
に政治がらみだったとはいえ、職業奉仕を前面に押し立てて、
堂々とマフィアと対峙したロータリーに世間の人が喝采を送
ったことは否定できません。ロータリアンはロータリアンであ
ることに誇りを持ち、一般の人たちもロータリアンになること
を夢見たわけで、ロータリーは大きな発展をとげたのです。
ビビアン・カーターが書いた The meaning of Rotary には個
人の事業所および業界で採用された道徳律について、次のよう
な具体例をあげて当時のロータリアンの活動を讃えています。
ニューヨークの服地商、アレキサンダー・スチュワートは、
定価販売、貸し売りお断り、現金仕入れと現金販売、商売の上
で絶対的な真実を貫くという方針によって、自分の事業の成功
103
を実現した。
ジョン・ワナメーカーは、「商品の返却と返金」や「顧客の
ことを第一に考える」という方針を堅持して、これに続いた。
宝石商組合は、「みんなが同じ値段を守ることが、もっとも重
要なことである」
「顧客を満足させる」
「自分が買い手になった
つもりで、顧客に勧める」「すべての信用は、一つの宝石に託
されている」と宣言している。
農機具の販売業者は、「礼儀正しさは、新しい顧客も古くか
ら続いている顧客を歓迎する時にも、常に分け隔てなく配慮し
なければならない」ことを認めていた。
アイスクリーム販売業者は、「きっと彼がそれを買って代金
を払ってくれるだろうという希望を持って、買い手に、注文し
ていない商品を送りつけること」を禁じた。
広告宣伝組合は、革命的とも言える提案に従って、彼らのス
ローガンを「広告における真実」とした。
塗装業界は、奉仕を約束する内容の取引スローガンによって、
数百万ドルにまでその事業を拡大した。彼らは、「表面的なこ
とを倹約すれば、すべてが倹約出来る」と宣言し、商売だけで
はなく奉仕にも意識的に関心を持つ必要性があることを喚起
した。
葬祭業は、もの悲しい控えめな態度が実を結び、さらに公共
の利益のための奉仕として、大胆にも日の当たる場所に浮かび
上がってきた。
その他のあまり尊敬を受けていない商売の一つであるクリ
104
ーニング屋は、洗濯屋としての心構えを認識し、清潔にすると
いうサービスを通じて一般大衆に認められた。
タクシー業界は、「礼儀正しく正直で安全」というスローガ
ンで組織的なサービスを実行しただけではなく、個々のタクシ
ー所有者の関心も徐々に改善されて、今や、正規の運賃以上の
料金を強要される乗り物ではなくなった。
多くの弊害を撒き散らした映画産業は、特定のプロダクショ
ンと俳優によって悪い組織が形作られていたが、100 万ドル近
い金を投じて、好ましくないプロダクションを一掃し、一般に
公開する前に、毎週、その内容を検討するための広報委員会が
設けられた。
新聞社は、誤った主張による誤解から広告主を守るために、
会社内に「監査局」を設けた。業界紙は、誇大宣伝や有料の誇
大記事を掲載することを断ると共に、ニュース欄に個人的な意
見を述べることを禁止することを決定した。定期刊行物の出版
社は、疑わしい性格をもった事業を受け入れないという道徳的
な義務を表明した。
105
1918 年
奉仕の図式
シェルドンはザ・ロータリアン誌の 1918 年 9 月号に「The
symbolism of service 奉仕の図式」という小論文を寄稿してい
ます。
その内容は
① 奉仕の原理は人間の相互関係に適用される牽引の法則であ
り、奉仕する人たちには惹きつけられるけれど、奉仕しな
い人たちには反発すること。
② 原因結果論として大きな奉仕には大きな報酬が得られるこ
と。
③ 奉仕こそが満足と信頼を持続するために自然から与えられ
た唯一つの道であり、関係を持続させその結果としての利
益を得るための唯一つの道であることが説明されています。
数ある団体の中で、ロータリーは一貫して奉仕の原理の実践
を追及している団体として特に際立っています。これは事実で
あり、奉仕を図式で示す論文を寄稿するようにとのペリー事務
総長のお招きに喜んでお応えします。
先ず、奉仕の原理とは何でしょうか?
ほかの全ての原理と同様に、それは創造主が創ったものです。
原理は神性の一部分です。本質的に原理は摂理です。
原理は摂理の法則です。
106
法則は規則です。
人が作った法律は国の最高権威者が規定した行動規則です。
自然の法則は宇宙の最高権威者が規定した行動規則です。
原理は万物の本来の姿です。これは過去、現在更に未来にお
いて何時も変わりません。
このようにして、牽引の原理は存在しています。過去、未来
常に存在しています。そこから重力の法則が派生して、その作
用は普遍的です。自転車で坂を下っている子供は牽引の原理と
か重力の法則について何も知らないがそれらを利用していま
す。
奉仕の原理は基本法則として常に存在して来ました。
創造主は人間を奉仕する者として創りました。これは商売人
でも他の如何なる職業に従事する人たちも全く同じことです。
言いかえれば、奉仕の原理は人間の相互関係に適用される牽
引の法則です。人は誰でも自分に奉仕する人たちに惹きつけら
れ、奉仕しない人たちには反発します。
図式で示せばどうなるでしょう。
この論文では二つの図式を示します。
奉仕と報酬の図式です。
この最初の図式は理屈ではなく自然現象―火が原因で熱が
結果―を表しています。この周知の事実を次の図式で示しまし
ょう。
107
火
o
熱
o
火
O
熱
O
小さい火は少しの熱を起こします。
より多くの火はより多くの熱を起こします。
誰もがこれが事実であることを知っていますが、次の図式も
全く同じく事実です。
奉仕
o
報酬
o
奉仕
O
報酬
O
少ない奉仕には少ない報酬
より多くの奉仕にはより多くの報酬
これは人間関係の自然の法則です。
法則に従って行動すれば、意識的、無意識的を問わず、成功
がもたらされます。法則に違反すれば、意識的、無意識的を問
わず失敗を招きます。
奉仕する意欲すら持っていない人は沢山います。又、奉仕の
意欲があっても能力に欠けている人もいます。
全ての普通の人たちは奉仕する意欲と能力を伸ばすことが
できますが、そのためには努力が必要です。
二つ目の図式です。奉仕の働きが満足と信頼を支える力であ
ることを示しています。この基礎の上に恒久的な関係が築かれ
ます。
物理的な四つの事実があります。それは何方も理屈だとは言
われないでしょう。この事実は二番目の図式に示される自然現
象を理解するのに役立ちます。
108
最初に、恒久的な建物には基礎が必要です。
二番目、基礎は岩盤か硬い地下層が必要です。
三番目、土地が岩盤、基礎を下から支えていること。
四番目、地震は岩盤とか基礎を揺るがし破壊し建物を破壊し
ます。強度の地震は一回で破壊を完了します。小さい地震でも
多ければ何時かは最も堅牢な建物でも破壊するでしょう。
人間関係の図式。
四つの心理的な事実があります。
先ず、経営者と従業員、セールスマンと顧客を始め全ての人
間関係が続くためには建物の場合と全く同様に基礎が必要で
す。その基礎は世界中共通のものであり、その名は信頼という
ものです。
第二番目、信頼が続くためには何か固いものの上に安定させ
る必要があります。その岩盤となるのは満足です。
満足と信頼の関係と岩盤と建物の基礎との関係は、全く同じで
す。
第三番目、奉仕は満足と信頼を下から支え、盛り立てる母な
る大地です。
第四番目、奉仕活動における誤りと、満足及び信頼との関係
は、地震と、岩盤及び基礎との関係と同じです。大きい誤りは
一回でも満足、信頼を破壊します。小さい誤りでも多ければ何
時かは満足、信頼を破壊します。
109
店の評判は店主ではなく、その店が持っている顧客が作りま
す。
利益に到達する唯一の確かな道は顧客との持続的な信頼関
係です。
奉仕こそが満足と信頼を持続するために自然から与えれた
唯一つの道であり、関係を持続させその結果としての利益を得
るための唯一つの道です。
目覚めて啓発された人の心は自分に奉仕するただ一つの道
は他人に奉仕することだという事実を理解するようになりま
す。
以上の事実は次の図
式で示されます。
以上を学べば、ロータリ
ーのモットー:“最もよ
く奉仕する者、最も多く
報いられる。”が格言として基本的な事実であることがよくわ
かるでしょう。 次の格言が実際に、人生について最も単純で、
しかも最も素晴らしい事実を表しています。“人生の実相は、
つまるところ、与えることと得ることとの絶え間ない潮の満ち
引きに過ぎないということです。”
力学では、作用と反作用は等しいことを私たちは知っていま
す。
世間の力学では、私たちが仲間に奉仕するのは作用であり、
110
仲間から受け取るのは反作用です。
作用は原因で、反作用は結果です。
ロータリーが団体として、あるいは個々のロータリアンが為
すべきことは全て、ロータリーがよって立っているこの原理を
実践することです。
原因を作りましょう、結果は自然について来ます。
東 昭二(上郡 RC)
111
訳
奉仕の哲学
シェルドンはザ・ロータリアン誌の 1921 年 2 月号に「The
philosophy of service 奉仕の哲学」という小論文を寄稿してい
ます。その内容は同年 6 月にスコットランドのエジンバラで開
催された国際大会のスピーチの前置き、言い換えれば、この原
稿に肉付けしたものを国際大会で発表したとも言えます。
従来までの論文との大きな違いはロータリーの奉仕理念を
科学的に解析しながらも、創造主の存在を認めていることです。
シェルドンに対する批判の強いイギリスでのスピーチを意識
したものと思われます。
全ての宗教及び哲学の教理には部外者向けと部内者向けと
があります。部外者向けの教理は世間一般の人たちが教理とし
て理解しているものです。部内者向けの教理は、より深いより
内面的なものから構成されています。それぞれの宗教、哲学の
内輪の会員、真の信奉者が理解しているものです。
ロータリーは成長して哲学になりました。私たちは因果関係
の世界に生きています。英国の哲学者ハミルトンは哲学は因果
関係の科学であると述べています。ロータリーの哲学は因果関
係の科学です。それは、全世界が求めている利益である結果と、
正当な利益の唯一の当然な原因である奉仕との関係です。
モットーの提唱者の心の中では、奉仕の概念は、重力、引力、
112
牽引力等の概念と同様に、絶対に確実で正確な自然界の確定的
な事実を表しています。奉仕の概念は重力の概念が法則を表し
ているのと全く同じように自然の法則を表しています。実際に、
奉仕の法則が商業、産業、専門職をはじめその他全ての人間関
係を支配しています。それは重力の法則が全ての物体を支配し
ているのと全く同じです。
正にそれは人間関係の牽引力の法則です。実例で説明しまし
ょう。
先ず、宙吊りになっている空気より重い物体から支えている
ものを取り除けばその物体は地上に落ちるのは当然です。これ
は周知のニュートンの重力又は引力の法則によるものです。
次に、如何なる職種に於いても顧客に最もよく奉仕する企業に
取引が引き寄せられるのも先の法則と全く同様な自然の現象
です。
三番目に、顧客に最もよく奉仕する営利企業に贔屓や顧客が
自然に引き付けられるのと同様に、優秀な従業員が、従業員に
対してその言葉の広い真の意味で最もよく奉仕する雇用者に
引き付けられるのも同様に自然の現象です。
四番目に、如何なる組織でも、雇用者に本当の意味で最も良
く奉仕する従業員に対して、“重い給料袋”や望ましい昇進が
引き寄せられるのは以上の事実と全く同様に自然の現象です。
奉仕の哲学を科学的に理解すると、そこには感傷的な感情とか
感情的な要素は全くありません。これは正しく健全な経済の法
則の一つです。
113
奉仕を人間活動の自然法則として徹底的に科学的に理解す
るためには、法則と原則との違いを明確に理解することが重要
です。
全ての原則は法則ですが、全ての法則は原則ではありません。
自然の法則はどれでも全て原則と同じ水準に下げることはで
きますが、それが法則になるには権威のある支配的な法則―根
本的な法則、創造的な法則、他の自然法則を広めるような法則
にまで高められねばなりません。奉仕の法則はその権威にまで
高めねばなりません。奉仕の法則は奉仕の原則です。それは不
変の原則であり、大自然の四つの領域―人類、下等動物、植物、
鉱物を夫々支配しています。
人間がこの法則を作ったわけではありません。それはニュー
トンが重力の法則を創造しなかったと同じことです。法則は常
習的な違反者を滅ぼす力があり滅ぼします。
人間は誰でも、白人、黒人、雇い主、男性雇員、女性雇員、
男の子、女の子、金持ち、貧乏人すべて、高い建物の上から落
ちたら大地に激突する定めになっています。
私たちは法則を“破る”とルーズな言い方をしますが、これ
は言葉の正しい使い方ではありません。高い建物から落ちた人
は下の地上に体は破れて倒れますが重力の法則を破っていま
せん。重力の法則はこれからも常に何時までも働き続けます。
この人は法則の条件を守らなかったために彼自身を破ってし
まったのです。
これと全く同じように、殆ど無数の人たちが、奉仕の原則を
114
意識的又は無意識的に守らなかったために人生の歩道に破れ
て横たわっています。奉仕の原則は何時でも何処でも全ての人
を根本的に支配している自然の法則です。自然の法則の意識的
又は無意識的な遵守は正当な報いや利益の原因です。自然の法
則の意識的又は無意識的な違反は正当な報いが得られない当
然の原因です。卓越した奉仕と正当な報酬との関係は火と熱と
の関係と全く同じです。弱い火は弱い熱、強い火は強い熱をも
たらします。
これは事実であり理屈でないことは皆様お分かりの通りで
す。火の量と強度が高まれば熱の量と強度は高まります。これ
と同じように、人間の取引の場面では、どんな事業であれ有用
な努力、卓越した奉仕は原因であり正当な報いは結果です。少
ない奉仕には少ない報酬、より大きい奉仕にはより大きい報酬。
これが人間の努力と正当な報酬との間の原因と結果の自然の
法則です。
奉仕は科学的に解釈すれば有用性と言い換えることが出来
ます。個人又は個人の集合体の組織自体は世の中で全く何の役
にも立たないものであり、本来の存在理由を持っていません。
奉仕又は有用性こそが人間又は人間の全ての集合体である法
人、商業、産業、専門職、政府などの本来の神聖な使命です。
哲学の研究者はすべからく賢者ビベカナンダの次の言葉を心
に刻むべきです。“目的が視野の中で一旦明確に決まったら、
目的への手段は目的自体よりもより重要になります。”目的へ
の手段は原因であり、目的は結果です。原因を作れば結果は自
115
然に発生します。目的に通じる手段の道を慎んでしっかりと歩
いたら視野にある目的に安全に到達します。
個人又は会社の生きかたは次の図式に示された三つの線を
辿って行きます。
I
S
P
“I” は individual 個人又は個人の集合体とか会社を表しま
す。
“S” は service 奉仕を表します。
“P” は profit 利益を表します。
人生の算術では、最後にはこれらの三つの線は同じ長さにな
ります。
何百万もの多数の人々が人生の歩道に破れて倒れたのは職
業の如何を問わず百人中約九十五人は三番目の線に思考のレ
ンズの焦点を合わせたからです。彼らは原因にしかるべき注意
を払わないで結果を求めたからです。彼らは視野にある目的―
利益―に到る手段である奉仕の道を注意深く歩まないで目的
に到達しようとしたのです。
三番目の線を確実に長くするためには全ての個人又は会社
は自然の法則の必然性により中央の線を長くする課題に注意
を注ぎ努力します。しかし中央の線、奉仕は真に有用な奉仕を
提供できる個人又は会社の力を示す一番目の線から流れてく
る結果です。
有用な奉仕を提供したいという意欲を悲しいことには数百
万もの人は持っていませんが、その意欲と真に価値のある奉仕
116
を提供出来る能力との間には大きな違いがあります。有用な奉
仕を提供するには奉仕する意欲と能力が必要です。平均的な男
女の場合、真に価値のある奉仕を提供するのに必要な高度な個
人的能力の開発に対する最大の障害は独り善がり、知的虚栄心
の病又は知的自尊心などの罪かもしれません。失敗に堪える人
よりも成功に堪えることが出来る人のほうがはるかに少ない
という真に賢明で役に立つ教えがあります。奉仕を提供するこ
とによってすら、成功し始めると平均的な人は “到達した”
と思いがちです。そして誰でも到達したと思った時は、大概、
逆の方向に歩き始めています。
奉仕の哲学を学ぶ人は時々ハバーディックの格言を思い起
こさねばなりません。“私たちが成長するのは未熟な間だけで
す、そして私たちが成熟したと思った時に私たちは腐りはじめ
ます。”
注意深く分析すると次の事実が見えてきます。個人は人生算
術の三番目の線を長くしたいと思うと、遅かれ早かれ彼個人の
力である一番目の線に力を入れるようになります。そして人間
の四大構成要素の建設的な機能、力量、特性、活力などの正し
い涵養と正しい使用によって有用な奉仕を提供出来る力の向
上を目指します。
“人間の四大構成要素”とは勿論人間の知能、感性、肉体、
意思を指しています。奉仕の哲学を表面的に学んだ人は利益の
概念を経済的な意味だけに解釈しがちです。ロータリーのモッ
トーに使われている利益の概念を科学的に理解した人はあら
117
ゆる物質的な利益は利益全体を構成している本来の三要素の
一つに過ぎないことを十分悟っています。
第一番目で最も重要な要素は仲間の愛情です。判りやすく表
現すれば知り合った全ての人からの尊敬とも言えます。利益を
構成する二番目の本来の要素は良心です。現実的な考えをする
人はこれを自尊心とよんでいます。
三番目の本来の要素は物質的な収益です。誰でも、何処でも、
世界中の全ての職場に於いて、他の人からの尊敬と自尊心を犠
牲にして物質的な収益を得た人はその言葉の真の意味での利
益を得ていません。
このような人は一時的に莫大な物質的な収益を手に入れて
も大抵は長持ちしません。物質的な収益、つまり金銭的な収益
を確実にするためには、その収益を得る過程の当然な結果とし
て取引先の尊敬と自尊心が自動的に自然と得られるような仕
方が必要です。
物質的な収益の最大の尺度である良い顧客を継続的に確保
するためには、実際に人は、自尊心と他者の尊敬と両方を同時
に得られるように行動しなければなりません。継続的に利益を
もたらす顧客を確保する唯一の道は、どのような営みであれ、
その顧客が何回も喜んで戻って来るように、何時までもご愛顧
が続くように行動するという事実により明らかです。
従って、モットーである“最も良く奉仕する者、最も多く報
いられる。”に使われている利益の概念は等辺三角形の図式で
表すことが出来ます。一辺は、他者の尊敬又は愛情、次の辺は、
118
自尊心又は良心、そして底辺が物質的な収益です。
世間にはあまりにも多くの人は一つの道が自尊心と他者の
尊敬の獲得に通じており、それとは全く別の道が広い意味で物
質的利益の要素の獲得に通じているという誤った考えに惑わ
されて苦労しています。この考えは全く間違っています。これ
では利益の三要素の何れにも通じている道がありません。道と
は普通、歩きやすい広いものを指しますが、この三要素に通じ
ている道は狭くて歩きにくいもので、近道はありません。しか
しながら、幸いなことには三要素全てに通じている”通路“が
一つだけあります。その通路の名前が”奉仕”です。貴方から
他の仲間に対する奉仕こそ、貴方が何方であれ、仲間と彼の愛
顧を貴方に引き付けるものです。
驚かないで下さい。ロータリーのモットーに使われている奉
仕の概念は正三角形で表すことが出来ます。三角形の最初の左
手側の線は正しい質の本来の要素を表しています。右手側の線
は正しい量の本来の要素を表し、三角形の底辺は正しい行動様
式を現しています。一プラス一プラス一は常に三になるのと全
く同じように正しい品質と仕事、プラス正しい量の品物と仕事、
プラス事業又は個人の正しい行動の結果は正しい奉仕になり
ます。それらの合計の答えは満足すべき奉仕です。それは仲間
を満足させ彼の自信を持続させる奉仕です。そのような奉仕は
恒久的で実り多い全ての人間関係の基準又は基礎になります。
奉仕の哲学を学ぶ人は、彼の L.C.M、仲間からの愛 Love of
Fellow Men、良心 Conscience、物質的な収益 Material Gain
119
は最終的には彼の Q.Q.M. よりも決して大きく成り得ないこ
とを銘記して下さい。三つのうちの一つはどれでも他の二つを
反映しています。仲間からの愛、“晴れやかな良心”及び持続
的な物質的収益は正しい品質 Right Quality、正しい量 Right
Quantity、正しい行動様式 Right Mode of Conduct 等の原因
の源から流れて来た結果です。
従って利益は“獲物”です。提供した奉仕は贈り物であり、
人は何かを得るためには先ず与えなければならないという法
則を学ぶ必要があります。
利益又は報いを得るためには奉仕という贈り物を与えなけ
ればなりません。贈り物を与えるには贈り主、そして個々の贈
り主が居ます。贈り主としての個々の人間の固定的で蓄積され
た能力は三角形で表現出来ます。良く調和のとれた人を象徴す
る正三角形の左側はその人の本性の精神的な側面を表してい
ます。それは人間がとりわけ真善美を愛して機能する要因です。
正三角形の右側は人間の本性の知的要素を表しています。
この要素を通じて彼は知識を獲得します。人間の固定的な能
力を示す三角形の底辺は精神的、知的な力を表現する肉体的な
力を表しています。
それらは書いたり話したりする言葉や行いにより表現され
て、それらの要素により奉仕の結果が生まれます。先に示した
ように、奉仕の本来の要素である Q.Q.M. 正しい品質 Right
Quality、正しい量 Right Quantity、正しい行動様式 Right
120
Mode of Conduct はその人個人の精神的、知的、肉体的な達成
度を超えることは出来ません。
Q + Q+ M = 結果です。S+I+P=原因です。精神力 Spiritual,
知力 Intellectual, 体力。原因に注力すれば結果は自ずから出
てきます。最後に、ロータリーの奉仕哲学を学ぶ人は個人の背
後に最終的に “G” があることを忘れないで下さい。それは万
物の根源であり、全知、全能、普遍の神です。
もしも貴方が唯物論者なら神の代わりに造物主と呼んで下
さい。事実をありのままに認めることが肝要です。全ての創造
物には創造者がいます。これは宗教家であれ唯物論者であれ認
めざるを得ない純粋理論です。
原因は元来自ら持っていないものを作り出せません。多様な
生命の中には、特に人間には知能があります。唯物論者は人間
の発生原因を“偉大なる未知のもの”と呼ぶでしょうが、超知
能なものが存在しているという事実を純粋な理論として認め
ざるを得ないでしょう。もしも、これをお読みになっておられ
る方が神という言葉がお好きでなければ摂理 Providence と
呼んで下さい。もしも摂理という言葉がお好きでなければ、ハ
イフオンで連結して Pro-vide-nce 供給と呼んで下さい。供給
された全ての物には供給者が存在します。全ての結果には原因
が存在します。人間は結果です。同様に樹木、鳥、野菜、馬、
石も全て結果です。世界中の最高の主婦、調理師といえども食
物を供給できません。彼らに出来ることは食べ物を料理するこ
とだけです。家族に衣、食、住を最も豊かに与えている主人と
121
いえども、それら製品の原材料を作ったり供給することは出来
ません。
金銭は価値の象徴に過ぎません。金属、ゴム、材木の世界一
の職人は創造主が授けた天然素材を組み合わせているに過ぎ
ません。摂理によって授けられた天然素材は人間の手と心によ
って形作られ人類に有用な奉仕に役立っています。しかし奉仕
の哲学の真の思慮深い研究者は奉仕の実践にどれだけ尽くし
ても、無限大の力の存在を考えると謙虚にならざるを得ません。
彼にとって創造主は偉大なる未知のものであり、最後までその
恩寵に浴して、その助けがなければ自分一人では何事もなし得
ません。
賢者の格言によれば、ほとんどの人は考えません-彼らは考
えていると考えているだけです、そして或る人々は考えている
と考えていることを考えているに過ぎません。この物質主義の
時代には奉仕の哲学の上辺だけの研究者と同じような人々が
居ます。彼らは、英国の優れた作家、ギルバート・K・チェス
タトンが指摘した非論理的な人々に似ています。自分の好みに
合ったものを考え出すことが出来ないので、神の存在を認めな
い人々がいるが、それは自分の父親を創る特権を主張する子ど
ものようだとチェスタトンは述べています。
他者に対する奉仕は何を表しているのでしょうか?
答え
は簡単です。それは愛の客観的な表明です。仲間に対する愛を
証明する唯一の方法は仲間に対する奉仕しかありません。愛と
いう言葉を科学的に解釈すれば、それは宇宙に於ける最も建設
122
的な力です。その反対語は憎しみです。嫉妬、恐怖、羨望など
の様々な形で現れ宇宙に於ける最も破壊的な力です。愛は作り
ます。憎しみは崩し、壊します。
ハバーディックさんの別の格言が参考になります。“もしも
貴方が自分の仕事を愛さないなら、心配無用。他の誰かが間も
なくそれを奪うでしょう。” もしも雇い主が従業員を広い意味
で愛さないで、彼らに対する愛情を奉仕で示さなければ、何も
心配することはありません。他の雇い主が間もなく、彼らを雇
うでしょう。もしも従業員が雇い主及び彼の仕事を愛さなけれ
ば、彼は未来の成功を築くことは出来ません。世間は全てこの
ように動いています。
最後に、モットーの持つ深い意味を理解するためには、真の
奉仕と追従との間の大きな違いがあることを知る必要があり
ます。度が過ぎれば仇になります。仲間に対する真の奉仕の精
神には追従は全くありません。
真の奉仕の哲学を学ぶためには黄金律 Golden Mean を常に
銘記しなければなりません。世の中で奉仕の原則を真に応用す
る最善の方法は“黄金の原理”を実践することです。奉仕の原
則を成功の法則として説明することは目新しいことではあり
ません。昔奉仕の原則の大先達は成功の法則を作動させる適切
な方法を私たちに語っています。
彼は、自分の大きな欠点を棚に上げて他人の小さい欠点を責
めないように等幾つかの教訓の前置きのあとで、次の言葉を述
べています。“従って、貴方が相手の人からして欲しいと願っ
123
ている全てのことを、貴方も又相手にしなければなりません。”
更に彼は次のことを話しましたが、それについて彼の哲学の研
究者は殆ど注釈をつけていません。彼は次の非常に意味深い五
つの言葉 “For that is the law”を最後に付け加えています。
“それこそが法則だからです。”
彼は“それが或る法則 a law です。”と言わないで“それが
法則 the law です”と言いました。
彼が定冠詞 the を使ったのはそれなりの理由があります。彼
の所説は非常に明確且つ具体的であり、人間関係の唯一の基本
原理だからです。
皆様は誰かが或る牽引の法則とか或る重力の a 法則と言っ
たことをお聞きになったことがありますか? 私たちは何時も
それが the 法則だと言います。というのはそれが唯一の法則だ
からです。それと全く同様に奉仕の法則のこの先達は“黄金の
原則”に続いて“それが the 法則だと述べています。
更に彼は非常に大事な言葉を三つ “And the prophets” を付
け加えています。彼の弟子達はこの最後の言葉を
p-r-o-p-h-e-t-s 預言者と綴りました。 しかし私たちはこれを
p-r-o-f-i-t-s 利益と綴っても良いでしょう。
この置き換えが正しいことは次の事実により明らかです。世
界中のあらゆる職業の全ての職場で 場所、誰でも他の人が彼
に対してして欲しいと願っているあらゆる全てのことを大小
を問わず他の人に尽くしたら、彼は彼の行いの質が正しかった
ことと、行いの度合いおよび行いの仕方が正しかったことがい
124
づれ分かるでしょう。従って、彼の他の人への奉仕は正しくな
るでしょう。更に自尊心、他の人からの尊敬および物質的な収
益の増加に現わされた彼の報いは真に当然の結果です。
利己主義は全て破壊的です-他の人に対する奉仕は建設的
です。他の人に対する奉仕は啓発された自己利益であり、そえ
に反して単なる利己主義は無智による自己破壊です。それ故、
-“最もよく奉仕する者、最も多く報いられる。”ことになり
ます。
東 昭二(上郡 RC)
125
訳
1921 年
エジンバラ大会
1921 年、スコットランドのエジンバラで国際大会が開催さ
れました。
国際大会が初めて大西洋を越えて、外国で開催されたことを
記念して、「国際奉仕」に関するドキュメントが発表されまし
た。「奉仕というロータリーの理想に結束した職業人の世界的
友好による理解、善意および国際的平和の増進」という文章は
あまりにも美しく心を打つ文章だったので、翌 1922 年に、ロ
ータリーの綱領として採択され、現在の綱領第 4 項に引き継が
れています。
1921 年のエジンバラ大会におけるシェルドンの役割につい
て、ポール・ハリスは This Rotarian Age の中で次のように
述べています。
1921 年のエジンバラ大会に際して、プログラム委員会はア
メリカ人が理解している奉仕理念を、イギリス人に説明する最
適任者としてシェルドンを招待し、彼は喜んでこれを承諾しま
した。この時のシェルドンのスビーチを聞いた人は、今なおそ
の素晴らしさを讃えています。
英語圏の国々で、シェルドンの信奉者のいない国はありませ
ん。特に外国のロータリー指導者の中には、彼を師と仰ぐ人は
極めて多く、シェルドンの信奉者はみな素晴らしいロータリア
126
ンになっています。
シェルドンが今なお、自らの理念追及に専念している様は、
四分の一世紀前の彼といささかも変わっていません。現在、彼
はアメリカやそれに賛同する国の小・中学校において、彼の倫
理観を授業に取り入れることに望みをかけています。柔軟な若
者の頭脳こそ、彼の理念を育むのに最適であると考えたからで
す。シェルドンは永久に勇退しないでしょうし、満足すること
もありません。理念の追求は彼の生活そのものだからです。
(田中 毅訳)
かねてから、イギリス
やヨーロッパ大陸では、
シェルドンが提唱した
「profits」という言葉に
対する反発が非常に強
く、毎年のように国際大
会に於いて、このモット
ーを廃止しようという
提案が、出されていまし
た。その批判の根底にあ
ったのは、彼の思考の中に神や宗教に関する記述がほとんどな
いことに加えて、職業を天職として捉えず、販売学の一分野と
して学問的に解析していることでした。世襲制で代々職業が受
け継がれてきたこれらの国では、職業倫理を守ることは当然な
127
ことであり、「わざわざ、profits を強調する必要はないし、こ
んなモットーを使う必要もない。アメリカのような新興国は必
要であったとしても、我々には不必要だ」という理由がまかり
通っていました。従って、このモットーの真意を説明して、こ
のモットーに対する廃止運動を、少しでも和らげようという意
図を持って、反対運動の中心地であるイギリスで講演を行った
ものと思われます。
この大会に出席したシェルドンは、6 月 14 日の本会議で、
「Rotary Philosophy」と題するスピーチを行い、参加者に大
きな感銘を与えました。このスピーチ原稿は、国際ロータリー
クラブ連合会第 12 回年次大会議事録に収録されています。
この講演の中から、幾つかの論点をご紹介してみたいと思い
ます。
He profits most who serves best というロータリーの奉仕哲
学は、自然の法則であり、宇宙の摂理にかなった法則です。絶
対的なもの、絶対不変なもの、これがロータリーの職業奉仕理
念であると述べると共に、一般的な哲学とロータリーの奉仕哲
学との関連性について、詳しく解説し、ロータリーの奉仕哲学
は、継続的に利益を得るための人間関係の基本的原則であると
結論付けています。
奉仕哲学は、原因によって結果が証明できる科学であるとい
う前提から、「奉仕」と「自我」と「利益」の関係を明快に説
明しています。すなわち奉仕の原理は継続的に利益を得るため
128
の人間関係の基本的な法則なのです。一見さんだけを相手にし
ていたのでは、事業の発展はありません。顧客がリピーターと
なって何回も訪れ、また別の顧客を紹介してくれるから、その
店は発展していくのです。職業奉仕とは、リピーターを得るた
めの科学的かつ道徳的な経営方法なのです。リピーターが再三
訪れる店は、当然のことながら高い商道徳を持っているはずで
す。職業奉仕の実践は結果として高い職業倫理に繋がるのです。
シェルドンは奉仕の原理を人間関係学から説き、その結論とし
て、He profits most who serves best というロータリーの奉仕
理念こそ、宇宙の摂理にかなった、絶対的な法則であることを
強調しています。
シェルドンは「あなたは何のために仕事をしているか」とい
う質問をしています。95%の人はお金を儲けるために仕事をし
ていると答えるでしょう。そう答えない人も、内心はそう思っ
ている人が大部分ではないでしょうか。しかし、お金を儲けよ
うと思って仕事をすることが、事業を失敗する一番大きな原因
なのです。
彼が述べた正解は、「自分の職業を通じて社会に奉仕をする
ために仕事をする」ことです。そのように考えながら自分の職
業を営んでいる人は何人いるのでしょうか。
それでは、同じ質問を医者や弁護士などの専門職の方にして
みましょう。「あなたは何のために仕事をしているのですか」
と聞いた時、金儲けのためと答える方は多分いないと思います。
内心そう思っているとしても、はっきりとそうは言えない立場
129
にあるのが専門職務の人たちです。
元来専門職務というのは、自分の技術を社会に提供する、す
なわち社会に奉仕をすることによって、生計を立てています。
感謝の念を持った報酬を受け取ったとしても、自分から対価を
要求することはできません。相手に金がなければ、それも仕方
がないことです。相手の身分が高かろうが低かろうが、報酬が
高かろうが安かろうが、自分のもてる力を最大限尽くしながら、
自分の職業上の技術を提供するのが当然の義務とされていま
す。技術の提供を受けた人が感謝の念を持って、ある時は金銭
で報酬を支払うかもしれませんし、ある時は感謝の言葉だけか
もしれません。ある時は自分の肉体的な労働でお返しをしてく
れるかも知れません。たとえ、何の見返りがなくても、それを
よしとするのが、専門職種の人たちの職業観のはずです。
専門職種の人と同じ職業観を、ビジネス界の人たちにも持っ
てもらおうというのがシェルドンの考え方です。報酬を受ける
ために仕事をしているのではなく、職業を通じて社会に奉仕し
たから報酬を受けているのです。従って、社会に大きな奉仕を
すれば、必ず大きな報酬が得られのだし、少しか奉仕をしなけ
れば、少しの報酬しか得られないのです。
彼はそのことを納得させるために面白い例をあげています。
今この会場に、世界中の靴屋さん全員が集まったと仮定します。
靴製造の技術を持っている人、その商売をやっている人、それ
から靴技術のノウハウ、機械、そういったもの全てがこの会場
に集またと仮定します。そこに大きな地震が起こって、全てが
130
なくなってしまったらどうなるでしょうか。世界中から靴に関
する人材も技術も製品も全部消えてしまえば、皆、非常に困る
に違いありません。その事態になって始めて、靴屋さんという
職業は、儲けるためにだけあるのではなくて、靴という品物の
提供を通じて社会に奉仕するためにあることが分かるのです。
これと同じことが、全ての職業に言えると、シェルドンは述
べています。
社会生活において我々が幸福(H)と
感じるのは、金銭すなわち物質的な安
定(M)をベースにして、同僚からの愛
や尊敬(L)を受け、自らの良心や自尊
心(C)を保つことです。
職業奉仕の実践によって得られる
profit は、あくまでも金銭的な利益のことであり、精神的なも
のは全く含まれていません。何故ならば、如何なる手段を弄し
ても大金を儲けることを夢見ている当時の人たちに対して、幾
ら精神論を説いても聞き入れられるはずもなく、シェルドンは
従来の方法に代わって、経営学の立場から、科学的かつ合理的
に事業を発展させる方法、すなわち金を儲ける方法として、職
業奉仕の重要性を説いたわけです。ただし、この幸福の三角形
の説明の中で、物質的な富によって得られる精神的な価値とし
て、同僚からの愛と尊敬および良心と自尊心をあげていますが、
これとて、物質的な富によって得られる精神的な価値と、はっ
131
きりと前置きしているのです。
日本人は、儒教や東洋的な発想から、profits を精神的なもの
と解釈する傾向がありますが、シェルドンはっきりそれを否定
しています。正しい経営をすれば必ず富が得られるのですから、
彼の思考の中には「清貧」などという発想はありません。清く
正しく事業を営めばかならず裕福になるはずなのです。
次に、奉仕の三角形を説明していま
す。満足感のある奉仕(S)をするために
は、先ず、正しい状態(M)(正しい人間
性・人格、正しい事業の管理状態)で
あることが大切です。日常生活におい
て呑んだくれであったり、嘘つきであ
ってはなりません。次に正しい質(Q1)
が必要です。私が医者ならば、正しい技術を持って高度な医療
活動をすることです。さらに、正しい量(Q2)が必要です。これ
は多くの患者に医療活動をすることです。その三者がそろえば、
満足できる奉仕活動ができます。
三番目の三角形は、意思の三角形で
す。幸福であろうと、正しい奉仕活動
であろうと、それを左右するのは意思
の力如何にかかっています。自らの強
い意思の力(V)を発揮しようと思えば、
132
先ずその人が持っている認識能力(I)がしっかりしたものでな
ければなりません。更に精神的な能力(S)と肉体的な能力(P)が
しっかりしている必要があります。この三つの能力が一体とな
って始めて素晴らしい意思の力ができるのです。
そして最後の三角形は、全てのことが
らは、宇宙の摂理によって支配されてい
るということです。私たちが意識する、
しないに関わらず、全てことがらは、全
知(O)全能(O)で普遍的存在(O)である創
造主(P)、すなわち、全ての物質の提供者
でもある自然の摂理によって支配されているのです。
この世のすべては自然の法則によって定められているとい
うのがシェルドンの考え方であり、彼はそれを「宇宙の摂理」
と表現しています。その「宇宙の摂理」を定める本家本元を
「Provider 創造主」と表現していますが、彼が敢えて「Provider
創造主」という言葉を使って、何故「God 神」という言葉を避
けたのかは非常に興味あるところです。彼の論文の中には God
という言葉はあまり使われておらず、Provider の説明文の中で
「もしあなたが Provider を神と訳したければ、そう訳しても
かまわない」と注釈を入れているのも非常に気になるところで
す。
シェルドンは奉仕理念の構築に当たって宗教色を排除して、
科学として説明を加えていることが大きな特徴です。彼の職業
133
奉仕理念には職業は天職だという考え方はありません。従って、
ルターやカルビンやマックス・ウエーバーの理論からロータリ
ーの職業奉仕を説くのは間違いです。イギリス人が He profits
most who serves best のモットーに反発するのも、このモット
ーを作ったシェルドンを快く思わないことにその理由があり
そうです。
次章でロータリー哲学の全文をご紹介します。
134
ロータリー哲学
委員長、ご婦人方、ロータリアン諸君。
私は人生街道を歩んでいく中で幾たびかの栄誉を受けまし
たが、今日のロータリーの力強い活動が、創立当初に、私のお
気に入りの
のですが -
―
お気に入りと言っても差し支えないと思う
精神的な作品が、金言のごときモットーとして
採択されたという事実に起因していることに勝る栄誉はあり
ません。 その喜びが一層高まったのは、私のテーマが発表さ
れて以来、私が受けた数多くの暖かい反応によって、私のモッ
トーがあなた方に認められたという喜びが確実になったこと
です。
プログラムからも判る通り私のテーマは「ロータリー哲学」
です。私のスピーチを文書にしたためて出版委員会に提出しま
したので、私のスピーチは既に終わったも同然です。
私はスピーチ原稿を船の中で書き上げ、「フォーラム」の編
集者にそれを読むように依頼すると、彼はそのことを聞くや否
や「シェルドンさん。あなたはなぜ、スピーチ原稿を書かずに
本を書いたのですか?」と言いました。皆さま方はすでにスピ
ーチが済んだことを知って、さぞかし嬉しいことだと思います。
(笑い)。
後ほど文書としてお読みいただくことが可能だとは思いま
すが、ロータリーの根幹をなす奉仕哲学の基礎を作るために全
135
力を傾注した「ロータリー哲学」について、その一部始終をお
話したいと思います。この種類のプログラムにおいて、他人の
権利を侵害しないで私たちがベストを尽くためには、基礎的な
幾つかのことをする必要があります。言い換えれば、最も重要
な幾つかの点に触れる必要があります。
ロータリアン・シェルドンは上記のような前置きの後、原稿
無しで、前置きで触れた演題の趣旨に沿って、45 分間にわたっ
て国際大会の注目を一身に浴びました。彼の演説は拍手のため
に途中何度も中断し、演説が終わると感極まった歓声があがり、
そのメッセージが深い感銘を与えたことは疑いの余地はあり
ません。聴衆は全員が総立ちになり、シェルドンが立ち上がっ
て熱烈な歓迎に応えるまで、歓声は鳴り止みませんでした。
この論文は、全文が正式記録として議事録に挿入されていま
す。
カリフォルニア州の北部のシッソンの近くに三つの泉が湧
き出ています。シャスタ山に降る万年雪に源を発しているので、
泉が枯れることはありません。三つの泉が合流して、一本の小
川になり、その道すがら、他の泉や小川が合流してサクラメン
ト川になります。それぞれの小川や泉の力を加えた力強い大河
になって、最後は海に達します。
源となっている小さな三つの泉を見た旅人は、小さな出発が
大きな可能性につながるという教訓を学びます。
136
大河はこの教訓の主人公ではなく、小さな泉の出発から力強
い活動が生まれるのです。
数年前、私達の尊敬すべき創立者である名誉会長は、昼食を
取るために、シカゴで 3 人の友人と会いました。彼らは何回も
会合を重ねながら、そのグループを大きくしました。彼らは、
ウィリアム・モリスの「親睦は生であり、親睦の欠如は死であ
る」という言葉を実感しました。
昼食を取りながら友愛の喜びを味わい、「人はパンのみによ
って生きるものに非らず」という言葉の真意を悟ったのです。
彼らは人類愛の素晴らしさを、現実のものとして感じました。
彼らは例会を永久的なものと決めて、最初のロータリークラブ
を作ったのです。その活動が始まった当初は、それが建設的な
影響力を持った流れの出発点となり、結果的には世界中に広が
って、人類の王国の遥かかなたにまで達することを夢見ること
など、ほとんど考えていませんでした。しかし、ロータリーは
それを成し遂げたのです。今日ロータリーは全世界における恒
久的な善意という考え方を、人間の思考の広大な海に培いまし
た。その影響力は、直接的にも間接的にも極めて大きいのです。
シカゴにおける例会という泉から流れだした川は、建設的な考
え方という湾岸の潮流となって海を渡り、兄弟愛という絆で大
陸を結びつけたのです。
組織が誕生してから僅か 12 年しか経っていない今日、アメ
リカから参加した 2000 人以上の人々と共に、歴史的都市エジ
ンバラで国際大会を開催しているのです。
137
エジンバラとイギリスに祝福を。国王と共和国大統領のご健
勝を。ロータリーがアングロサクソンの民族を融和させ、すべ
ての国家が奉仕の精神に基づいた目的と行動でより緊密に結
ばれますように。
現在力強い活動をしている開拓者が、仮に、初期の時代にこ
の国際大会を予言したとしたら、実現できない夢を夢想する夢
追い人だと思われたことでしょう。このようなことは国際大会
の歴史上前代未聞のことです。海を越えて国際大会に代議員を
運ぶために、2 隻の汽船をチャーターしたことは世界で初めて
のことであり、とてつもなく大きな事業が成功裏に実施された
のです。
これは、歴史が浅いにも関らず、ロータリーが偉大な力を持
っていることを証明する最大の評価です。ロータリーは人を作
り、事業を作り、地域社会を作り、さらに世界すらも作る能力
を持っている、驚くべき予言なのです。
ポールや同僚の開拓者たちは、ロータリーを始めた当時認識
していたよりも、もっと素晴らしいものを作ったのです。 人
間は、ダマスカスに向かって旅立った、もうひとりの偉大なる
法律家ポールが見た偉大なる光を見たのかも知れません。ポー
ルが健やかに繁栄し、更に光り輝き、多くの使徒を送り続ける
ことをお祈りします。
さて、今ここで、ロータリー哲学というテーマで講演するこ
138
とは、私の義務であり、特権でもあります。
皆さま方から、講演をするようにご招待されたこと、それが
特にこの機会だったこと、さらに、このテーマが与えられたこ
とは、極めて名誉なことです。この名誉を与えられたことを心
から感謝しますが、この名誉を受け入れることに、いささかた
めらっています。まず、ロータリーの人生観をすべての人が満
足するように述べることは、かなり難しいことです。人間関係
学が発展段階にある現状ではなおさらのことです。
人間関係に関する全般的な自然の法則が、一般的に理解され
るまでは、奉仕哲学に関する人間の意見も、ロータリー哲学に
関する最終的な分析も意見が分れるところです。実態に即して、
もっと謙虚に、この論文をロータリー哲学ではなく「ロータリ
アンの哲学」と題した方が、適切だったかも知れません。そう
すれば皆は、もっと自由に考えることができ、徐々に発展して
いく過程にあるロータリー哲学に対する示唆に富んだ論文に
なったのかもしれません。しかし、その難しさは、ロータリー
に対する奉仕を証明したいという私の希望を引き受けたこと
に対して、ためらいを感じている唯一の要因ではありません。
この根本的な重要なテーマを論ずるに当たって、「哲学」とい
う言葉を若干疑いの目を持って見ている人がたくさんいると
いう事実に全く気づいていないわけではありません。
「科学」という言葉を人間関係や、特に商工業に適用しよう
とすると、多くの人たちが眉をしかめ、肩をすくめた時代は、
そんなに昔ではありません。そして、
「哲学」という言葉は、
「科
139
学」という言葉よりも更に「知的な」言葉でした。製造や配布
に関連して、
「科学」という言葉を使うことに対する先入観は、
ほぼなくなり、今日の経験に富んだ実業家は、「科学」という
言葉は進歩をもたらす使者、質や量や経済の母として、一般的
に歓迎しています。しかし、科学の信奉者を含めて、哲学を理
論的な抽象概念と結び付け、一般的に敬遠する傾向が強いので
す。
ロータリーの会員は事業と職業人の階層から大部分が選ば
れており、もしロータリーがすべての人たちから受け入れられ
る明確な哲学を持つ必要があれば、それは実践可能なものでな
ければなりません。実践哲学は、毎日の生活、家庭で、職場で、
市民として、政治関係の中で、ロータリアンとしてうまく適用
できるものでなければならないのです。それは実践可能で、有
益な哲学でなければなりません。この事実は、ロータリー哲学
を発展させるという私たちの義務と、大きな責任の両者を結び
つけるものです。これは私達が現在生きている証として、特に
重要なことなのです。
大きな出来事が起こっています。人類のいろいろな要素を含
んだ考え方は、変遷のるつぼの中にあります。
現在生きている百万人もの人たち、まだ生まれてこない数百
万人の人たちの幸福や苦難を大きく運命づける基本的な方針
は、未だ構築の過程にあります。
第三のオルガヌムという表題の本の中で、作者は、アリスト
140
テレスを超えたアリストテレス流に、ベーコンを超えたベーコ
ン流に、次のように述べています。
「どの瞬間においても、世界の未来はあらかじめ運命づけら
れていますが、それは条件付きで運命づけられるのです。新し
い事実が起こらない限り、その瞬間に起こった出来事の進み具
合によって、全く別の未来になります。新しい事実は、意識お
よび意識から生じる意思からのみ生じます。」
世間がこの事実を認めるか否かにかかわらず、ロータリーの
原点とも言える奉仕の原則は、自然界における事実を表すもの
です。事実、それは、調和と利益をもたらす人間関係をコント
ロールし管理する法則を示しているのです。
もし私たちが、この国際大会に集った諸会社や国家の運命を
決定する人たちに、私たちのメッセージを伝えることに成功す
れば、この大会が歴史的で、建設的な影響力が大きいものにな
ることは言うまでもありません。
「奉仕の原則」というロータリーが根底としてきた基本的事
実は、新たなものではありません。
事実、この原則は、他のすべての自然の法則や原則と同じよ
うに、いつも存在していました。しかし、人間性の法則として、
この事実を認識することは、比較的新しいのです。 世界の実
業家たちが、その法則を認識し適用すれば、人類の歴史上、今
「与えられた瞬間」に為すべきことの方針を決める上で、極め
て大きな可能性を秘めることになるのです。
141
ひとたび、「奉仕の原則」が人類の意識下に入り、その結果
生じる「意思」が個人や会社や国家の方針を決定すれば、文明
の保持と進歩は確実です。
「哲学」いう言葉の正しい意味と重要性を十分に理解してい
ない人たちにとって、また、「奉仕哲学」が普遍的な自然の法
則としての「奉仕の原則」を理解することから発展したことを
十分に理解していない人たちにとって、上の説明は、途方もな
い考え方かも知れません。
事実を保守的に説明するよりも、むしろ、愛国的な情緒主義
性のせいにされるかも知れません。
しかし、何れにせよ、歴史上のこの重大な時に、この説明の
途方のなさや情緒主義に深入りする暇はありません。
そこで、以下のことについて、真剣に考えてみましょう。
1. 哲学とは何ですか
2. 奉仕哲学とは何ですか
3. どんな効果が、奉仕哲学の普遍的な理解と実践から自然に
流れでるのですか
4. 私たちはなぜ奉仕哲学を確信して期待するのですか
5. 何時のことですか
6. 奉仕哲学の普遍的な理解と実践をもたらすために、私たち
はロータリアンとして、どのようにしたらいいのですか。
142
哲学とは何ですか
倫理学の分野における彼の貢献をよく知っており、すべての
人たちから尊敬されているウィリアム・ハミルトン卿は、哲学
についていくつかの定義をしています。その中の幾つかを紹介
すると、次の通りです。
1.「哲学とは、基本原則から推測される事柄に関する科学で
す。」
2.「哲学とは、適切な目的に対して推論を適用することです。」
3.「哲学とは、原因による結果の科学です」
ハミルトンと、かの著名なフィヒテは共に、「哲学は科学の
中の一分野です」と語っています。すなわち、その他すべての
科学の発見から得られた結論を系統的に組立てて、その結果、
少なくとも一般の科学によって明らかになった真実を適用す
る方法を解明するのが哲学の本領なのです。
従って、ウィリアム・ハミルトン卿のような権威者によれば、
哲学は、それ自身が科学、実際は科学の中の一分野であり、前
にも述べたように、現在殆どの実業家は、科学(普遍的事実の
系統化)として喜んで請け入れ、製造の分野においては産業の、
配布の分野においては商業を含む、人間活動のすべての分野で
活用しているのです。
「定義 1.」から「推測される科学」
、
「適切な目的に対して推
論を適用する対処」、
「原因による結果の科学」このような思考
体系は喜んで歓迎され、熱狂的に実行に移される建設的な力で
143
あることは確かです。そして、ロータリー哲学はハミルトンの
基準にすべて立脚しているのです。
ウィリアム卿の言葉を熟慮すれば、私たちは、この言葉を使
うことを躊躇する理由がまったくないことが、よく判ります。
もし私たちが人間関係を本来の水準まで高めるために役立と
うとするなら、世界中の実業家や専門職種の人たちが、普遍的
な「基本原則」によって親密さを増し「適切な目的に対して推
論」を適用し、「原因と結果」の普遍的な法則を研究する絶好
の機会です。
そのことを知っているか否かにかかわらず、私たちは、運で
はなくて、法則の分野で生活をしているのですから、これらの
法律を理解し適用するのは当然のことです。
私たちが使う「哲学」という言葉の真意は、これで十分でし
ょう。
奉仕哲学とは何ですか
ロータリー哲学は奉仕哲学です。当然のことながら、「超我
の奉仕--最も良く奉仕するもの、最も多く報いられる」という
モットーの源泉から流れでています。
「ロータリー哲学は奉仕哲学です」と述べるのは、簡単なこ
とです。しかし、奉仕とは何でしょうか。
精密な分析をしなければ、「奉仕」という概念は抽象的で漠
然としたものに過ぎません。後ほど、この言葉の精密な分析を
144
するつもりです。
ここでは既に簡単に述べたように、ロータリーが根底として
いる「奉仕の原則」は自然の法則、言い換えれば、調和が取れ
て有益な人間関係の基本的法則であるという事実を指摘して
おきたいと思います。
私たちはこの法則を「原則」と呼びます。しかし、「原則」
とは何でしょうか。
「原則」とは基本的な法則です。しかし、すべての原則は法
則ですが、すべての法則は原則ではありません。
自然の法則を原則の基準にまで高めるためには、基本的また
は支配的な法則、創造的な法則、同じような一般的な性格を持
った他の自然の法則を包含した自然の法則でなければなりま
せん。
原則とは、自然の法則であり、自然の法則とそれに関連する
その他の自然の法則は、海に注ぐ川の流れのように、最終的に
は出発点から到達点に流れていくのです。
そして「奉仕」の概念は人間性の法則であり、人間関係の他
の自然の法則とまさしく同じ関係なのです。従って、「奉仕の
原則」と呼ぶのが適切なのです。
自然は、無機物界、植物界、動物界、人間界の四つで表しま
す。
科学は、長い間、これらの三つの低いレベルの世界における
自然の法則について、数多くの仕組みをうまく解明して、人間
145
は徐々に支配力を強めてきました。
人間はこれらの世界における自然の法則の理解と適用を深
めて、支配力を得つつあるのです。
例えば、人間はずっと重力の法則や引力の原則を認めてきま
した。アインシュタインはその説明の正確さに疑問を唱えるか
も知れませんが、その普遍的な作用をよく理解しているので、
彼が自殺したいと思わない限り、ロンドン塔のてっぺんから飛
び降りるべきではないことを、よく知っています。
人間は磁気の法則や数学の法則や力学の法則や化学の法則
をよく知っています。人間はこれらの法則を利用して、その作
用によって結果が得られることが期待できれば、これらの法則
と調和を保ちながら働くべきだという事実を認めなければな
らないのです。
人間にも、人間界の自然の法則があるという事実を認め、そ
れを普遍的に適用する機は熟しているのです。
「奉仕の原則」が人間関係の自然の法則であることは、まさ
しく、物体に対する、重力の法則や引力の原則と同様なのです。
以下の事実を指摘します。
1. 空気よりも重たい静止物体は、それを支えているものを取
り除けば、地面に向かって落ちてくるのは当然のことで
す。
2. どんな業種でも、事業は、その生産物を通じて世界に最も
よく奉仕している業種の会社に魅きつけられるのは当然
146
のことです。
3. 概して、従業員に最善の奉仕をしている業種の会社に、良
質の従業員が魅せられて、魅きつけられるのは当然のこ
とです。
4. 会社に対して最善の奉仕をした、組織に属する個人に魅力
を与えるために、昇給や希望する昇進を与えるのは、当
然のことです。
このように、私たちは、奉仕の自然の法則には、いささかの
病的な感情も入っていないことが判るのです。それが、健全な
経済に関する基本的な法則です。
世界中の人たちは、人間界における「適者生存」の法則は、
肉体的にも精神的にも最も強い者が生き残る法則であり、肉体
的、精神的な力は利己的に行使すべきであるという誤った信念
の下で、長い間働き続けてきました。
ここから、肉体的、精神的な力が正義であるという誤った主
義主張が起こったのです。
「自己」
「私」
「個人」は本来、自己保存の願望を持っていま
す。自己保存という自然な願望は、人間性の確固たる原則です。
私たちが犯した過ちは、自己保存しようという自然で、唯一正
しく、確実な手段を理解できなかったことです。
適者生存の法則は、肉体的、精神的な力を利己的に行使して
生存する法則ではありません。それは最も奉仕する者が生き残
る法則であり、精神力や正義感が、その力を作る自然的要素の
147
一つなのです。
最も良く奉仕をした者が、最も良く利益を得、最も良く生き
残れるのです。自己を保存する方法は、他人に対して奉仕をす
ることです。他人に対する奉仕は、自分の利益を確立すること
です。利己主義は自滅への道です。他人に対する奉仕は、自己
啓発と自分の利益を守る道です。
ロータリー哲学は、その考え方を死守することです。商工業
関係における、奉仕の法則の適用と発展の歴史は、非常に面白
いものです。ここで、その傾向を簡潔に要約してみましょう。
ごく初期の雇用主と従業員との間の雇用関係では、世界中の雇
用主は、従業員から雇用主への最善の奉仕を最大限望み、期待
し、要求してきました。商工業の初期の時代では、取引は物物
交換であり、雇用主は従業員が顧客に奉仕することを望んだり
期待していませんでした。従業員は、雇用主が顧客を増やすこ
とを手助けすることが期待されました。
言い換えればほんの数年前に、世界中の雇用主は、雇用主と
従業員の両方を含む会社全体からの、顧客に対する奉仕の素晴
らしさこそが、顧客からの継続的な利益を保障する唯一の可能
性を秘めた方法であるという簡単な理由から、顧客に対する良
い奉仕が健全な経済学であるという事実に気がついたのです。
これが、製品の購入者との取引関係の永続性を保障する唯一の
方法なのです。この事実がはっきり理解されるや否や、雇用主
は従業員から雇用主への奉仕の一要素として、従業員から顧客
に対する奉仕を要求し始めたのです。
148
今や私たちは、雇用主たちが、ごく普通に、奉仕の法則が重
力の法則と同じように普遍的な法則であるという事実に気付
き、雇用主から従業員へだけではなく、従業員から雇用主に適
用する時代に入ったのです。雇用主たちは、雇用主から従業員
に対する奉仕だけではなく、顧客に対する奉仕も健全な経営で
あることに気付き始めています。
すべての雇用主がこの事実に気付かなければなりませんし、
すべての従業員も、雇用主に対して奉仕すべきであることに気
付かなければなりません。炎を弱めて、より多くの熱を期待す
ることは、理論的に不可能です。それは自然の法則に反するこ
とであって、不可能なことです。
この簡単な、しかし、最もすばらしい事実の普遍的な適用は、
商工業関係の財政的均衡と経済収支に関する傾向として、直ち
に開始されるに違いありません。しかし、この法則の適用は、
自然で普遍的なものとして認識されなければなりません。雇用
主だけがこの法則の適用を強制することはできないし、従業員
も同様です。双方が、お互いの関係に、それを適用しなければ
なりません。
ロータリー哲学は、財産権と政府の権利を断固として支持し
ます。そして、世界中の雇用主のあらゆる権利、恩恵、特典を
支持すると同様に、世界中の従業員のあらゆる権利を支持しま
す。
この件に関しては、いかなる種類の「権利」であっても、ロ
ータリー哲学は、ゆるぎなき基本的な事実に立脚しているので
149
す。世界中のすべての個人、すべての会社、すべての国の生活
は、総勘定元帳のようなものだという事実を指摘したいと思い
ます。貸方には権利、恩恵、特典があります。
借方には、義務、約束、責任があります。
真のロータリアンならば、個人や会社や国のすべての権利や
恩恵や特典は、単なる結果か、まぼろしに過ぎないものであり、
これらの権利が創造された自然の方法である、自然の義務や約
束や責任を欠けば、その実在性はまったくないと、主張するの
です。
世界中の雇用主や資産家が、他の人たちの財産所有権と雇用
に付随する彼らの完全な自然の義務、約束、責任のすべてを実
現させるなら、自分たちの完全な自然の権利、恩恵、特典の取
得と保全について心配する必要がなくなるのです。
まったく同じような推論で、世界中の従業員が、彼らを雇用
している人たちに対する完全な自然の義務、約束、責任のすべ
てを実現させるなら、従業員としての完全な自然の権利、恩恵、
特典の取得と保全について心配する必要がなくなるのです。
国家間相互の関係についても、同じことが言えます。なぜ、
大英帝国が植民地の主権者なのでしょうか。それは、大英帝国
が植民地の主権的奉仕者だからです。大英帝国の国策は、ウエ
ールズ皇太子のコートの腕に描かれている「私は奉仕する」と
いうモットーに由来しています。その源泉から流れる水は純粋
です。奉仕の国策は永続性のある強い力を持っています。大英
帝国は日の沈むことのない植民地全体を統治しており、それは
150
軍事力の鉄の絆ではなく、植民地に奉仕するという絹のような
柔軟な規約なのです。
これと同じように、国家間には、成文化されていない自然の
法則があります。国が他の国に奉仕するのに応えて、他の国が
その国に奉仕するのです。私たちが、他の国に与えたものを、
受取るのです。世界大戦はそれを立証しました。私たちはその
教訓をよく学び、そこから何かを得なければなりません。
世界の総勘定元帳は、現在、バランスが取れていませんが、こ
れは個人、会社、国家の記帳方法が悪いという、非常に単純な
理由からです。
適者生存の法則とは、最も強く最も利己的な者が生き残れる
法則であるという間違った信念の下で働いてきたので、何百万
もの人たちが、
「略奪ゲーム」にうつつを抜かし、
「取ることは
いいこと」だという考え方の下で、「取ろう」としてきたので
すが、とどのつまり、この方法が、あちらこちらで問題を起し
たのです。
コージブスキー伯爵は人間工学に関する「人間性のすばらし
さ」と題する彼の著書の中で、次の通り述べています。
「可能な限り略奪するというこのモットーは、一国だけを特
定とているものではなくて、文明社会全体のモットーであり、
人間の特性や人生の潜在的可能性に関する愚かな哲学の必然
的結果なのです。
私たちはどこで、真の原則を見つければいいのでしょうか。
151
真の哲学とは、どこにあるのでしょうか。文明の歴史を遡って
みれば、すべての学問において正しい学問が除外されて、個人
的な意見や理論が私たちの信念を形成し、精神的な成熟過程を
特定な色に染め、私たちの運命を支配してきたことが判りま
す。」
伯爵はさらに、人間の関係の問題に対して自然の法則を認識
し適用することで改善できるという、極めて説得力のある方法
を示しています。彼の言っていることは、正しいことです。い
かなる人間も会社も国家も、人間関係の自然の法則の制定には
何の関りもありません。人間はそれを創ることも破ることもで
きないのです。しかし、自然の法則を破ろうとする個人や会社
や国は、いともたやすく自滅できるのです。
歴史の浜辺には、すべての人間関係の最も基本的な法則であ
る、ロータリー哲学が根底としている奉仕の原則に違反して自
らを滅ぼした、個人や会社や国家の残骸が散らばっているので
す。このようにして、私たちは哲学奉仕がハミルトン卿の「定
義 1.」に一致することが判りました。これは明らかに基本に
対処する学問です。
奉仕哲学とは、適切な目的に対して推論を適用する措置
推論の正統性や自然的役割は、最終的に正当な判断をするた
めに、正しい関係を認識し法則と原則(法則の原因)を識別する
ことです。従ってその最終的かつ最も優れた役割は、背後にあ
152
ることがらに遡って、ものの考え方の原因を見つけることです。
奉仕哲学に、この基準を当てはめてみましょう。商工業として
知られる人たちの事業や活動に当てはめて、少しばかり真摯に
この問題について考えて見ましょう。商工業のすべての分野が
存在する、神聖で自然な理由について、純粋な理由は何なのか
を問いかけてみましょう。私はなぜここにいるのですか。私は
なぜ事業をしているのですか。私の事業はなぜ存在するのです
か。 これらの疑問は、すべての実業家が自問自答する非常に
実用的な問題です。
さて、奉仕哲学は、「この惑星を生活の場にする限り、すべ
ての人間や、商工業やその他の分野の会社として、あらゆる形
で構成された人間の集団が持っている唯一の存在理由は、その
人やその会社の有用性であり、奉仕を実践する程度を示すもう
一つの名前なのです。
」と述べています。
工業と商業は人間活動の二つの最も有用な形態ですが、重要
性と必要性においては、第二位にランクされるに過ぎません。
農業が人間にとって最も有用な職業です。もしも、すべての教
師や弁護士、さらに、すべての医師や歯科医師やその他の人た
ちが、今夜死んだとしても、しばらくの間はどうにかなります
が、もしも、すべての農民が突然あの世に行ってしまえば、私
たちはたちまち大変な苦境に陥ることでしょう。農民の次に来
る、奉仕の悲しい損失は、世界中の生産物の製造と配布に従事
している人たちです。彼らは、まさに非常に大きな奉仕をして
いるのです。そして、ほとんどすべての職業に従事している多
153
くの男女は、彼らの固有の事業の唯一の存在理由は「お金を稼
ぐため」だと間違って信じているのです。これが、彼らが事業
に従事している唯一の理由なのです。
私たちが過去に通り過ぎ、今抜け出ようとしている唯物主義
の時代において、人間は、自らを単なる紙幣印刷機だと考える
傾向がありました。
ロータリー哲学は財産権の敵ではありません。それどころか、
財産権のチャンピオンであり筋金入りの擁護者です。ロータリ
ー哲学は、社会が組織化されている今日、金を持つことが正当
かつ必要であり、将来もづっと続くことは確かだと言っている
のです。
金銭は、価値の万国共通の象徴であり、事実、物質的な富は、
人間の奉仕または頭脳や心や手足などの人間の力の集積を表
すのです。
私たちは、生存するための三つの基本的な必要条件、衣食住
を調達する手段として、金銭を持つ必要があります。私たちは、
最近はかなり自由な供給を得ています。ミルクがたくさん手に
入るので、クリームがもはやトップの座を占めることができな
いと、言う人さえいます。
人間がただ生きているだけではなく、本当に生きていくため
には、衣食住以上のものが必要です。本当に生きるために、人
間は文化という装いを持つ必要があります。そのためには金銭
が必要です。ロータリー哲学は、交換手段としての金銭の必要
性を完全に認め、財産権や正当で公正な政府を否定したり、何
154
らかの方法で崩壊させたり破壊しようとする、如何なる哲学と
も妥協しないのです。
その一方で、ロータリーは、すべての個人やすべての会社が
稼ぎ出す金銭は、原因ではなくて結果であることを、大胆不敵
に宣言します。公正に稼ぎ出した金銭は、奉仕の実践の対価と
して支払われた賃金なのです。
従って、原因に遡って推論すれば、奉仕すなわち有用性が、
商工業会社の存在理由であるばかりでなく、あらゆる人間活動
の存在理由であることが判るのです。
多分、以下の事例が、この基本的事実を明らかにするのに役
立つでしょう。まず最初に、世界中の靴の製造に関するすべて
を知っている人全員が、大会に集ったとしましょう。ブーツや
シューズやその他すべての種類の靴の製造に関するすべてを
知っている、老若男女全員が一堂に会したのです。
次に、靴の製造に使われるすべての機械類が、ここに集めら
れたと考えましょう。
更に、靴の製造技術に関して書かれたあらゆるデータが、こ
の想像の大会が開かれている都市に集められたとしましょう。
大会は議事が進行し、一枚の紙がみんなに配られます。その紙
には、一つの質問、「なぜ、あなたは靴の事業に携わっている
のですか」と書かれています。「なぜ、あなたはその事業に携
わっているのですか」
答を言うために、読心術はいらないでしょう。
大多数の人たちは、正直であり、自分の考え方に従って、正
155
直に答えるでしょう。従って、彼らの答えは、「金儲けをする
ため」に違いありません。
しかし、それは正解ではありません。すなわち、その答えは
全く不健全な人生哲学を反映しているのです。また、この回答
は、100 人中約 95 人が結局は失敗する根本的な理由を示して
いるのです。それは、彼らが事業の存在のための本当の原因に
対する「推論」を適用することに失敗しているからです。
商工業の適切な目的に対して推論を適用するという立場か
ら見た正解は、「私は奉仕の実践をするために事業をしていま
す」なのです。純粋理性は、事業が存在する唯一の正当な理由
は、奉仕であることを、真摯に考えるように彼に語りかけてい
るのです。もしも、この仮想の大会が、今日から 10 年後に開
かれれば、同じ質問に対して多くの正解が得られることでしょ
う。今から 25 年後ならば、ほとんどすべての解答が正解にな
るでしょう。ことによると、すべてが正解になるかも知れませ
ん。
そして、私たちの答えは理論上に過ぎないとか、実行不可能
だとか、さらには浅薄な考えを、誰か真剣に信じたり言ったり
する前に、もう一度、仮想の出来事を活用してみましょう。
この大会の会議中に、地震が起こって、すべての人間の命と、
すべての機械と、そこに集ったすべての記録が破壊されたと仮
定しましょう。突然、地球上には、靴の製造技術に関する知識
を持った人間は、老若男女の区別なくいなくなるのです。機械
も全くありませんし、記録も全くありません。
156
靴の製造技術は、突如として、この人間の世代から失われる
のです。この出来事によって、靴の事業に携わっていない私た
ちが、偉大なる奉仕者を失ったという事実に気付くのに、そん
なに時間はかからないでしょう。
当然のことながら、これと同じ事例は、帽子や服や住居や食
物や、その他人間のニーズや快適さや贅沢のたるに提供される
すべてのものに当てはまるのです。
純粋知性は、卑しい職業だと考えられている商工業の存在に
ついて、本当の理由は、人間社会に奉仕を提供することだと、
単刀直入に私たちに語っています。もしも、これが推論の過程
として真実ならば、人間の精神的概念が形成されたという考え
方は、明らかに正しいのです。
人間ほどの素晴らしい創造物を作ることのできる全知全能
の神が、人間を単なる金儲けの機械、物的価値の蓄積家として
設計したとは、到底考えられません。
まったくその通りです。私たちの直観、私たちの精神的な鼓
舞、私たち人間のすべての素晴らしい力、これらすべては、神
が奉仕をするために人間を地球上に遣わしたことを語ってい
ます。
この事実が、商工業を利己主義の卑しいランクから引き上げ
て、ロータリアンが心から「超我の奉仕」を宣言することを可
能にし、ロータリアンが「最も奉仕する者、最も報いられる」
と高らかに宣言することを可能にしているのです。
私たちの事業が存在する真の理由を意識的に理解すること
157
は、私たちの事業に新しい尊厳と、より大きな栄光をもたらす
ことに繋がります。
この法則の中の法則と調和を保って、意識的に仕事をする人
は、仕事を愛する理由を十分理解して、自分の仕事に心血を注
ぎ、知識と意識を傾注して、自分の仕事を愛することができる
のです。
哲学とは、原因による結果の科学
さて、私たちには、ロータリーのモットーにある(1)「奉仕」、
(2)「利己」
、(3)「利益」という三つの重要な概念の本質につい
て調査する仕事が残されています。
実用的にするためには、私たちは不確実なものを取り除かな
ければなりませんし、正確に分析しなければ、これらの言葉の
一つ一つは、曖昧で漠然としたものに過ぎません。奉仕哲学や
その他の哲学が普遍的な承認を正しく受ける前に、私たちが今、
考えている原因と結果の法則を、最も厳格なものとすると共に、
徹底的な分析と数学のような正確さを持った基準にしなけれ
ばなりません。
科学の光が人間関係の問題に投げかけられ、適用されたとき
に、初めて、文明は等比級数的に進歩し、神の意図する目標で
ある完成に向かって進むでしょう。従って、それが行われるま
では、そのような進歩はないのです。奉仕哲学が、「原因と結
果の科学」として、究極に上り詰め、奉仕の原則という源泉か
ら流れ出る時、ウィリアム・ハミルトン卿による哲学のもう一
158
つの定義と一致する、次の定義をさらに引用しても、さほど大
きな非難を受けることはないでしょう。
「哲学は、神と人間と両者を含んだ原因の科学です」
奉仕哲学は現実に「原因と結果の科学」であり、今示された
「哲学」の定義に合致するという事実を明らかにすると共に、
モットーの三つの基礎概念である自然的要素をはっきりと定
義づけるために、私たちは、「人生を全体的に見れば、四つの
正三角形に象徴化され、最後の三つは同次元のものです。」と
いう説明を前もってしておかなければなりません。
これらの四つの図形を、Gl、G2、G3、G4 に示します。
これらの四つの三角形を考察するに当たって、最初に G4 につ
いて考えてみたいと思います。
利益または報酬 - それ含まれる物質的および精神的要素
左記の三角形(G4)は、「得るこ
と」または受取ることの概念、すな
わち取得の一般概念を表しています。
中心にある文字「H」は、意識的に
かつ科学的に努力するか、またはそ
の方法を知らないので、無意識に探
りあてようとするかにかかわらず、
すべての人間が心底求めている「幸福」という概念を表してい
ます。「L」「C」「M」の文字は、「幸福」または「満足」とい
う合成物を得るために必要な要素を表しています。
159
三角形の左にある文字「L」は「仲間からの愛情」を表して
います。もしこの言葉が、感傷的すぎて、科学的ではないと考
える人がいれば、この要素を「他人からの尊敬」と読んでもか
まいません。嫌われたり軽蔑されたりする仲間を持つ人は、決
して幸福ではありません。
三角形の右にある文字「C」は「良心」の要素を表していま
す。もし「自尊心」という言葉が好きならば、そう読んでもか
まいません。この「良心」は、仲間から愛情や尊敬と同様に、
幸福または満足に必要な本質的要素です。
三角形の底辺にある文字「M」は、賢明に使えば、それが
もたらしてくれる物質的な富や必需品や楽しみや贅沢等の象
徴である「お金」を表しています。
他の人々からの愛情や尊敬、曇りのない良心、仲間との毎日
の取引の結果として得られる物質的な富は、少なくとも程よい
幸福と言うべきでしょう。もちろん、健康であることも含まれ
ますが、後で述べるように、これは前提条件に過ぎません。健
康は、奉仕の源となるマン・パワーを引き出す要素の一つなの
で、ここでは、報酬または利益だけの要素を考えたいと思いま
す。
奉仕哲学における利益という言葉には、お金とお金がもたら
す恩恵が含まれているので、それよりもさらに多くのものが含
まれていることがわかります。 物質的な富だけでなく「仲間
からの愛情」と「良心」といった、精神的な価値をも含んでい
るのです。
160
今、将に、私達は、悪い結果を広範囲に及ばせている間違った
考え方と対侍しています。 大部分の人たちが考えていること
は、物質的な富や多くのお金を「儲けること」に通じる一本の
道であり、精神的な価値を得るための道は、まったく別な分れ
道なのです。
しかし、これは真実ではありません。実際に、「道」は、三
つの何れにも通じていません。「道」は、広くて、比較的通り
易い道です。
しかしながら、これら三つのすべてに通じる、一本の小径が
あります。その小径の名前が奉仕なのです。そうです。「最も
よく奉仕する者、最も多く報いられる。」取引をする人たちに
対して、最善の奉仕をすれば、精神的な価値だけでなく物質的
な利益においても、最高の「利益」を得ることができるのです。
商売の上で、顧客に対して優れた奉仕をすることが、永続性を
保ち、従って利益を累進的に与えてくれる顧客を確保するため
の唯一の方法なのです。それはまた、尊敬を確かなものにし、
「安眠」を可能にする気休めを確保する唯一の方法でもありま
す。
人生は海のようなものです。 ギブ・アンド・テークの絶え
間ない潮の満ち干が、物事を解決します。「与えること」が奉
仕であり、「受け取ること」が利益または報酬です。しかし、
種を播く時期が、収穫に先行するのと同様に、与えることが、
受け取ることに先行しなければなりません。
利益を得る科学は、奉仕を与える科学です。
161
今日、全世界にわたって広範囲に拡がっている経済的、社会的
な混乱の原因は、人類の大部分が、人間関係の基本的な法則を
破ろうとしているからです。私たちは人類として、与えるので
はなく、得ようとしています。それは結局、人類すべてを破滅
させるか、少なくとも文明を破滅させて、精神的な暗黒時代に
逆戻りさせること無しには済まないのです。 今こそ、方向転
換する絶好の時期です。
しかし、奉仕、すなわち「利益」の原因とは何でしょうか?
自然の要素は何でしょうか?
人間関係に効果をもたらす、魅
力的な一般的原則を、どのようにして作ったらよいのでしょう
か?
商売に魅力を持たせ、業界全体として、継続的に顧客に
利益を保障するような奉仕をするために必要なのは何でしょ
うか?
従業員が、より多くの賃金を得、
「引きつけられる」ま
たは「魅力ある」ような、希望する昇進をするためには、どの
ような内容の奉仕をしたらいいのでしょうか?
雇用主が、正
当な従業員に魅力を与え、永続的に奉仕をしようという気を起
こさせ、労働者の交代といった経費を減らすには、どうしたら
いいのでしょうか?
ここで、私たちは、人生の計算式としての三角形 G3 につい
て考えてみたいと思います。
よい奉仕の自然的要素
この「G3」の図は、人間が得るために与えなければならな
い贈り物を図式化したものです。
162
この三角形の左側の「Q1」という
記号に注目してください。これは正し
い質という抽象的な要素を表してい
ます。もし「正しい質」という要素が
欠けていれば、商品でも人間の労力で
も、取引をするお互いの心の中に信頼
と満足という結果を引き起こすはずはありません。
炭素が砂糖に必要不可欠な要素であるように、正しい質は、
満足すべき奉仕に必要不可欠な要素なのです。砂糖という化合
物は、正しい割合の「炭素」がなければ存在しないように、満
足すべき奉仕は、商品と人間の労力の双方の正しい質がなけれ
ば、存在しないのです。
奉仕の三角形の右側には「Q2」という記号がかかれており、
これは「正しい量」を意味する記号です。砂糖という化合物は、
「水素」という天然要素がなければ存在しません。その結果と
して、砂糖は、「炭素」と同様に正しい割合の「水素」も必要
なのです。
地球上の誰であろうとも、自然界におけるこの簡単な事実を
変えることはできません。同じように、満足すべき奉仕は、正
しい質だけでなく、正しい量という要素なしでは存在しないの
です。
もしも、世界中のすべての従業員がこの科学的事実を理解す
ることができれば、どんなに幸せなことでしょうか。従業員が
このことを知れば、もっと多くのお金を稼ぐために、腰が曲が
163
ったり、視力を失うほど疲れ果てることも、意識的に見掛け倒
しでいい加減な仕事をすることもないのです。従業員がなすべ
きことは、自分の仕事の質だけではなく、その量も増やすよう
に実行することであり、これらの要素の両方が、信頼と満足を
生み、人間関係の基礎となることを十分理解することです。
従業員は、正しい質と正しい量という両方の要素が、満足する
奉仕という砂糖を作るために必要不可欠な要素であることを
理解し、その両方の要素がより高い報酬を引き出す法的な根拠
として必要不可欠な要素であることを理解するのです。
雇用主がこの単純な事実を理解すれば、従業員を食い物にする
ような方法は取りません。雇用主は、単に経済的な義務を果た
すだけではなく、すべての道徳的な義務を果たし、その上、健
全な経営の範囲内で、従業員に何ができるかを計算し始めるの
です。雇用主はまた、顧客に義務を果たし更に公正な利益を得
るためにはどのようにすべきかという計算をもするのです。こ
の単純な事実がはっきり判れば、不当暴利行為は止みます。不
当暴利行為は割に合わないことがはっきり判るからです。
不当暴利行為は財政的酩酊状態、すなわち経済的な酔っ払い
のようなものです。事業を発展させることも、長続きする顧客
を得ることも、永続的な顧客の愛顧を確保することもできませ
ん。結果的に、人間関係の基本である信頼と、信頼の根底にあ
る満足の双方を壊すのです。それは道徳的に不健全であり、道
徳的に不健全なことは、経済的にも不健全なことなのです。
正しい「質」に正しい「量」を加えることは、信頼と満足を
164
築きあげる奉仕をするための絶好の出発点であり、顧客の愛顧
を受けるだけではなく、継続させるのです。最善を尽くすとい
う目標に向かって、かなりの道を進みますが、それでは十分で
はありません。
満足する奉仕という砂糖の化合物を作るためには、もう一つ
の要素を付け加えるという、更なる一段階を踏まなければなり
ません。
この第三の要素が、この図の三角形の底辺に記載されている
「M」です。「M」という文字はモード(状態)を表します。私
はこれを「管理のモード」という意味で使っています。
記帳作業で一日中よく働き、その上全くエラーのない会計係
が、夜には飲んだくれたり、嘘をついたり、不真面目だという
のがその一例で、職業上の専門技術における「質と量」は問題
ないとしても、正しい「モード」とは言えないのです。
砂糖という化合物を作るためには、「水素」と「炭素」だけ
ではなく「酸素」も必要なのと同じように、満足と継続的な信
頼をもたらす奉仕を行い、人間関係に魅力的に機能する原則を
作るためには、正しい「質」と正しい「量」だけではなく、正
しい「モード」も必要なのです。あらゆる種類や性質の物質的
な品物に、これが当てはまるのです。
食料品の「品」が正しく、値付けとしての「量」が正しくて
も、事業を管理する「モード」が悪ければ、その食料品店の経
営者はその事業において人の心をひきつけることができませ
ん。「質」と「量」が完璧であっても、配達の遅れ、電話をす
165
る女の子の生意気さ、帳簿の不備といった数々の破壊的な事柄
が、信頼と満足をぶち壊す傾向を持った「モード」の要素にな
るのです。しかし、この三つの要素が備わっていれば、人の心
をひきつける原則が働きます。
機が熟したときに、林檎が地面に落ちるように、事業や人生
におけるすべての善良なものは、「質・量・モード」を忠実に
守っている人や組織にひきつけられるのです。
私たちと類似した分野に従事しており、商品の量や質が私た
ちと互角である他の業者とは、事業の管理である「モード」の
要素で合法的に競争する余地があることを、ロータリアンとし
て心に留めておきましょう。これは純然とした人間の方程式の
問題なのです。ロータリー哲学の実践を行っているのなら、金
銭や工場の設備や製品は結果であり、マン・パワーこそが原因
であることを忘れてはなりません。
東洋の賢者が「目的の結果がはっきり決まっている場合は、
結果に到る手段のほうが、結果そのものよりも重要である。」
と言ったのは当を得ています。
目的の結果がより良い生産、より良い設備、より良い販売、
より大きな利益だと考える雇用主は、その結果に到る方法を見
つけなければなりません。雇用主が自らの可能性の限界を実現
しようと思うならば、マン・パワーを作り出すべきであり、作
り出さなければなりません。しかし、奉仕の原因とは何でしょ
うか。今私達は、その要素を見つけはしたものの、その要素の
背後にある原因を、慎重に考えたことはないのです。
166
ここで、私達は「提供者」を意味する三角形「G-2」に達す
るのです。私たちが今終えたばかりの「G-3」は、得るために
は与えなければならない贈り物を表したものですが、贈り物を
与えるためには、
「提供者」が必要です。それがあなたであり、
私自身なのです。たとえそれが誰でもあろうとも、私たちの仲
間の一部です。たとえその事業が何であろうとも、事業を営ん
でいる会社です。市民が関連性を持った国家や他の国家です。
この「提供者」すなわち「自分自身」という要素は、次に考え
る奉仕の数学、三角形「G-2」によって表されます。
自分自身、提供者、マンパワーの要素
奉仕を提供することは、報酬を受け
るに値する原因ですが、マンパワーこ
そが奉仕を提供するバックボーンとな
る原因です。人生とは、原因と結果の
繰り返しに過ぎません。ある原因があ
る結果を生み、今度は逆に、その結果
が原因を生むのです。左の図は、自然的要素としてマンパワー
を分析したものです。三角形の左側の「I」は知性、人間の知
的能力を表します。これは考えたり、覚えたり、想像する能力
です。人間が偉大なる奉仕の提供者となるべきならば、そのこ
とを自覚しなければなりません。奉仕は人間関係の一つの基本
的な法則ですが、奉仕の原則に関連する四つの初歩的な法則が
あります。この四つの要素がすべての人間関係に関っていると
167
いう事実は、これまた当然のことです。この四つの要素は以下
の通りです。
1.
当事者本人
2.
当事者の相手
3.
当事者間で話し合われた事柄や内容
4.
当事者が合意した心の一致
奉仕の「質・量・モード」を最大限に実践するためには、意
識するかしないかに関らず、当事者本人である自分自身が、自
らの生活を、初歩的な法則の基本となる理由、すなわち奉仕の
原則に関連する四つの初歩的な法則と調和させなければなり
ません。これらの法則は、四つの言葉によって説明することが
できます。
1.あなたの「自分自身」をよく知り、あなたのマンパワーをど
のようにして作り上げ、発展させるかを考えてください。
2.もう一方の当事者の人間性を知り、その人間という化学物質
を作り上げ、処理する方法を理解してください。
3.あなたの事業を理解してください。
4.あなた自身、もう一方の当事者、あなたの事業を理解し、結
果的にあなたの仲間と合意に達するようしてください。
これはすべて、効果的なマンパワーの要素として「理解」を
深め、「知的能力」の必要性を強調するものです。
三角形右側の「S」は、精神的な能力を表します。精神的と
いう言葉は、「善」「真」「美」に魅せられた状態にある、マン
パワーの側面のことを言っているのです。商品が「良く」、販
168
売員が「正直で」、すべての品物が「美しく」芸術的に並べら
れている商店は、買う気を起させます。商品が見掛け倒しで、
販売員が嘘をいい、広告は虚偽であり、店が不潔で汚れ、醜い
ときには、買う気は起こりません。
人間性の精神的な側面を開発することは、極めて実用的なこ
とです。言い換えれば、マンパワーの精神的な側面を開発すれ
ば、物質的な面においてすら、恩恵を受けるのです。物質的な
利益を受けるために狂奔する人は、このことに気付いていない
のです。
昔は、体力が権力と所有権と生存の基準でした。次いで権力
と所有権と生存のために、頭を使う時代になりました。最も奉
仕をした者が生き残れる時代においては、精神的な能力が、効
果的なマンパワーの決定的な要素なのです。現実に、正しさは
力における最も重要な自然な要素として認識されるのです。
三角形の「G-2」底辺には「P」の文字があります。これは
マンパワーにおける「肉体的」な要素を表します。肉体は知的
で精神的な力を表現する手段です。肉体は知的、精神的実態、
自己、真の人間が住む家です。健全な心には、健全な肉体が必
要なのです。
質、量、モードを正しくしようと思うなら、三つの要素すべ
てが適切でなければなりません。「健康」が奉仕の原因となる
のはこのためです。
三角形「G-2」の中心にある「V」は意志の力の要素を表し
ます。意志の力は、知的な力、精神的な力、身体的な力で言い
169
表され、ダイナミックなものです。
意志の力は、頭脳や心や手のような静的な力ですが、意思と
いう工場を経て、量、質、モードという機能を持った言動に変
化するのです。
いかなる個人の量、質、モードも、その人が持っている知的、
精神的、肉体的な力よりも、すばらしいはずがありません。従
って、ロータリー哲学、すなわち奉仕哲学は、自己研鑽の重要
性を明確に示しているのです。人間形成の価値は、マンパワー
と奉仕、および奉仕と報酬または利益に関する自然的関係に、
大きな影響を与えるのです。
奉仕哲学は、自然的な能力に関して、すべての人間が平等で
あると主張しているわけではありません。しかし、個人が本来
または潜在的に持っている能力を開発するために、行動に移す
努力よりも、個人が本来または潜在的に持っている能力の違い
の方がずっと少ないと主張しているのです。悲しいほど多くの
人々に欠けている奉仕を実践したいという気持ちと、高度な奉
仕を実践する能力との間には大きな違いがあります。この両者
を共に開発する必要があります。この両者は、価値ある報酬の
原因となる奉仕には、共に不可欠なのです。
いかなる能力や技術や資質や力の成長や発展の自然の法則
も、正しい育成と正しい使い方と活用如何にかかっています。
正しい使い方や活用の原理は、正しい育成の原理と同様に必要
なものであり、これは肉体的なものと同様に、知的、精神的、
意識的な資質に当てはまるのです。私たちは誰でも、もし、肉
170
体的な力を強くしようと思えば、人間の肉体的な組織を正しく
育成し、正しく使わなければならないことを知っています。同
じ法則は、マンパワーの知的、精神的、意識的要素にも適用さ
れるのです。手や脳を使って働くこと、労働をすること、すな
わち奉仕の実践を義務付けられることは、呪いではなくて、二
つの偉大なる自然の祝福の一つであるこという事実は明らか
です。
人生そのものは、存在と生成という精神的、知的な過程にあ
り、「行動を起すこと」すなわち奉仕の実践を必要とします。
私たちは「存在」が「行動を起すこと」に先行する、すなわ
ち、エゴイズムが利他主義に先行するという誤った信念の下で
働いてきました。従って、私たちの教育制度の主な努力目標は、
彼がこのようにして知識を得たのだから、次は別な人もその通
りするという、個人に知識を伝えることでした。人が存在する
ことができる、つまり奉仕をすることができる前に、「知る」
だけではなく、「行動」しなければならないという事実は、い
つの世でも当てはまるのです。実は、人間は、生き残るために
奉仕するという、重複した必要性の下で働いているのです。
1.人間は、強い力を発揮するためには、自分の能力や力を鍛え
なければなりません
2.人間は、人工的に生産しなければ、飢え死にしなければなり
ません。
下等動物の多くは、食物を集めて、保存しますが、生産する
171
ことはできません。もし、自然の供給が途絶えれば、死にます
が、人間はそうではありません。自然の供給が十分でない場合
は、生産します。利他主義(他人への奉仕)が、エゴイズムに先
行すること、すなわち、「自己」に先立って「奉仕」があるこ
とは、単に可能なだけではなく、極めて実用的であり、必要性
の高いことです。極めて実用的な「超我の奉仕--最もよく奉仕
する者、最も多く報いられる」というモットーで言い表される
ような、ロータリー哲学を作り出したのです。
前述の、人間工学の理論と技術書「Manhood of Humanity」
の作者は、著名な数学者であり技術者なので、実業家は彼の言
っていることを真剣に考えるべきでしょう。
ある人にとっては、いくつかの部分で彼の結論と異なるかも
知れませんが、人間性の本質と可能性に関する科学に対する貢
献に関する、彼の偉大なる成果を理解しない人はいません。
過去において多くの作家が、人間を高等生物ではあるが、や
はり動物だと分類しました。この作品の著者は、この主張に対
して、最も効果的に、次のように反論しています。
「さて、人間について、どのように言ったらいいのでしょう
か。人間の定義とは何でしょうか。他の動物と同じように、人
間には空間を生活の場にする能力がありますが、その能力に加
えて、人間は過去の作業や経験をまとめ、要約し、身につける
という恐るべき能力を持っているのです。これは、過去の作業
や経験を、現在、開発すべき知的、精神的な資本として活用す
172
る能力を持っていることを意味します。これは、失敗や成功の
試行錯誤を繰り返しながら、過去の世代における、すべての貴
重な生活の業績として、蓄積された力を増やす道具として使用
する能力であることを意味します。これは、先祖から受け継い
だ知恵を常に増やしながら、自らの生活を管理していく、人間
の能力を意味します。これは、過去の時代の継承者であると同
時に、後世への後継者である人間の能力を意味します。人間と
は、過去の生活を現在に、現在の生活を未来に伝える、すばら
しい媒体なので、私は、数学や工学の一般的な言い方で、人類
とは、人生という時空の場で生活している種族だと定義しま
す。」
倫理学では「利己は利他に優先する」という事実を認識しな
ければならないと説いた、ハーバート・スペンサーの文献につ
いて、この作者は、次のように書いています。
「動物には、これが当てはまります。動物は食物を人工的に
生産する能力がないので、自然の供給が不十分だと、食物の不
足によって死に絶えます。しかし、人間界では、そうではあり
ません。なぜでしょうか。時空の場で生活する能力を持ってい
る人間は、すべての創造物の中で最高のものなので、人間の数
は自然の供給が不足しても影響を受けず、人間の技術的な生産
性だけによって支配されるのであり、これが、時空の場で生活
する能力の具体例です。
173
人間が持っている本質的な性格として、人間は両親や社会の
人たちと共に生活していこうと思えば、先ず行動しなければな
らず、これは動物には当てはまりません。
この単純な真実を理解できないのは、私たちの倫理および経
済制度が悪いか、欠陥があるのが、大きな理由です。事実、も
し、人間が動物とまったく同一なものだと考えて生活すれば、
時空の場における生産、すなわち人工の生産はなくなり、人類
の 90 パーセントは飢餓によって死ぬでしょう。人間は動物で
はなく、時空の場で生活する者です。単なる食、住の発見者で
はなく、食と住の創造者だからこそ、このように多数の人間が
生活することができるのです。
例え、眼が見えなくとも、この高い次元数の効果を理解しな
ければなりません。そして、この効果は、今度は別な効果とな
って、別な物を生み出すという具合に、無限に続いていくので
す。私たちは物を生産するので、生活することができます。な
ぜならば、私たちはただ単に、空間を場として行動しているの
ではなく、時空を場として行動しているからです。すなわち、
人間は動物と同じ種類ではないのです。
人間性と人間の行動についての私の考え方に、少しばかりま
ともな理屈を当てはめれば、非常に簡単に説明がつきます。
人間の倫理が人間の尺度にあてはまるものならば、倫理の前
提を変えなければなりません。人類が生きるためには、まず行
動しなければならないからです。倫理の法則、正しく生きるた
めの法則は自然の法則であり、人間に特有な、時空を場とする
174
能力と時空を場とする行動に源を発し、それを是認する法則な
のです。人間の素晴らしさは、時空を場とする素晴らしさであ
り、価値も、時空の場の基準で計られ、評価されなければなり
ません。
人類が、生きるためには創造的に生産しなければなりません。
だから、応用科学や技術の指導を受けなければなりません。倫
理学、法律学、心理学、経済学、社会学、政治学、行政学等の
社会科学と呼ばれるものは、中世の形而上学から開放されなけ
ればなりません。科学的なものでなければなりませんし、技術
的なものでなければなりません。そしてこれらの社会科学は、
動物ではなく、人間の次元に適応した機能を持ち進歩しなけれ
ばならないのです。」
上記の説明の中で、ロータリー哲学の唯一の相違点は、「創
造する」「創造主」という言葉の使い方です。人間は製作者で
あって、物やエネルギーの創造主ではありません。創造された
原料の合成物として、人間は意識的に技術的に物を作ります。
このようにして、人間は、主の下僕の仲間になることができた
のです。奉仕との関係における「自我」の考え方から導き出さ
れる、現実の結論と教訓とは何でしょうか。極めて現実的な結
論は、次の通りです。
世界は、その全体の歴史の中で、最大の破壊の時代を過ごし
つつあります。現在、世界は、生産性を集約する時期の必要性
に直面しています。もし、その時期が到来せず、破壊の時期で
175
ある世界大戦が再び始まれば、ヨーロッパや多分全世界は灰塵
に帰す可能性に直面します。再び世界大戦を起してはなりませ
ん。私たちが戦争を破壊するのか、戦争が私たちを破壊するか
の何れかなのです。
それはさて置いても、私たちは、生産するか、飢え死にする
かの何れかです。人間には、選択の自由があります、そして、
私たち、世界の人々は、何れかの道を選ぶ力を持っています。
良識の示すところに従えば、建設的で生産性の高い道を選ぶは
ずです。
ロータリー哲学の予測によれば、世界は、歴史上、最も長い
生産期に入ろうとしています。
この予測は、生産と分配を通じて世界に奉仕することが、す
べての利益を保存する最善の道であるという事実を認識する
ことです。
1.自然的義務と責任の履行を通じた、従業員に対する雇用主の
奉仕と、従業員に対する責任。経済的義務だけではなく、道
徳的義務や教育的義務の履行。
2.仕事の正しい質と仕事の正しい量、家庭や事業上や市民とし
ての行動の正しいモードを通じた、雇用主に対する従業員の
奉仕。
3.雇用主と従業員の合同チームから、商工業関係者や一般購買
者等の第三者に対する奉仕
これが、すべての人たちに対する平和と力と豊かさへの道な
のです。奉仕の実践のバックボーンにある原因として、私たち
176
のマンパワーを熟慮した結果得られるさらに重要な結論は、私
たちの学校制度を改善することによってもたらされる、今の世
代の男女や、来るべき世代の少年と少女に奉仕する機会だとい
うことです。人間が活動する上での自然の法則を、子供たちが
大人になる前に、何らかの方法で、どうにかして、人生の学校
において教えなければなりません。私たちの学校は、マンパワ
ーのあらゆる自然的要素の開発を目指して、人間という植物を
科学的に栽培しなければなりません。しかし、マンパワーの根
源となる、マンパワーの原因とは何でしょうか。人間の力を含
む、人間のニーズの供給源は何でしょうか。
ここで、私たちは三角形「G-1」を考えなければなりません。
原因 –
根源
すべてのものは、創造主によって作
られ、すべてのものは、提供者によっ
て配られます。
三角形 G1 は、世界の様々な宗教によ
って、ほとんど普遍的に述べられてい
る、創造主である全知 Omniscience、
全能
Omnipotence 、 普 遍 的 存 在
Omnipresence の三位一体を示すものです。
ロータリー哲学は宗教ではありません。プロテスタント、カ
トリック教徒、ユダヤ教徒、異教徒、儒教や道教信奉者、ヒン
ズー教徒、精霊信奉者、仏教徒などの何れの時代の聖者や予言
177
者の仲間たちも、ロータリアンにとっては、同じロータリアン
なのです。
ロータリアンは、信仰に関しては個人の好みに従うのは当然
としても、すべての人たちを兄弟として扱うのです。
ロータリーの会員資格では、宗教的専門職務や信条の如何は問
われません。
従って、ロータリー哲学の討論に当たって、この点を誤解し
てはなりませんが、原因によって結果が得られる科学として、
その理論的な結論が導き出される奉仕哲学は、ウイリアム・ハ
ミルトン卿がいみじくも述べたように、「神と人間とそれらを
含んだ原因の科学」であるという結論を否定することはできま
せん。
原因と結果の法則は、宇宙の摂理の存在を否定することはで
きないのです。すべての物質やエネルギーはその原因となる根
源を持っていることは、真理であって、否定しようと思っても、
否定することはできません。それを神と呼んでください。それ
を無限の心と呼んでください。それを自然と呼んでください。
ハーバート・スペンサーと共に、「絶対的なもの」と呼んでく
ださい。人間がどう呼んだとしても、その存在を否定すること
はできないのです。
人間の心は有限だから、無限な心を捉えることは出来ません。
だから、人間は神を知ることができないと言うのは、尤もなこ
とです。
178
さて、エディソンは、電気が何であるかをまだ知らない、と
言っています。しかし、電気の存在については、その現象や効
果によって十分知っており、それと同じように、私たちは皆、
宗教用語で神と呼ばれるものの存在を知っているのです。私た
ちはその多面的な現象、すなわち無限の英知や力や存在を確信
することを形に表すことによって、神を知っているのです。
原因は、その原因と関係のない結果を引き起こすことはあり
ません。そして、知性の程度に応じた本心が自然に現れるので
す。
材料工学では材料となる物質の存在や、力やエネルギーの存
在が重要であり、存在は創造を意味し、創造は創造主を必要と
します。
もし、「神」という言葉があまりにもあいまいで漠然として
おり、知的理解や知的現実として容認し難いと思うのならば、
「神の摂理」という言葉に置き換えて見ましょう。それでもま
だ、あいまいならば、言葉の間にハイフンを入れて、
「Provid-Ence」としてみましょう。
人間の知性は、すべての物は、「提供者」から与えられたと
いう事実を理解することができるでしょう。純粋論理は、人間
が物を持ったり得ることができるのは、とどのつまり神の為せ
る業とか提供者がいるおかげであるという基本的事実を認め
ることを命じています。
人間はその有限な力を、神のなせる業によって与えられてい
るのです。私たちが認識しているあなたや私の知性、私たちが
179
感じるあなたや私の感情に訴える力、私たちの考え方や感じ方
を言葉や行動で表す、あなたや私の肉体、私たちが決断し行動
するあなたや私の意志、私たちが「私たちのもの」と呼ぶすべ
ての力には、その根源があるのです。
事実上、人間はその力の伝達者に過ぎませんが、人間の活動
の軽率さから、この事実を考えようとしない傾向があります。
すでに述べたように、人間は一片の原料も、僅かなエネルギー
も創りだすことができないという既定事実を真剣に考えてみ
ましたか。
人間は、
「時」という要素を支配し、それを「結び付け」て、
利用する力を持っています。人間は創造物を有用な形に組み合
わせることができる驚くべき存在なのですが、人間の生産力を
すべて発揮したとしても、しょせん人間は、神が創造した物を
組み合わせるだけの存在に過ぎません。
人間は羊を飼って羊毛を刈り、自分自身や仲間のために、羊
毛を織って衣服を作ります。しかし、羊も羊毛もなかったらど
うしたらよいのでしょうか。人間は羊や羊毛を創ることはでき
ないのです。
人間は、綿の種を植えて、それを育て、摘み取り、布を織り、
その布で衣服やその他の有用なものを作りますが、もし綿の種
や、土地や太陽の光や雨がなければどうしたらよいのでしょう
か。
人間は、鉱石を採り、木を切り、それをいろいろな形に組み
合わせて、家を作りますが、もし木や鉱石がなければどうした
180
らよいのでしょうか。
人間は、土地を耕し、食物を収穫し、食べ物を調理しますが、
人間が食べ物を創りだすことはできません。人間が行うことは、
神が提供してくれたものを、耕したり準備したりするに過ぎな
いのです。私たちが呼吸する空気ですら、その根源となるのは
「神の摂理」であり、空気なしには肉体は 3 分とは生きられな
いのです。
純粋な理性は、そのような提供者に感謝の念を表すように命
じているのです。正常な男女は、意識的に感謝することを忘れ
はしませんが、しばしばうっかり忘れるものです。ロータリア
ンとしての、このことを真剣に考えると共に、ロータリーの原
点とも言える友情や他人への奉仕との関係についても、思いを
はせようではありませんか。
兄弟愛、友愛、親睦、あなたがどのように呼んでも結構です。
神の摂理は羊や、綿や、木や、鉱石や、土や、日光や、雨や、
食物や空気を与えただけではなく、すべてのものを与えたので
あり、その中には、人間もあなたも私も含まれているのです。
そうです。私が神を認識するか否かに関らず、神は私の父なの
です。子供が父親との関係を否定し続けても、その根源は父親
であり、従ってあなたと私は兄弟なのです。人間の兄弟愛は科
学的な事実であり、決して玉虫色に変化する夢ではないのです。
神や神の摂理が存在するという事実と、ロータリーの原点とも
言える奉仕の原則との関係について、その論理的な結論に達し
181
たと考えるべきではないでしょうか。
私たちはすべての人間関係の基本的な法則である奉仕の原
則の第一人者であり、結局、その原則は意識的に作られた愛の
法則なのです。
他人に対する奉仕は、愛のテストであり、何物かに対して何
がしかの愛がなければ、奉仕は存在しないのです。
しかし、奉仕においてしばしば現れる人間の愛は、顧客に対
する愛ではなくて、顧客との取引に対する愛です。人間として
の顧客に、本当の関心があるのではなく、単に顧客と取引をし
て、それを継続することに、関心を持っているのであり、人間
が愛しているのは、明らかに取引と継続なのです。従って、人
間は、「質、量、モード」の奉仕をするように努力しなければ
ならないのです。
このことだけが、この問題における唯一の実際的で、正直で、
真実性のある見解だと言えるのです。しかし、奉仕の種が、人
間性に対する本当の関心と愛の土壌に播かれずに、顧客との取
引に関する関心と愛の土壌に播かれれば、何人であろうと、最
善の奉仕の収穫をあげることができないのは、言うまでもあり
ません。
農業では、ある特定の種子には、ある特定の土壌が必要であ
るこが判っています。ある土壌でアルファルファを作れば、種
子を無駄にし、労力も無駄にします。
これはまさしく、満足感、信頼感、魅力を与えて、有益な取
引関係を継続させるという奉仕の最善の収穫をあげることと
182
同じなのです。奉仕の種子は、神の愛、すなわち神の摂理に対
する敬愛という土壌の中で、最も良く育つのです。兄弟愛や顧
客を含んだ人類愛という純粋な感情というのが、論理的な結論
です。従って、顧客に対する奉仕は純粋なものであり、浅薄な
ものでも偽善的なものでもありません。
それを欠いた奉仕は、99%不純なものです。
私たちは物質的な時代を通り過ぎようとしています。低いレ
ベルの世界や拝金思想の下では、人間は神に背を向ける傾向が
あります。
低いレベルの世界を見下ろせば、鉱山を採掘し、森林を征服
し、植物を栽培し、科学的に家畜を育てることに専念するあま
り、最初に捜し求めるべきであった、神の世界や神の正義から
顔を背けてきたのです。従って、他の事柄は、すべて付け加え
に過ぎません。
正しい方向に顔を向ける時が来ました。私たちの祖先の古き
良き美徳に戻る潮時です。それらの美徳は古臭いものだと言わ
れていますが、基本的で普遍的な法則と調和しているという簡
単な理由から、決して時代遅れのものではありません。
私たちは、今、哲学という言葉の正確な意味を考えながら、
奉仕哲学を分析しました。哲学そのものが科学であり、基本的
な事柄をとりあげて、推論を正しい目的に適応させて、結果の
背後にある原因を明らかにすることが判りました。奉仕哲学が
真の哲学の、これらの一般基準に当てはまることが判ったので
183
す。
私たちには、ロータリーの原点とも言える奉仕哲学の普遍的
理解と適用から、どのような結果が得られるかについて、論理
的に予想するという作業が残されています。なぜ、いつ、そし
て最後に最も重要なことは、どのような方法で、ロータリーが
これを手助けできるかということです。
何ですか
奉仕の原則やそれに関連すると自然の法則を、普遍的に理解
することの結果は何でしょうか。その答えは、人間界に浸透し
ている普遍的な正義の支配を通じた、普遍的な平和と豊かさで
す。物質主義や利己主義の悲観論者は、「理想主義」と叫ぶか
もしれませんが、それでも結構です。この予言は、その性質上、
実行不可能な理想主義だと広言するのなら、それでも結構です。
実行できないと言う人がいれば、利己主義者がたとえ生きなが
らえたとしても、実行する人たちによって、はじき出されるに
違いありません。
国家間の正義、会社や商工業、その他の機関間の正義、従業
員から雇用主への正義、雇用主から従業員への正義、これらす
べての問題であり、これが平和と豊かさにつながる唯一の道な
のです。
なぜですか
人間は、生来、戦う動物であり、人間の性質は本質的に利己
184
的なので、すべてこのようなことは解決できるはずはないと言
う人がいます。しかし、それは間違っています。人間は動物の
種類ではなく、人類なのです。利己主義は、自分の利益を、生
き延びたいという願望、すなわち自己保存の本能と間違えたも
のなのです。
人間は、子供から大人になり、成長してくると、適者生存の
法則が、最も多く奉仕した者が生き残れる法則であるという事
実を理解することができるのです。生き残りたいと思うのなら
ば、もはや戦いは望まず、奉仕したくなるのです。
ロータリーが根底としてきた「原則」を理解するという光の
ラジウムは、利己主義という癌の治療法なのです。利己主義は、
人間の自然的な特徴ではなく、病気か、安らぎを欠いた状態で
す。治すことができますし、治すべきです。
世界大戦は、人間の幼年期の歴史を閉じました。今、私たち
は、成人期の歴史を開こうとしています。
休戦記念日の夜、アメリカ中が興奮と喜びで気も狂わんばか
りの歓声に、ほとんど耳の聞こえない状態で家に帰りました。
しかし、次に書くような、真実の声が聞こえないほど、難聴に
なっていたわけではありません。
「今夜、軍神の手が止まりました。今朝臨戦態勢で整列して
いた軍隊も、今夜は休息しています。ハレルヤ。今宵、全世界
の人たちは、手と頭の力こそが力であると言ったのが間違いで
あることを知ります。今宵、私たちは皆、神の万物に対する永
遠不変の計画は、正義の自然的要素なしには、永遠の力は得ら
185
れないことを認識すべきです。」
国も、会社も、個人も、そのような方法によって、成功を勝
ち取ることはできません。宗教的な力も精神的な力も肉体的な
力も、それだけでは力になり得ないのです。この三つの力すべ
てが必要なのです。酸素が水の自然的要素であるのと同様に、
正義は恒久的な力の要素です。従って、人間界が奉仕の原則に
よって管理される真の理由は、次のようなものです。
1.奉仕の原則に従うべきであるということは正しいことで
す。
2.奉仕の原則は、健全な経済の法則です。
3.奉仕の原則は、人類が今や到達しようとしている、生き抜
くための法則であり、人間が生き抜くためには奉仕をし
なければなりません。
いつですか
奉仕の原則が、普遍的な慣行となるのはいつのことでしょう
か。それは、奉仕の原則が、普遍的に理解されるときです。多
くの少年や少女や男女が九九を知っているように、奉仕の原則
を理解するときに、その普遍的な適用が身近になるのです。そ
れは何時のことでしょうか。それはすべて、世界の実業家如何
に懸かっているのです。
禁酒法の問題の長所、短所にかかわらず(この問題は、私個
人としても、ロータリーとしても、またスコットランドでも全
く問題にならない事柄ですが)、アルコール飲料の製造禁止が
186
道徳主義者の仕事として委ねられたときには、さして進展しま
せんでした。
しかし、事業所が飲酒癖は経済的に不健全であるという結論
に達したとき、アルコール飲料の製造禁止は合衆国の理論的な
既成事実となり、その販売量は徐々に下がっていきました。
商工業界は、倫理や正義や奉仕の実践は価値があるという事実
に気付いたのです。その他の人たちも、徐々にこれに続くに違
いありません。
世界中の人々のおよそ 95 パーセントは従業員であり、およ
そ 5 パーセントが雇用主です。大きな義務と責任、強力な特権
が、この 5 パーセントに一気に集中しています。それを知って
いるか否かに関らず、あらゆる雇用主の重要な義務は教育者と
しての義務です。雇用主は基本原則と成功を治める人間活動に
関する自然の法則、すなわち人生の数学の教師でなければなり
ません。世界中の雇用主が人間関係の自然の法則を知って、そ
れを教える能力を持ち、それを行えば、成人の普遍的な理解は、
急速に進むでしょう。
しかし、奉仕の原則とそれに関連する自然の法則が、公立の
学校やその他の教育機関で教えられるまで、この歩みは遅々た
るものに違いありません。しかし、その日は必ずやってきます。
その日がやってきたら、自然の法則の普遍的理解とその適用は、
たちまち広まることでしょう。
文明は四本の柱に支えられています。進化も同様です。四本
の柱とは、家庭と、学校と、教会と、国家です。もし父母がこ
187
の原則を理解してそれを子供たちに教えれば、学校教師がそれ
を理解してその問題に関する教科書を配って、人生の数学を教
えれば、教会がそれを理解して正義の実利的な側面を教えれば、
牧師が現世だけではなく、来世の精神的、肉体的価値と精神力
の関係を示せば、そして、わが国の政治家がこれを理解して、
人間が作った法律を神が作った法律または自然の法則と調和
させたなら、自然の法則を普遍的に理解し適用する日が、完全
に到来するのです。それは、明日とか、来週とか、来年ではな
いでしょう。しかし、今数多くの人たちが信じているよりも、
はるかに早くやってくるに違いありません。
どんな方法で
私たちは、これらすべてのことがやってくるために、どんな
手助けをしようとしているのでしょうか。ロータリアンとして、
何をしようとしているのでしょうか。私は真面目に、二つの提
案をしたいと思います。
最初の提案は次の通りです。ロータリアンの大部分は雇用主
です。実際には、全員かも知れません。私たちは、従業員に対
する自然な義務、債務、責任のすべてを実現させることを、本
気で試みようではありませんか。
現在、多くの雇用主がそうしています。多くの雇用主はロー
タリアンですが、ロータリアンでない人もたくさんいます。世
界中の雇用主の大部分は、従業員に正しく対処しようと思って
います。彼らは労働力を搾取することの愚かさを学びました。
188
彼らは憎しみの地獄、利己主義の破壊性といった教訓を学びま
した。しかし、先祖が犯した罪は、次の世代の子供たちに引き
継がれていくのです。今日の雇用主は過去の雇用主の利己主義
に苦しんでいるのです。
一般的に、「資本家」と呼ばれる「管理者」は、今日「労働
者」の信頼を受けていません。しかし信頼がなければ、利益を
得る関係の基礎がなくなるのです。その基礎を再構築しなけれ
ばなりません。労働者との関係において、経営者が語り、書き、
行動することによって、それは可能ですし、可能にすることが
できるのです。
「作用があれば反作用がある。」これは物理的な法則である
と同時に、精神的な法則です。管理される側に対する管理行動
が利己的だから、今日、労働者の利己主義的な行動が、押し寄
せる波のようなお返しをしているのです。
「目には目を」私たちは、「播いた種を刈っている」のであ
り、「上がった分だけ下がる」のです。
しかし、管理者も資本家もこの教訓を学びました。建設的な
作用は建設的な反作用を生み出すでしょう。躊躇しないで善行
を行い、正しいことは、それをし続けましょう。法則は法則で
す。そして、奉仕の法則は、魅力ある法則であり、機能するの
です。
雇用主は忘恩的な行為が起こっても、自らの経済的、人間的
関心、教育的義務のすべてを実現させましょう。雇用主がそう
するのは、そうした方が勘定に合うからでも温情主義的な方法
189
だからでもなく、正しい方法だからです。そうすれば、建設的
な反作用がすぐ、始まるでしょう。経済的義務に関しては、恐
怖とか感情によって、奉仕の価値以上のものを支払うのではな
く、その価値に見合う額を支払ってください。なぜならば、そ
うすることが正しいからです。
現在、労働者は極めて利己的です。しかし、仕事の量を減ら
して、同時に、多くの賃金を得ようとする個人や個々の組織は、
火力を減らして、熱を増加させようとする人に似ています。そ
れは自然の法則に合いませんし、うまく機能することもできま
せん。自然の法則を破ろうとする組織は、個人と同様に、自ら
を破滅させるのです。一方、私たちは、「無知こそ私たちの唯
一の罪。」であることを知るのです。現在、そして過去におけ
る労働者と資本家、および資本家と労働者間の罪は、すべて自
然の法則に対する無知が原因です。しかし、「労働者」は古い
時代ほど無知ではありません。今日では、非常に知的であり、
この自然の法則の実態を理解し、時期を逸しないうちに、崇高
な奉仕を開始することでしょう。
私たちの従業員が、自らを忘れているという世界的な問題に、
そんなに絶望することはないのです。すべてのロータリアンの
事業は、それが存在する地域社会における道しるべとして、雇
用主から従業員へ、従業員から雇用主へ、また労使双方が一体
となって会社から顧客に対する、すべての自然的義務、債務、
責任を遂行する光を当てなければならないのです。商工業の顧
客こそが、結局のところ、「ビッグ・ボス」なのです。彼らが
190
私たちを拒否すれば、私たちはすべて仕事を失うのです。
次の提案は公共サービスです。
ロータリアンとして、私たちは公共サービスをどのようにし
たらいいのでしょうか。既にロータリーは、人づくり、企業づ
くり、世界づくりの大きな要素となっています。私たちは本当
に、偉大な世界の建築者になれるのでしょうか。次のことを覚
えておきましょう。
地域社会における各々の企業が正しければ、地域社会の問題
はなくなります。各々の地域社会が正しければ、州の問題はな
くなります。州が正しければ、国の問題はなくなります。国が
正しければ、世界の問題はなくなります。そこで、すべての問
題がなくなるのです。しかし、企業が正しくなるための秘訣は、
個人が正しくなるようにすることであることを忘れてはなり
ません。
最終的な分析では、企業づくり、地域社会づくり、州づくり、
国づくり、世界づくりの問題点は人づくりにあります。マンパ
ワーを正しく作ってください。そうすれば、残りの問題は、お
のずから解決するでしょう。この問題は、二つの事柄によって
解決します。
1.雇用主と従業員間の関係の改善
2.公立学校やその他の教育機関に対する建設的奉仕
最初の問題に関しては、前述のとおり、家庭から始めましょ
う。そして、皆が最善を尽くしましょう。
191
それは大きな仕事ですが、善良なロータリアンにとっては、
大きすぎる仕事などはありません。
次の問題として、「私たちの学校に対する建設的な奉仕」が
あります。ここには、奉仕の原則と、これに関連する自然の法
則を迅速かつ比較的早い時期に理解することを可能にする唯
一の「方法」があるのです。そこには、ロータリアンによる、
この時代の青少年、および来るべきすべての世代の青少年に対
する、真の奉仕の機会があるのです。私たちは、ちょっと「立
ち止まって」、「目を向け、耳を傾けて」、この事実に関して考
えて見ましょう。
近い将来の父、母、教師、牧師、雇用主、従業員、議員のす
べては、現在、世界中の学校の教室にいるのです。
テネシー州メンフィスのロータリアン、ジョージ・ジェーム
スは、何れにせよ、私たち年取った仲間は、むしろ絶望的であ
り、私たちの希望は、世界中の若者に懸かっているのですと、
述べています。彼は、奉仕の原則とそれに関連する自然の法則
を、世界中の学校の生徒たちに教えることが、今行うことがで
きるすべてのことの中で、最も大切なことだと言っています。
ロータリーは、他の類似の会社の協力を得て、この本当に大き
い事柄が行われているかどうかを、くまなく調査しようではあ
りませんか。
この国際大会をやってのけるほどの人ならば、何でもできる
はずです。それはロータリアンが総力をあげるほど価値のある
192
奉仕です。昼食例会の各クラブが、地方の商工会議所を通じて
働きかけ、この事柄について協力します。さらに、実業家は、
奉仕の原則とそれに関連する自然の法則が、教科書の形に纏め
られ、学校で適切に教えられているかどうかを監視することに
よって、私たちの国の教育制度を改革することができます。こ
のことは、次の世代ために計画を立てている先見者や預言者に
とっても、価値ある奉仕となるに違いありません。
すべての国の実業家が結集して、経営学の大学を作り、その
主な目的は、人づくりと自然の法則の教育にします。彼らは、
先例よりも原則を優先する新しい種類の学校を創ることもで
きます。
そのような学校は、個人的な利益追求ではなく、慈善的なも
のでなければなりませんし、宗教的、政治的に中立であり、物
質至上主義にならないように慎重な配慮が必要です。
そのような学校は、急速に人間関係学を発展させ、すぐに、
他のすべての学校に対する奉仕の、強い味方になるでしょう。
是非、これを行いましょう。
これこそ、行う価値のある他の如何なる活動よりも、価値の
ある、全世界的な「青少年」活動だと言うべきです。
結
論
以上の事実を考案した結果導き出される結論として、私たち
は結局楽観的でいいと確信しました。真のロータリアンは、い
つも楽観的です。
193
しかし、責任を回避する時間はありません。皆が、喜んで積
極的に、大胆不敵に、この事態に直面し、法則の光が導く場所
に赴き、本分を尽くすべき時です。商工業界や政界の大釜の中
で起こっている、全世界的な「混乱」は、次の三つを強く示し
ています。
1.自然の法則の違反による人種の破滅。
2.エジプトやローマの滅亡に見られるような、精神的な暗黒
時代の再現や不況。
3.新しい、より良い時代への人類の再生。
私は、個人的には、三番目の仮説を信じ、決して悲観論者に
なるまいと思っています。明日は気分が悪くなることを知って
いるために、気分がいい時でも、常に気分が悪いと言う老婦人
のようには、決して、なりたくありません。明日は悪くなるか
もしれないと、信じることはやめましょう。明日はもっと良く
なるに違いありません。
私たちは単に岐路に立っているだけで、どの道を選ぶのか
少々難しいだけなのです。しかし、私たちは奉仕の道を選ばな
ければなりませんし、それを確信しています。現在おける問題
点の多くは、自然の法則を学ぼうとする者が、自然の法則の違
反から生まれる苦しみしか見えないことにあります。遅かれ早
かれ、憎悪という地獄の炎に焼かれた人間は、奉仕の法則を学
び、人生と奉仕の法則の調和を図るようになるのです。神は、
文明の特定の流れの中で、私たちに法則の中の法則を学び、宣
言し、それに生命を与えようとしているのです。
194
現代の苦しみは大きいのですが、私はその中に、人類誕生の
産みの苦しみを感じています。そして、それは、新しくて良い
流れに向かっての誕生なのです。ちょうど、蝶がサナギから生
まれ、厄介な体で這い回ることから開放されて、空高く舞い上
がるように、人類が、利己主義と唯物主義という醜くて、ゆっ
くり這いまわっているサナギから開放されて、奉仕の原則の理
解と適用という輝かしい光の中に姿を現し、私たちが通り過ぎ
た過去の時代には、夢にも考えなかった、円満で有益な人間関
係の世界に舞い上がるのです。このことすべてを実証するため
に、共に立ち上がりましょう。これを現実のものにしましょう。
私たちの生活を、私たちが愛する法則の中の法則とそれに関連
する法則を、自然の法則に合致させることによって、そのこと
をロータリーが証明しようではありませんか。
ロータリーよ、永遠に。そして、それは、間違いありません。
基本的な法則である、神の真実のお陰で、ロータリーは決して
干上がることはないのです。
人間の意識の中で、物理的な分野において最強のナイアガラ
より強い「光」と「力」を持った、最も優れた発電機にならな
ければなりません。
最後に、全世界のロータリークラブに対して、法則に関する
ささやかな教訓と人生との関連に関する内容の、私の好きな無
韻文の作品を捧げる名誉を与えてください。
195
ナイアガラ
私はナイアガラの滝を見上げ、その滝音を聞き、激流が流れ
ていくさまを見ました。どこまで流れていくのか聞くと、「ど
こまでも」という答が返ってきました。
その水が深くじめじめした峡谷を流れ下るのを見ながら、ま
た、果てしなく続く流れ、間断なく早く流れていくのを見なが
ら、私はとりとめもなく、また、じっくりと考えました。ナイ
アガラは、騒がしく果てしなく動き、力強く速く流れ、平地で
は湖となり、ひとたぴ強風が吹けば、阿修羅のごとく荒れ狂い、
また、静かな川となって穏やかに流れ下ります。そして、最後
には、すべての水がたどり着く海に流れ込みます。私は、歩き
回りながら、これらすべては、その内容が人生に似ているので
はないかと考えました。
人生には、すべての事柄が、湖のように静かな時があります。
これは、私たちが人間として、神の意思と調和を保っている時
です。嵐に見舞われた湖のような、人生の激しく揺れ動く時が
あります。人間が神が創った愛の法則と衝突している時です。
人生の川が夜も昼もすべてが順調で、何の問題もなく、早く力
強く流れる時があります。急流の中に、岩や早瀬が割り込んで、
渦を巻き、泡立ち、苦労や困難ですべてがうまくいかなくなっ
た時には、人生のナイアガラを乗り切るために、私たちは法や
規則を行使しなければならない時もあります。そうしなければ、
私たちが見ている水のように、人間は流れ下って、地獄に落ち
ていくのです。
196
憎しみという精神的な谷の、悲惨という深くじめじめした峡
谷に向かって流れ落ちながら、罪の意識の苦痛から自らじっと
耐えている時、または、自らの運命にけじめをつける冷酷な死
に直面して、何とか急がなければと七転八倒しながらも、すべ
てがどうにもならない時があります。人間がこれらの厄介ごと
に疲れ果てた時、人間は、神が創った法則であるすべての自然
の法則に叛くことを止めようと、無限の創造主、全能の主に誓
いを立てるのです。
その誓いが真面目に立てられ、すべての分野で守られれば、
人生は再び、今日見たナイアガラの水のような川になります。
私は、その平和な川が、流れ下って、轟音をたてて滝となって
いるのを見た時、また、その水が今までの混乱を全く忘れたか
のように、曲がりくねりながら進んでいく様子を見た時、また、
巨大な谷間を曲がりくねりながら通ったり、荒々しい岩の浅瀬
の真ん中を、何ごともなくひと固まりになって通り抜けるのを
見た時、私は心から、全知全能の神に対して感謝の念を捧げる
のです。神の鞭は復讐の鞭ではありません。
もしも人間が、愚かにも、神が創った法則に逸脱して、自ら
の人生の平和な川の流れに滝を作っても、その人がすべきこと
は、人間としてそれを受け止めるだけでいいのです。神は荒れ
狂う奔流を鎮めてくれるのです。もしもあなたが、如何なる時
でも如何なる場所でも、神の許しを乞い、神の命令に従って神
の愛に値する行動を取るなら、神は、正義の荒々しい岩の壁か
らあなたを守り、平和な川に戻して、あなたの力を再び蘇らせ
197
てくれるでしょう。
皆さん、人生は運ではなく、法則なのです。そして、法則は
すべて神が創ったものなのです。正義は力の源です。そして、
過ちから脱却するには、そんなに時間はかかりません。もし、
あなたの人生が困難に巻き込まれたら、あなたが行った過ちを
見つけてください。決して他人のせいにしてはなりません。恐
れてはなりません。正直で、忠誠な人間になってください。良
心の声があなたにはっきり告げるところに従って、常に忠実で、
真実な人間になってください。これこそが、
「急流を乗り切る」
方法であり、
「滝」を作る方法であり、
「渦」を鎮める方法なの
です。神の法則に留意してください。そうすれば、あなたの人
生のすべての流れは、すべての人生が最後に到達しなければな
らない、海への道に向かって流れていくのです。すべての海の
中の海に、誰も見ることの出来ない海に、未来の海に、正義と
いう荒々しい岩の峡谷を通った、あなたの力を修復し、あなた
の力を再び蘇らせて、
「永遠」という海への道に向かって・・・。
田中 毅
198
訳
事業に成功する方法
人間関係学の面から、事業に成功する方法を考えてみたいと
思います。
私たちがロータリアンの身分を保っているのも、ロータリー
の会合に出られるのも、ひとえに自分の企業経営が順調に進捗
しているからです。
これは、経営者である皆さま方の力量によるところが大です
が、皆さま方の会社で働いてくれている従業員、事業所に色々
な品物を納めてくれている取引業者や下請け業者、事業所から
品物を買ってくれる顧客、さらに、私たちの事業が、その町の
中で普遍的に営んでいけるのは同業者がいるおかげであるこ
とを忘れてはなりません。
私たちを取り巻く全ての人たちのおかげで自分の事業が成
り立っているのだと考えるならば、自分が得た利益を、自分で
一人占めするのではなく、こういった自分の事業に関係する人
たちと適正にシェアをしながら、事業を進めていけば、必ずあ
なたの事業は発展していくはずです。
そのような経営方針を採用して事業が発展していく様を、あ
なたの事業所をサンプルとして実証すれば、あなたの同業者の
人たちは、あなたの事業経営方針を真似るに違いありません。
そうすれば、あなたの所属する業界全体が繁栄していくと共に、
業界全体の職業倫理も上がっていくというのが、He profits
199
most who serves best の本来の意味です。この考え方は今も昔
も変わらない真理です。
シェルドンは、持続して繁栄し発展しているいくつかの企業
に共通して見られる特徴を、サービスと名づけました。販売す
る商品や提供するサービスの品質が高いことが大切です。特に
食品の場合には味覚に加えて安全性が重要なポイントになり
ます。
適正な価格で品物や技術を顧客に提供することも大切です。
オイルショックの時に、品薄に乗じて法外な価格を設定し、マ
ーケットが正常に戻ったとき、誰からも相手にされなくなった
例などは、記憶に新しいと思います。いつでも、どの場所でも、
顧客がリーズナブルだと感じる価格を設定することが必要で
す。ただし付加価値の高い商品には高い価格がつくことは当然
です。
事業所における経営者、従業員の接客態度もサービスです。
つっけんどんな態度をとられると、二度と行きたくなくなるも
のです。十分な品揃えもサービスです。公正な広告もサービス
です。取り扱いの商品に対する知識も大切です。最近のように、
異業種への転向が盛んな時代では、商品知識も不充分のまま、
単に売りっぱなしにする店がかなりあるようです。商品のアフ
ター・フォローも大切です。いっぺん自分の店で売った品物に
対して責任を持つことが大切です。こういったものを総称して、
彼はサービスという言葉を使ったのです。
200
こういうことが守られている店には、もう一度行ってみよう
という気が起こりますし、親しい人を紹介しようという気も起
こります。一現さんだけを相手にしていたのでは、事業の発展
は望めません。リピーターが再三訪れるからこそ、事業が発展
するのです。たとえ一時的に客が集ったとしても、その客が一
回来ただけで愛想を尽かし、二度と訪れなかったら、その店は
必ず衰退します。これは製造業であらうと、小売業であろうと、
医者であろうと同じです。 これは現在でも立派に通用する真
理です。シェルドンの職業奉仕理念は、このことを理詰めに説
いているのです。
20 世紀初頭のロータリアンたちは、シェルドンの職業奉仕
理念をよく理解し、当時の産業構造にマッチするようにアレン
ジしながら、自らの事業や業界に適用する努力をしたのです。
いろいろな職業奉仕の事例を研究しながら、リピーターを確保
する方法を研究してきたのです。リピーターを確保するために
は、全面的な信頼を確保しなければなりません。そのためには
高い倫理基準を持つことが必要になってきます。すなわち、高
い倫理基準は、職業奉仕を実践したことによって得られる結果
なのです。
しかし、20 世紀から 21 世紀に移行している現在のロータリ
アンは、職業奉仕の原点を忘れて、ボランティア活動にのみう
つつを抜かしているものですから、ロータリーに入っても何の
メリットも得られません。メリットがないからどんどん辞めて
いくという悪循環を繰り返しているのではないでしょうか。何
201
十万円も会費をとって開催する経営セミナーだって、所詮、リ
ピーターを獲得するための戦略戦術を教えているに過ぎない
のですから、ロータリーの職業奉仕の哲学と実践方法を学ぶ方
がよっぽど効果的だと思います。
シェルドンの職業奉仕理念をまとめて見ましょう。自らが儲
けるために職業に就いているという考えを捨てて、顧客の満足
度を最優先しつつ、自らの職業を通じて他人に奉仕をするとい
う考えで事業を営めば、その真摯な態度が顧客の心を捉えて、
リピーターとして何度も事業所を訪れたり、新規の顧客を紹介
してくれるはずです。その結果大きな利潤が得られるとともに、
その事業所は継続的に発展していきます。
そして、そのような事業所は結果として高い職業倫理を持っ
ているはずです。職業奉仕は職業倫理を高揚することではなく、
職業奉仕の実践が結果として高い職業倫理につながるのです。
202
決議 23-34 の制定
ロータリー運動を、実際的な社会奉仕活動を実践する場とし
て捉える傾向は、地方の比較的小規模のクラブに多く見られ、
その代表的な例として、一連の身体障害児対策があげられます。
1913 年 12 月に、シラキューズ・ロータリークラブが開始した
身体障害児に対するリハビリテーション援助活動は、1915 年
には 200 名の身体障害児に対して 3000 ドルの基金を提供する
活動にまで発展しました。
1914 年のヒューストン大会において、ラッセル・グレーナ
ー会長は貧困家庭における身体障害児に対する義手義足およ
び車椅子、治療、外科手術のための基金の必要性について言及
しています。
1915 年には、ニューヨーク・ロータリークラブは身体障害
児病棟に対して多額の寄付をしていますし、同年、手作りの車
椅子の少年に対して援助活動を行ったトレド・ロータリークラ
ブの活動は、その後、トレド身体障害児協会の設立にまで発展
しました。
エドガー・アレンは、具体的な身体障害児援助活動を提唱し、
それを実践するためにエリリア・ロータリークラブに入会しま
した。ロータリークラブ入会の条件として、彼が進める身体障
害児の総合的対策事業をクラブが積極的にバックアップする
ことを申し出て、ロータリアンとしての生活のすべてを身体障
203
害児対策に捧げ、その活動は 1919 年にはオハイオ州身体障害
児協会の設立に、1921 年には全米身体障害者協会の設立にま
で発展しました。更に 1939 年には国際身体障害児協会を設立
しその組織を全世界に広げました。彼は後に、「ダディ・アレ
ン」と親しみと尊敬を込めて呼ばれています。
社会奉仕活動が、ロータリー活動の中で市民権を得るように
なったものの、今度はその奉仕のあり方をめぐって論争が起こ
りました。
ロータリー運動を職業奉仕として捉えた理論派は、ロータリ
ークラブの使命は、ロータリアンに「奉仕の心」を形成させる
ことであり、ロータリアン個人個人が、He profits most who
serves best と Service above self の心を持って、自分の職場
や地域社会の人々の幸せを考えながら、職業人としての生活を
歩むことであると考えました。すなわち、クラブ例会で会得し
た高いモラルに基づく「奉仕の心」で事業を行い、その考えを
業界全体に広げていくことが、全ての人々に幸せをもたらし、
それが地域社会の人々への奉仕につながることを確信してい
たのです。
もし、職業奉仕以外の分野で、奉仕に関する社会的ニーズが
あれば、夫々の会員が個人の奉仕活動として実施するか、自分
が属している職域や地域社会の団体活動として実施すればよ
いのであって、クラブはあくまでも、どのような社会的ニーズ
があるのかを提唱するだけに止めるべきである。社会奉仕に関
しては、ロータリークラブが実施母体になるのではなく、その
204
ニーズを世に訴え、それに対処する運動が盛り上がるような触
媒として機能すべきである。どうしても、地域社会に何かした
いのならば、職業上得られた Profits から個人的に行ったらよ
い、という考え方でした。
これに対して、人道的奉仕活動に重きをおく実践派は、現実
に身体障害者や貧困などの深刻な社会問題が山積し、これまで
にロータリークラブが実施してきた社会奉仕活動が実効をあ
げていることを根拠に、理論派とことごとく対立しました。実
践派から見れば、奉仕の機会を見出して、それを実践すること
こそロータリー運動の真髄であり、単に、奉仕の心を説いたり、
奉仕理念の提唱に止まる理論派の態度は、責任回避としか写ら
なかったのです。
全米の多くの地方クラブが障害児対策に熱中し、他の奉仕活
動はそっちのけで社会奉仕即障害児対策と競い合い、さながら
福祉団体か慈善団体の様相を呈しているというのが、当時の実
情でした。
両派の論争は、個人奉仕と団体奉仕、さらに金銭的奉仕の是
非にまで発展して、激しい対立が続きました。
最終的には、エドガー・アレンとエリリア・クラブに代表さ
れるような、多額の金銭的支出を伴うクラブによる団体奉仕を、
ロータリーの社会奉仕活動として認めるか否かが議論の中心
になりました。
ロータリーの思考体系には、その原則を崩せばロータリー運
動そのものを危うくする必要条件と、ロータリアンやクラブの
205
考え方や行動に対して、その立場と善意を尊重して、容認する
ことができる充分条件があります。奉仕の実践は、将にこの充
分条件の分野に入る事柄であり、従来から行われている色々な
社会奉仕活動の考え方や行動を調和させることが、是非とも必
要でした。
1922 年、従来の全国ロータリークラブ連合会が国際ロータ
リーに改組され新しい定款細則が制定され、ロータリーの綱領
も新しく変更されました。
ロータリーの綱領は次の事項を奨励かつ育成するにある
1 すべての尊ぶべき事業の基礎として奉仕の理想
2 実業および専門職業の道徳的基準を高めること
3 ロータリアンすべてがその個人、職業生活および社会生活に
常に奉仕の理想を適用すること
4 奉仕の機会として知り合いを広めること
5 あらゆる有用な職業は尊重されるべきであるという認識を
深めること、そしてロータリアン各自が職業を通じて社会に
奉仕するためにその職業を品位あらしめること
6 ロータリーの奉仕の理想に結ばれた実業人と専門職業人の
世界的親交によって、理解、親善と国際間の平和を増進する
こと
RI 理事会は、1922 年に開催されたロスアンゼルス大会で、
206
エリリア、トレド、クリーブランドの 3 クラブ共同提案を受け
て、次の様な決議を採択しました。
決議 22-17
ロータリアンが身体障害児に対する関心を示し、かつ彼等障
害児に身体的矯正や外科的治療を施すことが有効な場合には、
これを援助したいという意欲を表明していることに鑑み、国際
ロータリー第 13 回年次大会は、各ロータリークラブが行って
いるかかる人道的活動を賞揚し、且つ本大会に出席している各
代表者に対し、この問題に関する注意を喚起し、またこの運動
が各クラブの地域社会に於ける奉仕の機会を提供するもので
あることを、それぞれのクラブに認識させるようここに決議す
る。
これに対して、ロータリーの奉仕活動の実践は個人奉仕なの
で、クラブがこの様な問題に直接関与すべきではない、クラブ
には自治権があるので、クラブ活動に対して RI が指示すべき
ではないという反論が起こり、この決議を行った直後に開催さ
れた理事会では、これと全く反対の次のような決定を行いまし
た。
国際ロータリーは、世界各国の身体障害児童問題が重要であ
ることを認め、各ロータリークラブの各会員が何らかの形で身
207
体障害児童救済の事業に関係することを喜ぶであろう。然し、
国際ロ一タリーは、気のりしないロータリアンにこの種の事業
に関係することを強制することは望ましくないと信じている。
国際ロ一タリーは叉、ロータリークラブやロータリー会員が、
身体障害児童救済事業のような立派な仕事でも、これに全く夢
中になったために、ロータリークラブの真の役割が忘却され、
ロータリーの基本的で特色ある目的が見失われ、叉は忘れられ
るならば、それは望ましいことでもないし、叉ロータリー福祉
のためにもならないものと考えている。
理事会の態度は更に二転三転し、1923 年のセントルイス大会に
おいて「決議 23-8
障害児並びにその救助活動に従事する国
際的組織を支援せんとする障害児救済に関する方針採択の件」
という、とんでもない決議を提案する姿勢を示しました。
決議 23-8
今や数多くのロータリークラブやロータリアンが、オハイオ
州やロータリーの計画として知られている基本的な身体障害
児活動に対して関心を抱いている。ロータリークラブはこの計
画の下で、身体障害児活動に対する二つの方向からの役割にお
いて、有利な立場に立っているものと思われる。一つは職員の
安全な協力と州や郡などの自治体の部局や職員の協力が得ら
れることであり、もう一つは、身体障害児(および両親、保護
208
者)に対する個人的な接触によって、これらの子供を正常で、
健康で、自立できる人間にする機会を与えることができること
である。
統計によれば、ロータリークラブが存在するすべての国で、
18 才以下の人口 1000 人に対して 3 人の割合で身体障害児が存
在する。身体障害児に対する活動は、近代文明の恩恵を受ける
者として、社会的かつ人道的な義務である。国際ロータリーは、
身体障害児に対する活動をロータリーの主要な活動として、年
次プログラム活動に組み入れるべきであることを、第 14 回年
次大会において、決議する。
理事会の決定によってその義務が明記された身体障害児活
動委員会として 5 人のロータリアンによる委員会が、理事会の
承認の下で、毎年会長によって任命されることを決議する。理
事会は、委員会に協力するために、身体障害児活動のための事
務局を設置することを命じると共に、委員会と事務局の指針と
して、次の方針を採択することを決議する。
国際ロータリーは、ロータリークラブを通じて、次の提案を
行う。
(1)米国の様々な州や世界の様々な国における身体障害児につ
いて、身体障害児に対する現況と立法上の措置を調査するこ
と。
(2)個々の身体障害児の必要性に従って、様々な州やその他の
行政部門における立法上の措置に適した定型的な計画を立て
ること。
209
(3)身体障害児に対する関心を高めるために、様々な州や国の
行政部門の中で身体障害児の福祉を促進することを目的とす
る協会組織を支援することを奨励すること。
(4)情報やアイディアの交換およびその他の実用的な方法によ
って、整形外科の振興を支援し、必要な研究の継続し、予防法
を開発し、病院管理、設備、身体障害児の治療法の改善を図る
こと。
(5)世界中の身体障害児が高度な医学や外科手術や教育を身近
なものに出来るように、その手順の標準形式を構築すること。
(6)すべての身体障害児に専門教育や職業教育を提供するため
に、身体障害児のための特殊学校を創設すること。
すべてのロータリークラブやロータリアンがこのプログラ
ムに関心を抱き、それぞれの地域社会の必要性に従って、この
活動に参加することを決議する。
身体障害児活動のプログラムを成功裏に達成するための資
金を捻出するために、この活動を実践するためにすべてのロー
タリアンが 1 ドルの特別寄付をすることを決議する。
クラブ幹事は、クラブの会員からの寄付金を受けて、国際ロ
ータリーの事務総長に送金する権限を与えることを決議する。
事務総長は他の収支と、国際ロータリーが身体障害児のために
行った活動に関する収入と支出を別個に記載し、理事会は毎月
その口座の収支報告を行うものとする。国際ロータリーの年次
大会において、会長と事務総長は昨年度の身体障害児活動の完
全な報告を行うことを決議する。
210
注: この活動のために、一人当たりの 1.00 ドルの特別寄付金
を要請すれば、結果として、北アメリカのロータリアンは少な
くとも 5 万ドルを寄付することになって、この金額は身体障害
児のための委員会および部局活動の 2 年分を賄うものと思われ
る。5 万ドル以上を受け取れば、3 年間の活動に備えることも
可能であるが、最初の 2 年間の活動に使うべきである。
国際大会において、会長、理事会、地区ガバナーが提言するこ
とによって、北アメリカのロータリアンがこの寄付金を集める
ことが予想される。
約 25.000 ドルの年間費用は、部局の責任者、4 人の速記者お
よび事務局員、印刷費、通信費、文具、事務所賃貸料および諸
経費、委員長・委員・部局の責任者が各州の組織を開発したり
活動したりするための旅費を賄うものである。
これは積極的に身体障害児対策を推奨するために、国際身体
障害児協会の仕事をロータリーが代行し、その費用を援助する
ために、RI中央事務局が年間1ドルの特別人頭分担金を徴収
することを定めたものであり、もしも、これが決議されれば、
理論派の反対はもちろん、奉仕活動の実践に対するクラブ自治
権の問題までもが加わって、収拾がつかなくなることは必至で
した。
これに反対したウイル・メーニア、ラッフス・チョピンたち
は、「駱駝がやってくる」と称する一大反対キャンペーンによ
211
って、セントルイス大会の代議員たちを説得すると共に、決議
23-8 に反対するために決議 23-29 を提案する準備を進めまし
た。
決議 23-29
綱領に基づく諸活動に関するロータリーの方針
ロータリーの綱領の範囲を超えた活動をロータリークラブ
に行わせ、そのような活動を国際ロータリーに推進且つ指示さ
せようという動きが見受けられる。
このような活動を認めると、そのような活動に従事すること
に意欲を持たない多くのクラブに無理な仕事を課することに
なり、更に支出増となり、それに見合った増収が必要となる。
第 14 回国際大会に於いて、以上を勘案して、ロータリーの方
針として、ロータリー綱領に明確に規定されていない如何なる
活動又は如何なる企画推進をも禁止することを決議した。更に
ロータリークラブは国際ロータリー以外の如何なる団体の会
員又は支部になることを禁止する。
障害児に対する支援活動はロータリアンが個人としてその
活動に参加することは価値があり且つ適切なものであるが、此
処に述べた方針に従って決められるべきものであり、且つその
活動は国際ロータリーの活動としてはならないことを決議す
る。
国際ロータリーは障害児国際協会、州支部およびその他の諸
212
団体による障害児のための立派な奉仕活動を賞賛しており、ロ
ータリアンが個人としてこの素晴らしい活動に参加すること
を妨げるものではない。但し、国際ロータリーは、このような
活動とは公的には無関係であることを更に決議する。
当時はすべての立法案は年次大会で討論していましたから、
もしもこの大会に決議 23-8 と決議 23-29 の双方が提出されれ
ば、大混乱に陥ることは確実なので、何とかこの事態を回避し
なければならないということで、そ
の対策が話し合われました。その結
果、ナッシュビル・クラブのウイ
ル・メーニアと 4 名の決議委員によ
って作られた、収拾案とでも言うべ
き決議 23-34 を提案する代わりに、
決議 23-8 と決議 23-29 の双方を撤
回することで、この論争に終止符が
打たれることになったのです。決議
委員長の指名を受けたメーニァと 4
ウイル・メーニア Jr.
名の決議委員は、決議 23-34 をた
った 2 日で書き上げ、この 1,000 語
からなる決議案は直ちに大会に提案されて、一言の訂正もなく
採択されました。
[決議 23-34]の原文には、[綱領に基づく諸活動に関する
213
ロータリーの方針]というサブ・タイトルがつけられ、ロータ
リー運動全般にわたって、奉仕の実践をめぐる、個人奉仕か団
体奉仕かに対する長い間の論争に終止符を打つものであると
同時に、RIとクラブとロータリアンの機能を明確化し、ロー
タリアンとクラブが行うロータリーの諸活動に関する根源的
な指針となるものでもあります。
セントルイス大会で決議された最初の[決議 23-34]は、その
後幾つかの項目について部分的に改正され、そのタイトルも
[社会奉仕に関するロータリーの方針]と改正されて、現在の
形になっています。
◎デンバー大会[決議 26-6]による改正
(1) 決議 23-34 のタイトルを[社会奉仕に関するロータリーの
方針] The Policy of Rotary toward Community Service
Activities に変更する
(2) 第一節を、「ロータリアンのすべてがその個人生活、職業
生活、および社会生活に奉仕の理想を適用することを鼓吹、育
成するにある。 」と改正する。
(3) 第五節の but must translate itself into objective activity
の中の objective activity 以外の、その他の語句 objective
activity は community service activity に改める。
(4) objective activities は community service activities に改
める。
(5) civic activity と civic enterprise は community service
214
activities に改める。
◎アトランティック・シティ大会[決議 36-15]による改正
決議 23-34 の4を以下の通りに修正する。
4
奉仕するものは行動しなければならない。従って、ロータ
リーとは単なる心構えのことを言うのではなく、また、ロータ
リーの哲学も単に主観的なものであってはならず、それを客観
的な行動に表さなければならない。そして、ロータリアン個人
もロータリークラブも、奉仕の理論を実践に移さなければなら
ない。そこで、ロータリークラブの団体的行動は禁じられてい
る訳ではないが次のような条件の下に行うよう勧められてい
る。いずれのロータリークラブも、何か社会奉仕活動を持ち、
クラブ全員の一致した協力を必要とし、さらにクラブ会員の地
域社会における個々の奉仕を奨励するためのプログラムでな
ければならない。
◎アトランティック・シティ大会[決議 51-9]による改正
文中の the objects of Rotary を the object of Rotary に改
正。
◎トロント大会[決議 64-43]による改正
決議 23-34 の4を以下の通り修正する。
4
奉仕するものは行動しなければならない。従って、ロータ
リーとは単なる心構えのことを言うのではなく、また、ロータ
215
リーの哲学も単に主観的なものであってはならず、それを客観
的な行動に表さなければならない。そして、ロータリアン個人
もロータリークラブも、奉仕の理論を実践に移さなければなら
ない。そこで、ロータリークラブの団体的行動は次のような条
件の下に行うよう勧められている。いずれのロータリークラブ
も、毎年度、何か一つの主だった社会奉仕活動を、それもなる
べく毎年度異なっていて、できればその年度内に完了できるよ
うなものを、後援するようにすることが望ましい。この奉仕活
動は、地域社会が本当に必要としているものに基づいたもので
あり、かつ、クラブ全員の一致した協力を必要とするものでな
ければならない。これは、クラブ会員の地域社会における個々
の奉仕を奨励するためにクラブが継続的に実施しているプロ
グラムとは別に行われるべきものとする。
◎トロント大会[決議 66-49]による改正
決議 23-34 の6を以下の通り修正する。
6(3) ロータリークラブが奉仕活動を選ぶ場合には、奉仕活動
についての宣伝とか、または、何らかの見返りを望むものでは
なく、ただ奉仕をする機会を求めるべきである。
代表的な決議として、あらゆる機会を通じて引用される[決
議 23-34 ]は、極めてポピュラーな存在であるにもかかわらず、
タイトルだけが一人歩きして、内容を完全に理解していないロ
ータリアンが多いことも確かです。
216
[決議 23-34 ]は、採択された当初のタイトルが[綱領に基
づく諸活動に関するロータリーの原則]であったことからも判
るように、単に、社会奉仕に関する指針として定められたもの
ではなく、ロータリーの全ての活動に関する指針であったこと
に着目しなければなりません。
ロータリーの奉仕活動を、クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、
国際奉仕に分ける目標設定計画が採用されたのは 1927 年であ
り、
[決議 23-34]が最初に採択された 1923 年には、未だ[社
会奉仕]の分類は存在していませんでした。1926 年のデンバ
ー大会において、この決議のタイトルが[社会奉仕に関するロ
ータリーの方針]と改正されて、始めて Community Service
という言葉が登場しますが、それ以前に使われていた
Community は狭義の[社会奉仕]よりはるかに広い範囲を指
しています。
以下、現行の[決議 23-34 ]の各項について、その詳細を解
説してみたいと思います。
第一条
ロータリーとは
ロータリーは職業人の理想を現実に近づけようとする実践
理論に基づく、深淵な人生哲学です。人の心には、限りなく資
本を蓄積し利益を追及したいという欲望がある反面、己れを犠
牲にしてでも恵まれない弱者のために奉仕をしなければなら
ないという義務感があり、この両者は常に葛藤を繰り返してい
217
ます。この全くあい反する二つの心を調和する哲学こそ、ロー
タリーにおける奉仕の心、つまり[利己と利他との調和]なの
です。ロータリーでは、この哲学を二つの奉仕理念、すなわち
He profits most who serves best と Service above self とい
うモットーで表明しているのです。
第二条
ロータークラブとは
ロータリークラブとは、ロータリーが提唱する奉仕哲学を受
入れ、それを実行する職業人の集合体です。奉仕哲学を学ぶ場
はクラブの例会であり、奉仕の実践活動は、原則としてロータ
リアン個人に委ねられていますが、これは、決してクラブ・レ
ベルの団体奉仕活動を全て否定するものではありません。
ロータリアンはそれぞれの職場や地域社会や国際社会で、無
限に広がる奉仕の実践の機会を持っています。しかし、現実の
問題として、いざそれを個人レベルで実践に移す段になると、
そう簡単にできるものではありません。個人個人には行動力の
差があるし、目の前にぶらさがっている奉仕の機会に気がつか
ない場合もあります。何処にどのようなニ-ズがあるのか、ど
のようにして奉仕のニ-ズを見つけだすのか、どの程度または
いつまで行えば良いのか、事後処理はどうしたらよいのか、マ
ンパワ-は、財源はと考えていると、ついつい、実践に移すこ
とにためらいが生じてきます。そこで、ロータリアン個人に奉
仕の実践を促す教科書として、ロータリークラブがサンプル的
な奉仕活動を実施する必要が生じてくるのです。
クラブ例会で学ぶロータリーの奉仕理念、すなわちロータリ
218
ーの哲学を同業者や地域社会一般に知らさなければなりませ
んし、奉仕活動の実践はロータリーのみに与えられた特権では
ありません。ロータリークラブとロータリアンが示す実践によ
って、ロータリー哲学に基づいた奉仕活動の有効性を社会一般
の人に実証し、広げていかなければならないのです。
第三条
国際ロータリーの目的
RIは奉仕の理想を啓発普及することと、拡大、クラブ運営
の援助と管理のために存在するものであり、クラブがRI定
款・細則、クラブ定款に違反した場合に発動される直接監督権
以外のあらゆる事項について、口をはさむことはできません。
当然のこととして、各ロータリークラブが実施する奉仕活動に
ついて干渉したり、RIや地区が奉仕活動の実践母体になるこ
ともあり得ないのです。
更に、RIには情報伝達の役目があり、クラブ間およびRI
とクラブ間の情報を媒介し、適切な助言や援助を与えなければ
なりません。ただし、RIに加盟しているのはクラブであるこ
とから、その権限はクラブの代表権者である会長、幹事にのみ、
行使することができ、ロータリアン個人には及びません。
第四条
行動哲学
ロータリーとは単なる心構えのことを言うのではなく、それ
を客観的な行動に表さなければなりません。ロータリーの哲学
は行動哲学であることが定義されています。
ロータリークラブの団体的行動は、毎年、何か一つの主だった
社会奉仕活動を、それもなるべく毎年度異なっていて、できれ
219
ばその年度内に完了できるような活動であると同時に、地域社
会のニーズに基づき、クラブ全員が参加するものでなければな
りません。
社会奉仕のニーズは限りなく存在します。一般の人たちから
寄せられるもの、ロータリアンが媒体になって見つけたもの、
またRIや地区から提案されたプロジェクトも加わります。こ
れらの奉仕の機会は、クラブ例会や委員会によって、その必要
性や優先順位や方法が徹底的に調査検討され、ロータリーの奉
仕理念に合致するものと、そうでないものとに整理されます。
その作業の過程で、ロータリアン個人個人の心の中に、奉仕哲
学と具体的に奉仕活動を実践する心が芽生えてくるのです。
これらのニ-ズの中から、最も効果的なプロジェクトが選び
だされて、会員に対する教育効果を狙ったサンプルとして、ク
ラブ・レベルの団体的奉仕活動が実践されますが、それがいか
に効果的なプログラムであったとしても、五年も十年も継続す
ることは好ましくありません。クラブとして団体的な奉仕活動
をしても、そこで結集されるマンパワ-は、そのクラブの会員
数でしかないし、活動資金もニコニコ箱だけですから、極めて
限られた額に過ぎません。一人一業種で選ばれたロータリアン
は、その業界や地域社会のリ-ダ-であるはずなので、自分が
影響力を及ぼす業界や地域社会のマンパワ-を結集すれば、そ
の効果は何十倍にも増幅されることになります。
いまだに、I serve か We serve かと議論を続けたがるロータ
リアンがいますが、この問題に対する回答が、この項目に明示
220
されているのです。
第五条
奉仕活動実践に関するクラブの自治権
ロータリークラブは社会奉仕活動の選択に関して絶対的な
権限を持っていますが、ロータリーの綱領を無視したり、ロー
タリークラブ存続を危うくするような活動を行ってはなりま
せん。RIは奉仕活動のニーズを探ったり、示唆をすることは
できても、その実施をクラブに命じたり、逆に、クラブが独自
に実施している奉仕活動を禁じたりする権限は持っていませ
ん。
第六条
クラブが行う社会奉仕活動の指針
ロータリークラブの目的は社会奉仕活動の実践を行うこと
ではなく、社会奉仕活動の必要性を会員に自覚させ、更に、地
域社会の人々を取り込んで実践させることにあります。従って、
たとえ、クラブが団体的な奉仕活動を行ったとしても、それは
教育的効果を狙ったサンプルに限定され、他の団体や組織が既
に実施している活動を横取りしたり、模倣するものであっては
なりません。最初はロータリークラブが手掛けた活動であって
も、その活動に専念できる組織が現われたら、それに任すべき
ですし、むしろ、そういった専門組織を作り育てることがロー
タリーの役目とも言えましょう。
ロータリークラブが他の奉仕活動団体に加入したり、共同で
事業をすることには、厳しい条件がつけられていますが、ロー
タリアンが個人の資格で、商工会議所や国際交流団体や社会福
祉団体、社会教育団体など行政の外郭団体の有力な構成員とし
221
て、その活動に参画することは一向にかまいません。むしろ、
これらの団体の一員として、善意の地域社会や職域団体の人と
共に、ロータリーで学んだ奉仕の理想を前提とした実践活動を
することが望ましいのです。
地域社会のニ-ズが行政の怠慢に端を発しているのならば、
これらの団体の力を借りて、圧力をかけることによって、行政
本来の責を果たさせたり、時によっては専門の処理機関を作る
作業に発展する場合もあります。
いかに素晴らしい事業をしたとしても、それを宣伝の具にし
てはなりませんが、正しい広報活動として告知することは、一
向に差し支えありません。たとえロータリークラブが先鞭を切
って行った事業でも、それに協力した団体や機関があれば、手
柄を譲る謙虚さが必要となります。
222
四大奉仕への分化
1927 年のオステンド大会においてロータリーの組織管理の
合理化が行われ、実践上または管理上の利便から抜本的に再編
成されて、現在の四大奉仕に基づいた委員会構成に変更されま
した。
すなわち、Aims and Objects 委員会の下にクラブ奉仕、職
業奉仕、社会奉仕、国際奉仕委員会を置き、理事をそれぞれの
委員長に充てるというもので、現在の委員会構成の原形ともな
るものです。この考え方は、1931 年度 RI 会長シドニー・パ
スコールとビビアン・カーターが、ロンドン・クラブの一会員
であった頃、ハイド・パークを散歩しながら思いついたものだ
と言われています。RIBI がパイロット・プログラムとして何
223
年か試行した結果、芳しい成果が得られたので、1927 年のオ
ステンド大会において正式に採用されたものです。
四大奉仕委員会について RI は次のように説明しています。
クラブ奉仕委員会の仕事はクラブの中での団結心を育成す
るものであり、クラブ奉仕のプログラムを通じて奉仕理念を伝
達し、クラブ内で会員同士の親睦をはかり、会員の視野を広め、
ロータリーの実践的な活動よりも、むしろ内面的な側面の増進
に努めるものです。個々の会員がクラブ奉仕委員会の仕事の恩
恵を充分に受ければ、その当然の結果として奉仕理念に対する
会員の信念を表明する道を求めるでしょう。会員はロータリー
の内面的な側面だけでは満足出来ないで、それを適用する道を
求めます。会員が奉仕理念を求める三つの道が職業奉仕、社会
奉仕、国際奉仕なのです。
職業奉仕委員会はクラブ会員がその職業関係における諸責
務を遂行し、各会員それぞれの職業における慣行の一般水準を
引き上げる上に役立つ指導と援助をあたえるような方策を考
案しこれを実施します。奉仕理念を受諾したロータリアンは事
業遂行にあたり顧客、依頼人、更に間接的に一般社会に最高の
奉仕を尽くしたいと考えるでしょう。その結果従業員は生活水
準及び教育、文明の一般的な向上に参加します。更に、事業を
行っている地域社会が生活を営むのにより良い場所になるこ
とを願うでしょう。職業奉仕は各ロータリアンに対して其々の
特定事業が属している業界全体により高度の行動基準を提唱
224
する責任を持っています。ロータリアンが携わっている事業、
専門職務を通じて地域社会、世界中の人達との日常の取引関係
において、奉仕の理想を生き生きとして活力にあふれた活動的
な力にすることは可能であり又そのようにしなければなりま
せん。
奉仕理念に奮い立った会員がその態度を示す最初の機会は
自らの職業を通じて行うことです。当然の結果として地域社会
が二番目の場所になりますが、ここにおける奉仕の機会は無限
に広がっていきます。会員自身の町や州だけでなく国からさら
に世界中に奉仕理念は広がります。ロータリーの奉仕理念が正
しく理解され、地域社会の人々を通じて適用されれば、地域社
会、子供たち、市民とその諸団体に奉仕する機会を十分に見出
すことが出来るでしょう。
ロータリーに入会して奉仕理念の意味について満足できる
説明を受けて職場、地域社会で実践の機会を求めると、奉仕は
町や市の境界に制約されないで、州や国の境にも限定されない
で地球の果てまで広がることに気が付きます。国際奉仕委員会
は会員にこの機会を見出すことを支援するのです。
四大奉仕の採択によって、ロータリーの奉仕活動実践の実体
と、クラブ管理運営の実体とが一致して合理的になりましたが、
その一方で、ロータリーの理念を研鑚する場が、四大奉仕のど
の部分で行うのかが特定されにくいことから、とかく、原理が
軽視されたり、否定され易い傾向が生まれてくる結果となった
225
といわれています。
これに伴って四大奉仕に適応した推奨ロータリークラブ細
則が制定されました。ちなみに 1927 年の推奨クラブ細則に基
づく委員会構成は次の通りです。
大規模クラブ
クラブ奉仕・・職業分類、会員、親睦、出席、プログラム、広
報
職業奉仕
社会奉仕・・・青少年活動、身体障害児、都市近郊知己推進、
学生奨学金基金
国際奉仕
規模中小クラブ
クラブ奉仕・・職業分類・会員、親睦・出席、プログラム・
広報
職業奉仕
社会奉仕・・・青少年活動、身体障害児
国際奉仕
その推奨細則の冒頭には「注:本細則は単に推奨されている
にすぎない。従ってロータリークラブはクラブ定款および国際
ロータリー定款、細則と矛盾しない限り、クラブ独自の事情に
応じて変更することができる。」と記載されています。その後
226
推奨細則が何度か改正されましたが、その都度同様な但し書き
が付けられて現在に至っています。
「ロータリーの綱領」は四大奉仕を説明したものだという人
がいますが、それが間違いであることは、当時のロータリーの
綱領は 6 項目からなるものであり、現在のように 4 項目の綱領
ができたのは 1935 年になってからであることからも明らかで
す。
決議 23-34 のサブ・タイトルは、「綱領に基づく諸活動に関
するロータリーの方針」となっており、本来はロ-タリ-の綱
領に明記されているように、個人生活、職業生活、社会生活を
含んだ広義のコミュニティ全般に適用すべき指針なのですが、
1927 年の四大奉仕採用を先取りして、1926 年のデンバー大会
[決議 26-6]において、狭義のコミュニティを表す「社会奉仕
に関するロータリーの方針」と改正されました。
227
シェルドンの逝去
ヨーロッパ、特にイギリスのロータリアンは He profits most
who serves best というモットーについて、当初から強い反発
を持っていた模様です。シェルドンは事業を学問と考えて、法
則を当てはめた上、原因結果論から継続的な物質的利益をあげ
ることを前提にした職業奉仕理論を提唱しましたが、ヨーロッ
パの人にとって職業は神から与えられた天職であるという考
えが前提であり、物質的な利益よりも道徳的宗教的な伝統を尊
重する傾向が強かったのでしょう。さらにシェルドンの論文に
は神という言葉はほとんどでてきませんし、天職という言葉は
一 切 使 っ て 今 選 。 Vocation と い う 単 語 を 使 わ ず 敢 え て
Occupation を使っていることもヨーロッパの人にとっては耐
えられなかったのかも知れません。
元来、天職という発想がルター、カルビン、マックス・ウエ
ーバーとヨーロッパに端を発しているだけに、シェルドンは敢
えてこれに反発したのかも知れません。そのような経緯があっ
てか、現在でも規定審議会には毎回のように、イギリスから職
業奉仕のモットーを廃止する提案が出し続けられています。
1927 年のオステンド大会で四大奉仕が実施された際、その
パイロット・プログラムに参加したのがイギリスであったこと
から、職業奉仕が Vocational Service と命名されたことから、
職業天職論が主流となり、その後シェルドンの職業奉仕理念は
228
衰退の一途をたどることになります。
1929 年に世界大恐慌が起こり、1930 年には職業奉仕理念の
提唱者であるアーサー・フレデリック・シェルドンがロータリ
ーを退会します。その理由は定かではありませんが、相変わら
ず続いていた He profits most who serves best を廃止しよう
という提案が、1929 年のダラス大会で決議 29-7 として提案さ
れ、賛成と反対が伯仲して、危うく通過しそうになったことや、
同じ国際大会で、身体障害児童の救済事業をロータリーの最優
先課題として実践することが決定したためとか、ポール・ハリ
スとの意見の対立が決定的になったとか、単に病気のためとか
いろいろの説がありますが、真の理由は定かではありません。
1930 年、シェル
ドンはシカゴ・ク
ラブを退会し、
1935 年に亡くな
ります。彼がロー
タリーに与えた
影響は極めて大
きく、シェルド
ン・ビジネス・ス
クールの卒業者
名簿には 25 万人
の名前が掲載されており、その中にはチェスレー・ペリーやジ
ョン・ナトソン、ジョージ・ピンカム、ロバート・デニーの名
229
前も含まれています。
現在、彼のお墓は、ニューヨーク州のキングストーンにあり
ます。彼のお墓には質・量・モードを表す奉仕の三角形と、
He profits most who serves best の文字がはっきりと刻み込ま
れています。
シェルドンの没後、イギリスの標的は職業奉仕のモットーの
具体的内容を表したドキュメントである道徳律の廃止運動に
変化していきます。その影響を受けて、1931 年に道徳律が頒
布禁止になり、1948 年には RI の職業奉仕委員会が廃止になり
ます。さらに 1951 年には道徳律そのものが廃止され、1980
年には RI 細則に細々と残っていた道徳律という言葉も抹消さ
れます。
230
四つのテスト
1929 年から始まった世界大恐慌の時期に、ロータリアンが
なしとげた大きな業績の一つに、四つのテストの制定がありま
す。ハーバート・テーラーは、包装済食品の戸別訪問販売の職
業分類を持つシカゴ・クラブの会員でしたが、やりがいのある
職業を捨てた彼は、折からの経済恐慌の煽りを受けて、40 万ド
ルの負債を抱えて、倒産に瀕していたクラブ・アルミニウム社
の社長に就任します。
景気は冷え込んでい
るし、社員の勤労意欲
も落ち込んでいます。
もしその操業が止まれ
ば、250 人の従業員が
仕事を失うことは間違
いありません。
普通の人ならば決し
てそのような役目は引き受けなかったでしょうが、ハーバート
は、敢えてその困難な仕事に挑戦したのです。そして、こんな
ときにこそ、全員が倫理的なターゲットを掲げて、正しい営業
活動を行えば、必ず会社が再建できるのだということを実証す
るために、画期的な経営管理の指針を考え出したのです。
ハーバート・テーラーが「四つのテスト」を社員に提示した
231
当日に、「世界で最も優れた調理器具」と書かれた広告の校正
刷りが、彼の机に届きました。彼は、そのことを証明すること
はできないし、真実ではないかもしれないと言って、広告担当
のマネジャーを呼び、すべての「最高」とか「よりよい」とか
「最もよい」とか「最も見事な」のような単語を使うことをや
めて、製品についての事実だけを述べるように指示しました。
それから 2 ヶ月経って、会社が再び収益を上げ始めた頃、それ
ぞれ宗教の違う四つの部署の責任者を呼んで、四つのテストが
信仰上の教義に反しないことを確認した上で、全社員にこれを
全ての職場で適用すること了解させました。大向こうをうなら
せるような、派手な出発ではありませんでしたが、従業員たち
は印刷されたその文章を手にしながら、それぞれの職場でそれ
を実行し始めたのです。まさしくその単純さが効果的であり興
味をそそったのです。
会社が印刷所に、低い入札価格によって大きな注文をすると
いう事件が起こりました。印刷所が品物を届けてしまった後に、
見積価格を大幅に間違ったことに気き、無理とは思いながらも、
会社にその差額を払ってもらえないかと尋ねてきました。合法
的にまた社会通念上からも、会社はその訴えを無視することは
可能でしたが、四つテストの 2 番目の「すべての人に公平か?」
に当てはまるとして、全額が支払われました。
クラブ・アルミニウム社の業務は改善を続け、5 年後には、
その借金は利子と共に完済し、15 年後には、株主に多額の配当
を分配するまでになりました。四つのテストは理想主義をはる
232
かに越えて、極めて実用的なものだったのです。
シカゴ・クラブがその四つのテストの存在を知ったのは、
1939 年になって、ハーバート・テーラーが商工会議所でその
話をした時に、偶然、二人のロータリアンがゲストとして居合
わせたからです。ハーバート・テーラーが 1939-1940 年にク
ラブの会長になり、更に、国際ロータリーの会長を歴任した際、
[四つのテスト]があまりにも素晴らしいので、全ロータリア
ンの職業奉仕の指針にしたいという声があがり、彼がRI会長
に就任した 1954 年に、その版権がロータリーに寄付され、今
日に至っています。
四つのテストは世界各国の言葉で翻訳され、広く活用されて
いますが、その位置付けに
関しては、
「いかなる意味に
おいても規則として取り扱
われてはならない」と規定
されており、人間関係にお
ける高度の道徳的水準の向
上を図り、それを維持する
ために、書簡箋や印刷物に
使用することが奨励されて
いるものの、販売や利益を
増すための広告と結びつけ
ることは禁じられています。
日本語の訳文は、ロータ
233
リー創立 50 周年記念事業の一環として、広く日本中のロータ
リアンから公募し、東京クラブの本田親男氏の訳文が採用され
ましたが、原文の精神が適切に表現されていないという指摘も
あります。
戦前の門司クラブのユニークな訳文を紹介します。
<モットーとする奉仕を>
皆様に次の事を實行なさる様におすゝめします
(一) 嘘を云はず眞實であるように
(二) 誰にも公正で不公正のないように
(三) 人に對し好意と友情を増すようにつとめ決して敵意と憎
悪を招かないように
(四) 全体の為になるように働き誰人の不利にもならないよう
に
(門司ロータリー倶樂部)
この四つのテストは倒産の危機に瀕した会社を立ち直らせ
るための純然たる経営上の指針ですから、その使用を事業上の
取引に限定すると共に、邦訳や解釈を厳密にする必要がありま
す。
医師が末期の癌患者に死期を告知をする際、四つのテストを
適用すべきかどうかという議論を聞きますが、とんでもないこ
とです。四つのテストはあくまでも事業上の取引に使うもので
234
あって、日常生活に適用するものではなく、いわんや学校や駅
に張り出すような性格のドキュメントではありません。
Four-way test 四つのテスト
「事業を繁栄に導くための四通りの基準」ならば、当然
Four-way tests と複数形になるはずです。これが単数形であ
るのは、事業を繁栄に導くためには、四通りの基準を一つずつ
クリアーすればいいのではなく、四つ纏めたものを一つの基準
として、そのすべてをクリアーしなければならないことを意味
します。ロータリーの綱領が Object of Rotary と単数形であり、
四つの項目が渾然一体となって、一つの綱領を形作っているの
と同様です。
Is it the truth ?
真実かどうか
商取引において、商品の品質、納期、契約条件などに嘘偽り
がないかどうかは、非常に大切な基準です。真実というのは、
「80%の真実」という言葉が示すように、人間の心を通じたア
ナログ的な判定であるのに対して、事実とはその事実があった
のか、無かったのかの二者択一を迫るデジタル的判定ですから、
ここでは「事実かどうか」「嘘偽りがないかどうか」という言
葉を用いるべきでしょう。
Is it fair to all concerned ?
みんなに公平か
fair と all concerned という言葉の翻訳に問題があります。
235
fair は公平ではなく公正と訳すべきでしょう。公平とは平等分
配を意味するので、例え贈収賄で得た unfair 不正なお金でも
平等に分ければ、それでよいことになります。all concerned
は all だけが訳されており、肝心の concerned が省略されてい
ます。冒頭に述べたように四つのテストは「商取引」の基準と
して定めた文章ですから、この concerned (関わりのある人、
関係する人) は「取引先」のことを意味することは明白です。
従ってこのフレーズは「すべての取引先に対して公正かどう
か」ということを意味します。
Will it build goodwill and better friendship ?
好意と友情を
深めるか
goodwill は単なる好意とか善意を表す言葉ではなく、商売
上の信用とか評判を表すと共に、店ののれんや取引先を表しま
す。すなわち、その商取引が店の信用を高めると同時に、より
よい人間関係を築き上げて、取引先を増やすかどうかを問うも
のです。「信用を高め、取引先をふやすかどうか」と訳すべき
です。
Will it be beneficial to all concerned ? みんなのためになる
かどうか
Benefit は「儲け」そのものを表す言葉です。商取引におい
て適正な利潤を追求することは当然なことであり、決して恥ず
べきことではありません。ただし、売り手だけが儲かった、ま
236
た買い手だけが儲かったのでは公正な取引とは言えません。そ
の商取引によって、すべての取引先が適正な利潤を得るかどう
かが問題なのです。「すべての取引先に利益をもたらすかどう
か」と訳すべきでしょう。
このような厳密な翻訳を試みることによって、四つのテスト
が純然たる会社再建の指針であると共に、会社経営の指針であ
ることが理解できるのです。
237
Service is my business
職業奉仕理念が衰退する中に
あって、職業奉仕に光を当てたの
が、1949 年に RI 会長を務めたパ
ーシー・ホジソンです。1948 年、
彼はジェームス・ウオッチャース
トと共に職業奉仕の実践手引き
と も 言 え る 「 Service is my
business 奉仕こそわがつとめ」
を書きました。
この本の表題になったチャー
ルズ・ディッケンスのクリスマ
ス・キャロルから引用された「Mankind was my business」と
いう言葉が巻頭を飾っています。
この本は過去のロータリー運動の中で取上げられた職業奉
仕の具体的な事例が豊富に盛り込まれていて、職業奉仕を実践
するに当って、ロータリアンが取り組まなければならない課題
を、項目別に問題提起したものです。 なお、パーシー・ホジ
ソンは自分が会長を務める年度の奉仕理念を分かりやすく示
すための方法として、今日の RI 会長テーマ の原型ともいうべ
き Objectives of Our Team for 1949-50 を掲げ、その最初のテ
ーマの中心となった言葉が「奉仕こそわがつとめ Service is
238
my Business 」です。
奉仕こそわがつとめ・・見出し抜粋
第 1 章 クラリオンの呼び声
• 同一職種のロータリアンとロータリアンでない人々とが、ど
のようにして利益を分かち合うべきか
• 職業奉仕とは、ロータリアンがロータリーの職業奉仕を実践
して得た利益をロータリアンでない他の人々と共に分かつ
こと、即ち一般の人々とロータリーの理想を共に分かつこと
である
第2章 職業を権威あらしめること
• 日頃の職業生活で奉仕の理想を実践している地域社会の
人々が、世間から讃えられるようになるためには、どうすれ
ばよいか
• ロータリー・モットー及びロータリーの綱領に示されている
ように、世の中で有用な全ての職業の価値を認識し、職業倫
理の向上によってその権威を高めること
第3章
•
敵を愛せよ
社会に対する共通の奉仕を推進するために、どのようにし
て同業者と協力するか
① 同業者間の友情を培うこと
239
② これらの友好関係が価格協定に繋がらないよう注意するこ
と
③ 商標名の模倣や競争業種からの従業員引き抜きを慎むこと
④ 個人的な特別な関係のない限り、商売上での特別な便宜を
友情の名を借りて依頼しないこと
⑤ 競争者という言葉を忘れ、同業者として接すること
第4章 現代のギルド
• 同業者の職業倫理基準を高揚するために、何ができるか
• ロータリークラブ創立に際して最も重要なことは、地域社会
における全ての有用と認められた職業の優れた代表を、会員
として獲得しなければならないことである。同様な考え方は、
新会員を選考する場合にも当てはまる。ロータリアンはその
事業を成功に導かなければならない。ロータリアンは職業上
の優れた技術者でなければならない。ロータリアンは疑いを
差しはさむ余地のない人格者でなければならない。ロータリ
アンは技術上、倫理上の高い水準を保持し、更にその水準を
高めるように努力しなければならない。ロータリークラブこ
そ、将に優秀な芸術家の集合体であるともいえる
第5章 誠意
• 職場の同僚の誠意をどのようにして高めるか
• 人間相互の誠意は買手および売手間のすべての取引の本質
的な要素である。競争者が相互の誠意を信じれば、自然に友
240
好的な協力関係が生まれる。雇主と従業員も、お互いに誠意
と尊敬に基づく信頼感があれば、仕事は最大の能率をあげる
ことができる
第6章 正直は失われつつあるか
• 買手への贈り物やチップの習慣に対して、どのように対処す
るか。
• 不公正な商習慣と知りつつ、その誘惑に負けてしまい勝ちだ
が、果たしてロータリアンは非ロータリアンよりも、その誘
惑に負けることが少なかったかを、自問しなければならない。
あらゆる職業上の不公正な誘惑、即ち二重価格、抱き合せ販
売、価格つり上げ、闇カルテル、不良品の見逃しの機会など、
多くの不正の機会が提供され、ついついその誘惑に負けるこ
とが多い
第7章
真実かどうか
• 商圏内の広告基準をどのようにして改善するか。
① 広告の体裁や効果を高めることに主力を注ぎ、商売上重要
な説明をおろそかにしてはいないか
② 写真や説明文は商品を客観的に説明しているか
③ 科学的な証明とか、冷厳な事実とか、秘密値段といったセ
ンセーショナルな文章が、実際の商品を粉飾するために用
いられてはいないか
④ 専門以外の名士の推薦の辞が、技術上の優秀さを示す正直
241
な証言といえるか
⑤ 謝礼金を払って証言させた広告を用いてよいか
⑥ 以前は十ドルの品とか百ドルの価値ある品というような比
較の言葉が、値下げした商品の値段を実際に下げたことを
証明することになるであろうか
⑦ その広告を出すことに関係した者全部が、全社会に対する
責任を充分自覚しているか
第8章
•
人間関係の開拓者
買手と売手との関係を改善するために、どのような取り組
みをしているか。
① 何故・・人々は買うのか。価格や品質と共に顧客の欲求や
夢を満たすことが重要な要素である
② 何を・・顧客は実際に求めるのか。顧客自身が選択し決定
することを前提とした、正確かつ充分な情報提供
③ 如何に・・顧客の要求を満たすために如何に環境を整備し
たか。従業員の専門的訓練
④ 例え、その職業が物品の販売でなくとも、これらの取組み
は職業人と顧客との関係に応用することができる
第9章
•
心の通い路
ロータリーの目的を従業員に理解させるために、どのよう
な努力をしているか。
•
従業員が不満をのべたときの対処法
242
① 従業員の話に耳を傾けて聴くこと。従業員が胸中思ってい
ることを全て吐き出させたとき、多くの問題は独りでに解
決する。
② 雇用主の理論をふりかざして、議論しないこと
③ 説教しないこと。説教は一方的な意見の押しつけととられ
意思の疎通を妨げる
④ 従業員がいわんとすることに注意を払い、それをはっきり
いわせるよう助力すること
⑤ 道徳的基準で推し量ったり、それを態度を示さないこと
⑥ 自分の感情を差しはさまないこと
⑦ 自分が従業員の言い分をどの程度理解できたかを自問し、
同時に、ときおり、従業員の見解を要約して、次にいわん
とする処を引き出すこと
⑧ このような会見で、雇主が示す態度は、従業員にその不満
を残りなく話させるようにし、苦労を理解してやり、そし
て解決を見出す努力をすることである。
第 10 章 従業員に対する公正な扱い
• 従業員を公正に扱うために、どんなプランを練ったか。
① 生産に携わる人たちが、経営陣や管理職の人たちから公正
な扱いを受けているか
② 彼等の安全が保証され、 且つ安全が保証されていることを
感じとれる環境になっているか
③ 彼等が情熱を傾けて仕事に励むように努力が払われている
243
か
④ 彼等の給料は適当な生活を保証するに足りるか
⑤ 彼等は能力があれば昇進できることを自覚しているか
⑥ 最高の刺激、創造的活動が喚起できる環境が備わっている
か
⑦ 彼等が人間の尊厳を高める感覚を持ってその仕事を行える
か
⑧ 彼等が仕事を通じて、役割の重要性、責任感、地域社会に
対する責任を感じとれる仕組になっているか
⑨ 彼等は自分の任務を遂行することが、人間の尊厳に繋がる
ことを理解しているか
第 11 章 ロボットか、人間か
• 職人魂を引き出すために、雇主はどんな方法を講じたか。
① お互いが同輩から尊厳を受ける職場環境にあるか
② 物質的にも恵まれ、経済的に安定しているか
③ 自己の業務に対して責任ある立場にあるか
④ 自分に当てがわれている仕事が、事業の発展と知識吸収に
役立つか
⑤ 自分の職業が生計を保全する基礎になっているか
第 12 章
•
職場における将来のマン・パワー
職場において、若い従業員とのコミュニケーションが円滑
におこなわれているか。
244
•
青少年を雇用する場合の注意義務が述べられているが、青
少年奉仕に対する考え方と重複するので省略
第 13 章
•
協調の礎石
労働組合の幹部をロータリークラブの会員に迎える可能性
について、検討したことがあるか。
① 従業員が求めるもの・・公正な給料、業務上の安全の保証、
業務上の刺激やりがいのある業務)
、業務能力の認識、経営
参加
② 雇主が求めるもの・・仕事量に見合った公正な給料、雇用
主に対する忠実と好意、生産量の増加、経営の主導権保持
と計画立案、投資に対する公正な配当
第 14 章
•
ロータリークラブの運営
どのような職業奉仕のプロジェクトが、クラブ会員の職場
にふさわしいかを検討したか。
第 15 章
今ぞあなたの働く番
田中 毅
245
訳
奉仕理念の変化
さて He profits most who serves best と Service above
self の二つのロータリー・モットーの推移を調べると興味ある
事実が判ります。
○
1910 年 シェルドンによって He profits most who serves
his fellows best が発表されました。
○
1911 年 ミネアポリス・クラブの方針として Service-not
self が発表されました。
○
同年、シェルドンの He profits most who serves best がロ
ータリー宣言の結語として採択されました。
○
1912-14 年 He profits most who serves best が使われて
います。
○
1915 年 RI 会長に就任したアレン・アルバートがミネアポ
リス・クラブの出身であったため、自らのクラブの方針で
あった Service-not self が使われるようになりました。
○
1916-18 年 He profits most who serves best と Service-
not self の双方が使われています。
○
1920 年 He profits most who serves best と Service
above self の双方が使われています。
○
1921 年 Service-not self、Service above self、Service
before self を廃止して、He profits most who serves best
のみにするという決議案が提案され否決されました。当時
246
はいろいろなフレーズのモットーが共存していたと考えら
れます。これ以降は He profits most who serves best と
Service above self の双方が使われています。
○
1934 年 He profits most who serves best と Service
above self の双方をロータリー・モットーとする決議案が
提案されましたが否決されます。
○
1949 年 He profits most who serves best を廃止して
Service above self のみをロータリー・モットーとする決
議案が提案されましたが否決されます。
○
1950 年 He profits most who serves best と Service
above self の双方をロータリー・モットーとする決議案が
提案され採択されました。
なお Service above self というモットーは 1920 年から登場し、
それと期を一にして、Service-not self は姿を消します。
さて、Service above self は誰が提唱した言葉かは判らない
ことは既に述べましたが、弱者に涙する人道的奉仕活動すなわ
ち社会奉仕や国際奉仕(世界社会奉仕)のモットーであること
は間違いありません。
現在このモットーは、利己の心を超越して、他人のことを思
い 遣 り 、 他 人の た め に 尽 く す Ideal of Service, which is
thoughtfulness of and helpfulness to others. という解釈がつ
けられ、Official Directory の最終ページに収録されています。
社会奉仕活動が盛んになり、これに世界社会奉仕が加わって国
247
際奉仕活動を含めたボランティア活動全般に広がってきまし
た。社会奉仕とはコミュニティ・サービスの翻訳ですから、こ
のコミュニティ範囲をどこにするかによって、その活動範囲が
変わってきます。
21 世紀はボーダーレス社会だと言われています。ボーダーレ
ス社会ということは、ボーダー(境界)が無いわけですから、コ
ミュニティの範囲も地球全体に広がってくるわけです。従って、
今後は社会奉仕という概念が拡大されて、現在の社会奉仕と世
界社会奉仕を包括したようなものになり、それにロータリー財
団の活動が加わって、これらが渾然一体となって機能していく
のではないかと考えられます。この人道的奉仕活動を端的に表
現したモットーが service above self なのです。
シェルドンの没後、イギリスの標的は職業奉仕のモットーの
具体的内容を表したドキュメントである道徳律の廃止運動に
変化していきます。道徳律の第 6 条を遵守してアフターサービ
スを徹底的におこなったら、事業が立ちいかなくなる恐れがあ
るとか、第 11 条はマタイ伝からの引用なのでロータリー宗教
禁の原則に提唱するという理由で、1931 年に道徳律の頒布が禁
止されました。
しかし「すべて人にせられんと思うことは、他人にもその通
りにせよ」という教えは宗教というよりもむしろ哲学であり、
ビビアン・カーターは The meaning of Rotary の中で次のよ
248
うに記載しています。
エジプト人は、「他人のために良かれと自らが望んだことを
捜し求め、それをしてあげなさい」と表現している。
ペルシャ人は、「あなたが人からしてもらいたいことを、人
にしてあげなさい」と言っている。
仏陀は、「他人の幸せを、自ら望んで捜し求めなさい」と述
べている。
中国の哲学者は、「あなた自身が望まないことを、他人にし
てはならない」と言っている。
モハメットは、
「あなたがしてもらいたくないような方法で、
あなたの兄弟たちを扱ってはならない」と命じている。
ギリシャ人は、「隣人から敵意を抱かせるようなことをして
はならない」と助言している。
ローマ人は、「すべての人が心に刻み込んでおかなければな
らない法律とは、あなた自身の社会の人たちを愛することであ
る」と書いている。
モーゼの律法には、「あなたが隣人からしてもらいたくない
ことを、隣人にしてはならない」と書かれており、これだけが
唯一の戒であって、その他のものは単なる解説に過ぎない。
そして最後に、ナザレのイエスは、「すべて人にせられんと
思うことは、他人にもその通りにせよ」と勧めている。
このように、奉仕理念は人間の思考と同じくらい古いもので
ある。隣人に対して己を捧げることが道徳上の義務であり、人
249
生のすべての部門でそれを適用することを、全体として説いた
ものであることには間違いない
ロータリーの中核となる奉仕理念が職業奉仕であるにもか
かわらず 1948 年に RI の職業奉仕委員会が廃止になります。
1951 年からは道徳律の本文は姿を消して、RI 細則第 16 条に
「道徳律」という言葉たけがかろうじて残されていましたが、
1980 年には RI 細則 16 条に細々と残っていた道徳律という言
葉も抹消されます。
1987 年に 40 年ぶりに復活された RI 職業奉仕委員会が、
「職
業奉仕に関する声明」を発表しますが、実はこの中に書かれて
いる、「クラブが職業奉仕を実践する」という文章について疑
義が生まれてきます。何故ならば、シェルドンの職業奉仕理論
の中からは、クラブが職業奉仕の実践を行うという発想は出て
こないからです。職業を持っている個人だから職業奉仕の実践
ができるのであって、職業を持たないロータリークラブがどう
やって職業奉仕の実践をするのかということです。
さらに RI はその具体例としても職場訪問、優良従業員の表
彰、ボランティア活動をあげていますが、これが職業奉仕活動
かどうか、疑問の残るところです。
職場訪問は素晴らしい職業奉仕の実践をしているクラブの
会員の事業所を訪問するのならばともかく、ビール工場や酒蔵
へ行って一杯よばれて帰るのが定石ですから、これはむしろ親
睦活動の範疇に入るでしょう。
250
優良従業員の表彰は、その人の地域社会における職業上の功
績を表彰するのですから、厳密には社会奉仕であって職業奉仕
とは言えないのではないでしょうか。
もう一つの間違いは、ボランティア活動を職業奉仕の範疇に
入れることです。医者という立場でフィリピンに行って白内障
の手術をするのは職業奉仕ではありません。何故ならば、その
医者はこの活動の受益者ではないからです。国内でボランティ
ア活動をすれば社会奉仕、外国ですれば国際奉仕です。ボラン
ティア活動をする活動の場所がどこであるかによって、社会奉
仕か国際奉仕に分かれてくるとしても、これが、職業奉仕活動
ではないことは確かです。
職業奉仕理念の衰退、職業奉仕活動の混乱に引き続いて、今
度はその矛先が He profits most who serves best というモッ
トーに向けられてきました。
1989 年の規定審議会で、このモットーは第二モットーに格下
げになり、Service above self が第一モットーとして優先され
ることになりました。
2001 年の規程審議会で、あらゆるロータリーの文書や声明に
は、性限定用語を使わないという決議案が採択されたのを理由
に、2001 年 6 月の RI 理事会は、He profits most who serves
best を使用停止にする決定をしました。これはとんでもない
話だということで、日本のロータリアンが反対のキャンペーン
をしました。その運動が功を奏して、日本がこれだけやかまし
251
く言うのなら止めておこうということで、RI は急遽、使用停
止を撤回しました。
しかしながら、2004 年の規程審議会には、He を One に変え
るという改正案が RI から提出され、その攻防の過程で提案さ
れた修正案によって、この第二モットーが They profit most
who serve best に変更されました。しかし、主語が they であ
ることが団体奉仕を連想させるという理由から、2007 年規定審
議会で they を he/she に変更するという決議案が採択されまし
たが、RI 理事会はこの変更には従わないことを決定しました。
2010 年にはふたたびこの主語を One に変えた提案が RI から
出される模様ですが、どのような結果になるか予断を許しませ
ん。
ただし歴史上、理念上重要な文書や声明は原文を尊重すべき
であるという提案が私の趣旨説明によって 2004 年規定審議会
に提案されて、採択されていますから、私たちが従来どおり、
He profits most who serves best を使用することは可能ですし、
邦訳には何らの影響もないことがせめてもの慰めです。
252
定款上の四大奉仕
2007 年の規定審議会において標準ロータリークラブ定款第 5
条に「四大奉仕部門」が新設されました。四大奉仕は奉仕活動
の実践に基づいた分類だと一般に考えられてきましたが、四大
奉仕は哲学(奉仕理念)と実際的(奉仕活動の実践)の両面から
の基準であることが冒頭に説明されています。
第 5 条 四大奉仕部門
ロータリーの四大奉仕部門は、本ロータリークラブの活動の哲
学的および実際的な規準である。
1. 奉仕の第一部門であるクラブ奉仕は、本クラブの機能を充
実させるために、クラブ内で会員が取るべき行動に関わるもの
である。
2. 奉仕の第二部門である職業奉仕は、事業および専門職務の
道徳的水準を高め、品位ある業務はすべて尊重されるべきであ
るという認識を深め、あらゆる職業に携わる中で奉仕の理想を
生かしていくという目的を持つものである。会員の役割には、
ロータリーの理念に従って自分自身を律し、事業を行うことが
含まれる。
3. 奉仕の第三部門である社会奉仕は、クラブの所在地域また
は行政区域内に居住する人々の生活の質を高めるために、時に
は他と協力しながら、会員が行うさまざまな取り組みから成る
253
ものである。
4. 奉仕の第四部門である国際奉仕は、書物などを読むことや
通信を通じて、さらには、他国の人々を助けることを目的とし
たクラブのあらゆる活動やプロジェクトに協力することを通
じて、他国の人々とその文化や慣習、功績、願い、問題に対す
る認識を培うことによって、国際理解、親善、平和を推進する
ために、会員が行う活動から成るものである。
第一項ではクラブ奉仕の目的を、クラブの機能を充実させる
ためにクラブ内で会員が取るべき行動であると規定していま
す。
第二項では「綱領」の中で述べられている職業奉仕の目的を
再掲すると同時に、ロータリーの奉仕理念に基づいて事業を営
むことが「会員の役割」として明記されています。1987 年に
40 年ぶりに設置された RI 職業奉仕委員会が発表した「職業奉
仕に関する声明」で問題になっていた「クラブの役割」という
文言を、定款上で敢えて削除したことにも大きな意味がありま
す。職業を持っている個々のロータリアンが職業奉仕の実践を
行えたとしても、職業を持たないロータリークラブがどのよう
にして職業奉仕の実践を行うかについて疑念が持たれてきた
からです。
第三項では現行の「綱領」には直接記載されていない社会奉
仕の定義が明記されています。ただし、対象を敢えてクラブの
所在地域または行政区域内に限定したことにはいささか疑義
254
を感じます。これは国際奉仕の守備範囲とあえて区分するため
と思われますが、将来の Community の範囲は地球全体と考え
るべきでしょう。
第四項は現行の「綱領」とはかなり異なった定義となってい
ます。「他国の人々を助けることを目的としたクラブのあらゆ
る活動」は WCS を念頭に置いた表現だと考えられ、従来から
「綱領」にそぐわない活動だと陰口を囁かれてきた WCS を、
国際奉仕の活動の一部として正式に認めたものと考えられま
す。さらに国際理解、親善、平和を推進するためのすべての活
動をこれに加えることによって国際奉仕の活動の場を広げた
解釈となっています。
255
決議 23-34 の杞憂
決議 23-34 に対する国際ロータリー理事会の対応について諸
説が飛び交っています。廃止されると心配される方もいるよう
ですが、このドキュメントは国際大会における決議なので、RI
理事会と言えども、規定審議会の議を経なければが勝手に廃止
するわけにはいきません。従って少なくとも 2010 年およびこ
れ以降の規定審議会に決議 23-34 を廃止するという決議案が提
案されて、それが採択されるまでは存続することは間違いあり
ません。しかし、RI 理事会がこのドキュメントをロータリーの
公的文書に記載しないと決めることは自由なので、かつての
「道徳律」のように歴史的文献という枠に閉じ込めて、ロータ
リアンの目に触れないようにすることは可能です。
シェルドンが職業奉仕を経営学ととらえたことや職業天職
論を取らなかったことから、イギリスなどのヨーロッパ諸国の
ロータリアンは He profits most who serves best というモッ
トーに反発して、このモットーの廃止を毎回のように規定審議
会に提案していました。二つのロータリー・モットーがロータ
リーの奉仕理念であることを明記したドキュメントが決議
23-34 であることから、決議 23-34 の廃止を訴える運動に変化
してきました。
1984 年の手続要覧からは突如として決議 23-34 が削除され
ましたが、日本からの強い反対を受けて 1986 年には復活しま
256
した。1989 年の規定審議会で、このモットーは第二モットーに
格下げになり、Service above self が第一モットーとして優先
されることになりました。
2001 年の規程審議会で、あらゆるロータリーの文書や声明に
は、性限定用語を使わないという決議案が採択されたのを理由
に、2001 年 6 月の RI 理事会は、He profits most who serves
best を使用停止にする決定をしましたが、日本からの強い反対
を受けて使用停止を撤回しました。しかし、2001 年版の手続要
覧中の決議 23-34 からは第二モットーが削除され、2007 年にや
っと復活したものの They profit most who serve best に変更
されました。
遂に、2008 年には信じられないような事件が起こりました。
元 RI 副会長ビル・サージァントとエド・フタ事務総長は、決
議 23-34 の多くの部分が現在のロータリーの社会奉仕原則と合
致しないという理由で、2007 年 11 月に開催された理事会に、
社会奉仕に関する 1923 年の声明が、社会奉仕の理念や国際ロ
ータリーやクラブの方針を必ずしも正確に説明していないよ
うに思われるので、ロータリー章典と手続要覧の改訂版からこ
の声明を削除するように提案をしました。
決議 23-34 が現在の社会奉仕の理念や国際ロータリーやクラ
ブの方針と合致しない理由として、
「決議 23-34 はロータリーがアメリカ中心の組織であり、か
つロータリアンの大多数が小規模な商売人で構成されていた
257
1923 年に作られたものなので、現在の状況には必ずしも適応す
るものではありません。決議 23-34 は、明らかに現在のロータ
リークラブにおける社会奉仕活動とは合致しませんし、これを
厳守しようとすれば、私たちは何もできなくなってしまうでし
ょう。現に、私たちは決議 23-34 の原則を破ってきたからこそ、
3-H やポリオ・プラスの活動ができたのです。」と述べています。
さらに決議 23-34 は、他人のために奉仕したいという義務と
利益との間に常に存在する矛盾を和らげようという哲学を引
用していることに関して、「当時の仕立屋や靴屋の経営者には
この問題があったとしても、今日、この矛盾が存在するのは僅
かな人に過ぎません。決議 23-34 は、国際ロータリーが役立つ
提案をするのはかまわないが、プロジェクトを指示してはなら
ないと定めていますが、ポリオ・プラスはこれに違反すること
で大きな成果をあげました。決議 23-34 は、他の組織が全くそ
れをしない場合だけ、ロータリークラブが社会奉仕プロジェク
トに従事すべきであると定めていますが、この条文が好きで何
もしないクラブが多く見られます。現に 1947 年当時私のクラ
ブがそうでした。
」と述べています。
第 1 条はロータリーの奉仕理念すなわち奉仕哲学を定義した
極めて重要な文章です。ビル・スチュワートが述べたように、
もしも現在のアメリカに利己と利他との調和に悩む人など存
在しないのならば、エクソンの事件など起こる道理がありませ
ん。アメリカ人の利己と利他の心が調和しているとは笑止千万
な話であり、自分が儲けるためにレバレッジ、デリバティブと
258
あらゆるテクニックを使って結果として世界の金融不安を作
った責任を反省すべきです。さらに自国の農民の利益を守るた
めに、トウモロコシをバイオ燃料化して価格を極端に上昇させ、
開発途上国の人たちを飢餓状態に陥れた責任をどう取るつも
りなのでしょうか。僅か 400 年の文明しか持たない新興国の人
に哲学を語らせることの危険性を感じます。
この提案に対して RI 常任委員会は次のように勧告しました。
「決議 23-34 は、社会奉仕の理念や国際ロータリーやクラブの
方針を必ずしも正確に説明していないように思われる。従って
2008 年 1 月の理事会において、手続要覧とロータリー章典の将
来の版に歴史的なドキュメントを保存するための新しい形式
を提案するよう事務総長に要望する。」
これを受けて、2008 年 1 月に開催された国際ロータリー理事
会は「ロータリー章典を下記のように修正する。現在の方針や
手続きに加えて、ロータリアンにとって歴史的な価値を持つ過
去の RI 理事会や国際大会の決定や声明がある。このような決
定や声明は、現在の RI の方針を表すものではないが、歴史的
な意味合いからロータリアンやロータリークラブによって参
考になるものである。事務総長は、ロータリアンにとって歴史
的な価値があると思われる、すべての過去の方針、手続き、お
よび声明のリストを保存するように努力しなければならない。
今後の手続要覧の改訂版に、社会奉仕に関する 1923 年の声明
を歴史的文書として保存すること。1923 年の声明が歴史的な価
値を有するものとして、手続要覧に記載されていることを言及
259
する文をロータリー章典に含めること 。」を決定しました。
すなわち歴史的文書として保存することを定めたものの、肝
心の決議 23-34 の全文が手続要覧やロータリー章典に掲載され
るか否については、この決定からは明らかではありません。
しかしながら、2008 年 6 月の発表されたロータリー章典から
は決議 23-34 は完全に抹消されており、歴史的に貴重なドキュ
メントとして別途収録するという決定も守られていません
さらに先日発表された「ロータリー章典 11 月」には、決議
23-34 の本文は抹消されたままで、歴史的文書としての別途記
載もありませんが、その代わりに「8.040.2.
1923 年の社会奉
仕に関する声明」という項目が新設されて、「理事会は、歴史
的な価値を考慮して手続要覧の将来版の発行に当たって社会
奉仕に関する 1923 年の声明を含めることを事務総長に要請し
た。(2008 年 6 月 RI 理事会)」という記載が加わっています。
すなわち最新のロータリー章典には「1923 年の社会奉仕に関
する声明」という言葉だけが残ったものの決議 23-34 の本文は
完全に姿を消してしまい、歴史的に貴重な文献も、RI の諸規約、
公式文献、ウエブサイトのどこを見ても見当たりません。かつ
て道徳律が公式文献から排除され、なんとか道徳律という言葉
だけが国際ロータリー細則第 16 条に残ったものの、やがて道
徳律という言葉そのものも消えていったことを思い出し、決議
23-34 も同様な経緯をたどりはしないかと心配しています。
「手続要覧に 1923 年の声明を含めることを事務総長に要請
する。」という表現も引っ掛かります。RI における最高の意思
260
決定機関である RI 理事会が、事務職員の長に過ぎない事務総
長に要請するのはいささか筋違いで、これは指示ないしは命令
すべきでしょう。ボランティアとして奉仕しているロータリア
ンと給料をもらって働いている事務総長とは、立場の違いを明
確にする必要があります。さらにこの決議 23-34 を削除しよう
という提案をだした張本人の一人が事務総長ですから、理事会
からの要請を無視する可能性は否定できないと考えるのは果
たして杞憂に過ぎないのでしょうか。
「世界は絶えず変化しています。そして私たちは世界とともに
変化する心構えがなければなりません。ロータリー物語は何度
も書き替えられなければならないでしょう。
」 「ロータリーが
その適正な運命を理解するとしたら、ロータリーは必ず進歩し
なければなりません。時には革命が起こる必要があります。」
これは、ポール・ハリスが残した有名な言葉です。この言葉を
例に出して、ロータリーは変わらなければならないことを力説
する人も多いようですが、ロータリーにおいて、「変えなけれ
ばならないもの」と「変えてはならないもの」をはっきり分類
しておく必要があります。
まず、絶対に変えてはならないものは「ロータリーの哲学」
すなわち「ロータリーの奉仕理念」です。ロータリーの哲学を
変えれば、それはロータリーではなくなるからです。
ロータリーの奉仕理念については次の二つのドキュメント
に記載があります。その一つは「決議 23-34」であり、
「この
261
哲学は Service above Self の奉仕の哲学であり、He profits
most who serves vest という実践倫理に基づくものである。」
と Service above Self と He profits most who serves vest が
ロータリーの奉仕理念であることが明記されています。
もう一つのドキュメントは、RI から毎年発効される Official
Directory
RI 会員名簿であり、その最終ページには「A brief
history of Rotary」には「Rotary clubs everywhere have one
basic ideal – the “Ideal of Service,” which is thoughtfulness
of and helpfulness to others.
いかなる場所においても、ロー
タリークラブは一つの基本理念-「奉仕理念」を持っている。
それは他人のことを思い遣り、他人のために尽くすことであ
る。」という言葉が記載され、Service Above Self の真意が説明
されています。
すなわち、ロータリーの奉仕理念は、奇しくも決議 23-34 に
明記されている He profits most who serves vest と Service
Above Self の二つのモットーであり、この二つのモットーは
どんなことがあっても絶対に変えてはならない奉仕理念であ
ることを強調しておきたいと思います。奉仕理念とはロータリ
ー哲学そのものであり、哲学は万古不易なものであることは、
当然なことです。
変えてはならないものがある一方で、変えなければならない
ものもあります。組織の管理運営を長年変更せずに放置してお
くと、必ず制度疲労を起こして、その組織は衰退の道を辿りま
す。すなわち第 2 条、第 3 条は現状にマッチするように変える
262
必要があります。さらに奉仕活動はロータリアンの思いつきで
選択をすべきではなく、社会のニーズに従って実践する必要が
あります。そのためには、第 6 条は社会のニーズに沿った内容
に変える必要があります。
かつて大連クラブの古沢丈作が、[ロータリーの綱領]と[ロ
ータリー倫理訓]の真髄を、格調高い日本語で適格に表現して
1928 年に発表した大連宣言があります。無味乾燥な現行のロー
タリーの綱領にかえて、これを英訳して新しいロータリーの綱
領にしようという運動は功を奏しませんでしたが、創立まもな
い新しいクラブがこういう素晴らしい提案をだした戦前の日
本のロータリーを見習うべきであると思います。
須らく事業の人たるに先立ちて道義の人たるべし。蓋し事業
の経営に全力を傾倒するは因って世を益せんがためなり。ゆえ
に吾人は道義を無視していわゆる事業の成功を獲んとする者
に与せず。
成否を日うに先立ち退いて義務を尽さむことを思い進んで
奉仕を完うせんことを念う。自らを利するに先立ちて他を益せ
むことを願う。最も能く奉仕する者、最も多く満たさるべきこ
とを吾人は疑わず。
あるいは特殊な関係をもって機会を壟断しあるいは世人の
潔しとせざるに乗じ巨利を博す、これ吾人の最も忌むところな
り、吾人の精神に反してその信条を紊る(みだるる)は利のため
263
義を失うよりはなはだしきは無し。
義をもって集まり、信をもって結び、切磋し琢磨し、相扶け
相益す。これ吾人団結の本旨なり。しかれども党をもって厚く
することなく他をもって拒むことなく私をもって党する者に
あらざるなり。
徒爾なる角遂(かくちく)と闘争とは世に行なわるべからず、
協力をもって博愛平等の理想を実現せざるべからず、しかり吾
が同志はこの大義を世界に敷かむがために活躍す吾がロータ
リーの崇高なる使命ここに在り、その存在の意義またここに存
す。
決議 23-34 の内容に現代にそぐわなくなっている個所がある
ことは事実です。いたずらに決議 23-34 にしがみつくのではな
く、ロータリーの理念とすべての奉仕活動の指針となる大連宣
言のような格調高いドキュメントを日本から発信して、それを
今後のロータリー活動の指針とするような試みを、是非とも行
いたいものです。
哲学としてのロータリーの奉仕理念を再確認することは当
然として、現状に沿うように RI とロータリークラブの組織の
管理運営を改革し、ロータリアンの役割を明記し、現在の地域
社会や国際社会のニーズにかなった奉仕活動の指針を新たに
策定したドキュメントを早急に策定して、それに基づいてロー
タリーの諸活動を実践すべきだと思います。
会員の減少によってすべての奉仕団体は存亡の危機に立た
264
されています。それを打開するためにも、ロータリー固有の奉
仕理念は変えてはならないことを再確認する必要があります。
ロータリーが他の奉仕団体と本質的に違う点は職業奉仕の概
念を持っていることです。職業奉仕の理念を捨て去ってボラン
ティア組織に移行することの愚かさを自覚しなければなりま
せん。今からボランティア組織に看板を塗り替えたところで、
数ある先発ボランティア組織の影に埋没してしまうことは必
至です。
組織の管理運営は時代の変化に応じて思い切った改革を試
みる必要があります。ロータリーの組織を全世界に広げるため
には、異文化を尊重して地域特性や言語を尊重して、連邦制の
ような中間管理組織による運営が好ましいと思います。現在の
アメリカン・スタンダードではない、真のグローバル・スタン
ダードに基づいた組織管理に改める必要があります。
奉仕活動の実践内容は地域社会のニーズの変化に適応した
ものに変えていく必要があります。そのためには机上の空論で
はなく、真に地域社会の人々が必要とするプロジェクトを見つ
けてそれに全力を傾注すべきです。こういった改革なしには、
ロータリーという組織が次の世紀に生き残ることができない
ことを肝に銘じなければなりません。
以上の点を勘案して、決議 23-34 に代わる新しい「四大奉仕
に基づく諸活動に関するロータリーの方針」を考えてみました。
これはあくまでも試案であり、皆さまのご知恵を拝借するため
265
のたたき台であることにご留意ください。
以下に掲げる諸原則は、ロータリークラブ及びロータリアン
の指針として、また、四大奉仕に基づく諸活動に関するロータ
リーの方針を明確に表わすものとして、これを採用するもので
ある。
1. ロータリーの奉仕理念は人生哲学であり、利己的な欲求と
利他の心との間に存在する矛盾を和らげようとするもので
ある。ロータリーには二つの奉仕理念があり、その一つは
「超我の奉仕」という人道的奉仕活動の理念であり、もう
一つは「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」とい
う職業奉仕の理念である。
2. ロータリーの四大奉仕部門は、ロータリークラブの活動の
哲学的および実際的な規準である。
(1) 奉仕の第一部門であるクラブ奉仕は、本クラブの機能
を充実させるために、クラブ内で会員が取るべき行動
に関わるものである。
(2) 奉仕の第二部門である職業奉仕は、事業および専門職
務の道徳的水準を高め、品位ある業務はすべて尊重さ
れるべきであるという認識を深め、あらゆる職業に携
わる中で奉仕の理想を生かしていくという目的を持つ
ものである。会員の役割には、ロータリーの理念に従
って自分自身を律し、事業を行うことが含まれる。
(3) 奉仕の第三部門である社会奉仕は、クラブの所在地域
266
または行政区域内に居住する人々の生活の質を高める
ために、時には他と協力しながら、会員が行うさまざ
まな取り組みから成るものである。
(4) 奉仕の第四部門である国際奉仕は、書物などを読むこ
とや通信を通じて、さらには、他国の人々を助けるこ
とを目的としたクラブのあらゆる活動やプロジェクト
に協力することを通じて、他国の人々とその文化や慣
習、功績、願い、問題に対する認識を培うことによっ
て、国際理解、親善、平和を推進するために、会員が
行う活動から成るものである。
3
国際ロータリーは次の目的のために存在する団体である。
(1) ロータリーの目的を推進するようなプログラムや活動
を追求している RI 加盟クラブや RI 地区を支援するこ
と。
(2) 全世界にわたって、ロータリーを奨励し、助長し、拡
大し、管理すること。
(3) RI の活動を調整し、全般的にこれを指導すること。
4
奉仕するものは行動しなければならない。従って、ロータ
リーとは単なる心構えのことを言うのではなく、また、
ロータリーの哲学も単に主観的なものであってはならず、
それを客観的な行動に表さなければならない。そして、
ロータリアン個人もロータリークラブも、奉仕理念を実
践に移さなければならない。
5
各ロータリークラブはクラブとして関心があり、またその
267
地域社会の要請に従った人道的奉仕活動を自主的に選ぶ
権利を持っている。しかし、いかなるクラブも、ロータ
リーの目的を無視するような人道的奉仕活動を行っては
ならない。そして国際ロータリーは、一般的な奉仕活動
を研究し、標準化し推進し、これに関する有益な示唆を
与えることはできるが、いかなるクラブのいかなる奉仕
活動についても、それを命じたり禁じたりすることはで
きない。
6
個々のロータリークラブが人道的奉仕活動を実践するに
当たって、次の指針に従うことが推奨される。
(1) 地域社会の人々の要請に従った人道的奉仕活動を選
択しなければならない。
(2) 地域社会の人々の自助を支える事業を選択しなけれ
ばならない。
(3) 地域社会の人々と一緒になって事業に関与しなけれ
ばならない。
(4) ロータリークラブが立派に遂行した有益な事業につ
いては正しい広報が行われるべきである
(5) ロータリークラブの奉仕活動は、なるべく現存の機関
に協力する形で行うことが望ましいが、現存機関の設
備や能力が目的の遂行に不十分である場合には、必要
に応じて新たに機関を設けることができる。
(6) ロータリークラブが事業を始めたり指導したりする
に当たって、その事業に関心をもっていると考えられ
268
る他のすべての団体の協力を得るよう努力すべきで
ある。
(7) クラブがひと固まりとなって行動するだけで足りる
ような事業よりも、広くすべてのロータリアンが個々
の力を動員する事業のほうがロータリーの精神によ
りかなっているといえる。
269
実業と虚業
ロータリー創立当初から 20 世紀の後半頃までは、第一次産
業、第二次産業、第三次産業がバランスよく均衡を保っており、
それぞれの産業別に職業分類を設定すればよかったのですが、
最近はこれが大きく変わってきました。
2006 年の日本における産業別人口割合は、第一次産業(農
業・漁業・林業等)4.8 %、第二次産業(鉱業・製造業・建設業
等)26.1 %、第三次産業(上記以外の産業)69.1 %となっていま
す。特に第三次産業の伸びは著しく、サービス・情報通信・金
融などの分野で新しい分野の職業が生まれ、既存の職業分類表
は今や無用の長物に化した感があります。
職業奉仕の理念は哲学ですから万古不変のものです。しかし
実践方法は時代の変化と共に変わっていかなければなりませ
ん。ロータリーが創立された当時から産業構造が大きく変化し
ているのに、職業奉仕は完成したものと勘違いして、RI は 1948
年以来職業奉仕委員会を廃止していますし、クラブも産業構造
の変化に見合った新たな職業奉仕の実践方法を開発する努力
を怠ってきました。
かつて私たちは、陰日なたなく額に汗しながら、もくもくと
働く姿を尊いものだと教えられてきました。会社は永年雇用、
年功序列を原則とし、社員は会社に忠誠を誓うことを当然だと
考えてきました。しかし昨今はその考え方が大きく変わってき
270
ました。労使の目的意識が変化し、雇用体系も変化てきました。
効率よく働くことが美徳とされ、生活費を稼ぐのに必要な時間
だけ働いて、余暇を楽しむという風潮さえ生まれました。職業
に関する目的も大きく変化し、企業は利益の追求を第一義に考
えて会社を運営し、従業員は高い収入を得ることを第一義に考
えて働くようになってしまいました。
こういう風潮の中から、世間を騒がすような企業の不祥事が
続出していることは、職業奉仕を錦の御旗にしているロータリ
アンとして慙愧の念に耐えません。
昨今一連の不祥事を起こした企業の中に、ロータリアンの企
業も数多く含まれています。ミートホープ然り、赤福餅然りで
す。職業奉仕を標榜する組織のオーナーが職業倫理にもとるよ
うな犯罪を犯したわけですから、当然マスコミもこれらのオー
ナーがロータリアンであることを大きく取り上げてロータリ
ーを袋叩きにするはずなのに、どの新聞にもどのテレビにも一
向にロータリーの名前がでてきません。すなわちマスコミも一
般の人たちも、ロータリーが職業奉仕の実践と職業倫理を高め
ることを主な目的にした団体であることを認識しておらず、数
多く存在するボランティア組織の一つくらいにしか考えてい
ないことを意味するのではないでしょうか。広報活動の不足を
逆に喜ばざるを得ない現実が、これまた非常に残念かつ情けな
いことです。
私たちは何のために働いているのでしょうか。お金を儲ける
ため、それとも・・・。
271
ロータリーに職業奉仕の概念を導入したアーサー・フレデリ
ック・シェルドンは、1921 年に行った「ロータリー哲学」とい
う表題のスピーチの中で、われわれの職業は、金儲けをする手
段ではなく、その職業を通じて社会に奉仕するために存在する
と述べています。現実にはありえないとしても、パン屋、洋服
屋、米屋、銀行と、どんな職業であっても、ある日突然その職
業を営む人が全員いなくなったとしたら、社会の人々は大いに
困るに違いありません。そういう事態を迎えて初めて、すべて
の職業は社会に奉仕するために存在していることが判るのか
も知れません。
ロータリーでは社会に奉仕するための事業を実業と定義し
ています。ほとんどの事業は程度の差こそあれ社会に貢献して
いますから実業です。
これに対して社会には全く貢献せず、自分が儲けることのみ
を第一義に考える事業は虚業だと言えるでしょう。なお例え実
業であっても、社会に奉仕することを忘れて、自分の利益を優
先した企業経営を行えば、その企業の将来は必ず不幸な末路を
たどることでしょう。
事業主は実業であると信じていたかも知れませんが、明らか
に虚業である幾つかの企業が起こした不祥事を振り返ってみ
ましょう。
テキサス州ヒューストンに本拠を置く総合エネルギー企業
エンロンは、不正なガスと電力取引によって巨大な利益をあげ
ました。しかし不正な株価操作と粉飾決算が内部告発によって
272
表面化して結果的に倒産しました。
ライブドアは世間の誰もがやらないような方法で法律の抜
け道を潜って、会社の実態の伴わない株式分割をしたり、時間
外取引や投資事業組合やペーパー・カンパニーを使って、株の
買占めや粉飾決算をしました。
これらの二つの会社の共通点は、株価至上主義に走ったあま
り、本来は会社の業績を示す指標であるはずの株価を、利益の
かさ上げや、損失のとばし、デリバティブによって人為的に上
げようとしたことにあります。
物言う株主として脚光を浴びた村上ファンドはニッポン放
送株のインサイダー取引によって実刑判決を受けました。堀江
氏や村上氏のやり方に対して、ファンドだから「安ければ買い,
高ければ売る」のは当然だという擁護論もありますが、社会に
対する奉仕を第一義に考えず、自分の利益を優先させたことは、
ロータリーの職業奉仕理念とは程遠いことは明らかです。
敵対的買収で有名なスチール・パートナーズについても同様
なことがいえます。東京高裁の下した判断が世界の経済界の常
識に反するという批判もありますが、金を儲けることだけを目
的としたブルドッグソースや明星食品に対するする TOB は果
たして社会に対する奉仕なのでしょうか。M&A と書くと格好
よく聞こえますが、会社や従業員や消費者の利益のための
M&A でなければ、これは「会社乗取屋」に過ぎません。
「会社
乗取屋」を含めた世間の人達が疑義を抱くような方法で巨万の
富を築くような事業は、ロータリーが定義する世に有用な職業
273
ではなく、虚業に過ぎないのです。ロータリーは、こういった
事業をまともな職業だと判断して入会を許した経済団体の轍
を踏むようなことがあってはならないのです。
職業を通じて社会に奉仕することを忘れて、自分の利益を優
先するところから、数々の不祥事が起こります。
2005 年の春に、鶏インフルエンザを巡って、浅田農産という
会社の倒産と社長の自殺という痛ましい事件がありました。近
畿圏の生協に広く鶏卵を納入していたことからもこの会社が
堅実な事業経営をしていたことが判ります。平常は 10 羽単位
だった鶏の死亡率が、100 羽、1000 羽単位と対数曲線を描いて
増えていったことに、もしや、鶏インフルエンザに罹ったので
はないかと疑ったことは容易に想像できます。一瞬の判断のミ
スが致命的な結末に繋がります。もし、彼が食品の安全性を第
一義に考えていたなら、きっと正直に届け出たのではないでし
ょうか。当然、会社にとっては一次的に大きなダメージがあっ
たとしても、自ら命を絶つような事態には陥らなかったに違い
ありません。同じ時期に、同様な事態に陥った近所の養鶏場が、
いち早く届出をしたために、一次的には大きな損失を被ったも
のの、行政から感謝状まで貰って、事業を継続していることか
ら考えても、自己の利益を優先せずに事業生活を営むことの大
切さをしみじみ感じた事件でした。
豚肉や鶏肉を牛肉と偽装表示したり、肉に水を注入して重さ
をごまかしたミート・ホープや、牛肉の原産地を偽装した船場
274
吉兆、汚染米を食用に売った三笠フーズの例は、偽物を売った
ことで明らかに消費者の信頼を裏切った行為です。
賞味期限を偽った雪印乳業、白い恋人、フジヤ、赤福餅も消
費者の信頼を裏切った行為には違いありませんが、より新鮮で
美味しい食品を消費者に届けようという善意から生まれた賞
味期限というあまり学問的な裏づけのない日付設定にふりま
わされたという感があります。賞味期限と食品の安全性とは別
問題であることは、これらの会社の製品を食べて事故が起こっ
た例がないことからも明らかです。外国では食べ残しの食品を
「Doggy Bag」に入れて持ち帰るのが普通なのに、日本ではす
べて廃棄処分にするという法律も、食品のほとんどを輸入に頼
っているわが国の現状から見ても考え直す必要があるのかも
知れません。
不祥事を起こして糾弾される企業がある一方で、経営破綻を
起こしたスパーダイエーの創業者中内功氏が社会的に厳しく
糾弾されたことがないことも興味ある事実です。売上高日本一
のスーパーを育て上げた一方で野心的な事業拡大が裏目とな
って、経営破綻を招きましたが、彼の流通革命の功績は高く評
価され尊敬の念は薄れていません。彼の評価が高いのは,顧客
の立場に立って大手メーカーとの衝突しながら,価格破壊を推
進したことです。さらに阪神・淡路大震災に当たっては、被災
地店舗の壊滅的な損害にも関わらず、被災者の生活必需品の供
給に全力を挙げたことも大きな評価です。すなわち自らが儲け
ることよりも、社会に奉仕することを優先したのです。企業に
275
継続的な利益をもたらすはずのロータリーの職業奉仕理念を
実践したダイエーが、なぜ経営破たんに陥ったか、その真の理
由を解明する必要があります。
276
会社は誰のもの
ライブドアや村上ファンドの株式買収劇、スチール・パート
ナーズの M&A などの一連の事件を通じて、
日本でもやっと「会
社は誰のものか」という議論が闘わされるようになってきまし
た。
経営学的思考からは、当然のこととして会社は株主のものだ
という答えが返ってきます。経営者は株主の代理人として、株
主の利益を最大化するために働くわけであり、もしも株主の期
待通りの働きをしなければ、いとも簡単に更迭させることも可
能です。会社の存在理由は利益の最大化であり、ほとんどのア
メリカ人はその考え方で会社を経営しているようです。
しかし日本人の多くはそのように単純には考えず、会社は事
業を通じて地域社会に貢献するために存在するもの、すなわち
社員や顧客のものだと考える人が多いようです。株主は資金を
提供するために存在するのであって、社員や顧客が満足度を持
てば、結果的に利益があがり株主が儲かることになります。シ
ェルドンの職業奉仕理念はアメリカで生まれたにも関わらず、
ほぼこれと同じ考え方です。このことが日本人のロータリアン
がシェルドンに魅かれ、職業奉仕理念に魅かれる大きな理由な
のかも知れません。
最近では、現代社会においては、経営者や従業員の暴走を止
める力を持っているのは株主ではなく、むしろ顧客や取引先で
277
あると考える人も多く、Yahoo リサーチ・モニターの調査によ
れば、会社は株主のものと考える人 31.6 % 、従業員のものと
考える人 25.2 %、経営者のものと考える人 15.6 % 、地域社会
のものと考える人 15.3 % という回答になっています。
J リーグの所有者は誰かを考えてみてください。チームの株
主となっている親企業やスポンサーとなっている自治体が所
有者であることには間違いありませんが、人気を牽引する選手
や監督や役員、サポーターである地元社会の人たち、メディア
やスポンサーとなっているスポーツ用品メーカーの存在無し
にはチームを維持することはできません。さらには、対戦相手
のチームや観客なしには試合は成立しません。すなわちチーム
に関わるすべての関係者が支えあっている社会なのです。
プロ野球にも同じことが言えることは、阪神タイガース・フ
アンの熱烈な応援ぶりからも伺えます。村上ファンドに対する
拒否反応は、自分の儲けのために阪神タイガースを阪急電鉄の
支配下に置いたことに対する反発がかなりのウエイトを占め
ていることは、阪神タイガース・フアンの偽りのない感情でし
ょう。
企業は社会性、公共性、公益性という社会的責任を負ってい
ます。
社会性を果たすためには、顧客の求める商品やサービスを、
適正価格で、適時に提供する必要があります。
公共性を果たすためには、環境保護、独占禁止法違反、粉飾
決算、詐欺商法等の反社会行為や公共の福祉に反する商行為を
278
しないことが必要です。
公益性を果たすためには、国家や社会に対する貢献度が問わ
れます。
最近の風潮として、単なる売上高や収益率によって企業をラ
ンク付けするのではなく、優良企業の判定基準に社会的責任や
製品やサービスの品質の高さを加味する傾向が加わってきま
した。
フォーチュン誌が発表しているアメリカで賞賛される企業
の判定基準には革新性、人的管理、資産活用、社会的責任、経
営の質、財政の健全さ、製品・サービスの品質、長期投資など
の項目があります。企業のランク付けの中に社会的責任や製
品・サービスの質が加わっていることは、ロータリアンとして
喜ばしい限りです。2007 年度における上位 10 社は次の通りで
す。
1
ゼネラル・エレクトリック(GE)
2
スターバックス
3
トヨタ自動車
4
バークシャー・ハサウェイ
5
サウスウエスト航空 航空
6
フェデックス
7
アップル
コンピューター
8
グーグル
インターネット
9
ジョンソン&ジョンソン
10
電子機器
飲食
自動車
保険
運輸
医薬
プロクター&ギャンブル(P&G)
279
家庭用品
職業奉仕の事例研究
私たちのまわりではいろいろなことが起こっています。私た
ちは自分に貸与された職業分類の代表者としてロータリーク
ラブに属している関係上、最も大きな関心事は事業上起こる諸
問題ではないかと思います。企業の不祥事がマスコミに報道さ
れるたびに、どうかロータリアンでないようにと祈りながら全
国会員名簿を検索するのは私だけではないと思います。そして
残念なことにはその名前を全国会員名簿に発見することも多
くなりました。
職場で行う職業奉仕の実践
事業所における職業奉仕実践の第一歩は顧客の信頼を失う
ような不正行為をしないことです。すでに述べた通り、つい先
日も、賞味期限や原材料を改ざんしたミルク・菓子・食肉会社
の虚偽表示や汚染米の目的外使用や隠蔽事件がマスコミを賑
わしました。このような不正行為をして一旦顧客の不信を買え
ば容易に信頼を回復することはできません。
事業主だけが利益を独占するのではなく、利益はすべての関
係者に適正に再配分しなければなりませんし、従業員の技能を
適正に評価し、公正な従業員対策をしなければなりません。
これらの企業犯罪が表面化するのは、つもり積もった従業員
の不満が爆発して内部告発となり、会社の屋台骨を揺るがす事
280
態に発展することを忘れてはなりません。
社会に奉仕するために職業が存在することを忘れた人たち
が虚業に群がって、自己の利益を追求するために株式の不正取
引や会社乗っ取りにうつつを抜かします。会社を立ち直らせる
ための M&A は立派な実業ですが、自らの利益を追求するため
の M&A が虚業であることは、いまさらスチール・パートナー
ズに対する東京高裁の判断を仰がなくても、100 年も前からロ
ータリーの職業奉仕哲学に明記されている原則なのです。
常に新しいサービスや商品を開発する努力も必要です。これ
らの努力が会社を発展させるための職業奉仕活動の実践なの
です。
業界で行う職業奉仕の実践
業界全体として取り組まなければならない職業奉仕は、談合、
贈収賄といった不公正競争や公取法違反の事件を起こさない
ことです。業界の慣習だから、自分の会社だけでは是正できな
いと言い訳をする人もいます。しかし、ロータリアンは業界に
派遣された大使として、ロータリーの提唱する職業奉仕理念を
その業界に広める義務があるのですから、敢えてその困難に立
ち向かわなければなりません。最も大切なことは、構造的な犯
罪とも言われる不公正競争を是正することです。贈収賄や談合
を業界の慣習として是認するのではなく、これを恥ずべき犯罪
として粛清する勇気と努力が必要です。
ロータリーは自由主義経済を前提として生まれた組織です。
281
自分の会社で作った素晴らしい製品を、それを必要とするすべ
ての顧客に届けるのが原則であり、その意味からは、日本では
ごく当たり前になっている系列化とか、一社に直属した下請制
度は、ロータリーには馴染みません。親会社の指示によって、
生産ラインを増強しても、その製品を必ず親会社が引き取って
くれるという保障はありません。一社に頼らず、どこの会社に
も納入できる素晴らしい製品を常に開発することが、企業を生
き残らせる大きな要素なのです。一世を風靡した「看板方式」
も、自社で作った部品を能率よく製造ラインに届けるのならば
ともかく、下請け会社のリスクで行うのならば、ロータリーの
職業奉仕とはかけ離れた行為と言わざるを得ません。
現在、約束手形を使っているのは、世界中で日本と韓国だけ
で、それ以外の国では使っておりません。この約束手形は零細
な下請業者を泣かす大きな原因になります。弱い業者ほど、高
い割引料を払って現金化しなければなりません。支払元が倒産
でもすれば、ただの紙切れにしか過ぎません。ロータリアンの
取引は双方が満足する取引であることが原則ですから、相手に
リスクを負わせる手形決済はロータリーには馴染みません。
事業を発展していくためには、世間から受け入れられる経営
態度が必要です。業界の代表であるロータリアンは、同業者を
競争者としてライバル視するのではなく、自分たちの仲間とし
て協力しながら、業界全体の繁栄を図る必要があるのです。ロ
ータリアンがその職業分類の代表として業界に派遣されてい
る以上、業界における職業奉仕の実践もロータリアンの使命と
282
いえます。このような不祥事を自らが起こさず、自らの属する
業界からも起こさないようにすること、すなわち職業倫理高揚
が、職業奉仕活動実践の側面であることを忘れてはなりません
クラブで行う職業奉仕の実践
クラブが行う職業奉仕とは何でしょうか。職業を持っている
ロータリアンは、自らの職業を通じて奉仕活動の実践をするこ
とができます。しかし、ロータリークラブは職業を持っていま
せんから、直接職業奉仕活動を実践することは不可能です。し
かし、職業奉仕とは何かをロータリアンに教えることは可能で
す。クラブの職業奉仕委員会が中心になって、正しい職業奉仕
の理念を会員に周知徹底してください。また、クラブ内外のロ
ータリアンが行っている職業奉仕活動の事例を集めたり、各種
の職業情報の詳細を伝えることも有意義な活動の一つです。
不祥事を起こす本人が悪いのは当然ですが、そのような人を
出したクラブにも大きな責任があります。クラブの中に真の親
睦が存在すれば、またクラブの中にどんなことでも相談できる
雰囲気があれば、その不正行為を思い留まらせることが可能で
あったはずです。すなわちそのクラブには真の親睦が存在しな
かったことを証明しているのです。親睦の存在しない組織では、
保身のためにお互いが悪い意味でかばいあい、往々にして悪貨
が良貨を駆逐し、腐った林檎がまわりの林檎を腐らせるもので
す。
283
地域社会で行う職業奉仕の実践
最後に地域社会における職業奉仕の実践について考えてみ
たいと思います。ロータリアンは、まず自分の事業の繁栄を考
え、次に自分が属する業界全体の繁栄を考え、究極的には地域
社会全体の繁栄を図らなければなりません。
日本のロータリアンには優れた技術を持っている零細企業
や中小企業のオーナーが沢山います。電子レンジの技術として
開発され、結果として携帯電話やコンピューターやステルス戦
闘機にまで取り入れられた電磁波吸収塗料、あらゆる物質に可
能なメッキ技術、ナノの単位の金属加工技術、こういったもの
は、全て日本の小さな町工場で開発された技術です。また、目
を閉じていても、リンスかシャンプーかが判るように、キャッ
プの形を変えた洗剤メーカーも立派な職業奉仕の実践者です。
ロータリアンはその業種の代表者ですから、ロータリアンだ
けではなく、地域社会のこういった優れた技術を国際的に紹介
したり、仲介する責任を持っているはずです。WCS の交換プロ
ジェクトのような技術登録バンクを作って、お互いに利用でき
るようなシステムを作り、クラブ・レベル、地区レベル、世界
レベルに拡げていくことも、新しい観点からの職業奉仕になる
のではないでしょうか。
若干、本来の職業奉仕からは外れるかも知れませんが、特殊
の技能を持った人材を広く内外に紹介することも、地域の産業
に大きく寄与する活動です。
最近はインターネットを通じた情報が入り乱れています。特
284
に青少年に大きな影響を与えている不良サイトが問題になっ
ています。ロータリアンが経営しているプロバイダーも数多く
あると思いますので、これらの人が中心になってこの業界から
青少年に悪い影響を与えている不良サイトをなくする運動を
進めることも可能だと思います。同様にインターネットを経由
して取引される麻薬や銃などの禁制品も、郵便事業に携わるロ
ータリアンの世界的な結びつきを利用して防止することも決
して不可能なことではありません。また、ロータリー親睦活動
のネットワークを通じて、数々のボランティア活動を同業者に
呼びかける活動も必要です。
ロータリアンには受益者のニーズに適応した奉仕活動を実
践する責務が課せられています。安全な食品を口にしたいとい
うニーズがあれば、ロータリアンは安全な食品を提供できるよ
うに、職業奉仕の実践活動を展開しなければなりません。貧困
や疾病から逃れたいというニーズがあれば、ロータリアンはそ
の分野における人道的奉仕活動を実践しなければならないの
です。
理念の裏づけのない実践活動を行ったり、奉仕理念の研鑽を
怠って、奉仕活動の実践にのみに狂奔するのも困りものですが、
もっと始末に負えないのが、理屈だけを弄して、全く奉仕活動
の実践には無関心な会員の存在です。ロータリーの綱領は、決
議 23-34 は、職業奉仕理念はと、理屈をこねますが、WCS やそ
の他の人道的奉仕活動にまったく参加したことのない人が余
285
りにも多いのが日本の現状です。それも或る程度の年齢で、在
籍年数も長い会員に多いようですが、その知識が決して深くな
いことは、何か事があると決議 23-34 と言いながら、その第 4
条「奉仕するものは行動しなれはならない。ロータリー哲学も
単に主観的なものであってはならず、それを客観的に行動に表
さなればならない。」を自ら証明していないことからも明らか
です。理屈をこねる会員は往々にしてこのような二重人格を持
っていることが多いようです。ロータリーの哲学は実践哲学で
あり、職業奉仕も例外ではないことを忘れてはなりません。
286
287
参考文献
Proceedings 1st National Convention
Proceedings 2nd National Convention
Proceedings 4th Annual Convention
Proceedings 12th Annual Convention
Proceedings 14th Annual Convention
The symbolism of service
1918
Authur Sheldon
The philosophy of service
1921
Authur Sheldon
President Address 1937
Will R. Manier Jr.
How Young is The Rotary Movement 1954
Rotary’s great objective
Rotary and democracy
1955
1957
Chess Perry
Chess Perry
Chess Perry
The Story of Minneapolis Rotary
RC of Minneapolis
How it is done in Minneapolis
Frank Collins
This Rotarian Age
Paul Harris
A Talking Knowledge of Rotary
Guy Gundaker
The Herbert Taylor Story
Herbert Taylor
Service is my business
Percy Hodgson
Golden Strand
Oren Arnold
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
マックス・ウエーバー 、大塚久雄訳
会社は誰のものか
小林慶一郎、吉田望、岩井克人
288
ロータリーの奉仕理念
著者
田中
毅
改訂版発行
2008 年 11 月
たなかたけし
尼崎西ロータリークラブ会員
1996-97 年度 2680 地区(兵庫)パストガバナー
ロータリー・ジャパン・ウエブ初代委員長
国際囲碁同好会名誉会長
大阪国際大会インターネット委員長
2001、2004 年度規定審議会代表議員
2007 年度超我の奉仕賞受賞
「ロータリーの源流」主宰者
Mail
[email protected]
URL
http://www1.odn.ne.jp~caz52570
289
主な著書
Golden Strand
翻訳
Rotary ?
翻訳
The Meaning of Rotary
翻訳
理念の提唱者
詳説
アーサー・シェルドン
アーサー F. シェルドン
ロータリー歴史展望
ロータリー歴史展望(日本編)
職業奉仕
その原理と実践
290
ロータリーの奉仕理念 改訂版
2008 年 11 月
291
田中 毅著