フランス語の heinと日本語の「だろう」、「よ」、「ね」、「よね」の 用法

第 11 回フランス日本語教育シンポジウム 2010 年フランス・リヨン
11ème Symposium sur l’enseignement du japonais en France, Lyon France, 2010
フランス語の hein と日本語の「だろう」
、
「よ」
、
「ね」
、
「よね」の
用法
野田弘子(ストラスブール大学)
0. はじめに
フランス語の hein, n’est-ce pas, quoi, ben, dis, tiens などの談話マーカーは、話し言葉で用いら
れるため、主として書き言葉に基づく伝統的文法記述や統辞論の枠外に置かれてきた。近
年、盛んに研究されるようになってきた 1 とはいえ、個々のマーカーの特性の記述という
点では必ずしも十分ではない。また、外国語としてのフランス語教育においても、談話マ
ーカーの学習が重要な位置を占めてきたとは言えない。確かに、談話マーカーは、指示対
象を持たないため、その特性を把握し記述することが必ずしも容易ではない。しかし、こ
れらのマーカーが話し言葉で頻繁に用いられること、談話の構築に果たす役割の大きさは
無視できない。また、フランス語を外国語として学ぶ際にも、談話マーカーの用法を身に
つけることは、フランス語の上達に欠かせない。
一方、日本語では、フランス語の談話マーカーに対応するものとして、例えば、終助詞が
挙げられるが、日本語教育においても、学習者にとって終助詞の習得は大きな課題の一つ
である。
筆者は、これまで、フランス語の hein と、同じような働きをする quoi、n’est-ce pas との比
較を通じて、各々のマーカーの特性の記述を試みる一方、日本語の「だろう」・「よ」・
「ね」
・
「よね」についての記述も試みてきた(野田、2006, 2007, 2008)
。
これは、hein の使用可能な文脈が極めて多いことから、日本語のマーカーと比較すること
で、より明瞭に特性を記述できるのではないかと考えたのがきっかけである。比較の対象
としては、フランス語と日本語の小説の原文と翻訳を照らし合わせた結果、最もよく使用
されていることから、
「だろう」
・
「よ」
・
「ね」
・
「よね」を選んだ。Hein との比較にあたっ
ては、これらの四つのマーカーのそれぞれの特性をまず把握することが肝要であると考え、
日本語のマーカー間の比較を行った。
本稿では、既に得られた各々のマーカーの特性に関する仮説をもとに、hein と、「だろ
う」
・
「よ」
・
「ね」
・
「よね」が翻訳でどのように対応しうるのかという点について考察した
い。
1. 先行研究とその問題点
例文の分析に先立ち、日本語の先行研究について簡単に述べる。
「よ」
・
「ね」
・
「よね」
、特
2
に「よ」と「ね」は、終助詞研究の中で数多く取り上げられている 。また、
「だろう」
・
「ね」
・
「よね」は、
「ではないか」などと共に確認要求表現の枠組みで研究されている 3。
「だろう」
・「よ」・「ね」は、神尾(1990, 2002)の提唱する『情報のなわ張り理論』の中
でも触れられている。
先行研究では、フランス語・日本語にかかわらず、あるマーカーの「機能」の記述が中心
となっている。様々な機能が列挙されている場合、それらの機能全体を総合的に把握する
ことは容易ではない。また、複数のマーカーの比較は、主に機能別に行われているため、
個々のマーカーの特徴を捉えることが難しい。例えば、
「確認要求表現」という枠組みに
立つと、
「よ」は含まれないため、
「よ」
、
「ね」
、
「よね」のつながりは捉えにくい。さらに、
あるマーカーの機能、その使用可能条件についての記述は多いが、どのような場合に用い
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られないのか、その理由はなぜかという点が必ずしも明らかになっていない。しかし、外
国語学習者にとってはこの点がむしろ重要であることが多々ある。
談話マーカーの異言語間の対照比較研究においても、談話行為に関する機能(例えば、確
認要求)ごとに比較が行われることが多い(例えば、D. Siepmann, 2005)
。しかし、この方
法では、各々のマーカーの特性が簡略化されてしまい、綿密な比較が困難であると思われ
る。談話マーカーに関する日本語・フランス語の比較は、ほとんどなされていないが、tu
sais, tu vois と「ね」
、
「さ」
、
「あの」
、
「ほら」などについて比較した安齋(2008)がある。
2. 理論的枠組みと方法-キュリオリの発話理論
本研究においては、このような問題点の克服を目指し、フランスの言語学者アントワー
ヌ・キュリオリの発話理論を用いることとした。この理論の数多くの特徴の中でも次の二
点を強調したい。まず、キュリオリが、分析対象となるマーカーの使用上の制約を経験的
レベルで綿密かつ体系的に観察、分析することを重視している点である。二点目は、マー
カーの特性をメタ言語によって記述する必要性を強調している点である。特に、多言語間
でマーカーの特性の比較をするには、個々の言語の特徴に影響されないメタ言語の利用が
不可欠であると考える。
本研究で分析対象としたのは、フランス語・日本語の小説の原文と翻訳で、hein が「だろ
う」・
「よ」
・「ね」
・「よね」のいずれかで訳されている場合と、これらの四つが hein で訳
されている場合である。また、「だろう」・「よ」・「ね」・「よね」は、ほとんどの場合、
hein で訳すことが可能であるが、hein で訳せない場合もある。
話し言葉の研究にあたって、小説を分析対象にすることには、方法論上問題がないとは言
いきれない。特に、プロソディーは、これらのマーカーの用法に密接にかかわっているが、
直接の分析対象から外れてしまう。しかし、これらのマーカーの用法のみに関心を払って
いるわけではない翻訳者がどのように訳しているかを参照することは、談話マーカーの異
言語間の比較の糸口として有効ではないかと考え、検討することとした。
3. 各マーカーの特性に関する仮説
個々の例文の検討に入る前に、これらのマーカーの特性に関する仮説を述べたい。実際に
は、これらの仮説は様々な例文の分析を通して得られたものであるが、先に仮説を紹介す
ることは例文の理解に有用であると判断した。
まず、仮説の構築にあたって利用した、キュリオリの発話理論のいくつかの観念を定義す
る。言表の出所となる、つまり、その言表の有効性を保障する主観的な機関を「発話者」
(énonciateur)と呼ぶ。これに対し、発話者と分離可能であるが、必ずしも分離していな
い主観的な機関で、発話者の言表行為において他性の極を担う機関を「共発話者」
( coénonciateur ) と 呼 ぶ 。 次 に 、 発 話 者 ・ 共 発 話 者 間 の 相 互 主 観 関 係 ( relation
intersubjective)が述語的観念(notion prédicative)P によって構成されているとする。P は、
肯定的意味価 p、または否定的意味価 p’を取りうるものとする。
Hein の場合、発話者が自らの選んだ意味価 p の有効性を一緒に認めるものとして、共発
話者を導入する。
「だろう」の場合、発話者が意味価 p を共発話者にとって有効な意味価
として選択し、共発話者に提示する。
「よ」の場合、発話者が意味価 p を選択し、それを
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共発話者に提示する。
「ね」の場合、発話者が意味価 p を共発話者にとっても有効である
とみなし選択する。つまり、共発話者は発話者と分離していない。
「よね」の場合、発話
者が意味価 p を選択し、共発話者に意味価 p または p’を選択するよう要請する。ここで、
発話者は、意味価 p の有効性を支持しているが、共発話者にとって意味価 p’が有効である
可能性も完全に排除しているわけではない。
これらのマーカーの特性の共通点は、いずれも肯定的意味価 p の有効性をめぐる、発話
者・共発話者間の相互主観調整に関わっている点である。つまり、いずれの場合も否定的
意味価 p’の有効性は問題となっていない。この点によって、hein と日本語のこれらのマー
カーとの対応が可能になっており、また、日本語の四つのマーカーのいずれもが使える場
合が存在することが説明される。しかし、日本語の四つのマーカーは、共発話者の立場が
少しずつ異なっており、この点が、文脈によって必ずしもすべてのマーカーの使用が可能
ではないことに関与していると考えられる。また、hein が日本語のこれらのマーカーに対
応しないのは、発話者が共発話者にとって意味価 p が有効であると想定できない場合であ
るが、この点は、
「だろう」以外のマーカーの使用を制約しない。
4. 例文の検討
4.1. Hein と「だろう」が対応する場合
例(1)では、原文の hein が「だろ」で訳されている。
(1)- Il [=le vin] est bon, hein ?
- Très. Dommage qu’il tienne si peu ses promesses… (Je l’aimais : 65)
「美味い(だろ/ ??よ/ ??ね/ ??よね)4、このワイン?」
「ええ、すごくおいしいわ。憂鬱払いの効果はちっともないけど……」(ピエールと
クロエ:73)
この会話は、話し手ががっかりしている聞き手を慰めようと『シャトー・シャッス・スプ
リン』
(
「憂鬱払いシャトー」の意味になる)という名前のワインを開けるという場面であ
る。話し手は、hein を用いて、
「
(自分が開けた)ワインがおいしい」ことについて、聞き
手の同意を得たいことを表している。話し手は、聞き手が同意するだろうと思っているが、
聞き手が実際に同意を示すことは、単にワインの味が良いということだけでなく、話し手
のワインの選択が良かったということを意味するため、話し手にとって重要な意味を持っ
ている。つまり、話し手の関心は、ワインのおいしさを確認するというよりも、聞き手が
それを明確に保障することにあると言える。
Hein を含む言表の翻訳としては、日本語の四つのいずれのマーカーも用いることができ
る。しかし、この文脈での hein の意味は、翻訳で用いられている「だろう」以外のマー
カーでは表しにくいと思われる。まず、
「よ」の場合には、店で店員が客に勧める場合の
ように、そのワインのおいしさを聞き手に教示することになり、この例文のような返答に
はつながらない。
「ね」の場合には、話し手自身がワインを好意的に評価していることが
主に示される。聞き手に対するワインのおいしさの確認要求とも言えなくはないが、
「だ
ろう」の場合と比べて、話し手の関心は、聞き手に同意を求めるというよりも、自分の評
価を表現することにある。さらに、この自分の評価は、聞き手と共通の評価であるかのよ
うに提示されている。例(1)では、話し手にとって、ワインのおいしさを共有し満足す
るというよりも、聞き手の好意的反応を得ることに重点がおかれており、「ね」よりも
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「だろう」の方が適当であると考えられる。最後に「よね」の場合には、次の三つの文脈
が考えられるが、どれもワインがおいしくない可能性が完全に排除されていないため、例
(1)には適さない。一つ目は、話し手が何らかの理由(病気である、ワインに詳しくな
いなど)でワインを評価できない状況にあり、おいしいと思いながらも、聞き手に確認す
る場合、二つ目は、話し手がワインをおいしいと思い、聞き手が同じ意見であるかどうか、
そうでない場合も考慮しつつ聞く場合、三つ目は、話し手がワインがおいしくない場合も
考慮した上でやはりおいしいと結論する場合である。
4.2. Hein と「よ」が対応する場合
例(2)では、原文の hein が「よ」で訳されている。
(2)Pas trop longtemps, hein, sinon c’est du charbon. (Je l’aimais : 42)
あんまり長くはだめ(よ/ ??でしょう/ ??ね/ ??よね)!だって真っ黒に焦げちゃ
うものね。
(ピエールとクロエ:47)
これは、母親が娘たちに原始人風にトーストを作る方法を説明している場面である。話し
手は、パンを火に長くかけておいてはいけないと聞き手に指示している。ここで 、hein
は、聞き手がしっかりと指示を聞くように促す働きがある。この場合、hein に対応するの
は「よ」のみである。ここでは、「だろう」
、
「ね」
、
「よね」は、長くはだめかどうかを確
認することになり、不適切である。
4.3. Hein と「ね」が対応する場合
例(3)では、原文の hein が「ね」で訳されている。
(3)- Un peu chaud, hein ?...
- Je ne me rends pas compte. (L'écume des jours : 162)
彼はクロエに近づくと脈をとった。
「少々熱がある(ね/??だろう/よ/よね)
」
「さあ、わかりませんけど」 (うたかたの日々 : 149)
この例文は、医者がクロエという患者の往診に来た場面で用いられている。Hein は、話
し手である医者が患者に熱があることに相手の関心をひく働きがある。熱があるかどうか、
熱の高さが少しかどうかということは、問題になっていない。また、必ずしも聞き手の同
意を求めているわけでもない。つまり、hein は、話し手が聞き手の存在を考慮しつつ、聞
き手とのやりとりの糸口をできればつかもうとしていることを示している。
ここで、
「よ」
、
「よね」も使えなくはないが、最も適当なのは「ね」であろう。
「ね」の場
合、話し手は、聞き手に熱があるということを、必ずしも相手の反応を期待せず示すこと
ができる。また、熱があることは、あたかも共通の認識であるかのように提示される。
「よ」の場合、「ね」の場合と違って、熱があることを聞き手も認識しているとは、話し
手は特に想定しておらず、聞き手に熱があるという新しい情報を知らせることになる。
Hein の後に疑問符の代わりに感嘆符が使われる場合には「よ」の方が適切であると思わ
れる。
「よね」の場合、話し手は、聞き手が話し手と同じ意見でない場合を考慮しつつ、聞き手
の同意を求めている。話し手は、聞き手がほぼ同じ意見だろうと思っているが、そうでな
い場合を必ずしも排除しているわけではない。ここでは、医者と患者のやりとりであるか
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ら、「よね」を使うと、医者が患者に遠慮がちに診察結果を述べているような印象を与え
かねない。
一方、「だろう」の場合、話し手が聞き手についての推測が正しいか否かを確認すること
となり、既に話し手が聞き手の手を取っている、この場面にはそぐわない。もし、医者が
遠くから患者を見て判断しているような場合であれば「だろう」を用いることは可能であ
ろう。
4.4. Hein と「よね」が対応する場合
例(4)では、原文の hein が「よね」で訳されている。
(4)- Tout confort mais pas très finaude, hein ? Je l'attendais pour dîner. J'attendais des heures. […] (Je
l'aimais : 64)
安穏快適、でも鈍い妻だったわけ(よね/??でしょう/??よ/??ね)? あの人が帰
ってくるまで、夕食を食べずに待っていたわ。何時間も。[...] (ピエールとクロ
エ:72)
この例は、夫に突然捨てられた話し手がそれまでの結婚生活を振り返り、分析している場
面である。聞き手は、義父である。話し手にとって、夫の浮気は全く意外だったのだが、
以前は気に留めていなかったことが次第に浮気の兆候として思い出されてくる。ここで、
hein は、聞き手が今言ったことをきちんと把握し、話し手の論証に着いていけるように、
論証の一段階を示している。
ここで、
「よね」は、話し手が鈍い妻だとは夢にも思っていなかった当時を振り返り、実
はそうだったのだと結論したことを示している。ここで、
「だろう」を用いた場合、話し
手が聞き手の考えを推論して代弁し、その推論が正しいかを尋ねることになる。しかし、
この場面では、聞き手の考えというよりも自分の考えを表明しているのであるから、
「だ
ろう」の使用は適当ではない。「よ」の場合、話し手が自分の意見を聞き手に一方的に表
明する形となるが、ここでは、話し手の意見は聞き手にとって必ずしも意義のある情報で
はないため、
「よ」は必ずしもふさわしくない。
「ね」の場合、話し手は、聞き手が自分と
同じ意見であると推定していることになるが、ここでは、聞き手が同意見であることを話
し手が必ずしも望んでいるわけではない。むしろ、聞き手が、
「そんなことはない、君の
せいで浮気されたんじゃないよ」というような反対意見を述べることは話し手に好都合で
あるため、
「ね」は必ずしも適当ではない。
4.5. Hein を使いにくい例
先に述べたように、hein は、
「だろう」
・
「よ」
・
「ね」
・
「よね」のいずれかに対応する場合
が多い。しかし、対応しない場合がないわけではない。例えば、次の例で用いられている
「ね」は、hein に対応しない。
(5)A:いま何時ですか?
B:ええと、7 時ですね。
(金水、1993:119)
A : Quelle heure est-il ?
B : ??Heu sept heures hein
(6)A:お子さんの年齢は?
B:もうすぐ、12 ですね。
(金水、1993:119)
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A : Quel âge a-t-il votre enfant ?
B : ??Bientôt 12 ans hein
ここで、話し手 B は、聞き手(話し手 A)が質問していることから、聞き手が時間や子
供の年齢などの情報を共有すると推定することはできない。このように、話し手が該当の
情報を聞き手が共有していると推定できない場合、hein を用いることは困難である。一方、
「ね」の場合は、たとえ話し手が聞き手とその情報を予め共有していると推定できなくて
も、聞き手が話し手の与える情報を受け入れざるを得ない場合、話し手の与える情報の有
効性に異議を唱えることができない場合には、使用できる。
これに関連し、次の例文の場合、hein を用いることが可能となる。
(7)A:勤めて何年目ですか。
B:もう 20 年になりますね。
(金水、1993:119)
A: Ça fait combien de temps que vous travaillez ?
B: Ça fait déjà vingt ans hein
似たような例ではあるが、ここで、hein は、話し手が聞き手といっしょに情報を把握する
よう求めていると考えられる。単に勤続年数を相手に知らせるというよりも、聞き手にそ
れを意識するように求めていることから、例(5) ・
(6)と異なり、hein が使えることと
なる。
また、Hein が日本語の四つのマーカーのいずれにも対応しない例には、次のようなもの
も挙げられる。
(8)A:こんなことも分からないの?
B :分からないね。
(蓮沼、1988:95)
A : Tu ne comprends même pas ça ?
B : ??Ben non, je ne comprends pas hein / ??Eh oui, je ne comprends pas hein
ここで、話し手 B は、聞き手(話し手 A)が述べたことに対立意見を述べている。それ
にもかかわらず、話し手が自分の意見を聞き手が共有しているとの想定を表す「ね」をあ
えて使うことで、聞き手が話し手の意見を共有せざるを得ないことが強調されると考えら
れる。ここでの「ね」の使用は、
「よ」に比べて、
「そんなこと言っているけれど、本当は
そうじゃないって知っているんじゃないの?」という嫌味な感じがするが、これは、
「ね」
を使うことで、対立意見があたかもそれが共有されたもののように示されることから生ま
れるのではないか。
Hein は、相手が対立する意見を既に述べており、例(5)
・
(6)の場合と同様に、話し手
は自分の意見を聞き手が共有していると想定できない場合には用いられない。
5. まとめ
本稿では、これらのマーカーが文末で用いられる場合のみ扱った。しかし、これらは、文
末以外でも用いられ、その場合についても検討することが必要であると思われる。また、
ここでは取り上げきれなかったが、談話マーカーの用法にはイントネーションの果たす役
割が大きいことは否めず、イントネーションを含めた考察が今後必要であろう。しかし、
少なくとも、本稿で取り上げたマーカーが、発話者・共発話者の微妙な相互主観調整に関
わっており、その調整の違いが各々のマーカーの特性を形成していると言えるのではない
か。また、この特性の記述には、使用上の制約を細かく考慮することが必要であり、複数
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言語間で比較する際にはメタ言語の使用が有効であると考えられる。このように、フラン
ス語・日本語を比較し、記述することは、各言語のより深い理解につながり、各言語を外
国語として教える際に有意義であると考える。
注
1 例えば、D. Paillard (2009), M. Drescher et B. Frank-Job (編) (2006), C. Chanet (2004), G. Dostie
(2004), K. Beeching (2002), M-B M. Hansen (1998), M.M.J. Fernandez (1994), D. Vincent (1993), な
ど。
2 例えば、T. Matsui (2000), 井上(1997), 金水(1998, 1993), H. Oshima (1994), S.K. Maynard
(1993), 野田(1993), 伊豆原(1992) , 白川(1992), 益岡(1991), 蓮沼(1988), 大曽(1986), 陳(1983)など。
3 宮崎他(2002), 宮崎(2000), 安達(1999), 三宅(1996)など。
4 本稿では、 「??」は、該当の文脈では用いられにくいことを示す。
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Emplois de "hein" en français et de "daroo ", "yo", "ne" et "yone" en japonais
Hiroko NODA (Université de Strasbourg)
Les marqueurs discursifs comme "ben, "dis", "hein", "n'est-ce pas", "tiens", etc. sont
longtemps mis à l'écart des analyses grammaticales ou syntaxiques classiques fondées en
particulier sur l'écrit. Toutefois les nombreuses recherches ont été effectuées ces dernières
années. J'ai envisagé de décrire les emplois de "hein", "n'est-ce pas" et "quoi", ainsi que
ceux de "daroo", "yo", "ne" et "yone" qui sont comparables avec "hein" en japonais. Les
marqueurs "daroo", "yo", "ne" et "yone" en japonais sont étudiés en tant qu'expressions
de demande de confirmation (par exemple, K. Miyazaki, 2000), mais la différence entre
ces marqueurs n'est pas forcément rendue explicite. Par ailleurs "hein" peut être comparé
à "yo" qui ne fait pas partie des expressions de demande de confirmation.
Dans les études comparatives des marqueurs discursifs entre diverses langues, la
comparaison se fonde souvent sur leurs fonctions liées à l’acte du discours (par exemple,
D. Siepmann, 2005). Cette perspective ne permet pas toujours de distinguer les propriétés
complexes des marqueurs en question.
Or l'apprentissage de ce type de marqueurs est inévitable afin de maîtriser une langue
étrangère. Il nécessite d'abord des connaissances approfondies sur les propriétés de ces
marqueurs pour les enseignants ; il ne leur est pas toujours évident de les saisir.
En me situant dans le cadre de la "théorie des opérations prédicatives et énonciatives"
développée par Antoine Culioli, je discuterai dans cet article sur les problèmes
énonciatifs des emplois de "hein" en français et de "daroo", "yo", "ne" et "yone" en
japonais : ces marqueurs jouent un rôle important dans le jeu intersubjectif entre
l'énonciateur et le coénonciateur. Cette comparaison permettra d'approfondir la
connaissance sur les deux langues et de mieux
enseigner ces langues comme langues étrangères.
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