No.2 MAR - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2007 No.2 MAR
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるもの同士が心を通わせ共存共栄を図る。
第42期 (平成18年度) 重点施策
協会活動活性化に向けた取り組み
・公益事業の推進
・会員に対する広報活動等の充実
・委員会活動・支部活動の活性化 (人材の育成)
・交流の促進 (共存共栄)
航空の安全文化構築の促進等
・学習する文化構築の促進 (航空安全講習会・各種研究会等の実施)
・報告する文化構築の促進 (自発的安全報告制度の活性化等)
・必要な情報が行き渡る文化構築の促進 (HP 等による安全情報の周知)
・ヒューマン・ファクターの理解促進
・GA 機の運航環境整備への取り組み
・航空事故再発防止を優先させる観点から、 事故機乗員の刑事訴追に関し事故調査報
告書の使用を禁止する取組み
協会組織運営体制の再構築
・協会の事業運営のあり方に対する検討
・会員状況の確実な把握、 事務局体制の強化
・規程の遵守、 理事の役割分担にもとづく効率的な組織運営
・確実な協会監査体制の充実
・情報管理体制の改善・強化
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額 1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
日石三菱●
至虎ノ門
入
口
は
こ
ち
ら
側
に
あ
り
ま
す
1
階
●
サ
ー
ク
ル
K
︵
コ
ン
ビ
ニ
︶
日
本
航
空
機
操
縦
士
協
会
事
務
所
歩道橋
そ
ば
や
●
●
小
里
会
館
西
高
楼
飯
店
●ベ カ
ロフ
ーェ
チ・
ェ
●航空会館
●JTB
りそな銀行
●
外堀通り
●
三
井
住
友
日
本
酸
素
●
●
森
ビ
ル
20
内
幸 ● みずほ銀行
町
駅
三
菱
東
京
U
F
J
銀
行
赤
レ
ン
ガ
通
り
烏森通り
●
マ
ク
ド
ナ
ル
ド
至銀座
NTTドコモ
●
■
汽
車
●
●
八
洲
電
気
至東京
ニ
ュ
ー
新
橋
ビ
ル
J
R
新
橋
駅
烏森口
キムラヤ●
至品川
CONTENTS
No.301
4
2007 No.2 MAR
ようやく軌道にのってきました
専務理事
62
白石
豊樹
航空史曼陀羅
その16. 新聞社と航空活動
徳田
7
常務理事
11
根本
裕一
特集
Airmanship
エアマンシップ
Dan Gurney
76
そらのみちくさ
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
湧井カレン
寄稿
79
そこは揺れるかも?
蔵岡
24
68
Professionalism in Flight Testing
―飛行試験におけるプロ意識―
シニア・パイロットのエピソード (第12回)
「ハイジャック???」 日航 「よど号」 事件
日本初、 その現実に遭遇したパイロットの回顧録
江崎 悌一
18
賢治
アメリカにおける航空身体検査を調査して
オススメ!情報ボックス
書籍 & Goods 紹介
80
FAI ニュース
日本との違いは?
奥貫
原
28
32
博
志野
81
航空局通達
気象庁の航空予報プロダクトを拡充します
“−より安全に、 より効率的に−”
航空気象委員会
82
開催予告
事故を斬る
83
航空気象
NPO 法人 航空・鉄道安全推進機構設立記念講演会
航空安全性向上への寄与
安全への真摯なアプローチ
委員会報告
開催報告
機長養成講習会開催報告
エアライン委員会
航空安全委員会
39
忠成
技術革新と日本航空機操縦士協会
84
JAPA 通信
90
航空気象/カラー頁
91
JAPA SHOP
92
空中衝突の防止
93
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
沖縄支部
運航技術委員会地球環境問題分科会
40
GA:ジェネアビ情報
航空機使用事業
奥貫
46
博
南カリフォルニア大学での
航空安全管理プログラムを受けて
USC Aviation Safety and Security Program
山中 祥暢
52
World Safety Report
CALLBACK
57
FTD 訓練室
94
JAPA Aerial Photo Exhibition
96
編集後記
Number325
地球環境問題関連用語の解説
9
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
ようやく軌道に
のってきました
社団法人
日本航空機操縦士協会専務理事
白
早いもので、 萩尾会長のもと42期理事会がス
タートして、 2月で9ヶ月間が過ぎてしまいま
した。 とにかく新任の理事が約2/3を占めて
いる経験の浅い体制下、 今期の活動は西田事務
局長をはじめとした事務局メンバーと更に再任
者及び各委員会のベテランの方々に力を借り、
ようやく軌道に乗ってきたと云えます。 幸い財
政面は健全に推移しています。 協会員の皆様の
暖かいご理解が円滑な運営を支えていますので、
引き続きご協力をお願いします。
さて、 2月9日午後に当協会の顧問会が開催
されました。 42期の顧問は13名で5人の学識経
験者と8名の協会役員功労者で構成されており
ます。 今回は総勢10名のみなさんが参加下さい
ました。 私どもからは協会の現状について報告
を行い、 顧問の方々から暖かいアドバイスを頂
きました。 会議の後のささやかな歓談の場で、
やはり昔話に花が咲きました。 私はぐうぜん黒
田顧問と青木顧問の間に座りましたので、 その
ときの様子をお伝えします。
航空医学だけでなく航空界全体を指導下さっ
てきた黒田勲先生は、 今年80歳を迎えること、
最近はパイロットらしい顔立ち?が少なくなっ
たこと、 マニュアル人間化と応用力、 先生は医
学博士なのに医者と思われたことがなく航空関
係者としてまかり通っている等など、 終始和や
かにお話下さいました。 そして、 情報管理に対
するパイロットの資質について、 次の様に指摘
されました。 内容はオーストラリアにおける体
験談でした。 1991年ラウダ航空の B767型機が
空中分解したとき現地に居合わせており、 カン
4
2007 MAR
石
豊
樹
タス航空の運航担当者に、 事故に関わる情報が
パイロットへどの様に提供されているのか尋ね
たところ 「パイロットのリクエストが無ければ
何もしない」 が答として返ってきたそうです。
理由は、 もし情報が必要ならパイロットは自分
で情報を入手する筈で、 情報の窓口は24時間体
制で確保してあるとした内容でした。 情報化時
代を迎え、 「パイロットは関係する情報の種類
を的確に把握し、 欲しい情報がどこにあるのか、
如何すればアクセスできるのかを自ら管理する
能力を求められる。」 が主題だったのたろうと
受け止めました。
航空写真の第一人者として活躍なさっている
青木勝さんとも話す機会を得ました。 YS-11が
昨年定期便からリタイアしたこと、 日本初の国
産旅客機に対するパイロットの評価、 デジカメ
とフィルム写真の違い等について伺いました。
後日、 新宿御苑側のスタジオで開かれていた青
木さんの写真展に行きました。 豪華客船“飛鳥”
で南極へ行った時の感動・記録・記憶を美しく
描いた作品展でした。 私が驚き興味を惹かれた
作品は、 南極海で撮影したミンク鯨でした。 海
面上に頭を覗かせた写真で、 一瞬のタイミング
を見事に捕らえており、 まさにハンターの技で
す。 鯨の皮膚が黒々と滑りほとばしる波紋が印
象的でした。 やはり南極のウィンケ島ポートロッ
クロイにある英国南極史跡博物館の写真、 この
写真はロンドンのグリニッジで観た帆船カティ
サーク号の記念館と重なり、 ひょっとして、 冒
険や探検の足跡を展示した博物館は、 大航海時
代に世界を席巻した英国人の嗜好に合っている
のかもしれません。“飛鳥”の華麗な船影も素
青木顧問と
敵でした。 前景には緑の丘、 波で洗われている
岩礁が背景に映り、 このアングルを確保できた
地点に辿り着くには相当の脚力が要るなと思い
ました。 青木さんの若々しい体型は 「これだな」
と直感しました。 先生は、 「港にはそれぞれ特
徴があり、 歴史と文化を映している。 空港はど
こを見ても変わりがない。 機能が第一だから」
と残念そうに話していました。 確かに私が特徴
ある空港を挙げるとすれば、 ワシントンのモー
ビルラウンジと宇宙ステーションに似たパリの
シャルル・ドゴール空港ぐらいしか浮かんでき
ません。
ドゴール空港で思い出しましたが、 先日パリ・
ステイで感じたことが有りましたので少しだけ
ページを割きます。 最近の気候について現地の
フランス人スタッフに尋ねたところ、 やはり今
冬は暖かい日が多いようでこの分だと春が1カ
月ほど早くやってくると話していました。 零度
以下の日は10日に満たず、 ウインディーな日が
続き更に雨や雪の所謂降水現象が極端に少なく、
水不足を心配していました。
今回のステイは、 相も変わらずベッドの上で
怠惰にテレビを見ながら過ごしました。 ヨーロッ
パの泊まりは、 現地の夜中つまり午前1時頃か
ら目が冴えてくるのです。 日本時間の午前9時
頃にあたります。 結果として、 衛星放送をを通
じて普段見ることのない時間帯の NHK 番組を
のんびり楽しむことが出来ます。 そんな訳で、
たまたま見た報道番組で 「豊田三郎画伯の生活
ぶり」 に関心を持ちましたので紹介させて頂き
ます。
豊田三郎は、 1908年 (明治41) 福井県で生ま
れ、 1938年 (昭和13) 帝国美術学校 (現武蔵野
美術大学) 卒業した後に教員などを務め製作活
動に勤しみますが、 37歳のとき故郷に戻り、 以
来生まれ育った美山の自然を描き続け、 今年で
99歳を迎えます。 72歳の時に妻に先立たれ、
“絵があったから是まで元気に過ごせてきた。”
と迷いなく言いきった画伯の表情は澄みきった
水のようで一点の濁りもありません。 画伯の生
活ぶりを見て、 心技体を兼ね備えた生き方とは
何かを教えられました。 技については、 絵を描
くことに没頭すること。 体については、 起床後
に汗ばむほどの運動を欠かさず、 布団を軽々と
たたんで押入れに仕舞うことを日課としていま
す。 晴れた日は終日、 キャンバスである美山の
自然を相手に過ごします。 そして心、 是は本当
に難しいテーマですが、 画伯は交流の場をとて
も大切にしています。 定例的な集い、 絵画教室
や村の青年や世話役との懇談会を通じ、 幅広く
人に触れ合う場を確保しています。 その場に参
加した人達に役立つ技を持たれた方の特権です。
2007 MAR
5
私は、 定年をそう遠くない時期に控え、 心・
技・体 の技・体については僅かな可能性を有
していても、 心に関し全く手段を持ち合わせて
いない現実に、 暫し考えさせられました。
ところで、 パリジャンは何処の国の料理でも
フランス料理と言って憚らないのをご存知です
か。 例えば、 中華料理はシノワ・フォンセズ、
イタリアンはイタリー・フォンセズ、 タイ料理
はタイ・フォンセズと言った具合です。 全てが
パリ中心の価値観でしょう。 今回は、 コンコル
ド広場近くでモンタボ通りに面した町の食堂
“L'Ardoise”へ行きました。 このレストラン
では、 エスカルゴが陶器の小さな壷に入って出
てきます。 私は、 いつもビフテキをワインと共
に注文します。 レストランでは 「ビフテキ」 と
オーダーすればそのまま通じます。 語源は定か
ではありませんが、 フランスの代表的な料理で
あることは確かです。
やはり何時も感じていること、 マス・メディ
アが持つ日本との大きな温度差です。 パリ5チャ
ンネル (la Cinq/Arte) で放映されていた第
二次世界大戦の終盤の記録の中に米国33代大統
領トルーマンが原爆投下後の声明を発表してい
る場面がありました。 爆撃機エノラ・ゲイやキ
ノコ雲あるいは被爆の惨状は記録の中でこれま
で何度も見てきました。 しかし、 「原爆投下の
戦果やパールハーバー等に言及したステイトメ
ント」 は初めて耳にしました。 60年以上も前の
記録、 しかも何でもない日曜日の朝に放映して
いること自体、 歴史と文化の違いでしょうか。
6
2007 MAR
話を顧問会議に戻します。 学識経験者として、
航空工学の東昭先生は当日都合で欠席なされま
したが、 航空法の相談役をお願いしている松岡
浩先生は法律事務所がある丸の内から駆けつけ
て下さいました。 また航空気象の専門家で航空
気象委員会のメンバーでもある中山章先生から
は、 いわゆる一般の気象学よりも実践的な航空
気象の知識が必要であることなどの貴重なお話
がありました。
さらに協会役員の先輩の顧問として、 川原武
前会長、 副会長経験者の清田尚利さん、 岩瀬健
祐さん、 森一三司さんもご出席下さいました。
みなさんのお元気で過ごされておられるようで
した。 さらに現在もヒューマンファクターの研
究を続けておられる石橋明さん、 AIM 編纂協
会の石原敬三さんからも、 今後とも継続して協
会へのご支援とご声援を頂きました。 残念です
が、 元会長の有働武俊さん、 前副会長の村上勇
さんは都合で欠席なされました。 この場を借り
て改めて御礼申し上げます。
顧問会と因んだ話を主に最近の雑感を加え述
べてきました。 冒頭で触れましたように、 42期
理事会は来期へ向けての準備を始める時期を迎
えています。 健全な航空の発展に資すること、
協会員の役立つこと、 団塊世代の動向と羽田再
拡張に見る鋭い環境変化に揉まれながら、 私た
ち理事会は適切に機能できるように取り組みま
す。 皆様の協力をお願いします。
技術革新と
日本航空機操縦士協会
社団法人
日本航空機操縦士協会常務理事
根
本
裕
一
1. 歴史を紐解くと……
1903年にライト兄弟が初めて動力付き飛行機
で空を飛んでから、 1世紀が経過しました。 僅
か100年の間に航空機は日進月歩の進化を続け
ています。
リンドバーグと愛機
ライト兄弟の初飛行
飛行機の進化は日々起こっているわけですが、
大きな変化の節は約25年から30年毎にやってき
ているように感じます。
リンドバーグの大西洋横断単独飛行は1927年
で、 その近辺で現在の飛行機の原型がほぼ完成
しました。 言い換えれば 「飛行をする機械」 の
大体の型が確定したといっても良いかもしれま
せん。 この時点で手動の飛行は完成しました。
オートパイロットは1940年頃から開発され、
1970年頃に概ね完成の域に達しました。
この後、 飛行制御系はケーブルの使用から、
パイロットの操作を電気的な信号に変え電線で
結ぶ電気的な操舵方式を行うフライ・バイ・ワ
イヤが1974年に F16戦闘機に採用されました。
そして、 1987年のエアバス A320型機、 1994
年のボーイング777型機でほぼフライ・バイ・
ワイヤは成熟の域に達しました。
これからおよそ25年後、 一体どのような飛行
機が出現してくるのでしょうか?
想像するだけでワクワクしてきます。
2. 増加する航空需要と効率・環境
今後の航空需要は、 世界的レベルではインド
や中国の市場拡大を背景に、 大幅に増加すると
予想されます。
国内においても羽田空港の拡張 (D 滑走路
の供用開始) や成田空港の滑走路延伸により、
首都圏空港の発着枠が大幅に拡大され、 それに
伴い今後予想される航空需要はまだまだ増加し、
国内航空旅客数の推移は、 2003年の9,549万人
から10年後には12,700万人になると予想されて
います。
2007 MAR
7
また、 昨今の燃料費高騰に加え、 航空機の排
出ガスや騒音に配慮することが社会的責務となっ
てきており、 運航効率向上と共に環境問題への
対応も必要となってきました。
一方 GPS や FMS 機器を搭載した飛行機が
増加し、 空域の一層の効率化が期待できるよう
になり、 RNAV 導入の期が熟してきました。
そして、 HUD (Head up Display) や EFB
(Electrical Flight Bag) を装備した飛行機が
空の主流になる日もすぐそこまでやって来てい
ます。
改正の趣旨は、 総合的に運輸事業者に対し安
全管理体制の強化を求める一環として実施され
たものです。
この中でも運航乗務員に特に関係するのは
「安全上のトラブルに関する国への報告制度の
創設」 です。
現在報告が要求されている事故、 重大インシ
デント、 イレギュラー運航以外に、 航行中はも
とより、 整備中を含め、 「航空機の正常な運航
に安全上の支障を及ぼす事態」 に関し、 航空会
社に国土交通大臣への報告が義務付けられ、 そ
れらは今後、 国によるプロアクティブな対策の
ためのデータベースとなります。
「航空機の正常な運航に安全上の支障を及ぼ
す事態」 に該当する、 細かな事象の指針は通達
により定義されています。
また、 この通達の主なポイントは以下のとお
りです。
Head up Display
3. 航空輸送の高い安全性を確保するために
2006年10月1日より、 国による航空運輸事業
者の安全管理体制に対するチェック強化を目的
とした制度が導入され、 改正航空法が施行され
ました。
この中には、 国による安全上の不具合事象の
再発防止や予防的対策の構築のため、 従来以上
に多くの航空安全情報の国への報告を、 運輸事
業者に義務づけること等が含まれています。
今回の航空法改正の背景には2005年に管制指
示違反や非常口ドア操作失念、 高度計の誤指示
による飛行等の安全上の不具合事象が連続して
発生したこと、 また、 鉄道、 自動車、 海運等の
交通機関においても死亡事故等の不具合事象が
多数発生したことがあります。
8
2007 MAR
従来は航空局通達で定められていたシステム
不具合等の報告が、 今回の改定により法律とし
て報告の義務化が図られ、 報告の範囲も拡大さ
れるとともに、 航空会社に対しての罰則も設け
られました。
そして国への報告期限が通達により新しく設
定され、 航行中に発見されたものは発生時間・
場所・高度情報を含めた不具合状況を、 発生日
を含め3日以内に報告することとなっています。
ここまでは運輸事業者 (主に大型機) に対す
る施策ですが、 昨今、 小型機の世界でも事故や
インシデントが増加傾向にあります。
飛行機においては燃料枯渇やチェックリスト
の不履行、 無謀な飛行計画等で事故がおきてい
ます。
また、 回転翼航空機では吊荷作業中の地上作
業員負傷や低高度を飛行中、 送電線に引っ掛か
り墜落する、 といった事故が相次いでいます。
滑空機の世界ではここ数年の統計によると、
航空事故総数に対する滑空機事故の件数及び割
合は、 平成14年は事故件数35件に対して滑空機
事故は7件 (死亡事故1件、 1名死亡) で20%、
15年は18件中2件 (死亡事故0件)、 及び16年
は27件中3件 (死亡事故0件) で各11%、 17年
は23件中7件 (死亡事故5件、 6名死亡) で
30%、 本年は8月末現在で17件中4件 (死亡事
故1件、 2名死亡) で24%と昨年から増加傾向
にあり、 死亡事故も増加しています。
このような状況を受けて、 航空局は小型機の
事故防止に対する様々な通達を出して、 注意喚
起を行っていますが、 今後、 当協会としても通
達の趣旨に則り、 更なる安全啓蒙活動が必要と
なってきます。
4. 技術革新の意味とは……
技術革新というと、 どうしても目先の機器の
性能向上や効率向上に眼が行きがちですが、 そ
の背景に潜んでいるものを正確に見抜く力が無
いとその恩恵を享受できません。
それどころか返って技術革新に振り回され、
パイロットとしての本質を放棄することになり
かねません。
技術革新は生産性の拡大や安全性の向上に大
きく寄与するものでありますが、 組織にとって
は生産性の向上は不可欠であり、 生産すること
によって安全確保のための資源が生み出されま
す。 この場合、 生産性と安全性はトレードオフ
の関係であるため、 事故が起きるとそれを契機
に安全性の向上に経営資源等が積極的に投入さ
れますが、 無事故の期間が長くなると、 やがて
生産性が再度重視されてきます。
最新技術を取り入れた Boeing 社の次世代主力機
B787
空中衝突を回避するために航空管制の改善が
図られ、 レーダー機器が整備されました。 その
おかげで、 過去には考えられないような航空機
の数が日夜、 天候の良し悪しに係わらず、 視界
ゼロでも飛行できるようになり、 その結果、 新
たな空中衝突の危険性が浮かび上がってきまし
た。 すなわち、 安全性改善のメリットが事故の
後遺症を乗り越えた時点 (事故の風化) で、 生
産性向上に振り向けられることになるのです。
また、 技術革新の本質的な意味が分からず、
ただ単に操作者としての立場としてだけでその
技術革新の産物を扱っていると、 知識が経験と
結びつくことなく、 緊急事態や今までに遭遇し
たことが無い事象において、 技術革新の罠に落
ち込んでしまう羽目になります。
技術の各々はその担当分野である研究者や技
術者によって日々革新の道を歩んでおり、 もち
ろんその世界にもパイロットの視点が加味され
ています。
しかし、 「安全」 や 「生き残る」 という観点
からみると、 これこそがパイロットに与えられ
た最低限守らなければならない使命です。
技術革新の恩恵を享受するためにはその操作
や知識を習得するのみでなく、 そこに至った背
景や考え方、 そしてこの産物がどのように運航
に組み込まれ、 パイロットにどのような影響を
2007 MAR
9
与え、 それに対する対処はどのようになされな
ければならないのか、 という視点を常に持ち続
けることが必要不可欠なのです。
この 「目指すもの」 について皆さんはどのよ
うにお考えですか?
「理想は分かるけど現実は……」、 「今までの
活動を見ていると……」、 「何のメリットがある
の?」
聞こえてきますね、 このような声がいっぱい!
しかし……
Airbus 社の総2階建て飛行機
A380の優雅な First Class (例)
5. 日本航空機操縦士協会の目指すもの
エアバスファミリーやボーイング777型機と
787型機との相互乗務 (MFF)、 複数の運航乗
務員で運航する飛行機にあっては従来の事業用
操縦士技能証明ではなく、 その運航に特化した
特別な技能証明 (MPL) を必要とする等々、
ここ数年を見渡しても大きな変化が生まれてい
ます。
ここで 「日本航空機操縦士協会の目指すもの」
を振り返ってみましょう。
10
2007 MAR
日本の航空界は私たちが担っていくしかない
のです。
行政の力や技術革新、 そして各々の所属して
いる会社や団体の働きも航空界の発展には欠か
せません。 それに加え、 これらに勝るものが個
人の力です。
空は特定の業界のものではありませんし、 人
間だけのものでもありません。 健全な航空界の
発展、 そして環境に配慮した資源利用は今や私
たち航空界に身をおいている者の責務です。
「空を愛する」 それが技術革新のキーワード
なのかも知れません。
*文中の写真は航空局ならびに航空機メーカー
のオフィシャルサイトより転用したものです。
特集
(第12回)
「ハイジャック???」 日航 「よど号」 事件
日本初、 その現実に遭遇した
パイロットの回顧録
元日本航空機長
インタビュー:2007年1月9日 (火)
はじめに:
ていいち
江崎悌一さんは、 日本で最初に起こった赤軍
派による日航 「よど号」 ハイジャック事件の副
操縦士だった。 彼のいろいろな機転によって事
態は好転していったが、 すでに37年前の話であ
る。 6日間にわたるハイジャックのドラマは日
本全土を震撼とさせ、 その成り行きに全国民が
一喜一憂した。 さらに江崎さんを知る人は、 彼
の並外れたメカの腕に驚く。 廃車同然のオート
バイや自動車を整備し直して乗り回すなど朝飯
前で、 まさにプロ顔負けである。
松の内の明けた1月9日昼過ぎ、 世田谷区赤
堤にある閑静な住宅街の一角にあるご自宅にお
邪魔した。 玄関のベルを押すと、 身長181cm、
体重90キロの威丈夫がノソリと顔をだした。
「久しぶりですね、 お元気ですか」 「やあやあ、
まあ何とかやってます」 ということで、 日当た
りの良いユッタリとしたリビングでインタビュー
が始まった。
江崎
悌一
江崎邸にて
ときに、 おふくろと知り合って結婚したようで
す。
徳田:江崎さんは玄人はだしのメカに強いこと
で有名ですが、 少年時代から興味がおありだっ
たのですか。
江崎:ええ、 中学から高校にかけて自転車で走っ
てると、 原付自転車やバイク、 それに進駐軍が
ジープで走っているのを見て、 物凄く乗ってみ
たいという気になりました。 親が貧乏だったか
ら、 バイクを買ってくれなどとは言えないし、
高校に入ってから、 最初はとにかく自転車にエ
ンジンを取り付けることから始めたんですよ。
ところがバスケット部に入って部活が忙しいも
のだから中断してしまったんですが、 機械いじ
りの熱はさめなかったし、 むしろ中断したこと
で逆に猛烈に飢餓心みたいなものが生まれまし
た。
徳田:なるほど、 それが今日まで続いているん
ですね。
江崎:そうなんです。 機械いじりをしたいばか
りに、 大学も芝浦工大の機械科です。
機械いじりの虫:
徳田:早速ですが、 あらためて読者のために自
己紹介からお伺いましす。
江崎:私は祖父の代から本籍は大阪なんですが、
おやじの仕事の関係で、 福岡で生まれ育ちまし
た。 上3人が姉で私が4番目の4人姉弟です。
徳田:お父上は九州大学の教授ですね。
江崎:そうです。 おやじは昆虫学が専門で、 最
初、 国費留学で世界的に有名な先生を求めてハ
ンガリーで2年間過ごし、 次にドイツに行った
人生の転機:
徳田:航大に入られた動機も、 そうゆうところ
からきてるんですか。
江崎:違います。 板付空港 (現・福岡空港) の
近くに住んでいて、 勿論、 飛行機には興味はあ
りましたけど、 乗れるなどというのは夢の世界
だったんす。 それで大学2年のときに、 たまた
まクラス・メイトが航大の入学案内を見てまし
てね、 「今年は駄目だったから、 来年再トライ
2007 MAR
11
航大時代の江崎氏 (右)
左は同期の原稔氏
する」 なんて言ってるんですよ。 只、 その時は
面白いと思っただけなんですがね。 ところが年
が明けて、 彼が再受験するというので、 じゃあ
オレもという訳で受けたところ、 運良く合格し
たんです。 その仲間は駄目だったんですけど。
徳田:なるほど、 なるほど……。
江崎:当時の就職は完全に売り手市場だったん
で、 3年になったときに、 すでに某会社に内定
してたんです。 それでどっちにしようか考えて
たんですが、 たまたま義兄が同級生の西見さん
(航大2期、 日航 P-9期) に航大の事情を聞い
てもらったところ、 なかなか良いというので、
大学を中退して航大へ行ったんです。 東京から
宮崎までオートバイで乗りつけました。
徳田:そりゃスゴイ。 それから、 いよいよ航大
の2年間が始まったのですね。 訓練で大変だっ
たでしょうが、 その時代で思い出に残る話を聞
かせてください。
江崎:私が下宿していた家の隣が鉄くず屋のよ
うな仕事をしていて、 そこに廃車同然のオート
バイとか電報局の配送用のカブが並んでいたの
で、 たちまち、 そこのおやじと仲良くなって、
それを貰いうけて直して乗りましたね。 それを
教官に譲ったりして、 少しはアルバイト料を稼
ぎました。 それから、 とにかくメカに興味があっ
たから、 航大に所属している整備工場に、 よく
出入りしてました。 学科で習った星形エンジン
とクランクとの仕組みなど、 そこの職工長だっ
た三輪さんにいろいろと教えてもらいましたね。
星形エンジンを目の当たりにしたときは、 本当
12
2007 MAR
北極上空の江崎氏
B747型機にて
に感動しましたよ。
徳田:やはり同じパイロットでも、 感動する視
点が私などと随分違いますね。 ほとんどのパイ
ロットも同じだと思うんですけど、 われわれは
エンジンの構造なんか整備士にまかせておけば
いいで、 多分、 終りですよ。
日航時代:
徳田:それで昭和38年4月に日航に入られた。
江崎:そうです。 航大で事業用多発と計器をとっ
てますから、 入社して社員教育のあと、 9月か
ら訓練に入って12月には DC-6B の副操縦士に
なりました。
徳田:履歴によると、 その後、 DC-7C、 DC-8
のコパイと進んで、 昭和42年から2年間、 第一
回のニューヨーク駐在をされてますね。 これは
世界一周路線開設のためだったと思いますが、
いろいろな経験をされましたか。
江崎:ええ、 Freezing Rain などの悪天候にも
遭遇して苦労しましたが、 IASCO (運航乗務
員派遣会社) の機長と一緒に飛ぶ機会が多く、
随分、 役に立ったことが思い出されます。 どう
しても日本人機長と比較してしまうんですが、
日本人機長は、 勿論全部ではありませんが、 指
導するというより、 いじめられてる感じが強かっ
たんですよ。 ところが IASCO から学んだこと
は、 とても印象に残りました。 例えば、 荒い舵
を使うと後ろの乗客がどう感じるかとか、 後々
まで役に立ったと思ってます。
徳田:確かに当時の日本人機長は戦時を生き抜
いてこられてますから、 個性の強い人たちが多
かったですね。 人格的に素晴らしい人たちもい
て、 両極端だったように思います。 私も一喜一
憂しながら飛びました。
ヒヤリハットの経験:
徳田:パイロットなら誰でも、 記憶に残るヒヤ
リハットがありますが。
江崎:DC-8の東京・モスクワ路線で肝を潰し
たことがありました。 時期は12月ごろだったと
思います。 当時の飛行計画では、 モスクワの天
候が悪ければハバロフスクに降りて燃料を積ん
で行く計画でした。 最終 Check Point でモス
クワへ行くかレニングラード (現・サンクトペ
テルブルグ) に行くか、 最終判断しなければな
りませんが、 大丈夫だということで飛行を継続
したんですよ。 ところがモスクワに近づくにつ
れて、 天候が急変し、 凄いブリザードで完全に
ILS Marginal になってしまったんです。 燃料
はないし、 緊張しましたね。 着陸を強行しまし
た。 ほんの微かに Runway Light が見える程
度で、 降りた途端に雪の洗礼ですよ。 何とか止
まったんですが、 目くらみたいなもんで
Taxyway が分からない。 Follow Me Car で誘
導してもらったんですがね、 Block In するま
で1時間40分もかかりました。 これが最も印象
に残ってます。
ハイジャックの瞬間:
徳田:それでは日本で最初に起きたハイジャッ
クの話に移りたいと思います。 ニューヨークか
ら帰ってこられてB-727への訓練投入、 そして
副操縦士だった45年3月31日に、 JL351便・羽
田発福岡行きのB727が赤軍派によってハイジャッ
クされました。 まずハイジャックされた時の模
様から教えてください。 (注:07:33にハイジャッ
ク)
江崎:石田真二機長が操縦されてたんですが、
SID の羽田リバーサルを終えて15,000ft あたり
を上昇中でした。 機長が、 「人が前後に動いて
るなぁ」 と言いながら、 マニュアルで操縦して
いたところ、 後ろがいやに騒々しくなって、 ド
カドカッと3人がコックピットに入ってきたん
です。 ネクタイはしていませんが、 黒のスーツ
に身をつつんで、 てっきりヤクザだと思いまし
たね。 田宮、 小西、 田中だったんですが、 日本
刀を振りかざし、 「われわれは日本赤軍だ。 機
ピョン アン
内は制圧した。 これから平 壌 へ行けっ!」 と
喚いたんです。 続いて 「ここから名古屋へ行っ
て米子、 それからレーダーで平壌へ行くんだっ!」
と知ったようなことを言ったんです。 「お前、
レーダーと言うけど、 その周波数を知ってるの
か?」 「知らない」 「知らなかったらどうして行
けるんだ」 「機上のレーダーで行けるだろう」
「これは天候用なんだ」 「大陸は高気圧が張り出
していて天気はいい筈だ」 「馬鹿なことを言っ
ちゃいかん。 しかも、 平壌まで行く燃料なんか
積んでないよ」 「ウソを言ってるんじゃないだ
ろうな」 「平壌へ行きたいんだったら、 どうし
ても何処かで給油が必要なんだ」 等と話し合い
ました。
徳田:飛行機の運航についての知識は、 ほとん
ど無かったようですね。
江崎:ありません。 無茶ですよ。 いろいろ説得
していたら、 いつの間にか自衛隊のF86Fが2
機、 ピタッと両サイドにくっついてるんです。
それを見た途端に、 ことの重大さを感じて体が
震えましたね。 何故か怖かった。 喉がカラカラ
なんです。 機長はと見るとプカプカプカプカ、
とにかくチェーン・スモークですよ。 緊張して
たんでしょうね。 「機長、 タバコ一本くれませ
んか」 といって貰って吸ったり、 太股に力を入
れて操縦輪を挟むようにして、 震えを止めまし
た。 赤軍派も真っ青な顔をしてるんです。 30分
くらいして、 ようやく普通にモノがしゃべれる
ようになったんです。
教材用の地図一枚で推測航法:
徳田:それで、 結局、 福岡へ行かれたんですね。
(注:福岡着09:06、 福岡発13:59)
2007 MAR
13
トされてましたから、 ビックリしましたね。
徳田:機長も江崎さんも北朝鮮へ行く覚悟をし
ていたんですよね。
江崎:そうなんです。 ですから、 こりゃ下で細
工をしているな、 と思っていた矢先、 121.5で
ピョンヤン・アプローチと言ってきたんです。
それで不思議に思ったんですが、 本来ならば金
浦空港の北側は飛行禁止になっているところを、
レーダー誘導されてR/W14へ着陸しました。
ところがランプにはノースウエストのマークが
ついた飛行機やシェルのロゴが描かれた貯蔵タ
ンクが目に入るので、 とにかく滑走路エンドま
で突っ走って、 なるべくハイジャッカーの目に
入らないようにしたんです。
機転で特殊部隊の突入を中止:
教材用の地図
江崎:そうです。 そのうち赤軍は9人いること
が分かったんです。 彼等は腰に自家製の爆薬の
入った筒状のものを各自、 数本ベルトに差しこ
んで行動してるんです。 この分だと平壌へ行っ
た方が賢明だと判断しました。
徳田:ところが地上がなかなか出し渋っていた
ので、 時間がかかった。
江崎:すったもんだで福岡には約5時間いまし
た。 交渉の末、 平壌行きの交換条件として女性
と子供23人を降ろしました。 乗客には、 文化勲
章を授賞された日野原重明博士もおられました
ね。 燃料は満タンにしてくれたんですけど、 平
壌に関する情報はまったくなく、 下から差し入
れられたのは、 教材用地図帳の朝鮮半島のペー
ジをコピーしたものだけで、 機長がオーケーし
て出発したんです。
徳田:この地図だけでよく出発されましたね。
江崎:機長も私も早く解決したいという思いが
ありましたから……。 離陸後、 北に針路をとり
有視界飛行で、 一方的に送信しながら飛行しま
した。 それで公海上で38度線を越えたと思われ
るころに韓国の戦闘機にインターセプトされま
した。 その胴体には韓国空軍のマークがペイン
14
2007 MAR
徳田:ところがハイジャッカーは、 下にいた兵
士に 「Is Here Soul ?」 と聞いて、 「Yes」 と言っ
たものだから、 平壌ではないと分かったとか。
(注:金浦着14:15、 金浦発4月3日17:30)
江崎:事実はそんなに単純じゃないんです。 日
本赤軍たちも何かおかしいと思っていたもんだ
から、 金日成の写真をもってこいとか、 今の朝
鮮民主主義人民共和国の5ヶ年計画を言って見
ろとかやってるうちに、 大使が来る等となって、
こりゃ平壌じゃないとバレてしまったんです。
徳田:彼等は怒ったでしょうね。
江崎:そりゃ怒りますよ、 彼等だって必死です
金浦空港での 「よど号」
読売新聞社提供
からねぇ。 「騙したなぁ」 ということで激昂し
ました。 いよいよやられるかと思いましたが、
われわれがやられたら彼等もやられる訳ですか
らね。 それに、 こちらも開き直ってましたから、
「何言ってんだ、 こっちだって騙されたんだ」
ということで、 だんだん沈静化していきました。
徳田:そこで膠着状態になって、 3日間以上も
金浦空港に止まった訳ですか。
江崎:われわれは、 こうなったら北朝鮮へ行か
ざるを得ないと思ってるんですけど、 下がなか
なか許可しないから時間が経ったんです。 その
頃、 韓国政府は特殊部隊の突入を考えていたよ
うですが、 私がサービス用の紙コップにハイジャッ
カー9人と彼等の配置、 持っている武器を書い
て、 窓から落としたのを見て断念したと聞いて
います。
徳田:それで、 交渉の結果、 燃料だけは満タン
にしてもらい、 山村運輸政務次官が乗り、 残り
の乗客とスチュワーデス112名が解放されて北
朝鮮行きになった。
薄暮の中で着陸を決行:
江崎:4月3日午後5時30分に出発しましたが、
福岡でもらった地図以外まったく何もないんで、
それこそ本当に怖かったですね。 真っ直ぐ東に
向けて公海上にでて、 北へ変針して平壌上空に
入りました。 戦闘機はインターセプトしません
でした。 平壌上空でぐるぐる廻って、 ようやく
東側の川沿いに飛行場を発見、 薄暮の中を着陸
しました。 距離約200キロでしたが、 1時間飛
行しました。 美林飛行場といって訓練用の滑走
路だったもんだから、 ものすごい砂塵が舞い上
がりましたが、 なんとか成功したんです。 北朝
鮮側は、 北側にある順安国際空港で待っていた
ようです。
徳田:その後の北朝鮮の対応はどうでしたか。
江崎:その晩は市内のホテルに連れていかれて、
一人々々、 簡単な尋問のあと酒と朝鮮料理が出
ました。 機長は喉がよっぽど乾いていたんでしょ
うね、 一気に呑んでましたよ。 日本赤軍リーダー
の田宮が、 機長のところへ来て 「ご苦労さんで
した」 といって酒を注ごうとしたんで、 ムカッ
となり 「ふざけんな、 この野郎っ!」 と大声を
出したら、 後ろに立っていた番兵がビックリし
て飛んできました。
濃霧をついて離陸:
徳田:次の4日は厳しい取り調べがあったと聞
いていますが。 (注:5日平壌発07:10)
江崎:山村政務次官と機長は厳しかったようで
す。 理由は他国を許可無く侵犯したことの責任
を追求されたようです。 私と航空機関士の相原
さんは、 取り調べの途中で飛行機のところへ連
れていかれ、 出発の準備を指示されました。 ひょっ
として、 これで帰れるとホッとしましたが、 エ
ンジン始動用のエア・スターターがないので、
高圧の窒素ボンベを用意してもらって、 工夫し
て吸入口に差し込み、 空気圧の単位を概算して
示し、 エアを送ってもらいました。
換算では自動車整備をやっていた知識が役に立
ちました。 35psiだから約2.5kでいいだろうと
いう訳です。 それにバッテリーがあがってしまっ
ていたので、 これを繋いでもらってスターター・
バルブを開いたり、 しかし彼等は非常に協力的
で助かりました。 ようやくエンジンがかかった
ときは嬉しかったですね。 それにこの日は、 機
長と二人で、 プロパガンダの映画を見せられま
したよ。
徳田:メカに強いのが思わぬところで役に立っ
たんですね。 そして翌日早朝、 いよいよ最後の
離陸になった。
江崎:朝5時にホテルを出て飛行場へ行ったら
濃霧で完全に Below でしたが、 とにかく早く
脱出したいんで離陸しました。 公海上に出るま
で通信設定を厳禁されましたから、 真っ直ぐ東
へ向かい、 充分クリアしたと思われる時点で
OSAN コントロールとコンタクトしたときは、
本当にホッとしました。 クリアランスをもらい、
東京へ一直線に帰りました。
(注:石田機長は平成18年8月に享年83才で逝
去されました)。
2007 MAR
15
ら長野の軽井沢あたりの山奥の沢に入りこんで
いきます。 釣っても釣れなくても、 自然と一体
となってとても楽しいですよ。
後輩パイロットたちへ送る言葉:
ホノルル空港で R-1340エンジンの整備研修
プロ顔負けの趣味の世界:
徳田:江崎さんは、 知る人ぞしるオートバイや
自動車整備がプロ顔負けで、 趣味の域を越えて
いるんですが、 それが今日まで続いていること
は素晴らしいですね。 廃車同然のオートバイや
自動車をもってきてレストアされるんですね。
江崎:そうです。
徳田:今まで何台くらい手がけましたか。
江崎:そうですね。 オートバイが30台、 自動車
が20台くらいですね。 古い車ばかりで苦労した
ものもありましたが、 大体モノにしました。 航
空機エンジンでは、 P&W のワプス・エンジン
R-1340等を手がけました。
徳田:没頭してしまったら寝食を忘れてしまい
ますか。
江崎:昔はそうでしたね。 朝の一時、 二時はしょっ
ちゅうでした。 今は体力的に無理ですけどね。
暗いところでゴソゴソやって何が楽しいんだと
いう人もいますが、 これはこれで仲間も増える
し、 楽しいもんです。
徳田:その延長で、 飛行機を創って飛ばそうと
いう気持はありませんでしたか。
江崎:一時はあったんですがね、 日本では、 い
ろいろと飛行が制限されてるんで止めました。
Experimental (自作飛行機) をやっても、 飛
ぶ区域が狭いですからね。
徳田:メカ以外のご趣味はお持ちですか。
江崎:渓流釣りをやって25年くらいになります。
2月に解禁になって9月一杯の時期に、 群馬か
16
2007 MAR
徳田:最後に後輩パイロットへのアドバイスを
お願いします。
江崎:マニュアル至上主義が先行してしまって
いる傾向が強いと思います。 実際の飛行はマニュ
アル以外のことがいくらでも起こりますが、 臨
機応変な対処が弱いですね。 マニュアルがあれ
ば操縦ができる位に思っている。 もう少しパイ
ロットとしての感性を磨いて欲しい。 例えばジャ
ンボ機の訓練で2エンジン・アプローチをやら
すと、 飛行パターンをものすごくワイドにもっ
てくる。 「もし、 ここで残り一発アウトになっ
たらどうするんだ。 墜落しちゃうぞ!」 と言う
んですよ。
徳田:ごもっともです。 今日はお休みのところ
有り難うございました。
1962年型メッサーシュミット KR201に乗る江崎氏
後方は1963年型ポルシェ356
江崎梯一氏略歴:
昭12.9.23 36
福岡県福岡市生まれ
昭38.3
63
航空大学校卒 (8A)
昭38.4
63
日本航空入社 (P24)
昭38.12
63
DC-6B 副操縦士任命、 DC-7C、 DC-8乗務
昭42−44
ニューヨーク駐在
70
昭45.3
よど号ハイジャック事件 (B727副操縦士)
昭45.9
70
B727機長任命、 DC-8、 B747と乗務
昭46−63
ライン操縦教官、 副主席、 訓練部教官、 査
察運航操縦士歴任
平1−4
B747アジア路線室長、 乗員部副部長、
乗員部部長
平4−5
天皇フライト総括機長:中国、 函館 (奥尻
島)、 ベルギー
平6.6
94
ジャパン・エア・チャーター (JAZ) へ
役員として出向
平8.9
96
航空功労賞受賞
平9.9
97
JAZ 定年退職、 同時に JAL GRP 最初の
定年延長制度を適用して再雇用
平12.9
00
63 歳 で 日 本 航 空 定 年 退 職 、 総 飛 行 時 間
18,800時間
対談を終えて:
約2時間半の対談であったが、 楽しく懐か
しい話の連続で、 アッという間に時間が過ぎ
てしまった。 よど号ハイジャック事件につい
ては、 紙数の都合でかなり圧縮せざるを得な
かったことが残念でならない。
現役時代から淡々として飾らない、 江崎さ
んの純粋な人柄はぜんぜん変わっていなかっ
た。 同期入社の石津晃氏曰わく、 「航大以来、
45年間のつき合いで、 不愉快な思いをしたこ
とは一度もない」 という。 決して大袈裟では
ないと思う。 一見、 豪放磊落で茫洋とした風
貌ながら、 人一倍、 家庭を愛し、 仲間を大切
にし、 無欲で一徹に何かを追い求めて止まな
いナイス・ガイである。
そんな江崎さんには、 知る人ぞしるプロ顔
負けのメカの腕がある。 これも一朝一夕で培
われたものではないし、 なかなか余人のでき
ることではない。 自宅にある半地下式の整備
作業場には、 1963年型ポルシェ356と1962年
型メッサーシュミット KR201 「バブル・カー」
が置いてあった。 いずれも今では貴重なクラ
シック・カーで、 江崎さん自身がレストアし
たものである。 そしてご本人は、 1982年型の
小型車ニッサン・サニー 「ピックアップ」 を
愛用しているところが、 いかにも江崎さんら
しい。 これからもハイ・レベルな趣味の世界
に生き、 大いに人生をエンジョイされること
だろう。
徳田忠成記
2007 MAR
17
◎寄
稿
そこは揺れるかも?
理事
蔵岡
賢治
Flight 前に天気図を見る際や運航中は Turbulence に常に関心があると思います。 Turbulence
で乗客乗員が怪我をしたケースは CAT (晴天乱流 Clear Air Turbulence) と CB (積乱雲 Cumulonimbus) が殆どを占めます。 CAT は秋・冬・春に見られ、 多くが Jet 気流や上空前線と関連が
あります。 それを当日の Flight 前の短時間で如何に立体的な天気の Image を作り予想するか?を
考えてみます。
図−①
大気立体模式図 (日本近辺)
●Weather の立体的 Image
Jet 気流や上空前線は何れも寒気と暖気によって引き起こされている。 図−①は、
気象全てに当てはめる事はできないが、 パイロット流の気象の大局的把握の意味で、
図の様に寒気と暖気を立体的に Image すれば、 地上や上空の WX 解析も判り易く
なる。 冬場等、 Jet 気流が関係する時は、 図−①の Image で天気図を見て飛ぶ
Route を関連づけて考えて欲しい。
Flight 前日にテレビで天気予報を見ますが、 高層までの説明は殆どされません。
図−①の Image で考えても良いのでしょうか?Jet 気流の生成等、 上空前線の近
傍で揺れる、 と書いてあるのも見ますが!
前線や Jet を単純に理解するための個人的な見方だが、 寒冷前線側で寒気の張出しで
暖気が強制的に上昇し、 その暖気はコリオリーの力でし東向きに偏向して西風の Jet
気流となる。 一方温暖前線側では暖気が寒気の上を滑昇し、 上空で同様に Jet 気流
となる。 つまり寒気の張出しと暖気の滑昇の度合いが Jet 気流の強さとなって現れる。
これに関しては PILOT 誌 2005 No3 MAY 新たな視点、 お風呂で天気がわかる?
の中に、 お風呂に例えて解説しているのでそれを見て欲しい。
18
2007 MAR
そして、 ①Jet 気流の軸は暖気側に存在する。
②地上前線から Jet 気流下部まで上空前線が存在する。
③Jet 気流の軸が地上前線に近くなるのは低気圧や前線の閉塞点近くが多い。
④Jet 気流の強さは寒気の張出しと暖気の移動速度の程度による。
⑤Jet 気流の北側の Tropopause は Jet 気流の暖気側より低い。
成る程、 そう見れば図−①の Image 図も理解できます。 実際の経験でも、 テレビ
の天気予報で寒気の張出しがある時は上空の Jet 気流が強くなっています。 上空前
線もハッキリし、 Tropopause は寒気側で低く暖気側で高くなっていますね。
テレビの天気予報を見て、 図−①の Image で考えれば高層も予想できますね!!!
Flight 当日、 WX Chart で予想の Image と比較して見れば良いですね。
●Weather の立体的 Image と WX Chart
図−②
参考資料
表−①
CAT 予想
CAT 予想判別値
ICAO 基準
国内悪天
Rule of Thumb
VWS
6kt≧1000ft 10kt≧1000ft
20kt≧2000ft
HWS
20kt≧60nm 20kt≧60nm
40kt≧120nm
Temp Dev 5℃≧120nm 5℃≧120nm 5℃≧120nm
Wind
≧110kt
≧190kt
≧120kt
※Rule of Thumb:120nm は緯度経度2度 TAS480kts で15分
参考資料
図−④
上昇降下における風速と速度の関係
図−③
2007 MAR
19
図−②は、 140E と130E の断面図 AXJP と札幌∼東京∼福岡∼那覇の断面図 FXJP
をまとめた図だが、 例えば、 図−③AXJP の太実線、 北から FL320で Jet 気流に近
づき揺れたので FL240に2度降下しても依然上空前線の中で揺れる事が予想できる。
もし大気の Image を持っていれば FL360に上昇或いは FL320や FL280で揺れが収
まるまで待った方が良いと言える。
寒気と暖気の Tropopause の大きな高度差は両気団の温度差が大きい事を表し、 そ
の境目の上空前線では強い揺れも考えられる。 この様に大気の何処を飛ぶか?条件
の良い方はどちらか?の Image は必要である。
成る程、 Image を持って Flight に挑み、 風向・風速・気温を Monitor し、 例えば
上昇中気温が上がったので Tropopause を通過した、 CRZ で徐々に気温が上がっ
たので暖気側に、 或いは下がったので寒気側に近づいた等を予想すれば良いですね。
●Weather の Point 把握
図−⑤
FBJP 解析
Flight 前の短時間では、 先ず地上高層の天気の概略を表す FBJP 等で立体的に掴
み揺れる空域等 Point を絞った方が良い。 その後関連して地上天気図・高層天気
図で詳細を見る。
先ず 大局から見よ! を心がけて欲しい!図−⑤の関東以西は、 寒気の数度の張
出しで Jet 気流が2本見られる。 例えば東京から福岡に飛ぶ場合、 Jet 軸 FL290以
上では Tropopause の上の成層圏を飛ぶと予想され、 FL280ならば FL290の Jet 軸
から離れ、 FL370の影響も考えられる。 上海に飛ぶ場合は FL370の Jet 気流や上空
前線を突っ切る事になる。
図−⑤では、 関東より北の Route が大変ですね。 温暖前線の移動速度が25kts で
相当な暖気の上昇が予想され、 低気圧周りの強い Jet 気流も途切れています。
大きな風の変化と寒気流入が判る0℃Line から温度変化もある事が予想されます。
つまり、 西行きの Point は Jet 軸との関連や Tropopause の上下何れを飛ぶか?で、
北行きの Point は、 中層・低層での風向・風速・温度変化で相当な揺れが予想さ
れ Jet 気流の高さから高層も要注意で、 それを避ける高度選定が重要ですね。 この
日は関東以北がヤバイ!!!
20
2007 MAR
机上での解析もさることながら、 Pilot の天気予報は当たり易い、 と聞く。
それは図−⑤、 寒冷前線や温暖前線の移動速度の大きさや、 風向・風速等々、 実際
の天気変化を目の当たりにし実感として経験するからだ、 と思う。
しかし、 数時間前の PIREP 等を当てに Plan する例が無いとは言えない。
天気の立体的 Image にも時間経過を考慮する必要がある。
時間経過に関しては私も経験があります。 天気変化が早いのに数時間前の PIREP
を頼りに降下開始と同時に Belt Sign を点け、 結果的に全然揺れなかった、 逆に
PIREP が Smooth なのに揺れた事もありました。 やはり Image と風向風速・温度
の変化、 雲の状況等々から Image の修正も必要と感じました。
揺れた!揺れない!で Seat Belt Sign を考えるのではなく、 大気の立体的 Image
と時間経過を考えて Seat Belt Sign を考える、 が必要ですね!
●風と温度の変化がもたらす影響
図−⑥
何故揺れる?
飛行機の Autopilot は“G”Control で高度や Course を守る。 ところが乗客や乗
員が怪我をする様な揺れは“G”Control さえ凌いだ機体の動きとなっている。
簡単に言えば“G”Control でも現在の諸元を維持できない結果と言える。
Simulator でも判るが瞬間的に20kts の風の変化を与えるとかなりの Shock がある。
つまり図−⑥機体の Pitching・Rolling・Yawing 等の変動で、 例えば Lift (揚力)
の変化に Autopilot の“G”Control が追いつかない。
成る程、 経験でも上昇降下中に10kts/1000ft 程度風が変化し Pitch が変化しても
Smooth な 時 が あ り 、 Autopilot が 諸 元 を Keep 出 来 て い ま す 。 つ ま り “ G ”
Control されている訳ですね。 すると、 Jet 気流の北側下方が要注意!と言われて
いるのは風向・風速変化に加え温度変化も予想されるからですか?
FL330から FL350までの間の平均気温が1℃低いと、 FL350は約2.8m (9.0ft) 低
く、 5℃の変化では50ft 近くなる。 気温が短時間で変化すれば29.92の高度も、 車
で凸凹道を走るのと同じで、 大きい凸凹ならば車は上下にバウンドするだろう。
Autopilot の“G”Control は車の Shock Absorber とも言え、 その限界を超えれ
ば車体つまり機体の動きと共に乗客と乗員はバウンドするだろう。
成る程、 車に例えれば判り易いですね。 すると天気概況を立体的に把握する場合は、
風向・風速の変化に加え温度変化が予想される空域を重点的に見よ!ですか?
CRZ では、 風の変化だけでなく温度変化も掴める様な工夫が必要ですね。
2007 MAR
21
図−⑦、 図−⑧、 CAT が予想される空域に近づくと、 多くの場合、 雲の形、 風向
風速の変化・温度変化等々に前兆がある。 実際揺れるのは、 風に沿って長く、 厚さ
は2000ft 程度、 幅は10∼20nm 程度と書かれた文献もある。 これを透明な管状と考
え、 CAT に遭遇する前や遭遇した場合は、 Vertical や Horizontal の上下左右の
状況が良いと思われる方への Deviation を考えても良い。 実際に横に Deviation し
て CAT の揺れを回避した経験もある。
Pilot は、 例えば TB3や TB4の揺れの PIREP に対し 何故ゆれたのかなー? と
理由を立体的に考え、 そして、 雲・風・気温等々で実際の気象の解析をして欲しい。
図−⑦
図−⑧
●Image と検証
ここまでは、 気象を立体的に Image して飛ぶ事を述べている。
国内や近距離国際線は多くの天気図があり、 長距離国際線より比較的に立体的に捉
え易い。 長距離国際線の天気図はどうしても平面的な天気図に頼らざるを得ない。
しかし、 実際の Route が Jet 気流とどういう関連となるか?例えば Jet 気流に沿
う、 突っ切る等々、 その時は立体的な Image から揺れを考える。
成る程、 Image を持ちつつも、 その検証も必要ですね。 天気予報が当たらない事
もあり、 Pilot が WX Chart の予報に基づき作り上げた Image を実際の風向風速
や温度変化を捉え検証する事も必要ですね。
Flight 前に、 例えば、 Tropopause は WX Chart の FL300付近と Image し、 上昇
中、 FL300を通過し 温度が FL320で少し上がった と同時に雲の上に出たら F
L320で Tropopause に入った と推測できるだろう。 また、 上空前線の下を飛ん
でいるはずだ! と Image し雲を見て、 その南傾斜を見て上空前線の下と推測で
きるだろう。
確かに、 雲の傾きが見える時やハッキリとした雲の境目が見える場合があります。
その様な時に雲に近づくと、 風向風速が変化したり、 温度が変わったり揺れが徐々
に強くなったりした経験があります。
過去の経験で、 午後千歳から大阪への Flight で東北地方の日本海側に140kts (5
kts/1000ft) の Jet 気流が WX Chart で読取れた。 午前中の太平洋側の PIREP で
は FL200で TB3∼4の揺れが報告されていた。 Climb 中 FL250で50kts、 風が増
えず Smooth で Belt Sign を Off にしようか?と言う衝動に囚われた。 しかし、
最初の Flight なので、 FL350の Jet 気流を確認するまで様子を見る事にした。
FL300に近づくと薄い雲が見られ温度がコロコロと変化し、 激しい揺れと同時に
Climb Rate と Speed が急増し Climb Thrust をかなり絞らなければならない様な
状況に遭遇した。 FL350では140kts を超える170kts の Jet 気流で、 同日この Jet
気流が原因と推測される乗員の負傷事故が発生している。
22
2007 MAR
まさに図−①の上空前線と Jet 気流の典型的な例ですね。 上空前線が太平洋側で低
く、 日本海側で高い。 あまりにも Smooth ならば、 ついつい Belt Sign を Off に
しそうですね!
たまに Belt Sign Off が遅いですね! と Cabin Interphone から聞こえる時も
あります。
CRZ では、 風の変化だけでなく温度変化も掴める様な工夫が絶対必要ですね。
当日最初の Flight で注意を要する WX の時、 WX Chart を検証する意味で、
Cabin Crew に もう少し Belt Sign Off は待ってくれ! と言う場合もある。
Flight 前で、 WX Chart に基づいた予報の Image と実際の天気の検証とは切って
も切れない関係と言える。
Image と検証 は必要だ!
乗客乗員が怪我をする様な、 且つ Autopilot の“G”Control を凌ぐ様な事故は、
風向風速と温度変化を伴う場合が多い、 と思われる。 立体的な Image から実際の
天気の検証をしつつ、 その兆候を捉える様にして欲しい。
天気を立体的に捉え兆候を捉える。 それに慣れる為にも、 Flight 前に天気図で
Image を作り実際の Flight で検証する、 そして Flight 後に天気図をチョット見て
Flight を振り返る。
とっかかりは大変ですね。 しかし、 それを繰り返す事によって次第に慣れ、 短時間
で天気図から Image を掴み易くなり、 今後の推移も予測でき、 Flight の Plan に
役立つ様になると思います。
過去私の First Officer 時代、 今の様に天気図が豊富でない頃、 Flight 前後で天気
図を何度も眺め、 天気図とお友達になったと思える様な頃もあった。
現在は天気図が豊富で時間をかけ詳しく見れば地上高層のそれなりの予測は出来る
だろう。 しかし、 あくまでも予測で実際の天気とはズレがある。
乗客乗員が怪我をした事故に対しても事後後詳しく解析されている。 しかしそれは、
事故後に時間をかけた解析であって、 Pilot は Flight 前の短時間に負傷事故に至る
危険性を察知しなければならない。 それら詳しく解析された資料を有効に役立たせ
るには、 立体的に Image しながら読む事が必要だと思う。
●最後に
通常運航で Turbulence 事故は Weather を掴む事で避けられる場合もあり、 これには気象の
Image と実際との立体的解析が不可欠です。 この稿はその一例で、 WX Chart や PIREP を参考に
しつつも Pilot は実際の天気を目の当たりにし経験します。 実際の気象状況が如実に今後の Flight
の Plan や Seat Belt Sing の運用に役立つ場合もあります。
努 (ゆめ)、 現実を疎かにすまじ! とも言い、 この稿が、 目の当たりにした気象の現実を考
え、 解析をする発端になれば幸いです。
2007 MAR
23
アメリカにおける航空身体検査を調査して
日本との違いは?
財団法人
航空医学研究センター
原
ご存知のとおり、 パイロットが飛行機を運航
するためには、 技能証明だけでなく航空身体検
査証明の所持が必要とされている。 これは日本
だけではなく世界中で共通である。 しかしなぜ
他の乗り物とは異なり、 飛行機に乗るためには
身体検査を受けなくてはならないのだろうか。
その理由のひとつは、 飛行機が 「空を飛ぶ」 か
らである。 ヒトはそもそも1気圧 (地上) に適
応している生物であるため、 高高度の環境はヒ
トにとっては非生理的であり、 さまざまなスト
レスにさらされる。 そのような環境においても、
健康上の理由により安全な運航ができなくなる
ことのないよう、 身体検査が必要となる。
アメリカ調査の背景
日本の航空身体検査基準は、 昭和56年の委員
会答申を受け、 以後約5年に1回のペースで改
定されてきており、 今年がその年にあたる。 時
の経過とともに、 当然ながら医学は進歩し、 我々
はかつて知らなかった疾患を知り、 かつて持た
なかった治療法を持つようになる。 同様に、 技
術の進歩によって飛行機はより速くより安全に
と開発され、 管制などの運航を支える技術も進
歩する。 これらを考慮し、 国際基準も視野にい
れて今回の改正作業が進められた。 国際基準と
書いたが、 国連の機関のひとつである国際民間
航空機関 (International Civil Aviation Orga
nization;ICAO) によって、 身体検査の基準
が定められている。 この基準はいわゆる 「最低
限」 である。 つまり、 民間航空に携わるパイロッ
トは、 少なくともこのような身体要件を備える
24
2007 MAR
志野
こと、 というものである。 加盟国はこれを満た
すような基準を各国で作成し、 その基準にした
がって身体検査を行い、 証明を発行している。
例えばヨーロッパ諸国は JAA (Joint Aviation Authorities) という機関を設け、 共通し
た身体検査基準を作成している。 またアメリカ
には独自の基準があり、 この基準は韓国やカリ
ブ海諸国などでも自国の基準として採用されて
いる。 JAA やアメリカの航空身体検査基準は
インターネットや出版物によって知ることがで
きる。 その運用について、 日本では過去に
JAA およびアメリカの調査を行ったが、 以来
すでに7年が過ぎそれぞれ変化している。 今回
の基準改正をきっかけに、 改めて現在の諸外国
の基準とその運用を知る必要が出てきた。 広大
な国土を持つアメリカのパイロットの数は世界
でも飛びぬけて多く、 やはり現代の航空大国と
言わざるを得ない。 まずはアメリカの航空身体
検査制度について調査することとなった。 アメ
リカでは、 航空医学についての研究や航空身体
検査証明などを管轄しているのは日本の国土交
通省航空局にあたる、 Federal Aviation Administration (FAA) であり、 この中の Office
of Aerospace Medicine というセクションであ
る。 日本で言えば乗員課といったところであろ
うか。 その下に Civil Aerospace Medical Institute (CAMI) という機関があり、 ここが民間
の航空医学についての調査、 研究、 パイロット
や Aviation medical examiner (AME) の教
育のほか、 身体検査についての諸業務を行って
いる。 FAA の部署は多くが首都であるワシン
トン DC にあるが、 実験施設など大掛かりなも
のがあるためか、 CAMI はオクラホマ州オク
ラホマシティに位置している。 航空身体検査に
直接かかわる部署は CAMI に属しているため、
オクラホマシティに向かったのであった。
(アメリカ)
アメリカの身体検査
航空医学研究センターの主な仕事のひとつに、
航空身体検査の実施と身体検査証明の発行があ
る。 当センターではエアラインのパイロットの
身体検査と証明発行を日々行っており、 私は指
定航空身体検査医 (以下指定医) のひとりであ
る。 アメリカの身体検査基準については、 日本
の身体検査基準改正作業の際にも目を通してい
たし、 その制度についてもインターネットや出
版物で得られる程度の知識は持っていた。 その
断片的な知識によれば、 アメリカではほとんど
検査らしい検査もなく終わってしまいそうで、
日本とはずいぶんと違うように思われた。 しか
しながら百聞は一見にしかず、 という。 まずは
自分が受検してみようと思い、 技能証明を持た
ない私は第3種を受検してみた。 血液検査もレ
ントゲンも脳波もなく、 検査は尿検と聴力検査、
視力検査、 色覚検査だけであった。 私にとって
は、 尿検査以外はどちらかというと身体検査と
いうより英語の試験のようであったが、 幸いに
して基準に適合していたようで、 ほんの数十分
で証明をもらうことができた。 クリニックを出
るまでにはそれから1時間以上かかったが、 こ
れは検査してくださった先生がご自身もパイロッ
トであり、 最近手に入れた自慢の飛行機の話を
聞かせてくださったためである。 実際に検査を
受けてみても、 渡米前に持っていたのと同じ印
象をうけた。 しかしこの印象は、 少しずつアメ
リカの身体検査について知るにつれて変化して
いったのであった。
アメリカの身体検査は3種類に分かれている。
日本と同様に保有する技能証明によって分けら
れ、 それぞれ有効期間が異なる (表1)。 第1
種および第2種は日本と同じように1年もしく
は半年だが、 第3種は年齢によって2年または
3年とされている。 日本と同様に、 実際に身体
(日本)
表1. 航空身体検査の種別と有効期間
検査を行い、 証明を発行するのは、 FAA では
なく国が任命した AME である。 彼らが身体検
査基準に基づいて検査を行い、 判定し、 証明を
発行する。
大部分のパイロットは健康であり、 問題なく
証明が発行される。 しかし、 基準に適合しない
場合、 AME には2つの選択肢がある。 判定を
FAA にゆだねる 「defer」 と不適合と判定する
「deny」 である。 deny とされると申請者は
waiver の機会がないが、 defer であれば、 所定
の資料を CAMI に送付して、 waiver 適用の可
否についての検討をしてもらうことができる
(図1)。 つまり、 基準に適合していなくても乗
務可能であると判断されれば身体検査証明を発
行されるわけである。 ちなみに日本の指定医に
は2つの選択肢しかない。 「適合」 か 「不適合」
か、 である。 不適合であってもアメリカの
deny のように waiver の機会がないわけでは
なく、 どちらかというと日本の不適合は defer
に近いだろう。 不適合と判定された申請者は、
希望すれば国土交通大臣の判定をうけることが
2007 MAR
25
航空身体検査証明審査会 (審査会) という会で
審議、 判定される。 これは月1回開かれる、 各
科の専門の医師とパイロットの代表、 計13人の
委員からなる会で、 20人を超える reviewer と
図1
アメリカでの身体検査の流れ
できる。
さて、 AME で defer され、 申請者から必要
な資料が送られてくると、 CAMI では waiver
の適用可否について検討する。 reviewer がま
ずその資料をチェックする。 reviewer は医療
関係者ではなく、 特段国家資格のようなものが
あるわけでもない。 頻度の多い疾患については、
どういった検査や資料が必要で、 それらの結果
がどのようであれば適合と判断するかというこ
とがすでに決められており、 それを基に資料の
不足がないか、 提出資料が基準に適合している
かを見ていくわけである。 基準に適合していれ
ば、 医師によって証明が発行される。 しかし基
準が決められていない疾患等、 判断できない場
合には医師にすべての資料が渡され、 検討され
る。 この部署には複数の医師が所属しているの
で、 必要であれば協議することもできるし、 場
合によっては外部の専門家に意見を聞くことも
ある。 しかしながら、 waiver の適否を決める
ことができるのは FAA の医師に限られており、
最終判断は FAA の医師が行う。 また、 AME
で証明が発行された申請者についても CAMI
でチェックしている。 AME は証明を発行した
場合でも、 すべての申請書を CAMI にオンラ
インで送らなくてはならない。 CAMI ではこ
れらの送られてきた申請書について、 不適切な
証明が発行されていないかすべてチェックして
いる。 万一不適切な身体検査証明が見つかった
場合にはパイロット本人に通知し、 適切な処置
がとられる。
以上のように、 アメリカと日本の航空身体検
査制度にはいくつかの相違点がある。 たとえば
waiver 制度である。 日本では指定医が不適合
と判断した場合、 航空局長の諮問委員会である
26
2007 MAR
医師による審査が毎日行われ、 最終的には国に
所属する医師が waiver 適用の可否を決定する
アメリカとは大きな違いである。 指定医で証明
を発行した場合の取り扱いも異なる。 また、 ア
メリカでは資料が不足した場合や判定結果の通
知など、 国からの連絡はすべて本人あてに行わ
れている。 日本では、 エアラインパイロットの
場合には所属する会社を介して本人へ通知され
ることが多い。 これも相違点のひとつであろう。
表2. 2005年の年間身体検査施行数 (アメリカ)
表3. 過去6年間の年間身体検査受検数 (日本)
日本とアメリカではパイロットの数に大きな
差があることに先に触れた。 表2、 3を見てい
ただきたい。 年間の身体検査施行数で比較する
と、 アメリカは日本の約20倍である。 アメリカ
の航空身体検査基準は、 乱暴な表現をすると、
少しでも病気がある場合、 もしくは病気がある
ことが疑われる場合には AME は defer しなさ
い、 その上で必要な検査の結果をすべて FAA
に送付しなさいとされている部分が多い。 また、
AME が適合と判断し、 証明を発行した場合で
も全例申請書を CAMI に送付させ、 間違いが
なかったかを確認している。 日本に比して、 国
家の果たす役割がかなり大きいように思われた。
これは、 航空医学という分野について、 CAMI
という大きな組織を国が保有していることや、
パイロットの数が多い、 すなわち航空身体検査
の数が多いことなどを背景に、 パイロットの大
部分を占める健康な申請者に対しては必要最小
限の検査を課し、 かつ疾患を持つあるいは持つ
可能性のある申請者に対しては十分な検査を行っ
たうえで適切な判断をするという目標のために
できあがったからではなかろうか。 アメリカで
は日本のように健康保険制度が整っておらず、
一般に検査料が高いという事情もあるのかもし
れない。 一方日本では、 アメリカで AME が下
している判断だけでなく、 reviewer が行って
いる判断まで指定医が判断し、 それで不適合ま
たは判断不能な場合は国土交通大臣の判定を申
請するような形になっている。 実際には
Waiver も含めて最終的に身体検査証明が発行
される割合は日米間にそれほど大きな差はない。
アメリカの身体検査制度を知るにつれて、 冒頭
で述べた最初の印象は少しずつ変化し、 思って
いたより日本が 「厳しい」 わけではないように
感じるにいたったのである。
また、 waiver の結果通知や不足している資
料についての連絡など、 ほぼすべての連絡が本
人あてになされるのも印象的であった。 日本で
は会社を通じて連絡されることが少なくない。
航空身体検査施行数の内訳を見ると、 アメリカ
では2年または3年という長い有効期間である
にもかかわらず第3種が最も多い。 それに比し
て日本の身体検査の多くは第1種である。 そし
てその大部分はひとつの会社に定年まで勤めて
おり、 何かを通知する際に会社を通じて個人に
伝えるというやり方は日本では合理性がある。
一方、 あくまでも私の印象にすぎないが、
CAMI に送られてくる申請書の 「所属」 欄を
見ていると、 アメリカの職業パイロットは会社
を移ることが比較的多いようであり、 会社を通
じて個人に連絡をするのはむしろ困難である。
余談であるが、 アメリカ滞在中に国内線に搭乗
した。 キャプテンがアナウンスで自社の名前を
間違え、 それでなくても自分の英語力に自信が
持てない私は、 もしかして乗り間違えたのかも
と大いにあわてた。 しかし、 さもありなん、 と
思えるくらい、 会社を移ることはありふれたこ
とのようであった。 となると、 スポーツ選手の
ように、 自分の健康を維持するのは会社ではな
く自分のするべきことである。 もちろん日本で
あってもそれは同じなのであるが、 アメリカで
はよりはっきりしているように感じられた。
おわりに
以上アメリカの身体検査制度について、 私が
知る範囲内で日本と比較しながら述べた。 そこ
にはいくつかの相違点がみられ、 相違点を見つ
けるたびに 「どちらがよいのだろうか」 と考え
てしまったが、 相違点にはそれぞれの理由があ
るのだ。 先に述べたパイロットの数やその内容
など航空事情も異なるし、 そもそも国土の大き
さも人口密度も違い、 日本のパイロットは非常
に大勢の人の頭上を飛んでいるのである。 人種
が異なるためかかりやすい病気も異なるし、 文
化や国民性の違いからものの考え方も異なって
いる。 これだけ違えば違う制度を持つほうが道
理である。 しかし、 航空身体検査の目的は 「健
康上の理由で航空の安全を妨げることがないよ
うにする」 ことであり、 これは共通している。
したがって、 実は制度の概略は同じで、 いくつ
かの問題点は両国に共通である。 どんな制度で
あっても、 最終的に重要なのは 「いかに使うか」
ではないだろうか。 現実にはどのような身体検
査基準と制度を作ろうと、 パイロット、 国、 医
師など航空身体検査にかかわる私たちが、 それ
ぞれの立場で 「航空の安全」 という大きな目的
をしっかりと認識してそれを用いなければ、 身
体検査自体が意味をなさなくなってしまう。 い
くつか私見を述べてしまったが、 今回の調査が、
日本の航空身体検査をよりよいものにしていく
ために少しでも役に立てば幸いである。
最後に、 今回のアメリカでの調査は国土交通
省航空局とアメリカ宇宙航空局 CAMI のご協
力によって実現したものである。 この場をお借
りして、 深く感謝申し上げたい。
2007 MAR
27
象
気
航空 C
TE H
Ta l k
気象庁の航空予報
プロダクトを拡充します
“−より安全に、 より効率的に−”
航空気象委員会※
●1. 気象庁の航空予報プロダクトの拡充
気象庁では、 平成19年3月28日 (予定) から、
航空予報プロダクトのラインアップを拡充し、
利用者のみなさまにより利便性のある気象情報
を提供します。
従来から、 国内悪天予想図 (FBJP)、 空域
悪天情報 (SIGMET/ARMAD)、 飛行場予報
(TAF-S/TAF-L)、 および飛行場警報・情報な
どの気象情報を提供しており、 昨年11月1日か
らは、 混雑空港の進入管制区域内の航空機運航
をサポートすることを目的に、 羽田・成田、 中
部、 および関西の3箇所において、 「狭域悪天
予想図」 の提供を開始ました。
今回、 これらの情報に加えて、 全国および地
域の航空気象を解説する 「全国/地域航空気象
解説報」、 飛行場の天気変化を時系列で表現す
る 「飛行場時系列予報」、 さらに空域の悪天の
現況と動向を図示した 「国内悪天解析図」 「国
内/狭域悪天実況図」 を、 航空気象情報提供環
境 Web 上で、 新たに提供し、 全国の航空気象
官署においても、 閲覧が可能になります。
今回のプロダクト拡充により、 今後の航空気
象情報のラインアップは、 図1に示すとおり、
空域−進入管制空域−飛行場それぞれのステー
ジで、 予報から実況まで、 厚みを持った構成と
なります。
それでは、 各プロダクトについて、 説明して
まいりましょう。
※ 気象庁予報部予報課
航空予報係長
28
航空予報室
龍崎
2007 MAR
淳
図1. 気象庁の航空予報プロダクトのラインアップ
●2. 各プロダクトの説明
2−1 全国/地域航空気象解説報
・全国航空気象解説報
国内の飛行場の気象概況や今後の推移、 予報
上の留意点、 および国内・洋上の空域の悪天概
況と今後の推移などを、 平易に解説します。
発表は、 01・07・13・19UTC の1日4回で
す。
全国航空気象解説報の例を、 図2に示します。
・地域航空気象解説報
全国を6地域に分け、 地域内の飛行場におけ
る気象の概況や今後の推移、 および予報上の留
意点について、 平易に解説します。
毎日21:30、 09:30 UTC の2回、 表1に示
す航空気象官署が作成し、 発表します。
地域航空気象解説報には、 地域内の航空気象
官署の所在する全ての飛行場についての、 「カ
テゴリー予想」 も含まれます。 その内容は、
・最小視程 (VIS)
・雲量5/8以上の最低雲層の雲底の高さ
(CIG)
・発雷 (TS) の有無
についての予測を3時間単位でカテゴリー化し、
わかりやすく表形式に示したものです。
各カテゴリーの基準は表2に示すとおりです。
予想時間としては、 21:30 UTC 発表の解説
報では21時∼12時 UTC の、 09:30 UTC 発表
のものでは09時∼12時 UTC および21時∼09時
UTC のカテゴリー予想を記述します。
実際の解説報の例を、 図3に示します。
表2. カテゴリー予想の階級基準
VIS<
1.6km
1.6km≦
VIS<5km
CIG<
CAV2
CAV2
600ft
600ft≦
CIG<
CAV2
CAV1
1000ft
CIG≧
CAV2
CAV1
1000ft
※CAV…Ceiling and Visibility の略。
VIS≧
5km
CAV2
CAV1
CAV0
図3. 地域航空気象解説報 (関東・中部地域) の例
図2. 全国航空気象解説報の例 (2月9日現在の案)
表1. 地域航空気象解説報の地域名と発表官署
地
域
名
発表官署
北海道地域
新千歳航空測候所
東北地域
仙台航空測候所
関東・中部地域
東京航空地方気象台
近畿・中国・四国地域
関西航空地方気象台
九州地域
福岡航空測候所
沖縄地域
那覇航空測候所
2−2 飛行場時系列予報
国内の飛行場予報発表空港に対して、 飛行場
予報の詳細な時系列値をわかりやすく表形式に
表示した情報です。 TAF-S に対応する短距離
飛行用 (名称:時系列予報 (SHORT)) と、
TAF-L に対応する長距離飛行用 (名称:時系
列予報 (LONG)) の2種類を発表します。
発表は、 各空港の TAF 発表時刻と同じ時刻
です。 TAF と同様、 訂正や修正も行います。
表記要素は、 以下のとおりです。 TAF で表
現される要素に加え、 各空港の主滑走路に対す
る横風成分も表記します。 着陸予報
(TREND) を発表する成田・中部・関西につ
2007 MAR
29
いては、 気温および気圧も表示します (短距離
飛行用時系列予報に表示します)。
・飛行場時系列予報の表記要素
①風向・風速
②ガスト (風速)
③横風成分の風速 (主滑走路に対して計算)
④視程
⑤シーリング
⑥天気現象
⑦気温および気圧 (成田・中部・関西のみ)
実際の発表形式は、 図4に示すとおりです。
(ア)
発表は、 00・03・06・09・12・21UTC の、
おおむね25分頃です。
図に表示する要素は、 以下の通りで、 ①Jet
軸∼⑤火山噴火までは、 予報官の入力で記述し
ます。
・国内悪天解析図の表示要素
①Jet 軸
②悪天域 (積乱雲域または CAT 域)
③コメント文 (悪天域について、 簡潔に解説)」
④台風
⑤火山噴火
⑥航空機観測通報 (PIREP/ARS/C-PIREP)
※MOD 以上の乱気流・着氷、 および雷撃
⑦雷観測システム (LIDEN) データ
⑧レーダー強度
⑨衛星赤外画像
実際の国内悪天解析図の例を、 図5に示します。
2−4 国内/狭域悪天実況図
国内悪天実況図は、 日本およびその周辺、 狭
域悪天実況図は、 羽田・成田、 中部、 関西各空
港で担当する進入管制区域およびその周辺につ
いて、 航空機運航に影響を与える気象の現況を
図示した情報です。
発表は、 毎時10分頃です。 国内悪天解析図と
は異なり、 システム上で自動作成します。
図に表示する要素は、 以下の通りです。
・国内/狭域悪天実況図の表示要素
(イ)
図4. 飛行場時系列予報の例。 (ア) は飛行場時系列
(SHORT)、 (イ) は飛行場時系列 (LONG) を示す。
2−3 国内悪天解析図
日本およびその周辺の空域について、 航空機
運航に影響を与える気象を背景に表示し、 それ
らの現況および動向を、 予報官が図およびコメ
ント文で解説する図情報です。
30
2007 MAR
図5. 国内悪天解析図の例 (2月9日時点の案)
(気象庁からはカラーで配信、 参照90頁)
(ア)
①航空機観測通報 (PIREP/ARS/C-PIREP)
※MOD 以上の乱気流・着氷、 および雷撃
②雷観測システム (LIDEN) データ
③レーダー強度
④衛星赤外画像 (※国内悪天実況図のみ)
⑤当該空港上空の風・気温データ (解析値)
⑥当該空港の最新の METAR 報
※RMK および TREND 部分は除く
実際の悪天実況図の例を、 図6に示します。
(気象庁からはカラーで配信、 参照90頁)
(イ)
図6. 空域悪天実況図の例。 (ア) は国内悪天実況図、
(イ) は狭域悪天実況図 (羽田・成田) を示す。
(いずれも、 2月9日現在の案)
(気象庁からはカラーで配信、 参照90頁)
●3. まとめ
気象庁では、 昨今の情報通信技術の発展、 航
空機運航の混雑化などのさまざまな背景のもと、
航空気象予報の拡充を進めてまいりました。 今
回の新規プロダクトの提供も、 その一環として
行うものです。
もちろん、 情報は拡充すればよいというもの
はありません。 上に挙げた各プロダクトについ
ても、 実際に航空機の運航に携わるみなさまに
少しでも多く利用していただきながら、 使い勝
手など、 改善を図っていきたいと考えています。
キーワードは、 −より安全に、 より効率的に−
、
今回ご紹介した、 新しく提供を始めるこれらの
プロダクトが、 その一助となることを、 心より
願っています!
2007 MAR
31
第1回
新企画
安全への真摯なアプローチ
航空安全委員会
航空安全委員会では 「日本航空機操縦士協会の目指すもの」 の理念の下、 その目的ならびにビジョ
ンを達成するために 「航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を
育て、 社会全体で安全意識を高めていく)」 ことを最重要課題として取り組んでいます。
そして今号よりこの課題へのアプローチの一環として、 従来の航空事故調査報告書抜粋を一歩進
めて、 「事故を斬る! 安全への真摯なアプローチ」 を企画しました。 これは単なる航空事故調査
報告書の紹介に留まらず、 当該報告書に関して航空安全委員会で討議を行った 「生の声」 を掲載し
ようとするものです。
航空安全委員会の委員は各々航空界での貴重な経験や知識を持っていますが、 事故調査に関して
は全くの素人といっても過言ではありません。 その素人が敢えてこのような試みに挑戦するのは、
私たちの生の声から読者皆さんに何かを感じ取って頂きたい、 というメッセージに他なりません。
安全文化の要素の一つに 「学習する文化」 があります。 先人たちが残した貴重な事故の遺産を無
駄にすることなく、 そして航空界の健全な発展のために微力ながら貢献できれば、 と思っています
ので、 この企画の趣旨をご理解の上、 今後とも読者の皆様の声援を頂戴したいと思います。
今回は連続離着陸訓練中の事故を取り上げました。 事故の当事者は700時間余の飛行時間を有し、
また、 同乗者4名は全員操縦士資格を所持しており、 その中には5,000時間以上の経験豊かなパイ
ロットもいました。
AA20055
パイパー式 PA46350P 型
航空事故調査報告書
ショートアプローチ訓練中
1. 概
要
個人所属パイパー式 PA46350P 型 JA4084
は、 平成17年5月30日 (月)、 レジャーのため、
5名が搭乗して紋別空港を離陸し、 同空港で連
続離着陸訓練を実施中、 10時38分ごろ、 滑走路
手前の過走帯に接地し、 機体を損傷した。
搭乗者の負傷はなく、 また同機は中破したが、
火災は発生しなかった。
32
2007 MAR
失速して過走帯に接地
2. 認定した事実
2. 1 飛行の経過
個人所属パイパー式 PA46350P型 (通称:
マリブ・ミラージュ) JA4084 (以下 「同機」
という。) は、 平成17年5月30日、 レジャーの
ため、 紋別空港を10時15分離陸した。 機長が紋
別空港において連続離着陸訓練 (以下 「タッチ・
アンド・ゴー」 という。) を実施中、 同機は、
滑走路手前の過走帯 (以下 「オーバーラン」 と
いう。) に接地し、 機体を損傷した。
本事故に至るまでの経過は、 機長及び同乗者
の口述によれば、 概略次のとおりであった。
同機に搭乗していた5名は、 全員操縦士資格
を保有しており、 同機の飛行に当たっては、 事
業用操縦士資格を保有し、 一行の中で最も飛行
経験が豊富で、 同機と同型の機体を所有してい
る同乗者 A が、 常時右前席に着座し必要に応
じて左席の操縦者にアドバイスを行い、 他の4
名が交代で左前席において操縦を担当すること
としていた。
機長は、 同乗者 A と調整の上、 ショート・
アプローチでのタッチ・アンド・ゴーを2回実
施することにした。 この種目を選んだのは、 機
長が通常のタッチ・アンド・ゴーについては問
題なく実施できるため、 より高度の技能習得を
目指したことによるものであった。
第1回目のタッチ・アンド・ゴーについては、
機長は的確な経路を飛行できず、 ダウンウイン
ド・レッグ (以下 「ダウンウインド」 という。)
の幅が狭かったこと等から、 高いアプローチに
なった。
機長は、 ベース・レッグ (以下 「ベース」 と
いう。) 途中で滑走路全長の中央までに着陸で
きないものと判断し、 ゴー・アラウンドした。
第2回目のタッチ・アンド・ゴーについては、
ダウンウインドを幅約1,200m、 高度800ftで飛
行した。 機長は、 通常のタッチ・アンド・ゴー
は、 翼端が滑走路にかかって見える約1nm
(1,852m) の幅のダウンウインドを対地高度
1,000ftで飛行することとしていた。
ショート・アプローチのダウンウインドにつ
いては、 幅は約三分の二とし、 高度は、 紋別空
港の標高を考慮して、 気圧高度800ftで飛行す
ることとした。
ダウンウインド上で紋別リモートから通報を
受けた風向風速は100°8kt であった。
機長は、 脚を下げた後、 滑走路末端を左正横
に見た地点 (以下 「アビーム」 という。) で、
バンク約25°強、 フラップ10°、 パワーほぼアイ
ドルとし、 同機は左降下旋回に入った。
機長は、 同機がベース・トップ (ベースの中
央部) の少し前に至ったとき、 低いアプローチ
になっており、 そのまま旋回を続けていたので
は滑走路に到達できないと判断した。 このとき
の気圧高度は約450ft (対地高度約370ft) であっ
た。
機長は、 経路長を短縮することにより滑走路
に到達できるものと考え、 滑走路14の末端左側
に向かって同機を直進させた。
ショート・アプローチの場合、 低くなったパ
ス角 (滑走路面と航空機の経路がなす鉛直面内
の角度) を修正するためには、 パワーを使用し
なければならないことを機長は理解していた。
しかしながら、 機長はパワーをアイドルのま
まとして進入を継続した。
機長がパワーをアイドルのままとしたのは、
ベース・ターン開始時からパワー・アイドルの
進入であったため、 ショート・アプローチでは
なくパワー・オフ・ランディングの訓練をして
いるという意識に変化し、 パワー・オフで着陸
することにとらわれたためである。
滑走路末端に向かって同機を直進させた以降
も、 パス角が更に低くなってきたが、 機長はぎ
りぎりで滑走路に到達できるものと判断し、 パ
ワー・オフでの進入を続行した。
同機の進入速度は、 滑走路末端への直進時は
約80ktで、 オーバーランに接地する直前には
約70∼75ktであった。 機首方位は滑走路中心
線に対して約30°以上右であった。
機長は、 同機が滑走路末端に到達する直前、
高度約10ftで、 滑走路中心線に同機の軸線を合
2007 MAR
33
わせようとして、 約30°の左バンクをとった。
この直後にバフェッティング及び急激な沈み
があり、 同機は、 滑走路に叩き付けられるよう
に接地した。
機長及び他の同乗者は誰も失速警報音を聞い
た記憶はなかった。
同乗者 A は、 同機の進入速度が徐々に低下
し適正な値より少し不足していること、 パス角
が低いこと、 及び滑走路に対してかなりの交角
をもって進入していることは分かっていたが、
機長が通常着陸は問題なく実施できる技量に達
していることから、 右席でいろいろとアドバイ
スしたり、 手を出さなくても対処できると考え、
ぎりぎりまで見守っていた。
バフェットが発生したとき、 同乗者 A は、
操縦桿を抑え、 パワー・レバーを前方に出し、
失速から回復する操作を実施したが、 間に合わ
なかった。
同機は左にバンクをとった状態で接地した。
同機の両主脚は、 接地とほぼ同時に脚支柱が破
断し左右に飛散した。 また、 前脚は脚格納室に
押し込まれた。 この状態で同機は滑走路上を滑
走した。
2. 2 航空機の損壊の状況
型式:パイパー式 PA46350P 型
総飛行時間:1,754時間08分
左右主翼主桁変形し、 左右主脚、 前脚及びプ
ロペラ破損ならびに防火壁が変形した。
2. 3 航空機乗組員に関する情報
機長:男性50歳
総飛行時間:722時間03分
同型式機による飛行時間:12時間40分
同乗者A:男性64歳
総飛行時間:5,348時間43分
同型式機による飛行時間:1,401時間41分
2. 4 事故現場に関する情報
事故現場は、 紋別空港の滑走路14末端手前の
34
2007 MAR
オーバーラン上であり、 滑走路末端から約11m
手前に左主脚、 約7.5m手前に右主脚、 約7m
手前に前脚のタイヤが接地した痕跡が残ってい
た。 最初の接地痕跡から機体の停止地点まで、
主脚の破断部、 前脚タイヤ及び機体下部の擦過
痕が残っていた。 この擦過痕は、 緩やかな左カー
ブを描いており、 滑走した長さは約140mであっ
た。
オーバーラン上には、 左右主脚の支柱によっ
て舗装面が削り取られた跡が残っており滑走路
中心線となす角度は約12°であった。
緩衝支柱の下部で分離した左右の主脚タイヤ
部は、 左については滑走路右の草地上に、 右に
ついては滑走路上左側に飛び散っていた。
3. 解 析
3. 1
機長及び同乗者 A は、 適法な航空従事者技
能証明及び有効な航空身体検査証明を有してい
た。
3. 2
同機は、 有効な耐空証明を有していた。
3. 3 接地時の機体の動きと損傷
機長等の口述及び機体の接地後の擦過痕から、
同機は接地直前には次のような動きをしていた
ものと推定される。
機首方位は滑走路中心線に対して約30°以上
右に向いており、 速度は70∼75ktであった。
機長は、 同機がオーバーランに入るころ機首方
位を滑走路中心線に合わせようとして、 バンク
を約30°とった。 このときの対地高度は約10ft
であった。
パワー・オフで速度が小さくノーズ位置 (ピッ
チ) がやや高かったこと及び急にバンクをとっ
たことから、 同機はバフェッティングに入った
直後に失速し、 オーバーランに急激に落下した
ものと推定される。
機長及び同乗者が失速警報を聞いた記憶はな
かったと述べていることについては、 翼水平状
態での飛行中は同機の速度が警報の作動する速
度までは低下していなかったものの、 急にバン
クを取ったことから極めて短時間に失速したた
めであると推定される。
同機のオーバーラン上の痕跡は、 左主脚、 右
主脚、 前脚の順に付いており、 滑走路中心線に
対して約12°右の方向であったことから、 同機
が左に傾きややピッチが上がった状態で、 右方向
に横すべりしながら接地したものと推定される。
左右主脚の擦過痕の始点から約2m 進行方
向前方の地点でオイルが飛散していることから
左右主脚は、 接地とほぼ同時に緩衝支柱の下部
でタイヤ部が破断し、 直後に緩衝支柱のオイル
が飛散したものと推定される。
前輪については、 わずかに後で接地したため、
主脚ほどの荷重が掛からず、 脚格納室の中に入
り込んだものと推定される。
3. 4 同機の進入速度
口述によれば、 失速直前の同機の進入速度は
70∼75ktであった。 フラップ10°での失速速
度は飛行規程に記載されていないが、 フラップ・
アップで69ktであることから、 進入速度は失
速速度に対して若干の余裕があったものと推定
される。
しかしながら、 同機の飛行規程に定める進入
中の速度基準を考慮すれば、 パワー・オフ、 フ
ラップ・アップの場合の90ktに近い速度を保
持し、 少なくとも約85ktを切ることなく進入
すべきであったものと推定される。
3. 5 機長の意識の変化
口述によれば、 機長は、 ショート・アプロー
チ中に、 パワー・オフ・ランディングを実施し
ているとの意識を持ち、 同機が接地するまでパ
ワー・オフでのランディングにこだわりを持っ
ていた。
2007 MAR
35
機長は、 第1回目のショート・アプローチを
実施した際、 進入高度が高くなったため、 ゴー・
アラウンドしたことが強く脳裏に残っていたこ
とから、 ベース・ターン開始と同時にパワーを
ほぼアイドルに絞っていた。 つまり、 進入の最
初からパワーをほぼアイドルに絞っていたこと
が意識変化につながったものと推定される。
こうした意識変化を生じさせた原因は、 ショー
ト・アプローチとパワー・オフ・ランディング
のいずれにも対応可能なダウンウインドを設定
したことによるものと推定される。
この二つの着陸要領は目的が異なることから、
混同の起こらない設定をすべきであったと考え
られる。
3. 6
着陸進入中の危険な状態の認識と回復
操作
本事故の場合に限らず、 最低でも対地100ft
程度までに安全かつ安定した進入ができていな
い場合は、 ゴー・アラウンドすべきであると考
えられる。
安全かつ安定した進入であることの条件は次
のようなものである。
①着陸の許可が得られている。
②脚、 フラップが所定の位置である。
③滑走路中心線にアラインしている。
④計画したパス (鉛直面上の経路) に乗って
いる。
⑤所定の進入速度である。
⑥トリムが取れている。
本事故の場合、 同機が滑走路末端に向け直行
を開始した位置 (ベース・トップ) から滑走路
末端までの間の中間点以降は、 上記の条件は満
たしていなかったものと推定される。
しかし、 機長は、 パスがかなり低く滑走路中
心線に対する角度も大きく厳しい進入ではある
が、 ぎりぎり滑走路に到達できるのではないか
と考えていた。
36
2007 MAR
3. 7 同乗者のアドバイス
同乗者 A は、 不安定な進入であることは理
解していたが、 機長に対する遠慮からアドバイ
スを躊躇したものと考えられる。
やや無理な進入であると判断していても操縦
の当事者は、 進入を取りやめる決心がつきにく
い心理状態に陥ることがある。
こうしたことを考慮し、 機長と同資格以上の
技能証明を有する者が同乗している場合は、 飛
行前に進入を中断する条件とアドバイスの要領
等を定め、 遠慮なくアドバイスができる環境を
整えておくことによって、 適切な判断・処置を
可能にし、 安全が確保できるものと考えられる。
3. 8 機長の進入続行
機長が、 厳しい状況であることを理解しつつ
進入を続行した理由として、 次のようなことが
考えられる。
第1に1回目の着陸を失敗したため、 2回目
の着陸をどうしても成功させたいと固執したこ
とがある。 こうした心理状況に陥ることは、 誰
しもあり得ることである。
しかし、 最後までこだわり続けることによっ
て、 事故防止のため取りうる一連の対処の機会
を逸してしまうことを理解し、 自己の技能に応
じて、 航空機を安全に運航できる限界を把握し
ておく必要があると考えられる。
第2に、 パワー・オフ・ランディングのよう
に緊急状態を想定した訓練では、 場合によって
は緊急事態そのものになりうることの認識が不
足していたことである。
例えば、 最後までパワーを使わないことにす
れば、 それは訓練ではなく緊急事態であると言
える。 訓練では、 危険な状態になる前にゴー・
アラウンドする等あくまでも安全を確保しつつ、
徐々に技能を上げていくことが求められる。
4. 原 因
本事故は、 同機が着陸進入中、 経路及び速度
が不適切になったが、 機長はゴー・アラウンド
することなくパワー・オフのまま進入を継続し、
滑走路にアラインしようとして低速で極めて低
い対地高度で大きなバンクを取ったため、 失速
に陥り、 オーバーランに強い衝撃を伴って接地
し、 機体を損傷したことによるものと推定され
る。 なお、 機長がゴー・アラウンドすることな
く進入を継続したことについては、 緊急状態を
想定した訓練に対する認識が不足していたこと
等から、 進入中断を決心するタイミングを失し
たことが関与したものと推定される。
本稿は<AA2005-5>航空事故調査報告
書 (平成17年9月30日発行) 「個人所属
JA4084」 を基に、 章立てを変更するなど、
内容を変えない範囲で編者が再構成したも
のです。
正式な調査報告書は以下の URL にて入
手すことが出来ます。
http://www.mlit.go.jp/araic/
事故を斬る! 以上が事故調査報告書の抜粋です。 皆さんはどのようにお感じになりましたか?
以下はこの事故調査報告書を基に、 航空安全委員会で意見交換をした内容を記載いたします。
なお、 先にも述べましたとおり、 この意見交換に際しては結論や何かの示唆を見出すことが本意
ではなく、 また、 各々の意見に対しての討議も行っていません。 あくまでも委員の 「生の声」 です。
バンク角による失速速度の増大に関する認識
失速速度はバンク角が深くなるにつれて増加することは周知の事実ですが、 接地点が目前に迫
り、 さらにその修正に追われていると失念しがちです。
失速からの回復は高度が大きな要素になってきます。
今回の事例のような低高度で、 大きなバンクをとることは極めて危険です。
Stabilized Approach
安全な着陸を行うには、 その前段階である進入が安定していないと達成できません。
この安定した進入の定義の一例として、 航空運送事業で言われている定義を掲載します。
「最低安全高度を通過する時点までには以下の状態であること」
*最低安全高度:IMC においては滑走路高1,000ft、 VMC においては滑走路高500ft、 Circling 等不可能な場合には滑走路高300ft
・完全な Landing Configuration
・Landing Checklist の完了
・Target Approach Speed の維持
・機が安定している
2007 MAR
37
同乗者の功罪
操縦士の資格を持った同乗者 (特に経験豊かな同乗者) がある場合には、 その功罪に留意すべ
きです。
良い点:・適切な助言が得られる
・飛行に関する様々な業務を分担できる
・同乗者の経験を享受できる
・同乗者の資格に応じ、 訓練を受けることができる
悪い点:・頼り切る
・「かっこいい」 ところを見せようとする
・失敗すると恥ずかしいという心理状態に陥る
同乗者からの助言
前項の功罪はあるものの同乗者は飛行の安定に関して疑義を持った場合、 積極的にアドバイス
をすることが必要です。 特に今回の事例のように、 同乗者が実質的な教官としての役割を担っ
ている場合はなおさらです。
このような場合には、 訓練する課目に対する事前のブリーフィングやその目的、 中断する場合
の判断等を被訓練者と行うことも有効であり、 また、 実際の訓練において、 その目的と異なる
ような場面に直面した場合 (ショートアプローチ中にパスが低くなった) には、 躊躇なく助言
すべきです。
己に勝つ
飛行機の運航は当然のことながら自然の様々な要素に左右されます。
このことは、 事前に自分が計画したことと違う状態に陥ることが常に存在する、 ということと
同義です。
まして訓練中、 その課目が思い通りに、 且つ、 上手に実施できることは多くありません。
この認識を常に持ち、 修正や、 やり直しを行うことをためらってはいけません。
修正を行うか、 もしくはやり直すかの判断要素の一つが前述の Stabilized Approach にありま
す。 そして、 いったんやり直しを決定した場合、 そこには 「恥ずかしい」 とか 「自分がへたく
そだ」 と思われるのでは、 といった発想を一切排除する勇気を持たなければなりません。
飛行機の性能を熟知する
一概に Stabilized Approach に定義される値から逸脱した場合には即 Go-around と言われて
もなかなか納得できません。
そこには一時的な大気の擾乱や、 わずかな操作上の遅れが関わっている場合が多々あり、 いず
れもその多くの場合は修正可能で、 それに引き続く着陸も安全に行われる可能性大です。 「修
正可能だと思ったので、 進入を継続した」 多くの事故やインシデントで語られる言葉ですが、
修正可能と言う言葉に関して操縦者一人一人がもう少しこの言葉をかみこなし、 運航に活かし
ていかなければならないと思います。 修正可能な範囲はセスナとマリブ、 B737とB747400等
機種によって大きく違っています。
38
2007 MAR
委員会報告
運航技術委員会地球環境問題分科会
日本航空機操縦士協会では、 地球環境との調和を図りながら飛行の安全を目指すことを目標とし、
運航技術委員会の中に、 地球環境問題分科会を設け、 平成17年6月より地球環境問題への取り組み
を検討、 ならびに実施して参りました。
過去に協会が実施した地球環境問題への取り組みをレビューし、 地球温暖化問題を含む地球環境
問題の資料を収集するとともに、 協会としてできる項目を検討し、 下記のように取りまとめ、 一歩
一歩実行に移しております。
● PILOT
誌に関連記事掲載
① 地球環境問題関連の用語等の解説 (2005年11月号より連載)
騒音軽減運航方式の法的背景の解説 (2006年11月号/2007年1月号)
② 見学会記事 (地球シミュレーターの見学:2006年3月号/IHI エンジン工場見学:7月号)
③ 座談会記事 (2007年度予定)
④ 地球環境問題へのパイロットの体験談や論文を募集しその一部を掲載 (2007年度予定)
● 分科会での討議内容−日常飛行業務での実践
① 燃料効率向上運航方式の実践
② 騒音軽減運航方式の実践
③ エコライフ実践へのキャンペーン
● 地球環境へ配慮した協会事務所業務の遂行
地球環境関連体験談・論文募集
地球環境問題分科会では、 会員その他からの地球環境問題体験談や論文を募集します。
タイトルの例として下記のようなものが分科会で話題となりました。 採用原稿は PILOT
誌に掲載し、 規定に基づく原稿料を支払います。
① パイロットがフライトで観察した地球環境の変化
② 実践エコライフの紹介
③ 地球温暖化防止へのささやかな取り組み
④ 地球環境に優しい運航技術
⑤ 夢の環境技術
● 募集要項等
①
②
③
原稿の締め切り:2007年6月30日
原則3,000字以内
PILOT 誌掲載の可否は地球環境問題分科会が担当
2007 MAR
39
GA:ジェネアビ情報
航空機使用事業
奥貫
航空法において、 航空機使用事業とは 「他人
の需要に応じ、 航空機を使用して有償で旅客ま
たは貨物の運送以外の行為の請負を行う事業を
いう」 と定義されています。 また、 航空運送事
業は 「他人の需要に応じ、 航空機を使用して有
償で旅客または貨物を運送する事業をいう」 と
されています。 小型機による航空機使用事業者
の多くは航空運送事業の事業認可も得ていて、
遊覧飛行等を含むあらゆる空の需要に応えられ
る体制を整えています。
この小型機による航空運送事業には、 いわゆ
るコミュータ航空も含まれるのですが、 今回の
「航空機使用事業」 では2地点間の旅客輸送を
除く分野の事業を扱うこととします。
小型機による使用事業の内容は、 右の表に示
すように、 多岐にわたっています。 いずれも、
私たちの生活に欠くことのできない公共性の強
いものばかりです。 また、 機材としては、 飛行
機、 ヘリコプター、 それに、 変わったところで
は、 飛行船などがあります。
飛行機は、 コミュータ的用途のものを除き、
最大離陸重量5.7トン以下の機体が使用されま
す。 20人乗り双発、 非与圧のターボプロップ機
あたりがその上限の機体となります。
また、 日本の小型機による航空機使用事業・
運送事業は、 国土の形態、 飛行場の数等の様々
な理由から、 ヘリコプターでの活動が多いのが
特徴です。
では、 そのような航空機使用事業・運送事業
について、 以下にその内容をまとめてみたいと
思います。
40
2007 MAR
博
航空機使用事業・運送事業の内容
小型機による航空機使用事業・運送事業の内
容は、 私達の生活に無くてはならないものばか
りです。 その主なものは以下の通りです。
航
空
機
使
用
事
業
航
空
運
送
事
業
事業項目
事業の主な内容
航空測量
各種地図作成の基となる、 航空
測量の垂直写真撮影
写真撮影
印刷物、 商用映像等に利用する
各種、 斜め写真撮影
報道取材
新聞、 TV 等用の報道取材、 ス
ポーツ中継等
操縦訓練
自家用、 事業用、 計器飛行証明、
教育証明等の訓練。
広報活動
選挙の棄権防止、 その他広報活
動、 商用放送宣伝等
農業協力
田畑や山林の害虫駆除の、 薬剤
の空中散布、 施肥等
漁業協力
赤潮、 海洋汚染、 漁場の調査等、
漁業関する各種協力
視察調査
公害等の視察、 積雪、 送電線調
査等、 各種調査
災害対応
災害調査、 対応、 救急対応、 遭
難捜索対応等
輸送事業
建設用その他各種物資の輸送、
海上オイル・リグへの輸送、 旅
客輸送等
航空遊覧
航空遊覧、 チャーター飛行、 ス
カイスポーツ対応等。
使用事業機体の主力機
セスナ172
航空測量 (垂直写真撮影)
大規模造成工事、 都市計画をはじめ、 飛行場、
港湾、 橋梁、 鉄道、 道路、 上下水道、 ダム発電
所、 建築物等の用地計画及び調査には精密な垂
直撮影写真が必要です。 また、 各種地図の作成
更新等にも、 小型機から撮影した垂直写真のデー
タが利用されています。
この垂直写真は、 300馬力クラスの大型単発
機又は双発機を改造し、 床面に開閉式の大きな
カメラ窓を開け、 専用の機材とカメラを装着し
た飛行機で撮影します。 精緻な画像が必要なた
め、 気流が安定していて、 視程の良い日に撮影
をするのですが、 所定のコース上で安定した飛
行を維持する必要があるため、 非常に高度な操
縦技量を必要とします。 撮影機材そのものは、
自動化、 コンピュータ化が進んでいるのですが、
高度な飛行技量が必要な事に変わりはありませ
ん。 使用事業の世界では、 この垂直写真をこな
せるようになって、 ようやく一人前と認められ
る状況です。
斜め写真撮影
文字通り、 対象物を、 空中から斜めに撮影し
た写真です。 測量的な用途を主目的とする垂直
写真に対し、 斜め写真は、 物件等の、 空中から
見た姿の撮影を目的としています。
各種広報誌に掲載される空から見た地域の写
真や、 建物、 施設、 ゴルフ場、 不動産等の各種
商用写真、 学校等の人文字の写真等々、 空から
の写真は、 私たちの生活に無くてはならない存
在となっています。
斜め写真の撮影には、 セスナ172型等、 小型
の高翼機が使用され、 後席部の窓を開閉式の写
真撮影用に改造し、 カメラマンを乗せて撮影を
するのですが、 低速、 低高度での撮影には、 独
自の訓練が必要とされています。
晴れた視程の良い日には、 カメラマンが多く
のオーダーを抱えて飛行場にやってきます。
物件の向き、 光の状態、 撮影順序、 経路、 障
害物等を考えた上で、 カメラマンにとって最適
な位置と姿勢と写角を提供するのが、 プロとし
ての腕の見せ所という訳です。
また1回のフライトで複数の撮影を行うこと
から、 その飛行時間は6時間に達することもあ
ります。 簡単なようで難しく、 プロ入門として
鍛えられるのが、 この斜め写真です。
施設の斜め写真撮影
操縦訓練
航空機使用事業会社の多くは、 操縦訓練を行っ
ています。 自家用、 事業用、 多発、 計器飛行証
明、 教育証明等の訓練等がその守備範囲ですが、
大手の会社では、 事業用操縦士養成施設として
の認定を得ているところもあります、 また、 官
公庁からの委託訓練等も行っていることがあり
ます。
2007 MAR
41
訓練等を扱う直営の飛行クラブ等を持つ使用
事業会社も多く、 日本国内で操縦士の自家用あ
るいは事業用のライセンスを目指す人の多くは、
このような会社のお世話になっています。 また、
昨今は、 米国等の訓練会社と提携し、 自家用の
段階を外国で実施のケースもあります。 これに
より低コストかつ短期間での訓練と自家用操縦
士免許の取得が可能になると共に、 英語能力、
国際航空センスも身に付くので、 パイロットの
英語能力が重視される折、 歓迎されています。
そして仕上げは日本の空で、 という訳です。
離着陸訓練中のセスナ172
広報活動
機体にラウドスピーカーを装備して、 空から
呼びかけるもので、 公のものとしては、 選挙の
棄権防止、 その他市町村等の広報活動等があり
ます。 また、 商用放送の宣伝等も行われていま
すが、 これは、 県条例等で実施が許可されてい
る地域に限られます。
放送飛行は事業用操縦士としては最も容易な
作業ですが、 分刻みで指定された時刻と場所を
守って放送するには、 厳密な管理が必要になり
ます。 また放送の結果にはスポンサーによる確
認があり 「良く聞こえます、 OK。」 となれば、
次の目標に移れるのですが、 不満足の場合は何
とかしなければなりません。 このようにして、
空の上での管理能力向上の面で、 鍛えられるこ
とになります。
42
2007 MAR
薬剤散布 (農業・林業協力)
農業協力は、 田畑や山林の害虫駆除の薬剤の
空中散布、 施肥等が主なものになります。 かつ
ては、 ヘリコプターによる、 水稲や山林等を対
象とした大規模な農薬空中散布を初めとして、
盛んに行われていました。
昨今は、 公害等のこともあって縮小の傾向が
続き、 最盛期の20%程度の活動規模となりまし
た。 農業協力等は、 繁忙期が限られることもあっ
て、 経営的に難しい面があり、 この分野専業の
最大手であった日本農林ヘリコプターは、 既に
存在しません。 しかし、 条件の許す広大な田畑
等では、 まだヘリコプターによる大規模農薬散
布の役割は大きく、 その能率に及ぶものはあり
ません。
水稲の農薬散布は、 梅雨時の悪天候の中、 南
から北へ稲作前線を追い、 低高度を這って渡り
鳥のように移動しての作業です。 早朝まだ薄暗
い頃からの薬剤散布作業ですから、 労働条件は
極めて過酷で、 また、 障害物の多い狭隘地での
低高度の作業は、 ベテランのみに許された作業
です。 過去の事故の多さがその過酷さを物語っ
ています。
林業への協力も、 複雑な地形と気象の中を、
障害物を回避しながらの低高度飛行となります
ので、 これまた、 過酷で危険な、 ベテランのみ
に許された作業となります。
ヘリコプターによる薬剤の散布
(写真提供:アカギヘリコプター)
漁業協力
赤潮、 海洋汚染、 漁場の調査等、 漁業に関す
る各種協力飛行です。 その件数は使用事業需要
全体の2%程度で多くはありませんが、 一定の
需要に支えられ、 堅調に推移しています。 漁船
そのものの近代化、 魚群レーダー装備等の充実
化はあっても、 海洋国の日本では、 その海洋の
大きな変化の調査等、 空からの漁業協力の重要
性は、 今後も変わることなく存在するものと期
待されています。
視察調査
海・陸・湖・河川の汚染状況視察等の公害の
視察、 山林・植物等の調査、 動物生態調査、 積
雪調査その他各種環境調査等の公的なものから、
送電線調査、 各種市場調査等、 様々なものがあ
ります。 空からの調査の結果は、 数字やデータ
のみでなく、 それらを裏付ける具体的かつ一目
瞭然の視覚情報となります。
地球の温暖化、 生態系の変化、 湿地の乾燥
等々、 その道の専門家等が確認し、 問題点を指
摘する等、 今後もその重要性が拡大していくも
のと期待されています。
山奥の工事現場への物資輸送
(写真提供:アカギヘリコプター)
建設協力・輸送事業等
輸送事業には、 各種物資の輸送、 人員の輸送、
及び、 その混載輸送があります。
先ずは物資の輸送ですが、 日本では、 ヘリコ
プターが主役の現状です。 険しい山中でのアン
テナ塔や送電線の鉄塔建設、 山小屋への物資輸
送、 林業、 その他建設用の各種物資の輸送、 ま
た海上オイル・リグへの物資輸送等は、 ヘリコ
プターでなければどうにもなりません。 それも
空飛ぶトラックとしての、 物資吊下搬送能力が、
災害対応
災害調査、 対応、 救急対応、 遭難捜索対応等、
様々なものがあります。 昨今は、 防災ヘリコプ
ター、 救急ヘリコプターの配備が普及していま
すが、 機数も限られていますし、 専用装備機体
としての本来の業務がありますから、 使用事業
の機体がそれらの災害対応業務を補完する存在
として利用されるケースも多いのです。 冬山遭
難の捜索や救出に、 民間の航空機使用事業会社
のヘリコプターが活躍している姿も、 新聞やテ
レビのニュース等で良く目にするところです。
機外吊下専用仕様のカマン K-MAX
(写真提供:アカギヘリコプター)
2007 MAR
43
何よりも求められることになります。 極端な例
では、 物質吊下げのみに特化した1人乗りの機
材もあります。
これらの山間地での建設協力等の物資輸送で
は、 吊り下げた物資の位置を10cm 以下の精度
でコントロールするような、 高度のホバリング
の技量が要求されます。 気流や天候の良くない
山間であっても、 ヘリコプターが飛ばなければ、
作業の全てが止まってしまうことになりますし、
工事用に手配した生コンクリートなどは、 時間
内に使用しなければ、 どうにもなりませんから、
腕の限りを尽くして業務を遂行することになり
ます。
尚、 日本では、 小型の固定翼機による物資輸
送の需要は、 ごく少ないのが現状です。
次に人員輸送ですが、 要は有償で人員を乗せ
て運航するもの全てが対象となり、 航空遊覧、
チャーター飛行その他、 スカイスポーツ対応等
も含め、 様々なものが含まれます。
以前は、 不定期航空運送事業の区分があり、
航空機使用事業会社の多くはその認可を受けて
いましたが、 平成12年から人員輸送は全て航空
運送事業に含まれることになりました。 とはい
え、 コミュータ機としての運航を除き、 小型機
による人員輸送の内容は、 特に変化無く現在に
至っています。
44
2007 MAR
航空機使用事業の現状等
さて、 様々な内容の航空機使用事業を紹介し
てきましたが、 ここで、 その規模等を見てみた
いと思います。
先ずは、 最近20年ほどの稼働状況の変化です
が、 1985年をみますと、 薬剤散布が、 他を大き
く離してトップとなっています。 その次が写真
及び物輸です。 更に、 操縦訓練、 広告、 及び視
察と続いています。
これらの各項目について、 その後の大きな変
化を見てみますと、 薬剤散布と広告の稼働時間
の落ち込みが目につきます。 2004年の状況は、
薬剤散布は1985年の20%、 広告は16%の規模に
まで落ち込んでいます。 それぞれ、 社会環境が
それを許さなくなった背景があるものと考えら
れますが、 それらの影響を含め、 航空運送を除
く、 航空機使用事業全体の稼働時間の合計はこ
の20年で64%に落ち込んでいる状況です。
変化の少ない項目としては、 写真、 視察、 報
道、 及び、 漁業があります。
尚、 図において、 人員輸送、 遊覧等の急激な
変化が目に付きますが、 これは平成12年2月の
改正航空法施行により、 飛行機による2地点間
の旅客輸送、 いわゆるコミュータ運航の分が集
計から除外されたことによるものです。
おわりに
続いて、 航空機使用事業者の数を見てみます
と、 その83%は、 航空運送事業の事業認可を併
有していて、 人員輸送にも対応可能な体勢を整
えている状況が見られます。 また、 その変化傾
向は、 平成12年2月の改正航空法施行以降は、
ほぼ横ばいといった状況です。
次に、 使用事業会社の保有航空機の数を見て
みますと、 この20年ほどを通じて回転翼航空機
の方が多い傾向が見られます。 しかし、 その差
は、 固定翼機 (飛行機) がほぼ横ばいで推移し
たことに対し、 回転翼航空機は、 最盛期の約
65%に落ち込んだことから、 一時より小さくな
りつつあります。 尚、 回転翼航空機の機数の減
少は、 薬剤散布需要の落ち込みが大きく影響し
たものと見られます。
また、 回転翼と固定翼機を合せた航空機全体
では、 最盛期の約77%に落込んでいる状況です。
小型機による使用事業活動は、 私達の生活に
無くてはならない公共性の多いものばかりなの
ですが、 定期旅客運送等と比較しますと、 常に
地味で、 目立つことがありません。
本誌においてもその内容の紹介が見られなかっ
たことから、 その概要をまとめて見ましたが、
回転翼航空機、 固定翼機 (飛行機) それぞれに、
非常に興味深い世界があります。 また、 今回の
内容はまだまだ不十分との反省もあります。
今後は、 実際に航空機使用事業に従事されま
す方に声をかける等して、 本誌でも様々な活動
の紹介の機会を増やしていけたらと考えており
ますので、 よろしくお願いいたします。
鉄塔建設に活躍するカマン K-MAX
(写真提供:アカギヘリコプター)
出典等
1. 使用事業等の稼動機数等のグラフ作成には
「数字で見る航空2006」 (航空振興財団) の
数値を利用させていただきました
2. 使用事業活動全般について 「小型航空機に
よる使用事業」 (社団法人 全日本航空事
業連合会) を参考にさせていただきました。
3. アカギヘリコプター株式会社からは、 ヘリ
コプターの写真を提供いただきました。
2007 MAR
45
南カリフォルニア大学での航空安全管理プログラムを受けて
USC Aviation Safety and Security Program
航空安全委員会 委員 山中
日本操縦士協会では航空事故の防止を図るた
め、 資料の収集をはじめ調査研究を活発に実施
しております。 特に平成15年以降毎年参加して
いる FSF (Flight Safety Foundation) を始
めとして、 昨年度は航空機事故を専門的に調査
研究していることで知られている英国クランフィー
ルド大学へ安全委員を派遣しています。 そして
今年度についてもクランフィールド大学と同様
に、 事故調査研究で知られている米国の南カリ
フォルニア大学へ安全委員の派遣が決定し、 昨
年11月4日に日本を出国しました。
南カリフォルニア大学は航空機事故の調査研
究機関としてスタートして50年を超えており、
毎年1,000人以上の受講者が訪れています。 私
は今回20あるコースのうち、 航空機事故調査
(Aircraft Accident Investigation (AAI)) プ
ログラムを土曜、 日曜日を除き2週間受講して
きました。 このコースは航空機事故調査方法論
の概念と、 実践的な事故調査テクニックの基礎
を取得することを目的としています。 講義は朝
8時から始まり、 1レッスン50分で午前中4レッ
スン、 1時間の昼食時間を挟んで午後は3レッ
スンの計7レッスンで構成され、 午後4時に1
日の授業が終了しました。 非常に密度の濃いス
ケジュールのため、 講義の準備に追われました
が、 米国の航空機事故調査に関心が次第に高まっ
ていきました。
講義の内容は大きく分けて以下の4つでした。
・航空機事故調査概論
・事故調査技術
・航空医学
・航空機システム
上記の他に、 具体的なケーススタディや実物
46
2007 MAR
祥暢
の残骸調査の講義を受けました。 講義の進行は、
主にパワーポイントを使用してのものでしたが
ビデオを見ることも多く、 また残骸の破片を使
用することもありました。
私は4人の講師から講義を受けましたが、 彼
らは米国の事故調査機関 (NTSB)、 空軍、 連
邦航空局 (FAA)、 NASA 等の現役もしくは
経歴を持っており、 講義の内容や携わった調査
の多さから、 事故調査のスペシャリストである
と感じました。 国際民間航空条約の付属書第13
章 (ICAO ANNEX 13) には、 事故調査の唯
一の目的は事故の再発防止であることが定義さ
れていますが、 彼らはこの原則に基づいて調査
を実施しています。 調査の進行は事実を集め分
析し、 適切な時期に各調査官が専門別に報告を
行い、 最終的な事故調査報告書を作成すると同
時に、 安全勧告を公表することで終了します。
実際に米国の事故調査機関 (NTSB) の調査活
動は発展しており、 調査官の任命から必要な施
設や装備、 調査費用、 事故現場の保存など一連
の事故調査に必要な準備は迅速に整えられ、 調
査官が事故現場に到着し、 直ちに調査を開始で
きる体制がとられています。
講義で取り上げられた事故調査は非常に多く
ありましたが、 その中から3つの例を紹介しま
す。
1. アメリカン航空587便 (2001年11月12日)
(エアバス A300-605R 型式機)
概
要
アメリカン航空587便 (AA587) は、 ニュー
ヨーク JFK 空港を離陸後まもなく近郊の住宅
American Airlines A 300
街に墜落炎上した。 この事故については、 その
発生の約2ヶ月前に米国同時多発テロが発生し
たこともあり、 当初テロの可能性が指摘されて
いたが、 実際の原因は AA587便の離陸に先立っ
て離陸した大型機のウェークタービュランス
(後方乱気流) に AA587便が遭遇し、 回避中に
制限荷重を超えるラダー操作により垂直尾翼が
脱落し、 操縦不能の状態で墜落した。
この事故の後、 日本においても当該型式機だ
けでなく、 その他の型式機についてもラダーの
使用についての情報が出されました。 その内容
は、 急激に一方向へラダーを踏み込むことによ
り機体構造が破壊されることはないが、 一旦踏
み込んだラダーを次に逆側に踏み込むことを繰
り返すと、 設計上の強度限界を超える可能性が
ある、 というものであった。
(NTSB のホームページの News & Event
をクリックすると Board Meetings が一番初め
に表示されます。 その中の General Information and Contacts の2004年10月26日付の報告
に、 詳細なアニメーションが3点提供されてい
ます。 (下記アドレス参照) 事故機についての
詳細なデータ解析から再発防止のためのガイダ
ンスが提供されています。
http://www.ntsb.gov/Events/2001/AA587/
board_mtg_anim.htm)
2. トランスワールド航空800便 (1996年7月17日)
(ボーイング B747-131型式機)
概
要
トランスワールド航空800便 (TWA800) は、
ニューヨーク JFK 空港を離陸し上昇を続けて
いたが、 機体中央部が突然爆発し、 空中で大き
く2つに分かれ、 ニューヨーク沖のロングアイ
ランドの海上に墜落した。 この事故について、
当初機体に仕掛けられた爆弾説があり FBI に
より逮捕者も出たが、 その後の NTSB の調査
により、 機体中央部の燃料タンク (センタータ
ンク) 下方の配線が磨耗 (劣化) しており、 何
2007 MAR
47
Nitrogen Generation System
らかの原因でその配線がショートし、 センター
タンク内の気化した燃料に引火し、 空中におい
て大爆発を起こした可能性が指摘されている。
配線を発火させた要因は、 燃料ポンプや燃料計、
客室の空調装置の不具合等が考えられているが、
未だに特定されてはいない。
この事故を受けて、 日本の航空会社でも B
747の点検が実施されたが、 使用している航空
機の配線は、 TWA800便が使用していた配線
とは異なる材質が使用されているため問題はな
く、 当該燃料タンク付近のシステムについても
点検が実施された。 そして運航中における配線
の負荷を減らす目的として、 センタータンクの
燃料ポンプの使用方法も変更された。 また、 メー
カーによる燃料タンクの設計概念も変更されて
おり、 最新の航空機には燃料タンクに窒素を注
入し、 酸素濃度を減らすシステム (Nitrogen
Generation System) が装備出来るようになっ
た。
48
2007 MAR
TWA800便の回収された飛行記録装置から作成され
たアニメーションが公開されています。
http://www.ntsb.gov/Events/twa800/gallery.htm
http://www.ntsb.gov/Events/twa800/default.htm
3. スイス航空111便 (1998年9月2日)
(マクドネルダグラス MD-11型式機)
概
要
スイス航空111便 (SR111) はニューヨーク
JFK 空港を離陸し、 高度33,000Ft で巡航して
いた。 離陸後1時間ほどして、 機長と副操縦士
は操縦室で異臭に気づいた。 異臭に気づいてか
らの時間と状況は以下の通りであった。
4分後:操縦室で煙の発生を確認したが、 客室
乗務員からの報告では、 客室では異臭や煙は
認められなかった。 機長は PAN-PAN (緊
急通報:緊急事態ではあるが、 航空機や搭乗
者が直ちに致命的な危険にさらされている状
態でない場合に使用する通報。) を宣言し
300NM 先のボストン空港へ目的地の変更を
管制機関に要求したが、 管制官の助言もあり、
70NM 先のローカル空港へ目的地を変更す
ると共に降下を要求した。 また機長と副操縦
士はこの交信のあと、 酸素マスクを着用した。
9分後:ローカル空港から30NM まで近づい
たが高度が21000ft あり、 高度処理のため更
に30NM 必要であることを副操縦士が管制
官に伝え、 レーダーベクターが始まった。
14分後:自動操縦装置の機能が低下し、 機長は
遭難通報 (MAYDAY) を行なった。
15分後:操縦に必要な主な計器 (PFD, ND)
の表示が消え、 VHF 無線電話、 トランスポ
ンダーも不作動となった。
21分後:海上に墜落。 (ローカル空港周辺に設
置された地震計により墜落時刻を確認した。)
この事故の調査は非常に難航することとなっ
た。 調査の障壁となったものは、 飛行記録装置
(FDR) や操縦室音声記録装置 (CVR) の記録
が墜落の6分前 (10,000ft 付近) から記録され
ていなかったこと、 墜落時の大きな衝撃により
機体が飛散し、 そのほとんどが海中に沈んでし
まったため、 引き上げが必要になったこと、 そ
して引き揚げた200万を超える残骸を元の航空
機の形に張り合わせ、 原因を特定しなければな
らなかったこと、 が挙げられる。 カナダ運輸安
全委員会 (TSB) は NTSB やメーカー等に協
力を求め、 事故から4年半が経過し、 最終的な
事故調査報告書が TSB により公表された。
事故はコックピット後方の天井に設置してあ
る機内エンタテイメントの配線が発火し、 付近
の配線や可燃性の他の部材に急激に燃え広がっ
たことが原因であった。 これらの配線の中には、
当該機の操縦に必要な飛行機の姿勢や速度を表
示する計器 (PFD) や、 現在地や針路等を表
示する計器 (ND) の電源や信号を送る配線も
含まれており、 火災により焼け切れたため、 そ
れらの計器は使用できない状態であった。 当該
機には予備のアナログ式の姿勢計 (Standby
Attitude Indicator) と速度計 (Standby Airspeed Indicator) が装備されていたが、 煙に
より操縦室内の視界は悪く、 これらの計器を見
て操縦するには携帯用のライトを用いなければ
ならず、 極めて操縦困難な状態であった。
最終報告書の中には、 当時の航空機製造段階
における部材の規格についての欠陥が報告され
ており、 その中でも配線の材質や発火の過程、
および進行について詳しく報告されている。 ま
た、 今回の配線によるショート (アーキング)
では、 CB がトリップしていなかったことが確
認されており、 設計の見直しや新たな消火シス
テムの開発が行なわれた。 この事故では、 異臭
を感じてから主な計器が使用できなくなるまで
僅か15分であり、 その6分後には墜落に至って
いる。 その間、 運航乗務員は機内火災のチェッ
クリストを実施していたが、 チェックリストを
終了するには30分近く時間が必要であった。 ま
た、 報告書の中には、 運航乗務員が火災の箇所
やその規模について全く知る由もなかったこと
が指摘されている。 墜落時の状況は、 予備の姿
勢計や速度計の解析から速度300KT、 ピッチ角
2007 MAR
49
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Swissair_111_
flight_profile.jpg (航跡図)
マイナス20度、 バンク角110度であり、 その時
の衝撃はおよそ350g と推定されている。 この
g により、 機体前方が水面に接触した次の瞬間
には後部が前部を押しつぶすような形となった。
このため、 この事故では航空機事故として初め
て DNA による遺体の鑑定が実施された。
http://www.tsb.gc.ca/en/reports/air/1998/
a98h0003/01report/index.asp (TSB)
上記3つの事故調査からも明らかなように、
米国の航空機事故調査のレベルは非常に高いと
考えられていますが、 その理由として米国の圧
倒的な航空の発展が挙げられます。 ICAO や大
手航空機メーカー等の統計によると、 世界の航
空機利用者数は年間20億人であり、 その40%が
米国であること (日本は7%)、 また世界の商
業飛行機数 (除ロシア) は2万機であり、 その
14%が米国籍 (日本は2%) となっています。
米国の航空が発展していく一方で、 事故の発生
件数も増え続けています。 事故が発生した際、
調査官はあらゆる視点から原因を追究し始めま
す。 専門別に分かれた調査官は、 事実認定の調
査報告書を一定の期間でまとめ、 全体として整
理していきます。 また関連機関やメーカーから
の協力を受ける環境も整っており、 多くのデー
タを入手できることが出来ます。 従って公表さ
れる最終報告書の完成度は高く、 そこから新た
な事故防止の対策を公表し、 全世界の航空会社
へ発信することが可能となっています。
私は今回受けた講義により、 大型機や小型機
50
2007 MAR
MD11 コックピット
(中央部が予備の速度計と姿勢計)
の事故調査例、 飛行機の構造部材、 航空医学、
そしてアビオニクスを中心とした新たなシステ
ムについて知ることができました。 また、 休憩
時間や昼休みには、 講師を含め仲間と講義の内
容やそれぞれの持っている情報の交換もできま
した。 例えば、 マイクロバースト (非常に強い
ウィンド・シアー) の講義では、 回避テクニッ
クとしてアングル・オブ・アタック (飛行機の
迎え角、 つまり Pitch 軸に相関する) を変える
ことが最も重要な操作であること、 そしてその
時の速度を守るために推力を最大とする必要が
あることを知りました。 また、 進入後の風の状
況判断は対地500ft で実施することを薦められ
ました。 航空医学の講義では、 高度50,000ft で
客室が完全に外部と同じ気圧となった場合、 酸
素マスクをつけても脳には酸素が供給されない
こと、 更に63,000ft 以上では血液が沸騰するこ
とを教わりました。 このような高度を飛行でき
る商業飛行機は引退したコンコルドですが、 30
年前に製造された航空機が繰り返し、 このよう
な高高度を飛行できたことには驚かされました。
その他、 仲間との話の中で米国では麻薬の検査
として、 飛行前に抜き打ちで尿検査が実施され
ていることも聞きました。
ここまでは事故調査について述べてきました
が、 米国では事故調査と同様に重要視されてい
るファミリー・アシストという制度が発展して
いることを講義で知りました。 この制度は事故
の遺族に対して、 ソーシャル・ワークを提供す
ることを目的としおり、 大手航空会社や国の機
関にファミリー・アシストを専門とする部署が
設置されています。 日本では、 医療機関におけ
るソーシャル・ワークがここ10年で発展してき
ていますが、 事故に対する専門的な組織は国や
企業に存在していません。 日本でも過去に航空
機や鉄道の事故が発生した際、 遺族のケアーに
関する問題がクローズアップされているため、
設置に向けた取り組みが今後必要であると感じ
ます。
最後に、 事故調査は以前にも述べましたが、
事故の再発防止のために行なっているため、 事
故調査から生まれた安全勧告は全ての運航者が
守るべきものである、 と最終日に講師の方が強
調されました。 そして安全勧告についての情報
はホームページから見ることができ、 その勧告
や事故調査について意見がある場合は、 いつで
も NTSB 等の調査機関に問い合わせることが
可能であることも知りました。
長かったようで短かった2週間のプログラム
を終えて帰国しましたが、 このプログラムの参
加に際し、 準備に携わって頂いた方に感謝しま
す。 そしてこのようなプログラムに多くの方が
参加できる環境を維持し、 今後の航空の安全に
寄与することを期待します。
WALTER J. SCHOB, JR. 講師と私
講義で紹介されたコンコルドの写真
講義で紹介された近い将来の PFD と ND の表示の例
2007 MAR
51
World Safety Report
読者の皆さんへ。
前回発行した CALLBACK で、 ASRS は新た
にエレクトロニック・リポート・サブミッショ
ン (ERS: Electronic Report Submission) と
ASRS のデータ・ベース・オンライン (ASRS
Database Online)、 2つのサービスを開始す
訳
佐藤
裕
るとお知らせしましたね。
どんなサービスか皆さんによく理解していた
だ く た め 、 ASRS は ウ ェ ブ ・ サ イ ト
http://asrs.arc.nasa.gov に、 これら2つの新
しいサービスについて詳しい説明を載せました。
ぜひ一度目を通してください:ASRS 編集部
エレクトロニック・リポート・
サブミッション (ERS)
まいましたが、 やっと ASRS を利用する皆さ
んは便利でしかも短時間のうちに、 しかもセキュ
リティの保たれた方法で、 インシデント・リポー
トを私たちのプログラムへ送付できるようにな
りました。
エレクトロニック・リポート・サブミッショ
ン (ERS) は、 コンピュターで ASRS のリポー
ティング・フォームに記入し、 そのままセキュ
リティの保たれているインターネット接続を使
用し、 リポート、 つまりあなたの報告書を送付
できるようにしました。
開発に至るまで、 かなりの時間を費やしてし
52
2007 MAR
それでは ERS の使用方法を説明しましょう:
使用しようとしている方は、 先ず ASRS のウェ
ブ・サイト (http://asrs.arc.nasa.gov) にア
クセスし、“Electronic Report Submission”を
クリックします。
これで4種類の ASRS リポーティング・フォー
ム (General Pilot, Air Traffic Control, Maintenance 及び Cabin) にリンクすることが出来ま
す。
リポートを ASRS に送ろうとする方は、 こ
れら4種類のフォームから自分に適したものを
選び、 必要な事項を記入し“Send Electronically”をクリックして送付するか、 あるいは
記入し終えたなら“Download and Print”を
クリックして自分の記入したフォームをプリン
ト・アウトし、 郵送することも可能です。
ASRS はこの ERS に関して、 プライバシー
の保護及びリポートを寄せてくれた方が誰なの
かわからないよう、 秘匿性を極限まで高めてい
ます。
このように便利になった ERS を使い、 より
多くの方々が ASRS へリポートを寄せてくれ
ることを期待しています。
現在、 ASRS には年間4万件ものリポートが
パイロット、 航空交通管制官、 キャビンクルー、
メカニックそして広く航空に携わっている方々
から寄せられています。
ERS を開始してからまだ2ヶ月ほどしか経
過していませんが、 それでも1,331件以上もの
航空の安全に関するインシデント・リポートが
この方式で私たちの手元に届けられています。
ASRS データベース・オンライン。
皆さんに利用していただくため、 私たちが開
始したもう1つの新しいサービスに ASRS の
データベース・オンラインがあります。
ASRS を利用される方々は、 この方式により
初めて自分の望むデータベースを検索し、 イン
シデント・リポートをダウンロードできるよう
になりましたし、 航空の安全に関する情報にす
ぐアクセスできるようになりました。
データベース・オンラインは、 ASRS のウェ
ブ・サイト http://asrs.arc.nasa.gov/search.
htm からアクセスできます。
なんといっても ASRS のデータベースは、
インシデントを体験した方々が自発的に報告し
てくれた、 しかもその方々が特定できないよう
にしてある、 安全に関する世界最大の宝庫、 と
言うことが出来るからです……勿論、 航空界の
第一線で働くパイロット、 管制官、 整備士、 フ
ライト・アテンダント、 ディスパッチャーこの
ほかの仕事に携わる方々からのリポートである
ことは、 いうまでもありません。
データベースには、 報告されてくれた方々か
ら聞き取り調査をした内容 (勿論ですが、 個人
を特定できないよう処置してあります) も含ま
れています。
この聞き取り調査を行った内容については、
航空会社のポリシーを作ったり、 ヒューマン・
ファクターに関する研究、 安全に関する教育、
そしてトレーニング及びその他の部門にもかな
り役立つ多くの情報が含まれている、 と確信し
ています。
データベース・オンラインを利用してみたい
方は、 ASRS のウェブサイトにアクセスし、
“Database Information”をクリックし、 次
に検索ページを開く“Database Information”
をクリック、 次に“Go Directly to the ASRS
Database Online”をクリックすれば検索ペー
ジが開きます。 初めてデータベースの検索をし
たいと思っている方々にもすぐ理解できるよう、
検索、 つまりこのサーチ・ページには利用方法
とか検索の仕方、 検索例、 データベースの分類、
ASRS の持つデータの概要等が示してあります。
ASRS データベース・オンライン用の“エン
ジン”は、 ASRS が開発したブロウザー・ベー
スのクロス・プラットフォーム“Web-Query”
になっています。
利用される方々は特定のフィールドを検索し、
自分の望むリポートを読むことができます。
2007 MAR
53
このように、 ASRS のデータベース・
オンラインは、 以前よりずっと容易に利
用者の望むテーマ、 興味を引かれる項目
等に見合うリポートを探し出すことを可
能にしました。
ASRS のデータベース・オンラインを
利用した感想をぜひ聞かせてください、
皆さんの感想を心待ちにしています。
将来、 現在の方式とは異なりますが、
より役立つフォーマットでデータをダウ
ンロードできるよう計画をしています。
インシデント・リポートのラウンドアップ。
新しい年が始まりました、 スペースの都合で
掲載できなかった多くのリポートの中から幾つ
かを、 新年のプレゼントとして皆さんに贈りま
す。
これらのリポートを読み、 航空界の情報も新
年を迎えるんだ、 と皆さんに感じていただけれ
ば幸いです。
夕食に誰が来たと思います?
夕食までには家に戻るから、 と妻に電話した
このヘリコプター・パイロットは“皆をハッピー
な気持ちにしなくちゃ!”と家の近くまで飛ん
でいこう、 と決めてしまいます。
これは、 私たちパイロットが良く使う“拙い
判断”という言葉そのもの、 となってしまいま
した:ASRS 編集部
・私は、 自宅の裏手にある、 私達居住者共有と
なっている広場に着陸しました。
着陸した広場はかなり広大で、 しかもそこに
は誰もいません、 まさにトレーニング・ハン
ドブック通りのアプローチを。
これまで何回か (同じ場所ではなく、 よく似
た所でしたが) このようにしていましたし、
特に問題も無かったんです。
でも、 これまでとは全く違ってしまいました。
たまたま通りかかった救急車の隊員は、 着陸
54
2007 MAR
した私に気付き、 なんとヘリコプターが墜落
した、 と警察に連絡してしまったんです。
こんな訳で、 いくらも時間が経っていないと
いうのに、 パトロール・カー、 消防車そして
テレビ局の取材クルーに取り囲まれてしまい
ました。
家族と一緒に夕食を、 と思っていただけなん
ですが……。
もちろん、 当局がこんな理由を認めるわけは
無く、 州法の幾つかに違反しているという理
由で私を拘束。
着陸する前、 十分注意した筈ですが、 連邦航
空規則 FAR91.13にも違反してしまったよう
です……。
連邦航空規則91.13は“他人の生命や財産に
時計をスタートさせて。
B757及び B767航空機に装備してあるキャプ
テン側の時計は、 フライト・マネイジメント・
システム (FMS) に GMT 時刻を入力してい
ます。
時計の右下にある調整ノブを“Hold”位置
にすると、 FMS への時刻の入力は切り離され
てしまいます。
そしてこの回転式になっているスイッチは、
キャプテン側フット・レストのすぐ上にありま
す。
では、 リポートを読んでください:ASRS 編
集部
・大西洋上空を飛行していました。 ニューヨー
ク (民営ですが) にポジション・リポートを
します。
ABCDE インターセクションを通過した後セ
ルコールがありその内容は、 減速し、
BCDEF インターセクションへの到着時刻を
遅らせるように、 と言うものでした。
可能な限り減速したんですが、 BCDEF の到
“ワン・トゥ・ゴー”
・あるフィックスを高度
11,000フィート、 速度
250ノットで通過しよ
うと降下していました。
まもなく着陸します、
との機内放送を行って
いた私は、 ファースト・
オフィサーが人差し指
危害を及ぼす恐れのある”不要かつ危険な飛行
を禁止しています。
自宅で夕食を、 と考えたこのパイロットの着
陸は“皆から非難をされてしまう”結果を迎え
ただけでした。
着予定時刻をチェックしようと FMS を見る
と、 なんと遅れるどころか予定よりも早く到
着する時刻を表示しているじゃありませんか!
ニューヨークを呼び出し、 私達の機体を担当
している管制担当者と何度となく、 到着予定
時刻について協議しました。
するとこの担当者は、 時計をチェックしてみ
たらどうでしょう?とヒントをくれたんです。
チェックすると、 なんと時計 (キャプテン側
です) のノブは“Time Hold”位置に!
もちろんすぐ正常な位置に戻しました、 する
と FMS も正常に機能し始めます。
離陸前、 確かに時計は正常かどうかチェック
したし、 飛行を開始し、 ある程度の位置まで
正常だったと思っています。
何で不調になってしまったのか、 たぶん飛行
中、 私はつま先でこの Run/Hold スイッチ
を蹴り、 Hold 位置にしてしまったんだ、 と
の結論に達しました。
何しろこのスイッチは、 私が足を乗せていた
計器盤の下にあるフットレストのすぐ前にあ
るんですから!
を挙げて合図をしてくれる様子に気付き、 後
1,000フィートですという意味ではなく、 フ
ラップを1にしてください、 という合図だと
勘違いしてしまったんです。
フラップ1制限速度以上で飛行しているにも
かかわらず、 私はろくに確認もせず、 フラッ
プ・ハンドルを UP 位置に固定するディテン
トから引き出したんです、 でもすぐ速度の多
すぎることに気付き、 また UP ディテントに
戻しました。
2007 MAR
55
ハンドルをフラップ1位置まで操作していな
かったこと、 私達2人ともフラップ・ニード
ルが作動しなかったことを確認しましたし、
ADI に赤いオーバースピードの警報も表示
されません。
私がフラップ・ハンドルを操作しようとして
いたとき、 変だなと気付いたファースト・オ
フィサーは不測の事態に備え、 すでにオート
パイロットを解除していました。
フラップを操作せず、 機体に余計な荷重も加
犬の大暴れ。
2匹の愛犬を乗せ、 このパイロットは PA-28
航空機で離陸を。
フライト・プランをファイルせずに飛行して
いましたが、 ある空港のアプローチと交信を開
始した途端…:ASRS 編集部
・突然、 私の2匹の犬達は、 機内でおかしくなっ
てしまいました。
どちらも大型犬です。
2匹とも私に跳びつき、 今までおとなしく座っ
ていたコーパイロット・シートを勝手に離れ
てしまい、 なんと1匹は片方の前足を操縦桿
にかけ、 しかもかなりの力を加えてしまった
ため、 機体は予期せぬ右旋回を。
おかげで機体は雲の中に入り込んでしまった
んです。
何とか機体を元の飛行姿勢に戻し、 犬達を落
ち着かせることもできました。
でも機体はあろうことか、 クラス B エアー
スペースに向かってしまいます……ATC か
ら空域への進入は許可できない、 AGL5,000
フィート以下まで降下し、 飛行すること、 と
56
2007 MAR
えなかったことから、 私達2人はログ・ブッ
クに記入する必要は無い、 との結論に。
たとえ何かの操作に気をとられていようとも、
2人のパイロットの間で正しく会話し、 意思
の疎通を図ること、 つまり会話のループを保
ち続けることの重要性を皆さんにも知ってお
いて貰いたいと思い、 このリポートを書きま
した。
の連絡が。
そして ATC は私に、 VFR で飛行できてい
るのか、 地表面を視認できているのかどうか
を確認してきます。
もちろん、 この連絡を受けたときはすでに雲
から出て飛行していましたし、 地表面も見え
ていました。
今回の飛行で得た教訓は、 たとえ愛犬といえ
どもシートベルトで座席に固定させておかな
くてはいけないな、 ということでしょうか。
私の犯した大きなミスです。 次に犯した大き
なミスは、 IFR クリアランスを貰うことな
く、 VFR で飛行しているというのに勝手に
雲の中、 つまり IMC の中に入ってしまった
こと、 といえます。
地球環境問題関連用語の解説 9
今回は、 旧ダグラス社が発行した1981年11月
の DC FLIGHT APPROACH という小冊子か
ら、 航空機開発の過程で、 エンジンを換装 (い
わゆる Re-engine) し、 大幅な騒音軽減を実現
した例を紹介します。
Fig. 1 DC-8 Series 60 Size Evolution
或る機種の機体サイズを大きくするというこ
とは、 通常、 胴体を伸ばして行われますが、 当
然最大離陸重量は増加し、 エンジンがそのまま
では、 騒音もそれに伴い大きくなります。 DC8の50シリーズの胴体長を伸ばした例が、 DC-8
の60シリーズです。 開発の過程で、 先ず、 DC8-50シリーズの主翼の両翼端を36インチずつ伸
ばし、 主翼の前後の胴体を、 240インチと200イ
ンチ伸ばした DC-8-61が出現し、 ついで主翼の
前後の胴体を40インチずつ伸ばしパイロンとナ
セルに工夫を加えた DC-8-62が出現しました。
このナセルとパイロンは Cut Back Pylon and
Long-Duct Nacelles と呼ばれています。 この
シリーズが出現し、 太平洋を無着陸横断が可能
となりました。 最後に DC-8-61と同じサイズで、
DC-8-62と同じパイロンとナセルを採用した、
DC-8-63となりました。 以上の過程を示すのが
右の Fig. 1です。
この P&W JT-3D エンジン付き DC-8-60シ
リーズに、 新しいエンジンを取り付けたのが
DC-8-70シリーズで、 今回紹介する大幅な騒音
軽減を実現した例です。
40. エンジン換装 (Re-engining
the DC-8 Series 60s⇒DC-8-70 Series)
航空機騒音規制が厳しくなる事を見越して、
DC-8-60シリーズのエンジンである JT-3D を、
フランス SNECMA 社の CFM 56に換装する、
Re-engine プログラムがスタートしました。
当時のダグラスを中心とした専門家が集り、
2007 MAR
57
CAMMACORP と言う会社を設立し、 エアラインと製造会社との話し合い、 エンジニアリング、
調達、 市場調査、 設計、 およびプログラム全体の調整等の監督を担当しました。
主要な役割分担として、 CFMI (Commercial Fan Motor International) がエンジンとリバー
サーを、 AiResearch が空調システムと APU を、 McDonnell Douglas, Tulsa が製作を、 Douglas
Aircraft Company, Long Beach がエンジニアリングと飛行試験を受け持ちました。
Project には、 2名のパイロット、 Philip (Phil) J. Battaglia と Harry E. Terrell Jr. がアサ
インされました。 1981年8月より1982年初めにかけて、 DC-8の製造番号398の DC-8-61が DC-8-71
に、 製造番号471の DC-8-62が DC-8-72に、 製造番号422の DC-8-63が DC-8-73として改修され、
DC-8-70 Series の追加型式証明テストが実施されました。
1978年4月に発効した FAR Part 36-8/9 StageⅢ騒音基準を、 余裕をもってクリアーしていま
す。 写真−1は、 Tulsa 空港から初飛行で離陸した DC-8-71 (Fuselage No. 398) です。
参考までに、 この CFM56エンジンの横断面図を Fig. 2に示します。
写真−1
58
2007 MAR
DC-8 Series 71 First Flight at Tulsa (Fuselage No. 398)
Fig. 2 CFM 56 Engine Cross-Section View
41. 航空機騒音地図 (Noise Footprint)
Fig. 3は、 JFK 空港の滑走路から離陸し、 着陸した DC-8-63と DC-8-73の、 離陸騒音、 側方騒音
と進入騒音の、 90EPNdB 以上の区域を示す航空機騒音地図と言われるものです。
Fig. 3 Noise Footprint Comparison
2007 MAR
59
DC-8-73では DC-8-63に比べ、 影響する区域が32,000エーカーから2,800エーカーへと90%以上減
り、 この Re-engine 効果が絶大であることがよく判ります。 (CFM 56の6:1という High Bypass Ratio が、 その騒音削減効果の最大の要因であると言われております。)
参考資料1. Noise Certification Requirements 4 Engine Jet Transport Aircraft の例
(StageⅢ Requirements for New Aircraft)
Fig. 4 は、 FAR Part36/ICAO ANNEX 16の Noise Certification Requirements のグラフ上に、
Re-engine した DC-8-71/-73のデータをプロットしたものです。 離陸、 側方、 進入の各騒音測定点
については、 前号の地球環境問題関連用語解説 (8) を参照してください。
Fig. 4 Noise Certification Requirements and DC-8-71/73 Noise Level
参考資料2 (Takeoff Field Length Comparison)
Fig. 4a は、 DC-8-63と DC-8-73の Hot Day Condition での、 およびFig. 4b は、 DC-8-61/-62/-63
と DC-8-71/-72/-73の最大離陸重量の場合の、 海面上標準大気条件での Takeoff Field Length の
比較です。 同じ離陸重量で7∼10% Takeoff Field Length が短くなっています。
Fig. 4a DC-8-63と DC-8-73の Hot Day Condition での、 Takeoff Field Length の比較
60
2007 MAR
Fig. 4b DC-8-61/-62/-63と DC-8-71/-72/-73の最大離陸重量での海面上標準大気の条件での、
Takeoff Field Length の比較
以上の例で、 新しいエンジンの採用が地球環境の観点から効果的である事がよく判ります。 この
他にも、 機体重量を軽減できる複合材が、 結果的に CO2の削減のみならず、 騒音にも有効である
ことが判っています。 今後の新型機は、 Energy Efficient Engine の採用と、 機体重量の軽減にむ
けた新素材の採用の方向に進むでしょう。
Phil Battaglia
Harry Terrell, Jr.
Born in 1935, New Jersey. BS, Aeronautical
Engineering, MIT. Aeronautical Engineer,
Glenn L. Martin Co. USAF pilot-7-1/2 years
Active duty. (F-86, B-47) oined DAC in 1965.
Holds FAA ATPL; Type rated for DC-8, DC10 and MD-11.
第8回掲載用語
34. 航空機騒音の測定点の図
35. チャプター3騒音基準値
36. 離陸騒音
37. 側方騒音
Born in 1923, CA. USAF TPS, 12 years active
duty (WW Ⅱ B-25s), Boeing Aircraft Company 707 pilot, JAL DC-8 captain 10 years,
DAC pilot 13-1/2 years. Holds FAA
ATPL. Type rated for DC-8 and DC-10
38. 進入騒音
39. チャプター3/4の3測定点騒音の累積グ
ラフ
2007 MAR
61
連
載
航
空
●
曼
史
●
陀
その16. 新聞社と航空活動
羅
航空史と新聞社との縁は深い、 というより黎
明期の航空史は、 新聞社によって塗り替えられ
ていった。 時間との戦いである報道活動に飛行
機は必須であるが、 かつて大衆は新聞という強
力なメディアによって欧米の航空情報を知り、
飛行機に対する関心をたかめ、 啓蒙されていっ
た。 ここでは紙数の都合で抽象的にならざるを
えないが、 主に戦前に活躍した朝日、 毎日、 読
売新聞三社を中心に絞って、 航空活動を振り返っ
てみたい。
日本最初の航空官庁である臨時軍用気球研究
会設立の契機をつくったのは、 新聞報道であっ
た。 明治40年末、 海軍大学を卒業したばかりの
山本英輔少佐 (のち大将、 海軍初代航空本部長)
は、 軍令部参謀として勤務していた。 そして毎
よろずちょうほう
朝の三宅坂への出勤途上、 赤紙の 万 朝 報を買っ
て読んでいたが、 ほとんど毎日のように目にす
る欧米の航空記事を、 丁寧にスクラップ・ブッ
クにまとめ、 航空機が将来の戦力になることを
確信して、 分厚い意見書を上申したのが発端で
ある。
朝日と毎日は、 伝統的にライバル関係にある
が、 航空黎明期では朝日が先行した。 朝日は明
治43年末の日本初飛行以前から、 連日のように
航空記事を掲げて国民の関心をたかめていた。
戦後、 全日空社長に就いた美土路昌一も、 かつ
ては朝日新聞の航空記者で、 美土路春泥という
ペン・ネームで記事を書いている。
朝日の最初の大仕事は、 早くも明治44年3月、
米国のボールドウィン曲技飛行団を招待したこ
とである。 マースやシュライバーといった命知
62
2007 MAR
徳田
忠成
らずが来日し、 大阪城東練兵場での公開飛行に
は、 40万人の大観衆がつめかけた。 彼らは、 兵
庫県の鳴尾競馬場、 東京、 京都、 神戸と有料公
開飛行をおこなったが、 どこでも盛況に終始し
た。 さらに翌年には米国からアットウオータを
招待、 水上機による飛行を公開した。 勿論、 日
本での初飛行である。 最初は阪神西宮海岸で飛
行したが、 海岸では見えないというわけで、 近
くの海は、 船を雇った民衆で埋まり、 まるで堤
防のようだったという。
朝日新聞社は、 大正11年に事業部航空課を新
設した翌年1月、 東西定期航空会を設立した。
この定期航空会社は、 井上長一 (戦後、 全日空
顧問) が大阪の堺大浜海岸に日本航空輸送研究
所を設立したのに次ぐものである。 箱根や鈴鹿
越えの難所、 それに天候に左右されて、 定期と
はほど遠い運航であった。 常に大赤字だったが、
ようやく軌道にのったころ、 昭和3年10月に誕
生した国策の日本航空輸送 (株) に吸収された。
使用機材は、 中島式5型、 白戸式25型 (次頁
写真1)、 伊藤式やサルムソン式等約10機と大
がかりなもので、 東京の洲崎埋立地 (後、 立川
基地) から三島経由で大阪城東練兵場までの航
路を週2、 3往復した。
朝日の最大のライバル、 毎日が動きだしたの
は大正13年である。 新春早々に大阪毎日新聞社
航空課を新設、 初代課長・福知新次は、 米陸軍
のマーチン少佐らによるダグラス・ワールドク
ルーザー4機による世界一周飛行成功の情報に
触発された。
早速、 川西航空機から川西式7型水上機 (マ
写真2
写真1
中島式5型練習機 (生産型)
白戸式25型球麿号
イバッハ260馬力) を買い入れ、 熱烈な航空ファ
やましなのみや
ンだった山階宮 武彦親王殿下によって 「春風」
号 (写真2) と命名、 大阪毎日新聞百万部突破
祝賀飛行や、 皇太子だった昭和天皇のご成婚フィ
ルムの空輸などで、 航空活動を開始した。 7月
には、 当代の民間パイロット第一人者、 後藤勇
吉操縦による日本一周飛行を後援して成功させ
ている。
一歩も二歩も先んじていた朝日新聞社は、 大
正14年夏、 安部浩、 河内一彦によるフランスの
ブレゲー19A 型の 「初風」 号および 「東風」
号 (写真3) による、 シベリア大陸横断の訪欧
親善飛行を成功させた。 これは新聞社の企画と
いうよりも、 国家的事業として称賛された。 そ
の翌年、 航空課が部に昇格、 村山長挙部長 (の
ち社長) が就任、 東西定期航空会への協力とと
もに、 新聞や原稿の空輸、 航空思想普及に拍車
がかかった。
この頃になって、 朝日と毎日の報道合戦が繰
り広げられた。 大正天皇崩御にあたって毎日は、
葉山のご用邸を中心に、 神奈川県酒匂川原に臨
時発着場を設け、 東京基地である所沢と連絡を
とりながら、 大正15年12月13日から写真、 映画
川西 K-6水上輸送機 「春風号」
写真3 ブレゲー19A2長距離連絡機 「初風」 「東風」 号
写真4
「日本青年」 号をバックに、
栗村正操縦士 (右) と熊川教官
の空中輸送をおこなった。 とくに25日の崩御の
日には、 日本飛行機 (株) に依頼して岡山、 広
島まで急送され、 新聞空輸の新記録として話題
を呼んだ程である。
昭和に入って報道合戦は加速した。 昭和5年
4月には、 朝日新聞後援で日本学生航空連盟が
設立、 法政大学生の栗村盛幸・正操縦士と熊川
良太郎教官 (陸委2期生) による、 翌年5月末
からの 「青年日本」 号 (写真4) による訪欧飛
行を成功させた。
翌年9月に勃発した満州事変、 それに次ぐ日
2007 MAR
63
華事変では、 本格的な報道合戦が繰りひろげら
れた。 朝日では東京と大陸間に飛行機12機を配
し、 リレー空輸によって、 特派員の派遣、 空中
撮影、 ニュース映画フィルムなどの輸送をおこ
なった。 この頃になると、 朝日新聞社の社有機
は20機にもなり、 パイロットも20数人をかかえ
ていた。
昭和7年7月から開催された、 第10回ロスア
ンゼルス・オリンピックの報道合戦は、 熾烈を
きわめた。 国際通信は開局されていたが、 まだ
ファクシミリや空輸もできなかった時代だった
から、 如何にしてオリンピックの写真や映画フィ
そじょう
ルムを、 一秒でも早く輸送するかが俎上にのぼっ
た。
朝日も毎日も秘密裡にその方法を検討してい
たが、 期せずして同じことを考えた。 ロスアン
ゼルスからの船舶は、 約2週間で日本に到着し
たから、 入港直前の房総半島野島岬沖合で、 船
で持ち帰ったフィルムや写真の梱包を海上に投
下、 それを小舟で拾い、 新聞社機で吊り上げて、
号外として発行したという。 しかも、 その後の
オリンピック・ニュース情報が、 この方法で2
回目、 3回目となるにおよんで、 飛行機の洋上
進出距離が長くなり、 安全上、 問題になって自
粛したほどである。
昭和7年5月になって、 ようやく読売新聞社
航空部が誕生した。 陸軍からサルムソン2A2型
を譲り受けて、 「よみうり1号」 と命名して使
用したのが最初である。 機体は違うが、 一連番
号で17号機まであった。 昭和9年に購入した3
号機は、 米国の高翼単葉単発のスチンソン SR5E 「リライアント」 (星形9気筒225馬力エン
ジン) (写真5) である。 この機体の空輸のた
め、 アメリカに派遣された航空部次長・熊川良
太郎操縦士 (陸委2期) が、 デトロイトのスチ
ンソン社から、 ロッキー山脈越えでロスアンゼ
ルスまでの4,000km におよぶ大陸横断飛行に
成功して、 話題をまいた。
8月に横浜港に陸揚げされた同機は、 9月12
日から10日間にわたって、 航空文学をアピール
するため、 熊川操縦士によって東日本一周をお
64
2007 MAR
写真5
スチンソン SR-5E リライアント輸送機
(よみうり第3号)
こなっている。 東京−青森−札幌−能代−戸山−
上田−東京の2,200km を飛行し、 大佛次郎、
西条八十、 林芙美子、 桜井忠温ら当代の有名文
士をリレー式に同乗させて、 航空思想普及に大
いに貢献した。
読売は昭和7年11月6日、 北海道での日蝕観
測の写真原稿を東京へ輸送するため、 女満別飛
行場を夕方に離陸、 夜間飛行中、 宮城県と山形
県境の花山山腹に激突して機体を大破、 中村正
操縦士と佐々木春美機関士が重傷を負った。 こ
の事故は 「日蝕は血に染む」 の題名で映画化さ
れ、 新聞報道飛行の辛苦を国民に知らしめた。
昭和11年8月に開催された第11回ベルリン・
オリンピック大会の報道合戦も、 各社しのぎを
削った。 読売新聞社はオリンピックに合わせて、
ドイツから購入したメッサーシュミット Bf108
型機 「タイフーン」 225馬力を 「よみうり6号」
機として、 オリンピック情報を3日間で空輸す
る計画をたてたが、 ソ連領内の飛行許可がおり
ず、 果たさなかった。
朝日新聞社の特筆すべき企画といえば、 なん
といっても昭和12年4月の亜欧連絡往復飛行の
成功であろう。 いうまでもなく飯沼正明操縦士、
塚越賢爾機関士による 「神風」 号による飛行の
完成である。 これは新聞社後援というより、 国
民的行事して世界に日本の航空技術のレベルを
誇ると同時に、 青少年に計り知れない空への夢
を育み、 パイロットを希望する若者が急増した
ほどである。
毎日新聞社としては、 昭和10年5月に設立さ
れた日本帆走飛行連盟と、 昭和14年のニッポン
号による世界一周飛行の成功があげられる。
毎日新聞社による日本帆走飛行連盟結成記念
大会は、 大阪楯津飛行場で挙行されたが、 時期
をえて、 たちまち年末には28団体が参加する盛
況ぶりだった。 この年10月には、 グライダーの
神様といわれたドイツのウオルト・ヒルトを陸
軍とともに招待し、 日本のパイオニアたちが滑
翔術の伝授を受け、 さらに連盟は活気づいていっ
た。 そして満州や朝鮮、 台湾へと、 たちまち普
及していったが、 戦雲の広がりとともに、 グラ
イダーは心身の鍛練、 操縦適性の判別の手段と
された。
大阪毎日新聞社航空部長の大原武夫は、 国威
発揚のための国産機による世界一周飛行企画を、
和田副部長とともに、 社運をかけて極秘裡に進
めていった。 海軍は全面的にこれを支援、 当時
の軍令部次長・山本五十六中将や教育部長・大
西瀧治郎少将は、 この実現に力を注いだ。 海軍
から借りうけた三菱96式双発輸送機を大幅に改
造、 航法装置として偏流測定器、 天測装置、 方
向探知器などが搭載され、 翼内には大容量の燃
料タンクを増設した。
「ニッポン」 号と命名されて国民に公表され
たのが昭和14年7月、 団長の大原武夫を親善使
すみ とし
節とし、 乗員は中尾純利機長 (陸委1期)、 吉
田重雄操縦士 (日本軽飛行機倶楽部)、 下川一
機関士ら7名が選ばれた。
朝野のお歴々や10数万の大観衆が見送るなか、
8月26日に羽田飛行場を出発した。 飛行ルート
は、 北太平洋上を飛行してアラスカ、 ロスアン
ゼルスから米大陸を横断してニューヨーク、 南
下して南アメリカからアフリカのダカールに入
り、 そこから南回りでイラク、 インド、 タイと
飛行を重ねて、 無事、 羽田に到着した。 56日間、
飛行距離52,860km、 総飛行時間194時間だった。
この大飛行の間、 大阪毎日の事務所で待機して
いた和田副部長は、 もしニッポン号が墜落する
ようなことがあれば、 その責任をとって自決す
べく、 常に引出しにピストルをしのばせていた
という。
後発の読売新聞社には、 歴史的な大飛行はな
いが、 昭和14年11月に玉川河川敷に読売飛行場
を建設、 日本グライダー倶楽部を創設して、 初
級から上級グライダー13機を揃えて、 青少年の
グライダー訓練をおこなっている。 この時、 同
じ場所に 「読売落下傘塔」 を建設して一般に公
開、 落下傘降下訓練に大いに役立った。 戦後、
この塔は神奈川県江ノ島に移され、 平和塔と呼
ばれる展望台として親しまれている。
戦前に活躍した新聞社は、 主に上記の三社で
あるが、 これ以外に (社) 同盟通信社が、 昭和
13年に航空部を設けている。 これは国策的な目
的で設立されたもので、 乗員はすべて嘱託とし
て遇された。 使用機材は、 三菱雁2型2機、 中
島19型双発長距離通信機1機で、 仕事内容は主
に戦地の情報や原稿の空輸を目的にした。
敗戦とともに翼を失った各新聞社航空部も、
昭和26年からの GHQ (連合軍司令部) による
航空再開の認可とともに動きだした。 朝日、 毎
日、 読売にくわえ、 中部日本新聞社、 産業経済
新聞 (のち、 サンケイ新聞) 社などが、 昭和27
年春、 ほぼ同時に航空部を設立した。 新聞社航
空部の任務は、 航空禁止令時代のハイテク機材
の開発や、 コミュニケーション手段の開発等に
よって、 おのずと変化していった。
超短波無線機による空地協同の立体的取材、
テレビやラジオ、 官公庁や学術研究機関への協
力飛行、 災害や遭難の救助と、 かつてのスリル
はないが、 多角的で地道な仕事へと変貌した。
ヘリコプターの導入は、 単に報道取材のみなら
ず、 ニュースやテレビのドキュメンタリー番組
とタイアップし、 現場の取材が放送局を通じて、
即、 茶の間に流れることを可能にした。 さらに
防振装置の開発は、 画像を一層鮮明に映しだし
た。
セスナやパイパー・クラスの小型機やベル社
のヘリコプターを購入した各社は、 時代の繁栄
とともに組織も、 順調に拡大した。 皮肉なこと
に、 航空部再開直後の最初の空中取材は、 昭和
27年4月9日の日航木星号の三原山遭難事故
(写真6) である。 毎日新聞社航空部は、 セス
ナ195型から撮った戦後初の空中からの遭難写
真を掲載した。 読売も 「よみうり101号」 と命
2007 MAR
65
写真6
三原山の遭難写真
写真8
写真7
セスナ180型
名したセスナ195型で空中取材をおこなってい
る。
国際地球観測年での南極観測に、 最初から機
動、 航空、 通信、 設営とかかわった朝日新聞社
の貢献度は、 高く評価されなければならない。
昭和31年11月に晴海埠頭から出港した第一次南
極観測隊を乗せた 「しらせ」 に、 セスナ式180
型 (写真7) とベル式47G 型ヘリ (写真8)
の2機が参加し、 南極の空に日本の民間機が初
めて舞い、 気象観測や航空測量に大いに貢献し
ている。 これは第3次までで、 4次以降は海上
保安庁が担当し、 のちに海上自衛隊へと引き継
がれた。
27年6月には、 戦争によって中断していた
(財) 日本学生航空連盟も朝日によって再設立
された。
毎日新聞社も、 ソ連や中国からの引揚船・興
安丸を、 洋上200マイルで空中取材したり、 核
実験の放射能塵の蒐集、 測定、 人工衛星の空中
観測等々を果敢に実行している。 昭和37年の伊
66
2007 MAR
ベル式47G 型ヘリコプター
勢湾台風では、 ヘリコプターを使用、 人命救助
や食糧空輸に貢献した。 戦争によって中断して
いた日本帆走飛行連盟は、 日本グライダー連盟
と名を変えて、 昭和27年10月に誕生している。
読売新聞社については、 戦後の航空再開と同
時に、 いちはやく玉川読売飛行場を再開して、
郊外の地の利を生かして、 迅速に報道活動をお
こなった。 中部日本新聞社航空部は、 昭和28年
12月、 奄美大島の日本復帰にさいし、 祝賀をか
ねた取材飛行で、 悪天候をついて初乗りこみを
敢行して話題をまいた。
現在、 朝日が小型ジェット機2機と双発ヘリ
5機、 毎日と読売が共に、 小型ジェット機2機
と双発ヘリ4機を所有して、 取材飛行に活躍し
ている。
以下は、 羽田にある朝日新聞社航空センター
ももきたえつ じ
運航課々長の百北悦司機長 (写真9) にご協力
をいただき、 現在
の新聞社パイロッ
トの日常を纏めた
ものである。
現在の新聞社パ
イロットが他の職
業パイロットと大
きく違う点は、 パ
イロット全員が社
有機であるジェッ
ト機やレシプロ
写真9 百北悦司機長
機、 それにヘリ
と、 全機種の型式証明と計器飛行証明の資格を
い つ
有し、 何時、 どの機体で、 何処へ飛んでいくか
分からないことだ。 従って、 常時、 複数で交代
勤務をしている。 機体はその特殊な目的のため、
与圧構造にかかわらず窓の開閉ができたり、 与
圧に耐えられる強化ガラスが装備されていて、
飛行中に機内からの撮影が可能になっている。
仕事内容は主に写真取材が中心で、 取材内容
や現場までの距離、 原稿の締め切り時間、 天候、
日出没の時間、 現場の地理的環境 (ADIZ、
FIR 等も含む)、 騒音問題、 最近ではテロの警
戒等を考慮して、 使用する機体を選択して取材
に出発する。 国内のヘリによる取材がもっとも
多いが、 公海上へ出ていき、 海外や国際問題に
発展する可能性のある地域での取材もおこなわ
れる。
例えば羽田でスタンバイしているとき、 昼過
ぎに北海道東部で地震発生し、 現場空撮取材と
現地へ記者を空輸する要請が入ったとする。 担
当パイロットは即座に状況判断を迫られる。 夕
刊には間に合わない、 薄暮を過ぎると取材不可
能である、 現場の天候、 現場の地形、 さらに選
択機種は、 小回りのきくヘリだと6時間はかか
るが、 ジェット機は1時間余で現場に到着する。
機種決定後は W&B の製作、 Flight Plan の提
出、 社内関係セクションへの飛行通知書の作成
等々、 即座に的確に処理しなければならない。
ようやく離陸、 一息入れることができるが、
つかの間でしかない。 現場の天候の正確な把握
と VFR への切り替えのタイミング、 現場上空
で撮った写真送稿のため、 できるだけ近くの空
港に着陸するが、 その空港の運用時間と連絡、
スポットの確保等々、 事件が大きいほど関係者
の輸送量も増えて、 次から次へ飛行要請が舞い
込んでくるのだ。
新聞社パイロットたち強者は、 エアライン・
パイロットとは全く違う厳しい環境の中で、 日
夜、 新聞報道の重要な任務をこなしているので
ある。
お詫びと訂正:前号に掲載されました 「航空機乗員養成所物語」 については、 (財) 日本航空協会の
WEB 版 「航空と文化」 にシリーズとして掲載されていますが、 その検索サイトが間違っていました。
正しくは、 http://www.aero.or.jp/で、 右上隅の 「航空と文化」 のアイコンをクリックすると表示さ
れます。
2007 MAR
67
Airmanship
エアマンシップ
Professionalism in Flight Testing
―飛行試験におけるプロ意識―
Dan Gurney (AF) RAF retired
ダン・ガーニイ (SETP 準フェローメンバー) 英国空軍退役
このエアマンシップに関する記事は、 訳者の
所属する SETP (The Society of Experimental Test Pilots:実験テストパイロット協会)
発 刊 の 2003 年 版 SETP Handbook Pilot's
Handbook for Critical and Exploratory
Flight Testingの中の記事を、 SETP および
執筆者本人の許可 (末尾に掲載) を得て意訳し
掲載するものです。 飛行試験に従事するテスト
パイロットや技術者を対象にしたものですが、
その他のパイロットにとっても、 示唆に富んだ
内容がありますので参考にしていただければ幸
いです。
(翻訳:JAPA FT 委員会特別委員 岩瀬健祐)
…………………………………………………
はじめに
良いエアマンシップとは、 優秀なエアマン/
エアウーマンを、 平均的なエアマン/エアウー
マンと区別する為の表現で、 実は定義しにくい
ものである。
Airmanship? Airwomanship?
飛鳥時代に CRM
やってましたよ!
賢者は歴史に学び、 愚者は体験して学ぶ。 FLY SAFE !
68
2007 MAR
それは、 技倆や技術の物差しではなく、 どち
らかと言えば、 優れた感性で自己研鑚し身につ
けた思慮分別を兼ね備えた、 航空機やその飛行
環境を認識できる能力の物差しである。
多くのパイロットが、 それぞれ独自のエアマ
ンシップの定義を持っているだろう。 また、 異
なった考えに基づいた定義を持っている者もい
る。
エアマンシップは、 教える事ができるとか、
培われるものだとの議論もある。 しかし、 その
定義のいかんに拘わらず、 どのような飛行に対
しても言えるように、 あらゆる飛行試験におい
ても、 エアマンシップは、 飛行試験チームの全
てのメンバーにとって、 生まれつきのものであ
ると同時に、 必要な個人の能力なのである。
生まれつきで、 必要な個人の能力
“エアマンシップとは、 飛行の目的を果たす
ための優れた判断力と、 十分に身につけた技倆
を、 首尾一貫上手に活用する事である。 この一
貫性は、 妥協を許さない飛行の規律のもとで培
われ、 体系的な技倆の修得と演練により身につ
くものである。 高度な状況認識能力により、 そ
の人のエアマンシップ像は出来上がるものであ
り、 そのような能力は、 自分自身、 航空機、 環
境、 チーム、 および危険についての知識により
獲得できる。”
―Tony Kern―
エアマンシップとは、 ある種の心のあり方で
あり、 継続的に自己向上を図り、 常に最善の仕
事をしたいという欲望を持つ、 個人の心的状態
をいう。 それは、 個人の行動と態度によって見
分けがつくものである。
エアマンシップは、 ある種の技倆 (スキル)
である。 従って、 教えることもできるし、 時間
と経験によって向上させることもできる。 エア
マンシップは、 知識に負うところが多く、 飛行
への適切な態度 (心構え・取り組み姿勢) を必
要とするものである。
エアマンシップは、 知識、 技倆、 そして態度
を基に成り立っている。
自分自身、 航空機、 チーム、 環境、 そして飛
行試験に伴う危険の可能性等の知識は、 状況認
識の極めて重要な構成要素であり、 言い換えれ
ば、 良い判断の根拠でもある。
飛行試験の技倆は、 通常の飛行の技倆より遥
かに多くのものを要求される。 後述のように、
資源を如何に有効活用するか、 如何に意思疎通
を図るか、 チームとして如何に仕事をするか、
どのように考えるか等のスキルも含む。
ほとんどの職業にみられるように、 その職業
での成功への鍵は、 それに従事する個々人の心
構えにある。 個々人の取り組み姿勢、 その職業
に対する誇り (敬意)、 自己向上への意欲およ
び規律は、 立派なエアマンシップに必要とされ
る重要な構成要素である。
試験飛行における多くの局面での、 それぞれ
への対応の中に、 通常の航空機運航とは明らか
に異なる、 飛行試験チームにおけるエアマンシッ
プの基礎的要素を見ることができる。
通常およびストレスのかかる状況下で、 彼らや
あなた自身が、 そのチームの一員としてどのよ
うに行動できるかを理解することは重要である。
チームは、 飛行機、 飛行の内容、 システム、 操
作手順、 運用限界等について共通の理解を持た
なければならない。
不十分なシステムの知識で
6,000lbs の燃料を投棄
環境に対する理解は、 天気予報だけでなくそ
れ以上のことを含んでいる。 場合によっては、
試験に対し重大な影響を与えるかもしれない、
組織上の、 あるいは経済的・政治的な環境もあ
る。 環境をうまくマネージするためには、 これ
ら環境のあらゆる局面を理解する必要がある。
技術的知識の度合いは、 航空機または試験の
複雑さにより異なる。 空気力学や操縦系統の継
続的な進歩によって、 最新の航空機を飛ばすこ
とは容易になっているけれども、 一般的には、
全てを使いこなすことはより難しくなっている。
つまり、 運用上の問題点にもっと焦点を当てる
必要がある。 これら全ての分野について途切れ
の無い継続的な学習が必要であり、 知識が多す
ぎて困るということはないのである。
技倆 (スキル・技能)
知
識
飛行試験では、 多くの分野の相当に深い知識
と理解を必要とする。 飛行機そのもの、 試験の
特質、 そして試験の危険性に関する知識が必要
なことは自明の理である。 しかしながら、 それ
らに加えて、 チームの構成員である上司や部下
の能力を知るということも必要である。 特に、
飛行試験のクルーは、 飛行と航法の技倆につ
いては、 基本的な欠くことのできない能力を全
て持っているはずであると、 しばしば言われて
いる。 しかし、 これらの仮定が本当なのか常に
検証されるべきことなのである。
基礎的な操縦技術、 緊急事態への対応の諸々、
さらに緊急脱出後生き残る能力等は、 当然通常
2007 MAR
69
レベルに熟達していることを要求されている。
さらに、 システムの運用に焦点を当てる必要か
ら、 従来の基本的操縦技術に加え、 当然のこと
ながら知識に基づいた航空機の運用という、 総
合的な能力で航空機を評価しなければならない。
その結果初めて、 安全な新しいシステム運用技
術が確立されることになるであろう。
試験チームは、 今までに他の人々が何をやっ
てきたかという歴史を学ばなければならない。
つまり、 彼らのスキルを確認し、 それらがど
のように発揮されたのか、 その結果はどうであっ
たか、 ということである。
自分たちのスキルに対し、 他人から、 時には
仲間内からも疑問を持たれたり、 非難された時
に感じる心の痛みほど、 人間として厳しいもの
は無いと自覚しなければならない。
マネージメント・スキル (管理能力) には、
飛行中、 リソース (資源) を有効活用すること、
例えば、 オートメーションを使うべき時か、 空
域を最適に利用するにはどうするか等も含む。
意思疎通のスキルは、 クルーメンバーとテス
トチームとの共同作業にとって必要欠くべから
ざるものである。 例えば、 決められた専門用語
を使用すること、 明瞭で簡潔な報告をすること、
同じく聞き方も練習すること、 また、 情報がど
のように伝達されるか、 抑揚、 緊急性、 用語の
意味、 メッセ―ジの内容等を理解できなければ
ならない。
認識するスキル、 あるいは思考のスキルは、
飛行の技倆と同じように、 通用するもの (誰か
らも認められるレベル) でなければならない。
実フライトまたは模擬したフライトのプレッシャー
のもとで、 これらを反復練習すること。
高いストレス、 時間のプレッシャー、 あるい
は高い作業負荷の状態のもとで、 常に状況認識
能力を維持し、 問題を解決する準備をしている
ことが必要なのである。
70
2007 MAR
正しい認識力を
これらの誰からも認められる熟練のスキルを
保持していれば、 飛行試験の負担を和らげてく
れるであろう。
認識することと問題解決することの基本は、
両方とも教えることもできるし、 持続的に進歩
させることもできる。 常にこれらのスキルを自
己評価し、 自己研鑽すべきである。
良い判断は、 良いエアマンシップの結果であ
る。 しかし、 良い判断のためには、 状況につい
ての知識を必要とする。 従って、 状況認識能力
は、 エアマンシップの極めて重要な構成要素で
ある。
飛行前の計画は、 あらゆる試験活動にとって
重要である。 飛行中の計画変更も同様である。
あなたの頭脳で予想も出来なかったような飛行
状況に、 機を陥らせることがあってはならない。
(要は think ahead !)
“パイロットの判断というのは、 自分自身、
航空機、 飛行環境についての、 全ての利用可
能な情報を認識し分析する過程である。 その
過程で、 代替案に対し合理的な評価を繰り返
し、 最大限の安全を確保するため、 次から次
へとタイミングのよい決心をする必要がある。
従って、 パイロットの判断は、 危険に取り組
む心構えと、 自分の知識、 スキル、 経験に基
づいて決断をし、 危険の度合いを評価する能
力を含んでいる。 判断や決心に際しては、 常
に問題点や選択、 未知の要素、 そして通常時
間の制約とストレスを伴うものである。”
FAA― 「判断とストレス」 より
態
度
テストチームのメンバー全員が、 人間の内面
に潜む、 5つの典型的な危険な態度を理解しな
ければならない。 すなわち、 ①権力反抗型、 ②
衝動型 (自己恐迫型)、 ③無用心型 (希望依存
型)、 ④猪突猛進型 (能力誇示型)、 ⑤あきらめ
型 (無力型、 運命論者型) の態度である。
一方で、 このような危険な態度に陥らないた
めの、 対処方法 (積極的で安全な態度) を知る
ことも重要である。 そのような防衛的手段は、
しばしばチーム活動、 あるいは相棒的かかわり
を必要とするものである。
①反抗的あるいは“俺に指図するな!”という
態度は、 知識の欠如または偏り、 あるいは準備
の悪さに起因して発生する。
積極的で安全な態度は、 「通常は正しいはず
のルールに従う」 ことを思い出すことである。
重要なやり方は、 状況がある条件に当てはま
る前に、 つまり危険な態度が表面化する前に、
ルールと手順に従うという道をとることである。
もし定められたルールや手順を超えた状態に
まで陥った場合には、 他の危険な態度に対する
矯正方法が役に立つかも知れない。
たとえば、 「慌てるな、 先ずよく考えろ」 「自
分にも起こるかもしれない」 「運を天に任せる
のは馬鹿げている」 「私で助けになるかも」 「別
のやり方が出来るはずだ」 等の自問、 あるいは、
注意喚起である。
②人生のどのような場面でも衝動に駆られた行
動は、 危険を伴うものである。
積極的で安全な態度は、 「慌てるな、 先ずよ
く考えろ」 であり、 また上述のように、 ルール
を守り試験計画に忠実に従うことが大切である。
考えるスキルを高め、 万全の飛行の準備をし、
飛行の技術水準を維持し、 演練をしておくこと
は、 この衝動的態度による危険性を最小にして
くれる。
This happened in the past.
③“自分には決して起こらない”という無用心
な考えで飛んではならない。
試験飛行の歴史を通して、 多くのパイロット
達、 乗務員、 そしてテストチームが、 誰にでも、
何処でも、 いつでも、 どんなことでも起こると
いう教訓を繰り返し、 繰り返し学んできた。
この無用心な態度に対する防御手段は、 「知
識と危険性評価」 である。
人間は誰でもエラーをする可能性があること
を忘れてはならない。 従って、 危険性評価によっ
てエラーの発生する機会を見分け、 防御策を講
じることが必要なのである。
良い危険性評価をすれば、 特定の状況が危険
ではあるが、 試験に影響を与える可能性が十分
に低いと判断できることも教えてくれる。
もし、 エラーが発生したら、 それを報告しな
なければならない。 飛行試験の世界では、 非難
をしない文化を常に維持すべきである。 そうす
ることで、 誰でも飛行中の落とし穴から学ぶこ
とができるからである。
“不注意と過信は、 リスクを予測し受け入れる
ことに比べ、 通常、 遥かに危険である。”
―Dr. Robert O. Besco―
④“俺になら出来るさ!”のような猪突猛進的
態度は、 どのようなテスト・チームにも必要は
ない。 しかし、 このような態度は、 通常個人の
問題であるが、 チームにも現れ得る。
問題解決やリスク評価においては、 チームで
出す決断は、 しばしば個人による決断に比べ、
2007 MAR
71
より危険性が高いことを思い出して欲しい。
安全な態度は、 「一か八かやってみるという
のは愚かなことである」 と常に考え、 時にはチー
ム・メンバーに対してそのように助言できるこ
とである。 どんなチームでもこのような強いリー
ダーシップが必要な場合がある。
⑤一端空中に上がってしまったら、 問題に対処
するリソースは飛行機の中にしか無いという態
度は、 飛行試験ではあってはならない。
どのようなテストチームあるいは個人でも、
なすすべが無くなったので、 あとは運命に任せ
るという態度をとってはならない。
誰でも何かができ、 事態を好転させ得るもの
である。 時期を得た健全な疑問の表明、 時には
止めようとの呼びかけ、 積極的なアドバイス、
これらは、 チームワークの質であり成果である。
しかしながら、 極端に危険な事態では、 何か
別のことを試みようという誘惑を排除してでも、
必要なら機を放棄しなければならない。
あきらめに対し、 初志貫徹という言葉がある
けれども、 飛行試験にはそれは許されない。
もし、 試験計画のすべての方策と手順を使い
切ってしまい、 航空機から離脱すべき時が来て
いたら、 脱出しなければならない。 そうするこ
とで、 あなたは試験の最終段階で、 異なる結果
を加えることができる。 すなわち、 生き残って、
そのテストについて議論することである。
飛行の規律は、 常時維持されなければならな
い。 準備、 練習、 評価、 試験、 実施後の簡単な
報告にも、 それぞれ規律がある。 しかしながら、
自分を律するということでの最も重要な面は、
ストレス、 作業負荷および危険につながる態度
をうまくコントロールすることである。
エアマンシップは、 危険につながる態度のも
たらす全ての重圧のもとで、 自分を律すること、
および、 人間としての能力を高める叡智を必要
としているのである。
72
2007 MAR
エアマンシップ −他人から学ぶもの
ではなく、 自ら身につけるもの−
プロのテストチームは、 任務とそれを安全に
完了することに専念しなければならない。 良い
エアマンシップを身につけたパイロットは、 飛
行環境、 機材、 乗員の健康、 任務の要求の度合
い、 燃料補給や支援業務等に支障がでた時に、
無理に先へ進みたい衝動を冷静確実に抑え、 我
慢をすることを知っている。
例え限界に近い状況が、 制限内であっても、
エアマンシップを発揮して、 累積する影響を判
断し全体像を分析し、 全体の安全の余裕を減少
させるような状況に陥る事を防ぐべきである。
“エアマンシップとは、 困難な状況下での飛行
を実施する上で、 賢明に行動する能力である。”
エアマンシップは、 なぜそれをするのか、 如
何にそれをするのかという、 飛行に対する個人
の心構えである。 エアマンシップは、 訓練、 経
験、 そして個人の体験によって進歩させなけれ
ばならないものである。
それは、 ただ元気溌剌であるということでは
なく、 飛行機やあなた自身を意のままに操るこ
とでもなく、 任務を全うし巧妙さを示す両方が
出来たことを知りながら、 飛行終了後、 さりげ
なく飛行場を歩いているようなものである。 自
分が何を成し遂げたか、 なぜそれを楽しんだの
かを全て認識していることである。
その意味で、 エアマンシップとは、 まさに、
誰かに教わる事ではなく、 自ら身につけるもの
なのである。
“経験を積むにつれてエアマンシップは成長
し、 心地よい保護のマントのようなものへと花
開くものである。 それは、 双肩に光輝く肩章を
のせてはいるが、 多分誇りで古くなっており、
けれども、 決して自惚れを示すものではなく、
また、 決して2インチの装甲板のような防護用
具の役割を持っているわけではない。 ”
“飛行は楽しさを与えてくれるものである。
積み重なった残骸は、 飛行でもなく、 ましてや
楽しい経験でも無い。 この2つの極端な状態の
間に、 エアマンシップの究極の表現がある。 ”
―Tony Hayes―
エアマンシップ
チェック・リスト
―プロフェッショナリズムへの手引き―
エアマンシップの基は、 知識、 スキル、 およ
び態度である。
知識:
・自分の航空機を熟知すること。 関連する新し
い情報を得ること。
・技術情報を最新のものする。
・飛行手順と訓練を調べる。
・それまでの試験結果と飛行試験経験を再検討
する。
・天候、 地形、 空域等の自然環境を調査する。
・航空機あるいはシステムの先送りされた改修
も調べる。
・チームの強みと弱点を知る。
・管理者達の強みと弱点を知る。
・プロジェクトと試験にまつわる政治的背景を
理解する。
・危険性を評価し、 きわどい危険な問題点を知
る。
Know the critical risk issues!
・危険緩和対策を理解しチーム共通の認識とす
る。
・エラー防止対策を復習する。 どのように重複
した確認がなされるか。
・何でも知っているということはあり得ないの
で、 無関心には用心せよ。
・スキルと心構えを高める知識を有効に使う。
スキル:
身体を使うスキル (知的・身体的能力)
・よく訓練された基本的飛行技術 (今通用する
熟練した技倆)。
・計器飛行能力。
・常に予想外のことや異常運航に備えよ。
・システム操作能力。
・航法能力、 空域の有効利用。
・燃料計画。
・緊急操作と緊急状態からの回復。
・生存のための訓練。
CRM スキルと人事管理能力
・試験の前に、 操縦室内の全ての資源特に新し
い試験機器と表示計器を利用する練習をする。
・自動化の落とし穴と限界を理解する。
・テストの計測点で得られた異なる結果を正し
く評価する。
・自分自身と他のチーム・メンバーの作業速度
と、 高い作業負荷の兆候を知る。
意思疎通のスキル
・正しい用語の復習。
・しゃべるべき時、 しゃべるべきでない時につ
いて共通認識を持つ。 しかし、 危険やエラー
を見つけたら、 必ず遠慮なく指摘する。
・全員が聞くスキルを身につける。
・フライト後の話し合いで必要なことは何かを
知る。
認知のスキル
・良い状況認識の必要条件を理解する。
・次のような知的作業過程を繰り返し練習する
こと。
・データ、 行動、 飛行状況、 体力等を知覚す
る。 なにが事実なのか?
・データを理解する。 何が進行中なのか?そ
れが何を意味するのか?
・その状況がどのように進展しているのか言
葉で描写する。 最も発生し易いのは何か?
試験の目的にどのように影響を与えようと
しているか?
・必要な結果を確実にするための戦略を探す。
2007 MAR
73
もしも、 問題が存在するなら、 それを解決
する。 何が選択肢なのか?
何をすべきなのか?
・いくつかの違った視点から状況を評価する
訓練をする。 チームからの情報も必要。
・特に作業負荷や時間制約のもとでの、 想定
したリスクに対する実時間での実際の危険
の評価訓練をする。 時間をどのように捻出
できるか知ること。
・飛行試験計画を準備し、 見直しを繰り返す。
飛行中にその計画が如何に変更可能か?ど
のような選択肢があるのか?代替案は何か?
・試験計画の予行演習をし、 見直し、 また練
習・練習・練習。 系統的、 組織的な取り組
みをする。
チーム・スキル
・テスト・チームを早く結成する。
・お互いを認めあう努力をすること。
・チーム・メンバー全員がそれぞれ最高水準の
仕事をすること。
・他の人達および、 自分自身を信頼する。 個性
の違いによる衝突を解決する。
・鍵となる調整役を見つける。
・随伴機の任務を復習すること。 写真撮影、
編隊飛行等。
・共通のゴールがあることを確認する。
・チーム・リーダーの権限を理解し受け入れ
る。 決断を下すのは誰で、 それに同意すべき
は誰か?
態度 (心構え、 取り組み姿勢):
・不要なリスクを選ぶな。
・規則、 規定、 決められた手順に従う。
・過信するな。
・自分にも起こるかもしれない。
・問題の解決法を探し続けること。 しかし、 航
空機から脱出する決心を遅らせてはならない。
・油断するな。 あらゆる不測の事態に備えよ。
・もし不安があれば、 どうするか決断し、 必要
な行動を採ること。
・自分自身の規律を見直せ。
・同僚からの圧力にも正しく対処すること。
あなたは飛行して大丈夫ですか?
I'M SAFE!
I Illness?
Do I have an illness or any symptoms
of an illness ?
M
Medication ?
Have I been taking prescription or
over-the-counter drugs ?
S
Stress ?
Am I under psychological pressure
from the job ?
Worried about financial matters or
health problems ?
Upset over family discord ?
A
Alcohol ?
Have I been drinking within eight
hours ? Within 24 hours ?
F
Fatigue ?
Am I tired and not adequately rested ?
E
Eating
Am I adequately nourished ?
More than 100 persons supported this test.
JCAB, JASDF, NAL, JAL, ANA, JAS
Slippery Test at SPK
74
2007 MAR
…………………………………………………
以 下 は 、 SETP 事 務 局 か ら の 許 可 が 出 た
E-mail の内容です。 参考までに掲載しておき
ます。
Dear Mr. Iwase,
Thank you for your request to translate the
article Airmanshipinto Japanese for your
PILOT magazine. We have received permission from Dan Gurney to translate and publish his article.
He is very honored by your request and
would very much like to have a copy of the
translated article. We would also like to have
a copy for our library, if possible.
…………………………………………………
A. I. P. Canada にみられる“Airmanship”
の定義を紹介します。
Airmanship is the application of flying
knowledge, skill and experience which fosters
safe and efficient flying operations.
Airmanship is acquired through experience.
エアマンシップとは、 安全で効率的な運航を
可能にする、 飛行の知識や技倆および経験を活
用すること (能力) である。 エアマンシップは、
経験によって培われる。
講談社発刊の 「機長の危機管理」 にも、 異な
る“エアマンシップ”の解説が載っています。
是非、 ご一読をお勧めします。
Best regards,
Paula S. Smith
SETP Executive Director
…………………………………………………
Hello Dan,
We just received this request to translate
your article Airmanship−Professionalism
in Flight Testing from SETP Pilots Handbook for Critical and Exploratory Flight
Testing into Japanese as described below.
The Society believes it would be a positive
move, but wanted to check with you prior to
giving permission.
Paula S. Smith
SETP Executive Director
Paula, no problem at all. In fact I would be
most honoured and I would appreciate a
copy (in Japanese) for my records.
Best regards
Dan
New Toy !
Bigger than A380
イラスト・写真提
供 は JAL 関 係 者
です。 その他翻訳
について多くの方々
のアドバイスをい
ただきました。
誌面を借りてお礼
申し上げます。
(岩瀬)
2007 MAR
75
連
載
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
文と絵
湧井カレン
第5話:おいてけ掘
私の住む東京江東区には 「おいてけ掘」 という江戸時代から伝わる奇妙な民話がある。 釣った魚
やバクチの上がりを 「おいてけ∼」 と河童が騒ぐというのだが、 このたびはパイロットだけがカヤ
の外に置き去りにされるお話。
P3C である。 1機の値段がジャンボ旅客機にも匹敵する高価な飛行機だ。 わが国にはこの P3C
が100機以上あるのをご存知だろうか。 政治や防衛を論ずるのではない、 いったいこの小さな国に
「そんなにたくさんの P3C が要るんかい?」 という私の問いに 「そりゃオマンサア、 海岸線の長さ
を見てみんさい、 アメリカと差は無いのんじゃあき」 と自衛官の友はお国言葉で話した、 坂本龍馬
になったつもりか。 飛行機が海岸線に沿って飛ぶわけではないが、 取り囲む海は確かに広い、 分か
らぬでもない話である。
P3C の配備が始まった1980年代初めには、 もう東西の冷戦も納まって、 石油の確保や備蓄が新
たな心配となってきた時代だ。 マラッカ海峡のオイル輸送フリートに事故のないよう自衛や警戒が
必要だとする議論も確かにあった。
私はこの P3C のライセ
ンス生産、 定期修理を含め
て18年の長い期間、 飛行試
験に携わった。 総重量68ト
ン (そのうち30トンが燃料
だが)、 最大速度380ノット、
4900馬力のターボ・プロペ
ラエンジン4基を持つ、 航
続距離を選べば地球を半周
以上する、 航続時間を選ん
で1個または2個のエンジ
ンを止めれば25時間ほど
ゆ っ く り 飛 ん で (Loiter
という) 居られる。 13人の
クルーで1チームを編成す
る飛行機である。
76
2007 MAR
ジェット機の時代に、 何でまた酔狂にもプロペラ機など?と思われるでしょう。 構造が複雑、 目
方が重い、 部品点数が多く取り扱いが面倒、 操作が難しい、 価格が高いと、 不都合だらけのプロペ
ラ機だが、 ジェットエンジンでわざわざプロペラを回すターボ・プロップ機には低速、 低高度で飛
んでも燃料消費が少なく、 長時間、 ゆっくり浮かんでいられるという特技があるのだ。 この P3C、
前身はエレクトラ旅客機だから飛行機としてはさほど目新しいものは無い。 しかしこの時代の大き
な変換点はコンピュータが飛行機の中に入り込んできたことだ。
この飛行機を生産するに先立って、 工場にも変化が起こった。 まず電子装備品やシステムを専門
とする事業部が設立された。 次いで大きなオフィスとショップが建って、 300人近くのエンジニア
とスタッフが移ってきた。 別の場所ではバカでかい電波暗室やパラボラ・アンテナ、 無線塔ができ
た。
それらを呆然と眺めていたのがパイロットたちだ。 そして私にも1枚の磁気カードが渡された。
電子ショップや飛行機に立ち入る時、 認証装置に差し込むカードである。 自分の飛行機に乗り込む
にもこのカードがないとエントランスは開かない。
広いキャビンは作戦用途に応じてパーティションで仕切られている。 個々のクルーは自己のミッ
ションをコンピュータ端末と対座して行う。 レーダー、 音響、 非音響、 センサー、 武器、 航法など
に分かれ、 1台のオフィス・コンピュータを彼らが分割して使う。 それを一人の戦術コーディネー
ター (TACCO) が統合指令するのだ。 彼らは乗組員の知識に加えて、 コンピュータにも精熟して
いないと出来ない職種なのである。
そしてパイロットと F/E の3人は何をしているか?フライトデッキでカヤの外に居る気分になっ
ている。 耳慣れぬ言葉もたくさん聞くようになった。 Bit、 Bite、 Bug、 Sygnog (System GoNogo=自己診断)、 System Drift など。 Bug に対して Debug=虫出し、 つまりプログラムの中に
ある虫 (引っかかり) を洗い出す作業だが、 飛行前の工程で Debug 作業に何日かが掛かる。 布団
の虫干しにしか思いが至らないパイロットたちには、 「風待ち船頭」 の心境でもある。
今ならパソコンの中に少しこんな用語も出てくるが、 フライトデッキの3人グループはこの世界
から 「おいてけ掘り」 を喰っていたのである。 大体プリ・フライトチェックで Sygnog に引っか
かるとフライトできないのである。 飛行機がコンピュータに振り回される時代になったのだ。
さて、 飛行機の 「虫だし」 も終わって我々の手に渡ると、 4∼5回のフライトで顧客に引き渡さ
れるが、 1回のフライトが5∼6時間、 日本の事情で基地の飛行場近くで飛ぶことはできない。 民
間の飛行空域や航空路もダメ、 陸岸から100マイルほど離れた洋上遥かまで出てテストする。 JA
ナンバーを取得するつもりはないが、 日本の民間人が作って民間の空を飛ぶのに、 である。
耐空性や性能・機能など飛行機そのもののテストは最初の3時間で終わってしまう、 もちろん調
整や修正は次回に繰り越すのだが。 残りの20時間以上は、 搭載している作戦機器やシステムの機能
確認や実用場面のシミュレーションに費やされるのだ。 それらのプログラムを実行している間、 パ
イロットはキャビンのエンジニアたちの忠実な御者としてご奉仕するのである。 コンピュータがプ
ログラム通りに飛行機を動かしているかどうか、 腕を組んで見ているのだ。
装備品の多くはブラック・ボックスに変わった。 中身を知ること、 覗くこと、 開ける事はできな
2007 MAR
77
い、 ましてスクリュードライバーで半固定抵抗を調整するような昔の作業など考えられない。 うま
く作動しなければコンポーネントごと磁気カードの扉の彼方のショップへ送り返して、 新しい箱を
貰ってくるだけ。 「俺の経験では」 とか 「そんな時はちょっとこうして」 などの個人的秘策が通用
したのは先代の P2J の時代までである。
フライトデッキの3人にもコンピュータのおすそ分けは来る。 センター・コンソールの大きなプ
ラズマ・ディスプレー (前期型はブラウン管) だ。 航法の情報やら洋上の立ち寄り所 (FTP=潜
水艦、 艦船、 ソノブイなど) が、 相手の行動予測やサブ情報と共に表れる。 オート・パイロットに
プログラムしてあるからパイロットは何もすることがない。
大きな声では言えないが、 VHF も HF も入ってこない、 UHF はもちろん届かない。 フライト
デッキの3人にも会話が途切れる、 弁当も食べた、 海面はベタ凪、 風もガストもない午後には3人
が3様の物想いに耽っていると思いきや、 ウトウトと覚醒から遊離していることがある。
P3C のパイロットはショーファーであり馬でもあるのだ。 「目の前の人参だけを見て飛ぶ」 と言っ
たのはロッキード社の同僚だが、 それはあんまりだ。 でもコンピュータからは確実に 「おいてけ掘」
を喰っている感がある。
繁華街で有名な錦糸町の南、 江東区側を日が暮れてから歩いてごらんなさい。 金髪の河童に 「お
いてけー、 おいてけー」 と声をかけられます。 退職してまで付きまとわれるのはイヤだから、 私は
この辺には近寄らないようにしている。 もっとも置いていくモノはもう持ってはいないけれど。
78
2007 MAR
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
あふたー もぐら そろ
After Motorglider Solo Flight
著者:鈴木啓文
発行:有限会社エアワークス
〒105-0013 東京都港区浜松町 2 7 15
浜松町三電ビル905
定価:本体2,900 (税込)
本書には、 もぐら (モーターグライダー=動
力滑空機) の、 ソロ・フライトから、 ライセン
ス取得までの過程が描かれている。
ごく普通のサラリーマンが練習生となり、 教
官の指導を得て単独飛行を経験した後、 更に勉
強と訓練を重ね、 責任を持って空を飛ぶ機長に
なるまでの記録である。
ベースとなる場所は、 茨城県河内郡の河川敷
にある大利根飛行場の日本モーターグライダー
クラブ (http://www.jmgc.org/)。 成田空港特
別管制区の西側近傍にあって、 航空交通も多い
が、 ここでは日本で最も活発なモーターグライ
ダーの飛行活動が行われている。
筆者の鈴木啓文氏は、 この地で、 様々な方か
らの指導教育や交流を経て、 ライセンシーへの
道を歩むのであるが、 手軽と思えるモーターグ
ライダーも、 いざライセンスとなると、 対象と
する等級が飛行機に近いツーリングタイプのも
の (MGO) であれば、 習得すべき内容は極め
て広い。 極端な話、 飛行機の自家用と、 上級滑
空機の両方の内容が必要となるのである。 航法
では120Km 以上の飛行が求められる一方、 単
独での滑空時間3時間以上、 滑空着陸10回以上
といった、 グライダーの技量も必要となる。
その上、 機体は尾輪式で、 翼面荷重が小さく、
風の影響を受けやすいため、 ジャンボジェット
の某ベテラン機長をして、 モーターグライダー
のほうが難しい?と言わしめるほどである。
本書には、 その辺の内容が、 筆者ならではの
ユーモアにあふれる表現及び、 日本モーターグ
ライダークラブならではの雰囲気とともに、 楽
しく記述されている。 その内容は、 現実的かつ
基本的で、 安全な飛行には欠かせないものばか
りであるとともに、 航空法、 耐空性審査要領、
その他航空用語等々の解説が加えられているた
め、 入門者にも役立つ内容になっている。
また、 本書には、 この世界の超一流である、
(有) エアワークスの瀬尾氏の手になる写真が
多数使用されていて、 雰囲気の良い、 楽しく、
味わいのあるものに仕上がっている。
この世界に興味のある人に広くお勧めしたい
と思う、 楽しい一冊である。
2007 MAR
79
ews
FAI N
FA I ニュース
奥貫
1月から2月にかけて、 FAI のジェネラル
アビエーション、 ロータークラフト、 エアロバ
ティックス各部門の日本代表者 (デリゲート)
及び副代表者 (副デリゲート) が集まり、 FAI
航空スポーツ活動分野を受け持つ団体としての
JAPA の役割等を話し合いました。 徐々にで
はありますが、 これからも確実に FAI の担当
分野の活動を推進して行きたいと思います。
では今月の各分野のトピックス等です。
ロータークラフト (ヘリコプター)
ロータークラフト部門では、 今年の3月8日
と9日にスイスのローザンヌにおいてアニュア
ルミーテイングが行われます。
日本からはロータークラフト部門のデリゲー
トである青山が毎年参加していましたが、 今年
も参加します。 会議の詳細については次号にお
いて報告します。
今回の主な議題は今年ドイツで行われるオー
プンチャンピオンシップと同じくドイツで行わ
れるワールドヘリコプターチャンピオンシップ
の打ち合わせです。
前回のイギリスの突然のキャンセルと、 フラ
ンスで行われたチャンピオンシップではクレー
ムが多く、 不評でしたが、 ドイツは大会に慣れ
ていますので期待出来ます。
今度のドイツ大会では日本から提案の新しい
科目のボトルオープンとポストマンが採用され、
行われます。 日本も是非とも参加して勝ちたい
と思っております。 毎年の会議で、 日本の貢献
は他国からも期待されていますので参加せざる
得ない状況です。
Any other business では、 昨年の11月に茂
木で開催された FAI Haute Voltage Aerobatics Japan Ground Prix にて午前中の Exhibi-
80
2007 MAR
博
tion を任され、 ヘリコプター世界選手権の種
目スケトル、 フェンダー、 スラロームとフリー
スタイルを観客の皆さんに紹介出来たことも報
告する予定です。
将来は日本のどこかでワールドチャンピオン
シップを開催したいと思っております。
(ロータークラフト部門デレゲート 青山)
ジェネラルアビエーション
FAI のジェネラルアビエーション競技は、
精密航法と定点着陸から成り、 所定のコース上
を精密にトラッキングして目標を通過する精密
航法の能力と、 限られた接地目標に着陸させる
技術を競うものです。 安全確実な有視界飛行の
ために、 この競技から得られるものは多いと思
うのですが、 日本ではまだ実現していません。
ジェネラルアビエーション競技に興味があり
ます方は、 JAPA に連絡をいただければ、 細
部の情報等を提供させていただきます。
エアロバテックス
今年は飛行機のアンリミテッド・クラスのエ
アロバティックス世界選手権が6月24日−7月
4日の間、 スペインのグラナダで開催されます。
参加申込の期限は5月11日です。
また、 来年にはアドバンス・クラスの世界選
手権が米国にて開催の予定で、 日本代表の参戦
が期待されています。
いずれも、 日本国内の代表選抜競技会開催は
ありませんが、 参加希望の方は、 JAPA に電
話 (03-3501-0433) 又は E-Mail (japa@japa.
or.jp) で連絡いただければ、 必要な情報の提
供と調整をさせていただきます。 競技会の開催
情報は、 http://www.fai.org/aerobatics をご
参照ください。
航空局通達
「平成19年1月24日付けで、 航空身体検査証明及び指定運航管理者養成施設に係る航空法施行
規則の一部を改正する省令が公布されましたのでお知らせ致します。 (事務局)」
2007 MAR
81
開催予告
NPO 法人
航空・鉄道安全推進機構設立記念講演会
航空安全性向上への寄与
航空・鉄道安全推進機構は、 航空・鉄道輸送の安全性の向上及び航空・鉄道事故の撲滅を目標に、
安全意識の普及・啓発活動等を広範囲な方々とともに推進する団体として設立された特定非営利活
動法人 (NPO 法人) です。
このたび、 NPO 法人設立を記念して、 当機構が考えている社会的貢献を目指した活動を、 多く
の人に理解していただき、 ご指導ご支援していただくことを目標に講演会を開催することとなりま
した。
多くの皆様のご参加をお待ちしております。
開催日時
平成19年5月18日 (金) 13:30∼17:30
18:00より7F 会場にて懇親会を行います。
一人様3,000円
場
所
参加費・定員
講演参加申込みとともにお申込下さい。
新橋 「航空会館」 5F
(JR 新橋駅徒歩5分、 都営三田線 内幸町駅徒歩1分)
東京都港区新橋1−18−1
TEL 0335011272
無 料 先着申込み順
定員100名
プログラム
13:30
13:40
14:00
14:45
15:45
16:30
17:15
17:30
開 演
開会の辞
来賓挨拶
NPO 紹介
講演1
講演2
休 憩
講演3
講演4
質疑応答
閉 会
武田 峻
NPO 法人 航空・鉄道安全推進機構理事長
後藤昇弘
航空・鉄道事故調査委員会委員長
坂田公夫
宇宙航空研究開発機構 (JAXA) 理事
藤原 洋
NPO 法人 航空・鉄道安全推進機構事務局長
佐藤淳造
航空・鉄道事故調査委員会前委員長
谷 寧久
国土交通省航空局技術部長
15:30∼15:45
高岡 信
国土交通省関西空港長 (元首席航空事故調査官)
山内純二
全日空商事常勤監事 (元全日空機長)
申込み方法:下記に必要事項を記入のうえ 「FAX」 にてお申込ください。
先着100名に入場証 (ハガキ) を送付します。 当日持参してください。
FAX 045−434−9062 又は 03−3992−1391
ふりがな
氏
名
住
所
勤務先
懇親会 (3,000円当日徴収)
82
2007 MAR
電話番号
〒
・参加
・不参加
(○印をつけてください)
開催報告
機長養成講習会開催報告
エアライン委員会
沖縄支部
第12回目となる講習会を平成19年1月19日 (金)、 那覇空港ターミナルビル会議室において開催
いたしましたので報告いたします。
沖縄支部での開催は今回で2回目となりますが、 引き続き定期的な開催を希望する声も多くあり
ます。 今回は航空局運航課、 乗員課両首席に講義をお願いしたところ、 快くお引き受けいただき、
支部からも25名の受講者があり、 開催することが出来ました。 参加者は、 JTA、 RAC 及び海上保
安庁、 嘉手納エアロクラブの方々で、 有意義な時間を持つことが出来ました。 会社を超えた操縦士
の皆さんにお集まりいただき、 主催団体として感謝しております。
講義内容は、 村川航空従事者試験官・石原先任運航審査官よる航空行政の今後の流れ、 そして試
験官・審査官が受験者に何を求めているか、 などを細かく説明していただき、 これから機長昇格、
実地試験など受験される方々にとって、 大変有意義な講義となりました。
以下、 アンケートより抜粋した参加者の意見をご紹介します。
・機長昇格者に対して今後の方向性を示していただき、 参考になった
・運航の考え方が良く分かった
・目が覚めるような内容で、 参加して良かったと思います
・PIC・受験の考え方が理解できた
・違う視点でのお話であったので気がつくことが有意義な講習会でした
・実運航に使用できるアイデアを頂きました
・なぜ今のような審査を行うのか、 わかった気がした
・実地試験不合格の理由等が聞けて良かった
JAPA ではアンケートを参考に今後、 エアライン操縦士が求めている講習会、 その他様々な観
点から皆様との交流を深めていきたいと考えております。
最後になりましたが、 航空局運航課、 乗員課はじめ日本トランスオーシャン航空㈱にご協力を頂
き、 このような講習会が開催できました。 改めてお礼申し上げます。
説明される石原先任運航審査官
熱心に聴講する受講生
2007 MAR
83
通信
理事会通信
1月19日第234回理事会と2月9日第185回常務理事会の報告をします。 両理事会の間が短いために、 四六
時中理事会を遣っている感じです。 42期体制が萩尾会長の下でスタートして越年したわけで、 早9ヶ月が過
ぎるのに 「あっという間」、 遂に第42回通常総会の準備が始まりました。 理事会のメンバーは、 果たして操縦
士協会の襷を受けて、 疑心暗鬼に継走してきましたが、 漸く手応えを感じてきている昨今です。
理事会の報告・確認事項です。
◎「航空管制等英語能力証明検討委員会」 への派遣委員として中島常務理事を選任しました。
◎「平成18年度航空保安業務運用連絡会議」
2月8日平成18年度航空保安業務運用連絡会議が開催されました。 当協会から提出した10議題の内2
議題について質問があり、 後日返答することとしました。 またその他30提出議題については3月の本会
議に諮られます。
◎管制方式基準の 「経路変更と高度制限について」 より、 判りやすい表現に改訂される見通しです。 現場の
意見交換 (ATS 委の活動) が改善に結びつく具体例で活動の反映です。
◎12月14日 「南関東地域震災時における救援航空機の安全対策マニュアル (案)」 の要望を、 内閣府に提出し
ました。
◎「小型航空機セフティーセミナー」 2月15・16日に開催、 海外からはビーチクラフトを招聘し、 小型機事故
についての講演をお願いしました。 (詳細は次ページ)
◎航空医学委は43期の活動について検討した結果、 受験者 (Pilot) の立場で欧米調査を計画し、 更に受験者
の自己管理に資する目的とした身体検査ガイドの発刊を予定しています。
◎1月15日に、 航医研の原志野調査・研究部長を協会事務所にお招きして講演会を開催しました。 原氏は昨
年米国 CAMI で2ヶ月間の研修を受け、 今回 「米国の航空身体検査」 の制度と現状について解説して下さ
いました。
◎12月15日開催の第15回航空安全情報ネットワーク運営委員会が開催されました。 ASI-NET の理解・報告促
進等のために、 報告書の様式改善と報告の重要性をアピールする目的でポスターを作製する予定です。
◎「航空身体検査」 関係
航空身体検査の基準が4月1日から改正。 要旨は一定条件の者については審査会の手前で判断できる
84
2007 MAR
ようになります。
◎「航空安全講習会」
航空安全講習会、 年度では約950名に達すると見込まれます。 来年度は予算規模2/3になる中で、 各
種経費の見直しを実施し予算の中でやっていく方針です。
◎「公益法人改革」 関連
2月1∼2日公益法人改革関連のセミナーに参加致しました。 法律施行は平成20年12月 (予定) で、
そこから5年の間に移行の手続きを行います。 従いまして必要な定款変更は平成21年5月の通常総会で
可能となります。
◎平成19年度事業計画・予算編成方針等について、 各委員会で活動方針と予算編成案を現在検討中です。 論
議の中で、 協会の 「立場と考え方」 を対外に発信していくような活動を、 方針に盛り込むことが確認され
ました。
※今後の予定
●2月16日
各委員会等からの平成19年度予算期限
○3月9日
(3役、 常務理事 MT)
平成19年度事業計画・予算議論
○3月16日
(理事会)
平成19年度暫定予算決定
○4月13日
(常務理事会)
平成18年度事業報告及び平成19年度事業計画と予算 (総会へ
の提出議題 (素案)) の理事会提出承認
○4月25日
(理事会)
第42回通常総会議案書
承認
小型航空機セフティーセミナー開催
2月15∼16日の2日間、 東京・天王洲アイル JALビル2階 「ウィングホール」 で小型航空機セフティーセ
ミナーを開催し、 15日149名、 16日136名が参加しました。
講演と報告の内容 (抜粋)
航空局基調講演 「航空における安全・安心の確保について
航空事故は平成2年の年間約50件発生していたが平成18年は18件となり減少傾向にある。 安全意識の
浸透と安全風土の構築を目指し、 経営トップ指導による意識改革が必要だ。 昨年10月に予防的安全対策
推進組織 (航空安全推進室) と監査専従部門を設置し、 管理体制を強化した。
航空局技術部長
谷
寧久
航空管制調査官
中村
英二
法改正関連
飛行方式設定基準の改正
CMV と RVR、 離陸の MINIMA 等について。
管制方式基準の改正
ICAO に準拠した内容の改正となった。 平成19年4月に STAR の運用の整理 (高度の指定)、 高度制
限の運用の明確化、 後方乱気流方式を予定している。
航空管制調査官
鈴木
2007 MAR
英治
85
航空会社の安全管理体制
法改正の主な内容
航空運送事業における安全管理体制の構築
安全上のトラブルの報告制度
航空運送事業・国による安全情報の義務化
小型機の IFR
現状と近未来:RNAV
専門官
遠山
健志
宇宙航空研究開発機構
奥野
善則
日本気象協会
立入
八郎
アプローチ
ヘリコプターに適した IFR
GPS や通信衛星の動向
米国 CAPSTONE プログラム
航空の障害となる気象現象 (台風、 たつ巻など)
たつ巻とダウンバーストの影響
低層における乱気流の種類と危険性
Raytheon Aircraft Company
事故より学ぶ
Product Manager: Mr Joe Grubiac
航空局講演
航空審査官として
運航審査の技法
共通認識と判断基準の明確化
トータルパフォーマンスの向上と LOFT の活用
先任運航審査官
石原
孝治
航空従事者試験官
赤堀
臣克
航空管制技術調査官
吉村
源
日本ヒューマンファクター研究所
桑野
偕紀
技能証明制度の概要と実態
航空従事者技能証明学科試験の受験者数
操縦士・運航管理者
平成元年∼18年
47,883名
整備士・航空機関士
平成元年∼17年
52,611名
新しい航法 (小型機の RNAV)
MSAS:MTSAT Satellite-based Augmentation System とは?
SABS:Satellite Based Augmentation System について
チェックリストに潜むヒューマンファクター
状況認識を高める手段
心理学の知識を持とう
Check List の活用
ヒューマンエラーの分類
86
2007 MAR
[活動報告]
−1月−
4日 (木) 仕事始め・新年賀詞交換会
9日 (火) 航空身体検査証明審査会
編集委員会
運航技術委員会
10日 (水) 協会制度のあり方検討会
マスコミとの情報交換会
11日 (木) FTD 航空局定期検査
12日 (金) 航空保安業務運用連絡会議議題提出 (CAB)
13日 (土) ATS 委員会
15日 (月) 航空安全委員会
学科試験問題検討会システム検討 MTG
16日 (火) GA 委員会 (FAI 打合せ)
17日 (水) 航空医学委員会
18日 (木) 技量維持連絡会
MPL に係わる調査研究委員会
19日 (金) 機長養成講習会 (那覇)
第234回理事会
20日 (土) 航空安全講習会 (山梨)
22日 (月) 航空管制等英語能力証明検討委員会
学科試験問題検討会システム検討 MTG
25日 (木) 経理委員会
協会制度あり方検討会
航空保安無線システム協会評議員会
26日 (金) FT 委員会
京都府看護協会学会講演
27日 (土) 航空安全講習会 (東京)
医療安全指導者講習会講演
航空気象委員会
29日 (月) 学科試験問題シラバス分科会 (第2回)
学科試験問題検討会 (第2回)
31日 (水) FTD 教官ミーティング
−2月−
1日 (木) 公益法人特別セミナー (2日まで)
2日 (金) 第1回航空気象研究会 (日本気象学会)
4日 (日) 航空安全講習会 (大阪)
6日 (火) 航空身体検査証明審査会
航空英語能力証明試験打ち合わせ
8日 (木) 航空保安業務運用連絡会議提出議題趣旨説明会
空港安全技術懇談会 (コックピット搭乗打合せ)
2007 MAR
87
技量維持連絡会
9日 (金) 協会制度あり方検討会
第185回常務理事会
顧問会
東京地区航空無線技術交流会 (航空保安無線システム協会)
10日 (土) ATS 委員会
13日 (火) 航空英語能力証明試験打ち合わせ
14日 (水) GA 委員会分科会 (FAI)
15日 (木) 第4回小型航空機セーフティーセミナー (1日目)
運航技術委員会
編集委員会
経理委員会
16日 (金) 第4回小型航空機セーフティーセミナー (2日目)
航空安全委員会
航空保安大講義
20日 (火) 法務委員会
RNAV/ATM 推進協議会運航者 MTG
21日 (水) 海上自衛隊海洋業務群司令部 「気象実務者講習」
22日 (木) GA 委員会
共通教材 DVD MTG
23日 (金) 平成18年度航空保安業務航空保安防災職員特別研修
航空管制等英語能力証明検討委員会
編集委員会
24日 (土) 北海道支部総会
航空安全講習会 (東京)
航空安全講習会 (鹿児島)
航空気象委員会
27日 (火) 航空教室打合せ (JAEA・JAPA)
28日 (水) 航空障害標識調整会議
88
2007 MAR
今後の予定 (主な行事)
3月1日
編集委員会
4月13日
第186回常務理事会
3月8日
技量維持連絡会
4月14日
航空安全講習会 (札幌)・ 認定講師研修会
3月9日
3役・常務理事ミーティング
3月10日
ATS 委員会
3月15日
航空医学委員会
ATS 委員会
4月16日
運航技術委員会
編集委員会
航空安全委員会
4月19日
GA委員会
経理委員会
4月20日
経理委員会
3月16日
第235回理事会
4月21日
航空安全講習会 (大阪)・ 認定講師研修会
3月17日
九州支部総会
航空気象委員会
東日本支部総会
4月22日
航空安全講習会 (さいたま)
西日本支部総会、 安全セミナー
4月23日
公認会計士監査
中部支部総会、 安全セミナー
4月25日
第236回理事会
航空気象委員会
4月26日
内部監査
4月1日
航空安全講習会 (東京)・ 認定講師研修会
5月12日
航空安全講習会 (仙台)・ 認定講師研修会
4月3日
運航技術委員会
5月24日
第42回通常総会
3月24日
第42回通常総会の開催予告
早いもので今年も総会開催の時期が近づいてまいりました。 なるべく大勢の会員の皆様方に出席いただき
ますようお願い致します。
日
時
平成19年5月24日 (木) PM
場
所
羽田空港第1旅客ターミナルビル (ビックバード内)
ガレリア6F ギャラクシーホール
予定されている総会議案は以下の通りです。
平成18年度事業報告及び決算報告について
平成19年度事業計画及び予算案について
役員の一部交代について
*総会議案は次号 (2007/No. 3) に掲載の予定です。
会員証の更新について
このたび、 会員証有効期限満了 (2007年7月) に伴い会員証の更新手続きをさせていただくことになりま
した。 (第233回理事会承認)
今回皆様にお届けする会員証は、 平成20年12月 (予定) までに施行されます公益法人制度改革の手続きの
都合上、 当面簡素化した会員証となります。
詳しいデザイン等につきましては次号にてご報告をさせていただきます。
2007 MAR
89
航空気象 TECH Talk
P30−31 カラー表記
図5. 国内悪天解析図の例
(2月9日時点の案)
(ア)
(イ)
図6. 空域悪天実況図の例。
(ア) は国内悪天実況図、
(イ) は狭域悪天実況図 (羽田・成田)
を示す。
(いずれも、 2月9日現在の案)
90
2007 MAR
JAPA SHOP
品
名
定
価
会員価格
送料
一般価格
送料
AIM−JAPAN
AIM−JAPAN 英語版
学科試験スタディーガイド
パイロットガイダンス
TAKE-OFF 安全飛行への招待
ヘリコプター操縦教本 第2版
航空気象 (新刊)
区分航空図501∼506各
3,500円
3,500円
2,500円
3,500円
3,500円
3,500円
2,500円
2,600円
3,150円 送料込
3,150円 送料込
2,250円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
2,250円 送料込
2,340円+280円
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+420円
3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+380円
2,600円+280円
区分航空図507
ターミナル航空図253、 254
首都圏詳細航空図
パイロット手帳
PILOT 誌
手袋
ライセンスケース
空中衝突
3,100円
2,600円
3,000円
1,200円
800円
5,000円
3,800円
未定
2,790円+280円
2,340円+280円
2,700円+280円
1,080円+280円
720円+240円
4,500円+280円
2,800円 送料込
3,100円+280円
2,600円+280円
3,000円+280円
1,200円+280円
800円+240円
5,000円+280円
3,800円 送料込
お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。
直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。
(お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。)
振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛
お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433
FAX 03−3501−0435
E-Mail:[email protected]
2007 MAR
91
92
2007 MAR
2007 MAR
93
JAPA Aerial Photo Exhibition
北海道の空を飛ぶビジネスジェット機の編隊飛行
◎ 藤田浩一様撮影の写真です ◎
和歌山県警察航空隊ヘリコプターと防災航空隊ヘリコプターの編隊飛行
和歌山県警察航空隊飛弾様の投稿による、 昨年9月の南紀白浜空港
「空の日フェスタ」 での写真です。
94
2007 MAR
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上5月号から掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・応募の開始は2006年1月から、 奇数月1、 3、 5、 7、 9、 11月
の各末日です。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2007 MAR
95
編集後記
●北関東の滑空場近辺には、 常に曲技飛行実施
の NOTAM が出ている。 また、 パラシュー
ト・ジャンプの NOTAM もあるが、 それら
の空域を無言で通過する機体も多い。
NOTAM を出していただいたところで、 空
域利用の優先権がある訳ではないのだが、 空
の安全確保の視点からは、 NOTAM 以前に、
情報の共有と理解が必要と思われる。 その辺
も誌面で提供できたらと思う。
(奥貫)
●「よど号」 ハイジャック事件発生当日、 旧羽
田オペレーション・センターに出社し、 対応
策を仲間と話し合ったことを思い出しました。
あれから現在まで、 日本国内のみならず、 世
界中で発生したハイジャック事件を振り返っ
てみるとき、 日本の航空界の対応や、 マスコ
ミの報道に苛立ちを感じ続けた40数年でした。
関係者の真剣な話し合いが不足していると感
じています。
(KEN)
●この冬は暖冬の影響で雪が少なく、 東南アジ
アでは CB もなく、 運航するにはラッキーで
したが、 このまま温暖化が加速すると、 どう
なることやら!とふと思います。
(T. G)
●県営名古屋空港に最新鋭ビジネスジェットを
9機展示するイベントを手伝った。 この世界
では大きく出遅れた日本だが、 定期と自家用
の合間で法制の整備が着実に進んでいる。
Biz Jet の世界にも N 類 One Pilot 機の時代
が来たのだ。
(柳井)
●外国人に日本語を教え始めて約2年新造語を
修正することに追われています。 正しい日本
語を使いましょう。
(RYU)
ISSN 0389-5254
2007 No.2 MAR
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
表紙を航空機の写真に変えてから、 この3月号で
1年が経過します。 気が付いてみたら、 旅客機の
ものがありません。 そのような訳で、 今月号は、
ANA、 次号は JAL の旅客機に登場いただくこ
とにしました。 羽田や成田を利用することは多く
ても、 良い写真がありません。 皆様の傑作写真の
提供を、 ぜひお願いします。
(奥貫)
●この度、 編集委員に加わらせていただきまし
た。 古希を過ぎた身ながら、 空への興味はつ
きません。 皆さんの期待に応えるべく、 微力
ながら面白い航空史を発掘していきたいと思
います。
(徳田)
●航空曼陀羅の筆者である徳田忠成さんを編集
委員に迎えました。 強力な戦力でパイロット誌
の編集をしていきます。 (編集委員長 蔵岡)
No.301 2007年 3 月号/平成19年3月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
96
2007 MAR
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ