奈良学ナイトレッスン 第10期 万葉人の恋する魂 ~第一夜 貴人の恋~

奈良学ナイトレッスン 第10期 万葉人の恋する魂
~第一夜 貴人の恋~
日時:平成 25 年 10 月 30 日(水) 19:00~20:30
会場:奈良まほろば館 2 階
講師:水原紫苑(歌人)
内容:
1.『万葉集』と恋の歌
2.古代びとの嫉妬と愛情
3.魂をぐっと引き寄せるために
4.深謀遠慮の歌、心休まる歌
5.古代びとの心は深くて残酷
6.高貴な男女の歌物語
7.人麻呂の凄さを感じさせる歌
1.『万葉集』と恋の歌
私は短歌を作っている者で、古典文学を特に勉強したわけではないので、素人の目で、そして実
際に歌を作る者の感覚で読ませていただこうと思っております。テーマは「万葉びとの恋する魂」
です。恋の歌は今でも短歌の中心ですが、『万葉集』の場合は、よく言われる三大部立(さんだい
ぶだて)があって、ひとつは、
「相聞(そうもん)」。恋の歌ですけれど、元々の意味は個人的なや
りとりの歌です。
今回の読む巻二の「相聞」、この中には、必ずしも恋人同士ではないものもあります。例えば、
弓削皇子(ゆげのみこ)と額田王(ぬかたのおおきみ)や、大伯皇女(おおくのひめみこ)と大津
皇子(おおつのみこと)は恋人ではないです。どういう関係であっても、「私(わたくし)の消息
を交わし合う」つまり、
「思いを歌で交わし合う」のが「相聞」だと思うわけです。現代の短歌で
は、恋の歌は多いのですが、
「交わし合う」ことはほとんどないので、本来の「相聞」ではないの
ですね。
三大部立の残りは「挽歌(ばんか)
」、死者を悼む歌です。それから、「雑歌(ぞうか)」、巻一が
全部そうですが、公の歌というようなことです。
よくご存じだと思いますが、
「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(の
もり)は見ずや君が袖振る」という額田王の歌があります。大海人皇子が「紫の匂(にほ)へる妹
(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我れ恋ひめやも」と返す、薬狩り(山野で薬草等の採取を楽しむ)
1
の折のやりとりですね。これこそ恋の歌という感じがするのですけれども、これは「相聞」に入っ
ていないのですね。巻一の「雑歌」に入っています。なぜかというと、これは公のやりとりだから
です。昔は、非常に魅力的な歌人で美女であった額田王を巡る天智天皇、天武天皇の皇子ふたりの
争いというロマンチックな話だったのですが、研究が進むにつれて、中年になってからの男女が、
薬狩りの満座の宴席で戯れたやりとりであるという解釈になっています。
それは、文学的に正しいのだと思いますけれど、なんだか知ってしまうとつまらない話ですね。
いいおじさんとおばさんが、歌のやりとりをしている。「そんな美しいあなたでなかったら、人妻
なのにどうして僕が口説くだろうか」などと、夫がいる前で言っているわけですね。この場合、額
田王は、昔はのちの天武天皇となる大海人皇子の恋人で、十市皇女(とおちのひめみこ)という子
どもも産んでいるけれども、いまは天智天皇の后の一人という立場なわけですね。ですからそれは、
「相聞」には入ってないわけです。
今回読む巻二は、恋のやりとりが主です。私もしみじみ思いましたが、この時代というのは、当
たり前のことですが、現代とは非常に感覚が違いますね。よく、恋する心はいつの時代も同じだと
言うのですが、これから読んでいくと出てきますけれども、天皇にはたくさん奥さんがいるわけで
す。それも、人妻を召し出して奥さんにするとか、あるいは、采女(うねめ)の場合が出てきます
が、それをお下げ渡しになるとか。そうすると、お下げ渡しを受けた男が非常に喜んで歌を作る。
現代人の心にはそぐわないものを感じてしまうのですね。
学者の先生の本を読むと、古代人の心ではこのようなっていた、と書いてあるのですけれども、
私は民主制の現代に育ってしまったので、基本的人権などを考えてしまい、納得がいかない。いか
ないのですけれども、読んでいると、
『万葉集』はすごいなと思うのです。その後も『古今集』
『新
古今集』と、歌は連綿と続いていて、近代以降も現在まであるわけですが、『万葉集』は一番すご
いです。読み直すたびにそう思います。
2.古代びとの嫉妬と愛情
今回は「貴人の恋」ということで、最初が磐姫(いわのひめ)、仁徳天皇のお后の伝説的な歌で
す。その後は、天智天皇と鏡王女(かがみのおほきみ)、それから藤原鎌足の歌など、皇族や貴族
などの身分の高い方の歌ばかりです。最後の柿本人麻呂は、身分は高くありません。六位くらいの
役人ですが、この人は宮廷歌人ということで、天皇の意を体して歌を詠むのですね。そういう能力
に優れており、
『万葉集』最大の歌人です。
つまり全て限られたハイクラスの人たちの歌ということなのです。次回には「庶民の恋」をやり
ますけれど、私はしみじみと自分のことを考えて、自分がもしこの時代に生まれていたら、庶民の
恋の中に出てくるような歌さえもおそらく詠むことがなく、文字も知らず、一生泥まみれで働いて
終わったのではないかと、そういう感じがします。
近代になって、
「牛飼いが歌を詠む時代がきた」と伊藤左千夫が歌いますが、それは本当にその
時の感慨は深かったと思います。『万葉集』は、貴族から民衆までの歌集と一応は言いますが、そ
れでもかなり限られた人たちの歌なわけです。その中でも今回取り上げるのは、本当に高貴な人た
2
ちの歌なので、古代の中でも特に限られた人たちの特別な歌なのです。それにもかかわらず、現代
の私たちの胸を打つ部分があるということと、そぐわないものがあるという部分と、いろいろな意
味で『万葉集』というのは問題も大きいし、難しいし、魅力も深い歌集だと思います。
では、読んでまいります。これは連作四首なので、通して読みます。
磐姫(いはのひめ)皇后(わうごう)、天皇を思ひて作らす歌四首
君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山(やま)尋(たづ)ね 迎へか行かむ 待ちにか待た
む(85)
かくばかり 恋ひつつあらずは 高(たか)山(やま)の 岩(いは)根(ね)しまきて 死な
ましものを(86)
ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我(あ)が黒(くろ)髪(かみ)に 霜(しも)の置
くまでに(87)
秋の田の 穂の上(うへ)に霧(き)らふ
朝(あさ)霞(がすみ) いつへの方に
我(あ)
が恋(こひ)止(や)まむ(88)
(新編日本古典文学全集1『万葉集』小学館より。以下同)
磐姫が「君が行き」ということは、天皇が自分から離れて、おそらく別の后のところに行ってい
るわけです。「私はあなたがおいでになってから」、「日長く」、日数が経ったということです。「山
尋ね」は、植物の名で枕詞です。
「お迎えに行きましょうか、それともここで待っていましょうか」、
とてもしおらしい優しい女の人ですね。
その次の歌は激しくなってきます。
「かくばかり
恋ひつつあらずは」、「こんなに恋慕ってばか
りいないで」、「高山の 岩根しまきて 死なましものを」、
「高い山の岩を枕にして死んでしまおう
かしら。そのほうがいいわ」というような歌ですね。だんだんすごくなってきます。
その次が、「こうやってあなたを待っている、私はずっと待っています」。『万葉集』の頃の絵を
ごらんになると、女の人の髪は結い上げています。平安朝の美女はたらしていますけれども。その
結い上げた髪を夜は解くのです。男を待って解いて長くたらしているそのなびく髪、「霜の置くま
でに」は、「白髪になるまで」という時間的な比喩と読む解釈もありますけれども、四首の連作と
すると、その日の中なので、
「朝まで待っている」ということですね。
だんだんに怖くなります。最初は、「迎えに行こうかしら、待っていようかしら」次では、「もう
いっそ死んでやろうかしら」になって、その次では、「霜の置くまで」というのは、かなり怖いと
思います。
そしてその最後に、秋なのですね。
「穂の上に霧らふ 朝霞」、のちの『古今集』の時代になって
3
くると、霞は春で霧は秋ですけれども、『万葉集』だと区別はありません。秋の稲穂の上にうっす
らと霧がかかっている「その霞のように、いったいどこに私の思いが晴れるところがあるのでしょ
うか」
。これも一首だけ読むと、
「いつへの方に」を時間的な比喩だと解釈できると思うのです。で
も、連作の中だと「どこに」ということですね。
これ、ものすごく優しい感じの歌ですよね。この皇后はとんでもなく焼き餅焼きです。仁徳天皇
が、矢田皇女(やたのひめみこ)というお后を磐姫がいない間に宮に入れてしまったら、たいへん
怒って磐姫は帰ってこない。天皇は使いをやるけれども、非常に怒っている。使いが庭の水たまり
の中にしゃがみ込んで、着ている服の紐から藍染めの色が出て体じゅうが染まってしまうまでずっ
と待ち続けていても、許してやらない。「絶対私は帰りません」と言うわけです。参考書を読みま
すと、古代の帝王というものは、強い情念を持った女性を后とすることが君主の権勢を示すものだ
ったとあります。つまり、ねたみというのも情念ですよね。古代ではそのエネルギーをよしとした、
という解釈がありました。ねたみの裏返しが愛である。だから、この優しい愛の歌を詠んだ磐姫が
同様に使者にも当たり散らして、地団駄踏んで暴れるほどの焼き餅焼きであっても、古代としては
許容できるというか、それが古代の価値観では良いと解釈されているわけです。
それは、古代の研究としては正しいと思います。ただ、現代人の私の小さな心からすると、そん
なことあるのかな、という感じがします。もうちょっと時代が下り、『源氏物語』では、ねたみと
いうとまず六条御息所(ろくじょうみやすどころ)ですね。六条御息所は、源氏を非常に愛してし
まって、でも自分が年上で身分も高く、しかも前皇太子妃なので、「どうしよう、どうしよう」と
思って積極的に出られず、葵上が妊娠してしまったり、若い紫の上が来ているようだというと、自
分で悩んで悩んで、どうしていいかわからなくなって、魂が生き霊となって、葵上を打ったりして
しまうわけです。その嫉妬というのは、確かに美しいと私は思います。磐姫のように解放できない、
抑圧されている嫉妬です。六条御息所は、重要な人物ではありますけれど、源氏は女性としては、
「ちょっともう僕は…」という感じになってしまうわけです。
でも一方、最愛の女性の紫の上のただ一つの欠点は嫉妬深いということになっていて、源氏があ
れだけたくさん奥さんがいれば、むしろ嫉妬深くなっても当たり前だというふうに私は思いますが、
物分かりがよすぎるくらいだから、病気になって先に死んでしまったのだと思うのですが。
そういう意味では嫉妬というのは古代において、ある意味美質でした。そのような激情を古代の
人はよしとしたということですね。
ただ歌としてみると、この四首は古代の磐姫にしてはあまりにも整った歌です。特に四首目は、
非常によくできた歌で、これは私の勘ですが、後世に作られた伝承してきた歌を磐姫の歌として入
れたのだと思います。しかも、このあと急に天智天皇に飛びますから。
『万葉集』という歌集は、誰が作ったのかはまだ謎ですが、巻一の巻頭は雄略天皇です。もちろ
ん、雄略天皇の本当の作品ではなく、伝えられてきた歌だと思います。雄略天皇という古代の天皇
の格を重んじて巻頭に持ってきたわけです。この歌集に権威を持たせるために。ですから巻二も、
伝説の仁徳天皇のお后の磐姫で、まず恋の歌を四つ入れて、そしてその後いよいよ真作だと思われ
る天智天皇の歌に入るわけです。
4
3.魂をぐっと引き寄せるために
天智天皇と鏡王女(かがみのおおきみ)という人の歌です。鏡王女は皇族だと思われます。額田
王のお姉さんだという説もあるのですが。私のイメージとしては、額田王は太陽のような感じで、
鏡王女は月のような感じ。明治時代だと与謝野晶子と山川登美子みたいだなあ、と思います。山川
登美子は、与謝野晶子に負けないだけの才能のあった人ですけれども、位の高い武家の士族の出だ
ったので、晶子のように自由には飛べないまま、夫に死なれ、結核にもなり、鉄幹との恋もあきら
め、早く死んでいく薄幸の美女というイメージです。ただ、鏡王女は鎌足の正妻になっていますの
で、そんなに不幸だったということはないですね。それは私のイメージです。
ここでも、いろいろな見方があります。天智天皇と鏡王女がやりとりしていますので、天智天皇
のお后だったのかとまずは考えるのですけれども、そのあと鎌足がとても嬉しそうな「結婚しまし
ょうよ」という歌を作っている。天皇との関係の後、鎌足の奥さんになったのか、それとも、別の
説では、古代においては臣下の正室を召し出すこともあった、と。それはかなり凄いと思うのです
けれども、それもあり得たという話なので、ちょっと私には分かりません。
まず、天智天皇の歌を詠んでみます。
妹(いも)が家(いへ)も 継(つ)ぎて見ましを 大和(やまと)なる 大島(おほしま)の
嶺(ね)に 家もあらましを(91)
「ずっとあなたの家を見ていたいのになあ」。難波宮にいらしたので、ずっと鏡王女の家を見て
いられないということですね。
「見る」ということには呪術的な力があって、見ることで念を送る
ような感じだと思うのです。そう思うとちょっと怖い。「大和なる
大島の嶺に
あなたの家があ
ったらなあ」という歌です。古代の君主としてはそうなのでしょうけれど、身勝手ですよね。あな
たの家があったらいいのになあ、なんて、腰が引けているというか。そんなに好きなら会いに来い
と私は思うのですけれども。鏡王女はそうは答えていません。
鏡王女の和(こた)へ奉(まつ)る御歌(みうた)一首
秋山の 木(こ)の下(した)隠(がく)り 行(ゆ)く水の 我(あれ)こそまさめ 思ほす
よりは(92)
私はこの歌がとても好きです。先程の磐姫の歌も美しかったですけれども、この歌も美しいです
よね。「秋山の 木の下隠り 行く水の」
。ここまでは序詞(じょことば)です。比喩であって、し
かもあとにかかる言葉です。いいたいことは、「帝がお思いになっていらっしゃるよりも私のほう
が遙かに恋焦がれておりますわ」ということです。でも、それだけではない。秋の山の落ち葉がた
くさん落ちて、積もって重なった状況を考えてください。その下に水が誰にも見られないけれどひ
5
っそりと、しかし確かな水量をもって流れて行く。そういうふうに、女の心がずっとしんしんと行
くのです。直接「まさめ」にかかっているわけではないのですが、気持ちとしてかかっているので
すね。「秋の山の、木の葉の積もった下をひっそりとゆくその水の流れのように強くひたむきに私
はあなた様をお思いしております。あなた様がおっしゃるよりも遙かに強く」ということです。
素敵だなと本当に思います。この歌を詠むと、ああ、本当に愛していたのだろうなあと私の単純
な頭では思うのですけれども、これも、古代の相聞のテクニックの一種ですね。つまり、男は必ず
口説くわけです。そうすると女は「あら、そんなことをおっしゃっても私のほうが愛していまして
よ」、
「そんなことおっしゃってもいつまでお心が続きますかしら」と言っていなします。そうする
と男が「いや、そんなことはない。僕は一生あなたを大事にしますよ」などと言うわけです。ちょ
っと気があるような素振りをして、またちょっとはね付ける。結婚まではそれでいくわけですね。
結婚してしまうとまったく関係が逆転してしまう。女がひたすら待つばかりになってしまう。
古代においては、
『源氏物語』などでもそうですが、結婚、恋愛、性といったことが人生に占め
る割合は現代よりはるかに重いわけです。奥さんの財産や格で男性の出世も決まりますから、どん
な人を妻にするかというのはとても大事です。磐姫がこんなに威張れるというのは、非常に有力な
豪族の娘だったからで、そういうパワーバランスが性愛の場面で出てくるのです。今の方がかえっ
て純粋かも知れません。しかし、だからこそ男も女も必死です。女の場合も身分が高い人であって
も父親に早く死なれてしまうと『源氏物語』の空蝉などはそうですが、受領(ずりょう)の後妻さ
んになってしまって、人生を棒に振るような形になってしまう。だから古代の恋に対する力の入り
方というのは現代とは違います。歌を一所懸命詠むというのも、現代の愛の歌のように、ひたすら
恋しいから詠むというよりは、お互いにお互いの魂をぐっと引き寄せることが大事なわけです。
4.深謀遠慮の歌、心休まる歌
こんなに美しいやりとりをしている天智天皇と鏡王女というものがありながら、でも、藤原鎌足
はこんな歌を詠んでいます。
内大臣藤原(ふぢはら)卿(きやう)、鏡王女を嫮(よば)ふときに、鏡王女、内大臣に贈(お
く)る歌一首
玉くしげ 覆(おほ)ふをやすみ 明けていなば 君が名はあれど 我(わ)が名し惜(を)し
も(93)
「玉くしげ」というのが美しいですね。意味上は、「覆ふ」の枕詞ですけれども。
「覆ふ」という
のが「隠れている」という意味なので、「覆ふをやすみ」、「私たちの仲がまだ誰にも知られていな
いからといって」
。「明けていなば」
、普通男は夜が明ける前に帰ります。人間の妻のところに古代
の神様が訪ねてきたときも、神様は夜明け前に帰ります。「あなたが大丈夫だと思って、安心して
6
夜が明けてから去るようなことをなさったら、あなたはよろしいでしょうけれども、私は浮き名が
立って困りますわ」という歌です。
これも、いろいろな読み方があって、女のいなしのテクニックであるという説もあり、そうでは
なくて、傷つきやすい繊細な女心を知らない鎌足が「どうですか、僕と一緒になりませんか。天智
天皇よりも僕の方がいいですよ」と言って傷ついたのではないかなど、いろいろな説があるわけで
す。
「玉くしげ」は櫛を入れておく立派な箱です。フロイトの『夢判断』をお読みになった方もいら
っしゃるかと思います。私も学生のときに囓りましたけれど、箱は女性の象徴という意味がありま
すね。古代人がどれほどそういうものを感じたか、分からないですけれど、「玉くしげ」というか
らには、非常に美しい装飾のある箱だったと思われます。「その箱の蓋が覆われているからといっ
て」というのは、エロチックな匂いがしますね。「美しい串の箱の蓋が覆っているからといって、
それをいいことになさって、あなたが夜明け過ぎてからお帰りになったら、私は困りますわ」とい
うと、女の人のたおやかな媚態に満ちた歌という感じがします。
対して、男は全然そんなことを構わないのです。本当に無神経な感じ。
玉くしげ みもろの山の さな葛(かづら) さ寝(ね)ずは遂(つひ)に ありかつましじ(9
4)
「玉くしげ」を同じように使っています。「玉くしげ」は開けてみるということで、「み」にかか
るのですね。
「玉くしげを開けてみるみもろの山のさな葛のように」、
「さ」は接頭語で、
「寝」は「共
寝」のことです。
「さな葛のように、共寝をしないでは生きていられなくなるでしょうよ」
、これも
解釈がいろいろあって、主語が男性か女性かによってもだいぶ変わってきます。「私はもう、あな
たと共寝をしなければ生きていられません」なら、まだ許せると私は思うのですね。けれど、「あ
なた、そんなことをおっしゃっても、私ともう共寝をしなかったら生きていられないでしょう」、
いくらなんでもそれはないだろうと思うのですけれども、解釈によってはそういうものもあります。
ということで、鎌足さんは、鏡王女を正室としたわけです。
にもかかわらず、です。采女(うねめ)といって、各地方の豪族から美しい娘が天皇にお仕えし
に都に来ています。采女は、天皇の寵愛を受けることはよかった。でも、臣下には決して許されな
かった。けれど、天皇の特別の思し召しで鎌足さんに与えられたわけです。そうしたらこの男が喜
ぶまいことか(笑)
。
我(われ)はもや 安見児得(え)たり 皆人(みなひと)の 得かてにすといふ 安見児得た
り(95)
歌としては、
「安見児得たり」のリフレインが美しくて、歌謡調ですね。
「私は安見児さんをいただきました。誰も手が出せない安見児さんを私はいただいたのですよ。
7
ああ、うれしいな」ということです。
けれども、これも複雑な古代の文脈がありまして、天智天皇が亡くなると壬申の乱が起こります。
弟の大海人皇子と、天智天皇の子で、天智天皇が密かに皇位を譲りたいと思っている大友皇子と内
乱になります。大友皇子のお母さんが采女でした。近代までそうでしたけれど、劣り腹といって、
お母さんの出自が低いと皇位につけないわけです。光源氏もそうでした。どんなに優れていても皇
太子に立てられないので、そのために大友皇子の身分を底上げするために、鎌足さんに采女を前も
ってお下げ渡しにしておいて、采女というもののグレードアップを図ったという説があるのですね。
そういう深謀遠慮かどうか分からないのですけれども。鎌足も必ずしも無神経なだけでこう言って
いるわけではなく政治家ですから、満座で安見児さんをいただいて嬉しいな、僕は嬉しいなと、采
女というものをアピールしているという古代の謀略の説があるわけです。
古代に生まれていたら、私はそんなに上つ方に生まれるわけもありませんが、とても生きていか
れなかったと思います。とにかくたいへんな世界なのですね。一歩間違えたら殺されてしまいます
からね。もう本当に古代はたいへんだなと思います。
その次は心の安まる歌です(笑)
。
久米禅師(くめのぜんじ)が石川(いしかはの)郎女(いらつめ)を嫮(よば)ふときの歌五
首
み薦(こも)刈る 信濃(しなぬ)の真弓(まゆみ) 我(わ)が引かば うま人(ひと)さび
て
否(いな)と言はむかも(96)
これはやりとりになっています。「郎女」というのは、権門の女性の呼び名で、石川郎女さんと
いう人は貴族のお嬢さんなのですけれども、この巻二にこの名前の女性は何回も出てきます。大津
皇子が謀略に引っかかって処刑されるときに出てくるのも石川郎女ですし、そのあとに、大伴田主
(おおとものたぬし)さんと雅(みやび)を競うのも石川郎女ですし、年とってから若い男の人に
「まあ私としたことが、いい年をしてこんな恋をしちゃって」と言うのも石川郎女です。これが全
部同じ人物かというと、あまりにも筋が通らない感じもするのですが、一説にはすべて同一人物だ
と言われ、一説にはすべて違うと言われ、分かってません。ただ、そのシチュエーションごとに読
むと、この久米禅師さんの歌はなかなか可愛いのです。
「み薦刈る」というのが、
「信濃」にかかります。「信濃」は「みすずかる」などもあります。信
濃は弓の名産地だったらしくて、「信濃の真弓を引くように、私があなたを引き寄せたら」、「うま
人」は「高貴な人」です。「あなたはいいところのお姫さまらしく、嫌だと言うでしょうね。あな
たはお高いから」という非常に可愛いですね。これは許せます。
それに対して女のほうの歌。
8
み薦刈る 信濃の真弓 引かずして
強作留(おはくる)わざを 知るといはなくに(97)
「まあ、信濃の真弓を引きもしないで、弦をかける方法を知っているなんて言えませんけれどもね。
女を口説く方法を知ってらっしゃるの」という感じで、いなしていますね。さらに加えて、
梓弓(あづさゆみ) 引かばまにまに 寄らめども 後(のち)の心を 知りかてぬかも(98)
「梓弓」は「引く」にかかる掛詞です。「春」にもかかるのですよね。私たちでも「梓弓」を使
ってみたりします。魅力のある言葉です。梓弓というのは、霊力を含んでいる。そういう言葉なの
ですが、「梓弓のようにあなたが本気で引いてくださるならば、お側に行きましょうけれども、あ
なたが後々まで誠意をもって私に尽くしてくださるかしら」
まず、「あなたは女の口説き方を知っていらっしゃるの」と突き放しておいて、ちょっと気があ
るように、
「側に行ってもいいのだけれど、あなた本気かしら」ということですね。その後、
梓弓 弦(つら)緒(を)取りはけ
引く人は 後(のち)の心を
知る人そ引く(99)
「弦のかけ方を知らない男なんているものですか。女の口説き方くらい分かっていますよ。梓弓
を引く人はね、後の心まで変わらない自信があるから引くのですよ」
ここは、女の心という解釈もありますけれども、やはりこれは、自分の心だと思うのです。自分
に自信があるから、一生全力でお守りします、ということですよね。さらにこの人は、本当にメロ
メロになってしまったらしく、100番の歌。
東人(あづまと)の 荷(の)前(さき)の箱の 荷(に)の緒にも 妹(いも)は心に 乗り
にけるかも(100)
「東人」は、ここでは信濃の人です。「信濃の人が背負っている荷の紐が食い込むように、あな
たが私の心に体にぐっと乗ってしまったよ」ということですね。「妹は心に 乗りにけるかも」、こ
れはいいですね。これは使ってみたいですが、私は女なので「妹」というのは言えません。『万葉
集』の編者が最終的に誰かというのは分からないのですが、これは連作なので、歌物語ふうに楽し
んで読めるふうになっていますね。だから、必ずしも具体的なシチュエーションそのままではない
かも知れないということです。
その後は、ひどいなと思います。
大伴宿禰(おほとものすくね)
、巨勢郎女(こせのいらつめ)を嫮(よば)ふ時の歌一首
玉(たま)葛(かづら) 実(み)成らぬ木には ちはやぶる 神そつくといふ 成らぬ木ごと
9
に(101)
大伴宿禰は家持のおじいさんです。これは現代だったら、セクハラ間違いなしという感じで、「実
のならない木には、恐ろしい神が寄りついているといいますよ。実がならない木にはどの木にも。
子どもを産まないと、恐ろしい神様が寄りつくみたいですよ、あなた」。
しかも、「成らぬ木ごとに」と反復しているのです。これは歌謡的でもあるし、呪術的に念をか
けて、「あなたね、僕の言うことを聞いて今のうちに結婚しておかないと、悪い神様がつくのです
よ」という感じです。私は嫌だなあと思いますけれども、この人は嫌ではなかったらしい。
巨勢郎女(こせのいらつめ)の報(こた)へ贈(おく)る歌一首
玉鬘(たまかづら) 花のみ咲きて 成らざるは 誰(た)が恋(こひ)ならめ 我(あ)は恋
ひ思ふを(102)
「花だけ咲いて実がならない、実にならない誠意のない恋とはどなたのことですか? 私はひた
すら恋慕っておりますのよ」という歌ですね。
5.古代びとの心は深くて残酷
私の大好きな大津皇子(おおつのみこ)と大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌にいきましょう。
この二人は、天武天皇の子どもで、お母さんは大田皇女(おおたのひめみこ)といって、持統天
皇のお姉さんです。姉妹どちらも天智天皇の皇女で身分がたいへん高いわけですけれども、大田皇
女は早く亡くなってしまいました。のちに持統天皇となる皇后は、非常に強い人ですから、お父さ
んの天武天皇が亡くなると、母を亡くしているこの姉と弟の立場は危ういわけですね。お姉さんは
ともかく、大津皇子は人望も厚く才能もあり、漢文も才能があった。それが心配だから、お父さん
の天武天皇は有名な「吉野の盟約」で、6人の皇子と天武天皇とその頃皇后だった持統天皇みんな
で集まって、自分が死んだ後は草壁皇子(くさかべのみこ)(この持統の子は凡庸だったらしいの
ですが)、これに譲るからみんないいね、と心を決めて約束させたわけです。ところが天武天皇が
亡くなってしまうと、持統天皇は気が気じゃないわけですね。大津皇子がクーデターを起こしたら、
「壬申の乱」の二の舞になって、わが子である草壁皇子なんて吹っ飛んでしまうかも知れない。そ
こで、
大津皇子(おほつのみこ)
、竊(ひそ)かに伊勢神宮(いせのかむみや)に下(くだ)りて上
(のぼ)り来(く)る時に、大伯皇女(おほくのひめみこ)の作らす歌二首
ある本によりますと、大津皇子が伊勢の大伯皇女、つまりお姉さんのところに相談に行ったのは、
お父さんが亡くなった686年の9月9日以降で、9月24日の夜半から25日朝までだと。また、
10
伊勢には行っていないという説もあるのですが。
でも、このお姉さんの歌を読むと、すごいのです。
我(わ)が背子(せこ)を 大和(やまと)へ遣(や)ると さ夜(よ)ふけて 暁(あかとき)
露(つゆ)に 我(あ)が立ち濡(ぬ)れし(105)
二人(ふたり)行(ゆ)けど 行き過ぎ難(がた)き 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ
(106)
これは文脈を外すと絶対に恋の歌ですよね。好きな男が旅立つのを見送る女の歌です。「私の愛
しい人が大和に行くのでそれを見送るとき、もう夜更けになって」、夜更けというのは、本当は外
に出てはいけないわけです。
「暁の露に濡れて」、露に濡れて霊力が高まっている状況です。自然の
霊力を一身に浴びて、しかも皇女で斎宮である女が、「私は立ち濡れてあなたを見送っています」
という歌です。
次の歌は、「二人で行ったって、越えるのがたいへんな秋の山をどうやってあなたお一人で越え
ていらっしゃるでしょう」。これはおそらく、伝承の歌か後世に作られた歌を大伯皇女の歌とした
のではないかと思うのですけれども。
ヴィスコンティの映画で『熊座の淡き星影』という映画をごらんになった方もいらっしゃるかと
思いますけれども、姉と弟の恋の物語です。この歌を読むと、どうしても私はそういうのを考えて
しまいます。しかし、絶対にそういうことはタブーなわけです。今日の考えでは、お母さんが同じ
だろうがお父さんが同じだろうがタブーなのですけれど、古代では、お母さんが違えば結婚しても
いいのです。だから、近親結婚は多いわけですけれども、この二人の場合は同母の姉弟なので、絶
対のタブーです。しかも大伯皇女は神に仕える神妻(かみづま)の斎宮ですからね。絶対にいけな
いのですけれども、こういう歌を詠んでいる。
一方で、伊勢というのは、天皇家の神を祀ってあるわけですから、たとえ皇子であろうとも、私
事で許可を得ないで行ってはいけない。そこへ行ったということになると、それだけで反逆の意志
ありと見られてしまい、陥れられる。でも、大津皇子はそんなことはかまわず、107の歌を詠ん
だとされます。
大津皇子(おほつのみこ)
、石川郎女(いしかはのいらつめ)に贈(おく)る御歌(みうた)
一首
大津皇子は、お姉さんがこれだけの歌を詠んでいるのに、返しがないというのもあんまりじゃな
いかなと私は思うのですよね(笑)
。
本当に行ったのかどうかというのも分からないところなのです。またこの人も、男らしいという
か、死ぬ時の歌などは、誰のことも歌っていません。鴨がいる磐余(いわれ)の池の景色を見て、
11
「この景色は永遠だけれども、私はもう今限りだな」といって永遠に旅だって行くのですね。ここ
でも、不思議な歌になっています。
あしひきの 山のしづくに 妹(いも)待つと 我(あれ)立ち濡(ぬ)れぬ 山のしづくに(1
07)
山というのは異界ですし、高貴な人が一人で夜に行くようなところではないのです。しかも、男
が女を待つのはあり得ないパターンですね。異例中の異例なわけです。また、「山のしづくに」の
リフレインは、先程申し上げたように歌謡調ですね。ですから、本当に大津皇子が詠んだのではあ
るまいと思うのと、何かの暗号として入っていたのではないかと思ってしまいます。たとえば、陥
れるためにですね。
石川郎女が和(こた)へ奉(まつ)る歌一首
というのが一応、あるのです。
我(あ)を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを(108)
女は行っていないのです。待ちぼうけを食らわせているのですね。それからして怪しいのですけ
れど。
「私を待っていてくださったというその山のしずくにこそ、私がなりたかったものですのに」
という媚態を贈っているわけで、これが先程の石川郎女だとしたら、とんでもないわけなのですが。
大津皇子はそのあと、石川郎女に会っているのです。次の「婚(あ)ふ」というのは、密通に近
いわけです。そうすると、津守連通(つもりのむらじとほる)という人が占いの才能があるらしく
て。
大津皇子、竊(ひそ)かに石川郎女(いしかはのいらつめ)に婚(あ)ふ時に、津守連通(つ
もりのむらじとほる)がその事を占(うら)へ露(あら)はすに、皇子の作らす歌一首
大船(おほぶね)の 津(つ)守(もり)が占(うら)に 告(の)らむとは まさしに知りて
我(わ)が二人寝(ふたりね)し(109)
「大船の」は、枕詞です。
「津守のやつが占いで解き明かすということはわかっていたんだよ。
そんなことはわかっていて、私はこの子と共寝したんだ」と剛胆に言い放つわけです。それを思う
と、この密通は本当にあったのかなと思いますね。その後、日並皇子尊(ひなみしのみこのみこと)
、
これは草壁皇子です、持統の子の皇太子も石川郎女に歌を送っている。
12
日並皇子尊、石川郎女に贈り賜(たま)ふ御歌一首
大名児(おほなこ)を 彼方(をちかた)野辺(のへ)に 刈る草(かや)の 束(つか)の間
(あひだ)も 我(あれ)忘れめや(110)
「束の間」まで序詞です。風景の入った比喩的な序詞なのですけれども。「本当の束の間も君の
ことを忘れないよ。だから、大津皇子のほうなんか行かないでね」ということらしいのですが。
こうやって読みますと、105番の歌から110番までつながっていて、大津皇子物語ですね。
これも、編纂した人がどういう意図で入れたかということだと思うのです。それも、磐姫や大伴宿
禰、鏡王女だったらまだいいですけれども、大津皇子は政治犯で処刑された人です。その人の歌が
入っているということは、謀殺されたということを証拠立てることにもなりますよね。なぜこれが
『万葉集』に入っているかという編者の意図ですよね。
ただそれは、罪なくして死んだ人の魂が怨霊となって後の人にたたるという、前近代まで日本に
あった御霊信仰だと思います。菅原道真公がいい例で、天神様として祀られますよね。それを非常
に恐れたということがあるのではないかと思います。そういうことから、大津皇子の歌もあるし、
有間皇子(ありまのみこ)の死ぬ前の歌もありますね。政治犯として、おそらく無実の罪を着て死
んでいった人の歌を入れているわけです。これが『万葉集』の特徴で、『古今集』以降になると、
そういうものがほとんどないです。
挽歌はありますけれども、哀傷歌という形に矮小化されます。『万葉集』において、挽歌は相聞
歌に匹敵するボリュームで、愛と死というのは相対しているのですけれども、だんだん死が隠蔽さ
れていくのですね。しかも政治犯の死をダイレクトに出すということが全然なくなるわけです。そ
れだけでも、『万葉集』はとても魅力があるなと思います。
『万葉集』の古代の人の感覚というのは、計りがたいものがあるというか、古代人の心というの
は非常に深く、しかも残酷ですね。残酷でありながら、政治のために罪なくして死んだ人の魂を非
常に恐れて、その魂というのを信じる心があったということです。私はそのことだけでも『万葉集』
に対して非常に畏怖の念を持ちます。
6.高貴な男女の歌物語
さて、額田王の歌はぜひ入れたいので、やります。111番です。
吉野宮(よしののみや)に幸(いでま)せる時に、弓削皇子(ゆげのみこ)、額田王(ぬかた
のおほきみ)に贈り与ふる歌一首
弓削皇子は、天武天皇の第六皇子ですね。お母さんは天智天皇の皇女の大江皇女(おおえのひめ
みこ)ですけれど、やはり、持統天皇の時代では、日陰者なのですね。お父さんがいくら天武天皇
でも関係ないわけです。
13
額田王が人麻呂以前の大歌人、宮廷歌人として非常に華やかであったのは、先程の薬狩りの歌に
もあったように、天武朝です。天武天皇が亡くなってしまうと持統天皇が力を持ちます。持統天皇
は、焼き餅焼きであるだけではなく、夫の天武天皇が始めた古代の律令国家の専制的な権力を自分
の力でなんとか支えて、草壁皇子に絶対つなぐぞという女の一念があるわけです。だから自分の子
ではない人は、ぜんぶ憎いわけです。そういう強い気持ちがあるし、まして、天智天皇にも天武天
皇にも愛された額田王は完全に忘れ去られた存在なのですね。ですから、弓削皇子は、額田王の気
持ちを察して、
古(いにしへ)に 恋ふる鳥かも ゆづるはの 御井(みゐ)の上(うへ)より 鳴き渡り行(ゆ)
く(111)
「昔を恋したう鳥のようですね」
、
「ゆづるはの 御井」は吉野の清らかな水のことらしいのです
が、
「その上から鳴き渡っていきます」
。ここで「古」といっているのは、亡き父、天武天皇のこと
だとも考えられるし、また、昔とも考えられるのですが、そういうふうに歌って、「あなたも昔が
恋しくていらっしゃるのではありませんか」というふうに額田王を思いやるわけですね。このとき、
額田王は60代で、弓削皇子は20代です。こういう優しい心の通い合いがあるわけですね。
額田王は飛鳥京にいたらしいですね。
額田王(ぬかたのおほきみ)の和(こた)へ奉(まつ)る歌一首
古(いにしへ)に 恋ふらむ鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我(あ)が思へるごと(11
2)
ホトトギスが昔を懐かしむ鳥だというのは約束事です。謎をかけたのに答えて、「昔を恋しむ鳥
はホトトギスでございましょう。私が昔を恋しむように、あなた様の父上を恋しむように、鳴きま
したのね」と答えるのですね。そしてさらに、
吉野(よしの)より苔(こけ)生(む)せる松が枝(え)を折取(を)りて遣(や)る時に、
額田王の奉(たてまつ)り入るる歌一首
み吉野の 玉松が枝(え)は 愛(は)しきかも 君がみ言(こと)を 持ちて通(かよ)はく
(113)
「玉松が枝」は美称で、美しく言っているのですね。「吉野の松の枝はなんて美しくて優しいの
でしょう。松の枝さん、この宮さまのお言葉を持ってきてくださるわね」というふうに、寂しい額
田王の心を慰めたということで非常に喜んでいます。
14
この二首が額田王の最後の歌なのです。この歌が入っているということも、私は『万葉集』を編
んだ人の心というのは深いなと思うのです。のちの大歌人、たとえば和泉式部でも、どれが生涯最
後の歌かというのは分からないのです。額田王ももちろん、これが生涯最後ではないにしても、こ
れでほとんど一生を終わったというふうに追えるのですよね。そういう古代人だけの持つゆかしい
心というのを私はとてもいいな、と思います。
その次に、但馬皇女(たぢまのひめみこ)の歌です。114番ですね。
ここに出てくる但馬皇女と高市皇子(たけちのみこ)と穂積皇子(ほずみのみこ)は、みな天武
天皇の子どもです。兄弟なのです。高市皇子は天武天皇の長男ですが、お母さんの身分が卑しいの
で皇太子になれない。非常に人望も徳もあって優れた人だったのです。そういう人の扱いが難しい
ですよね。しかしそこは、お父さんも持統天皇も賢くて、この人は「壬申の乱」に活躍して、しか
も草壁皇子が亡くなったあと、太政大臣、最高権力者になって持統朝を支えるのです。
しかもこの人は、さらに複雑で、
「壬申の乱」の時に大友皇子が亡くなって、後に弘文天皇と諡
(おくりな)されるのですけれども、大友皇子の正妃である十市皇女(とおちのひめみこ)という
のは天武天皇と額田王の娘ですが、その十市皇女と高市皇子は恋仲だったようなのですね。その十
市皇女の夫が「壬申の乱」で悲惨な死に方をするわけです。そのあと、お父さんの世になりますが、
当然、自分が心穏やかでいられるわけもなく、十市皇女は若くして急死するのですが、その時に高
市皇子は痛ましい挽歌を贈っている。
ですから、ものすごく複雑な関係で、このとき、但馬皇女と穂積皇子は20代、高市皇子は40
代なわけです。自分も苦しい恋をした高市皇子は、但馬皇女の恋の心がわからなかったわけはない
というふうに、少女時代に母が買ってきてくれた田辺聖子さんの『文車日記』で読みました。高市
皇子の優しい心があったはずだと聖子さんは言っているのですね。そういうことがあってもおかし
くなかったのではないかと。古代の王族の複雑な血の葛藤の中では、こういう恋も、たとえ自分の
妻が自分の名を汚すよう恋をしていたとしても、「ああ、こういうこともあるな」と思ったかもし
れないということなのですね。そういう前置きで。
但馬皇女(たぢまのひめみこ)
、高市皇子(たけちのみこ)の宮に在(いま)す時に、穂積皇
子(ほづみのみこ)を思ひて作らす歌一首
秋の田の 穂向(ほむ)きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛(こちた)くありとも(1
14)
こういう調べは王朝ではありませんね。
「寄りなな」「言痛くありとも」などと、すごく堅いでし
ょう。この響きを聞いていると、私は仏様のアルカイックスマイルを見るようで、美しいなと思う
のですけれども。たおやかではなく、若い美しい女性でも、ごつごつした言い方なのですが、これ
も序詞です。
「片寄りに」までが全てにかかっていて、
「秋の田の」の比喩が、単なる比喩ではなく、
15
実景のリアリティがありますよね。
「稲の穂が片寄っているそのように、一方にひたむきにあなた
に寄り添っていたい。人に悪い噂を立てられても、私はあなたに寄り添っていきたい」
そうすると、やはり、高市皇子が最高権力者ですから、これはまずいというふうに持統天皇など
は思うわけです。形だけでも恥をかかせてはいけないということで、穂積皇子を志賀の山寺に遣わ
せたらしいですね。
穂積皇子に勅(みことのり)して、近江(あふみ)の志賀(しが)の山寺に遣(つか)はす時
に、但馬皇女の作らす歌一首
後(おく)れ居(ゐ)て 恋ひつつあらずは 追(お)ひ及(し)かむ 道の隈廻(くまみ)に
標(しめ)結(ゆ)へ我(わ)が背(せ)
(115)
「こんなふうにあなたが行ってしまって、私ひとりでこんなに恋焦がれているなら、ついて行き
たいのです。だから、道の曲がり角ごとに印を付けておいてください」お茶なさる方はご存じだと
思います。こちらに行ってはいけないという道に紐をかけた石を置きますよね。ああいう感じで、
道に印をつけて。しかも、「隈」というのは古代的解釈では、そこにいろいろな霊がたまっていて
危険な場所だったらしいですね。だから「そういう場所ごとにあなたが印をつけて、こっちおいで
と私を導いてくださったら、私はついていきます」ということですね。
但馬皇女、高市皇子の宮に在ます時、竊(ひそ)かに穂積皇子に接(あ)ひ、事既(すで)に
形(あら)はれて作らす歌一首
人言(ひとごと)を 繁(しげ)み言痛(こちた)み 己(おの)が世に いまだ渡らぬ 朝(あ
さ)川(かは)渡る(116)
これも美しいですよね。「形はれて」ということは、密通がわかってしまったのですね。そうす
ると、「人事を
繁み言痛み」、
「人がうるさく言って悪い評判が立っても、今まで私の人生で一度
も渡ったことのない、朝の川を渡るのです」これは、朝の川を本当に渡るということだけではなく
て、比喩的に女が恋の成就を願う行為とも言われていて、両方の意味があるのですけれども、非常
に高貴な女性の情熱というのが出ていますよね。
このあと但馬皇女が亡くなると穂積皇子は悲痛な挽歌を詠むわけです。結局、この二人は結ばれ
たのかな、高市皇子も見守ってあげたのかな、と思いますが分かりません。ここもやはり歌物語で
すよね。
7.人麻呂の凄さを感じさせる歌
いよいよ人麻呂に行きましょう。人麻呂は、先程も申し上げたように、身分はごく低い。額田王
16
のように、皇族として天皇に成り代わって歌を詠んだわけではなく、非常な才能だったのでしょう
ね。この人はとにかく、短歌もすごいけれど、長歌がすごいのです。漢詩を取り入れた対句形式の
構成の整った荘重な歌を詠み、そして持統朝からの「天皇は神にしませば」という現人神思想を盛
り上げるのに役だったのが人麻呂ですね。
その前の時代の額田王の長歌もあって、春と秋を比べる歌などがあるのですが、自由な形式でた
おやかですけれども、人麻呂のように整然としたリズムで最後は炸裂するような長歌ではない。そ
のあとの大伴家持も、かなり天皇や国家を褒め称えた歌を作るのですが、家持はあまりにも繊細だ
し、近代的といってもいいような憂愁や孤独を詠むとすごい人ですけれども、弱さが見える。とこ
ろが人麻呂は、少しのためらいもなく、王権というものに自分の調べを一体化させて、かつ、自分
は一歩引いていられるというのがすごいと思うのですね。
この石見相聞歌(いわみそうもんか)も有名な歌で、心を打たれるので本当のことなのだろうと
思うのですけれども、いろいろな説があって、「人麻呂歌俳優説」もあります。そうすると、宮廷
の中でドラマを盛り上げるために作ったのではないかという説もあり、分からないのですけれども、
とにかくこれは調べが素晴らしいので、まず読んでみます。
石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)な
しと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさなとり 海
(うみ)辺(へ)をさして にきたづの 荒磯(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)
ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕(ゆふ)はふる 波こそ来(き)寄
(よ)れ 波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝(ね)し妹(いも)を 露霜(つゆし
も)の 置きてし来(く)れば この道の 八十(やそ)隈(くま)ごとに 万(よろづ)度(た
び) かへり見すれど いや遠(とほ)に
里は離(さか)りぬ いや高に
山も越え来(き)
ぬ 夏(なつ)草(くさ)の 思ひしなえて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む なびけ
この山(131)
石見(いはみ)のや 高角山(たかつのやま)の 木(こ)の間(ま)より 我(あ)が振る
袖(そで)を 妹見つらむか(132)
笹(ささ)の葉は み山もさやに さやげども 我(あれ)は妹(いも)思ふ 別(わか)れ来
(き)ぬれば(133)
これは『万葉集』最高の歌だと思いますね。特に最後の「妹が門見む なびけこの山」すごいで
すよねえ。これだったら、山もなびくかもしれないという歌ですね。
要するに言いたいことは、奥さんを置いて出てきたということで、一番最後の「夏草の 思ひし
なえて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山」までで、話は成り立っているのですけれども、そ
の前の長い序があって、序破急のようにだんだんに迫ってくるリズムですね。まず「石見の海」と
17
大きな提示があって、その次に「角の浦廻」と場所を提示して、「浦なしと
人こそ見らめ
潟な
しと 人こそ見らめ」たいした海じゃない、たいした磯じゃないと言うかもしれないけれどいいの
だ、浦はなくとも、潟はなくとも、いいのだよ、ということで。
まず「石見」の国褒めをやり、挨拶するわけですね。それで「いさなとり」、これは枕詞です。
でも本当に鯨がいたような気がしますよね。で、
「磯の上に」、石見の海辺を目指して沖からやって
来る、沖というのは、一種の異界ですから別世界ですね。沖からやって来る「玉藻沖つ藻」、これ
は実は女性なのですけれども、まだそこへ行かないで。
「朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 波こそ来寄れ」つまり、寄ってくる風とか波は男のイメ
ージだと思うのです。
「波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を」ここでやっと出てきます。「玉藻なす」
が枕詞で、要するに「寄り寝し」なのですけれど、そこまでの長い長いイメージですよね。沖から
やって来た、つまり異界からやって来た素晴らしい女というもの、「玉藻沖つ藻」に、風こそ寄っ
てくる、波こそ寄ってくる、そういう波のところで寄り添って寝た、その愛しい妻を、「露霜の」
は枕詞ですね。
「置きてし来れば」
、置いてきたので。ここでやっと本題に入ります。「この道の 八
十隈ごとに」先程申し上げたように、隈というころには、異界のいろいろな魂がいるわけですね。
そういう危ういところに来ると、「かへり見」、妻と魂が結ばれあっているか確認するわけですね。
でも確認しようとしても、遠く妻の里は離れてきてしまった。そして高く山も越えてきてしまった。
このあとが面白いのですが、
「夏草の」というと、夏草は伸びますよね。でもここは、あまりの
日光の激しさにしなびてしまった夏草かな、という感じで、
「思ひしなえて」なんです。
「思ひしな
えて 偲ふらむ」でしょんぼりして私のことを思っているだろう。そして、門口に立ち尽くしてい
るだろう妻の姿を見よう、私は見るぞ、という意志ですね。「なびけこの山」山よ、平たくなって
しまえ。私が妻を見るのだ、と、ここで念がばーっと入るわけです。ここで大喝采というふうにな
るのかも知れませんが。
そのあとの反歌です。
「石見のや
高角山の
木の間より」山の中で一番高いところの木の間か
ら、私が振る袖を。昔の着物は広袖で、そうすると、魂が入ってくる。袖というのは大事なのです。
私の振る袖をおまえは見ているか、ということなのです。見ているよね、ということですね。
もう一つの歌は、
「笹の葉は み山もさやに さやげども」これは美しいですね。
「さ音」の頭韻
が美しいですが、本によりますと、これは山の異界のざわめきの中で、孤独な旅人が自分の念を凝
らして、別れきた妻のことに思いを集中して異界のエネルギーに邪魔されないで、彼女と魂をつな
ごうと念を集中している感じ。そのことによって自分も無事行かれるという情景だそうですけれど
も。
そういう解釈がなくても、確かに笹の葉は、心霊や霊魂というものに関係があるらしいのは、和
泉式部の歌にも笹の葉にあられが降ってくると、いてもたってもいられなく共寝がしたくなる、と
いう歌があるのです。和泉式部の場合は恋に生きたので、霊的なエネルギーは全部恋として、愛と
して受けているからそういうふうになりますが、同じだと思うのです。古代的な魂を王朝の中で唯
一受け取った歌人が和泉式部だったので、そういうふうに連鎖していくのだと思うのですが。
18
「笹の葉は み山もさやに さやげども」風がさやさや騒いでいて、美しいようでもあり、恐ろ
しいようでもある情景の中で、一人で袖を振っている人麻呂の姿が見えるようですね。石見相聞歌
といわれているのは、これが一番有名ですけれども、このあと、二つあるのですよね。いちおう、
そちらも読みますけれども、絶対にこれがいいと思いますね、私は。
注釈書を読むと、まず、次の歌ができて、その評判がいいから続編を作れということになって、
そのあとに整えたのがこの歌だったというのですけれども。そういうことを考えないで、ある姿と
しては、これは最高の歌だというふうに私は思います。
でも、次も読んでみましょう。135番です。
つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 辛(から)の崎なる いくりにそ 深(ふか)海
松(みる)生(お)ふる 荒磯(ありそ)にそ 玉藻(たまも)は生ふる 玉藻なす なびき寝
(ね)し児(こ)を 深海松の 深(ふか)めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は いくだもあ
らず 延(は)ふつたの 別れし来(く)れば 肝(きも)向(む)かふ 心を痛(いた)み 思
ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の もみち葉(ば)の 散り
のまがひに 妹(いも)が袖
さやにも見えず 妻(つま)隠(ごも)る 屋(や)上(かみ)
の山の 雲(くも)間(ま)より 渡らふ月の 惜(を)しけども 隠(かく)らひ来れば 天
(あま)伝(づた)ふ 入(いり)日(ひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(あれ)も しき
たへの 衣(ころも)の袖は
通りて濡(ぬ)れぬ(135)
青駒(あをこま)が 足搔(あが)きを速(はや)み 雲居(くもゐ)にそ 妹があたりを 過
ぎて来(き)にける(136)
秋山に 落つるもみち葉(ば) しましくは な散りまがひそ 妹(いも)があたり見む(13
7)
これも悪くはないのですが、枕詞が多いですよね。
「つのさはふ」はまず「石見」にかかり、
「言さへく」は「辛の崎」にかかり、
「肝向かふ」は「心」
にかかり、「大船の」が「渡」にかかり、「妻隠る」が「屋上」にかかり、「天伝ふ」が「入日」に
かかり、というふうに。
それはいいのですけれども、単調であるし、最初のほうは前の歌で出てきた情景そのままですよ
ね。深海松のように私に寄り添い、深海松のように深く思っているけれども、共寝した夜はいくら
もなく、そして「延ふつたの」別れて来たので、心の痛さに絶えられず、ますます悲しい思いにふ
けりながら、というふうになるわけですね。
ただこの歌は、女の姿が見えないでしょう? 最初の歌のほうは女が立ち尽くして待っている美
しい姿が非常に哀れに見えますよね。でも、こちらは心理描写であって、「我」に主体があると言
えば言えるのですが、その点でも作としてどうかなと私は思うし、それに「渡らふ月の 惜しけど
19
も 隠らひ来れば」のところが「天伝ふ 入日さしぬれ」実はこれ昼なのですよね。月が隠れたと
思うと実は昼であって、それはそれなりの詩的効果はありますが、盛り上がりの点だと、やはり先
程の長歌と短歌には叶わないと思うのです。
そして、「秋山に 落つるもみぢ葉 しましくは な散りまがひそ」
、ほんのしばらくでもいいか
ら、散り乱れてくれるな、というのは、なんとなく不吉な感じがしますよね。この歌は弱くて嫌だ
なあと私は思います。
3番目の歌も読んでみます。
石見(いはみ)の海 津(つ)の浦をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こ
そ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさなとり 海辺(うみへ)
をさして にきたつの 荒磯(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻(た
まも)沖つ藻 明(あ)け来(く)れば 波こそ来寄(きよ)れ 夕(ゆふ)されば 風こそ来
寄れ 波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす なびき我(わ)が寝し しきたへの 妹が手(た)
本(もと)を 露(つゆ)霜(しも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十(やそ)隈(く
ま)ごとに 万(よろづ)度(たび) かへり見すれど いや遠(とほ)に 里離(さか)り来
(き)ぬ いや高に 山も越え来ぬ はしきやし 我(わ)が妻(つま)の児(こ)が 夏(な
つ)草(くさ)の 思ひしなえて 嘆くらむ 角(つの)の里見む
なびけこの山(138)
石見の海 打歌(うつた)の山の 木(こ)の間(ま)より 我(あ)が振る袖(そで)を 妹
見つらむか(139)
この歌は最初にできたと言われるだけあって、131番の歌と135番の歌を合わせた感じでは
ありますが、それだけに、ごちゃごちゃしていますよね。
「よしゑやし」のリフレインがあるのに、
また「はしきやし」が入っていたり、
「しきたへの
妹が手本を」というのも、手を置いてきてし
まった、という解釈ですけれども、やはり袖のような感じもするし。
それに反歌も「打歌の山の」は山の本当の名前らしいのですが、高角山というと、山の一番高い
ところで、もう本当に最後の最後だという感じがするのですが、実名を出してしまったために、本
当の感じが弱くなっているのですね。だけど、このあとにさらに奥さんの歌が出てきます。
な思ひそと 君は言ふとも 逢(あ)はむ時 いつと知りてか 我(あ)が恋ひざらむ(140)
「あなたはそうおっしゃるけれども、いつ逢えるか分からないから、私は恋慕いますわ」という
歌ですけれども、これはやはり、宮廷の中で奥さん役が歌ったという説もあり、そういう話を聞く
とがっかりするのです。
でも、やはり、石見相聞歌というものは無類の古代の心情の美しさというもの、そして荘重さと
20
いうもの、そして霊魂というもの、霊力というものを感じさせます。そのような歌というのは、
『万
葉集』でも巻一、二、三あたりが最高で、あとのほうになってくると、先程申し上げた家持は近代
的でもあります。この巻二の相聞は、びりびりとくるようなテレパシーを男女互いに交わし合って
いたのではないかという感じがして、たいへん大事なものだと思って読みました。
21