奈良学ナイトレッスン 第10期 万葉人の恋する魂 ~第三夜 家持をめぐる

奈良学ナイトレッスン 第10期 万葉人の恋する魂
~第三夜 家持をめぐる女たち~
日時:平成 25 年 12 月 18 日(水) 19:00~20:30
会場:奈良まほろば館 2 階
講師:水原紫苑(歌人)
内容:
1.家持の深い悲しみ
2.才能溢れるストーカー的歌人
3.凄い女性たちの歌
4.感情が込められた長歌
1.家持の深い悲しみ
家持は『万葉集』全体の編者かも知れないと言われておりまして、最後のほうの巻は、ほとんど
家持の歌集のような感じです。
『万葉集』において、人麻呂と家持の歌では古代と近代くらいに世界が違います。もちろん現代
とは全然違うわけですけれど、でも人麻呂の「なびけこの山」という感じに比べると、家持のほう
がずっと私たちに近い気がいたします。
今回、しみじみ感じましたけれど、家持は意外に女性関係が多いのですね(笑)。まず、妾(お
みなめ)と言われている若くして亡くなった、奥さんになったであろう人を偲ぶ歌がたくさんあり
ます。とても純真な、家持の涙があふれるような歌です。おそらく、家持の子だと思われる赤ちゃ
んを遺して亡くなったのですね。だから想いもひとしおだったと思います。
まずその人に対する挽歌、恋の歌がありまして、その次は、後に正妻になる坂上大嬢(さかのう
えのおおいらつめ)
。この人は有名な坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の娘。大伴家の出身で、
家持とはいとこ同士です。
けれど、妾(おみなめ)と言われている人がもしもずっと生きていたならば、坂上大嬢さんとは
結婚しなかったのではないかとも思います。というのは、大嬢とは、お付き合いが始まってから、
一度別れているのですね。何年か経ってから復活して、最終的には正妻になるのですけれど。
そして今回のハイライトは、笠女郎(かさのいらつめ)。この人は天才なのですが、家持を一方
的に愛した人です。家持さんはこの人の歌だけを二十四首並べていて、そのあと自分の返歌は二首
しか出していないのです。編集したのは家持なので、おそらく、笠女郎さんのストーカー的だとい
ってもいいほどの一方的な愛情に、
「もう僕はいいです」という感じになったのかも知れません。
返歌もあまり誠意の感じられない歌です。でも、歌人としての凄さを評価して、自分との関係とは
1
別にこの人の歌を入れたのかな、とも思われます。編集者としての目ですね。
また、紀女郎(きのいらつめ)という人がいまして、家持より十歳くらい年上のようです。安貴
王(あきのおおきみ)の奥さんですけれども、途中で離別しています。この人は、家持ととても楽
しいやりとりをしています。「女王様とお呼び」ではないですけれども、わざと「おまえは痩せて
いるから、これでも食べてちょっとお太りなさい」という歌を作るのですね。家持も家持で、「ご
主人様に私は恋焦がれていて、恋患いでどうも痩せてしまうようです」というやりとりをしている。
また、
「私がおばあさんになったら、私のことなんて嫌いになるでしょう」と紀女郎さんが言うと、
「いやいや、そんな。あなたが歳をとって口の間から舌がべろっと出てしまうような年になられて
も、僕は好きです」という、戯れの感じですね。
真面目な恋愛関係と言えるのは、奥さんになるはずだった亡くなった妾(おみなめ)と、実際に
奥さんになった坂上大嬢(さかのうえのいらつめ)さんですね。
芸術として家持が評価したのは笠女郎。他にも何人かいるのですけれど、特に笠女郎は凄いです
ね。そして、やりとりとして魅惑的な女性というのが紀女郎。この人はとても色っぽい歌を作りま
す。
では、一首ずつ読んで参りましょう。
大伴宿禰家持(おおともすくねやかもち)が亡(す)ぎにし妾(おみなめ)を悲傷して作る歌一
首
今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜(よ)を寝む(462)
とても分かりやすい歌です。
「これからはもう、秋風も寒く吹くのに、どうやって独り寝をしよ
うか。恋しい妻がいなくなって、心も寒い、身も寒い」ということです。人麻呂に比べると実感的
な感じがしますよね。これが本当に「今」の実感かどうか分からないですけれど、限りなくそれに
近い感じかなと思います。
家持には書持(ふみもち)という弟がいまして、この人も優しいのです。
弟(おとひと)大伴宿禰書持(おおとものすくねふみもち)が即(すなわ)ち和(こた)ふる歌
一首
長き夜(よ)をひとりや寝むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに(463)
「思い合っていて、『長いよ、どうやって過ごそう』とあなたがおっしゃると、亡き人が偲ばれ
ます」ということは、この人は兄嫁を知っているのですね。同居していたと思われます。
この優しい弟さんですが、七年後に亡くなってしまいます。そのことを思うと、胸の痛むような
一連ですけれども。そして、家持。
また家持、砌(みぎり)の上(え)の瞿麦(なでしこ)が花を見て作る歌一首
2
軒下の、雨落ち石の傍の撫子の花を見て作った一首。撫子というのは、家持にとって女性の象徴
のような花なのですね。どの女性に対しても撫子なのです(笑)。
秋さらば見つつ偲(しの)へと妹(いも)が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも(464)
「秋になったらこの花が咲くから、それを見て私を偲んでくださいと妻が植えた庭の撫子が咲い
たよ」というのですね。これは本当に泣けます。奥さんだった女性は、自分の命があまり長くない
ことが分かっていて植えたのかなと思われます。なんとも言えないですね。
次は長歌です。
また家持が作る歌一首 幷(あわ)せて短歌
我(わ)がやどに 花そ咲きたる そを見れど 心も行(ゆ)かず
はしきやし 妹(いも)
がありせば 水鴨(みかも)なす 二人並び居(い) 手(た)折りても 見せましものを う
つせみの 借れる身なれば 露霜の 消(け)ぬるがごとく あしひきの 山道(やまぢ)を
さして 入日なす 隠(かく)りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付けも
知らず 跡(あと)もなき
世の中なれば
せむすべもなし(466)
「我が家の庭に花が咲いているが、それを見ても心は晴れない。愛しい妻が生きていたならば、
鴨のように二人並んで、そうしたらあなたに花を手折ってみせようものを」
その後も面白いのです。
「うつせみの」というのは、実際の自分の体のことなのですけれども。
「う
つせみの 借れる身なれば」は、枕詞的にかかっている。かりそめの身なのですけれど、これが文
字通り、私たちは魂が肉体を借りてこの世にいる、ということですね。枕詞がそのままの意味とな
っています。
「仮の身なので、露や霜が消えるように、山に入っていく入り日のようにあなたが隠れて行って
しまったので、それを思うと胸は痛むし、いいようもない、たとえようもないほどつらい。はかな
い世の中なのでどうしようもない」
反歌
時はしも何時(いつ)もあらむを心痛くい行(ゆ)く我妹(わぎも)かみどり子を置きて(4
67)
「死ぬ時というのはいくらもあろうに、悲しくも死んでいった妻よ、このみどり子を残して」と
いうことですね。
赤ちゃんを残して死んでしまった。どうやら女の子のようですけれども。
3
悲緒(かなしび)未(いま)だ息(や)まず、更に作る歌五首
かくのみにありけるものを妹(いも)も我(あれ)も千歳(ちとせ)のごとく頼みたりけり(4
70)
これも本当に泣けます。「こんなにはかない夫婦のちぎりであったのに、あなたも私も千年も生
きて添うていられるように信じていたことよ」
最近また流行ってきているのですけれども、徳冨蘆花の『不如帰』という、お芝居にもなった古
い小説をご存じでしょうか。浪子と武男のラブストーリーで、結核で浪子さんが早く死んでしまう。
「人間はなぜ死ぬのでしょう。千年も万年も生きたいわ」と言うのですが、それを思い出しました。
佐保山にたなびく霞見るごとに妹(いも)を思ひ出(い)で泣かぬ日はなし(473)
「佐保山にたなびく霞みるごとに」
、そこに火葬した煙を思うのですね。「妻を思い出して泣かな
い日はない」
第一夜でお話ししました大伯皇女(おおくのひめみこ)が大津皇子(おおつのみこ)に対して、
「二上山を弟背と思う」二上山こそ弟だと思う、という神話的なスケールの大きい悲しみとまた違
った、個人の本当に深い悲しみという感じです。
昔こそ外(よそ)にも見しか我妹子(わぎもこ)が奥つきと思へば愛(は)しき佐保山(474)
「昔は、佐保山はただの無縁の山だと見ていたが、我が妻の墓があると思えば愛しい佐保山だ」
ということですね。とても可哀想なのですよ。
その後で大嬢さんが出てくると、私としては、「もう忘れちゃったのね」と思うのですが、仕方
ないですね。家持さんは生きているのですから。
大伴坂上家(おおとものさかのうえのいえ)の大嬢(おいらつめ)が大伴宿禰家持に報(こた)
へ贈る歌四首
生きてあらば見まくも知らずなにしかも死なむよ妹(いも)と夢(いめ)に見えつる(581)
この歌は大嬢さんからですね。ずいぶん複雑な歌で、「生きていたらまた逢えるときもあるのに、
どうして私の夢に来て僕はもう死ぬよなんておっしゃるのですか」という技巧的な歌です。これが
もしも、本当に二人がお付き合いを始めた、恋の始まりでしたら、大嬢さんは十四歳くらい。こう
いう複雑な女心を歌えるわけはないというので、お母さんが作ったという説もあります。
この人は正妻なので、やりとりの歌はたくさんあるのです。残りの三首です。
ますらをもかく恋(こ)ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも(582)
4
「強い益荒男のあなたがそんなに恋するとおっしゃっても、手弱女の弱い私がいかばかりあなた
に恋しているか、比べものになりますまい」。これも成熟した女性という感じですよね。
月草のうつろひ易(やす)く思へかも我(あ)が思ふ人の言(こと)も告げ来ぬ(583)
「月草の」は枕詞です。「月草が移ろうように移ろいやすいお心なのでしょうか。私を思うあの
方は。あなた、何も言ってきてくれませんね」というのですね。
春日山朝立つ雲の居(い)ぬ日なく見まくの欲(ほ)しき君にもあるかも(584)
「雲の居ぬ」までが序詞で、
「春日山に朝立つ雲がいつもいるように、どんな日でもお逢いして
いたいあなたです」
。かなり難しい歌ですよね。
2.才能溢れるストーカー的歌人
笠女郎(かさのいらつめ)が大伴宿禰家持に贈る歌二十四首
これ凄いので、全部読みましょう。これはもう、凄く私は気に入りました(笑)。最初から読ん
でまいりますね。
我が形見見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒長く我(あれ)も思はむ(587)
「形見」というのは、今のように亡くなった人の形見ということではなくて、贈り物を交換する
など、生きていても形見なのですね。
「私が差し上げた形見の品を見て、私を思い出してください。
年月長く私も思い続けましょう」
、一方的ですよね。そんなことを頼んでいないというか、
「偲はせ」
というのも怖いし、
「我も思はむ」も怖いですよね。思い込んでしまわれたというか、恋の始めな
のでしょうけれど、始めからこれというのも、怖いです。
白鳥(しろとり)の飛羽山(とばやま)松の待ちつつそ我(あ)が恋ひ渡るこの月ごろを(5
88)
「白鳥の」が枕詞です。「白鳥の飛羽山の松のように待つばかりで、私は恋し続けております。
この幾月も」
、下の句は普通ですが、
「飛羽山松の待ちつつそ」という言葉の使い方が独創的ですね。
あとの方にいくと余計そうですけれど。次も面白いです。
5
衣手(ころもで)を打廻(うちみ)の里にある我(あれ)を知らにそ人は待てど来(こ)ずけ
る(589)
「衣手を」は「打つ」にかかる枕詞でして、「打廻の里」は近いところなのでしょうね。
「私が打
廻の里にいるのをご存じないので、いくら待っても来てくださらなかったのですね」と言っていま
すけれども、これも思い込んでいるというか、とても怖いものがありますね。固有名詞、地名の使
い方がうまいです。打廻や飛羽山松は古代の奈良の地名ではないかと思うのですが、非常に巧く使
っています。響きも美しいし、画像も浮かぶような感じです。
あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはとゆめよ我(わ)が背子我が名告(の)らすな(590)
これも怖いです。
「あらたまの」が「年」にかかって、「年があらたまったのでもうよかろうなど
と思ってあなた、絶対に私の名前を人に明かさないでくださいね」ということですね。「年が経た
から、私たちの関係がもう人に知られてもいいと思って言うようなことをしないでくださいね」と
いうことなのです。古代においては、名前が知られるというのはたいへんなことです。それが命に
も、魂にも関わるようなことであるわけです。「我が名告らすな」というのも非常に迫力がありま
すね。
我(あ)が思ひを人に知るれや玉櫛笥(たまくしげ)開き明けつと夢(いめ)にし見ゆる(5
91)
「私があなたを思っていることを人にお漏らしになったでしょう。だからでしょうか、玉櫛笥が
開けられたなどと妙な夢を私は見ましたわ」
「玉櫛笥」は何度も出てきました。「開く」
「開ける」の枕詞ですけれども、櫛の入っているきれ
いな箱です。箱を開けるというのは女性の象徴的なイメージがあります。それは、無意識や潜在意
識の話ですけれども。「玉櫛笥が開けられてしまった。私があなたに思いをかけているのが知られ
てしまった。あなたがおっしゃったのではありませんの?」
これも凄いです。危ないですね。
闇の夜(よ)に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに(5
92)
「闇夜に鳴く鶴の声のように、遠くのこととして、あなたのお噂を聞いてばかりいるようです。
逢えもしないのに」、これも幻聴のような(笑)
。しかも闇夜に鳴いている鶴というのが怖いですね。
のちになると、夜の鶴というのは、親が子を思うイメージになっていきますけれども、古代におい
てはいろいろなイメージがあったのですね。鶴の声というのも、非日常の感じがします。「外のみ
6
に」、
「私の知らないところで、何かひそひそとあなたのお噂が聞こえてくるようですわ。お会いで
きないのに」ということですね。
君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下(もと)に立ち嘆くかも(593)
これは普通です。
「あなたに逢いたくて、どうしようもなくて奈良山の小松の元に立って嘆いて
います」。
「松」はもちろん、
「待っている」にかけています。次は美しいです。
我(わ)がやどの夕影草(ゆうかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも(59
4)
「夕影草」はどうやらこの人の造語らしいです。「私の家の庭の夕方の光の中に見える草の白露
が」ここまでが全部、序詞なわけです。でもそれが、実景のイメージと重なりますよね。「消え入
らんばかりに無性にあなたが思われます」。「もとな」というのが「いたずらに」「無駄に」などい
ろいろな意味で出てくるのですが、この言葉は片恋の象徴ですね。
これはたおやかな美しい歌ですけれども、「夕影草」のあたりにこもる情念の深さというのが凄
いです。
我(わ)が命の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(い)には思ひ増すとも(595)
「私の命がまったくある限り、決して忘れません。日ごとに思いが増すことはあっても、忘れる
ことなどありません」。これは、本当にこう思っていたのか、それともある種の芸術的な感興に乗
って詠んでいたのか、ちょっと分からないですね。
八百日(やおか)行く浜の沙(まなご)も我(あ)が恋にあにまさらじか沖つ島守(しまもり)
(596)
これは、「八百日もかかる長い浜の砂粒の数でも、私の恋のおびただしさには叶うまい。そうで
はないか、沖の島守」。いきなり「沖つ島守」と言われて、これは読んでいて驚きましたね。
「八百
日行く」という、歩いたら八百日もかかる浜というのはどこなのでしょう。恋が砂粒に喩えられて
います。私の恋のおびただしさ。
和泉式部にも、
「君恋ふる心はちぢにくだくれどひとつも失(う)せぬ物にぞありける」という
歌があります。和泉式部は愛し合っていくというか、男が惹かれていく感じがありますが、笠女郎
はその凄さに男が引いていくという感じの違いがありますね(笑)。でも、それだけに笠女郎は凄
い、その狂気というものは空前絶後かも知れません。
7
うつせみの人目(ひとめ)を繁み石橋の間近(まちか)き君に恋ひ渡るかも(597)
「うつせみの」は「人」にかかるのでしょうが、「世間の人目をはばかり、間近にいらっしゃる
あなたに絶えず恋焦がれています」
、
「間近にあなたがいるのに、人目が気になって、恋焦がれてい
ます」
。
「間近き君に恋ひ渡るかも」って、間近にいたら怖いじゃないですか、家持も。これは卑怯
だなとも私は思いますが。家持は歌を返したかどうかも分からないのですが、返さなかったとして
も分かる気がしますね。
恋にもそ人は死にする水無瀬川下(みなせがわした)ゆ我(あれ)痩(や)す月に日に異(け)
に(598)
「恋にも人は死ぬものか、水無瀬川の底のように人知れず私は痩せていく。月ごとに、日ごとに」、
歌舞伎みたいに、
「人に思いがあるものか、ないものか、思い知れ」といいそうな雰囲気ですね。
朝霧の凡(おお)に相見し人故(ゆえ)に命死ぬべく恋ひ渡るかも(599)
「朝霧の」が「凡」にかかる枕詞ですが、「朝霧のようにほのかに」あるいは「朝霧のように淡
いちぎり」ということもありますね。
「見ただけのあなたなのに、死ぬほど激しく恋しく思い続け
ております」
次も凄いです。
伊勢の海の磯もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひ渡るかも(600)
「伊勢の海の磯も轟くほどに激しく寄せる波のように恐れ多いあなたに恋をしています」、そん
なに恐れ多いのでしょうか。
「たいへんなお方に私は恋をしておりますわ」という。凄いですよね。
伊勢が出てくると神がかる感じもあるし、「恐き」にはそんなイメージがありますね。家持は普
通の人なのですけれども、笠郎女の心の中では神になっているのかも知れません。
心ゆも我(あ)は思はずき山川(やまかわ)も隔たらなくにかく恋ひむとは(601)
「ついぞ思ってもみませんでした。山も川も隔てているわけではない。そばにいるのにこんなに
恋焦がれているとは」これは、ちょっともう側に居て欲しくなかったと思いますが。
次などはもう、片恋がどんどん進行していきます。
夕されば物思(ものもい)増さる見し人の言(こと)問ふ姿面影にして(602)
8
夕方は、女が人を待つ時間ですかね。「夕方になると、物思いもまさってくる。お会いした時、
あなたがまだ優しくて私を愛していてくださったとき、あなたがやってきて私に話しかけてくださ
ったそのお姿が今、目に見えるようですわ」、本当に見えているのかも知れませんね。
思ひにし死(しに)するものにあらませば千度(ちたび)そ我(あれ)は死に反(かえ)らま
し(603)
「千回も実際に死に変わり生き変わっていたであろう」
、ここまでの歌はそうはないですね。
その次も怖いです。
剣大刀(つるぎたち)身に取り添ふと夢(いめ)に見つ何の兆(さが)そも君に逢はむため(604)
「剣大刀」は、男性の象徴です。「剣大刀を身に添え持った不思議な夢を見ましたが、何の知ら
せでしょう。あなたにお逢いしたいばかり、これはお逢いできるという知らせなのでしょうか」、
そう言っておりますが。
天地(あめつち)の神の判(ことわり)なくはこそ我(あ)が思ふ君に逢はず死にせめ(605)
極まっていますね。
「天地の神のお裁きというものがこの世にないならばともかく、あるのです、
神はいるのです。ですから、もしお裁きがないのであれば、私の愛するあなたに逢わずに死にもし
ましょうが、神のお裁きがあるからには、逢わずにはおきません」という歌ですね。これは本気か
な?本当に男の心を捉えようと思って、ここまで詠むのか、というかもう芸術的狂気かとも思うわ
けですが。それとも女の嫌がらせという感じでしょうか(笑)。ここまで凄ければ、それで収録し
てもらえたわけですからね、名は永遠に残っているわけで、何とも言えませんが。
我(あれ)も思ふ人もな忘れおほなわに浦吹く風の止む時なかれ(606)
「私も愛しています。あなたも忘れないでください」。これも「我も思ふ」とか勝手に言ってし
まって。
「な〜そ」で禁止を表します。
「あなたも忘れないでください。私も愛しているのですから」
と言っています。
「おほなわに」は不詳で、分からないのですが。
「浦を吹く風のように止む時もな
く私が思っていますから、あなたも思ってください」
皆人(みなひと)を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寝(い)ねかてぬかも(607)
「みな人間は寝よという鐘の音が聞こえますが、あなたを思っているので、私は眠れません」。
「皆
人を寝よとの鐘」というのは、凄いですよね。それはただの夜の鐘でしょうが。それが「寝よとの
9
鐘」、物に自分の心が完全にいってしまっているのですね。これは古代的というだけではない、こ
の人の資質ですね。その後は、比喩の凄さなので、むしろ怖さでは先程からの歌ほどではないです
が、非常に独創的ですね。
相思はぬ人を思ふは大寺(おおてら)の餓鬼(がき)の後(しりえ)に額(ぬか)つくごとし
(608)
この歌は有名なので、教科書などで習われた方も多いと思いますが、「思ってもくれない人を思
うなんて、大きなお寺の餓鬼」
、
「餓鬼」というのは、踏みつけられている邪鬼の像かという説もあ
りますが、
「その餓鬼の像を後ろからぬかずいて拝んでいるかのようです。ばかばかしいわ」。怖い
ですよね。頼んだわけでもないのにそんなに思って、挙げ句の果てに捨て台詞のような(笑)。
心ゆも我(あ)は思はずきまた更に我(わ)が故郷(ふるさと)に帰り来(こ)むとは(60
9)
「故郷」というのは、この時代は飛鳥だそうで、故郷の飛鳥に帰ってきたのですね。「全く思っ
てもみませんでした。今さら恋破れて私の故郷の飛鳥に帰ってこようとは」
近くあれば見ねどもあるをいや遠(とお)に君がいまさばありかつましじ(610)
「近くにいればお逢いしなくてもなんとか生きていられますが、あなたが遠いところに行ってし
まわれたら、もう私は生きてゆけそうにありません」。家持が越中に行ってしまったときですかね。
なんとも分かりませんが。
これが二十四首であります。実に素晴らしいですね。『万葉集』の中でも、これを読んでよかっ
たと思います(笑)。
そして、家持が答える歌はたった二首です。それも、本当に卑怯な歌で、これはないだろうとい
う歌なのですけれども。
今更に妹(いも)に逢はめやと思へかもここだく我(あ)が胸いぶせくあるらむ(611)
「もうこれからあなたに逢えないだろうと思うせいでしょうか」、逢えないと決めているのです
よ。「こんなにも私の胸が晴れないのは」
、もう本当に腰が引けています。
なかなかに黙(もだ)もあらましをなにすとか相見そめけむ遂(と)げざらまくに(612)
「いっそのこと、黙ってお逢いしなければよかったのに。どうしてあなたとお逢いするようにな
10
ったのでしょうね。最後まで添い遂げることもできない運命だったのね」。これはちょっと許せな
いですよね。これはないだろうと本当に私は思いますが。でも、ここまでひどいと、これは本当の
歌でしょうね(笑)。
3.凄い女性たちの歌
これは家持が最初に坂上大嬢とおつきあいした頃ですね。
大伴宿禰家持が、坂上家(さかのうえのいえ)の大嬢(おおいらつめ)に贈る歌一首
我(わ)がやどに蒔(ま)きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む(1448)
また、撫子なのです。亡くなった奥さんが撫子かと思うと、別の人もまた撫子なのですよ。男っ
てこうなのね、と思いますよね。どちらが先か分からない。こちらが先に進行していて、それから
撫子さんみたいな人ができて、お母さんが怒って別れることになったのかも分かりませんが。
「わが家の庭に蒔いた撫子はいつになったら花が咲くだろう。咲いたらそれを愛しいあなたと思
って眺めよう」という歌ですね。
その後は、面白い歌です。第一夜で男同士の恋歌みたいなものがありましたよね。次の歌も、田
村大嬢さんは異母姉妹なのですけれども、坂上大嬢さんが好きなのではないかとしか、現代からす
ると読めない歌なのです。
大伴田村家(たむらのいえ)の毛大嬢(けのだいじょう)の妹坂上大嬢に与ふる歌一首
茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)が原のつほすみれ今盛りなり我(あ)が恋(こ)ふらくは
(1449)
「茅花を抜きとる浅茅が原のツボスミレのように、今が花の盛りです。私があなたを恋する心は」
としか思えないですよね。本当はどうだったのか、とても不思議な感じです。
次の坂上郎女はたいへんな才女で、家持の叔母さんです。この歌もなかなか面白い歌なので引い
てみました。
大伴宿禰坂上郎女の歌一首
心ぐきものにそありける春霞(はるかすみ)たなびく時に恋の繁きは(1450)
「なんだか心が晴れ晴れしないこと。うっとうしいわ。春霞がたなびいて、今こんな時に恋を求
める私の心って」。これが微妙なのですが、
「恋の繁きは」とは、誰かが恋しいというよりも、恋を
求める、心にうずくものがあるという歌らしいのですね。それが春霞の時期であるということらし
い。古代の恋というのは、先程の「恐(かしこ)き人に恋ひ渡るかも(600)
」の歌のように、
神様のような次元になったりしますが、
「恋の繁きは」は明らかに性愛的次元だと思うのです。
「恋
11
人が欲しい」という感じだと思われるのですが、肉体と精神が不思議なところで接近しているとい
うのが面白いと思いますね。
和泉式部の場合、恋の季節というのがあります。橘の香る五月の頃です。その頃にちょうど、弾
正宮(だんじょうのみや)という前の恋人の弟だった帥宮(そちのみや)に橘の枝を寄こされて、
そして堪らなくなって宿命の恋になってしまうのですけれども。それは特別な和泉式部の恋の季節
なのですね。夏の草が生い茂る頃。春霞の時期に恋が萌えるという感じは現代人でも分かるかなと
思います。ともかく、昔の人というのは、恋の表現の激しさは現代の比ではなく、肉体というもの
が穢れてなかったような感じも凄くします。
そして再び、笠女郎が出てきます。これがまた、素晴らしい歌なのです。
笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持に贈る歌一首
水鳥の鴨の羽色(はいろ)の春山のおほつかなくも思ほゆるかも(1451)
「水鳥」は「鴨」にかかる枕詞です。雄の鴨の首あたりに緑色の毛があると言われます。私も見
たのですが、青っぽい、いわゆる浅黄色というのかなと思います。春の山のさみどりですが、まだ
新緑になる前のきれいな緑ではないかと思います。
春の山のぼうっと煙ったような緑のおぼつかない感じ。「おほつかなくも思ほゆるかも」は、自
分ではないでしょうね。笠女郎さん、自分の恋ははっきりしています。ここは家持さんのことだと
思うのですね。しかも、ここに引いていないですけれども、笠女郎さんは家持のことを撫子に喩え
た歌もある。家持が女性を撫子撫子と言っているのを逆手にとったような歌もあって、恐ろしい人
だなあと思います。
次は、色っぽい紀女郎(きのいらつめ)です。
紀女郎さんは魅力的な肢体の人だったのではないかと思われます。
闇ならばうべも来(き)まさじ梅の花咲ける月夜(つくよ)に出(い)でまさじとや(145
2)
これも妖艶で、こんな歌をもらったら、行ってしまいそうですね。「闇ならば」、闇夜は古代的信
仰からしても危険なので、月夜は恋人同士が逢っていいわけです。「闇夜ならお出でがないのも分
かりますが、梅の花が咲き匂うこんな月夜に来てくださらないなんて」、こう言われたら夜更けで
も行きますよ。女はこうありたいものだと思いつつ、私「鴨の羽色の」に憧れますね。
以上の三首は、坂上郎女も笠女郎も紀女郎も、みな凄いなと思います。
この後は有名な歌です。
紀女郎が大伴宿禰家持に贈る歌二首
戯奴(わけ)
〈変してわけと云ふ〉がため我(あ)が手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)
12
そ召して肥えませ(1460)
「戯奴」は、
「汝」というようなことですけれども。ふざけているのですね。「女王様とお呼び」
ではないですけれど。「家来よ、おまえのために手も休めずに春の野で摘んでおいた茅花ですよ」、
痩せていたらしいのですよ、家持は。
「ちょっとは食べてお太りなさいませ」ということです。
「茅
花」は野菜なので、食べて太るかというと微妙ですが。あとの返歌を見ると太らなかったらしいで
すね。
昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ(14
61)
「昼は咲き、夜は恋つつ寝るという合歓の花ですよ。主の私だけ見ていればいいものでしょうか。
おまえもごらん」ということですね。
「合歓木の花」というのは、字からもそうですけれども、男
女の共寝の象徴なわけですね。だから、「合歓の花、これを私ひとりが見ていていいとおまえは思
っているの? おまえもごらんなさい」と言っているわけです。
額田王と大海人皇子のやりとりではないですけれども、これも社交的なやりとりの感じですね。
危険な恋ではないという感じです。
家持さんが答えるわけですが、これは完全に遊びなのですよね。
大伴家持が贈り和(こた)ふる歌二首
我(あ)が君に戯奴(わけ)は恋ふらし賜(たば)りたる茅花(つばな)を食(は)めどいや
痩せに痩す(1462)
「ご主人様にこの私めは恋しているようです。いただいた茅花を食べてもいよいよ恋が募って痩
せるばかりでございます」ということですね。
我妹子(わぎもこ)が形見の合歓木(ねぶ)は花のみに咲きてけだしく実にならじかも(14
63)
「あなたに頂戴した合歓は、花ばかり咲いておそらく実を結ばないのではありませんか」という
ことですね。とても楽しい感じです。こんな感じばかりであったらいいのですけれど。
次は、坂上大嬢さんに贈る歌です。
大伴家持が坂上大嬢に贈る歌一首
春霞(はるかすみ)たなびく山の隔(へな)れれば妹(いも)に逢はずて月そ経(へ)にける
(1464)
13
ここも春霞です。どうも春霞がかかっていると恋心が起きるらしいのですね。「春霞のかかって
いる山が邪魔をするので、あなたにも逢わないで月日が過ぎてしまいました」。このときは、
「久邇
京(くにのみやこ)より奈良の宅(いえ)に贈る」というので、天平12年、藤原広嗣の乱が起き
て、朝廷が動揺して聖武天皇が東国巡幸された末にここの恭仁京(くにきょう)を都とした頃で、
奈良からちょっと離れていたのですね。
大伴家持が紀女郎に贈る歌一首
なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我(わ)が標(し)めし野の花にあらめやも(1510)
またしても撫子です。
「撫子は咲いて散ったと人は言いますが、よもや私が私のものですよとち
ゃんとそこに印をしておいた野の花ではないでしょうね。人になびいておしまいになったという噂
ですが、私の契ったあなたではないですよね」という歌でして、これも戯れですね。どこまで深い
関係だったかは全く分かりません。
「紀小鹿女郎(きのおしかのいらつめ)が歌一首」ということで、紀女郎は「子鹿ちゃん」とい
う名前だったのですね。可愛いです。バンビですね。これは残念なことに宛名がわからないのです
が、家持にあげたのかなと思います。
ひさかたの月夜(つくよ)を清(きよ)み梅の花心開(ひら)けて我(あ)が思へる君(16
61)
「月があまりきれいなので、梅の花が開くように心を開いていっぱいにお慕いするあなたです」
ということです。この人の歌はとても妖艶ですね。
4.感情が込められた長歌
次は家持の長歌です。家持が越中守(えっちゅうのかみ)として行っていた時に、急に恋情が募
って、というようなことが書いてあります。急に恋心が募ったって、それはどういうことなのでし
ょうか、と思ってしまうわけですが。これは正妻である大嬢に贈った歌です。
妹(いも)も我(あれ)も 心は同(おや)じ 比(たぐ)へれど いやなつかしく 相見れ
ば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我(あ)が奥妻(お
くづま) 大君の 命恐(みことかしこ)み あしひきの 山越え野行(ぬゆ)き 天離(あ
まざか)る
鄙(ひな)治めにと 別れ来(こ)し その日の極み
あらたまの 年行(ゆ)
き反(がえ)り 春花の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ しきたへの 袖返し
つつ 寝(ぬ)る夜(よ)落ちず 夢(いめ)には見れど 現(うつつ)にし 直(ただ)に
あらねば 恋しけく 千重(ちえ)に積もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行(ゆ)き
14
て 妹(いも)が手枕(たまくら) さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙(たま
ほこ)の 道はし遠く 関さへに 隔(へな)りてあれこそ よしゑやし よしはあらむそ ほ
ととぎす 来(き)鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を 外(よ
そ)のみも 振り放(さ)け見つつ 近江道(おうみじ)に い行(ゆ)き乗り立ち あをに
よし 奈良の我家(わぎえ)に ぬえ鳥の うら嘆(な)けしつつ 下恋(したごい)に思ひ
うらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆうけ)問ひつつ 我(あ)を待つと 寝(な)すらむ
妹(いも)を 逢ひてはや見(み)む(3978)
凄い長歌ですよね。この時代ははっきり結婚しているようで、家持は自信を持って自分と妻は同
じ心だと言っています。この時代になってくると、長歌は珍しいようですが、万葉末期になっても
家持だけは、しきりに長歌を作っています。
人麻呂の長歌が非常に荘重で、漢詩のように対句の形になって、重々しく国家賛美、天皇賛美の
ような歌であったのと違って、家持の長歌というのは、私(わたくし)の感情を込めたものが多い
です。もちろん有名な「海ゆかば」というのもありますが、でも、個人的な感情をわざわざ長歌に
しているところもあります。やはり、家持が歌人として、実験的意識もあったのだろうと思います。
そういうことがあるからこそ、笠女郎の歌もあえて、女の歌だけ入れたし、紀女郎と自分とのやり
とりは、文学的価値があると思ったから入れたのだと思いますね。
意味を見ていきます。
「妻も私も心は同じで寄り添っても、互いに目と目を見交わせばいつも、今初めて咲いた花のよ
うに辛いことも苦しいこともなく、愛しい愛しい私の大切な妻に……」、
「奥妻」というのは他に用
法がありません。私の心の奥にいる大事な妻。うれしいですね、こう言われたら。
「大君の仰せを恐れ謹んで山を越え野を行き、越中に別れてきたその日を最後として年が改まっ
て、花の散る頃までも逢っていないので、どうすることもできず」
、
「しきたへの」は「袖」にかか
ります。小野小町は、夜具を裏返して寝ると恋しい人の夢が見られると歌っていますけれど、袖を
返すと夢を見られるらしいのですね。
「妻の夢を見られるように袖を返して寝ると、必ず妻を夢には見るけれども、本当ではないので、
恋しさはいやましに積もってしまった」。私はこういうところを読みますと、古典というのは現代
の性愛の文学より遙かに危険で生々しいものだと思います。今は学校でどのくらい古典を教えるの
か分かりませんけれども、こういうのをどんどん教えると凄い教育だろうなと思うわけですね(笑)
。
『源氏物語』でも、「犬君が雀の子を逃がしつる」とか、危なくないところを選んで教えています
が、実は古典ほど危険で面白くて凄いものはないのですよね。
「近くにいたら、日帰りにでもちょっと行って手枕を差し交わして寝ても来ようが、道が遠いの
で、関所も間にあって、君とあなたを隔てているので、えいままよ、なんとかなるだろうとホトト
ギスが来て鳴く四月に、今すぐに早くならないかなと思いつつ、ウツギの咲き匂う道を遠くからで
も振り仰ぎ見て、近江路に足を踏み入れて奈良の我が家で」、この後は妻の想像なのですけれども
ね。
「ため息をついて」
、
「夕占」というのは、占いをする時間ですね。神々の時間なので。
「妻が自
15
分にいつ逢えるだろうかと占っている」と思う。自信があるのですね。「私を待って独り寝してい
るだろう妻に逢いたい、早く抱きしめたい」ということです。この妻はここではもう、家持の家に
いたと思われるわけです。
あらたまの年反(かえ)るまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも(3979)
「あらたまの」は「年」にかかりますね。「年が改まるまで逢っていないので、胸がいっぱいに
なって妻のことが思われる」ということです。こうやって離れていると、男はたくさん歌を作って
くれるのですよね。同居し始めると歌はなくなります(笑)
。悲しいことですけれども。
もう一つ、越中守として行っている間の歌があります。これはもうすぐ逢えそうな感じですけれ
ども。
大君の 遠(とお)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降
る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) しきたへの 手
枕(たまくら)まかず 紐解かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なで
しこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の
さ百合引き植ゑて 咲く花を 出(い)
で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢はむ
と 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくも
あれや(4113)
「遠の朝廷」というのは、地方にある朝廷の出先機関というわけです。「大君の遠いお役所のお
役目をいただいて雪の降る越中に下ってきた」、ここでは五年といっていますが、もう少し早く逢
えたのではないかと思うのですが。「この五年というもの、妻の手枕もせず、下着の紐を解いてい
ない」、ずっと下着をつけたままというのも不思議ですけれど、民俗的な習わしというか、紐に念
を込めて「絶対誰にも渡さない」と妻が結んでくれたものを、あるいは一部解かないのかも知れな
いですね。
「丸寝をすれば」というのはそういうことです。
「気がふさぐので、気を紛らわせようとして撫子の種を庭に蒔き、夏の野の百合を植えて咲く花
を庭に出て見るごとに、撫子が我が妻の大嬢に見えるし」。百合には、のちという意味がありまし
て、百合という言葉がそれを呼び出してくるわけですね。「百合の花の百合には逢えようと気を慰
めている。それがなかったら、こんな田舎に一日だって我慢はできないよ」という歌です。
それに対する反歌二首です。
なでしこが花見るごとに娘子(おとめ)らが笑(え)まひのにほひ思ほゆるかも(4114)
「撫子の花を見るたびに大嬢の華やかな笑顔が思い出されるよ」
、「娘子ら」の「ら」の意味は複
数ではないです。娘子=妻=大嬢なのですよね。
16
さ百合花(ゆりばな)ゆりも逢はむと下延(したは)ふる心しなくは今日も経(へ)めやも(4
115)
「百合の花ののちには逢えようと期待することでもなければ、今日1日だって過ごせはしない」
ということですね。
大嬢とのやりとりの歌というのは多いので、本当に愛していたのは大嬢かも知れないなと思うわ
けです。公認の夫婦関係なので、私の興味からすると、紀女郎のあの妖艶さ、そしてやりとりの楽
しさがいいです。紀女郎型のやりとりは、他にも何人かいるのです。家持がモテモテだったという
ことが知られますが、そういうのもいいなと思います。
こうやって自分の奥さんに対しても思いを素直に歌ってくれる夫というのも嬉しいでしょうけれ
ど。でも、亡くなった奥さんというのも可哀想ですよね。「妾」としたのは、本当は妻になったは
ずなのに、大嬢に対する遠慮、また坂上郎女に対する遠慮もあって妾という字で「おみなめ」とし
た説があって、それを考えても、亡くなった奥さんは可哀想だなと思います。その奥さんとの娘の
結婚の歌があるので、可愛がってはいたのだろうと思いますが。昔は、いろいろな奥さんがいたと
いうのも普通なのでしょうけれども。家持という人は。現代の目から見ても近代的な文学意識とい
うものを非常に感じさせる人なので、余計にいろいろな角度の恋を、家持を通じて味わうことがで
きますね。
最後に、笠女郎の歌というのは他の歌集にも出てきますかという質問がありましたので、お答え
します。笠女郎の歌が知られているのは『万葉集』だけだと思います。最近、秋田で木簡が発見さ
れて、そこに『万葉集』にはない笠女郎の歌があって、実は別のストーリーがある? という本を
アマゾンで見て読みたいと思っているのですが、まだ買っていません。普通知られているのはこれ
だけですけれども、千年を超えて命が残っているのは凄いなと思います。
笠女郎みたいな情念型ではありませんけれども、坂上郎女(さかのうえのいらつめ)も素晴らし
い歌人です。「恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば(万
661)」
、恋人に贈っている歌ですけれども、シャンソンみたいですね。「たまさかにこうやって
あなたと逢えるときだけでもあなた、優しいことおっしゃってください。長く続くと思ったら」。
古代の歌人にもいろいろなタイプがあるのですよね。
額田王は恋の歌も凄いですけれども、どちらかというと、「熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗
りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(万8)
」
。天皇に代わって詠む本当の巫女としての
凄さ。笠女郎も凄いと思いますけれども、額田王の凄さというのも、忘れられないものです。
それから、『古今集』の頃になると、仮名序で人麻呂、赤人を褒め称えますけれども、赤人はた
しかに大歌人ですが、人麻呂の凄さというのは、それから後を考えてもいないですよね。貫之も定
家も本当に凄いですけれども、歌の持っている物凄いパワーということを考えると、もしかすると
歌の歴史では人麻呂と齋藤茂吉が最大かな、と思ったりします。茂吉自身、現代の人麻呂という気
持ちで非常に人麻呂研究もしていますし、人麻呂が亡くなったと言われる「鴨山」の地を探し当て
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たりしています。私は、和歌史最大の歌人は人麻呂、そしてもう一人いるとすれば茂吉かも知れな
いと考えております。
家持は平安以降、評価はあまり高くなかったのです。でも近代になって見直されます。家持は歌
もいいですし、大伴家という武門の名門の家ですよね。けれど、藤原氏が台頭してきてだんだん衰
えてきます。お父さんの旅人はまだ偉かったけれど、自分は若くて嫡流とはいえ、氏上(うじのか
み)、氏長者(うじのちょうじゃ)という立場に完全にはなり得ない。その中で肩肘はって例の「海
ゆかば」になってしまう悲しい歴史を持つ歌もあります。天皇を讃える歌も一所懸命作るのですけ
れども、どうしても人麻呂のような荘重さは出ません。その代わり、「うらうらに照れる春日(は
るび)にひばりあがり心悲しも独りし思へば(万4292)」という雲雀の歌がありますよね。家
持というのは近代的な憂愁の歌人ですよね。感傷とも言われますけれども。
フランスの象徴派でもボードレールやランボーに比べてヴェルレーヌの詩というのは、有名な「秋
の日のヴィオロンの」とか、感傷に流れるとは言われますが、音楽性があって素晴らしいわけで、
歌というのはいろいろな質のものがあっていいわけです。だから、人麻呂はもちろん素晴らしいで
すが、家持のような優しい、時に感傷的ではあるけれども、憂いに満ちた、そして感覚の鋭い歌人
も素晴らしいです。
「『万葉集』は『古今集』以後の技巧をすべて準備している」と馬場あき子さん
はおっしゃっていますけれども、たしかにそういうふうにも思いますね。
家持はある意味、とても繊細です。貫之は『古今集』の代表的な歌人ですが、看板みたいな歌を
作る感じで、本当の微細な繊細な感受性が揺れているという点では、家持のほうがずっと鋭いと思
うのです。ただそれだけに、私たちは『古今集』も『新古今集』も知っているので、かえってその
繊細さが、微妙に気が散るという感じもして、家持さんは不思議なポジションだと思うわけですよ
ね。このまま近代にもってきてもいいようですけれども、古代人でもあるわけで、袖を裏返すと夢
に必ず見ると言う、そういう面もある。そして、「醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は」
ではないですけれども、大君の、大君のと言って、なんとか朝廷をもり立てる大伴氏の氏上(うじ
のかみ)でもあろうとするという面もあります。亡くなってからも、しばらく汚名を着せられたり
して、名誉が挽回されるまでずいぶんかかりました。
家持という人は、純粋に詩人でいられたらよかったのにと思うのです。萩原朔太郎のように生き
られたらよかったのだろうと思って。でもこの人がいてくれたおかげで『万葉集』は今の形で、私
たちは楽しんで読めるわけですが、家持さん自体は幸福であったかどうか、何とも言えないと思う
のです。『万葉集』最後の歌が家持の歌で、あれを最後に家持の歌はもうないのですよね。
そういうことを考えると、歌と歌人の運命というのを思いますね。笠女郎のように名前が残るの
も、女として不幸だったかも分かりませんが、また幸せであったとも思われるわけです。
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