中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱 ジーン・シャープ博士

中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 1 of 7
このページを印刷する
【第53回】 2011年3月28日
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱
ジーン・シャープ博士 特別インタビュー
「武器を取ったリビア反政府運動に見る暴力の限界
戦略的非暴力で独裁政権は打倒できる」
チュニジアからエジプト、イエメン、バーレーン、シリアそしてリビアへと中東・北ア
フリカ各地に広がる民主化運動の波。その主役たる反政府運動家たちの理論的
支柱となっている一人の米国人の存在が注目を集めている。独裁政権に挑む「戦
略的非暴力論」で知られ、ノーベル平和賞の候補にも名前が挙がっているマサチ
ューセッツ大学名誉教授のジーン・シャープ博士(83歳)だ。その理論は、単なる非
抵抗主義ではなく、独裁政権のなりたちを細部まで分析し、打倒に向けた戦略を
具体的に示している点に大きな特徴がある。「非暴力のマキャベリ」「非暴力的戦
争論のクラウゼヴィッツ」と称される稀代の理論家に、アラブ世界を席巻する民主
化運動の行方、そして共産党一党独裁を続ける中国や北朝鮮と向かい合う日本
へのアドバイスを聞いた。
(聞き手/ジャーナリスト、瀧口範子 ※尚、シャープ博士の著書『独裁体制から民
主主義へ』の邦語訳(瀧口範子翻訳)は、シャープ博士主宰のアインシュタイン研
究所の同意、協力の元に、2012年夏筑摩書房から刊行されました。)
――あなたが1993年に出版した『独裁から民主主義へ(From Dictatorship to
Democracy)』は、エジプトで多くの反政府運動家たちによって読まれ、非暴力革
命の推進力になった。北アフリカ・中東での市民の動きをどう分析しているか。
まず最初に、彼らが私の著書を元に行動したという証拠はないことをはっきりさ
せておきたい。私に接触してきた人間もいないので、自分の手柄を宣伝するような
ことはしたくない。ただ、ひょっとしたら参考にしていたかも知れないと思えるのは、
エジプトの市民がムバラク政権との「交渉」に臨まなかったことだ。交渉すれば、希
望の半分はかなえられると考えるのが普通の感覚だろう。しかし、独裁政権は交
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 2 of 7
渉によって民衆をたぶらかす術を心得てい
る。最終的には希望はほとんど受け入れら
れないものだ。
また、市民が自らの「恐怖心」を払拭したこ
とも、私の著書と通じるところがある。独裁政
権や警察、軍隊は、民衆の中に恐怖心を植
え付け、それを道具として操っている。だが、
その恐怖心がなくなると、彼らを治めること
ができなくなる。さらに、ごく一部の例外を除
いて、彼らが「非暴力」という規律を失わずに
ジーン・シャープ(Gene Sharp)
1928年オハイオ州生まれ。オハイオ州立大学卒業後、オ
運動を続けたことも私の考えと合致してい
ックスフォード大学で政治理論の博士号取得。ハーバード
る。大きなデモのどこかで暴力が起こりそう
ボストンのアルバート・アインシュタイン研究所上級研究者
になると、「平和に、平和に」と周りの人間が
大学国際関係センターで30年にわたり研究職に。現在は
で、マサチューセッツ大学ダートマス校の名誉教授。非暴
力主義に関する研究で知られ、その著書はビルマ(現ミャ
唱えていた。そういうことは、あらかじめ取り
ンマー)、バルト三国、セルビアなどの反政府運動や独立
決めておかなければできないことだ。
運動に大きな影響を与えた。現在中東・北アフリカに広が
る反政府運動家のあいだでも、『From Dictatorship to
Democracy』『The Politics of Nonviolent Action』『Waging
――チュニジアからエジプトに飛び火した反
政府運動は、中東・北アフリカの各地に広が
Nonviolent Struggle: Twentieth Century Practice and
Twenty-First Century Potential』などは、指導書とし読み
継がれている。
Photo by Marilyn Humphries
っている。しかし、リビアではカダフィ政権と
反体制側のあいだで武力衝突が発生し、しかもその後、米英仏などの多国籍軍が
カダフィ政権を攻撃し、暴力の応酬になってしまった。独裁国家を民主主義国家に
変える方法としては、これは間違ったやり方だと見ているか。
もちろんだ。独裁政権側は、兵器、軍隊、秘密警察のすべてを持ち合わせてい
る。そんな状況下で武器を取るのは、敵の最強の道具で勝とうとするようなもの
だ。どんな経緯で武器を取るに至ったのかは不明だが、最初は平和に始まったも
のが急に暴力的になった。独裁政権がそう差し向ける場合も多い。市民の力だけ
では、下手をすると完敗する可能性もあっただろう。
――『独裁から民主主義へ』は、そもそもはビルマ(現ミャンマー)の反政府運動家
たちのために書かれたとのことだが、独裁政権に立ち向かう各国市民が応用でき
るのはなぜか。独裁政権には、共通要素が多くあるということか。
『独裁から民主主義へ』は、もともと反政府運動家に依頼されて、バンコクに拠点
のあった新聞のために書いたものだ。私はいわゆる「解放地域」には何度か足を
踏み入れたことがあるが、それ以上ビルマの内情を詳しく知らない。だから、一般
論として書くしかなかったのだ。連載記事として出版された後、ビルマ語と英語の
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 3 of 7
小冊子となり、それで終わりだと思っていたのだが、10年ほど経ってからいろいろ
なところで広まっていることがわかった。インドネシアからバンコクに来ていたある
留学生が国に持ち帰って、それが本として出版されたのだ。その時に前書きを書
いたのは、後にインドネシアの大統領になったアブドゥルラフマン・ワヒドだ。
また、カリフォルニアにいる男性が問い合わせをしてきて、小冊子を送ったことも
あった。彼はその後、ミロシェヴィッチ政権下のセルビアに行ったので、反政府学
生組織であるオトポール(セルビア語で「抵抗」)にその小冊子がわたり、かなりの
部数が印刷されたという。ラングーンに駐在していた陸軍大佐(当時)のロバート・
ヘルヴェイが、ハンガリーでオトポールのためにワークショップを開き、私もそれに
参加したことがある。ちなみに、先ほどの小冊子はさらにナイジェリアの反政府組
織にも広まった。
――あなたが唱える非暴力運動は、単なる非抵抗主義ではなく、独裁政権のなり
たちを細部まで分析し、打倒するための具体的戦略を示しているところに大きな特
徴がある。
どの政権にも、それを成り立たせているソース(源)がある。ソースには経済を管
理する力などが含まれるが、何も独裁者側だけにあるものではない。独裁者に従
い、協力する者はすべてその政権のパワーに寄与しているのだ。ということは、も
し従順さや協力が欠ければ独裁政権のパワーを削ぐことができるということだ。市
民の不服従、非協力的運動といったものが、それに役に立つ。不服従や非協力
は、ビルマやセルビアでの運動にも共通している。
――あなたは、独裁政権を支える6つの柱として、権威、人的資源、技能と知識、
無形の要素(心理的、イデオロギー的要素)、物的資源、制裁を挙げている。興味
深いのは、それらは民主主義国家を支えているものでもあることだ。違いはその度
合いか。
おそらくそうだろう。6つの柱はすべての政権の元になるものだ。だが、通常は市
民の協力が政権の力を盛り上げる。そして、市民が協力しなければ、政権の力は
制限される。
つまり、政権側に妥当な正当性があってこそ、人々はそれに従うわけだ。人々が
「これは嫌だ、変えるしかない」と考え、その手段を練り始めるまでは、政権への協
力は続くということだ。
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 4 of 7
――あなたは、ガンジーへの関心から非暴力主義の研究に行き着いた。われわれ
は、ガンジーの非暴力主義を戦略的なものよりも精神的な色合いが強いものとし
て捉える傾向がある。
確かに、その傾向はあるのだろう。だが、実際はそうではない。ガンジーは「マハ
トマ(精神的リーダー)」としての資質もあったが、現実的には非常に戦略的な思想
家だった。私は、『政治的戦略家としてのガンジー』という本を書いたくらいだ。
ガンジーは、戦略をどう計算し計画するかを、軍事ビジネスや他国でのできごと
から学んでいた。ロシア革命やアイルランドの農村反乱、中国、南アフリカなどあら
ゆるところから方法論を導き出し、それをまとめあげたのだ。自国のインドで小さな
活動を開始した際には、その知識が彼の信用を高めるのに役立ち、インド国民会
議が彼のアプローチを踏襲してイギリスに立ち向かった。
――独裁政権に対する非暴力主義的な抵抗の歴史は、どのくらいまでさかのぼる
ことができるのか。
紀元前5世紀のローマ帝国時代に、そうした抵抗があった記録があるが、それが
最初とは思われない。非暴力主義は、汝の敵を愛し、殴られていないもうひとつの
頬を差し出せというのとは違う。「こういうことには従わない」、あるいは「やめろと
言われても、絶対にやる」といった人間の頑固さに基づいている。だから非常に冷
静で、根本的で重要なものだ。これは、人間存在以前にもあったものだろう。犬で
すら、気に入らないと不服従になるからだ。
だが、歴史の中でわれわれは王や軍隊をあまりに賛美しすぎて、非暴力主義の
存在に十分に目をやってこなかったのだ。あるいは、何か例外的なものとしてしか
捉えなかった。だが、ガンジーを前にしてイギリスは紳士的に行動した。歴史は、イ
ギリスがいつも紳士的だとは限らないことを語っているが、それだけ非暴力主義が
パワフルなものになり得るということだ。
――『独裁から民主主義へ』の巻末には、「役人につきまとう」「複数の産業で同時
にストライキを起こす」「秘密警察の身分を暴く」「事務処理で溢れかえさせる」「並
行政府の樹立」など、非暴力主義運動で使える198のツールが列記されている。そ
れらは、実際のできごとで検証されたものか。
そうだ。すべて歴史上実際に試されたもので、成功したものもあれば、しなかった
ものもある。私が頭の中だけで練り出したのではない。
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 5 of 7
――それらのツールは、個々に遂行するのではなく、複数をコーディネートして同
時進行させるべきだということか。
その通りだ。なぜならば、非暴力主義の抵抗運動では、個々のツール利用に先
立って「スーパー・プラン(上位の計画)」があるからだ。それに従ってツールを決め
る。独裁政権を相手にするのならば、そのあり方をよく理解してスーパー・プランを
定めなければならない。つまり、その独裁政権の強みはどこか、それはどこに現れ
ているのか。また弱みは隠されているだろうから、反対勢力はそれを見いだして、
その弱みをさらに悪化させるよう仕向けなければならない。政権が続けられなくな
るほど、弱体化させるのだ。
――弱みはどうやって見つけるのか。
ドイツの政治科学者カール・ドイッチュが書いたエッセイ『モノリスの亀裂』の中
に、そうした弱みが挙げられているが、ナチスやスターリンのような全体主義シス
テムの中にも弱みは見つけることができるのだという。
ドイッチュによると、独裁政権はいったん根を下ろすと、その安定の上にあぐらを
かき、政権内部では意見の不一致や嫉妬などが巻き起こって、反政府勢力が付け
入るすきができるのだ。
――現在世界で起こっている対立の多くは、宗教や民族間のものである。こうした
対立にも、非暴力主義は適用できるのか。
そうした動きはいくつもある。アメリカでは、法制化された人種差別問題に対して
非暴力主義の公民権運動が起こった。宗教対立では、1700年代のマサチューセッ
ツ州でクエーカー教徒らが、専制主義的なピューリタン派から宗教の自由を勝ち取
るべく、非常に挑発的なデモ行為に出たことがある。非暴力主義運動は一定の状
況においてのみ機能するのではなく、さまざまな目的のために利用できるツール
のセットだ。今日では、周到な計画を練って、反対勢力を効果的に組織化すること
が必要だ。
――日本の近隣を見ると、北朝鮮や中国のような非民主主義国家がある。北朝鮮
は典型的な独裁政権国家だが、中国は経済的自由を与えながら、政治的には自
由を束縛するという方法を用いている。こうした国は、民主化運動を成功させるの
が難しいタイプと見るか。
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 6 of 7
そうとも言えるだろう。だが、中国の政権は「人民パワー」の広まりに苦慮してい
ることは確かだ。天安門事件が起こった時、私はちょうどその場に居合わせたが、
それがよくわかった。天安門事件では、学生側の運動がうまく計画されておらず、
効果的な非暴力主義運動にすることができなかった。
非暴力主義的運動を成功させるのに重要なのは、次の3つの知識だ。
現状と敵、社会を深く把握すること、非協力と非服従のテクニックと行動手段を熟
知すること、相手が暴力的な手段に出ることも考慮して、戦略的に考え計画するこ
とだ。
ちなみに、われわれの研究所のウェブサイトにある『自己解放(Self
Liberation):戦略的立案と独裁政権打倒へのガイド』というリンクから、その内容
をダウンロードできる。
――日本は、世界に例を見ない平和憲法を持ち、他国に攻撃をしかけないことを
誓っている。だが、実際に北朝鮮や中国、ロシアに対する抑止力となっているの
は、アメリカとの安保条約だ。
問題に直面した際には、その問題自体をよく理解し、それがさらに深刻化するの
を防がなければならないということだ。だが、日本には自衛隊法があり、軍事力も
あるので、もし問題が現実のものとなった場合には、防衛のために自衛隊を投入
できる。非暴力主義は、自己防衛をしないということではない。言葉だけでは何も
達成できない。要は、何を成すことができるかだ。
――つまり、自己防衛のために軍事力を使うのは、あなたの唱える非暴力主義か
ら外れないということか。
そうだ。国外からの侵略に備え、それをどう防ぐかについてはそれなりの方法が
あり、1990年代にバルカン諸国が当時のソ連からの独立を達成する際にも用いら
れた。バルカン諸国にはすでにソ連軍も秘密警察のKGBもいたが、私の著書『市
民ベースの防衛(Civilian-Based Defense)』を参考にして、システマティックな非
暴力主義戦略を実行した。そのために、チェチェン紛争でのような多数の犠牲者が
出ずに済んだ。非暴力主義的な運動は、もっと実用的でパワフルなものだ。
――エジプトでは、ソーシャルネットワークなどのテクノロジーの効果が喧伝され
た。もし、『独裁から民主主義へ』を改訂するとすれば、テクノロジーについての新
しい章を付け足すか。
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03
中東・北アフリカに広がる民主化運動の理論的支柱ジーン・シャープ...
Page 7 of 7
テクノロジーは、郵便システムのようなものだ。優れたコミュニケーション・ツール
だということだ。だがそれでも、問題は何を成すのかということ、どんな知識を広め
るのかということだ。テクノロジー自体は、それを教えてくれるわけではない。
――最後に、あなたが非暴力主義運動の研究に携わっている理由は何か。宗教
的あるいは倫理的な動機があるのか。
最初は、宗教的な理由によるものだった。私の父はプロテスタントの牧師で、私
もプロテスタントのキリスト教徒として育ったからだ。だが、それはそのうち宗教的
でも倫理的でもなく、苦しんでいる人間がいるという認識に取って代わられた。これ
をどうにかしなければならないと思ったのだ。私は、自分が人生を終える時には、
世界が少しでも良くなっていて欲しいと願っている。それは、あらゆる人間の責任
であると思っている。
DIAMOND,Inc. All Rights Reserved.
http://diamond.jp/articles/print/11584
2012/09/03