岩垣守彦:感覚刺激の観点から感情喚起の方法を探る

13G-01
感覚刺激の観点から感情喚起の方法を探る
岩垣 守彦
この考察は,コンピュータで「感情」
(心象形容詞)を創出することを目論むもので,
「名
詞(空間の中の形の表象」と「動詞(時間の中の動きと声の表象」の組み合わせから「心
象形容詞」(感情)を引き出すことが出来るのではないかと探るものである.
物書きに求められる最低の条件は,言葉で具体的なイメージを提示して感覚を刺激し,
情動・感情(形容詞あるいは副詞)を相手の心に生み出す技巧を持っているかどうかであ
る.
「言葉で具体的なイメージを提示する」とはどういうことか.
広辞苑で「六月」を引くと「一年で六番目の月」と出ている.ひところ話題になった『新
明解国語辞典』でも定義は同じである.英語圏では有名な『コンサイスオックスフォード
辞典』を引くと sixth month of year で,やはり日本の辞典と同じである.これらの定義
は「一と一を加えると二である」「太陽は西に沈む」と同じで,知識を伝える単なる文字列
である.心(感情)はまったく動かない.
高校生の時にバイブルクラスの牧師からもらって以来,その味わいを楽しんできた『ポ
ケットオックスフォード辞典』で June を引くと,
「バラと夏至を思い起こす月」(associated
with roses and midsummer) となっている.この文字列を読むと「バラの花と香り,蜂の
羽音」や「シェークスピアの『夏の夜の夢』(A Midsummer Night's Dream),その中に登
場する娘ハーミヤ」が即座に目に浮かび胸に迫る.言葉から具体的なイメージが瞬時に浮
かびあがって心が動く.「六月は気持ちのよい月」というような形容詞で心は動かないが,
名詞が上手に使われると,その名詞に付随するイメージが心の動きを引き出す.
名詞は「空間(の中の形)の表象」であり,動詞は「時間(の中の動きや音)の表象」
である.形容詞はこれらの表象から得た心象である.名詞や動詞は「集合イメージ」
(意味)
であるから,具体性はほとんど消滅している.したがって,たとえば,「秋」という言葉に
は集合イメージ(意味)はあるが具体性は稀薄である.具体性を付与するために「里の秋」
のように具体化語句を加える.すると,それによって具体的なイメージだけでなく何らか
-1-
の感情も生まれる.さらに,「栗の実の落ちる音が聞こえる里の秋」などと加えて,感覚を
刺激すると,「栗の実の落ちる音が聞こえるような静かな里の秋」と,「静かな」という心
象形容詞(感情)が自然に加わってくる.
つまり,ある心象形容詞(感情)を喚起させるには
A.感覚喚起表現・「(具体化語句)名詞(・副詞・ 動詞)」=心象形容詞→感情
を基本型として考えることができる.たとえば,
わたつみの 豊旗雲に入日さし
今夜の月夜
さやけかりこそ(天智天皇)
閑かさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)
また,「心象形容詞」が付加されていることも多い.
あかねさす 紫野行き標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
(額田王)
ドーランの剥げ落ちた恐ろしげな顔をしたオカマが座っていた.
香里の泣き声は子どものようで,少し奇妙だった.
それで,心象形容詞と加えた
B.感覚喚起表現・心象形容詞・「
(具体化語句)名詞(・副詞・動詞)
」→感情
も基本形と考えることができ,さらに,A.の「心象形容詞」は代入すると,
C.感覚喚起表現・「(具体化語句)名詞(・副詞・ 動詞)」=感覚喚起表現・「
(具体化語
句)名詞(
・副詞・動詞)」→感情
も可能である.
なお,A.B.C.のいずれの場合にも,
「名詞」以外の項目は追加も削除も自由である.
このように名詞と修飾語句の関係を捉えると,言葉を使って受け手の心に感情を喚起す
る方法は七つ可能である.
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心象形容詞・「(具体化語句)名詞(副詞・動詞)」→感情
心象形容詞がすでに提示されるので「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と同様に,新鮮な
驚きで感情が喚起されることは少ない.
穏やかだがこくのある情事の味わいを思い出していた.
-2-
店内のスピーカーからは美しいピアノ曲が流れていた.
彼女はよくぼんやりと一人で座っていた.
彼女は遠くから眺めるとなぜか神秘的な雰囲気があった.
2.「名詞」=「名詞」→感情
C.から「名詞」以外のすべてを消去した場合である.消去できるのは,選択された名
詞の根底に普遍的共通属性が重層的に存在する場合である.たとえば「人生はゲームだ」
はどちらの名詞にも普遍的共通属性として「始まりと終わりがある」
「何が起きるかわから
ない」「どきどきする」などを持っている.
したがって,普遍的共通属性を重層的に持っている名詞を組み合わせれば,どのような
新しい組み合わせであっても感覚を刺激し心象形容詞(感情)を喚起させる可能性を含ん
でいる.ただし,共通属性があると思っても感知できない場合もあるし,逆に共通属性は
ないのにあるように感じてしまうこともある.たとえば,
「人間はアシである」といった場
合,パスカルを念頭に思い入れる人もいればそうでない人もいる.
3.「感覚喚起表現」・「心象形容詞」
・「名詞(・副詞・動詞)
」→感情
これは「心象形容詞」のためにどのような「感覚喚起表現」を持ち込むかという点で,
最も言葉の運用能力(詩的才能)が求められる.「感覚喚起表現」と「心象形容詞」の組み
合わせに新鮮な驚きを感じさせる可能性の高い形である.
彼女は雑誌のファッションをそのまま無理に真似たような,きちんとした服を着て私を
待っていた.
凪いだ海に静かに漂っているような,穏やかだがこくのある情事の味わいを思い出して
いた.
彼の顔を見ながら,相変わらずマネキンのようだ,と思う.鼻筋が真っ直ぐに通り,唇
は薄く引き締まっていた.
4.「感覚喚起表現」・「名詞・動詞」=心象形容詞→感情
これは上の3.から「心象形容詞」が省かれたもので,受け手の感性に任せる形である.
野菊の如き君なりき.
映画館は数年前に渋谷にできた,新しい,小さなところで,シートの布地はまだ,衣料
店のような匂いをさせていた.
笑うと意外にいたずらっぽい子供のような顔になった.
「さっきから妙に臭いのはお前か!
病気持ちの豚みたいな臭いがするぜ」
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5.「名詞・動詞」(事象)+「名詞・動詞」(事象)・・・=心象形容詞→感情
これはどの様な事象をどの様に配列するかに詩的才能が求められる.すべてを受け手の
資源(集合イメージ)と感性に任せる形である.
八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を(須佐之男命)
石走る垂水の上のさわらびの萌え出ずる春になりにけるかも(志貴皇子)
目には青葉山ほととぎす初鰹(山口素堂)
頓(やがて)死ぬけしきは見えず蝉の声(芭蕉)
よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな(芭蕉)
古池や
蛙飛び込む
水の音(芭蕉)
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり(子規)
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(子規)
春の海終日のたりのたりかな(蕪村)
山は暮れて野は黄昏の薄(すすき)かな(蕪村)
菜の花や月は東に日は西に(蕪村)
「お月様を見ましたか.今夜は十五夜です.仕事が早く終わったので,帰りにお団子を
買いました.
」
「メールをもらって,外に出て月を見ました.十五夜でした.メール,ありがとう」
「あなたにメールしてよかったです.きれいなお月様でしたね.おやすみなさい」
これらを総合すると「名詞」(表象),「動詞」
(表象)と「感情(心象)」の関係は
感覚喚起表現・「(具体化語句)名詞(・副詞・
動詞)」=心象形容詞→感情
という等式で表すことができると思われる.この式においては,「名詞」以外は,すべての
項目が変数で,指定された表現・言葉を自由に入れて良いし,すべての項目を使う必要は
ない.
これをコンピュータで利用するためには,「心象形容詞+名詞」や「心象形容詞・副詞+
事象」の辞書が必要であるが,そういう辞典があれば,たとえば,名詞に付随する心象形
容詞でそろえたり,あるは心象形容詞を選び出して,それに付随する名詞でそろえたりし
て
(寂しい)秋の夜
(侘びしい)旅の男
(女の仕事)針仕事
-4-
を575でまとめると
秋の夜や旅の男の針仕事(一茶)
のような,個々の名詞の隠し持っている「感情」を複合化することができるのではないか.
また,同じような方法で五つ使って57577とすると,たとえば,
久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらん
というような「複合感情」を含む短歌を作ることができるのではないか.また,原型的な
物語展開に合わせて「事象」を選べば「心象形容詞・副詞を内蔵させた(複合感情を持つ)
物語」を作ることもできるのではないか.またさらに,「心象形容詞・副詞」を数値化して
おくと,たとえば,「心象形容詞」を中心に選ばれた五つの名詞
(0)A名詞
(1)B名詞
(2)C名詞
(3)D名詞
(4)E名詞
から三つ名詞を選ぶようにしむけることによって,選択者の「複合感情」(深層感情)を数
値化することができるのではないかと思われる.
そのための基本資料として,現在,「心象形容詞+名詞」
,「感覚喚起表現+心象形容詞+
名詞」の形で「名詞・形容詞・副詞で引く修飾語句辞典」を作っている.
参考文献
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ルヘ・ルイス・ボルヘス
鼓
直訳
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岩垣守彦 (1999)
大分大学「「文学の構図」と「共感のための選択肢」
」
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岩垣守彦 (2000) 玉川大学「予定調和を超えたものを計量できるだろうか」
-5-
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へ」(日本認知科学会テクニカルレポート(文学と認知・コンピュータ6))
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岩垣守彦 (2002) To formulate a story-making and literature-making equation, the
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岩垣守彦 (2003) On Making Readable Stories by Using a Story-making Formula, the
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岩垣守彦 (2004) 物語から文学へ変容のための文学的技巧について,第18回人工知能学会
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-6-
兆史訳