14G-05 「物語原型・原型的エピソード展開」の探索――附.『私の男』について 岩垣 守彦 0.はじめに 「物語」の中には翻訳で読んでも感動させるものがある.それは,言い換えるならば, 「言 語」を超えた物語があるということになる. 私の目論みは, 「人間(の心)はどのような力に突き動かされ,どのような形を求めて(あ るいは,求めようとして)きたか」を物語という観点から分析し,その要素をファイルし, それを使って物語を創ることである. そして,「感動を与える普遍的物語」を創るには ① 論理的・心理的(・感動的)納得を与えるための表現媒体を超越した物語原型(原型 事象列)と原型的エピソード展開 ② 感動的・審美的納得を与えるための表現媒体(言語・映像・音(楽)・その他)とその 技巧 の二つの要素を含ませることが必要であると考えた. 1.① 表現媒体を超越した「原型事象列(物語原型)」 表現媒体を変えても共感する物語があるということは,すべての人間が共有する因果律 (に基づく「予定調和」)や意思では抗うことのできない衝動などを動因とした「物語原型」 を,私たちは共有しているということである.それはどのようなものであろうか. 今から約3万5千年ほど前の後期旧石器時代の遺跡の多くから「先史時代のヴィーナス」 と呼ばれている女性の体の彫刻や絵が出てくる.子を孕んで生んで育てる生殖と関わる体 の部分,乳房,腹,尻,股間部などを大きく誇張した座像,うつむいて乳房,腹,股間部 をじっと見つめているような像,また,洞窟を女神の子宮と考えたのか奥の広くなった場 所の壁や天井に描かれたこのような絵などから,体から無尽蔵に産出する大地を母神とし て人間は畏敬の念をいだいて崇めたことがわかる.そして,人間は自分たちも自然の万物 と同じようにその大地母神の子であると認識することで自分たちの帰属を確認したことは, 人類の古い物語が大地母神の偉大な働き,生殖と誕生の不思議と神秘を語るものであるこ とからうかがうことができる. 作物の栽培が始まると,人間は大地母神を植物を豊かに産出してくれる植物の母神と見 なして崇めるようになる.植物は季節の変化に応じて毎年,いったん枯れては,また新し -1- く芽を出す.そして成長して美しく繁茂する.これは,人間に「大地母神とその子ども」 をイメージさせた.そして,大地母神の美しい男の子は,植物の枯れる季節が来ると,む ごくも殺されて地下の世界に幽閉され,母の母神は泣き悲む.しかし,春になると,男の 子はまた生き返って母神の愛児となり,成長すると母の愛人にもなるという物語が生まれ る. このようにして,人間は 「古い命の死は新しい命の誕生をもたらす」 という永遠の生命の循環と,また,誕生した命は 「誕生→成長→成熟→結婚→豊穣(次代産出)→老年→死」 という始まりと終わりのある事象列をたどることを意識の底に沈め,人間はその事象列に 1 誕生(1.1 到来;1.2 母体から離脱) ↓ 2 成長(2.1 自意識・帰属意識の芽生え;2.2 父性=未知の探求) ↓ 3 成熟(3.1 母性からの自立;3.2 父性の認識と承認) ↓ 4 結婚(4.1 相反するもの合一) ↓ 5 豊穣(次代産出)(5.1 養育) ↓ 6 老年(6.1 再生への願望) ↓ 7死 (7.1 出発;7.2 同化;7.3 安逸) という心の経験をイメージ化して付与した.人間は,これらを不可避な「物語原型」と「原 初イメージ」として共有していると考えることができる. したがって,この事象の変化をそのまま使って,世界の各地の民話に見られるように, 太陽(天)と人間の娘(地)が交わる(→相反するものの合一) ↓ 男の子が生まれる(→到来→母体から離脱) ↓ 男の子は成長する(→自意識の芽生え=母性からの自立) ↓ 男の子は父を求めて旅に出る(→父(未知なる世界)の探求) -2- ↓ 試練の後に父に息子と認められる(→男として独立) ↓ 母のもとにもどる(→安逸・死との同化) というような,一つのコア事象から他のコア事象に順々に移る「エピソード列」を創れば 論理的・心理的納得を与える物語を提示することができる.また,たとえば,「老年」が欠 落して「死」が現れる「オルフェウス」の話,「成熟(父親の承認)」が欠如して「老年」 を迎える浅田次郎の短編小説「角筈にて」,また,壊れた「老年と結婚」の順序を修復しよ うとするケルトの伝承「デアドレ」 (トリスタンとイズーの原型的物語)などのように,コ ア事象のどれかが破壊されたり,欠けていたり,順序が乱れたりして,それを修復する努 力がなされる「エピソード列」を提示すれば論理的・心理的納得を与える物語を提示する ことができると思われる. 2.②表現媒体を超越した「原型的エピソード展開」 コア事象の順序の乱れ・破壊・欠落の修復には多種多様の展開が可能であるが,人間の 古来からの行動の動因となっている二つの要素,つまり,動物(人間も含む)の不可避的 な「情動」(不足・不快→充足・快)と「大地母神と愛しい男の子」を発展させた「相反す るものの合一(coinsidentia oppositrum) への衝動・願望」の二つを動因として展開する「エ ピソード列」 (物語)を提示すれば心理的納得をあたえる物語を創ることができると思われ る.つまり,物語を a 不幸(な運命)・不満 ↓ b 現状脱出(逃亡) ↓ c 試練 ↓ d 救援・仲介 ↓ ↓ ↓ e 約束違反(行き違い) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ f 克服 ↓ ↓ ↓ ↓ g 幸福・満足 h 死(喪失) -3- のようエピソード列で展開させるのである. 実際,この展開は多くの作品に見ることができる.たとえば, 「幸福」の代表的物語は『ど ろんこ子豚』(どろんこを片付けられた不満,家出,困窮,救援者(飼い主).帰宅),『ど ろんこハリー』 (嫌いな風呂,家出,自己証明の不安,救援者(風呂),安心),そのほか『シ ンデレラ』(ハシバミ,死んだ母親,その他が救援者)など.「死」にいたる物語は『オル フェウス』(死の国の王が救援者)『トリスタンとイズー』(森の隠者が仲介者)『ロミオと ジュリエット』(修道僧が仲介者)など.克服の後の幸福は『ヘンゼルとグレーテル』(お 菓子の家の魔女が仲介者)などがある. 3.「原型的エピソード展開」の探索 上に示した「エピソード展開」は,民話・芝居・小説・絵本・童話などのエピソードを 分析して整理したものであるが,実は,その骨格は『トリスタンとイズー』の物語に依っ ている.それは,『トリスタンとイズー』が,一種族(ケルト人)の恋愛物語詩から約60 0年かかって他民族が共感する恋愛物語の原型と言われるものに,つまり,「個別から普遍 へ」と変容した物語だからである.この変容から,人類に共通する「時間・空間によって 変化しない本質」 (=人類共有の原初イメージ)を含む普遍的・遍在的な「物語原型」と「原 型的エピソード展開」が明らかになるであろうと推定した.(なお,以下の『トリスタンと イズー』に関する説明は,別の形で出する予定の原稿資料をまとめたものである.) 3-1 『トリスタン・イズー物語』の変遷 アメリカの中世学者 Roger Sherman Loomis および,Laura Hibbard Loomis 編になる Medieval Romances (Modern Library College Editions, 1957 Random House Inc.) の Tristan and Isolt (by Gottfried von Strassburg) の Foreword によると,ジェームズ・ カーネイ (James Carney) の『アイルランドの文学と歴史の研究』(Studies in Irish Literature and History, Dublin Advanced Studies Institutes) の第六章の見解にもとずい て,この物語は約 780 年ごろの the Picts(ピクト人)の王 Drust あるいは Drustan に 始まると推定することができるとしている. 【参考】-----------------------------------------------------------------------------------------------------------8世紀末のスコットランド北部を支配していたピクト人の王の息子 Drust の名前はア イルランド伝説『トフマック・エメル』の中のク・フーリンの武勇伝(英雄ク・フーリン Cuchullin を中心とするアルスター Ulster 伝説群)の中に現れる.実際,ドドルストとか ドロスタン(「嵐・喧騒」を意味する)という名前は,繰り返しピクト人の年代記の王の名 の中に現れるという.これがウエールズ (Wales) ではドリスタンまたはトリスタンとなる. (アーサー王伝説『中世騎士物語』 (ウエールズの民話 Mabinogion を翻訳したもの.角川 文庫)参照. -4- ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------この Drust あるいは Drustan に類似の物語はギリシャ神話『ペルセウスとアンドロメ ダ』やアイリッシュ・サガ(Irish Saga) の The Wooing of Emer にも見られる. 【参考】-------------------------------------------------------------------------------------------------------------『ペルセウスとアンドロメダ』(Perseus and Andromeda)(ギリシャ神話) ペルセウスはゼウスとアクリシオス王の娘ダナエとの子.アクリシオス王は男の子を得 たいと思い神託を求めたが,彼は娘の子にころされるであろうといわれたので,娘を青銅 の部屋に閉じこめた.しかし,ゼウスがダナエを見初め,黄金の雨となって屋根からダナ エの膝に注ぎ,彼女と交わってペルセウスが生まれた.ダナエとペルセウスは父王によっ て箱に入れられて海に流されるが,セリポス島に流れつく. やがて島の王ポリュデクテスがダナエを見初めるが,すでに成人になったペルセウスが いて近づけなかった.そこで王はペルセウスに対して,その姿を見たものを石にしてしま うゴルゴン(三人姉妹の怪物で,丸くて大きい醜悪な顔を持ち,頭髪はヘビで,歯は猪の 牙のようで,舌をだらりと垂らし,大きな黄金の翼を持ち,その眼には人を石に変える力 があった.三人姉妹のうちメドゥーサのみが不死ではなかった)(メドゥーサ)の首を取っ てくるように命じ,彼を亡き者にしようとした. しかし,彼はヘルメスの援助で翼があって空を飛べるサンダルと,被れば姿が見えなく なる帽子を入手し,アテナに導かれて眠っている三姉妹のゴルゴンたちのところへ来て, 顔をそむけつつ,楯にその姿を写しながら,三姉妹のなかで一人だけ不死ではなかったメ ドゥーサの首を斬った.また彼は,帰途の途中のエチオピアで,(エチオピアの王ケフェウ スと妃カシオペアとの間に生まれた)王女アンドロメダが(母親が海のニンフより美しい と誇ったため,その怒りにふれて) (浜辺の岩頭に鎖でつながれて)海の怪物の餌食に供さ れているのを見て,彼女を妻にすることを条件に怪物を退治して彼女を救った.しかし, 彼女の婚約者の一味が彼を殺そうとしたので、ペルセウスはメドゥーサの首を取り出して 見せ,彼らをすべて石にした.その後,メドゥーサの首はアテナに捧げられ,女神はそれ を自分の楯の中央に取り付けた.アンドロメダはペルセウスの妻となり,死後は星座の中 に列せられた.(『世界神話事典』角川書店、p.238 を中心にして) ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------さて,Pictland は Lothian に境を接していて,その物語は南下して ウエールズ(Wales) へと伝わる.そして,そこで Marc 王と Isolt と森への駆け落ちが加わる. 【参考】-------------------------------------------------------------------------------------------------------------Marc は6世紀の Cornwall の王 Mark として史上(教会の出生名簿)に残っている. また,Isolt は Welish のエシルト(語源は不明),フランケン語ではイシルドあるいはイ スワルド,アングロサクソン語ではエシルダとして残っている. -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------そ れ か ら 更 に 南 下 し て 伝 説 は コ ン イ オ ー ル (Cornwall) に 至 る . そ こ の Cornish -5- raconteurs(語り部)が Marc 王の居城として現在の Tintagel を選ぶ. 更に,この伝説はイギリス海峡を渡って Brittany へ伝わる.それは,約 1100 年ごろの Bretons の少年たちが Tristan という洗礼名をもらっていることから推測することがで きる.そして,「悲しさ」を意味するラテン語の tristis との連想から,英雄の悲劇的な死 が加えられる. 物語の変化の年代的に概略を示すと次の通りである. ケルト人の「古恋愛物語詩」 ↓ 700 年ごろ?「デアドレ」と同類の物語として(ケルトとブルトン文化の接点・スコットラ ンド南部) ↓ 700-800 年ごろ「トリスタン」という名前の物語に変貌〔ウエールズ地方〕 ↓ 10-11 世紀『大陸におけるトリスタン物語』(ブルターニュへ・Brairi によるウエールズ・ ブリトン語・媚薬なし) ↓ 1150-60 年ごろ『エストワール』(フランス語あるいはアングロノルマン語・媚薬・白い手 のイズー導入) ↓ 散文物語系 ↓ 流布本→改訂→トマ(アングロロマン語:宮廷風 1170-75 年ごろ) ↓ アイルハルト(ドイツ:吟遊詩人風・1185 年ごろ) ベルール(ノルマンディー:吟遊詩人風・1189 年ごろ) ↓ ゴットフリート(ドイツ語:13 世紀:媚薬効能が永遠に) では,「最初のトリスタン・イズー物語」はどいうものであったと推定されるか. 3-2 「最初のトリスタン・イズー」の傍系物語 「最初のトリスタン・イズー物語」は現在残っていないが,その傍系的な物語が現存す る.たとえば,Celtic love stories の Diarmid and Grania と Deirdre and the Sons of Usna である.(Rosemary Sutcliff: Tristan and Iseult, Puffin Books) Deirdre の伝説は Ulster 伝説群(8世紀∼9世紀)に属するものである.この伝説群は -6- コノール・マクネッサ (Conor Mac Nessa) 大王のもとにある騎士団 The Red Branch(赤 枝騎士団)を率いるク・フーリン (Cuchullin) と西方のコナハト地方を治めるマーブ (Maeve) 女王との度重なる戦闘が主なテーマである.Deirdre はその傍系物語である. (な お,Deirdre とはゲール語で troubler という意味である.) この物語が,文献に初めて現れるのは 12 世紀の old Irish (ゲール語)でかかれた The Book of Leinster で,伝承のあとをたどると 9∼10 世紀と考えられる.これが 19 世紀末に ドイツ語に訳され,それをもとに英訳が出た.前後して,ジェイコブズ(J. Jacobs, 1854-1916),ジョイス(P. W. Joyce)などの再話作品があらわれ,最近でもポーランド(M. Polland),オ・ファラン(E. O'Faolain)などが物語化している. 伝承についてはダブリン大学の資料室に 80 ぐらいの類話が集められていて,オ・サリバ ン (S. O'Sullivan) などによって広く紹介されている. Deirdre は次のような筋である. コノール (Conor) 王の語り部フェリミ (Fedlimid) が王と「赤枝騎士団」(The red branch) のために宴を催した晩に,フェリミの妻が女の子ディアドレを生む. 占い師カスバ (Cathbad) はさっそく星座を調べ,この子のために大勢の勇者が命を落と し,アルスターに今まで経験した事もない国難が訪れると予言する. 居合わせた騎士たちは,今のうちに赤ん坊を殺しておくべきだと主張する.しかし,デ ィアドラの美しさに目をとめたコノール王は,成人したら自分の妻にすると言って連れて 帰る. ところが,成長したディアドレは若い騎士ニーシャに恋して,コノール王の追跡を逃れ てスコットランド(アルパ)に赴く.そこで数年送るのであるが,コノール王は側近で叔 父のファーガス(フィラハ)を遣わし,すべてを赦すと偽って,二人をアイルランド(エ リン)に呼び戻す.そしてニーシャを闇討ちにかけ,ディアドレを取り戻そうとするが, 彼女もニーシャの後を追う. 【参考】-------------------------------------------------------------------------------------------------------------上に示した物語は 1867 年 3 月 16 日,スコットランド西海岸のバーラ島で採取されたも の で あ る . 語 り 手 は 当 時 83 歳 の 老 人 (J. Macneill) で , 採 取 し た カ ー マ イ ケ ル (A. Carmichael) がスコットランド・ゲーリックを英語に訳した.--Club Leabhar Limited, Scotland: A Tragic Romance of Deirdre 【参考】-------------------------------------------------------------------------------------------------------------この話を元にしてイェイッ(W.B. Yeats, 1865-1939),エー・イー(AE, G. Russell, 1867-1935),シング(J.M. Synge, 1871-1909)などが劇化し,アイルランド文芸復興に重 要な役割をはたした. なお,アイルランドやスコットランドのケルト圏には,古来,多くの民話や伝説が伝承 されてきているが,中でも半獣人のデ・ダーナン(De Danaan) 族が活躍する最古の伝説群, -7- 英雄ク・フーリン(Cushullin) を中心とする「アルスター」(Ulster) 伝説群,フェーナの騎 士団にあって,フィン,オシアン,オスカーの三代にわたるエピソードを集めた「オシア ン」(Osianic) 伝説群の三つが有名で,これらの伝説群は2千年ぐらい前から,大体2,3 世紀の間隔をおいて形成されたものと考えられている. ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------この物語を構成するエピソードは次の通りである. 予言 老王と若い女の結婚 若い女が老王に逆らって若い男と恋 若い二人の現状離脱(逃避行) 仲介者 帰国と闇討ち(若い男の死) 若い女の死(後追い死) これらが次の物語ではどのように変わるか. 3-3 「最初のトリスタン・イズー物語」(8世紀∼9世紀) James Carney は Studies in Irish Literature and History (Dublin Advanced Studies Institutes) の第6章で,最初の「トリスタン・イズー物語」を再現して見せている.(これ は Michel Cazenave: Le Philtre et L'amour, Librairie Jose Corti, 1969 の p.26∼p.27 に も引用されている) その物語は次のような筋になっている. 年老いた王マルクの,若く美しい妃イズーは,トリスタンに想いを寄せ,あからさまに 彼に言い寄る.王への忠誠をまもるトリスタンはそれをはねつける.すると,イズーは, 一緒に駆け落ちさせるために魔法を使って,無理に忠誠の掟を破らせ,共に森の中に逃げ 込む. だが,トリスタンは心の中では,いぜんとして,忠誠と愛欲の相克が続く.トリスタン はまだイズーと関係をもっていない.夜になると二人は剣を間に置いて,お互いに離れて 寝る. ところが,ある日,イズーの馬が水溜りをはねて,水が彼女の腿にあたる.すると,彼 女は「私の腿まで跳ね上がって来たこの水は,なんと大胆なんでしょう,殿御の手のまだ 触れぬところ,トリスタン様もお求めになろうとはなさらぬところまで,厚かましくもは いあがって来るなんて」と言う.これを聞いてトリスタンは,連れの女性にたいする処遇 が,男として名誉にもかかわることとなり,彼はついに愛欲をまっとうすることを受け入 -8- れる. この間,王は絶えず二人を追跡している.そこへ隠者オグランが仲裁に入り,マルク王 のところへ行って二人を赦すように説得する(二人の潔白を説く).イズーはふたたび宮廷 に迎えられるが,トリスタンは彼女と離れなければならない.ここから長期間にわたって, 恋の策謀,秘密の逢い引き,マルク王への裏切り,が繰り返される.そのことが露見して, トリスタンは海外追放となる. 「最初のトリスタン・イズー物語」のエピソードは 老王と若い妃 若い妃が若い騎士にしかける恋 魔法による森への逃避行と王の追跡 仲介者と帰国 国外への追放 となっている.アイルランドの伝説 Deirdre と比べると,「最初のトリスタン・イズー物 語」からは 予言 愛し合う者同士の死 が消えている.「予言」という宿命的な緊張がなくなれば,当然「愛し合う者同士の死」と いうエピソードは生まれないのである. 「最初のトリスタン・イズー物語」の中心的テーマは「愛欲と忠義と名誉」である.し かも,女の情欲は荒々しい.したがって,この物語では,女の愛欲が男の忠義と名誉,つ まり,男の男らしさを奪う敵対物として描かれており,更に,忠義と名誉との関係は,個 人の(=男としての)名誉が,(騎士としての)忠義に優先するというのである. 老王と若いイズーとの関係も,イズーの台詞 「私の腿まで跳ね上がって来たこの水は,なんと大胆なんでしょう,殿御の手のまだ触れ ぬところ,トリスタン様もお求めになろうとはなさらぬところまで,厚かましくもはいあ がって来るなんて」 でわかる通り,老王と彼女の間には肉体的な関係はないと考えることができる.この処女 性は,後に「白い手のイズー」を引き出すことになるのであるが,物語は「予言」の代わ りに「女の情欲と魔法」が動かすことになる. [参考]--------------------------------------------------------------------------------------------------------------古いケルト文化には,タブーに基づく呪術的精神的束縛を意味する「ゲイス」と呼ばれ -9- る「掟による呪縛」があった.これを他人に課することができるものは,ドルドイ祭司あ るいは妖精型の女性などに限られていた.古いケルトの世界では,妖精型の女性からこの 呪縛を受けた男性は,その瞬間から宿命的な冒険の道にひき入れられ,これを拒否する力 を持たないとされていた.そして,この呪縛は男性をそれまで属していた既成秩序から脱 出させて,あらたな変革的な人間に生まれ変わらせるのである. この妖精は『アーサー王物語』では,「ギネヴィア」(アーサー王の王妃)として入って いる.「ギネヴィア」とは古ケルト語で「白い幽霊」または「白い妖精」を意味する.「白 い妖精」(ギネヴィア)は古いケルトの伝説では悪神によって冥界にさらわれ,英雄の手で 救いだされる妖精だった.(クレティアンによって,ランスロットが登場するまでの物語で は,彼女はいくらでも恋人を持つことができた.特に,王の甥のガウェインが主な恋の相 手だったようである.ところが,中世的社会秩序の中では,王妃と王の甥との恋は都合が 悪くなり、代わりにランスロットが登場して「ゲイス」に縛られることになる. ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------さて,この「女の愛欲と男の忠義と名誉の物語」は,古代ケルト文学の中でもっとも人 気のある話 あてのない舟行の話 おとぎの島の愛情深い仙女の話 恋情に燃える王妃の話 自分の選んだ男に執拗に迫る女の話 不義の恋をして荒野に逃げる男女の話 夫以外の男と雲隠れする人妻の話 などを取り込みながらヨーロッパ大陸へ渡る. 3-4 大陸におけるトリスタン伝説の原型(9世紀∼10世紀) 大陸におけるトリスタン伝説の原型はどうであっただろう.フリードリヒ・ランケ (Freidrich Ranke: Tristan und Isold (Munchen 1925) は次のように推定する. コンウオールのマルク王の甥のトリスタンは美しさと力,勇敢さと技の点では王の臣下 のすべての騎士にまさっていて,遠い未知の国からやって来てコンウオール中を恐れさせ た巨人モルオールを,年若くして一騎打ちで倒した. しかし,彼自身もこの戦いでモルオールの毒を塗った槍で傷つけられる.その傷をいや すことのできるものは,コンウオールには誰もいなかった.そこで彼は死を免れることは できないと覚悟して,愛用の剣と竪琴とともに小舟にのせてもらい,沖合いに流れ出て, 人気のないところで死のうとした. - 10 - しかし,運命はまだ彼の死を望んでいなかった.彼の舟は風と波に運ばれて,モルオー ルの妹の仙女が支配している遠方の島に流れつく.トリスタンの傷を治すことのできる薬 を知っているのは彼女だけであった.彼女はトリスタンの傷を治し,その上,兄の仇であ る男に情をかける.しかし,傷が治ると,トリスタンは,彼女を見捨てて故郷のコンウオ ールに帰ってしまう. ところで,ある日,マルク王の妻である王妃イズーが宮殿の前で行われた騎士の試合を 見物した.彼女はかねてからあらゆる女を燃え立たせると評判のこの若者を見る.その不 思議な美しさを見て,彼女は自分を連れて逃げてくれるように求める.トリスタンは伯父 に対する,そのような裏切りを承知しようとしないが,その抵抗も無駄であった.という のは,彼がそれ以上拒めば,永久に屈辱を被り,仲間に嘲笑されるような嘲りの言葉を彼 女が彼に言ったからである. 彼はいやいやながら,彼女の言うことをきいて,彼女と一緒に荒涼たる森の中へ逃げま す. 妻と甥に裏切られた王は,逃げた妻とその誘惑者に対して,追跡の手を休めませんでし た.それで二人は不安で不自由な逃亡生活をすることになる.しかし,トリスタンは非常 に王に対して忠誠心が強かった.それで,夜,寝るときには,王妃と別の寝床に入るか, 一つの寝床に入った場合には,自分と王妃の間に抜き身の剣を常に置いた. ある日の早朝,マルク王は森の中で二人を見つける.二人は眠っていて,間に抜き身の 剣が置いてあるのを見て,王はトリスタンの忠誠を知り,トリスタンの剣を自分の剣と取 り替えて,二人を起こさずに立ち去る. 目覚めて,剣を見て,トリスタンは伯父の寛容に感激して,彼のもとに帰ろうとすると, イズーは再び,彼の男らしくない小心さを嘲笑して妨げる. ある日,イズーとトリスタンが並んで馬を小川に乗り入れたとき,水が跳ね上がって, 彼女の太股を濡らす.彼女は,ふと,つぶやく.「水よ,おまえは騎士の中でももっとも大 胆なあの人よりももっと大胆なのね」と. トリスタンは彼女が何かつぶやいたのに気がついて,もう一度繰り返すように頼む.彼 は,彼女の言葉を聞いて,男としての名誉を守ために伯父に対する忠誠を忘れる. マルク王は再び,自分の妻とその誘惑者の探索にむなしく時間をすごしていたが,つい に,ある日,川のほとりで野営したときに,美しく削られた木の板が流れ下って来るのを 見て,トリスタンが川上にいることを知り,隠れ家を見つける. 二人は一騎打ちとなり,トリスタンは致命傷をうけ,死の迫ったことを知った彼は,別 れを告げようとするかのように王妃イズーを呼び寄せる.イズーが最後の口づけをしよう と彼の上に身体を屈めると,トリスタンは断末魔の苦しみの中から,腕を彼女の身体に巻 きつけ,胸に抱きしめて絞め殺した. 「愛欲・忠義・名誉」という設定は同じであるが,行為に対して理由を付けるために筋 - 11 - が複雑になって来る. ここではまだ,愛は肉体的な結合のみを求める衝動的な力として扱われていて,作者の 関心は騎士の倫理であり,作品の中心は男であって愛ではない. しかし,前の物語に比べると,特に大きな変更は,女が愛欲のために男にしたことに対 して,男がいまわの際に復讐するという結末になったことである.これは「デアドレ」の 帰国と闇討ち(若い男の死) 若い女の死(後追い死) の形を変えた復活である.したがって,愛(欲)の扱い方は後の中世の宮廷風恋愛物語の 恋愛賛美とはまったく異質であるが位置は向上し,「愛」が「死」にいたるものであること が暗示されるようになっている. この作品に新たに加えられた点は 1 伯父と甥の関係(マルク王とトリスタン) 2 巨人モルオールの導入(未知なる国の巨人) 3 剣と竪琴とともに舟で海へ 4 モルオールの妹の島(未知なる国)へ 5 女が仕掛ける恋とその女を捨てて帰国 6 [古いトリスタン物語](ケルト系トリスタン伝説) 7 マルク王の剣の交換 8 騎士としての忠誠と男としての名誉の相克 9 男としての名誉を大切にする(イズーの愛(欲)に答える) 「水よ,おまえは騎士の中でももっとも大胆なあの人よりももっと大胆なのね」 10 王の追跡とマルク王との一騎打ち 11 トリスタンの致命傷 12 トリスタンの死と復讐によるイズーの絞殺(二人が同時に死ぬことの導入) などである. 3-5 大陸におけるトリスタン・イズー物語の発展(10 世紀∼11 世紀?)――媚薬の導入 この時期の物語も,そのままの形では保存されていないが,次の時代のアイルハルト (1185) やベルール(1189) の作品を比較対照することによって大体の輪郭を復元すること ができる. コンウオールのマルク王の甥のトリスタンは勇敢さと武芸の点では,王の家臣のどの勇 士よりも優れていた. 巨人のようなアイルランドの騎士モルオールが,義兄にあたるアイルランド王の言いつ - 12 - けで貢ぎ物を徴収にコンウオールにやってくるが,人々はそれを拒み,トリスタンがモル オールと一騎打ちをすることになり,モルオールを倒すが,その際に自分も不治の傷を受 ける.モルオールの遺体の頭部にはトリスタンの剣の刃が残っており,姪のイゾルデはそ れをしまっておく. トリスタンは人のいないところで死にたいと願い,竪琴と一緒に舟に乗せて,海に流し てもらうが,風と波が彼をアイルランドへ運ぶ.彼は楽人トリスタンと称し,アイルラン ド王女イゾルデに傷を癒してもらい,元気になってコンウオールに帰る. ところで,マルク王は独身を通し,甥のトリスタンを世継ぎにしようとするが,宮廷の 人々は,文武両道にすぐれたトリスタンに嫉妬して,王に結婚を迫る.王は,ちょうどそ のとき一羽のツバメが運んできた金髪をとりあげて,この金髪の主となら結婚しようと逃 げ口上を考え出す.廷臣たちは,この逃げ口上はトリスタンの発案にちがいないと非難す るので,トリスタンはその女性を探しに行くことをかって出る.彼は船を用意させ,廷臣 たちを連れて,あてのない航海に出るのであるが,船はまた風と波によって偶然にアイル ランドに着く. そこで,トリスタンは,その国を荒らしている竜を退治するのであるが,竜の舌を切り 取ってから気を失ってしまう.そこへアイルランド王の執事(赤髭のアギャンゲラン)が やって来て,竜が死んでいるのを見つけ,自分が退治したのだと言って,王に約束の褒賞 イゾルデ姫を要求する. ところが,イゾルデ姫は気を失って倒れている本当の退治者トリスタンを見つけて引き 取り,湯浴みをさせ,香油を塗る.その時,トリスタンは彼女こそ自分が探している金髪 の女性であることを知ってにっこり笑う.イゾルデはその微笑を自分に何か落度があって それを笑ったのだと誤解して,まだ手入れしていなかった彼の剣を研ぎ始める.その時, 刃こぼれを発見し,しまっておいた破片をあててみて,この男が自分の伯父モルオールを 殺した男と知る.そして,彼女は剣を振りかざしてトリスタンを殺そうとする.そこへ侍 女のブランジャンがやってきて,あの悪人のアイルランド王の執事との結婚から救うこと のできるのは,この男だけであると言ってイゾルデをなだめる. こうして和解が成立し,トリスタンは執事の欺瞞をあばき,マルク王のためにイゾルデ に求婚する. ところが,王の花嫁を連れてコンウオールへ帰る航海中に,ブランジャンが保管してい た,マルク王との婚礼の夜のための媚薬を二人は知らずに飲んでしまい,恋が重い病気の ように二人を襲う. ブランジャンはそれに気づいて,二人を一緒にさせると,やっと二人は再び元のように 元気になる.そして,婚礼の夜には忠実な侍女ブランジャンがイゾルデの罪を隠すために 代理を勤める. しかし,イゾルデはブランジャンが自分を裏切りはしないかと恐れて,彼女を殺させよ うとする.殺すことを命じられた者はブランジャンを容赦し,また,死に臨んでも秘密を - 13 - もらさなかったブランジャンの忠誠に感動して,イゾルデも,以後,ブランジャンを腹心 の友とする. しばらくすると,マルク王の廷臣たちはトリスタンとイゾルデの不義に気がつく.マル ク王は廷臣たちの言葉に耳をかそうとしなかったが,ある夜,イゾルデが寝台の前でトリ スタンの腕に抱かれて立っているのを見て,マルク王はトリスタンを宮廷から追放する. しかし,トリスタンはイゾルデの部屋の中を流れている小川に木の枝と削った木片を流し て合図し,果樹園で密会を続ける. 廷臣たちが雇った小人のスパイは,このことを察知して,ある晩,小人はマルク王を伴 って,樹の上から二人の密会をうかがう.しかし,二人はそれに気付いて,イゾルデは偽 りの誓いを立てる.それを聞いてマルク王は二人の無実を確信し,トリスタンを再び宮廷 に迎え入れる. しかし,小人はまた別の罠を仕掛ける.ある夜,寝室に小麦粉をまいてマルク王ととも に出ていく.トリスタンは足跡を残さないように,自分の寝台からイゾルデの寝台へ跳ぶ. しかし,そのために古い傷が破れて寝台を汚し,そのため貧血のため,帰りには小麦粉の 上に足跡を残してしまう. このことからマルク王は真実を知り,激怒してトリスタンを車裂きの刑に,イゾルデは 火焙りの刑に処すことにする. トリスタンは刑場に曳かれて行く途中,海に臨む絶壁の上に建っている礼拝堂でお祈り をする許しを乞い,それが許されると,その礼拝堂の窓から身を躍らせて海へ飛び込み無 事に逃れる. これを聞いて憤怒のために色を失ったマルク王は,火焙りの刑に処するはずであったイ ゾルデを癩病患者の慰み物としてくれてしまうが,トリスタンが現れて彼女を救い出し, 二人でモロアの森へ逃れる.そこで二人は惨めな逃亡生活を送るのであるが,二人が一緒 にいられるのは幸せであった.しかし,夜になると,トリスタンは自分の剣を自分と愛人 との間に横たえるのであった. ある朝,そんな風に二人が寝ているのをマルク王は発見し,その剣を自分の剣と取り替 えて行く.〔アイルハルトとベルールの作によって証明されているのはここまであるが,こ の後は、前の話と同じであったと推定される〕 二人は目を覚まして,驚いて,更に森の奥深くへ逃れる.トリスタンは忠誠心を思い出 して,しばらくイゾルデを寄せ付けない.たまたま二人が川へ馬を乗り入れた時,イゾル デはせつなげに,「水よ,お前は勇士の中でも最も大胆なあの方よりも大胆なのね」とつぶ やく.それを聞いてトリスタンは、再びイゾルデをひしと抱くのであった. マルク王は再び幾年かトリスタンとイゾルデを探し,ある日ついに二人の居場所を突き 止め,一騎打ちとなり,マルク王はトリスタンを打ち負かす.それを見てイゾルデはトリ スタンの胸に倒れて死ぬ. - 14 - この物語に新たに加わったものは 1 未知なる国の巨人モルオール→アイルランドの巨人のような騎士と変化 2 剣と竪琴とともに舟に→竪琴だけで海へ→アイルランドへ 3 モルオールの姉妹の住む未知なる島→アイルランドへ 4 燕の持ってきた金髪とその女性を求めて再びアイルランドへ 5 竜退治 6 媚薬の導入 7 愛する者同士の同時死(の復活) 前の物語から失われたもので重要なものは 1 女が仕掛ける恋と、その女を捨てて帰国 2 武人としての忠誠と(女に対する)男としての名誉との相克の減少 である.つまり,愛欲から愛への移行が見られ,したがって,当然,復讐による同時死は 情死に近いものに変質する.その結果,愛欲的な女と禁欲的な男との間の奇妙な葛藤が消 える.これは中世ロマンの特質である「女性の能動的情熱と男性の理知的受動のドラマ」 へ変貌する準備ができてきているということである. ところで,「媚薬」はどのような理由で導入されたのであろうか.幾つかの中間的な物語 を経て古いケルト的トリスタンとイズーと新しい大陸系トリスタンとイズーとの決定的な 相違点は「媚薬」の導入であった.それは物語が 忠義と愛欲の葛藤物語 ↓ 愛(欲)と忠義の物語(二人の同時死) ↓ 愛と死の物語(媚薬の導入) と発展するにつれて,宿命的出会いの状況を作るために, 「デアドレ」の「予言」に相当す るものとして「媚薬」がぜひとも必要であったと考えることができる. このような物語の発展には,当時の文化状況からしてトルバドール(南フランスの吟遊 詩人),トルベール(北フランスの吟遊詩人)たちが力を貸したのであろう.というのは, 吟遊詩人たちは,貴婦人たちに取り囲まれて愛の歌をせがまれたからである.吟遊詩人の 手によって,たとえば,アーサー王物語が『アーサー王と円卓の騎士の物語』や『聖杯伝 説』に変貌したように,英雄たちは宮廷風恋愛物語,ないしは騎士道物語と変わり,その 愛の歌は「愛の悦び」より「愛の悲しみ」へと変化していった. 媚薬導入の最初の動機は,古い社会における「予言」あるいは「女の魔法」などと同じ 役割として,中世の理性的意志的社会における道徳的・倫理的責任の回避させるものであ - 15 - ったと考えることができる.というのは,媚薬を導入した物語(11 世紀)では,その効能 は3年(ベルール),あるいは4年(アイルハルト)であったからである.エピソードで言 うと,その効能は,ちょうどモロアの森でマルク王が二人の間の剣と自分の剣と置き換え るあたりまでであった. ところが,媚薬の効能が物語の最後まで続くように変えられている.したがって,この 物語での媚薬の導入は,ただ単に中世の理性的意志的社会における道徳的・倫理的責任の 回避のためだけではなく,別の意図が含まれていると考えることができる. 中世では,女は,夫へは身体を与え肉体的貞節生活をまもり,愛人とは,露見しないよ うにという束縛はあったが,魂を与え精神的生活をすることが許されていた.しかし,た とえ夫婦であっても神を忘れるほど理性を失って肉体的に愛し合うことは許されなかった. 夫婦の仲がよすぎると通報されると裁判が行われ,夫婦が別々に何日か修道院で暮らすよ うな判決が出された.姦通のような婚姻外の肉体的交渉は修道院への終生禁固であった. しかし,たとえば「マタイ伝」に「すべて色情をいだきて女をみるものは,すでに心の 中にて姦淫したるなり」とあるように,キリスト教の本来の教義では「霊と肉」を分けて いなかった.となると「媚薬」の効能の延長は中世の理性的意志的社会における道徳的・ 倫理的責任の回避だけではなく,中世の「霊と肉」分離に対する抵抗を秘めているように 思われる.すなわち,中世的人間像から自己を開放するもの,人間の精神的成長の停止さ せ,いわば時間的休止状態とも言える中世的人間像からの開放,別の(全人格的)人間に な変わらせる役割,かつて古いケルト文化のタブーに基づく呪術的精神的束縛を意味する 「ゲイス」(掟による呪縛)の役割を「媚薬」に付与したのではないかと考えることができ る.古いケルトの世界では,妖精型の女性からこの呪縛を受けた男性は,その瞬間から宿 命的な冒険の道にひき入れられ,これを拒否する力はないとされていた.そして,この呪 縛は男性をそれまで属していた既成秩序から脱出させて,新たな変革的な人間に生まれ変 わらせるものであった.この意向はこの後の「白い手のイズー」の導入でさらに明瞭にな る. 3-6 ヨーロッパにおける『トリスタン』の発展――「白い手のイズー」の導入 現在,私たちが手に入れることのできる最も標準的な版であるジョセフ・ベチエの『ト リスタン・イズー物語』 ((1890) 佐藤輝夫訳,岩波文庫)によると,物語の概要は次の通り である. 1 トリスタンはローヌワ国の君主リヴァランと,コルヌアーユ国の王マークの妹ブラン シュフルールとの間に生まれる.忠臣ロアールの手で育てられたトリスタンは,数々の体 験を経た後,叔父のマーク王の宮廷に入り,文武両道にすぐれた騎士として頭角をあらわ す. - 16 - 2 やがていくつかの試練が始まる.最初の試練はモルオールとの死闘である.モルオー ルはアイルランド王の義兄にあたる巨人で,コルヌアーユ国の青年男女を奴隷として徴用 するためにやって来たのである.トリスタンはこの巨人に一騎打ちを挑んで相手を倒す. しかし,彼も相手の毒を塗った刃で傷を受ける.医者は容態の悪化した彼を見放し,死の 悪臭がただよい始める.彼は愛用の竪琴を一つだけたずさえて,櫂をはずした小舟に乗せ てもらい,行き先を天に任せて海に出る.小舟は潮に流されてアイルランド国に漂い着く. そこで巨人モルオールの妹であるお妃とその娘イズーが,彼の身許も知らずに看病して傷 を治してくれる.元気になった彼はマルク王のもとに戻る. 3 それからしばらくして,マルク王は家臣の要請で,どうしてもお妃をもらわなけっれ ばならなくなる.(マルク王は甥のトリスタンに王位を渡したいのであるが,家臣たちがそ れを嫌う)王はハトのくわえてきた金髪を拾い上げて,この金髪の主となら結婚すると言 い,彼は金髪の美女を探しにトリスタンを派遣する.その金髪の美女とは,まさしくイズ ーにほかならず,トリスタンは再びアイルランド国にやってくる. 彼はアイルランドの首都を荒らす怪竜と戦う.アイルランド国王はこの怪竜を倒して国 を救った騎士にはその姫を与えると約束していた.トリスタンは怪竜を殺すが,彼自身も また傷を受ける.そして,今回もまた,イズーの看護で命が救われる.イズーはその後, トリスタンこそ叔父モルオールを殺した男と知るが,結局,侍女ブランジャンのとりなし で彼を赦す.そして,父王の約束にしたがってトリスタンのもとにいくことになる. 4 トリスタンはイズーをともなってコルヌアーユ国に帰るのであるが,その船の中で, 二人はイズーの母親が娘とマルク王のために作った愛の媚薬を誤って飲んでしまう.二人 は愛を告白し合い,情熱に身をまかせて船が港に着くまで昼も夜も離れようとしない. 5 しかし,トリスタンには使命がある.イズーをマルク王のもとに連れていきわたさな ければならない.しかし,イズーはもはや処女ではない.そこで,イズーがもはや処女で はないとこが発覚しないように,策略を使って初夜の寝台にイズーの侍女ブランジャンを 身代わりに送り込む. 6 一方,宮廷の家臣たちはトリスタンと王妃イズーの仲に気がつき,直ちに国王マルク に知らせる.トリスタンは宮廷から追放される.しかし,逢い引きは続く.知らせを受け てマルク王がトリスタンとイズーの逢い引きの現場を押さえにくるが,またもや策略によ って二人は身の潔白を王に説得することに成功する.そしてトリスタンは宮廷に戻ること になる. 7 しかし,家臣たちの疑いは解けない.相談を受けた星占いの小人フロサンは,トリス - 17 - タンの寝台とイズーの寝台の間の床に小麦粉をまいて罠を仕掛ける.トリスタンは罠が仕 掛けられているのを知って,二つの寝台の間を飛び越えるのであるが,まだ治りきってい ない怪我の傷口が破れて血が流れ,白い粉の上に点々とあとを残してしまう.そして,王 と家臣が踏み込んで,裏切り(姦通)の証拠が押さえられる. 8 その結果,イズーはライ病やみの集団の慰みものに,トリスタンは死刑に,との断が 下される.しかし,トリスタンは「最後の祈り」を求め,高い崖の上の塔から飛び降りて 奇跡的に自らの命を救うと,イズーを助け出して,二人は手に手を携えて深いモロワの森 に分け入って,そこで3年の間とどまる. 9 ある日,狩りをしていたマルク王はトリスタンとイズーが眠っているところを見つけ 出す,幸いなことに,トリスタンは二人の身体の間に抜き身の剣を置いていた.マルク王 はそれを見て,これこそ二人の純潔の印と感動し二人を赦し,その証拠としてトリスタン の剣をとって代わりに自分の剣を置く. 10 目を覚ましたトリスタンとイズーは驚いて逃げるが,王の寛容な処置に心を動かされ ると同時に,お互いの辛い運命を悲しむ.そこで二人は連れだって隠者オグランを訪ねる. オグランのとりなしでマルク王はイズーを赦すことになるが,トリスタンは国外に追放さ れることになる. 11 しかし,二人は密かに森の番人オルリのところで密通を続ける.家臣たちはまたイズ ーを疑う. 12 そこでイズーは身の潔白を証明するための,神の審判を求める.そして,ここでも彼 女は策略を使う.すなわちトリスタンを巡礼者に変装させ,その腕に抱かれて舟から岸へ 渡り,自分を抱いたまま砂の上に倒れるように命令する.そして「マルク王と今倒れた哀 れな巡礼者以外の男の腕には決して抱かれたことがない」と誓って,真っ赤に灼けた鉄を 握り,九歩あるいてからそれを投げ捨てて,手のひらをあけて腕を広げて十字の形に立つ. 彼女の手のひらはなんともなく,人々の胸の奥から神をたたえる感嘆の叫び声が天に向か ってどっと上がる. 13 トリスタンは,イズーの身の潔白が証明され,王は彼女を慈しんでいるのでもはや家 臣たちがイズーに奸策を弄することもあるまいと思うと同時に,自分がいつまでもイズー の近くをうろうろしていることは,自分の命ばかりでなく,森番オルリの命,イズーの安 住をも危険にさらすことになると考えて,王にイズーを返した際の誓い通り,彼女から決 定的に離れることを決心する.しかし,去りがたく,再び城の中に入って鴬の鳴き声でイ - 18 - ズーを呼び寄せる.彼女は王の腕をそっとはずし,素裸の身体の上に銀鼠の外套を羽織っ てトリスタンのもとへ行く.二人は朝まで抱き合って喜びと愛に酔いしれ.それから数日 間は夜毎会うが,ある朝,奴隷の一人がトリスタンを見つけ,イズーとトリスタンの関係 を疑い続けていた三人の家臣に知らせる.しかし,トリスタンはこの三人を殺し,「私の身 体はここにとどまりますが,私の心はあなたのものです」というイズーに「イズーよ,愛 する人よ,私は旅立つが,この碧玉の指輪を見たら,一度,私の願いをかなえてくれるか」 とトリスタンは言う.「そんなことはよく承知のはず」とイズーは答える.二人は誓い合っ て別れる. 14 トリスタンは心の不幸を慰めてくれる不思議な鈴をつけている魔法の犬をイズーに送 り届ける.イズーは喜んで犬を手元に置き,鈴の音で悲しみを溶かしてもらうが,トリス タンが送り届けたものと思うにつけ,トリスタンの苦しみは,またわが苦しみとばかり, 魔法の鈴をとって窓から海中に捨ててしまう. 15 トリスタンは各地で数々の武勲をたてながら二年あまり流浪する.その間にコルヌア ーユからは一人の友も,一人の使いも音信をもたらさない.それでトリスタンは,イズー が自分を嫌って,自分のことなど忘れてしまったのだと考える.ブルターニュのカエルダ ンのもとに身をよせていたトリスタンは,ここでもナントのリオル伯を負かし,乞われて カエルダンの妹の白い手のイズーと結婚するが,夜になって着替える時に金髪のイズーか ら受けた碧玉の指輪が抜け落ちる.それは金髪のイズーから共に辛い生活を忍んでいたあ のモロワの森の中でもらったものであった.彼は自分の罪深さを分かっていたが,いかん ともしがたく,白い手のイズーの傍らで嘆息する.それを聞きとがめられると,彼は「あ る国でかつて竜を退治したことがあったが,すでに危なしと見えた時に聖母を心に思いだ し, この怪物から私をお救いくだされたならば,妻を娶っても一年の間,口づけも抱擁も いたしません と誓ったのだ」と偽りを言う.白い手のイズーは「私もその誓いを守りま しょう」といい,処女のままでいる. 16 いく日か後,トリスタン,白い手のイズー,兄のカエルダンなどが森へ狩りに出かけ る.ところが,イズーの馬が水たまりで躓き,馬はイズーの着物の裾の下でひどく水飛沫 を飛ばしたので,彼女はすっかり濡れ,膝頭のところに冷たいものを感じると,軽い叫び 声をあげるや馬に拍車を加え,高い笑い声を発する.不審に思ったカエルダンがあとを追 って尋ねると,「私は水に『おまえは、あの大胆なトリスタンさまよりも大胆だわ』と言っ たのだ」と言う.それでカエルダンは妹の白い手のイズーがまだ処女であることを知り, トリスタンに問いつめる.トリスタンは金髪のイズーのことをすべて打ち明ける.カエル ダンはそれなら巡礼者の姿に変装してコルヌアーユ国へ行こうという.一方,金髪のイズ ーはトリスタンを想って嘆き悲しんでいるが,侍女の一人からトリスタンがブルターニュ - 19 - 公の娘白い手のイズーと結婚したことを知らされる. 17 巡礼者に変装したトリスタンはイズーに出会い,会う約束をするが,ちょっとした行 き違いからイズーはトリスタンを追い払うことになる. 18 トリスタンは失意のうちにブルターニュに帰るが,イズーなく生きながらえるよりは いっそ死の方が望ましいと,誰にも告げずに一人でコルヌアーユへ戻り,気が狂った人の ふりをしてイズーに近づくが結局は徒労に終わる. 19 トリスタンはブルターニュにもどり,カエルダンと共に戦うが,槍で致命的な傷を受 ける.その槍には毒が塗ってあって,これを治すことの出来るのはコルヌアーユ国の王妃 イズーしかない.トリスタンは碧玉の指輪をカエルダンに託して金髪のイズーを呼んでも らう.使いの船がイズーを乗せて帰ってきたら白い帆を,そうでない場合には黒い帆をと 打ち合わせる.この打ち合わせを白い手のイズーは盗み聞く.王妃イズーは愛する人の求 めに即座に応じる.しかし,嫉妬に狂った白い手のイズーは黒い帆が見えるとトリスタン に告げる.トリスタンはそれを聞いて悲しみのあまり息を引き取る.金髪のイズーは船を 降りて,愛する人の亡骸をかき抱き,悲しみのあまり,やはりそのまま息が絶えてしまう. マルク王はブルターニュにやって来て,二人の遺体を引き取り,故郷の寺院の奥殿の左右 に埋葬する.すると,緑色の濃い葉の一本の花薫るイバラが夜の内に生えて寺院の上には いあがり,イズーの墓の中に伸びていくのである.切っても切ってもまた伸びるのであっ た. 3-7 『トリスタンとイズー』における「媚薬」と「白い手のイズー」の意味 媚薬の効能が二人の死までにのびたのは,ちょうど,中世がその神学体系を確立させ「中 世の華」と言われる 11 世紀から 12 世紀の時期にであった.しかし,媚薬の導入の結果, 「媚 薬の効能でイズーとの森への駆け落ちし,幸せな愛の世界を過ごす」という恋愛物語,「媚 薬の効能が切れて,忠誠心を思い起こし,マルク王への忠誠心に目覚める」という騎士物 語,「王妃イズーとの関係が発覚し,追放され放浪した果ての死」という姦通物語という三 つの内容を含んで,中世において勧善懲悪の物語として生き残っていた物語が, 「白い手の イズー」の導入と相まって,まったく異なる意図を秘めた物語に変貌する.つまり,媚薬 の効能が二人の死まで及ぶにいたって別の世界を秘めることになるのである.作者はどの ような世界をこの物語に塗り込んだのであろうか.それは,物語の中の次の台詞に暗示的 に示される. 「恋人よ,あなたを苦しめるものは.」 彼女は答えた. - 20 - 「あなたをいとおしいと思うわたしの心です.」 トリスタンは彼女の唇の上におのが唇を重ねた. (中略) 恋人は抱きあった.美しい肉体の中で欲求と生命とが波うっていた.トリスタンは言っ た. 「さらば,死よ来たれ.」 こうして,陽が落ちると,マルクの領土をさして,飛ぶように,前にもましていっそう 速く走ってゆく船の上で,永久に結ばれた二人の恋人は,恋にすべてを棄てて互いに身を まかせてしまった. (pp.64-65) 「さらば,死よ来たれ」これは,中世のキリスト教倫理が否定した「法悦(extasis)」 の 世界,一元化(両性具有)を求める異教の世界である.したがって,媚薬の効能を二人の 死までのばした作者は媚薬に恋の秘薬以上の意味を持たせたことになる. [参考]-------------------------------------------------------------------------------------------------------------ガストン・バシュラールの『水と夢』では,「媚薬」は,「事実,生の偉大な神秘のイメ ージそのものであり,愛とその捉えがたい開花とその強力な生成の造形的表現であり,ま た悲劇的本質を我々にはっきりさせる完全な意識へ,夢から移行することの造形的表現な のだ」と述べている. ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------その意図は「白い手のイズー」の導入と合わせて考えてみるとよくわかると思われる. 「白い手のイズー」が処女であることは物語の中にあるが,更に以前の物語で金髪のイ ズーが言った台詞を言う.「まあ,お前ってば,あの大胆なトリスタンさまよりか,もっと 大胆だわ!」と.処女であることとこの台詞から,一つは宮廷風恋愛の作法,もう一つは 錬金術の世界が浮かんでくる. まず,宮廷風恋愛の作法であるが,当時,南フランスでは,領主階級において,夫と妻 たちの間でそれぞれ公認の姦通(夫婦交換)が行われていた.これには,独身者,および 身分の低い者は除外されていた.トルバドールたちは,この不道徳な貴族の女たちを題材 に,ある時は悲しく,ある時は滑稽に,歌ってみせた. 一方,女たちは,男たちの肉体的愛を求めながら,あるいは,それだからこそ,純潔の 愛をほめたたえ、心の合一を重視した. 更に,若い騎士たちが,既婚婦人たちの奇妙な純愛欲求に乗って,貴婦人たちをマドン ナとすることは,貴族の女たちのうぬぼれや体面を満足させることであった.しかし,そ こで描き出された世界は,純愛と肉欲的純潔と恍惚の世界,言い換えると,実際には純潔 ではなく,肉欲を押さえた快感,行為のない快楽----それは極めてグロテスクなエロティシ ズムの世界であった. - 21 - 宮廷風恋愛の,このグロテスク性について, 『愛について』のルージュモンは「果てしな き欲望」と言っているが,ルージュモンの説を下敷きにして,現代フランスの著名な文芸 評論家クロード・エルセンは名著『愛とエロティシズム』の中で,この時代の「愛」を「情 熱恋愛」とし,それは本質的には果てしない欲望であり,妨げられ,目的からはずされ, また自ら目的を回避する欲求である.なぜなら,もしこの目的が欲望の意図するところな ら,それはまた欲望の消失を意味するからだ,と述べている.つまり, 「満たされざる魅力」 なのである.エルセンは更に,ルージュモンの記述を引用している. 「西欧文学の中には幸福な愛の歴史はない.ヨーロッパの詩人たちのすぐれた発見,世 界文学の中で何よりも彼らの特性を示すもの,西欧人の固定観念をもっとも深く表現して いるもの,それは苦悩を通じて知るということであるが,----これこそトリスタンの神話の 秘密であり,共有され,同時に戦われる情熱恋愛,一方ではねつけておきながら,そのは ねつけた幸福を求めて憔悴し,破局によって栄光を得るといった情熱恋愛,互いに不幸な 愛である」 そして,エルセンは「トリスタンの 気むずかしい快楽 のマゾヒズム的激昂・・・」 という言葉を使っているが,実にグロテスクなエロティシズムの世界である. トリスタンとイズーの死は「果てしない欲望」の情熱恋愛(宮廷風恋愛)の結果である が,同時に,キリスト教的見地から見ると,この二人の死,およびトリスタンの魂の流浪 は,神に背いた者の宿命である. 緑色の濃い葉の一本の花薫るイバラが夜の内に生えて寺院の上にはいあがり,イズーの 墓の中に伸びていくのである.切っても切ってもまた伸びるのであった. という結末は,愛の永遠性ではなく,満たされることなく続く永遠の苦悩を示すものであ る.それはまさに,メフィストフェレスに売られたファウスト博士の魂の永遠の放浪と同 じである. しかし,魂のこの放浪は,見方を変えると, 「白い手のイズー」を拒否したことの当然の 結果ということではないか.作者は「白い手のイズー」を導入することによって,「精神と 肉体」を分離した中世キリスト教神学,および宮廷風恋愛などの二元論に反抗したのでは ないか.つまり,女と男が心と体を求め合って現実に合一するという一元化を否定した中 世のキリスト教倫理を否定しようとしたのではないか.そうなると「愛」の意味も変化す る.すなわち, 「精神と肉体と一体的な内容を愛とする世界」を求めることになるのである. これはある意味ではアクイナス的[アリストテレス的]神学からアウグスチヌス的[プラ トン的]神学へ,さらには,原キリスト教への復帰を求めたことになるが,それは同時に 実際にに「相反するものの合一」を求める錬金術の異端・異教の世界に近づくことになる. 相反するものの合一,これはプラトン以来,人類の永遠のテーマであり,その具体的な表 象はヘルマフロディトス(Hermaphroditos),アンドロギュノス(androgyunous)(両性具有) - 22 - であるのだが. [参考]----------------------------------------------------------------------------------------------------------------L'amour courtois (宮廷風恋愛)について アリエノール・ダ・キテーヌは,自分の息子も含めて血気盛んだが落ち着きのない不作 法な貴族の若者たちを立派な騎士にしたいと思った.彼女はヘンリーとの結婚生活の中で, 「法」の重要性を知っていた.教会法,国法など,法によって人は正しい生活ができるし, また法によって人を支配できると考えた.男と女の間にも法が必要だと考えた. そこで,ちょうどポワチエの城に滞在中であった(先夫ルイ七世との間に生まれた)娘 マリ(マリ・ド・シャンパーニュ)に「愛の作法」の成文化を託すのである. マリ自身,当時の貴族社会にはびこっていた野卑ないいかげんな衝動を嫌い,洗練され, まじめな精神的な行動規範を求めていた.それで,カーペ王朝でマリの教育係を務めてい て,いっしょに伴っていたアンドレ・ル・シャプラン(Andre le Chaplain)に「愛」を最高 とする古典的(ギリシャ・ローマ的)騎士道規範(a code of chivalry) を作らせたのである. その際にモデルになったのは,たぶん,マリが提案したのであろうとされているが, Ovid(Dublius Ovidius Naso,43B.C.-A.D.17? ローマの詩人)の Ars Amatoria (the Art of Loving)(恋愛技法) と Remedia Amoris (the Remedy for Love)(愛の治療法)であった. ただし,この二つの作品が正しく解釈されたわけではなかった.C. S. Lewis は宮廷風恋愛 について「誤解されたオヴィディウス」と言っているが,もともと Ars Amatoria は,若 いローマ人の不義の love affair をからかい気分でとらえたもので,男が自分の欲望を満た すためには,どういう風に女をたぶらかせばよいかが主なテーマの詩であった.だが,ア ンドレ・ル・シャプランやマリはまじめにとらえたのである.そして,そこで生まれたの が L'amour courtois (宮廷風恋愛)であった. この宮廷風恋愛の「物語」への適応で,時期が特定できるのは,マリの加護のもとで文 学的な仕事をした Chrestian de Tryos の作品である.1170 年の『エレックとエニード』 には現れないが,1177-1181 年に書かれたと考えられる『ランスロ』(マリの指示によると 前書きに明記されているのである)の中では, 「宮廷風恋愛」が現れる.その主要な要素は 1 恋人(女性)に対する絶対の服従 2 恋の秘密厳守 であった.これは,北フランス的,つまり「道徳的恋愛倫理」(クレチャイアン・ド・トロ ワのロマンス)であって,南フランスの「アラビア文化と官能性」を含む「宮廷風恋愛」 (ア ンドレ・ル・シャプラン)とはいくらか異なるのであるが,マリがどちらにも関わってい るという点で,共通性を持っている. アンドレ・ル・シャプランの「宮廷風恋愛」は,Andreae Chapellani Regii Francorum, De Amore, Libri Tres 『宮廷風恋愛について』 (7,800 南雲堂書店)で読むことができる. 「宮廷風恋愛」の特徴をいくつか拾ってみる. □ 「愛とは(男が)美しい異性を見て,極端に思い詰めてみることから生まれる,一種 - 23 - の生得的な苦しみである.それは,愛する者(男)が何よりも相手を抱擁してお互い欲望 に従い,愛のすべての掟を成就したいと願う心から出る苦しみである」と説く. 人間には想像力があるので,自然に愛する女を心の中で熱望し,顔立ち,四肢,手振り, 身振り,体の秘密を想像し,あらゆる器官の機能を享受したいと願う.これは男性の同性 愛中心のギリシャ・ローマの愛とは全く異なるもので,「恋愛は12世紀の発明」と言われ ている. □ 愛の効用:愛は貞潔という徳で人を飾る.なぜならば,唯一の愛の光で輝いている者 (男)は他の美女を抱擁したいとは決して考え及ばないし,一途に己の愛を考えていれば, 他のどんな女性の姿も粗野で不粋にしか映らないものだからである. □ この本にはいくつかの事例に対する問答がある.その一つ. ある騎士が一人の女性に恋したとする.彼女は騎士に愛の成就を約束しながら,他の男 と結婚してしまった.だが,騎士は人妻となったその女性を愛し続ける.この恋は正当で あるか否か. 「恋する者はいかなる力にもしばられません.愛は互いに無償で与えあうものだからで す.ですから,その女性は騎士に約束した愛を与えねばなりません」 アリエノールやマリは結婚は義務であるが,恋愛は無償の情熱であるという確固たる考 えを持っていた.愛は,たとえそれが結婚の神聖さを汚すものであっても追求されるべき だと信じていたのである. これらの考えは文化的には何を意味するか. 「アラビア文化と官能性」をもとに南フランスのトルバドウールが発明した「純愛 (fin' amors)」は,女は男に愛され賛美される対象であるが,主体性は男にあった.しかし, 「宮 廷風恋愛 (L'amour courtois) は主体性を女が握るのである. このような時代の中で宮廷風恋愛に影響を受けた典型的な物語『トリスタンとイズー』 は何を伝えようとしているのであろうか. 中世のこの「無償の情熱」(快楽拒否)の根底には二つの要因があった.一つはペストに 代わって恐怖の対象になったのがレプラ(特に14世紀の半ば).この病の原因は罪を犯し た性行為(夫婦間のものも含まれる)にあり,肉において犯された姦淫の汚れが身体の表 面に浮き出てくるのだと解釈された. もう一つは,過度の性的放蕩は「文字の読めない者たち」(貧者・農民)の固有のものと 見なされたことである.性的放蕩にふけるこれらの人々は理性もなければ意志もない無為 な弱者,なかば動物と見なされたのである. 12世紀前半になると,たとえば,パリの神学者ユーグ・ド・サン=ヴィクトールは「両 親の結合は肉欲(性的欲動)なしにはなされないのであるから,子供の懐胎も罪なしには - 24 - なされない」と言う. しかし,これらは10世紀から14世紀にかけて行われた三つの出来事の中に集約され ていく. 一つはグレゴリュウス改革と呼ばれるもので,聖職者とそうでない者を区別するという こと.特に,聖職者には処女性と独身,禁欲を,そうでない者には結婚を割り振った. そのことによって,教会は聖職者以外の世界を「結婚是認」という世界,しかも,解消 不能な一夫一婦制と外婚制というモデルを当てはめるのである.そして,肉の罪をことご とく淫蕩の罪とする.これは 1050 年ころから教会で開始され,1215 年(第4回ラテラン 公会議の年)まで続く. このようにして,肉の罪は中世においてますます客観化され,肉体関係を否定した「愛」 が宮廷風恋愛の背景をなしたのである. これは12世紀の婚姻外の宮廷風恋愛を正当化するためにも用いられ,それはロマンス (物語)の内容にも変化をもたらす. ただし,これは文化の一面で,半面において「霊肉一体」がこのときほど盛んであった ことはない.それは『トリスタンとイズー』にも表れているし,たとえば,モワサックの 教会堂の全面彫刻には,あからさまに「淫蕩のイメージ----裸身の女の両乳房と局部とを蛇 たちが噛んでいる像」が描かれていて,西洋の性的想像の世界に,その後ながくつきまと うことになる.しかし,ここに示されているのは人間の「相反するものの合一」(coindidentia oppositorum) への志向である.この指向は世界中にあるが,思考の形式として完成させた のはギリシャの哲学である. ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------では,「ヘルマフロディトス(両性具有)」とはどのような世界か. フロイトよりもさらに深いところまで踏み込んで,人間の心の中の普遍性にまで考察を 進めて,C. G. ユングが『心理学と錬金術』を世に送ったのは 1952 年である. ユングの重要性を承認する補論を加えて比較宗教学のメールチャ・エリアーデが『鍛冶 屋と錬金術師』を表わしたのが 1956 年のことである. 【参考】--------------------------------------------------------------------------------------------------------------この二つの論文の背後にはガストン・バシュラールの『火の精神分析』(1937)がある.彼 は「詩人は言葉の錬金術師だ」と言う. -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------エリアーデが「鍛冶」→「練金」→「詩学」の結び付きをいっそうわかりやすく説明す る必要があると考えて『メフィストテレスとアンドロギュノス』を書き,この結び付きの 基底イメージを「ヘルマフロディトス(Hermaphrodtos)」に求めたのは 1962 年である. つまり,「鍛冶屋」は(人類に天より火をもたらした)プロメテェウスに象徴される文化 動物としての人間の原初の姿というのである. ユングやエリアーデが「鍛冶」や「練金」を取り上げ,それをアンドロギュノス(=ヘ - 25 - ルマフロディトス)(=両性具有)と結び付けたのは,火によって物質を鍛え変形する「鍛 冶屋」も,化学反応のよって卑金属を貴金属に変貌させる「錬金術師」も,どちらも文化 的程度の差はあれ,人間であることの象徴であり,それに共通するのは「相反するものの 合一(Coincidentia oppositorum)」への指向だからである. 人間(文化動物)が「相反するものの合一」 を求めるのは,人間という動物は,本来群 居性を持っていながら群居性を拒否する性質があるので,「群」としての最少単位(雄・雌) で「個」を望むからである.ただし,この「合一(雌雄の個)」には「エロス」が必要であ る. しかし,ギリシャ人にとって「エロス(恋) 」は人間の内にうごめく欲望や愛の異名では なかった.「エロス(恋)」とは人間の外から突発的に襲いかかってくる強暴な「ローメー (力)」を意味し,さらにその力によってかき乱される内なる魂の「パトス(受難)」を指 していた.つまり,『トリスタンとイズー』物語の「媚薬」である. したがって, 「エロス(恋)」の力で魂は自分で自分の始末がつけられない状態になる. 「エ ロス(恋)」は人間の運命を狂わせ,神も翻弄する.たとえば,軍神アレースも「エロス(恋)」 の虜になって美神アフロディーテーのもとに急ぎ,智神アポローンも「エロス(恋)」の罠 にかかってダフネーを追う. ギリシャ人たちは,人間はすべてこの「エロス」の支配下に置かれていることを意識さ せられていた.「エロス」に対する畏敬の念,あるいは恐れ,あるいは信仰,はギリシャ人 が大昔から受け継いできたものであった.ヘロドトス(Herodotus) によると,歴史を意識す る以前から,ギリシャの原住民であるパラスギア人は,名もなく形もないこの神(エロス) を祭っていた.ギリシャの詩人ヘシオドス(Hesiodus) は『神統記』(Theogonia, 120-122) の 中で,「エロス」について次のように言っている. カオス(混元)すでに凝りしかども,気象いまだ敦(あつ)からざりしとき,ガイア(大 地),タルタロス(奈落)とともにエロス(恋)が生まれぬ. そして,その神は,不死身の神々のうちもっとも美しく,肉をとろけさせ,あらゆる神々 と,すべての人々の胸の内にある理性と慎慮をこなごなに砕いてしまう.この神は父母を もたず独り神をして生じた.その後にカオス(混元)からエレポス(暗冥)とニュクス(夜) が生まれ,さらにニュクス(夜)からアイテール(大気)とヘメーレ(昼)が生まれた. 日の光はニュクス(夜)がエレポス(暗冥)と愛しあって生まれたものにすぎない,と言 う. 「闇」と「光」 「天」と「地」の二元の分裂,言い換えれば,天地の開闢以来「エロス(恋)」 は存在していたのである.言い換えれば,エロス(恋)とは,太初の未発の元気であり, 一切の相反するものを包蔵しつつ,あらゆる秩序の形成に先立って存在する力の根源にほ かならない.それは,まさにアナクシマンドロスのアペイロン(無限定者)に近い存在で - 26 - あり,大小,長短,陰陽の区別なく,したがって男女の性別もない.しかし, 「エロス(恋)」 は中性ではない.男でも女でもない存在とは,男でも女でもある存在に等しい. プラトンは『饗宴』の中で,「エロス(恋)」について喜劇作家アリストファーネスに次 のように言わせている. 劫初において,人間の種類には「男」と「女」と「男女(アンドロギュノス)」がいた. それぞれ完全な球体をなしていたが,ゼウスによって二つに裁ち割られてしまった.そこ でおのおの自分の半身を求めて世をさまようようになった.「こうして,かくも昔から互い のエロス(恋)は人々の中に根付き,人々を太古の自然へと結び付け,二つのものを一つ にして,人間本来の自然を修復しようとする. つまり,「エロス(恋)」は二元の分裂と抗争を一者に吸引して原始の一元へと復帰させ る必然の力なのである. 【参考】-------------------------------------------------------------------------------------------------------------これほど力のあったエロスがキューピッド(クピードー)に変わってしまうには,いろ いろ理由があるが,簡単に触れておく. エロスの力はオリンポス神学が体系化されていく過程で失われていく.つまり,ギリシ ャ人の論理好み,合理性は,オリンポスの神々にそれぞれ役割を割り当て,それが合理的 に働くように「節度(ソープロシュネ)」の倫理学を成立させる.ところが,エロスはその 禁忌(きんき)を侵してすべてを同一なものに融合させようとする「驕慢(ヒュプリス)」 を持っており,必然的に衝突せざるを得ない.ドーリス人がギリシャ原住民を征服すると, オリンポス宗教が土俗信仰を圧倒し,「エロス(恋)」は「無法なる驕慢な野心の象徴」さ らには「恋のお使い」にすぎなくなっていくのである.ただし,エロスの「原始の一元」 への希求は,人間の本性とかかわるものらしく,酒神ディオニソスの中に取り込まれてい く. 「人間の,いや自然の,最も内なる根元から沸き起こる歓喜に満ちた恍惚」を歌い,踊 り,笑い,狂い,一切の日常性を逸脱した聖なる瞬間,一切の差別は融解し,明晰な事物 はたちまち原始の混沌の闇に引き戻される,その闇の中における陶酔と忘我こそ「ディオ ニソス的なもの」によって引き起こされる憑れ狂う状態である.ここで人と自然と神は一 つになる.(なお,この反対が「アポロン的なもの」で,それは適度な限定,荒々しい興奮 からの解放,智慧あふれる静謐である.) ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ヒュプリス(驕慢)の元気をソープロシュネ(節度)の原理へ,ディオニソス的な荒ぶ る力をアポロン的なやすらぎの世界へ,暗冥の「一者」と明澄(めいちょう)なる「多者」 を媒介する「賢者の石」 ,「驕慢」を「節度」に結びつける魔法の「媚薬」,それはプラトン にとって何であったか.それは「ソフィア(神智)を求めるドクサ(人智)のあがき」,賢 者の石であった.それは,中世キリスト教にとって異教・異端の世界,錬金術の世界であ - 27 - った. 錬金術(Alchemy=al-=Arab the chemy=Gk molton metal)は,一般には疑似科学とみな されているが,哲学体系を持っていた.それはギリシャ的思考(アリストテレス,プラト ン)の中にある「エロスへの回帰」 (つまり,相反するものの合一)を求めるものであった. 錬金術師たちはヘルメスの子(son of Hermes)と呼ばれ,また自らそう称した.これはこ うである:ヘルメスがアポロの牧場に行き,牛を 50 頭盗み,そのうち2頭を食べてしまっ た.アポロはヘルメスをオリンパスの山につれていき,尋問するが,なかなか白状しない. しかし,やがて罪を認め,残りの牛は戻し,食べてしまった2頭分はヘルメスが発明した リラ琴をアポロに与えることで話がつく.これに感謝したアポロはヘルメスに caduceus と いう魔法の杖を与えた.この杖には何でも反対なものを調和する力があった.この点で錬 金術師はヘルメスを師としたのである. ホメロスの「ヘルメス頌歌」によると,ヘルメスはオリンパスの主神ゼウスを父とし, キュレーネの洞窟に棲む半女神(ニンフ)マイアの私生児として産み落とされる.同じく ゼウスを父としながら女神レートーの子アポロのように輝かしい嫡子ではなく,身分の卑 賤なニンフを母としている点がヘルメスの特徴である.つまり,彼は生粋の神との間の子 ではなく,神々と地上的,もしくは,(洞窟的の住人マイアに暗示されているように)地下 的なものとの混血私生児である. これは,天上なるものと地上[地下]なるもの,夢(イデア)と現実,つまり,理性を もち,神の高みを得たいと願う人間の心を象徴している. この種のエピソードは,いたるところに散在している. 『比較神話学』のカール・ケレー ニによると,エロスは比較神話学的にはヘルメスと同根の神格と推定されているのである が,たとえば,プラトンの『饗宴』の中でソクラテスは アフロディテーが生まれたとき,神々が集まって祝宴を開いていたが,メティスの息子 ポロスが神酒に酩酊して庭へ出ると,おりから物乞いにきていた女乞食ペニア(貧困)が これを見て,ポロスの子を受胎しようと思いつき,夜陰に紛れてポロスに身をまかせ,ま んまと子種を宿すことに成功する.こうして産み落とされたのがエロスであった.エロス も神と女乞食(地上)と結びついた混血私生児であり,住処(すみか)のない女乞食を母 とするという意味で,孤児である. と述べている.また,創世記第6章第一節∼第四節の 人が地のおもてに増え始めて,娘たちが彼らに生まれたとき,神の子たちは,人の娘の 美しいのを見て,自分の好むものを妻にめとった. もそうである. - 28 - 錬金術師たち,いや人間は,原初的欲求として「創造の全円環」(相反するものの合一) を求めるのである. 「創造の全円環」の一例を示しておこう.古代ギリシャの哲学者アナクサゴラスの弟子ア リスレウスが見たとされる幻視の記録「哲学者アリスレウスの幻視に関する謎ならびに知 恵の寓意」の中に出てくる話である. アリスレウスは,同僚の哲学者たちと,長い旅行のはてに海の王の宮殿(レックス・マ リヌス)にやってくる.海の王の王国はきわめて不毛で,栽培すべき植物もなく,地上に は何一つ育たない.なぜなら,そこではまだ性が分化していないので,異性間の交配は行 われず,同種のもののみが混合されるため,繁殖が進まないのである.不毛の解決策を哲 学者たちに尋ねた海の王は,彼らの策を容れて,自分の額の中にやどった二人の子供,兄 のタブリテュウスと妹のベイア(アラビア語の baida(白い)を意味する)をめあわせる. だが妹ベイアと交合したタブリテュウスはたちまち「近親姦的な相対立するものとの合一」 の罪によって死と破壊に殉じなければならない.タブリテュウスは交合中に死んでベイア の子宮の中に呑み込まれてしまう. さて,死体となったタブリテュウスは,近親姦のタブー違反に怒った父王の命令によっ て,悪知恵をつけたアリスレウスら哲学者たち一行ともども,三重のガラスの箱に閉じこ められて海底の地下深く埋められ(バージョンによってはベイアの子宮に閉じこめられる) , 八日間身の毛もよだつ恐怖のうちに酷熱に焦がされる.窮地に陥ったアリスレウスは,夢 の中で先師ピタゴラスに会い,ピタゴラスの弟ハルフォレトゥスから授かった「不滅の食 物(水銀)」を食べて,王子タブリテュウスともども蘇生する. こうしてタブリテュウスが「不滅の食物」によって死の世界から再生したところで,創 造の全円環が閉じることになる. 男性的なもの(火,空気・風)が女性的なもの(水,土)と合体して,本来それが生ま れてきた場所へ死滅しながら帰ることによって,それ自身を精錬する,抱擁,性交,結婚, などのイメージであらわされる過程を錬金術師たちは溶解(ソルティオ)という.こうし て,火と水,空気と土が母子相姦的に合体して,その個別的な性をふたたびヘルマフロデ ィトゥス的な両性へと積分せしめるのである. 中世のある作家が「媚薬」と「白い手のイズー」を導入したのはこのような世界を求め たからである. キリスト教の正統教会は,キリストの救済行為によって人間は原罪から解放されると見 なすのに対して,錬金術師たちは,この救済行為は不完全であったとし,原初の不滅の自 然の再建は練金の作業(オブス)によってこそ取り戻せるのだと考えた.それは実在の教 会におけるキリストのまねびに満足せず,精霊の教会(エクレシア・スピリトウアリス) へ帰属して,みずからが仲裁調停する精霊の「汚れなき器」と化し,キリストを模倣する - 29 - のではなく,キリストのイデアそのものをみずから実現することを求めたからである. したがって,「白い手のイズー」すなわち「処女イズー」は,錬金術の重要な一過程たる 「浄化(アルベド)」(白色化)を意味し,純潔は深層における性的恍惚の現象態なのであ る.トリスタンはこれを拒否したことになる. この思想はペルシャの禁欲宗教スーフィー教の11世紀のスペインの道士たち(グラナ ダのイブン・ハスム,コルドバのイブン・サイドゥムなど)の著作を通して,南フランス のトルバドールに伝えられ,宮廷風恋愛に取り入れたれたと思われる. しかし,相反するものの合一は,やはり人類の永遠のテーマであって,その現象態の「性 的恍惚(一瞬の無時間状態)」であり,その性的恍惚の持続はやはり「死」なのであろうか. 3-8 『トリスタンとイズー』の他のエピソードの意味 このように「媚薬」と「白い手のイズー」の意味を考えると『トリスタンとイズー』のエ ピソードはことごとくに意味が付与されていることがわかる. 1 トリスタンがマーク王のために働くこと(モルオールとの戦い・金髪のイズー探し) の意味 これまでの物語では,トリスタンがマルク王のもとにいる理由が示されていない.この 物語になって初めて「生い立ち」が語られて, 「父と息子」 「恩義と報い」「王と臣下」の関 係が導入されることになる.トリスタンはマルク王を「育ての親」という.しかし,本来, トリスタンは「王」たる資格を有する者である.何か意図があると考えた方がよさそうで ある.当時,中世において「王と臣下」の関係は,日本の封建制度では考えられないくら い「契約」を重視した.たとえば,軍役の範囲は封建関係が結ばれるときにはっきり規定 される.「・・・川までなら出陣する」「二日行程の範囲まで出陣する」というように,地 域および期間の制限があった.無条件の軍役のありうることなど,はじめから念頭になか った.主君と家臣は対等で,封建関係は一種の契約関係であるという原則は,最後まで貫 かれるのである.(参考書:『世界の歴史9 ヨーロッパ中世』(鯖田豊之著・河出文庫) したがって,相続すべきローヌワ国の王権と領土を忠義の家臣ロアールに譲り,自分は マルク王の家臣と身分を落とすという,封建制度下の忠義心からではない状況の設定には, 作家が何らかの意図を持っていたと考えるしかない. ジェームズ・カーネィによると, 「全体として,アイルランド系のものは,最初のトリス タン伝説から,その恋物語部分のみを取り出して,伝説の初めの部分は無視していた.そ の理由は簡単である.「怪竜との闘い」の話は,アイルランド民族の原初イメージとはなじ まないのである.たとえば『ジェィルドラ』『カヌ』『リアドーン』などの文化的背景をな すものとは水と油の関係になってしまう.にもかかわらず,この怪竜退治の話しがアイル ランドに伝わっていたことは明白で,『トフマック・エメル』には怪竜とトリスタンの闘い の場面の翻案が見られる」とのことである.すでに見てきたように,伝説原型では,それ - 30 - がイズーとの出会いとどのように因果関係があるのか明確ではない.しかし,トリスタン の試練というものは確かに物語られていた.これは「物語原型」と「原初イメージ」に関 わる「母性からの自立」→「父親の承認の旅」=「自己解放の試練」であろう. では,それと魔法との関わりはどうなるのであろうか.心理的にはまったく両立しない のである.そこで,大陸の翻案作者は,物語の全体を纏めるに当たって,内的統一を与え るために,怪物退治の後に媚薬の場面を作り,また白い手のイズーを創作したのである. これは,ちょうど『ブリテン王列伝』がノルマンの詩人ロバート・ワース(Robert Wace) に よってフランス語の韻文に翻訳されて『ブリュ物語』(Le Roman de Brut)(1155[1154]) に なった際にアーサー王の野性味が消えて,物語が心理的な因果関係で整理されたのと同じ である.この点で,極めて興味深いのは,大陸系の作品には,この三つの要素が常に共在 しているのに対して,アイルランド系の作品にはそれが三つとも欠けているということで ある.つまり,後者においては「イズーとの出会い」 (大人の男が女に出会う)に必要な「男 になる試練」 (怪竜との闘い)を除外した以上,もはや伝説に残るのは,アイルランド古来 の「強いられた恋」という面であり,そこから,この物語の系統がはっきり違った方向に 分かれていくのである. では,文武両道に優れていることの意味は何か. 中世においては,男は文盲であった.ところが,トリスタンは文武両道に優れている. 大陸系では初めから文武両道に優れているとなっている. (最初のトルバドールと言われる アリエノール・ダキテーヌの祖父は文武両道に優れていた.) 2 一対一でモルオールと戦うことの意味(「悪」との対決:試練の意味) これは, 3 傷ついたものが単身海に出ることの意味 4 怪竜退治を通して乙女に出会うことの意味 と連動して一連の物語と考えることができる.つまり, 太陽(天) + 人間の娘(地) ↓ 男の子(天地の結合の結果) ↓ 男の子は父を求めて旅に出る(→父=未知なる世界) ↓ 試練の後に父に息子と認められる(→男としての資格=父親から認められること) ↓ - 31 - それから母のもとにもどる(→母=既知なる安逸の世界) の一部を内包しているのである. 古来,多くの場合,二人の敵対者が一騎打ちを演ずるのは一つの小島である. 「小島」に 対するイメージは,一つは「大地から切り離された一つの聖なる空間とも言うべき場所」 である.一方で, 「小島」には,現代のフランスの哲学者・心理学者ボードワンによると「女・ 処女・母をあらわす一つの神秘的なイメージ」である.これは「アイルランド」の矛盾し た存在につながっている. アイルランドはモルオールを通して「十五歳の少年少女おのおの三百人をコンウオール の家庭の中から,くじ引きにかけて選び出して引き渡せ」要求する.少年は奴隷に,少女 は慰みものにするためであった.しかし,これは(神の決めた)宿命的契約ではなく「人 間的な不当要求」であることは,モルオールが「コンウオールの諸侯よ! この国の自由 のために戦おうとするものは,おんみたちのいずれであるか?」と述べていることからわ かる.この「不当な要求」を「悪」とするならば,この「悪」は,アイルランドとコルニ ュアーユとの間の契約によって生じたものであって神による指示ではないということであ る.それは「何が悪であるか」「何が善であるか」は,人間のサイドに任されているという こと,神の視点から見ると,人間が善悪を勝手に決めているということである. 善・悪との戦いは,結局,人間が一人でなすべきことであること.自我意識のある一人 前の人間になるためには一人で歩かなければならないということである.(グリム童話『ヘ ンゼルとグレーテル』・大岡信「青空」参照) 3 傷ついたものが単身海に出ることの意味 「死」という運命との対決は一対一でなければならない.そうでないと,死への旅立ち は生命の誕生に転化できない.ガストン・バシュラールは,その著書『水と夢』の中で, 「一 つのことが私の頭につきまとって離れない.それは,死こそ最初の大航海者ではなかった のか」ということだ.(エジプト神話『オシリスとイシス』参照.) ユングによると「海を渡り切るということは,それは眠りや死への欲求の象徴である母 親(=母性)の危険を乗り越えること」であるという.ということは,「櫂も帆もない舟」 は「棺桶」というイメージと同時に「赤子の揺籃」でもある.したがって,トリスタンを 乗せて漂流する舟は,一変して生命を育むゆりかごになるのである.そして,生と死を司 る母なる海を渡り切るということは,それは眠りや死への欲求の象徴であ母親(=母性) の危険を乗り越えること」,つまり,大人になること,独立した自我を持つことである.こ れがないと「女」は見つからない. (ドニ・ド・ルージュモンはアイルランドのアルスター 伝説群の英雄クー・フーリンや8世紀のアイルランドの物語『ブランの旅と冒険』の主人 公の航海と結びつけている.) - 32 - 4「竪琴」の意味. 音楽はその起源においてエロスを越えんとするもの,つまり,死に向かう時間の流れを 支配しようとする企てである.ギリシャ神話の『オルフェウス』では,竪琴の音で万象を 魅了した. 5 怪竜退治を通して乙女に出会う意味 これは世界各地にある「勇者たるものが乙女を得る」と同じであるが,「怪竜」は何を意 味するか.ユングによると,怪竜のイメージには「近親相姦のリピードが関係している」 という.怪竜のイメージには,獣性,夜,死,黒い水などが総合されていてる.歓喜の源 である処女は,この怪竜を倒し,女性のイメージからいっさいの恐怖を取り除く者に与え られるのである.また,注目すべきことには,トリスタン伝説の異本では,怪竜は処女を 人身御供に要求し,これをさらうために都の城門に現れることになっている.冠を生やし た大蛇は,女の性にしみついたもろもろの恐怖の要素から解放された女性を象徴する処女 という存在を,腹の奥深くに呑み込んでしまう.人身御供の処女は,悪の幻覚の生け贄に なるのである.してみると,この怪竜が,重くよどんで悪臭を発する沼地の近くの洞穴に 住んでいるということにはわけがある.まさにこの怪竜の巣窟には,女の性の醜悪さをあ らわす要素が総合されている.それは「女を知ろうとするのであるなら,まず,女の中に いる吸血の悪魔を殺さなければならない」ということなのである. 6 妖精の国の意味:未知なる国の意味 怪物を生かし,魔法を使い怪竜に苦しめられ,しかも神草をもっていやす力を持ってい るアイルランドとは何か. 次のエピソードは同じ原理で作られている. ○トリスタンは青年男女を奴隷として要求してきた巨人モルオールを倒す. 負傷し,不治の病に倒れたトリスタンは,万死の中に一生を得ようと,小舟に乗って海 に出る. 小舟はアイルランドに漂着して,イズーはトリスタンとは知らずに傷をいやす. ○トリスタンは乙女を要求している怪竜を退治する. 負傷し,不治の病に倒れたトリスタンは,瀕死の状態になる. イズーは自分の叔父モルオールを殺した男を知りつつ,トリスタンを助ける. 【参考】------------------------------------------------------------------------------------------------------------これには二つの解釈が可能になる. 一つは19世紀的な研究方法の「ルーツ探し」,もう一つは20世紀の「共時性」を求め るという方法である. 前者の観点からみると,西欧のこの時代(中世)の語り部たちが,ギリシャ・ローマの 神話・伝説に精通していて,古い話を利用したということである.しかし,同じような話 - 33 - が世界中に存在するという事実,たとえば,一寸法師の話(鬼を懲らしめてお姫様を助け ることによって,背が高くなる(癒される)という話)などから,ある事象に対して,人 間は地域とかかわりなく同じ対処をしたのではないかということから,これは「原初イメ ージ」の一つを考えてよいのではないかということである. なお,この二つのエピソードから考えられるテーマは「死と生」(死から生への回帰・循 環)であり,それは,この後の話と関連して「純潔性とその喪失」と対立しているように 思われる.これはどういうことか.→モルオール(悪=アイルランド)を倒さないと乙女 たち(=純潔性=コルヌアーユ)を救うことはできない.→怪竜(悪)を倒さないとアイ ルランド(イズー=乙女=純潔性)を救うことはできない ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------したがって,アイルランドは,当時の「異国・未知なる国」であり「相反する二つが共 存し得る国」という設定である.これは、すなわち、相反するものの合一(coincidentia oppsitorum)である.しかし,キリスト教の教義からすると,これは反キリスト教的な異教 の倫理である. [参考]--------------------------------------------------------------------------------------------------------------キリスト教はヘレニズムの静的思惟とヘブライズムの動的思惟の結合体である.キリス ト教自体が完全一体ではない. 欧米人にとって「論理的に考えること」は人間の特権であり宿命である.古代ギリシャ の人たちはそういう人間の宿命を悲劇ととらえながらも,その宿命に敢然と立ち向かった. それはギリシャ悲劇によくあらわれている.彼らは「神知」(ソフィア)の範囲と「人知」 (ドクサ)の範囲とを見極めようとしたのである.どこまでが「神知の及ぶ範囲なのか」, どこまでが「人知の及ぶ範囲なのか」を極めたい,そして「神知に近づきたい」と願った. これがホモ・サピエンス(homo sapiens)であり,かつホモ・ルーデンス(homo ludens)であ る人間の最も過酷で楽しい緊張である.その緊張は西欧では,今も変わらず続いている. 20世紀のアメリカの最も優れた神学者の一人であったラインホールド・ニーバーは,1934 年の夏,マサチューセッツ州のヒースの別荘の近くの小さな教会で,次のように祈った. 神よ, 変えることのできるものについて, それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ, 変えることのできないものについては, それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ, そして, 変えることのできるものと,変えることのできないものとを, 識別する知恵を与えたまえ. (大木秀夫『終末論的考察』中央公論社) - 34 - O God,give us Serenity to accept what cannot be changed, Courage to change what should be changed, And wisdom to distinguish the one from the other. ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------アイルランドは,生と死,精神と肉体の合一,死を乗り越えて生を得る所(オシリスの 神話,参照)であり,感性と理性の全人間的な国ということになる.しかし,原初的人間 であることに忠実で,善も悪も持っていることを認める人間存在の国,これは当時のヨー ロッパにおいては異教の世界であった. アイルランドへの船旅の目的は,フロイトの「否定の原理(フェアナイトヌンク),つま り,抑圧された心理があることを,何らかの形で自認させることによって,病状の好転を 図ろうとするもので,否定の存在そのものを否定するために,まさしく,当の否定を利用 するのと同じである. 7 灼鉄の裁きの意味 上のアイルランドの意味を補強するのがこのエピソードである. 「神」という同じ言葉が, マルク王(中世キリスト教神学体系の代弁者)の側とトリスタン・イズーの側(一元化こ そ人間らしいとする立場,相反するものの合一を本来の姿とする者たち)とでは「神」の 概念が異なるということをあらわしている.トリスタン・イズー側の「神概念」はどこか ら来たのかを知るためには「白い手のイズー」の導入経過と意味を考えなければならない が,これは既に述べている. 4.「物語原型」と「原型的エピソード展開」と『私の男』 以上のように検討してくると,すでに示した「原型的エピソード展開」 a 不幸(な運命)・不満 ↓ b 現状脱出(逃亡) ↓ c 試練 ↓ d 救援・仲介 ↓ ↓ ↓ e 約束違反(行き違い) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ - 35 - ↓ f 克服 ↓ ↓ ↓ ↓ g 幸福・満足 h 死(喪失) は「情動」(充足・幸福への欲求)のほかに,同質への反発,異質への合一を求める「相反 するものの合一」(considentia oppositrum) 原理で動く.これは人間関係においては「男女 の合一の衝動」として現れるが,さらに,これは親子間にも作用する.ロンドン大学の文 化人類学者レイモンド・ファース (Raymond Firth: Human Types--An Intorduction to Social Anthropology) は,社会の最小構成単位を「父・母・子」いう eternal triangle(三 角関係)と捉えたが,ここにも「相反するものの合一」原理が働いて,フロイトの言うよ うに, 「子」が「女の子」の場合には「父・女の子--母」という関係になり, 「子」が「男の 子」の場合には「母・男の子--父」という関係となり,究極的には「両性具有」の現象態と して「近親相姦」も含まれることになる. 今回直木賞をもらった桜庭一樹の『私の男』は上に示した「物語原型」や「原型的エピ ソード展開」の要素から出来ている作品であった. 骨格は上に示した「エピソード展開」の 不幸(な運命)・不満 ↓ 現状脱出(逃亡) に,「相反するものの合一」(considentia oppositrum) への衝動を軸に展開された物語であ る. 異常な状態「養父(腐野淳悟)=養女(花)」 ↓ 正常な状態(現状脱出) (花=尾崎美郎) その異常な状態を読者に論理的かつ心理的に納得させるために,推理小説とか芝居でよ く用いられる手法を使う.つまり, 「隠された事実」 (ここでは殺人・逃亡)を引きずって, その理由を時間を遡って明らかにする.そのプロセスの中で「義父と養女」の関係は「実 父と娘」であることが明かされていく.しかも,物語の初めから,この男女には性的関係 があることが暗示され,最後には,男が娘を引き取った「25歳と9歳」の時からそれが 続いていることが明らかになる.殺人も,養父と養女のそのような関係を目撃されたこと から起こる. 不倫の子で,他の家族(母親,父親,兄弟たち)を津波(奥尻島)の海(母・命・死の - 36 - 象徴)で失い,「孤児」となって,(海の泡から生まれたビーナスではなく「津波に泡立つ ゴミの海から)生まれた女の子は, (海を渡ってきた大人の男トリスタンや映画『ライアン の娘』の大尉に似せて)海を渡って来た男と合一しようとする.この男の方は父親を海で 亡くし,父親代わりに厳しくなった母親を病気で亡くした「孤児」で,女の子を母親の代 償として合一しようとする. 「孤児」 (欠けている者同士)の「両性具有」 (相反するものの合一 considentia oppositorum) への不可避的な欲求という「錬金術」の世界が作られているのである. この作家は感受性も記憶力も豊かのようで多読家のようであるが,提示されたイメージ はつぎはぎでの統一がない.その上,9歳の女の子とのセックス.高校一年の女の子に「お とうさんが欲しい」と言わせて父親の体を口に含ませたり,高校生の娘とセックスの後「中 指と人差し指から立ち上る女の匂い,花の匂い」という描写はポルノでる. 本来人間があこがれて手に入れることの出来ない両性具有,相反するものの合一は,や はり人類の永遠のテーマであって,その現象態は「性的恍惚(一瞬の無時間状態)」であり, その持続(性的恍惚の持続)はやはり「死」なのであろうか,という問いに対する答えが, 残念であるが出てこない. その上,これも残念であるが,この小説ではそれがうらぶれた汚い状況で薄汚いことの ように描かれていることである.もし「両性具有」が人間の永遠の夢であり本源的な姿で あるならば,理知的に,情熱的に,美しく描いてもらいたかった.しかし,これは地獄は いくらでも描けても,天国は一様にしか描けない人間の限界かもしれない.ただ,作者の 目指す通り,テーマは普遍的であるり,通俗社会的で,少女ポルノ的な感触で,大人にな りたがらないのに性的な現代の日本人の嗜好をよくとらえていると言えるかもしれない. 参考文献 アイリーン・パウワー (Eileen Power) (中森義宗・阿部素子訳) 『中世の女たち』(Medieval Women・思索社) アンリ・ダヴァンソン(新倉俊一訳)『トルバドールーーー幻想の愛』 (1972,筑摩書房) Amy Kelly: eleanor of Aquitaine and the Four Kings (1950. 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