ヒラリズム 8の3 陽羅 義光 詩見 わしは今までに詩集を四冊出版(これは

ヒラリズム
8の3
陽羅
義光
詩見
わしは今までに詩集を四冊出版(これは出版社から出した
もので、自分で作った詩集や友達が作ってくれた詩集は他に
もある)していて、四冊とも四行詩の詩集だが、実は本にし
ていない自作の詩は長詩が多く、一編の詩で一冊の本になっ
てしまうものもあるから、四行詩だけ本にしているんだ。
四行詩はほとんど短歌か俳句に近く、はたして詩と云える
のかどうか考え込んだ揚げ句、四十五歳にして詩を捨てたが
(もしくは詩に捨てられたが)捨てた女(もしくは捨てられ
た女)への未練同様に、あれから二十年経っても忘れられな
い。
それでたまに詩らしきものを走り書きしたり、詩に関する
本をよく読んだりするんだが、最近読んだのは『戦後代表詩
選 ( 上 下 )』 で あ る 。
八十人の詩人の代表詩が網羅されていて、今や大詩人と呼
ばれている谷川俊太郎も大岡信も吉増剛造も当然入っている
が、しかしどれもくだらない。
中 江 俊 夫 、鷲 巣 繁 男 、那 珂 太 郎 、稲 川 方 人 等 は 、詩 人 の「 魂 」
が無いし、三木卓、藤井貞和、石垣りん、伊藤比呂美等は、
詩人としての気品が無い、なんとかなっているのは、鮎川信
夫の『繋船ホテルの朝の歌』と吉本隆明の『ちいさな群への
挨拶』と吉岡実の『僧侶』くらいのもんで、戦後は(詩を書
く者はたくさんいても)詩人はすくなくなったなあと痛感す
る。
例えばこの本の中に、宮澤賢治の『眼にて云ふ』を入れた
な ら 、他 の 詩 た ち は 恥 ず か し く て 縮 み あ が っ て し ま う だ ろ う 。
【筆落驚風雨
詩成泣鬼神】
(ふでおつればふううおどろき
しなればきしんなく)
これは杜甫が李白を歌った詩であるが、あえてひとことで
云うなら、詩とはこういうものである、それは古往今来不変
の詩魂であって、日本の戦後はこうだからこうなのだといく
ら理屈を捏ねても、すくなくともわしには通用しない。
わしはいわゆる「言葉遊び」の詩を作るが、既成詩人みた
い に 「 言 葉 遊 び 」 が 目 的 で は な い 、「 言 葉 遊 び 」 を 駆 使 し て し
か 云 え ぬ「 志 」が あ る か ら な の で 、
「 言 葉 遊 び 」が も し 詩 な ら 、
小学生でも安易に作れる。
『 戦 後 代 表 詩 選( 上 下 )』と い う 本 は 実 に み っ と も な い 本 で
あって、誰にも勧めるわけにはいかない、わしもせっかく買
ってきたのだが、溝に捨てた、それでも捨てた女への未練風
なものはまったく湧き上がってはこない、捨てた女はそれで
もやはりいい女だったが、捨てた本はいい本ではなかったか
らだ。
風雨を驚かせ鬼神を泣かせる自信がなければ、詩は書かぬ
がよい。