No.2 MAR - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2008 No.2 MAR
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第43期 (平成19年度) 重点施策
各種講習会・研究会等の実施
ヒューマン・ファクターの理解促進の具体化
安全情報の提供に対応したシステム整備
運航環境整備への積極的な参画
航空事故防止に資する取組
適切な航空医学適性の維持
協会の見解を発信していく責務
活動の活性化を図る取組
・公益事業の推進
・会員に対する広報・啓蒙活動等の充実 (活動への参加)
・委員会活動・支部活動の活性化 (人材の育成)
・交流の促進 (共存共栄)
・自発的安全報告制度の活性化等
協会組織運営体制の強化
・協会の事業運営のあり方に対する継続した検討
・会員状況の確実な把握
・事務局体制の強化
・規程の遵守、 理事の役割分担にもとづく効率的な組織運営
・確実な協会監査体制の充実
・情報管理体制の改善・強化
・人材育成の促進を図る
専門知識を育むための海外派遣
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額
1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
日石三菱●
至虎ノ門
入
口
は
こ
ち
ら
側
に
あ
り
ま
す
日
本
航
空
機
操
縦
士
協
会
事
務
所
歩道橋
そ
ば
や
●
●
小
里
会
館
西
高
楼
飯
店
●ベ カ
ロフ
ーェ
チ・
ェ
●航空会館
●JTB
りそな銀行
外堀通り
●
三
井
住
友
日
本
酸
素
●
内
幸 ● みずほ銀行
町
駅
三
菱
東
京
U
F
J
銀
行
赤
レ
ン
ガ
通
り
●
●
八
洲
電
気
至銀座
NTTドコモ
●
■
汽
車
烏森通り
●
森
ビ
ル
20
至東京
●
ニ
ュ
ー
新
橋
ビ
ル
J
R
新
橋
駅
烏森口
キムラヤ●
至品川
CONTENTS
No.307
4
2008 No.2 MAR
今、 「セピア色の昭和」 を想う
副会長
69
増田
奉和
航空史曼陀羅
その22. 関東大震災と航空支援活動
徳田
6
シニア・パイロットのエピソード (第18回)
パイロットの真打、講談師になる!
第2次大戦の 「語り部」 として生きる
塚越
75
25
パイロットへの道
日本とフランスの違い
ドゥゴベール・アラン
朝紀
77
14
JAPA・航空4社主催の1982年
国際航空シンポジウムの講演録再掲
空の交差点
パイロットのはなし
念のため ③
寝坊パイロット
2000年以降の、 新しい航空機と燃料の可能性
ウイリス M. ホーキンス
79
地球環境問題関連用語の解説
寄稿
80
FAI ニュース
モンゴルの航空事情
15
奥貫
山本
博
輝雄
81
31
忠成
特集
航空機運航と地球環境問題座談会
開催予告
オーストラリア、 ジェネラル・アビエーション
(G/A) 視察旅行
第1回
運航技術委員会地球環境問題分科会
42
82
わが国のジェネラル・アビエーションを
考える
84
JAPA 通信
87
JAPA SHOP
88
オススメ!情報ボックス
GA:ジェネアビ情報
小型機の運航費用
奥貫
48
World Safety Report
CALLBACK
56
博
Number225
航空安全講習会の実施状況について
吉田
書籍 & Goods 紹介
徹
89
62
航空医学適性のQ&A
健康管理について考えてみよう!
第5回
66
かぜ薬・花粉症の薬は飲んでも大丈夫
ですか?
三浦 靖彦
そらのみちくさ
JAPA で飛行訓練を!
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
FTD 訓練室
90
JAPA Aerial Photo Exhibition
92
編集後記
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
湧井カレン
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
今、 「セピア色の昭和」を想う
副会長
増
「日本航空機操縦士協会の目指すもの」 の基
本方針に、 地球環境と航空の発展との調和を図
る、 があります。
最近、 あらゆる産業において、 航空界は勿論、
地球環境への対応が求められています。 日本の
航空界が飛躍的に発展したのは昭和になってか
らです。
私の昭和時代を、 当時の環境を今一度思い出
しながら……。
徒然草序文に、“つれづれなるままに、 日ぐ
らし硯にむかひて∼”、 とありますが、 今回は
専門分野を離れ、 心に移りゆく子供の頃の疎開
先のお話でもと、 筆をとりました。 巻頭言とし
てのかたちにはなりにくい内容ですがご容赦い
ただき、 一服時にでも、 目を通していただけれ
ばと思います。
その昔、 祖父は都内で町工場を経営しており、
隼戦闘機のエンジンの部品を造っていたらしい。
工場敷地に隣接して我が家はあったが、 昭和20
年3月の東京大空襲前に蒸気機関車で上野から
1時間ほどの郊外、 現在の千葉県我孫子市へ一
族で脱出、 疎開である。
二歳にもならない私には、 もとよりそのあた
りの記憶は一切ないが、 以来、 この地に20年ほ
ど住むことになる。
我孫子には、 周囲の地形から一段低くなって
いるところに、 広大で自然豊かな湖沼、 手賀沼
が在る。 メダカなど小魚が生息する多くの小川
の水が、 沼に注ぎ込まれている。
周辺には田畑が広がり、 茅葺屋根の農家が点
在、 静寂に包まれた水田地帯の一角に水神様を
祭った神社がひっそりと佇んでいる。
当時、 童謡に歌われていた田園風景そのもの
4
2008 MAR
田
奉
和
が沼周辺にはあった。
手賀沼の漁はコイ、 フナ、 それに佃煮にされ
る雑魚を主としていた。 張網 (定置網の一種)
と船曳網漁が多い。 湖岸は隙間なく葦で埋め尽
くされている。
その一角を刈り込んでつくった船溜まりには、
竹竿を湖底に差して漕ぐ小振りの木造船が繋い
である。
水深は平均で2メートルほどであったろうか、
少し浅いところでは底の砂地が見え、 透明度は
悪くない。
夏場はこの船を無断借用することが多い。
湖底を足で探れば、 通称“たまっけ”(カラ
ス貝) がつま先にあたる。
長径20cm を越えるのもある。 食したことは
ないが、 貝の内側全面が光沢ある美しい真珠色
をしている。
そこに絵の具で風景などを描き、 紐を通し壁
に掛けると上等なインテリアの出来上がりとな
る。
水中に潜って魚を見つけたり、 水面の水鳥の
親子を追いかけては遊ぶ。
四つ手網や手作りの投網で魚を捕り、 フナや
ウナギ釣りにも熱中。
強風が吹き、 湖底の砂や土が舞上がって湖面
が茶色に濁ってくると、 岸辺からもウナギがよ
く釣れる。
日が暮れるとカーバイトを焚いた照明を持っ
て田に入り、 柄に数十本の針が付いた道具でド
ジョウを刺して捕る。
今は柳川鍋として珍重されているが、 当時は
おもしろいほどよく捕れた。 豊富に捕れたエビ
ガニ (アメリカザリガニ) などと共に、 農薬使
用がなかった時代の、 安全で美味しい自然の恵
みである。
ボート屋の息子である友人とヨットで一日か
けて沼を往復したこともある。
冬には、 沼全域が結氷、 場所によっては氷の
厚さが2センチにもなる年がある。
砕氷船よろしく沖に漕ぎ出したはいいが、 氷
との衝撃でボートの底が壊れて浸水が始まり、
必死で岸にたどり着いたことがある。
湖岸から畦道を歩き、 やがて広くなった坂道
を登りつめると一面の雑木林にでる。
ワラビ、 ゼンマイ、 キノコなどの山菜もよく
採れ、 高い木々の間をムササビが行き来してい
るのが観察でき、 自然満載のエリアだ。
当時の手賀沼は東西十数キロ、 南北の幅は広
いところで一キロほどあり、 沼というより湖の
様相を呈していた。
その後、 東部地域の干拓工事が進み、 沼は半
分以下の面積になっていると聞く。
1970年代に、 高度成長での宅地開発が急速に
進み、 農地や山林の減少に伴い、 生活排水、 産
業排水が入り込むことによる水質汚染が進んだ。
以降、 27年間にわたり、 全国の湖沼での水質汚
濁ワーストワンという、 ありがたくないレッテ
ルが張られる。
行政と市民の連携で水質改善に力を注いでき
た結果、 平成18年にはワースト11位まで順位を
上げている。
自然を一度壊してしまうと、 回復には多大な
時間と費用を要するということが実感される。
かつて、 我孫子は北の鎌倉と称され、 手賀沼
を望む場所には、 志賀直哉や武者小路実篤など
が住んでいた文人ゆかりの地である。
志賀直哉は大正4年から8年ほど居住し、 い
くつかの短編、 中編小説、 それと暗夜行路の前
編を執筆している。
降るような星空の下で蛍をとりに行った時、
叔父が星座を教えてくれ、 その美しさに感動。
後年、 コックピットで夜空を眺めた時、 あらた
めて星空に魅了された。
以来、 車に望遠鏡とキャンプ用具を積み、 家
族や仲間と流星群や、 21年前にはハレー彗星を
観に行った。
好きな登山で、 山頂から見る星に仲間が言っ
た。 これがまさにマウンテン=満天の星だと。
このことが、 ダジャレに染まった原因かもし
れない?。
しばらく、 グループ会社に出向したことがあ
る。
本体に戻るときに仲間からハガキやメモをい
ただいた。 「ダジャレが楽しかった」。 「もう少
し頑張ればもっと受けますよ」 など。
それはそれで嬉しかったのだが……みなさん
が 「仕事が楽しくできました」 と締めくくって
あったので、 これはこれで是であろうと。
現代の大量生産、 大量消費、 大量廃棄の社会
経済活動や生活様式を見直そうと、 地球環境の
改善努力が世界規模で実践され始めている。
日本がステアリングをとり環境改善の牽引役
になることが望ましいと思う。
自然に対抗し続けることによる発展は、 どこ
かで負の形で戻ってくるようだ。
昔を懐かしがっているわけではないが、 自然
との共生は、 私たちが取り組んでいかなければ
ならない最重要課題の一つとなっている。 昔も
よかったが、 今はもっといいなという時代にし
ていければと思う。
いま当操縦士協会では、 運航技術委員会等々
で航空界を取り巻く地球環境問題について取組
んでいますが、 私が経験したセピア色の昭和時
代に想いを馳せつつ、 環境の世紀といわれる21
世紀の持続的発展 (Sustainability Development) のために、 それぞれで今話題となって
いる CO2削減への努力が求められています。
2008 MAR
5
特集
(第18回)
パイロットの真打、講談師になる!
第2次大戦の
「語り部」 として生きる
塚越
昭和40年、 44歳
神風号に刺激されて
徳田:塚越さんの履歴を拝見しますと、 正に戦
前戦後を逞しく生き抜かれたパイロットの典型
ですね。 まずパイロットになられた動機からお
聞かせ下さい。
塚越:昭和12年4月の神風号の亜欧連絡飛行の
成功 (注1)は、 日本中を沸かせましたが、 その時
に飯沼飛行士と同乗した塚越賢爾機関士は、 同
郷群馬県で私の遠い親戚です。 私もわが事のよ
うに嬉しかったですね。
満開の桜の中で号外の鈴を聞いたことを、 今
でも鮮明に覚えています。 当時、 旧制中学の5
年でしたがね、 この時“オレも飛行機乗りにな
ろう”と決心しました。
陸軍航空士官学校から明野へ
徳田:神風号の2人は英雄でしたからね。 全国
の青少年が大いに刺激されて、 空への道を志し
たと聞いています。
塚越:それで熟慮の末、 陸軍士官学校を受験し
て幸いに合格し、 市谷の予科を経て陸軍航空士
官学校 (注2) へ行くことができたのです。 バタ
(注:陸軍歩兵の蔑称) だけはなりたくないと
願っていましたが、 幸い希望どおりでした。 陸
士55期は2,346名でしたが、 この内、 636名が空
へ行き、 操縦が340名で他は適性などで技術、
通信へいきました。
さらに340名のうち戦闘機が140名でした。 そ
して士官学校卒業後の戦闘機要員は明野陸軍飛
行学校 (注3)へ行きました。 有名な軍神・加藤隼
6
2008 MAR
朝紀
2007年11月、 87歳
戦闘隊長も学んだところです。
徳田:航空士官学校と明野での訓練機種を教え
てください。
塚越:最初から350馬力の95式型中間練習機
(キ9)、 俗に 「赤とんぼ」 でした。 我々の後か
ら150馬力エンジン装備の95式型 (キ17) が
初級練習機として投入されたのです。 この頃の
パイロットは全員これで練習しましたね。 これ
を修了後、 99高等練習機 (キ55) とノモンハン
で活躍した97戦 (キ27) をやって明野へ行きま
した。 ここでは半年間、 97戦での実戦を模した
訓練でした。
レイテ海戦に出撃
徳田:明野を昭和17年9月にご卒業の後、 いよ
いよ実戦部隊へ赴任されたのですね。 丁度、 ミッ
ドウェイ海戦で敗退し、 ソロモン諸島で激戦が
展開されている頃ですか。
塚越:私は関東軍が展開している満州のチチハ
ルの北・竜鎮の飛行第77戦隊へ赴任しました。
同日付で飛行第26戦隊へ移りました。 飛行機は
97戦です。 この戦隊は軽爆2個中隊との混成戦
隊で、 チチハルで戦闘訓練をやって前線へ出て
いったのです。 クラーク、 マニラ、 パレンバン、
ハノイ、 アンダマン、 マニラなどを転戦し、 終
戦までの2年10ヶ月間を南方で暮らしました。
その多くは地域防空と練成訓練に明け暮れま
した。 何回か敵機と相対し、 敵艦攻撃や飛行場
攻撃をやって、 部隊としては相当の戦果をあげ
ることが出来たのですが、 私個人としては、 確
実な戦果はありません。 ですから明野で徹底し
て学んだ 「不惜身命、 見敵必殺」 ではないので
すよ。 只、 19年秋のレイテは激しかった。
徳田:レイテ海戦 (注4)で日本陸海軍は壊滅的打
撃を受けましたね。
塚越:そうだね。 このとき私は、 フィリピン中
部のネグロス島ファブリカから数回に亘って出
撃し、 飛行場や船舶を攻撃しました。 この時は
隼1機でグラマン F6F ヘルキャット12機と対
戦、 操縦桿の根元に被弾して、 昇降舵と補助翼
がまったく利かなくなり、 方向舵だけになった
のです。 機は大きな弧を描きながら勝手に降下
しだしたが、 敵は容赦なく撃ってくる。 それで
方向舵だけで、 懸命に機体を横滑りさせて射弾
を回避しました。 そして高度300mで落下傘降
下したのです。 よく助かったと思っています。
2ヶ月のレイテ海戦で戦隊は数機を残すのみ
となったのですが、 この間に挙げた戦果は、 空
中戦と飛行場攻撃で百機を超えています。 そし
て26戦隊は戦力回復のために明野へ引き揚げま
した。 新戦隊長を迎え、 補充パイロットは特
操(注5)の1期、 飛行機は隼型で再びシンガポー
ルへ進出しました。 先ず戦隊長以下の主力が先
発、 しかし、 飛行機の生産が間に合わず、 私以
下8機が1ヶ月遅れて出発、 その途上、 上海で
8飛行師団への転属命令が下り、 台湾の花蓮港
と台東に着任、 直ちに練成訓練に入ったのです。
20年3月末でした。 7月にはシンガポールにい
た本隊も花蓮港に集結しました。 そして、 ここ
で防空と沖縄攻撃に任じたのです。
レイテ海戦後の明野陸軍飛行学校にて (前列左端が
塚越さん、 昭和20年1月)
石川清雄曹長の殊勲
徳田:まさに緊張の渦中にあったのですが、 毎
日が生きるか死ぬかの壮絶な日々の思い出をお
聞かせください。
塚越:この時期には多くの戦友を失いました。
とくに記憶に鮮明な特攻の始まりの話をしましょ
う。 26戦隊はパレンバンに展開していました。
そして私以下5機が派遣されてハノイの防空、
それからアンダマンのポートプレアで防空にあ
たっていました。 19年4月14日のことでした。
ポートプレア港に入港する松川丸、 それに駆逐
艇1隻、 掃海艇2隻の船団護衛を命ぜられまし
た。 松川丸は約4,000トンの優秀船で、 兵員
1,300名と武器・弾薬・食料・資材を満載し、
シンガポールからマラッカ海峡を経てこの日正
午、 ポートプレアに入港する予定でした。
幸いに天気晴朗、 早朝より1時間交替で50キ
ロ爆弾を装備した隼1機で監視護衛にあたって
いたのです。 私が一番手で哨戒、 そして1時間
が過ぎ、 次の石川曹長と任務を交替、 着陸して
ピストで一服していると、 海岸の監視哨から
「飛行機が墜落!」 と電話があり、 直ちに私は
離陸して現場に急行しました。 上空からの船団
は無事だったが、 「の」 の字の回避運動をして
いる。 魚雷攻撃を受けたらしいが、 石川機が見
えない。 事情が飲み込めぬまま引き返したので
す。 幸いに船団は、 無事にポートプレア港に入
港したので、 そこからの情報を待っていました。
ややあってピストに黄色い旗を付けた将官の
乗用車が止まり、 旅団長らしき人が降りてくる
なり、 いきなり 「有難う、 有難う。 お陰で全員
無事、 現在資材揚陸中である」 と言われたので
す。 事情を聞いて、 石川曹長の壮絶な死が分か
りました。 松川丸がポートプレア港に近づき、
もう大丈夫と思われた頃、 魚雷3発が松川丸へ
向かってきたらしい。
松川丸は取舵一杯で甲板上の物が転げ落ちる
ほどの急旋回をして回避操作をしたが、 魚雷の
一発が必中と見えた。 その時に石川曹長は魚雷
に体当たりして、 この危機を救ったのです。 も
し、 その場に僕がいたら、 はたして石川曹長の
2008 MAR
7
ような行動がとれただろうかと忸怩たるものが
ありました。 彼は2階級特進して少尉に任ぜら
れました。
台湾の花蓮港で終戦
徳田:まだ特攻が組織的に開始される前の話で
すね。 このような話は決して風化させてはいけ
ないと思いますが、 残念ながら半年後の捷1号
作戦 (注6)、 つまりレイテ海戦で特攻が始動され
ましたね。
塚越:、 戦争末期、 花蓮港の飛行第26戦隊から、
沖縄へ向けて特攻4機を出すことになりました。
私がその誘導・援護・戦果確認の役を買って出
まして、 5機編隊の長機として出発しました。
ところが特攻機4機のうち2機に故障発生、 加
えて、 途上に熱帯性低気圧らしきものが発生し
て雷雲の帯です。 私の判断で引き返し、 爆弾を
洋上に棄てて着陸しました。 戦争末期の昭和20
年8月10日のことでした。
徳田:その5日後に終戦になりました。
塚越:残念でした。 しかし、 幸いに場所が台湾
でしたから治安もよかったのですが、 何時帰国
できるか分からないので、 9ヶ月間は自活すべ
く農地を開拓して農業をやって過ごしました。
そして翌21年5月に復員、 鹿児島に上陸して群
馬へ帰ったのです。
山地開墾の日々
徳田:終戦後の日本は何処でも大変な生活苦で
したが、 郷里は如何でしたか。
塚越:公職追放の最中で生活は困窮し大変でし
た。 地元の農業開拓に従事しました。 榛名山々
麓の標高600mもの山地の開墾です。 国の政策
によるもので、 慣れない筋肉労働を5年半ほど
やったのですが、 生活は楽にならない。 それで
思い切って東京に出て、 しばらくニコヨン (注7)
をやりました。
ある時、 道端でフンドシ一つで水道管の埋設
工事をやっていたら、 通りすがりの子連れの母
親が 「見なさい、 勉強しないと、 あんな風にな
8
2008 MAR
るのよ、 可哀想だね」 と言うのが聞こえてきて
流石に愕然としたね、 ハッハハ……。 これを2
ヶ月間ほどやって、 もう少しましな仕事はない
ものかと、 職業安定所の職員に相談したところ、
“軍隊の経験があるんでしたら、 こんな募集が
ありますよ”という訳で、 米第5空軍立川基地
憲兵隊へ応募し、 勤務するようになったのです。
米第5空軍立川基地勤務の思い出
徳田:当時の立川基地は FEMCOM (極東空
軍資材司令部) があり、 米第5空軍の輸送部隊
が展開していましたね。
塚 越 : そ う そ う 。 そ の 輸 送 部 隊 の Security
Guard (SG)、 つまり基地の警備員をしました。
独身寮は完備しており、 衣服は支給されて生活
は安定していたし、 おまけに英語は実地に勉強
できる環境で具合がよかった。
面白いこともあったよ。 カービン銃射撃競技
大会があってね、 在日米 ARMY 代表、 警察予
備隊 (注8) 代表、 全 SG 代表が競って、 入賞した
こともある。 予備隊からはオリンピック選手も
出ていたね。
その内、 朝鮮戦争が勃発してね、 立川は朝鮮
への資材補給や傷病兵や遺体後送などの兵站空
輸基地になり、 飛行機の整備の助っ人の公募が
あったのです。 私は整備の経験などなかったけ
れど、 ゼロということはないので、 これに応募
しました。 40人ほどが受験して、 かなりの整備
のベテランがいたようだけど、 筆記試験の結果、
9人合格して私が一番だった。 30問の〇×式で
性能、 装備、 空気力学、 気象など航空全般の問
題だったことが幸いしたようです。
それで班長になって働いたのですが、 年末の
ある寒い日、 点検に入ったダグラス C-124 「グ
ローブマスター」 (注:日本名 「地球の主」 で、
当時、 世界最大の輸送機) の主車輪を外すのに、
米兵の整備員どもが手こずっているのを、 見か
ねた私は隊長に 「我々日本人にやらせたら外し
てやる」 と引き受けたことがあったのです。 外
れない原因は、 車輪のグリスが凍り付いている
からだと判断したんだね。 それで皆で取り掛か
り、 熱風を当ててグリスを溶かして外すのに成
功した。 不安げに見守っていた隊長たち整備兵
は大喜びでね、 100ドルずつボーナスを貰った
ことがある。 整備の助っ人は約2年間やりまし
た。
戦闘機と旅客機の操縦の違いは?
徳田:その後、 いよいよ日航へ入社される訳で
すか。
塚越:それから、 その隊長と懇意になって自宅
へ招待されたこともあります。 丁度その頃、 日
航のパイロット経験者の募集があってね。 隊長
にこの話をしたら喜んでくれて、“是非、 受け
なさい”と言って、 分厚い C-54 (注:民間型
は DC-4) の Maintenance Manual を見せてく
れた。 日航は DC-4 を使用していたから、 これ
は具合がいいと思い、 その General を借りて
きて予備知識を蓄えて日航を受験したのです。
徳田:日航入社後、 およそ9年ぶりに宮崎の航
空大学校で操縦桿を握られたのですね。
塚越:そうです。 専修科として半年ほど再訓練
をしました。 昔を思い出しながらね。 それまで
の日航は旧大日本航空出身者を採用していまし
たが、 我々のときに初めて戦前の経験者の一般
公募をしたのです。 そこで試験を受けて、 最後
に新橋にあった日航本社で役員面接がありまし
た。
松尾専務から 「戦闘機の機長と旅客機の機長
はどう違うと思うかね?」 と質問された時はチョッ
藤沢飛行場で訓練中の塚越さん (左端、 昭29年5月)
ト戸惑った。 想定してなかったものでね。 それ
で咄嗟に 「戦闘機の場合は、 異常事態になった
時は、 人事を尽くして最後は自爆するように教
わりました。 しかし、 旅客機の場合は、 人事を
尽くすことは同じでも、 乗客のために、 例え飛
行場ではなくても、 とにかく安全に地上に降り
なければならない。 ですから戦闘機のパイロッ
トよりも厳しいと思います」 と言ったのだけど、
正解だったと思う。
それで合格して29年2月に入社、 パイロット
4期生として航空大学校の専修科を経て、 先ず
DC-4 の F/O か ら 始 ま っ て DC-6 、 DC-7 、
CV-880、 DC-8 の機長、 教育、 訓練、 審査を担
当したのです。
昭和49年に南西航空 (後、 JTA;Japan
Trans Ocean に社名変更) へ技術担当役員と
して出向しました。 それまで YS-11で運航し
ていたものをジェット化するためです。
以来、 約11年間を沖縄で暮らしました。 機種
の選定から始まって、 53年には B737-200型機
が那覇−宮古島に無事に就航しました。 代表取
締役専務から引き続き常勤顧問をやり、 平成元
年、 68歳で退職したのです。 忙しかったけれど、
温かいので居心地がよかったですね。 好きな魚
釣りでは大物も釣り上げました。
赤ちゃんが泣く原因?
徳田:乗務中のエピソードが沢山おありと思い
ますが。
塚越:DC-4の頃で飛行中、 「赤ちゃんが泣いて
泣いて仕様がないから、 何とかなりませんか」
とスチュワーデスが困惑顔でコックピットへ入っ
てきてね、 周囲のお客さんも迷惑そうな顔をし
ているという。“赤ちゃんをあやすことなど出
来ない”と思ったのだけど、 とにかく後ろへ行っ
て見たんだね。 若いお母さんがほとほと困った
顔をしていた。 その凄い泣き方を見て私はピン
ときたね。 「お母さん、 一緒にトイレへ行って
赤ちゃんを裸にしてごらんなさい」。 それで裸
にしたところ、 お母さんのヘヤピンが赤ちゃん
の胸に刺さっていた。 僕の勘が当たって、 それ
2008 MAR
9
CV-880型機教官時代 (左側は松井巌さん)
CV-880型機を背景に (日航の宣伝用)
を取ったらケロッと泣き止んだ。
もう一つ思いで話をしましょう。 CV-880の
機長として乗務中、 香港から米国行きの中国人
難民を乗せていた時だった。 飛行半ばで困惑顔
のパーサーがコックピットに入ってきて、 「す
べてのトイレが詰まってしまいました」 と、 嘆
いているんだね。 後ろへ行って見たら、 なるほ
ど全トイレが流れない。“ははーん、 これは何
も知らない乗客が、 ペーパー・タオルやおしぼ
りを入れてしまったのが原因だな”と思ったの
です。 たまたま出先での余暇に魚釣りをやるた
めに、 釣り道具を携帯していた。 それを引っ張
り出して、 釣り糸に針を付けて便器の中へ入れ
て、 おしぼりを釣り上げたら途端に流れだした。
スチュワーデスたちにも同じことをやらせて、
全部直ってしまったよ。
大型輸送機 CV880でアクロバット
徳田:戦時の戦闘機パイロットとしての日常は
別にして、 日航でのヒヤリハットをお聞かせく
ださい。
塚越:私が CV-880の主席兼教官をやっていた
昭和40年頃だったね。 数名の機長昇格訓練を集
中的におこなうため、 機体をロスアンゼルス空
港に置き、 整備を UAL に委託して訓練をして
10
2008 MAR
いた。 場所はベイカーズフィールドの東側、 近
くには航空ショーでおなじみのモハベ砂漠やエ
ドワーズ空軍基地のあるところです。 訓練生A
君が機長席、 私が右席、 B君はオブザーブ席で、
標高約8,000ft の山岳地帯上空、 高度14,500ft
で Air Work を 開 始 し た の で す 。 Yaw
Damper は Off、 Landing Configuration での
Approach to Stall で ね 、 ご 存 知 の よ う に
Buffet がくるまで高度維持が必要なんだけど、
ここでA君はずるずるっと200ft 下がってしまっ
た。
私が 「高度っ!」 と注意すると、 A君はあわ
てて操縦輪を引いたため、 「ドッドッ」 と
Complete Stall に 入 っ た 。 A 君 は 直 ち に
「Gear Up、 Flap30°」 と Order、 私が操作し
ながら右手を伸ばして全エンジンを全開にした。
ところが機体はユックリと右に Roll し始めま
した。 ヒョッと見ると NO.4 エンジンの Lever
が残っている。 私は 「離せっ!」 と言いながら
Control を Take Over し、 All Engine Lever
を Idle として Yaw Damper SW を ON、 この
時すでに機体は背面に近かったね。 Rolling を
止 め る た め に 、 咄 嗟 の 思 い つ き で NO.4
Engine Lever を一瞬ふかしたのです。
Roll は 元 に 戻 っ た も の の 、 今 度 は 30 ° の
Dive 姿勢である。 すぐさま左手を伸ばして
Speed Brake (Spoiler) を 全 開 に し 、 Flap
30°時の制限速度230kts を守りながら、 ゆっ
くりと機首を上げて水平姿勢に戻しました。 続
いて通常の上昇出力で元の14,500ft に戻ったの
です。 この時、 高度は4,000ft 位下がったと思
います。 山岳地帯の松林が近くに見えたね。 A
君もB君も F/E も放心状態で、 私も我に返っ
てゾーッとしました。
後から考えて、 これほど手際よくやることが
出来たのは、 かつて戦闘機乗りでアクロバット
のような異常姿勢は、 まったく気にしない世界
に生きていたからだと思いますね。
くも膜下出血後の格闘
講談師として講談中の塚越さん
徳田:くも膜下出血で倒れられてからの、 正に
起死回生の生き様をお聞かせください。
すみ か
塚越:沖縄から緑区にある終の住処へ帰ってき
て、 気ままに好きな釣りや家庭菜園などをやっ
ていたのです。 そして突然、 平成5年9月17日
に倒れました。 緊急入院して開頭手術し、 九死
に一生を得たものの言語障害が残ったのです。
72歳の時だった。
今から考えると現役を退いたあとは、 なまじっ
か体に自信があるものだから、 まったく自分か
ら定期的に身体検査をやることもなかったとこ
ろ、 いつの間にか血圧が180にもなっていたの
です。 健康を過信していたのだね。
言語障害で悩んでいたところ、 知り合いの医
者が、 「その程度の病状だったらリハビリで良
くなりますよ」 と言われて、 彼が提示した
Know How を懸命に続けました。 簡単にいう
と、 興味のある本を繰り返し読んで頭に入れる。
次に原稿用紙6枚にまとめて、 それを10分間で
人に話す。 つまり読む・書く・話すの連鎖が、
脳の活性化になるという訳です。 半年ほど忠実
にやったら殆ど完治しました。 そうしたら今度
は欲が出て、 第2作、 第3作と続けることになっ
たのです。
語り部として講談師への道
徳田:いよいよ 「語り部」 の道を進まれるので
すね。
塚越:話せば結構長いのだがね。 首都圏明野会
(注:明野陸軍飛行学校出身者の会) という親
演題 「特攻悠久隊」 を熱演
睦会があって、 10年程前までは毎年1回の親睦
で飲み食いや懇談をしていたのだけど、 これで
は勿体無い、 諸先輩の実戦談、 いわゆる“語り
部の会”を興そうじゃないかと提案したのです。
これが大好評で、 今では年に3回、 延べ40回程
になりました。
それで一つ自ら実践して、 終戦直前に経験し
た特攻の話等を、 講談師になったつもりで自己
流で、 あちこちでやっていたのです。 ところが
ある時、 僕の話を聞いていた不思議な老人が寄っ
てきて、 「君の講談は自己流だね」、 ムッとした
僕は 「そうだが、 これでよいと思っている」
「うーむ、 貴方はパイロットだったそうだが、
飛行機は自己流じゃ操縦できないだろう。 芸事
だって同じだよ、 基本から勉強しなさい」 と言っ
て、 さっさと行ってしまった。
これにはこたえたね。“なるほど”と思い、
縁あって神田紅師匠の勉強会に入会したのです。
師匠のお父さんは陸士57期でねぇ、 徹底して
2008 MAR
11
している。“老いて明るく、 転んだり滑らない
ように気をつける”という意味です。
徳田:今日は示唆に富んだ多くを学びました。
お疲れのところ本当に有難うございました。
注1
三菱が製作した高速偵察連絡機 (キ15) 2号
機を、 朝日新聞が長距離用に改造、 亜欧連絡
飛行に成功した。 所要時間94時間17分56秒で
FAI 国際記録として公認された。
注2
大量の航空士官養成の必要から、 昭和13年5
月に埼玉県豊岡市に設立された。 陸士生徒は
予科1年修了後、 希望により適性検査に合格
した者が入校、 終戦までに約4,200名の陸鷲が
老人ホームでの名演技
卒業した。 俗に修武台といわれたが、 現在は
航空自衛隊入間基地となっている。
講談の勉強をしました。 そして演台を叩く張り
扇とか、 飛行機紋入りの着物などの七つ道具を
用意してね、 それで一通りの勉強をして遂に芸
名まで創った。 航 (紅) 雲亭飛僧 (こううんて
いとぶぞう) と、 師匠の名前までもらって今は、
かつての私自身の経験も交えて、 主に 「特攻悠
久隊」 という演題で講釈しています。 若い人に
“特攻の話をするから聞きに来い”と言っても、
誰も来ない。 それで講談という形で、 風化させ
てはいけない壮絶無比な特攻の話をしているの
です。
それに老人ホームなどを訪問し、 自分で研究
した手品を披露したり、 尾崎紅葉の“寛一お宮”
の素人芝居を面白おかしくやったりして、 皆さ
んに喜んでもらっています。
注3
大正13年5月、 陸軍飛行学校令により、 所沢、
明野、 下志津の三箇所に陸軍飛行学校が設立
された。 以来、 明野は戦闘機操縦者錬成のメッ
カとして終戦まで続いた。
注4
世界最大の海戦といわれ、 日本海軍の総力が
投入されたが、 戦艦3隻、 空母4隻、 巡洋艦
10隻など計28隻を喪失し、 事実上、 日本海軍
連合艦隊は壊滅した。
注5 特別操縦見習士官で昭和18年秋からの学徒出
陣の産物である。 その多くが特攻に殉じた。
注6 連合艦隊司令部によって発動された捷1号作
戦は、 フィリピン方面の防衛に全力を傾注す
ることであったが、 この直後に特攻隊が編成
座右の銘は 「明老戒滑」
徳田:塚越さんの人生は今日まで、 大車輪で生
きておられる迫力を感じます。 パイロットとし
ての交友とか座右の銘があったらお教え下さい。
塚越:これまで28組の仲人をやりました。 頼ま
れ仲人だけどね。 今では孫が50数人にもなりま
すよ、 ハハハハ……。 座右の銘は、 戦争中は
「莫妄想」、 つまり“思い悩むな”でしたが、 今
は明朗快活ではなく 「明老戒滑」 ということに
12
2008 MAR
されて恒常化していった。
注7
戦後、 しばらく1日240円が支払われた筋肉
労働者を 「ニコヨン」 と呼んでいた。
注8 警察予備隊は、 朝鮮戦争勃発直後の1950年7
月に創設された。 この組織は1954年8月に陸・
海・空自衛隊が創設されて発展的に解消した。
塚越朝紀氏略歴:
大正10年9月3日台湾生 群馬県高崎市出身
昭和13年12月 陸軍予科士官学校入校 (55期)
昭和14年11月−17年3月 陸軍航空士官学校在
校
昭和17年4月−9月 明野陸軍飛行学校在校
昭和17年10月 満州・関東軍飛行第77戦隊着任
後、 飛行第26戦隊に転属
フィリピン、 パレンバン、 ハノ
イ、 アンダマンを、 主に97戦と
1式戦 「隼」 で転戦、 昭和19年
10からのレイテ海戦では、 フィ
リピンのネグロス島から数回に
亘って出撃、 終戦直前、 台湾の
花蓮港基地から特攻出撃するも
機材故障で引き返す
昭和21年5月 復員して鹿児島に上陸、 群馬県
へ帰郷
昭和21年6月−26年12月 地元の開拓農業に従
事
昭和27年1−29年1月 米第5空軍立川基地に
勤務
昭和29年2月−56年9月 日本航空在籍
昭和48年12月
昭和62年5月
平成元年6月
平成5年9月
DC-4、 -6、 -7、 CV880、 DC8
を機長、 教官、 訓練部長として
乗務
技術担当役員として南西航空へ
出向
代表取締役専務を退任、 常勤顧
問に就任
南西航空退職
クモ膜下出血で開頭手術、 言語
障害をリハビリで完治、 講談師
の道へ進み、 86歳の現在に至っ
てなお高座に座る
約30機種の離着陸経験、 飛行時間約13,000時間
取材を終えて:3時間半におよぶ長丁場の取
材で、 途中、 休憩することなく滔々とお話く
ださったエネルギーは、 一体、 何処からかも
し出されるのだろう。 とても86歳とは思えな
い。 熱く語られる瞳は少年のように輝いてい
た。 只々、 頭が下がる。 陸軍航空士官学校卒
業後、 陸軍戦闘機パイロット養成のメッカ、
三重県明野陸軍飛行学校卒業の生粋の戦闘機
乗りは、 1式戦 「隼」 を駆って、 戦場を縦横
無尽に暴れまわった。 54期生2,346名、 この
内、 636名が航空士官学校へ、 そして選ばれ
た140名が明野の戦闘機課程へ進んだ。 有名
な加藤隼戦闘隊長も学んだ所で、 まさにエリー
ト中のエリートであった。
しかし、 壮絶な空戦に明け暮れる戦場は、
パイロットの墓場でしかない。 陸軍パイロッ
トのほとんどが南の空に消え、 同期生の多く
が殉職した。 文中にあるように、 終戦末期、
台湾の花蓮港から特攻出撃したが、 天候に遮
られて帰還、 幸いに命をながらえた。 終戦時
の生き残りは僅かに32名、 まさに地獄からの
生還である。
終戦直後の日本人は、 誰しも生きるために
必死であったが、 郷里へ復員した塚越さんも
例外ではない。 だが超人的なバイタリティに
よって、 幾多の苦難を乗り切った。 そして日
航パイロットへの道、 しかし、 塚越さんにとっ
て日航在籍は、 単なる人生の過程でしかなかっ
た。 南西航空の常勤顧問を最後に現役引退、
くも膜下出血による言語障害をも克服した。
72歳のときである。 しかも話すことが商売の
講談師への道を進まれたことは、 凡人の想像
を絶する。 そして今日なお、 かつて特攻で散っ
た仲間たちの慰霊顕彰と、 特攻の実像につい
て、 壮絶無比な第二次大戦の 「語り部」 とし
て、 ご活躍されている。
ご高齢にもかかわらず、 自らの経験を交え
た演題 「特攻悠久隊」 を語るべく、 各地で講
談をされていると同時に、 老人ホームなどへ
お出かけになり、 自前で工夫した手品や寸劇
などを披露して、 ほとんど年齢差のない人々
を相手に慰労されている話は、 私としても多
くを学んだひと時であった。 老いてますます
ご壮健な塚越さんに幸あれ!!
徳田 記
2008 MAR
13
JAPA・航空4社主催の1982年国際航空シンポジウムの講演録再掲
2000年以降の、
新しい航空機と燃料の可能性
THE POTENTIAL FOR NEW AIRCRAFT
AND NEW FUELS AFTER THE YEAR 2000
Senior Adviser, Lockheed Corp. USA
ウイリス M. ホーキンス
はじめに
採算のとれる新しい輸送機の開発は、 自国の
経済だけでなく、 考えられる輸送機のタイプや
大きさ次第では (世界のある) 特定の地域だけ
を対象に力を入れるにしても、 世界経済の予測
に大きく依存している。 この予測は大変難しい
が、 採用しようとする最新技術の進歩の程度、
即ち国家的な支援企画または軍用開発の実証に
基づいた新技術の採用の程度などによる。 更に
今日では、 開発しようとする新しい輸送機が使
用されるであろう期間に必要とする燃料の取得
の可能性や種類など、 新しい多くの要因を考え
なければならなくなっている。 この新しい発想
に基づく輸送機の開発計画を1985年に開始した
としても、 最初の実運航に就航できるのは2050
年頃になるであろうということを考えると、 こ
れらの予測は更に複雑となる。 ここでは前述の
ような開発に関するエネルギー情勢を中心に、
有望な代替燃料である液体水素についてお話し
をする。
液体水素の利点と問題を説明するために、 軍
用機と民間機の両方で可能性があると考えられ
る設計を数例ご紹介し、 最後にこの将来の燃料
を実現しようとするに当ってとるべき第一歩に
ついての概要を、 多少お話ししたいと思う。
エネルギー情勢
自国の天然資源の埋蔵量やその国の指導者の
構想の下で、 各国は種々の方法でエネルギーの
将来に対する計画と支援に着手してきた。 石炭
や天然ガス、 石油の埋蔵量が豊富な国は、 将来
のエネルギー使用に対する考え方として、 短期
14
2008 MAR
的には単位エネルギー当りのコストは高いとは
いうものの、 切替えは可能とする方向で調査し
ており、 その国の GNP (国民総生産) の割に
はそれほど積極的ではないようである。
従って、 革新的なことや真に独創的なエネル
ギー計画は、 天然エネルギー資源を持っていな
い国から起こってくるのではないかと思われる。
そのような国は、 大量の石油資源を支配してい
る国に依存して受けた打撃を経験してからは、
新規の外国エネルギー源に依存したがらなくなっ
ているとみられる。
各国に新エネルギー開発の兆しがあり、 これ
らの中にはそのものずばりの対応と、 主に政治
的意向から出された計画とがある。 フランス、
日本及びカナダは、 原子力発電所の建設決定か
ら稼動までの期間が約5年であり、 広範な原子
力計画とその利用の面で明らかに他をしのいで
きた。 これと比較すると、 不面目ながら、 米国
の能力は同じことに約12年もかかり、 それが更
に長期化している。
私 の 目 に と ま っ た も の で は 、 Thomas
Lefevre 指導のカナダ政府で行なわれたすばら
しい研究 (参考文献−1) があるが、 それ以外
にも優れたエネルギー計画に関する国際的な実
例が数多くあることは確かである。 カナダの研
究では、 石炭を使用することによって生ずる環
境公害の抑制とともに、 炭鉱作業員の危険性な
ど数多くの問題が考慮されている。 この最終的
な結論には、 国家の将来のエネルギーを水素と
する、 究極的な展望が入れてある。 この研究で
は、 原子力、 太陽、 水力、 潮流など多様なエネ
ルギー源を再生して、 そのエネルギーを配給、
貯蔵、 使用する手段として水素の利点も認めら
れている。
この種の進んだ考えは、 米国内のエネルギー
開発計画者には影響を与えなかった。 従って、
将来の航空機開発に対する私達の計画は、 国の
政策によって如何なる制限が課されても、 それ
に対応できるようでなければならない。
図1は、 米国エネルギー情報局が2020年を見
越して、 自国のエネルギーの将来を予測した概
要である (参考文献−2)。 この予測から、 将
来はそのほとんど全部を石炭に依存しているこ
とがお分りになると思う。 また原子力の増加が
図1
僅かであることもお分りになると思う。 レーガ
ン政権は前政権に比べ、 原子力に対して積極的
な姿勢ではあるが、 これでさえも楽観的だと思
われる。 今日、 計画された原子力発電所が中止
される数は、 国の発注数とほぼ同数である。
図1には、 1985年に着手する新しい航空機に
対する時系列に沿う将来の天然石油使用量の予
測がプロットされている。 また、 2020年以降の
米国における航空輸送エネルギー需要の見積予
測も示されている。 新しい輸送機の燃料供給が
如何に苦しいかは明白である。 この新しい輸送
機は2020年以降に就航するとみられるが、 その
Energy Environment for New Transport Aircraft
2008 MAR
15
時点で使用可能な天然石油の約50パーセントに
相当するエネルギーを輸送機が消費することに
なるので、 代替燃料の計画を立てることが必須
である。 同様に、 現時点で輸送機の青写真を作
成し、 それをユーザーに理解させ、 1985年の開
発着手に見合う技術基盤の準備をすることが、
現時点で必要であるという事実も明らかである。
これは数世代あとの問題ではないのである。
ロッキード社では、 代替燃料の使用について
長年研究してきた。 1950年代初期に水素エンジ
ン装備の超音速偵察機を設計し、 ある程度十分
な開発を行なった。 エンジンも運転し、 燃料系
統及び燃料タンクを製作して、 試験とデモンス
トレーションを行なった。 併せて敵の攻撃に対
する弱点の評価も行なった。 しかし、 この計画
は、 選定燃料またはその使用に関する技術的可
能性以外の理由で、 中止された。
過去10年間、 ロッキード社並びに他の企業が
民間資金及び NASA の後援で、 代替燃料のよ
よくみると、 水素の利用はその有望性と問題の
両面にわたっていることが明白に分る。 液体水
素は、 他の代替燃料と比較して、 単位重量当り
約3倍のエネルギーを出す。 航空機は使用エネ
ルギーの全部を搭載して運ばなければならない
ため、 これが航空機に対する水素の根本的な利
点である。
これと同時に、 水素航空機の実用化には難し
い設計作業がかなりあることも明らかである。
水素は密度が小さいので、 同一条件の飛行に約
4倍の容積が必要であり、 温度 (20°K、 即ち
り進んだ利用を丹念に研究してきた。 後者の研
究において、 代替燃料として使われるのは、
Jet A (石炭またはオイルシェルから作り出す
として)、 液体メタン及び液体水素であった。
図2は、 これら燃料の特性のうち重要なものの
概略である。 それぞれの燃料の相対的な特質を
航空機に対する水素研究の経緯
化学処理工程や燃料精製工程の中の元素とし
て、 工場で使われているだけでなく、 多くの実
験研究で水素が使われている。 その豊富な研究
および使用経験は世間一般には明らかになって
いない。 水素研究の経緯のほとんどは、 国際水
−423°F以下) を一定に保たなければならない
ので、 高度の断熱を必要とする。
タンクの重量を最小にするには、 球形もしく
は円筒形のタンクにするのが望ましい。 水素ほ
ど容積は要らないが、 液体メタンも貯蔵温度は
112°K、 即ち−258°F以下なので同様の低温処
理が必要である。
Hydrogen
Methane
Nominal Composition
H2
CH4
Molecular Weight
2.016
16.04
Heat of Combustion (low), k J/g
3
Liquid Density, g/cm at 283K
120
0.071
0.423
Boiling Point, K (at 1 Atmosphere)
20.27
112
Freezing Point, K
14.4
91
*
Specific Heat , J/g K
9.69
Heat of Vaporization, J/g
(at 1 Atmosphere)
446
CH1.93
∼168
50.0
*
3.50
510
Synjet**
42.8
*
∼0.811
440 to 539
233
1.98
360
* At Normal Boiling Point
NTP=Normal Temperature and Pressure
** For simplification, synjet is assumed herein to have properties identical to conventional aviation-grade kerosene (Jet A)
図2
16
2008 MAR
Selected Properties of Alternative Fuels
素エネルギー協会の公式機関誌 International
Journal of Hydrogen Energy に報告されてい
る (参考文献−3)。 この下地がなかったら、
航空機の燃料として水素を考えるのは、 実質的
に更に難しかったとみられる。 アトラス、 セン
トール、 アポロ、 そして今日のスペース・シャ
トルに至る宇宙計画で開発してきた経験の基礎
は、 この理論と実践が合体されたものである。
軍事分野でのロッキード社の初期の開発につ
いては既に述べたところであるが、 これと同年
代に、 NASA が B-57爆撃機のエンジン1基を
水素エンジンに換装して、 低温貯蔵の翼端タン
クを使い、 一連の徹底的な飛行試験を行なった
ことには触れなかったが、 この計画は完璧な成
功をおさめた。
その時以来、 NASA はロッキード社が分担
した一連の設計研究を後援してきた。 これらの
中には、 亜音速機及び超音速機ばかりでなく極
超音速旅客機の設計研究も入っていた。 これら
の研究に付随して、 空港における燃料貯蔵配給
装置の徹底的な費用調査を含む、 液体水素の製
造費用の分析も行なわれた。 要するに、 航空輸
送システムに液体水素を応用する考え方の素地
は進展してきたのである。
同時に、 これら三種の代替燃料について、 達
成可能な安全水準の探究に膨大な努力が払われ
てきた。 水素の安全性に対する一般の人々の考
え方は、 周知のヒンデンブルク号惨事の写真に
影響を受けている。 あの歴史的な事件は、 正し
い見方で見るべきだと私は考える。 航空機に使
える可能性がある燃料の中で、 水素は非常に広
範囲の燃料−空気混合比で燃焼し、 着火しやす
いことを、 先ず記憶しておかなければならない。
これが、 あらゆる種類のエンジンで水素が優位
性を持つ所以であり、 水素を使う全体のシステ
ムを考案する際には、 このことを考慮に入れな
ければならない。 ヒンデンブルク号では水素は
薄い絹状の嚢に入れてあり、 船体のこれら巨大
なガス嚢の間には空気が入っていたので、 その
設計者は特に慎重にならざるを得なかった。 従っ
て、 どの嚢から水素ガスが漏れても、 その中間
にある空気は、 ほとんどの場合に可燃混合比に
なった。 この漏れた水素ガスは丹念に排出され
たが、 これを完全になくすのが難しかったのは
確かである。 それにも拘らず、 ヒンデンブルク
号は多くの世界的規模の航行を無事に果した。
あの大惨事が起きた夜は、 97人が搭乗してい
た。 また繋留作業援助のため、 飛行船の下には
約250人がいたと推定されている。 これら約350
人のうち36人だけが死亡した。 その中の35人は、
飛行船の客室が、 地上に十分に近づかないうち
に跳び降りて死亡した。 6人の遺体だけが焼死
で、 その中の5人は漏れたディーゼル油の火で
焼死した。 6人目の焼死体は、 その人の担当場
所ではない、 後方の2個の水素ガス嚢の間にい
た乗組員であった。 そこが発火源であったので、
事故の原因は破壊行為ではなかったかとする憶
測もあった。
NASA は 、 Jet A 、 液 体 メ タ ン 及 び LH2
(液体水素) を使用する航空機に事故が発生し
た場合の、 生存性、 並びに一般社会に与える影
響の評価という総合的な面からの代替燃料に関
する研究をこのほど完了した。
NASA とは別に、 この種の研究がロッキー
ド社 (参考文献−8) 及び Arthur D. Little
によっても行なわれ、 LH2は他の代替燃料と同
程度に確実に安全であり、 実質的にはより安全
とみる結論が出ている。 水素の炎には輻射熱が
なく、 持続時間も他の燃料の10分の1である特
徴から、 炎にさらされる影響が小さく、 その時
間も短い。 気体が軽いので、 炎または燃えない
水素の霧は空に上昇する。 これらの要因すべて
が、 生存乗客及び周辺住民の危険を更に少くす
る。 次にテレビでヒンデンブルク号の事故を見
る機会があれば、 水素の炎が真っ直ぐに上昇し
て、 一瞬にしてなくなる特徴を確認していただ
きたい。 以上の解析を確かめるには、 更に、 実
験によらなければならないことは多い。 NASA
は、 LH2の漏洩実験を既に行なって、 漏洩後の
目に見える水素の霧の動きを明らかにしている。
図3は、 その霧状の雲 (凍結した水蒸気及び空
気) の動きを示す典型的な試験の写真である。
この種の試験は、 LH2用に設計された航空機の
タンクで、 衝撃破壊状況を模して繰り返し実施
2008 MAR
17
図3
Hydrogen Vapor Cloud Dispersion Experiment 1500 Gallon Liquid Hydrogen Spill, 8mph Wind
しなければならない。 同様の試験は他の代替燃
料でも当然行なわなければならないが、 我々の
これまでの経験は、 合成ジェット燃料の Jet A
に対する危険性の説明に、 そのまま置き換える
ことができる。 LH2あるいは液体メタン用の低
温タンクの中には、 酸素は入っていないので可
燃混合気はないことを銘記しなければならない。
これが、 タンク内に空気があり、 燃料の混合気
を外気へ排出する必要がある普通の輸送機の燃
料タンクと、 大幅に違う環境である。
有望な設計構想の例
400人乗りの亜音速機
その詳細は参考文献−4にあるが、 NASA
の最も重要な研究の一つとして、 Jet A、 液体
メタン及び液体水素を燃料として設計した、 最
新の広胴機にほぼ匹敵する輸送機の比較が行な
われている。 図4は、 LH2タンクの場所と大き
さを描いた LH2 改造機の全体図である。 液体
18
2008 MAR
図4
LH2-fueled transport aircraft
メタン航空機は、 タンクが短くなり、 主翼が大
きくなり、 同一条件の運航に供するにはエンジ
ン出力が大きくなる以外は、 液体水素と同じで
ある。 Jet A 飛行機は主翼の中に燃料を入れる
ので全く従来通りである。 乗客400人を10,000
km 運ぶのに、 離陸重量は Jet A 機で232,060
kg、 液体メタン機で225,570kg、 LH2機ではな
んと168,830kg という重量でよいことが分る。
LH2 機は同じ運航条件で Jet A 機より63,000
kg 強も離陸重量が少く、 それによってエンジ
ン必要出力や空港周辺騒音、 経費が減少する。
冷却する時の負荷の抗力を減らすことができ
る強力な新技術が、 低温の LH2 燃料の冷却を
可能にしたのである。 液体メタン及び液体水素
は、 オイル、 機内の空気及び各種電気系統の冷
却にも使える。 LH2だけは、 巡航高度で翼の層
流境界層を保つのに適した、 翼表面冷却の能力
も有している (参考文献−9参照)。 これは簡
単な装置ではないが、 我々が長年開発に努めて
きた吹出し装置や吸込み装置より、 更に実用的
なものである。 図5は、 代表的な輸送機の主翼
に、 この装置がどのように適用されるかを示し
た 図 で あ る 。 CO2 が 空 気 中 で 凍 結 す る 温 度
(195°K) 以上に翼表面の温度を保持するため
に、 LH2の冷却能力を翼表面に伝達する二次的
な装置が必要となる。 これによる劇的な重量軽
減と燃料節減が、 図5に示されている。
図6は、 究極的に航空会社の業績に係わる指
標となる座席・キロ当りの経費の概要である。
上の3本の線が、 基本となる Jet A 機と、 比
較用の液体メタン機及び液体水素機の線である。
お分りのように、 燃料のギガジュール (19°
ジュー
図5
Laminar flow control by wall cooling
ル:238,900Kcal) 当りの価格 (ドル) 対して、
座席・マイル当りの経費がプロットされている。
このグラフから、 それぞれの燃料の価格に関す
る、 如何なる人の意見も反映して、 航空機の比
較ができる。 図の上部の符号で示したものは
National Academy of Engineering の1979年
の報告書を引用したものである。 これを基準に
して比較すると、 LH2が他の燃料より30%高く
見積ってあるにも拘らず、 座席・キロ当りの経
費は全部の飛行機がほぼ同等である。 これより
後 の 研 究 ( 参 考 文 献 − 6 ) で は 、 LH2 は
6 $ / GJ (ギガジュール当り6ドル) で生産で
きるので、 座席・マイル当りの費用は他の代替
燃料の75%に下がると予測されている。
最も劇的なのが、 図6にも示した“Wing
Cooled (翼面冷却)”型の性能面からくる経済
性である。 燃料の製造費を同じ6 $ / GJ とする
と、 座席・マイル当りの費用は合成 Jet A を
使った飛行機の60%以下である。
水素を作るにはエネルギーが必要で、 それを
液化するには更にエネルギーが要るという人が
多い。 忘れられていることは、 如何なる合成燃
料の製造にもエネルギーが要るという事実であ
る。 これら三機種の最後の比較として、 それぞ
れの合成燃料を製造するのに石炭が選ばれた場
合の、 石炭の必要トン数が計算された。 最大有
償荷重運航距離を同一にして、 Jet A 機では
256トン、 メタン機では202トンの石炭が必要で
あったが、 LH2 機ではなんと187トンの石炭
(翼面冷却なしで) しか要らなかった。 これこ
図6
Direct Operating Cost As Function of Fuel
Cost
2008 MAR
19
そ本当のエネルギー使用量の比較であると我々
は考えている。
革新貨物輸送機
ロッキード・ジョージア社はC−5の経験に
基づいた計算で、 貨物輸送用の厚い翼を用いる
ことに対象を絞り、 更に大型の輸送機さえも研
究してきた。 これらは Span Loader (翼内搭
載) と呼ばれている。 この種の飛行機に液体水
素を応用してみたところ、 LH2を用いた“All
Wing (全翼)”飛行機の興味ある特徴がいく
つか出てきた。 図7は、 在来の輸送機用の空港
で使うように設計された、 その種の飛行機の一
例である。 この飛行機は7,750km の距離で255
トンの貨物、 あるいは17,200km の距離で97ト
ンの貨物を輸送する。 注目される特色は、 短距
離運航に対する重量が、 長距離運航に対する重
図7
Liquid Hydrogen Cargo Airplane
図9
20
2008 MAR
量より91トン大きいことである。 航空機は容積
に限界があり、 燃料が貨物より単位体積当りの
重量が本質的に軽いため、 最大燃料を搭載した
飛行機は、 短距離用の燃料と最大貨物を搭載し
た航空機より軽いことが、 その理由である。
この研究には、 胴体に LH2 燃料を搭載して
主翼内の空間を主として貨物用に使った、 更に
重々量の機体の設計も追加された。 図8が、 こ
の航空機である。 この重量 (965トン) は極く
普通の空港の設計荷重を超え、 降着装置の幅が
普通の滑走路幅を超えることから、 飛行艇が提
案されている。 この航空機は、 小さな国へ給油
なしで往復運航するのに十分な、 21,200km の
距離で230トンの有償荷重を輸送する。 これに
より、 その種の国に主要施設を建設する費用が
削減できる。 どの貨物機の設計にも、 翼面冷却
の利点は組入れていない。
図8
Liquid Hydrogen Cargo Seaplane
Three-view of Mach 2.7 LH2 transport
高速機
初期の NASA 後援の研究には、 Jet A 超音
速機と LH2超音速機の比較研究が入っていた。
図9は、 LH2機の全体図である。 これらはマッ
ハ2.7、 7,780km の距離で234人の乗客を輸送す
るように設計されていた。 LH2機の全備重量は
179,130kg で、 Jet A 機より166,590kg 軽く、
空港の低い騒音基準の適合も容易に達成できた。
しかし、 両機とも衝撃波を引きずっていく問題
と、 それに伴なう騒音があった。 従って、 両機
とも超音速飛行は、 必然的に洋上に制限される
ことになろう。
図10に示したような飛行機は、 種々の理由で、
21世紀には更に興味を惹くものとなる。 この設
計巡航速度はマッハ6であり、 この種の超音速
で生ずる高温から機体表面と気流導管構造を保
護するには、 大幅な冷却が必要となる。 この設
計構想は、 燃料として LH2 を使わなければ実
現できない。 また、 9,250km の距離で200人の
乗客を輸送するには、 283,000kg の離陸重量が
必要とされた。 離陸と上昇専用のエンジンは巡
航中は使用されないので、 このエンジンは空港
騒音を軽減するように設計できるはずである。
最後に、 巡航におけるラムジェットについては、
その高度 (30,500m) と衝撃波の円錐角度から
みて、 地上での音波は住居地域上空を飛行でき
る程度に十分低いと考えられる。
今後の成功の鍵
2年前、 DFVLR (ドイツ航空宇宙研究所)、
図10
Liquid Hydrogen Hypersonic Transport
DGLR (ドイツ航空宇宙協会) 並びに AIAA
(アメリカ航空宇宙協会) の後援によるシンポ
ジウムに、 多数の国から125人が西ドイツのシュ
ツットガルトに集まって、 LH2技術の現状と燃
料を使う民間機の開発の展望について討論を行
なった。 一週間の討論で、 その将来性は有望で
あり、 このシンポジウムでその計画の大筋は十
分知らされた、 との結論に達した。 次のステッ
プはどんなことが有益かを決める、 特別執行委
員会という名称の非公式な委員会が設置された。
この特別執行委員会には、 最初の段階の研究計
画をまとめる作業部会を作り、 新しい飛行機の
設計に自信を持って着手できるようにするため、
それに必要な作業をこの部会に含めることにし
た。 この作業が進められ、 その報告書 (参考文
献−7) が出されて、 その概要のコピーがシン
ポジウムの出席者に配布された。 更に特別執行
委員会から、 このコピーが各委員の国の研究指
導者へも配布された。 LH2を、 在来のものと類
似する燃料と競合する位置に据える、 技術基盤
の確立というこの計画の骨格になる要素は、 数
か国によって達成できると期待された。 この計
画が完了すれば、 LH2が採用されることになる
ときに不可欠と、 我々の多くが信じている次の
ステップへの基礎として、 即ち LH2 の使用適
合性の実質的な証明にも役立つものと思われる。
航空会社、 燃料関係及び飛行機の開発に携わる
技術者の多くは、 過半数に満たないとしても、
その種の実証は必要ないと感じていることを認
識しておかなければならない。 大きな変革は最
先進国で起きたが、 大きな危険性に対する拒絶
も先進国に起きたことを、 誰もが認めた。 従っ
て、 政略がらみの政治家、 将来の災害の思惑を
唱える報道関係などを静めるには、 何か説得力
のあるデモンストレーションは必要であろうと
認められる。 シンポジウムでも、 特別執行委員
会でも、 その種のデモンストレーションを提唱
してきた。 ロッキード社での研究では、 次の提
案がメリットがあるとみられる。
最新の輸送機の改造
新しい飛行機を研究した際、 ロッキード社は
2008 MAR
21
それに長距離機 L-1011-500の改造を含めた。
図11が、 この研究から生まれた飛行機である。
水素タンクのスペースを胴体の前方及び後方に
設けるため、 胴体を18m強延長している。 これ
らのタンクには、 標準型 L-1011-500の運航距
離に見合う十分な燃料が入る。 この飛行機は、
必要以上に翼面積や推力が大きいなど最適なも
のではないが、 それにも拘らず通常の Jet A
機よりも約54,500kg 軽い全備重量で、 同等の
長距離運航に、 同等の有償荷重を搭載して離陸
することに注目されたい。
LH2は、 あらゆる運航距離に対して設計した
飛行機に、 有利となることが分っていたので、
今度は全備重量を変えずに最大運航可能距離を
得る、 支路線用の改造機を研究した。 ここでの
我々の研究は、 中間寄港地での停留時間を短縮
するため無給油で終日運航ができる、 支路線用
図11
Lockheed L-1011 Freighter Converted, To
Liquid Hydrogen
図13
22
2008 MAR
機の可能性を探ることであった。 この改造は、
燃料の容積が大きくなることから、 図12でも分
る通り、 かなり厄介なものである。 しかし、 普
通の支路線タイプの短距離航程で、 無給油の終
日運航は不可能ではない。
実現の可能性を実証する手法として、 軍事面
での開発を提案してきた人も多かった。 軍事利
用によっても、 頑固な懐疑論者には説得力がな
いことも考えられるが、 燃料取扱要領、 地上支
援及び飛行機のハードウェアに対する確固たる
経験の基礎は、 確実に備わると考えられる。 そ
こで、 利点が大きくかつ作戦を支援する部隊施
設が最少となる任務を、 我々は探した。 対潜哨
戒機、 即ち陸上を基地とする哨戒機が、 前述の
要求に適合する。 図13は、 ロッキードP-3ASW
(対潜作戦) 機の大改造案である。 操縦室と尾
部の間の胴体は原型機の床から上を新しく作り、
図12
LH2−Fueled P-3
Conversion Of 737 To Liquid Hydrogen
プロペラ先端と胴体との間隙が十分とれるよう
に中央翼の幅を10ft 延長している。 この飛行
機は全備重量を全く増加しない案であったが、
燃料のエネルギーが増したことから、 基地から
1,500海里離れた場所での哨戒時間が2倍になっ
ている。
普通の燃料では実現性がないとされる航空機
を、 LH2の最大利点を利用することにより創造
する任務を我々が探究したように、 新しい軍用
機はこの種の燃料により最高の利点を発揮する
であろうことを提言したい。 その候補として選
ばれるのは、 衛星通信とその計装を用い、 革新
的な電子システムを装備して乗組員を最小限と
し、 超高々度で AWACS (空中早期警戒指令
機) または AEW (早期警戒機) の役目を果す
警戒機の任務であった。 図14が、 この種の飛行
機の一例である。 もし層流を維持する翼面冷却
が使われると、 この種の飛行機は60時間以上の
滞空ができるものと考えられる。
結論
液体水素が、 速度・経済性・低公害・運航距
離・航続時間・飛行高度など、 飛行機の性能と
低騒音及び安全性を大幅に高める、 絶好の機会
をもたらす総合的な結論には、 ぜひ言及してお
きたい。 LH2を使用して、 月に人間を運んだ国
が、 許認可権を持つ官庁や国民に受け入れられ
る軍用機及び民間機に、 この燃料を応用する基
礎的な開発さえも行なってこなかったのは、 い
かにもバランスを欠いている。
創造力のある国が、 世界をリードしていく機
会は今である。
LH2のエネルギー密度は他の如何なる方法を
もってしても不可能な性能の達成を可能とし、
飛行高度、 航続時間、 速度を増加することによ
り、 他の方法では実行できない多くの任務の企
画ができるので、 この種の飛行機こそ水素開発
の促進剤になり得るものと思われる。
終りに、 水素は如何なるエネルギー源からも
普遍的に生産することができ、 環境にほとんど
影響を与えない唯一の燃料なので、 化石エネル
ギー資源のない国または大量の化石エネルギー
資源を使えない国に、 エネルギーを配分する最
も普遍的にして便利な手段となろう。 石炭に強
く依存してきた国には、 とりわけ水素の利用は
重要となると考えられる。 化石エネルギーをめ
ぐる国際政治の影響を受けないためには、 太陽、
風、 原子力、 波、 水力などに依存せざるを得な
い国々が、 水素の利用に関する主要な研究開発
で利益を得るのは確実である。 直ちに開発に着
手しても、 早すぎるということは決してない。
残された地下資源の上で惰眠をむさぼること
がない国が、 栄光の21世紀へ世界をリードする
絶好の機会を持つ、 と私には思える。
REFERENCES
1. Energy Alternatives, Canadian Government
Publishing Centre, Supply and Services Canada,
Ottawa, Canada KlAOS9.
2. AIAA Publication, Astronautics and Aeronautics, December 1981, Page 91, "Progress on
Alternate Energy Resources" edited by Harold
T. Couch, United Technologies Research Center
based on contributions from the AIAA Terrestrial Energy Systems Technical Committee.
3. International Journals of Hydrogen Energy,
Pergamon Press, Oxford, New York, Frankfurt.
4. G. D. Brewer, R. E. Morris, R. H. Lange and
J. W. Moore, "Study of the Application of Hy-
図14
Liquid Hydrogen High Altitude Sentinel Airplane
drogen Fuel to Long-Range Subsonic Transport
Aircraft,"
NASA
CR-132559,
Lockheed-
2008 MAR
23
California
Company
and
Lockheed-Georgia
Company, January 1975.
5. Robert D. Witcofski, "Comparison of Alternate Fuels for Aircraft," NASA TM 80155, September, 1979.
6. General Scientific Company, Proposal to
DOE: Proprietary.
7. Hydrogen in Air Transportation Ad Hoc Executive Group: An International Research and
Development Program for LH2-Fueled Aircraft,
April, 1980.
8. G. D. Brewer, G. Wittlin, E. F. Versaw, R.
Parmley, R. Cima, and E. G. Walther, "Assessment of Crash Fire Hazard of LH2 -Fueled Aircraft," NASA CR 165525, Lockheed-California
Co., December 1981.
9. Eli Reshotko, "Drag Reduction by Cooling in
Hydrogen Fueled Aircraft," a paper presented at
the 11th ICAS Congress, Lisbon, Portugal, September 1978.
Dr. Willis M. Hawkins の略歴
・1913年12月1日ミシガン州に生まれる。
・1937年ミシガン大学航空工学学士号取得、 ロッ
キード社入社
・コンステレーション、 F-80シューティング・
スター、 XF-90、 F-94スター・ファイヤー、
F-104スター・ファイター等の、 歴史的なロッ
キード航空機の設計に貢献。
・1951年、 後に C-130ハーキュリーズとなるロッ
キード・モデル82を提案、 反対もあったが最
終的には採用され、 1954年初飛行。 以後改修
を重ね50年以上生産されている。
・ロッキード・ミサイル/宇宙カンパニーを設
立し社長となった。
・1960年ロッキードの取締役に選任された。
・1961年、 US Navy の Distinguished Public
24
2008 MAR
Service Award 受賞
・1962年から65年にかけて、 米陸軍の研究開発
の副長官を務め、 M1 エイブラムズ主力戦車
の開発で成果を挙げた。
・1966年に、 National Academy of Engineering のメンバーとなる。
・1979年 FAI の Paul Tissandier Diploma を
受賞。
・1980年にロッキード社を退職したが、 ロッキー
ド社の会長ロイ・アンダーソンから呼び戻さ
れ、 ロッキード・カリフォルニアの運営を任
された。
・1986年最終的に退職
・1982年 NAA (National Aeronautic Association) の Wright Brothers Memorial
Trophy を授与される。
・1988年 National Medal of Science 受賞。
・The George Marshall Institute の理事に就
任。
・2004年 C-130初飛行50周年記念式典に参加。
・2004年10月4日ご逝去、 享年92歳。
・2004年 NMA (National Management Association) Hall of Fame 殿堂入り。
………………………………………………………
*水素航空機研究開発の現況については、 最新
情報を入手出来次第、 誌上で紹介予定です。
この記事の再掲載の許可は、 Lockheed 社
Washington Office の Mr. Stephen Callaghan
氏の御尽力で下記ルートにより入手しました。
岩瀬⇔Lockheed Martin (Washington
Office⇔California, Palmdale Office)
誌面を借りて厚く御礼申し上げます。
◎寄
稿
モンゴルの航空事情
元イズニス航空チーフパイロット兼インストラクター
草原の国モンゴルについては、 遊牧生活に適
した住居であるゲル (天幕小屋)、 あるいはわ
が国の国技である相撲の世界に多数の力士を輩
出している国であること以外、 これまであまり
多くは知られていなかったと思う。
しかし、 一昨年 (2006年)、 チンギスハーンの
生誕840周年、 又モンゴル建国800周年を迎えて
以来、 今年夏には我が国皇太子殿下が訪蒙され、
モンゴル国の古都であるハラホリン (カラコル
ム) を訪れる等により、 日本国民もこの国への
関心を徐々に高めつつあると思われるが、 まだ
「近くて遠い国」 の感があることも否めない。
昨年、 同国に民間資本による国内線航空会社
を新規に起こす計画が持ち上がり、 私にも参画
の勧めがあり、 これまでの経験が些かでもモン
ゴル国民に貢献できればとの思いに加え、 モン
ゴル航空界に対する興味もあり、 当該計画に参
画することにした。
カザフ族の民族衣装を着た筆者
山本
輝雄
一昨年 (2006年) は、 8月中旬から12月初旬
までの約3.5ヶ月間、 昨年 (2007年) は、 5月、
7月の各1ヶ月間、 総じて半年程の滞在期間で
はあったが、 この国の航空機運航に係わる気象
特性については概ね経験出来たものと考えてい
る。 そこで、 発展途上にある中央アジアに位置
する国の航空事情については、 あまり知られて
いないと思われるので、 その概要についてお伝
えすることにする。
モンゴルの基礎情報
1. 国家体制
1911年12月28日、 モンゴル人民は200年以上
にわたる中国清朝の支配から独立を宣言し、 全
権君主制国家を樹立した。 しかし、 中国と帝政
ロシアは密約を結び、 1915年5月のキャフタ会
議においてモンゴルを中国宗主権下の自治国と
宣言した。
1919年、 中国軍はモンゴルの自治を撤廃しモ
ンゴルを占拠した。
1921年3月には、 封建主義と植民地主義に対
する革命運動の高まりをうけ、 モンゴル臨時人
民政府と人民軍が創設されるに至った。
スフバートル将軍の率いるモンゴル革命軍は、
臨時政府の要請を受け到着したソビエト赤軍と
合流し、 モンゴルを占拠していた中国軍とロシ
ア白軍を一掃し、 1921年7月11日、 人民政府の
樹立を宣言した。 その後のモンゴルは、 旧ソ連
の指導のもとで社会主義国家として歩むことに
なるが、 1980年代末の旧ソ連崩壊に始まる東欧
の社会主義の変革の波を受け、 モンゴルも資本
主義に転換し、 1992年1月13日、 民主化された
モンゴル国憲法が制定され、 議会政治による共
2008 MAR
25
和国となった。
2. 国土
面積:156万6,500平方 km (日本の約4倍)、
東 西 最 大 距 離 : 2,392km 、 南 北 最 大 距 離 :
1,259km、 位置:北緯47度55分 東経106度46
分 (首都ウランバートル)、 北海道稚内市がほ
ぼ同緯度である。
3. 気候
標高が高く (平均標高1,580m)、 海から遠く
離れた位置にあり、 年間の平均降水量が250mm
(日本の約10分の1、 その70%が夏期) と極端
に少ない為、 空気は非常に乾燥している。
気温については、 冬、 氷点下60℃を記録する
一方、 夏の暑さは、 時には45℃まで達する。
4. 人口、 言語、 宗教
a. 人口約270万人、 このうち約100万人超が首
都ウランバートル周辺に居住する。
b. 言語はモンゴル語
c. 宗教はチベット仏教、 イスラム教 (民主化
以降復活)
モンゴル人民共和国
民間航空史
1925年友好の印として、 旧ソ連から贈られた
ドイツ製ユンカース13型機 (貨物機) が同国に
着陸したことを、 モンゴルでは航空の始まりと
している。
しかし、 その後1946年、 日本製飛行機7機
26
2008 MAR
(機種不明)、 ソビエト製複葉機1機 (Po-2)、
で国内輸送が開始され、 実際に民間航空が幕開
けした。
1956年、 旧ソ連より提供をうけたアントノフ
2型機 (単発機) 5機により定期運航が開始さ
れ、 1958年には同型機種を14機まで増機、 新た
にイリューシン14型機が7機加わり、 旅客、 貨
物、 郵便の輸送を行うことで、 名実ともに 「航
空の時代」 を迎えることになった。
1987年、 モンゴル国営航空 (MIAT) が国内
線運航に加え、 モスクワ、 イルクーツク、 北京
への国際線運航を開始した。
1993年の時点での同社の規模は、 アントノフ
24型機 (12)、 アントノフ26型機 (3)、 中国機
Yu-12型機 (5)、 アントノフ2型機 (45)、 ア
ントノフ30型機 (1)、 B727型機 (1) の総機
数68機を数えるまで成長した。
しかし、 旧ソ連の崩壊により機体のサポート
体制が立ち行かない状況に陥り、 又老朽化に対
する適切な対策をとることができず、 廃棄処分
にせざるを得なくなったことで、 機数を大幅に
減らす結果となった。
現在、 定期航空 (国際、 国内) に使用する機
材として、 唯一の国営航空会社であるモンゴル
航 空 (MIAT) の 機 種 構 成 が 3 機 種 、 3 機
(A310型×1、 B737型×1、 アントノフ26型×
1) であること、 加えて民間航空会社2社が3
機種、 7機 (フォッカー100型×2、 フォッカー
50型×2、 サーブ340型×3) 総数10機を保有
するのみである。
この他にチャーター用機材としてセスナ208
型×1、 ミル8型 (ヘリコプター) ×5を運航
しているが、 広い国土の活性化及び地方に居住
する国民の利便性を向上するためには、 航空機
の増機及び機種の更新を含め、 早急に航空の基
盤を整備、 改善する必要があるのではないかと
思う。
空港
国内に設置した空港総数は31空港であるが、
このうち滑走路が舗装されたものが6空港で、
ミル8 (ジェットヘリ)
未舗装滑走路
残りの25空港は全て未舗装滑走路である。 また、
夜間照明施設については7空港のみに整備され
ている。
チンギスハーン首都空港 (ウランバートル)
であっても、 空港が設置されている場所に近接
する障害物 (山岳) の為、 種々の運航制限があ
る。 一方向 (北側) のみへの離陸、 及び一方向
(北側) のみからの進入着陸に制限されている
ため、 風が強くなってきた場合には着陸はでき
ても離陸はできない、 或いはその逆も当然起り
うる。 更に ILS 進入方式の DA (決心高度) が
異常に高く設定せざるを得ない状況である等、
空港の運用面では国際標準から大きく下回って
いる。
滑走路の勾配についても、 この空港の特徴で
あり、 両滑走路端で6mの差 (2.1%) があり、
離陸する時は下り坂を駆け下りる感じがして、
離陸中止を考えた場合、 あまり良い気持はしな
い。 いずれにしても、 一国の表玄関である国際
空港としては欠陥空港といわざるを得ないだろ
う。
地方空港については、 特に地下資源開発 (金、
モリブデン、 銅、 石炭等) の目的で鉱山関係者
の利便の為に設けられた空港があり、 その内の2
空港は標高が高く且つ滑走路が短く (1800m×
50m) 設置されたものがあった。 滑走路 (2100
m×50m) は舗装整備されているものの、 一つ
はモンゴル国内の空港では一番標高が高い
(1,865m) 位置にあった。 これらの空港では、
空気密度が小さくなる影響を受け、 必要滑走路
長が長くなり、 夏季の高温時には一部運航制限
(重量制限) を受ける場合もある。 これら2空
港を除けば、 一般的には滑走路の長さは十分で
あるが、 前述のとおり、 未舗装、 夜間照明がな
い空港が大部分であることは、 空港としての役
割が十分発揮できる状況にあるとはいえない。
航法援助施設
航法援助施設の整備状況は、 世界標準を大き
く下回っており、 我が国とは比較しようがない
状況である。 VOR、 DME、 ILS については、
首都チンギスハーン空港に、 各1局設置されて
いるのみであり、 その他国内には設置されてい
ない。 又その性能に関しては、 飛行検査による
精度の確認をしている気配は全くなく、 周辺の
地形の影響があるにしても、 ILS 施設の G/S に
関しては、 とても自動操縦装置を使用した進入
ができる性能、 精度を有しているとはいえない。
ILS 進入方式自体も大変特殊であることは前
述したが、 周辺の地形 (山岳) の影響を受ける
ことが、 この理由であるが、 DA (決心高度)
が対地528ft に設定されており、 設定基準上で
は精密進入方式で適用する DA の範囲から大
きく逸脱した形となっている。
NDB は国内全ての空港に設置されているが、
その大多数は老朽化のため休止状態となってい
る。 このため、 機体へ FMS (GPS) を装備す
ることが不可欠な条件となり、 NDB が使用で
2008 MAR
27
きない空港へは、 目的空港上空まで FMS で飛
行し、 当該空港上空で有視界方式に切り替え、
MSA (最低扇形別高度)、 当該空港の計器進入
方式を参考にしながら進入着陸を行っている。
航空管制用レーダーについては、 航空路用、
ターミナル用共に国内には設置されていない。
管制方式
日本の面積の約4倍の広大な国土をもつモン
ゴルではあるが、 航空路管制では3分割された
管制部が、 パイロットの位置通報に基づくノン
レーダー管制方式を行っている。 まだ交通量が
少ないため、 現行方式でも何とか対応ができる
状況にあると思われるが、 来年 (2008年) の北
京オリンピックにかけて、 上空通過する航空機
は確実に増加することでもあり、 早晩、 現行方
式では対応できなくなることが考えられる。
航空路管制の管轄空域は、 6,000m以上を、
進入管制と飛行場管制は、 6,000m未満を受け
持つよう区分されており、 従って航空路を計器
飛行方式で飛行する場合、 6,000m以上の巡航
高度を選定しなければならない。
進入管制は、 前述したとおり、 ターミナルレー
ダーが設置されていないため、 首都チンギスハー
ン空港でもノンレーダー管制方式で対応してい
る。 従って極めて非効率であり、 交通量が増え
る時間帯には進入、 出発を待たされることがし
ばしば発生し、 且つ相手機の位置情報も不十分
であることから安全上も問題である。 首都空港
航空路管制室 (3管制室が同室)
28
2008 MAR
だけでも早急にレーダーを設置することが望ま
れる。
高度に関する管制指示は全てメートルで出さ
れるため、 メートル表示ができない高度計の場
合、 直ちに換算表によりフィートに換算し、 対
応しなければならない。 少々面倒だが、 当初心
配していたほどミスを起こすことはなかった。
風速については、 MPS (メーター/秒) で
通報されるため、 運航規定で設定された制限値
がノットで表現されていることから、 最終進入、
着陸段階で制限値ギリギリの場合には、 換算を
伴うため戸惑うこともあったが、 日常生活では
天気予報等、 MPS の単位を使っており、 特に
違和感を持つことはなかった。
管制用語は、 英語とモンゴル語を使用してい
るが、 通常モンゴル人パイロットにはモンゴル
語、 外国人パイロットには英語を使用している
ようである。 このため、 モンゴル語機、 英語機
が混在した場合、 相手機の行動を十分把握でき
ない状況もあり、 交通量が増えた場合には安全
上に問題がでることが予想される。
管制官の英語能力については、 航空路管制、
首都チンギスハーン空港の管制に関する限り、
特に何の違和感もなかったが、 地方空港では、
全く英語を話すことができない管制官が配置さ
れている空港もあり、 やや英語能力が低い管制
官もいるようである。
操縦士の資格要件、 試験制度
操縦士の資格要件については、 モンゴル航空
局においても基本的な部分では、 ICAO 基準に
準じた運用をしており、 機長には定期運送用操
縦士、 副操縦士には事業用操縦士 (計器飛行証
明を含む) が必要である。 しかし、 機種限定資
格については、 副操縦士の場合、 ICAO 加盟国
であっても、 国により異なった運用をしている
のが実態である。
モンゴルでは、 機長、 副操縦士の双方に機種
限定資格が要求される点では、 我が国と同様で
あるが、 その資格付与の方法が、 その他の
ICAO 加盟国とは異なっている。 ICAO 加盟国
では、 通常機種移行訓練が終了した時点で実地
試験により、 当該機種の知識、 能力を有してい
ることの評価を受けるが、 この国では、 当該訓
練終了後、 各人の飛行経験に応じて設定された
シラバスに基づく訓練 (路線飛行訓練数―最少
数20レグ) が終了した後、 路線飛行 (口頭試験
を含む) で航空局試験官から評価を受けること
になる。 受験に当っては、 機長は左席、 副操縦
士は右席で、 PF 業務を実施し、 副操縦士に対
する右席での PNF 業務は省略、 及び機長に対
する機長認定審査は機種限定変更試験と同時に
実施しているものと考えられる。
一方、 外国人の技能証明書の取り扱いについ
ては、 モンゴル国内で飛行する場合に限り、 事
前に提出した書類①技能証明書 (機種限定資格
を含む) ②航空経歴書 (飛行時間を記載した記
録及び業務内容) ③航空身体検査証明書 (1種)
④無線通信士免許 (航空級) の審査に合格した
場合、 3ヶ月有効の 「テンポラリーライセンス」
が発行される。 但し長期間の業務 (1年を目処)
の場合には、 航空規則に関する筆記試験を求め
られるようである。
飛行訓練
訓練機はSAAB340B型 (単葉、 1870馬力×
2基ターボプロップ、 乗員乗客2+35名) であ
る。 訓練生の訓練投入直前の機種については、
機長 (5)、 副操縦士 (9) の総数14名の内、
1名 (副操縦士) がフォッカー50型 (オランダ
製双発ターボプロップ、 乗客50名) で、 その他
はロシア製のアントノフ26型 (双発ターボプロッ
プ、 乗客40名)、 アントノフ2型 (単発複葉機)、
ミル8型 (双発ジェット・ヘリコプター) から
であった。
全乗員の内、 訓練投入直前まで乗務していた
者は、 機長 (2)、 副操縦士 (2) のみで、 そ
の他の乗員は機長で3年から5年、 副操縦士に
至っては5年から8年の乗務ブランクのある乗
員経験者であった。
路線訓練投入に先立ち、 離着陸を7回以上実
施し所定のレベルに到達したことを確認するこ
とが運航規定で決まっている為、 まず離着陸の
訓練を実施することになるが、 シミュレーター
訓練を終了しているとは言え、 5年から8年も
乗務ブランクのある副操縦士の離着陸訓練は並
大抵ではない。 訓練初期段階の最終進入では、
私も操縦ホイールから手を離す余裕などなく、
全く飛行経験のない訓練生を、 初単独に出すま
で仕上げる教官のご苦労が少し解ったような気
がした。
この他、 訓練生の技量面の特徴として、 これ
まで長年乗務してきたロシア製機体の乗員編成
(機長、 副操縦士、 航空士) の影響か、 殆どの
乗員は、 航法に関する限り、 「他人まかせ」 の
傾向がある。 機長は操縦のみに専念し、 その他
は全て副操縦士まかせ、 機長の判断で、 その場
に必要な局を選ぶような運航をしていたとは到
底考えられない。 訓練の都度、 教官からこれま
での慣れ親しんだコックピット文化を強く否定
されたものだから、 相当困惑したものと思う。
指導する場合の言葉は英語を使用する。 しか
し、 機長5名全員、 英会話は殆ど出来ない。 幸
いなことに、 副操縦士は2名を除き、 日常会話
が出来るレベルであるとのこと、 ジャンプシー
トへ通訳に代わり副操縦士 (訓練生) を座らせ、
何とか最低限の指導をすることが出来た。
私も決して英会話は得意ではなく、 細かい部
分の説明等、 もどかしい場面も多々あったが、
相手もパイロットであり、 機種は違っても基本
的な知識は持っており、 且つ訓練に意欲的に取
り組んでもらえたことで目的は達成できたもの
SAAB340B をバックにした山本氏
2008 MAR
29
チンギスハーン空港管制塔
上空から見たチンギスハーン空港
と思っている。
たような気がしている。
馬の贈り物
結び
ある時、 訓練中の機長が副操縦士を伴い、 筆
者の前に来て、 身振り、 手振りで話しはじめた。
前述したとおり機長は全員、 英会話は不得手な
ので、 何を言っているのかさっぱり解らない。
副操縦士の通訳によると、 驚いたことに、 子馬
を一頭プレゼントしてくれると言っているそう
である。 後で聞いたことだが、 この国ではお世
話になった人に馬をプレゼントすることは、 そ
んなに特別なことではないらしい。 とはいえ、
日本に連れて帰るには検疫等やっかいな手続き
もあることだし、 第一、 日本で面倒を見ること
などとても自信はない。
丁重にお断りをしたところ、 件の機長、 とて
も引きさがらない。 結局、 これまでどおり現在
の牧場で面倒を見てもらい、 暇な時に見に行く
ことで、 折り合いがついた。 しかし、 この時点
では知らなかったが、 牧場がウランバートルか
ら300km 付近の場所であり、 自家用車で5、
6時間はかかる距離とのことである。 こちらの
人々には大した距離ではないらしいが、 便利な
日本でしか生活をしたことのない筆者にとって
は、 「旅行する」 道程である。 滞在中、 この子
馬にはついぞ会うことはなかった。
今年8月、 帰国に当たっては丁重にお礼を申
し上げ、 子馬をお返ししたことはいうまでもな
いが、 本件は今もって夢の中での出来事であっ
この国の現状については前述したとおり、 民
主化されてまだ15年が経過したばかり、 経済的
には自立過程の半ばにあり、 自由主義経済を享
受できるまでには程遠い。 航空界にあっても、
国際標準から遅れている分野も多々あり、 当面、
先進国の経済、 及び技術支援に頼らざるを得な
い状況であるが、 国内民間航空の中にも、 最近、
発展的な 「動き」 が出ていることも事実であり、
今後この国の航空界が発展をしていくことを切
に望みたい。
私事になるが、 この度、 モンゴル建国800周
年を記念した中で、 この国の航空界に貢献した
として功労賞受賞の栄誉を得ることとなった。
この支援業務を通じて筆者がモンゴル国民のお
役に立ったとの評価を頂けたことは光栄である。
30
2008 MAR
上空から見たチンギスハーン空港
航空機運航
と
1
地球環境問題座談会
主催:運航技術委員会地球環境問題分科会 2007年12月4日開催 JAPA会議室
岩瀬:きょうはお忙しい中、 わざわざ地球環境
問題座談会にご出席下さ
いましてありがとうござ
います。 私は、 司会を担
当します、 JAL Captain
OB の岩瀬です。 実はこ
の座談会は、 2006年の3
月下旬にやろうと企画し
ていたのですが、 私が急性心筋梗塞で倒れて
中断していました。 皆さまに、 ご迷惑をおか
けしましたが、 なんとか体力を回復しました
ので再開した次第です。
この座談会の内容は、 私どもの PILOT 誌
に何回かに分けて掲載しようと考えています。
航空機を運航するわれわれパイロットに役立
つ情報を発信できればと考えています。
最初に、 簡単に一人1分くらいで自己紹介を
お願いします。
自己紹介
岩瀬:まず私から。 DC-10でエアラインを卒業
しました。 特殊な経歴を持っておりまして、
航空自衛隊のテスト・パイロット・コースを
卒業したことで、 世界中の著名なテスト・パ
イロットや、 宇宙飛行士とも知り合いになれ
ました。 この協会では、 副会長、 監事等の役
職も歴任し、 現在は顧問を委嘱されておりま
す。 中島さんが委員長の運航技術委員会の下
に、 地球環境問題の分科会が設置されており、
そのリーダーということで、 今日は進行係を
務めますので、 よろしくお願いします。 それ
●文責 大塚
では山本さんから。
山本:JAXA (宇宙航空研究開発機構) の山本
と申します。 JAXA で
は航空プログラムグルー
プ、 国産旅客機チームで、
空気力学を専門にしてお
りまして、 実は今日の会
は非常に荷が重いところ
がある (笑) と感じてい
ます。 一応、 自分の知っている範囲のところ
をかき集めて、 お話しようと考えています。
少し前のものですが、 資料をいくつか用意し
てきました。 また、 三菱重工の開発している
MRJ という機体に対して、 研究開発側から
サポートしていることも紹介する予定です。
中村:私は航空局管制保安部管制課、 空域調整
整備室で飛行方式設定基
準担当の調査官をしてお
ります、 中村でございま
す。 管制官の採用という
ことで、 空港、 ACC、
ATM センター、 それか
ら東京航空局で自衛隊の
管制官の試験官等もやっておりました。 今現
在の仕事で一番メインになっているのは
RNAV 経路ですね。 全国展開ということで、
パイロットの皆さんも RNAV 経路は便利だ
な、 と感じておられると思います。 国際的に
は ICAO の飛行方式設定パネルに日本のメ
ンバーとして参加したりしています。 よろし
くお願いします。
敬久
2008 MAR
31
北村:日本航空で777に
乗務しております、 北村
と申します。 私も岩瀬さ
ん の も と で DC-10 を 飛
んだことがございまして、
747-400そして777を12年
少し飛んでいます。 9月
一杯で退職しましたが、 また再雇用され、 い
まはヨーロッパを中心に乗務しています。
堂園:エアーニッポンの堂園と申します。 航空
大学出身で、 旅客機とし
て は 最 初 が YS-11 で し
た。 その後737-200/500/
700の資格を取り、 今は
-700に乗務しています。
現在は運航基準部の技術
課にいまして、 新造機の
領収をやっております。 よろしくお願いしま
す。
中島:中島と申します。 日本航空で747-400を
飛んでおります。 機材は、
DC-8 から始まって、 在
来ジャンボ、 そして90年
から-400でかれこれ17年
です。 2006年度から操縦
士協会常務理事として、
2年目に入りました。 担
務は ATS 委員会と運航技術委員会です。 中
村さんには、 航空管制定期連絡会議でいつも
お世話になっております。 よろしくお願いし
ます。
増田:全日空の増田と申します。 747-400に乗
務しております。 私も航
大を出て全日空に入り、
727のフライト・エンジ
ニアをちょっとだけやり
ました。 YS-11を4年く
らい飛び、 それから、 一
気にジャンボに移行し長
32
2008 MAR
く乗っておりました。 一時期、 NCA に移籍
して、 トータル5年半くらいおり、 戻りまし
て、 今は747-400に乗務しています。 所属と
しては所謂、 査察室と訓練所が一つになった
運航訓練室に所属しています。 よろしくお願
いします。
大塚:日本航空の大塚と申します。 747-400の
機長です。 中島さんと運
航技術委員会で、
RNAV のことを少し勉
強させていただきました。
会社では2008年3月5日
から始まる、 パイロット
の英語の免許の仕事をやっ
ています。 よろしくお願いします。
岩瀬:ということで、 今日の座談会メンバーの
簡単な経歴、 お判かりいただけたと思います。
最初に、 JAXA の山本さん、 そのあと、 航
空局の中村さんから、 現在の研究開発の状況、
あるいは将来の姿等を含めてご紹介いただい
た後、 座談会に入ることにします。
環境に優しい航空機の開発の動向
山本:航空プログラムグループで進行中の、 環
境適応型高性能小型航空機研究開発の概略と、
最新技術の一部を紹介します。
【以下は発表の要旨のみ】
1. 欧米の Symposium などでは 「2020年まで
に CO2 と騒音に関しては2000年を基準と
して50%削減」 という目標を打ち出してい
るところもある。 現在の技術レベルでは削
減目標の達成は難しく、 何らかの Breakthrough が必要と考えられる。
2. 環境適合性のための航空機設計技術動向:
① 燃費向上 (CO2削減、 経済性) の基本的
な手法;
・機体の抵抗低減 (風洞、 CFD、 PSP)
*PSP:Pressure Sensing Paint
感圧塗料
・軽量化 (低コスト複合材構造・製造技術)
・エンジン (熱効率向上、 高バイパス比に
よる推進効率アップ)
② 低騒音化の基本的な手法;
エンジン騒音はジェット騒音とファン騒
音が主な騒音源
・ジェット騒音の低減→バイパス比の向上
→ジェット速度の低減
・離陸時のファン騒音 (バズソー音) 低減
→ファンチップ衝撃波の低減設計
・着陸時のファン騒音 (干渉騒音) 低減→
静翼の最適な配置と形状
・吸音ライナーなどによる騒音低減
エンジン騒音の低減により機体騒音 (脚、
高揚力装置等) が顕在化している。 今後
は低騒音化に配慮した機体設計が必要に
なっている。
③ トレードオフ;
・燃費向上のためにエンジンを高温化する
と NOx の排出量が増加
・エンジンバイパス比の大幅な増加で騒音
は単調に下がるが、 燃費は熱効率が低下
いずれも新技術が必要→低 NOx 燃焼器、
Geared Turbofan Engine (MRJ で採
用) など
④ 低騒音化要求の高まり;
規制強化と環境への関心の高まりから大
幅な低騒音化要求が高まっているが、 従
来の技術の延長線では限界に達しつつあ
る。
⑤ 欧米での低騒音化への取り組み;
欧州では2020年までの目標を掲げてプロ
ジェクトが進行中。 Boeing では ANA
さんの機体を利用した新技術の実証試験
(Quiet Technology Demonstrator) を
実施。
⑥ 将来の低騒音エンジンや旅客機のイメー
ジ;
エ ン ジ ン の 上 方 配 置 や Blended Wing
Body など、 従来とは大きく形態の異な
る機体になるかもしれない。
⑦ JAXA の機体騒音に関する研究活動;
MRJ の技術開発に協力する形で、 CFD
(Computational Fluid Dynamics 、 数
値流体力学) や騒音源計測技術を積極活
用し、 高揚力装置、 脚などから発生する
Noise について解析。 空力を少し妥協し
ても Noise を抑えるための設計という
ことも研究している。
岩瀬:質問があるかもしれませんが、 時間のこ
ともありますので、 中村さんから管制関連の
お話をお願いします。
RNAV/横田空域/GBAS/
RNP AR/その他
中村:【以下は発表の要旨のみ】
1. RNAV について
2.
3.
4.
5.
平成23年度までには概ね GPS、 RNAV 対
応の航空機に切り替わる。
任 意 の Waypoint を 選 べ る RNAV は 、
CO2削減、 Noise の低減に効果がある。
横田の空域について
米軍の再編に伴って、 横田の空域の削減と
いう悲願が達成された。 2008年の秋を目途
に運用される見込み。
GBAS CAT-について
空 港 の 任 意 の 地 点 に GBAS (Ground
Based Augmentation System) を設置し
て、 CAT- と同等の Approach を設定で
きる。 ILS 施設が不要、 ということで費用
対効果がよい。 就航率改善の他、 Touchdown Point を Cockpit で調節でき等のメ
リットがある。
将来の RNP AR について
RNP (Required Navigation Performance) のうち、 AR (Authorization Required) の進入。 (CAT- 、 のような
特別承認が必要) JFK、 IAD などで導入
済み。
GBAS、 RNP AR などによって、 ダイバー
トが減り、 就航率の向上が期待できる→→
CO2の削減
特に RNP AR は RF Turn を使用して理
2008 MAR
33
想的な経路設定が可能となるため、 周回進
入しか設定できないような Runway にも
計器進入を設定できる可能性が大。 →→
Noise の低減、 就航率の改善。
6. 国際 ATM 業務の実現
日本と隣接する空域間でデータのやりとり
をして、 離陸から着陸までを Control。
国内では分単位ではなく、 秒単位で FIX
通過時間を Control することによって、
パイロット、 ATC 双方にとっての理想的
運航環境を整備する。
7. 4D RNAV、 4次元管制について
将来的な航空機運航のゴールであると考え
られるが、 高度な ATM 環境の整備と、
航空機システムの高度化のために、 実現に
は時間がかかる。
岩瀬:ありがとうございました。 だんだん、 パ
イロットのやることが無くなりますね。 休憩
に入る前にもう一つご紹介しておきます。 既
にご存知かとも思いますが、 2007年8月30日
に、 財団法人 空港環境整備協会が国際航空
からの CO2 排出抑制に関するセミナーを開
催しています。 担当の方から当日配布される
資料を一式入手し、 協会の地球環境のファイ
ルに保存しています。 興味のある方はご覧く
ださい。
それでは、 10分間休憩をとり再開します。
Flight Preparation Phase
―たかが100lbs、されど100lbs―
岩瀬:いよいよ本番です。 フライトの流れに従っ
て、 準備段階からどんなことに注意している
か、 将来こうあるべき、 というふうなご意見
をいただければと思います。 こちらから指名
します。 北村さん、 どうぞ。
北村:色々とありますが、 今回座談会に出席す
るということで多少なりとも勉強しなければ
いけないと思い、 アル・ゴアさんの 「不都合
な真実」 と山本良一さんの 「温暖化地獄」 と
いう本を読んでみました。
34
2008 MAR
我々は、 ひょっとして温暖化はそれほど大
した段階になっていないと、 思っているかも
しれませが、 実は、 この本の中で、 非常にイ
ンパクトのあることが書いてありました。
* 「不都合な真実」 から;
最初に 「不都合な真実」 の中に、 将来の子
供たちと話す機会があったときに、 ひょっと
して、 彼らはこう尋ねるのではないか。 「あ
なたたちは何を考えていたの?私たちの将来
のことを心配してくれなかったの?自分たち
のことしか考えていなかったから、 地球環境
の破壊を止められなかったの?止めようとし
なかったの?」 そして、 私たちの答は、 どの
ようなものになるのだろう、 と書いています。
地球の未来に対する現在の大人たちへの警鐘
ではないでしょうか。
* 「温暖化地獄」 から;
「温暖化地獄」 の本の中にも、 非常にイン
パクトのある言葉があります。 「自然科学の
法則は自己完結する」 というものです。 人間
がどういうふうになって欲しいと願おうと願
うまいと、 自然科学の法則に従った結果にし
かならないといっています。 つまり、 人類は
自然法則に逆らえば滅亡し、 それにうまく乗
ることが出来れば、 繁栄も可能だということ
のようです。 このことを理解しなければと思
います。
*No Return Point?
温暖化の事実はたくさんあるのに、 まだま
だ、 なんとかなると思っている人が大部分な
のでしょうが、 やはり、 こういう事実をしっ
かり踏まえた上で、 今、 自分たちが何をしな
ければいけないのか、 ということではないで
し ょ う か 。 こ の 本 で は 、 既 に No Return
Point を過ぎているかもしれないと言ってい
るわけです。
*パイロットの扱うエネルギーの大き;
特に、 エネルギーの大きさで考えると、 家
で子供に 「部屋出るときには電気を消しなさ
い」 というレベルじゃなくて、 私たちの
Thrust Lever のちょっとした操作でも、 そ
の何百倍、 何千倍ものエネルギーをコントロー
ルしている、 という自覚を基に仕事をしてい
くべきではないでしょうか。
細かい対策をいくら言っても、 実行し効果
が出てこないのでは何にもなりません。
*数値予報精度の向上;
フライトの準備段階が重要だということは
論を待ちません。 2007年11月21日から、 全地
球の、 プロファイル・スペクトラム・モデル
がこれまでのリージョナル・スペクトラム・
モデルと同じメッシュになりました。 それだ
け、 コンピューターの性能が上がってきて、
より正確な数値予報ができるようになってい
ます。
それを今までにも増して活用する方法、 つ
まり、 Dispatch の段階で、 これだけメッシュ
が細かくなった数値予報を利用した、 高度・
ルート・Alternate 空港の選定とかに活用す
る方法を、 もうすこし考えるべきでしょうね。
乱気流に関しては、 必ずしも満足するレベル
ではないと思いますけれども。
*気象情報を有効活用できるパイロットに;
それに気象庁が提供してくれる、 各種気象
情報は、 10年前、 20年前に比べたら格段に進
歩しているのに、 なかなかパイロット自身が、
新しい資料を活用する方法をまだ身につけて
いないと思います。 等圧面天気図を見たって、
たいしたことは判らないのに、 みんな好きな
んですよね。 (笑い)
岩瀬:基本的な、 そういう知識を持たせる努力
を、 会社として、 あるいは航空界としてやっ
てないというのが現実なのでしょうね。
堂園:企業のパイロットに対してという部分で
いうと、 例えば、 環境が大事だ、 CO2削減が
大事だという言葉のほうが、 より積極的に自
分の問題として捉えられるのに、 経営の立場
からは、 経費削減のために、 消費燃料を減ら
すことが地球環境に役立つという、 逆の発想
で提示されているように感じます。
*ギリギリの燃料で計画;
そこで、 飛行計画の段階では、 燃料消費を
少なくすることが大きな目標になります。 パ
イロットにできることは、 高度の選定という
ことになります。
昔に比べると、 最近は搭載燃料量が減って
います。 コストということからも当然ですが、
ギリギリの燃料で計画してあれば、 飛行中無
駄な燃料を使わないということは徹底すると
思います。 そうなってくると、 今度は逆に天
候が悪くなれば、 ダイバートということで、
余計な燃料を使ってしまう場合も発生します。
また、 明らかに目的地の到着予定時間の中
で着陸できない場合には、 出発を遅らせると
いう選択もします。
中島:Dispatch 段階で、 Extra Fuel に関して
はある程度 Buffer がありまして、 その時の
Captain の判断で、 「こんなに Extra 要らな
い」 ということであれば、 それは同意を得て
減らすこともできます。
Push Back 中に Engine をかけ、 Taxi を
1分短縮しても、 たかだか100lbs という数
値かもしれません。
「たかが100lbs、 されど100lbs」 という標
語がありますが、 そのあたりは地上でも空中
でも相通じるものではないでしょうか。
増田:私も同感です。 会社としても、 色々な部
署で、 経費節減と環境対策目標を掲げていま
すが、 我々乗員として出来る、 一番効果があ
るのは燃料のセーブということで、 大きな目
標にしています。
遅れがあったときに、 それをなんとか Recover したくなるんですが、 会社としては、
Normal Speed が基本方針なので、 燃料消費
の大きい High Speed で Plan しなくてもい
いとなっています。
2008 MAR
35
*一旦積み込んだ Extra Fuel は“いただき”
Briefing 時に Weather が回復してきたと
きには、 Extra の燃料は不要なのに、 一旦積
んだものを降ろせというと、 今度は Delay
につながりますので、 今日はもう間に合わな
いから、 そのまま行こうかということもあり
ます。 その辺小さな積み重ねですけども、 燃
料に関してはなるべく、 積まないように考え
ています。
大塚:4、 5年前に機長訓練を受けたときに、
教官の方と Dispatch とはなんだという話を
した時、 燃料を決める場所だ、 と言ったこと
がありました。 増田さんがお話になったケー
ス、 私もありました。
岩瀬:Dispatcher が準備する Flight Plan に
対して、 パイロットが燃料を減らそうよ、 と
いうケースは少なくなっていませんか。
中島:言いなりに、 悪く言えばもらったものは、
「そのまま、 ありがとうございます」 (笑) の
方が多いのではないでしょうか。
岩瀬:そういう姿勢は、 さきほど北村さんが言
う、 地球環境に関する認識から言えば、 おか
しいですね。 もうこれで無駄のない Plan に
なっているかどうかを Dispatcher もパイロッ
トも常にチェックしなければならないと思い
ます。
*Contingency Fuel ほぼ半減;
岩瀬:Contingency Fuel の定義が変わりまし
たね。 昔は10% Burn Off。 今は5%。 全機
種に適用されます。 長距離飛行ほど多くなる
わけですが、 5%になってから、 何千ポンド
か少なくなっていますよね。
中島:ジャンボ・クラスの Long Range の機
材の場合、 Total Reserve が40,000位だった
のは30,000位になっています。
岩瀬:この10年間に実現したベストの改善です
ね。
どちらにしても、 我々が予備燃料を積む、
という判断をする一つの理由が気象予報の精
度にあったと思います。 さらに精度のよい予
報をして欲しいということを、 Dispatch 段
36
2008 MAR
階で感じませんか。
中島:必ずしも、 もう大丈夫という話じゃない
ですね。 実は、 私1ヶ月くらい前にバンクー
バー早朝着で体験したのは、 Dispatch の段
階で、 Forecast の方は VMC で問題なし。
すぐ近くの Alternate の Seattle も、 やはり
問題なしで成田を出発しましたが、 実際飛ん
でいる最中に霧が出たことがありました。 結
果的には無事着陸できましたが、 たまに、 そ
ういった予報のズレがあるのが実態です。 霧
に関しては、 パーフェクトな予報はまだまだ
ですね。
岩瀬:昔、 特定のパイロットが飛行計画の段階
で、 常に余分な Extra Fuel を積むという例
がありました。 Dispatcher も、 キャプテン
があの人だから、 何万ポンド余分に積んでお
きます、 ということがあったのです。 今はそ
のようなことは起きていないでしょうね。
*予報精度の度合い;
山本:今、 話の出た Dispatch 段階で参考にす
る気象予報は何時間先までのもので、 その精
度は、 実際どの程度なのでしょうか。
岩瀬:時間的には、 出発時間の数時間前に
Flight Plan が作られておりますので、 少な
くとも出発時刻から、 飛行時間分の将来まで
の時間の予報を参考にしてということになり
ます。 そういう予報の精度に関しては、 何パー
セントという数字は持ってないですよね?
増田:ないと思いますねぇ。
*性能劣化を補正して燃料搭載;
山本:まだ実感が沸きません。 その予報で
Flight Plan が作られるときに、 それぞれの
機体固有の性能が反映されているわけですか。
岩瀬:個々の機体の Aging による性能の劣化
が考慮されて、 Flight Plan が作られていま
す。 この機体は何パーセント性能が悪くなっ
ているということが考慮されて、 燃料量が補
正され搭載されています。
*CG Control とその効果;
岩瀬:最近は、 貨物とお客さんの Loading で、
Aft CG Control していますか?昔のオイル
危機のときには、 真剣にやっていたんですけ
どね、 最近はあまりやっていないように感じ
ます。
中島:当時の Aft CG Control はかなり積極的
に Fuel Saving 名目でしたが行われていま
した。 最近はあまり聞かないですね。
岩瀬:現在の形状の飛行機では、 Forward CG
で飛行するほど、 Trim Drag が増えて燃料
消費が若干増えます。 後方 CG になるよう搭
載することを真剣にやるべきなのは、 地上の
搭載セクションであって、 パイロットは CG
の位置を把握してフライトとするべきでしょ
う。
増田:ハッキリとは分かりませんが、 一応搭載
セクションにはそういう教育はされていると
聞いています。
北村:777では、 重心位置が MAC の30%で、
離陸の Stab Set が3.75とかになることが多
いですよ。
岩瀬:機種によって違いますが、 CG が1%後
方になると、 どれくらい Fuel Save になる
かのデータはでています。 0.1%といった、
かなり小さい数字ですけれど。
増田:長距離運航では、 そういうことを結構き
め細かく考えてくれていると思いますが、 国
内線でどの程度やっているかはちょっと分か
りません。
*Utilization を考えた Tankering もある;
岩瀬:一応現在は、 昔と比べれば Dispatch 段
階では、 改善されてきているということでしょ
うか。
堂園:現実には、 企業なので、 燃料コスト
Save を優先させる場合があるようです。 そ
の一つが Tankering がですが、 環境的に考
えれば、 それは必ずしもよくない。
岩瀬:燃料のコストより、 機材の Utilization
を考え、 目的地で Fueling するような時間
も Save し て 、 Minimum Quick Turn
Around さ せ る こ と を Policy と し て い る
Airline が既にあります。 それは Tankering
とおなじ影響を地球環境に与えます。
*GPU から APU への切り替え;
岩瀬:APU と GPU の切り替えは、 今はどう
いう Timing でしょうか。
中島:ずいぶん、 遅らせていますね。 APU を
使うのは、 大体、 Block Out 予定の10分前く
ら い を 目 途 に し て い ま す 。 結 果 的 に Fuel
Save になります。
岩瀬:APU が使う燃料は、 飛行計画上はどの
ように計上されていますか。
中 島 : Taxi Fuel に 含 ま れ て い ま す 。 Taxi
Time15分、 APU 30分で Taxi Fuel として
いるようです。 -400でエアコンとエレキで大
体、 1時間700ポンドくらいですね。
北村:777は550ポンド per hour くらいですね。
-400は軸流の APU だけど、 トリプルは Centrifugal です。 だいぶ進歩しています。
冬、 暖かい日もあるわけですが、 GPU で
暖かくした上に客室の Light をすべて点け
ると、 機内の温度が上がってしまい、 APU
かけて冷やす結果になってしまいます。 つま
り我々は非常に便利な時代になったために、
お金で (APU の燃料で) 快適性をいくらで
も買えるものですから、 簡単に Switch を
On にする習慣が付いています。 自分が金を
払わずに快適性を享受することに慣れてしまっ
ているわけです。 本当は、 少しずつみんなで
不便を我慢しなきゃいけない時代にまた突入
しているのではないでしょうか。 戦争直後に
生まれて、 貧乏な時代に育った私なんかは、
暑かったら、 窓開ければいいと考えてしまう
わけです。 (笑)
岩瀬:非常に稀なパイロットですね。 (笑)
*エコ・オペレーション;
北村:Ceiling の Light を全部点ける必要はな
いですよ。 作業するのに充分な Light さえ
あればよい。 戦争中には 「足りない、 足りな
いは工夫が足りない」 という言葉もあったそ
2008 MAR
37
うです。
アメリカの Bush 政権は、 非常にアンチ温
暖化対策ですけれども、 民間レベルはかなり
前向きです。 たしか、 アメリカの優良企業の
ひとつの Wall Mart とか、 ある銀行もエコ
に対して一生懸命に取り組もうとしています。
今回のインドネシアの会議 (国連の 「気候変
動枠組み条約第13回締約国会議:COP13」)
に、 やっとアメリカが出てきました。 アメリ
カが一歩を踏み出した感じです。
岩瀬:北村さんに、 エコ・パイロット賞を。
(笑)
大塚:アメリカのエアラインで、 夏場、 暑い空
港に着陸したあと、 「Shade を閉めてくださ
い」 とアナウンスがあって、 みんなで閉めて
いました。 燃料 Save のためだと言っていま
したね。
増田:Shade に関しては、 結構下げている人
多いですね。 コクピットでも Crew Change
のときは、 Shade をかけているのにぶつか
ることがあります。 私は Lighting を全部
Off にして Cockpit を後にしています。
岩 瀬 : Parking へ 来 て し ま い ま し た の で 、
Play Back で、 Engine Start 5分前に戻し
ます。
*Engine Start 5分前;
岩瀬:一応 Engine Start 5分前のところまで、
来ました。 今は Engine Start 5分前は、 正
確に出ていますか。
北村:私はもう、 その必要性を感じないですけ
れども。 5分前コールの存在意義自体がない
のではありませんか。
中島:米州ですと、 長距離では Slot Time で
決まるので、 ある程度一生懸命、 5分前を
Call していますが、 ただ普通に飛ぶ場合に
は Clearance をすぐ、 くれますよね。 日本
でも例えば札幌や福岡へいくときに暫定的に
高度をもらえますので、 あまり意味がなくなっ
てきていますよね。
北村:少なくとも、 Domes ではね。
中村:一つには RVSM の導入が大きいと考え
38
2008 MAR
られますね。 (皆、 そうそう。)
中島:だから、 そういう意味じゃ、 5分前とい
うのは特に無くても、 Operation できるよう
な気がする。
岩瀬:昔は、 要らないよという話は出たことな
いですね。
中村:手の内をお見せするとですね、 (笑)。
ATC として出発機に Clearance を発出する
と き に 、 空 港 の 管 制 官 は 東 京 ACC に 、
Clearance を要求するわけですけれども、 同
時にどこで Separation を設定すべきか、 空
港、 ACC の管制官ともに、 考える時間とし
て5分くらいの心の準備が必要なのだと思い
ます。 (笑)
岩瀬:いずれは、 5分前のコールは、 無くなっ
ていくだろうと思います。
*Dual Engine Start;
岩瀬:次は、 Engine Start です。 現在は、 3
発機がなくなって、 双発機、 4発機がメイン
ですね。 双発機については Push Back を開
始してから Engine Start。 これはもう、 変
わらないですね。 4発機はどうですか?
増田:同じですね。 Push Back 始めてから。
で、 あとは例えば、 Push Back の経路が長
くなるような場合は Timing を見計らって、
かけるようにしていますね。 あまり早くかけ
ても、 長いこと Idle で回しっぱなしになり
ますので、 それを避けるよう気をつけていま
す。
岩瀬:4発機は、 -400等は Dual Engine Start
ですか?
中島:Dual Engine Start が可能です。
岩瀬:それは、 当たり前にやっていますか。
中島:そうですね。 Mexico とか、 Elevation
高い空港は別ですけど、 通常は Push Back
の途中で4番、 3番かけて、 Brake Set した
あたりで、 2番、 1番をかけると一番効率的
ですね。
岩瀬:双発機は?
北村:Dual Engine Start やっています。
岩瀬:そうすると、 昔に比べると進歩していま
すね。 それで心配なのは片側 2 Engine の
Asymmetric Thrust のために Towing Car
が影響を受けたことはありませんか?
中島:特にないですね。
増田:よっぽど Slippery で、 風が強いとき以
外は、 まず、 ないと思いますね。 (そうです
ね、 Slippery は要注意。)
ただ、 APU がちょっと弱っているかな、
と思ったようなときは、 1個ずつにします。
時間的な節約もあまり効果を期待できないと
きもありますので。
Taxi Phase
岩瀬:Taxi の Route には、 不満はありません
か。
中島:Traffic の状況にもよりますけれどね。
管制上の問題で、 特に不満はありません。 以
前は Traffic が増えたために、 離陸までの時
間が、 朝の9時前後の羽田では長蛇の列で、
離陸までに30分以上かかることもありました
けれど、 よくやってもらっていると感じてい
ます。
岩瀬:福岡では、 Dispatch 段階で、 羽田への
便の Flow Control による待ち時間が判るよ
うになっていました。 羽田では判らないので
すか。
中村:羽田の混雑は、 Local 空港からの便が集
中するので起こりますが、 これには EDCT
(Estimated Departure Clearance Time) で
Delay を配信しますが、 羽田からの出発は逆
に、 散らばる方向ですから、 目的地空港の混
雑が理由としてはあまり、 EDCT はかけら
れない。 (そうですね)
また、 離陸直後の混雑空域で東京 ACC に
関東西セクターがあります。 ここは、 羽田、
成田の出発機で大変混雑するところですが、
この空域の制御にはシステムによる EDCT
の発出より、 むしろ3分に1機 (または15マ
イル間隔) などのマニュアルによる Flow
Control の方が有効です。 このため、 システ
ム を 使 用 し た EDTC の 発 出 は 行 わ れ ず 、
Flow Control が実施されているにも関わら
ず、 EDCT がわからないという状況となっ
ています。 (この場合、 離陸が5番目であれ
ば、 概ね15分後と計算していただければと思
います。) もちろん、 改善の余地はあると考
えています。
Idling Stop の導入?;
中島:ただ、 今後の課題として、 例えば34R
の場合には、 平行誘導路の Outer と Inner
の両方を使っていますけど、 最初のグループ
は、 滑走路に近いほうに並べてですね、 後か
らの便は Inner にして、 特定の場所までは
アメリカ並みに Engine 切ってもいいという
ような方式が取れれば、 より燃料セーブにな
りますね。
Virgin Air が Heathrow で試験的にやっ
ているように、 Towing Car で End まで引っ
張っていくのが一番環境に優しいオペレーショ
ンですけど。
No Delay Departure に協力を;
岩瀬:Taxi の機数が少なくて、 No Delay で
Departure できるのに、 ゆっくりと Taxi す
るパイロットがいますが、 もうちょっと早く
と、 管制官の方は思われませんか?
中村:そうですね。 でも、 お互いさまじゃない
ですか。
岩瀬:Brake をかけて遅すぎる速度にしてし
まうのもどうかと思います。 Brake Disc の
Wear に繋がりますし、 時間もかかることに
なり、 ダブルに効いてくるわけです。
Carbon Brake は重量減になる;
中島:あと考えられるのは、 Weight が重いと
きはやっぱり、 あまり速度出すと熱を持っちゃ
うということで、 RTO のときに支障きたす
とか、 Taxiway によっては路面が凸凹して
いると、 快適性がよくないとか、 ですね。
岩瀬:長距離を飛ぶパイロットは、 Tire のそ
ういう特性を教えられていますか。
中島:そう思いますね。 特にホノルルは、 気温
2008 MAR
39
も高いし、 Taxi の時間が長いので、 あの路
線を飛ぶ人は教育を受けています。
北村:タイヤは、 圧縮が繰り返されることによ
り発熱しますが、 今の Carbon Brake は、
Steel Brake に比べて、 熱による Brake 効果
の低下が比較的少ないんですよ。 あまり
Brake の温度は心配しなくても良いと思い
ます。 Carbon Brake は重量減にもなってい
ます。
Wear に関しては、 おっしゃるとおり、
Carbon Brake の場合には Braking の回数
によって、 Wear が進みますので、 着陸のと
きに1回、 ぐう∼っと使うのと、 Taxi 中に
2回使うのと同じ Wear であると書いてあり
ます。 色々と考え方を変えていかなければい
けない例ですね。
岩瀬:MRJ は Carbon Brake ですか?
山本:Carbon と聞いています。
岩瀬:73も Carbon ですか。
堂園:いいえ、 Steel です。 Taxi と Approach
は、 先頭が如何に早く行くかという点で似て
いますね。 先頭にいる1機がどこかで減速し
てしまいますと、 後続機がすべて影響を受け
ます。
Slippery 時は Fuel Save より安全第一;
岩瀬:あと、 Slippery のとき、 空港にもより
ますけれども、 やはり Taxi Speed というの
は状況に応じて、 Safety First でやってもら
わないと危ない。 特に千歳で、 Taxiway で
Overrun したというのもありますし、 空港
によっては函館もそうだけれども、
Taxiway の Down Slope がかなりキツイと
か、 色んなことがあって、 Slippery のとき
は、 Fuel Save を忘れても仕方が無いですね。
Hold Short は常に Up Slope となる;
北村:非常に細かいことですが、 Hold Short
はあまりしたくないですね。 なぜかと言うと、
Runway というのは Taxiway からは必ず上
り勾配になっていますから、 Hold Short を
すれば、 必ず Power を出さなければいけな
40
2008 MAR
い。 ですから、 管制官で、 先行機の離陸が始
まるとすぐ Line up をだす人のときは、 No
delay を期待して、 Taxi Speed を Control
しています。 管制官も、 勿論、 ご自分の Policy があるでしょうが、 先行機が離陸開始し
たら、 すぐ Line up & Wait の Clearance を
発出してもらえると助かります。
岩瀬:管制官にも、 パイロットに期待されてい
る方がおられるはずです。 パイロットさん、
しっかりしてくれよ!と。 (笑)
*凹みの修理を早めるには;
北村:羽田で、 Taxiway に穴が開いて、 凹み
があって、 そこに入っちゃうと、 かなりエン
ジンを吹かさないと脱出できないということ
がありましたね。
岩瀬:そういう時に、 Repair 工事を早くして
もらうためには、 空港長または次長くらいの
方に Cockpit Observe で乗ってもらい、 ひ
どい状態を見てもらうと効果があります。
(笑)
Taxi Guidance に役立つ研究;
山本:Taxi ルートや Taxi Speed の最適化の
問題は、 Taxi Way Center Line Light の
Guidance 機能や、 操縦席の表示計器の設計
の面で改善できる可能性はあるのではと感じ
ました。 JAXA の Crew の方で、 何か研究
していると思います。
岩瀬:航空機側だけじゃなくて、 照明の問題も
含めて、 エアポートの Taxiway の Design
そのものとのからみもありすね。
*RNAV は Taxi の混雑解消にも役立つ;
増田:飛行機の装備で EFB (Electronic Flight
Bag) が、 今777でトライアルを始めていま
すが、 あれでエアポートの Layout、 Runway、
Taxiway が表示でき、 管制との、 相互デー
タのやり取りで、 必要な情報が Display に
出てくるようになると、 より良いかもしれな
いですね。
岩瀬:EFB を担当しているグループと管制官
との話し合いは、 行われていないんですか?
中村:この前、 本省で Presentation してもら
い、 これから詰めましょうという段階です。
岩瀬:777には Retrofit して、 787は標準装備、
になると聞いていますが。 (そうですね)
中村:Taxiway のお話をもう一回管制の方か
ら話させていただくと、 同じ SID が並んで
しまうと、 Separation が要るということが
あるので、 できるだけ、 例えば、 Moriya と
Zama を は さ む よ う に し て い ま し た 。
Moriya、 Moriya、 Moriya と3機続いてし
まうと、 管制部との Hand off で10マイル、
ACC への10マイル間隔が要らなくなる。
Zama がどれだけ続いていても、 複線化 (複々
線化) すればエンルートの高度だけの問題に
なります。
北村:羽田の34R は C1 と C2 を区別なく有効
に使えますね。
中村:例えば、 同じ Taxiway で、 自分のほう
が先に Taxi しているのに、 なんで管制官は
向こうの会社を優遇するのだ、 という誤解も
無くなるのではないでしょうか。 (笑)
岩瀬:長い Taxi でしたが、 離陸直前まで来ま
した。 間もなく Ready for Departure です。
必要となって、 パイロットから見ると、 無駄
な Separation をとられるなぁと思われるこ
とになります。 その解決手段が、 RNAV に
よる複線化ですね。 Zama 方面の Departure
も、 経路を2本にすると、 将来的には東京
とても今日中に目的地に着陸できそうに無い
ですね。 (笑)
………………………………………………………
次回は離陸から巡航までを掲載します。
MRJ 機のイメージと JAXA の技術開発
写真提供:三菱重工業
2008 MAR
41
GA:ジェネアビ情報
小型機の運航費用
奥貫
小型機を使用して、 自分で空を飛ぶことは、
欧米等諸外国ではごく一般的なのですが、 この
日本では、 いつまでたっても普及の傾向があり
ません。 極端に言いますと、 ここ50年近く、 全
く進展がないと言っても良いかもしれません。
何故そのような状況かということが気になりま
すが、 ひとつは飛行環境、 もうひとつは、 コス
トであろうかと思います。
飛行の環境は、 小型機が使える飛行場の数が
問題となりますが、 残念ながら、 この日本では、
飛行場に適した平坦地が少ない地形や、 人口密
度の問題から、 十分な数の飛行場があるとは言
い難い状況が続いています。 あるいは、 地上の
交通手段の発達があるため、 小型機を移動の手
段として活用する必要が無いと言えるのかもし
れません。 米国等の広い国土では、 交通手段と
しての小型機用飛行場の存在があるのですが、
その他、 単に移動の拠点のみではなく、 スポー
ツ航空の拠点としての小型機用飛行場が多いの
も事実です。
さて、 もう一つの課題はコストです。 小型機
のコストを聞かれた場合、 自動車の10倍規模と
答えていますが、 先ずは間違い無いでしょう。
購入費は自動車が三百万円なら、 飛行機では三
千万円、 免許も自動車の数十万円が、 飛行機で
は数百万、 年間維持費も、 自動車の数十万円が、
飛行機では数百万、 駐機代も自動車の十倍近く
の規模と言った具合です。 実際、 全てを計算し
てみますと、 総額では、 自動車十台分レベルの
お金がかかると言って先ず間違いは無いでしょ
う。
42
2008 MAR
博
自家用小型飛行機の所有と飛行
先ずは機体の購入ですが、 小型機とはいえ、
上を見れば限りがありませんから、 今回は、 操
縦もやさしく、 維持費のかからない、 160馬力
4人乗りクラスの小型飛行機、 及び、 更にその
下の、 100馬力2人乗りのモーターグライダー
を考えてみたいと思います。
4人乗り飛行機の新品は、 国内で飛べるまで
に3千万規模の費用が必要となります。
定評のある機体は、 何十年にも渡って継続生
産されていますから、 最初は、 10∼15年程度使
用した中古機に目をつけるのが得策です。 中古
機の値段は、 機体、 エンジン、 プロペラのオー
バーホールまでの残時間や、 装備品によっても
異なりますが、 1千万円以下でも十分に良好な
機体を手に入れることが可能です。
5人でシェアなら、 1人2百万円、 10人なら
ば、 百万円と言うわけです。
モーターグライダーも、 人気の高性能機にな
りますと、 新品では2千万円規模、 中古でも1
千万円に近いレベルとなります。 しかし、 運航
の経済性は、 飛行機の比ではありません。 先日、
九州南端の枕崎から、 関東の埼玉県まで、 自動
車用ハイオクガソリン80Lを使用し、 5時間半
で飛んできたモーターグライダーがありました。
この経済性がモーターグライダーの最大の魅力
といえるでしょう。
飛行機の所有には、 登録費用も必要ですが、
これは依頼しても数万円の規模です。
②
小型機の運航経費
では次に、 小型機の運航経費について個々に
見ていきたいと思います。 費用は、 大きく分け
ますと、 飛行しなくても発生する固定費用と、
飛行に伴って必要となる費用があります。 金額
については表にまとめておきましたので、 以下
にその内容等を主体に説明をさせていただきま
す。
無線機の検査費用
飛行機に搭載されている VHF 送受信機、
ATC トランスポンダー等の、 電波を発射する
機器は、 1年毎に総合通信局の検査が必要にな
ります。 内容は、 電波の精度等の測定と、 飛行
中の作動確認です。 無線機の精度検査は、 専用
の施設に搬入して実施することが必要ですので、
通常は、 耐空検査整備の時に並行して実施し、
耐空検査終了後に続けて無線機の飛行検査を実
施し、 機体の引渡しを受けるのが一般的です。
③
1. 固定費用
①
耐空検査費用
飛行機が空を飛ぶためには耐空証明書が必要
です。 年に一度、 機体メーカーが定めた点検検
査基準及び年次点検の項目に従って機体の各部
を詳細に点検し、 整備します。 また、 機体に対
して発行された、 耐空性維持のための TCD,
SB 等の指示事項等は、 すべて実施されている
ことを確認します。 これらの作業は有資格整備
士又は認定整備工場に依頼して実施することが
必要です。 不具合の箇所、 あるいは、 不具合に
つながる恐れのある箇所は、 修理、 部品交換等
を実施し、 地上及び飛行試験の後、 耐空検査を
受け、 合格ならば新しい耐空証明書が発行され
ます。 この検査及び耐空証明は、 飛行機の場合
は国土交通省、 モーターグライダーの場合は、
民間の耐空検査員に申請して実施します。
機体の保管費用
飛行機は、 飛行場に置く必要があるので、 そ
の費用がかかります。 公共飛行場での駐機、 使
用事業等民間企業での保管、 また格納庫内保管、
屋外駐機等で、 金額には差が有ります。
使用事業等民間企業での保管の場合、 屋外駐
機で10万円弱、 格納庫内保管で15万円弱と言っ
たレベルです。 固定費用の中でも大きな割合を
占め、 かなり高価な印象ですが、 土地の価格の
こともあり、 止むを得ないでしょう。 民間の飛
行場においては、 定置場申請に際しての保証金
が必要な場合があります。 月額保管料の3倍程
度で、 敷金と考えればよいでしょう。
機体の定置場は、 近くて便利な場所が理想で
すが、 この日本では、 飛行場の数が限られてい
ますから、 スポットの空きの有無の方が問題に
なります。 実際は、 駐機、 日常の保守、 委託整
備等をひとまとめにして、 使用事業会社に委託
するのが何かと便利です。
④
160馬力4人乗のベストセラー機
C172
航空機保険
機体の保管費用と並び、 固定費用の中で高額
なのが保険です。 自分の財力で全て対処という
のなら別ですが、 何人かのメンバーで機体を共
同所有しての運航となりますと、 保険は、 非常
に重要となります。 機体は中古機購入価格の1
千万程度、 第三者賠償は3億円、 搭乗者傷害1
人につき1千万、 その他捜索救助費等です。 自
動車の場合と同じように、 無事故の継続により、
保険金額は低減されます。 また、 年間飛行時間
の制限、 あるいは、 修理部品待ちで、 長期間飛
2008 MAR
43
ばないときの割引等も、 交渉の対象になるでしょ
うが、 それでも、 年間60∼100万円程度の保険
料を見ておくことが必要になります。
2. 飛行に伴う発生費用
①
⑤ TCD, SB, 飛行規程、 マニュアル等
飛行機は、 その耐空性を維持し、 安全に飛行
するための各種情報に従わなければなりません。
機体の耐空性にかかわる重大事項は、 耐空性改
善通報 (TCD) として発行され、 これに従わ
なければ、 耐空性を維持することが出来ません。
また、 機体、 エンジン、 プロペラ、 及び各種機
器メーカーが発行する SB、 マニュアル改定等
もあります。 これらも、 常に最新情報を入手し、
従う必要があります。 また、 飛行に関わるもの
は、 飛行規程の改定として反映することが必要
になります。
機体、 エンジン、 プロペラ等の大きな点検は、
費用への影響が大きいのですが、 飛行安全のた
めに実施しなければなりません。 従って、 その
費用は、 年間固定として、 ある程度は計画的に
見ておいた方が良いでしょう。
部品交換、 その他発生費用
飛行時間に関係なく発生する部品関係の費用
としては、 2年毎の高度計検査、 年数交換基準
の定められているホース類の交換、 消火器のメー
カーでの点検と再充填、 非常信号灯の交換等が
あります、 一部のプロペラでは、 年数基準のオー
バーホールが定められているものもあります。
このように、 飛行しなくても発生する費用は、
平均化した固定年額としてみておくことが必要
です。
その他、 ある程度は避けられない部品故障が
あります。 特に、 ジャイロ計器等の故障による
交換は、 高額の出費となり頭が痛いのですが、
ある程度は覚悟して用意しておいた方が良いで
しょう。
点検検査費用
飛行機には、 50飛行時間、 100飛行時間毎等
点検検査が必要です。 これらは、 有資格整備士
又は認定整備工場に依頼して実施することが必
要ですから、 その費用が発生します。
一般的には100時間点検を基本として機体各
部の状態を詳細に点検し、 50時間点検は、 エン
ジン周辺あるいは各部注油等、 必要最小限のも
のとして設定されています。 従って、 点検費用
も所要時間も100時間点検は、 50時間点検の倍
程度の規模になります。
②
部品、 消耗品等
飛行とともに消耗する部品関係の費用として
は、 ブレーキ、 タイヤ、 ライト類の部品代と、
その交換にかかる工賃があります。 50時間、
100時間点検時にも、 オイルフィルター、 ガス
ケット、 シール等の交換部品と共に、 サビの発
生したボルト類等の交換が行われます。
⑥
44
2008 MAR
③
燃料・オイルの費用
燃料費は飛行の内容によって大きく変化しま
す。 160馬力4人乗りの飛行機でしたら、 航法
等で静かに飛行すれば、 1飛行時間あたり35L
程度で済むでしょう。 離着陸訓練等では、 やや
多めの使用量となります
小型の飛行機に使う航空ガソリンの単価は、
これまた地域によって様々です。 南紀白浜空港
のようにガソリン製油所に近い所では、 その分
安価ですし、 離島などは、 当然高価になります。
その幅は最も安いところで1Lあたり180円台、
高価なところでは1Lあたり250円を越えます。
その他、 航空ガソリンには、 1Lあたり26円の
税金がかかりますから、 1飛行時間あたりの燃
料費は7千円から9千円程度となります。
2人乗りのモーターグライダーの1時間あた
りの燃料消費量は、 飛行機の半分程度、 燃料は、
自動車用のハイオクガソリンですから、 価格は
1Lあたり160円程度です。 1飛行時間あたり
独特の味わいのHK-36Rモーターグライダー
の燃料費は、 飛行機の半分の3千円程度となり
ます。
オイルは、 飛行機の場合、 大体4∼5飛行時
間で1L消費しますから、 1飛行時間では300
円程度となります。 モーターグライダーでは、
1飛行時間あたり100円程度です。
④
オーバーホール費用
飛行機、 エンジン、 プロペラともに、 長時間
の飛行によるオーバーホールが必要となります。
飛行機の場合は、 大体1,000飛行時間、 3,000飛
行時間等です。 年間200飛行時間では5年毎の
実施となります。 その費用は、 機体の型式、 程
度、 屋外駐機、 格納庫駐機、 日頃の保守等によっ
て大きく変動します。 構造の健全性の確認が大
きな目的ですので、 腐食点検、 修理及び防錆処
理等、 手間のかかる作業が多く、 どうしても作
業工数と費用が大きくなります。 また、 場合に
よっては、 別途、 機体の塗装剥離、 再塗装等の
費用が必要になることもあります。 特に、 FRP
製のモーターグライダーは、 機体表面のゲルコー
トの劣化があるため、 何年かに一度は、 古いゲ
ルコートを磨き取って、 再コートする作業が必
要になります。 そのような変動要素の多い費用
ですが、 再塗装無しとしても、 1飛行時間あた
り、 少なくとも千円から千五百円程度は見てお
いたほうが良いでしょう。
エンジンは、 2000飛行時間程度ごとにオーバー
ホールが必要となります。 これも使用や環境に
よるところがありますが、 1飛行時間あたり千
円程度は見ておいたほうが良いでしょう。 プロ
ペラは、 固定ピッチ、 可変ピッチによって大き
く変化しますが、 安価な固定ピッチでは1飛行
時間あたり2百円程度、 可変ピッチでは、 その
倍の4百円程度の規模になります。 金額は大き
いのですが、 実施の間隔が千時間以上ですから、
1時間あたり3千円とすれば、 千飛行時間で3
百万円になります。 長い間飛ぶことを考えるな
ら、 時間あたりの費用として備蓄しておく考え
もあるでしょう。
または、 後のことはその時になってから考え
ることとして、 現在の運航費を低減させる考え
もあるでしょう。 実際、 機体やエンジンのオー
バーホールのような大きな区切りで機体を手放
し、 また別な機体を探すと言ったことも良く行
われているようです。
おわりに
以上のように、 小型機の運航費用には、 様々
な変動要素があるのですが、 160馬力4人乗り
クラスの小型飛行機、 及び、 100馬力2人乗り
のモーターグライダーを例として、 その運航コ
ストを添付の表で試算してみました。
興味のある方は、 添付の表の内容をパソコン
の Excel 等で作成し、 それぞれの飛行環境に応
じたコスト要素や、 希望する機体、 メンバー数
等々を記入し、 表計算でコストがわかるように
しておきますと、 費用のレベルが把握できるこ
とと思います。
そのような訳で、 小型機のコストは、 自動車
の10倍規模となってしまうのですが、 物は考え
ようです。 単に飛ぶにしても、 どこかへ行くに
しても、 自分独りで、 と言うことは少ないでしょ
う。 何人かの、 気の合った、 信頼できる仲間と
共同で機体を所有し、 共に楽しむといった取組
みであれば、 十分に手の届く世界であろうかと
思います。
2008 MAR
45
軽飛行機
固定脚
4人乗り160馬力クラス
機体性能の例
耐空検査費
1年間の
必要経費
600千円
年次点検、 100時間点検等耐空検査受験作業
無線検査費
200千円
VHF, ATC トランスポンダー
費
固
定
発
生
費
用
目
駐機費用
1,080千円
内
容
等
毎月9万円 (屋外) の場合
SB, TCD, サーキュラー等の点検
100千円
飛行規程、 マニュアル等書類維持
30千円
改訂原本の購入及び飛行規程訂版費用等
部品故障、 その他予定外発生費用
80千円
その都度、 内容により変動
保険
TCD 等の予期せぬ点検費用
800千円
飛行時間に関係ない固定費用 (年額)
飛
行
に
伴
う
発
生
費
用
年間必要経費の試算
巡航速度:110kt 航続距離:550nm 必要滑走路長:500m
上昇率:700fpm 実用上昇限度:13000Ft
対人、 対物、 乗員、 搭乗者、 機体等
2,890千円
50時間点検
0.8千円/H
8万円/50H (100時間点検と交互に実施)
100時間点検
1.5千円/H
15万円 (@100H)
部品、 消耗費等
1千円/H
燃料費 (航空ガソリン)
8千円/H
タイヤ、 プレーキパッド等の消耗部品代
時間当り35L@¥240/Lとして
燃料税
1千円/H
滑油費
0.3千円/H
4飛行時間で約1L消費
機体1000時間点検等
1.2千円/H
1回120万円
エンジンオーバーホール
0.9千円/H
1回170万円
0.2千円/H
1回40万円
プロペラオーバーホール
飛行時間あたりの費用
飛行機
1Lあたり26円
14.9千円/H
固定脚
メンバー数及び年間飛行時間
4人乗り160馬力クラス
費用 (千円)
費用分担プランの例
費用分担プランの例
年間総額
時間当り
固定月額会費
飛行時間あたり料金
5人で年間計100時間飛行
4,380
43.8
5万円
1万5千円
7人で年間計150時間飛行
5,125
34.2
4万円
1万2千円
10人で年間計200時間飛行
5,870
29.4
3万円
1万2千円
注1. 表の値は試算です。 費用は機体の仕様、 程度、 運航、 整備、 保管環境等により大きく変化します。
注2. 表の値には、 機体の購入、 更新、 登録費用等は含んでいません。
注3. 費用分担プランの飛行時間当り料金は、 機長 (飛行時間を自分の経歴時間とする者) が、 着陸料、 空港使用料等も含
めて負担するのが一般的です。 着陸料は1回数百円から最大4千円程度です。
4人の同乗で均等割りの場合は、 1人、 1時間あたり4千円程度の負担となります。
注4. 使用事業等の整備士に作業を依頼する場合は、 時間当たり6千円程度の費用が必要となります。
注5. 部品等は全て輸入になります。 自分で個人輸入することも可能ですが、 購入仕様、 品質証明等を法に従って正しく扱
うことが必要です。
46
2008 MAR
モーターグライダー
100馬力クラス
機体性能の例
耐空検査費
年次点検、 100時間点検等耐空検査受験作業
無線検査費
200千円
VHF, ATC トランスポンダー
駐機費用
360千円
毎月3万円の場合
目
内
容
等
SB, TCD, サーキュラー等の点検
30千円
TCD 等の予期せぬ点検費用
飛行規程、 マニュアル等書類維持
20千円
改訂原本の購入及び飛行規程訂版費用等
部品故障、 その他予定外発生費用
50千円
その都度、 内容により変動
保険
800千円
飛行時間に関係ない固定費用 (年額)
飛
行
に
伴
う
発
生
費
用
年間必要経費の試算
1年間の
必要経費
150千円
費
固
定
発
生
費
用
2人乗り
巡航速度:105kt 航続距離:500nm 必要滑走路長:300m
上昇率:900fpm 実用上昇限度:16000Ft
対人、 対物、 乗員、 搭乗者、 機体等
1,610千円
50時間点検
0.2千円/H
8万円/50H (100時間点検と交互に実施)
100時間点検
0.3千円/H
15万円 (@100H)
部品、 消耗費等
0.2千円/H
タイヤ、 プレーキパッド等の消耗部品代
燃料費
2.9千円/H
時間当り18L@¥160/Lとして
燃料税
1千円/H
滑油費
0.1千円/H
約1L/6飛行時間
機体3000時間点検等
0.1千円/H
1回30万円
エンジンオーバーホール
0.7千円/H
1回140万円
プロペラオーバーホール
0.2千円/H
1回50万円
飛行時間あたりの費用
モーターグライダー
メンバー数及び年間飛行時間
燃料費に含む
5.7千円/H
100馬力クラス
2人乗り
費用 (千円)
費用分担プランの例
費用分担プランの例
年間総額
時間当り
固定月額会費
飛行時間あたり料金
5人で年間計100時間飛行
2,180
21.8
2万7千円
6千円
7人で年間計150時間飛行
2,465
16.4
2万円
5千4百円
10人で年間計200時間飛行
2,750
13.8
1万5千円
4千8百円
注1. 表の値は試算です。 費用は機体の仕様、 程度、 運航、 整備、 保管環境等により大きく変化します。
注2. 表の値には、 機体の購入、 更新、 登録費用等は含んでいません。
注3. 費用分担プランの飛行時間当り料金は、 機長 (飛行時間を自分の経歴時間とする者) が負担するのが一般的です。 着
陸料は滑空場での運用ではごく安くて済みますが、 飛行場を利用する場合は、 飛行機と同様に、 1回数百円から最大
4千円程度です。
注4. 定時点検等は、 有資格整備士の確認が必要です。 耐空検査は、 民間の耐空検査員に依頼します。
注5. 部品等の品質証明等は、 飛行機と同様に必要です。
注6. 燃料は、 自動車用のハイオクガソリンです。 代用として航空ガソリンを使用することも可能です。
2008 MAR
47
World Safety Report
1月号に続き、 今回もコールバック・アーカ
イブス、 1998年3月号を翻訳してみました。
1998年とは、 長野で冬季オリンピックが開催
され、 小型航空機の事故が多く発生した年でし
飛行機のロックンロール。
燃料の搭載量をミスして飛行中に使い果たし
てしまい、 エンジンが停止し不時着してしまい
ました、 と言ったリポートは結構多く ASRS
に寄せられて続けています。
ごく稀にですが、 注意深く飛行前の点検を行
い、 長時間ランナップをしたにもかかわらず、
燃料の中に異物が入り込んでいたため離陸後、
エンジンが停止してしまい、 びっくりさせられ
ましたと言うリポートも寄せられてきます。
この小型航空機のパイロットが送ってくれた
リポートを読むと、 飛行する前に翼を良くゆすっ
ても、 燃料の中には抜き取れない水の残ってし
まう可能性があり、 このようなトラブルを防ぐ
ことは難しいのかな、 と思ってしまいます:
ASRS 編集部
・この高翼機には長距離飛行用の燃料タンクが
装備してあります。
2ヶ月近く飛行していなかったし、 野外に係
留しておいたので、 かなり注意深く隅々まで
飛行前の点検を行いました。
48
2008 MAR
編集委員
佐藤
裕
た。
今回も各話題ごとに訳文と原文を併記します。
時間があるようでしたら、 訳文と英文を読み
比べてください。
主翼の両燃料タンクには3/4ほど燃料が入っ
ていましたが、 念のためサンプから2度も燃
料を抜き取ったんです。
ガスコレーターからは完全に燃料を抜き取り、
水は入っていないか、 異物は混入していない
か確認しました。
地上で40分間ほどエンジン回転数を1,200∼
1,700RPM で運転しました、 そして運転状態
にも異常はありません。
離陸直後ディパーチャー・コントロールから、
トランスポンダーが作動していないと言う送
信を受けた私は、 空港に戻りたいんですが、
と送信を……。
アプローチ中、 右横風が強かったので、 かな
り機体を大きくスリップさせました。
ハンガーに向かおうとタクシーしている最中、
エンジンは停止してしまい、 再始動もままな
りません。
仕方なく、 機体をハンガーの近くまで手で押
して行きました。
燃料タンク、 燃料パイプ、 ガスコレーター、 そ
してキャブレターの燃料ボウルを点検すると全
ての部分に水が入っているじゃありませんか!
完全に水を抜き取ると、 エンジンはすぐ息を
吹き返します。
左主翼の破損に関する記録を調べた結果、 片
方あるいは両方の燃料タンクとも底の部分が
捩れているか、 波打っているんじゃないか?
だから水が燃料をドレインする位置より低い位
置に溜まるんじゃないかな?と思っています。
このような状態だと、 いつも通りに飛行前の
点検を行っても、 40分間に渡って地上でエン
ジンを運転し続けてから飛行したとしても、
水はまったく判らないまま残ってしまうんだ、
と思いました。
パイロット用オペレイティング・ハンドブッ
クには特に指示されていないものの、 飛行前
に機体の翼を揺さぶっておけば、 燃料をドレ
インする位置近くに水を移動させることが出
来るかもしれませんね。
翼を揺すってから飛行前の点検を始めれば、
サンプから燃料を抜くまでの間に水や燃料に混
じった異物が、 サンプ内に入る十分な時間を取
れるかもしれませんね。
さて次のリポートです、 旅客機のキャプテン
から、 フライト・クルーと地上作業員双方のミ
スで、 燃料にまつわる問題を見逃してしまいま
した、 と書いてくれます。
このケースでの原因は、 燃料を抜き取る方法
が不適当だったことにあるようです。
・7,200ポンドほど燃料を抜き取らなくてはな
りません。
燃料担当の作業員から、 燃料を抜き取るので
主翼のタンクからセンター・タンクに燃料を
移送してください、 との連絡が。
燃料を抜き取る作業が完了したので、 私はク
ロスフィード・バルブを閉じました、 この操
作についてはファースト・オフィサーも確認
しています。
リフト・オフした直後、 左の翼はかなり重く、
ホイールを60度近く反対側に操作しなければ
機体を水平に保てません。
左右の翼内タンクの燃料の残量に4,000ポン
ド近くの差があること、 そしてセンター・タ
ンクに3,000ポンドもの燃料が入っているこ
とに気付きました。
ゲートでセンター・タンクは空でした。
私はクロスフィードを開き、 左タンクから両
エンジンに燃料を送ります。
着陸可能な状態まで左右の燃料をバランスさ
せることが出来ました。
整備士は、 燃量を抜き取る時に使用するディ
フューエル・バルブとドアが開いたままになっ
ていることを見つけます。
燃料担当の作業員が燃料を抜き取った後、 バ
ルブとドアを閉じ忘れたんです。
バルブを閉め忘れてしまった原因は、 雪と氷
の中を着陸したので、 ゲートでフラップとス
ラットが下がったままになっていたせいかも
しれません。
ゲートでエンジン始動前のチェックリストに
従って操作しているとき、 燃料搭載量及びバ
ランスも正常だったことを確認していたし、
クロスフィード・バルブも閉じていることも
確認しました。
夜間、 不慣れな、 しかも雪と氷に覆われた空
港をタクシーしていた私は、 離陸前、 燃料の
バランスが狂っていることに気付かなかった
んです。 離陸が5∼10分ほど遅れてしまった
なら、 離陸後、 操縦不能な状態に陥ってしまっ
たかもしれません。
私達クルーは、 ランウェイに進入する前に、
燃料のバランスに付いて、 もっと気をつけて
チェックしなければ、 と思っています。
燃料を抜き取るときに使用するディフューエ
ル・バルブを開いたままにしておくと、 このバ
ルブ用のドアを閉じることが出来なくなるばか
りか、 クルーが燃料を移送しようとしても出来
なくなってしまいます。
フライト・クルーそして地上の作業員とも、
チェックリストどおりに操作しなければなりま
せん…キチンとチェックリスト通りに操作さえ
していれば、 このような結果にはならなかった
2008 MAR
49
筈です。
地上作業員用のチェックリストにはディフュー
エル・バルブ及びドアが閉じているか、 確認す
る項目が含まれているはずですし、 フライトク
ルー用のチェックリストには、 燃料を各タンク
に正しく配分されているか、 確認する項目が要
所要所に示されているはずです。
この確認は、 燃料をどのようにして移送した
場合においても、 重要な事項である、 というこ
とが出来ます:ASRS 編集部
ASRS receives many reports of fuel mismanagement and fuel exhaustion, common causes of engine failures and forced landings. Less common is fuel contamination, which can come as a surprise, even after a pilot takes the precautionary measures of a thorough pre-flight and ground
run-up. A general aviation pilot reports on the hazards of hidden water, and speculates on
whether wing-rocking might have prevented the problem.
・This [high-wing] aircraft has long-range tanks installed. It had not been flown in two months
and had been stored outdoors, so a thorough pre-flight was completed. The wing tanks were
three-quarters full and [the sumps] were drained twice. The gascolator was fully drained and
checked for water and contaminants. Total engine ground run time was about 40 minutes at
1,200-1,700 rpm, with normal engine indications.
Shortly after takeoff, Departure Control indicated that the aircraft's transponder was inoperative, and requested that we return to the airport.
During the approach, an extended slip was used due to right crosswinds. Taxiing to the hangar, the engine quit and would not restart. The aircraft was manually pushed to the hangar
area. Examination of the fuel tanks, fuel line, gascolator, and carburetor fuel bowl revealed
water in all areas. After draining, the engine restarted easily.
With a history of damage to the left wing, one or both fuel tanks may have become warped
or wavy, allowing water to collect at points other than the fuel drains. This allowed water to
remain undetected during a normal pre-flight, a 40-minute ground run and in flight. Although
it is not recommended in the pilot's operating handbook, rocking the aircraft wings during
aircraft pre-flight might move any distributed water to the fuel drain.
Any rocking of wings should come early in the pre-flight, so that the water and contaminants
have plenty of time to settle in the sumps before the sumps are drained. Many flight schools
make this standard procedure.
Next, an air carrier Captain reports that both the ground crew and the flight crew failed to detect
a different sort of fuel-related problem. In this case, improper defueling procedure was the cause
of the incident.
・We needed to off-load 7,200 lb. of fuel. The fueler had us transfer fuel from the wing tanks
to the center tank so he could defuel. When defueling was complete, I closed the crossfeed
valve, which was confirmed by the First Officer. Immediately at lift-off, the left wing was
very heavy, needing about 60° wheelthrow for level flight. I saw a fuel imbalance of 4,000 lb.
between the wing tanks, and 3,300 lb. in the center tank. The center tank had been empty at
the gate. I opened the crossfeed and fed both engines from the left tank. I was able to balance the fuel load for landing.
50
2008 MAR
[Maintenance] confirmed that the defuel valve and door had been left open. The fueler had
missed closing the valve and door after defueling. A possible reason for his missing the valve
was the flaps and slats were left down at the gate due to landing on snow and ice. During the
before-starting-engines checklist at the gate, I noted the proper fuel and distribution, and
that the crossfeed valve was closed. Due to night taxi at an unfamiliar airport on ice and
snow, I failed to detect the fuel imbalance prior to takeoff. Had our takeoff been delayed 5-10
minutes longer, the aircraft might not have been controllable after lift-off. We should encourage crews to check fuel balance prior to taking the runway.
Leaving the defuel valve open prevents closing of the defueling door, and impairs the crew's ability to control fuel transfer. Diligent use of checklists--by both the ground crew and the flight
crew--can help prevent this situation. The ground crew's checklist should include an item to check
the security of the defuel valve and door. The flight crew's checklist usually provides more than
one opportunity to review proper fuel distribution. This is particularly important after any type
of fuel transfer operation.
靴がフィットしていたなら!
・横風の中でのタクシー、 離着陸の腕を磨こう、
と飛行していました。
2回目の着陸をしようとしていた時です…フ
レアー操作をしている最中、 左のラダーを操
作していた靴が脱げてしまったんです。
その靴はブレーキと兼用になっている左ラダー・
ペダルの前方に挟まってしまいました。
右から吹いている横風で機首は右へするし、
修正しようとしても挟まっている靴のお陰で
ラダー・ペダル、 ブレーキとも操作できなく
なっていることに気付いたんです。
左ラダーを操作できないので、 機首を風上、
つまり右へ向かおうとしている機体をどうに
も出来ません。
最終的に、 私は挟まっている靴を蹴飛ばし、
ペダルを操作できるようにし、 靴を履いてい
る足と脱げてしまった足でブレーキを踏みま
した。
タクシーし、 ランプに戻り、 機体を点検する
ためエンジンを止めます。 機体に破損箇所は
なく、 空港の設備も破損せずに済みました。
横風の中で着陸しようとしていた時に脱げてし
まい、 邪魔になった靴をどうすることも出来
なかったんです、 もう20年近くも飛んでいる
と言うのに…。
これからは、 飛行する前に靴がフィットして
いるかどうか、 良く確かめるつもりです。
I set out to fly...to brush up on cross-wind taxi/takeoff/landing procedures. On the second landing, while in the flare, my left shoe fell off while applying left rudder. The shoe landed in front of
the left rudder pedal and heel brake. The right crosswind started to pivot the aircraft to the right,
and I discovered the shoe blocked access to the left rudder pedal and brake. Without left rudder
capability, I was unable to prevent the aircraft from turning right into the wind. The aircraft departed the runway to the right onto a level grass area. I finally kicked the shoe free of the pedals
and braked to a stop with one shoe off, one shoe on. Taxied back to the ramp and shut down for
a thorough inspection. No damage to aircraft or airport property.
Despite nearly 20 years experience, I was unable to overcome the effects on an errant shoe on a
2008 MAR
51
crosswind landing. In the future, I will pay more attention to the fit of my shoes before commencing flight.
提示しません。
提示しないばかりか、 指定された4列目の座
席にも座らなかったんです。
武装した“レグ”が乗っている。
先月、 ASRS は困った問題に直面してしまい
ました、 と言うキャビン・クルーからのリポー
トをいくつか掲載しました。
今月も、 銃を所持したまま機内に乗り込んで
きた乗客についてですが、 思わず考えさせられ
てしまうリポートを2つ紹介します。
最初のリポートですが、 キャプテンは、 銃で
武装した乗客が乗り込んでいることを、 かなり
後になってから知ります:ASRS 編集部
・搭乗する前に、 政府の高官が乗るから、 と知
らされました。
離陸後、 その高官には武装した2名の警護官
が付き添っていることを知ります…もちろん、
このことは私達フライト・アテンダント、 そ
してキャプテンにも知らせられていません。
後になって知ったんですが、 この武装した警
護官は、 機内でフライト・アテンダントに武
装している旨を知らせてくださいね、 とブリー
フィングを受けたそうなんですが、 彼らはし
ません。
ランプ・スーパーバイザーはフライト・アテ
ンダントの1人に“レグ (leg) 2名が4列
目に乗るから”と伝えたそうです (レグ:
leg とは、 武装した乗客を意味する暗号です)。
言うまでもありませんね、 私達フライト・ア
テンダントは誰もその暗号を知らされていな
いし、 こうスーパーバイザーから言われたフラ
イト・アテンダントは“足を怪我している乗
客が2人乗ってくるんだ”と思ったそうです。
武装した警護官は2人とも、 スペシャル・ボー
ディング・パスをフライト・アテンダントに
52
2008 MAR
怪我の具合を案じたフライト・アテンダント
は4列目に座る2人の乗客に、 足の具合はいか
がですか?と聞きました。
OK だよ、 と答えたに違いありませんね:
ASRS 編集部
航空会社では、 武装した乗客の搭乗を許可す
る場合、 乗客担当責任者がコクピットに出向き、
フライト・クルーにその乗客の座席番号を教え
るようにしています。
複数の武装した乗客が搭乗する場合、 キャプ
テンは武装した乗客をお互いに自己紹介させ、
自分以外にも武装した乗客のいることを知らせ、
驚かないようにしています。
さて、 次の方からのリポートです、 持ち主不
明の置き忘れた銃を発見したフライト・アテン
ダントはビックリしてしまいます。
ファースト・オフィサーがこう書いてくれま
した:ASRS 編集部
・巡航中、 リード・フライト・アテンダントが
震えながらコクピットにやって来て、 誰のも
のかわからない銃が洗面所にぶら下がってい
ます、 と私達に伝えました。
銃を所持した乗客が乗っている、 と知らされ
たことを思い出しました…キャプテンは、 セ
カンド・オフィサーをその乗客の所へ出向か
せ、 銃を置き忘れている、 と伝えさせます。
その乗客は自分の銃であることを認めました…
その方の身分証明書を確認した後、 銃を渡し
ました。
この乗客を観察したセカンド・オフィサーは、
飛行することに神経質、 つまり飛行機に乗る
ことが嫌いなようで、 大汗をかいていた、 と
話しています。
確かに警察官等、 法秩序の維持に携わる方々
は、 その責務において機内に銃を持ったまま
搭乗出来ます、 そしてその責任はかなり重要
であると言えます。
飛行機に乗ることがあまり好きじゃない、 と
言うフィーリングが判断に影響してしまった
のかもしれませんね。
Last month we shared some ASRS reports describing the difficulties encountered by cabin crew
members. This month we add two sobering reports about passengers authorized to carry firearms onboard the aircraft. In the first report, the Captain was apparently the last to know of the
presence of armed passengers onboard.
・Before boarding, I was told that a government VIP was traveling. After the flight, I discovered that the VIP was accompanied by...two armed individuals, and that we had no notification to the Flight Attendant [FA] or to the PIC.
Later... I found out that the armed personnel were briefed to tell the FA that they were
armed; they did not do so. The Ramp Supervisor knew the escorts were armed, and he told
our FA that we had "two leg passengers in Row 4" ("leg" being the code word for armed passenger). Needless to say, no one told us that was the code, so the FA thought he meant, "Two
passengers with hurt legs." The armed individuals did not display their special boarding
passes to the FA. Not only that, they did not sit in their assigned Row 4 seats.
The FA solicitously asked the two passengers in Row 4 if their legs were OK. They were.
At some air carriers, policy requires that when an armed passenger is admitted to the aircraft,
the Passenger Service Representative come to the cockpit to inform the flight crew of the location of the passenger. When more than one armed passenger is on board, the Captain also makes
sure that the armed individuals are privately introduced to each other, so that neither will be startled by the sight of another weapon-carrying passenger.
Another crew was first surprised, then very concerned about a firearm left unattended. The First
Officer reports:
・In cruise, the lead Flight Attendant came into the cockpit visibly shaken and told us there
was a gun hanging in the lavatory. I recalled the notice of an armed individual riding as a passenger, so the Captain sent the Second Officer [SO] back to talk to this person. He confirmed the gun was his, and, after showing his identification, was allowed to retrieve his
firearm. The SO observed that this individual was obviously a nervous flier and was sweating
excessively.
Law enforcement officers are entrusted with the responsibility of carrying weapons onboard
the aircraft, and that responsibility is very serious. If a person is nervous about flying, that
feeling might cloud his judgment.
クリアー・トゥ・ランド…多分!
クリアランス無しに着陸してしまった、 と言
う困った出来事が悲惨な結果となってしまうこ
とはあまり無いんですが、 危険な状態に結びつ
いてしまう可能性を十分に秘めています。
コクピットのワークロードは高く、 しかも周
波数変更の指示が何時もより遅かったと言うよ
2008 MAR
53
うな、 よくあるシナリオ通りの状態の中、 この
^
エアラインのキャプテンは着陸許可を得ずに着
陸してしまいます:ASRS 編集部
・アプローチ・コントロールから、 250ノット
を維持するようにと言う指示とアプローチの
クリアランスを貰いました。
XYZ インターセクション通過後、 210ノット
に減速し、 アウター・マーカー上空で周波数
をタワーに切り替え、 交信するようにとの指
示が来ます。
そして、 ATC はさらに190ノットを維持する
ように、 とも言って来ます。
アウター・マーカーに到着したとき、 何時も
より速度が多すぎるため、 着陸の準備に気を
取られていました。
アウター・マーカー上空で周波数をタワーに
切り替えることを忘れてしまい、 着陸許可を
得ずに着陸してしまったんです。
ファースト・オフィサーはこのように付け加
えてくれます:“アウター・マーカー上空で
タワーと交信するように”と言う指示は、 今
回のようなトラブルを招く原因となります。
私達の場合、 アプローチから、 アウター・マー
カーでタワーと交信するようにと指示された
後、 さらに多くの指示があったため、 と思っ
ています。
タワーと交信したかどうか確認するため、 ア
プローチ中、 アウター・マーカー上空とか、 ラ
ンディング・チェックリストを終えた後と言っ
た特定の地点で、 自分達がタワー周波数に切り
替えているか、 確認することを習慣にしている
パイロットはかなり多くいます。
自分の決めたポイント上空まで飛行しても、
タワーに切り替える指示を得ていない場合、 ア
プローチ・コントロールに周波数の切り替えを
求めることが出来るからです。
許可を得ずに着陸してしまうことを防止する
ため、 どのような方法であるとしても、 記憶に
頼って行うなら常に実施するように、 パイロッ
トとしての行為の一部として身に付けておかな
54
2008 MAR
くてはなりません。
注意力が散漫に、 と言う状態も、 許可を得ず
に着陸してしまう原因としてよく知られています。
気持ちの良い午後の VFR 飛行を終え、 ホー
ム・ベースへ戻ろうと飛行していた小型機のフ
ライト・インストラクターは、 取るに足らない
ことに気を取られてしまい、 大切な周波数の切
り替えを忘れてしまいます:ASRS 編集部
・アプローチに誘導されていました…そしてラ
ンウェイ10へのストレート・インを許可され
たんです。
ランウェイに向かいアプローチしている最中、
ILS アプローチをするにはどのようなセッティ
ングが良いのかチェックしてみよう、 と決心
してしまったんです。
スタビライズ、 つまり安定したアプローチを
するのに適した速度、 そしてフラップのセッ
ティングをどのようにすれば良いのか、 を知
りたかったんです。
間もなく着陸と言うとき、 着陸許可を貰った
かな、 と言う思いが頭の中をよぎりました。
でも、 すぐ“ランウェイ10へストレート・イ
ンする許可を得ているし、 着陸許可も得てい
るんだ”思ってしまったんです。
着陸し、 グランド・コントロールと交信する
と…彼らは私のいる位置がわからないようで
す。
タクシーウェイ・チャーリー上にいます、 と私。
すると、 タクシーウェイ・チャーリーにいる
んですか、 でもこの周波数はアプローチ・コ
ントロールのですよ、 との応答が。
私も確認しました。
周波数をタワーに変更しなかったばかりか、
タワーとも交信せず、 タワーから着陸許可を
得ないまま着陸してしまったんです。
ILS アプローチに適した速度、 そしてフラッ
プの下げ角といった数値にばかり気を取られ、
本来なら一番気をつけなくてはならないタワー
と交信、 言い換えればタワーから何の送信も
無いことに気付くべきだったんだ、 と思って
います。
Landing without a clearance incidents don't usually result in dire consequences, but the potential
for a hazardous situation certainly exists. An air carrier Captain attributes his failure to obtain
a landing clearance to a typical scenario--cockpit workload and instructions for a delayed frequency change.
・Approach Control asked us to maintain 250 knots and cleared us for the approach. Inside
XYZ intersection, ATC requested 210 knots and to contact Tower at the outer marker. Then
ATC requested we maintain 190 knots. Due to the greater than normal airspeed [when we
reached] the outer marker, I was concentrating on configuring the aircraft for landing. We
forgot to switch to Tower at the outer marker, and landed without a clearance.
The First Officer adds: "Contact Tower at the outer marker" is an invitation for this type of
incident. In our situation, Approach gave us several more instructions after telling us to contact Tower at the outer marker.
To ensure that Tower has been contacted, some pilots have developed a habit of always checking
that they are on Tower frequency at a fixed point in the Approach, such as at the outer marker
or after completing the landing checklist. If the pilots have reached that pre-determined point
without receiving instructions to change to Tower frequency, they can make the request to Approach Control. Whatever memory techniques are employed to prevent landing without a clearance, each requires discipline on the pilot's part to be effective.
Distraction is another commonly-reported cause of failure to obtain a landing clearance. A general aviation flight instructor, returning home after a pleasant afternoon's VFR flight, succumbed
to the distraction of a non-essential task and missed an essential frequency change.
・Approach gave me vectors...and I was cleared straight-in for Runway 10. While I was approaching the runway, I decided to check the settings needed for an ILS approach. I wanted
to see what the correct speed and flaps setting for a stabilized approach would be. Just short
of the runway the thought crossed my mind that I didn't remember being cleared to land.
Then I thought, "Of course I was cleared to land when I was given a straight-in for Runway
10."
[When I called Ground], they...sounded like they didn't know where I was. I told them I was
on [taxiway] Charlie. They responded that I might be on Charlie, but I was also on [Approach Control frequency]. And so I was. I had never changed the frequency to Tower, nor
had I talked to the Tower, nor had I been cleared by the Tower to land.
I think if I hadn't been so intent on getting those "numbers" for an ILS approach, I would have
been paying more attention to the fact that I wasn't talking to Tower--or, more importantly,
that they weren't talking to me.
2008 MAR
55
本タイトルは航空安全講習会 HP を引用しています。 カウンターは2008年2月時点のアクセス数です。
社団法人 日本航空機操縦士協会
航空安全講習会の
実施状況について
平成15年3月に 「自家用操縦士の飛行の安全
確保について」 という通達 (国空乗第2077号)
が出され、 自家用操縦士の技量維持方策に係る
指針が示されて、 丸5年が経過しようとしてい
ます。
この間、 JAPA では航空安全プロジェクト
を発足させ、 上記通達の主旨に添うべく、 国内
で自家用操縦士を会員に擁する4団体、 日本
飛行連盟、 日本滑空協会、 AOPA-JAPAN
任 全国自家用ヘリコプター協議会と協調
並びに
しながら航空安全講習会を全国で開催し、
4,000名以上の受講者に参加いただきました。
(∼平成20年1月末時点)
(表1参照)
この通達が出された背景、 指針に示されてい
る講習会の概要等は、 既にパイロット誌 *に何
回か紹介されていますが、 今回の状況報告をご
理解いただくため、 簡単に経緯を説明いたしま
す。 (*パイロット誌2003年5月、 2004年9月)
技量維持の背景
1996年10月に航空振興財団により 「操縦士
表1
年度
15年
16年
17年
18年
19年
計
航空安全講習会年度別受講者数
講 習 会 年 度 別
開催回数 受講者数
26
25
30
29
27
137
640
934
880
998
732
4,184
受講者の内
PPL 1回以上受講
受講者 したPPL 数
525
421
776
642
716
306
818
263
596
141
3,431
1,773
注) H19年度は1月末時点
56
2008 MAR
常務理事
吉田
徹
技能証明制度の国際的な調和に関する調査研究」
のための委員会が設けられ、 1998年3月に国際
標準との調和を踏まえた報告書が出されました。
この内容として、 自家用操縦士に関連するも
のとしては
1 外国政府の発行した自家用操縦士技能証明
書 (Private Pilot License:PPL) の書換
えの方法に関するもの (その後法改正が行
われ PPL の書換え対象国は ICAO 締結国
に限定され、 航空法の学科受験が義務化さ
れました)。
2 PPL 保持者等、 事業会社に所属しないパ
イロットの技量維持に係る制度に関するも
のでした。
その後2000年に ICAO のオーデットがあり、
その中でも技量維持に関する指摘があり、 2001
年、 航空輸送技術センターに 「航空従事者の
技量維持のあり方に関する調査研究」 のための
委員会が設けられ、 翌2002年に技量維持の考え
方と方法論についてまとめられた報告書が出さ
れました。
このような状況を踏まえ、 2003年3月 (平成
15年3月)、 航空局乗員課より首記の通達が出
された訳です。
(本文は、 当時上記委員会に参加されていま
した当協会故相原常務理事がパイロット誌2004
年9月号に報告をされたものを引用し、 概要を
説明しています。
詳細については、 上記パイロット誌をご参照
下さい)
航空安全プロジェクト
このような状況の中、 上記委員会の委員とし
て活動をされた方々を中心に、 指針に示された
「自家用操縦士は、 自ら積極的に技量維持に努
めることが望ましい」 という姿勢を率先垂範で
行うべく 団体の枠を超え、 前記の JAPA を
含めた5団体から技量維持活動のための担当者
を出して、 「研修委員会」 を発足させました
(実際は指針を予測して、 通達が出される1年
以上前から先行で活動を開始しました)。
この発足の主旨は、 指針に対して、 それぞれ
の団体が、 個別に対応したのでは、 講習会の質
の担保ができない恐れもあるため、 横断的な組
織で活動の標準化を図り、 より積極的な、 質の
高い講習会が、 定期的に継続して開催できるよ
う、 各団体が協力してやっていこうというもの
でした。
通達を受け、 上記研修委員会で準備した教材
を使い、 2003年6月に第1回目の 「自家用操縦
士技量維持 航空安全講習会」 が東京で開催さ
れました。
この年度はこの事業に対する費用の補助等は
なく、 それこそ各団体の手弁当で、 各団体傘下
の自家用操縦士はもとより、 団体に所属してい
ない自家用操縦士にも告知を行いながら、 通達
の主旨に則った安全啓蒙活動を全国で展開致し
ました。
この間、 空港環境整備協会に対し、 本活動
の重要性の説明と、 活動費用に対する助成申請
を行なってきました。
JAPA としましては1998年に、 時代の要請
に沿うべく、 より積極的な活動を目指し、 発展
的解消をした当時の 「自家用操縦士会」 を受入
れ、 自家用操縦士部会を新設しました。
自家
用操縦士部会として、 局の応援を得ながら、 自
家用操縦士向け 「安全研修会」 「安全セミナー」
を開催してきた経験もあり、 空港環境整備協
会の深いご理解のもと、 翌2004年度からは助成
事業として認められました。
(安全研修会、 セミナーは2005年までに100回
を開催し一時休止し、 その後は本 「航空安全講
習会」 の開催にシフトしています)
助成事業となったのを機会に、 2004年度より、
上記研修委員会は 「技量維持連絡会」 として各
団体の教材作成委員、 事務局担当者を含めた、
本格的な講習会運営組織として再構築を行い、
2002年、 航空輸送技術センターが提言した
「航空従事者の技量維持のあり方に関する調査
研究報告」 に示された技量維持方策のガイドラ
インに、 より一層適合させる活動ができる体制
に組み換えを行いました。
この間、 JAPA 内部では 「技量維持連絡会」
の設立、 運営を通じて 操縦士協会のめざすも
の に掲げられた 「航空の安全文化の構築を目
指す」 ため、 航空安全講習会の展開を強力に行
うべく 「航空安全プロジェクト」 を発足させ、
活動を開始しました。
JAPA の掲げるビジョンを達成するための
基本指針は、 航空に携わる各団体にも充分な御
理解を頂き、 「技量維持連絡会」 による活動が
軌道に乗った時点で、 「航空安全プロジェクト」
は発展的に解散致しましたが、 その後は 「技量
維持連絡会」 の事務局業務を行うことで現在も
その主旨は継続されています。
航空安全講習会の開催
受講対象の自家用操縦士は北海道から沖縄ま
で、 それこそ日本全国に散らばっています。
前回の調査研究でも、 身近に講習会を受講で
きる環境の無い自家用操縦士がいることも判明
し、 「すべての自家用操縦士が同じような条件
で講習会を受講できる機会を設ける必要のある
こと」、 講習会の実施に関しても、 「年間で複数
回を国内の各地域で開催すること」 が提言とし
て出されています。
また、 このような講習会を行うため、 提言で
は 「団体等の内、 適切と認められる団体または
組織を幹事とし、 幹事は該当する全ての講習会
2008 MAR
57
実際に飛行を行っている、 言わばアクティブ
な自家用操縦士約2,400名の人口分布は、 国内
の人口分布と似ていて、 その半数の方が関東
(1都6県) に集中しています。 これに東海、
関西を加えると7割となりますので、 これ以外
の地域の比率は小さく、 これらを網羅して、 提
言にある 「すべての自家用操縦士が同じような
条件で講習会を受講できる機会を設ける」 こと
の難しさがあります。
この5年間の受講者を地域別に分析したのが
表2です。
の開催時期、 開催地等を調整すること」 となっ
ています。 JAPA はこの役割を各団体の協力
を得ながら 「技量維持連絡会」 の事務局業務を
通じて実践している訳です。
航空安全プロジェクトで、 各地域にどの程度
の自家用操縦士がいて、 何処でどの程度の講習
会を行えば良いのか…を空港の配置図を片目で
睨みながら、 年間25回∼30回の開催が必要と想
定しました。 この机上の計画の確認を各団体に
もお願いし、 初年度は26回の開催計画でスター
トしました。
その後は、 年度毎の受講者数を睨みながら、
2年に1回の基準が満足できるように開催地を
調整しながら、 運営を続けているという状況で
す。
表2
58
1
認定講師制度
この様な状況で、 全国の隅々まで安全講習会
の開催を行うため 2004年度より、 認定講師制
度を導入しました。
認定講師は技量維持連絡会のメンバー団体の
会員の中から、 地域の飛行クラブ、 滑空クラブ
等で指導的な立場でご活躍の方を推薦頂いてお
ります。
制度上は2年に1回の講習会の受講、 という
ことですが、 常日頃よりクラブ内の会員に啓蒙
活動を行っていただいている方々に、 日々安全
に対する意識付けの継続を行って頂き、 節目と
して2年毎に航空安全講習会を企画運営してい
ただくことで、 よりきめ細かく安全意識の継続
が行えるように配慮した訳です。
H19時点での地域別 PPL 受講率 (地域別 PPL 人口比)
地域
PPL 人口
北 海 道
東
北
関東甲信越
中
部
関
西
中国四国
九
州
沖
縄
分類不明
計
108
79
1,158
292
260
110
112
14
256
2,389
2008 MAR
安全講習会の運営
∼H19
PPL 受講者数
89
79
886
316
153
83
129
16
22
1773
受講率
82%
100%
77%
108%
59%
75%
115%
114%
9%
74%
備
1
2
考
PPL 人口はパイロッ
ト 誌 2006 年 9 月 号
「自家用操縦士の技
量維持について」 よ
り引用
地域分類出来ない
PPL が256名いるた
め受講率が100%を
超えるケースが出て
いると考えられます。
更に自家用操縦士の人口分布状態からは、 各
地域の方々のご協力をいただき、 活発に多くの
地域で講習会を開催したいという背景もありま
す。
この制度発足に当たり、 ややもすると活動は
自分たちの場所に限定され、 種類の異なる航空
機の操縦士とあまり会話する機会のない夫々の
方々に一同に会していただき、 同じ空を共有し
ていることをまず理解していただくことが重要
であろう、 という局乗員課のご指導の下、 第1
回目の 「認定講師研修会」 を2004年7月に東京
で開催致しました。
一同に会する研修会は翌2005年にも行い、 目
的は充分達成できたということで、 その後は、
参加される認定講師に負担がかからないよう、
全国 6か所で分散して開催するようになりま
した。
認定講師の委嘱期間は1年とし、 リカレント
の研修会 (講師は局乗員課より派遣) を受講す
ることで当年度の委嘱を行う制度となっていま
す。
平成19年度は94名の方にこの研修会にご出席
頂き、 委嘱を行っています。
制度発足以来、 4年間で延べ293名の認定講
師の方々に、 通達に示された 「安全講習会のモ
デルケース」 に則った講習を行っていただいて
おります。
当初は航空安全講習会の講師を航空局にお願
いするケースが多かったわけですが、 認定講師
制度の拡充に伴い、 翌平成17年度からは、 認定
講師による講習が定着してきています。
(表3参照)
技量維持連絡会事務局として JAPA より認
定講師に対し安全情報、 通達等の情報提供等を
行っていますが、 この概要及び提供された情報
に対する認定講師の評価等はパイロット誌2006
年9月号 「自家用操縦士の技量維持について」
(執筆者 相原常務理事) をご参照して下さい。
表3
航空安全講習会における講師委嘱状況
(平成16年
認定講師制度導入後の所属別の委嘱講師数)
年度
講 習 会
開催回数
H15
H16
H17
H18
H19
計
26
25
30
29
27
137
2
所属別講師数
局乗員課
管 制
認 定
(OB 含む) 部 門
講 師
制度未導入
25
3
48
11
3
91
8
3
83
7
2
71
51
11
293
講習教材の作成
年30回程度、 全国各地で行われる航空安全講
習会の標準化を図り、 受講者へより一層の意識
付けを行うべく、 平成19年度より視聴覚教材
(DVD) を作成し、 講習会での利用を始めまし
た。
JAPA の豊富な人材とその集約である各委
員会の知見をそのまま置いておく手はないと考
え、 これを自家用操縦士の技量維持に生かすた
め、 まず、 航空安全委員会とコラボレーション
で教材を作成しました。
その前年、 燃料枯渇に関するアクシデント、
インシデントが続き、 事故調からも非常操作に
関する建議が出されていましたので、 テーマは
燃料管理に関するものとしました。
この DVD のストーリーの中で気象情報入手
に関する部分がありました。
これに連動させ、 航空気象委員会が気象に関
する詳細説明 「気象情報入手の方法、 VFR で
の事例紹介等」 をパイロット誌に4回継続でを
掲載していただきました。 受講者にはそのコピー
を講習会資料として配布しています。 併せ、 認
定講師への配布資料としても利用させていただ
きました。
平成20年度は 受講者アンケートで要望が多
い、 ATC 関連の教材を航空安全委員会とのコ
ラボレーションで作成中です。
ドラマ仕立てですので、 各委員会よりフォロー
アップの説明が頂ければ、 それも講習会で使わ
せて頂き、 講習会の質の向上に結びつけさせて
いただきます。
2008 MAR
59
3
受講者/自家用操縦士のプロファイル
講習会では受講者にアンケート調査をお願い
しています。 内容は所有する資格/航空機の種
類、 飛行時間、 所属団体、 及び航空安全講習会
に関する意見、 評価等です。
これを年度毎にまとめ受講者の実態把握と、
航空安全講習会の方向付け (意見、 評価を反映
した講習内容の検討等) に利用しています。
この5年間に1回以上受講された方の飛行時
間、 技能証明取得地等については表4, 5をご
参照下さい。
自家用操縦士の飛行時間は、 当初言われてい
ましたレベルに比べ多く、 平均で年間 30時間
以上、 総飛行時間 500時間以上となります。
当初、 航空安全講習会を受講される方々はよく
飛ばれている、 安全意識の高い方であろうと考
えられましたが自家用操縦士の受講者が1,700
名を超えた時点の方でも飛行時間は同様の傾向
を示しています。 別件で各団体に所属する自家
用操縦士に対するアンケートを行い、 その集計
でも同様の飛行時間が出されていることから、
今までの認識を変える必要がありそうです。
(別件でのアンケートは次章の 「自家用操縦士
の技量維持に関する調査委員会」 での実施結果)
表4
年度別新規 PPL (航空安全講習会の受講1
回目の PPL) で集計した平均飛行時間
H19年度
H18年度
H17年度
H16年度
H15年度
平均年間
飛行時間
30時間
27時間
27時間
32時間
39時間
表5
種類
飛行機
回転翼
滑空機
計
平均総
飛行時間
541時間
399時間
438時間
498時間
575時間
平均年齢
47歳
46歳
47歳
52歳
50歳
技能証明取得地 (H15∼19年
日 本
304
12
587
903
USA
400
89
86
575
中
国
93
60
11
164
4
受講状況と成果
通達が出されて5年が経過しますが、 この間
137回 (2008年2月開催予定1回を含む) の航
空安全講習会が開催されました。
累計では約4,200名の方に受講いただき、 こ
の中で1回以上受講された自家用操縦士は約
1,800名となるでしょう。 (技量維持連連絡会事
務局集計の受講者アンケートによる。 平成20年
度は推定を含む。 受講者の概要は 表1をご参
照してください)
航空安全講習会が順調に運営される中、 平成
19年度より別の助成金事業として、 JAPA が
事務局をとなる 「自家用操縦士の技量維持に関
する調査委員会」 が開催されています。
技量維持方策として、 次の5年間の方向付け
を行うことになると思われますが、 この委員会
でも 「航空安全講習会の成果が一定程度寄与し
ている」 という評価を頂いております。
また、 技量維持方策として、 事故原因のうち
講習でも技量維持が可能であると考えられるも
のが42%を占めているというデーターも示され
ています。 (パイロット誌2007年11月号 理事
会通信)
この2∼3年を見ますと、 自家用操縦士によ
る事故は、 必ずしも増加しているという状況で
はないと思われます。
実施後僅か5年間の期間ですので、 今、 その
成果を評価できるほどのものではないと考えら
れますが、 この状況が今後も続いてほしいもの
です。
JAPA を含め、 自家用操縦士を会員に持つ
PPL1,773名中回答のあった1,647名で集計)
フイリッピン
25
11
0
36
他
24
10
2
36
不 明
177
42
41
260
注) 複数の種類の技能証明を所持される方がいるので取得地の延べ数は回答者数より多くなる。
60
2008 MAR
計
1,023
224
727
1,974
5団体が協力して運営を行っている訳ですが、
残念ながらこの5団体に属している自家用操縦
士の方全てが受講されている、 という状況では
ありません。
JAPA におきましても、 自家用会員約600名
にの内、 既に1回以上受講された方は約半数の
270名程度に止まっています。 (受講者アンケー
トでの、 所属している団体の調査結果)
べく航空安全講習会会場や HP 等で広く告知を
行いました。
参加者には、 最近飛行できない理由やこのプ
ログラムで実施される局通達に基づいた実技訓
練に対する意見等、 アンケート調査に協力して
いただくという条件で募集を行いましたが、 こ
の3年間に実態調査に参加された方は僅か数名
でした。
まだ受講されていない JAPA 会員の皆様、
並びに一昨年受講していただいた会員の皆様、
今年度の航空安全講習会には是非ご参加をお願
い致します。
残り1/3程度の航空安全講習会未受講の自
家用操縦士の方のプロファルが把握できないま
ま、 課題として残っています。
5
最近の飛行経験に関する状況
通達では航空安全講習会の受講と、 最近の飛
行経験 (180日に3回以上の離着陸) が指針と
して出されています。
航空安全講習会での受講状況は今まで記載し
たとおりですが、 最近の飛行経験の充足状況に
関するデーターは全くありません。
オーナーパイロット、 クラブ等に属している
方は普段の飛行で充足されているだろうと思わ
れます。
多くの航空安全講習会を受講されている方も
アンケートに記載された飛行時間を見る限り充
足されているであろうと思われます。
技量維持連絡会では、 最近の飛行経験が充足
されていない方 (現に有効な技能証明、 身体検
査証明を有する方) を対象に、 実態調査を行う
自家用操縦士の
技量維持に係わる
ガイドライン
今後の技量維持について
先にも述べましたが、 平成19年度において
「自家用操縦士の技量維持に関する調査委員会」
による提言が行われます。
委員会では、 飛行を含めた技量維持方策が提
言される予定ですので、 局ではその主旨に沿っ
た、 制度の変更が検討される可能性もあります。
現状の航空安全講習会の枠組みでの技量維持方
策は、 平成20年度は助成金事業として取り込ま
れていますので当面、 今までの延長上で、 受講
者のアンケート等に基づきながら更に改善を行
い、 航空安全講習会を継続させる予定です。
JAPA 内部でのコラボレーションによる、 質
の高い、 講習会資料等の作成を通して、 会員及
び全国の自家用操縦士の皆様に情報提供と安全
啓蒙を行って行きたいと考えています。
・ 定期的(2年に1回)な安全講習会の受講
・ 操縦技量の維持(180日以内に3回以上の離着陸経験)
講習会の予定につきましては操縦士協会ホームページwww.japa-seminar.com にてご確認頂けます。
皆様のご参加をお待ちしております。
2008 MAR
61
航空医学適性のQ&A
健康管理について考えてみよう!
第5回
かぜ薬・花粉症の薬は飲んでも大丈夫ですか?
医療法人財団 慈生会 野村病院
三浦
靖彦
このたび、 航空医学安全委員会は PILOT 誌に、 操縦士のための
健康情報を掲載します。 会員の皆様、 自らの健康作りに活用してください。
はじめに
パイロットの方たちは一般人以上に健康の維
持に努力しているものと思われます。 しかし、
人間である以上、 風邪をひくこともあります。
また、 花粉症に罹る人の数は増加し続けており、
今の季節、 沢山の人がマスクをしながら街を歩
いているのを見かける昨今、 パイロットの方で
花粉症をお持ちの方も多いものと思います。 で
は、 風邪を引いてしまったとき、 花粉症の症状
の強いとき、 どうしたらよいのでしょうか?
2005年4月に但馬空港において、 アクロバッ
ト飛行で世界的に有名なパイロットが事故死し
た出来事は皆様も記憶にあると思います。 事故
調査報告書によると、 持病の花粉症に対して普
段から市販薬を内服していたことが記されてい
ます。 しかし、 飛行前に内服していたかどうか
は不明です。 一方、 2008年1月に山形県の月山
トンネルでのバス運転手が失神した出来事は生々
しく記憶に残っています。 この運転手は、 イン
フルエンザに罹っており、 さらに風邪薬を2回
分も運転直前に服用していたことが判明してい
ます。
風邪薬の中には、 花粉症治療薬と同じ、 鼻水・
咳・くしゃみ・痒み等を抑える作用を持つ薬品
(抗ヒスタミン薬) が含まれています。 抗ヒス
タミン薬は、 確かに、 鼻水等を抑える効果があ
りますが、 副作用として、 眠気が出ることが有
名です。 しかし、 眠気とは関係無しに、 作業能
力・集中力が低下することが知られています
62
2008 MAR
(インペアード・パフォーマンス)。 花粉症治療
薬として最近登場した、 第二世代抗ヒスタミン
薬の中には、 近年の基準改正により、 飛行の1
日以上前であれば服用可能な薬もありますが、
それ以外の抗ヒスタミン薬、 特に市販の風邪薬
や鼻炎薬は、 後述するように、 ウィスキーの水
割り3杯を飲む以上にパフォーマンスを低下さ
せる可能性があるため、 その薬の影響下にある
間、 飛行することは決して許されるものではあ
りません。
航空法における医薬品の取り扱い
航空法第70条 (酒精飲料等) の項に 「航空機
乗組員は、 酒精飲料又は麻酔剤その他の薬品の
影響により航空機の正常な運航ができないおそ
れがある間は、 その航空業務を行ってはならな
い。」 との記載がありますが、 どの医薬品が服
用可能なのかが明記されていないため、 わが国
においては、 航空業務を行う者は原則的に医薬
品の使用は許可されない傾向があります。 高血
圧症に対する医薬品 (降圧薬) 使用でさえ、 昭
和60年に初めて 「降圧利尿薬」 のみが許可され
たにとどまり、 Ca 拮抗薬、 β遮断薬、 ACE 阻
害薬といった、 病院では当たり前になった降圧
薬でさえ、 航空身体検査指定医のレベルで使用
許可になったのは平成7年でした。
航空機乗組員の抗ヒスタミン薬の使用に関して
平成19年の改正以前の航空身体検査基準によ
ると、 アレルギー性疾患の項目に 「重大なアレ
ルギー性疾患がないこと。」 と明記され、 不適
合状態に、 「アレルギー性鼻炎、 アレルギー性
結膜炎又はアレルギー性眼瞼炎、 アレルギー性
皮膚疾患」 と記載されているため、 パイロット
希望者においても、 身体検査でアレルギー性鼻
炎の所見があると不合格になるという実態があ
るようです。 近年、 眠気・注意力低下等いわゆ
るインペアード・パフォーマンスのない抗ヒス
タミン薬の登場もあったことから、 平成13年か
ら3ヵ年にわたって国土交通省で開催された
「航空機乗組員の医薬品使用のあり方に関する
検討委員会」 の中で、 これら、 いわゆる第二世
代の抗ヒスタミン薬の使用の可否が検討されま
した。 以下にその経緯を紹介します。
1. 海外の現状調査を行った結果、 欧米諸国で
は第二世代の抗ヒスタミン薬の使用に関して
は、 フェキソフェナジンとロラタジンという
薬品に限り、 基本的に許可されている国が多
いことが判明しました。
2. 東北大学の田代医師、 谷内医師らの研究:
臨床薬理 33, 2002
PET (陽電子放射断層撮影) を用いて、
各種抗ヒスタミン薬の脳内ヒスタミン受容体
への結合度を精力的に調べていますが、 その
結果によると、 フェキソフェナジンは、 脳内
への移行がほとんど無いことが示され、 イン
ペアード・パフォーマンスのない抗ヒスタミ
ン薬であることを強く支持する結果が得られ
ました。
3. 同じく東北大学の田川医師、 谷内医師らの
研究:Jpn J Pharmacol 83, 2000
コンピュータ画面上に 7msec.で表示され
る指標を他の指標と判別しボタンを押して反
応するという実験を行いました。 d-クロル
フェニラミン (第一世代抗ヒスタミン薬) を
2㎎、 つまり、 一般的な市販の風邪薬1包相
当の服用により、 ウィスキー90 (シングル
の水割り3杯分) を摂取したときと同程度の
インペアード・パフォーマンスが生じること
が判明しました。
4. 海外における抗ヒスタミン薬のパフォーマ
ンスに及ぼす影響に関する研究を収集しまし
た。
a . ニ コ ル ソ ン 医 師 の 研 究 : Antihistamines and Aircrew: Usefulness of
Fexofenadine. Aviat Space Environ Med
71, 2000.
・数字・記号置き換えテスト
紙上に200個並べられた数字を予め決め
られた記号に置き換えるテスト。
・トラッキング・テスト
コントロールスティックを用いて、 水平
に移動する十字を固定ターゲットの中心
に保持するよう操作するテスト
・視覚的覚醒性テスト
モニター上に無作為な一桁数字が1秒に
ひとつずつ提示され、 違う数字で奇数が
3回続いた時に応答する作業を15分間実
施するテスト
・眠気に対する主観的評価
以上の方法を用いてプラセボ (偽薬)、
プロメタジン (第一世代抗ヒスタミン薬)、
フェキソフェナジン (第二世代抗ヒスタミ
ン薬) の影響を調査したところ、 フェキソ
フェナジンはプラセボと同様に、 パフォー
マンスに対する負の影響は認めませんでし
た。
b. ハインドマーチ医師の研究:Clin Exp
Allergy, 29, 1999
抗ヒスタミン薬の鎮静作用に関する解析
を行ったところ、 フェキソフェナジンには
パフォーマンスに対する負の影響を認めた
という研究は皆無で、 ロラタジン、 セチリ
ジン (第二世代抗ヒスタミン薬) において
も負の影響は少ないことが判明しました。
一方、 市販の風邪薬等に含まれている、 第
一世代の抗ヒスタミン薬の場合は、 パ
フォーマンスを低下させるという報告ばか
りでした。
c . ワ イ ラ ー 医 師 の 研 究 : Effects of
2008 MAR
63
Fexofenadine, Diphenhydramine and Alcohol on Driving Performance. Ann Intern Med 132, 2000
ブタクサアレルギー患者40名を対象に、
フェキソフェナジン、 ジフェンヒドラミン
(第一世代抗ヒスタミン薬)、 アルコール
(血中濃度0.1%以上) あるいはプラセボを
内服させ、 自動車運転能力に及ぼす影響を
自動車運転シミュレーターで検討しました。
密着性・最小車間距離・ステアリング安定
性・車線逸脱・遮断車両に対する反応につ
いて実験を行ったが、 フェキソフェナジン
とプラセボは自動車運転能力に対して負の
影響は認めませんでした。
d . Sen 医 師 ら の 研 究 : First generation
H1-Antihistamines Found in Pilot Fatalities of Civil Aviation Accidents, 19902005. Aviat Space Environ Med 78, 2007
米国で1990から2005年に起こった5383件
の航空死亡事故の機長の遺体の調査により、
338件において第一世代の抗ヒスタミン薬
が検出されました。 このうち13件は、 薬剤
の影響が直接の事故原因と考えられると報
告されています (死亡事故の場合、 ここま
で徹底的に調査する米国 NTSB には敬意
を表します)。
表1
△
×
主な風邪薬、 鼻炎薬、 睡眠改善薬を示します
が、 これらの薬品には第一世代の抗ヒスタミ
ン薬が含まれており、 内服後は、 飛行機の操
縦はもちろん、 自動車等の運転もしてはいけ
ないことが注意書きに記載されています。 ち
なみに米国では、 鎮静性抗ヒスタミン薬を服
用して運転すると処罰される州がほとんどで
すので、 日本国内においても最大限の注意が
必要です。
6. 航空機乗組員の医薬品使用に関する規制の
緩和
以上のような話題を3年間の委員会で討論
し、 平成17年3月31日付けで、 鎮静作用の無
い抗ヒスタミン薬 (第二世代の抗ヒスタミン
薬に限る)・抗アレルギー薬については、 「過
主な第二世代抗ヒスタミン薬の服薬時の注意書き
眠気を催すことがあるので、 本剤投与中の患者には自動車の運転等危険を伴う機械の操作に
注意させること
眠気を催すことがあるので、 本剤投与中の患者には自動車の運転等危険を伴う機械の操作に
は従事させないよう十分注意すること
フェキソフェナジン
ロラタジン
エバスチン
エピナスチン
ペポタスチン
ケトチフェン
メキタジン
アゼラスチン
オキサトミド
エメダスチン
セチリジン
オロバタジン
64
5. 主な第二世代抗ヒスタミン薬の服薬時の注
意書き (表1参照)
わが国における各種抗ヒスタミン薬の使用
上の注意として、 「眠気を催すことがあるの
で、 本剤投与中の患者には自動車の運転等危
険を伴う機械の操作には従事させないよう十
分注意すること」 または、 機械の操作に注意
させることとされている薬品がほとんどであ
るが、 フェキソフェナジンおよびロラタジン
のみが、 その注意書きのない医薬品であるこ
とがわかります。 表2, 3に市販されている
2008 MAR
商 品 名
アレグラ
クラリチン
エバステル
アレジオン
タリオン
ザジテン
ゼスラン・ニポラジン
アゼプチン
セルテクト
レミカット・ダレン
ジルテック
アレロック
自動車運転等の注意
△
△
△
×
×
×
×
×
×
×
去の使用経験により、 眠気・集中力低下等の
副作用が無いことを指定医又は航空産業医に
より確認されなければならない。 ただし、 服
用後少なくとも通常投与間隔の2倍の時間
(一日3回の服用が指示される場合は16時間、
一日2回の場合は24時間) は航空業務に従事
してはならない。」 と、 但し書きは付いたも
のの、 規制の緩和を行うことができました。
但し書きの部分により、 フライト中の服薬は
できませんが、 オフの時、 ゴルフ・レジャー
等の際に服用できるようなっただけでも、 パ
イロットの方々の生活の質の向上に大きく役
立っているものと考えております。
表2
薬剤名
以上に概説しましたように、 花粉症に対する
数種類の第二世代の抗ヒスタミン薬に限り、 フ
ライト1日以上前であれば服用可能ですが、 風
邪薬を服用して飛行することは許されません。
Pilot 誌2000年11月号にも医薬品使用に関して
掲載しましたが、 特に風邪をひいてしまったと
きには、
・風邪そのものによる体調不良により飛行に適
さない状態であること
・航空性中耳炎を起しやすい状態であること
・風邪薬を飲んだのであれば、 その副作用によ
り、 正常な操縦業務は行えないこと
を肝に銘じ、 早く風邪を治して万全な体調で飛
行をエンジョイしていただけたら幸いです。
主な市販風邪薬に含まれる抗ヒスタミン薬の含有量
1日量
錠 9T/日
顆粒 3P/日
カコナールゴールドUP
錠 9T/日
パブロンエース
錠 9T/日
錠 6T/日
プレコール持続性
カプセル 4C/日
錠 9T/日
ベンザブロックP、 L
顆粒 3P/日
カプセル 6C/日
錠 9T/日
新ルルA ゴールド
顆粒 3P/日
カプセル 6C/日
ストナジェルサイナスS カプセル 6C/日
エスタックイブ
表3
おわりに
マレイン酸
クロルフェニラミン
フマル酸
クレマスチン
塩酸
マレイン酸
ジフェニルピラリン カルビノキサミン
7.5㎎
7.5㎎
7.5㎎
6㎎
7.5㎎
7.5㎎
1.34㎎
4㎎
主な市販花粉症治療薬・睡眠改善薬に含まれる抗ヒスタミン薬の含有量
薬剤名
1日量
コルゲンコーワ鼻炎持続カプセル
コンタック600プラス
4カプセル/日
4カプセル/日
錠 6T/日
カプセル 4C/日
カプセル 2C/日
錠 9T/日
錠 2T/日
パブロン鼻炎カプセル S
パブロン鼻炎カプセル Z
アネトンアルメディ鼻炎薬
ストナリニ S
ドリエル (睡眠改善薬)
マレイン酸
クロルフェニラミン
8㎎
8㎎
フマル酸
ケトチフェン
マレイン酸
塩酸
カルビノキサミン ジフェンヒドラミン
12㎎
2.76㎎
12㎎
12㎎
50㎎
2008 MAR
65
連
載
―雑食性パイロットの飛行カバンから―
文と絵
湧井カレン
第11話:臨界体験訓練
「年に2回は大酒を飲め」、 カレンが現役時代にはこんなことを言う上司がいた。 自分の酒量の
臨界を知っていればフィジカルにも、 ソシアルにも自己コントロールが出来る、 「普段は8分目で
止めておけ」 という下の句につながる警句、 含みの多いお言葉である。 我が身に照らせば、 それが
8割で収まったことはないのだが...。
臨界体験という言葉はない。 非日常の世界を体験するプログラム、 だから臨界体験訓練と私が勝
手に名づけた。
航空機がさらされる環境は大変厳しい、 43000フィートの大気は−56℃、 気圧も酸素も地上の1/4
だ。 この条件では人間の有効生存時間は5分ほどらしい。 飛行機は熱砂のサハラの上空も、 北極の
氷の上も難なく飛んでいる、 機内に居る我々は高々1500mほどの山の上に居ることにはなるだろう
が、 お茶の間に居るのと変わらない25℃ほどの快適な室温だ。 でも、 「もしここで気密が破れたり、
不時着の浮き目に遭ったら」、 と考える。 そんな臨界状況の下で生き延びるための知恵と方法をあ
らかじめ体験する訓練プログラムがある。
「サバイバル訓練」 と 「航空生理訓練」 だ。 諸賢の中には防衛庁ご出身の方も大勢おられるに違
いない。 名前を聞いて懐かしくお感じになりませんか?また民間のご出身の中にもこれらの訓練を
経験された方は多いだろう。 いずれも生身には厳しい訓練だし、 何度も体験したくない訓練には違
いない。
飛行機の製造会社に勤務していた私は防衛庁向けの飛行機にも乗るから、 これらの訓練を定期的
に受けるのは義務であった。 4年に一度の生理訓練、 毎年1度のサバイバル訓練である。
「サバイバル訓練」 これは会社で自主的にやって宜しい、 と調達実施本部の駐在所長殿の許可が
あったので社内で計画し実施した。 だからいつしかこの訓練は手前みそが色濃くなった。 今年は山
岳サバイバル、 来年は洋上サバイバルと、 登山やキャンプやスキーや海水浴、 海釣りなどを兼ねた
アトラクティブなものに変態してしまった。 自分たちで計画して、 社用機のヘリコプタや車、 他の
事業部で作っているジェット・スキーなども借り出して、 もっともらしい企画書を練り上げる。 駐
在官や駐在領収クルーも巧みに誘って、 多少のゴマすりを行ったのは確かだ。
パラシュートにぶら下がって操縦法や離脱を試みる、 救命イカダでの漂流、 海水の蒸溜。 開傘し
たパラシュートで雪洞や立ち木に小屋掛けする、 草木を見分けて食べてみる (ヘビやカエルを食べ
るほどの真面目さはない) ミラーや発炎筒で信号を送るなど、 ボーイ・スカウトのリーダーができ
るほどの訓練を体験するのだ。 これらの内容は、 はしょるわけにはいかなかったので少しの厳しさ
をもってそれらしく実施したのだ。
66
2008 MAR
私は社内の安全担当操縦士を自薦して、 永年その任に就いていたから、 毎年の計画に策を労し楽
しく行った。
「航空生理訓練」 の醍醐味はなんと言っても減圧室 (Chamber ともオカマとも言う) だろう。
酸素マスクを着け終わるとまず地上で純酸素を10分ほど吸入する、 高空に上がると関節にある窒素
ガスが膨れて関節炎を起こす。 だからこれを追い出ための 「脱窒素」 というプロセスだ。
ガッチャン!と分厚い鉄のドアが閉じられるといよいよ45000フィート目指して上昇する、
3000/min ほどのレートだろうか。 1万からは5千フィート刻みのステップ・アップで、 身体の異
常の有無を確かめながらの親切な上昇である。 「爪を見ろ」 と、 爪が紫色になっていたらハイポキ
シャ=酸欠の証拠だ。
4万フィートを過ぎると供給酸素を強制モードに切り替える、 加圧呼吸だ。 この迫力は凄い。 液
体かと見まがうばかりの勢いで肺に酸素が送り込まれる。 普段我々は大気圧の力で排気し吸気に筋
力を使っているらしい、 それが逆転するのだ、 欲しくもない酸素を肺から吐き出すため凄まじい努
力をしなければならない。 4万5千フィートでの臨界体験である。 地上の気圧の時にあったゴルフ
ボールほどの天井の風船は、 いまサッカーボール大になっている。 血液は65℃で沸騰するぞ、 と脅
される。
35000フィートまで降りてきて Level Off、 いっせいに酸素マスクを外すと、 すかさず担当メディッ
クからバインダーと鉛筆を貰う。 酸素なしの状態で算数の計算をやらされる、 小学3年生レベルの
計算だろうか、 1000から順に1づつ引いてこれを紙に書いていく、 名前も書けという。
999 998 997...という具合に、 メディックは私の瞳孔を見ていて...彼が臨界と感じたところで
マスクを着けてくれる。 「はい、 これが貴方の有効意識時間です」 と○分×秒を教えてくれる。
さて私はいい気なもんだ。 うまく計算したつもりが最後のほうはメチャクチャ、 数字にもなって
いない...という状態を体験するのである。 ハイポキシャに苦しさや痛さは感じない、 むしろ心地
よさや陶酔感みたいなものがあるようだ。
2008 MAR
67
更に降下は続きここからは自由落下の体験、 パラシュート降下の模擬である、 (パラシュートは
13000フィートまでは絶対開いてはならない、 酸欠と凍傷で危険だからと。 パラシュートには意識
を失っていても13000になると勝手に開いてくれるプログラムが組んであるという)
6000ft/min の降下率で降りて (落ちて) いく。 このとき耳管が詰まると厄介だ、 8000フィート
あたりが一番厳しいと、 傷みや鼓膜の損傷にも。 スカイダイビングで経験された方はお分かりだろ
う、 無重力感があれば絶対快適なはずである。
無事着地するのだが、 まだ外へは出してもらえない。 こんどは酸素マスクを外してお客になった
つもり、 与圧状態のまま再び上昇する、 旅客機と同じ機内の状態を作る。 オカマの中は5000フィー
ト? (忘れました) くらいか。 でも外は1万8千フィート、 地上大気のほぼ1/2だ。 ここで急減圧
の体験だ。 機体に大きな穴が開いたかドアが吹き飛んだ状態ですね。 一瞬に18000フィートまで上
昇するのである。 不用意に減圧すると肺房を傷めることがあるので、 イチニノサン!と合図をして
爆発させる。 ドッカン!と音がして目の前は水蒸気で真っ白、 肺からは液体のように空気が吐き出
される。 唇がブルルルと震える。 これも通常では起こり得ない臨界体験である。
さて、 頭や肺については以上であるが、 胃腸や上下の開口部について書かなかった...が、 やは
り触れずには済むまい。 体内の空気は6倍にも膨張するのだ、 大人しいはずはない。 胃腸の中の空
気 (別の呼び方はある) はこの訓練で両方の開口部から随時、 随所に吐き出される。 幸いにも酸素
マスクとヘルメットのおかげで8名のクルーとスタッフはこの公害を体験することはない。 満員の
通勤電車やエレベーターの中とはちがうのである。
お腹はすっきり、 訓練終了後の身体の清清しさは格別である。 でも前夜に臨界量まで飲み、 二日
酔いで受講した不届きなヤカラは哀れである。 上と下へゲル状の...これも臨界体験と言えますね。
「サバイバル訓練」 についてエピソードを語れば現役の後輩に害が及ぶことがいっぱいある。 吐
露するにも臨界値がありそうだ、 紙面も尽きたからここでは書かない。
FAI イベント情報
ジェネラルアビエーション競技会:URL:http://www.ried2008.at
・18th FAI World Precision Flying Championship (精密飛行競技 世界選手権)
Place: Ried-Kirchheim (Austria)
Dates: 13/07/2008−20/07/2008
・16th FAI World Rally Flying Championship (ラリー飛行競技 世界選手権)
Place: Ried-Kirchheim (Austria)
Dates: 20/07/2008−26/07/2008
エアロバティックス競技会 (FAI-CIVA) URL:http://www.fai.org/aerobatics/
・EAC (アンリミッテッドヨーロッパ選手権)
2008.7.6−13 チェコ共和国フラデク・クラローヴェ
・WAAC (アドバンスド世界選手権) 2008.8.1−10 アメリカ合衆国オレゴン州ペンドルトン
・YAK52WAC (YAK52世界選手権) 2008.8 (開催日未確定) ロシア連邦ノボシビルスク
これらには、 JAPA の会員で、 必要な経歴と技量を有していると認められたパイロットであ
れば、 出場することができます。 出場、 見学、 ボランティア等を希望の方は JAPA までお問
合せ下さい。
68
2008 MAR
連
載
航
空
●
曼
史
●
陀
羅
その22. 関東大震災と
航空支援活動
徳田
忠成
平成7年 (1995年) 1月17日早朝に起きた阪
神・淡路大震災から、 すでに13年が経過してい
る。 マグニチュード7.7、 犠牲者6,433人にのぼっ
た。
報道ヘリの活躍に比べ、 救難ヘリの出動数が
少なかったと批判されたが、 それでも自衛隊か
ら海上保安庁、 各県の防災機関、 航空事業会社
の飛行機、 それに自家用機が救援に積極的に参
加し、 ヘリコプターは緊急物資輸送に活躍した。
自衛隊は、 陸海空合わせて隊員延べ190万人、
車輌35万台、 飛行機8,900機、 艦船680隻が投入
された。
関東大震災が襲ったのは大正12年 (1923年)
9月1日午前11時58分だった。 伊豆大島、 相模
湾を震源としたマグニチュード7.9の突然の激
震で、 東京、 神奈川を中心とする千葉、 埼玉、
静岡に甚大な被害をおよぼした。
明治24年10月28日の岐阜、 愛知両県を中心に
おきた濃美地震 (マグニチュード8.4) 以来の
大震災である。 全壊家屋12万8,266戸、 2日2
夜 燃 え 続 け た 二 次 災 害 に よ る 焼 失 家 屋 44 万
7,128戸、 死者99,331人、 行方不明43,476人、 罹
災者約340万人という未曾有の大惨事になった。
東京の交通網はほぼ完全に寸断され、 通信も
瞬時に途絶した。 震災直後の想像を絶する混乱
ぶりは人心不安をあおり、 社会主義者や在日朝
鮮人による暴動が起きるなどの流言飛語が飛び
交い、 自警団をつくった日本人は竹槍や斧で、
6∼7,000人の在日朝鮮人を血祭りに上げると
いう惨劇まで誘発している。
政府は直ちに戒厳令を発し、 戒厳司令官に福
多摩川上空のサルムソン 2A2 型
田雅太郎大将が任命された。 田中陸相の指示に
より、 被害軽微な所沢陸軍飛行学校を主軸とし、
代々木練兵場を補助離着陸場に指名、 被害の少
ない立川や千葉の下志津、 岐阜県各務原や滋賀
県八日市などの各大隊とも呼応して活動にはいっ
た。 代々木練兵場では、 気球隊による係留気球
を昇謄させて監視任務についた。
2日午前5時15分、 急遽、 大橋特務曹長 (准
尉) 操縦の乙式 (サルムソン2A2) 246号機に
林少尉が同乗、 宇都宮練兵場に直行、 日光の田
母沢御用邸にご静養中の大正天皇および皇太后
に、 同道中の宮内大臣牧野伸顕伯爵をとおして、
陸軍第14師団長による帝都および周辺の惨状報
告書を手渡して知らされた。 同じく小田曹長操
縦、 小池中尉同乗の乙式224号は、 田母沢上空
から御用邸の状況を撮影して、 その安泰を報じ
ている。
東京府下の武蔵野に、 およそ1年前に建設さ
れた立川飛行場に駐在していた飛行第5大隊日
2008 MAR
69
誌には、
「東京付近一帯ニ大地震勃発為東京、 横浜、
横須賀等ノ大都市大火災交通通信全ク途絶共ニ
当隊兵舎ニモ亀裂ヲ生ジ且ツ下士官集会所倒壊
セシモ死者ナカリシハ幸イナリ」
次の日、
「9月2日陸軍大臣ノ命ヲ受ケ宮中ト田母沢
御用邸トノ連絡ヲ帯ビ宇都宮ニ飛行シテ天機ヲ
ホウ シ
奉伺シ重任ニ徹ス……」 とある。
9月3日の朝日新聞は、 「三保の松原に9尺
の津波、 伊豆の大津波は数百戸の民家を流され
た……地震から津波、 火災、 列車の惨事大混乱
言語に絶す」 と書いている。
「人畜の被害は酸鼻を極め、 交通も通信も一
瞬にして途絶え、 未曾有の惨状を露呈したまま
頻雑な余震に襲われつつ、 全く孤立の状態に陥っ
たのだった」 (「震災誌」)
所沢飛行学校、 下志津飛行学校 (千葉県)、
立川飛行第5大隊は、 9月2日未明から救難活
動を開始した。
下士官集会所が倒壊した程度で、 ほとんど被
災を免れた立川飛行場は、 帝都防災の一大拠点
となった。 代々木練兵場を補助離着陸場とし、
各務原の第1および第2大隊、 八日市の第3大
隊、 大刀洗 (福岡県) の第4大隊も、 ただちに
救援任務について東西の連絡につとめ、 気球隊
も代々木練兵場に係留して監視任務についた。
所沢飛行学校の波多野中尉は、 田中陸相の命
震災後に空撮した東京都心
(講談社提供)
70
2008 MAR
令を伝達すべく、 東上等兵を同乗して所沢を飛
び立った。 乙式一型機で午前8時に離陸、 各務
原で給油後、 午後2時15分に大阪城東練兵場に
到着、 ただちに第4師団司令部に出頭した。 命
令書の内容は、
「陸軍パン10満貫」 (約38万 kg) 米1,500石
(27万リットル) を巡洋艦で東京へ回送すべし」
というものである。
さらに波多野たちは、 内務次官から託された
山岐大阪知事当ての書簡を、 大阪府庁知事官房
へ手渡した。 その内容は以下の通りだった。
「昨1日午前11時58分大震あり、 火災各処に
う ゆう
起こり、 東京の大半ほとんど烏有に帰し、 人畜
の被害、 財産の損害測るべからず、 非常に大規
模な救護を要する見込みにて、 食糧衛生材料等
を多数を要すべきをもって、 貴簡下に於いて予
め準備し、 当地の救護に充つるよう計画された
し。 この震源は東京より十数里の地点にある如
し」
その後、 彼等は午後4時、 各務原へ引き返し
て、 次の命令を待った。 これが関西に大震災の
惨状がもたらされた第一報であり、 救援物資要
請の第一報でもあった。
陸軍航空本部は、 2日以来、 連日連夜にわたっ
て震災状況を天皇にご報告、 震災状況と糧食回
送に関する命令伝達、 救済と兵力集中に関する
命令伝達、 電報の中継と公文書の速達、 情報交
換、 人員輸送、 その他各被害地の状況偵察、 戒
震災後に空撮した日本橋通り
(雄山閣出版提供)
厳司令官の布告情報と、 人心安定のための流言
飛語防止のためのビラを、 上空から戒厳地域内
に撒布するなどの支援をおこなっている。
震源から比較的遠かった陸軍関係の飛行場の
被害は軽微だった。 それでも田中陸相は9月6
日朝、 自ら代々木練兵場まで出向き、 飛行通信
事務を指揮した。 飛行通信は官憲の通信に限定
されていたが、 一般郵便物も取り扱い、 代々木、
所沢、 立川で取り扱った。 戒厳令下の東京は依
然戦時体制で、 常に陸軍機が数機ずつ市内上空
を警備した。
ながらも飛びまわり、 超低空飛行によって航空
写真を撮った。 この航空写真は、 のちに被災地
の状況を把握し、 復興への足がかりとして貴重
な手掛かりになったが、 以来、 軍用偵察にも大
いに利用されるようになっている。
この間に輸送した郵便物は10数万通に達し、
飛行回数499回、 延べ飛行時間537時間19分、 気
球は日中18回と夜間に5回の昇謄で、 延べ滞空
時間60 時間、 それに海軍の軟式 AT (アトラ
ス・トーレ) 型航空船 (飛行船) も飛んだ。 搭
乗将校延べ419名、 準士官以下307名におよんだ。
横須賀全市の被害も相当に大きく、 海軍では
重油タンクの破裂、 海軍病院、 機関学校、 海兵
団兵舎などが焼失している。 海軍工廠は原形を
失い、 多くの死傷者をだした。 そして無電塔が
破壊したため、 追浜航空隊では、 急遽、 4日か
ら F5 号飛行艇を投入、 東京との連絡をはかっ
震災発生後、 関西方面から東京入りした飛行
機第1号は、 日本楽器製造所属で、 白戸門下
生の大場藤治郎操縦士による中島式5型 (150
馬力) であった。 社員1名と共に浜松の三方が
原を出発、 立川に飛来、 タクシーで東京銀座に
あった東京支店を見舞ったが、 勿論、 灰燼の後
で社員の消息を掴むことはできなかった。
日本航空輸送の主任操縦士である後藤勇吉
は、 雁行の阿部勉操縦士と共に、 それぞれの横
た。 午前8時と午後1時に追浜発、 午前10時と
午後2時に芝浦桟橋着の定期便をつくってピス
トン飛行に従事した。 7日からは水上機に替え
て、 羅災による需要状況をみながら飛ばしてい
る。
横須賀ドックで母艦に改装中だった軍艦 「天
城」 は、 竜骨が屈曲して使いものにならなくなっ
て解体、 戦艦 「加賀」 を代替艦とせざるを得な
かった。 なお築地の技術研究所ビルが灰燼に帰
し、 風洞装置をはじめ、 造兵廠時代から多数の
兵器、 材料、 あるいは諸工作機械や実験研究資
料などを失った損失は大きい。
全陸軍機は9月2日から10月4日までの33日
間というもの、 実戦さながらの活躍に終始した。
地震発生直後は、 黒煙濛々、 猛烈な上昇気流の
発生している被災地上空を、 操縦の自由を失い
F5 飛行艇
海軍軟式 AT 型航空船
中島式5型練習機
2008 MAR
71
横廠式水上機
廠式水上機に朝日新聞の木村記者、 毎日新聞の
前田記者を乗せて、 3日正午、 木津川飛行場か
ら東京を目指した。 ところが後藤機のエンジン
が故障、 静岡県江尻海岸に不時着水してしまっ
た。 それを見た阿部機も着水、 前田記者を収容
して離水に成功、 まだ火災で天を明るくこがし
ている横浜を左手に見ながら、 品川警察署前の
海岸に着水、 新聞記者としての取材をおこなっ
ている。
次の日、 エンジン整備を終えた後藤操縦士は、
ただちに品川へ飛んで郵便物を搭載、 江尻へ向
かった。 後藤および阿部両操縦士は、 10日に支
援運航を終了するまでに、 約6万通の郵便物を
運んだ。
この頃の民間航空は、 千葉県稲毛海岸の伊藤
飛行機研究所と寒川の白戸飛行練習所、 それに
蒲田の日本飛行学校、 鶴見の第一航空学校があっ
た。 さらに洲崎の埋め立て地を使用していた小
栗飛行学校、 朝日新聞航空部と東西定期航空会
が活動しており、 伊藤音次郎門下生の大蔵清三、
河内一彦 (陸委1期) 操縦士らが所属していた。
洲崎飛行場は地震の津波に襲われて水浸し、
さらに火の手があがって燃え広がり、 東西定期
航空会が春海商会から寄贈された春海号、 川崎
号などの精鋭機や、 航空局から預かっていた
ニューポール式24型 (80馬力) などが黒焦げに
なった。
この年1月に、 朝日新聞社によって誕生した
東西定期航空会は、 中島式5型6機と伊藤式、
白戸式の8機編成で大阪 (木津川尻) −東京
(洲崎) 間を、 週一回の郵便物輸送をしていた。
ところが関東大震災で洲崎の格納庫が飛行機も
ろとも破壊された。
72
2008 MAR
4日朝になって、 帝国飛行協会々長の長岡外
史将軍は自邸で緊急理事会を開催、 民間機の協
力にる通信事務の応急措置を講じる策を図った。
燃料がなくてはどうすることもできないので、
陸海軍両省と航空局へ燃料供給を懇願し、 その
見通しがたったところで活動が開始された。 焼
野が原になった東京市内の、 丸の内有楽町の協
会事務所前や品川警察署、 赤坂見附、 国技館前
などに、 計23ヶ所の立て看板 (下記内容) と仮
の郵便受付場所をつくって、 帝国飛行協会独自
の緊急郵便業務をおこなったのである。
急告、 帝国飛行協会は、 この未曾有の震災
に際し、 本協会の主催をもって日本飛行学校、
日本航空株式会社、 東西定期航空会、 福長飛行
研究所と協同し、 水陸両種飛行機をもって羅災
各位のために遠隔の地へ発送すべき信書の速達
を左記の方法に依り取扱います。 続々御差出下
さい。
左記
1. 東京より三島町 (静岡県) 及び江尻町 (同
上) までの間、 飛行機により輸送し、 該地
にて郵便局に託す。
2. 封書及び私製はがきには規定の切手を貼布
し、 次の処にお差出下さい
地震による倒壊は免れたものの、 猛火で焼け
落ちた逓信省の職員は、 浜離宮にいったん避難
したのち、 丸の内にある中央郵便局に落ち着い
た。 そこで児玉常雄第二課長 (日露戦争の英雄・
児玉源太郎の5男で、 のち中華航空総裁) は、
自ら陣頭にたって民間機の運航を指揮した。
まず静岡県の天竜川で飛行学校を開いている
福長四郎を、 中島式5型機で所沢へ飛来させ、
信書や新聞などを満載して浜松の三方が原へ向
かわせ、 東京への便には食糧を空輸させた。 前
述した大場操縦士は、 一旦、 三方が原へ帰り、
自社々員用の食糧を積んで代々木練兵場へ降り
たところを頼みこみ、 やはり信書や新聞を満載
して三方が原、 そしてトンボ帰りを指示するな
ど、 テキパキと指示している。
児玉は東西定期航空会が、 伊藤飛行機研究所
に整備依頼をしていたサルムソン式2型と中島
式5型2機を頼りにしていたが、 地震による焼
失を知って、 所沢陸軍飛行学校へ飛行機の貸与
を申し入れたが、 非常時故に断られてしまった。
3日になってさしもの猛火もようやく鎮火し
た。 4日、 東西定期航空会の大蔵清三操縦士は、
廃墟の中、 津田沼にある伊藤飛行機研究所で、
伊藤音次郎によって緊急に整備された中島式5
型 (200馬力) を立川へ空輸、 そこから郵便物
を搭載して各務原および大阪へ向かったが、 エ
ンジン故障で再び立川へ引き返した。 この時以
来、 朝日新聞社航空部と東西定期航空会は、 立
川飛行場を本拠地として活躍し、 昭和8年9月
に東京飛行場が開港して移転するまで営業を続
けたのである。
立川の日本飛行学校で教官をしていた小川寛
爾操縦士 (陸委1期) は、 7日から10日まで連
日、 立川飛行場−代々木練兵場間を往復して、
東京の住民から東北地方への郵便物を収集し、
立川飛行場から立川郵便局へとバトン・タッチ
し、 東北地方へ発送した。 また横浜鶴見の第一
航空学校も、 郵便飛行を申しこみ、 11日から18
日まで、 連日、 代々木−横浜間を往復して約5
万通を運んでいる。
また小川操縦士は、 ソッピース機を操縦して
東京方面への偵察に出かけたが、 多摩川上空で
故障をおこし、 矢の口付近に不時着してしまっ
た。 ところが陸軍機のように日の丸のロゴもな
く、 胴体にはローマ字でペイントされた標識の
民間機だったので、 付近の住民は驚き、 外国の
飛行機が、 地震につけこんで攻めてきたと、 手
に手に木刀や刀を振りかざして大騒ぎになった
という。
郵送される手紙の大半はチャンとしたものは
ほとんどなく、 ボロや焼け残った紙に、 「無事」
とだけ書いたものが大部分だった。 しかし、 親
族縁者の安否を気遣う東北地方の人たちにとっ
て、 飛行機は 「空飛ぶ神さま」 だった。
震災と直接関係のなかった関西では、 堺市大
浜海岸で日本航空輸送研究所を経営している井
上長一が、 堺−高松、 堺−徳島間の運航ダイヤ
を大幅に変更して、 定期運航回数を増加、 非常
事態に即応した。 これで日常より150∼200通も
多い郵便物の配送を助けている。
この震災による民間航空の損失は大きい。 越
中島の東京大学航空研究所は2日間にわたって
燃えつづけて焼却した。 小栗飛行学校も再起の
見通しが立たず閉校になった。 白戸栄之助は、
優秀な門下生を事故で失った矢先の震災で、 精
神的打撃が大きかった。 彼はこれを機に白戸飛
行練習所を閉校し、 その後の飛行訓練を、 兄弟
のように付き合っていた伊藤音次郎へ託したの
である。
大震災のために、 10月に予定されていた、 帝
国飛行協会主催の近畿、 北陸地方の郵便飛行競
技は中止になった。 そして11月に同協会は、 被
災郵便飛行にたずさわった川西系・日本航空
をはじめ、 各団体と個人に奨励金を贈与した。
これは予定していた競技会の賞金を振り向け
たものである。 贈与総額は総計6,700円で、 日
本航空へ4,000円、 日本飛行学校へ1,000円、
東西定期航空会へ500円、 それに日本航空輸送
研究所へ300円、 福長、 大場両操縦士に各250円、
第一航空学校および安井荘次郎氏に各200円が
支払われた。
関東大震災の余震は相当なもので、 11月26日
には静岡県伊豆地方に警報発生し、 静岡県知事
の要請により空中偵察が出動している。 三保飛
行場 (清水市) からユンカース F13型義勇第8、
9号水上機が飛び上がり、 無線電話による状況
報告をおこなった。
海軍ハンザ式水上機
2008 MAR
73
この行動が引き金になって逓信省航空局が動
いた。 それまで実施している東京−伊東−下田
間の定期航空路線に、 新たに臨時航空郵便輸送
を開始している。 翌27日午前8時に第1便が出
発した。 毎日、 午前と午後の一往復で、 ハンザ
式水上機2機を使用した。 所要時間は東京−伊
東40分、 伊東−下田20分であり、 被災民に多大
の安堵と便宜を与えた。 第一便の郵便量は、 封
書、 はがき約15,000通に達したという。
この機体はドイツのハインケル技師設計によ
るもので、 ハンザ・ブランデンブルク W29水
上偵察機 (180∼220馬力) で、 羽布張り低翼単
葉双浮船式複座機である。 中島と愛知時計電機
で国産化され、 約310機生産された。 大正末期
から昭和にかけて民間に払い下げられ、 多くが
遊覧、 魚群探知、 郵便輸送に使用されている。
震災発生時、 誰もが予想しなかった思いがけ
ない事態に、 いち早く飛行機を支援活動に投じ
た関係者の慧眼はするどい。 危険をおかして人
間が空に舞い上がって何の役にたつのだ、 と考
える人々も多かった時代だったから、 一般大衆
にかぎらず支援に参加した当事者たちも、 飛行
機の果たした役割の大きさを再認識したにちが
いない。
関東大震災の救助活動を総括するように、
日本航空史 (坤) (高橋重治著) は、 次のよ
うに書いている。
「かくの如き災時に於いて、 多数の飛行機が
飛行したことは頼もしい限りではあるけれども、
各飛行機相互の連携に不充分の点があったので
あって、 殆ど随意に発着が行われたるが如き、
多少遺憾な点があったのである。
之は通信機関の不備に原因したのであって、
茲に完全な無線通信、 電話の発達が見られ、 所
謂、 無線網なるものの完成が実現していたもの
とするならば、 一般航空の統一は全うせられ、
より一層広汎なる成功を斎したであろうという
74
2008 MAR
ことが想像せられる。
更に此の時既に、 欧米各国に於いて見らるる
ように我が国に於いても、 せめて大都市間だけ
に於いても、 平素航空輸送を行い、 鉄道、 汽船
等の補助機関として郵便物、 旅客其の他の輸送
に力を致して居たならば、 斯かる災時に際して
見られたるが如く通信、 運輸等の上に於いて、
全滅的の悲運に遭遇することはなかったであろ
うことが想はれる」
震災ないし災害に対する当時の航空活動の限
界を示しているが、 まだ飛行機が珍しい時代の
日本で、 存在する飛行機を総動員して郵便輸送
をはじめ、 監視飛行や連絡飛行と、 精一杯、 支
援を続けた姿が目に浮かぶ。
冒頭に書いたように、 今ではこの当時とは比
較にならない防災体制が完備されており、 その
手段としての航空機は、 もっとも迅速に行動す
ることができる機器なのである。
大震災直後に特設された復興院に、 長岡外史
なかだてあいきつ
帝国飛行協会々長や田中館愛橘博士、 陸海軍航
空関係者は、 直ちに連名で、 将来の航空振興の
必要性を説いた建議書を提出している。 曰わく、
将来、 敵対行為による爆撃機によって、 東京が
灰燼に帰すことを憂い、 早急な航空機開発は、
帝都復興の必須要件であると力説した。
被害総額約46億円といわれる関東大震災が、
日本経済に与えた影響は計り知れない。 政府は
緊急の措置として震災手形4億円の特別融資を
おこなったが、 その手形が厖大な不良債権とな
り、 昭和2年3月の金融恐慌による銀行の取り
付け騒ぎで内閣総辞職、 そして昭和4年10月24
日、 ニューヨークはウオール街での株の大暴落
は、 世界の資本主義諸国を震撼させた大恐慌へ
と繋がっていった。
ダブル・パンチどころかトリプル・パンチと
して、 庶民へ深刻な打撃を与えたのである。
参考文献:「日本航空史 明治・大正編」
パイロットへの道
日本とフランスの違い
D e g o b e rt A l a i n
Bonjour! (ボンジュール!) 私はアランと
申します。
13歳の時からフランスでマイクロライトプレー
ンと飛行機の操縦をしていて、 20年近く空を友
人にしています。 日本に来て10年、 フランスで
自家用操縦士の免許を取得し、 JCAB の自家
用に切り替えました。 ピッツ S2B でアクロバッ
ト飛行もやっています。
日本での飛行歴は3年目、 今年から JAPA
のメンバーになりました。
パイロットになりたい
他国に比べると、 日本では自家用操縦士が非
常に少なく、 初めて日本に来た時にとてもショッ
クを受けました。
ヨーロッパでは、 日本人のパイロットという
と、 飛行機と常に一心同体で、 誰よりも空と親
しくなった民族だというイメージを持っていま
す。 操縦の技術も、 飛行機を作る技術も同じで
フランスでも一般的な練習機 C150 F. BOGA
ドゥゴベール・アラン
す。
しかし、 様々な飛行場に行ってみると、 実際
に飛んでいる自家用機はとても少ないし、 また、
10代、 20代のパイロットはほとんどいないこと
が分かりました。 13歳で操縦を初めた私には
ちょっと驚きでした。
私が飛行機の操縦を始めたきっかけをお話し
します。 (フランスでは多いケースだと思いま
す。) 私が初めて飛行機を目にしたのは、 テレ
ビや映画館で大空を舞う飛行機の姿でした。 そ
の姿にあこがれる他の子供と同じように、 私も
それを見て、 すっかり飛行機の虜になりました。
「大きくなったら僕もパイロットになれたらい
いな。」 パイロットになることを夢見て、 よく
飛行場に飛行機を見に行きました。 それを見て
いたパイロットに 「飛行機に乗るのは簡単だよ。」
と声をかけられ、 色々な飛行機の話をしました。
あるとき、 彼はセスナ172 cutlass RG に私
を乗せてくれました。 それから少しずつ操縦の
基本を教えてもらいながら操縦を覚え、 パイロッ
トは手の届かないものだと思っていた私は、 スー
パー人間でなくても、 パイロットになれるとい
うことを実感しました。
日本では、 パイロットはとても難しいことの
ように思われていて、 多くの子供たちは夢を見
ることだけで終わってしまっています。 また、
それを 「君にもできるよ」 と言って導いてくれ
る人や、 そのきっかけが少なすぎると思います。
「パイロットは誰でもなれるし、 飛行機には
簡単に乗れる」 ことを、 日本の若者に強調した
いのです。
2008 MAR
75
基本操縦士技能証明書って何?
フランスではライセンスは4種類あります。
・BB (Brevet de Base) 基本操縦士
・PPL (Private Pilot License) 自家用操縦士
・CPL (Commercial Pilot License) 事業用操
縦士
・ATPL (Airline Transport Pilot License)
定期運送用操縦士
基本操縦士技能証明書 (以下 BB) のライセ
ンスは日本には存在していません。
1980年代、 経済状況の影響で、 自家用操縦士
のライセンスを取得しようとする者が減り、 自
家用パイロットの数が激減し始めました。 1984
年、 出来るだけ多くの人が気軽に操縦士を目指
せるように、 フランスの航空局が BB を作りま
した。 BB は自家用操縦士技能証明書と同じよ
うに、 試験官から渡され、 航空身体検査も自家
用操縦士と同じ検査を受けます。
BB の訓練を受けるには、 最低年齢の制限は
ありませんが、 ソロフライトは14歳まで禁止さ
れています。 実地試験を受ける前に BB 用の学
科試験を受けなければなりません。 その内容は
自家用とほぼ同じですが、 ナビゲーションの科
目はなく、 気象科目については多少易しい問題
になっています。
実地試験のために必要な飛行時間は、 インス
トラクターとの訓練6時間、 ソロフライト4時
間 (合計離着陸20回以上) 合計10時間ですが、
全く経験のない訓練生は通常15時間から20時間
ぐらいかかります。
ピッツ S2B にも乗っています
76
2008 MAR
このライセンスを取得すると、 訓練した飛行
場から半径30Km まで、 訓練で使った機体、 営
利目的以外 (無償) で、 controlled airspace
以外の場所で、 操縦する事ができます。 ライセ
ンス取得後は、 追加の訓練によって人を乗せる
事もでき、 100km 以内の他の飛行場に行った
り、 他の飛行機を使ったり、 アクロバット飛行
もできます。 もちろん、 すべての訓練は教官が
ログブックに記録し、 証明します。
自家用より必要時間が少ないため、 BB は、
2000ユーロで取得する事が出来ます。
BIA とは?
フランスは、 歴史上で、 飛行機の発明や発展
に最も力を入れた国です。 ラテコエール、 ファ
ルマン、 アデールなど、 有名な人がたくさんい
ます。 その情熱がいつまでも冷めることのない
よう、 環境発展大臣と教育大臣が協同で BIA
Brevet d' Initiation Aeronautique をつくりま
した。 これは中学校やエアークラブで取得出来
る資格です。 その項目は 「航空機の知識」 「気
象」 「工学」 「航空機と宇宙の歴史」 「法規」 「ナ
ビゲーション」 及び 「安全」 です。 また、 その
資格をとる事によって、
−操縦学校入学時
155ユーロ
−初ソロフライト時
305ユーロ
−BB 取得時
305ユーロ
−自家用操縦士取得時
610ユーロ
−アクロバットの1段目
305ユーロ
−山で飛行する資格取得時
305ユーロ
をもらえます。 日本ではライセンスを取得する
為に多大な費用がかかりますが、 フランスでは
この BIA ができた事により、 多くの若者をパ
イロットへの道へと導きました。
日本でもこのような BB, BIA のようなシス
テムが出来ればと願っています。 それを実現す
るため、 次の世代の若いパイロットを育てるた
めに、 出来る事があれば是非協力したいと思い
ます。
まだまだお話ししたい事はたくさんあります
が、 今回はこのへんで。
From the Control Room
パイロットのはなし
空の交差点は航空に携わるもの同士が
念のため ③
「空の仲間」 として相互理解を図る場です。
皆様の投稿をお待ちします。
ピンポーン
ピンポーン
「ん! 福岡のアプローチは? 泊るホテル
は?」
事件は、 このチャイムから始まる。
当時、 私は独身で成り立てのセカンドオフィ
ザー (フライトエンジニア業務をするパイロッ
ト) だった。 翌日の朝早いフライトの前日、 福
岡のアプローチ等々を、 将来コーパイロットに
なるべくマニュアルを勉強したが、 まだ経験が
浅い故についつい時間がかかってしまった。
寝坊パイロット
ドアを開けると同時に
あのー、 もう時間ですけど!
の声。
そこに居たのは迎えの車の運転手だったので
ある。 つまり私は寝坊して迎えの時間が既に過
ぎていたのである。 驚いたのは言うまでもない。
運転手が電気がついていない部屋を見て気を利
かしてチャイムを鳴らしたのである。 幸い就寝
前にフライトバッグや泊りのスーツケース等は
用意してあったので、 焦りつつも気持ちは落着
いていた。
そして就寝。 一旦眠りに入るも先程勉強した
福岡等々の事が走馬灯のように頭の中をめぐり
つつ、 やがてはそれらの意識をかき消すかのよ
うに深い漆黒の眠りの海の中に沈んでいった。
「髭剃りに5分、 制服に着替えに5分、 10分
で出れる!」 そして15分後には薄暗い朝もやの
中を走る迎えの車でまどろむ車上の人となって
いたのである。
しかし、 ここで物語りは終わらなかった。
ドアの先にいた人物
視線の先に見たもの
ピンポーン
ピンポーン とチャイムが
鳴った。 そのチャイムは、 漆黒の海に沈んでい
た意識を浮び上らせ、 ぼんやりと 「ん! 福岡
のアプローチは? 泊るホテルは?」 の意識が
頭の中に戻って来た。
当時、 フライトの始まりはディスパッチルー
ムにコックピットクルーとキャビンアテンダン
トがショウアップし顔合わせとブリーフィング
をした後にシップ (搭乗機) にバスで行くのが
常であった。
再び ピンポーン
ピンポーン のチャイ
ムが鳴った時、 漆黒の海から浮び上った意識を
更に上方へ押し上げた。 つまり目が覚めたので
ある。
「誰か来ている!」 布団から飛び起き身繕い
をしながら玄関に急行しドアを開けた。
何事も無くブリーフィングが終わりバスに乗
る直前、 一人のキャビンアテンダントが気まず
そうに あのー!靴の色が違って見えます!
「エッ!」 と思いつつ、 そ知らぬ顔をして視
線を下ろして見た。
目の中に飛び込んできたのは、 驚愕の事実!
2008 MAR
77
靴の形は似ているものの、 一方は黒だが、 も
う一方はこげ茶色なのである。
そこで昨日の夜の事や今朝の寝坊の事が頭の
中を駆け巡った。 独身時代のそれほど広くない
アパートの狭く薄暗い玄関、 寝坊して迎えの時
間を過ぎていた事、 慌てて靴箱から短靴を取出
し片方を普段履く靴を履いた事が原因であった。
どうすべーか?悩んだ末に!
それでも何食わぬ顔でシップに行くバスに乗
り込んだ。
「どうすべーか? 今薄暗いから目立たない
が、 昼間では判っちゃう!」
「そうだ! 同じ黒色に塗ればいい!」 の思
いに至ったのである。
その時のキャプテンとコーパイロットに 「外
部点検に行って来まーす!」 と告げ、 あるとは
思えない黒色を求め、 希望も無いまま、 ダッシュ
してゲートの売店を駆け巡り黒に塗るべくマジッ
ク等を探し回ったのである。
その時の焦りは直ぐに想像がつくでしょう!
幸運にもその焦りと思いが神?に届き、 売店
にステック状の黒の靴クリームがあったのであ
る。 「やったー!」 安堵にひたる暇は無く、 そ
の靴クリームを買いシップにとって返しフライ
トの準備をして無事に離陸したのである。
事の顛末は? その後どうなったか?
セカンドオフィザーの座席はキャプテン、 コー
パイロットの後ろに位置するエンジニアシート
である。 何食わぬ顔でセカンドオフィザーの仕
事をしつつ、 キャプテン、 コーパイロットの視
線が前方にある時、 こげ茶色の靴に黒の靴クリー
ムをせっせと塗ったのである。
見事に塗り上げ、 1時間半後に福岡に到着し、
78
2008 MAR
キャプテン、 コーパイロットに知られることも
無く、 何事も無く、 さっそうと黒の短靴を履い
てフライトエンジニアの仕事である外部点検を
している自分の姿があった。
そしてその靴を3日間履き通したのである。
黒に塗ったこげ茶色の靴の結末は?
一旦黒に塗った革靴はこげ茶色に戻らない。
仕方なく、 フライトを終わり帰宅した後、 もう
一方のこげ茶色の靴を取出し、 黒に塗ったのは
言うまでも無い。
念のため!
靴を間違えない、 念のため!
「フライトの靴と私用の靴を変えればいい!」
それ以来、 フライトに使用する靴は短靴では
なくブーツ形状の靴に変えている。 それが幸い
し雨の中でも靴下が濡れる事がない。
更に、 その時寝坊したにも関らず、 ショウアッ
プ時間に遅れなかった理由は、 前日にフライト
バッグとスーツケースを何時でも出られるよう
に用意していたことであった。
以来、 念のため、 フライト前日の寝る前に準
備を整えベッドに潜り込んできた。 ○十年、 何
回かステイ先のホテルで寝坊する事があったが、
その都度10分程度でホテルの出発ロビーに立つ
事ができた。
寝坊パイロットの念のための一説でした。
地球環境問題関連用語の解説 15
62. 離陸推力
64. SID
離陸推力の選定は、 離陸重量、 使用滑走路、
そして、 SID との組み合わせで決まり、 その
結果が地球環境への影響として現れる問題なの
です。
使用滑走路長が離陸重量の面から余裕がある
とき、 Full Rating (最大離陸推力) を使うの
は、 Airline としてはできるだけ避けたいので
す。 理由は、 Jet Engine の性能劣化を防ぐあ
るいは遅らせることが、 コストダウンに繋がる
からです。 すなわち、 低い推力を使用するほう
が、 エンジンの熱応力を軽減し、 結果として寿
命が伸び経済的であるためです。
SID (Standard Instrument Departure) は、
各空港の Runway ごとに設定されています。
ほとんどは騒音軽減のためですが、 中には騒音
より重要な安全上の配慮から、 厳密に出発経路
が指定されている場合があります。
最近、 横田の空域の一部の管制権限が日本に
返還されたことにより、 SID の高度制限が改
定され、 かなりな飛行時間の短縮が可能となり
ました。 これは、 航空会社にとってのメリット
が大きいだけでなく、 地球環境から見ても、
CO2削減に寄与するもので、 空域調整が地球環
境問題に直接関係があることを、 知らしめた典
型的な事例でした。 今後の SID の改定には、
地球環境の視点も忘れないで欲しいと切望する
ものです。
63. 騒音軽減離陸方式
Total のCO2排出量が少ないのは、 最大離陸
推力で離陸し、 出来るだけ早く加速して Clean
Configuration で上昇することですが、 空港周
辺の住民への航空機からの騒音のレベルを出来
るだけ低く抑えるために、 早く高度をとること、
および飛行経路を限定したうえで、 騒音を軽減
することを目標に、 騒音軽減離陸方式が定めら
れています。 上昇中の獲得高度を単純な標準操
作手順として決めた方式の一つが IATA 方式
といわれるもので、 離陸推力でV2 +10kts で
1,500ft まで上昇し、 上昇推力を選び3,000ft ま
でその速度を守って上昇、 それから加速しなが
らフラップをあげ巡航形態にする方式です。
10,000ft 以下では原則250kts を維持すること
になっていますが、 非常に離陸重量が重い場合
は、 最小安全速度で上昇することが容認されま
す。 飛行経路の真下あるいは近傍の住民に対し、
騒音を出来るだけ低く抑える目的で設定された
のが、 SID のなかにある Noise Corridor です。
典 型 的 な 例 は 、 大 阪 伊 丹 空 港 の Runway
32L/32R の出発便に対する Corridor です。
65. 上昇速度
巡航高度まで、 どのような速度で上昇するか
は、 無風であれば単純に最大上昇率を考慮した
速度でよいわけですが、 現実にはいろいろな要
素を考慮して上昇速度を決めることになります。
パイロットが覚えやすい単純化された上昇
速度 (例:250/300/M.82)
FMS に計算させた標準的速度
上昇中の風も考慮した速度
客室でのサービスを考慮した速度
等が考えられます。 は、 Cost Index をは、
巡航中の Wind Factor も参考にして、 向い風
では標準的速度より多め、 追い風のときは少な
めになります。
第14回掲載用語 (フライト関連)
59. 飛行計画
60. 搭載燃料
61. Burn off Fuel
2008 MAR
79
ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
今年は、 室屋選手の2月のアル・アインでの
FAI エアロバティックス競技参加を始めとし、
ヨーロッパ・アンリミテッド・エアロバティッ
クス選手権、 米国でのワールド・アドバンスト
クラス・エアロバティックス選手権に、 日本人
選手が参加の予定です。 また、 FAI World Air
Game についても動きの進展が期待されていま
す。 それらにつきましては、 詳細が分かり次第、
この場で紹介させていただきたいと思います。
では今月の各部門の報告です。
ロータークラフト (ヘリコプター)
ロータークラフトの FAI 競技は、 最も安価
な R22 のようなヘリコプターでも参戦できま
すし、 それで勝つことが出来ることも、 過去の
日本チームの参戦で実証済みです。
また、 練習環境も、 様々な地上の機材等の設
置はあるにしろ、 飛行機の競技のように、 滑走
路を占拠して、 といった面もありませんから、
自分達で場所を見つけ、 練習環境を設置して実
施することも不可能ではありません。
競技そのものは、 対地目標に対する、 素早い
移動と精密ホバリング等の 「動と静」 を競うも
のと、 ナビゲーション、 フリースタイル演技等
となっています。
勝つためには、 人の技と機体の能力を最大限
に引き出し、 調和させることが必要で、 練習は
容易ではありませんが、 日本には勝利のノウハ
ウがあります。 競技に興味がおありの方は、 ご
連絡下さい。
ジェネラルアビエーション (飛行機)
国内では実績が無い FAI ジェネラル・アビ
エーション競技ですが、 その足がかりを得るべ
く、 枕崎空港での飛行機操縦技術競技会の着陸
競技に、 FAI のラリー飛行競技の採点基準が
80
2008 MAR
奥貫
博
取入れられることになりました。 この競技会は
部分的に FAI の採点基準を利用するだけです
から、 スポーティング・ライセンス等は求めず
「広く自由な参加」 を旨としています。
精密飛行競技の着陸競技の方が、 基準が厳し
く、 興味深いのですが、 滑走路へのマーキング
や、 障害物の設置等がありますから、 練習の場
が全く無く、 実施には無理があります。
そのような訳で、 今回はラリー競技の方の着
陸競技となったものですが、 それでも満点ゾー
ンは、 前後2m、 幅12mと狭く、 従来の採点基
準よりも大幅に厳しくなっています。
今回の実施により、 世界の競技の厳しさが実
感できるのではと期待されています。
エアロバテックス (FAI-CIVA)
2008年1月24∼27日、 アラブ首長国連邦アル・
アインにおいて、 ユルギス・カイリスがコンテ
ス ト デ ィ レ ク タ ー を 務 め る JK Aerobatics
Formula Competition が開催されました。 こ
の 競 技 会 は 、 昨 年 の CIVA ミ ー テ ィ ン グ で
FAI 公認のイベントとすることが承認された
もので、 今回はスペイン、 フランス、 イタリア、
イギリス、 日本、 ロシア、 アメリカ、 ハンガリー
からそれぞれ1名、 計8名が参加し、 エアロバ
ティックに時間の要素を取り入れた新しいルー
ルでその技を競いました。
結果は、 スホーイ31で参加したスペインのレ
イモン・アロンソが1位となり賞金5万ドルを
獲得、 スホーイ26で参加した日本の室屋義秀パ
イロットは6位で、 残念ながら賞金には手が届
きませんでした。 また来年に期待したいもので
す。 その他、 今年開催予定の各チャンピオンシッ
プについては、 前号でご案内したとおり引き続
き募集中ですので、 参加希望の方は事務局まで
お申し出下さい。
開催予告
オーストラリア、ジェネラル・アビエーション(G/A)視察旅行
G/A 先進国、 オーストラリアの活動状況を視察し、 わが国 G/A の活動と発展に生かす目的で、
広く JAPA 会員、 関係者および一般有志の参加を募ります。 視察に併せて、 親睦パーティ、 同伴
ご家族の観光ツアーもご用意しました。
(注
次
1
2
G/A=定期運送を除く事業航空、 報道、 公安、 救急、 自家用、 スポーツ航空などの総称)
日 付
05/26
(月)
05/27
(火)
都市名
成
時
刻 交通機関
田
20:55
ケアンズ
05:25
3
05/28 ケアンズ 10:05
(水) ブリスベン 12:10
4
05/29
(木)
5
05/30 ブリスベン 09:15
(金)
シドニー 10:45
6
05/31
(土)
7
8
06/01
(日)
06/02
(月)
シドニー
成
田
08:05
20:00
QF168
QF709
QF513
摘
要
空路、 カンタス航空にてケアンズへ
〈機内
食
事
泊 機
内
到着後、 ロイヤル・フライング・ドクター視察 (ケアンズ国際空港内)
午後:ポートダグラス観光/ケアンズ空港へ戻り小型機の視察
夕食:ウエルカム・ディナー
〈ケアンズ 泊 夕
国内線にてブリスベンに移動
朝
着後、 バスにてトウンバへ、 増田興治氏訪問/自家用自作機の運用・
自家用航空の状況視察・現地操縦士との親睦パーティー
〈トウンバ 泊
午前:トウンバ空港見学、 Oakey 基地・博物館見学
朝
午後:バスにてブリスベンへ、 自由行動/市内観光
★オプショナル:ゴールドコーストツアー
〈ゴールドコースト泊
〈ブリスベン 泊
朝
シドニーへ移動到着後、 バスで市内観光
〈シドニー 泊
バスでメイトランドへ移動
Chipmunk 機 VH-DHX の機体見学、 オーナと交流
ロイヤル・ニューカッスル・フライングクラブで夕食:フェアウェル・ディナー
〈ハンターバレー 泊
シドニーへ移動
到着後、 シドニー市内観光/自由行動
〈シドニー 泊
空路、 帰国の途へ (ケアンズ経由)
QF167
到着後、 解散
お疲れ様でした……!
食
食
食
食
朝
食
夕
食
朝
食
機
内
● 増田興司氏については
PILOT 誌2006 6 Nov. 「スポーツ航空ばんざい 定年後にオーストラリアの空を楽しむ」
機については PILOT 誌2007 5 Sep. 「チップマンクを追って思うわが国の関わった英国の航空業界を顧みて」
を参考ください。
● Chipmunk
日
旅
時:2008年5月26日 (月)∼6月2日 (月) (8日間)
金:¥279,000− (空港諸税¥11,690・燃油サーチャージ¥39,740は別途お支払いください。 燃油サー
チャージが増額された場合は差額を収受いたします) *1人部屋追加代金:¥61,000−
旅券必要残存日数 (帰国日まで有効なもの)・オーストラリア入国には ETAS カードが必要です。
最 少 催 行 人 員:15名
添
乗
員:同行しません。 現地係員がお世話します。 (参加者が20名以上になった場合は添乗員同行します)
後
援:日本航空機操縦士協会 (JAPA)
■ 利用航空会社:カンタス航空 (QF/エコノミークラス)
■ 利 用 ホ テ ル:ケアンズ/パシフィックインター又はリジスプラザ・トウンバ/アンバサダーモーターイン・
ブリスベン/アイビス又はメトロプラザ・シドニー/メルキュール又はシティーゲイト・
ハンターバレー/ハンターバレーモーテル
■食
事:朝食5回・昼食0回・夕食2回
★ 詳しい旅行条件を説明した書面をお渡しいたしますので、 事前にご確認の上、 お申し込み下さい。
旅行企画・実施:トップツアー株式会社 国土交通大臣登録旅行業第38号
(お申込み先)
日本旅行業協会正会員 ポンド保証協会 旅行業公正取引協議会会員
行
代
〒160-0022 東京都新宿区新宿4-2-18
新宿光風ビル7階
東京教育旅行支店 TEL:03-5919-0555
担当:富田隆則・加瀬恵子
FAX:03-5919-0550
総合旅行業務取扱管理者:佐藤卓男
承認番号12021
2008 MAR
81
わが国のジェネラル・アビエーションを考える
ジェネラル・アビエーション (G/A=定期運送を除く事業航空、 報道、 公安、 救急、 農水産業、
自家用、 スポーツ・レジャー航空の総称) の世界の趨勢のなかに、 わが国を置いて眺めてみると、
GNP で世界第2位にありながら、 G/A では一部の発展途上国に上位を譲る位置にあることが分り
ます。
まず、 事業航空としてのビジネス航空業界はどうでしょう。 いま世界中に23,121機 (ヘリコプタ
を除く) のビジネス機が飛んでいます。 北米地区に17,000機が集中しており、 6,000機余がその他
の地域にあるのですが、 わが国では19機のジェット機を含め僅か80機ほどしかありません。 また1
年間に海外から飛来する外国ビジネス機は461機、 国内から出て行くものは71機 (いずれも2005年、
延べ数) でした。
それはわが国の法制度にも問題がありそうです、 米国、 欧州などとの明確な違いは
1
わが国には Charter, On Demand, Air Taxi、 Fractional Ownership などの事業に適用す
る法律がない、 これらの事業はすべて定期運送事業の範疇で扱われる。
2 使われる航空機のクラス (エンジン数、 エンジン種別、 重量、 客席数など) による運航規則
が世界の基準と異なる。 旅客運送の扱いを受けるため、 運用形態によっては ETOPS の制限
を受け、 海外への飛行が出来ないものがある、 など。
3 *整備費用 (耐空検査、 出先への確認整備士の同乗、 予備品証明が必要など) が高額
*運航コスト (着陸料、 駐機料、 乗員人件費など) が高額
*乗員の確保 (多くのビジネスジェット機には定期運送操縦士を含む2名が乗務しなければ
ならない) などに困難がある。
*定期運送操縦士の資格が、 G/A で取得しにくい事情がある。
4 圧倒的需要のある首都圏に、 ビジネス機が発着できる空港が少ない、 また発着枠に制限が課
される。
上記に呼応すべく、 近年は法改正や規制緩和の動きが出ていますが、 なお時間がかかりそうです。
いっぽう、 自家用航空の世界はどうなっているでしょうか、 わが国で気軽に空を飛ぶことはそれ
ほど、 簡単ではありません。
1
国土が狭隘で地上、 水上の交通機関が極めてよく発達しているので、 航空に頼る要素が少な
い。
2 運用環境、 安全に対する規制が厳格で、 かつ機材、 人件費、 整備コストが高い。
3 市民に航空をビジネス・ツールとして高価、 贅沢とする認識が強く、 身近なものとして理解
する感覚に欠ける。
4 現行自家用操縦士より低位の資格 (例えば FAA にあるリクリエーショナル・パイロット資
格) が未設定。
などが阻害要因として挙げられるでしょう。
82
2008 MAR
広大な森や砂漠を持つ国、 または多島国では都市は点の存在であり、 人、 モノの移動は航空機に
頼らざるを得ない。 中国、 インドネシア、 ブラジル等はインフラ整備に鉄道、 道路に先駆けて航空
路や空港が必要でした。 点在する住民の生命線を航空が占位する限り、 国家の管理より先に住民自
らの自助的努力が自然発生します。 過ぎた法規制やコストは生活を圧迫することになります。
安全、 医療、 教育の維持を航空輸送に頼るので、 市民の意識は必然的に高まります。 また航空が
人のロマン、 スポーツの対象となるのは世界中同じでしょう。 経済、 地勢、 インフラ整備で国ごと
に差があるのは仕方ないとしても、 GNP 第2位、 航空従事者数第2位 (ペーパーライセンサーが
圧倒的に多いのですが) のわが国が遅れをとっているのは残念なことです。
編集委員会では折にふれ、 G/A に関連したイベント、 海外情報、 外国での活動家や動きに注目
しており、 最近ではオーストラリア、 欧州の自作航空機や自家用航空のトピックを取り上げていま
す。
本誌81ページの 「オーストラリア G/A 視察旅行」 も、 これらの記事の下調べが発端となり編集
委員会、 G/A 委員会による企画となったものです。
G/A 先進国として広大な国土を持つオーストラリアでは、 G/A なくしては市民の安全、 医療、
教育、 産業の維持は難しいお国事情があります。
このたびの視察旅行は、 民間ボランティア団体によるフライング・ドクターシステムの実際を見
たり、 自作機、 自家用機をこよなく愛する市民、 G/A 活動を楽しむ在豪日本人と交流する機会に
なってくれるものと思います。 立案に当たり、 現地の関係機関との調整は円滑に運び、 視察につい
て快く受け入れていただきました。
以下に旅程表には書けなかった情報源のホームページを紹介しますので、 ご出発前の参考にして
ください。
www.flyingdoctor.net/divisions.htm
Royal Flying Doctor Cairns
www.aerotec.com.au
Toowoomba
www.ddac.com.au
Toowoomba
www.australianwarbirds.com.au/
Chipmunk
www.luskintigers.com.au/
Hunter Valley Royal Flying Club
視察・訪問都市
Chipmunk (former JA3090)
編集委員会・
G/A 委員会
2008 MAR
83
通信
理事会通信
温暖化と厳しい寒さ、 本当に身体に応えます。 最近では、 南風が吹き荒れた翌日に北風が吹き荒れるといっ
た、 メリハリの利いたストーム状態がさらに身体を痛めつけます。 でも確実に春を感じる季節を迎え、 理事
会は来たる5月22日に控えた第43回通常総会の準備に余念がありません。
現在、 活動と費用について、 予算対比を行っています。 活動規模が予想と異なる場合や、 未実施の事業な
どありましたが、 ほぼ計画通りの決算内容となりそうです。
1月の理事会と2月の常務理事会で、 ヘリコプター委員会の設置を具体化しました。 楠本常務理事が委員
長を務め、 理事をはじめ15名の会員が委員に選任されました。 当面、 ヘリコプターの運航環境の改善、 とり
わけ事故防止の取り組みを強化する方針です。
◎ 「自家用操縦士の技量維持に関する調査研究委員会 (平成19年度助成金事業)」
2月20日に最終委員会が開催され、 報告書が取り纏められました。 今年度中に航空局へ提出致します。
概要につきましては次号にてご紹介致します。
[活動報告]
−平成20年1月−
1月4日
新年賀詞交換会
1月25日
航空管制定期連絡会議
1月8日
編集委員会
1月26日
航空気象委員会
航空身体検査証明審査会
1月9日
1月11日
航空安全講習会 (大阪)
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
1月28日
経理委員会
会
1月29日
第2回航空安全基準検討委員会
第241回理事会
1月30日
第15回機長養成講習会 (北九州)
1月12日
ATS 委員会
1月15日
航空安全委員会
−平成20年2月−
1月16日
自家用操縦士の技量維持に関する委員会
2月1日 FT 委員会
1月17日 航空保安大講義 (訓練教官養成特別研修)
2月4日
スカイレジャージャパン実行委員会
エアライン委員会乗員養成分科会
2月5日
航空身体検査証明審査会
1月18日
航空保安大講義 (管理課程特別研修)
2月6日
航空保安大講義
1月19日
航空安全講習会 (沖縄)
2月7日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
1月20日
航空教室 (沖縄地区)
1月23日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
2月8日
第190回常務理事会
会
2月9日
ATS 委員会
第2回滑走路誤進入防止対策検討会議
84
2008 MAR
会
2月13日
自家用操縦士の技量維持に関する作業部
2月21日 GA 委員会
会
2月22日
沖縄支部総会・セミナー
経理委員会
法務委員会
2月23日
航空安全講習会 (東京)
2月14日
航空医学委員会
2月15日
航空安全委員会
北海道支部総会
運航技術委員会
航空気象委員会
編集委員会
2月18日
航空保安業務運用連絡会議趣旨説明会
2月19日
小型航空機セーフティーセミナー (1日
2月25日
第3回滑走路誤進入防止対策検討会議
編集委員会
2月27日
航空保安大講義
目)
2月20日
小型航空機セーフティーセミナー (2日
目)
自家用操縦士の技量維持に関する調査委
員会
[今後の主な予定]
−平成20年3月−
3月1日
中部支部総会・セミナー
3月3日
編集委員会
3月4日
航空身体検査証明審査会
3月21日
航空安全委員会
3月5日
航空スポーツ連絡会議
3月22日
九州支部総会
3月6日
航空交通管制協会理事会
3月18日
航空機安全運航支援センター評議員会
経理委員会
航空気象委員会
3月8日
ATS 委員会
3月11日
航空保安大特別講義 (本校)
運航と地球環境問題座談会」 第2回
3月12日
航空振興財団理事会
航空医学研究センター理事会・評議員会
3月13日
航空医学委員会
3月14日
第242回理事会
3月24日
3月25日
運航技術委員会地球環境分科会 「航空機
第4回滑走路誤進入防止対策検討会議
航空輸送技術研究センター評議員会
航空保安協会理事会
3月27日
航空保安大学校修了式
3月15日
東日本支部総会
3月28日
航空大学校卒業式
3月16日
航空教室 (鹿児島)
3月29日
西日本支部総会・セミナー
国空乗第2077号による 「航空安全講習会」 開催のご案内
平成20年度も以下の通り航空安全講習会を全国26箇所にて開催を計画しております。
来期は、 航空安全委員会にて作成した、 視聴覚教材 (VFR でレーダーサービスを受けてみよう) を利用し
た講習を始め、 認定講師により各種講習会を計画しております。
会員の方はお誘い併せの上、 ご参加下さい。
4月5日 (土) 東京
4月12日 (土) 札幌
4月12日 (土) 岐阜
4月19日 (土) 大阪
2008 MAR
85
4月20日 (日) 埼玉
詳しくは航空安全講習会ホームページにてご確認下さい。 (巻末ページをご参照下さい)
第43回通常総会の開催予告
早いもので今年も総会開催の時期が近づいてまいりました。 なるべく大勢の会員の皆様方に出席いただき
ますようお願い致します。
日
時
平成20年5月22日 (木) PM
場
所
羽田空港第1旅客ターミナルビル (ビックバード内)
6Fギャラクシーホール
予定されている総会議案は以下の通りです。
平成19年度事業報告及び決算報告について
平成20年度事業計画及び予算案について
役員の選任について
*総会議案は次号 (2008/No.3) に掲載の予定です。
航空局通達
航空局より下記通達の連絡がありました。 内容は JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp) を参照
願います。
・平成20年1月10日 「航空従事者技能証明の限定について」 の一部改正について
・平成20年1月18日 GPS を計器飛行方式に使用する運航の実施基準について
事務局だより
PILOT・AIM-J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・mail box 等、 変更された場合は速やかに協
会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利な口座
自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送りさせてい
ただきます。
∼結婚祝金を給付しております∼
正会員の皆様 (会費月額1,700円 (共済費200円を含む) を納入いただいている60歳未満の方) が対象
となりますが、 結婚祝金を給付しております。 給付額は20,000円です。 給付申請には戸籍抄本、 振込口
座の書類提出が必要となりますので事務局までご連絡下さい。 なお、 婚姻届の届出より3ヶ月以内に申
請いただくこととなっておりますので、 予めご了承願います。 JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp)
の会員サポート (共済規程) をご参照下さい。
86
2008 MAR
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
真珠湾攻撃総隊長の回想
淵田美津雄自叙伝
著者:編/解説 中田整一
発行:講談社
〒112-8001東京都文京区音羽2 12 21
TEL :03−5395−3522 (出版部)
03−5395−3622 (販売部)
定価:1,900円 (税別)
知る人ぞ知る淵田美津雄は、 70年前、 太平洋
戦争勃発の契機となった真珠湾奇襲攻撃の総隊
長だった。 伝統的な大艦巨砲優先の海軍にあっ
て、 彼は早くから武器としての航空機の重要性
を認識していた。
真珠湾では、 97式艦上攻撃機に搭乗して出撃、
全出撃機350機の指揮を執った。 以来、 終戦ま
での3年8ヶ月間、 帝国海軍の中枢として活躍
した。 そして1945年9月2日、 東京湾に浮かぶ
戦艦ミズーリ号上での降伏調印式には、 海軍総
隊参謀 (大佐) として乗船、 その歴史的事実を
目の当たりにしている。
彼の春秋に富んだ青年時代は、 当時の日本男
児の晴れがましい典型である。 しかし敗戦とい
う未曾有の事件によって、 軍人としての価値観
が見事に否定されてしまい、 失意にあった矢先、
天啓ともいえる出逢いを契機としてクリスチャ
ンに改宗、 キリスト教伝道師の道を歩んだ。 伝
道師として国内はもとより、 アメリカやカナダ、
台湾、 そして欧州と、 15年間におよぶ伝道の旅
を続けた。
この本の420ページもの内容は、 200字詰め原
稿用紙で2,000枚余の未完の自伝であり、 中田
整一氏によって要点を抽出、 解説を加えたもの
である。
淵田は執筆半ばで眼疾により妻・春子によっ
て資料を読み取り、 書き込んでいったが完成す
ることはなかった。 そして昭和51年5月、 持病
の糖尿病が悪化し、 故郷の奈良県橿原市で生涯
を閉じた。 享年73歳だった。
アメリカでの車による伝道行脚は47州、 半年
間で8万キロにもおよんでいる。 その壮絶な足
跡の中、 かつては敵として戦った、 大統領や提
督との恩讐を超えた邂逅等々、 興味つきない内
容が盛られている。
幾多の死線をくぐり抜けた戦時の回顧では、
山本五十六凡将論も吐露されている。 飾ること
なく驕ることなく、 そして臆することなく、 軍
人らしく淡々として書き下した筆致は、 必ずや
読者をして限りない感銘へ導くと確信している。
2008 MAR
87
JAPA SHOP
品
名
AIM−JAPAN
AIM−JAPAN 英語版
学科試験スタディーガイド
パイロットガイダンス
TAKE-OFF 安全飛行への招待
ヘリコプター操縦教本 第2版
航空気象 (新刊)
区分航空図501∼506各
区分航空図507
ターミナル航空図253、 254
首都圏詳細航空図
パイロット手帳
PILOT 誌
手袋
ライセンスケース
空中衝突
定
価
3,500円
3,500円
2,500円
3,500円
3,500円
3,500円
2,500円
2,600円
3,100円
2,600円
3,000円
1,200円
800円
5,000円
3,800円
2,300円
会員価格
送料
3,150円 送料込
3,150円 送料込
2,250円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
2,250円 送料込
2,340円+280円
2,790円+280円
2,340円+280円
2,700円+280円
1,080円+280円
720円+240円
4,500円+280円
2,800円 送料込
2,070円+380円
一般価格
送料
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+420円
3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+380円
2,600円+280円
3,100円+280円
2,600円+280円
3,000円+280円
1,200円+280円
800円+240円
5,000円+280円
3,800円 送料込
2,300円+380円
お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。
直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。
(お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。)
振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛
お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433
FAX 03−3501−0435
E-Mail:[email protected]
88
2008 MAR
FTD
SS21
P
3
Flight Log Book
A
Flight Log Book
180
60
30
B
5,000
Flight Log Book
2008 MAR
89
JAPA Aerial Photo Exhibition
フランスのドゥゴベール・アランさんと Pitts S2B。 楽しそうですね
(本文記事 「パイロットへの道 日本とフランスの違い」 をご覧ください)
90
2008 MAR
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2008 MAR
91
編集後記
●関東大震災後、 日本の航空先覚者たちは政府
に建議書を提出した。 その中で彼らは、 天災
ではなく人為的な爆撃によって、 帝都が破壊
されることを予見したが、 一般には想定外で
しかなかった。
(徳田)
●今年は雪が多いように思う、 以前のように積
もらないのは有難いが、 冬枯れの草地滑走路
はぬかるんで乾かず、 着陸は氷の上を裸足で、
といった感覚で、 油断も隙もあったものでは
ない。 萌える緑の春が待ち遠しい。 (奥貫)
●ココナツのバイオとか水素で A/C が飛ぶよ
うになっても基本動作だけは忘れないでもら
いたい。
(RYU)
●2008年になっても、 安全に関する報道の無い
日は皆無に近い。 イージス艦の漁船との衝突
事故は、 我々パイロットにも 「他山の石」 と
して多くの教訓を与えてくれている。 即ち、
情報の価値判断と確実な伝達の大切さという、
飛行業務にも共通点が多い。 FLY SAFE!
(KEN)
撮影者の山内さんは神奈川県在住のパフォーマ
ンス・アーティストで絵画、 写真、 舞踊などの
コラボレーションを手がけ、 海外での活動も多
い。 福岡から東京への機内で撮ったブロッケン
現象のことは知らなかったと。 知識は無くても
自然の美を捉える感性は、 思わぬ好い作品を生
みだします。
(柳井)
●以前、 米国に水素を燃料とするオリエントエ
クスプレスの計画があった。 いつの間にか消
えてしまったが、 環境問題、 化石燃料の涸渇
等の対策として再び脚光をあびるか。
(T. A.)
●事故は、 組織事故として認識、 分析、 対策が
必要です。 これによって安全文化が進歩する
と思います。
(K. A.)
●表紙に募集写真を掲載して早や1年!
多くの募集写真の中で、 動きのある飛行機の
写真ほど、 人の目と興味を引きつけます。
(編集長 蔵岡)
No.307 2008年 3 月号/平成20年3月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
92
2008 MAR
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ