この度の東日本大震災でお亡くなりになられた多くの方々、被災者の皆さまに心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 皆さんも様々なかたちで復興のために、自分の出来ること、やれることを考えていただいていると思います。 弊社も被災地でボランティアとして支援活動をする機会があり、4月に岩手県大船渡市へ行ってきました。 倶楽部会員の皆さまに、少しでも現地の状況などの実情をお伝えしたいと倶楽部通信臨時号をお届け致します。 まだまだ先が見えない厳しい状況の中、立ち上がって歩き出そうとしておられる被災者の皆さんに心からエールを送ります。 三重県鈴鹿市に本社を置く 「ドミニク・ドゥーセの店」 フランス人シェフ ドミニク・ドゥーセ社長とパン職人ら8名がボランティアで、 「東日本大震災」で被災した避難者に2万5000食分の材料を同社工場で準備し、受け入れ先である岩手県大船渡市の被災地 に向け当社モデルハウスを4月3日未明に出発し8日まで滞在して災害支援活動を行いました。 この救援サポーターは、私が支援をお願いした鈴鹿市が本社の運送会社「三重執鬼㈱」寺田忍社長らと共に、温かいコーヒー と焼きたてのパンを食べてもらおうとドミニク社長の呼びかけに、パン生地などの材料や水、発電機と燃料を2台のトラックに満載 し、計3台分の支援車両の高速料金を免除してもらう 通行手形 を鈴鹿市役所に発行申請し、片道1000kmの道のりを17時間 かけて出発しました。 また、この支援活動に、参加を呼びかけた 「名古屋カナダ領事館」 アラン・エドワード領事にも賛同してもらい、パンの原料である カナダ産小麦粉1.5 トンをカナダ連邦政府小麦局に提供して頂くようお願いしました。 ドミニク・ドゥーセの店では、チーズやベーコン、野菜などをフランスから、パン生地の原料は品質の良いカナダ産小麦粉などを使 用していることから両国の支援があり「日」「仏」「加」3カ国による共同支援コラボレーションが実現しました。 材料などをトラックに詰め込むドミニクさん (右から2人目)ら 鈴鹿市で ドミニク社長によると、3月11日に岩手県盛岡市のデパートでイベントを開催中に地震と津波に遭遇、 社員が決死の覚悟で鈴鹿に帰社。その後、福島の原発事故が報道されるとフランス人がいち早く日本 を出国した事を憂い、25年前に鈴鹿でF-1開催の年にホンダからレーサーに本場のパンを提供して欲 しいと招聘されて以来、日本でお世話になって来た。こんな時にお返しをしなければ・・と思い立ったそう で、早速イベントをしていた岩手県庁に電話をして受け入れ先の返事を貰ったのが大船渡市だったそう です。 岩手県大船渡市は、人口約4万人の漁業と太平洋セメントの 工場がある典型的なリアス式三陸海岸の港町で、51年前に もチリ沖地震でも3メートルの津波があり大船渡でも51名が 亡くなったそうです。 私たちは、4月4日、0時30分に鈴鹿を出発し、湾岸川越インターから東海環状、中央道、長野道を通って新潟県上越 市で北陸道を北上。日本海周りで高速道路をひた走り新潟市から磐越道に。 朝9時に運送会社の関連会社のある福島県会津若松で500リッターのタンクに水を満水にしてもらい再出発、トラックに 荷物や機材を満載しての運転はとっても疲れます。 会津磐梯山を横目に猪苗代付近では、地震のせいで高速道路の路面に段差が多くあり注意しながら走行しました。 福島から東北道仙台付近まで来ると、給油のため入ったサービスエリアでは全国からの警察車両や自衛隊の車両、 医療支援と書いてある医療班、災害支援や復興支援のトラックなどでごった返していました。 余談ですが、タバコが無くなったので買おうと思ったらSAには1個のタバコもありません、我慢して給水のために降りた 会津若松のスーパーでも商品が届かず品切れ、ここから北のコンビニは全て閉まっていました。 一関インターから石巻、陸前高田へ続く45号線は通行止めになっているのでナビを無視して一路、岩手県水沢インター まで北上し地図で言うと右下の大船渡市まで70キロ地点まで来て雪が降ってきました。私たちの運転するトラックは雪 用のタイヤになっていないので注意して走りましたが、前日から不眠で35時間かけてようやく目的地の大船渡市に入り 受け入れをしてくれる市役所に近づくにつれ道路端のガレキが目につきました。 高台にある市役所に到着したのが午後5時30分。各県からの救援隊が出入りし市役所の職員がその対応をしていまし た。早速、私たちの受け入れ担当の生活福祉課三浦課長と打ち合わせが終わった時は日没間近、避難者の一番多い 大船渡公民館に案内される道路の途中、山側と海側の光景を見て「生死の境」に仰天し、これが聞きしにまさる被災地。 大船渡市では、この震災で287名が死亡、220人以上が行方不明との事。 三浦課長も自分の家がは倒壊したそうです。 休む間もなく公民館横に待機してあった消防車と私たちのトラックを入れ替えてもらい発電機やオーブンの準備が終わった のは午後10時を過ぎていました。その日は冷え込み-4度、持って行ったカップラーメンを全員ですすり明日に備えて寝よう としましたが、寝る場所はトラックの荷台に3人、後は公民館横の外か車の中しかありません。 避難所で貰ったダンボールを敷いて持って行った寝袋の中で寝ます。支援に行くボランティアは基本的に「自己完結型」で 宿泊、食料、燃料など全て自前が条件になっています。 私は、寒かったですが寝不足と疲れで即、爆睡しましたが、朝になってドミニクから夜中に3回大きな余震で寝られなかった と言っていました。被災者の話では、もう震度3や4ではもう気にならないと恐ろしいことを言っていました。 震度3や4ではもう気にならないと恐ろしいことを言っていました。 ドミニクら3人のフランス人職人と京都から応援に駆けつけて来てくれた日本人パン職人(木下さん)らは、朝5時から仕込み をし、焼きたての特製ピザパンを食べてもらおうと奮闘しています。私たちも発電機を準備しオーブンに結線をしたりテーブル の組み立ての手伝いをしました。 翌日は良く晴れて、焼きあがるまで高台の避難所から被災地現場に行って、目を疑いました。 壊滅とは、まさにこの光景で地獄絵そのものです。 瓦礫の山は未だ行方不明の人もいて周囲の臭いは、赤潮で海水が酸欠した時の異臭が。 海外からもオランダの救助隊は生存者を嗅ぎつける救助犬が、アメリカの救助犬は死体の臭いで捜索するように訓練されて いる犬も入っていると聞きました。 倒壊した自分の家屋に物を取りに来ていた70歳くらいの老男性に、 大変でしたね・・ご家族はどうでしたか? と声を掛ける と家族は無事でしたがお向かい人が亡くなりました、との事。 11日2時46分、震度7の地震後3メートルの第1波が押し寄せ大津波警報が出て多くの人が避難したそうですが、まだ大丈 夫と家に貴重品を取りに行った人や車を取りに戻った人達に30分後15メートルの第2波が来てその殆どの人が犠牲になっ たそうです。 また、年を取った人はその第2波を見て逃げる事もせず諦めて立ちすくんでいたそうで、話を聞いて涙が出ます。 避難所へ戻る途中の帰り道では、個人の了解を得てガレキと化した街の一部を自衛隊の支援班が重機を使って丁寧に片付 けていました。 避難所に戻って私たちが用意した『希望のパン』を受け取りに並んでいた被災者を見て驚きました。 みんな明るくて元気なのです。あの地震と津波で悲鳴と恐怖の中、パニック状態を超えてしまうと寡黙にみんなで支え合い元気 に振る舞い、ただ前を見るしかなく希望に向かって進んでいる姿勢に驚嘆しました。 被災者や避難されている人達が焼きたてのピザパンを手に取ると ありがとうございます、助かります。家族が3人いますので 3人分頂いてもいいですか・・ と遠慮して言われるので、どうぞどうぞと差し上げたら ありがとうございます と心から感謝され、 これが、 本当のありがとう の原点なのだ、とホロッときてこちらも心が温まります、来てよかった。 反面、現地に来ないと分からない事もたくさんあります。 不眠不休で対応する市職員からこんな無情な話を聞きました。被災直後の現場では冷静さは失われますが、生存者の救命が優先 され、息があっても絶望的な人の救済は後になるそうです。その側で折り重なって亡くなった人達の姿を心無い報道カメラマン達が 写真やビデオカメラを廻しているのを目の当たりにすると やめてくれ! と思わず叫んだそうです。 報道の仕事とは言え戦場のカメラマンは非情です。 また、震災直後に市職員らで毎晩夜回りしていると、懐中電灯を持った人達に必ず遭遇するそうです。それが被災者の親戚や知人 なのか、警察官か自衛隊なのか泥棒なのか分からない人がいたるところに出没し、手にしている物を尋ねると 拾った と言われると 何とも出来ない事の無念さを語ってくれました。 何ともコメント出来ませんが、良いか悪いかこの実態は報道されません。 被災地の皆さんは目の前で起こった実情に茫然自失を乗り越えようと、今は気が張って寡黙に秩序を保っていますが、この状態が 続くとだんだん不安になって来ると思います。 泣きたい気持ちをこらえて頑張っていますが、家族の将来や住まいのこと、仕事や収入のこと、借金を抱え先が見えない不安を自分 に置き換えて考えた時言葉が見つかりません。 何とかなるさ! と、心から応援したいものです。 4月8日、一足早く帰った私に、ドミニクさんらが今回の目的を果たし18時間かけ途中、福島県の磐越道を走行中震度 6に遭遇し命さながら帰ってきました。 みんな喜んでくれた、よかった と、くたくたになってモデルハウスで待ち受けた私と思わず抱 き合った体は、5日間の ご苦労の臭いでいっぱいでした。 帰りのサービスエリアで「小錦」にあったそうで、写真を見せてくれました。小錦も被災地に「ちゃんこ鍋」のボランティアに 行っていたそうです。有名人がたくさん行ってくれると被災地の人達も元気になると思います。 ドミニクさんは被災地の幼稚園の子供たちから、お礼の手紙とおいしそうに食べている写真をいっぱい見せてくれました。 彼は今年の夏と来年の3月にも大船渡に行く事を私に約束し、社長も一緒に行きましょうと誘ってくれました。 ドミニクさんはすごい人です良い友です。私も頑張らなくては・・と頭が下がり引き締まる思いです。 フランスパンの生地に炊いたお米を入れ チーズや野菜をのせて焼いた「希望のパン」
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