6. 自由エネルギー 自由エネルギー 6・1 自由エネルギー 自由エネルギーと エネルギーと平衡条件(アトキンス 3・5) 「熱力学の根本問題は、平衡状態にある系の内部束縛(エネルギー、体積、物質のやり取りを禁止す る束縛)が除去された時、系が最終的に到達する新しい平衡状態を決定する事である。」我々は今やこ の最終状態がエントロピー最大の状態であることを知っている。自発変化がエントロピーの増大する 方向であることを知っている。しかし、これは孤立系の話であり、一般の実験条件では閉じた系、あ るいは開放系であることが普通である。では、閉じた系ではどのような状態が実現するのであろうか? どのような変化が起こるのであろうか? 6・1・1 Gibbs の自由エネルギー 自由エネルギー *1 ここで、Gibbs(ギブス)の自由エネルギー 自由エネルギー(Gibbs エネルギー、Gibbs 関数ともいう) G という状態関数を導入する。その定義式は、 G ≡ H - TS [3・30](1) である。ここで、いつものように定温・定圧過程、PV 仕事のみの場合を考える。 Δ Suniv = Δ Stherm +Δ S (一般的) = -Δ H/T +Δ S *2 (2) (定温・定圧、PV 仕事のみ) (3) - T Δ Suniv = Δ H - T Δ S (3') この- T Δ Suniv をΔ G とおく 。 *3 Δ G =- T Δ Suniv (定温・定圧、PV 仕事のみ) (4) 式(3')と(4)から、あるいは定義式(1)において、定温条件から Δ G =Δ H - T Δ S (定温) ( 5) という関係が得られる。あるいはこれを微分形式で表して、 dG = dH - T dS (定温) (3・31(b))(6) となる。上式より、Δ G が負のとき宇宙のエントロピーは増大することが分る。したが って、自由エネルギーをエントロピーの代わりに、変化の方向を知る判断基準とすること ができる。すなわち、Δ G < 0 の方向に自発変化が起きる。 自由エネルギーを使う利点は、系の性質だけ(Δ H とΔ S)を見ればよいことである。 それで十分宇宙の残りの部分も考慮に入れたことになっている。G、H、T、S は全て系の 状態関数である。Δ Suniv の代わりにこれらを使うのである。化学者にとって、この自由エ ネルギーは熱力学状態関数の中でも最も重要なものである。 *1 アトキンスでは Gibbs エネルギーと表記して、自由という語は使用していない。これは IUPAC が そうするように推奨しているからである。しかし、この講義では自由エネルギーという用語を用いる ことにする。それは、後にでてくる Helmholtz の自由エネルギーを合わせて、総称として自由エネルギ ーという言葉を使うことができるからである。 *2 この T は熱源の温度であるが、系と熱源が平衡状態にあるので、系の温度に等しい。 *3 - T Δ Suniv =Δ G とおけるのは、定温、定圧、膨張仕事のみという条件のときのみであることに注 意する。Δ G < 0 なる変化を可逆的に行わせた場合は、Δ Suniv = 0 であり、Δ G ≠- T Δ Suniv である。 - 84 - ここで 5・3・1 で計算した過冷却水の凝固について考えてみよう。1 bar の定圧下で- 13 ℃まで過冷却した水が氷に転移するとき、そのエンタルピー変化Δ H ○ ( 260 K)は- 5.52 kJ mol- 、エントロピー変化Δ S ○(260 K)は- 20.1 J K- mol- であった。したがってこの転 1 1 1 移の自由エネルギー変化は、 Δ G ○(260 K) = Δ H ○(260 K) - T Δ S ○(260 K) = - 5520 + 260.15 × 20.1 = - 291 J mol- (7 ) 1 Δ G < 0 なのでこの転移が自発的に起こることが分かる。以前の計算では宇宙のエント ロピー変化Δ Suniv は 1.12 J K- mol- と計算された。Δ Suniv が自由エネルギー変化Δ G と 1 1 Δ G = - T Δ Suniv = - 260.15 × 1.12 = - 291 J mol-1 (8) という関係にあることが分かる。 6・1・2 Helmholtz の自由エネルギー 自由エネルギー ここで、Helmholtz(ヘルムホルツ)の自由エネルギー 自由エネルギー(Helmholtz エネルギー、Helmholtz *1 関数ともいう)A という状態関数を導入する 。その定義式は、 A ≡ U - TS = G - PV [3・29](9) である。ここで、定温・定積過程、PV 仕事のみの場合を考える。 Δ Suniv = Δ Stherm +Δ S = -Δ U/T +Δ S (一般的) (10) (定温・定積、PV 仕事のみ) (11) - T Δ Suniv = Δ U - T Δ S (11') この- T Δ Suniv を Δ A とおく。 Δ A =- T Δ Suniv (定温・定積、PV 仕事のみ) (12) 式(11')と(12)から、あるいは定義式(9)において、定温条件から Δ A =Δ U - T Δ S (定温) (13) という関係が得られる。あるいはこれを微分形式で表して、 dA = dU - TdS (定温) (3・31(a))(14) また、定義式(9)より、Δ A =Δ G -Δ(PV)なので、理想気体の等温過程では Δ A =Δ G (理想気体、等温) (15) となることが分かる。定圧過程では G と H を、定容過程では A と U を使う。 6・1・3 変化の 変化の向きと平衡条件 きと平衡条件- 平衡条件-熱力学の 熱力学の不等式- 不等式-(アトキンス 3・5(a)) 系がある束縛条件のもとにおかれたとき、その一つの状態から実際に起こり得る変化は 第二法則を満足しなければならない。もし想定しうるすべての変化が第二法則を満足しな ければ、その状態は平衡状態である。束縛条件によって変化の向きを決定する基準は異な る。これは第二法則(第 5 章式(22))を使うことによって、容易に求めることができる。 TedS ≧ d'q (一般的) (16) 孤立系あるいは断熱系では q = 0 なので、 dS ≧ 0 (孤立系、断熱系) となる。定圧、膨張仕事のみの条件では d'q = dH なので、 *1 Helmholtz の自由エネルギーに対する記号として A の変わりに、F を使うこともある。 - 85 - (17) TedS ≧ dH (18) である。エントロピーが一定の場合、 dH ≦ 0 (閉じた系、定圧、膨張仕事のみ、定エントロピー) (3・26)(19) となる。閉じた系、定積、膨張仕事のみの条件では d'q = dU なので、 TedS ≧ dU (20) である。エントロピーが一定の場合、 dU ≦ 0 (閉じた系、定積、膨張仕事のみ、定エントロピー) (3・26)(21) となる。閉じた系、定温、定圧、膨張仕事のみの条件では d'q = dH なので、 0 ≧ dH - TedS = dG (閉じた系、定温定圧、膨張仕事のみ) (3・32)(22) である。閉じた系、定温、定積、膨張仕事のみの条件では d'q = dU なので、 0 ≧ dU - TedS = dA (閉じた系、定温定積、膨張仕事のみ) (3・32)(23) である。このように熱力学第二法則を出発点として、任意の条件にある系に対する熱力学 的安定性条件(=平衡条件)の不等式が導かれた。これを熱力学の 熱力学の不等式という。 以上をまとめると、 束縛条件 変化の向き 平衡条件 孤立系 dS > 0 S = max. 断熱系(閉鎖系、開放系) dS > 0 S = max. 閉じた系 定エントロピー定圧膨張仕事のみ dH < 0 H = min 定エントロピー定積膨張仕事のみ dU < 0 U = min. 定温定圧膨張仕事のみ dG < 0 G = min. 定温定積膨張仕事のみ dA < 0 A = min. U、H,G,A を 熱力学ポテンシャル 熱力学ポテンシャル (あるいは熱力学関数 、熱力学特性関数 )と呼ぶ。 広義にはさらにエントロピーを含めることもある。系の平衡条件はこの熱力学ポテンシャ ルが極値を取ることである。 ポテンシャルエネルギー V の場にある粒子は、微小変位 dx に伴って場から、 F = - dV/dx なる力を受ける。力がゼロのとき、粒子は V が極小の状態にある。熱力学において、こ の力学的ポテンシャル V に対応するものが熱力学ポテンシャルである。そして、この力 学的力に対応する熱力学的力(、状態変化を起こす力)f というものを次式によって定義 することができる(熱力学ポテンシャルが Gibbs 自由エネルギーの場合、アトキンス 21・9 参照) 。 f = -(∂ G/∂ξ)T, P [21・56] ここで、ξは変化の 変化の進行度(化学反応の場合は反応の 反応の進行度と呼ばれる。6・5・2 参照)で、 状態変化がどの程度起こったかその度合いを表す量である。熱力学ポテンシャルが極小(∂ G/∂ξ)= 0 のとき、状態変化を起こす力はゼロとなり、平衡状態となる:(∂ G/∂ξ)< 0 とき、変化は自発的に起こる。Δ G < 0 である変化が、変化の進行度によっては(∂ G/∂ ξ)> 0 となり、変化が自発的には進まなくなる場合があるので、その場合は自発変化の 向きをΔ G ではなく、(∂ G/∂ξ)によって判断する必要がある。例えば化学反応の場合、反 - 86 - 応自由エネルギー変化 Δ r G =生成系の G -反応系の G であり、これは条件が指定されれば定数であ る。これに対して、任意の時点で反応が進行するかどうかはその時点での(∂ G/∂ξ)によって決まる。 ここで、G は任意の時点での系の全自由エネルギーであり、これは反応の進行に伴って変化するので、 (∂ G/∂ξ)も反応の進行に伴って変化する(化学平衡の状態は(∂ G/∂ξ)= 0 の状態である)。実は Δ r G > 0 の反応であっても、ごく僅かであれ反応は少しは起こるのである。これはΔ r G がξの単調 増加関数になっていないからである。これについては 6・5 で詳しく説明する。 (注意)状態変化を起こす力 f について誤解しないように少し補足しておく。拡散現象を例にとると、 濃度勾配による力 f というものが粒子とは無関係に存在して、その力が粒子に働いて拡散が起こる、 という間違った考え方をする可能性があるので注意する。拡散が起こるのは、5・2 で考察したように、 粒子が ‘不規則な’熱運動をしているからである。気体中あるいは溶液中の分子は濃度勾配があろうが なかろうが、常に‘不規則な’熱運動をしている。濃度勾配の解消は単にその熱運動の結果である。た またま左から右に濃度勾配があれば、それは左方には分子が多く、右方には分子が少ないということ であるから、各々の分子が‘不規則に’運動すれば、左から右へ移動する分子の方が右から左へ移動す る分子よりも多く、その結果全体として左から右への粒子の移動が拡散として巨視的に観測されるの である。このとき、何らかの力 f が働いて巨視的な(、まとまった数の)粒子の移動(すなわち拡散) が起こったと考えることも熱力学的には可能である。しかし、実際にこの様な力 f が働いて拡散が起 こったわけではない。拡散して濃度勾配が解消されたのも、何か力 f が働いているように見えたのも、 粒子が ‘不規則な’熱運動をしている結果なのである。ゴムの張力も同様である。炭素原子間の結合周 りで‘不規則な’回転を行うので、引き延ばされた状態では縮もうとする回転が有効に働いて、全体と して縮もうとして張力が生まれる。伸びていたゴムが力を取り除くと元に戻るのも、伸びていたゴム に張力 f が働くのも、‘不規則な’回転熱運動の結果である。張力という巨視的な力が存在して、それが 粒子に働いて元に戻るのではない。この熱力学的力 f は力学的力とは異なり、言わばエントロピー的 エントロピー的 力である。 6・1・4 相転移、 相転移、化学反応、 化学反応、溶解、 溶解、混合における 混合における自由 における自由エネルギー 自由エネルギー変化 エネルギー変化 実際に観測される自発変化の方向が、どのような因子によって支配されているかを相転移、化学反 応、溶解、混合を例に考察してみよう。 a 相転移(アトキンス 4 章) なぜ相転移が起こるかを熱力学的に説明すると次のようになる。相の安定度は Gibbs の 自由エネルギー G によって記述される。一般に任意の温度と圧力の下では、物質は自由 エネルギーが一番低い状態(相)にある*1。これを安定相と呼ぶ。系の温度や圧力を変え *1 これには、例外も多い。本来ならば、熱力学的に不安定な(=自由エネルギーが高い)相が速度論 的な理由から安定に存在する例は多い。このような相を 準安定相という。代表例としてはダイヤモン ドとグラファイト、あるいは 5・3・3c でも取り上げたガラスがある。常温、常圧下では熱力学的にはグ ラファイトが安定相で、ダイヤモンドは準安定相であるが、どちらも安定に存在している。これは速 度論的に安定化されている、つまり、準安定相から安定相への転移速度が極めて遅いので安定に存在 するのである。これはグラファイトとダイヤモンドでは化学結合様式が異なるので、相転移では結合 の変化に伴って莫大なエネルギー障壁が存在するからである。 - 87 - たとき、ある温度あるいは圧力以上(あるいは以下)で別の相の自由エネルギーの方が低 くなれば、その相が実現される。つまり相転移が起こるわけである。ここでは、温度変化 に伴う相転移について考えてみよう。任意の物質の固相、液相、気相のエンタルピーとエ ントロピーの大きさを比較すると、両者とも一般に固相<液相<気相の順になる。H も S もあまり温度変化しないが、自由エネルギーは- TS の項があるので、大きく温度依存す る(=温度の上昇とともに減少する)。このとき、自由エネルギーの温度変化も固相<液 相<気相の順に大きくなる 。その結果アトキンス図 4・9 のような温度変化が現れる。 *1 (a) 融解 1 気圧、0 ℃ における氷の融解エンタルピー Δ fusH と融解エントロピーΔ fusS は、それ ぞれ 6.008 kJ mol-1、21.995 J K-1 mol-1である。融解に伴う自由エネルギー変化は、 Δ fusG =Δ fusH - T Δ fusS = 6008 - 273.15 × 21.995 = 0 であるから、0 ℃の氷は 0 ℃の水と平 衡にある。つまり、融点では固相と液相が相平衡にあるので、この二つの相の自由エネル ギーの差(=融解に伴う自由エネルギー変化)は零になる。 Δ fusG = G(l)- G(s)= 0 (定圧、融点) (24) 従って、定圧下の融点においては、Δ H - T Δ S = 0 が成立するので、5・3・1 で既出の Δ trsS = Δ trsH/Tt (定圧) (3・16)(25) という関係が得られる。Δ fusG と同様に、Δ fusH とΔ fusS はそれぞれ、融点で相平衡にあ る固相と液相のエンタルピー差、エントロピー差である。これに対して、25 ℃における 氷の融解のΔ fusH とΔ fusS は、それぞれ 6.983 kJ mol-1、25.42 J K-1 mol-1である。このと きΔ fusG =- 594 J mol-1であるから、変化は自発的に起きる。つまり 25 ℃では氷は自然 に融ける。これは我々の常識と一致する 。 *2 25 ℃における氷の融解に伴うΔ H の値は正であり、吸熱である(つまりエネルギー的 には不利である)。したがって、外界は熱を放出しなければならないから、外界のエント ロピーは減少する。それにも関わらず氷が融けるのは、系のエントロピーがそれ以上に増 大し、結果として宇宙のエントロピーが増大するからである。Δ Suniv =-Δ G/T = 594/298.15 ~ 2 J K-1 mol-1。これは融解について一般的に言えることである。規則的な結 晶格子は低いポテンシャルエネルギーを持つので、融解のΔ H は正(吸熱)となり(= エネルギーの高い状態となり)、その結果外界のエントロピーは減少する。しかし、液体 の乱雑な構造は結晶の規則正しい構造よりもエントロピーが大きいので、融解のΔ S は正 となる。このときΔ Suniv が増大するのであれば、融解が自発的に起こる。 T = 0 K ではエネルギー効果だけで自由エネルギーは決まってしまうので、ポテンシャ ルエネルギーが低くなるように規則的な結晶格子を形成する。有限温度になり、特に高温 *1 7・2 で示すように、(∂ G/∂ T)P =- S という関係が一般に成立する。その結果、アトキンス図 3・19 に示すような温度変化となる。 *2 25 ℃で水が自然に溶けることは誰でも知っているので、この計算をバカらしく感じるかもしれない。 確かにこの計算に限っていいえばそうかもしれないが、一般的にこの様な計算によって任意の過程が 自発的に起こるかどうかを知ることができるのである。 - 88 - になると、エントロピーの効果が重要になってくる 。つまり、融解のΔ H は吸熱なので、 *1 エネルギー的には不利であるが、エントロピー効果によって融解は起こる(5・4c 参照)の である(というように、系の自由エネルギー変化に基づいて考察するときには表現する。 しかし、Δ H =- T Δ Stherm より、系のエンタルピー増大は、外界のエントロピー減少を 意味するので、正確には、外界のエントロピーの減少よりも、系のエントロピーの増大の 方が大きいので、宇宙のエントロピーが増大して融解が起きるのである)。このように自 由エネルギーによる判定基準は化学者が一番よく使うもので、しばしば自由エネルギーは エネルギー効果(Δ H)と乱雑さの効果(Δ S)との競合を計る尺度と解釈される。確かに系 の性質のみに注目している限りそう考えて差し支えないが、熱力学第二法則はエネルギー 効果には全く言及していないことを忘れてはならない。あくまでも変化の自発性はただ乱 雑さに向かう(Δ Suniv が増大する)傾向だけで決まるのである。アトキンス 3・5(b)も参 照せよ。 孤立系Δ S univ 閉じた系に注目:エネルギー的には不利(有利)でも、エントロピー 外 効果によってΔ G < 0(> 0)になる。 系Δ G, Δ S Δ Stherm 界 孤立系に注目:Δ Stherm は減少する(増大する)が、Δ S がそれ以上 に増大する(減少する)ので、Δ S univ > 0(< 0)となる。 (b) 蒸発 1 気圧の水蒸気の存在下で、298 K の水の蒸発エンタルピーΔ vapH と蒸発エントロピー Δ vapS は、それぞれ 43.885 kJ mol-1、118.2 J K-1 mol-1で、蒸発に伴う自由エネルギー変化 Δ vapG = G(g)- G(l) は 8.632 kJ mol-1である。従って、蒸発の逆の過程、すなわち凝縮 が自発的に起こる。つまり、蒸発に伴う系のエントロピーの増大よりも、吸熱に伴う外界 のエントロピーの減少の方が効果が大きいため、蒸発が起きないのである。 0.0313 気圧(298 K での水蒸気の飽和蒸気圧)の水蒸気の存在下で、1 気圧、298 K の 条件の下で水の蒸発に伴うΔ vapH とΔ vapS は、それぞれ 43.885 kJ mol-1、147.2 J K-1 mol-1 で、このときΔ vapG = 0 である。つまり、凝縮と蒸発*2 が釣り合った状態である。 Δ vapG = 0 (定圧、蒸発・沸騰) (26) 1 気圧の水蒸気が存在するときよりも、0.0313 気圧の水蒸気が存在するときの方が、蒸 発のΔ vapS が大きいことに気づく。これは、気相中の分子数が少ない状態の方が蒸発のエ ントロピー効果が大きいことを意味している。従って、気相中の水蒸気の分圧が飽和蒸気 圧よりもさらに下がれば、蒸発に伴うΔ vapS もより大きくなり、その結果Δ vapG は負にな り蒸発が自発的に起こる。つまり、融解と同様蒸発の Δ H も吸熱なので、エネルギー的 には不利であるが、エントロピー効果によって蒸発は起こるのである。 *1 Δ H 、Δ S はあまり温度変化しないが、エントロピー項はΔ S に T が掛けられているため、Δ G は 温度依存性が顕著である。 *2 蒸発は沸点よりも低い任意の温度でも起きている。水蒸気が 1 気圧で、かつ液相と相平衡にあると きの温度が水の沸点 100 ℃であり、沸点における気化現象は沸騰と呼ばれる。任意の液体の標準沸点 とは、その液体の蒸気圧が 1 bar であるときの温度である。 - 89 - ☆ Δ H-Δ S の補償関係 このように閉じた系(定温・定圧条件)では、エネルギー効果(Δ H)とエントロピー効果 (Δ S)の両方が効いてくる(ように見える)。一般にこの二つの効果は両立せず、安定度が 増せば(=Δ H が負になれば)、拘束が強くなる(=自由度も減少してしまう=Δ S も負 になる);粒子の熱運動が激しくなる(=エンタルピーが増す)と乱雑さが増大する(= エントロピーも増加する)。この一般的な関係はΔ H-Δ S の補償関係と呼ばれる。したが って、Δ H とΔ S の両者の大きさの兼ね合いで自由エネルギーが最小になるような状態 を系はとる。大雑把な言い方をすると、低温ではエンタルピー項が高温ではエントロピー 項が支配的になる。もちろんΔ H とΔ S が異なる符号をとる場合もある(注意参照)。 エネルギー効果・・・安定度 エントロピー効果・・自由度 (注意)たとえば、前述の結晶の融解や吸熱反応ではΔ H は正、その結果系のエントロピーも増大 するのでΔ S も正。発熱反応ではΔ H は負で、Δ S も負であることが多い。しかし、もちろん両者の 符号が異なる場合もある。例えば、次の過酸化水素の分解反応ではΔ H < 0、Δ S > 0 である。 2H2O2(l) → 2H2O(l)+ O2(g) また、次の反応ではΔ H > 0、Δ S < 0 である。 6CO2(g)+ 6H2O(l) → C6H12O6(s)+ 6O2(g) 植物の行っている光合成は自発的には起こらない反応なのである。太陽からの光エネルギーがあって はじめて反応が進むのである。この逆反応は呼吸であり、このときΔ H < 0(発熱)なので、そのエ ネルギーが生命活動に使われる。 b 気相反応(F4 ページ図 5.20) (a) 結合反応(反応によって分子数が減少する):Δ S < 0、Δ H < 0 それまで独立に運動していた分子が、結合することによって一緒に行動しなければなら なくなるので、並進の自由度が減少する。しかし、その分振動の自由度は増大する。反応 の前後で原子の数は変わらないので、全自由度の数は変わらない。しかし、箱の中の粒子 のモデルから分かるように、並進運動のエネルギー準位の間隔は非常に小さいので、利用 可能な量子状態は非常に多いが、振動運動のエネルギー間隔は非常に大きいので、振動状 態はほとんど基底状態しか利用できない。その結果、反応が進行すると、微視的状態の数 は大きく減少し、エントロピーも減少する。 図から分かるように、Δ S が負で、Δ H も負になっている。従って、反応を駆動する のはエンタルピー効果である。低温ほどエントロピー項の寄与が小さいので、低温ほど反 応が進みやすい。 (b) 再結合反応、置換反応(反応によって分子数が変化しない):Δ S ~ 0、Δ H < 0 エントロピー変化Δ S は僅かである。この場合、Δ H が負(=発熱反応)であれば、反 応が進む。 (c) 分解反応(反応によって分子数が増加する):Δ S > 0、Δ H > 0 分子数が増加するのでΔ S は正で、Δ H も正になっている。従って、Δ S の寄与によ り反応が進行する。高温ほどエントロピー効果は大きいので、高温ほど反応が起こりやす い。 - 90 - c 液相反応(F4 ページ表 6・4) 溶媒和効果は溶液中の化学反応の収率に重大な影響を及ぼす。反応を行わせるのに重要 な決め手となるものの一つは適切な溶媒の選択である。例えば、水は反応にイオンが関与 するときに溶媒として適しているが、決して万能ではない。溶液中で反応が進むかどうか を決定するのにイオンの溶媒和エントロピー 溶媒和エントロピーが重要であることが多く、時には支配的な効 果を持つこともある。ここでは水溶液中のイオンが関与する化学反応を見てみよう。 (ⅰ)Δ H が正(吸熱反応)。反応に伴ってフッ化物イオン F-が HF2-イオンに変わった。小 さな F-は、大きな HF2-より水を強く引きつけて(=水和して)安定化しているので、反 応の進行に伴って HF2-が増えると、エネルギーが高くなりΔ H は正になる。反応に伴っ て粒子数が減少するけれど、Δ S は正である。小さなフッ化物イオン F-の周りの水和構 造は、大きなイオン HF2-のそれよりも整然としている;つまりエントロピーが小さい; 従って、反応が進行して F-が減少するにつれて系はより乱雑になるのでΔ S は正になる。 この様に水和に伴うエンタルピー変化、エントロピー変化はともにイオンの電荷が大き いほど、同じ電荷を持つイオンではイオン半径が小さいほど、一般に大きな負の値となる (3・3・3 水和エンタルピー、5・3・4c 水和エントロピーを参照せよ)。主として静電相互作用のため にイオンに水分子が一定の配向をとって結合し(第一)水和層を作る。水和層にある水分子 はバルクの水に比べ秩序性が高いので、エントロピーは減少する。水和が強いほど、エン タルピー変化、エントロピー変化とも負の値は大きくなると考えられる(Δ H-Δ S の補 償関係)。 (ⅱ) Δ H が負(発熱反応)。反応によってイオンが増えるので、水和によってエネルギー 的に安定化する。反応に伴って粒子数が増大するが、Δ S は負である。反応によって生成 する各イオンはそれぞれの周りに整然とした水和環境を作り出すためΔ S は負になる。 (ⅲ) Δ H が負(発熱反応)。反応によってイオンが生じるので、水和によってエネルギー 的に安定化する。反応に伴って粒子数に変化はないが、中性分子からイオンが生じるので、 Δ S が大きく負になる。 (ⅳ) Δ H とΔ S の符号が反対である。Δ H が負(発熱反応)。水は中性分子の方がエネル ギー的に安定である*1。反応に伴って粒子数に変化はないが、イオンが中性分子に変化す るので、Δ S が大きく正になる。 d 溶解 溶解現象においても溶媒和(水和)が重要な働きをしている。溶質を溶媒和することに より、溶質の再結合を防いでいる。一般に水和(溶媒和)はエネルギー的には(Δ H < 0) 溶解を促進する働きを、エントロピー的には(Δ S < 0)抑制する働きをする(表 6・3 参 照)。しかし、実際には、Δ H > 0、Δ S > 0 になる場合もある(表 6・2 参照)。これにつ いては後ほど詳しく考察する。 これからしばらくは基本的に溶液中で溶質がイオンに解離する場合について考えること + - -7 *1 中性の水の中には H イオンと OH イオンは H2O の 10 しか存在しない。 - 91 - にする。例えば、塩はイオン性結晶であり、水に溶けるときはほとんど完全にイオンに解 離した状態で存在する。しかし、塩の水に対する溶解度は塩の種類によってずいぶん違う。 Δ solH < 0、Δ solS < 0 の場合: *1 ①水に対する気体の溶解度(F4 ページ表 6・3) 塩化水素ガスとフッ化水素ガスのΔ H はほぼ同じ負の値である(=水和によって安定 化する)が、前者の水への溶解度は、後者のおよそ 10 倍である。HF は HCl よりも水に 6 溶けにくいばかりでなく、あまりイオンに解離しないことが分る。エントロピー効果とし ては、ともに乱雑さが減少するためにマイナスの符号がついているが、フッ化物イオンと 塩化物イオンの大きさの違いによる水和構造の秩序の差が、エントロピー変化の絶対値の 大きさの違いを生んでいる。これはエントロピー効果によって溶解度に差が生じる例であ る。 ②水に対する塩の溶解度 298 K 1 Δ solH(kJ mol- ) 1 - T Δ solS(kJ mol- ) CaSO4 - 26.86 42.18 CuSO4 - 73.14 56 1 Δ solG(kJ mol- ) 15.32 - 17 298 K における CaSO4 と CuSO4 の水への溶解に伴うエントロピー変化Δ solS はほぼ同じ 値をとる(エントロピーは減少している)。これに対して、溶解のエンタルピー変化Δ solH は大きく異なっている。その結果、CaSO4 と CuSO4 の水への溶解に伴う自由エネルギー 変化Δ solG は、前者が正で溶けにくいのに対して、後者は負で溶けやすい。これはエンタ ルピー効果によって溶解度に差が生じる例である。 Δ solH > 0、Δ solS > 0 の場合:(F4 ページ表 6・2) 塩化ナトリウムとフッ化カルシウムのΔ solH はほぼ同じ正の値であるが、前者は 5 mol dm-3 以上水に溶けるのに、後者の平衡溶解度は 0.001 mol dm-3 以下である。これはなぜか? 小さなフッ化物イオン F-と高い電荷を持つカルシウムイオン Ca2+は周りのいくつかの水分 子と固く結びついて、秩序の高い配列(水和殻)を作り出す。一方、塩化物イオン Cl-の 大きな寸法とナトリウムイオン Na+の低い電荷のために NaCl ではこのエントロピー効果 がずっと弱いものになる。そのため、NaCl ではΔ solS が正になる。これもエントロピー効 果によって溶解度に差が生じていることが分かる。 上記の例のように、熱力学的データに基づいてミクロな観点から定性的に考察できる。 しかし、溶解現象は一般に定性的なミクロな考察をしても、全体としてのエンタルピーや エントロピーの大きさはもちろんその符号さえも推測する事はかなり難しい。 エントロピーに関していえば、CuSO4 のようにΔ のようにΔ sol sol S が負になる場合もあるし、NaCl S が正になる場合もある。また、電解質を水に溶かすと水の温度が下がる *1 これは溶質が固体の時、固体の方が水溶液の状態よりも乱雑さが大きいことを意味しているように 思えるが、この溶解エントロピー 溶解エントロピーΔ sol S とは、正確には、固体と水とが別々にあるときと、水溶液と を比較したときのエントロピー変化なのである(3・1・2 参照)。 - 92 - ことがある。これは溶解に伴って吸熱(Δ sol H > 0)が起こるからである。上記の NaCl -1 (Δ solH = 3.89 kJ mol )の他にも、ショ糖なども吸熱溶解する。これに対して、無水の 炭酸ナトリウムやエタノールなどは発熱溶解する。この様に、Δ sol H やΔ solS が正にも負 にもなる理由は次のように考えることができる。 溶解という現象は一般に、 溶解=水和+格子 (27) という関係にある。この関係はエンタルピーに関しては既に第 3 章の式(41)に示してある。 エントロピー変化に対して、この関係を NaCl を例に考えてみると、 Na+(g) + Cl-(g) → Na+(aq) + Cl-(aq) 水和 NaCl(s) → Na (g) + Cl-(g) 格子 + - NaCl(s) → Na (aq) + Cl (aq) + 溶解 となる。水和によりエントロピーは大きく減少するが、格子エントロピーは大きく増大す る。直接溶解現象を考えてみても、溶解に伴う溶質の配置の乱雑さの増大および水の水素 結合ネットワークが溶質の侵入によって壊されることによる乱雑さの増大が起こることが 分かる。これらの相反する寄与の違いを見積もることは難しいのである。 同様に、格子エンタルピー 格子エンタルピーが大きくても、水和エンタルピー 水和エンタルピー(の絶対値)が大きければ、 Δ sol H は小さくなる 。言い換えれば、真空中でイオンを引き離すために要するエネルギ *1 ーΔ LH と水和による安定化エネルギーΔ hydH のかねあいでΔ sol H の値は負になることも あるし、正になることもある。なぜなら、結晶として凝集するのと水に溶けて水和するの ではほぼ同程度のエネルギー変化(安定化)を伴うからである。 Na+(g) + Cl-(g) → NaCl(s) Δ H ○=- 787.2 kJmol-1 =-Δ LH (28) Na (g) + Cl-(g) → Na (aq) + Cl-(aq) Δ H ○=- 783.31 kJmol- =Δ hydH (29) + + 1 結晶中でのイオンの配置の様子と、水溶液中でのイオンのまわりの水和の様子はよく似て いる。水分子は分極していても 100%正電荷と負電荷に分かれていないので、似ているけ れども同じではない。しかし、水分子の分極の極限がイオン結晶の正負のイオンという点 で似ている。また、塩自体も水分子を伴った水和物であることが多く、その溶解ではそれ らの水素結合の切断または生成を含むので、事情はさらに複雑になる。 これまでの考察で分かるように、溶解におけるエントロピー効果は大変重要であるが、 ここではエンタルピー効果だけに注目して、もう少し溶解について考察を深めてみよう。 塩酸は塩化水素ガスを水に溶かしたものであるが、塩化水素ガスは水に容易に溶ける。 この時水溶液中では水素イオン H+と塩化物イオン Cl-が分離して存在している。一方塩化 水素ガスを気相中でイオンに解離するには大量のエネルギーが必要である。 HCl(g) → H+(g) + Cl-(g) Δ H = 1385 kJ mol-1 - HCl(g) → H (aq) + Cl (aq) + Δ solH = - 75.14 kJ mol (30) -1 (31) 同様にイオン性結晶の塩化ナトリウムは水に溶かすことによって容易に陽イオンと陰イオ *1 格子エンタルピー 格子エンタルピーΔ L H はイオン結晶を気相中で構成イオンに分解するのに要するエネルギー、水 + - 和エンタルピーΔ hyd H は気相中のイオン(例えば HCl の場合は分子の HCl ではなく、H と Cl に分離 した HCl である)を水に溶解させたときに放出される安定化エネルギーである。 - 93 - ンを引き離すことができるが、塩化ナトリウム結晶を構成要素の気体状のイオンに解離す るには莫大なエネルギーが必要である。 NaCl(s) → Na (g) + + Cl-(g) Δ LH = 787 kJ mol-1 - NaCl(s) → Na (aq) + Cl (aq) + Δ solH = (32) -1 3.89 kJ mol (33) これはなぜだろう? 溶媒和した状態では、誘電率(基礎物理学 3・1a 参照)が大きい溶媒(=極性溶媒)ほど、 溶質であるイオン間の Coulomb 相互作用を弱めることができる(=溶媒中でイオンに電離 した状態を安定化できる) 。塩化水素や塩化ナトリウムが水中で容易に孤立したイオンに *1 解離できたのは、真空中と比較して、有極性の水分子中では陽イオンと陰イオンの Coulomb 相互作用が弱められるためである。その結果、①極性分子は極性溶媒によく溶けることに なる。固体の溶解の場合、固体表面から離れたイオンは水分子によって水和され、その結 果、固体表面とそのイオンの相互作用が弱くなるので、そのままイオンは水中を拡散して いく。これが固体の溶解である。これに対して、誘電率の小さい溶媒(=無極性溶媒) 無極性溶媒 、 例えばベンゼン(比誘電率 2.274)、トルエン(2.379)、四塩化炭素(2.228)等の有機溶媒に塩 はほとんど溶けない(=②極性分子は無極性溶媒に溶けにくい)。 では、③無極性分子は無極性溶媒によく溶けるのだろうか?その通りである。無極性分 子どうしは分子間力(分散力)によって引き合うからである。最後に④無極性分子は極性 溶媒に溶けない理由を考えてみよう。実は無極性分子と極性溶媒分子の間にもかなり強い 引力的相互作用が働いている。それでも溶け合うことがないのは、極性溶媒分子どうしの 相互作用の方が極性分子と無極性分子間の相互作用よりも強いためである。無極性分子と 極性分子を混ぜると、極性分子は極性分子どうし集まってしまい、無極性分子が入り込め ないのである。溶媒が溶質を溶かすためには、溶媒分子どうしの引き合う力と、溶媒-溶 質分子間の引き合う力が同程度でなければならないということになる。 e 疎水性効果(アトキンス 18・4(g)) よく知られているように、油、例えばメタン CH4、エタン C2H6 などのアルカン(脂肪 族炭化水素)は水と混ざり合わない。油は水に溶けず、逆に油どうしで集まる。この様な 物質を疎水性物質という。疎水性物質は一般に無極性の物質なので、無極性の物質は極性 の溶媒に溶けないと言うこともできる。これを熱力学的に説明すれば、疎水性物質が水に 溶けないのはエントロピー効果のためであり、疎水性物質を水に溶かすとエントロピー減 少が顕著に起こり、エンタルピー減少を凌駕してしまう(その結果、Δ G > 0 になって しまう)からである。 それではなぜ疎水性物質が水に入ったとき、エントロピーが顕著に減少するのであろう か。エントロピー減少は構造形成による秩序化を意味する。疎水性分子の周りの水分子は それどうしで集まり構造形成が促進され、疎水性分子の周りに氷のような秩序性の高い構 造を持った水層(、水のクラスター、包接かご)を形成するのである(F4 ページ図 18・9 参 照 ) 。この構造形成によってエネルギー的には幾分安定化されるが、エントロピーが大 *2 *1 水の 25 ℃における比誘電率は 78.30 である。 *2 液体の有機化合物の水和エントロピーが負の値をとるのは、これが原因である。5・3・4c 参照。 - 94 - きく減少する。すなわち、 T Δ S < Δ H < 0、 Δ G > 0 (34) である。例えば、メタンとエタンの水和エンタルピー、水和エントロピーはそれぞれ、 (- (- 16.665 kJ mol-1、- 140.6 J K-1 mol-1)であるから、 12.76 kJ mol-1、- 130.5 J K-1 mol-1) その水和自由エネルギーは(室温のデータなので)それぞれ、およそ 26.4 kJ mol-1、25.5 kJ mol- となることが分かる。このような疎水性分子と水との相互作用を疎水性水和という。 1 疎水性水和はいわば逆の水和で、イオンの周りに水素結合の発達した層が形成されるが、 この層は通常の水和層のようにイオンに伴われて動くことはない。 疎水性物質が水や極性溶媒に溶けないで、水中で集合して安定化することを、一種の結 合形成と見なして疎水結合(あるいは疎水性相互作用)という*1。これは油どうしが引き 合うからではなくて、油が水中で分散することによって、油と接する水層での水分子の構 造形成(疎水性水和)によるエントロピー減少が起こらないように、水が油を排斥するた めで、結果として油どうしが集まる(様に見える)と解釈することができる。つまり、疎水 性分子間に直接働く引力によって集まるわけではなく、エントロピー減少を少なくするた めに水相(一般的には極性溶媒相)から排除されるため、結果として疎水性分子どうしが 集まる様に見えるだけなのである。 疎水結合をエネルギーの観点から見ると、前項 d ④で示したように、水分子間の引力に 比べて、水分子と疎水性物質の間の引き合う力が非常に弱いので、疎水性分子が水分子間 に割り込むことができず、水相から排除され、結果として弱く相互作用し合う疎水性分子 どうしが集合すると考えられる。 疎水性相互作用は温度の上昇とともに強くなるので、これがエントロピー効果によって 引き起こされていることが分かる。疎水性相互作用が高温ほど強くなるという性質は、エ ネルギー項が支配的となる水素結合や静電力による水和の場合と逆であり、これは疎水性 相互作用ではエントロピー項が支配的となるためである。 f 混合(アトキンス 5・2) 5・3・5 で理想気体の混合エントロピーを考察したが、ここでは混合自由エネルギーを考 えてみよう。混合自由エネルギーΔ mix mix G は混合エンタルピーΔ mix H、混合エントロピーΔ S と次の関係にある。 Δ mixG =Δ mixH - T Δ mixS (定温・定圧、PV 仕事のみ) (35) 理想気体は粒子間の相互作用が無視できるので、 Δ mixH = 0 (理想気体) (5・20)(36) であることが分かる。同じ温度と圧力のもとにある気体 A と気体 B を、同じ温度と圧力 を持つ混合気体にするとき(アトキンス図 5・6 参照)の自由エネルギー変化は、Δ mix S の式 (102)を使って、 Δ mixG = nRT(xAlnxA + xBlnxB) (等温・等圧、理想気体) (5・18)(37) *1 疎水性分子どうしの引き合う力は van der Waals 力という弱い相互作用によるので、例えば油を含ん だ水を振って力学的エネルギーを加えれば、容易に油は小さな油滴となって水の中に分散する。しか し、時間がたつと油滴どうしが引き合っているかのように集まってしまう。 - 95 - となる。ここで、n は混合気体の物質量、x はモル分率である。モル分率は 1 以下なので、 Δ mixG < 0 であること、すなわち、任意の割合で理想気体は混合することが分かる。Δ mixG の組成依存性がアトキンス図 5・7 に示されている。同様に、同じ温度と圧力のもとにある J 種類の単独成分から、同じ温度と圧力の混合気体を作るときの自由エネルギー変化は Δ mixG = nRT ∑ J xJlnxJ =- T Δ mixS (等温・等圧、理想気体) (38) で与えられる。つまり、理想気体の混合はエントロピー効果のみによって起こる、といえ る。混合前の各成分の圧力あるいは混合前後の気体の圧力が異なっているときは、6・2 の (59)式を使って計算する(アトキンス例題 5・2 参照)。 g 部分モル 部分モル量 モル量と Gibbs-Duhem の式 の式(アトキンス 5・1) この講義は基本的に閉じた系の純物質、特に理想気体の系を考察しているが、混合の話がでたので、 多成分系、開いた系を考えるときに重要な部分モル 部分モル量 モル量という考え方と Gibbs-Duhem(ギブス-デューエ ム)の式という関係式を紹介しておこう。詳しくは後学期の「化学熱力学」で扱う。 溶体(混合気体、溶液、固溶体)の示す熱力学的性質 X(体積、エンタルピー等の容量 性状態関数)を、溶体を構成する各成分に帰属することを考えてみよう。つまり、各成分 の持つ熱力学的性質の寄与によって溶体全体の示す熱力学的性質 X(T, P, nJ)が現れると考 えよう。これを数式で表現すると、次式のようになる。 X =Σ J nJ X J (T、P 一定) (39) ここで、nJ は成分 J の物質量である。ここで問題は、X J とは何か?、各成分の持つ体積 V J 、エンタルピー H J とは何であろうか?既に気体の分圧は知っているが、その他の状態関 数ではどうであろうか?また溶液の場合はどうであろうか? f で理想気体の混合を考えたが、このとき混合気体 A + B で例えば系全体のエンタルピ ーは次式で表される。 H(理想)= nAHA, m + nBHB, m ここで、HJ, m (40) は純粋な物質 J のモルエンタルピーである。しかし、一般にはΔ mixH ≠ 0 な ので、系全体のエンタルピーは H(実在)= nAHA, m + nBHB, m +Δ mixH となる。ここで、Δ mix (41) H は A と B の相互作用によるエンタルピー変化=混合エンタルピ ーである。このとき、式(39)のように書けるということは H(実在)= nAHA + nBHB (42) HJ ≠ HJ, m (43) このとき、 である。溶体中で各成分が持つ(各成分に帰属された、割り振られた)熱力学量 X J を部 分モル量 モル量という。正確には、温度と圧力そして他の成分が一定のとき、溶体に今注目して いる成分 J を 1 mol 加えたときの溶体の熱力学的性質 X の変化量を部分モル量 X J という。 X J =(∂ X/∂ nJ)T, P, nK (K ≠ J、K は J 以外の成分) (44) 式(39)を nJ で偏微分すれば式(44)が得られる。部分モル量は一般に成分のモル分率に依 存して変化する(アトキンス図 5・1 参照、もちろん温度と圧力にも依存する)。部分モル量 を理解するとき、体積を例に考えるとよいであろう。 - 96 - 水のモル体積は 18 cm3 であるが、アトキンス図 5・1 から分かるように、大量のアルコ ールに 1 mol の水を加えても体積は 14 cm しか増加しない。これは、純水では水素結合 3 によって隙間の多い構造をしているが、アルコール中に水が分散しているときは、水分子 の周りをアルコール分子が比較的密に取り囲むことができるからである。従って、極端な 場合には負の部分モル体積というものが存在する(アトキンス図 5・2 参照)。大量の水に例 えば MgSO4 の様な塩を溶かすと、水溶液の体積は純水のときと比較して減少する(アト キンス p.142 参照) 。これは、イオンの周りの水和構造が純水の構造よりも密になっている ためである。 より定量的に混合による体積変化を考えてみよう。エタノール(分子量 46.07)400 g と水(分子量 18.02)600 g を混合する。25 ℃でエタノールの密度は 0.785 g ml- 、水のそ 1 れは 0.997 g ml-1 なので、400 g のエタノールは 509.55 ml、600 g の水は 601.8 ml である。 理想溶液なら溶液の体積は 1111 ml になるはずであるが、実際には 1000 g/0.945 g ml-1 = 1058 ml になる。このエタノールと水の混合を部分モル体積 V J =(∂ V/∂ nJ)T, P, nK (K ≠ J ) [5・1](39V) を使って記述してみよう。部分モル量はモル分率の関数であることに注意する。 エタノール:400 g = 8.68 mol、水:600 g = 33.30 mol なので、全モル数は 8.68 + 33.30 = 41.98 mol である。したがって、 モル分率(エタノール)= 0.207、モル分率(水)= 0.793 である。純エタノールのモル体積は 46.07/0.785 = 58.7 ml mol-1 であるが、25 ℃でモル分率 0.207 のときのエタノールの部分モル体積は、アトキンス数値 例 5・1 より 54.735 ml mol-1 と見積もられる。一方、純水のモル体積は 18.02/0.997 = 18.07 ml mol- 1 であり、25 ℃でモル分率 0.793 のときの水の部分モル体積は、アトキンス図 5・1 より 17.5 ml mol-1 である。溶液の全体積は各成分の部分モル体積 V J によって与えられる。 V =Σ J nJ V J (T、P 一定) (5・3)(40V) この場合は V = 8.68 × 54.735 + 33.30 × 17.5 = 1058 ml (45) となり、実測値 1058 ml を再現している。 ☆ Gibbs-Duhem の式(アトキンス 5・1(d)) 部分モル量 X J に関して次の式が成立する。 dX =Σ J X J dnJ (T、P 一定)*1 (5・2)(46) *1 状態関数 X = X(T, P, nJ)の全微分 dX =(∂ X/∂ T)P, nJdT +(∂ X/∂ P)T, nJdP +Σ J(∂ X/∂ nJ)T, P, nKdnJ について、T、P =一定の条件を課すと dX =Σ J(∂ X/∂ nJ)T, P, nKdnJ =Σ J X J dnJ が得られる。 - 97 - (5・2) 上式は、組成の変化によって起こる溶体の熱力学的性質の微小変化 dX を、部分モル量を 用いて計算できることを表している。また、X =Σ J nJ X J の微小変化は dX =∑ J(X J dnJ + nJ dX J) (47) であるが、(46)式より、 ∑ J nJ dX J = 0 (T、P =一定) (5・12b)(48a) という関係が得られる。これは次の Gibbs-Duhem( (ギブス-デューエム)の )の式の特別な形(T、P =一定のとき)である。 SdT - VdP +∑ J nJ dX J = 0 (48b) これは溶体を構成する各成分の部分モル量の間の関係を与えるので、多成分系そして開い た系の熱力学において大変重要な式である(6・5・2 を参照せよ)。この式によって、ある成 分の部分モル量が分かれば別の成分のそれが分かる。これは従って部分モル量を独立に変 化させることはできないことを意味する。例えば、2 元混合物では一つの部分モル量が増 加したら、他方は減少しなければならない(アトキンス図 5・1 参照)。アトキンス例題 5・1 も参照せよ。 6・2 自由エネルギー 自由エネルギーの エネルギーの温度・ 温度・圧力依存性(アトキンス 3・9) Gibbs 関数の温度依存性は次式によって与えられる。 (∂ G/∂ T)P = - S (非膨張仕事なし) (3・50)(49) この式の導出は次章で行う。上式より、 Δ G = G(Tf) - G(Ti) = -∫ TiTfSdT (定圧) (50a) となる。つまり、エントロピーの温度依存性が分かれば、自由エネルギーの温度変化Δ G が計算できる。アトキンス図 3・19 を参照せよ。 (49)式に G = H - TS の関係を代入すると、 (∂ G/∂ T)P = (G - H)/T (3・51)(51a) となる。この式から次の Gibbs-Helmholtz 式が導かれる(式の導出はアトキンス根拠 3・5 を参 照せよ) 。 (∂(G/T)/∂ T)P = - H/T2 (3・52)(52a) この式を積分すると、 ∫ d(G/T) = -∫(H/T2)dT (Gf/Tf) = (Gi/Ti) -∫ TiTf(H/T2)dT Δ(G/T) = (Gf/Tf)- (Gi/Ti) = -∫ Tf Ti (H/T )dT 2 (定圧) (53a) (定圧) (54a) (定圧) (55a) となる。つまり、 H(の温度依存性)が分かればΔ( G/T)が計算できることが分かる。 Gibbs-Helmholtz の式は次のように書かれることもある。 (∂(G/T)/∂(1/T))P = H (52a2) これら一連の式は、相転移や化学反応等に伴う自由エネルギー変化Δ G の温度変化に 対しても、同じ形で成立する。すなわち Δ G(Tf) = Δ G(Ti) -∫ TiTf Δ SdT (定圧) (50b) (∂Δ G/∂ T)P = (Δ G -Δ H)/T (定圧) (51b) - 98 - (∂(Δ G/T)/∂ T)P = -Δ H/T (定圧) (3・53)(52b) ∫ d(Δ G/T) = -∫(Δ H/T2)dT (Δ Gf/Tf) = (Δ Gi/Ti) -∫ TiTf(Δ H/T2)dT (定圧) (53b) (定圧) (54b) (∂(Δ G/T)/∂(1/T))P = Δ H (定圧) (55b) 2 この式を積分すると、 Helmholtz の自由エネルギーに対しても同様の式(G を A に、H を U に置き換えた式)が 導かれる。 次章で詳しく解説するが、Gibbs 関数に対して次式が成立する。 dG = VdP - SdT (非膨張仕事なし) (3・49)(56) 温度が一定の条件でこの式を積分すると、G の圧力依存性は次式によって与えられる。 Δ G = G(Pf)- G(Pi)=∫ PiPfVdP (温度一定) (3・54)(57a) 固体や液体の体積変化は小さいので、 ΔG = VΔP (温度一定、液体と固体) (3・55)(58) と近似することができる(アトキンス図 3・21 参照)。さらに、普通の実験条件では圧力変化 は小さいので、この G の圧力変化は無視できる程小さい。しかし、気体の場合は(57a)式 によって圧力効果を補正する必要がある(アトキンス図 3・22 参照)。アトキンス図 3・20、自 習問題 3・12、3・13 を参照せよ。 (57a)式に対応して、自由エネルギー変化Δ G の圧力依存性は Δ G(Pf)-Δ G(Pi)=∫ PiPf Δ VdP (温度一定) (57b) で与えられる。アトキンス数値例 3・10 を参照せよ。 理想気体の Gibbs 自由エネルギーの圧力変化Δ G は(57a)式より、 Δ G = nRTln(Pf/Pi)= nRTln(Vi/Vf) (理想気体、温度一定) (59) ○ で与えられる(ln = loge(自然対数))。Pi = P のときは、 G(P,T)= G 〇(T)+ nRTln(P/P 〇) (理想気体、温度一定) (3・57)(60a) 〇 となる。これが標準状態の自由エネルギー G を基準にして、任意の圧力における自由エ ネルギーを与える式である*1。これらは G 〇の測定温度 T において圧力を変化させたとき、 自由エネルギーがいくらになるかを与える。G 〇は温度依存する。アトキンス図 3・23 も参 照せよ。 理想気体の等温膨張、等温圧縮ではΔ H = 0*2 である。理想気体のエントロピーについ て、定温下での圧力依存性は第 5 章の(77)式Δ S = nRln(Pi/Pf)で与えられるので、 Δ G(膨張、圧縮)=Δ H - T Δ S =- T Δ S = nRT ln(Pf/Pi) (理想気体、温度一定) (61) である。これは(59)式と同じである。つまり、温度一定の下での圧力変化に伴う理想気体 *1 この式から定性的に次のことがすぐに分かる。圧力を標準圧力よりも小さくするとき(例えば等温 膨張させたとき)、G は G 〇 よりも小さくなり、系は安定化する。圧力を標準圧力よりも大きくすると き(例えば等温圧縮させたとき)、G は G 〇 よりも大きくなり、系は不安定になる。これらは常識的な 考えと一致する。 *2 ∵Δ H =Δ U +Δ(PV)で、理想気体で等温なのでΔ U = 0、PV =一定。 - 99 - の自由エネルギーの変化はエントロピー効果のみによる。理想気体では分子間力は無視で きるので、体積変化に伴うエネルギー変化が無視できることは容易に理解できる。 6・3 標準生成( 標準生成(Gibbs)自由 )自由エネルギー 自由エネルギー*1(アトキンス 3・6) a 標準生成自由エネルギー 標準生成自由エネルギー 標準生成自由エネルギー 標準生成自由エネルギーΔ エネルギー fG 〇は、標準生成エンタルピーの体系に合わせて定義される。 すなわち、「任意の元素の基準状態(指定された温度と 1 bar の圧力の下で最も安定な状 態)における自由エネルギーを零にとり(=基準とし)、任意の物質を(基準状態にある)構 成元素から生成するときの(=標準生成反応における)自由エネルギー変化をその物質の 標準生成自由エネルギーΔ fG ○と定義する。」これは 1 mol 当たりの量なので、標準生成 エンタルピーΔ fH 〇と同じくその単位は J mol-1 である(アトキンス表 3・4 参照)。Δ fG 〇 は Δ fH 〇 と次のような関係にある。 Δ fG 〇 = Δ fH 〇 - T Δ fS 〇 (62) ここで、Δ fS 〇 は今考えている物質の標準生成反応における標準反応エントロピーで、標 準生成エントロピー 準生成エントロピーという。標準生成エントロピーΔ f S 〇 と標準エントロピー S 〇 は異な ることに注意する。ただし、Δ fS 〇 の単位は J K-1 mol-1 であるとする。 Δ fS 〇=∑ J ν J S ○(J) (標準生成反応) (63) 化学反応に伴う自由エネルギー変化、すなわち、任意の温度と圧力の下で熱平衡状態に ある反応物が別々に存在している状態から、任意の温度と圧力(通常は同温同圧)の下で 熱平衡状態にある生成物が別々に存在している状態までの自由エネルギーの変化を、反応 自由エネルギー 自由エネルギー Δ r G という。特に圧力が 1 bar の場合のモル反応自由エネルギーは標準 反応自由エネルギー 反応自由 エネルギー Δ r G 〇と呼ばれ、標準生成自由エネルギーΔ f G ○(J)と化学量論係数 ν J を使って、 Δ r G ○ =∑ J ν J Δ fG ○(J)=∑生成系ν J Δ fG ○-∑反応系ν J Δ fG ○ (3・40)(64) と表される。つまり、Δ rG ○は標準状態における生成系と反応系の自由エネルギーの差で ある。標準反応エンタルピー同様、標準反応自由エネルギーも個々の物質の標準生成自由 エネルギーが分かっていれば上式を使って計算することができる(アトキンス数値例 3・7 を 参照せよ) 。標準反応自由エネルギー、標準反応エンタルピー、標準反応エントロピーの間 には次の関係がある。 Δ rG 〇 = Δ rH 〇 - T Δ rS 〇 [3・39](65) b 水溶液中の 水溶液中の物質の 物質の標準生成自由エネルギー 標準生成自由エネルギー 水溶液中の物質の標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq)(3・2)や標準エントロピー S ○(aq) (5・3・4b)を定義したように、水溶液中の物質の標準生成自由エネルギー Δ fG ○(aq)は、 「任意の温度 T において 1bar の定圧下で最も安定な状態にある構成元素から、水溶液中 に存在する任意の化合物を作るときの標準反応自由エネルギー」と定義される。さらに、 水溶液中のイオンの標準生成エンタルピーや標準エントロピーを定義したように、水溶液 *1 3・2 標準生成エンタルピーと 5・3・4 標準エントロピーを参照せよ。 - 100 - 中のイオン標準生成自由 イオン標準生成自由エネルギー 標準生成自由エネルギー Δ fG ○(aq)は、水溶液中の H イオンの標準生成自由 + エネルギーをゼロとすることによって定義される。 (1/2)H2(g) → H (aq) + Δ fG ○(H , aq) = 0 [3・41](66) + これは、あるイオンの持つ自由エネルギーが、対イオンが何であろうとも変わりがないと 仮定することを意味している。例えば、 (1/2)H2(g) + (1/2)Cl2(g) → H (aq) + Cl-(aq) (67) + ○ -1 ○ という反応の標準反応自由エネルギーはΔ rG =- 131.23 kJ mol である。Δ fG (H , aq) + = 0 なので、 (1/2)Cl2(g)→ Cl-(aq) Δ fG ○(Cl-, aq)=- 131.23 kJ mol-1 (68) となる。アトキンス数値例 3・8 を参照せよ。 c 水和自由エネルギー 水和自由エネルギー 3・3・3 で標準水和エンタルピーΔ hyd H ○、5・3・4c で標準水和エントロピーΔ hyd S ○を定義 したように、標準気圧下にある溶質(分子、原子またはイオン対)を溶媒である水で無限 に希釈した際に生じた自由エネルギー変化を標準水和自由エネルギー 標準水和自由エネルギーΔ hyd G ○ という。さ らに、水溶液中の各イオンについてイオン標準水和エンタルピーやイオン標準水和エント ロピーを定義したように、標準大気圧の気体状イオンが溶質である場合はイオン標準水和 イオン標準水和 自由エネルギー 自由エネルギーが定義される。 d まとめ 標準生成エンタルピーΔ fH ○ 標準エントロピー S ○ 標準生成自由エネルギーΔ fG ○ 標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq) 標準水和エンタルピーΔ hydH ○ 標準エントロピー S ○(aq) 標準水和エントロピーΔ hydS ○ 標準生成自由エネルギーΔ fG ○(aq) 標準水和自由エネルギーΔ hydG ○ イオン標準生成エンタルピーΔ fH ○(aq) イオン標準水和エンタルピーΔ hydH ○ イオン標準エントロピー S ○(aq) イオン標準水和エントロピーΔ hydS ○ イオン標準生成自由エネルギーΔ fG ○(aq) イオン標準水和自由エネルギーΔ hydG ○ 6・4 自由エネルギー 自由エネルギーと エネルギーと最大仕事・ 最大仕事・最小仕事(アトキンス 3・5) ここで、任意の同温・同圧の熱平衡状態間の変化(化学反応を含む)を考えてみよう。 熱平衡状態 1 熱平衡状態 2 H1 ΔH H2 S1 ΔS S2 G1 ΔG G2 - 101 - 同温・同圧 Δ G、Δ H、Δ S の関係の分類: Δ G < 0 のとき、 条件 Δ H < 0、Δ S < 0 |Δ H|>|T Δ S|(エンタルピー型) Δ H < 0、Δ S > 0 なし Δ H > 0、Δ S > 0 ΔH<TΔS Δ G > 0 のとき、 (エントロピー型) 条件 Δ H < 0、Δ S < 0 |Δ H|<|T Δ S| Δ H > 0、Δ S > 0 ΔH>TΔS Δ H > 0、Δ S < 0 なし ここで、この状態変化に伴って系から PV 仕事以外の仕事(=非膨張仕事)we を得るこ とを考える。このとき、 ΔH = ΔU + PΔV (定温・定圧) = w + q + PΔV = we + q (∵ w = we - P Δ V ) (69a) なので、 q =Δ H - we (定温・定圧、非膨張仕事あり) (69b) である。したがって、 Δ Suniv = -(q/T) + Δ S (定温) (70) - T Δ Suniv = q - T Δ S (定温・定圧、非膨張仕事あり) (71) 定温・定圧、非膨張仕事あり、の場合はΔ G ではなく、q - T Δ S(=Δ G - we)をその 変化の不可逆性の尺度とする。 [考察Ⅶ 考察Ⅶ] Δ G < 0、Δ H < 0(発熱)、Δ S < 0、|Δ H|>|T Δ S|(エンタルピー型) である過程から、非膨張仕事を得ることを考える。 (確認)G、H 、 S は状態関数なので、変化の道筋に依らずΔ G、Δ H 、Δ S は常に同じ値であるが、q、we は変化の道筋によって異なる値を取る。 - we (系のする非膨張仕事) q =Δ H - we q - TΔS (系の得た熱量) (不可逆性の尺度) 0 ΔH <0 - we > 0 Δ H - we < 0 (少し仕事を得る) ↓ 仕事量増大 ΔH - TΔS < 0 (絶対値は減少) Δ H - we - T Δ S < 0 不可逆 〃 (絶対値は減少している) ↓不可逆性の減少 ↓系の得る 熱量減少 - we,max > 0 TΔS<0 Δ H - we,max - T Δ S = 0 可逆 q - T Δ S = 0 のとき、すなわち、可逆過程のとき系の得る熱量 q は、Δ S < 0 なので、 q = TΔS <0 (可逆過程) である(q < 0 なので発熱)。このとき系のする非膨張仕事は最大で、 - 102 - (72) - we,max =-(Δ H - T Δ S )=-Δ G > 0 (可逆過程) (73) であることが分かる。つまり、可逆過程のときその変化から最大の仕事を得ることができ る。そして、その最大仕事量はその過程の自由エネルギー変化-Δ G に等しい。 [考察Ⅷ 考察Ⅷ] Δ G > 0、Δ H < 0(発熱)、Δ S < 0、|Δ H|<|T Δ S|(エントロピー型) である過程を(仕事を加えることにより)進行させることを考える。(注意)以前に指摘 したように、化学反応の場合Δ r G > 0 であっても、反応は少しは進む。ここでは外部か ら仕事をすることによって、反応を最大に進めることを考える。 we (系に対してする仕事) q =Δ H - we q - TΔS (系の得た熱量) (不可逆性の尺度) 0 ΔH <0 we > 0 Δ H - we < 0 (少し仕事をする) ΔH - TΔS > 0 (絶対値は増大) ↓ 仕事量増大 Δ H - we - T Δ S > 0 (絶対値は減少している) ↓反応が進む ↓系の失う 熱量減少 we,min TΔS ↓ ↓ we > we,min Δ H - we,min - T Δ S = 0 可逆 ↓ Δ H -w e < T Δ S Δ H - we - T Δ S < 0 不可逆 q - T Δ S がゼロになったとき反応を最大に進行させることができる。これより大きな 仕事を系に対して行っても、反応の進行度に変わりはない。つまり、可逆過程のとき最小 の仕事で反応を最大に進行させることができる。その最小仕事量は we,min =(Δ H - T Δ S )=Δ G > 0 (可逆過程) (74) である。つまり、最小仕事量はその過程の自由エネルギー変化Δ G に等しい。 これらの考察から次のことが分かる。 (1)Δ G < 0 なる変化*1 については、その変化から仕事を取り出すことができる。この時 その変化から取り出しうる仕事の最大値=最大( 最大(非膨張) 非膨張)仕事- we, max =-Δ G である。 (2)Δ G > 0 なる変化については、その変化を起こさせるためには系に対して仕事をする 必要がある。その時系に対して行うべき仕事の最小値=最小( 最小(非膨張) 非膨張)仕事 we, min =Δ G で ある。 熱平衡状態は G =極小であるが、この時この系から仕事を取り出すことはできない。 つまり、熱平衡状態とはそこから仕事を取り出すことのできない状態であると言える。 (参考)-Δ G が最大(非膨張)仕事であることを熱力学第二法則を使って一般的に証明する。熱力 学第二法則の数式的表現である第 5 章の式(22) dS ≧ d'q/Te (等号:可逆過程;Te = T、不等号:不可逆過程) (75) *1 ある熱平衡状態(例えば反応系)から他の熱平衡状態(例えば生成系)への変化という意味である。 - 103 - に、dH = d'q + d'w - d(PV)を代入すると、 TedS ≧ dH - d'w - d(PV) (76) となる。ここに、d'w = d'we - PdV を使うと、 TedS ≧ dH - d'we - VdP (77) となる。ここで、定温・定圧の条件を課すと、 d'we ≧ dH - TedS = dG (定温・定圧) (78) したがって、 - d'we ≦ - dG - we ≦ -Δ G = 最大(非膨張)仕事 (定温・定圧) (3・37)(79) (定温・定圧) (3・38)(80) 同様に、熱力学第二法則 dS ≧ d'q/Te に、dU = d'q + d'w を代入すると、 TedS ≧ dU - d'w (81) となる。これを書き直すと、 d'w ≧ dU - TedS = dA (定温・定積) (82) したがって、 - d'w ≦ - dA (定温・定圧) (3・34)(83) (定温・定圧) (3・35)(84) - w ≦ -Δ A = 最大仕事 となる(アトキンス根拠 3・2 参照)。 ここで、具多的な例を考察して理解を深めよう。硝酸銀水溶液 AgNO3 に金属亜鉛を浸 したとき、金属亜鉛は溶け出し、銀色に輝く針状の金属銀が金属亜鉛の表面に生える。こ の反応は次のように書くことができる。 Zn (s) + 2Ag (aq) → Zn (aq) + 2Ag (s) + ○ Δ fH /kJ mol ○ -1 S /J K mol -1 -1 Δ fG ○/kJ mol -1 (85) 2+ 0 105.58 - 153.89 41.72 72.68 - 112.1 0 77.11 - 147.06 ○ 0 42.55 0 Δ rH =- 153.89 - 2 × 105.58 =- 365.05 kJ mol -1 (86) -1 Δ rS ○=- 112.1 + 2 × 42.55 - 41.72 - 2 × 72.68 =- 214.08 J K mol ○ Δ rG =- 147.06 - 2 × 77.11 =- 301.28 kJ mol -1 -1 (87) (88) つまり、この反応は考察Ⅶで考えたΔ G < 0、Δ H < 0、Δ S < 0 なる反応である。反応 自由エネルギーが負なので、ビーカー内でこの反応を行えば、反応は何ら仕事をすること もなく自発的に起こる。発熱反応なので、反応の結果溶液と外界を暖めるだけである。 この反応から仕事を取り出すことを考えよう。それには化学電池を組み立てればよい。 1.0 mol の硫酸亜鉛水溶液 ZnSO4(aq)に金属亜鉛を、1.0 mol の硝酸銀水溶液 AgNO3(aq) に金属銀を差し込んで、両溶液は多孔性の隔壁によって電気的に接触させ、二種類の金属 をスイッチと電流計を並列に通してつなぐ。このとき各電極で、 Zn(s) → Zn2+(aq) + 2eAg (aq) + e + - (89) → Ag(s) (90) という反応が起こっているので、電池全体としては、 Zn (s) + 2Ag+ (aq) → Zn2+ (aq) + 2Ag (s) - 104 - (91) という、先ほどの化学反応(85)と全く同じ反応が起きている 。 *1 この電池の平衡起電力は Eeq = 1.56 V で、電池の内部抵抗が R = 2.0 Ωであるとすると、 この回路に流れる電流は I = Eeq/R = 1.56/2.0 = 0.78 [A] (92) -1 である。スイッチを入れて 5 分間電流を流すと、A = C s であるから 0.78 × 300 = 234 [C] (93) の電荷が Zn から Ag に移動する。このとき発生したエネルギーは W・t = I Rt = (0.78) × 2.0 × 300 = 365 [J] 2 2 (W = IV) (94) 次にこの電池にモーターをつないで外部に仕事を取り出すことにしよう。このモーター の抵抗を 8.0 Ωとする。このとき回路に流れる電流は、 I = 1.56/(8.0 + 2.0) = 0.156 [A] (95) である。この状態で 234 C の電荷を移動させるためには、 234/0.156 = 1500 [s] (96) 1500 秒= 25 分間回路に電流を流す必要がある。このとき、モーターには (0.156)2 × 8.0 × 1500 = 292 [J] (97) のエネルギーを取り出すことができ、電池では (0.156) × 2.0 × 1500 = 73 [J] (98) 2 のエネルギーが無駄に消費された。 モーターの抵抗を無限大に大きくし、電流を流す時間を無限大にすれば、(原理的には) 365 J を全て仕事として取り出すことができる*2。ところで、この反応では 234/96485*3 = 2.42 × 10-3 [mol] (99) -3 の電子が発生するので、式(89)より 1.21 × 10 mol の亜鉛が溶解したことになる。したが って、(86)、(88)より -Δ rH ○(= 365.05 kJ mol- )× 1.21 × 10- mol = 443 J 1 3 -1 -3 (100) -Δ rG ○(= 301.28 kJ mol )× 1.21 × 10 mol = 365 J (101) -3 -3 1.21 × 10 mol の亜鉛を溶液中で反応させると、443 J の熱が発生し、1.21 × 10 mol の亜 鉛を化学電池として反応させると、365 J の仕事を最大取り出すことができる(最大仕事)。 この差が T Δ S である。 298.15 K × 214.08 J K-1 mol-1 × 1.21 × 10-3 mol = 77 J (102) 次に充電することを考えてみよう。これは先ほどの逆反応 2Ag(s) + Zn2+(aq) → Zn(s) + 2Ag+(aq) ○ (103) -1 ○ を行わせることを意味する。この反応のΔ H = 365.05 kJ mol 、Δ G = 301.22 kJ mol-1 である。充電を行わせるには、電池より高い電圧の電源を用いればよい。例えば、内部抵 抗 6.0 Ωで電圧が 6.0 V のバッテリーを使うとしよう。そのとき、 *1 この例のように金属 M1 とその塩(M1X1)、および別の金属 M2 とその塩(M2X2)とを組み合わせた 電池をダニエル型電池 ダニエル型電池ということがある。 *2 例えば、モーターの抵抗を 1000 Ωにすれば、364.3J のエネルギーを取り出すことができる。しかし、 このとき電流を流す時間は 150300 s(= 41.75 h)もかかる。 -1 *3 電子 1 mol 当たりの電荷量 eNA = 96485 C mol を Faraday 定数という。 - 105 - I = (6.0 - 1.56)/(2.0 + 6.0) = 0.555 [A] (104) の電流が流れる。充電するには、 234/0.555 = 422 [s] (105) 約 7 分回路を接続すればよい。このとき、 (0.555)2 × 8.0 × 422 = 1040 [J] (106) の熱が発生する。つまり、1040 + 365 = 1405 [J]の仕事をして、365 J のエネルギーを電 池に貯えたことになる。バッテリーの電圧を電池の起電力 1.56 V に限りなく近づけ、電 流を流す時間を限りなく長くしてやると、無駄に発生する熱はゼロになり、充電に要する 仕事は 365 J のみになる(最小仕事)*1。 もう一度 Δ G <0、Δ H <0(発熱)、Δ S <0である任意の反応を考えてみよう*2。 ΔG = ΔH - TΔSを -Δ H =-Δ G - T Δ S (107) と置き換えてみる。Δ H は、定圧変化において系自身の体積変化に伴うエネルギー変化 を除く系の全エネルギー変化であり、定圧定温下での自発変化における(全く仕事をしな い時の)反応熱である。つまり、この時系はエネルギーを全て熱として放出する。この定 圧定温変化における放出エネルギー=-Δ H のうちから仕事を取り出す場合、この変化 を可逆的に進行させるときに最大の仕事量が得られるが、それは-Δ H ではなく-Δ G である。つまり、-Δ H を全部仕事として取り出すことはできない(熱として-Δ H を全 部放出することはできるが)。残りの- T Δ S(=-Δ H - (-Δ G))はどうしても熱と して出てしまう。なぜなら、最大仕事は可逆過程において可能なので、そのとき系のエン トロピーが増大しているなら、宇宙のエントロピー変化が零になるように、熱だめに- T Δ S だけ熱がどうしても移動しなければならないからである(Δ S =-Δ S )。Δ H は therm 全く不可逆な過程における熱量変化、T Δ S は可逆過程における熱量変化で、その差Δ G が仕事として取り出せる最大量(=最大仕事)となる。これが G が自由エネルギーという 名前の付いている所以である。 Δ G < 0、Δ H < 0(発熱)、Δ S > 0 の場合は面白いことが起こる。可逆過程では、q = T Δ S > 0 なので、吸熱することが分かる。つまり、この反応は自発的に行えば、発 熱反応であるが、可逆的に行えば、吸熱反応になるのである。これは、Δ S > 0 なので、 ΔS univ = 0(可逆過程)であるためには、Δ S therm < 0 でなければならない。つまり、熱 だめから系へ熱が流れるので吸熱となる。したがって、-Δ G(=-Δ H + T Δ S)>- Δ H、つまり-Δ H 以上の仕事を得ることができるのである。 ☆ 電池の 電池の平衡起電力 電荷 q を無限遠から位置 r まで移動させたときに行う仕事 w は、無限遠における電位 *1 例えば、バッテリーの内部抵抗が 6 Ωで電圧が 1.6 Vのとき、無駄に発生する熱量は 9.36 J である が、電流は 46800 s(= 13 h)も流さなければならない。 *2 アトキンス 3・5(c)最大仕事を参照せよ。同様の内容を Helmholtz の自由エネルギーに基づいて考察 している。 - 106 - をφ(∞)= 0、r における電位をφ(r)とすると、w = q φ(r)である 。したがって、電池反 *1 応でν mol の電子が電位差 E(> 0)の電極間を移動したときになされる仕事は、 w =-ν FE (108) である(この負号は電子の電荷が負であるから)。ここで、F はファラデー定数で、電池 の起電力 E は電極間の電位差なのでその単位は V(ボルト)である。電池反応を可逆的 に行わせたときに得られる(=系のする)最大仕事はその反応の自由エネルギー変化Δ rG に等しい。したがって、 - wmax =ν FEeq =-Δ r G (7・27)(109) ここで Eeq は電池の 電池の平衡起電力である 。この式を使って上述した電池の Eeq を求めると、 *2 ν= 2 なので、 Eeq =-Δ r G /ν F = 301.28 kJ mol- /(2 × 96485 C mol- )= 1.56 V 1 1 (110) となる。 6・5 自由エネルギー 自由エネルギーと エネルギーと化学平衡(アトキンス 7・1、7・2) 6・5・1 化学ポテンシャル 化学ポテンシャル 化学反応系は多成分系なので、6・1・4g で紹介した部分モル量という概念を導入する。 部分モル Gibbs 自由エネルギーは化学ポテンシャル 化学ポテンシャルμ J と呼ばれている。 μ J ≡ (∂ G/∂ nJ)T, P, nK (K ≠ J ) [5・4](111) これは式(44)に対応する。純物質の場合は化学ポテンシャルはモル Gibbs 自由エネルギー Gm である。 μ= Gm (112) 化学ポテンシャルの大小は、その系から粒子が飛び出していこうとする傾向の強弱を表し ている。化学ポテンシャルが高いほど不安定なので、化学ポテンシャルの高い系から低い 系に粒子が流れる(濃度勾配ではなく、化学ポテンシャル勾配)。これは、熱力学ポテン シャルと同様の意味で、熱力学的なポテンシャルである。化学ポテンシャルは物質の交換 が許されている二つの系の間の平衡問題(相平衡や化学平衡など)を扱うときに重要にな る。相平衡の平衡条件は二つの系の化学ポテンシャルが等しいことである。6・5 ~ 6・7 で 化学ポテンシャルを導入するが、詳しくは後学期の「化学熱力学」で取り扱う。 6・5・2 化学平衡定数 定温・定圧下での理想気体の反応として、便宜上次のような反応を考えることにする。 *1(参考)電流の向きと電子の流れる方向は逆である。電流は電位の高い所から低い所へ自発的に流 れるものと約束すると、電子は電位の低い所から高い所へ向かって自発的に流れる。電子は q =- e < 0 なので、φ> 0 のとき w = q φ< 0 となり、電子は仕事をする=電位の高い所へ移動する、こと が分かる。 *2 この平衡とは電極と電解質溶液が化学平衡にあるときの起電力という意味で、電池反応が平衡状態 にあるわけではない。そのときは電池の起電力は零になる。 - 107 - aA + bB = cC + dD (113) a、b、c、d に対して 3・1・3 で導入した(化学)量論数ν J を使う。 ν A =- a、ν B =- b、ν C = c、ν D = d、 (114) 反応物の係数に対しては負号を付けることに注意する。次に反応の 反応の進行度ξを次式で定義 する。 ξ≡(nJ - nJ )/ν J (115) init ここで、nJ は任意の時刻における成分 J のモル数(あるいは濃度)、n init J は J の初期モル数 (初濃度)である。A を a mol、B を b mol 反応させたとすると、反応前は (nA - nAinit)/ν A =(a - a)/- a = 0 (nB - nBinit)/ν B =(b - b)/- b = 0 (116) (nC - n )/ν C =(0 - 0)/ c = 0 init C (nD - nDinit)/ν D =(0 - 0)/ d = 0 完全に反応が進行して C が c mol、D が d mol できると、 (nA - nAinit)/ν A =(0 - a)/- a = 1 (nB - nBinit)/ν B =(0 - b)/- b = 1 (117) (nC - n )/ν C =(c - 0)/ c = 1 init C (nD - nD )/ν D =(d - 0)/ d = 1 init となる。つまり、反応の進行に伴ってξは 0 ~ 1 の間の値をとる。nJinit は定数なので、無 限小変化 d ξは、 d ξ= dnJ/ν J あるいは dnJ/d ξ=ν J (118) という関係になる。つまり、反応の進行に伴う物質量の変化 dnJ/d ξは化学量論数に等し い。反応系の量論数は負号を付けるので、反応の進行に伴って反応物の物質量が減少する こととこの関係式は一致している。反応の進行に伴う物質量の変化速度が量論数の大きさ に比例することも容易に理解できる。 反応系と生成系を合わせた系全体の自由エネルギー G は各成分の化学ポテンシャルμ J を使って次式で表される(式(39)に対応する)。 G(ξ)=∑ J nJ(ξ)μ J(ξ) (119) 反応の進行に伴って G、 nJ、μ J は変化するので、それを示すために(ξ)を付けた。反応 の進行に伴って G がどの様に変化するかは次式で与えられる。 dG(ξ)/d ξ=∑ J {dnJ(ξ)/d ξ}μ J(ξ)+∑ J nJ(ξ){d μ J(ξ)/d ξ} (120) 定温・定圧下での Gibbs-Duhem の式 を使って、上式は *1 (∂ G/∂ξ)T, P =∑ J μ J(dnJ/d ξ)=∑ J ν J μ J(ξ) (7・15)(121a) と書くことができる 。ここで、(∂ G/∂ξ)T, P は任意の反応進行度ξにおける反応の推進 *2 力を表しており(アトキンス図 7・1 参照)、上式はそれがその進行度における生成系と反応 系の自由エネルギー変化の差であることを示している。 (∂ G/∂ξ)T, P =∑生成系ν J μ J(ξ)-(-∑反応系ν J μ J(ξ)) (121b) *1 この場合には∑ J nJ d μ J = 0 となる。 *2 アトキンスでは(∂ G/∂ξ)T, P をΔ rG と表記しているが(式[7・1])、反応自由エネルギーと混同し やすいので、ここでは用いないことにする。 - 108 - なぜなら、dnJ/d ξ=ν J なので、ν J μ J(ξ)は進行度ξにおける化学種 J の化学ポテンシ ャル変化(自由エネルギー変化)を表しているからである。化学平衡状態では G は極値 となっているので、 (∂ G/∂ξ)T, P =∑ J ν J μ Jeq = 0 ここで、μ eq J (化学平衡、定温・定圧) (122) は化学平衡時の J 種成分の化学ポテンシャルである。つまり、化学平衡状 態では、反応が微小進行 d ξしたとき、生成系と反応系の自由エネルギー変化が同じなの である。 (121a)式は定温・定圧下での一般的な式である。次にもう少し具体的に気相反応につい て考えてみよう(アトキンス根拠 7・1 参照)。気相中の成分 J の化学ポテンシャルは自由エネ ルギーの圧力依存の式(60a)と同じように、 μ J(g)=μ J ○(g)+ RT ln(PJ/P ○) (5・14a)(123) で与えられる。ここで、μ J ○(g)は 1 bar のときの純粋気体 J の化学ポテンシャル、PJ は J 成分の分圧である。この式を(121a)式に代入すると、 (∂ G/∂ξ)T, P =∑ J {μ J ○(g)+ RT ln(PJ/P ○)}ν J =∑ J ν J μ J ○(g)+ RT ∑ J ν J ln(PJ/P ○) =Δ rG ○+ RT lnQ ○ ○ (7・5)(7・11)(124) ○ となる。ここで、μ J =Δ fG (J)であるから、∑ J ν J μ J (g)は 6・3 で与えた標準反応 自由エネルギーΔ rG ○に等しい。 ∑ J ν J μ J ○(g)=Δ rG ○=∑ J ν J Δ fG ○(J) (理想気体) (7・12)(125) また Q =Π J(PJ/P ○)ν J (126) は反応比である(アトキンス数値例 7・2 参照)。ここでΠは積を意味する。例えば、(113)式 の反応については RT ∑ J ν J ln(PJ/P ○) = RT{ln(PA/P ○)ν A + ln(PB/P ○)ν B + ln(PC/P ○)ν C + ln(PD/P ○)ν D} = RT ln{(PA/P ○)ν A(PB/P ○)ν B(PC/P ○)ν C(PD/P ○)ν D} = RT ln Π J(PJ/P ○)ν J (127) である。Q を(113)式の反応について書けば、 Q =(PC/P ○)c(PD/P ○)d /(PA/P ○)a(PB/P ○)b (128) となる。平衡状態では PJ は一定の値 P をとる。そのときの Q を特に K と書き、これを eq J 化学平衡定数と呼ぶ。 K =Π J(PJeq/P ○)ν J = Qeq (理想気体) (129) ○ Δ rG は温度 T が指定されれば一定の値をとる。平衡状態では(∂ G/∂ξ)T, P = 0 なので、 (124)式から Δ rG ○=- RT lnK (定温・定圧、化学平衡) (7・8)(7・17)(130) という関係が求められる(ln = loge(自然対数))。これは化学熱力学において最も重要な 関係の一つである。この式は理想気体あるいは気相反応に限らず一般的な形であるが、 Δ r G ○ および K は反応の種類によって異なる。(125)、(129)式は理想気体の場合のみ適 用可能である。 - 109 - 6・5・3 反応の 反応の進行に 進行に伴う系の自由エネルギー 自由エネルギーの エネルギーの変化 定温・定圧下で起こる反応の進行に伴って系の自由エネルギーがどのように変化するか を、次の気相反応を例に考察してみよう。気体は理想的であると仮定する。 NO(g) + (1/2)O2(g) → NO2(g) (131) ○ 86.55 0 51.31 Δ rG =- 35.24 kJ mol Δ fH ○ 90.25 0 33.18 Δ rH ○=- 57.07 kJ mol-1 Δ fG ○ -1 反応前は nNO = 1 mol、nO2 = 0.5 mol とする。NO が x mol 消費され、NO2 が x mol 生成し たとき、 nNO =(1 - x) mol、nO2 = 0.5(1 - x) mol、nNO2 = x mol (132) nNO + nO2 + nNO2 = 0.5(3 - x) mol である 。圧力一定のもとで反応を行わせているが、それを 1 bar とする。つまり、反応 *1 前の NO と O2 の圧力はそれぞれ 1 bar で、反応が起こっているときの系全体の圧力も 1 bar に保つ。このとき各成分の分圧は PNO = 2(1 - x)/(3 - x) bar、PO2 =(1 - x)/(3 - x) bar、PNO2 = 2x/(3 - x) bar (133) である。また、このときの系の自由エネルギー Gx は(119)式より、 Gx = nNO ×μ(NO)+ nO2 ×μ(O2)+ nNO2 ×μ(NO2) (134) ○ ○ である。化学ポテンシャルは(123)式で与えられる。また、μ J =Δ fG (J)であるから、 (134)式は Gx =(1 - x)Δ fG ○(NO)+ x Δ fG ○(NO2) ○ (135) ○ ○ + RT{(1 - x)ln(PNO/P )+ 0.5(1 - x)ln(PO2/P )+ xln(PNO2/P )} となる(Δ fG ○(O2)= 0 である)。 ここで、(135)式を使って系の自由エネルギーが反応の進行に伴ってどの様に変化する かを概観してみよう。 ⅰ)298 K、1 bar の NO 1 mol と 298 K、1 bar の O2 0.5 mol が別々に存在している。その ときの系全体の自由エネルギーは、 G = G(NO)+ G(O2)= nNO Δ fG ○(NO)+ nO2 Δ fG ○(O2) ○ =Δ fG (NO)= 86.55 kJ mol (136) -1 ⅱ)298 K、1 bar のもとで NO 1 mol と O2 0.5 mol を混ぜた直後。反応はまだ起こっていな いとする。(136)式について x = 0 を代入し、分圧は(133)式から求めると、 Gx =Δ fG ○(NO)+ RT{ln(2/3)+ 0.5ln(1/3)} = 86.55 - 2.343 = 84.21 kJ mol (137) -1 反応が起こっていないのに系の自由エネルギーが減少しているのは、混合自由エネルギー による。 ⅲ)298 K、1 bar のもとで反応が完全に進行したとき(x = 1 のとき)。 Gx =Δ fG ○(NO2)= 51.31 kJ mol-1 (138) ⅰ)の状態とⅲ)の状態の自由エネルギーの差- 35.24 kJ mol-1 が反応自由エネルギーであ る。ⅱ)とⅲ)の差ではない。反応エントロピー、反応エンタルピーも同様である。 次に、(135)式を使って反応の進行に伴って自由エネルギーがどの様に変化するかを詳 *1 この場合この x は反応の進行度ξに等しい。 - 110 - しく考察してみよう。この反応の自由エネルギー変化Δ rG ○は 51.31 - 86.55 =- 35.24 kJ mol-1 であるが、考察するときの便宜を考えて、仮にΔ rG ○=- 5 kJ mol-1 およびΔ rG ○= + 1 kJ mol- であるとして計算することにする。 1 ①Δ rG ○=- 5 kJ mol-1 のとき:Δ fG ○(NO2)= 81.55 kJ mol-1 と仮定する。 x=0 Gx = 84.21 kJ mol-1 x = 0.2 Gx = 0.8 × 86.55 + 0.2 × 81.55 + RT(0.8ln0.571 + 0.4ln0.286 + 0.2ln0.143)= 82.23 kJ mol- 1 x = 0.4 Gx = 0.6 × 86.55 + 0.4 × 81.55 + RT(0.6ln0.462 + 0.3ln0.231 + 0.4ln0.308)= 81.14 kJ mol- 1 x = 0.6 Gx = 0.4 × 86.55 + 0.6 × 81.55 + RT(0.4ln0.333 + 0.2ln0.167 + 0.6ln0.5) = 80.54 kJ mol- 1 x = 0.8 Gx = 0.2 × 86.55 + 0.8 × 81.55 + RT(0.2ln0.182 + 0.1ln0.091 + 0.8ln0.727)= 80.48 kJ mol-1 x = 1.0 Gx = 81.55 kJ mol-1 Δ rG ○=- 5 kJ mol- のとき、(130)式より K = 7.52 である。各成分の分圧は(133)式で与 1 えられているので、(129)式より K =(PNO2eq/P ○)/(PNOeq/P ○)(PO2eq/P ○)1/2 ={x/(1 - x)}{(3 - x)/(1 - x)} (139) 1/2 であるから、平衡状態の反応の進行度 xeq は 0.724 と求められる。つまり、化学平衡状態 では NO2 が 0.724 mol できるが、NO は 0.276 mol、O2 は 0.138 mol 残っている*1。このと きの Gx は Gx = 0.276 × 86.55 + 0.724 × 81.55 + RT(0.276ln0.243 + 0.138ln0.121 + 0.724ln0.636)= 80.43 kJ mol-1 と求められる。結果を図にして F2 ページに示す。 ②Δ rG ○=+ 1 kJ mol-1 のとき:Δ fG ○(NO2)= 87.55 kJ mol-1 と仮定する。 x=0 Gx = 84.21 kJ mol-1 x = 0.1 Gx = 83.62 kJ mol- 1 x = 0.2 Gx = 83.43 kJ mol-1 x = 0.3 Gx = 83.42 kJ mol- 1 x = 0.4 Gx = 83.54 kJ mol-1 Δ rG ○=+ 1 kJ mol-1 のとき、K = 0.668 で、xeq は 0.258 である。つまり、化学平衡状態 では NO2 が 0.258 mol できる。このときの Gx は Gx = 83.408 kJ mol-1 と求められる。結果を図にして F2 ページに示す。 これまで、任意の過程における自由エネルギー変化が正ならその過程は自発的に進行せ ず、負なら自発的に起こるとした。しかし、化学反応では化学平衡状態において(130)式 が成立するので、Δ rG ○< 0 なら K > 1、Δ rG ○> 0 なら 0 < K < 1 であることがわかる。 つまり、Δ rG ○が負の値でも K は有限の値なので、反応が完全に 100 %進行することは ないし、Δ rG ○が正の値でも、反応物より生成物の方が少ないけれども、ある程度反応し て生成物ができることが分かる。 Δ rG ○< 0 なのになぜ反応が最後まで完結しないのか?Δ rG ○> 0 なのになぜ反応が少 しは進行するのであろうか? Gx の式(135)を見ると、(1 - x)Δ Gf ○(NO)+ x Δ Gf ○(NO2) ○ -1 6 eq *1 実際はΔ rG =- 35.24 kJ mol なので、K = 1.5 × 10 で、x = 0.9999 である。NO は平衡状態で -4 も 10 mol 程度は残ることが分かる。 - 111 - の部分は x の増大とともに単調に変化していく。これは反応物が生成物に置き換わること による Gx の変化への寄与である。もしこれだけが Gx の変化の原因なら、x = 1 の状態、 つまり反応が 100 %進行した状態が実現されるはずである。このとき、Gx は単調に減少 するだけである。Gx に F2 ページの図のような極小が現れるのは、(135)式の第 3 項 RT{(1 - x)ln(PNO/P ○)+・・・}の項があるからである。理想気体では、 Δ mixG = nRT ∑ J xJ lnxJ = - T Δ S mix (140) ○ であり、(135)式の第 3 項(1 - x)RTln(PNO/P )・・・はこの混合関数 nRT ∑ J xJ ln xJ から できていることが分かる。つまり、反応物と生成物が混ざり合うことによる混合自由エネ ルギーが Gx の変化に寄与するのである(アトキンス図 7・3、分子論的解釈 7・1 参照)。つまり、 反応が完全に進行してしまって、全く反応物がない状態よりも、あるいは、反応が全く進 行せず生成物が無い状態よりも、少しでも反応物あるいは生成物が存在し混ざっている状 態の方がエントロピー効果によって安定化するのである。つまり、Δ rG ○が負である反応 でも、反応が完結せずに多少とも反応物が残っている状態で化学平衡に達するのは、ある いはΔ rG ○が正でも僅かであっても反応が進行するのは、二種類以上の物質(反応物と生 成物)が互いに混ざり合おうとする傾向(=エントロピーを増大させようとする傾向)が あるためである。 6・5・4 外部条件の 外部条件の化学平衡への 化学平衡への影響 への影響 a Le Chatelier の原理 平衡状態にある物質系で温度や圧力等の外部条件を変えた場合、平衡状態がどのように 移動するかを示す法則を、Le Chatelier(ル-シャトリエ)の原理という。これは一般的には次 のように表すことができる。「ある熱力学的平衡状態にある系が外部からの作用によって 平衡が乱された場合、この作用に基づく効果を弱める方向にその系の状態が変化する。」 この原理に基づいて化学平衡への圧力と温度の影響を見てみよう。 b 圧力の 圧力の影響(アトキンス 7・3) 任意の気相反応の標準反応自由エネルギーΔ rG ○は、標準圧力 1 bar で定義された量な ので、その反応がどの様な圧力のもとで行われるかには関係しない。したがって、平衡定 数 K は圧力に依存しない。しかし、外部圧力を変えたとき、平衡定数は同じでも各成分 の平衡分圧あるいは平衡モル分率が同じとは限らない。たとえば、先ほどの気相反応の例 では、反応が 1 bar のもとで行われたときの平衡定数 K は反応進行度ξを用いて、 K =[ξ/(1 -ξ)][(3 -ξ)/(1 -ξ)]1/2 (141) と表される(式(139))が、反応が 2 bar のもとで行われたときは、 K =[ξ/(1 -ξ)][(3 -ξ)/(1 -ξ)]1/2 × 1/√ 2 (142) となる(なぜなら、K ∝(P ) だから)。したがって、1 bar のときの平衡反応進行度は 0.724 eq O2 -1/2 であったが、2 bar のときの平衡反応進行度は 0.773 である。つまり、圧力を上げると反 応がより右側に進行するのである(しかし平衡定数の値は変わらない)。これは Le Chatelier の原理より次のように解釈できる。今考えている反応では、反応系は 1.5 mol で生成系は 1 mol である。つまり反応が進行するほど系の体積は減少する。いま系の圧力を増加させる - 112 - とその効果を弱める(、系の圧力を下げる)方向に平衡がずれるのであるから、体積が小 さくなる方向つまり生成物の増える方向に平衡がずれる。一般に、気相反応では∑ J ν J ≠ 0 のとき、平衡組成(平衡反応進行度といってもよい)は測定圧力に依存して変化する (∑ J ν J = 0 のときは平衡定数も平衡組成も圧力に依存しない)。今の例では∑ J ν J = - 0.5 であった。測定圧力を上げた場合、∑ J ν J > 0 なら平衡は左にずれ、∑ J ν J < 0 なら右にずれる。アトキンス数値例 7・5 参照 (参考)アンモニアは化学肥料の原料や硝酸などの工業原料として重要であるが、それを窒素と水素 から直接大量に合成するときには大きな問題があった。この反応は発熱反応なので、次の節で説明す るように低温にするほど反応が促進する。しかし、低温では反応速度が遅いので工業的には低温で合 成するのは問題があった。そこで F.Haber は鉄を主触媒として使い反応速度を速くし、さらに高圧で 反応を行わせることによって平衡を右にずらし(アトキンス数値例 7・5 参照)高温にしても十分生成 物ができるようにして合成する方法(Habar-Bosh 法という)を考案し、1918 年にこの功績でノーベル 化学賞を受賞した。 c 温度の 温度の影響(アトキンス 7・4) 反応エンタルピーΔ rH と反応エントロピーΔ rS が温度に無関係であるとするのは有用 な近似になる。これは、反応系でも、生成系でも、各系のエンタルピーやエントロピーが 温度変化に伴って同じ程度変化するためである。Δ rH とΔ rS は生成系と反応系の差なの で、温度にあまり依存しないことが分かる。これに対して、反応自由エネルギーΔ rG は 温度依存する。それはエントロピー項 T Δ rS が温度に比例するからである。したがって、 Δ rG の温度に対するプロットはよい直線性を示すし、Δ rS が小さい反応ではΔ rG はあま り温度変化しない。したがって、化学平衡は一般に温度の影響を受けやすい。平衡の諸条 件が温度と伴に急速に変化する。これは温度が化学反応を制御する強力な手段となること を意味する。 発熱反応(Δ rH < 0)はその名のとおり発熱して系の温度を上昇させるので、反応温 度を上昇させれば反応が抑制される、つまり平衡が左にずれることが Le Chatelier の原理 から結論できる。吸熱反応(Δ rH > 0)の場合は反応温度を上げれば逆に反応が促進す ることが結論できる。これは次の一般則(Δ H-Δ S 補償関係)、一般にΔ rH < 0 の反応 は反応エントロピーもΔ rS < 0 で、Δ rH > 0 の反応は反応エントロピーもΔ rS > 0 であ る、からも説明できる。定温・定圧のもとではΔ rG =Δ rH - T Δ rS なので、Δ rH < 0、 Δ rS < 0 の反応はエンタルピー効果によって起こる。そして、エントロピー効果は反応 を阻害する働きをし、これは温度とともに増大していくので、この反応は温度を上げるに つれて起こりづらくなる。Δ rH > 0、Δ rS > 0 の場合は、反応はエントロピー効果によ って起こるので、温度の上昇とともに反応が促進される。Boltzmann 分布による化学反応 の考察がアトキンス分子論的解釈 7・3 に載っているので参照せよ。 化学平衡がどのように温度に依存するかを定量的に考察してみよう。反応自由エネルギ ーの温度依存性は Gibbs-Helmholtz の式(52b)によって与えられる。 Δ r G ○ 、K は圧力に 依存しないので、 d(Δ rG ○/T)/dT =-Δ rH ○/T (143) 2 - 113 - と書ける。これから平衡定数の温度依存の式として次の van't Hoff( (ファントホッフ)の )の 式 が 得られる(アトキンス根拠 7・2 参照)。 dlnK/dT =Δ rH ○/RT (7・23)(144a) 2 あるいは dT/T =- d(1/T)なので、 2 dlnK/d(1/T)=-Δ rH ○/R (7・23)(144b) ○ 標準状態においてΔ rH < 0 の反応(発熱反応)は dlnK/dT < 0 なので、平衡定数が温度 の上昇と伴に小さくなることが分かる。これは Le Chatelier の原理による定性的な考察と 一致する。 さらに、標準反応エンタルピーΔ rH ○が温度に無関係であると仮定すると、van't Hoff の式を積分して次の関係を得る。 lnK =-Δ rH ○/RT +定数 (145) これは lnK を 1/T に対してプロットすれば、直線性を示し、その勾配からΔ rH ○が求めら れることを示している。平衡定数の温度変化を測定するだけで、測定温度の全範囲にわた る熱力学諸関数の全て、Δ rG ○(=- RT lnK)、Δ rH ○、Δ rS ○(={Δ rH ○-Δ rG ○}/T) を求めることができる。アトキンスの例題 7・3 を参照せよ。 ある温度 T1 における平衡定数の値 K1 が既知のとき、別の温度 T2 における平衡定数の値 を見積もりたいときは、やはり標準反応エンタルピーΔ rH ○が温度変化しないと仮定して、 van't Hoff の式を積分した式 lnK2 - lnK1 =(-Δ rH ○/R)(1/T2 - 1/T1) (7・25)(146) を使って求めることができる。アトキンス数値例 7・6 を参照せよ。 6・6 実在気体の 実在気体の熱力学的取り 熱力学的取り扱い-フガシティー- フガシティー-(アトキンス補遺 3・2) 実在の系では何らかの原因で理想性からのずれがあるために、理想系についての諸法則(例:理想 気体の状態方程式)がそのままの形では成立しなくなる。それらをいかにして実在系(正確には非理 想系)に拡張するかという方法論を実在気体を例に取り上げて考えてみよう。 実在の系に適用できる法則を求める方法としてまず考えられるのは、理想性からのずれの原因を想 定した上で、ずれの大きさを理論的に計算して補正することである(例:実在気体に対する van der Waals の式)。このような方法で実在系の法則を導くためには、少なくとも次の二つの条件が満足され なければならない:①理想性からのずれの原因が既知であるかまたは推定できること; ②ずれの原因に ついて適当なモデルを考え、それに基づいてずれの大きさを表す理論式を組み立てられること。この 条件を満足することは必ずしも容易なことではなく、また一般的には導かれる式の形が系によって異 なるであろう。 そこで、理想系の式をある状態関数のべき級数で展開することを考える(例:実在気体に対する virial 状態方程式)。つまり、理想系の法則はこのべき級数の第一項であるとして取り扱う。数学的には高次 の項までとればとる程パラメータの数が増えるので一致は良くなる。正確な計算をする場合はこの方 法が優れているかもしれないが、問題点としては展開項の物理的意味が必ずしも明確ではないことで ある。展開項の意味付けは理論的な考察(=統計力学)に基づいて行われなければならない。 もう一つの方法は、適当な補正係数を導入することによって、理想系についての単純な法則を、そ - 114 - のままの形で実在の系へ拡張する方法が考えられる。理想性からのずれの原因が何かはこの時点では 考える必要がなく、ずれの全てが数値的に補正係数に押し付けることができる。この補正係数の値が 系の理想性からのずれを表しているので、系の詳細に立ち入ることなく(これが熱力学の特徴であっ た)それなりの知見を与えてくれる。しかし、この補正項の理論的解析(なぜそのようなずれが生じ るか)は統計力学によらなければならない。ここではこの第 3 の方法について考察してみよう。 フガシティー f とは、圧力 P の代わりにそれを用いることによって、理想気体について 導かれた法則がそのままの形で実在気体にも適用できるように定義された量である。つま り、圧力 P を示す実在気体ではなく、フガシティー f を示す理想気体が存在すると仮想す るのである。仮想的に f という圧力を示す理想気体が存在すると考えるのである。この意 味で、フガシティーは実在気体を理想系に換算した場合の実効(、有効)圧力と見なすこ とができる。言い換えれば、分子間力が全部消滅した仮想的な状態を考えたときの圧力が フガシティーである*1。これが理想系に換算したという意味である。自由エネルギーと化 学ポテンシャルの圧力依存性はそれぞれ、式(60a)、(123)で与えられる。 G = G 〇+ nRT ln(P/P 〇) 〇 〇 μ= μ + RT ln(P/P ) (理想気体) (3・57)(147 理) (理想気体) ↓ 〇 G = G + nRT ln(f /P 〇) 〇 〇 μ= μ + RT ln(f /P ) 式(147 理)と(147 実)の G 〇 (実在気体) (3・58)[147 実] (実在気体) 〇 とμ は同じものである。ここで、 〇 Δ G = G - G = nRT ln(P /P 〇)=- T Δ S (理想気体) (148) であるが、 Δ G = G - G 〇= nRT ln(f /P 〇)=Δ H - T Δ S (実在気体) (149) である。理想気体の自由エネルギーの圧力変化はエントロピー効果のみによったが、実在 気体の場合は粒子間相互作用に起因するエンタルピー効果Δ H も寄与する。 ここでフガシティーを理解するために次のような系を考察してみよう。H2(g)と N2(g) の混合気体と純粋な H2(g)がパラジウム膜を仕切として接触している系を考える。水素は パラジウム膜を自由に通過できるが、窒素は通過できない。純粋な H2(g)は理想気体と仮 定する。例えば、混合気体の全圧が 30 bar で、H2(g)の分圧 PH2 が 10 bar であるとする*2。 このとき純粋な H2(g)の圧力 P が 8 bar で 平衡状態になったとしたら、混合気体中の 全圧= 30 bar H2(g) H2(g) H2(g)のフガシティーは 8 bar である。こ 分圧 PH2 =10 bar 圧力 P = 8 bar れは混合気体中で H2(g)と N2(g)の間とに N2(g) 引力が働き、H2(g)が系から飛び出してい くのを妨げたからである(これらの数値は パラジウム膜 正確な値ではない) 。 *1「物理化学Ⅰ」で導入した遮蔽効果、有効核電荷と比較せよ。有効核電荷は‘遮蔽された核電荷のも とでの電子相関のない電子’という仮想的な状態の見かけ上の核電荷である。 *2 分圧は全圧×モル分率から求められる。 - 115 - これを化学ポテンシャルを使って考えてみよう。混合気体中の H2(g)の化学ポテンシャ ルμ H2 が純粋な H2(g)のモル自由エネルギー Gm(単)=μ(H2)に等しいことが平衡条件で ある。なぜなら、もしこれらの化学ポテンシャルが等しくなければ、化学ポテンシャルの 高い方から低い方に H2(g)分子が移動したとき、系全体の自由エネルギーは減少するので、 移動が自発的に起こる。これは平衡状態ではない。純粋な H2(g)は理想気体であるとして、 μ(H2)は(147 理)式で計算される。 μ(H2) = μ〇 + RT ln(P/P 〇) = μ〇+ RT ln8 (150) μ H2 も(147 理)式で計算すると、 μ H2 = μ〇+ RT ln(PH2/P 〇) = μ〇+ RT ln10 (151) になってしまい、μ(H2)≠μ H2 である。しかし、(147 実)式を使うと、 μ H2 = μ〇+ RT ln(f H2/P 〇) = μ〇+ RT ln8 (152) となり、μ(H2)=μ H2 となる。混合気体中の H2(g)の示す分圧はあくまで 10 bar である。 しかし、例えば理想気体の自由エネルギー、化学ポテンシャルの式(147 理)を実在気体に 使うとき、仮想的な圧力=フガシティーを使うと式(147 理)とよく似た式(147 実)を使う ことができるのである。混合気体中に(10 bar の実在気体 H2 が存在するのではなく)仮想 的に 8 bar の理想気体 H2 が存在すると考えるのである。そして、この理想気体 H2 には分 子間相互作用はないのである。理想気体では温度一定の条件下では、P ∝ n/V なので、圧 力は粒子数(厳密には粒子数密度)に比例する。従って、実効圧力フガシティーが本当の 圧力より低いということは、実効分子数(見かけ上の分子数が)が実在する分子数より少 ないと考えるということである。つまり、分子間引力の効果を分子数の減少という形で取 り入れているのである。 ここでフガシティーを f ≡ φP [3・59](153) と書く。P は実在気体が示す圧力で、φはフガシティー係数 フガシティー係数である。フガシティーは圧力 の次元を持つので、係数は無次元である。一般に、φは気体の種類、温度、圧力に依存す る。ここで、(153)式を(147 実)に代入すると、 G = G ○ + nRT ln(P/P ○) + nRT ln φ となる。右辺の第 1 項と第 2 項は理想気体の式である。なぜなら、G (147 実 2) ○ は(147 理)と(147 実)で同じである、つまり G ○は圧力 P 〇(= 1 bar)の理想気体が示す自由エネルギーだか らである。言い換えれば、理想的に振る舞う(、つまりφ= 1 の) f = 1 bar(= P ○)の仮 想的な状態を実在気体の標準状態としている。G ○は実在気体のフガシティーが 1 bar の ときの自由エネルギーではないので注意する。従って、第 3 項(のみ)が理想性からのずれ を表している。φ=1のとき、その系は理想系と見なせる。 補正係数であるφがフガシティー自体より重要である。なぜならその値から今考えてい る系の特徴が分かるからである。たとえば、φ< 1 のとき、分子間の引力が強く、φ> 1 のとき、分子間の斥力が優勢になっていることがわかる。φが1に近いほど理想的である と考えることができる。要するに、f ではなく、φの値の中に(理想性からのずれの原因 となる)分子間力の効果(に関する情報)を全て含んでいるので、フガシティー係数が重 要なのである。 φと同様に、圧縮因子 Z の 1 からのずれも非理想性の目安になることを第 1 章でみた。 - 116 - この場合も Z < 1 のとき引力効果、Z > 1 のとき斥力効果が分子間力において優勢である ことを示していた。つまり、φと Z が 1 以下のとき引力、φと Z が 1 以上のとき反発力 が分子間に有効に働く。このφと Z の 1 に対する大小関係と引力、反発力との結びつき の一致は偶然ではない。φと Z は次のような関係にある。 ln φ(P) = ∫ 0P[(Z(P)- 1)/P]dP (3・60)(154) (この式の導出はアトキンスの補遺 3・2 に載っている。)Z も圧力の関数である。アトキンスの 図 1・14 をみればたいていの気体は、ある圧力までは Z < 1 で、それより高圧で Z > 1 で ある。Z < 1 である圧力領域における任意の圧力 P において、上式の右辺の積分は負にな ることが分かる。従って、φ< 1 である。高圧領域において Z < 1 の積分領域よりも、Z > 1 の積分領域の方が大きくなれば、φ> 1 となるであろう(アトキンス図 3・24 参照)。ア トキンスの表 3・6 に窒素の例が載っているので参照せよ。 6・7 実在溶液の 実在溶液の熱力学的取り 熱力学的取り扱い-活量- 活量- a 理想溶液(アトキンス 5・3) 理想溶液とは分子論的にいえば、同じ成分間の相互作用と異なる成分間の相互作用が同 じで(=各成分の感じるポテンシャルが同じで)、各成分分子の大きさや形が同じ系であ る 。理想溶液中の成分 A の化学ポテンシャルμ A のモル分率 xA への依存性は次式で与え *1 られる。 μ A = μ A* + RT ln xA (理想溶液) (5・25)(155 理) ここで、*を液相や気相が一成分のみから成る、つまり純粋状態であることを表す記号と する。全組成範囲にわたって上式が成立する溶液を理想溶液という(熱力学的定義)。 xA は 1 以下なので、上式より、純溶媒に溶質を加えると、その化学ポテンシャは純溶 媒のときよりも下がる(=安定化する)ことが分かる。理想溶液では、同じ成分間および 異なる成分間の相互作用が同じなので、エネルギー効果によってこの安定化が起こるので はないことが分かる。従って、この化学ポテンシャルの減少(=系の安定化)はエントロ ピー効果のみによる。つまり、RT ln xA の項はエントロピー効果を現している。これは次 の考察からも分かる。 便宜上、液体どうしの混合を考える。理想溶液を作るときの混合の自由エネルギー変化 は次のように求められる。 G(混合前)= nA μ A*+ nB μ B* (156) G(混合後)= nA μ A + nB μ B (157) = nA μ A* + nA RT ln xA + nB μ B* + nB RT ln xB Δ mixG = G(混合後)- G(混合前)= nART ln xA + nBRT ln xB (5・27)(158) これは理想気体の式(37)と同じである。同様に、液体の混合エントロピーは気体の式第 5 章の(102)と同じになる。 Δ mixS =- nAR ln xA - nBR ln xB =-Δ mixG/T (5・28)(159) したがって、溶液の場合も理想系では混合はエントロピー効果のみによって起こることが *1 実例としては、ベンゼンとメチルベンゼンが理想溶液を作る。 - 117 - 分かる。理想気体同様、理想溶液でもΔ mixH =Δ mixV = 0 である(アトキンス 5・4(a)参照)。 希薄溶液は一般に理想的に振る舞う。そこでは次の関係が成立する。 PA = xA(sln)PA* あるいは xA(sln)= PA /PA* (5・24)(160 理) すなわち、成分 A の蒸気圧(分圧)PA がその成分の溶液中のモル分率 xA(sln)に比例する。 このとき、液体 A は Raoult の法則に従うという(アトキンス図 5・11、5・12 参照)。これは溶 質を加えたとき、溶媒の蒸気圧降下がモル分率(つまり分子の数)に比例することを示し ている。したがって、Raoult の法則もエントロピー効果のみによって成り立つ関係である。 理想溶液ではこの法則は全組成範囲で成立する。言い換えれば、全組成範囲にわたり混合 がエントロピー効果のみによって起こるものが理想溶液である。 ☆ 溶液の 溶液の束一的性質(アトキンス 5・5) 溶液には気体の状態方程式のように、溶液の性質をその種類によらず一つの式で表せる ような状態式はない。気体は分子間の相互作用が弱いので、気体分子の違いによる影響が 気体の性質にほとんど反映しない。しかし、溶液では成分粒子間の相互作用が強いので、 それが溶液の性質に強く反映される。したがって、溶液の種類によってその性質が大きく 異なるので、状態式は成立しない。しかし、希薄溶液では束一的性質といって、任意の溶 媒に対して溶質成分が何であれ、溶質の質量モル濃度(すなわち溶質の粒子数)が同じで あれば、溶媒に溶質を加えたことによる蒸気圧降下、沸点上昇、凝固点降下、浸透圧がそ れぞれ同一の値をとる性質がある。 束一的性質が成立する条件は二つある。一つは希薄溶液であること、もう一つは溶質成 分は液相にのみ存在することである。前者の条件は溶液が理想的であると見なせる(=理 想気体の混合 6・1・4f の結論が溶液でも使える)こと、したがって溶質を混合したときエ ンタルピーは変化せず、エントロピー効果のみが起こる(=エントロピー効果のみによっ て混合が起こる)と見なせることを意味している。二番目の条件により溶質成分が存在す ることによるエントロピーの増大が液相にのみ起こるため(気相、固相には溶質成分が存在 しないので、そこでは混合によるエントロピーの増大が起きない) 、液相(希薄溶液)が気相や固 相よりも安定化し、純溶媒の時よりも広い温度・圧力範囲で液相として存在することがで きるようになる(アトキンス図 5・21 参照)。つまり、束一的性質は本質的にエントロピー効 果によるものである。エントロピー効果なので、溶液の種類に依存せず共通して成立し、 粒子の数に比例するのである。これはエントロピーの特性である。 一般的に言って、任意の物理量が濃度に比例するということは、粒子の数に比例すると いうことで、粒子間の相互作用が物質によって異なるとき、物質によらず常にこのような ことが成立することはあり得ない。“蒸気圧降下が起こるのは、液体の表面にも溶質分子 が存在し、水分子が蒸発する液面の面積が減少し、液体の表面から蒸発する水分子の数が 減少するからである”、という記述がある(アトキンス分子論的解釈 5・1 参照)。これは水と 溶質分子の相互作用(=エンタルピー効果)についてはいっさいの考慮がなく、単に数の 問題(エントロピー効果のみ)と見なしていることが分かる。(仮にエンタルピー効果に よって蒸気圧降下が起こるとしたなら、溶液の種類によらず必ず、溶媒-溶質相互作用 I1 >溶媒-溶媒相互作用 I2、であることを意味している。なぜなら、I1 < I2 ならば、蒸気圧 上昇が起こってしまうからである。実際には、I1 > I2 と I1 < I2 の両方の系があるはずで、 - 118 - 溶液の種類に係わらず常に蒸気圧降下が起こることをエンタルピー効果では説明できな い。) 希薄溶液であるということは、ミクロのレベルで考えれば溶質粒子の周りには溶媒粒子 のみが存在し、その結果どの溶質粒子の周りの環境もほとんど同じであることを意味して いる。この状態では、溶質分子が加わることによるエントロピー効果は粒子の数に比例す ることになる。溶質分子の数が多くなりすぎると溶媒分子と溶質分子の相互作用の溶液に よる違いが出てくるので束一的性質が失われる。アトキンス分子論的解釈 5・2 も参照せよ。 b 実在溶液と 実在溶液と活量(アトキンス 5・6) ここでは便宜上、非電解質溶液を考えることにする。 非理想溶液では(155 理)式を使うことができない。なぜなら理想溶液ではμ A*からのず れはエントロピー効果のみに依ったが、実際にはエンタルピー効果も寄与するからである。 このとき、非理想溶液中の成分の化学ポテンシャルのモル分率依存性を与える式を考えた とすると、それは系によって異なる形になるであろう。そこで、フガシティーのときと同 様に、非理想溶液でも(155 理)式と形式的に同じ式を使うことを考える。そのためには、 モル分率の代わりにモル分率と次の関係にある活量 活量 aA γ A = aA / xA xA → 1 につれて aA → xA、γ A → 1 [5・45](161) を導入して、 μ A(sln) = μ A*(ç) + RT ln aA (実在溶液 ) *1 [5・42](155 実) とすればよい。活量は無次元の量である。また、γ A は活量係数と呼ばれる。これはつま り Raoult の法則を PA = aA PA* あるいは aA = PA /PA* (5・43)(160 実) と置き換えたことに相当する。aA = 1 のとき、(155 実)、(160 実)式より PA = PA*でμ A =μ A*なので、aA = 1 の状態は純粋液体状体である。 実在溶液に対して、式(155 理)と同形の式(155 実)を使うということの意味を考えてみ よう。式(155 理)はエントロピー効果の式なので、式(155 実)も見かけ上エントロピー効 果のみの式である。ではエンタルピー効果はどこに行ったのか。それは活量係数に含まれ ている。 ところで、Raoult の法則によると、モル分率が半減すると飽和蒸気圧も半減する。これ は単に分子の数(=エントロピー効果)のみに依存していること意味している。すなわち、 表面(付近)にいる分子 A の数が半減するから、蒸発する分子 A の数も半減する:理想溶 液は溶液を構成する粒子間の相互作用がどれも同じなので、このように考えることができ る。もし Raoult の法則から予想されるよりさらに低い蒸気圧になったとすれば、それは A-A 相互作用より A-B 相互作用が強いので、気化する分子 A の数が減少するが、気相の A が液相に戻ることは溶質 B には関係しないためである、と分子論的に解釈できる。この とき、活量はモル分率よりも小さい値をとり、活量係数は 1 より小さい。活量係数が 1 か らどれだけずれるかが、理想系からのずれの程度を表している。アトキンス図 5・14、5・17 *1 実在の溶液の中にもベンゼン-トルエン系のように理想溶液と見なせるものもあるが、それも含め て実在溶液と表記することにする。 - 119 - を参照せよ。 これがエンタルピー効果が活量係数に含まれているという意味である。式( 155 実)に (160 実)を代入すると、 μ A(sln)=μ A*(ç)+ RT ln xA(sln)+ RT ln γ A (実在溶液) (5・46)(155 実 2) となる。これを式(155 理)と比較すると、右辺の第 3 項が理想性からのずれ(=Δ mix Hの 大きさ)を表していることが分かる。つまり、活量係数は現実の溶液が理想系からどの程 度ずれているか(=Δ mixH がどの程度μに寄与するか)を示す量である。理想性からのず れ(=エンタルピー効果)を全て活量係数に負わせることによって、非理想系の化学ポテ ンシャルの組成変数依存性を(155 実)という共通したエントロピーの式で表すことができ る。活量とは実在溶液を理想溶液に換算したときの溶液の組成変数(モル分率、重量モル 濃度、(容量)モル濃度)という意味を持つ。ここで、実在溶液を理想溶液に換算したとは、 実在溶液が、粒子間の相互作用がどれも同じでそれらの形や大きさも同じである仮想的な 粒子からできている理想溶液と見なす、ということである。活量とはこの仮想的な粒子の 組成変数である。 活量係数は濃度(モル分率)に依存する。濃度によって理想性からのずれの程度が異な るからである。また、例えば、水溶液中の水の活量係数を考えたとき、溶質の違いによっ て水の活量係数は異なる値をとる。 ☆ フガシティーと フガシティーと活量 理想系とは粒子間の相互作用による影響(エンタルピー効果)が無視できる系である。 理想系の状態関数の式はエントロピー効果のみに依存している。実在系ではエンタルピー 効果があるので、実在系の状態関数の式として理想系と同じ式を適用するということは、 大雑把に言えば、エンタルピー効果をエントロピー効果すなわち数の効果で考慮するとい うことである。エンタルピー効果により理想系より安定化すれば、見かけ上の分子数(厳 密には粒子数密度・濃度)が減ったと見なし、不安定化すれば、見かけ上の分子数が増え たと見なすのである。この見かけ上の分子数に対応するのがフガシティーであり、活量で ある。 c 活量の 活量の具体例(アトキンス 5・9) 活量で考える例として、電解質溶液を考える。電解質溶液ではアニオンとカチオンがあ るが、 平均活量係数 γ ±( アトキンス式[5・63]参照 )というものを考える。活量係数は濃度 に依存すると予想されるが、電解質溶液の場合この平均活量係数に及ぼす濃度の寄与は、 単純な濃度ではなくイオン強度 イオン強度と呼ばれるもので表されること、そして希薄強電解質溶液 において強電解質の平均活量係数は同じイオン強度を持つすべての溶液で同じであること が数多くの実験から分かった。ここでイオン強度 I とは次式によって定義される I = (1/2)∑ J cJ zJ2 あるいは I = (1/2)∑ J mJ z 2 J (I の単位は mol l-1) -1 (I の単位は mol kg ) (152) [5・70] ここで、和は溶液中に存在する全てのイオン種についてとり、cJ(mJ)は電荷が zJ 価の J イ オンの容量モル濃度(重量モル濃度)である。例えば、1 価-1 価電解質溶液のイオン強度 はモル濃度と同じであるが、2 価-2 価電解質溶液のイオン強度はモル濃度の 4 倍になる。 - 120 - したがって、2 価-2 価電解溶液のモル濃度の 4 倍の濃度の 1 価-1 価電解質溶液と 2 価-2 価電解質溶液のイオン強度が等しい。つまり、同じモル濃度の溶液でもイオンの電荷が異 なればイオン強度は異なる。イオンの電荷 zJ が大きいほどイオン間の静電相互作用は強 くなるので、イオン間の静電相互作用が大きい溶液ほどイオン強度は強くなる。また、イ オン強度は溶液全体の持つ性質であり、溶液中のある特定のイオンの性質ではないことに 注意する。注目するイオンの他に溶液中に共存するイオンがあれば、そのイオンの影響を 受ける。注目しているイオンが低濃度であっても、共存するイオンの濃度が高ければその 溶液のイオン強度は高くなる。溶液のイオン強度が高くなれば、イオンの平均活量係数γ ± は 1 より小さくなっていく。アトキンス図 5・34 を参照せよ。 (1) 溶解度積 金属イオン Mq+と陰イオン Ap-とから成る難溶性塩 MpAq を純水に溶かすと、ごく僅かの 塩は水に溶け、溶けた塩はほぼ 100 %イオンに電離している。このとき水に溶けたイオン Mq+、Ap-と固体の MpAq が混ざった飽和混合液では次の平衡が成立する。 pMq+(aq) + qAp-(aq) ⇔ MpAq(s) (153) このとき、右向きの反応を沈澱( 沈澱(生成) 生成)平衡、左向きの反応を溶解平衡(電離平衡でもある) と呼ぶことがある。溶解平衡の平衡定数 K は次式で定義される。 K = a(Mq+)pa(Ap-)q/a(MpAq) (154) 濃度でなく、活量で定義される。難溶性の固体物質の濃度変化は殆ど無いと考えられるの で、便宜上この活量を 1 とする。この様に考えれば、固体物質の活量は平衡定数の式から 見かけ上除外することができる。 q+ p p q Ksp = a(M ) a(A -) (155) =γ(M ) γ(A ) [M ] [A ] /c p- q+ p q =γ± [M ] [A -] /c ○ s q+ p p q q+ p p- q ○ p+q p+q このときの平衡定数を溶解度積 Ksp という。ここで、[ ]は容量モル濃度を表す。c ○= 1 mol dm-3。また、平均活量係数は次式で定義される。 γ±=[γ p γ q]1/s s=p+q [5・63](156) この平衡定数は水溶液中に他のイオンが共存しても温度によって決まる一定の値を取る。 つまり、他のイオンの影響がない。これは理想溶液の性質である。活量だから他のイオン の影響を無視することができる。相互作用の理想性からのずれ(=異なる成分間の相互作 用が異なる)が全て活量係数の変化に閉じ込められている。活量係数は変化するので、濃 度も変化する。正確には、濃度が変化するから、活量係数も変化する。溶解度積を濃度で 表したら、他のイオンの共存によって、その値が異なることになる。しかし、活量(=活 量係数×濃度)は変化しない。 (2) 共存イオン 共存イオンの イオンの影響 難溶性塩の構成イオンと異なるイオンが溶液中に共存すると、その難溶性塩の溶解度積 は一定であるが、溶解度は増加する。この異種イオン 異種イオン効果 イオン効果を塩溶効果という。異種イオン が存在することによって溶液のイオン強度が高くなれば、イオンの平均活量係数γ±は 1 より小さくなっていく。つまり、定温下では溶解度積(イオン活量の積)は一定の値を取 - 121 - るので、活量係数が 1 より小さくなるほどイオンのモル濃度は増大する(=溶解度は増大 する)こととなる。モル濃度が増大しても、つまりイオンの数が増大しても、イオン間相 互作用によって安定化するので見かけ上のイオンの数(=活量)は変化しない(、だから 化学ポテンシャルも変化しない)のである。 時間平均すると、溶液中の任意のイオンの近傍には対イオン(反対電荷を持つイオン) が見いだされる確率が高い。つまり、中心イオンの周りのイオンの運動に注目すると、対 イオンは接近するように、同じ電荷を持ったイオンは避けるように運動するであろう。注 目する任意の中心イオンの周りのある範囲内(目安になる大きさを Debye 長さという) におけるこのようなイオン分布(電荷分布)全体を指して、イオン イオン雰囲気 雰囲気という(アトキ ンス図 5・33 参照) 。任意の中心イオンのエネルギーと、したがって化学ポテンシャルとは、 そのイオン雰囲気との静電相互作用の結果として低下する。いま注目するカチオン/アニ オンの数が増大すれば、理想系の場合(エントロピー効果により)、それらのイオンの化 学ポテンシャルは増大するが、実際は、イオン-イオン雰囲気間の相互作用(エンタルピ ー効果)によって安定化が起こるので、見かけの粒子数(活量)は実際の粒子数(濃度) より小さく、活量したがって溶解度積は一定のままである。もし、このときいま注目する カチオン /アニオン以外の異種イオンが存在すると、それが無いときと比較してイオン雰 囲気における対イオンの濃度が高くなるので、それだけ上記の安定化効果が大きくなる。 その結果、異種イオンが存在すると、それがないときと比べて注目するカチオン /アニオ ンはより多く溶けることができる=溶解度が上がる。 上記のエンタルピー効果を別の角度から説明すると次のようになる。注目するイオン間 の静電相互作用を考えると、イオン雰囲気による遮蔽効果により力の到達距離が短くなる (アトキンス補遺 5・1、図 5・36 参照)ので、平均としてその反発相互作用は弱くなる。異種 イオンが共存するほど、イオン強度が高いほど、この遮蔽効果による安定化の効果は大き くなる。この考え方は、金属中の伝導電子と陽イオン格子の系にも当てはまる。もともと の電子の間に働いていた長距離力である Coulomb 力が、他の電子の動きによって遮蔽さ れてしまい、実質上近距離だけで働く斥力になってしまう。 d 液体の 液体の混合(アトキンス 5・3、6・5) 溶解現象については 6・1・4d で考察したが、ここでは液体の液体への混合、つまり液体 どうしの混合について考えてみよう*1。クロロホルム-アセトン系(アトキンス図 5・17 参照) では Raoult の法則から負のずれを示している。つまり、理想系よりも蒸気圧が低くなっ ている。これは、異なる液体成分間の相互作用が強いため理想系より液相が安定であり、 混合しやすいことを意味している(Δ mix H < 0)。従って、F5 ページ図 6・6(b)から分かる ように、混合自由エネルギーが理想系よりさらに大きな負の値になっている。これは混合 エンタルピーが大きく負の値になっていることが直接の原因である。つまり混合によって 大きな発熱が起きて安定化する。これはクロロホルムとアセトンが水素結合により次のよ うな錯体を作るからである。 Cl3C-H・・・O=C(CH3)2 *1(確認)混合、溶解、混合物、溶体の意味を確認しよう。5・3・5 参照。 - 122 - 従って、混合エントロピーΔ mix S の値は小さくなると予想される(なぜなら溶液中のこの 様な弱い錯体は分子の動き、自由度を制限するから)が、図 6・6(b)を見ると確かにその とおりである。しかし、少なくともΔ mix S > 0 ではある。 これに対して二硫化炭素-アセトン系(アトキンス図 5・14 参照)は正のずれを示してい る。つまり液相は比較的不安定であり、混合しにくい。この様な挙動をとる系は、水とア ルコールのようなそれ自身で会合している成分(この場合は水)とそうでない成分(アル コール)からなる系に見られることが多い。言い換えれば、異なる液体成分間の相互作用 が弱いため液相は理想系より不安定である。この場合混合により会合が壊れると、それに 要するエネルギーのために混合エンタルピーが正になる(Δ mix H > 0)ことが予想される (F5 ページ図 6・7(b)参照)。それでも混合が起こるのはエントロピー効果により(Δ mix S > 0) 混合自由エネルギーが負になるからである。会合が壊れ、溶媒と溶質が混ざりあうエント ロピー効果が効いてくるのである。 ところで、二種類の液体の混合の仕方としては、任意の割合で完全に混合する(完全可 溶)、ある割合でのみ混合する(部分可溶)、どの様な割合でも(ほとんど)混合しない(不 溶)、がある。ここでは部分可溶液体の相図、特に温度-組成図を考察しよう。部分可溶液 体の相図は相互溶解して一つの相になっている領域と、溶解せず分離して二相(組成の異 なる二種類の液相)になっている領域から成っている。また、部分可溶である温度領域と 完全可溶である温度領域とがある。このとき、ある温度(これを上部臨界完溶温度という、 アトキンス コメント 6・4 参照)以上では二成分が完全に混合する系(アトキンス図 6・19、 ニトロベンゼン-ヘキサン系)、ある温度(これを下部臨界完溶温度という)以下では二成 分が完全に混合する系(アトキンス図 6・24、水-トリエチルアミン系)、上部臨界完溶温 度と下部臨界完溶温度を持つ、つまりある温度範囲で部分可溶になる系(アトキンス図 6 ・25、水-ニコチン系)が知られている。 上述したように、液体-蒸気系において理想性から正のずれを示す系では、エントロピ ー効果により混合が起こる。しかし、エントロピー効果は温度の低下と共に減少するので、 ある温度以下では混合自由エネルギーが正になり、混合が起こらなくなると予想される。 つまり、ある温度では完全可溶(Δ mix H > 0、Δ mix S > 0、Δ mix H < T Δ mix S)であった ものが、上部臨界完溶温度以下では部分可溶(Δ mix H > 0、Δ mix S > 0、Δ mix H > T Δ mix S の領域で不溶)になる。これに対して、下部臨界完溶温度を示す理由はエンタルピー効果 である。一般にエンタルピー変化はあまり温度変化しないが、高温では溶媒分子と溶質分 子の錯体が壊れて混合エンタルピーが増大し(=Δ mix H の負の値の絶対値が小さくなる =混合に伴う安定化エネルギーが小さくなる)、両成分が互いに溶けにくくなる(=Δ mix G が正の値になる)。上部と下部臨界完溶温度を持つ系では、低温においては弱い錯体がで きるので混合するが、温度が上昇すると弱い錯体が壊れて部分可溶になり、さらに温度が 高くなると、エントロピー効果により再び完全可溶になる。 - 123 - 7. まとめ 2・3 内部エネルギーとエンタルピーにおいて、数学的な取り扱いをすることにより熱力学に対する 理解を深めることができることが分かった。その後も 5・3・1(エントロピー)、6・2(自由エネルギー) で少し先取りする形でこの章で得られる結果を使った。ここではエントロピーや自由エネルギーを含 めてより一般的な状態関数間の関係を求めてみよう(熱力学の解析化)。熱平衡状態にある系を熱力学 的に特徴づけるものは熱力学ポテンシャル 熱力学 ポテンシャル( 6・1・3 参照)である。この系に関する熱力学的諸量は、 全てこれらの関数の種々の偏微分係数として導かれ、それら相互の関係として、いわゆる熱力学的関 係が導かれる。最後にまとめとしてこれまでの考察に基づいて、熱力学の有効性と限界について考え てみよう。 7・1 Maxwell の関係式(アトキンス 3・8) 閉じた系の熱力学第一法則は微分形式で次のように表される。 dU = d'q + d'w (閉じた系) (1) 非膨張仕事がない場合、可逆的に仕事がなされ熱が輸送されれば、 d'qrev = TdS d'wexp, rev = - PdV (可逆過程) (2 ) である。したがって、 dU = TdS - PdV (閉じた系) (3・43)(3a) である。今、式(2)では可逆過程の場合を考えていたが、内部エネルギーは状態関数なの で、式(3a)は可逆過程、不可逆過程に関わりなく成立する。これは一見不思議に思えるか もしれないが、これは、d'q と d'w の和が常に TdS と- PdV の和に等しいからである。変 化の道筋によって q と w の値は異なるが、それらの和(すなわちΔ U)は変化の道筋に よらず一定なのである(内部エネルギーは状態関数だから)。可逆過程であれば常に(2)式 が成立するが、不可逆過程の場合は d'qirr < TdS d'wexp, irr > - PdV (不可逆過程) (4) である。しかし、常に d'q irr + d'wexp, irr = d'q rev + d'wexp, rev (5) d'q + d'w = TdS - PdV (6) なので、 なのである。簡単な例として、理想気体の等温過程を考えてみよう。このとき dU = 0 な ので、d'q = - d'w である。変化の道筋によって、熱量、仕事量は異なる(4・2 の考察Ⅱの 等温過程の表を参照せよ)が、常に d'q = - d'w である。つまり、変化の道筋によらず d'q と d'w の和は常にゼロである。この熱力学の第一法則と第二法則を組み合わせた式(3a)を、 (熱力学の 熱力学の)基本式と呼ぶ。 内部エネルギーを S と V の関数と見なすと、他の熱力学ポテンシャルは Legendre(ルジ ャンドル)変換(基礎数学 5・2・1f 参照)H(S, P)= U(S, V)+ PV、G(T, P)= H(S, P)- TS、A (T, V)= U(S, V)- TS によって次のような状態関数と見なすことができる。 U (S, V ) H(S, P) G(T, P) A(T, V) - 124 - 熱力学ポテンシャルが上記のような組の状態関数の関数であると見なすとき、これらの状 態関数を自然な 自然な変数と呼ぶ。例えば U の自然な変数は S と V である、というように使う。 各熱力学ポテンシャルの定義式に基づいて、熱力学の基本式から次の関係が得られる 。 *1 dH = TdS + VdP (閉じた系) (7a) dG = - SdT + VdP (閉じた系) (3・49)(8a) dA = - SdT - PdV (閉じた系) (9a) 熱力学の基本式と合わせたこれら 4 式全体を熱力学の 熱力学の基本式と呼ぶ場合もある。これら式 の右辺はいずれも、P と V、S と T の組み合わせになっている(PdV あるいは VdP、TdS あるいは SdT)。これは以前に 5・1・1 で説明したように、示量性状態関数と示強性状態関 数の組み合わせである。熱力学ポテンシャルはいずれも示量性状態関数である。 各熱力学ポテンシャルが自然な変数の関数であると見なしたときの全微分の式と、上記 の基本式を比較することによって*2、直ちに次のような関係式が得られる。 (∂ U/∂ S)V = T、 (∂ U/∂ V)S = - P (3・45)(10a) (∂ H/∂ S)P = T、 (∂ H/∂ P)S = V (∂ G/∂ T)P = - S、 (∂ G/∂ P)T = V (11a) (3・50)(12a) (∂ A/∂ T)V = - S、 (∂ A/∂ V)T = - P (13a) さらに状態関数の微分が完全微分であるという性質から、次の Maxwell( マクスウェル)の 関係式(アトキンス表 3・5 参照)が得られる(アトキンス A2・6、関係式 4 を参照せよ)。 (∂ T/∂ V)S = -(∂ P/∂ S)V (3・47)(14) (∂ T/∂ P)S = (∂ V/∂ S)P (15) -(∂ S/∂ P)T = (∂ V/∂ T)P (16) (∂ S/∂ V)T = (∂ P/∂ T)V (17) これらの関係式のいくつかは、既に利用している。 7・2 熱力学的状態方程式(アトキンス 3・8) 熱力学の基本式 dU = TdS - PdV を dV で割り温度一定という条件を課すと、 (∂ U/∂ V)T = T(∂ S/∂ V)T - P (18a) が得られる(アトキンス根拠 3・4 参照) 。ここに Maxwell の関係式(17)を用いると、 *3 (∂ U/∂ V)T = π T = T(∂ P/∂ T)V - P (3・48)(19a) という関係が得られる。左辺の(∂ U/∂ V)T は 2・3・2 で出てきた内圧である。 同様に dH = TdS + VdP を dP で割り温度一定という条件を課すと、 (∂ H/∂ P)T = T(∂ S/∂ P)T + V (18b) が得られる。ここに Maxwell の関係式(16)を用いると、 *1 例えば、定義式 H = U + PV より、dH = dU + PdV + VdP なので、式(3a)を使って、dH = TdS + VdP という関係が得られる。 *2 例えば、dU =(∂ U/∂ S)VdS +(∂ U/∂ V)SdV と dU = TdS - PdV を比較することにより、(10a)の 関係が得られる。 *3 理想気体では(∂ U/∂ V)T = 0 なので、式(18)より P = T(∂ S/∂ V)T である。 - 125 - (∂ H/∂ P)T =-μ CP =μ T =- T(∂ V/∂ T)P + V (19b) という関係が得られる。左辺の(∂ H/∂ P)T は等温 Joule-Thomson 係数である。 この 2 式(19a)、(19b)を熱力学的状態方程式と呼ぶ。これらはそれぞれ定温下での内部 エネルギーの体積依存性、エンタルピーの圧力依存性を表す式で、任意の相にある任意の 物質に普遍的に適用できる式である。これらを使って重要で有用な関係を導くことができ る。2・3 で証明無しで与えたいくつかの関係を、この状態方程式を使って導いてみよう。 ① (19a)式に理想気体の状態方程式 PV = nRT を代入すると、 (∂ U/∂ V)T = T(nR/V)- P = 0 (20) 理想気体の内部圧が零であることが導かれる。同様に(19b)式に状態方程式を代入すると、 (∂ H/∂ P)T = - T(nR/P)+ V = 0 (21) となる。van der Waals の方程式 P = RT/(Vm - b)- a/Vm2 (1・21b)(22) を(19a)式に代入すると (∂ U/∂ V)T = T(∂ P/∂ T)V - P = RT/(Vm - b)- P = a/Vm2 (23) となる(アトキンス例題 3・6 参照)。ここで、a は分子間引力の効果を見積もるためのパラメ ータである。理想気体では a = 0 である。(23)式より dU =(a/Vm )dV 2 (等温、van der Waals 気体) (24) が得られる。 ② 定圧熱容量と定積熱容量の差を与える一般式を導こう(アトキンス補遺 2・2 参照)。 CP - CV = (∂ H/∂ T)P - (∂ U/∂ T)V = (∂ U/∂ T)P + P(∂ V/∂ T)P - (∂ U/∂ T)V (25) U = U(T, V)とおいたときの全微分の式 dU = (∂ U/∂ V)TdV +(∂ U/∂ T)VdT (26) を dT で割って圧力一定の条件を課すと、 (∂ U/∂ T)P = (∂ U/∂ V)T(∂ V/∂ T)P + (∂ U/∂ T)V (27) が得られる。上式を式(25)に代入すると、 CP - CV =[P +(∂ U/∂ V)T ](∂ V/∂ T)P (28) ここで、(∂ U/∂ V)T =π T、膨張率α=(1/V)(∂ V/∂ T)P を使って CP - CV = α PV + απ TV (2・56)(29) と書き直す。定圧熱容量と定積熱容量の差は、定圧過程で膨張仕事をするのに必要な熱量であるが*1、 これは同時に、系の圧力を一定に保つために系の体積を変えるための仕事であるとも解釈できる。そ の場合、上式の右辺第一項は、外圧に逆らって膨張する仕事を、第二項は内圧に逆らって膨張する仕 事(つまり、粒子間の引力に逆らって膨張するときの仕事)をそれぞれ表していると解釈できる。 理想気体の場合は(28)式の[ ]の中は P で、(∂ V/∂ T)P = nR/P なので、 CP - CV = nR (30) となるが、この特殊な場合については 2・4 で既に導出した。(28)式に熱力学的状態方程式 (19a)を代入すると *1(29)式を見ると、αが大きいほど CP - CV の差が大きくなることが分かる。これはαが大きいほど よく膨張するので、膨張仕事をするのに必要な熱量が多くなるからである。 - 126 - CP - CV = T(∂ P/∂ T)V(∂ V/∂ T)P (31) となる。さらに、アトキンス A2・6 の関係式 3 と 2 を使って(∂ P/∂ T)V を変形し、膨張 率αと等温圧縮率κ T =-(1/V)(∂ V/∂ P)T を用いて、 (∂ P/∂ T)V = -(∂ V/∂ T)P /(∂ V/∂ P)T = α/κ T (32) という関係が得られるので、 CP - CV = α VT/κ T (2・57)(33) 2 と書くことができる。つまり、任意の物質の定圧熱容量と定積熱容量の差を、その物質の 膨張率α、等温圧縮率κ T とに結びつけられることが分かる。 ③ 2・3・3 で考察した Joule-Thomson 係数μについて考えてみよう。 μ = (∂ T/∂ P)H = -(1/CP)(∂ H/∂ P)T (34) ここに、(19b)式を代入すると、 μ = [T(∂ V/∂ T)P - V]/CP = V(α T - 1)/CP (35) という関係が得られる。この関係からα T - 1 = 0 のときμがゼロになることが分かる が、α= 1/T は理想気体が満たす関係である(理想気体はμがゼロであることを 2・3・4 で 見た)。 α = (1/V)(∂ V/∂ T)P = nR/PV = 1/T (理想気体) (36) 以上少しの例ではあるが、状態関数間の関係式を導くことによって、注目する状態関数 に対する理解が深まることが分かるであろう。これは熱力学の重要な性質の一つである(7 ・4 参照)。 7・3 開いた系 いた系の熱力学関係式 この講義は、最初に指摘したように孤立系と閉じた系(、閉鎖系)を考察の対象としてきた。開いた 系(、開放系)の熱力学は後学期の「化学熱力学」で取り扱われる。開いた系では成分が変化するので、 開放系の式は成分 J の粒子数(あるいはモル数)NJ の変化による寄与の項を全成分について和を取り、 閉鎖系の式に付け加える必要がある。ここでは先に示した熱力学ポテンシャルを自然な変数の関数と 見なしたときの基本式を、開放系について書き直した式を与える。 熱力学ポテンシャル(定義式) 自然な変数 基本式 (非膨張仕事なし) 内部エネルギー S 、 V 、 NJ dU = TdS - PdV +Σ J μ J dNJ (3b) エンタルピー S 、 P 、 NJ dH = TdS + VdP +Σ J μ J dNJ (7b) T 、 P 、 NJ dG =- SdT + VdP +Σ J μ J dN T 、 V 、 NJ dA =- SdT - PdV +Σ J μ J dNJ (9b) U 、 V 、 NJ TdS = dU + PdV -Σ J μ J dNJ (37) (H = U + PV) Gibbs の自由エネルギー J (8b) (G = H - TS) Helmholtz の自由エネルギー (A = U - TS = G - PV) エントロピー - 127 - 同様に、 (∂ U/∂ S)V, NJ = T、 (∂ U/∂ V)S, NJ = - P (10b) (∂ H/∂ S)P, NJ = T、 (∂ H/∂ P)S, NJ = V (11b) (∂ G/∂ T)P, NJ = - S、 (∂ G/∂ P)T, NJ = V (12b) (∂ A/∂ T)V, NJ = - S、 (∂ A/∂ V)T, NJ = - P (13b) これまでの閉じた系では、熱平衡条件は外界との間に力学的、熱的に平衡が成立するこ と、つまり、圧力と温度が等しいことであった。開いた系ではこれに加えて外界との間に 質量的平衡、つまり系と外界との間の粒子の移動が見かけ上無い(、実際には出ていく粒 子と入ってくる粒子の数が等しい)状態が成立する必要がある。これは系と外界の化学ポ テンシャルが等しくなることによって成立する。以上をまとめると、二つの系 A と B が 熱力学的に接触しているとき、 力学的平衡条件*1 圧力 PA = PB 熱的平衡条件 温度 TA = TB 質量的平衡条件 化学ポテンシャルμ A =μ B である。 化学ポテンシャルμ J は熱力学の化学への応用(すなわち化学熱力学)において最も基 本的な状態関数であり、2 年後学期の「化学熱力学」で中心的な役割を演じる。化学にお いて重要な平衡問題として、「化学熱力学」で採りあげる相平衡と化学平衡があるが、こ れらは化学ポテンシャルに基づいて議論される。従って、 孤立系ではエントロピー 閉じた系では自由エネルギー 開いた系では化学ポテンシャル が系の変化を考えるときの基本となる状態関数である。そして、その根本は熱力学の第二 法則にあることを忘れてはいけない。閉じた系で自由エネルギーが最小のときは、宇宙の エントロピーは最大なのである。 7・4 熱力学の 熱力学の有効性と 有効性と限界 これで熱力学の基礎もおおよそ学び終えたことになる。内部エネルギー、エンタルピー、熱容量、 エントロピー、自由エネルギーなどの状態関数の性質と、熱や仕事とそれら熱力学ポテンシャルとの 関係を見てきたが、ここではこれまでのまとめとして、熱力学の有効性と限界について考えてみよう。 熱力学の有効性を列挙すれば次のようになる。 ①熱力学は系の詳細に立ち入らないので、すべての自然現象に適用できる強力な理論体系 である。 ②系の状態あるいは化学反応や相転移などの性質を状態関数を用いて記述することによ り、いま考えている系がどのような状態であるか、系に何が起こっているのかを明らかに することができる。現象を熱力学的に分析・解析できる。 *1 境界が平面でなく、表面張力が作用している場合には圧力は等しくない。ここでは力学的平衡のみ を考えたが、この他に電磁気的な力の平衡も考慮する必要がある。 - 128 - ③エントロピーあるいは自由エネルギーの符号により、任意の変化が自発的に起こるかど うかが分かる。何が可能で、何が不可能かが分かる。任意の温度における任意の変化のエンタ ルピー、エントロピー、自由エネルギー等の変化量は、標準生成エンタルピー、標準エントロピー、 標準生成自由エネルギー及び熱容量が既知であれば、計算によってそれらを見積もることが出来る。 ④エネルギー効率等の限界が分かる。それにより改良の余地があるかどうかが分かる。 ⑤数学的取り扱いをすることにより、(一見関係の無いような)いろいろな現象、物理量、 状態関数を結びつける関係式を導くことができる。その結果直接測定できないような物理 量を間接的に決定することができるし、自然現象全体の認識、理解を深めることができる。 しかし、熱力学は必要なことをすべて教えてくれるわけではない。反応がどのような速 さで起こるかは全く分からないし、反応の経済的側面についてもそうである。しかしなが ら、熱力学は可能なことを決定するので、理論の出発点となるのである。次のような反応 を考えてみよう。 NH3(g) + (7/4)O2(g) → NO2(g) + (3/2)H2O(g) NH3(g) + (5/4)O2(g) → NO(g) + (3/2)H2O(g) NH3(g) + O2(g) → (1/2)N2O(g) + (3/2)H2O(g) この反応のΔ rH とΔ rG は標準生成エンタルピーと標準生成自由エネルギーの値から計算 することができる(記述問題 27、69 参照)。その結果、もし反応が起こればどれだけの熱エ ネルギーが吸収あるいは放出されるか、反応が起こる可能性があるかないかが分かる。し かし反応の速さのことは熱力学では分からない。実際にどの反応が起こるか特定できない のである。一般的に言って、ある孤立系でエントロピーが増大する方向はいくつもあるし、 ある閉じた系で自由エネルギーが減少する方向もいくつもあるのである。 系の詳細に立ち入らないことは利点でもあり、欠点でもある。理論的予想をする体系と しては弱いし、問題解決をする具体的な方法論としても弱い。例えば、熱容量は熱力学に おいて大変重要な状態関数である(例えば、他の状態関数の温度変化を知るときに必要で ある)が、希ガス元素気体のモル定圧熱容量がなぜ 2.5 R になるのかは熱力学では説明で きない。あるいは、5・3 や 6・1 で考察した気相反応、液相反応、溶解度における自由エネ ルギーやエントロピーの値は熱力学のみでは理解でない。分子論的に(、統計力学的に) 見ることによって初めて理解できた。つまり、なぜそうなるかを理解するためには、系の 詳細に立ち入り、分子のレベルで考える必要があったのである。現象を熱力学的に解析す ることはできるが、つまり、何が起こっているかは分かる(これは重要なことである)が、 なぜそうなるかは熱力学では分からない。熱測定をすることによって、例えばエントロピ ーがどれだけ変化しているかは分かるので、これこれはエントロピー的に有利だから起こ る、というように熱力学的に説明はできる。しかし、さらに一歩踏み込んで、なぜそうな るか(なぜ、エントロピーが増大するのか)は分子論的に(=統計力学的に)考えなけれ ば説明できないのである。 - 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