インスリン製剤の 変遷をたどる

インス リ ン 製 剤 の 変 遷 を た ど る
インスリン製剤の
変遷をたどる
監修・執筆
発行
株式会社メディカル・ジャーナル社
粟田 卓也
TEL( 03)3265-5801( 代) FAX(03)3265-5820
埼玉医科大学内分泌・糖尿病内科
〒102-0073
東京都千代田区九段北1-12-4
序文 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インスリンの発見
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インスリン発見以前
治療薬としてのインスリンの誕生
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インスリンとノーベル賞
動物インスリンとハーゲドンの時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミニコラム
プロインスリンの発見
ヒトインスリンを目指して〜半合成ヒトインスリン製剤の開発〜
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒトインスリン遺伝子のクローニング
医学史の中でも特筆される出来事であるインスリンの発見から92年が経ちました。イ
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ンスリンは異例の速さで臨床に応用され、また異例の速さでその発見に対してノーベル
賞が授与されました。しかし、それはインスリン製剤開発の始まりに過ぎなかったので
インスリン遺伝子と糖尿病
す。インスリン治療は最も難しいホルモン補充療法です。過剰投与による低血糖を回避
新たなインスリンを求めて〜単量体インスリンの開発〜
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しながら、ダイナミックに変動する生理的なインスリン分泌を皮下注射で再現するため
に、次々と新しいインスリン製剤が開発されてきました。
インスリンの立体構造
インスリンの発見とその後の物語については、多くの著作で語り尽くされています。
超速効型インスリン製剤の誕生〜インスリンアナログの時代へ〜
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうした中、大きく進化してきたインスリン製剤にスポットを当てて、「インスリン製剤
の歴史をたどる」という企画をメディカル・ジャーナル社から頂き、2011年6月号から
インスリンスーパーファミリー
2013年5月号の約2年間にわたりDITNに連載することができました。連載では、主だっ
持効型溶解インスリン製剤の誕生
ミニコラム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ソモジー効果と暁現象
た製剤を(中には発売に至らなかった製剤もありますが)、開発の経緯を含めて紹介する
とともに、インスリンについての興味深い余談をミニコラムとして紹介しました。幸い、
好意的なご評価を頂き、今回、2013年8月号の
脂肪酸が付いた持効型溶解インスリン製剤の誕生・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミニコラム
妊娠とインスリンアナログ製剤
谷健先生、岩本安彦先生との鼎談を含め
て、若干の修正・加筆を加えて冊子として発行することになりました。私自身が医師に
なってしばらくして、待望のヒトインスリン製剤が発売されました。その頃には、その
後のインスリンアナログ製剤の隆盛は思いもよらぬものでしたが、インスリン製剤の進
新世代の持効型溶解インスリン製剤の誕生 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
化は今後も止まることはないでしょう。本書が糖尿病診療に携わる人に少しでもお役に
立てれば幸甚です。
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
ミニコラム
インスリン注入デバイスの変遷
DITN鼎談 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インスリン製剤の変遷をたどる〜過去、現在、そして未来〜
司
会
ゲスト
ゲスト
粟田 卓也先生(埼玉医科大学 内分泌・糖尿病内科)
谷 健先生(自治医科大学 名誉教授)
岩本 安彦先生(東京女子医科大学 常務理事・名誉教授)
平成25年10月吉日
1.インスリンの発見
図2 膵抽出物によるレナード・トンプソンの尿糖の変化
インスリンの発見
インスリンの発見
尿糖
(グラム)
220
インスリンの
200
180
160
140
120
はじめに
最初のインスリン治療はインスリンが発見された年の
たものの、膵管を縛って変性した膵臓を移植するという
100
新しい試みに興味を持ち、学生のベストが助手として加わ
80
り、1921年5月17日に実験が開始された。彼らにとって幸
治療薬としてのインスリンの誕生
60
40
治療薬として
翌年の1922年にさかのぼるが、90年を経た現在では日本
運なことに、1918 年に少量の血液からの血糖測定が可能
だけでも約100万人以上の糖尿病患者に使用されるに至っ
となっていた。膵管結索は当初はうまくいかなかったが、
ている。多くの糖尿病患者を死の淵から救ったインスリン
7月30日にようやく十分に変性した膵臓を取り出すことが
の発見物語とその後の発展の歴史は、医学史の中でも特筆
できた。予定していた移植は取りやめて、氷冷したリン
されるものとして大きな注目を集め、すでに多くの書籍・
ゲル液の中ですりつぶして得た膵臓抽出物を糖尿病犬に
膿瘍が生じた。しかし、1月23日にコリップの作った新し
では語尾のeは除かれていた(insuline→insulin)
。ミニコ
著述にまとめられている。
20
6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
1月
2月
The Canadian Medical Association Journal 1922年
投与してみたところ、血糖が200mg/dLから110mg/dLに
い抽出液をトンプソン少年に再度注射したところ、血糖
ラムにある糖尿病の飢餓療法で著名であったアレンも発
本連載では、動物インスリンからヒトインスリン、さら
まで低下した(図1)
。その後2匹の犬でも血糖降下作用を
は 520mg/dL から 120mg/dL まで下がり、尿糖はほとん
表を聞き、現代医学で最も偉大な功績の一つであるとし
にはインスリンアナログへと大きく進化してきたインスリ
確認し、彼らはその抽出物をアイレチン(isletin)と名付
ど消失した(図2)。さらに6人の患者に投与して良好な結
て賞賛した。
ン製剤にスポットを当てて、そうした 90 年にわたるイン
けた。マクラウド教授が夏期休暇で不在の間の出来事で
果を得られ、マクラウドは1922年5月にアメリカ内科学会
動物インスリンとハーゲドンの時代
スリンの歴史をたどり、患者、医療現場にもたらされたメ
あり、まさに真夏のトロントの奇跡であった。生化学者コ
で糖尿病患者の治療に有効な膵臓抽出物をバンティングと
リットやデメリット、さらには今後の展望を述べたい。
リップもチームに加わり、アイレチンの検討はさらに進め
ベストが名付けたアイレチンではなく、インスリンと命名し
られた。12月には変性した膵臓でなくともアルコールを用
て発表した。ミニコラムにあるように、すでにシェーファー
いて抽出できることもわかった。ちなみに、アイレチンを
がインスリンという名前を提案していたが、英文の綴り
トロントの奇跡
ペニシリンの発見などと並ぶ 20 世紀最大の医学上の発
見と言われるインスリンの発見は、1921年にカナダのトロ
1)マイケル・ブリス
(堀田饒訳): インスリンの発見. 朝日新聞社, 1993.
2)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
3)二宮陸雄 : インスリン物語. 医歯薬出版株式会社, 2002.
4)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
投与され 70 日以上も生存した膵全摘除犬マージョリーの
名は後に有名になる(写真1)
。
ントでなされた。主役となったのは、こうした偉大な発
1922 年 1 月 11 日にいよいよヒトの糖尿病に試すことに
見などしそうもないカナダのオンタリオ州の小都市ロン
なった。トロント総合大学に入院していた14歳のトンプ
ヒトインスリンを目指して
〜半合成ヒトインスリン製剤の開発〜
ドンの外科開業医フレデリック・バンティングであった。
ソン少年の両方のおしりに牛の膵臓からの弱酸性エタノー
1920年10月30日の夜、犬の膵管を縛れば外分泌細胞が萎
ル抽出液を 7.5 mL ずつ、合計 15 mL が注射されたが、最
縮・退化し、残った膵島細胞から糖尿病の血糖を下げる
初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に
内分泌物質が得られるのではないかとのアイデアを得て、
バンティングは11月7日にトロント大学 生理学のマクラウ
動物インスリン
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真1
ド教授と面会した。マクラウドはあまり乗り気ではなかっ
インスリン発見以前
糖尿病の病変の座が膵臓であることが判明したのは
尿病)の運命は過酷であった。発症後数年以内にケト
最近のことである。17世紀にブルンネルは膵臓の役割
アシドーシスによる昏睡で死亡し、3年以上生きながら
を調べるために犬の膵臓を切除する実験を行ったが、犬
えるのはまれであった。唯一の治療法はアメリカのア
たちは3カ月から1年も生きた。実際には膵管を切断す
レン(写真 3)が行った飢餓療法であるが、飢えによる
るのが手術の主な内容であったためらしいが、膵臓は不
死を選ぶか糖尿病による死を選ぶかのようなものであ
要な臓器であるとして、その後200年近く膵臓への関心
り、患者の寿命を数年延ばすのがせいぜいであった。
ヒトインスリン
〜半合成ヒトイ
は薄れることとなった。
糖尿病の歴史の中で大きなブレークスルーが、1889年
図1 糖尿病犬410号 1921年7月30日の血糖値
1921年7月30日
血糖値
(mg/dL)
300
250
200
1
3
7
9
11
1
3
5
7
9
実験における偶然の観察からもたらされた。彼らは膵臓
11 時
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
②②
200
②
210
②
②
ら尿糖を測定し重症糖尿病が発症していることを発見し
分泌される仮想ホルモンが糖尿病の原因になるとの推論
③
を発表し、それをインスリンと命名した。
110
医学部棟屋上のバンティング
(右)、
ベスト
(左)
と膵摘犬マージョリー
新たなインスリンを求めて
〜単量体インスリンの開発〜
インスリン製剤の変遷をたどる
遺伝子工学によ
膵臓の全摘出術を行ったが、著しい頻尿を認めたことか
の医学生であったランゲルハンスが発見した膵島から内
実験ノートから
4
の酵素が脂肪の消化に必要かどうかを調べるために犬の
た。1916年にイギリスのシェーファーは1869年に20歳
②
150
100
写真3
にミンコフスキー(写真2)とメーリングによる膵臓摘出
②変性した膵臓の抽出物5mLを静脈内に注入
③水200mLに溶かした糖20グラムを胃管を通して投与
5
写真2
インスリン発見以前の重症糖尿病患者(現在の1型糖
オスカー・ミンコフスキー
フレデリック・M・アレン
新たなインス
5
〜単量体イン
インスリン製剤の変遷をたどる
2.治療薬としてのインスリンの誕生
治療薬としてのインスリンの誕生
驚嘆した。その後、エリザベスは73歳で亡くなるまでイン
う低血糖やアレルギー反応などの副作用のみならず、イン
スリン注射を続け、法律家として活躍するとともに結婚し、
スリンの注射量と注射回数、食事とインスリン量のバランス
3人の子どもの母親ともなった。エリザベスの治療経過は、
などが、まず解決すべき点として浮き彫りになった。さら
インスリンの劇的な効果を示す実話としてアメリカ各地の新
に、インスリン治療により昏睡をまぬがれても、罹病期間が
聞記事で報道された。
長くなると網膜症、腎症、動脈硬化症が高頻度に現れてく
ることが明らかとなり、糖尿病治療の焦点は昏睡との闘い
熱狂を過ぎて
初期のインスリン製剤
インスリンの発見が新聞報道によって全世界に知られてか
に殺到した。今や、インスリンを大量生産する必要性は明ら
から慢性合併症との闘いに移ることとなった。
1924年3月に発行された「糖尿病のインスリン療法」という
インスリン治療が広まるにつれて、糖尿病性昏睡で死亡
書籍の中に輸入インスリンの広告があるが、100単位8円で
することはまれになり、アレンの飢餓療法は行われること
あり、教員の初任給が当時50円程度であったことを考えれ
はなくなった。糖尿病患者の寿命は延長し、エリザベス・
動物インスリンとハーゲドンの時代
ら、インスリンを懇願する手紙がバンティングやマクラウド
ばきわめて高価であった(写真3)
。
ヒューズのように、社会生活や結婚生活を享受することも
初期のインスリンは、精製が不十分で汚い茶色の外観を
可能になった。しかし、インスリンは糖尿病治療の問題点
かであったが、トロントの研究室ではうまくいかなかった。
していた。また、インスリン注射には、ガラスの注射器お
をすべて解決したわけではなかった。インスリン注射に伴
トロント大学は1922年5月、アメリカ・インディアナポリス
よび針を煮沸消毒して繰り返して使っていた(写真4)
。そ
のイーライ・リリー社にアメリカ大陸におけるインスリンの
のため、インスリン治療は煩雑で、太い針と製剤への不純
独占的製造許可を与えた。ほどなくして、家畜の膵臓から
物の混入のためかなりの痛みを伴っていた。それでも、イ
工業スケールの大量のインスリンが抽出可能となり
(写真1)
、
ンスリンによる治療は死の淵にあった多くの1型糖尿病患者
1923年の終わりには「アイレチン」の商品名で2万5,000人の
の命を救い、劇的に栄養状態を改善した(写真5)
。マイケ
ヒトインスリンを目指して
〜半合成ヒトインスリン製剤の開発〜
患者がインスリンの治療を受けるにいたった。インスリンの
ル・ブリスの「インスリンの発見」には、回復が特にすばら
製造はまたたくまにヨーロッパでも広まり、1923年に発売
しかった症例として、エリザベス・ヒューズ(写真6)のこと
されたノルディスク社の「レオ」
(写真 2)をはじめとして、
を細かく述べている。エリザベスはニューヨーク州知事か
多くの製薬会社がインスリン製剤を発売した。
ら最高裁判所長官にまでなったアメリカ政府要人の娘で
日本においては、1923年に日本の数カ所で「アイレチン」
あったが、1918年に1型糖尿病を発症した。アレン医師の
が輸入されて、インスリン治療が行われ始めたようである。
飢餓療法を忠実に守り、何度かの生命の危機を脱しては
いたが体重は減少する一方であった。ようやく、インスリン
写真2
写真1
の大量生産が可能となってきた8月15日にトロントにやっ
てきて治療を受けることができた。あと3日で15歳になる
ところであったが、極度にやせ衰え身長152 cmに対して
体重は20 kgしかなかった。ただちにインスリンを1日2回
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
1 mL ずつ注射したところ、すぐに尿糖が消失し、食事は
889kcalから翌週には2,200〜2,400 kcal、さらには2,500〜
インスリンレオ
(デンマーク発の
インスリン製剤)
1922年当時のアイレチン製造のため
に必要であったブタ膵臓の山。この
膵臓の山から手前のボトル1本分の
インスリンしか抽出できなかった。
2,700 kcalとなり、毎週1 kgずつ体重は増えた。秋にはすっ
かり元気で健康的な身体になり、映画やコンサート、さら
にはドライブや旅行にも出かけられるようになった。エリ
ザベスの驚異的な回復ぶりに、トロントを訪問した医師は
治療薬として
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)マイケル・ブリス
(堀田饒訳): インスリンの発見. 朝日新聞社, 1993.
2)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
3)二宮陸雄 : インスリン物語. 医歯薬出版株式会社, 2002.
4)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ, 講談社, 1996.
5)日本糖尿病学会 : 糖尿病学の変遷を見つめて 日本糖尿病学会 50年の歴史. 社団
法人日本糖尿病学会, 2008.
6)Diabetes Journal 編集委員会編 : 日本における糖尿病の歴史, 山之内製薬, 1994.
動物インスリン
インスリンとノーベル賞
奇跡の治療薬であるインスリンの発見は数々の栄誉を
線結晶学者ホジキンにより解明され、インスリンは構造
もたらしたが、1923年10月25日には最高の栄誉である
が確定した最初の蛋白質になった。インスリンのアミノ
ノーベル賞(医学生理学賞)が授与された。バンティング
酸配列が明らかになると、人工的にインスリンを作り出
はカナダ人としては最初の受賞者であった。受賞者はバ
そうとする研究が盛んに行われた。ロックフェラー研究
ンティングとマクラウドの2人と発表されたが、バンティ
所のメリーフィールドが開発した固相法によるペプチド
ングはベストが受賞できなかったことに憤慨し、賞金
合成機は、インスリンを画期的に早く合成できた。彼の
の半額をベストに分けると声明し、一方マクラウドはコ
固相法は核酸の合成にも利用され、1984年のノーベル
リップと折半すると表明した。2人はノーベル賞授賞式
化学賞を受賞した。また、ホルモン、ビタミン、酵素な
にも出席せず、そのあとに別々に行った受賞講演の中で
どの血液中の微量物質を測定する画期的手法として広く
も、互いの反目と不信をあらわにしている。しかし、受
用いられているラジオイムノアッセイ(RIA)は、ブロン
賞に漏れたベストは若くしてマクラウドの後任のトロン
クス在郷軍人病院放射線医学部門のバーソンとヤーロウ
ト大学生理学教授になり、また1941年に飛行機事故で
が、インスリン治療中の患者にインスリン抗体を発見し
亡くなったバンティングの後任としてバンティング・ベ
たことをきっかけに開発された。ヤーロウは1977年の
スト研究所所長も務め、1978年に亡くなるまでに研究
ノーベル医学生理学賞を受賞したが、残念なことにバー
者として卓越した業績を上げている。後に、ノーベル賞
ソンはその5年前に心臓発作で急死したため受賞できな
史編集委員会もベストにもノーベル賞が与えられるべき
かった。
ヒトインスリン
〜半合成ヒトイ
遺伝子工学によ
であったと発表した。
インスリンの発見という医学史上の一大
金字塔のあとも、その奇跡的な効果を解明
写真3
写真4
新たなインスリンを求めて
〜単量体インスリンの開発〜
写真5
写真6
しようとする研究は科学に多大な貢献をも
たらし、インスリンはノーベル賞の歴史にた
びたび登場した。ケンブリッジ大学のサン
ガーは、インスリンのアミノ酸配列を決定
バンティング
マクラウド
コリップ
サンガー
ホジキン
バーソン
し、蛋白質がアミノ酸の連結した確固たる
新たなインス
〜単量体イン
ベスト
化学構造を持つことを初めて示したことで、
1958年のノーベル化学賞を受賞した。イン
アイレチン発売当時の注射器(1923年)
大正時代のインスリンの
広告
6
スリンの立体構造は、1964年にノーベル化
インスリン投与前後の患者(1922年)
エリザベス・ヒューズ
(1907-1981)
超速効型インスリン製剤の誕生
インスリン製剤の変遷をたどる
学賞を受賞したオックスフォード大学の女性X
ヤーロウ
超速効型イン
7
インスリン製剤の変遷をたどる
3.動物インスリンとハーゲドンの時代
動物インスリンとハーゲドンの時代
写真5 レンテインスリン
写真6 市販された魚インスリン
年には無晶性ブタインスリンと結晶性ウシインスリンを混合
動物インスリン
した二相性インスリンである「ラピタード®」も発売された。
なお、日本ではもともと畜産が少なかったことと戦争のた
め、1941年から1968年まで、マグロなどの魚や鯨からイン
スリンが抽出され市販されていた(写真6)
。
高純度インスリンの開発と
ヒトインスリン製剤への期待
スリンの開発であった。尿糖の陰性化のためには1日に3〜
インスリン結晶の発見
4回の注射が必要であったが、当初のインスリンは酸性で
ヒトインスリンを目指して
〜半合成ヒトインスリン製剤の開発〜
処する余裕ができた。新しいインスリンの評判はすぐに高
結晶化によるインスリン純度の向上後もアレルギー反応
ヒトインスリン
〜半合成ヒトイ
発売当初のインスリン製剤は不純物の多いレギュラーイ
注射針も太く強い注射痛を伴った。また、皮肉なことに、
まり、アメリカの糖尿病治療の権威であったジョスリン
はなくならず、インスリン抗体が高頻度に検出されること
ンスリンといったものであり、90%以上が不純物であった。
インスリン純度の向上によりインスリンの作用時間は短縮し
(写真3)は、糖尿病治療の新時代として「ハーゲドンの時
が明らかになった。結晶化されたインスリン製剤でもプロ
そのため、局所の発赤・腫脹などのアレルギー反応が高率
た。インスリンの作用時間を延長しようとして、アラビア
に見られ、皮膚がやけどのようになったり
(insulin burns)
、
ゴム、レシチン、アドレナリンなどを混ぜることが試みら
皮下に無菌性膿瘍が生ずることもあったようである。
れたがうまくいかなかった。
インスリン純化のブレークスルーとなったのは、1926年の
ハーゲドンの時代
エイベルによるインスリンの結晶化の成功である(写真1)
。
インスリンなどの不純物を含むことが明らかになり(ミニ
代」が到来したと称賛した。
当初のプロタミンインスリンは使用前に緩衝液と混合し
コラム参照)、それらを除いたモノコンポーネント(MC)
なければならないという欠点があったが、カナダのスコッ
インスリンが主流になり、アレルギー反応やインスリン抗
トらが亜鉛を加えたプロタミン亜鉛インスリン(protamine
体によるインスリン抵抗性は減少したが完全にはなくなら
zinc insulin : PZI)を開発した。しかし、PZIは効果は長い
なかった。根本的な問題としてインスリンの種差があり、
インスリンの結晶には亜鉛が重要であるが、エイベルの成
デンマークのハーゲドンは、1918年に初めて実用的な血
ものの、吸収が不安定で重症低血糖を起こしやすいという
ヒトと比べて、ウシでは3個、ブタでは1個のアミノ酸が
功はたまたま使った容器に微量の亜鉛が入っていたためで
糖測定法をイェンセンと共同開発したのみならず、1923年
欠点があった。1946年にノルディスク インスリン研究所は
異なっており、ヒトインスリンを望む声は日増しに高まっ
あった。
にノルディスク インスリン研究所からヨーロッパ初のイン
インスリンとプロタミンが過不足なく結合して結晶を作る中
ていった。
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
持続性製剤の開発
もう1つのインスリン製剤の改良は、作用時間の長いイン
写真1 さまざまなインスリン結晶
スリン製剤を発売し、1932年に糖尿病治療中心のステノメ
間型インスリンを開発し、Neutral Protamine Hagedorn
モリアル病院を開設するなど国際的に注目されていた医師
(NPH)と命名した(写真4)
。一方で、やはりデンマークの
であった(写真2)
。1932年のクリスマス前後にハーゲドン
ノボ社が1953年に持続型亜鉛懸濁インスリン製剤「レンテ®」
は塩基性蛋白質に思い当たる。インスリンは酸性で溶けに
シリーズを開発した(写真5)
。プロタミンを含まないためア
くくなる性質があるが、塩基性蛋白質に結合させれば、中
レルギー反応が少ないという特徴があった。さらに、1959
遺伝子工学によ
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)トルステン・デッカート(大森安恵、成田あゆみ訳): ハーゲドン 情熱の生涯
理想のインスリンを求めて. 時空出版, 2007.
2)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
3)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
4)葛谷健 : 糖尿病の歴史(連載)
. 雑誌「肥満と糖尿病」, 丹水社.
5)後藤由夫 : 私の糖尿病50年. 創新社, 2009.
性の組織液で溶けにくくなるのではないかと考えた。ヒス
トンなども検討されたが、最終的にニジマスの精子から抽
プロインスリンの発見
出したプロタミンに到達した。
a
新たなインスリンを求めて
〜単量体インスリンの開発〜
ンインスリンに変更することにより
(朝夕の2回打ちの夕の
インスリンを変更)
、血糖の変動幅は大幅に縮小した(図1)
。
さらに、注射部位の痛みや炎症反応はなく、低血糖の回数
d
e
f
は減少し、起こったとしても症状の発現が緩やかであり対
dは正方晶系NPHインスリン結晶、eは菱面体系インスリン亜鉛結晶
葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
写真2
写真3
図1 プロタミンインスリンの最初の論文
写真4 NPHインスリン
5
6
7
8
9
日
4
36 24
36 24
36 22
36 22
32 20
インスリン単位 32 24
†
†
†
†
†
†
†
†
†
†
†
†
時刻
12 1824 6 12 1824 6 12 1824 6 12 1824 6 12 1824 6 12 1824 6
400
350
300
血
250
糖
値
200
(mg/dL)150
100
50
ハンス・クリスチャン・ハーゲ
ドン(1888-1971)
8
1.44
33
1.16
1.63
17
48
36歳, 女性
1.14
20
0.68
0.5
0.48
0
プロタミンインスリンは丸印で示す。レギュラーインスリンでは夜
間に血糖が低下し早朝に著明な高血糖となっているが、
プロ
タミンインスリンでは著明に改善し、1日尿糖量(g)
も著明に減
少した。
JAMA 1936; 106: 177-180.
ンスリン製剤の不純物の解析からプロインスリンを発見
されている。すなわち、小胞体でまずプレプロインスリ
した。インスリンを抽出する過程で出てくるグルカゴン
ンが合成され、ゴルジ装置を経てプロインスリンとして
やCペプチドなどは結晶化により除かれるが、プロイン
分泌顆粒(β顆粒)に入り、β顆粒内でインスリンとCペ
スリンおよびプロインスリンからインスリンへの中間生
プチドに分解されて、エクソサイトーシスにより膵島の
成物はインスリンと共結晶を作るために結晶化を繰り返
β細胞外に分泌される。成熟したβ顆粒ではインスリン
しても除けなかったのである。
はさまざまな形の結晶様構造を示し、その周囲に明るい
しかし、当初はインスリンを構成する A 鎖と B 鎖が
別々に合成されてからS-S結合で組み合わされるという
考え方もあった。インスリンが一本鎖の前駆ペプチドを
経て合成されることは、ほぼ同時期に2つのアプローチ
から解明されることになる。
写真7
図2
超速効型イン
〜インスリンア
シカゴ大学のスタイナーは(写真7)
、インスリン産生
エリオット・P・ジョスリン
(1869-1962)
持効型溶解インスリン製剤の誕生
インスリン製剤の変遷をたどる
現在では、インスリンの合成・分泌の詳細は明らかに
空隙が見られる(図2)
。
超速効型インスリン製剤の誕生
〜インスリンアナログの時代へ〜
アンモニア
尿糖
新たなインス
〜単量体イン
1936年の論文で、従来のレギュラーインスリンをプロタミ
c
b
腫瘍(インスリノーマ)の手術標本の解析からインスリン
前駆体の存在を1967年の論文に発表し、プロインスリ
ンと名付けた。一方、チャンスらは、1968年にブタイ
ヒト膵島の隣接したβ細胞(左)
とα細胞(右)
に見られるβ顆粒のインスリンとα顆粒のグル
カゴン
ドナルド・スタイナー
(1930-)
9
持効型溶解イ
インスリン製剤の変遷をたどる
4.ヒトインスリンを目指して〜半合成ヒトインスリン製剤の開発〜
ヒトインスリンを目指して
〜半合成ヒトインスリン製剤の開発〜
ヒトインスリン
〜半合成ヒトイ
とにより高い回収率でヒトインスリンを合成することに成
い。半合成インスリン製剤の開発が成功した頃、熾烈な競
功し(図2)
、1979年のNature誌に発表した。しかし、そ
争の末にヒトインスリン遺伝子もクローニングされた(ミニ
の後製剤化されることはなかった。一方、デンマークのノ
コラム参照)
。結局、半合成ヒトインスリンは、その頃に
ボ社はトリプシンを用いたペプチド転移反応法により、ブ
台頭してきた遺伝子工学の最初の応用として出てきたヒト
タインスリンのB鎖C末端のアラニンをトレオニンに直接
インスリン製剤にまもなく取って代わられることになる。
交換する方法を開発し、世界最初のヒトインスリン製剤
(半合成ヒトインスリン製剤:写真2)として1982年10月に
ヒトインスリン製剤が登場する前に使用されていたイン
スリンは、もっぱら家畜であるブタやウシの膵臓から抽出
していた。連載第3回( p 8 〜 9)で紹介したように、1970年
用がかかることもあり化学合成によるヒトインスリン製
発売を開始することになる。しかし、この手法では危惧さ
剤の作製は実用化には至らなかった。
れていた将来のインスリン不足を根本的には解消できな
1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
2)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
3)葛谷健 : 糖尿病の歴史(連載)
. 雑誌「肥満と糖尿病」, 丹水社.
ブタインスリンからの半合成
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
代に発売された高純度のインスリン製剤でもアレルギーや
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
遺伝子工学によ
抗体の産生はなくならず、ヒトの糖尿病にはヒトのインス
次に試みられたのは、ブタインスリンを改変してヒトイ
リンを使うべきだという声は高まっていった。また、家畜
ンスリンを作ることである。ウシインスリンがヒトインスリ
からのインスリン抽出では、糖尿病患者の増加により早晩
ンと3個のアミノ酸が異なっているのに対して、ブタイン
ヒトインスリン遺伝子は長さが約1,400塩基対、成熟
をスクリーニングすることによりラットインスリン遺伝
インスリンが足りなくなることも危惧されていた。しかし
スリンではB鎖C末端がヒトインスリンでのトレオニンか
mRNAにして400塩基対足らずの比較的小さな遺伝子
子(2種類あり、インスリンⅠ、インスリンⅡと呼ばれ
ながら、ヒト膵臓から抽出するわけにもいかず、人工的に
らアラニンに置換しているのみであり、ヒトインスリンへ
である。最終的にその全塩基配列は1980年に決定され
る)のクローニングを行いその塩基配列を決定した。ヒ
合成する方法がいろいろ試みられた。
の転換は比較的容易と考えられた。塩野義研究所の森原
たが、それにいたる経緯は単純ではなかった。学問的な
トインスリン遺伝子については、やはり UCSF のベル
和之(写真1)は、日本で単離された酵素アクロモバクター
興味はもとより、遺伝子操作技術で作るヒトインスリン
(写真4)
、ラッター、グッドマンらがヒトインスリノー
化学合成によるヒトインスリン
新たなインスリンを求めて
〜単量体インスリンの開発〜
サンガーが1956年にインスリンのアミノ酸配列とS-S結合
プロテアーゼにより、ブタインスリンのB鎖C末端のアラ
ニンを特異的に取り除いた後、トレオニンを結合させるこ
の位置を決定すると(連載第2回〔p 7〕ミニコラム参照)
、人
工のインスリンを化学的に作り出そうとする研究が競っ
て行われ、1960 年代にアメリカ、ドイツ、中国でほぼ同
図2
ヒトインスリン遺伝子のクローニング
の将来の需要を見込んで、激しい競争がなされた。
まず、膵臓より抽出したメッセンジャーRNAよりの
cDNA(相補鎖DNA)
クローニングが試みられたが、膵臓
のβ細胞含量が微量であること、また膵臓はRNA分解
酵素が豊富であることより困難をきわめた。 カリフォ
時に独立して最初の化学合成が報告された。インスリン
ルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のウールリッヒ、
は、アミノ酸がそれぞれ 21 個と 30 個の A 鎖、B 鎖と 3 個
ラッター、グッドマンらは、膵臓をコラゲナーゼ処理後
のS-S結合でできている。そのため、合成したA鎖とB鎖
に密度勾配遠心により膵島を濃縮し、また強力なRNA
の混合物を空気酸化することにより作られた。しかし、ア
分解酵素阻害薬であるチオシアン酸グアニジンによる
超速効型インスリン製剤の誕生
〜インスリンアナログの時代へ〜
ミノ酸がつながったペプチドの合成に多大な手間がかかる
RNA抽出法を開発することによりこれらの難点を克服
とともに、6個のSH基がいろいろな組み合わせで結合する
し、ラットインスリン遺伝子(cDNA)のクローニングに
可能性があるので(図1)
、インスリンの収量は2%程度と
初めて成功した。やや遅れて、ハーバード大学のギル
少なかった。その後、ペプチド合成はメリーフィールド
バート(塩基配列決定のマキサム-ギルバート法で名高
の固相法により画期的に効率的になり、S-S結合形成の効
く1980年にノーベル化学賞をサンガーと同時に受賞;
率も 50 %以上に向上したが、多数の合成過程が必要で費
写真3)らはラットインスリノーマ細胞よりRNAを抽出
新たなインス
〜単量体イン
マ細胞からまずcDNAクローンを単離し、その後ヒトゲ
ノムライブラリーよりヒトインスリン遺伝子をクローニ
ングし塩基配列を決定した(図3)
。
図3
超速効型イン
〜インスリンア
しcDNAクローニングに成功した。その後、両グループ
t 保護基)
ブタインスリンからヒトインスリンへの酵素変換(Bu:
図1
は得られたcDNAをプローブとしてゲノムライブラリー
写真3
写真1
写真4
写真2
持効型溶解インスリン製剤の誕生
インスリンの化学合成で生じる種々の
S-S結合の例(一番上が正しい組み
合わせ)
10
ウォルター・ギルバート
(1932-)
森原和之(1926-)
脂肪酸が付いた
インスリン製剤の変遷をたどる
持効型溶解イ
グレエム・ベル
1980年3月6日のNature誌に発表されたヒトインスリン遺伝
子の塩基配列(3個のエクソンと2個のイントロンで構成され
アミノ酸配列はエクソン2とエクソン3にコードされる)
半合成ヒトインスリン製剤
脂肪酸が付い
11
インスリン製剤の変遷をたどる
5.遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
ルリッヒらは、ヒトインスリンの作製で先を越されたあとで
た。その前に発売されていたモノコンポーネントインスリ
ジェネンテク社に移ることになる。1979年末に、ウルリッ
ンの純度は高く、ヒトインスリン製剤の登場により糖尿病
ヒは大腸菌でのヒトインスリン遺伝子(cDNA)の発現に成
治療が著しく改善することにはならなかったが、遺伝子組
功する。その後、イーライリリー社はヒトインスリン遺伝子
み換え技術でのヒトインスリンの出現は、インスリン製剤
を組み込んで作成したプロインスリンから二本鎖ヒトイ
開発の終焉ではなく新たな始まりであった。皮下注射によ
ンスリンを作製する方法に切り替えている。一方、ノボ ノ
るインスリン投与という制約のために、ヒトインスリンで
ルディスク社は独自のミニプロインスリン遺伝子をパン酵
は生理的なインスリン分泌を模倣することは困難であり、
遺伝子工学によ
動物インスリン製剤では、もっぱらブタとウシの膵臓か
鎖とB鎖をS-S結合で組み合わせることで、8月下旬にヒト
母で発現させることにより、ヒトインスリンの大量生産を
新たなインスリン製剤を開発する必要性が明らかとなって
らインスリンが抽出されていたが、インスリンを産生する
インスリンを作成することに初めて成功した。その時の収
行っている。
いった。
新たなインスリンを求めて
〜単量体インスリンの開発〜
β細胞は少なく、1人の糖尿病患者が1年間に使用するイ
量はわずかに 20 ng であったが、9 月 6 日にシティ・オブ・
ンスリンをまかなうには約70頭のブタを必要とした。糖尿
ホープで記者会見が行われ、遺伝子工学の初の実用化とし
病患者は増加しつつあり、遅からず危機的な状況が到来す
て世界中に報道された(図1)
。
ることが危惧されたが、1970年代になって飛躍的に進歩し
世界初のインスリン製剤「アイレチン」を発売したイーライ
た遺伝子工学技術が救いとなった。遺伝子組み換えによる
リリー社は(連載第2回〔p 6 〜 7〕
)ヒトインスリン作製の成
ヒトインスリンが激しい競争の末に、数年の間に製品とし
功が明らかとなった翌日にジェネンテク社と契約し、改良
て発売されることになる。それは、新たな遺伝子工学産業
されたプラスミドを用いて大腸菌の大量培養によるヒトイ
の先駆けでもあった。
ンスリン製剤の生産を開始した。製剤化に当たっては、特
人工遺伝子によるヒトインスリン製剤
に大腸菌由来の不純物を除くことに細心の注意が払われた
フォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のグッドマン
番目に重要な1型糖尿病感受性遺伝子であることが判明
(Humulin®)
」として発売された(写真2)
。日本では1985年
した。日本人ではこの部位はほとんどがクラス1であるた
年にグレエム・ベルらによりヒトインスリン遺伝子が同
め解析が困難であったが、国内多施設共同研究により筆
定されると(連載第4回ミニコラム〔p11〕
)
、糖尿病の遺
者らは日本人 1 型糖尿病との関連を明らかにしている
伝素因における役割が実際に検討されることとなった。
(J Clin Endocrinol Meteb 誌、2007年)
。関連の理由と
糖尿病の遺伝因子研究の歴史において、インスリン遺伝
して、胸腺におけるインスリン(プロインスリン)に対
子は主役ではないものの三たび登場するに至っている。
する免疫寛容への多型の影響が示唆されている。
の少し前の1976年にUCSFの別のグループのボイヤーは
フェロンなどの医薬品が続々と登場することになる。
プロインスリンを介したヒトインスリン製剤
チャー企業ジェネンテク社を創設した。ボイヤーらはその
ハーバード大学のギルバート研究室は、1978年5月にラッ
当時規制が厳格であったヒト遺伝子そのものの使用を避
トインスリン遺伝子(cDNA)のクローニングと大腸菌での
けて化学合成した DNAを、自らが開発したプラスミド
発現に成功しヒトインスリンの作成を目指していたが、ジェ
pBR322に組み入れて大腸菌の中で発現させることを試み
ネンテク社の記者会見を聞いて落胆することとなった。
持効型溶解インスリン製剤の誕生
ることにし、DNAの化学合成に卓越したシティ・オブ・
一方、遺伝子組み換え実験の規制が緩いフランスで、ヒ
ホープ国立医療センターのリッグスと板倉啓壱(写真1)に
トインスリン遺伝子のクローニングを行っていたUCSFのウ
協力を求めた。
図1
写真2
らなるソマトスタチンの発現に成功
によるペプチド合成として 1977 年
脂肪酸が付いた
持効型溶解インスリン製剤の誕生
に発表した。ヒトインスリン合成プ
ロジェクトは翌年早々に開始され、
1978 年 8 月には合成した 63 個のヌ
クレオチドからなるA鎖DNAと90
ンスリン遺伝子変異が発見された。ごく最近の2007年
インスリン遺伝子変異が明らかとなった。患者は変異の
のことであるが、永続型の新生児糖尿病において2番目
ヘテロであり、正常なインスリンが半分しかないため健
に多い変異であることがその後判明し、まれではあるが
常者の2倍のインスリン分泌を強いられ、その他の発症
MODY(若年発症成人型糖尿病)と呼ばれる病型や自己
要因も加わり発症するものと考えられている。日本でも
免疫陰性の1型糖尿病などにおいても同定されている。
筆者を含めて数種類の変異の報告はあるが、きわめてま
構造異常のプロインスリンが小胞体に蓄積することによ
れな疾患である。
りβ細胞がアポトーシスを起こすことなどがその病因と
次に、インスリン遺伝子上流の多型と1型糖尿病との
持効型溶解イ
考えられている。
図2
伝子の約 400 ヌクレオチド上流に著
写真3
脂肪酸が付い
持効型溶解イ
明な多型が存在することが、やはりベ
ルにより1982年に報告された。この部
位は繰返し配列であり、その長さによ
りクラス1、クラス2、クラス3に分類
リン遺伝子発現への影響が考えられ、
インスリン合成を伝える新聞記事
組み換えDNAによる最
初のヒトインスリン製剤
新世代の
持効型溶解インスリン製剤の誕生
インスリン製剤の変遷をたどる
れる糖尿病症例が1979年以来報告され、1983年以降に
位に近接していることから、インス
板倉啓壱
別々に作ることができた。その後は、
12
最後に、生後すぐに発症する新生児糖尿病においてイ
される(図2)
。この多型は転写調節部
個のB鎖DNAをプラスミドpBR322
連載第4回(p 10 〜11)でも述べたA
超速効型イン
〜インスリンア
まず、異常インスリンや異常プロインスリンが分泌さ
関連が明らかとなった。インスリン遺
し、世界で初めての組み換え DNA
に組み入れて大腸菌でA鎖とB鎖を
注目された。しかし、イギリスのジョン・トッド(写真3)
あるのではないかと考える人も少なくなかった。1980
医薬品であったが、同じ技術により成長ホルモン、インター
写真1
インスリンは血糖を下降させる唯一のホルモンである
ではインスリン遺伝子、あるいはその調節領域に異常が
ンスリン遺伝子(cDNA)のクローニングに成功するが、そ
彼らはまず、14 個のアミノ酸か
インスリン遺伝子と糖尿病
カ食品医薬品局)で認可され、1983年から「ヒューマリン®
に認可された。遺伝子組み換え技術により作られた最初の
われて、遺伝子組み換え技術の臨床応用を目指したベン
用されるインスリンのほとんどがヒトインスリン製剤となっ
らによる白人における詳細な解析により、HLAに次ぐ2
が、1980年からの臨床治験を経て、1982年にFDA(アメリ
研究室とハーバード大学のギルバート研究室が、ラットイ
サンフランシスコの投資会社で働いていたスワンソンに誘
ヒトインスリンが製剤化されると、またたく間に臨床に使
1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
2)葛谷健 : 糖尿病の歴史(連載)
. 肥満と糖尿病. 丹水社.
3)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
4)ロバート L シュック : 新薬誕生 100 万分の1に挑む科学者たち. ダイヤモンド
社, 2008.
ため、ヒトインスリン遺伝子が同定される前から、糖尿病
超速効型インスリン製剤の誕生
〜インスリンアナログの時代へ〜
連載第 4 回ミニコラム( p 11)で紹介したように、カリ
新たなインス
〜単量体イン
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新たな時代の幕開け
当初は2型糖尿病との関連の可能性が
ジョン・
トッド
ヒトインスリン遺伝子およびその上流の多型性部位
Diabetes 1984; 33: 176-183.
新世代の
13
持効型溶解イ
インスリン製剤の変遷をたどる
6.新たなインスリンを求めて〜単量体インスリンの開発〜
新たなインスリンを求めて
〜単量体インスリンの開発〜
X10インスリンとインスリン製剤の安全性
モナコでの国際会議のあと、すでに遺伝子組み換えヒト
インスリン製剤を発売していたノボ ノルディスク社とイーラ
イリリー社が中心となって単量体インスリンの開発が進めら
インスリンアナログ製剤開発の幕開け
新たなインス
〜単量体イン
おける生物活性もヒトインスリンよりも高いことが注目さ
れ、臨床応用が進められていった。しかし、長期投与した
ラットに乳腺腫瘍の発生が見られたため、臨床試験は急遽
中止になった。
ヒトインスリンと比べて、X10インスリンはインスリン受容
れていった。先行したのはノボ ノルディスク社であった。
体からの解離が悪くIGF-1受容体への親和性が高い。その
1988年のNature誌には、デンマーク・ノボ研究所のブレン
ために細胞増殖活性が高いことが腫瘍発生の理由と考えら
学技術により多くの改変インスリン、すなわちインスリンア
ジらにより、B鎖9、10、12、26、27、28番目のいずれかの
れている。X10インスリンの開発中止はインスリン製剤開発
ナログが作製されることになった。
アミノ酸を置換したインスリンアナログでは、皮下吸収が
の歴史のなかで大きな教訓を与えた事例として重要であ
超速効型インスリン製剤の誕生
〜インスリンアナログの時代へ〜
超速効型イン
〜インスリンア
1980年代前半の遺伝子工学技術によるヒトインスリン製
ちなみに、世界で最初に報告された異常インスリン症例
ヒトインスリンよりも格段に速いことが報告され、1990年の
り、その後のインスリンアナログ製剤の開発では、その安全
剤の生産は、安定したインスリンの供給を可能にした点で
の1982年の報告では、B鎖25位のフェニルアラニンがロイ
Diabetes Care誌には、さらに多数のインスリンアナログ
性について、さらに細心の注意が払われることになった。
は大きな進歩であったが、臨床的にはさほど大きなメリッ
シンに置換した異常インスリンが化学的に合成され、活性の
の結果がまとめられている(図2)
。このなかで、亜鉛イオ
トはもたらさなかった。ヒトインスリンの皮下注射では、生
低下が検証されている。
ンが結合するB鎖10番目のヒスチジンを、アスパラギン酸
理的なインスリン分泌を再現できないことが明確となり、
に置換したインスリンアナログ(AspB10インスリンあるいは
インスリン6量体
遺伝子組み換えによる新たなインスリンを作ることで、その
X10インスリン)は、皮下吸収が速いだけでなく脂肪細胞に
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
2)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
3)ロバート L シュック : 新薬誕生 100 万分の1に挑む科学者たち. ダイヤモンド
社, 2008.
連載第2回ミニコラム(p7)で紹介したように、インスリ
点を克服する試みがなされることとなった。インスリンアナ
ンのアミノ酸配列は、サンガーらにより1955年に解明され
ログ製剤開発の幕開けである。
インスリンの立体構造
たが、図2に示すように、A鎖とB鎖、3個のS-S結合で構
新たなインスリンの必要性
成された分子量が6,000にも満たないペプチドである。イ
持効型溶解インスリン製剤の誕生
インスリンの立体構造の決定は、ホジキン(写真)、
している(図3)
。その中心線は3回回転軸と一致してお
持効型溶解イ
ヒトインスリンは高濃度の状態では、6 量体を形成する
ンスリンの立体構造は、1969年に最初のインスリン結晶モデ
性質がある。皮下注射で投与した場合は、皮下組織でし
ルが作られたが(ミニコラム)
、インスリンは高濃度の溶液
ブルンデルらによりX線結晶解析を用いて35年の歳月
り、この軸に沿って上下に亜鉛が約1.5 nm離れて配置
だいに希釈されることで解離し、分子量が小さい2量体あ
中では亜鉛イオンとともに6量体を形成する。インスリン分
をかけて成しとげられたが、蛋白質構造研究の歩みその
されている。インスリン2量体の1つは上の亜鉛と、他の
るいは単量体になってから毛細血管から血中に吸収される
子のB鎖C末端部分は、逆平行βシート構造を形成する性
ものでもあった。
1つは下の亜鉛とB鎖10番目のヒスチジンで結合し、各
(図1)
。したがって、速効型インスリンといっても、生理的
質があり、別のインスリン分子と水素結合により2量体を
連載第3回(p 8 〜 9)で述べたように、インスリンの結
亜鉛原子はインスリン3分子と結合している。インスリ
形成する。さらに、2つの亜鉛イオンとともに2量体が3個
晶は1926年にエイベルによって初めて得られたものの
ン単量体では、B鎖は右のN末端のフェニルアラニンか
集まり安定した6量体を形成する。
収量が十分ではなく、1934年にスコットによりインス
らゆるいカーブをなして分子中央部に3回転のαヘリック
インスリン分子の2量体および6量体形成に関与するアミ
リンの結晶に微量の亜鉛が必要であることが発見され、
スを形づくる。それから鎖は曲がって左上方へとβ構造
とWHOが共同で開催した国際会議において、ヒトインスリ
ノ酸部位は三次元構造解析から明らかにされている(図2)
。
同年にホジキンらによりインスリン結晶のX線回折写真
が伸びている。A鎖はU字型構造をしており、S-S結合
ン製剤の限界を克服するためには、食後の生理的なインス
なお、亜鉛イオンは、B鎖10番目のヒスチジンに結合する
が撮影された。その結果、インスリンの結晶は蛋白質結
でB鎖と連結されている。すでに述べたように、インス
リン分泌動態をより模倣でき、かつ食事直前に注射できる
が、モルモットなどの一部の齧歯類ではこの部位がアスパ
晶であることが明らかとなり、当時蛋白質は不安定なコ
リン2量体形成の際には、インスリン2分子のB鎖のC
ような単量体インスリンが必要であることが提言された。
ラギンに置き換わっているために6量体を形成せず、結晶
ロイドであるという考え方が強かったため、大センセー
末端部のアミノ酸残基が互いに逆平行βシート構造を形
ちょうど、その数年前から、人工的に導入した遺伝子変異
も生じない。
ションを巻き起こしたと伝えられている。その後、大き
成し、両者の間にいくつかの水素結合が作られる。
な食後のインスリン追加分泌と比較して、その作用のピー
クは遅く持続時間も長い。
1985年にモナコで行われた国際若年糖尿病財団(JDF)
脂肪酸が付いた
持効型溶解インスリン製剤の誕生
によって改変した蛋白質を作製する技術(蛋白質工学)が確
な進展はなかったが、1955年にインスリンの1次構造
立してきたところであり、インスリンについても、蛋白質工
(アミノ酸配列)の決定により、大きな手がかりがもた
脂肪酸が付い
持効型溶解イ
図3 インスリンの立体構造
らされ、それから14年をかけて、1969年にインスリン
図1 インスリンの吸収
s
Gly Ile Val Glu Gln Cys Cys Thr Ser Ile Cys Ser Leu Tyr Gln Leu Glu Asn Tyr Cys Asn
1
皮下組織
2
3
4
5
6
Glu
10−3
10−4
10−5
2量体
6量体
10−8
単量体
?
毛細血管
Diabetes Care 1990; 13: 923-954.
14
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19 20
Ser
Glu
21
NH2- Phe Val Asn Gln His Leu Cys Gly Ser His Leu Val Glu Ala Leu Tyr Leu Val Cys Gly Glu Arg Gly Phe Phe Tyr Thr Pro Lys Thr
1
2
3
4
5
His Ser
Asp
6
7
8
9
10
Asp Asp
His Arg
Asn Thr
Glu
Asn
11
12
13
14
Ile Gln Ser
Glu
15
16
17
His Gln
Glu Asp
18
19
20
Gln
21
22
Glu
23
24
25
26
27
28
29
B鎖
S
写真
N末端
S
鉛イオンが2個含まれる結晶
新世代の
持効型溶解イ
Zn
S
インスリン6量体当たり亜
s
3.5nm
2量体の
中央を通る
2回回転軸
Zn
5.0nm
S
2量体
間の軸
インスリン6量体
C末端
30
Asp Glu Glu Asp
His
Arg
His
印内のアミノ酸はヒトインスリン配列、下に示したものは置換されたアミノ酸。
●:2量体形成に関与するアミノ酸、 :6量体形成に関与するアミノ酸、
↓:インスリン受容体結合に関与するアミノ酸。
Diabetes Care 1990; 13: 923-954.
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
インスリン製剤の変遷をたどる
れた。
s Asp
s
Glu Asp
Ser
Zn2+
8
s His
B鎖
インスリン濃度
(M)
7
S
N末端
C末端
より詳細な立体構造が決定さ
-COOH
A鎖
S
本の研究室も加わって、分解能が徐々にひき上げられ、
新世代の
持効型溶解インスリン製剤の誕生
s
3回回転軸
の立体構造が初めて明らかにされた。その後、中国と日
図2 インスリンの1次構造(アミノ酸配列)
A鎖
亜鉛で安定化されている
インスリン6量体
インスリンのA鎖とB鎖
(2亜鉛インスリン)は、2量体
生物活性に重要な部分
が 3 個集まった構造をとり、
内径約 1 nm、外径約 5 nm、
厚さ約3.5 nmのドーナツ型を
ドロシー・ホジキン
丸山工作 : 新インスリン物語.東京化学同人.1992.
理想的な二相性イ
15
インスリン製剤の変遷をたどる
7.超速効型インスリン製剤の誕生〜インスリンアナログの時代へ〜
超速効型インスリン製剤の誕生
〜インスリンアナログの時代へ〜
のと思われた。その後、イーライリリー社は多くの症例で
®
®
の臨床試験を経て、1996年にヒューマログ (Humalog )
可能となった。また、速効型インスリンで認められること
の商品名で世界最初のインスリンアナログ製剤の発売にこ
が少なくなかった食間や夜間の低血糖も減少することと
ぎつける。日本では2001年に発売が開始された(写真)
。
なった。しかし、インスリン治療中の患者にとっての大き
な福音は、超速効型インスリンでは速効型インスリンのよ
超速効型インスリン製剤のラインナップ
うに皮下注射後に食事を30分〜45分待つ必要がなくなっ
X10インスリンの開発を中止したノボ ノルディスク社
いる(ミニコラム p 17 参照)
。IGF-1はプロインスリンと同
インスリンと IGF-1
連載第6回( p14 〜 15)で紹介したように、先行していた
も、B鎖28位のプロリンをアスパラギン酸に置換したイン
®
生活が可能となったのである。
スリン アスパルトの臨床開発に成功し、ノボラピッド の
しかし、1型糖尿病患者などで、従来の毎食前の速効型
D鎖があるという違いはあるが、A鎖とB鎖では約50%の
商品名で、1999年に発売を開始した。皮下吸収はインスリ
インスリンが超速効型インスリンに切り替わることで、基
ン リスプロとほぼ同様に迅速であり、これらのインスリ
礎インスリン分泌補充に用いられていたNPHインスリン
ンは超速効型インスリンと呼ばれることになった。
の限界がさらに明白となった。超速効型インスリンの持続
アミノ酸が一致し、S-S結合も同様に認められる(図2)
。
腺腫瘍の発生を認めたために臨床開発が中止された。一
インスリン リスプロの誕生
方で、イーライリリー社も単量体インスリンの開発を進めて
1986年に、イーライリリー社のチャンスらはインスリン
いた。ヒントになったのは、イーライリリー社で行っていた
時間が短いことで、NPHインスリンの持続時間の短さや
フィ社)から3番目の超速効型インスリン製剤であるイン
効果の不安定性のために血糖コントロールがむしろ悪化す
®
スリン グルリジン(商品名アピドラ )が発売された。
B鎖28位のプロリンと29位のリジンに注目する。IGF-1で
factor 1)の開発である。IGF-1は成長ホルモンの刺激によ
はこの部位が逆になっている。つまりリジン-プロリンに
なお、欧米のレギュラーインスリンは日本では速効型イ
り主に肝臓から分泌されるが、その立体構造はインスリン
なっているが(図2ではK-P:K、Pはそれぞれリジン、プ
ンスリンと呼ばれており、日本の超速効型インスリンは欧
およびプロインスリンと非常に似ている(図1)
。インスリン
ロリンの1文字表記)
、自己凝集性がほとんど認められない。
米では速効性のインスリン(rapid-acting insulin)として位
脂肪酸が付いた
持効型溶解インスリン製剤の誕生
とIGF-1は同じ祖先遺伝子から進化したものと考えられ、
インスリンでも、この部位をリジン-プロリンとすること
IGF-2などとともにインスリンスーパーファミリーと呼ばれて
で、自己凝集が抑制された単量体インスリンを作れるので
はないかとの仮説のもとに、スーパーコンピュータによる
分子構造解析と実際にこの部位を置換したインスリンアナ
持効型溶解イ
また、2004年には、サノフィ・アベンティス社(現サノ
遺伝子組み換えによるヒト IGF-1(Insulin-like growth
図1 インスリンスーパーファミリーの立体構造
たことである。インスリンに振り回されない自由度の高い
様にCペプチド(C鎖)でつながっており、A鎖につながる
持効型溶解インスリン製剤の誕生
単量体インスリンであるX10インスリンは、動物実験で乳
超速効型イン
〜インスリンア
インスリン製剤の登場により、より良い食後血糖の制御が
置づけられていることに注意する必要がある。
糖尿病治療の新たな時代へ
生理的な食後のインスリン分泌の再現に優れた超速効型
る症例も多く、新たな持続性インスリンアナログを求める
声は強まっていった。
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
脂肪酸が付い
持効型溶解イ
1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
2)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
3)ロバート L シュック : 新薬誕生 100 万分の1に挑む科学者たち. ダイヤモンド
社, 2008.
4)Chance E(金澤康徳監訳): インスリンリスプロの開発と製剤化. Diabetes
Frontier 2001; 12(Suppl): 4-8.
ログの解析により、最終的にB鎖28位がリジンであり29位
がプロリンであるインスリンアナログ(一般名:インスリン
リスプロ)が望ましい性質を持っていることが確認された。
B鎖
ヒトインスリンと比べて、インスリン リスプロの2量体
A鎖
形成能は約1/300であり、皮下注射したインスリンの吸収
インスリン
プロインスリン
新世代の
持効型溶解インスリン製剤の誕生
される時間が約1/2であるため、作用の発現が速やかであ
新世代の
持効型溶解イ
インスリンスーパーファミリー
り持続時間も短い。X10インスリンで認められたような腫
瘍発生のリスクも認められなかった。ヒトインスリンとア
ミノ酸組成が同じであり、B鎖C末端部の3つのアミノ酸配
IGF-1
列が自然界に存在するIGF-1と同一である点も好ましいも
IGF-2
丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.
写真
図2 IGF-1の1次構造(アミノ酸配列)
V N Q H
NH2
S H
G P E T
E
L C G A E L
B鎖
V D A L Q F V
Q
E
C
E
D
V
A鎖
I
G
S
T
R 50
S I
Q
Y C
M
A
60
E
P
N
L
L
COOH
C
R
D
L R Q
S
Y
40
C
G
10
T
D鎖
A
70
20
D E
R
G
K
F
S K A P
Y F
Q P A R R S S S G Y G T P K N
K P
IGF-1、IGF-2、リラキシンがそれに属するが、軟体動
IGF遺伝子は原始インスリン遺伝子より脊索動物で見ら
物などに見られるインスリン様ペプチド(ILP)
、あるい
れるような ILP を経て生じ、その後遺伝子重複により
は蚕のホルモンであるボンビキシンもその一員であると
IGF-1遺伝子、IGF-2遺伝子に進化したことが推測され
考えられている。これらの物質の構造は類似しているが、
ている(図3)
。
見られる。すなわち、IGFの前駆体はC末端側に余分な
図3 想定される原始インスリン遺伝子からIGF-1、IGF-2遺伝子
への進化
D鎖、E鎖を含むP-B-C-A-D-Eの構造をとり、最終産物
では一本鎖のポリペプチドB-C-A-Dとなる。
興味深いことに、軟体動物のILPでは前駆体にD鎖、
S
B C
C
A
S
B C
C
A D
E
S
B
C
A D
E
S
B
C
A DE
理想的な二相性イ
〜配合インスリン
原始インスリン
E鎖はなく最終産物ではC鎖が除かれることからインス
ず、インスリンと同様にC鎖が除かれる。このことから、
Biopoly 1997; 43: 339-366.
インスリン製剤の変遷をたどる
在のインスリン遺伝子と似た構造を持ったこと、原始
ILP
原始IGF
では前駆体にIGFと同様D鎖、E鎖を持つにもかかわら
T
インスリンの対応するアミノ酸残基で、IGF-1と異なるものは青字で示す。
16
ミリーは動物界に広く存在し、脊椎動物ではインスリン、
リンと類似するが、脊索動物であるナメクジウオのILP
F Y
30
C鎖
スリン遺伝子は、軟体動物のILPに反映されるように現
インスリンとIGF(IGF-1、IGF-2)との間には相違点も
Y L
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
C F
インスリン様物質、すなわちインスリンスーパーファ
最初のインスリン
アナログ製剤
進化のかなり古い段階で発生したと想定される原始イン
E
IGF-1、IGF-2
Proc Natl Acad Sci USA. 1990; 87: 9319-9323.
インスリン製剤の変遷をたどる
17
8.持効型溶解インスリン製剤の誕生
持効型溶解インスリン製剤の誕生
ジアルギニルインスリンのA鎖21位のアスパラギンをグリシ
ギニンが除かれた中間代謝物M1およびB鎖30位のトレオニ
ンに置換したインスリンが開発された(図 2)。
ンまで除かれた中間代謝物M2などとなり、これらも活性を
れ、安定性が著しく改善した。ヘキスト社(現サノフィ社)
さらなる持続性製剤
により開発されたこのインスリンは、グリシン(glycine)
インスリン グラルギンは、NPHインスリンと比較して、
とアルギニン(arginine)で修飾したインスリンアナログで
中に少し分泌される。特に、2型糖尿病などで膵β細胞に
新たな持続性製剤の必要性
あることから、インスリン グラルギン(glargine)と名付け
より生理的な基礎分泌の補充が可能となったことによる血
、2000年に初の持効型溶解インス
られ(商品名ランタス ®)
糖コントロールの改善と低血糖の減少のみならず、注射時
リン製剤として発売されるこ
間の自由度とインスリン製剤混和が不要になった点などに
ととなった(写真)
。
よる患者 QOL の改善をもたらすこととなった。しかし、
負荷が加わった場合に、その割合が増加する。プロインス
脂肪酸が付いた
持効型溶解インスリン製剤の誕生
持効型溶解イ
持つことが知られている。
この置換によりアスパラギン側鎖の脱アミド化が抑制さ
写真
脂肪酸が付い
持効型溶解イ
連載第3回(p 8 〜 9)で紹介したように、塩基性蛋白であ
リンは分子量が大きいために、インスリンと比べて皮下吸収
るプロタミンを含むNPH製剤や亜鉛懸濁製剤であるレン
が緩徐であり、血中のプロインスリンは主として腎臓で代
グラルギンは酸性(pH4)の
皮下における不溶性沈殿にもとづくインスリン作用の不安
テ型インスリンなどが、生理的なインスリン基礎分泌を補
謝され、半減期はインスリンの数倍であるため、プロイン
製剤中では無色透明に溶解し
定性は残存しており、皮下でも可溶性の持続性インスリン
充する目的で長らく使われてきた。
スリン製剤の持続効果が期待された。
ているが、中性の皮下では不
製剤がその後実現することになる。
しかし、NPH 製剤では持続時間が比較的短く、作用に
イーライリリー社は、1984年に遺伝子組み換えヒトプロイ
溶性の等電点沈殿を生じ緩徐
ピークがある。さらに、懸濁製剤であるために入念な混和
ンスリン製剤の多施設での臨床試験を開始した。上述した
に溶解吸収されるために持続
が必要であり、皮下からの吸収に個体内および個体間での
ように、生体にも存在する分子であることも魅力的であっ
的なインスリン作用を示す。
変動が大きい。この傾向は、結晶サイズがNPH製剤より大
た。しかし、NPH製剤に対する明確な臨床的優位性は認
なお、皮下および血中におい
きなレンテ型製剤でさらに顕著であり、持続型インスリン
められず、プロインスリン使用患者で心筋梗塞が多く発生
新世代の
持効型溶解インスリン製剤の誕生
と呼ばれていたウルトラレンテ型製剤の吸収は特に不安定で
し、プロインスリンの動脈硬化促進効果が懸念されたこと
あった。こうした問題点を解決するために、再懸濁を必要
などから1987年に開発は中止された。
としない溶解型で作用持続時間が十分に長いインスリン製
最初の持効型溶解
インスリン製剤
一部はB鎖C末端の2個のアル
キシル末端の電荷の総和がゼロになるpHである等電点で
ブタインスリン製剤の副産物としてプロインスリンが得ら
は、極性を持つ水への溶解度は最小になる。ヒトインスリ
れていた頃から、
プロインスリンの製剤化は考えられていた。
ンの等電点は酸性(pH5.4)であるため、原理的にはインス
プロインスリンは86個のアミノ酸から成るインスリンの前駆
リン分子の修飾により等電点を中性の方に移すことで、生
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
物質であり、図1に示すように、N末端側からB鎖、Cペプ
理的pHでは難溶性となるインスリンを作ることができる。
チド、A鎖がつながった構造をとるが、B鎖とCペプチドの
1980年代には、酸性、中性アミノ酸をそれぞれ中性あるい
ソモジー効果と暁現象
1型糖尿病など、内因性インスリン分泌が枯渇あるい
一方で、マリア・シュミットは、1型糖尿病患者の血
は極端に低下した糖尿病患者の空腹時血糖制御は重要な
糖値を綿密に測定し、夜間低血糖を伴わなくとも、空腹
テーマであるが、中間型のNPHインスリンや持続型の
時血糖値が上昇することを認め、1981年の論文で暁現象
ウルトラレンテインスリンしか使用できなかった時代で
と呼ぶことを提唱した(図3)
。この現象は、早朝に分泌
は非常に困難であった。本文に述べたような製剤の限
が増加するインスリン拮抗ホルモン(特に成長ホルモン)
界とともに、以下の「ソモジー効果」
、
「暁現象」が立ち
による血糖上昇作用を、内因性および外因性のインスリ
はだかっていたからである。
ンが十分に代償できないことが主な原因であるものと考
間およびCペプチドとA鎖の間には2個の塩基性アミノ酸が
はアルカリ性アミノ酸で置換したり、末端のカルボキシル
介在している(それぞれ、Arg31-Arg32、Lys64-Arg65)
。
基を除いたインスリンアナログが作成された(G l n B 1 3 ,
1938年、アメリカのマイケル・ソモジーは、インス
。しかし、持続性は認められた
Arg B27, Thr B30-NH2 など)
リン治療中の患者の一部において、ごく短時間の尿糖陰
プロインスリンは膵β細胞の分泌顆粒内で、2種類の転化
ものの血糖降下作用が弱く実用化には至らなかった。
酵素とカルボキシペプチダーゼによりインスリンとCペプチ
B鎖のC末端に2個のアルギニンが結合したジアルギニル
ドに分解されるが、プロインスリンあるいは中間体も血液
インスリンは、プロインスリンからインスリンへの中間体の1
つであり、微量ではあるが血液中にも存在する。ジアルギ
図1 プロインスリンの1次構造(アミノ酸配列)
Gly
Ser
Leu
64 Gln
Lys
65 Arg
Gly
Leu
Glu
Ala
Ser Gly Ala Gly Pro
Cペプチド
ると大部分が吸収される前に分解されてしまう。そのため、
Leu
Glu
Leu
図2 インスリン グラルギンの1次構造(アミノ酸配列)
Asp
-COOH
Ser
His
Leu Val
インスリン
B鎖
Glu Ala
S
Leu Tyr Leu Val Cys Gly
Glu Arg
インスリン製剤の変遷をたどる
Gly
Phe
Phe
Tyr
Glu
Thr
性のあとにケトン尿すら伴う著しい尿
糖排泄が見られることを学会で報告し
た。すなわち、この現象は低血糖に引
Ala
Glu
Arg
32
Arg
Thr 31
Lys
Pro
A鎖
NH2
S
S
理想的な二相性イ
〜配合インスリン
えられている。
図3 暁現象の最初の報告
(mg/dL)
この時間帯にインスリンを
注射している患者数 →(11)
(3)
(9)
(1)
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ
300
き続くアドレナリンなどのインスリン
拮抗ホルモンの分泌増加による高血糖
を反映するものであり、空腹時高血糖
をみてインスリンの投与量を増やすこ
Gln
Val
Asn
Glu
Cys
S
Gln
S
Tyr
Cys
Asn
A鎖
Cys
Glu
Thr Ser
Leu
Ⅰle Cys Ser Leu Tyr Gln
S
S
Phe
Val
Asn
Gln
His
S
Leu
Cys
Gly
18
Gly
Val
Gln
Gly
Val
Ⅰle
NH2-
ニルインスリンも中性では難溶性であるが、皮下に投与す
Gly Gly
新世代の
持効型溶解イ
蛋白質を構成するアミノ酸側鎖やアミノ末端、カルボ
プロインスリン製剤への期待と挫折
Gln Leu
Leu Pro
1)葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.
2)河盛隆造 : インスリン治療の新時代ーグラルギン登場がもたらす新たな展望ー.
エムディエス, 2003.
3)粟田卓也 : インスリンアナログ製剤の薬理学的特徴と有効性, 安全性. 月刊糖尿
病 2010; 2 (6) : 21-32.
4)戸塚康男 : 暁現象と Somogyi 効果. カラー版 糖尿病学 基礎と臨床. 西村書店,
2007; 636-639.
て、注射されたグラルギンの
最初の持効型溶解インスリン製剤
剤の開発が望まれていた。
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と自体が、低血糖を介したさらなる高
血糖をもたらす場合があることを警告
200
血
糖
値
朝
食
昼
食
100
夕
食
眠
前
補
食
した。インスリンの減量により血糖値
Gly Ⅰle Val Glu Gln Cys Cys Thr Ser Ⅰle Cys Ser Leu Tyr Gln Leu Glu Asn Tyr Cys Gly
B鎖
NH2
の変動が安定化するという、一見逆説
S
S
S
S
Phe Val Asn Gln His Leu Cys Gly Ser His Leu Val Glu Ala Leu Tyr Leu Val Cys Gly Glu Arg Gly Phe Phe Tyr Thr Pro Lys Thr Arg Arg
的な現象が注目を集め、今日までソモ
ジー効果と呼ばれることになる。
0
2:00
4:00
6:00
8:00
10:00
12:00
時間
1型糖尿病11症例の血糖曲線(平均±標準誤差)。
14:00
16:00
18:00
20:00
22:00
Diabetes Care 1981; 4: 579-585.
インスリン製剤の変遷をたどる
19
9.脂肪酸が付いた持効型溶解インスリン製剤の誕生
脂肪酸が付いた
持効型溶解インスリン製剤の誕生
3価コバルトインスリンは中性溶液で可溶性であり、皮下
新たな持効型溶解インスリンを求めて
注射後でも沈殿しないが持続性効果を示す。2価コバルト
新世代の
持効型溶解インスリン製剤の誕生
体の各段階の状態で、皮下組織液中のアルブミンとミリス
非臨床試験において緩徐で持続的な薬理作用と安全性が
チン酸が結合することによる血液中への吸収遅延のために
確認された後に、ヨーロッパおよび日本において行われた
効果の持続性がもたらされる。血液中ではインスリン デテ
臨床試験において、NPHインスリンと比べて、よりピーク
ミルは98%がアルブミンと結合しているが、血液中での結
が少なく、より持続性の高い製剤であることが認められ、
合は作用の遅延には少ししか影響しない。なお、血液中の
インスリン デテミル
(商品名レベミル®)は2004年(国内では
アルブミン分子の数万分の 1 程度にしか結合しないため、
2007年)に発売された(写真)
。
低アルブミン血症患者における効果の不安定性といったこ
製剤は無色透明の中性溶液であり、注射後の皮下組織に
連載第8回( p18 〜 19)に紹介したインスリン グラルギ
インスリンは2価亜鉛インスリンとほぼ同様の薬物動態を示
おいても沈殿せずに溶解したままである。ミリスチン酸部
ンはヒトインスリンアミノ酸配列の改変により中性環境下
すことや、3価コバルトインスリンがインスリン受容体と結
分の接触により6量体が2つ結合したダイヘキサマーが形成
では難溶性の沈殿となることから持続的な効果を示すこと
合しないことから、3価コバルトインスリンが2価に還元さ
に成功したが、別の方法による持続性製剤の開発も進めら
れる段階および血中半減期の延長により持続性効果がもた
れていた。3価コバルトインスリンと脂肪酸を付加したイ
らされるものと考えられた。しかしながら、NPHインス
ンスリンである。
リンに優る利点は認められず製剤化には至らなかった。
3価コバルトインスリン
写真
あるが、微量元素・脂肪酸・酵素・ホルモンなどの内因性
したように、ヒトインスリンは3個の2量体が集まった6量
物質や外因性の薬物などを吸着し運搬する。1995年に、ク
体の結晶を形成するが、2価の陽イオンである亜鉛イオンが
ルツハルスらは、B鎖29位リジンのεアミノ基に炭素数10〜
2個配位することで安定化する。ノボ ノルディスク社・ノボ研
16の直鎖飽和脂肪酸を付加したインスリンアナログにつ
究所のクルツハルスらは、亜鉛をコバルトに置換したインス
いて検討し、アルブミンとの結合度が動物における効果
リン結晶の可能性に注目する。2価亜鉛イオンを2価コバル
の持続性と強く相関することを見いだした。その中で、
トイオンで置換した6量体結晶を、さらに酸化することに
炭素数14のミリスチン酸を付加しB鎖30位のトレオニンを除
より作出される3価コバルトインスリン結晶は、きわめて安
いたインスリンアナログ(図2)の効果が最も遅延することが
インスリン グラルギン
定である(図1)
。
注目され、新しい溶解性の持続性インスリンアナログとして
NPHインスリン
開発が進められることとなった。なお、このインスリンア
図1 3価コバルトインスリン6量体の立体構造
ミリスチン
ナログは、トレオニンを除いて(des threonine)
酸<myristic( mir)acid>を付加してあることから、デテ
ミル(detemir)と命名された(図2)
。
L
N
N
35A
N
Co
L
L
C14
直
(ミ 鎖飽和
リス
チン 脂肪酸
酸)
Thr
Phe Gly Arg
Tyr Phe
Glu
Thr
B29
A21 Asn Cys
20
インスリン製剤の変遷をたどる
70
ダイヘキサマー
インスリン デテミル
6.0
4.0
2.0
*
0
0
*
6
8.0
12
18
24
インスリン グラルギン
6.0
4.0
2.0
Val
Leu
Glu
Gln
Cys Ser
Ala
Glu
Val
Leu
His
Ser
B1 Phe Val Asn Gln His Leu
Cys
Gly
12
18
24
18
24
NPHインスリン
6.0
Leu
Leu
6
10
4.0
Tyr
Tyr
Cys Thr Ser Ⅰle
0
8.0
20
Leu
Glu
Cys
(%)
80
Val
Asn
Gln
Diabetes 1995; 44: 1381-1385.
Gly
Tyr
Ⅰle
インスリン1分子を除いて表示してある。2個の3価コバルトイ
オンが、
それぞれ3分子のインスリンとB鎖10位のヒスチジン
部位(Nとして表示)
で水素結合を形成する。また、上下各3
個の疎水性ポケットには溶液由来の水分子や塩素イオンな
どのリガンドが結合する
(Lとして表示)。
インスリン デテミル
30
Cys
Lys
A1 Gly
50A
ブドウ糖注入率
(mg/kg/min)
8.0
理想的な二相性イ
〜配合インスリン
0
Pro
L
図4 2種類の持効型溶解インスリンおよびNPHインスリンの個体内変動の比較
個 50
体
内
変 40
動
N
17A
インスリン デテミル6量体
60
図2 インスリン デテミルの1次構造
Co
N
持続性とともに効果の安定性が認められた。基礎インスリ
アルブミンは細胞外液に最も豊富に含まれるタンパクで
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
N
新世代の
持効型溶解イ
臨床試験においては、インスリン レベミルの特徴として、
図3 インスリン デテミル6量体とダイヘキサマー
脂肪酸を付加した持効型溶解インスリン製剤
タミンB 12 に含まれている。連載第6回(p14 〜 15)で紹介
L
とは生じない。
アルブミンとの結合と持続性効果
原子番号が27の遷移元素であるコバルトは、生体ではビ
L
脂肪酸が付い
持効型溶解イ
されることと
(図3)
、ダイヘキサマー、6量体、2量体、単量
脂肪酸が付いたインスリン製剤の誕生
0
*p<0.05
2.0
0
0
6
12
時間
右に代表的な症例におけるインスリン効果のプロファイルが示されているが、1型糖尿病患者における皮下注射
後24時間のインスリン効果(ブドウ糖注入率、GIR)の曲線下面積を4日間測定した時の個体内変動(変動係数、
CV)
は、
インスリン デテミル(18例)、
インスリン グラルギン(16例)、NPHインスリン(17例)の順に大きくなり、有
意差が認められた。
Diabetes 2004; 53: 1614-1620.
インスリン製剤の変遷をたどる
21
9.脂肪酸が付いた持効型溶解インスリン製剤の誕生
ン分泌補充として従来用いられてきたNPHインスリンでは、
効果の個体内変動による不安定な血糖変動が大きな問題で
さらなる改良を目指して
妊娠とインスリンアナログ製剤
あった。インスリン デテミルでは、インスリン効果の個体内
生理的なインスリン基礎分泌補充を目的とした、理想的
変動がNPHインスリンの半分以下であり、インスリン グラル
なインスリンアナログ製剤に期待されることとして、少な
妊娠時には母体および胎児の合併症を防ぐために厳格
のカテゴリーに分かれる(表)
。インスリンアナログ製
ギンよりも優れていた(図4)
。国内の1型糖尿病を対象とし
くとも24時間以上の持続性、ピークのない平坦な効果、個
な血糖コントロールが必要であり、生理的なインスリン
剤に関しては、従来は超速効型インスリンのインスリン
た臨床試験でも、NPHインスリンと比較して、空腹時血糖
体間および個体内変動が少ないことなどがある。しかし、
分泌をうまく再現するインスリンアナログ製剤のほうが
リスプロおよびインスリン アスパルトのみがヒトイン
の低下とともに個体内変動の有意な低下が認められた。皮
持効型溶解インスリン製剤として登場したインスリン グラ
適している。しかしながら、ヒトインスリンと異なる細
スリンと同等のカテゴリーBであったが、最近のNPH
下組織で沈殿が生じない点と、血中でのアルブミン結合に
ルギン、インスリン デテミルともに、NPHインスリンに対
胞増殖活性や免疫原性が胎児に悪影響を及ぼす懸念もあ
インスリンを対照とした前向きランダム化比較試験の結
よるバッファリング効果(遊離インスリン濃度の変動が減少)
する優越性は超速効型インスリンとの組合せによるHbA1c
り、インスリンアナログ製剤についての妊娠への安全性
果を受けて、持効型溶解インスリンのインスリン デテ
のためと考えられている。個体内変動の少なさはインスリ
の改善や夜間低血糖の減少などとして認められたが、その
は個々に検討されなければならない。ヒトインスリン、
ミルは従来のカテゴリーCからカテゴリーBに引き上げ
ン効果の予測性を高め、血糖コントロールの改善に寄与す
限界も次第と明らかとなってきた。そのため、ノボ ノル
インスリンアナログともに、非生理的な血中濃度に至ら
られた。耐糖能異常妊婦にとっては朗報である。
るだけでなく、予期しない高血糖や低血糖を少なくすること
ディスク社は、さらに安定して長い持続時間を持つインス
なければ胎盤は通過しないと考えられてはいるものの、
ができるので、患者QOLの改善にもつながる。それ以外に
リンアナログ製剤の開発を進めることとなった。
インスリン抗体とそれに結合したインスリンは胎盤を通
も、インスリン デテミルは、インスリン治療における重要な
問題である体重増加が他の基礎インスリンに比べて少ない
という利点も認められる。
過することが認められ(図5)
、巨大児の成因となってい
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)粟田卓也 : インスリンアナログ製剤の薬理学的特徴と有効性, 安全性. 月刊糖尿
病 2010; 2(6) : 21-32.
2)小坂樹徳, 門脇孝 : 糖尿病診療の歩みと展望. 文光堂. 2007; 337-349.
3)Kurtzhals P: Int J Obes 2004; 28(Suppl 2) : S23-S28.
4)Russell-Jones D: Int J Obes 2004; 28(Suppl 2) : S29-S34.
表
医薬品の胎児危険度分類(FDA)
カテゴリーA
ヒトの妊娠初期3カ月間の対照試験で、胎児
への危険性は証明されず、
またその後の妊娠
期間でも危険であるという証拠もないもの。
カテゴリーB
動物実験では胎仔への危険性は否定されて
いるが、
ヒト妊婦での対照試験は実施されてい
ないもの。あるいは、動物実験で有害な作用
が証明されているが、
ヒトでの妊娠期3カ月の
対照試験では実証されていない、
またその後
の妊娠期間でも危険であるという証拠はない
もの。
カテゴリーC
動物実験では胎仔に催奇形性、胎仔毒性、
そ
の他の有害作用があることが証明されており、
ヒトでの対照試験が実施されていないもの。あ
るいは、
ヒト、動物ともに試験は実施されていな
いもの。注意が必要であるが投薬のベネフィッ
トがリスクを上回る可能性はある。
カテゴリーD
ヒトの胎児に明らかに危険であるという証拠が
あるが、危険であっても、妊婦への使用による
利益が容認されることもありえる。
カテゴリーX
動物またはヒトでの試験で胎児異常が証明さ
れている場合、
あるいはヒトでの使用経験上胎
児への危険性の証拠がある場合、
またはその
両方の場合で、
この薬剤を妊婦に使用するこ
とは、他のどんな利益よりも明らかに危険性の
方が大きいもの(事実上の禁忌)。
る可能性も指摘されている。
アメリカ食品医薬品局(FDA)の分類では、胎児に対
する薬剤の危険度はA(ほぼ安全)からX(禁忌)まで5つ
図5 1型糖尿病母体からの出生児45例における臍帯血血
清中のインスリン抗体と動物インスリンの検出濃度と
の相関
(pmol/L)
4000
相関係数0.76
p<0.001
3000
動
物
イ
ン
ス
リ
ン
2000
1000
0
0
10
20
30
40
インスリン抗体(%結合率)
50
N Engl J Med 1990; 323: 309-315.
22
インスリン製剤の変遷をたどる
インスリン製剤の変遷をたどる
23
10.新世代の持効型溶解インスリン製剤の誕生
新世代の
持効型溶解インスリン製剤の誕生
写真
新世代の
持効型溶解イ
図4 インスリン デグルデクの持続化機序の模式図
新世代の持効型溶解インスリン製剤
亜鉛イオン
デグルデク ダイヘキサマー
(T3R3立体配置)
フェノール
製剤
フェノール
遊離
図3 インスリン-亜鉛6量体(ヘキサマー)立体配置の模式図
デグルデク マルチヘキサマー
(T6立体配置)
インスリン-亜鉛6量体
皮下
亜鉛イオン
遊離
上面
デグルデク 2量体
シル化と呼ばれる)を応用することになった。その際に、
従来のベーサルインスリンの問題点
吸収
グルタミン酸の「スペーサー」を介在させた方がアルブミン
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
生理的なインスリン基礎分泌を補うベーサルインスリンとし
との結合力が増強することが判明し、最終的に図1に示す
て従来使用されていた製剤は十分なものではなかった。中
GLP-1アナログ化合物が製剤化され、国内では2010年1月
間型製剤であるNPHインスリンでは作用時間が短く作用に
に認可された。なお、ヒトGLP-1にはアシル化されるリジン
ピークがあるため、1日に2回の投与でも血糖コントロール
残基は26位と34位に2つあるが、34位のリジンはアルギニ
は困難であり、眠前の注射ではソモジー効果による夜間低
ンに置換され26位のみがアシル化され炭素数16の飽和脂肪
血糖と早朝からの高血糖をきたしやすいことが大きな問題
酸であるパルミチン酸が付加している。なお、リラグルチ
点であった(p 18 〜 19)
。さらに、インスリン効果の個体内
ドは7量体を形成し、そのことが効果の持続性に重要であ
変動に基づく予測不可能な血糖の不安定性も患者を苦し
ることも明らかになっている。
めていた。持効型溶解インスリン製剤として登場した、イン
2量体
下面
R6立体配置
T3R3立体配置
T6立体配置
理想的な二相性イ
〜配合インスリン
Pharm Res 2012; 29:2104-2114.
単量体
塩素イオン
亜鉛イオン
フェノール
Pharm Res 2012; 29:2104-2114.
インスリン デグルデクの特徴と作用機序
2個の亜鉛イオンを含むインスリン6量体(ヘキサマー)は、
通常は亜鉛イオンを両極ともに露出する緊張(tense)形態
新世代の持効型溶解インスリン製剤
スリン グラルギン( p 18 〜 19)およびインスリン デテミル
デグルデク 単量体
側面
であるT6 立体配置にあるが、塩素イオンとフェノールを加え
図5 インスリン デグルデクとインスリン グラルギンの
24時間にわたる日間の個体内変動(CV%)の比較
(%)
220
200
180
160
日
間 140
の 120
個
体 100
内 80
変
動 60
40
20
0
インスリン デグルデク
インスリン グラルギン
0-2
2-4
4-6
6-8
8-10 10-12 12-14 14-16 16-18 18-20 20-22 22-24(時)
時間間隔
(p 20 〜 23)では格段の改善が認められた。しかし、1日1
インスリンについても、グルタミン酸をスペーサーとする
ることにより、両極が閉じた弛緩(relaxed)形態であるR6
回の注射では24時間安定した効果が得られない症例も多
アシル化が検討された。当初は代表的な胆汁酸であるコー
立体配置あるいはその中間のT3R3 立体配置に変化する(図
く、インスリン作用のピークや個体内変動も無視できるも
ル酸の誘導体でアシル化したインスリン(NN344)の持続効
3)
。通常のフェノールが高濃度なインスリン製剤(ヒトイン
のではなかった。
果が発見され臨床応用も期待されたが、その後開発は中止
スリンやインスリン デテミルなど)ではR6 立体配置の6量体
された。しかし、NN344では6量体が会合した可溶性で高
になるが、インスリン デグルデクではT3R3 が安定した構造
分子量の構造(マルチヘキサマー)の形成が持続効果をもた
であるためにT3R3 立体配置の6量体が側鎖を介して2つ結
海外の第3相臨床試験において(1型糖尿病患者および2型
アシル化の改良と GLP-1アナログ製剤の誕生
個体内変動としてはインスリン効果(ブドウ糖注入率)の曲線下面積の変動
係数(CV%)
を用いた。インスリン デグルデクの個体内変動は、24時間を通
し、一貫して低値であった。
Diabetes Obes Metab 2012; 14:859-864.
さらなるブレークスルーはインスリン デテミルに用いられ
らしていることがわかり、アシル化に用いる側鎖の検討が
合したダイヘキサマーを製剤中で形成している。皮下注射
糖尿病患者における長期投与)
、従来の持効型溶解インスリ
た技術を改良することによりもたらされることになった。実は、
さらに進められた。その結果、脂肪酸の末端をカルボキ
後は速やかにフェノールが外れることでT6 立体配置の6量
ンに対するHbA1cでみた血糖コントロールの非劣性と夜
ノボ ノルディスク社はインスリン デテミル発売後に糖尿病新
シル基とした脂肪二酸で炭素数が16以上である側鎖では
体に変化し、さらに側鎖のヘキサデカン二酸と露出した亜
間低血糖の有意な減少が認められた。日本人でも同様の成
薬の開発に成功していた。GLP-1アナログ製剤であるリラ
高分子量のマルチヘキサマーが形成されることが判明し、
鉛イオンとの結合が数珠つなぎに作られることにより数百
績が報告されている。平坦で日間の変動が少ない血糖降下
グルチド(商品名ビクトーザ )である。現在ではインスリンと
最終的に炭素数 16のヘキサデカン二酸を結合させたイン
以上もの6量体がつながったマルチヘキサマーが皮下に形
作用を反映しているものと考えられる。また、インスリン
並んで糖尿病治療における重要な役割を確立している
スリンアナログが選択され開発が進められた
(図2)
。なお、
成される(図4)
。マルチヘキサマーから徐々に亜鉛イオン
デグルデクに対する抗体産生の増加も認められていない。
GLP-1であるが、製剤化には苦労がつきまとった。きわめ
、グルタミン酸(glu)をス
B鎖30位のトレオニンを除き
(des)
が遊離するとともに個々の6量体がはずれ、さらに2量体
臨床試験では同様の血糖値を目指すプロトコールであっ
て線維化しやすく、豊富に存在するDPP- 4という分解酵素
ペ ー サ ー と し て 、 ヘ キ サ デ カ ン 二 酸 を 付 加し て ある
から単量体となり血液中に吸収される。これらのメカニズ
たことから、実臨床(いわゆるリアルワールド)では血糖コ
のために血中半減期は静注で1.5分、皮下注で1.5時間と短
ことから、インスリン デグルデクと命名
(hexadecandioyl)
ムにより安定した持続効果を発揮することになるが、イン
ントロールの改善ももたらされるものと思われ、インスリ
い。そのため、ノボ ノルディスク社はインスリン デテミルで
された。臨床開発は2006年から始まり、2012年9月に世界
スリン デテミルと同様にアルブミンとの結合も持続効果に少
ン治療に革新をもたらす理想に近いベーサルインスリン製剤
用いられたリジンのεアミノ基に脂肪酸を付加する技術(ア
に先駆けて日本で商品名トレシーバ ® として製造販売承認
し寄与している。血中のアルブミン結合によるバッファリン
として期待されている。さらに、インスリン デグルデクが
シル基R-CO-を供給する反応であることから一般的にはア
を受け、2013年3月に発売された(写真)
。
グ効果と上述のユニークな作用持続効果によってインスリ
製剤中では非常に安定したダイヘキサマーを形成すること
ン効果の個体内変動が減少するものと考えられている。
で、長らく待ち望まれていた可溶性の二相性インスリン製剤
®
図2 インスリン デグルデクの1次構造
図1 リラグルチドの1次構造
A1
7位
His Ala Glu Gly Thr Phe Thr Ser Asp Val Ser Ser Tyr Leu
34位
26位
Gly Arg Gly Arg Val Leu Trp Ala Ⅰle Phe Glu Lys Ala Ala
O H
パルミチン酸
24
S
S
A21
Gly Ⅰle Val Glu Gln Cys Cys Thr Ser Ⅰle Cys Ser Leu Tyr Gln Leu Glu Asn Tyr Cys Asn
B1
S
S
S
S
白人糖尿病患者において、インスリン デグルデクは血中半
減期が約25時間であり、24時間を通してほぼ平坦な血糖降
B29
Phe Val Asn Gln His Leu Cys Gly Ser His Leu Val Glu Ala Leu Tyr Leu Val Cys Gly Glu Arg Gly Phe Phe Tyr Thr Pro Lys
H
N
H3C
Glu
Gly
Gln
インスリン デグルデクの臨床的有用性と期待
O
CO2H
L-γ-グルタミン酸
インスリン製剤の変遷をたどる
H
N
HO2C
O
ヘキサデカン二酸
H
下作用を示し、作用持続時間は42時間を超えていた。また、
O
CO2H
L-γ-グルタミン酸
個体内変動も24時間を通して一貫して少なく、平均すると
インスリン グラルギンの約4分の1であった(図5)
。また、
がその後実現することになった。
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)Knudsen LB, et al. : J Med Chem 2000; 43: 1664-1669.
2)杉井寛 : 新しい持効型溶解インスリンアナログ注射液トレシーバ ®(インスリ
ン デグルテク)の開発経緯とその特徴, BIO Clinica 2012; 27: 1363-1368.
3)Jonassen I, et al. : Pharm Res 2012; 29: 2104-2114.
4)加来浩平 : 超持効型インスリンによる新たなインスリン療法の可能性, 内分
泌・糖尿病・代謝内科 2011; 33: 384-388.
5)Heise T, et al. : Diabetes Obes Metab 2012; 14: 859-864.
6)Heise T, et al. : Diabetes Obes Metab 2012; 14: 944-950.
インスリン製剤の変遷をたどる
25
11.理想的な二相性インスリン製剤を目指して〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
理想的な二相性インスリン製剤を目指して
〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
ていたヒトインスリンが溶液中の超速効型インスリンと
徐々に入れ替わり、製剤としての安定性が確保できないこ
とが判明した。そのため、ノボ ノルディスク社は超速効
理想的な二相性イ
〜配合インスリン
2種類のインスリンアナログを含有する
初めての配合製剤の誕生
型のインスリン アスパルトにプロタミンを混ぜることによ
その後、基礎インスリン分泌補充に優れた持効型溶解イ
り一部結晶化した中間型画分と超速効型画分の割合を種々
ンスリンであるインスリン グラルギンやインスリン レベ
に調整した製剤を 2003 年以降に発売した(写真2)
。一方、
ミルを超速効型インスリンと混合した二相性インスリン製
イーライリリー社はインスリン リスプロが過不足なくプロ
剤を作成することが試みられたが、予期した効果が得られ
Trial)や熊本スタディなどの臨床研究により強化インスリ
タミンと結合した中間型インスリン リスプロを開発し、さ
ることはなかった。酸性で溶解性のインスリン グラルギ
ン療法(頻回注射療法あるいはインスリンポンプ療法)が糖
らにインスリン リスプロを異なる割合で混合することによ
ンと、中性で溶解性の超速効型インスリンの混合は困難で
NPHインスリンやレンテインスリンなどの中間型インスリ
尿病合併症予防に有効であることが明らかになり、強化イ
り、日本では2005年3月にインスリン リスプロ混合製剤を
ある。インスリン デテミルと超速効型インスリンの混合で
ンが1940年代以降に登場した後は(p 8 〜 9)
、中間型イン
ンスリン療法がインスリン療法のゴールドスタンダードと考え
発売した(写真3)
。
は、2種類のインスリンアナログが混在した不安定な6量
スリンを1日1〜2回投与する方法が標準的なインスリン治
られるようになった。
二相性の動物インスリン製剤
超速効型インスリンアナログ混合製剤の有効性
体が製剤中で形成されてしまう。
療として普及していた。しかし、中間型インスリンでは食
しかしながら、インスリンポンプ療法はコストなどの点
後高血糖をきたしやすく、1959年にはラピタードインスリ
で難があり、頻回注射療法では注射の回数が多いことによ
二相性の超速効型インスリンアナログ混合製剤が発売さ
インスリンであるインスリン デグルデクでは、超速効型イ
ンが初めての二相性インスリンとして発売された(写真1)
。
り、インスリン分泌が残存している2型糖尿病患者などで
れると、食直前注射という利便性に加え食後血糖改善効果
ンスリンであるインスリン アスパルトを混合しても、各々
速効成分としての25%のブタインスリン溶液を75%の結
は強化インスリン療法は実際的でないことも多い。そのた
に優れ重症低血糖も少なくなることから、従来のヒトインス
のインスリンの効果は保たれており、インスリン アスパル
晶性ウシレンテインスリンに混合した製剤であり、当時と
め、速効型インスリンと中間型インスリンの混合注射が広
リン混合製剤は次第にとってかわられることになった。さ
ト混合製剤と比べても2つの画分の効果が明確に区別され
しては画期的な製剤であったが、1980年代後半よりヒトイ
く行われるようになった。使い捨てのプラスチックシリン
らに、1日1〜2回投与以外に1日3回投与という選択肢が
ていた(図)
。前回に説明したように、インスリン デグル
ンスリン製剤が使用されるようになってからは次第に使わ
ジが使われていた時代は、注射の回数を減らすためにシリ
実際的となった。超速効型インスリン成分を50%か、そ
デクは製剤中ではT3R3 立体配置の6量体が2つ結合したダ
れなくなった。
ンジ内での混合が行われていた。しかし、まず中間型イン
れ以上含むいわゆる「ハイミックス」製剤の1日3回注射は生
イヘキサマーとして非常に安定した構造をとり、インスリ
スリンの入ったバイアルに必要とするインスリン量と同量
理的なインスリン分泌をよく再現していることから「準強
ン アスパルトがダイヘキサマーのインスリン デグルデク
の空気を注入し、バイアルに入った速効型インスリンと中
化療法」とも呼ばれるが、注射の回数が少なく1つの製剤
間型インスリンをこの順に吸引する(逆だと懸濁性の中間
で行える利点があり、通常の超速効型インスリンと持効型
リン分泌が食後の急速な追加分泌と持続的な基礎分泌から
型インスリンが速効型インスリンのバイアルに混入する)
インスリンを用いた強化療法の継続が困難な症例には有用
なることが明らかとなった。そのため、従来の1日1〜2回
という煩雑な手順が必要であり、実際上は多くのトラブル
なインスリン療法である。
二相性のヒトインスリン混合製剤の誕生
ヒトインスリン製剤の普及と同時期に、生理的なインス
のインスリン注射療法よりも、毎食前のボーラス(追加)イン
やエラーを伴っていた。こうした背景のもと、1989年に速
スリンと1日1〜2回のベーサル(基礎)インスリンを投与す
効型インスリンとNPHインスリンが混合された二相性の
る頻回注射療法が、特に1型糖尿病では望ましいのではな
ヒトインスリン製剤が初めて発売され、患者にとって福音
いかと考えられるようになってきた。さらに、1990年代に
となった。ちなみに、レンテインスリンは速効型インスリ
発表されたDCCT(Diabetes Control and Complications
ンと混合すると、過剰に含まれている亜鉛が速効型インス
しかし、連載第10回(p 24 〜 25)で紹介した持効型溶解
図
A
(mg/kg/min)
写真2 インスリン アスパルト混合製剤
ブ
ド 6
ウ
糖
注
入 4
率
0
などにより、レンテインスリンは市場から撤退していくこ
ととなった。混合製剤のデメリットとして速効型と中間
8
その後発売された。
超速効型インスリンの割合は全体の30、50、70%
写真3 インスリン リスプロ混合製剤
8
12
時間
16
20
24
インスリン デグルデク/インスリン アスパルト
(IDegAsp)
30%インスリン アスパルト混合製剤(BIAsp 30)
ブ
ド 6
ウ
糖
注
入 4
率
2
二相性の超速効型インスリンアナログ混合製剤
の開発
0
0
超速効型インスリンアナログの登場後は、超速効型イン
スリンと中間型インスリンの混合製剤の開発が進められ
た。当初は、超速効型インスリンと従来のNPHインスリ
ンの混合製剤が試みられたが、プロタミンと共結晶を作っ
4
B
(mg/kg/min)
10
合った製剤を選択できるように種々の割合の混合製剤が
インスリン製剤の変遷をたどる
持効型画分
(インスリン デグルデク)
0
作成できない。そうした点や、ペン型注入器においてイ
型の比率が固定していることがあるため、個々の患者に
26
超速効型画分
(インスリン
アスパルト)
2
ンスリン結晶がガラス球による混和の際に潰れやすいこと
速効型のアクトラピッドインスリ
ン(左)、二相性のラピタードイン
スリン(右)
インスリン デグルデク/インスリン アスパルト
(IDegAsp)
8
リン成分と結合しその効力を損なうことから、混合製剤は
写真1 動物インスリン製剤
インスリン デグルデク/インスリン アスパルト
(IDegAsp)
のインスリン作用プロファイル
超速効型インスリンの割合は全体の25、50%
4
8
12
時間
16
20
24
A:インスリン アスパルト由来の超速効型画分とインスリン デグルデク由
来の持効型画分の効果が各々保持されている
B:IDegAspと30%インスリン アスパルト混合製剤(BIAsp 30:ノボラピッ
ド¨ 30ミックス)の比較
Expert Opin Biol Ther 2012; 12: 1533-1540.
インスリン製剤の変遷をたどる
27
11.理想的な二相性インスリン製剤を目指して〜配合インスリンアナログ製剤の誕生〜
と入れ替わるといったことがないためと考えられる。
インスリン デグルデクとインスリン アスパルトを7:3の
連載のおわりに
インスリン注入デバイスの変遷
モル比で含有する溶解インスリン製剤インスリン デグルデ
動物インスリンから最新のインスリンアナログ製剤に至
ク/インスリン アスパルト(IDegAsp)は、日本で2012年
る、90年を超えるインスリン製剤の変遷と発展についての
最後のミニコラムでは、インスリン注入デバイスにつ
そうした中、ノボ ノルディスク社は1985年に世界初の
12月に製品名ライゾデグ 配合注として製造販売承認を受
約2年間にわたる連載をひとまず終わりとしたい。インスリ
いて取り上げる。インスリン療法はホルモン補充療法の
ペン型のインスリン注入器
「ノボペン ®」を発売した(日本
けた。超速効型と持効型の2種類のインスリンアナログを含
ン製剤の進歩は糖尿病治療に変革をもたらし、糖尿病患者
中でもその投与の仕方が最も難しい。生理的なインスリ
では1988年)
(写真7)
。インスリン製剤は取り替え式の
有する初めての配合インスリン製剤である。また、注射前
にとって大きな福音となった。しかしながら、解決が望ま
ン分泌である追加分泌と基礎分泌をタイミングよく再現
カートリッジとし、注射針は使い捨てとすることで、イン
の混和が不要な初めての溶解性二相性インスリン製剤であ
れる課題も少なからず残っており、今なお新たな製剤が開
することが困難であることはもとより、過剰投与による
スリンが入ったバイアルをプラスチック製注射器を使っ
る。2型糖尿病を対象としたアジア共同臨床試験における
発されつつある。そこで、次回「インスリン製剤の変遷をた
低血糖のリスクが常につきまとい、それは生命にもかか
て注射することと比較して、インスリン注射は著しく簡
日本人集団での夜間低血糖の有意な減少(30%インスリン
どる〜過去、現在、そして未来〜」と題したDITN鼎談を本
わる。現在に至るまで、インスリンの実用的な投与法は
便になり、携帯性も飛躍的に向上した。初代の「ノボペ
アスパルト混合製剤(BIAsp 30)
との比較)
、日本人2型糖
連載の番外編として行いたい。
皮下注射であり、インスリン療法を有効かつ安全に実施
ン ®」はワンプッシュ2単位の注入ボタンを必要な回数だ
することを目指して、インスリン製剤と注入デバイスは
け押すという使い方であったが、その後改良が重ねられ、
車の両輪のように進歩してきた。
1単位あるいは0.5単位刻みで注入インスリンの単位を
®
尿病におけるHbA1cの有意な低下(インスリン グラルギ
ンとの比較)などが認められた。
参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)松田文子 : インスリン療法の進歩, 診断と治療 1985; 73: 1763-1766.
2)粟田卓也 : インスリンアナログ製剤の薬理学的特徴と有効性、安全性, 月刊糖尿
病 2010; 2(6): 21-32.
3)Jonassen I et al. : Pharm Res 2012; 29: 2104-2114.
4)Ma Z et al. : Expert Opin Biol Ther 2012; 12: 1533-1540.
連載第2回(p6 〜 7)で紹介したように、1923年に最
決定することが可能となり、カートリッジの容量も150
初のインスリン製剤であるアイレチンが発売された頃
単位から300単位に増えるなど、利便性が増している。
は、ガラスの注射器と鋼鉄製の針を煮沸消毒して繰り返
さらに、ノボ ノルディスク社は1989年に世界で初めて
し使っていた。1924年には、初のインスリン専用注射
カートリッジ交換の必要がないプレフィルドタイプの注
器がベクトン・ディッキンソン社により製造され(写真
。その
入器「ノボレット®」を発売した(日本では1994年)
4)
、1925年に現在のペン型インスリン注入器の原型と
後、プレフィルドタイプの注入器は、使い捨ての注射
いうべき「ノボシリンジ」が作られた(写真5)
。
針だけを取り替えて空になれば注入器ごと廃棄すると
1954年の使い捨てのガラス製注射器を経て、1961年
に使い捨てのプラスチック製注射器が発売され(写真6)
、
現在では、インスリン製剤メーカー各社がカートリッジ
とになった。その後、中間型インスリンが登場し注射の
タイプあるいはプレフィルドタイプの多様なインスリン
回数が1日1〜2回と少なかったこともあり、デバイス
注入器を販売している(写真8)
。2013年、トルクスプリ
の進歩はなかった。しかし、p 26でも述べたように頻回
ングを用いているために注入ボタンが注入量に応じて伸
注射による強化インスリン療法の必要性が明らかとな
びず、注入ボタンが軽くて押しやすいという特長を持つ
り、簡便なインスリン注入デバイスに対するニーズが高
プレフィルドタイプのインスリン注入器「フレックスタッ
まっていった。
(写真9)
。
チ®」がノボ ノルディスク社から発売された
世界初のインスリン専用注射器
写真6
使い捨てのプラスチック製注射器
インスリン製剤の変遷をたどる
ていった。
ようやく面倒な煮沸消毒から糖尿病患者は解放されるこ
写真4
28
いう簡便性から、インスリン注入デバイスの主流となっ
写真5
写真8
写真9
ノボシリンジ
写真7
ノボペン¨
さまざまなインスリン注入器
(一部は販売中止となっている)
フレックスタッチ¨
インスリン製剤の変遷をたどる
29
DITN鼎談
鼎 談
インスリン製剤の変遷をたどる
〜過去、現在、そして未来〜
開発し、Neutral Protamine Hagedornの頭文字をとって
リンを除くことはできず、アレルギーを完全に防止でき
NPHと命名しました。
ませんでした。そういう背景もあり、動物インスリンで
私が糖尿病の診療にたずさわるようになった頃(1950年
代)は、もっぱら動物インスリンが使われていました。も
理想的なインスリン製剤を目指して
う少し以前、日本ではウシやブタの膵臓が手に入らなかっ
た戦時中や戦後の話ですが、魚や鯨のインスリンが使われ
ゲスト
ゲスト
司 会
葛谷 健先生
岩本 安彦先生
粟田 卓也先生
(自治医科大学 名誉教授)
(東京女子医科大学 常務理事・名誉教授)
(埼玉医科大学 内分泌・糖尿病内科)
はなくヒトインスリンを開発しようという話になってい
きました。
遺伝子工学によるヒトインスリン製剤
ていた時代がありました。硬骨魚の膵島は、外分泌と独立
粟田● 1970年代に純度が高いモノコンポーネントインス
していて肉眼でも選り分けることが可能で、それをたくさ
リンが開発され、その後しばらくして、1982年に世界最初
ん集めるとうまく抽出できます。しかも、ウシやブタのも
のヒトインスリン製剤(半合成ヒトインスリン製剤)が発売
のとはアミノ酸構造が違うわりに比較的活性が高く、1 mg
されました。しかし、半合成ヒトインスリン製剤ではその
当たり17〜18単位あります。
当時に危惧されつつあったインスリン原料の不足を解消で
粟田●岩本先生が医師になられた頃はどのインスリンを使
きないことから、その頃台頭してきた遺伝子工学の最初の
用されていましたか。
応用としてヒトインスリン製剤が登場し、動物インスリン
岩本●私が医師になって糖尿病患者の治療を始めた頃は、
製剤に取ってかわりました。
当時の開発でインパクトがあったことは何でしょうか。
まだ動物インスリンを使用していた時代でした。
研修医の頃、インスリンアレルギーに苦しんでいた患者
葛谷●いかにして遺伝子工学によるインスリンを先に作り
出すか、当時の競争は激しいものだったようですね。ヒトイ
に、魚のインスリンを使ってみたことがあります。
その頃から、インスリンの純度が低いため抗体産生が起
ンスリンが作られても、ブタインスリンとは作用の上では大
こるというインスリン治療の副作用がありました。また当
きな違いはありませんでしたが、そういう遺伝子工学の技
時は、インスリン注射をする患者は注射部位が陥凹するイ
術ができたおかげで、インスリン製剤を量産することが可
ンスリンリポアトロフィーが高頻度にみられました。
能になったことと、アナログを作る道が開けたことが、一
から2013年5月号まで連載しました。本連載の締めくくりとして、本日は、インスリン製剤に造詣の深い葛谷 健先生
葛谷●外来で診ていると、インスリン治療中の患者の 1/3
番インパクトとして大きいのではないかと思います。
(自治医科大学 名誉教授)と、岩本 安彦先生(東京女子医科大学 常務理事・名誉教授)をお招きして、インスリン製剤開
くらいにリポアトロフィーが見られましたね。ちょうどそ
岩本●ブタインスリンでは、1人の糖尿病患者1年間のイン
の頃、インスリン製剤中の不純物が問題となり、やがてプ
スリンをまかなうには70頭ものブタが必要でした。ちょうど
ロインスリンが発見されました。
糖尿病が世界的に増えつつある時期に、膵臓資源の不足を
粟田●1921年にカナダ・トロント大学のバンティングとベストがインスリンを発見してから92年が経過しました。イ
ンスリンの発見は、ペニシリンの発見などと並ぶ20世紀最大の発見と言われ、その後、糖尿病治療は飛躍的に進化し、
さらに糖尿病の成因や病態についての研究は、インスリンの発見から始まったといっても過言ではないと思います。
インスリンの発見とその後の発展の歴史を、「インスリン製剤の変遷をたどる」というテーマで DITN2011年6月号
発の歴史と、現在の課題、さらには今後の展望および方向性について、お話を伺いたいと思います。
インスリンの発見から動物インスリンの時代
ういう意味において、奇跡的な薬であったことは間違いな
いと思います。
不純物が多いインスリン製剤を純化しようと結晶化が試
克服する技術が開発されたことは一番大きな進歩だと思い
粟田●インスリンの歴史は、1921年にバンティングとベス
粟田● 1922年にイーライリリー社が世界で初めてインス
みられました。しかし、プロインスリンはインスリンと
ますね。
トが膵臓からの抽出物が血糖を下げることを発見したこ
リンの安定した製造に成功し、1923 年にインスリン製剤
共結晶を作るので何回結晶化しても、完全にプロインス
粟田●それからは本当に大量生産の時代になります。
とから始まります(図)。92 年が経過した現在では、日本
®
「アイレチン 」が発売されました。日本では発売後、すぐに
だけでも100万人以上の糖尿病患者に使用されています。
使用されたのでしょうか。
インスリンの発見について、いかが思われますか。
葛谷●インスリンは瞬く間に広まり、まずカナダとアメリカ
葛谷●糖尿病の治療の研究でいろいろな薬が発見されまし
で使用され、1923年に日本にも「アイレチン ®」が輸入され
たが、インスリンは最大の発見だったと思います。
て使われています。
インスリンの発見については、
『インスリンの発見』
(朝日
粟田●そして1930年代に持続性のプロタミンインスリン、
新聞社、1993年)
という本に詳しく書かれており、誰がイン
1946年にNPHインスリンが開発されますが、その経緯は
スリンを発見したか論争になりました。血糖を下げる物質を
どのようなものだったのでしょうか。
取り出したのはバンティングとベストですが、臨床応用し
葛谷●初期のインスリンは不純物が多く、食事のたびに注
図
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
の
黎
明
期
インスリン製剤の歴史 1
1921年
イ
ン
ス
リ
ン
の
発
見
カナダ・トロント大 学 の
フレデリック・バンティン
グとチャールズ・ベストが
膵臓からの抽出物が血
糖を下げることを発見
社名は当時のもので、インスリンの発売年は世界で最初に発売された年号を記載。
1922年
1923年
世
界
初
の
イ
ン
ス
リ
ン
投
与
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
化
に
成
功
︑
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
発
売
ジェームズ・バートラム・コリッ
プが分離した膵臓抽出物が、
て製剤にまでしたのは、マクラウドとコリップの功績が大
射しないと血糖管理ができなかったため、長く効くインス
きいです。4人全員が発見に貢献していて、1人欠けてもう
リンが求められ研究されました。いろいろな工夫が行われ
まくいかなかったのは事実だと思います。ベストがノーベ
ましたが、デンマークのハーゲドンが魚から抽出した塩基
ル賞を受賞できなかったことでもめてスキャンダルになっ
性蛋白のプロタミンをインスリンに添加すると、皮下から
たという実情がありました。興味ある方はその本を読んで
の吸収が遅れて作用時間が持続できることを発見し、1936
いただくとよいと思います。
年にプロタミンインスリンを最初に開発しました。
1型糖尿病の少年レナード・
ト
ンプソンに初めて投与されて
そして、1946年にノルディスク社がインスリンとプロタ
後が、インスリンの登場によって著しく改善しました。そ
ミンが過不足なく結合して結晶を作る中間型インスリンを
30
インスリン製剤の変遷をたどる
物を「インスリン」と命名
﹁
イ
ン
ス
リ
ン
®
﹂ レ
︵
オ
イ ®
ー ﹂
︵
ラ ノ
イ ル
リ デ
リ ィ
ー ス
社 ク
︶ 社
︶
﹁
イ
ン
ス
リ
ン
ヘ
キ
ス
ト
®
﹂
︵
ヘ
キ
ス
ト
社
︶
膵臓抽出物から精製されたイン
スリンは、正 規インスリンまたは
レギュラーインスリンと呼ばれ、
そ
の後Regularの頭文字をとって
Rと称される
世
界
初
の
イ
ン
ス
リ
ン
専
用
注
射
器
を
製
造
︵
ベ
ク
ト
ン
デ
ィ
ッ
キ
ン
ソ
ン
社
︶
・
岩本●命を長らえることが難しかった 1型糖尿病患者の予
劇的な効果を示し、その抽出
1924年 1925年 1926年
﹁
ア
イ
レ
チ
ン
インスリンレオ ®(デンマーク発の
インスリン製剤)
医学部棟屋上の
バンティング(右)
とベスト(左)
シ
リ
ン
ジ
タ
イ
プ
の
﹁
イ
ン
ス
リ
ン
ノ
ボ
®
﹂
発
売
︵
ノ
ボ
社
︶
イ
ン
ス
リ
ン
の
結
晶
化
に
成
功
︵
J.
J.
エ
イ
ベ
ル
︶
インスリン純化のブレー
クスルーとなる
さまざまなインスリン結晶
1929年
イを
ン発
ス見
リ
ン
結
晶
化
に
は
亜
鉛
が
必
要
で
あ
る
こ
と
︵
ア
ー
ネ
ス
ト
・
ラ
イ
マ
ン
・
ス
コ
ッ
ト
︶
1922年当時、
アイレチン製造のために必要であったブタ膵臓の山。
これからボトル1本分しか製造できなかった。
インスリン製剤の変遷をたどる
31
鼎 談
鼎 談
葛谷● 1970年頃、インスリンは1日1回か2回注射という
そして最初に開発された超速効型インスリン「X10 イ
人が大部分でした。2回注射は、例えば、二相性のインス
ンスリン」は、そういう性質を備えているけれども、動物
粟田● 1960年に微量ホルモンの定量が可能なラジオイムノ
リンの2回注射など、いろいろな方法がありましたが、そ
実験で発癌性があることがわかり、開発が中止になりま
粟田●最後に、インスリン製剤の未来についてお話しいた
アッセイが開発され、インスリンが測定されはじめてから、
れだけではどうも不十分だという考えが1980年代頃から
した。
だきたいと思います。
実際に生理的なインスリン動態がわかってきました。当時の
徐々に普及していきました。注射のデバイスの進歩、例
岩本●今でもよく覚えていますが、治験が日本でも始まる
お話で何かございますか。
頻回インスリン注射療法の普及
インスリン製剤の未来
インスリン製剤の課題として注射剤であることがあり、
えば使い捨ての注射器が開発されたことの影響は大きい
ことになり、プロトコールもできあがって、これからとい
経口インスリンなどが開発されつつあるようですが。
葛谷●プロタミンインスリンなどが1936年に出て、その後普
ですね。
うときの突然の中止でしたね。
葛谷●インスリンが発見されて間もない頃から、経口や点
及して20年ぐらいたった1950年〜60年代に糖尿病の合併
粟田● 1 日に何回も注射する必要があるということがわ
粟田●癌を促進する可能性が認識され、それ以後のインス
眼、吸入など、さまざまな方法が試みられてきました。吸
症である細小血管障害が大きな問題になっていた時期があ
かって、ペン型の注射などデバイスも進歩していったわけ
リンアナログ製剤の開発の重要なチェックポイントになりま
入で用いる製剤が一時期発売されましたが、使い勝手が悪
ります。
ですね。そういった背景で、インスリンの治療、注射の仕
した。
く発売中止になりました。
中間型インスリン1日1回注射で治療していた時代では、
1日3回注射と比較すると合併症が多いことが、レトロスペ
方も変わってきました。
インスリンアナログ製剤の誕生
クティブな統計の比較で報告されています。その時代のこ
とを「ダークエイジ(暗黒時代)
」と、タッタザールが表現し
粟田●次にインスリンアナログ製剤の話に移りたいと思い
ています。それで、1日1回注射は1日3回注射に比べて、
ます。ヒトインスリンが治療の中心となり、注射回数が多
血糖コントロールや合併症を防ぐ上では劣るのではないか
そして新たな超速効型インスリンが開発されて、1996年
経口インスリンは見込みなきにあらずだと思いますし、
にインスリン リスプロ、1999年にはインスリン アスパル
門脈領域から吸収させる利点はありますが、難しいですね。
トが発売されました。
粟田●今インスリンポンプとリアルタイムCGMを併用す
ると血糖コントロールが大変良くなり低血糖が減少する
持効型インスリンについては、その後、少し遅れて開発
されましたね。
ことから、その方面の開発が進んでいます。血糖値から
い強化インスリン療法が盛んになってきました。しかし、
葛谷●最初は、アルギニンを付加したり、アミノ酸の一部を
自動的にインスリンを投与する人工膵臓を作れる可能性
と言われ始め、大規模スタディで確かめようということに
そういう状況でも、なかなか血糖コントロールは難しく、イ
入れ換えて、等電点を酸性領域から中性へもってくるとい
があるということで、北米やヨーロッパで盛んに開発が行
なり、いくつかの小規模な研究のあと、DCCTや熊本スタ
ンスリンが高濃度の状態では6量体を形成する性質を持っ
う発想で開発され、インスリン グラルギンが成功したわ
われているようです。血糖と皮下で測定したブドウ糖との
ディが行われました。
ているために、注射してから効き出すのに時間がかかるこ
けです。
タイムラグやインスリンの投与が皮下であるということ
岩本●インスリンが注射製剤であるという問題は今でもあ
とが障害であることがわかってきました。
それから、ノボ ノルディスク社は発想を変えて、遊離
で、多少限界はあるようですが。そのため、従来の超速効
るわけです。できるだけ回数を減らしてQOLを高めると
まず6量体の結晶をつくりにくいインスリン製剤を作ろ
脂肪酸を1つ結合させて、それが皮下や血中のアルブミン
型インスリンよりもさらに効果が迅速なインスリン製剤や
いう考え方で、持続型製剤が開発され、いまの中間型製剤
うという動きが出てきたのですが、その辺はいかがでしょ
と結合することを利用して、作用を遅くしようということ
室温で安定なグルカゴンアナログ製剤の開発も行われてい
なども出てきました。私が医師になりたての頃は、それ
うか。
でインスリン デテミルが開発されましたね。発想として
るようです。
がまだ全盛の時代で、そういった治療によって、いまの
葛谷●インスリンの立体構造がわかってきて、最初から6
面白く、よく考えたと感心します。さらに新世代の持効型
葛谷● CGMで長時間の血糖の連続測定ができれば、その
「ダークエイジ」と言われたような結果が明らかになって、
量体になりにくいインスリンを作ったら、もっと速く効く
インスリンであるインスリン デグルデクが2013年に登場
先の進歩はテクノロジーとしてそれほど難しいことではな
命は長らえるけども合併症の発症は防げなかったことが明
のではないか、それで6量体を作るときに関係のあるアミ
しています。この場合は、グルタミン酸をスペーサーとし
いと思います。あとはいかに、患者が使用するのに抵抗が
らかになったわけですね。
ノ酸を修飾したインスリンを作ろうというのが超速効型イ
て、脂肪二酸を付加することにより、皮下でマルチヘキサ
ないような機器を開発するかですね。
ンスリン開発の発想です。
マーを形成し、作用が持続化します。
それで、また頻回注射法に戻っていった経緯があります。
図
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
の
進
歩
期
インスリン製剤の歴史 2
社名は当時のもので、インスリンの発売年は世界で最初に発売された年号を記載。
1936年
1938年
1941年
持
続
性
プ
ロ
タ
ミ
ン
イ
ン
ス
リ
ン
の
開
発
︵
プ
ロ
タ
ミ
ン
亜
鉛
イ
ン
ス
リ
ン
︵
P
Z
I
︶
発
売
︵
魚
の
イ
ン
ス
リ
ン
発
売
プロタミンインスリンにより、
血 糖 の 変 動 幅は大 幅 に 縮
小 。さらに注 射 部 位の痛み
や炎症も減少し、アメリカ糖
尿病治療の権威であったジョ
スリンは「ハーゲドンの 時 代
が到来した」と称賛
ハ
ン
ス
・
ク
リ
ス
チ
ャ
ン
・
ハ
ー
ゲ
ド
ン
︶
ノ
ボ
社
︶
中
間
型
イ
ソ
フ
ェ
ン
イ
ン
ス
リ
ン
︵
N
P
H
︶
開
発
︵
ノ
ル
デ
ィ
ス
ク
社
︶
イスジリン「シミズ」
1953年
1959年
二
相
性
イ
ン
ス
リ
ン
﹁
ラ
ピ
タ
ー
ド
持
続
型
亜
鉛
懸
濁
イ
ン
ス
リ
ン
﹁
レ
ン
テ
®
﹂
発
売
︵
®
﹂
シ
リ
ー
ズ
発
売
︵
ノ
ボ
社
︶
ブ
タ
精
製
中
性
イ
ン
ス
リ
ン
注
﹁
ア
ク
ト
ラ
ピ
ッ
ド
ノ
ボ
社 ®
︶ ﹂
プロタミン
を含まない
持続型製剤
発
売
︵
1967年
1973年
モ
ノ
コ
ン
ポ
ー
ネ
ン
ト
イ
ン
ス
リ
ン
を
開
発
︵
高
度
精
製
﹁
モ
ノ
コ
ン
ポ
ー
ネ
ン
ト
︵
M
C
︶
イ
ン
ス
リ
ン
﹂
発
売
︵
ヘ
キ
ス
ト
社
︶
ノ
ボ
社
︶
ノ
ボ
社
︶
1974年
高
度
精
製
ブ
タ
イ
ン
ス
リ
ン
﹁
イ
ン
ス
リ
ン
イ
ン
ス
ラ
タ
ー
ド
ノ
ル
デ
ィ
ス
ク
®
ハンス・クリスチャン・
ハーゲドン
(1888-1971)
32
︵
清
水
製
薬
株
式
会
社
︶
1946年
インスリン製剤の変遷をたどる
NPHインスリン
レンテインスリン
動物インスリン製剤
速効型のアクトラピッドインスリン(左)
二相性のラピタードインスリン(右)
﹂
発
売
︵
ノ
ル
デ
ィ
ス
ク
社
︶
図
ヒ
ト
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
お
よ
び
ア
ナ
ロ
グ
製
剤
登
場
こういった人工膵臓は古くから研究が行われています
インスリン製剤の歴史 3
1979年 1979年
ブ
タ
イ
ン
ス
リ
ン
か
ら
ヒ
ト
イ
ン
ス
リ
ン
︵
半
合
成
︶
の
合
成
に
成
功
︵
ノ
ボ
社
︶
遺
伝
子
組
み
換
え
技
術
を
用
い
た
ヒ
ト
イ
ン
ス
リ
ン
を
生
産
社名は当時のもので、インスリンの発売年は世界で最初に発売された年号を記載。
1981年 1982年
イ
ン
ス
リ
ン
自
己
注
射
保
険
適
用
︵
国
内
︶
半
合
成
ヒ
ト
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
発
売
︵
ノ
ボ
社
︶
世界最初の
ヒトインスリン
製剤
1983年
大
腸
菌
を
用
い
た
遺
伝
子
組
み
換
え
技
術
に
よ
る
ヒ
ト
イ
ン
ス
リ
ン
製
剤
を
発
売
︵
イ
ー
ラ
イ
リ
リ
ー
社
︶
1985年
1986年
1987年
1990年代
ペ
ン
型
注
入
器
﹁
ノ
ボ
ペ
ン
血
糖
自
己
測
定
保
険
適
用
︵
国
内
︶
酵
母
菌
を
用
い
た
遺
伝
子
組
み
換
え
技
術
に
よ
る
ヒ
ト
イ
ン
ス
リ
ン
を
生
産
︵
強
化
イ
ン
ス
リ
ン
療
法
の
普
及
®
﹂
と
専
用
カ
ー
ト
リ
ッ
ジ
﹁
ペ
ン
フ
ィ
ル
®
﹂
発
売
︵
ノ
ボ
社
︶
ノ
ボ
社
︶
1996年
超
速
効
型
イ
ン
ス
リ
ン
ア
ナ
ロ
グ
製
剤
﹁
ヒ
ュ
ー
マ
ロ
グ
®
﹂
発
売
︵
イ
ー
ラ
イ
リ
リ
ー
社
︶
1999年
超
速
効
型
イ
ン
ス
リ
ン
ア
ナ
ロ
グ
製
剤
﹁
ノ
ボ
ラ
ピ
ッ
ド
®
﹂
発
売
︵
ノ
ボ
ノ
ル
デ
ィ
ス
ク
社
︶
2000年
持
効
型
溶
解
イ
ン
ス
リ
ン
ア
ナ
ロ
グ
製
剤
﹁
ラ
ン
タ
ス
®
﹂
発
売
︵
ア
ベ
ン
テ
ィ
ス
社
︶
2004年
超
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2004年
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2013年
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インスリンアナログ
製 剤 の 開 発と使 い
捨てインスリン注 入
脂肪酸を付加した持効型溶解インスリンアナログ製剤
器の開発につながる
新世代の持効型溶解インスリンアナログ製剤
インスリン製剤の変遷をたどる
33
鼎 談
が、やっと少し見込みが出てきたところだと思います。
で、細胞シート工学を用いた移植が重要な研究テーマに
粟田●コンピュータテクノロジーやアルゴリズムの進歩が
なっています。岡野光夫所長が膵臓にも強い関心を持って
著しいことも人工膵臓の進歩を早めていますね。
いて、糖尿病センターの若い医師が指導を受けて研究を始
日本では人工膵臓の対象となる1型糖尿病患者が少なく
めています。いろいろな臓器、例えば心臓や消化管など、
市場としてかなり小さいのですが、将来的には妊婦や血糖
将来の夢としてはiPS細胞から分化した細胞シートを作って
コントロールが困難な2型糖尿病患者などにも人工膵臓の
植えるという形になると思います。動物実験の段階です
適応が拡がっていくことも考えられます。
が、意欲的に研究に取り組みつつあるところです。
一方で、SMBGによる日常生活における血糖測定は進歩
粟田●インクレチン療法が数年前から臨床に入ってきて、
したインスリン製剤を活用する上で重要だと思います。
2型糖尿病に使われています。そういった状況の中で、イ
葛谷● SMBG も数秒で結果が出るような迅速な機器も出
ンスリン療法はどのようなポジショニングで考えればいい
てきましたし、患者が理解して使いこなせるようになれば
でしょうか。
いいですよね。
岩本●この3年間のわが国におけるインクレチン関連薬の登
粟田●そうですね。CGMは日本でもようやく普及してき
場と進展は、過去の経口薬をはるかにしのぐ勢いで拡がっ
ていますが、コストの問題があるので、SMBGとうまく使
てきたと思います。それだけ2型糖尿病の治療にフィット
い分けていくことが必要だと思います。
する薬剤だったと思いますが、今後、また作用機序が異な
今後の糖尿病治療
るSGLT2阻害薬や、グルコキナーゼ活性化薬などが出て
くる予定です。今までとは異なる作用機序を持つ薬剤が登
粟田●次に、移植・再生医療について膵臓移植中央調整委
場して、選択の幅が拡がることは大変良いことですが、逆
員会の委員長をされている岩本先生いかがでしょうか。
に、そういう新薬を次々と使用することで、本当にインス
岩本●ご承知のように、臓器移植法の改正以降、ドナー
リンが必要なケースでインスリン導入が遅れることがあっ
が徐々に増えつつあり、1型糖尿病患者に、膵臓が提供さ
てはならないと思います。
れる機会が少し増えました。1型糖尿病の根治的な治療と
せっかくインスリン製剤とデバイスが進歩してきている
して、移植後に免疫抑制療法を続ける必要はあるものの、
ので、それらを生かせるようにしないといけないと思いま
膵臓移植をした患者のCGMデータを見ると、血糖値が完
す。少なくとも医師は、そういう考えを持たないといけま
全にフラットになり正常化しているので、素晴らしい治療
せん。
だと思います。しかし、全体としてみると、海外と同じく
粟田●インクレチン療法にも限界があり、生活習慣の乱れ
らいに飛躍的に数が増えているわけでは決してありませ
などで血糖が上昇する状況が続くと糖毒性を来たし、その
ん。日本においてはドナーがまだ少ないこともあり、今後
有効性が維持できなくなるようです。そうした場合に、糖毒
も膵臓移植の恩恵を受ける患者が多くなるとは言えないで
性を解除するのに一番よい薬剤は、やはりインスリンだと思
しょう。欧米の膵移植の患者数に比べたら、大変少ない状
いますね。
況です。
葛谷●そうですね。一番確実に効くというということで
一方で、膵島移植は1回の移植では必ずしもインスリン
すね。
離脱ができず、2〜3回の移植でも確実に離脱できるわけ
粟田●本日はインスリン製剤の歴史から、最近の話題、今
ではありません。ドナーが出たときに、効率的に良質な膵
後の展望についてお話しいただきました。
島を分離できる拠点がいくつかできれば、インスリン離脱
今後、インスリン療法にどのような進歩が見られるのか
といった恩恵を受けられる患者が増えてくるのではないか
興味が尽きない点はありますが、インスリン療法のさらな
と思っています。
る発展を期待して、この話を終わりにしたいと思います。
再生医療の分野では、iPS細胞とは別に、東京女子医科
大学の医工連携の大きな拠点である先端生命医科学研究所
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インスリン製剤の変遷をたどる
本日はどうもありがとうございました。
(2013年5月収録)
著者プロフィール
あわた
たくや
粟田 卓也
1981年 東京大学 医学部医学科 卒業
1986年 自治医科大学 内分泌代謝科 助手
1993年 マサチューセッツ大学 病理学教室 博士研究員
1995年 埼玉医科大学 第四内科 講師
1999年 埼玉医科大学 中央研究施設RI部門主任 兼 第四内科 助教授
2005年 埼玉医科大学 中央研究施設RI部門主任 兼 第四内科 教授
2008年 埼玉医科大学 内分泌・糖尿病内科 教授
現在に至る
2013年12月16日発行
第1版第1刷
<非売品>
監修・執筆
粟田 卓也
発 行 所
株式会社メディカル・ジャーナル社
〒102-0073
東京都千代田区九段北1-12-4
TEL 03-3265-5801(代) FAX 03-3265-5820
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