FGひろば146号 クリエイターズ・アイ Web Special Version 漫画家 みなもと 太郎氏 1947年生まれ。京都府出身。67年に『別冊りぼん』でデビューし 70年『週刊少年マガジン』で革新的なギャグ漫画『ホモホモ7 』を 連載開始。以後、 『ハムレット』や『レ・ミゼラブル』に代表される名 作の漫画化シリーズなど次々とユニークな作品を発表。 ライフワー クとも言える歴史大作『風雲児たち』は、2004年、栄誉ある 「手塚 治虫文化賞・特別賞」を受賞している。 大衆の力「漫画」はサブカルチャーなんかではない。 次代に直接影響を与えるメインカルチャーだ。 編『風雲児たち』 は、1979年から雑誌連載が始まり、 コミック 先鋭的なギャグではなく、 古きよき上質なユーモア漫画を回帰させたい で全30巻。 それらを当時から愛読していた元祖みなもと太郎 編集部 (以下 編 ) 『FGひろば』 の読者はさまざまな形で印刷 方では「こんな素晴らしい業績をいまごろ評価するなんて遅 に携わっていますので、 「漫画」 について詳しい方がたくさん すぎる」 と憤慨した人もいたとか。 いらっしゃると思います。 それでも、みなもと太郎さんのことを みなもと そう言ってもらえるのは嬉しいですが、賞を取った ご存じの人は、少ないかもしれません。 からと言って、 その漫画がもっと面白くなるわけではないから みなもと 少ないでしょう (笑) 。 マニア受けはいいんですが、私 ね。 もちろん推してくれた方には深く感謝していますが、賞は、 の漫画は一般受けしないから。 いまも昔も。 取った取れなかったで一喜一憂するものじゃない。 編 しかし、 音楽と一緒で、 ヒットしたからと言って必ずしも 「い 編 確かに、 受賞しなかったとしても、 『風雲児たち』 のあの突 い作品」 とは限りませんし、 あまり知られていない漫画家の作 き抜けた面白さ 「笑い・涙・感動」は不変ですよね。 こんな奥 品の中にも、素晴らしいものはたくさんあります。今回のクリ 深い歴史ギャグ漫画の世界を、俺たちはずっと前から知って マニアは 『風雲児たち』 が受賞したとき、大いに喜びつつも一 エーターズアイでは、 そんな“知る人ぞ知る漫画家”の中には、 いたんだという、昔からのファンの“得意な気持ち”もわかるよ こんな凄い人もいるのだということをぜひ読者の皆さんに紹介 うな気がします。昔からのファンと言えば、 いま世代を超えて したいと思い、 みなもと太郎さんに登場いただいたわけです。 人気のある劇作家の三谷幸喜さんも、小さい頃から、みなも みなもと それはそれは、 ありがとうございます。 と漫画の大ファンだったんですね。 『冗談新選組』 の対談を読 編 「知る人ぞ知る」 などと言ってしまいましたが、 『 風雲児た んで初めて知りました。 ち』 が、歴史マンガの新境地開拓とマンガ文化への貢献によ みなもと 私が最初に少年雑誌に連載を始めた 『ホモホモ7』 り、2004年に 「手塚治虫文化賞・特別賞」 を受賞してからは という作品を、三谷さんが小学生のときに読んで衝撃を受け、 ファン層が一気に拡がったのではないですか? それ以来ファンになってくれたということです。彼がNHKの大 みなもと 拡がったとは思いますが、何百万部とかアニメ化と 河ドラマで『新選組』 の脚本を担当したとき、私の『冗談新選 か、 そういうのとは無縁だから、やっぱりマニア受けじゃない 組』 を全体のベースにしてくれたようですね。本当は『風雲児 のかな。 たち』 みたいなのを大河でやりたかったのに、NHKからダメだ 1 FGひろば146号/CREATOR'S EYE みなもと太郎氏 ロング・インタビュー と言われたらしい (笑) 。 みなもと いませんでしたね。作品によって線を描き分ける人 編 実は自分も小学生時代に少年マガジンの連載で 『ホモホ はいても、 同一漫画内でやったのは自分が初めてです。 モ7』 を読み衝撃を受けた一人なんです。 でも、当時はギャグ 編 劇画調との対比の中で、 丸かいてチョンのシンプルな顔が 漫画と言うと、周りの友だちは赤塚不二夫とか、 ちょっとHっ 堂々と主役におさまっているのが何ともいいんですよね。 ぽいものだと永井豪とかの話題ばかりで。 みなもと あれは私が3歳ぐらいのときに描いていた顔そのま みなもと 普通の小学生はハマらないでしょう、 ちょっと変わっ んま (笑)。要するに子供のいたずらがきなんだよね。 でも、 あ た子供じゃないとね(笑)。 そう言えば、 ちょうどあなたぐらいの の顔がその後のアニメの表現にかなり影響していると言って 年齢、40代後半から50代前半ぐらいの人が、 いま、 アニメと くれる人もいます。驚いたとき目が点になったり、深刻なシーン か漫画とか編集などの世界で中心的な存在になってきてい で急に劇画調になったり。 て、三谷幸喜さんのように 「実は子供の頃『ホモホモ7』 が大 編 確かに、 山上たつひこさんの 『がきデカ』 なんかも、 こまわり 好きだったんです」 と、最近、 いろいろなところで声をかけてく くんが急に真面目な顔に変身するシーンなどに 『ホモホモ7』 れるんです。 の影響を強く感じますね。 編 ホモホモ団塊の世代ですね (笑) 。 みなもと ただし、 ある時期から、 ギャグ漫画というのが、妙に みなもと そういう人たちと、 いまあらためて語り合えるという 先鋭化されていくんです。私が目指すものとはかなり違う方向 のは、 この歳になって、 何だか嬉しいですね。 で。 そもそも 「ギャグ」 というのが、 ちょっとキツイ言い方でしょ。 編 隠れみなもと太郎ファンが、 まだまだいろんな業界に潜ん 俺らが小さい頃には、お笑い漫画・ユーモア漫画という言い でいるんじゃないですか?意外と印刷業界にも。 方しかなかったわけで。 そういうものが駆逐されていくのが みなもと ギャグ漫画を描くとき一番困るのは、読者の反応が 嫌だったから、子供のときに読んでいた 『よたろうくん※1』 とか すぐに返ってこないことなんですよ。劇場やテレビの収録なら 『わんぱくター坊※2』 とか、 『おそ松くん』時代の赤塚不二夫の 目の前で観客がドッと笑い、 ウケけたかどうかがすぐにわか ようなものを、何とか回帰させたいという思いはありました。 る。 もしスベったとしても、 それを修正して次のネタに活かせ 編 ユーモア (Humour) の語源は、 ヒューマン (Human) だと る。漫画だと、反応が返ってくるのが、早くても2〜3週間後。 言われます。 『風雲児たち』 をはじめ、 みなもと漫画を読んでい 読者の表情が見えずに、 「このギャグはウケるかな」 と想像し ると心の奥の方から笑いが“こみあげてくる”のは、先鋭的な ながら黙々と一人で描くのは、 なかなか辛いものがあります。 ギャグの応酬ではなく、人間的な、 ほのぼのとした上質なユー 三谷幸喜さんの反応なんか、発行後、30年も経ってから返っ モアが根底に流れているからなんですね。 てきたわけですから (笑) 。 金銭で、楽しみを労働に変えてはいけない。 原点は 「描くこと」 の、無償の喜び。 編 いま働き盛りのクリエイターたちが、 なぜ、小学生時代に、 みなもと漫画に衝撃を受けたのか。 それはやはり新しさなん でしょうね。主役は、丸かいてチョンみたいな単純な顔なの 編 デビューは 『ホモホモ7』 ではなく、 『りぼん』 という少女雑誌 に、女性はやたら描き込んであってセクシーだったり。単純な の単発読み切りで、1967年、みなもとさんが20歳のときです 顔が、突然、 ド迫力の劇画に豹変したり。 あこそまで極端な変 ね。 自分の作品が初めて印刷物になったときは、 どんなお気 化をつけて描く人は、 他にもいたんですか? 持ちでしたか? ホモホモ 7「完全版」 冗談新撰組 2 FGひろば146号/CREATOR'S EYE みなもと太郎氏 ロング・インタビュー けです。気づかないうちに。 これは30代になってから知った ジョークですが、 ああ、 自分はあのときこの子供たちだったん だなと。 デビューして原稿料をもらうとね、漫画が労働になる。 2作目を描こうと思って机の前に座っても、 なぜか進まないの は、 それに気づかないからなんです。 編 気づかないというのが一番怖い。 みなもと そうなんです。誰かに指摘されなければ、 自分では わからない。 だから最近でも、 ここまで腕があるのにと思える ような優秀な新人が、 デビュー作一本で消えていくことが意外 と多いんです。 それまでは、親に叱られようが、押し入れの中 で描こうが、 自分の原稿は無限の価値のある産物だったの に、 それが一枚何千円だという値段がついた途端に、 それは 何千円のものでしかなくなる。楽しさや喜びが労働に化け、二 作目からいいものが描けなくなる。 編 みなもとさんは、 どのようにして、 そのことに気づかれたんで すか? みなもと あるとき、漫画同人グループの一つ『作画グルー プ ※3 』の存在を知り、 その代表者の『ばばよしあき』や会員 ひじり ゆき の聖 悠紀 ※4と出会ったんです。 3人で、夜を徹して漫画の みなもと それはもう嬉しいし、 デビューしただけで天下獲った 話をしたりしてね。 そのとき、聖が得意のSF物を描いてい みたいに 「どんなもんだい」 という気分にはなったけれど、次 て、100ページもの下書きを見せてもらい、 アマでここまで の注文がこない(笑)。何か2作目を描こうと思ってはみても、 の腕があるやつがいるのかと驚いた。新人とは言え俺はプ どうしてか、 描けないんだよね。 ロだ、 なんていう天狗の鼻は、完全にへし折られましたね。 編 どれぐらいの期間、 ですか? だから俺はプロになってからアマに目覚めることになる。 みなもと 2〜3カ月が限界で、半年経っても次のアイデアが 編 労働から喜びへ、 また漫画の楽しさを取り戻したと。 湧いてこないと、 これはもう地獄ですよ。 デビューしたくてでき みなもと 作画グループに参加して、 プロもアマもないんだと気 ない頃よりも辛い心理状態になりますね。 ちょっと人に見ても づき、漫画は楽しんで描くものだという原点に帰ったわけで らって 「ああ、 またこの手の作品か」 なんて言われたりすると、 す。 やっぱり漫画は、描く本人が楽しくなければ、読者に楽しさ もう日本にはいられない、 というぐらいに落ち込む。楽しく描く なんて伝わらないですよ。 ということを忘れてしまうんですよ。 絵には音がある。 喜怒哀楽すべてに、笑いがある。 編 楽しみが、 苦しみになってしまうんですね。 みなもと はい。金が入るということは、実は非常に怖いこと なんです。 ユダヤジョークというのがありまして。 ユダヤ人の床 編 そんな吹っ切れた状況から、 みなもと漫画の原点とも言え 屋がいたと。彼が客の髪を刈っていると、店の前に子供が集 る 『ホモホモ7』 などが誕生していったんですね。 そして、名作 まり 「ユダヤの床屋、 ユダヤの床屋」 と騒ぎ立て、商売の邪魔 文学をギャグ漫画化するという、新たなスタイルも生まれまし になって仕方ないから、 コラッと怒ると蜘蛛の子を散らすよう た。 『レ・ミゼラブル』 や 『ハムレット』、 『モンテ・クリスト伯』 など、 にいなくなる。 けれども、 また仕事を始めると 「ユダヤの床屋」 どの作品からも、確かにご自身が楽しんで描いている感じが、 とやって来る。 どうしようかと考える。 そこで、 「毎日、床屋の宣 はっきりと伝わってきます。原作があって、 それをおもしろおか 伝をしてくれてありがとう」 と、 お駄賃をやることにした。 あげて しくアレンジしているのに、 オリジナルの精神性みたいなもの 「バイバイね」 と。 2日目もあげて、 3日目に来たとき 「今日から は失わない。名作を相手に、 よくもあれだけ自由自在に“みな は一銭もやらないよ」 と言ったら、子供たちはがっかりして二 もとワールド”を展開できるものだと驚いてしまいます。 度と来なくなった。 みなもと『風雲児たち』 も、幕末という史実があると考えれ 編 まさに、 お金の“怖い力”ですね。 ば、原作付き漫画と言えるでしょう。原作の面白さを活かしな みなもと ユダヤ人は、子供たちから何を買ったのか。喜び がら漫画にする才能と、 オリジナルをゼロから創作する才能と を金で買うわけですよ。 それまでの、 「 差別して騒ぎ立てる楽 は、 まったく別のものなんです。俺の場合は、原作という一つ しみ」 という無償の娯楽が、労働にすり替えられてしまったわ の種を膨らませ育てていくということには、 ある程度の自信が 3 FGひろば146号/CREATOR'S EYE みなもと太郎氏 ロング・インタビュー ある。 ながやす巧 ※5なんかもまさにそういうタイプだな。 あの 際立たせていくというやり方は、 もっと大変なのではないかと 人は浅田次郎の小説をいくつか漫画化しているんだけれど、 思ってしまうんですが。 浅田氏本人が「文学と漫画は、常識的には全然別のものだと みなもと「笑い」 のことを考えるとき、 たいていの人は、 「喜怒 思っていたが、 ながやす作品を見たら、 ああそうではないと思 哀楽」 の 「喜」 と 「楽」 にしか笑いがないと思っている。 そんなは い知った」 みたいなことを、 解説文の中で書いていましたね。 ずはないんでね。 喜怒哀楽の全部に、 「喜の笑い」 「怒の笑い」 「哀の笑い」 「 楽の笑い」があるんです。 それに気づきそれを 編 漫画の深みも、 文学の深みに通じるものがあると。 みなもと まあ、 ながやす巧でなければ、浅田次郎もそこまで 表現できないと、 いわゆるボケと突っ込みだけの浅い笑いに は思えなかったという気はします。 彼は原作のよさを漫画で膨 なってしまいます。 とくに、 「哀しみの中の笑い」、 というのは奥 らませる才能だけでなく、絵そのものの技量が飛び抜けてい が深いですよ。 る。同じ浅田次郎原作の 『壬生義士伝』 なんて、 それはそれは 編 なるほど、 『レ・ミゼラブル』 にしても 『風雲児たち』 にしても、 凄いもんですよ。 あれだけ長編で、 あれだけたくさんの人物が登場し大騒ぎを 編 原作を漫画化する場合、 音声がない分、 アニメ化や映画 しているのにコントのようにならず、要所でホロリときて、最後 化に比べると、不利な部分もありますよね。 は笑いながらジーンとさせられてしまうのは、原作にある喜怒 みなもと いや、 それは違います。漫画から、本当に音は出て 哀楽が、 それに応じた深い笑いに置き換えられているからな いない?たとえば漫画をアニメ化すると、必ずと言っていいほ んですね。 ど 「主人公の声が、 イメージと違う」 なんて意見が出るじゃな 貸本屋なき時代、 コミケは漫画文化発展の 原動力。 この火を絶対に消してはならない。 い。 つまり自分の中では声を聞きながら読んでいるんです。漫 画は、実は結構、喧しいんです。 だから音がしない状況ではわ ざわざ 「しーん」 なんて文字で書かなければいけない (笑)。逆 編 三谷幸喜さんも、 その独特な世界観を大河ドラマで表現 に、音のしない絵を描ける人っていうのは凄いわけだ。 さっき したかったというぐらいに面白く、 しかも歴史の勉強にもなる 話したながやす巧の『鉄 道員』の冒頭の雪のシーンなんて、 『風雲児たち』 なんですから、 アニメ化の話も多いんじゃない ぽ っ ぽ や 何の音もしない。静寂そのものです。浅田次郎は、 そんなとこ ですか? ろにも衝撃を受けているんだと思う。 みなもと 話だけなら二桁ぐらい来ていますが(笑)。出ては消 えていっている。 いまの日本の監督で『風雲児たち』 をアニメ 編 へたな映画は敵いませんね。 みなもと 敵わない、敵わない。水野英子 の 『セシリア』 なん 化できるやつはいるのかと、 こっちが勝手に思っていればい て、元ネタの映画『ジェニーの肖像』 を完全に凌いでいると思 いんであってね。 いますよ。 編 みなもと漫画は、 コマ割りのバランスがわざと崩されてい 編 原作付きの漫画というのは、 想像以上に奥が深い世界 たり、 フキダシが小道具になっていたり、 アニメというよりは、 なんですね。 しみじみしたものをしみじみ描くのも大変でしょ ページを捲ったり戻ったりしながら細かい文字までじっくり読 うが、 あえて 「笑いの要素」 を加えながら原作の素晴らしさを んでいきたい、 漫画らしい漫画だと思っているんですが。 ※6 風雲児たち 4 FGひろば146号/CREATOR'S EYE みなもと太郎氏 ロング・インタビュー みなもと 紙でないと表現できない漫画じゃないと、俺は、 い 文化の方でしょ。漫画はサブカルチャーだとか言われますが、 かんと思ってる。 たまに出版社から 「とてもうまい漫画家がい 漫画のような大衆文化の方が本来はメインカルチャーなんで るので感想を」 と作品が送られてきたりするんだけれど、確か すよ。 に面白いし、 そのままテレビ化してもいけるなと思ったりする。 編 大衆文化の発展のためには、 プロ・アマを超えた力が必 でも、漫画そのものの完成度となると、 そんなに高く評価でき 要ですよね。みなもとさんは、 プロとして 『風雲児たち―幕末 ないんだよね。 ストーリーはうまいけど、 それだけ。最近は、 そう 編』 などを雑誌に連載しながら、一方で、 アマの人に混じって いう作品が少なくありません。 コミケでも自作を出品されているそうですが、 やはり、楽しんで 編「紙でないと表現できない漫画」 というのは、 つまり印刷物 漫画を描く、 ということですか。 としての漫画、 ですね。 みなもと 編集者が口を出しすぎる環境が、好きじゃないとい みなもと 電子出版というのも出てきましたが、 今後どうなって うこともあります。 ここ20年以上、 ネーム※8なんて描いていない いくのか、現段階ではまったくわからない。 もっともらしいこと からね。ぶっつけでどんどん描いていく。直せと言われてハイ を言えと言われればそれなりに話しますが、正直なところ、 い と直したことなんて一度もないし (笑)。 たいていの漫画家は、 まはあまり多くを語りたくないですね。 何度もネームを描き直して、 それがやっと編集に通ってから描 編 印刷文化の 「基本」 は、 やはり紙だと思います。 き始める。 それじゃ、面白くならないだろうと思うんだよ。 そのと みなもと 庶民のための文化は、印刷物じゃないといけませ きそのときの新鮮な気分でぐいぐい描いていかないと。 ん。俺が小学生の頃、貸し本屋で立ち読みして、 とても心に 編 音楽もそうですね。 ディレクターの要求で何度も何度も録り 残った漫画があってね。欲しかったけど、手に入らなかった。 直していくうちに、演奏がつまらなくなる。 それがある日、会津の『昭和漫画館青虫』 という私設の漫画 みなもと そうです、 そうです。 きちんとしたものになりすぎてね。 図書館で、バッタリ再会したんです。二度と手にすることはな スタジオよりライブの方がよかったりね。 クラシックだって基本 いと思っていたので本当に嬉しかった。 これが絵画のような はライブなんだから。編集者があまり口出ししぎるのは、俺の 一点物だとそうはいかない。 ルーブルやボストンの美術館に 場合はちょっとね。 だからいま、 これだけ、毎日読んでも読んで 行かなければ見られないんだから。 もちろん、漫画でも 『あす も読みきれないほど雑誌が出ているのに、 3時間も4時間も なひろし 』 のように、ぜひ原画を見てほしいと思う凄い絵も 行列してコミケに行って素人の漫画を買うというのは、 やっぱ ありますが、 やっぱり大きなうねりとして“大衆の中で生きてい り編集のフィルターをくぐっていない作品に何かがあるからな く文化”というのは、大勢の人が同じ物を楽しめなければ嘘だ んです。最悪の環境だもの、 コミケで本を買うっていうのは。 ※7 と思うんだよね。大名たちにしか見ることのできない襖絵が日 夏は異常に暑いし、臭いし (笑)。冬は寒い。 そんな状況で、 ぺ 本の文化で、庶民が自室に飾る浮世絵が脇役だとは俺には らっぺらの薄い漫画を千円だ千五百円だで必死に手に入れ 思えない。一点物の絵画や美術品も、 もちろん素晴らしいけ る。何でこんなに飢えているんだ、 こんなにたくさん漫画があ れど、 どっちが多くの人々の生活に溶け込み、次の世代に直 るのに。 接的な影響を与えていくかと言ったら、 どう考えても紙の複製 編 みなもとさん自身がコミケに出品なさるきっかけは何だっ スターウォーズ ドン・キホーテ まんが学特講 レ・ミゼラブル「完全版」 5 FGひろば146号/CREATOR'S EYE みなもと太郎氏 ロング・インタビュー たのですか? マの人が、 少部数でも手軽に自費出版できる時代ですから。 みなもと 昔、 ミュージカル劇の『ラ・マンチャの男』 に感動し 編 少しでも漫画文化発展の力になれるよう、 同人誌のような て、何とか漫画化したいと思い続け、長年の構想を経て奇想 パーソナルなニーズにもしっかりと目を向け、印刷技術もどん 天外なSFに置き換えて100ページぐらいにまとめたんですよ。 どん進化していかないとダメですね。みなもとさんも、 『風雲児 でも、当時、他にくっつける作品がなくて単行本にできなかっ たち』 の続きを楽しみに待っているたくさんのファンのために、 たんだよね。 それを、 どうやって世に出せばいいかなと。 コミケ ドン・キホーテのように、 ペンという槍を握り、 いつまでも若々 に首を突っ込んだのは、 その頃からです。 しく漫画という巨人に挑み続けていってください。 ご活躍、期 編 知る人ぞ知る大御所の漫画家がコミケに参加するなんて、 待しています。長時間にわたり、本日は本当にありがとうござ すごい好奇心と言いますか、 柔軟性と言いますか。 いました。 みなもと コミケには、漫画文化を継続させていく、大きな可 みなもと こちらこそ。 いろいろ締切りがあるんだけど、漫画の 能性があります。 かつて日本には貸本屋という存在があり、漫 話をしていると止まらなくなっちゃうんだよね (笑) 。 画文化興隆の源になっていた。 それが消え去って、 これはもう 絶望的だなと思っていたらコミケが出てきて、 また希望が持 てるようになった。黙って見ている手はないので、 自分も付き ※1 よたろうくん…山根赤鬼(やまね・あかおに)著。1956年−68年に 『少年ク ラブ・ぼくら』 に連載。 合ってみるかなと。 コスプレだのエロだのと騒ぎがあるとそこ だけが拡大報道されて、東京都のお偉いさんの中にも猛反 ※2 わんぱくター坊…ムロタニツネ象(むろたに・つねぞう)著。昭和30年代『ま んが王』 に連載。 対している人がいますが、困ったもんです。 そういう発想が文 化をダメにするんですよ。漫画文化の発展のために、 コミケの ※3 作画グループ…1962年に結成された、会員制同人誌(漫画同人グループ) の老舗。代表者、 ばばよしあき。 火は絶対に消してはならんのです。 編 作品を印刷物にして発表したいという作者の熱い思いに ※4 聖悠紀(ひじり・ゆき)…1949年、新潟県生まれ。男性。SF漫画を中心に 『超人ロック』 シリーズなど著書多数。 応えるのは印刷会社の役割ですし、 ビジネスとしても期待でき るということで、同人誌の分野は、印刷業界にとって重要な市 ※5 ながやす巧(ながやす・たくみ)…1949年、長崎県生まれ。'75 年『愛と誠』 で講談社漫画賞を受賞。主な著書に 『その人は昔』 『Dr. クマひげ』 など。 場の一つになってきています。 みなもと 印刷物って、 自分の作品を客観的に見られるんです ※6 水野英子(みずの・ひでこ)…1939年、山口県生まれ。牧美也子、わたな べまさことともに少女漫画家御三家の一人。代表作に 『ファイヤー! 』 『ハニーハ ニーのすてきな冒険』 など。 よ。原画を描いているときは、 そこそこ上手く描けているという 錯覚に陥りやすいんですが、印刷物になって初めて 「あっ、俺 ※7 あすなひろし…1941年−2001年。東京生まれ。印刷で再現できないほど 精緻な原稿を描く、職人的な漫画家。代表作に 『とうちゃんのかわいいオヨメさ ん』 『走れ!ボロ』 など。 はこんなにヘタだったのか」 と気づくんです。気づいて、 だんだ ん腕が上がるんでね。 コミケの連中がどんどん腕を上げていく のは、作品がどんどん印刷物になっているからなんです。昔は ※8 ネーム…漫画を描くとき、 どのようなコマ割りで、 どのキャラクターにどんな台 詞を喋らせるかなどをラフに書き込んだ絵コンテ。 デビューしなければ印刷物にはならなかったけれど、 いまはア 6
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