人口減少社会にどう対応するか 目標とすべきは「一人当たりの潜在成長率」

エコノミストの眼
人口減少社会にどう対応するか
目標とすべきは「一人当たりの潜在成長率」
河野 龍太郎
BNPパリバ証券会社 チーフエコノミスト
「輸出頼み」の日本経済
8月以降、日本経済は「踊り場」的な状況にある。
最大の理由は、4−6月以降、輸出の拡大ペースが
り、実質では0.8%である。名目成長率はゼロ近傍
で推移し、物価が下落した分、実質ベースでは1%
程度の成長が続いているということである。
鈍化してきたことであろう。新興国を中心に、在庫
復元の動きと財政政策の効果が一巡し、世界経済の
内需停滞の最大の原因
成長ペースが鈍化した。この結果、日本も輸出の拡
それでは内需が停滞しているのはなぜか。様々な
大ペースの鈍化とともに、生産の拡大が足踏みして
理由があるだろう。2000年代初頭までは、バランス
いるのである。ただし、最も先行して成長ペースが
シート問題が内需停滞の最大の理由であったと考え
減速していた中国では、製造業循環が8月以降、回
られるが、その後は総人口の伸びが低下するなど、
復局面に転じている。続いて10月には、米国の製造
「社会の老化」が進展していることが主たる理由だ
業循環にも持ち直しの兆しが見られる。日本につい
と思われる。2006年には、遂に総人口の減少が始ま
ては、エコカー補助金打ち切りに伴う駆け込み需要
り、個人消費を抑制する大きな要因になっている。
の反動から、10−12月も製造業循環の減速が継続す
既に生産年齢人口は1997年にピークを打ち、1998年
る見込みだが、年明け以降は、世界的な製造業循環
から減少が始まっていたが、2000年代に入って減少
の改善を追いかける形で、緩やかながらも持ち直し
が加速して
が予想される。
景気の二番底は避けられるであろう。
お り、 今 や
0.4
日本経済のこうした輸出次第の状況は今に始
減 少 率 は
0.2
まったわけではない。輸出が拡大を続けている間
1%程度に
図 2:総人口(前年比、%)
0.3
0.1
は、何とか景気拡大が続くが、輸出の拡大が滞ると
達している。
途端に踊り場や景気後退の懸念が一気に広がる。同
このこと
時に、政府や日銀に対し、財政・金融政策を求める
は、 総 人 口
大合唱が始まる。
「輸出頼み」経済となっているの
や生産年齢
は、言うまでもなく、内需、特に個人消費が停滞を
人口の減少
続けているためである。1990年代後半以降、多少の
が総供給の
波が生じることはあるが、個人消費の平均伸び率
成長を抑制
(1995 ∼ 2009年)は、名目で0.3%とほぼ横ばい、
すると同時
0.0
-0.1
-0.2
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
(出所)厚生労働省資料より、BNP パリバ証券作成
図 3:生産年齢人口(15 ∼ 64 歳、前年比、%)
0.8
0.6
0.4
0.2
0.0
-0.2
-0.4
-0.6
-0.8
-1.0
-1.2
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
(出所)総務省資料より、BNP パリバ証券作成
実質では0.9%である。GDPもほぼこれに対応して
に、雇用者所得の低迷を通じ、総需要の成長に対し
お り、1990
ても大きな制約になっているということである。今
年代後半以
降の平均成
長 率 は、 名
目でマイナ
ス0.2 % で あ
図 1:名目民間最終消費(暦年、兆円)
300
290
280
270
260
250
240
230
220
のところ総人口の減少率は小幅であるが、労働の対
価として所得を稼ぎ活発に消費を行うという観点
から見れば、2000年代に入って生産年齢人口(15−
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
(出所)内閣府資料より、BNP パリバ証券作成
64歳)が減少率を加速させてきたことが、総供給、
総所得、総需要に対しより大きな縮小圧力を与えて
’
11.1
38
河野 龍太郎(こうの りゅうたろう)
・日経ヴェリタス『第15回 債券アナリスト・エコノミスト人気調査』(2010年3月発表)
エコノミスト部門 第1位 2008年(第13回)、2009年(第14回)に続き、3年連続
・(社)経済企画協会(内閣府外郭団体)
ESPフォーキャスト調査(2005年度、2007年度)
総合成績優秀フォーキャスター(予測的中率の高かった5名)に選出
いると考えるべきであろう。退職すれば時間的なゆ
も少なくないかもしれない。そう考える人々は、経
とりが生まれ消費が活発化すると、少なからぬ企業
済の低迷やデフレ環境が生じていることに対し大
が期待を寄せていたが、高齢化すると人々の消費は
きな疑問を持つのではないだろうか(あるいは、総
抑制気味になるというのが実態であったようであ
人口や生産年齢人口の減少は、マクロ経済にそれほ
る。様々な財・サービスにおいて、「人々が消費を
ど大きな影響を与えていないのであり、経済停滞や
しなくなった」と言われるのは、生産年齢人口の減
デフレの大きな原因は別のところにあると考える
少加速に対応している現象なのであろう。
かもしれない)
。筆者自身は、総人口や生産年齢人
しかし、2002 ∼ 2007年の景気拡大局面において
口の減少の影響は、潜在成長率を低下させるもの
は、生産年齢人口の減少加速による内需への悪影響
の、物価に対しては中立であろうと数年前まで考え
はあまり問題にされなかった。内需には相当な下押
ていた。前述したように、人は労働によって所得を
し圧力が加わっていたのだが、これまでのレポート
稼ぐと同時に、稼得した所得を元に消費を行う。い
でも論じている通り、この間、米欧の信用ブームと
ずれはマクロの需給バランスが均衡するため、長い
超円安の進展を背景に、日本が空前の輸出ブームに
目で見れば、物価に対し中立的に作用すると考えて
あったためである。当時、多くの人は、グローバリ
いたのである。
ゼーションの進展を背景とした世界的な分業体制
しかし、現実の調整過程においては、多くの構
の一段の深化により、ハイエンド商品の世界的な供
造問題と同様、潜在成長率(トレンド成長率)を低
給地として、日本に新たな成長機会、雇用機会、投
下させる要因は、デフレ的に作用するようである。
資機会が生まれたと錯覚した。それが生産年齢人口
そのメカニズムは次のようなものであろう。まず、
の減少加速や総人口の減少のもたらす内需の縮小
総人口や生産年齢人口のさらなる減少が予想され
問題を解決してくれる、と期待した人もいるだろ
ることで、企業の成長期待が低下し、設備投資や雇
う。しかし、見出したはずの成長機会は、米欧の信
用、ひいては個人消費が抑制され、総供給に先行す
用バブルと円安バブルによって生み出された輸出
る形で、総需要の伸びが低下する。その結果、需給
バブルに過ぎなかった。現在、人々は成長期待の低
ギャップが悪化し、デフレ圧力が生まれる。当初、
下を感じている。その引き金は米欧の信用バブル崩
生産年齢人口が減少することによって、失業問題は
壊や超円安の修正であったものの、真の原因は、総
徐々に解消すると多くの人は考えていた。にもかか
人口の減少開始や生産年齢人口の減少加速がもた
わらず、長期にわたって雇用問題が改善しない理由
らす内需の停滞にある。それらの問題が、単に輸出
の一つは、構造問題が企業や家計の支出低迷(総需
バブルによって覆い隠されていただけなのである。
要の低迷)という形で顕在化するためなのである。
ちなみに、不良債権問題も供給側の問題(いわ
人口減少はインフレ的かデフレ的か
ゆる構造問題)であるが、次のようなメカニズム
ところで、総人口や生産年齢人口の減少は、総
よって、インフレ的ではなく、デフレ的に作用し
供給の減少を意味するのであるから、需要超過をも
た。本来、金融部門の一国経済における役割は、リ
たらし、インフレ的に作用するはずだ、と考える人
スクを取って成長分野へ家計部門の貯蓄を仲介す
’
11.1
39
ることである。しかし、一国の金融部門が不良債権
価の変化の識別問題である。確かに、理論上はそう
問題を抱えると、成長できない問題企業・家計に追
なのだが、前述した通り、構造問題は総需要の停滞
い貸しが続けられると同時に、経営資源が不良債権
として先に現れるため、相対価格の変化も、短期的
問題への対応に割かれ、成長分野を発掘し貸出しを
には一般物価の下落圧力として現れる。相対価格に
行うという本来の役割が果たせなくなる。その結
影響をもたらす経済ショックは、短期においては、
果、一国の資本収益率は低下し、潜在成長率も低下
一般物価に対し中立ではあり得ないということな
する。一方で、成長期待の低下から、企業は設備投
のだろう。さらに、相対価格に大きな影響をもたら
資や採用を抑制し、家計は消費を抑えるため、供給
す構造問題が頻出し始めた段階で、既に日本の政策
サイドに先行して総需要が停滞し、需給ギャップの
金利はゼロ金利制約に直面し、伝統的な金融政策の
悪化からデフレ的な色彩が強まる。これが2000年代
有効性は失われていた。それゆえ、人口動態の変化
初頭までの日本に「失われた10年」をもたらしたメ
が引起す相対価格の変化(構造変化)の過程で生じ
カニズムである。
る一般物価への影響を金融政策で相殺することが
話を元に戻そう。人口減少と物価下落について
困難になっていたのである。
は、次のように考えることもできるかもしれない。
高齢者が増えることで人々の嗜好は大きく変化す
行ってはいけない政策
る。しかし、既存の供給構造が直ちに変化するわけ
それでは我々はどのような政策を行わなければ
ではない。特に高齢者が欲する新たな需要は、医
ならないのか。まず、政策当局が行ってはいけない
療、介護の周辺分野に多いと思われるが、同分野に
ことから始めよう。経済成長率の低下が生産年齢人
は様々な規制が存在するために、潜在的な需要が存
口や総人口の減少でもたらされているのだとすれ
在するにもかかわらず、新たな財・サービスを供給
ば、それに対して、財政・金融政策などマクロ安定
する経済主体の出現が阻害されている。一方で、現
化政策を発動しても、全く効果がないことは明らか
役世代(=生産年齢人口)が減少するため、既存の
であろう。一時的に需要の先食い政策を行って、成
財・サービスについては、過剰な供給力が恒常的に
長を高めることができたとしても、それは将来時点
発生する。その結果、既存の財・サービスを供給す
における不要な経済の落ち込みを作り出すだけで
る企業は恒常的な価格引き下げ圧力に直面する。新
ある。公的債務問題も深刻化する。
たな需要構造に対応した供給体制への移行が十分
また、公的部門の介入で民間の資源配分の効率
進んでいないことが、デフレ圧力をもたらしている
性を歪めることになれば、成長率のトレンドを低下
ということである。
させることにもなりかねない。労働力が減少してい
もちろん、ここで論じている問題は本質的には、
けば、資本ストックの水準が一定であっても、適正
相対価格の問題であって、適切な金融政策が取られ
な一人当たりの資本ストックを上回ることで過剰ス
ていれば、一般物価への影響は遮断できるという反
トックが発生し、資本収益率は低下する。
「設備投
論もあるだろう。いわゆる相対価格の変化と一般物
資の増加こそ、経済成長の源泉」と考え、財政・金
図 4:高齢者/現役比率の推移(%)
融政策で設備投資を刺激しようとすることは、収益
80
70
60
50
40
30
20
10
0
性の低い非効率な資本ストックを生み出し、成長率
予測値
の低下をもたらす可能性がある。古典派的な文脈で
考えると、労働力の減少によって、一人当たりの資
1950
60
70
80
90
2000
10
20
30
40
50
(出所)国立社会保障・人口問題研究所資料より、BNP パリバ証券作成
本ストックが過剰になる中で、資本蓄積を促そうと
することは、財政政策であれ、金融政策であれ、経
’
11.1
40
済に害悪をもたらすことになる。現在、マクロベー
き出し、一人一人の生み出す付加価値(=所得)を
スの設備投資が活発化しないのは、労働力の減少に
より高めていくことに他ならない。この中には、関
対応した民間部門の適切な反応なのかもしれない。
税障壁などを取り除き、幅広い分野で経済の自由化
を要求するTPP(環太平洋戦略的経済パートナー
適切な政策目標は「一人当たりの成長率」
シップ協定)への参加も当然含まれる。
こうした点からすると、経済政策の目標は「経
そもそも経済政策の目標は、人々の経済厚生の向
済全体の成長率のトレンド(潜在成長率)
」ではな
上であるが、それの意味するところは、一人当たり
く、「一人当たりの成長率のトレンド(=一人当た
の実質消費水準を持続的に向上させることであり、
りの潜在成長率、均衡実質金利、自然利子率)」と
それを可能にするのは、一人当たりの所得水準を持
すべきであろう。こうすれば、マクロ安定化政策に
続的に向上させること以外にない 。その事に対応
よって、生産年齢人口や総人口の減少の影響を相殺
するのは、正確には「一人当たりの潜在成長率」を
しようという無謀な政策も取られなくなるのかも
高めることであり、
「経済全体の潜在成長率」を高
しれない。経済政策の中間目標として参照されるの
めることではない。
「経済全体の成長率」の追求で
も、
「経済全体の成長率」ではなく、
「一人当たりの
はなく、
「一人当たりの成長率」を追求することは、
成長率」でなければならない。今後、人口減少の経
決して「豊かさ」への追求を放棄することではない
済成長への影響はより強まると見られ、早期に発想
のである。もちろん、経済全体の成長率を高めるこ
の転換が望まれる。
とができれば、それに越したことはないが、総人口
経済政策の目標を「経済全体の潜在成長率」で
や生産年齢人口の減少そのものは厳然たる事実とし
はなく、「一人当たりの潜在成長率」とした上で、
て、抗うことなく、受け入れなければならない。そ
喫緊の課題は、社会保障制度改革と税制改革であろ
こから全てが始まる。
う。人口増加の継続を前提に作られた現在の社会保
ところで、生産年齢人口の減少を止めることは
障制度や税制は、人口減少社会では持続可能性を
難しくても、就業率を高めることで、労働力人口の
失っている。膨張する公的債務の背景には、少子高
減少ペースを和らげ、労働供給の減少を抑えること
齢化の進展による社会保障予算(社会保障関係費)
は多少は可能である。実際、高齢化の進展によっ
の膨張があることは周知の事実である。財政破綻リ
て、労働市場から退出する人が増える一方で、女性
スクが高まっているだけでなく、年金や医療、介護
の就業率の継続的な上昇によって、労働力人口は生
といった社会保障制度を通じて、現役世代から高齢
産年齢人口の減少ほどには減少していない。今後、
者に大規模な所得移転が発生していることも大き
高齢者や女性の継続就業を促す政策は積極的に行
な問題なのである。社会保障制度の持続可能性に対
うべきであろう。特に、女性の継続就業を可能とす
する不信から、現役世代は支出を抑制し、「一人当
る政策は、平均的な日本の労働者の人的資本の水準
たりの潜在成長率」を低下させる大きな要因とも
を高めることから、
「一人当たりの潜在成長率」の
なっている。
上昇にもつながると考えられる。
税制や社会保障制度を人口減少社会の下でも持
図 5:労働力人口(前年比、%)
2.5
2.0
1.5
1.0
0.5
0.0
-0.5
-1.0
-1.5
続可能なものに改革すると同時に、我々が行うべき
ことは、「一人当たりの潜在成長率」を高めていく
ための、規制緩和、規制改革の推進である。規制緩
和や規制改革を中心とした成長戦略は、経済活動を
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00 01 02 03 04 05 06 07 08 09
(出所)総務省資料より、BNP パリバ証券作成
より自由にすることを通じて、人々の創意工夫を引
’
11.1
41