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2007年8月25日 - 小野市国際交流協会

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小野国際交流クラブ 第24回(平成 19 年 8 月)例会のまとめ
<日時>
平成 19 年 8 月 25 日(土)16:00∼17:30
<場所>
小野市うるおい交流館エクラ
Ⅰ
世話人から
ビジッター紹介:足立賢三氏
Ⅱ
情報提供、意見交換等
1
話題提供者:大津はるみ会員「スペイン生活について」
2
配布資料
(1) 大津会員から:①「スペインを知る本」1 枚
②
スペイン地図 1 枚
③「スペインの思い出」1枚(大津会員作。A4版、カラー)
④
産経新聞
H19.8.3 大津さんの活動紹介記事 1 枚、 他
(2) 村田世話人から:ニューズウイーク日本版 2007.9.29 より1枚:「世界を騒がす中国人観光客」
の中の『2007
3
観光客ランキング』(欧州のホテル経営者 15,000 人対象アンケートの得票結果)
大津会員からの報告概要(質問に対する説明を含む)
(1) 11 年前にスペインのマドリッド郊外 LAS ROZAS (新しく開拓された地域)に3年間居住(ご主人が日本
人学校に勤務の機会に)した。
(2) この経験が無かったら、今日の自分は今とは随分違った自分であったと思う(貴重な体験であった)。
(3) スペインに行った時、たくさんの桜の花が歓迎してくれていると思ったら、実はアーモンドの花だっ
た。この春知り合いのスペイン人の家族を龍野に案内した。その息子さんからのお礼の手紙に「きれ
いなアーモンドの花が見られて良かった。」と書いてあった。人は自分の記憶を通して経験に意味づけ
していると感じた。その意味で今日の話は、私を通して見たスペインということでご理解願いたい。
(4) 1 月に出産。3 歳児と 3 か月の赤ん坊を伴って、家族4人でスペインへ行った。スペインでの 3 年間は、
子育て、子どもの成長とは切っても切り離せない。
(5) 住んでいる集合住宅3階から毎日美しい公園を眺めることが出来た。徒歩 10 分の地にスーパーマーケ
ットがあり便利であった。
(6) スペインの人口は約 4,400 万人。面積は日本の約 1.3 倍。
(7) 2004 年のスペインの列車爆破テロをきっかけに、政権が交代し、イラクより撤兵した。
(8) 音声だけから日本語の意味に当てはめると随分面白いスペイン語がある。
例:
「アホ、Vaca を食べて賢く生きる」=にんにく(アホ→ajo)、牛(Vaca)を食べて賢く生きる。
dame! corre!(ダメ
コレ)=Give me(dame)、走れ!(corre)
(9) パエーリヤ:もともとはパラエジャ(彼女のために)という料理。漁師が魚介類を取って浜辺で作る
サフラン味の黄色い炊き込みご飯。
(10) フランスパンを買おうと思ったら「無い」と言われた。バケットはバラ(barra=英語の bar)といって
「棒」の意。
食事は、朝昼晩と、午前 11 時にオンセ、午後 4 時ごろメリエンダ(おやつ、間食と言う意味)をとるの
で一日に 5 回食べる。
(11) 1939∼1975 年 フランコ政権時代スペイン語を守ろうという意識が高かった。
(12) 1492 年、コロンブスが新大陸を発見した年、イザベラ女王がスペインからイスラム勢力を駆逐、レコ
ンキスタ(国土回復)を完成。イザベラ女王とフェルナンド王の末娘ファナは、fan、fanatic の語源
になった。スペイン王は、ブルボン王朝の血筋を引いている。Juan Carlos Ⅰ Burbon yBurbon スペ
インでは父方と母方の苗字を重ねる。
3大 Pablo :ピカソ、カザルス、サラサーテ
3大 Tenor のうちプラシド・ドミンゴとホセ・カレーラスはスペイン人
(ルチアーノ・パヴァロッティはイタリア人)
(13) ETA(バスク祖国と自由を守るためのテロ組織)のテロ活動が日常茶飯事にあった。警報が鳴ると、Bomba
が来るから避難するように言われる。幸いあまり危ない目には会わなかったが、バスで隣に座ってい
た友人が、カバンに入れていた財布をすられたり、男性がポケットにいれている財布をすられること
はよくあった。
(14) 思い出のベスト 10 について説明がなされた。
・アルフレッド・クラウス(スペインのテノール歌手)とお話できたこと。
・家の近くの音楽学校アマデウスに毎日通ったこと。音楽は言葉や文化を越えて感動を共有できるの
ですばらしい。
・最初、日本人教師 7 家族がバラハス空港に降り立った。空港は出会いと別れの場所。今も空港を訪
れるとさまざまな思い出がよみがえり、旅行く人々の無事と安全を願わずにはいられない。
・セゴビアにある青い屋根のお城は、ディズニー映画の「白雪姫」のモデルになっている。
・帰国後、夏休みを利用して家族でスペインのアルバセテにホームステイした。人口 1 万人ほどのリ
トエールを訪れた時、現地の人に「日本ではタナカが取れるだろう」と尋ねられた。
「タナカ」とは、
枇杷のことだった。
・水の代わりにビノ(ワイン)を飲む。シャンパンはカバ。ビネガーはビノが発酵してお酢になった
もの。
(15) (先日のふれあいキッズでもおこなった)PINATA(ピニャータ)は元々は「壺割り」から始まった。
(16) カルナバール(肉を絶つの意)
:灰の水曜日(4 週間の断食)の前にどんちゃん騒ぎをする。
(17) 踏み絵のセルド:ユダヤ人を見つけるために豚を食べさせた。ユダヤ人は嫌われている。イエスキリ
ストを磔にしたこともその理由の一つである。大スペイン帝国時代はイスラム教徒を追放した。
(18) アロス・コン・レチェ(スペイン風オムレツ)、トルティージャ・エスパニョーラ(スペイン風オムレ
ツ)などよく食べた。 お店で「メニュー」を注文すると、定食が出てくる。メニューはスペイン語で
は「カルタ」
。
定食は、パンと飲み物、前菜、メイン料理、デザートで 1000 円ぐらいだったが、ユーロになって 1200
円から 1300 円ぐらいになった。
(19) 子どもの頃によく聞いていたレコードで、
「コメ コメ ムーチョ」というフレーズをおぼえていた。こ
れは「たくさん食べろ」の意。
(20) 野菜としては大根、牛蒡が入手できなかったし、
「つけもの」も手に入らなかった。スペインではタコ
を食べる。イカのリングフライもある。米はインデイカ米。兎やカタツムリも食べる。
米が入手できなくても食生活には困らなかった。パスタを活用した。野菜、フルーツは安くて美味し
いし、メロンも安い。
(21) スペインでは手続きなど事務的なことが遅く、慣れるまではイライラした。昼は 1 時から2時までは
休み。
(22) 経済ではドイツとの関係が強かった。
(23) スペイン人は日本がアメリカと戦ったことを誉めてくれた。阪神大震災のときも心配してくれた。ア
ジアの中で日本人が優秀であることを認めてくれた。
「チノ」という軽蔑表現をしないで「日本人」と
言ってくれた。
(24)
3 年間の最後に、お世話になった人たちに贈った言葉:
「海こえて
4
音の調べの美しさ
わが心に
永久(とわ)に響かん。 」
ビジッターの足立さんから自己紹介があった。旅行(ご夫妻で)が好きで、外国旅行としてはヨーロッパ、
中国(10 数回)、アンコールワットへの旅行体験があるとのこと。国内では東北、北海道などに行った。
知覧にも行きたいと思っている。
5
井上会員から資料「大学国際化競う米欧中」(日本経済新聞 2007.8.6)の提供があった。次回に取り上
げて話すこととなった。
6
その他
会員氏名を書いた名札を次回から机上に立てることになった。
Ⅲ
次回の予定
1
話題
持ちより資料により、情報交換、意見交換を行なうこととなった。井上氏提出の資料の他に提供下さる
方は村田世話人まで事前にご連絡の上、当日 15:30 までに原稿をエクラにご持参ください。
2
日時・会場
平成 19 年 9 月 15 日(土) 16:00∼17:30
於
小野市うるおい交流館エクラ2階
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