16.「パリの旅を有難う!」

16.「パリの旅を有難う!」
フランスに居る君を見に妻と向爾の3人でパリに行った。 7月23日の朝5時過ぎに中
華街の裏側のアパートに着いた。
つからない。
引ける。
未だ真っ暗で、君のアパートの部屋番号301号室が見
外は石造りだが内部は木造で、ローカや階段がギシギシ音を出すので気が
明りを点ける方法も分からず、真っ暗な中を念のため4階も探したら、401号
室に君は未だ眠っていた。 フランスでは1階をレベルとして、1つ階を上るから2階を
1階、2つ階を上るから3階を2階と言うらしい。 フランス流の考え方を1つ覚えた。
君の住むアパートは裏庭に向いて小さな窓が1つある1kで、寝るだけの部屋だった。
6時過ぎに外に出て、フランスパンと生ジュースを買って帰り、朝食を食べた。 未だ
少し暖かいフランスパンの美味しいこと!
フランスでは朝の6時から焼き立てのパン
を売っており、フランス人はそれを毎朝近所のパン屋で買って朝食にするらしい。 「い
いなー!美味しいなー!」とフランス人の暮らし方とパン屋さんに感心した。
パリにコンビニがないので、パン屋さんのほかにも八百屋、果物屋、肉屋、駄菓子屋、
鍋屋等の小さなお店が軒を連ねていて、活気があって楽しい。 近くには朝市もやってい
る。
日本ではコンビニが出来て以来、それまであった日常生活用の商店街が段段少なく
なって、あるのは銀行と食堂とパチンコ屋と遊びの店ばかりになってしまい淋しい限りで、
パリの人々が自分達の日常生活を守る為にコンビニを許可しない賢さを羨ましく思った。
便利さを追求するあまりに日本人は、パン屋の叔父さんと話しながらの買い物の楽しさ
を無くしてしまったことを気付かされた。
その日から毎朝、フランスパンを買いに行く
のは、私の仕事になった。 古い石の家をそのまま使っているのでエレベーターがないア
パートの階段の上り下りはきつかったが、「ボンジュール!」「メルシー!」と言いなが
ら、とても楽しい毎朝だった。
焼き立てのフランスパンにイチゴをつぶしたのを挟んで
蜂蜜をかけて食べると美味しい!
その日は雑誌のグラビア写真を撮るモデルのヘアーデザインの仕事があるとかで、9時
に出かけた君と、午後4時過ぎに待ち合わせて、凱旋門を見に行った。 丁度エレベータ
が故障していて、暗い石の階段をぐるぐる回って登ったが、足がだるくて、心臓が痛くな
った。 それでも屋上に着くと、8本の放射状に広がるパリの道路と街並みは素晴らしか
った。 凱旋門に八方から集まる道路を丸くまとめて、そこからどの方向へも行けるよう
にしたのは、戦争に苦しんだフランス人の身を守る知恵だろうか。 そしてこの日以来、
何処に行ってもエレベーターは少なくて、石の道と石の階段を歩いて歩いて、足のかかと
が痛くなるまで歩いた。
古い物を大切に守ることはこういうことかと気付かされた。
アパートにはほとんどエレベーターがないので、最上階の7階の部屋は屋根裏部屋で、
昔は召し使いの部屋であり、今でも安い部屋で、金持ちは1・2階に住むのだそうである。
上の方の階を喜ぶ日本のマンション事情と逆で面白いね。
また、君に教えてもらって、地下鉄の全線共通パス券を買ったので、パリ滞在10日間は
何処へ行くでもお金が要らず、何番線の何処行きかだけ見れば、何所にでもいけて便利だ
った。
オランジェリー美術館、オルセー美術館、ルーブル美術館、国立近代美術館、ポンピド
-1-
ー博物館、モンマルトルの丘の上のピカソ美術館 と歩いて歩いて見て回った。 君がパリ
に居なかったら、私がパリに来ることはなかったろう。
君が居るから、ついでにモネと
ゴッホとモジリアーニの絵を見ようか、とこの遠いパリまで来る気になった。 君に感謝
したい。 お蔭様でモネのあの柔らかい表現の手法はどんな色を混ぜ合わせればいいか見
抜いたよ。 彼の空と水の表現の仕方も分かった。 ゴッホの筆の使い方も良く見えてきた。
今度私が描く油絵に活かすのが楽しみだ。
ところで、君の上司のロラーンは優しくて仕事熱心な良い男だね。 良い上司に巡り合
うことは人生最大の幸せだと思うので、頑張って彼の手伝いをしながら、彼の良いところ
を盗み覚えなさい。
あのネボスケの君が「仕事の日だけは飛び起きる」と言うのだから
少しは安心したけどね。
「 自分を伸ばす最大の方法は、良い上司に巡り合うこと、そ
の人にくっいて行くこと、言われたことを全力で行うこと、時間を守ること、そしてその
人への感謝を忘れないこと。」
今君がそれをやる時だ!
ところで、ロラーンの連れていってくれたフランス料理の店、美味しかったねー。
フ
ランス料理があんなに上手いとは知らなかった。 彼にお礼を言っといて下さい。
ロラーンの小型車は街角の何所にでも止められて便利だね。 狭い隙間につっこんで駐
車して、出るときはバンバーで押しのけて出て行くのは、日本では考えられない。
パリ
では事業用の車がほとんどなくて、小型の乗用車ばかりだったが、あれは古い街並みを保
存する為駐車場が少ないので、皆が路上駐車する為にそうなったんだろうね。 それと生
活関連の店舗はあっても、製造工場は少ないのだろうね。
それにパリではタクシーがベ
ンツの小型車である以外はほとんどフランス製の小型乗用車しか見かけなかった。
また、ロアール地方のお城を見に3時間ほどバスで走った時、見晴らす限りの農地が広
がっており、ひまわり畑やトウモロコシ畑は見たが、農場に働く1台の車も1人の人間も
見ることが出来なかった。 何と言う広い平野と何と言う人の少なさかに驚いた。
7月の1ヶ月か、8月の1ヶ月かに別れて、夏期休暇をとるそうなので、農民もお休み
だったんだろうか。 いずれにしても日本では考えられないことで驚いた。
また、パリの街に洋服屋さんと靴屋さんはいっぱいあって、その店独自のオリジナリテ
ィーあるものを出しているが、反面それしか無くて、品数は少ない。 その店をいろいろ
探して歩くのが楽しいらしくて、お母さんと君たちの買い物歩きは足がくたびれた。
こうやって思い出すと切り無いが 、日本とは随分違うし、アメリカの影響もほとんど
受けていない感じがした。
マクドナルドとザップとセンチュリー21以外はアメリカの店
はなかった。 ここも日本と大いに違うところである。 日本はほとんどアメリカの影響下
にあるからね。 フランス人の誇りと頑固さを感じる。
それに、パリには黒人もいっぱい居るが、どこか恐いアメリカの黒人と違って、とても
穏やかな楽しそうな目をしていて、なぜか嬉しかった。
きっとアメリカの黒人のように
奴隷として連れてこられた過去の恨みが無いか、差別が少なく生きやすいのではないか、
と思う。
ア、それからフランスの女性の美しいのには驚いた。
誰も彼もが小麦色に日
焼けしていて、太った人は少なく、それほど大きくなくて、上品な顔立ちをしている。
もう少し若かったらと残念である。
と、まあいろいろ感じるところ多く、楽しかったパ
リだった。 どうも有り難う!
日本には日本の素晴らしいところがいっぱいあるが、今回の旅で私は少し変わるかもし
-2-
れない。
アメリカ流の合理性だけを追求し過ぎたかもしれない、と気付いたからだ。
フランス流人間としての楽しみを生活の中に取り入れていこうかと思い始めた。
精ひげも、結構評判いいので、続けるかもしれない。
れだけ楽しませたかが男の勲章だ」と言うしね。
う。
私の無
「その家族をことに自分の妻をど
今後はそういうことも考えようかと思
君も頑張って、パリの修業が終ったら、またニュウヨークに戻って、早くニューヨ
ークNO1のスーパー美容師になって、いずれ日本にも帰ってきて下さい。 楽しみに待っ
てるよ。
1999年
8月
-3-
25日
記