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アーティストとして、もっとも大切なものをつかむレッスンノート

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アーティストとして
アーティストとして、
として、もっとも大切
もっとも大切なものをつかむ
大切なものをつかむレッスンノート
なものをつかむレッスンノート
ブレスヴォイストレーニング in 軽井沢 尚美学園研修センター
実録 夏の3日間特別ワークショップ '96「三日間で、あなたの声、歌、表現が本物に変わる」
監修/文責 ブレスヴォイストレーニング研究所編集委員会
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
目 次
Prologue Live Forever について・・・
I.レッスン編
(1)前夜祭
(2)準備~当日までの予習、材料集め
(3)First Day 昼
○個性は人との差の拡大したもの
(4)First Day 夜
(5)Second Day 朝
○モノトークについて
○事実とリアリティ
(6)Second Day 昼~
[苦悩のエチュード]
[再生 一人一言]
[喜びのエチュード一人一言]
[グループ発表]
(7)Third Day 解説
レッスンのプロセスでのQ&A
II.総集編
(1)
“少し危ない”感想文集(原文のまま)
(2)ワークショップアンケートの集計
あとがき
Prologue Live Forever について(原版)
・・・スタッフ 古賀
初め私はこの曲は ONE SWEET MOMENT を選んだ歌だと思ってました
『永遠の生』なんていらない
私が欲しいのは『至高の一瞬』を、と
まあ、間違ってはいないが、いかにも端的でした
もちろん
この歌は『至高の一瞬』を選んでいるのですが
その後ろには、断ち切れない『永遠の生』への想いがあります
つまり
『永遠の生』がいらないのではなく
『永遠の生』は手に入らない どんなに望んでも どんなに努力しても
だから
その枠の中で生きる僕たちは
『至高の一瞬』を求めるのだ、と
ほんとうは
『永遠の生』が欲しいのです
そしてそれがだめだとわかっていても
なお、求めずにはいられない……
死をまぬがれない人間の宿命的な悲劇が、ここにはあります
だって、死ぬなんて、怖いよね
ベッドミドラーのうたった名曲「THE ROSE」の一節
THE SOUL AFRAID OF DYIN'..
BUT NEVER LEARNS TO LIVE
〈人は死ぬことを恐れて、生きる事を学ばない〉
「限り」を恐れて、目をそらしてしまったら
「限り」を宿命として内包した「生」は学べない・・・
そう『永遠の生』への想いは断ち切らないと
「生」は、学べないのです
でもそれの、なんと難しいことでしょう
理屈ではわかる
そうだよね、と思うだけど……
ほとんどの人間は、弱くて、
死を恐れ、生きることをしない内に、本当に死んでしまうのです
『至高の一瞬』を手にするには
心も体も、存在のすべてを傾けなければだめです
すべてを捧げるから、すべて=永遠が手に入るのです
このことを一番がんばってます、ではだめで
すべて、が要求されるのです
自分の全体重をその一瞬にかけて
その次の瞬間には、すべてが終わる
かけた体重のまま、寄りかかっていたものをなくし、墜落していく
絶頂からどん底へ
それが
『至高の一瞬』の正体です
絶頂だけ、は選べない
墜落して..
下手すれば死んじゃうかもしれない
死なないまでも、
身も心もボロボロになります
その痛みをひきうける強さが
『至高の一瞬』には必要です
更に問題なのは
果たして人間は『至高の一瞬』だけで生きていけるだろうか?ということ
例えば恋愛についての『至高の一瞬』について
必死に『至高の一瞬』を掴み取ったとする
けれど、今、彼はそばにいない
これからもいないだろう
あれは、もう現出することはないのだ
『至高の一瞬』をなまじ知ってしまっているがゆえに
生き地獄かもしれません
だから
『至高の一瞬』を見てしまった者はドラックや酒におぼれたり、死んじゃったりします
素晴らしいものを手にした
しかし、人は死ぬ
つまり、どんな形にしろ、その素晴らしいものを失うのだ いつかは..
素晴らしければ素晴らしいほど
失うときは、身を切られるほどつらい
だから多くの人は
自分のコアをひっくり返すような
素晴らしいものをつくらないようにします
だって、いつかは、なくすんだから
なくせないものをなくしちゃったら……おしまいじゃないか?
でも
それって、生きてないよね
『永遠の生』があって『至高の一瞬』を手に入れられたら
何の問題もないんだけどね
そうはいかない
そうは、絶対にいかない
だから
『永遠の生』を夢見て、生きようとしない人がいて
一方では
『至高の一瞬』を手に入れて、失って、ボロボロになる人がいる
森よう子さんのエッセイに出てくるこんな問いを思い出します
『君は『傷心』と『空虚』のどちらを選ぶか?』
森さんは『傷心』と答えます
それに対して質問をした男性は
『僕は『空虚』だ。すべてじゃなければ、なにもいらない』
『永遠の生』を夢見る人は『空虚』を選び
『至高の一瞬』を追う人は『傷心』を選ぶ
リブ・フォエヴァーは
『永遠の生』を思い断って
『至高の一瞬』を選ぼうとする
ねえ、みんな、生きようよ!
といっているみたいに
この歌を口にできるほど愛するもの……
『至高の一瞬』を選ぶことによって
自分の身に降りかかる、苦しみを
あえて引き受けられるほど愛するもの
ほんとうは誰にだってひとつくらいあるかもしれないけど……
『至高の一瞬』を選ぶのは本当に難しいことです
時間芸術である歌は、まさにこの『至高の一瞬』を現出させられるかどうかが
一流とそれ以外の歌い手との別れ道です
『リブ・フォエヴァー』……
この曲を歌うジョルジアは本当に、神々しいまでに美しいです
『至高の一瞬』へ身をゆだねる、覚悟も強さも持ちわせている
それは、まるで、オリンピックで自分の限界にいどんでいたアスリートのような顔です
このステージ自体が『至高の一瞬』でした
ジョルジアは当時 23 歳
サンレモで優勝して脚光をあび
自国イタリアのスーパースター パバロッティと競演する大チャンスを得て
大観衆の前で歌う
数多くのレパートリーから選び取った曲は『リブ・フォエヴァー』
恋愛ソングなのだけれども
まるで、
同じ時代に生きて、同じ時代に死に行く愛すべき人々への、
応援歌のようでした
つらいけど、生きていこうよという
彼女は歌は本当に上手いけど
多分、一生に数度しかできないようなステージだったのではないか、と思います
舞台設定、当時の状況、観客など
『至高の一瞬』ができあがる条件がすべてそろうなんてことは、そうないのですから
力がなければもちろんだめですが、
たとえ、どんなに力があっても……
そして、そんな数少ないチャンスをきっちりとものにしたジョルジア
すごいなあ
アウシュビッツで殺された子供たちのことなどを自分の作品にとりあげる
叫ぶ詩人の会のドリアン助川さんに
『こんなにいろんなことを背負い込んで、つらくないですか?』
とインタビュアーが聞いた
『味あわなくて何の人生じゃい!』
とドリアン助川さんは叫んだ
でも
強くないと、できないよね
『至高の一瞬』を追い求めることによって身に降りかかる苦しみ
それを引き受けてヴォーカルは行くんだね
今は苦しいかもしれないけど
いつかトップアスリートみたいな表情で
『リブ・フォエバー』を歌ってみせてよ
生きようとしない同じ時代の人達に
生の素晴らしさを教えてください
がんばれ!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
I.レッスン編
(1)前夜祭 準備のためのオリエンテーション
福島 英
○曲というベース
テープに入っている曲を入れるのはベースのことです。ベースというのはそれを課題にするとか、それを自習
するとかということではなくて、あなたが表現するまえに毎日毎日聞いて、体の方に入れておいて、実際、舞台
で使える状態にしておくということです。何のヒントもないと音楽的な勉強ができていない人には形しか出せな
いので、そういうものを入れておいてもらい、前向きに表現がでるようにするために、必要なのです。
3日間が一つの歌の始まりと終わりということです。
それを参考に、
さらに完成させるように考えてください。
皆さん自体が材料を準備することです。自分でノートをつくって自分のなかで消化してきてください。私たちの
方ではノートを読んだりしません。こちら側が見るということになると、どうしても見せるための原稿になって
しまいます。だから宿題とか課題という形で考えないようにしてください。
なぜ歌でやらないかというと、それを3日間でこなせる能力がないからです。ギリギリで与えています。だか
ら、このギリギリを最初から捉えてすぐに表現していこうとしないと、3日間、何にもならないです。リズムや
音程のトレーニング、声や歌の個々のトレーニングではありません。そこで表現できない限り、3日間がただの
経験になってしまうわけです。
個人プレーと違って、グループという形で固定して3日間、同じメンバーでできるというのは、なかなかない
ことなのですから、これだけの準備をしたら、一つの課題としてうまくあげて欲しいものです。
今日は、オリエンテーションをします。今でも、2~3年歌っていくぶんには充分の材料でしょうが、それ以上
歌っていく人たちにとっては、プロになってその後、自分でいろいろなことができるようになった後に原点とし
てとても大切になることを述べます。
ここにあるのは材料です。だからこの 10 くらいの材料をそのなかで6とか7とかでやるのではなくて、これを
ヒントに自分で問いをつくってみて、さらに書き加えてください。そのノートに関しては、何を書いても構いま
せん。
ただし、自分の心に誠実につくるということです。当日は、必ず持ってきてください。いろいろなヒントにな
ります。
役者でも、いきなり悲しみと絶望といわれても、入りきれないで終わってしまいます。本当に絶望だったり、
苦悩のどん底だったら、声というのは出なくなります。しかし、出ないところに、その音色をもった声というの
は出る。声というのは心理的に影響されるので、喜んだら喜んだ声が出ます。悲しんだら悲しい声が出ます。こ
こが原点であることを忘れないでください。
技術面で追うということは、ワークショップのなかだけでは無理ですから、それよりも自分の心情面での解放
をめざしてください。体が解放されて本当に笑いたくなったら、そういう音色が出てきます。そのとき、発声器
官や、ヴォイストレーニングなどがどうであれ、うまく出ればよい声、魅力的です。それを確認しに行く。だか
らそこまで自分の体のなかで解放しておくことです。
技術というのは、教わってできます。それは、毎日のなかで、レッスンとトレーニングでやってください。ワ
ークショップに行ってもできないのです。毎日毎日やることで身につけていくものだからです。ここでできない
ことをやりに行くわけです。
学校や仕事が終わってからかけつけて、心をチェンジさせるといってもなかなかうまく入っていけない人が多
いようです。あるレベル以上で歌っている歌い手というのは、人前に立てば、そこに自分の世界をつくってしま
うのです。だから、この3日間が、アーティストという感覚とテンションをもってできるようにしにいくのです。
自分が最大限、笑ったら、最大限泣いたら、自分が最大に苦しんだら、どんな声が出る、体がどう変化するの
か、そこから生まれるものをとり出し歌と名づけます。脚本にそって表現とします。これに対して、材料を、い
ろいろな形で与えていきます。
今日はこの資料を配って説明して終わります。
天の声は、私がスーザン・オズボーンに体験したことがヒントになっているので、彼女のCD※を流します。天
の声の方で、その音のとり方とか出し方を感覚として受け止めてください。これはプロローグです。
(アーア)と
こういう展開からやります。
○テーマ
今回は「風」というテーマでやります。
材料のなかで「山城組」※は、世界中の声、リズムをそのままの形でコピーしています。彼らは日本人ですか
ら、日本の作品が一番秀れていると私は見ています。その中に「恐山」※という作品があります。
食事中によくないのかもしれないですが、この後、一人で帰らなければいけない人もいて、何か起きなければよ
いですが、まあ聞いてください。世界で一番恐い音楽の一つです。とても敏感な人もいるので、あまり刺激を与
えない方がよい場合もありますが、人里離れた浅間山の一番近いところの場所ですから、こういう音楽を聞いて
いたら、皆、だいたい仲よくなりますね。よく林に行ってはぐれる人がいるのですが、これを聴いたら個人行動
をとらなくなります。ウォーミングアップでは大した距離はやらないと思いますけれど、思い出しながら走って
ください。速くなります。本当に精神的にくる人もいます。冗談ではなく、敏感な人は敏感なのでね、まず、絶
叫、悲鳴から始まります。
これから、声を出してもらいます。他の人たちの声も合せて自分の体のなかにそれを感じることです。皮膚に
直接、伝わってきます。音響機器を使いませんから、生の状態でそういう場ができます。
動いても構いません。むしろ動くのがしぜんの感情のいきつくところだと思います。ただ、ぶつからないように
気をつけてください。自分のなかに音を浴びていってください。ちょうど、真ん中くらいのところに声を集約さ
せるようにしていくと、うまく感じられると思います。
声の直接の音、振動音です。耳で聞く音以上に体、骨を通って心臓に働きかけます。ベースの音とかバスの音
はそうです。ここにも当然、ひびいています。これだけの人数がいたら、そういう音の場ができます。その場の
上に自分の音を重ねていくということです。
声を出して皆に伝わるというのは、
この空気が振動しているわけで、
振動して揺れてきます。そこではとても声が出やすい状態になります。そこも感じてください。上の方の声をき
れいに出すというのは、それからもっと後の状態です。
○ため息から声に
最初、ため息から入ります。息を深く大きく吐くということですね。それをだんだん声にしていきます。円に
なりましょう。なるべく広くとってください。ではいきましょう。
最初は「はあー」です。だんだん深くしていきます。繰り返しやってみてください。耳と体、皮膚を薄くしな
がら、なるだけ大きな呼吸にしていってください。
息の後半の方から声にしていきます。徐々に声に、深いため息から声に入っていきます。呼吸以外、感じなく
てよいです。体の重さが加わり、地に足がついている感覚で、少しずつ声にしていってください。だんだんと長
くしていきます。
「はあー」
「はあー」もう少し声にしていってください。
はい、止めます。しかし、急に止めてはいけません。ゆっくりテンションを下げていかないと、いかにもサン
プルみたいになってしまいます。実際にやるところのシミュレーションの組み立てだけをやっておきます。
今のところから場が*まると悲しみ(のエチュード)に入っていきます。
その次にいきつくところは、憎しみ(のエチュード)です。わけがわからない人は処刑場だと思ってもらえれば
よいです。一人ずつ処刑されます。
順番に真ん中に行って、30 秒くらいでよいです。自分のなかで煮つまり、慟哭を感じたら下がっていくという感
じですね(あまり心地よいものではありませんが)
。ちょうど、天の声と逆です。回りの人たちはその方向に向か
って、その人に対して憎しみのエチュードですから、憎しみの感情を吐き出し、ぶつけます。
最初のところだけ私の方でやります。今の状態に 30 秒くらいでもっていってください。それで、ハイといった
ら順番にいって、30 秒くらいで戻ってくるという形を、シミュレーションでやります。先ほどよりは、集中して
こちら側に入ってきてよいです。
では場をつくります。もう一度、先ほどのところから入ってきてください。ため息の方から。
「はあー」
。もう
少し方向を個人に当ててください。まだ空間的に広くなっています。
では続けましょう。
「はあー」
。急には止まらないで、ゆっくりゆっくり収めていってください。2~3分かけて
休止していってください。
今のはエチュードの流れです。間に挟んだ音楽が、絶叫からやや、おだやかになり(山城組の2、3曲目※)
、
救いにいたるところの部分になり、最後はスーザンオズボーンの天の声の一歩手前くらいの感覚です。これが皆
さんがやっていくもののベースということです。
○状況から状態を
悲しみの声のところは恐山(1曲目)の音楽をかけていたわけです。恐山の境地に入り込めれば、気持ちが合っ
てきます。先ほどのを聞いていて、自分にもできそうだと思っていたら、できるのです。本当に。それだけの体
の状態になっていたら、できます。これは、ただその状態にもっていけないから、できないだけです。ワークシ
ョップというのは、その状態を体験させるための、一つのきっかけです。プロの歌い手と違うところは技術とか
キャリアという前に、ステージに立ったときにその感覚をとり出せるかどうかです。
そして、切り換えです。声も同じです。その線のところにパッと意識がいって、それをとり出す、それを間違
いなく瞬時に 100 パーセントやるために技術があります。声はそれで出ますが、表現するには、体の状態とかテ
ンションとか作品を出せる準備を完全に自分でできないと無理です。それを外から入れていくということは、そ
れだけ難しいわけです。
よく歌とか音楽をやるのに、
「何でこんな芝居みたいなことをやるんだ」とか「何でこんなに声を出しまくった
りするんだ」という人がいますが、普通の人はそのままでは、10 年たっても 20 年たっても無理なんです。それ
を切り開いた人たちだけが、ある意味では声を得て歌えていく。技術から入ってくる人も中にはいますが、それ
は幸運にもその技術をやっているどこかの段階で、スポーツ選手であればマラソンハイのような状態を体験する
ように、トレーニングのなかからつかんでくるからです。
それを声のなかだけでというのは難しいのです。自分一人でやっていると、15 分くらいで声が出なくなって、
30 分くらいでかすれて、暗くなって次の日に影響を残して、その瞬間というのは捉え難いわけです。だから、先
ほどのをやってみて、やってみたけれど途中で声がでなくなったけれど音楽は聞こえてきた、あるいはもしかし
てあのなかでできるのではと思ったときはできるわけです。
あなたの普通のレッスンを対象にすると、とても難しいわけです。あなたが前に出てきてそれをやろうとした
ときに既に自分で、まず無理だと思っているわけです。入り込めないものができますか。どこかで無理だと思っ
ているからできない。ところがこういう状態に追い込まれて自分で目一杯やって体がつかんでしまうと、体の状
態も心の状態も開かれていますから、あれを聞いた通り、ああそうか、それを話せばいいんだ、声を出した通り、
そうやればいいんだということで、できているわけです。そんな複雑なことではないわけです。だからそれを確
認するために、こういう状態というのはとても大切なものです。
体の方から声を解放してやる、あるいは5分の間、体、息1本で通す。体も息も絶対、間違えていないわけで
す。声はあなたのなかでは正解であるわけです。ただ、それで歌うのに足りるだけの体がないから、今みたいに
体と息を使い込んでいって、もっと器を一瞬、広げてやるわけです。そのなかで歌とか音楽とか、そういったも
のを捉えます。こういう状態のとき、聞く音楽というのは、今の人たちが聞いているような耳でなく、皮膚にし
みこんでくるわけです。歌を何日も聞けばよいという話ではなくて、そういう状態で聞いてきたか、そういう状
態で移し変えてきたかです。自分に何が出せるかが、結局、ある線を超える歌い手かどうかというところでの勝
負だと思います。
ですから型はとてもシンプルです。ここにいろいろなものをつけると、嘘のものをつくっていくことになるの
で、先ほどからいろいろな形で展開していますが、真芯で捉えてください。
地の声のところではあまり展開できないところですが、感情に入って、ストレートに出していきます。すると
おのずと、だんだん中間音、そして高音になってきます。そこから、自分から展開していけばよいわけです。そ
のとき、自分に入っていたメロディとか自分のなかに入ってきたリズムが出てきます。そうしたら、自分のなか
にこんなものが入っていたと思えばよいわけです。
そうでない人は、声をバンバンとぶつけたり、はり上げることしかできないわけです。そのあたりから音楽的
に聞こえてくるわけです。誰でも同じになればできるのです。その状態のときはできるわけです。その状態をつ
くり出すのがとても難しいわけです。3日間は、それをメインに考えて、その周辺にいろいろな意味で材料を与
えていこうと思います。
同じものを練習する必要はないです。ただ、その状態になったときに、自分だったらそこでどう出すかという
ことを、要は表現を問うところのものをとり出す。これで、もう歌なんですよね。ここに歌詞がつかなくても音
楽の線にはのっているわけです。それから基本もできているわけです。そういう形からもう一度、捉えてくださ
い。テープもそういう感じで聞いてください。
少しテンションを下げてから帰ってください。今日は特に気をつけて帰ってください。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(2)準備~当日までの予習、材料集め
課題1
■モノトーク
1.テーマ 『AMORE -わたしの愛-』について語る
『生きててよかった』 って思える出会いをもってますか?
あなたが、あなただから、愛した人、
友人でも、恋人でも、大好きなアーティストでも、家族でも、
もっと広義で、歌でも風景でも、状況でも、コンサートでもいい
もう、あなたの一部になってしまったくらい愛したなにかについて、
語ってみてください
2.ルール
●2 分間で発表する
●原稿をつくる
●暗誦で(原稿を見ないで)発表する
課題 エチュードとする
発表会はエチュードとする
誰でもできることを、どうやるかがこの課題のポイント、いえ、
『どうやるか』をポイントにするために
単純そうですが、奥深い課題として与えます。
『発生→苦悩→再生→昇華』という劇的な展開を、
いかに大きく、深く、いかにしぜんに表現できるかを問います。
曲を覚えても3日間では『昇華』の域まではいかないでしょう。
『昇華』してないもので『表現』できるはずがありません。
それに対し、このエチュードはしろうとの人でもできる内容です。
・人間である限り持ち合わせている感情
・生き物である限り生まれてから死ぬまで続ける息
・そして感情の発露としての声
この三つが基本です。
『何を』やるかより、
『どう』やるかを問うことです。
■発表会までの宿題
課題を『自分事』にするために、エチュードをより深いレベルで表現するために、宿題をします。
ノートを、なんでもよいから、1冊用意してください。
そして、今日からワークショップまで、毎日、
『自分のエチュード』とは何かを考え、ノートに書き込んでくだ
さい。
課題・エチュードと、自分自身との距離を近づけるための作業です
エチュードという課題は、こちらで設定したものですから、別にやりたいわけじゃないという人もいると思い
ます。しかし、それではその人にとって、エチュードはまだ『他人事』です。
やれといわれたから
やれといわれたように
やれといわれた時にやる
けれど、これでは違うのです。
誰もあなたに『やれ』なんていっていない。
こちらでいえるのは
『今のあなたにとって、本気でやる意味のある課題を用意したよ』
ということです。それを歌だと思って命を吹き込んでください。
●与えられたものを自分のものとする覚悟
ここであなたにはふたつの道があります
ひとつ目は、
「まあ、やってみるか」
、とノートをとりあえず書いて、のぞむこと。
ノートを書くのだから『えらい』ですね。
でも、そんな『おつきあい』なんて、結構です。
ここは小学校じゃない。
とりあえず、宿題をやってくれば『先生に怒られない』なんてレベルは問題外です。
『この程度やっていけばいいだろう?』と考える。
その考えは、一体誰に『許してもらって』いるんだ。
そう、誰もあなたに言っていない。
『ワークショップに出るなら、この程度はやってきてくださいよぉ』なんて、誰の顔色をみて、何を表現しよ
うというのか?
残るもうひとつの道は、わかりますね。
今回ひとつだけお願いしたいそれは
『素直であれ』ということ。
課題に対して、こころからYESということ。
ここをクリアーしないと、何も始まらない。
そう、先ほどから、何度も言っているように
『どう』表現するか、のレベルで問い、そのことで身につけたいから、
だから全身で、YESを言わないと始まらない。
『自分は、この課題をあらゆる角度から全力をつくしてやり遂げたい。
ベストの表現をしたい』
これがスタートラインです。
なるべく早く、このスタートラインについてください。
●自分の力を 100 パーセント出さないとスタートしない
エチュードは、あらかじめ決められた課題
その通り!
けれど、これが今回、
『表現者』としてのあなたに、与えられた『配役』なのです。
自分の全力で演じきるにはどうすればいいか?
『配役』の枠組みをあらゆる角度から研究して、しつくして
『消化』する
部分的なスパンからも、全体としてみたスパンからも、見極めて……
『配役』の形をつかむこと、形をつかんだら、ようやく効果的に、自分を流し込む作業へと移れるわけです。
そこから「昇華」していくのが、すなわち、
『表現』作業です。
課題曲を考えてみてください。
同じ曲をたくさんの人が歌う。
人の数と同じく、
『歌のステージレベル』も様々です。
『課題だから』と顔に貼紙をしている人。
楽譜べったりでうたう人。
1000 回うたいこんで、すでに『歌詞ののことばは私のこころ』状態の人。
いろんな歌があるまえに、いろんなとり組みがあります。
●裏で支えたその力が、ステージのパワーなのです
エチュードでは、
『どう』表現するか、を問いたい。
だから、この課題にしました……
※ジャーナリストの立花隆さんは 1 冊の本を書くのに、100 冊程度の関連書を読むそうです。
『2.3 冊で書く人もいるけどね、性分だね』
オペラ歌手・中丸三千絵さんは、ひとつのフレーズについて 10 通りくらいの歌い方をあらかじめ練習しておく
そうです。
『本番で、どの歌い方をしたくなるかわからないから、思いつく限り準備をしておく』
歌われた 1 つのフレーズの後ろには、歌われなかった 9 の通りのフレージングが潜んでいて、
『芸術の奥行』の
正体ともなっているのです。
エチュードは、しろうとでも、歌えます。歌うだけなら。
これは、より深い昇華をめざすための課題です。
たとえば、悲しみのエチュードをやるとき、どっかからその概念を借りてきて、済まさないでください。
『悲しそうな声』というような根無し草の表現にならないようにしてください。
それはまるで『シャンソン風の歌』
『ジャズっぽい歌』のように、みっともなく滑稽です。
『自分にとっての悲しみ』をできる限り分析してみましょう。
あなたが、悲しみといったときに思い出す経験は?
もし起こってしまったら『耐えられない』と思うことは何か?
痛い……
そう頭ではなく、生理のレベルまで、足をつっこむこと。
鳥肌が立ったり、涙がこみ上げてきたり
だって、悲しみって、実際はそんなもんじゃないのでしょう。
もうひとつの道……
もともとは誰かに与えられた『課題』だけれど
足の裏から、それにYESを言って
『表現したい作品』として
自分で再び、選び取ること。
誰かがやりなさいといったから、ではなくて
この課題をやるために必要だと思えること、
プラスになると思えることは
やらずにはいられなくなる。
『いっぱい考えなさいよ』という刺激を与えるために
ノートを毎日書くことが宿題になったけど
わたしは 1 冊なんかじゃ足りない、というくらいに。
みなさん、是非もうひとつの道を歩んでください、ね。
すごいノートを表現の裏に隠し持ったみんなが集まれば
この『ライブ』は、とてつもなく、素晴らしいものになるはずだから。
■宿題ノートのルール
★少ない時間でもいいので毎日書くこと
★書くためではなく、自分を『確認』するための作業です
書いてる時間より、考えている、感じている時間を多く取りましょう
★提出はしません。遠慮なく書きましょう
★目的は、
『他人事』のぴかぴか課題に、べたべたと自分の手垢をつけて『自分事』にすること
●何を書いたらいいのか迷ってしまう人に
参考までに考えるとよいことの一例を以下に示します。
1.今の自分が立っている場所を確認するために
□社会的立場を振り返る〈過去→今〉
→学歴、職歴など、自分が社会的に分類される立場について考えてみましょう。
各時代、その『名前』で呼ばれていたあなたは、どんなことを考えていたのでしょう。
□あなたのコミュニティ〈過去→今〉
→あなたが『構成員』になっているグループについて考えてみましょう。
そのグループはどんな性質?あなた以外に、どんな人がいるの?
そこでのあなたの役割は何?いくつかのグループを持っているなら、あなたの人生に占める割合は、それぞ
れどれくらい?
例 家族、サークル、勤務先、友達、恋人、職場
□あなたの場所〈過去→今〉
→生まれた場所、住んだことのある場所、今住んでいる場所、通った場所
あなたの人生の舞台となった場所について具体的にあげながら思い出してみましょう。それはとても特殊な
場所です。そこにあったもの、そこになかったもの..。
□あなたの一週間スケジュール〈今〉
→月曜から日曜までの各 24 時間について、あなたの今の生活パターンを書き出してみましょう。この繰り返し
が、まぎれもなくあなたの人生です。
書き終わったら、客観的に眺めてみましょう。この生活を送っている人間に、何ができるか?10 年後のこの
人はどうしている?
□一所懸命やってきたこと〈過去→今〉
→あなたのこれまでの人生について、自分で一生懸命やった、と思うことを振り返ってみましょう。スポーツ
でも、趣味でも、勉強でも、恋愛でも。目の色を変えてやったことを振り返ってみましょう。
2.自分の性質
□ノートの真ん中に一本線を引いて
かっこいいと思う人、かっこわるいと思う人を書き出してみましょう
どんな傾向がありますか?
□ノートの真ん中に一本線を引いて
好きなものと、嫌いなものを書き出してみましょう
どんな傾向がありますか?
□ノートの真ん中に一本線を引いて
自分の欠点と長所を書き出してみましょう
客観的に見て、あなたはどんな人間ですか?
あなたの欠点と長所を逆にした人間を想像してみましょう
その人をあなたは好きですか?
3.芸ごとについて
□一番初めに聞いた歌、うたった歌はなんですか。その場所は?そばにいた人は?
□好きだった歌を思いつく限り書き上げてみましょう
□好きだった歌い手を思いつく限り書き上げてみましょう
□想い出がからみついていて、耳にするのがつらい音楽はありますか?
□人生の正念場でいつも登場する『運命の曲』を持っていますか?
□誰に向かって、歌っていくのですか?
□何を伝えたくて、歌うのですか?
□歌に関して、今までで一番幸せだった瞬間は、いつ、どこで、誰と分けあいましたか?
□好きな作家、好きな本について思いつく限り書き上げてみましょう
□好きな映画、テレビ、演劇、好きな俳優について思いつく限り書き上げてみましょう
□その他、好きな芸術家、好きな芸術作品について思いつく限り書き上げてみましょう
4.エチュードを自分におきかえる
■絶望のエチュード
★息のエチュード
□誕生すること、について、思うところを書いてみましょう
□プライマル・スクリーム(生まれた時にあげる泣き声)について
赤ちゃんはなぜ泣くのでしょうか?イメージングで赤ちゃんの気持ちになり、なぜ泣くのか感じてみましょ
う
★悲しみのエチュード
□いままで自分の身に起きた悲しい経験を具体的に書き上げてみてください
□間接的に味わった(本、映画、ドラマ、ニュースなど)悲しい出来事を具体的に書き上げてみてください
□どういうことが、あなたにとっては悲しみですか?
□自分自身について、まだ起こっていないが、もし起きたとしたら耐え難く悲しいと思うことは何ですか。ま
た起きたらどうしますか?
□あなたが『耐え難い』としてあげたことを身に受けてしまった人はこの世の中にいますか?
□最近、泣いたのはいつですか? なぜですか?
★憎しみのエチュード
□今、憎んでいる人はいますか?
□今、あなたを、憎んでいる人はいますか?
□今まで、人を憎んだことはありますか?
□今まで、人に憎まれたことはありますか?
□あなたはどういうことをされたら、人を憎みますか?
□あなたの心を傷つけた人を書き上げましょう
□あなたが心を傷つけた人を書き上げましょう
□憎んだあげく、相手を殺す人をどう思いますか?
□人殺しの表情が、できますか?
★絶望、苦悩のエチュード
□絶望したことありますか?
□ない人は、どういう状況になったら、あなたは絶望しますか
□絶望の果てに何があるのでしょう
□堕ちていく時、底はあるでしょうか?
□前向きに努力する気力すらおこらないくらい落ち込みにはまったことはありますか?
□今までした怪我、病気を書き上げましょう
□体の痛みについて考えること
□いままで失ったものを書き上げてみましょう
□あなたが失えないと思うものを書き上げてみましょう
□あなたはいづれは、その失えないと思うものを失いますが?
□年をとることをどう思いますか
□死について思うこと
■希望のエチュード
★息のエチュード
□誕生するのは、自分の意志ではありません。
あなたが自分の意志で生きることを選び取ったのはいつでしたか?
□あなたの人生の座右の銘を書いてみてください
★喜びのエチュード
□いままで自分の身に起きた嬉しい経験を具体的に書き上げてみてください
□間接的に味わった(本、映画、ドラマ、ニュースなど)嬉しい出来事を具体的に書き上げてみてください
□どういうことが、あなたにとっては喜びですか?
□自分自身について、まだ起こっていないが、もし起きたとしたらたまらなく嬉しいと思うことは何ですか。
また起きたらどうしますか?
□あなたが『たまらなく嬉しい』としてあげたことを身に受けたすてきな人はこの世の中にいますか?
□うれし泣きしたこと、ありますか?
□あなたの愛するものを書き上げてみてください
★やさしさのエチュード
□今、愛している人はいますか?
□今、あなたを、愛してるい人はいますか?
□今まで、人を愛してたことはありますか?
□今まで、人に愛されたことはありますか?
□あなたは人にどういうことをされたら、嬉しいですか?
□会ったこともないのに、なぜかとっても好きな有名人は誰ですか?
□世話になりっぱなしで、でも、きっと一生自分の力じゃ恩返しなんてできないだろうなと思える、もらいぱ
なしの人がいますか?
□あなたの心をあたためてくれた人を書き上げましょう
□あなたが心をあたためてあげた人を書き上げましょう
□人が好きですか?
□期待するから、失望する。愛するから、憎しむ。
それでもあなたは期待し、愛し続けますか?
□マリア様の微笑みを練習してみてください
★希望のエチュード
□あなたの人生のヒーローは誰ですか?
□どんな希望とともにあなたは生きているのですか?
など、自分で自分を確かめる上で有効だと思うことを書いてみましょう
これはあくまで例です
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(3)レッスン1日目 昼
どんな人が来ているのかを、私たちも知る必要がありますし、皆さんも知っておいた方がよいと思いますので
簡単に一人ずつ自己紹介をやります。ヴォーカリストの自己紹介ですから歌でやってもらうのが一番よいでしょ
う。歌を聞いてその人と、もっと早く知っておけばよかったとか、話もしておけばよかったとか、そういうこと
もありますので、全員にまわします。一人一曲歌うのを、2分くらいでまとめてください(語りでも構いません)
。
歌う順番も決めておいてください。客席をつくります。
みなさんにもここに来るまで随分、
考えてきたと思いますが、
やはり自分にとっての歌というのは何なのかと、
皆さんも今までそれなりに生きていて、それぞれの年齢で考えることというのは、いろいろあると思います。今
回は3日間、今までの生活を離れて、ここに完全に缶詰めになるわけです。
だからこの機会に、自分のことを掘り下げて考えられるようにしていきます。メニュとしては、他の人たちの
材料にもなるわけです。だから取り組みしだいで、たくさんのものが得られるはずです。今までは歌とか音楽と
か、声のことに徹底してやってきましたが、その声のことを考えなければいけないということに付随して、声以
外のことで大切かつ効果のあることを加えています。
現実に戻ったときに、また現実のなかでここで得たことが失われてしまうのであれば、もっと根本的なことを
考えなければいけません。皆さんの生活にはない3日間(自分で一人でとろうとすると3日間というとなかなか
とれないわけです)
、この時間を本当に充実させるには、何十時間もかかる、あるいは一生かかるだけの内容があ
ると思います。そのメニュのポイントは、一つだけです。
歌詞を覚えたり音程を覚えたり、そういうものをすべて省きました。あなたの体一つ、心一つ、それとこうい
う環境のなかでどのくらい凝縮した上で解放できるかということです。
ほとんどの人の生活は、朝起きて勤務して、17 時か 18 時で疲れ切って、疲れたところで研究所に来て、そこ
でいきなり音楽に切り変えて、それで歌をやっているようなことが多いと思います。だから、それから切り離さ
れたところで、ここで考えついたこと、思ったことを大切にしてもらって、自分の歌なり人生に対する考え、何
を歌っていくのか、どう歌っていくのかということを含めて深めていけるよう、充分に時間が与えられるように
考えました。
ノートに今日の予習をやっていると思いますが、そのことに関して語り合って、明日からの作品づくりを正確
に、きちっと組み立てていくということです。
(班長は今までの経験とか、今回やるメニュに1回以上、出たことがある人です。このメニュの意味が全然わか
らないという人は、アドバイスをしてもらってください。
)
自己紹介のときに、言って欲しいことが2つあります。2つのテーマを入れてください。一つは、もしワーク
ショップに来なければ、この3日間、何をしていたかということ、それからもう一つは、ノートを書いて気づい
たことです。たとえば、どの項目を自分が最も考えたかということです。何日くらいかかってつけたのか、どの
くらい時間や量をやったとか、ここに工夫したとか、そんなことでもよいです。
ワークショップに限らず、研究所のメニュというのは私たちが与えるというより、お互い影響しあっていくこ
とを重視しています。皆さんのなかのメイキングオブを知ることで、作品がよりよくできていくと思います。ど
んな努力していたのか、どんな工夫をしたのかを、歌と合せて、2~3分のなかにまとめてください。
ワークショップには、ほとんどの人が仕事を休んで参加しているわけです。いつも言っているのは、仕事とい
うのは現実です。その代わりにお金をもらいます。ここは逆に、皆さんがお金を払ってきている。何をやっても
よいとはいえませんが、現実から離れている場です。歌というのは現実をどこかで越えないといけない部分があ
ります。超えたところでの“現実”感です。
芸術がある意味では現実をのみこんでいくことのプロセスを、ここでの作業で見てください。それは決してき
れいなものではない。いろいろな活動がある。こういうところに来ると、いろいろ解放されてユートピアみたい
になって、気持ちがよくて声が出るというのだけでは歌にならない。
「しょうか」というのには二つ意味があります。普通の生活をしていく、ものごとを消化していく、食べてい
く、それは課題です。その時点までに充分な栄養を貯えておくこと。今回はここを使っていきなり歌うのではな
くて、すでに一つの大きな戦いは終わっています。その、ためられた歌をしょっぱなで出すのを契機に、ここか
ら第二弾ということになるわけです。ステージというのも同じです。だから、その準備をお願いしていたわけで
す。
3日目くらいに盛り上がっても、盛り上がった感覚に切り換えるのは大変だと思います。遅れてきた人が、く
るのと同じくらいに、皆さん、この時点で遅れてきたくらいに思ってやる方がよいと思います。自分の名前でや
るのは、恥ずかしいことではありません。堂々と出していけばよいわけです。そこが表現の世界ということにな
るので、当然、日常生活と別の形になるわけでどちらがよいということではないです。その人のタイプにもより
ますし、そこまでして表現したくないという人もいます。
こういったものの場合、できない人とやらない人とがあいまいです。たとえば課題をやってきていないという
のは、私たちの世界でいうと、台本を読んできていないということです。できると思っているわけでしょうが、
本当にできるのであれば、結果オーライということです。ただ、それでは力はつきません。周りに比べてよいと
か悪いということを問うのではないです。
3年もいる人が、1年目の課題のレベルでやっても仕方ないわけです。プロでやっている人たちのレベルでや
ろうとしないないから、いつまでたっても上達しないわけです。準備しないのは、その人がその人を限定してい
るわけです。それは自分のなかでできると思い上がっている人です。世の中や、自分のめざすべき世界を見下し
ています。中心が他人や他の世界にあるのです。だから見切られてしまうのです。
その作業をしてきていない人は、やっておいてください。準備に1カ月かけてきたり、寝ないでやってきた人
もいるわけです。だからやれということではない。他の人よりうまくできることよりも、昨日の自分に勝てない
ところで、すでに負けているのですから。声が出るだけでプロと同列だとは思わないです。
歌というのは、歌がよければよいというわけでもないです。結果的には歌がよければよい。ただ歌だけを歌の
なかだけでやってやれるという人間の歌なんて、果たしてこの世の中にいるかということです。
聞いている人は、何がこの歌でよいのかというところを考えなくてはいけないです。自分のなかでかどうとい
うことでなく、人前に出るのであれば、表現に対し、評価するのは常に他人です。他の人が、評価するわけです。
みんなのなかで、全然ヘタでもお客さんに、よい、聞きたいと言われるような人は、ヘタにうまいだけの人より
も、活動ができるわけです。ただ理想を言えば、やはり歌ということを限定しないで欲しいものです。いろいろ
な才能があるわけです。それを歌に込めていって欲しい。
ただ多くの人は、それをどう取り出せばよいかがわからない。その人がキラリと輝く時間を2年間で見ること
もあるし、ワークショップに参加したことでもわかることはあるのですが、わかったからどうすればよいのかと
いうのは難しいものです。
だから、まずそこに自分の意志でいるということです。それはもしかして歌ではないかもしれない。仕事でな
いかもしれない。しかし、すべてを口にすることです。研究所ではいろいろな音楽をやります。
今まである音楽が絶対好きでやろうと思って生きてきたとしても、それにとらわれず、一度新しい無地の心で
全部、聞いてみよう、昔からの音楽も世界各国の音楽も全部、聞いてみることです。そのときにこれが好きだと
発見したものはあなたの才能への新たな気づきです。一つの作品になるわけです。
だから、何か、一芸をやってきた人は結局、広い器をもっているものです。昔から世界中から大なり小なり、
いろいろな影響を受けているわけです。また、そういうパワーがなければ、芸の世界は成り立たないわけです。
一人ひとりに絶対にその人の才能はというのあります。世の中、すべての人がそうです。何か与えられている
ものがある。それに気づき、とりだす労を惜しまないことです。ところが、本人が目をつぶっている場合はどう
すればよいか、ややもすると音楽や歌が好きという思い込みでごまかされている場合もあるのです。好きだと思
うのと、人前で歌っていくのは全く違います。ましてそれがその人の才能を一番、生かした形の歌かどうかはわ
からない。ましてポピュラーは、たまたま時代とか、人間がそういうふうな形で集まっていく場があるというこ
とにも左右されます。
だからまず、心の声を聞くということです。わかっているふりをしない。それからたった一つの問題でも気づ
いたら徹底してつきつめること。そこから違ってくるのです。
3番目は表現です。ここにきたということで時間空間を越えられるか、越えられないかということ、あること
ができているかできていないか、それらはすべて体の動きでわかります。振付けではなく、ここに立った時点で、
その歌が、歌になっているか、表現として練られたものかどうかが大切です。その人が歌ったときにどこがよい
のかというのは、歌がうまいということよりも重要です。その人の音楽がそのなかで奏でられているかどうか、
バックグラウンドにあるものがそこに聞こえてくるかどうかという総合的な要素です。
しぜんな環境のなかで音楽をやるわけですから、しぜんな体が楽器です。その時点で捉えられないと体は固く
なり動きません。最近、ヒーリングとかいろいろな音楽が流行っています。人間の心とからだのバックに音楽は
あるわけです。
私が話しているなかに、鳥の声が聞こえたりしたら、鋭すぎますが、そんなに難しいことを言っているわけで
はなくて、一回ここまで心を開くということです。そのために、一つの空間とか時間のなかで捉え直してやると
いうことと、プロにしていきたいということであれば、自分のものに気づいていくということです。
○個性は人との差の拡大したもの
先ほど、才能ということで言いました。たとえ変に見える状態であっても、人から変だねと見られても、それ
が一つの才能かもしれないということです。変だと思うことはなかなか続けてできないものなのです。
だから、そこから捉えていくということです。ただし、捉えることで単に変という域を出られなくなり、逆に
心や体が制限されていくようなものは、見込みありません。それはこうしたリラックスした場において、行なう
とよいのです。
まず課題を練り込んでいくということが、今回の第一段階だと考えてください。感情を練り込んでいくという
ことです。歌声できれいに歌おうと考えるより、パワーです。
人というのはコンプレックスがパワーになります。確かに今日、こうしたいと思ったことができなくても、人
から評されるようなこともなく、私たちは生きていけます。しかし、イマジネーションがそういうエネルギーの
根源になるパワーを吹き出すのです。コンプレックスは、徹底して活かしていく方向にとります。
歌のことがすべてわかるなどということはたぶんあり得ないでしょう。私もわからないです。ただわからない
から試みなくてよいということとは、別なのです。わからないけれど、それに取り組んでいくからおもしろいの
です。その取り組む姿勢を出すということ、それがその人の歌の切実ななかに音楽の表現と、また別の意味で力
になります。
だから負の感情を感情レベルで表現する。
今回はことばで捉えました。
それを表現は音でやっていくことです。
徹底して考える。悩みごとがあっても考えなければ仕方のないことで、考えるのは切るためです。結局、考えて
も仕方がないからです。
そうすると今度は感情面が入ってきます。負の感情でよい。それにことばを否定されて、憎しみをやらなけれ
ばならないとかなると、具体的にそれを落とすということ、表現していくということになってくる。ここから伴
奏が聞こえてきたり、自分が出てきます。そして消化され昇華されます。そこで作品として独立していくものが
出せるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(4)レッスン1日目 夜
●観客との呼吸
あなたが必死で演技をして息をつめているときは、お客さんもみんな息をのんでいます。その空気がここを支
配しています。
それからみんなが呼吸をしはじめる、そこから再起して再生しようとしているときには、当然、お客もそのペ
ースで一緒に呼吸をはじめます。
このくらいの人数だったら、慣れたら感じられるはずです。よく聞いたら感じられます。やっているときは一
所懸命でしょう。次に順番が何番だとか、そちらの方に心がいってしまい、なかなか聞けないものですが、ずっ
とやっているとわかってきます。なるだけ聞く努力をしてあげることです。
本当は見たくないものです。観客も見たくないし、周りの人も見たくない。自分の足もとだけを見ていたらや
りやすいでしょうが、それはアマチュアのカラオケと同じで、開かれていないのです。聞かれていないのですか
ら、コミュニケーションがとれていないということになります。そこも感じて欲しいところです。
みんなで作品をつくるというより、自分の作品、自分のプレーをまっとうしてもらうだけでよいのです。歌は
ソロからやっていくのです。ソロの流れが組み立てられて、まわりからは自分のためのバックコーラスが入って
くると考えてください。その自分の時間を大切にして欲しいです。自分の時間のなかでも、特にみんなの視線が
集まるときが、少なくとも何回かあるわけです(それ以外も、ずっと魅きつけてという人もいるかもしれないで
すが、それはちょっと別の才能、タレント性だと思います)
。
後半のモノトークからの、声の解放から全体的な仕組みというのは、天の声を中心に、やります。
あなたの方でやっておいて欲しいのは、イマジネーションとその作用の表出です。この課題の次は悲しみだ、
次は苦悩だというように進めるのではなくて、せっかくノートにつけ、いろいろと準備してきた悲しみを、しぜ
んにとり出すことです。そうでなくとも、今まで生きてきているわけです。それは全部、舞台のための準備なの
です。
他の人の作品を見ても、それをその場、その場だけで取り入れたのではダメで、みんながここで表現するのだ
から、そのチャンスに、それを少しでもよいからここにもってくることです。もってきて出すという力が必要で
す。民族に土着している音楽が強いというのは、もうそれが血に入っている、リズムも入っている、音の感覚も
入っているからです。
私たちはそういうものをなかなか受け継いでいない、あるいは受け継いでいてもそれを切り離してしまって出
てこないからです。そういうことで言うと、日本や世界を、もっと学ぶことが必要です。その上で舞台でも歌で
も何とでも捉えてよいのですが、こういう場が少しできたところで、自分をきちっと出せる快感を深い意味で味
わってください。
こういう所に住んでいて、こういう生活を毎日やっていたら、里に出ても何も怖くないわけです。ステージで
あがったりしなくなると思います。ただ、それができるかできないかということになると、実際やるかやらない
かではなくて、イマジネーションの世界だと思います。
そこで暮らしてください。自分を主人公にしてみて、組み立ててください。主人公というのは、他の人よりも
長く時間をとる役ということではないです。ここでは印象の強さです。モノトークを単に長々としても、もう見
たくないという印象でしょう。この人にはもう会いたくないとか来年は来ないで欲しいとか、こういう印象は残
さないでください。でも、何も残さないよりはよいですね。
捉えて欲しいことは一つです。人間の肉体として出てくる肉声です。今回に関しては、それをどう使うかとい
うことをもう一回、体に戻して大地に戻して考えてみるということです。どこの箇所でも、順がまわって来たと
きにそこまでに思っていたことをその音声を通じて伝えてください。これが明日の伏線になっています。では、
その歌詞のところに入るまでを読んでいきます。
1.シミュレート能力
『わたし』が『この歌』を『歌う』
もしもだ
もしも、ここにまもなく大地震が来て
あなたはまもなく死んでしまう、としたら
そして、最後に一曲だけ、歌を歌うのを許されたとしたら
あなたは、なんの歌を歌いますか?
そう、あなたの『生のおたけび』をたった一曲の歌で表現しろ、と言われたのなら
どう歌いますか
どんな顔して、うたいますか
□1秒ごとに歳をとる
□この一瞬は二度とかえらない
このことは恐ろしいことに事実なのです
ほら、今だって
大地震が偶然にくるのを待つ必要もなくね
軽井沢は地震よりも火山の方がまだ危ないですが、本当に大地震がくるかもしれない。火山が噴火するかもわ
からない。一昨年は雷がきましたね。本当に怖かったですね。傘をもっていくと傘に落ちるとかいわれて笑って
いたら、本当に近くの自動販売機に落ちました。こういう現実味のある体験をできればよいのですが。自然と遊
ぶだけではなく、夜も肝試しにしようかと思いましたが、恐すぎる曲を渡してしまったので、事実になってしま
うと取り返しがつきませんので、やめます。ただ、それをイマジネーションの力で起こしてください。
イマジネーションで現前に生じしめる力をもつことです。大地震が偶然にくるのを待つ必要はないです。自分
のなかにおこせばよいわけです。舞台ではあなたが神です。日常生活でも同じです。1秒ごとに歳をとるし、こ
の一瞬というのは帰ってこないし、ただそんなことを考えたら、生きていけないから考えないわけです。
ところが歌は違う。こういう表現ではないですが、私はよく言っているはずです。そんなことを考えていたら、
いつだって大地震のはずだと。
一曲の歌をあまりにも不用意に歌ってはいないか
大地震がくる、たった一曲の歌
そうしたらあなたはその歌に自分のすべてをつめこむわけです
その一瞬を永遠にするために……
村上進さんのCDを、彼が亡くなった今も私は使っています。私のプロデュースする力も、彼が命の時間を制
限されてから出したCDへの思いに負けてはならないと思っています。たった3分間、その一瞬を永遠にするこ
と。これがいつできるかという勝負だと思います。ここから、クエスチョンです。
質問します
『あなたが歌う歌=あなた』と言われたときに、困りませんか?
『いや、本当の私は、もっと……なんです』と
弁解したくなりませんか?
もう皆、自己紹介で一曲歌ったわけです。ああ、あれがあなたですかと言われたときに、あなたは困らないか
ということです。その後に、いやさっきは歌ったけど、本当の私はああではなくて、もっとこうなのですとか、
何かつけたくなりませんか?私のことはこの歌を聞いてくれたらすべてわかる、私が語る以上に私がわかる、そ
ういうヴォーカルでありたいものです。作品は、残ります。人の心を打つものなら。
●言い訳をしない。
●歌った曲がすべて。
あなたの容姿も
あなたの表情も
あなたの人生も
あなたの心も
あなたのすべてを使って
歌うのです
裏切ってはいないか?
容姿で、表情で、歌を
あなたの容姿も表情も、すべて人生で心から感じ味わってきたものを含めて、歌として歌っているわけです。
歌い手であればその後に「いや本当は」とか「もっとこうやるつもりだった」とか、それを言ってはいけないわ
けです。そこで出たものが、仮に歌い上げたもので、自分と違うとしても、見ている人にとっては、あるいは聞
いている人にとっては、それがその人自身だということです。だから、ヴォーカリストなわけです。
表情で、歌を
人生で、歌を
心で、歌を
裏切ってはいないか?
それを正していくのが、今の課題です。声のことばかり求めていて、表情のこととかステージングのこととか、
そんなことは考えてはいない人が多いのではないでしょうか。そういうのは、心が宿ったり声に何かをこめよう
としたときに、しぜんと出てくるもので、無理してつけない方がよいのは確かです。ただ、歌に対する想いとか、
それを何か伝えようとしたら当然、表情に出てくるわけです。人生で歌を歌う、心で歌うものだからです。歌っ
たときに、ウソと本当の部分があり、本当のことがなかなか出てこないから、裏切ってしまうのです。それでは
まだまだステージは遠いのです。
『おれの靴に足をいれてみろ!』
ということわざがあります
おれの身になってみろ、という意味なのですが
歌を歌うには、この作業が必要になります
歌詞の文句
あなたはそれを『歌う』のです
あなたはそれを『表現する』のです
あなたの容姿をもって
あなたの表情をもって
あなたの人生をもって
あなたの心をもって
その歌は、あなたなのです
人様の前で歌うということは
『私が叫ばずにいらないことは……』
という前提が、いつだってついているのです
ことばの効果も、歌詞の効果も
歌い手自身がちゃんとしらなくて、はねえ
『他人事』を『自分事』にしなければ
消化しなければ
表現などできません
今、渡した歌詞は、みんなにとってはまだ他人のものだと思います。全部を読むまえに、自分に与えられた1、
2行の歌詞、そこで何か試みて、試みたことから気づいてください。それは世界の断片です。でも、そこからし
か世界は見えないのです。そこから集中して、ありったけのものを読み込み、表現することです。そしたら少し
は、自分のものになります。その繰り返しが大切です。
まず歌詞の世界に、その靴のなかに自分の足をゆっくりと入れてみるということを試みてみましょう。
(こうや
って、とうとうと話していると私も退屈するので、少し実習をしながらやっていきましょう。いつもみたいに回
していくと単調になるので、今回はここでスパッと分けていきます。
)
プッチーニの「星は光りぬ」を、続けて異なる歌手で聞きます。トスカのなかの歌で多くのオペラ歌手が歌っ
ているものです。これをあとでBGMで、一人ひとり、全部回るまで回しておきます。では、自分たちのペース
で回していってください。
最初がカルーソーです。これはちょうど、1900 年に初演されたものです。もうすぐで 100 年になりますね。私
は役者的な要素が強いプラシド・ドミンゴのトスカをビデオで見て、感激したことがあります。プッチーニは 1924
年に死にました。多くの人から愛され、何万という人が、この歌に足をつっこんできているわけです。そこから
何か感じてもらえたらと思います。カルーソーの出したレコードは、これよりも性能は悪かったと思います。で
も伝わったでしょう。何が、ですか。
※プッチーニ:歌劇「トスカ」より「星は光りぬ」
(第3幕)
1900 年1月にローマで初演された「トスカ」は、ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)のオペラのなかでも劇的
な内容をもつもので、1800 年のローマを舞台にした全3幕のオペラです。その第3幕、サンタ・アンジェロ城で
のこと、歌姫トスカの恋人で画家のカヴァラドッシは、友人の政治犯の逃亡を助けた罪で捕らえられ、ローマ警
視総監スカルピアから死刑を宣告されます。処刑されるというその日の夜明け近く、輝く星を仰ぎながら、トス
カとの愛の日々に思いを馳せて歌う、カヴァラドッシの名アリアです。
〈訳1〉
星は輝き、大地はよい匂いに満ちていた。
庭園の扉が軋み、
歩みは、軽く砂地を掠める。
あの人が、かぐわしくはいって来て
私の腕の中に倒れかかる……
震えながら、あの人のヴェールをとり去り、
その美しい姿をあらわしている間の
あの甘いくちづけ、あの悩ましい愛撫!
私の愛の夢は、永久に消えてしまった。
時は去りゆき……
絶望のうちに私は死ぬのだ!
今まで、私はこれ程生命をいとおしんだことはない!
[鈴木松子・訳]
〈訳2〉
星は輝いていた。
そして大地も香しかった。
果樹園の戸が軋み、砂地の上に軽い足音がし、
彼女がやってきた、甘い香りをただよわし、
私の腕の中に崩れ落ちるように入ってきた。
ああ! 甘い接吻、やさしい愛撫、
はやる心を抑えている私の前で
着物を脱いでその美しい姿を現わしたのだ!
私の愛の夢はもはや永遠に消えてしまった、
時は去ってしまった。
私は絶望の中に死んで行く!
今ほど私は自分の命を
いとおしいと思ったことはない。
[永竹由幸 訳]
CDは、以下の順です。
プラシド・ドミンゴ、カルロ・ベルコンテェ、マリオ・デル・モナコ、カレーラスです(この歌では、私は彼
のが一番好きです)
。
最後はルティアーノ・パヴァロッティです。
何か自分でもできる気がしたら、そのイメージを大切にしてください。今回のワークショップでは彼らがやっ
たことをやって欲しいわけです。先ほどやったことを、彼らもやってきたわけです。彼らが元より特殊な人間か
どうかはわかりませんが、努力をした上で出てくる何らかの素質があったわけです。
そこを今すぐ、このワークショップで問う必要はありません。ただ、受け継いできたもの、同じ人間の同じ体、
同じ心で感じてください。当然のことながら、この曲はトランペットとかエレキギターとか、ピアノよりも、人
間の声でやるなかに高まり、受け継がれてきたわけです。こういう人にしか歌うことは永遠にできない。そうま
で言ってしまうと誤りがあるかもしれませんが、体を楽器として使ってきたわけです。
ここに立って同じ舞台で、
その土俵上にあると思ってください。
彼らだって0才から歌っていたわけではない。
よく言うのですが、100 年努力してきた人はいないわけです。パヴァロッティらは若いとき、プロのサッカー選
手でした。その運動神経や反射神経がきいているのでしょう。遅いということはないのです。
人間の体をもっている限り、心をもっている限り、ただやっていくかいかないかです。これはできると思った
人はやっていくでしょう。だからできる気がするというのはとても大切なことです。同じ作品でなくてよいから
同じ土俵に立って欲しいというのが、今回のねらいです。
次は、ポピュラーでやってみましょう。ジョルジアの「リブ・フォエバー」
、これも何回か聴いたことがあると
思います。これの歌詞をもとにストーリーを組み立ててみてください。
どういうときに人間が、どういう気持ちになるのか、この歌詞が言いたいことを一人一言で言おうとしたら、
どうなるのか。それからこの歌を、もしみんなが歌うとしたら?
もし皆が、この歌を歌う気持ちになったら、この歌詞に相当する気持ちになったことがあるかどうかを問うこ
とでしょう。この歌を歌うのだとしたら何が必要でしょうか。パヴァロッティにジョルジアは 23 才?で同じステ
ージで歌い一歩も引けをとりませんでした。
このことばを叫ぶものと同じというより、同じ土俵上にといった方が誤解がないと思いますが、そのスタンス
で歌うということです。そのことばを叫ぶものと同じスタンスで歌う、それからこのことばを叫ばれるものと同
じスタンスで歌う。どちらでも構いません。叫ぶものとなるのであれば、どういうイメージが必要なのか、真し
にひたむきにやっていくということが必要でしょう。それから叫ばれるものとしても歌うのであれば、その愛し
いもののことばに喜んだり、苦しむものとしての役を演じなければいけないということです。ただ、他人の役を
演じるのではなくて、あなたが自分のことを、自分の顔で、そして自分の表情で、この歌詞を表現するわけです。
この表情というのは今回のポイントです。
(大河ドラマで秀吉役の)竹中直人さんが若いころ、怒った顔で笑う人とか、笑った顔をしながら怒る芸をみ
せていました。とてもアンバランスなことで、やろうとすると難しいものです。やってみましたか? 実際、笑い
声が出ているときの顔は笑っています。悲しいから泣くのではなくて、泣いているうちに悲しくなる。まわりの
人の影響も受ける。あなたが泣くから自分も悲しくなる。もらい泣きする。そういう一体感は誰にでもある。要
はそこで一歩入り込み、取り出し、表現できるかどうかです。火中の栗を拾いにいく、その勇気、力があるか。
いつでも瞬時に取り出せるか? リブ・フォエバーのなかでいろいろなことを考えてみてください。
タイトルと内容をよく考えてください。
(リブ・フォエバーの歌詞、朗読も一行ずつ回していく)
英語で読むと、わかりやすいのですが、英語を使わないのは、多くの人は実感なく素通りしていくからです※。
意味は英語で読むとわかりやすいと思います。
タイトルは、
「リブ・フォエバー」内容は一見、永遠を否定しているように見えます。誰も永遠に生きられない
というあたりまえの話です。ただ永遠に生きることも同時に言っているわけです。One Sweet Moment Our Today
という表現があります。これをつかむことこそ、本当のフォエバー、もっと簡単に言ってしまうと一瞬というこ
とです。永遠というのは時間のなかだけでなくて、その瞬間瞬間のなかにある。こういう主題になっています。
この歌詞も今回の課題の伏線のなかに入れてみてください。何で帰りつくことがあるフォエバーなのか。そう
でないと言っていながら、なぜそうなのかということですね。
私が叫ばずにはいられないことということを、先ほど言った通り、このことばを叫ぶもののスタンスから考え
てもよいし、叫ばれるもののスタンスで考えてもよいです。明日はあなたにそれぞれ二つの役が与えられます。
自分が叫ぶ立場と叫ばれる立場を両方使い分けます。使い分けというよりも、その場面、その瞬間の感じ方が違
ってくるはずです。それを全部、受け止めて欲しいです。画像で見ていきましょう。電気を消してビデオの前に
集まってください。
(ビデオ ジョルジア『リブ・フォエバー』上映、鑑賞)
。
Who Wants to Live Forever
There ユ s no time for us,
There ユ s no place for us,
What is this thing that builds our dreams,
yet slips away from us.
Who wants to live forever,
Who wants to live forever.....?
There ユ s no chance for us,
It ユ s all decided for us,
This world has only one sweet moment
set aside for us.
Who wants to live forever,
Who dares to love forever,
When love must die.
But touch my tears with your lips,
Touch my world with your fingertips,
And we can have forever,
And we can love forever,
Forever is our today,
Who wants to live forever,
Who wants to live forever,
Forever is our today,
Who waits forever anyway?
リヴ・フォーエヴァー
僕たちには時間がない
身の置き場もない、
僕たちの夢を築いているものが、
この手をすり抜け逃げていく。
誰が永遠の生を望むだろう、
誰が永遠の生を望むだろう……?
僕たちに勝ち目はない、
黙って運命に従うほかはない、
この世でよりどころになるものといえば
いつの日か訪れる至高の一瞬だけ。
誰が永遠の生を望むだろう、
誰が永遠に愛そうと思うだろう、
愛は必ず消えて行くのに。
君の唇で僕の涙をすくってくれ、
その指先で僕の世界に触れてくれ、
そうしたら 永遠に生きられる、
永遠に愛しあえるんだ、
僕たちにとって 永遠とは今この時、
誰が永遠の生を望むだろう、
誰が永遠の生を望むだろう、
僕たちにとって 永遠とは今この時、
誰が永遠に待とうと思うだろうか?
考えて欲しいのは、何を見て歌っているか、どこに向かって歌っているかということです。要するに彼女だけ
から学べということではなくて、歌い手はみんな何をどこに対して歌っているかというのがあるわけです。
もっと単純に考えてください。もしみんなが人に魅かれるとしたら何に魅かれるのか、ということです。
年配の女の人も、演ずるやいなや、どんな若い女の人よりも可愛らしさを感じさせるというのが芸です。それ
は演技ではあっても、そこで出てくるひたむきな表情というのは当然、若いわけです。歌い手というのは、10 才、
20 才若くみえますね。もっと若くみえる人もいます。何で可愛く見えるか。歌っていないとき、単にインタビュ
ーに答えているとき、そういうときも可愛く演じられるわけですが、そういう味に加えて音楽が入って歌声が入
る、そこの舞台のなかの表情というのは、とてもひたむきで誠実なものが伝わる。だから歌を選び、歌で生きて
いるといえる。それが女性の場合は可愛さと言われるのかもしれないが、男性でも色気となる。
そういう顔をみんながもっていないのかというと、違うでしょう。これまでにも彼氏、彼女と甘い時間を過ご
していた人もいるわけでしょう。しかしあなたは、自分の表情や歌を探しに、あるいはそういう顔ができるこの
場を選んでここにきたわけです。
何よりもうれしいことが歌であって、人前で歌うことですか。そこで一番、大切な人にみせる。とびきりの表
情かそれ以上のものが本来、歌うところで出るべきでしょう。きちんと消化できていたら、出てくるものである
はずです。これは歌の技術とかいうことではないと思います。
だから、これも表現する人間にとって必要な技術です。年齢とともに表情が変わってくる場合もあります。気
迫とかノリといったものも関係します。ただ人に何かを伝えようと思ったら、わかって欲しいと思ったら、日常
生活の中でも、
ポケッとした表情はしないでしょう。
声だけとか口だけが動いているような動作はしないですね。
自分にとっても、そんな態度で歌ったら失礼だと思うはずです。ただ歌のなかでは、音楽にのってしまったり、
バンドがついたりするので、とんでしまっている場合が多いわけです。これが一番、基本のものです。ここから
やってみましょう。
イメージは、あなたの日常のなか、イマジネーションのなか、モノトークのなかにもいろいろな材料がありま
した。愛しい人と会っているとか、別れなければいけない、その背中を見つめる、行って欲しくないと、そうい
うときは、そういう表情をしているでしょうね。ではなぜ、歌のなかでそれがでないか、現実の生活のなかの日
常になっているものさえ、自分でそこをつかんでいないからです。歌のなかでもそうならないと、いや、それ以
上でないとおかしいのではないかということです。生きていたら、同じことです。
リピートということが必要です。その顔を見たら相手が帰らなくなる、よい舞台というのは、その日の内にで
も友だちをたくさん連れて見にいきたい、あるいは友だちなんか連れないで自分だけで一人占めしたいというこ
とで、とにかくもう一回、足を運ぶでしょう。そこで満足させられて何となくよかったけど、次にみるならまた
1年後というのであれば、やはりそのくらいしか魅きつける力がないわけです。
自分の顔を見たら相手が帰られなくなるような、とびきりの表情を今日の夜でも明日の朝でも出してみましょ
う。セールスマンでも、ミラートレーニングをやっています。表情だけでできること、日頃から、そういうこと
を考え、そういう表情をしようということを、やってみてください。いろいろな表情をしなければいけないと思
います。
表情のないままやっている人もいますが、歌は表情で語りかけている部分がとても大きいです。声の表情も含
めます。舞台の上で一言ごとに移り変わる表情、優しい表情、ひずんだ表情、憎しみ、怒り、歌がよいとか悪い
ということでなく、そういうことで人の心を捉えられる。その人をファンにする。あるいは見続けたい、見守っ
てやりたくなる。5年後、10 年後どうなっているのかと思わせる。それが生来的にできる人もいます。でも、や
り続けるなら素質よりも素養があることです。
舞台で問われるものを自分のなかでシミュレーションして組み立て出していくということが大切です。コンサ
ートとかライブになって、人前に出たときにほほえむこと、歌のなかでは笑わなくてもよいです。歌によって違
います。しかし、終わった後、一つの戦いが終わった、そこで笑えること、それがパッとつくれるには日頃から
精一杯やっていなくては無理でしょう。
とってつけたような笑顔でなく、
本当に魅力的な顔をつくれるとしたら、
その人はそれだけ修羅場を踏んでいるわけです。
客を目の前にして笑うというのは、そう簡単なことではないです。お客さんが魅かれるのは、歌い手が怒って
いる表情ではなく、可愛く安らいでいるところに魅きこまれていくわけです。役者の学校ではありませんから、
あまりクドクドは言いませんが、これから勉強する上でステージなどを見ていくときに人が何に魅かれているか
を、自分が人を魅きつけようとする商売をするのであれば、そこを勉強すべきと思います。
全身で全霊を込めてやってください。全身から体で動いていく、そういう感情になり切ったらそういう表情が
出てくるはずです。そうでなければ、表情が裏切ってしまいます。歌っているのを見ていたら何かうそっぽい、
そうしたら伝わるわけがないです。とても大切なことです。それが一致するということ、心と体と息と声も、そ
れが当然、表情に出てきます。先ほど述べた通り、演じるもの、表現するもの、表現されるもの、あるいはこと
ばも叫ぶもの、叫ばれるもの、あらゆるものについて両方のことをやります。この二つのことを取り出してくる
ことです。
あなたに大切なものがあって、それを自分から奪い去るものに抵抗していく。それを失っていく痛み、そうい
ったものをすべて計算、あるいは感じた上で表情でやる。声がなくても、技術がなくても表情がカバーします。
その間に感情も技術も補っていきます。技術というのは表情も含めてのことです。技術と切り離すとヘボ役者に
なってしまいます。演じている、なんかとんでいる、この人が言っていることは本当みたいだけど、でも伝わら
ない。そしたらやはり、ダイコン役者なのです。
このリブ・フォエバーというのは、やや概念的、抽象的になりがちなので、もっと具体的なものをやりましょ
う。
シャンソンの「アコーディオン弾き」
、これは少々、長いのですが、ストーリー性に富んでいますので、どっぷ
り入ってください。
「街の女の彼女はとても美人だった」
から始まるように、まず歌い手のスタンスは『語り手』として登場します。
歌というのは自分がなり切り歌うものと、こんな物語、こんな物語というように第三者的に歌い上げるものが
あります。これは、語り手から入ります。歌が進むにつれ、ストーリーが進んで行きます。
彼女の彼氏はアコーディオン弾きだった
ふたりはとても楽しいときをすごす
しかし彼は兵隊にとられた
彼女は彼が帰る日を夢見る
結局、彼は死んでしまった
彼女は彼の演奏していたホールにふらふらといくと
そこでは別の人がアコーディオンを弾いていた
彼女はアコーディオンにあわせて踊る
蘇る想い出
アコーディオンの音
帰らない彼
蘇る想い出
アコーディオンの音
帰らない彼
蘇る想い出
アコーディオンの音
帰らない彼……
蘇る想い出
アコーディオンの音……
『止めて』
と彼女は叫ぶ、音楽を止めてと
この『止めて』をみてみましょう
ピアフは頭を抱え、顔をゆがめて、叫んでいる
歌詞のストーリーが進むのにしたがって
ピアフもまたどんどん『語り手』を離れ『彼女』に同化していっています
自分のものにしています
そして『止めて』のとき完全に『語り手』ではなく
叫び声をあげる『彼女』になっています
だから、アコーディオン弾きの歌ではなく、ピアフの歌なわけです。
この歌にまつわるエピソードを一つ、
来日の際、ミルバが『ピアフ』をテーマにとりあげました。
この『アコーディオン弾き』も歌った
ほんの一部だけ
『止めて』の前までをすべてインストゥルメンタルで演奏して
そのときミルバは舞台にはいない
そして、ミルバは突然、飛び出してくると『止めて』と叫び、以下を歌う
という構成でした
『止めて』とミルバが叫ぶと、ほとんどの客は笑った
確かにミルバはいつも、それまでのらない、日本の人を喜ばすよう
ユーモラスな行動をとっていた
多くの客はこの『アコーディオン弾き』の歌詞は知らなかったかもしれない
だけど、何かがひっかかった
『もしピアフが、同じことをしたとしたら?』
私は、客は笑わなかった、笑えなかった気がしました
(ピアフとミルバ、何が違うかというのは、今までも述べてきました。ミルバの歌とピアフの叫びはやはり、対
極的なものかもしれない。
)
ミルバはうまい、疑いもなくうまい しかし
ピアフはこの歌で『止めて』を叫ぶとき、
その体に鳥肌をたてている
全身が苦しみにもだえている
臓器をひきしぼって生まれてきた声だ
だから
ピアフにアコーディオン弾きの恋人はいなかった
それなのになぜ、ピアフは『彼女』になりきれるのでしょうか?
まるで、ピアフの恋人がなくなったように
ステージで、その「止めて」の一言は、なり切ったではなくて、なっているわけです。ピアフは「俺の靴の足
を入れてみろ」というところにまで入れているわけです。叫び、呼びかけているのです。
歌も課題も同じことです。歌い手にとって歌はいつも課題だし、課題はいつも歌です。なのに課題が歌になら
ないなら、あなたは歌い手ではないのです。自分のなかで消化されていたら、そのことが叫べるし、そしたら伝
わるし残っていくわけです。その体験を何らかの形で取り出します。容姿など以上に、心が自分の歌を裏切らな
いようにしていくことです。
(ビデオ ピアフの(アコーディオン弾き)
)
L’ACCORDÉONISTE
La fill’ de joie est belle
Au coin d’ la rue,là-bas
Elle a un’ clientève
Qui lui remplit son bas
Quand son boulot s’achève
Ell’ s’en va à son tour
Chercher un peu de rêve
Dans un bal du faubourg
Son homme est un artiste
C’est un drôl’ de p’tit gars
Un accordéoniste
Qui sait jouer la java.....
Elle écout’ la java
Mais ell’ ne la dans’ pas
Ell’ ne regarde mêm’ pas la piste
Et ses yeux amoureux
Suivent le jeu nerveux
Et les doigts secs et longs de l’artiste
Ça lui rentr’ dans la peau
Par le bas, par le haut
Elle a envie d’ chanter, c’est physique
Tout son être est tendu
Sun souffle est suspendu
C’est une vrai’ tordue d’la musique
La fill’de joie est triste
Au coin d’la rue, là-bas
Son accordéniste
Il est parti soldat
Quand il r’viendra d’la guerre
Ils prendront un’ maison
Elle sera la caissiére
Et lui sera l’paton
Que la vie sera belle!
Ils s’ront de vrais pachas
Et tous les soirs, pour elle
Il jouera la java......
Elle écout’ la java
Qu’elle fredonne tout bas
Ell’ revoit son accordéniste
Et ses yeux amoureux
Suivent le jeu nerveux
Et les doigts secs et longs de l’artiste
Ça lui rentr’ dans la peau
Par le bas, par le haut
Elle a envie d’ pleurer, c’est physique
Tout son être est tendu
Son souffle est suspendu
C’est une vrai’ tordue d’la musique
La fill’ de joie est seule
Au coin d’la rue, là-bas
Les fill’s lui font la gueule
Lès hommes n’en veul’nt pas!
Et tant pis si ell’ crève
Son homm’ ne r’viendra plus
Adieu, tous les beaux rêves
Sa vie, elle est foutue
Pourtant, ses jambes tristes
L’emmènent au bouis-bouis
Oh y a un autre artiste
Qui joue toute la nuit......
Elle écout’ la java.......
Elle entend la java........
Elle a fermnéé les yeux........
Les doigts secs et nerveux.........
Ça lui rentre la peau
Par le bas, par le haut
Elle a envie de queuler, c’est physique
Alors pour oublier
Elle s’est mise à danser
A tourner au son de la musique
.............
Arrêtez!
Arrêtez la musique!
アコーデオン弾き
街の女の彼女はとても美人だった
ほらあそこの街角に出てた
彼女には常連が一人いて
彼女にみついでくれた
彼女の仕事がすめば
今度は彼女の番だ
ささやかな夢を求めて
場末のホールへ出かけて行く
彼女の彼はバンドマン
小柄な変わった男で
アコーデオンをひき
ジャヴァをひかせると大したものだった
彼女はジャヴァに耳を傾けるだけ
踊りはしない
踊り場には目もくれない
情のこもった目で
その熱演を追う
バンドマンの長い、固い指の動きを追う
彼女は身じろぎもしない
足の爪先も、頭のてっぺんも
彼女はどうしても歌いたくなる
全身がぴんとこわばって
呼吸をのんでしまう
実際この音楽ときたら
街の女は淋しかった
あそこの街角に立つ彼女は
彼女のアコーデオンひきは
兵隊にとられてしまったのだ
戦争から帰って来たら
二人で店を持とう
彼女は会計をする
そして彼はそこの主人だ
そしたら、毎日がどんなに素晴らしいだろう!
二人共王様になったような気持ちだろう
そして毎晩、彼女のために
彼がジャヴァを弾くのだ
彼女はジャヴァを聞く
小声で歌ってみる
すると、彼女のアコーデオンひきの姿が目に浮かぶ
そして彼女は情のこもった目で
その熱演を追う
バンドマンの長い固い指の動きを追う
彼女は身じろぎもしない
足の爪先も、頭のてっぺんも
そのうち、どうしても泣きたくなる
全身がピンとこわばって
呼吸をのんでしまう
実際この音楽ときたら
街の女はひとりぼっち
そこの街角で
娘達はじろりとにらむし
男達も声をかけてくれない
彼女がどうなってもかまわないのだ
彼氏はもう戻って来ない
永遠にさらば、美しい夢の数々よ
彼女の人生は、すっかりパァになってしまった
それでも、くたびれた足は
しぜんと向かってしまうのだ、あの場末のホールへ
そこでは別のバンドマンが
一晩中演奏しているのだ
彼女はジャヴァに耳を傾ける……
ジャヴァに聞きほれる……
目を閉じてしまう……
あの固いそして緊張した指先……
身じろぎもしない
足の爪先も、頭のてっぺんも
そのうちどうしても泣きたくなる
そこで忘れようと
彼女は踊りはじめる
音楽の音につれて、くるくると
…………
止めて!
音楽を止めて
(訳)
(日本語の歌詞訳)
では、歌詞を読みましょう。日本人だと美空ひばりさんや森進一さんのステージを見てもらえればイメージが
つかめるかもしれません。二人とも、歌うのではなく歌になり切り、一心一体になれる、日本には数少ない真実
のヴォーカリストです。
それぞれの人が歌というのはいろいろなイメージをもっていると思いますから、こちらからこういうものなの
だとは言いません。しかし、今、聴かせたヴォーカリストは、それなりのものを当然、もっています。そしてそ
れは、
受け継がれていくでしょう。
一流の人は必ずそういったものの根底にあるものを受け継いでいるわけです。
トレーニングというのは新しいものを出すためにやるのですが、受け継げるものはできるだけ受け継いでいく
べきでしょう。どういう作品にするかは、まだあなたのなかに見えていないと思いますが、見えなくても何かそ
こで、1分間のなかで、今日一日のなかで一瞬でも心に触れるものがあったら、自分のなかでこれらの材料をメ
ニュにしていかなくてはなりません。その一瞬をいつまでも見逃していくと、10 年たってもやはり、一つの作品
もできてこないのです。たくさんのことに気づくというより、一つのことに気づいて、それを同じような感覚と
はいいませんが、深くアプローチしていくことです。表現するものとしての感覚をどうやって保ってそれで収め
ていくかということを磨くことです。
課題はとても単純なように思えるかもしれません。単調なジェットコースターですね。下に下がって上にいく
だけですけれど、このなかに少なくても8つ以上の歌が入ります。全部の歌を完璧に仕上げなさいとはいいませ
ん。しかし、このくらいの人数ですから、どこかの箇所にあなたがいたということを伝えてください。そして、
また見たいという期待をもたせることが客を裏切らないということです。
「いる」ということは、わかりますよね。出てくると拍手をしたいと思う人と、
「あれっいたの?」という人と、
そこから勝負が始まってそこで勝負がつくのです。
なぜ拍手をしたいと思わせるのか、
考えてみましょう。
おもしろいから? それだけでもつほど甘くありません。
必ずそのまえに実績を残しているわけです。実績を出せるには準備がいります。
その実績というのは、必ずしも、技術とか歌が秀れているということではありません。それは、人を魅きつけ
る要素です。人に待たれてその人が出てくると何かよろこぶ、何か与えられる、だから当然、あたたかい場が用
意されるわけです。そうでないと、永遠に「この人は誰?」 「何だ?」の繰り返しになる。そうすると世界はい
つまでも開けていかないです。あなたの努力と作品にするまでのプロセスに拍手は注がれるのです。
歌い手というのにはいろいろな要素があります。それを全部、今回は課題のなかにつめたつもりです。最初に
聴きました。何をやるかではなく、どうやるかを問いたい、それがすべてです。チェックリストを見てください。
□エチュード
エチュードのスクーリングは、今までやったことをまとめることです。ノートに書いたら終わりというのでは
困ります。今回、具体的に、ありありと、そういう表情を出して欲しいです。それから切り換えていくこと、短
い時間のなかで切り換えていくことは、難しいですが、エッセンスを取り出す世界ですから、スイッチの切り換
えが求められます。いつまでも悲しみのなかに浸っている時間はないわけです。ただ、深く入ってつかんで欲し
いです。歌も1曲単位、いや、そのなかで何度も切りかえる必要があります。
1番目は息のエチュード、2番目は悲しみのエチュード、3番目に絶望のエチュード、4番目は憎しみのエチ
ュード、5番目でモノトークです。6番目、息のエチュード、7番目喜びのエチュード、8番目やさしさのエチ
ュードです。そこで解放されたところを表現してください。人前で笑えるためには、こだわりのプロセスがいる
のです。ファルセットでも裏声でも低い音でも構いません。力を入れて意識してつかむのではなく、こういう場
で人間の空気にのって一つの開かれた場所に対して声をのせていくような感じでやりましょう。
それが、あなたの声が歌になる最終的なところです。
次に、コンセプトを統一して欲しいということです。それぞれ、いろいろなものをもってきていますが、班ご
とに発表します。班のなかであまりにバラバラであると統一感に欠けます。班の色をだすところまでやります。
各人の個性が出れば班のオリジナルも出ます。このエチュード自体がうまく線を描いて上がってこないと、時間
の感覚もバラバラになって空間も凝縮しなくなってしまいます。歌も一人でやるものではありません。そのうえ
で、最後に作品が個人個人であるということです。この課題を通して、あなたが何を伝えたいかということが大
切です。明朝からこれに対する材料をさらに加えていきます。
どうも一日終わってしまうと、一日抜けてしまう人が多いようです。私の本を読んだり、講演を聞いても、8
割の人はその日で、あとの2割の人も一週間で抜けてしまいます。だから、人が一つの芸をものにするには同じ
ところで同じことを何年も修めなくてはいけないのです。頭でわかったからといってほとんどの人がやめていき
ます。しかしものになるのは、できたということなのですから、わかってからこそ、いなくてはいけないのです。
少なくともプロと同じレベルにできて、さらに3年は学べるのです。
材料をとること、復習を忘れないことです。それから、ふくらましてみる。わずかにやったことから、何か気
づいたことがあっても、夜にそのことについて考えて、より大きくふくらましておかないと、次の日に全く消え
ます。次の日に思い出そうとしても、結局、積み重なっていかないです。
だから書くようにといっているのです。書いてつかんだ上に、自分なりにまとめておきます。要するに、予習
も復習も大切です。こちらで材料を出し、せっかく半分入っているのにそのまま寝てしまって、起きたときには
忘れてしまう。アーティスト精神を日常にもたぬ限り、そこまでいかないうちは、絶対に離してはいけないので
す。せっかくの材料が全部死んでしまいます。お客さんであればまた一流のものを聞きにいけばいい。おもしろ
かったら、行けばいい。あなたもそれは必要です。ただ、あなたがもしそれをモノにしたければ、そこから受け
継がれてきたものを確実に受け継いでいくことです。それが一番、正しい方法なのです。
全く何もないものから自分一人で何か創り出せるわけはないです。
いろいろなものが世の中に残されています。
それを渡そうとして、いろいろなものを出しているつもりです。ここでのメンバーも材料です。この世に残って
いるのですから。人によって、段階によっても違うと思いますが、ふくらませてみて、もう一度個人で消化する。
グループのメンバーと消化してみる。それとともに、消化から昇華に、今度はクリエイティブに創造してみるこ
とです。
相手の身になりきる力を問いたいです。彼に対し、あなた方が彼だったらどうやったか、あなた方があそこに
出た彼らだったらどうやったか、ピアフだったらどうやったか、ジョルジアだったら、あるいは私だったら、自
分だったら?と自問して答える。あなただったら、それをみてどう思うのか。答えられないうちはそういう場に
立てません。
こんな解説は余計なお世話です。モデルがなければ自分たちでやればよいわけです。ただ私は、材料を出して
受け継ぐことにこだわっています。何か一つ与えられたら、10 個、自分のなかで語れるように、あるいは同じ質
問を 10 個思い浮かべられるようになれば、深まってきます。すると今のレベルのことは、来年越えられます。そ
れをやらないと、越えないと来年になっても再来年になっても、同じことをやっていかなければいけないという
ことです。
今日やっておくことは、もう一度、自分のノートを見直すこと、このエチュードのスクーリングに合せていく
こと。それから班のなかで今日の全体の流れを捉え、明確にしておいてください。悲しみと絶望と憎しみと同じ
だとかよろこびも優しさも何となく似ていて、区別がつかないということにならないように、一つひとつに意味
を与えてみてください。人の心の動きに対して、雑な扱いをしてはいけません。
(カウンセリングには、何か質問したいことを予め書いておいてください。終わってからこういうことを言えば
よかったという人が多いようなので、必ず書いておいてください。
)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(5)レッスン2日目 朝(SECOND Day-morning)
○モデル
全体像を追うことを実際にやってみたいと思います。知っているからといって本番ですぐに消化できてしまう
課題ではありません。一通り、やってみます。具体性をもって最後まで個人でしめくくることです。
○モノトークについて
モノトークで、いくつか気づいたことを述べます。まず皆さんが台本を書く時点でエチュードのことを、考え
ていないということです。このモノトークというのは、エチュードの役割のなかでのきっかけです。具体的に書
くようにといったのですが、あまりに個人的レベルのことが多い。これを演じた場合に、ものにはなりません。
具体化と抽象化
ちょうど先週、TVの「バラ色の珍生」という番組から、知っている人がいたら紹介してくれと電話がかかっ
てきたのですが、とても偏った恋愛とかめったにないような話を告白するものということです。まさにそういう
ものに出したらよいと思いました。ワイドショーとか週刊誌に近いネタはいらない。半分はありきたり、後の半
分は、ただ正直に書いていただいています。だから却って、見せられない。あまりに個人的事情が多すぎるわけ
です。それは、具体的とは違う。みなさん、よくまあこんな複雑な生き方をされている。しかしそれをそのまま
吐露するのではなく、消化して出していくことです。
「裸になってください」とは言っているけれど、
「裸を見せてください」ということではない。全く違います。
これでは個人の告白です。教会でのザンゲです。ザンゲとトークは違います。
テーマは、愛なのに、皆さんのは個人の恋愛歴なわけです。だから失恋から立ち上がろうとしているなんてい
うものはともかく、私、彼とうまくいっていて今ウキウキなどは、単なるノロケにしかならない。そんなものを
読ませられる身になってください。私の腹が立つということは、あなたも、みたら腹が立つ。舞台にはならない。
先の自己紹介を聞いていても、デートをやめてここに来た、それも、振り切る事情などなく、月に4回は会っ
ているから今週はここに来てもいいやという感じ。もう少し煮つまらないでしょうか。
まず一つは、愛であっても恋愛の告白ごっこをやっているのではないということ。それからあなたの個人的な
ことを私が知りたいのでも周囲の人たちが知りたいのでもないということを押さえてください。
どう直したらよいかということは、とても難しいです。具体的な書き直しとして、いくつか私の方で線を引い
てあります。彼とか彼女とか、~ちゃんとか正直なことはよいのですが、個人の事情のなかに入っていかないこ
とです。
入っていってもよいが、とり出し投げ出すこと。聞いている人にとっては、○○ちゃんでなく、
「あなた」
「あ
なた」といわれて歌になるかということです。たとえば敬称を消すだけで、違ってきます。抽象化されるからで
す。
それからもう一つは年月、私が~歳のとき、それから何年前、これはとても具体的でよいですが、生々しすぎ
ます。芸能人とワイドショーではありません。今の皆さんの恋愛状況や、そのことで過去に苦しんだことを誰も
知りたいのではない。世の中が、そういうものを表現とか個性と教えているようですが、少しは疑ってください。
伝えるに値することは事実そのものではない。そこで得た自分の心、感覚の方です。だから、事実を書いても、
これを人前で1分間に凝縮させた表わしときに、
余計なことになってしまう。
必要がないからカットすべきです。
モノトークは作文力を問うているわけではないです。
このなかで私小説を書くわけではない、
ということです。
真実のことばというのは、ことばそのものが日誌のように正直なのではなくて、そのことばのなかに、その意味、
あるいは自分がそのときに思ったことが含まれていればよい。自分が思っていればよいわけです。
「5年前」という必要はなく、逆に言うことによって表現は弱まってしまいます。とても難しいですが、役者
さんの表現とは違います。そういうものは具体的であればあるほど、おもしろいわけです。トークショーをする
のではありません。そういう意味で歌うのではないのです。
だから、随分とおもしろおかしく、変な体験とか経験とかをいろいろと述べてあるのですが、その生の感情を、
生のことばをそのまま出すのではなくて、もう一段階、抽象化してください。大人になってくださいということ
です。
いつもは具体的にと言っています。ここでは再生のきっかけのせりふにして欲しいのです。だから、失恋であ
ろうがそれが最終的に自分の生きていく哲学になっていたり、生きがいになっていたり、その歌うことの理由に
何か結びついていると感じられるものは、よい。そうではないものは、3度の食事のメニュと同じです。習いで
しかない。何で歌うの、だからこの声が何なの、この表現が何という具合に結びつかないから、違和感をもつ。
この課題の愛というのは、恋愛というのではないのです。自分の恋愛事情を、履歴書みたいに書いても作品に
はならないのです。それでよければ、あなた方は間違いなく恋愛作家とよばれます。そんなわけがないでしょう。
だからそこを書きすぎた人は、できたらその日時、何歳のときとか、つき合った相手の名前、彼とか彼女がど
うこうという説明が繰り返されている箇所を消してください。それでだいぶ、抽象化され、あなたのなかで共有
されるものになります。あなたの記録を聞きたいわけではないということです。
以前に参加した人のなかで、ここで発表したことを後々まで他人に言われたという人もいました。舞台のなか
でやったことを日常にひっぱっていくのは、映画で脱いだ女優に、日常の場で裸をみせてといったり、そういう
眼でみるような愚かな人たちで、情けなくなります。
ノンフィクションで書いてきたものは、その人の生きざまになっています。開き直りで吐露して、それで何と
か再生するというのは心理的にもやりやすいし、役者の世界のなかでは、やっていることですが、やはり私は歌
うものとして、そこの部分はもっていながら、そこまで人前で生々しくやりたくないというのがあります。
そのために歌があるし、音がついているからです。音というのは抽象化されるのです。だからことばより、さ
らに抽象化された世界での感性が必要です。ことばほど生々しいものではないのです。
それを、あの人、こんなことを言っていたとか、こんな生活をしているんだって、というそんな下司な勘ぐり
をする人もする人ですが、そう思われてしまう人も問題です。この場のことはこの場で終わらせます。結果とし
ては何を言っても構わないでしょう。ただ作品としてみたときに、作品にならない、あなたがそれを演じるとき
によい台本になっていないというものに関しては、計算を働かさなければならないということです。
○事実とリアリティ
歌に関しては、ストーリーとか詞でもっていくものもあるし、バンドでもっていくのもあります。
ですが今回は、表現力の部分でもっていきたいと思います。詞や、ストーリーとしてよくても、今回のエチュ
ードのなかでの役割としてみたときに、望まれる効果とか表現が必ずしもでない。だから、事実は忘れます。脱
げばいいでしょうという形で裸になっても仕方がないということです。確かにそれも事実で、隠しようもないも
のです。事実だし具体的なことだし、ウソ、偽りもないのだけれど、事実を事実として伝えることによってリア
リティを出すのではないからです。
多くの場合、事実とは実際に起こったこと以上のものではない。見たいのは真実をつきつける、リアリティで、
それは事実そのものではない。だからとり出さないといけない。
ノンフィクションでも、
自分の事実をそのなかでもう一度、
深いところで汲んだことばとか想いであってこそ、
伝わる。それが創造力です。想いのところで、伝えて欲しいです。
具体的すぎることばというのは、じゃまになってしまうと考えてください。かなりセンセーショナルな書き出
しには、えっと思うようなものもありましたが、週刊誌と同じようなのは、ゴシップです。あなたが知りあいで
なく他人であったら、おもしろくも何ともない。他人に通用しないものは認められません。
人に言うものでないことを、この場で言って昇華できるのであれば、そのように使って構わないですが、周囲
の人はあまり聞きたくないことです。ただ痛々しくなってくるだけです。山が本当に好きだと言うだけなら、こ
ちらでも解放されるわけですが、あなたのには、そしゃくと救いがない。
テーマのうらの動きは消化と昇華です。発言する人は再生のきっかけの舞台でやるのであり、周囲の人たちの
再生も助ける、あるいは見ている人にもそこから這い上がるというような想いを伝わるものに結びつける。だか
ら、ことばで限定される部分を逆に外してください。あまりに事実そのままなのです。
正直なのはよいのですが、それではこちらが読んでいて恥ずかしくなります。裸になって胸とかお尻を出した
ら、それは商売になるかもしれないし、それで自分を消費していくのならよいでしょうけれど、それはアーティ
ストではないし、ましてやそれを見てあいつはこうだったよとかそんなことを言ってもしようがない。そんなレ
ベルのことはしたくない。
それぞれの人の事情はバラエティに富んでおもしろいですが、やりたいことは音の流れのなかでそれぞれの役
割があり、それを動かしていくその心の動きに集約したいです。そこからの叫び声が作品です。
一番よくわからないのは、そこで述べられた恋愛とか愛が、全く歌に結びついていないことです。それから愛
というと、いきなり恋愛、失恋に捉える人が多すぎます。それ抜きで語れぬ事情がある人はそれでよいと思いま
すが、もう少し、そこで見つめて消化したら、愛についてもっと大きな力が動かせるはずです。
そうしてみると、愛ということを取り出せる形では見てこなかったのではないか、という感じがします。だか
ら、煮つめられていない。
どこにもつまらない恋愛はないとは思いますが、そのまま取り出したとしたら、それは作品でないのです。
書くことにも慣れていないし、どうやればよいかということでは、難しいことだったと思います。しかし、も
う少し愛ということで大きくつくってきたら、それが歌へつながってなくても、自分の生き方とか想いとかが出
やすかったでしょう。そこで歌がつながっていない人はどうしようもないですが、歌は、生きることとつながっ
ていくものでしょう。あなたの生活のなかにある、そういう大きな意味の愛とかのことで、だからといって彼氏、
彼女のことを書くなとか何か人類愛とか社会愛に切り換えなさいとか言っているわけでもないのです。その描き
方の問題です。
○年○月から恋が始まって、これはいつ終わった。そして次の恋はいつ始まっていつで終わったと、それは単
なる行動であり事実の羅列です。それだったら、その一つだけでよいから、そこからつかんだ想いとか、感じた
ことを取り出して表現してください。
そうであってこそ、他の人が共感できるのです。
赤裸々に何を告白してもらっても、私は驚きませんし、構わないのですが、せっかくこういう台本を書くので
すから、工夫してもらいたいと思います。腹をくくって脱いだのも、ある人にとっては大きな進歩です。だから
こそ、その上を求めたいのです。
逆に抽象的すぎる人は、具体的にしてみた方がよいと思います。かなり漠然としたまま最後までいってしまっ
ている人がいます。たった一つ、何を言いたいかということに絞り込んでいくことです。こういう人は、腹をく
くることです。聞きたいのは、そのことばを通じて出てくる音声に込められた想いです。その想いが悲惨なもの
であろうが、幸せなものであっても、どちらでもよいです。それに想いが込められていたら、個人としての自立
できる、そこで再生というのも感じられます。
まず、言い訳はいらないです。歌に結びつけられるのであれば、結びつけてください。ひんしゅくをかうのは
恋愛自慢です。こんなに私は恵まれていてというだけなら、この人は何でここに立っているのだろうという感じ
になってしまいますね。その時間、どこかでデートでもしていればいいのにとなってしまう、世には不幸な人も
たくさんいますから。作品自体が共同性をもつので成り立ちにくくなってくると思います。
だからここで恋愛を語るわけではないのです。この愛というのは、人間の感情が生まれてそこで苦しんだり痛
めつけられたりところに帰因するというです。エチュードでは同じ世界でも、光とか闇があるとしたら、闇の世
界で今まで見えていたものが、一つの想いで光がさして、そこでみえてきた。そのことのできっかけです。
それはあなた個人の勝手な考えだよ、別にそんなこと関心ないよと言われることを省くのです。すると、2~
3分で書いたことが、1分くらいになると思います。省いたところは、それを匂わせることばでもよいし、それ
をたとえているようなもので置き換えてもよいから、より中身を煮つめていく。
「そしてじっとネコの顔を見ていた」とって終われば伝わるのに、その後に「それで彼と別れてその次の彼と
は今はどうこうで」というのは、いらない。自分のイマジネーションのところで伝えていたら、聞く人の方がイ
マジネーションを働かせてくれます。聞く人のものになります。それをわざわざ狭い世界にもっていく必要はな
い。
ただこれが自分だ、こういう形でやった方が自分が表現できると思う人は、今のままでよいです。裸にならな
ければいけないと言うから脱いでしまっていると思うのですが、脱ぐのではなくて芸を見せて欲しいのです。ど
うせ脱ぐのであれば、
1枚2枚脱いでいく芸で踊りの方を見せて欲しい。
最初から素っ裸でパッと出てしまうと、
こちらもどうしようもなくなってしまいます。そうならないように組んでみてください。それがモノトークです
ね。
○ため息から声に
ため息から声にしていくことをやりましょう。
深い呼吸をイメージしながら、それを声にして伸ばしてふくらませてみてください。誰かが息を吐くのにのせ
ていくとよいと思います。
誰かが出したらそれで省いてよいでしょう。
その気になってきたら自分が演じ切って、
この集団のなかにとりあえず自分の声を問いかけてみることです。息を吐くことから始めます。どこか自分のき
っかけをつかんでいくなかで、どこかで声になっていきます。
(全員でため息から声へ)
(エチュード見本)
今のが形です。ところどころ止めようと思ったこともありましたが、ギャラリー(第三者)が止められないと
いうことは、作品になっているということなので、そういう評価をしてください。これが一つの叩き台になると
思います。
(昨年参加して今年も参加するというのは、こういうことが好きな人ですから。そう言ったら失礼かもしれませ
んが、また全然違うメニュを期待してきたかもしれないですが、そういう面では、ここで独立して劇団でもつく
ってみれば食べていけるかもしれないですね。
) 再び参加するということは、そこに深めたい何かがあるという
ことで、昨年は深くできなかった、あるいはできたけどまた取り戻しにきたわけでしょう。できても戻ると、ま
た忘れてしまうわけです。その感覚を出せなくなる。そういうことで参加する自分には、そこにつかまなくては
いけない何かがあると思ってください。
こういうことの好き嫌いは人によって個人差があります。感情移入できない人は、皆でやる作品だと考えない
でください。
自分の作品だというふうに考えて、
自分に役立てるためにこの場と時間を共有するということです。
だから、本気にならないと損だと思います。
あなたの作品ではないということは劇団でもどこでも同じです。
自分のプレーをまっとうすればよいだけです。
自分の作品をきちっと創っていたら迷惑もかけないし、作品自体もオーライになります。そういうふうに考えて
みてください。
よく表面だけをみて、ラベルを貼って分ける人がいます。あのなかの一員になりたくないとか、私は違うとか
いって、区切るのです。それは自分を番外においただけです。そんな人は一生、表現の場に立てないし、何度か
立ってもまっとうできません。10 年か 20 年たったらわかります。
自分の作品だと思ってみてください。
よかったところ、
悪かったところはだいたいの流れから捉えてください。
作品として見るのは、こういう経験のない人にはよいことだと思います。
ストップがかけられない、いきおいがあるのは作品になりつつあるということですから、そこに何かがあると
思えばよいです。そうしたら、その何かをどこでつかむかという話です。だから、ここでつかめれば一番よいと
思います。あなたには特殊なことでも、私にとってはこれが日常です。3日間、遠方から時間をかけ、参加して
いたのですから、それをつかむことです。
今のものを叩き台としてみると、前半の方はあまり文句はないです。そのまま取り込んでください。解放され
ていなかったところが、最後の部分です。これは舞台の使い方にも問題があります。解放されたところから、エ
チュードのところです。円はもう少し大きい方がよいです。それから、お客さんがこちら側にいるのであれば、
少し開いてやった方がよいでしょう。クローズしてやっていた人たちが天上に上がっていく感じだと、そこまで
開かれていたものが切れてしまいます。そういう演出があってもよいと思いますが、何となく締め出されたよう
な感じもします。
だから、全体の舞台がここだということは、考えてください。全部、使ってよい。
場の設定はとても大切です。それから声の解放と気持ちのノリです。このへんは、もう少し解放させたい。声
を意図的に出しているという意識よりも、しぜんに楽に声を出します。
昨年やった人は最後にやった天の声を思い出してみましょう。全く力が抜けていたはずです。しかし、声は透
き通っていた。それは集中と弛緩を同時に心と体でできていたからです。
早い時間で切り換えていくので、難しいと思いますが、捉えて欲しいことは、先ほど言ったことです。つかみ
たいでしょう。何かを。もしあなたが好きであれ嫌であれ、目を釘づけにされている時間があったとしたら、そ
のなかにある何かを取り出してください。
感情を練り込むというところから始まって終わりまで、ここにこういった舞台をはじめ、すべての歌も、人前
でやるものの構成のエッセンスが全部、入っています。短い時間のなかですが、とても単純に入っています。
わからなければ、一曲の歌を全部、ここに置き換えてください。歌からみたら少し長い時間で、舞台からいう
と、とても短い時間で全部が入っています。それを学んでください。
人前でやるものとして価値が出てくるものの、その形まではつくっていないのですが、必要とされる表現技術
の精神的なものから基本の線は、この脚本のなかで押さえていると思います。それを理解してください。舞台に
限らず、演劇に限らず、歌のなかでも同じです。歌というものはこれからやることを3分間に凝縮するだけです。
○見切り、身に受ける
いくつか気をつけて欲しいことは、人をけとばしたり体に触るということもおきましたが、こういう状態にな
っていると、心身が自分のものであってそうでないようになる人がいるので、力は手加減し他人にさわらないで
ください。普通の力で出したつもりでも強く働き、ぶつけたりします。芸ごとでの、身体の接触は、そういう雰
囲気が出ていたらよいのです。細かくは言いませんが、普通の状態ではないということは考えてください。
それから、苦悩のエチュードのところで、座り込みます。そのときは苦悩の表情をもって座り込むわけです。
これはできていたと思います。しかし、次の憎しみのエチュード、これは顔を上げるところでスタートします。
この顔を上げたときに憎しみの顔になっていて、このときは、完全に立ち上がっていなくてもよいです。
そういう状態から、次のエチュードに入る間に、半円状になって、立っていくところで、憎しみ、非難、嘲り
の声をぶつける。この表情のところで一回押さえてください。
本当は感情で移っていくのがよいのですが、決まるポイントというのがあります。そのポイントのところの表
情は、区切りをつけていった方がよいと思います。
時間が限られていると、全体のなかでやる感情を待って動けなければ芸になりません。どうしても全体の流れ
の遅れをとっていってしまいます。自分一人でやっているならよいですが、そうではないのです。
同じように、希望のエチュードのところもモノトークのあと吹っ切れているべきなのに、この吹っ切れ方が足
りなかったようです。絶望のなかでやってきて、そこから再生するための告白をしにいくというときの出方と、
そこでそれを言い終わった、それが終わってパッと帰ってしまうなんてことはない。当然それを感じていたらゆ
っくりになる。それを感じたら言い終わってもすぐにパッと終わることができる。歌と同じです。終わったらパ
ッと、これで帰る人はいないですね。そういうのはノド自慢かカラオケ大会です。そこからの反響を一身に受け
ることです。☆
やったことは自分の責任ですから。判決を待つ歌い手が自分はここまでのことをやったんだとそこに立ち、感
じてくれ、ああ感じてくれたなと、それは拍手であったり視線であったりします。それを浴びたくて皆、人前に
立つわけでしょう。そこを逃してしまうというのは何のためにやるのかわからない。
これも同じです。皆とはいっても、一人ひとりのソロの舞台です。そこできちっと感じることです。
一人ひとりのエチュードも、希望のエチュードも同じです。
もう少し、円を大きくしてあげて、真ん中の人が動きやすくすることです。考えてみれば世の中で 10 人の人か
ら本当に祝福される瞬間というものは、そんなにはないのです。毎日、誕生パーティをやっている人は別ですけ
れど。そうしたらもう少し、そういうことを感じてみてください。
今は、早くやってくださいと言いましたが、自分の瞬間でしょう、本当に。自分が主人公になって周囲からの
10 人の瞳を見ている。するとこれは練習から現実になります。明日も本番、今日の練習も本番、それは、現実に
人間がいて、少なくともその感情で迎えてくれるわけです。
たとえシミュレーションであっても、そのことをもっとしぜんに感じれば、きっともっとしぜんに表情ができ
ると思うし、いろいろな感情がわいて声も解放されるでしょう。体も解放される。息も楽になるはずです。
音楽を聞いて歌い手になりきって練習すればよいと言っていますが、それだけではなかなかできるものでない
からこそ、全身で捉えるようなことをやっているのです。それは、今はわからなくても、とても大切な瞬間だと
思ってください。
もしかすると、10 人に祝福されるというのは、あなたの一生でこれで最後かもしれないです。本当です。明日、
死んでしまうかもしれないし、死んで祝福される人は別ですが、あるいはこの後 70 年くらい生きたとしても、皆
からの、ののしりしか受けないで終わってしまうかもしれないです。今が一生で一番よい時間になるという可能
性もあります。これが冗談であればよいですが、冗談ではないかもしれません。もっと素直に喜んでもらえれば
よいと思います。それだけで、ここまで来る価値があると思います。
それから考えて欲しいことは、今まで入っているもの、まずあなたが人間として体で受け継いできたもの、息
で受け継いできたもの、そういう部分を意識することです。次にあなたが今まで聞いてきたなかで経験して受け
継いでいきたいものがあるはずです。それから昨日や今日の材料のなかからも受け継いできたものもある。そう
いったものを組み立てて出すということです。
その作業はいつも、間に合っていないです。いつも間に合わない、ということがいつまでも間に合わないこと
になりかねない。一所懸命やっていて、今回はこれでよいですが、明日やる作品に関して、昨日感じたこととか
今までの自分の歌のなかの想いとかを、まさにこの現場だけではなくて、ずっと引きずられてきたもの、自分の
なかに入ってきているものを出せるようにする。だからもっと、音を感じて欲しいし、もっと空気を感じて欲し
い。この場のリズムとか風を感じられる余裕も欲しいのです。
これだけ広いところでやっている。でももっと広く考えて、ここから、全世界、全歴史に心を広げて考えてく
ださい。ここに身を置いているということで、もっとたくさん取り込んで、それを出すという作業をできる限り、
してください。
呼吸も軽井沢の、浅間山の、関東の、日本の、地球の、宇宙の呼吸になるまで、空間、時間、それらを牛耳る
ということです。それは時間を集約して出していくということです。だからイマジネーションを働かせなければ
いけません。舞台だけしか見えていなくて、足もとしか見えていないところから、飛び立つのです。今回のテー
マは、風です。そして、水の心に学んでください。
Break!
“風”の声
地球、世界中の音、リズム、声を聴き
人間の体に宿すとともに
日本古来の感情、心、音、感覚を
自分の血のなか、体のなかに感じ
風、心と体を洗い、自分のなかに風を通し、
風にのせて声を届ける
私は“風”
、世界を飛びまわる
私は“風”
、日本に生まれ育ち
私は“風”
、どこに行こうとするのか
〈1996 夏 福島 英〉
水
1.自らを活動して他を働かしむるは水なり
2.常にこの進路を求めて、止まざるは水なり
3.障害にあい、激しくその努力を百倍し得るは水なり
4.自ら潔うして、他の汚れを洗い、清濁併せ容るるの量あるは水なり
5.洋々として大洋を充し発しては雲となり雨となり雪に変じ霞と化し、凝りては珍瓏たる雨もその性を失わざ
るは水なり
〈水月 八十八翁〉
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(6)レッスン2日目 昼~
メニュの解説 エチュードスクーリング
メニュー実践のプロセスでのアドバイス項目
①息のエチュード
1□誕生についてのイメージを一人ずつ話してもらう
②悲しみのエチュード
1□誕生した魂におこった悲しみとは何か
(自分は何がおこったから悲しむのか)
③絶望のエチュード
1□悲しんで悲しんで決定的なことがおこる
→この決定的なことはなにか?
④憎しみのエチュード 苦悩のエチュード
1□真ん中になった相手は自分にとってどういう人間か?
(なぜ憎む?)
2□真ん中になるとき、憎しみ隊がどういうことをしているから、
自分は苦悩しているのか?
⑤モノトーク
1□どういうことを言えば、この課題の流れにあうか?
2□ここで上昇の矢印を描く設定だが、マイナスからプラスへ転換するすごいパワーを出すために、モノトー
クで自分がいうべきことは何か
⑥息のエチュード
1□再生 いつ自分で自分が生きるのを選んだか?
2□1回目の息のエチュードとどこが違う?
⑦喜びのエチュード
□再生した魂におこった喜びとは何か
(自分がどうなったら喜ぶのか)
⑧やさしさのエチュード 希望のエチュード
1□真ん中になった相手は自分にとってどういう人間か?
(なぜ優しさをおくる?)
2□真ん中になるとき、やさしさ隊がどういうことをしているから、
あなたは この課題を通して、何を伝えたいのか?自分は喜んでいるのか?
○自分の力と場の力
今までみて、少し足らないところがあります。入り込んだとき、すべてを忘れてしまっています。それは、あ
たりまえのようですが、ただ声を「はぁー」とやっているときのこの空間、時間をもっと感じて欲しい。そのと
きの感覚というのを、もし今までのことのなかから取り出せるのであれば、時間を止めてそれをつかんでいく。
一瞬を永遠に、リブ・フォエバーということです。
次に、何かをこういう感覚上に動かして欲しいということです。主体的な動きがあるべきです。やはり、全体
のなかで個人が埋もれてしまっています。なかにいる人が、憎しみとかを浴びせる人たちにこっちへ行っては突
き飛ばされ、こっちに行ってけとばされ、結局、あなたにけとばされているといったように、何もしないで虐げ
られるようです。
そうではなくて、他人のパワーにはねとばされる、何かを求めて行こうとすればするほど強く拒まれるといっ
たような、ポジティブに主体性をもって個人が動くところが欲しい気がします。まわりがいきなり、胸もとをつ
かんだりというようにハードにやるのではありません。個が目立つようにやりたいものです。演技のなかに入っ
ていくのはよいのですが、そのままでは、この場のなかで入れなくて、結局は残れないことになります。
これまでの反省点はワークショップから帰ったらやったことが消えてしまうということです。残すことをやっ
ていきたいので、今回はプロセスをもう少し明確に意図していこうと思っています。
エチュードを練習ということでやっています。
グループごとに書いたものをまとめさせようかと思いましたが、
せっかくあれだけのことを書いてきたので、ソロのステージをやってそういう人たちがさらに気づいた点、自分
が書いたのはどういうことだったのかを気づかせるために、時間をとります。
それを確実にモノにしないでそのまま素通りしてしまうと、明日も今日みたいなステージになりかねないでし
ょう。仕上げておいてください。見ながら言っても構いません。個々の売りを中心にまとめ、それがグループの
コンセプトだと思ってください。ただ読むのではなく、モノトークと同じように発表という形をとります。注意
を忘れないでください。
モノトークは、1分くらいにまとめてください。夜に一人ずつ発表します。ノートをもとに組み立ててくださ
い。イメージのこと、それから個人として動くこと、全体の動きを考えることも忘れないでください。あなたの
作品をやるのではなく、それぞれが主役であるというところをきちんと見せるということを意識してやってくだ
さい。人のを見て終わらないように、その流れにいろいろなものを持ち込んで出すということです。
20 分くらいのエチュードになりますが、3分間で表現しなければいけないつもりで、そこに全部入って、全部
出すべきです。そういうところをエチュードで味わうつもりでやってください。
なぜワークショップのときにはできたことが、戻ったらできないかというと、ワークショップのときは周囲が
助けてくれるわけです。環境も人も力をくれます。あなたが笑う、そうしたら自分の方も笑顔になってくる、そ
ういう感情が起きてくる。あなたが泣く、あなたが憎む。憎んでいくとその感情が渦巻く。そのなかに自分も投
入できる。そうしたら憎しみの境地にあるそういう声が出る。そういう歌が歌える。テンションもモティベート
も自分のもののように思えても、与えられているのです。
そして戻ってしまうと一人になる。そうするとできなくなる。しかし、どんな環境でもどんな人のまえでもと
り出せる、つくり出せてこそ、アーティストです。常に壁を破らなくてはなりません。状況打破の力が必要です。
一人でやるためには、豊かなイメージが必要です。アーティストを支えるものというのはイマジネーションで
す。イマジネーションをもってくるためにことばをキーワードを使うのです。
ですから、ことばと音のなかに自分の感情を入れてとり出すために、これまで見たいろいろなステージ、VT
R、音楽、歌詞、そういったものを全部、引き寄せてくるのです。それから今まで生きてきたあなた自身、ノー
トのなかにたくさん書いたもの、それをもってきて、自分のイマジネーションで自分を自立して出せるようにす
ることです。
個人の自立ということをきちんとここで体験し作品になってみる。自分が空間も時間も牛耳って支配していく
ことです。あなたの作品、あなたの舞台ではなくて、自分の舞台、自分がそこで演じているということをやるわ
けです。そうすれば、帰って周囲に誰もいなくなっても一人でできる。ソロのヴォーカリストであれば、一人で
やらなければいけないということです。そこに過去のシーンが動いてくるのです。その体験が自信になります。
○苦悩、再生、喜びのエチュード
[苦悩のエチュード]
誕生、悲しみ、絶望、それがうっ積して憎しみ、仲間にとりつくような苦悩となります。そして、モノトーク
に至ります。ここでは、それまで負の方向へ下降していった感情が上昇の矢印を得る設定となります。今まで出
してきたマイナスをプラスへ転換するパワーを出すためにモノトークをきっかけとします。
そこで、自分が言うべきことは何か、一番、追い詰められたところで言いたいことは何かを、その状況で 15
秒ぐらいで一言。メッセージをどうぞ。
(グループ一人一言ずつ回す)
自分自身の力でマイナスからプラスへの転換が行なわれました。息のエチュードへ入ります。再生から、いつ
自分で自分が生きることを選んだのか、自分が生きていくことを自分でいつ選んだのか、一回目の誕生のエチュ
ードとどこが違うのか、乗り切れなかったら、どうしてか。目を閉じてゆっくりと息を吐く、そして念じて、自
分がそのプラスを選ぶのかマイナスを選ぶのか、感じてください。
[再生 一人一言]
[喜びのエチュード一人一言]
優しさのエチュード、希望のエチュード。悲しみのあった部分が全部、喜びに変わっています。喜びのエチュ
ード。プラスの精神に、これが脳一杯にノックして完全な勝利。一個人の喜びでなくて、それは同時に 100 万人
の人たちとわかち合える喜び、歓喜な状態、再生した魂にわきあがる喜びです。勝利の確認をしながら、その余
韻のなかであなたに質問をしたいと思います。
なぜ優しさを送るのですか。あなたは喜んでいますか。
(一人一言)
お疲れさまでした。胃が痛くなりますね。私はまんまえで一身に憎しみを浴びていたので思わず、坐禅を組ん
で仏様に手を合せてしまいました。
(笑)キツイですね。
(笑)しかし、スイッチを入れたあと、いつまでも同じ
レベルのことでないように、リピートにオンをしていかなければいけないのです。私にとってもこれは余力でや
っているわけではなく、ギリギリのところでやっています。だからいつも、その場に応じて変わります。あなた
と同じ立場だと思ってください。演じる心境にそんなに差はないのです。
○その一瞬と芸
いくつか課題に関して、コメントを述べておきます。私は、いつも、
“その一瞬”をつかむことを課題の中心と
してやってきました。つかんでも離してしまうと何の意味もないので、離さないためにということをかなり意識
して組んでいます。
離さないために支えるものとしてイマジネーション、あるいはことば、これはイマジネーションを出すための
キーワードになりますが、そういったものを頭のなかに収めておくということです。収めておいたら何のときに
もパッと、そのことばからいろんなものが取り出せると思います。
歌い手や役者は、毎日毎日、その気分になっているのです。歌っている間にそれが取り出される。ノートを必
死に書いた人は、多分、今日そういうことのいくつかが取り出せたと思います。ただこれで「よし」と思ってし
まうと、次の瞬間、抜けてしまいます。キツイことですよ。
私も、もう日も暮れたからとチャラチャラと何か楽しい歌でも歌って、夜通しカラオケ大会みたいにやってい
たいのですが、これをやらなければいけない、というのはキツイですね。しかし、そのキツイことを目をそむけ
て自分の嫌なことから目をそむけたら、もうそういうことをきちっと見て生きている人、そうやって生きていこ
うとしている人のまえで表現する資格はないし、恥ずかしくて表現できないと思って闘っています。
研究所にはいろいろな人が来ます。講演にも声楽家やプロとして何年もやった人も来ます。その人よりも、必
ずしもこちらはキャリアがあるわけでもない、ただ毎日、何かオンしていっている、ギリギリの姿勢で生きてい
ることで、わずかでも得たものから最大に伝えられるものを創り出すしかないでしょう。
そういうことが、うまくできた人は、伝わったのではないかと思います。あなたのなかで心と息と体が一致し
たかどうかです。何も大きな声を出せばよいということではない。そうではなく伝わった人もいますね。
ことばで伝えることも、歌で伝えることもそんなに変わりないと思います。ただ歌になったときは、もっと大
きな世界になりますから、それを支える基本が必要です。表現したいという思いだけでは、伝えるのは無理です。
表現するものが自分のなかで生きているのはあたりまえ、
優しい人、
愛しい人に会いたいというその感情も同じ、
それだけでは芸にならないということです。
悪いけれども、私は芸として見ているのです。どんな人の恋愛にも、安っぽい恋愛はないし、ヘタな恋愛とい
うのもなく、嘘はないでしょう。ただ、それをもし人前に出すのであれば、芸とならなければダメなのです。そ
の基準で見ているから、よく誤解される場合もあります。
ただ、一所懸命だということだけで認めてしまったら、自己啓発セミナーと同じなわけです。皆それぞれ生き
ている、ありのままでよいし、がんばって仕事をやろう、毎日を生きようと、それは前提です。その上にもう一
つ必要だということです。そこからがちょっと特別な世界なのです。
だからやはり、重たい表現となります。最後までちょっとキツかったです。あなたのなかにも、そこはまだで
きあがっていないということですね。優しさのエチュードが本気で地でできていたら、たぶんトレーニングなど
やっていないでしょうね。天使みたいなもので、そこらへんを歩いていても、たぶんここに来て歌ってください
とか赤ん坊をあやしてくださいとかまわりの人に言われますよね。そこまではなかなかいけません。そういう人
もいます。ただ、今は表現からです。それだけ重いものを背負い、それを3分間に凝縮し、つき離して歌いあげ
なくてはいけません。だからこそ技術も日々のヴォイストレーニングも必要だというあたりまえのところを考え
てください。
それから、私は音声の世界で聞いています。
「えっ誰?あのかわいい声」
「あの魅力的な声は」
「あのセリフは」
と思わせる人はいる。顔を見てガッカリしようと、それでよい。現実はどうでもよい。芸の世界ですからイマジ
ネーションで描かれた世界でよい。そのときにその表情ができていたら、そうはならない。きっと一番かわいく
て、魅力的になっているでしょう。
日常はそのへんのおじさんおばさんのなかにまざっていて目立たなくともよいわけです。ここにスッと立った
ときに、その世界を凝縮して出して、一番、魅力的になれるならよいのです。
誰が一番魅力的で、一番魅力的な声を出しているのでしょうか。歌うとき、表現するときに、あなたがそうで
あればよいのです。逆が困るということです。ほとんどの人は逆になってしまいます。
技術がなかったり慣れていないと、何とか一瞬くらいはもっても、それがなかなかキープできないのです。あ
なたのなかでも惚れたとか、抱き寄せたくなったとか、すごい親近感を抱く感覚になったことがあるでしょう。
ライブやコンサートのなかでもそういうものが凝縮されているのです。
○必要最少限にする
ことばに関しては、しゃべり過ぎています。
そのうちに日常も伴ってきます。日常のなかでそういう意識をもち、トレーニングしているのですから。そこ
でやめておけばよいのに余計なことを説明してしまったために、台なしになったというのもありました。そこが
芸と違うところなのです。
必要最少限のものが最大を語るということです。1、2、3、4伝えなければいけないことがあったら、1、
2、3でやめておくこと、もっとよいのは、1、2でやめる。もっと上手だったら、1だけ出して、それで2、
3、4は伏せておくわけです。すると、奥行きが出ます。
ここで、うまくできていた人もいたと思います。そのことばがパッと浮かんだり、それにイメージがサッと出
てきたりするのも、ライブならではの楽しさです。
勝負の終わった後にしゃべりすぎている人は、鈍いのです。
ことばのもつ意味、内容で想いを伝えるだけではなく、音声で肉声で伝えるのです。両方が合えば、一番よい
と思います。
3分間に凝縮しなければならない歌の場合は、このエチュードをこのまま踏むのです。ドラマでも同じです。
何の障害もなくドラマに成り立つことはありません。その内に葛藤があって、それが昇華していくプロセスを見
せます。
歌の世界は、それをわずか3分でやらなければいけないから、とても難しい。芸として高いレベルで取り出す
ということを、高いレベルの作品から学んでください。
前半はまだ簡単です。なぜ悲しみから入るのかというと、ドラマになりやすいからです。だいたいの歌は悲し
いとか悲哀から入ります。その方が、簡単なのです。自我を捨て、なりふり構わずにやっていけば、感情は、悲
しみ、憎しみ、絶望と出せます。そこから入っていく練習は、感情を込めるのにはよいと思います。
喜びの感情は、とても難しいと思います。そこでドラマ的に考えてみるのです。泣いたあとの笑顔はすばらし
いでしょう。その部分がもたないのは、感謝とか誠実さが本心から出てこないと、ウソになるからです。泣き顔
よりも笑い顔が難しいのは、歌も同じです。
自分のなかで深いレベルでの問いを発して、それに気づいて解決しなくてはなりません。いつまでも、引きず
っていれば、そう見えます。モノトークでは、1分間のなかで何がしゃべれるのかと思うかもしれないですが、
1つ2つ言いたいことをまとめておけば充分です。饒舌に話しすぎないように。
私の創った作品はとても抽象的で、よい例ではないですが、エチュードを合い間にやってみました。私にとっ
てということなのですが、誕生というのは私にとっては空気、悲しみのエチュードというのは壁、絶望のエチュ
ードというのは血であり、憎しみのエチュード、これは誤解されたくはないのですが、親です。それから2の方
は、これは縄ということばで代表させました。モノトーク、これは脱皮と変体、すごいパワーを出すために、こ
れはなぜか、蜘だったわけです。育ちによるものです。
それから息のエチュードです。これは海水でした。一回目の息のエチュードとどこが違うのかと考えると、水
を飲み込んだ、おぼれる、海中に出たいみたいな気持ちが何となくあったのでしょう。喜びのエチュードという
のは、これは人間との関係になって、私の場合、プールの壁のタッチ、他の人にはわからないと思いますが。そ
れから優しさというのは、一番目は健闘です。二番目の方は、とにかく認めるということです。これは今後も変
わっていくような気がします。
何を伝えたいのかということですが、私は汗か何か、ひんやりした、そこから皮膚の体温みたいなもので、ず
っと縄というのを引きずってくると、そこに泥というのが見えて脱皮する、これは蛇なんだという感覚です。わ
からなくてよいです。
○音声の力
具体的になったことばを使いましょう。誰のがよいということはなく、その人にとって、たぶん本当だったん
だなということなら、何でもよいでしょう、私にも本当に聞こえてイマジネーションが発したというところがあ
りました。ことばでいうと、モノトークのところでは「満月」ということばが私にはひびきました。私にはトレ
ーニングの行き帰りの冷たい自転車というのが、その月の光からきて、何となく再生のところに入る一つまえの
段階、中立というような意味でピタッときたんですね。息のエチュードでは、これもことばで残るのと音声で残
るものがあります。
たとえば音声で残るというのは、どういうことでしょう。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」ということ
でも、ある人が言うと残ります。そして他の誰かが言うと全然、残らないわけです。これは音声の力です。
「ありがとう」ということば自体にはそんなに意味はない。何を言っているかはわかりますが、こういうとこ
ろでやると、嘘っぽくなりやすいものです。だから、人の心を打つように聞こえた人というのは音声で表現でき
ているということです。後は自分のことばであるかないかということで、そんなに難しいことではないです。結
構ヤクザなことばもありました。いいですね。
「もう知らねえ、歩くしかねぇ」とか「結構、捨てたもんじゃねぇ」とか「こんなこともあったんだなぁ」と
か、それがことばだけではなくて、その人の音声とキャラクター、何か表情を見ていなくても、それをピッタリ
合ったときはやはり、その人の本音のことばですから、そこから伝わるものは、大きくなります。
ことばと自分との本当に深いレベルでのコミュニケーションがとれるかどうかです。その日の状態によっても
違うと思います。それぞれによっても違うと思います。
その日によっては、
「できるわ、俺でも人に与えることができる」というのを聞いてピーンとひびくときもあれ
ば、あまりひびかないときもあるでしょう。
「ここにいていいんだね」というのが一瞬にわかるときもあれば、わ
からないときもあるでしょう。それは総合的にこの場を含めて、あるいは自分のなかで判断をしていって、取り
込んでもらえればよいことだと思います。
本当か嘘かは、他の人はわからなくてもよいですが、やはり本人にはわかって欲しい。本人が言ってみてわか
るかわからないかということです。
これは書いたときの感覚とはまた別です。書いたことを自分で言ったときに「ああこれ入っていないな」とか、
「ああこれ嘘だったな」とか、音声をすべて入れて表現して、どうなるか。フィットしたかということです。
その感覚を出しておいて、歌というのは3分間に凝縮して維持していないといけないから、とても大変なわけ
です。今あなたが一人あたま 15 分しゃべったとしたら、そのなかの一番よいところだけを全部集めてみて、果た
して1分になるかどうかです。それが3分、もっているということは、どのくらいいろいろな問いを発して、そ
こでつかんでいるかということです。
○ことばの力
具体的かつ、抽象的にということについてもうひとこと。今日もいろいろな具体的な例が出ましたが、必ずし
も具体的なものが人を魅きつけるわけでもない。そうかといって抽象的なもの、理屈めいたものが出てくるとダ
メですね。
愛とか優しさとか、そういうことばというのは抽象的ですから、安易に使うと難しいです。音声でもかなり表
現を入れないと難しいですね。具体的すぎてもいけないし、抽象的すぎてもいけないということです。
そこで理屈を言うのが最悪です。理屈っぽくことばだけが聞こえてしまう。人のことばを単に並べているだけ
とか、意見を言ってしまう、こういったことは自分では本当のイメージをもっていないから起こるのです。
言ってみたいから言ってみたとか、自分が思ってみても納得できない、あえて納得させてやるという無理が出
ているから、やはりそれは無理なわけです。それを使わないようにしないと、言い訳とか逃げとか、そのことば
に逆に逃げ込んでいることに、なりかねません。
ただ伝わったものがあったということは、何名かのいくつかの作品は、自分のことばだったということです。
そういう判断で自分のモノトークを組み立てていってください。結局、簡単なことです。
「ありがとう」と言って
みたとき「えっ、そんないいことがあったのかな、何が?」と聞きたくなるか、
「おいしいんだよ」と言ったら、
その後に「何が、そんなにもおいしいものがあるの?」と、聞いている人がそこまで引き込まれるかどうかなの
です。
単に「おいしいの、おいしいんだ」と言って「じゃあ食べていれば」と、そのくらいの表現だと、もうそこで
終わってしまうのです。
「何が」という問いが起こるということ、聞き返されるということは、そこに反応が起き
ているわけです。だから、すぐに「ありがとう、ぶどうくれてありがとう。おいしい、それにこのポテトはおい
しいね。おなかいっぱい。
」と全部、言ってしまったら次にお客は来ないです。舞台というのは「ありがとう」と
言って「おいしい」と言って、次に客が「何が」を聞きたいとしても、出さないのです。そこで、全部が見えて
しまうと、つまらないのです。お客のイマジネーションを刺激しません。そういうことは先々、考えてください。
ことば2つで終わればよかったものを、4つ5つ言っている人がとても多いです。1分弱くらいで充分でない
かという気がします。だから自分のなかで声を出さなくてもよいです。息で読んでみて、1分、計りながらやっ
て、間を入れて1分です。ずっとしゃべり続けての1分ということではないです。呼吸もとって、間も入れて、
心と体と一体になって1分で、一言でもああいう状態になったら伝わりますが、
一言で表現といっても、一言だけの歌はあまりないでしょう。1分くらいなんとかことばでもたせる音でキー
プさせるような感覚はもってください。
私も一昨日、声優をやってきました。1行目は全部、OKなんですね。それが 20 行くらいになってきたら、や
はり 10 行目くらいからこちらも負けてきて、気持ちが離れてしまいます。そういうことでいうと、1コーラス1
分くらいはもたなければいけないということです。
今日のものは、いろいろな材料になったし、苦しかったですけれど、見ていてよかったと思います。問題は後
半です。息から喜び、優しさにどうもっていくかということですね。
今日もグループを回って言いましたが、とても難しくしています。今後の課題になると思います。深いところ
で問いをつくって、それをどんどん消化していくようにしてください。セリフもありました。モノトークに関し
ては、もう一回読んでみて、今日のような場で言ったとき、あるいは舞台で言ったときに、できたら一つのセン
スをもってことばを選んで欲しいし、一つの凝縮した感覚でやって欲しい。一つの「お月さま」ということで残
りの3つを伝えるようなところでよいわけです。
○シンボライズ
芸事は皆、抽象化してシンボルで表わしていきます。そういうことを歌でもやっているのです。
難しい人は、そのまま語ってもよいでしょう。ダラダラとなってくると、つまらなくなってしまいますので、
まとめてください。二言ぐらいで伝わればよい。それをいくつか組み合わせていけばできる。
後は抽象的すぎることばばかりを使っている人、
「愛」といったら、いつも「愛、愛、愛」としかいえない人、
そうしたら具体的に愛ということばを何かに置き換えてみたらよいと思います。また逆に具体的すぎることばか
り、事実として箇条書きにしている人は、それをまとめて、そこにつらぬく想いを表わすものを出してみましょ
う。詞は自分の気持ちを貝殻に例えてみたり、波や砂で例えたりします。そこで共感できるものをおいて、一段
昇華しているわけです。
先の「満月」みたいなものでは、そのままでは、他の人には伝わらないかもしれないけれど、伝わる人にはそ
れを通して、その人がまたイマジネーションを喚起させて、とても広い範囲で伝わるのです。
しかも、ことばより、音の方がその抽象化のレベルが高いのです。そしたら、それにあたる自分のキーワード、
そのイメージを引き出すワードや音の感覚やリズムは一体何かということです。
私のものなら、縄とか変体を組み合わせて、海水とか汗ひんやり、泥、蛇、血とか、ロクなものではない人と
いうことがわかります。これをもう一段、くるんでみて、表現にしていく。何でもよいわけです。チョコレート
の壁とかワインの血とか、こんなふうにやったら、歌ができる。それで伝わるということです。
個人的にもいろいろなことが、わかったことと思います。周囲のメンバーも、そのなかの舞台の一員として役
割を果たすという立場でやりましょう。
○発表エチュード脚本
[グループ発表]
(1)絶望のエチュード
1息のエチュード 静寂→静かなハーモニー 息から声 無から有へ
ゆっくりそして、早くしていく
(ハ-、ハ-、ハ-、ハ-)
(ハハ、ハハ、ハハ、ハハ、
)
(ハハハハ、ハハハハ、ハハハハ、ハハハハ)
はじめにもどる
ゆっくり
(ハ-、ハ-、ハ-、ハ-)
薄く、声にかえていく
ハ-、ハ-、ハ-、ハ-=生まれたての声、無垢な声
2悲しみのエチュ-ド『無垢な魂』に悲しみが起きる 感情の誕生
(おかしい、憎い、哀しい、つらい)音色暗くなる
3絶望のエチュ-ド
『無垢な魂』にどうしようもない絶望がおとづれる
動作=両手で頭を抱えて、へたりこむ
ひとりうめき声をあげてうずくまる
次々にひとりずつうめき声をあげてうずくまる
うめき声を出し続ける
4苦悩のエチュード
5憎しみのエチュード
半円状になっている
その中心にひとりでる
残り全員はそのひとりに向かって指さしながら『憎しみ、非難、あざ笑い』の声をぶつける
『かごめかごめ』状態
真ん中のひとりは『憎しみの声』を浴びながら、苦悩のエチュード
真ん中にいた人、半円に加わり 憎しみのエチュード
代わってひとり 苦悩のエチュード
全員が一回真ん中になる
最後のひとりが終わり『憎しみのエチュード』の列に戻ったなら
全員が苦悩のエチュードへ変わり、最後に絶叫
へたりこむ
(2)モノトーク
全員へたりこんだまま
その内のひとりがゆっくりと起き上がって中央に出て、モノトークをする
タイトル
『AMORE -私の愛』
そして戻る。そこから戻ったときはふっきれている
ふっきれたポーズで
〈モノトークをしてない人はずっとうずくまっている〉
全員終了 全員がふっきれた表情となる
(3)希望のエチュード
1息のエチュード 静寂から息、そして静かなハーモニー 息から声 無から有へ
ゆっくりそして、早くしていく
(ハ-、ハ-、ハ-、ハ-)=生じてきた息、生命の息吹
(ハハ、ハハ、ハハ、ハハ、
)
(ハハハハ、ハハハハ、ハハハハ、ハハハハ)
はじめにもどる
ゆっくりと
(ハ-、ハ-、ハ-、ハ-)から
薄く、少しずつ声にかえていく
ハ-、ハ-、ハ-、ハ-=生まれたての声、無垢な声
2喜びのエチュード
『無垢な魂』に喜びが起きる
音色は明るく
3希望のエチュード
4やさしさのエチュード
半円状になっている
その中心にひとりがでる
残り全員はそのひとりに両手を差し出しながら『やさしさ、愛の声』を送る
真ん中のひとりは『やさしさ、愛の声』を浴びながら、希望のエチュード
真ん中にいた人、半円に戻り やさしさのエチュード
代わって次のひとり 希望のエチュード
交替、くり返し、
そして全員が一回真ん中になる
最後のひとりが終わり『やさしさのエチュード』の列に戻ったとき、しぜんと手をつなぎ
全員の希望のエチュードへ変わる 最後にハーモニー
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(7)レッスン3日目 解説
○脚本と演出の意図
このメニュに関しての解説をしておきます。今回、あなたの作品に対するコメントはありません。自分のなか
で判断してください。私の解説のなかからいろいろ汲み取ってみてください。今までやったこと、3日間、何を
やったのかということを、その前のプロセスからもう一度、頭のなかに入れておいて、考えて欲しいということ
で、この時間をとります。使わなかった材料の意味づけも確認しておきたいと思います。
結局、3日間、楽しんでもらったかどうかということが最終的な答えです。
アーティストとして創造活動を楽しめたのか、です。やっている方が楽しかったのか、見ている方が楽しかっ
たのか、どちらが楽しかったのか、どうでしょう。どちらも結構、キツかったという場合もあるでしょう。それ
が一つですね。
こういうところで集約した作品を出すと、力があろうがなかろうが、とにかく一所懸命やっているものに対し
て人の心は動くのです。しかし、そのレベルのことは毎年できていることです。誰でも追い込まれれば、できる
ことです。
それで私は評価をしないということです。評価をしないということは、ダメとかどうこうではなくて、それで
よいとか悪いとか、そういう次元ではやりたくないからです。
今回のメニュの組み立てをもう一度、戻って考えてください。ワークショップでやったことを年間を通じて、
あるいは生涯を通じてあなたのなかでまとまるようにしていってください。これも材料を渡していくという形の
レクチャーです。あなたの発表の方は一応、終わったので、ここからは私の脚本としての作品解説、あるいはこ
れがそのまま作品だと思ってください。
昨年に続きこのメニュを選んだのは、こちらで考えたギリギリの線です。与えられた3日間で何でできるかと
考えたところのギリギリの作品です。研究所の講師、スタッフ、私、研究所の今の体制、それから参加メンバー
の一人ひとりのことを考えてのことです。
まず肉声ということに、こだわりました。音声、体から捉えたところの肉声、それからことばのなかに入って
いる想い、この二つを一致させてとり出すことです。
歌においてはあなたの力を3日間でプロレベルに引き出せる力は私にはありません。あなたのなかに、まだ充
分に準備されていないからです。その確認は、心と体と技術とが一体化する感覚で行ないます。
いつも嘘のことはやりたくない。本当のことをやろうとしたら、私の力が足らないのかもしれないですが、本
物とか真実とかに接点をつけるのに、あなたがこの世界に足を踏み出したという感覚をつけるのに、このメニュ
で本当にギリギリです。
だから、あなたのなかでは最高のメニュです。この3日間で歌を歌いに来たのにとか発声をやりに来たのにと
いう方にも、わかっていただけると思います。いろいろなメニュの可能性もありましたが、そういう判断で進め
ました。
○3つの戦い
それからいつも言っているのは、こういう状態になったときにもう一度、人の声とか音楽を聞いてみて、自分
には入っているつもりだったものを、つもりではなくて、もう一度、本当に入れてみようということです。今回
のワークショップ前に、皆の方に配布した資料で、すべてわかってもらいたかったのです。研究所としても皆と
しても、ここに来る前に一つの戦いは終わっています。これを忘れないでください。
やってこなかった人もいるかもしれないですが、やってきた人にとっては最大の戦いはここに来るまでに終わ
っています。これはステージをもつ歌い手でも同じです。ステージが戦いだとしても、そこで何もなく戦える人
はいないわけです。当然、そのまえに戦いがある。だから、一つの戦いに終わったところからスタートしたとい
うことに気づいてください。
それから二つ目は、この3日間です。いろいろな事情があって充分に用意できなかった人もいますが、第二の
戦いが始まって、今、一区切ついたところです。それから三つ目は、これから始まったと、明日、明後日に対し
て始まったということが言えると思います。これから伸びるために皆さんが来ているのですから、ここで集約す
るのは将来のためです。
人によりますが、この3日間で 10 歳くらい若返ったのではないかと思います。20 歳くらい若返った人もいま
すね。顔も若返っている人もいます。結構危ない精神状態になると思いますが、むちゃをしないように、自分の
なかに入り込んでいってしまったりしないようにしてください。本当は、こういう語り部や、団体競技をやるよ
りは、歌や発声のことをやりたいのです。
私もどちらかというと、そちらの方をやりたいですが、それをやる前の手続きというものがあるということを
覚えてください。その、手続きは私も踏んでいます。先ほどまで向こうで、これをやり終わった後に言わなけれ
ばいけないことばをまとめていたわけです。
全部が一つの流れになっていることを一つひとつ材料が汲み上げられていることを、自分だけのレベルでよい
から捉えてください。もしかすると、今わからなくとも何年か経ったら、わかってもらえるかもしれないからで
す。
それから一流のもの、受け継がれたものをなるべく汲み取って欲しいということでも、材料を提供しました。
「星の王子様」のプリントを配りました。何回も読んで覚えてきた人もいるようです。
今回のメニュは、リブ・フォエバーということばの示すもの、そして、この「星の王子様」のテーマでまとめ
ました。これそのものがテーマというよりも、ここでやった歌でも他のものでも、一流のもの、受け継がれたも
の、それを歌の場合は時間と音の世界で勝負しますが、同じものだということに気づいてください。ただ、その
意味がすでに書かれているものを使った方が、まとめやすいだろうということで、これらから組み立ててみまし
た。
自分なりに、読み直してみてください。私が朗読して解釈のヒントを与えておきます。あとは自分でふくらま
せてください。私が言うよりも深い意味がつかめるようにしてください。名作、一流の作品は、だから世界に普
及するし、生き残るのです。あなたがそれぞれに深くできると思います。
○「星の王子様」の語るもの
『そこにきつねが現れました。こんにちはときつねが言いました。こんにちはと王子様はていねいに答えて振り
向きました。
』
何も見えません。見えた人には見えていますが、多くの人には、何も見えません。
『ここだよ、りんごの木の下だよ』
私はいつもこれを言っているつもりですけれど。見えない人にはいつまでも見えないのです。
『キツネの声が言いました。すると王子様は君誰だい、とてもきれいな風をしてるじゃない、と言いました。そ
こで仕方がないから、オレ、キツネだよとキツネは言いました。
』
とても身につまされます。作品のあとに朗読しているというのも、本当は余計なことです。
『僕と遊ばないかい、僕本当に楽しんだから、と王子様はキツネに言いました。
』
ここで一つ決め手のセリフが出ました。
『オレ、あんたと遊ばないよ』とキツネは言うわけです。あるいは皆さんにとっては、私や歌と考えてくださ
い。
『飼い慣らされちゃいないんだから。
』飼い慣らすというのもキーワードです。どういう意味でしょうか。
『とキツネが言いました。飼い慣らすって、それ何のことだい。
』王子様が聞きます。
ちょっと途中を省いて、キツネの答えです。
『よく忘れられていることだがね。仲よくなるということ。
』
私と仲よくなったよとか、そんなものではないですよ。あくまでイマジネーションを働かせてください。
「仲よ
くなる」というのはどういうことかということです。
『うん、そうだと思う。オレの目から見ると、あんたはまだ、今じゃ他の 10 万もの男の子と別に変わりがない
さ。男の子だもの、だからオレは、あんたがいなくてもいいんだ。あんたもやっぱりオレがいなくってもいいん
だ。
』キツネのことばです。
いろいろな意味で捉えていってください。キツネが、一曲の歌を象徴しています。
『あんたの目から見ると、オレは 10 万ものキツネと同じだ、だからあんたがオレを飼い慣らすとオレたちはお
互いに離れていられなくなる。
』
「僕と離れていられなくなるよ」そんな意味ですね。歌と置き換えてください。
『あんたはオレにとって、この世でたった一人の人になるし、オレはあんたにとってかけがえのないものにな
る。
』
ただ、そう「ある」ということではないですね。
「なる」
、つまりその前に飼い慣らす、仲よくなる手続きがあ
る。何だか話が少しわかりかけたようで、王子様が考え込みます。
自分が来た星のことは、花が一つあって、その花が僕になついていたようだった。キツネとは初めての出会い
なので、わからない、自分が今までの過去を振り返って、あの星に花があった、この花は自分になっていた。そ
れを思い出します。飼い慣らすというときに、仲よくなることを考えて、そう浮かんだのでしょう。キツネはま
た言いました。
『オレは同じことをして暮らしているよ。オレがにわとりを追いかけると人間のヤツがオレを追いかける。に
わとりがみんな似たり寄ったりならば、人間もまた、似たり寄ったりなんだ。オレは少々、対立してやるよ。だ
けどもしあんたがオレと仲よくしてくれたら、オレはお日さまに当たったような気持ちになって、暮らしていけ
るんだ。足音だって、今日まで聞いていたのと違ったのが聞けるんだ。他の足音がすると、オレは穴のなかに引
っ込んでしまう。でも、あんたの足音がすると、オレは音楽でも聞いているように気持ちになる。穴の外にはい
出すだろうね。それからアレッ見なさい。あの向こうに見える麦畑はどうだい、オレはパンなんか食いはしない。
麦なんかなんにもなりゃしない。だから麦畑なんか見たところで、思い出すことなんか何にもありゃしないよ。
それどころか、オレはあれを見ると気がふさぐんだ。だけどあんたの(王子様の)その金髪の黄色い髪は美しい
な。あんたがオレと仲よくしてくれたらオレには、そいつ(麦畑)がすばらしいものに見えるだろう。金色の麦
を見るとあんたを思い出すだろう。それに麦を吹く風の音もオレにはうれしいだろうな。
キツネは黙って王子様の顔をじっと見ていました。
何ならオレと仲よくしておくれよ。
とキツネは言いました。王子様は言います。
僕はとても仲よくなりたいんだよ、だけど僕、あまり暇がないんだ。友だちを見つけなきゃならないし、それ
にしなければならないことがたくさんあるのでね。
キツネは言います。
自分のものにしてしまったことじゃなきゃ何にもわかりゃしないよ。人間ってヤツは、今じゃもう何もわかる
暇はないんだ。商人のお店で、できあいの品物を買っているんだ。友だちが売りものにしている商人なんか、あ
りゃあしないんだから。人間のヤツ、今じゃ友だちなんかもっていやしないんだ。あんたが友だちが欲しいのな
ら、オレと仲よくするんだ。
』
うちの店(研究所)にもよく来ます。声が欲しいんです。いくらですか、何日で身につきますか。この歌をど
う歌うのか教えてくださいよってね。
『キツネが答えました。
辛抱が大事だよ。オレと仲よくするためにどうしたらいいかということ。最初はオレから少し離れてこんなふ
うにふたの中に座るんだ。オレはあんたをちょいちょい横目で見る。
』
皆さんも人と初めて会うとき、同じだと思います。恋人と知り合ったとき、あるいは親友と知り合うときも最
初は多くの人のなかの一人でしょう。
『あんたは何も言わない、それもことばってやつが勘違いのもとだ。
』
これは、私もよく言っていることです。ことばということの便利さと拘束力、あなたも自分のモノトークをも
う一度、よく読んでみてください。自分のことばのなかで束縛されている。あるいは、そこで突き詰めなければ
いけないのに、そこで止まってしまって次に移ってしまったり、他のところに目を向けたりしたことが、ずいぶ
んとある気もします。それは個人の問題なのですが、自分のことばというのが勘違いのもとなのです。
最初はことばは交さないわけです。一日一日経っていくうちに、横目でチラチラやる。何も言わない。辛抱が
大事だということです。あなたはだんだん近いところに来て座れるようになる。ことばはないところから生じ、
やがてことばを交わすようになり、そしてもっと親しくなると、ことばはまたいらなくなります。
『ある日、王子様はまたやってきました。するとキツネが言いました。いつも同じ時刻にやってくる方がいい
んだ。
(これは手続きだからです。
)
あんたが午後4時にやってくるとすると、オレ3時にはもううれしくなりだすってもんだ。そして時刻が経つ
につれて、オレはうれしくなるだろう。4時にはもうオチオチしていられなくなって、オレは幸福のありがたさ
を身にしみて思う。
(好きな人と待ち合わせするときのことを考えればわかると思います。
)だけどもし、あんた
がいつも構わずやってきて、いつあんたを待つ気持ちになっていいのか、てんでわかりゃしない。
(パッと手に入
ってしまっても困るわけです。
)
きまりがいるんだ。
(きまりというのもキーワードです。
)
きまりってそれ何だい、
と王子様は言います。そいつがまた、とかくいいかげんにされているやつだ。キツネが答えます。そいつがあれ
ばこそ、一つの日が他の日と違うんだし、一つの時間が他の時間と違うわけだ。
(私たちの時間は、一つの時間を
違う時間にする仕事です。そのなかでは普通に過ごしているわけです。
)オレを追いかける狩人だって、やっぱり
きまりがあって、木曜日は村で娘たちと踊るから、木曜というのがオレにはすばらしいんだ。木曜になるとオレ
はぶどう畑まで出ていくよ。だけど狩人たちがいつでも構わず踊るのだったら、どんなときも同じで、オレは休
暇なんかなくなってしまう。
(この後、仲よしになるプロセスがありますが、省略します。王子様の星の話に戻り
ます。
)
もう一度、バラの花を見ててごらんよ。
(今回は、そういうプロセスを踏んだはずです。
)あなたの花が世の中
に一つしかないことがわかるのなら、それからあんたがオレにさよならを言いに、もう一度ここに戻ってきた。
オレは、お土産に一つ、秘密を贈り物にするよ。
(この秘密が本当の商品といっては何ですが、大切なものなので
す。
)
そこで王子様は、もう一度、バラの花を見に行きます。そしてこう言いました。
(バラに向かって言うわけです。
王子様の星のバラではなく、ここの星のバラです。
)あんたたち僕のバラとはまるっきり違うよ。それではただ咲
いているだけじゃないか。誰もあんたたちとは仲よくしなかったし、あんたたちの方でも誰とも仲よくしなかっ
たんだからね。僕が初めてでくわした自分のキツネと同じさ。
(もうキツネのことばがわかっているわけです。
)
あのキツネははじめ、10 万ものキツネと同じだった。だけど今では、もう僕の友だちになっているんだ。この世
に一匹しかいないキツネなんだ。そう言われて、バラの花はたいそうきまり悪がりました。
王子様は言います。
あんたたちは美しいけれど、ただ咲いているだけなんだ。あんたたちのために死ぬ気になんかなれないよ。
(な
ぜだかわかりますよね。
)それは僕の花も何でもなく、そばを通っていく人が見たら、あんたたちと同じ花だと思
うかもしれない。
(別に特別な花ではないわけです。ただ何が特別かというと、
)だけどあの一輪の花が僕には、
あんたたちみんなよりも大切なんだ。だって、僕が水をかけた花なのだからね。覆いガラスだってかけてやった
んだ。ついたてで風に当たらないようにだってしてやったんだからね。毛虫の2つ3つは、チョウになるように
殺さずにおいたけれど。
(そんなに手数をかけたということです。
)花なんだからね。不平も聞いてやったし、自
慢話も聞いてやったし、黙っているならいるで、どうしているんだろうと、ときには聞き耳をたててやって、そ
うしてきた花なんだからね。僕のものになった花なんだから。
こういって王子様はキツネのところへ戻ってきました。じゃあさようならと王子様は言いました。さようなら
とキツネが言いました。
(キツネが秘密を教えてくれます。ここで初めて教えてくれます。
)さっきの秘密を言おうかね。なに、何でも
ないことだよ。心で見なくては、ものごとはよく見えないということさ。肝心なことは目に見えないんだよ。
(心
で見なければものごとは見えないということです。
)
肝心なことは目に見えないと王子様は忘れないように繰り返
します。あんたのバラの花をとても大切に思っているのは、そのバラのために暇つぶしをしたからなんだよ。
(暇
つぶし……決してよいことばのようには思われていませんが、大切なことばです。暇つぶしをしたからだ、飼い
慣らす、仲よくなる、手続き、暇つぶしをした、4つのことばを伝えました。
)僕が僕のバラの花をとても大切に
思っているのは、王子様は忘れないように言いました。キツネは言いました。人間というのは、この大切なこと
を忘れているんで、だけれど、あんたはこのことを忘れてはいけない。面倒を見た相手にはいつまでも責任があ
るんだ。守らなきゃならないんだ。バラの花との約束を。
(きまりということばが出ました。約束ということばも
出ました。
)僕はあの花と、バラの花との約束を守らなきゃ、王子様は忘れないように繰り返しました。
』
○選ぶ
大切なところです。これと、今回のリブ・フォエバーのメニュの組み立てとが結びつきましたか。あの人わか
ってないんだろうなと、他の人のことを見たら、それを自分のこととして喚起することです。自分もできていな
いということはわかっていないということなのに、それを忘れているのです。
ただあなたの方も、このワークショップ、あるいはいつものレッスンでもよいと思います。それが、何でそう
いうふうに組み立てられているのかを考えてみてください。いろいろなメニュがあります。そのなかでいつも、
ギリギリで私は選んでいます。ギリギリの時間をギリギリに使っています。この時間も含めてです。最後に交流
会もやりたいし、記念写真もとりたいですが、そういうものも捨ててやっています。そうして選ばれたものが何
かということです。
選ぶってことは、他を捨てること、最初にワークショップに来なければ何をしているかと聞きましたね。私も
仕事や人との出会いを捨て、ここに皆と過ごすことを選んで来た。いつも、選んでいます。すべて、組み立てら
れているのに、もしかしてあなたの方が拒んでいるとしか思えない場合もあります。自分が成長するために、時
間とお金を投じ、何らかの戦いに来ているわけです。なのに自分や研究所の意味をつぶし、役立たなくする戦い
をしているような人もいます。
ここと同じだけの用意は、いつものメニュに含まれています。ワークショップだからということで、特別なこ
とをやっているのではありません。アテンダンスシートの提出も自分でステージやビデオをみることも求めてい
ます。それを今回は3日間にコンパクトにしているだけです。ワークショップの組み立てとして、凝縮しただけ
です。
いつも同じことを何回も言っています。私自身は、同じことを同じレベルで終わらせないために、あなたより
も発言し会報にたくさん書いています。なぜ、こういうものがあるのかということも、今まで何回も言ってきて
います。苦悩があって絶望があって、救われるメニュ、なぜこのメニュばかりをやらなければいけないんだと思
います。本当は歌のメニュをやりたいです。ただ、微笑みが出せない。希望に届かない。それでは先にいかない。
それは、あなただけの課題ではないです。私の課題でも研究所の課題でもあります。パヴァロッティのように
歌えるかどうかということではなく、ジョルジアみたいに顔ができるかということです。だから、ああいう顔が
できるまでは本当には歌えていないということです。私たちもあなたに向かって、先生として対して、皆、自分
たちはわかっているんだから教えてやるといってやっているのではないのです。あなたより活動し発信して、そ
れからあなたよりも続ける努力をしてきた、そのキャリアの差にすぎない。
トレーニングの大切な時間をものにするには、何回も来ることが前提です。30 回目でわかること、100 回目で
わかることがあるのです。何回も来るということは一つの学び方です。最初にみえなかったところが、みえてき
ます。
それからまわりの人、何回も来た人から学ぶこともできます。何年もやっている人からも学べます。他人の経
験を自分のものとして役立てていくのです。何もないところから自分で気づこうとすることもできる。自分でそ
れに気づいたら取り入れていけばよい。ところが皆、1回みてわかった気になる。できもしないのに、できたつ
もりで戻らないのです。それなら単に高慢ちきな観客にすぎません。その結果、あなたが 100 回でやめるところ
を 1000 回やってものにした人だけが残っていくのです。
昼休みに私は、食堂の庭に釜めしの器で花壇がつくってあることに気づいたことを述べました。
「水」という詩
が飾ってあることも言いました。多くの人はうなづいているだけで、確かめません。自分で見て触って感じた人
だけが、何かをものにしていくことができるのです。
私のモチーフのなかで、健闘する人と認めるということを、最後に言いましたね。今のところ私は戦っている
人に対して、自分の力を伝えたり、そこで一緒に戦っているつもりなので、この活動をやっています。
考えて欲しいことは、ここにくるまえまでの戦いは、あなたにとって何だったかということです。それがノー
トに残っているはずです。
日常を日記でつけている人もいます。いろいろなことをやっているでしょう。ノートのつけ方一つでも、これ
までああいうふうにはまとめてこなかった、まとめたら違うことに気づいた。それだったらそこから学べばよい
わけです。日頃、レッスン上で誰よりもアテンダンスシートをたくさん書いて出している人は書きやすかったは
ずです。自分から学ばずして何から学ぶのですか。そうでなければ、まだ深いところの問いができていないとい
うことです。そしてそのノートのなかで、もしかすると泣いたり煮つまって書けなかったり、いろいろなことを
考えたり苦しんだりしてきたかもしれない。でも一つの作品の原型が、そこにもてたわけです。このノートを大
切にしてください。
3つの戦いがあるといいました。3つ目の戦いは、まだこれからだからどうなるかわからないです。これをど
う受け止めるかから始まります。2つ目の戦いまでは終わりました。この3日間に関しては、もう取り返しがつ
かないのです。1つ目の戦いのなかで泣いて苦しんで、あるいは2つ目の戦いの3日間で寝不足で体調を崩し声
がガラガラとなり、結果を出せなかった、だから負けたのかというと、そうではないです。そこまでに手続きを
踏んでいるわけです。
今あなたに大切なのは、手続きを踏むことです。そしたらそこで泣いたこと、誰よりも泣いて、誰よりも自分
の作品を想ってやったことが下地になってきます。いつも言いますね。10 回で覚えるより 1000 回で覚える方が
手続きとしては大切だということです。同じ歌詞を言うのに1万回、あるいはもっと深いところでそれを読める
こと、そしたら一度くらいはどうでもよいわけです。今日なんか、声が全然、出ていないわけです。だからとい
って、伝わっていなかったわけではないでしょう。
神様が私に、
あなたが求める声をこの3日間で差し上げられるようにしてくれて、
ここですごい声をもらった、
それは結果ですよね。その結果だけを与えられてうれしいですか。その声が買いたいかです。じゃあ○○先生の
の声を○○君にあげる、○○君の声、欲しい人、2万いくらです、よいですか。ついでに体も顔もあげる、さあ
どうします? えっ、それはいらない?
○たった一度の、そのときを生きる
ワークショップにしろ研究所にしろ、いつまでもあると思わないでください。私にも役割があり、いつもはざ
まにおりますが、誰もが自分に大切な一つのことを成すために、一人ひとりで歩んでいくということです。ただ、
どうせなら一度の人生、自分の人生、よい戦いをして欲しい。
今年、モノトークでセリフができたら、今度はそれを歌で、その濃さよりももっと濃い歌を歌っていかないと
困るわけです。せっかくそれを感じたのですから。本当によい笑顔でたどり着くまでには、もっともっとかかる
と思います。そこのプロセスをきちっととりたいです。そのために、なるべく嘘をなくしていきたいのです。
同じメニュでやったのも、できたような気がしても、まだまだ嘘があるからです。今回でも、深くやればやる
ほど自分のなかで嘘がわかってくるわけです。そしたら伝わらなくなってきます。だから、ギリギリでやること
です。
私も睡眠時間を削ってギリギリでやっているわけです。あなたはもっとすごいことをやってくれよと言うかも
しれませんが、あなたができないことはできません。ギリギリでできることをやっていくしかない。そのことの
結果、その笑顔が自分のものになるわけです。10 年後まで、やるかどうかわからない。けれどやりたい人はやっ
ていくでしょう。
やれた人も最初はあなたと何も変わらなかったはずです。集団でなかに入っていって、うまくやれる人はよい
です。それが傍観だけで終わってしまってはつまらないです。見ていておもしろいですね。それも立派です。そ
れだけでよいのかということです。
それでよい人はそれでよいのですが、今日の日もまた、あなたの一生を凝縮しているのです。
帰っても忘れないで欲しい。リブ・フォエバーをもっと考えてください。答えはすべて、自分のなかにありま
す。歌でやっていけるとかいけないとかいうことを、答は他人でなく自分が出すのです。そんな問いが出てくる
間もなく、やっている人だけが出ていけるのです。やっている人はやっている、それだけの話です。やっていっ
た方がよいというわけでも、やめた方がダメとかということでもないということです。
ただ、やっていくなら自分をきちんと見つめることです。そのために他人がいます。いろいろなことをいろん
な人とやると、自分のわかっていると思っていることも全くの間違いだということがよくわかります。毎年わか
ってきます。自分のことは自分しかわからないのですが、こと、芸に関しては自分ほどわからないことが多いの
です。
こういうことをやっていくと、自分のなかにはどういう表現の種があるかがわかってくるのです。それを育て
る手続きの一部は、世の中で経験してきているのです。感情のなか、身体のなかでもそうです。しかし、まだ眠
っているのです。
もしかして、先祖代々、家系のなかでの血もある。いつも、フラれている家系とかいうのも血です。顔とか形
とかそういうことだけを言っているわけではないです。運命的なものもあります。いろいろな意味で自分が何を
愛してきたのか、何に涙をしてきたのかということもありますね。それを全部、否定しないで、人前で、では一
体、あなたは何を表現するのかということです。
トレーナーも声で表現する人であることでは変わらない。
しかし他の人は、
底にあるものが見えてしまいます。
その当人が深まって、どこで満足なのかということです。できた人はできたでよいでしょう。これでよいなら伸
びていかないし、そんな人に声は必要ないと思います。
あなたにはたぶん、忘れられないこと、言いたくないことが、まだまだたくさんあると思います。人を憎んだ
とか傷つけたこととか、体と心に刻みこんでいるのです。とにかくテーマはあなたのなかにそのすべての心とと
もにあって、それがよいとか悪いとかを決めることではありません。要は、伝えることです。
掲げてある「水」を読みなさいと言いました。多数の人は、私からいわれたときに読もうと思ったのにも関わ
らず読んでいない。そんなものです。できることなのにやらないということは、できないことなのです。そのと
きを生きていないのです。そのときを生きるのは、そう思ったらきちんと読むこと、そのときをつくれるのはそ
のことの意味に気づくこと、素直でなくては、心も体も動けません。できていく人との差がその1分でついてい
るのです。日常、流されているうちに、見失っていないか、だから自分が自分だと思っている像をどんどん創っ
ていってしまっているのです。
私も今、ここにいるのが自分そのものだとは思っていないです。これも自分で演出した自分です。しかし、そ
れを認め、責任をとらなくてはなりません。他の人からは、ここに見えている自分が自分なのです。
この時間が多くなってくると、どんどん頬の皮がこわばってきて頬ばってきて、動かなくなる。そこで歌える
かというと、難しいでしょう。自分のものが歌えなくならないために、自分をきちんと見つめないといけないと
思います。
自分の姿は自分の目で見れません。ビデオで見てみて愕然とするわけです。だから鏡が必要です。鏡というの
は姿を見る鏡ではない。もっと内面的なものを見るために必要です。書くことも、その一つです。わかっている
かどうかが、わかりやすいからです。
○手続き
自分の歌やステージは、もう見たくないと思うかもしれません。自分の顔、声も聞きたくないと思うかもしれ
ませんが、それがあなたが客に与えているものです。それを直視することと、その鏡を磨いていって欲しいと思
います。曇っていませんか。見たくないのを、なぜ見せるのかというと、それがあなたの人前での姿だからです。
その人が生きてきたものがそこに出ているわけであり、それがどうであれ、そこで伝わるものにしか価値をもら
えないからです。
だから、書き綴られたノートに、自分のなかにもう育ててきたバラの花があるわけです。自分の姿をきちんと
見てくれということです。新しいバラを育てるよりも楽とはいいませんが、それが今のあなたの顔をつくってい
ます。
ところどころの文字が、叫び声をあげています。あなたも他の人のことばを聞いて、キュンとなったり涙がポ
ロリと流れたりするでしょう。いろいろなことばの働きがあります。そういうものを含めて、自分のなかに既に
答はある、それを取り出す、そしてまた高めるのです。それがとても大変だということです。自分が思っている
ものではなくて、思い込んで決めつけたものではなくて、やはり鏡に写ったものをきちっと見ること、そのため
にリブ・フォエバー、星の王子様を入れて欲しいのです。
手続きというのにも、いろいろなことがあります。私もあなたが苦しんでいるとき、苦しんでいます。そして
あなたが解放されて、それが本物であれば、こちらの息も楽になってくるわけです。まさにお客欲しているのも、
それなのです。
そういうところのものをきちんと、出すことです。あなたも仕事をして疲れ、家に帰ったらよい音楽を聞きた
いと思うでしょう。その状態で入ってくる音楽も決して嘘ではありません。
ただそれを聞いて寝てしまう人と、そうなったときに息を、声を出したくなる、歌いたくなると思う人とは、
全く違うのです。そういう人が、プロセスとして手続きしていく。それうやれない人は、やらなければいけない
手続きです。バラの花に水をやらないと枯れてしまいます。そうしたら花が咲くのは見られないわけです。
いつまで、人の花を見ているつもりですか。同じ手足がありながら。
あなたが会いたいときにまた会える人は、続けていく人でしょう。プロセスが結果だということですから、今、
友だちになろうと思って、無理に親しくするのも、結果を急ぎすぎているのです。プロセスを楽しんで欲しいと
思います。
やっていく人は、あなたよりもそのプロセスを楽しんできたし、そうしているのです。人よりも時間と心をか
け、確かにしたものは、かけがえのない自分の宝物です。それに接する時間こそ、自分が本当に自分であること
に触れられるのです。だから、練習をやるべきなのです。
私も、自分の楽しめること、楽しんでいる自分がみたいので、ギリギリのところでやっているのです。だから
過去に積み上げたことの余力でやろうなどとは全く思いません。常に新しいものがそこに生まれてこなければつ
まらない。新しいものをやると、入っていたものがそこへ生きていくのです。
幸い、やる気のある人たちに恵まれています。で、ここでは教えているなどと思っていません。もっと楽しい
ことで、意味づけをしています。
人生を楽しめる人と楽しめない人がいます。楽しめる人というのは手続きを愛するのです。手続きにはおもし
ろいことも、めんどうなこともあります。しかし、すべてを愛します。咲いた花を買ってくるのではないです。
花を育てること、水をやること、肥料をやること、毛虫をとってやること、他の人なら嫌がることも含め、すべ
てを愛します。
嫌なこともあるでしょう。人とつき合うこともすべてをかける恋愛なら、フルコースですから嫌なものもたく
さん入っているのです。それと、よいところだけのつまみぐいとどちらを好むかということです。楽しめない人
は、結果だけを愛するのです。
プロのヴォーカリストになるとか歌を身につけるとか、幸せになる、結婚するとかよい恋愛をするとかいうの
は結果です。いくら、そのことを思っていても、相手をみつけたり、愛を育んでいくプロセスなしに結果は得ら
れません。だからそのプロセスがどこに落ちてくるのかということの方を見なければいけないと思います。いろ
いろなプロセスがありますから、どの方法がよいということではないのです。
○天の声
天の声で気分がよくなっていますね。日頃の行ないがよく、日々仕事に打ち込んで努め、いずれ天国に行って
天の声が聞こえる人も、このなかにいると思います。そういう人が何を好き好んで地獄をみる必要があるのかと
も思います。天国に行ける人はそのまま天国に行けばよいです。
問題なのは、どうしても天国へ行けない人、それを待てない人です。別にこの世で悪いことをしたということ
ではないのですが、そういう人はやはりこの世で天の声を聞いていくしかないでしょう。日々、耳を澄まし、感
覚を研いで聞けるようにしていくしかないのです。それがアーティストかもしれません。
ギリギリのところでやることをやって、天の感じがこの世でつかめたら、きっとそういう声が出てくるのだろ
うということです。地獄の向こうに天国はあります。そこは、鬼になった人だけがいけるのです。外からはそう
みえるが、当人にはその二つはイコールであり、他の人と違うのはその高さ、深さだけです。たとえば、何万人
も集まるコンサートで失敗したら地獄でしょう。自分の力でその地獄を天国に変えるしかない。そして、それは
常に次のより大きな地獄をもってくるのです。オリンピックで入賞で喜ぶ人と銀メダルで悲しむ人がいます。金
をもらったときから、その先には地獄しかなくなるのです。
人間として生まれた以上、どんなに大きな花が咲くかということではなくて、目立たなくてもきちっと種を見
つけ育てたら何か咲くわけです。それを認めればよいのです。どうして結果を先に求めてしまう商人になるので
しょう。何でも売ってくれるお店に行きたがるのでしょう。誰でも買えるものを、どうして欲しがるのでしょう。
考えてみたら、神様からすでに声帯をもらっている、声も体も、もらっています。他にもいろいろとあります。
自分より不幸な人を見てはじめて、
健康な体をもらっていることに気づくほど私たちはごうまんです。
その上、
声ですか。そのくらい自分が獲得していく楽しみを残しておきなさいよ。
神様がなぜ、声だけよい声をくれなかったのでしょう。最初からパヴァロッティとかカレーラスみたいに歌え
たら、つまらなかったでしょう。彼らも、あそこまで偉大になれなかったでしょう。
プロセスを楽しめるかどうかは、今日を楽しめるかどうかです。私もトレーニングはキツイと思ったことはあ
りますが、おもしろくないと思ったことはないです。キツイのは、自分が信じられるかどうかという一点のみで、
です。先に望みがあると、どの時間も、できるのが待ち遠しいはずです。別なことで邪魔をされても、そうなる
ほど、その時間は輝きます。あなたは、力をつけるために何をすればよいかという手続きを楽しめばよいわけで
す。考えるのを楽しみ、やるのを楽しむことです。
歌が入っていなければ感情が入っていなければ、そこまでのことは素人の劇団でもできます。今回やった半分
近くは、できるかもしれません。当然のことながら、それでよい人はそれでよいと思います。そういう人たちは
毎日毎日、積み重ねていかないからです。だから次の年にそれと同じ密度をもった声や歌には、絶対にならない
のです。実際に、そうならない人も多いですね、なぜならないか考えるとよいと思います。なりたいと思い、そ
れが結果として現れてくればよいわけです。単にうまいのでなく、すごくなりたいなら、すごい理由、すごい顔
をつくりなさい。
だから、いつも研究所では、レッスンもワークショップ、エチュードともいっています。本番のつもりで練習
でよいのです。そして冒険し実験して、バックグラウンドを大きくしていけばよいのです。それだけのものを大
きくしていったときに技術が必要になったら、その人は技術をつけようとするし、そのときには技術が身につく
でしょう。
そういう姿勢で自分を見つめていたら、今、何をやらなければいけないか、どのくらい鬼にならなければいけ
ないのか、どういう問いが必要なのかわかってきます。それを邪魔する人はいないと思います。誰も止められな
いのです。求めていくこと自体が尊いことです。
私が語るくらいにものごとを語れたら、私程度の技術は宿る、それだけです。考えて欲しいのは、ちょっとし
た練習で、それっぽい声になって与えられないままに表現してどこかでデビューでもすることが、今やったこと
よりも幸せなのかどうかということでしょう。
するともう少し、
必要なプロセスが見えてくるような気がします。
歌がうまくなるということは、うまくなるプロセスをとればよいのです。声が欲しいならその声を、愛するこ
とです。一度しかない人生です。一度しかない時です。その暇つぶしをきちっとしてあげることです。
必要な時間、待つことです。いても次がない歌です。人間、いつまでも歌えるのではありません。
プロセスとは、自分のモノトークをもっと深めていくことだと思ってください。それが大きなものになったと
きに、他の人に伝えていく。
毎日、息を吐いていくような手続き、毎日、自分と歌とを関連づけていくようなトレーニングが必要です。そ
うすると、即興でここにと出てきても、歌えないはずの歌であっても、伝えるものというものが、技術なり表現、
表情、ことばといったその人のそこまでのプロセスが助けてくれます。
あなたからもいろいろなよいことばを授かりました。感覚を鋭くしていきましょう。
舞台のカーテンコールになると、一人ひとりに拍手します。一人ひとり、見えている舞台であったというのが、
案外よかったと思います。よいワークショップだったと思わなくても、よい自分であったと思えたらよいと思い
ます。自分で自分に拍手できるようにしてください。
○キツネとの遊び方
私も見ているのは、研究所や会報にあることでなく、そこでおもしろいことをやったり述べている自分にあり
ます。そこで何かできる自分もあるということです。ここでつまらないことを言ってうまくあなたに伝わらなか
ったら、自分にグサッとささってきます。そうしたら私の性分からいって、つらいものとなります。やめないた
めには、ギリギリでやっていかなければならないし、その自分を高めていくしかありません。ダメなときは苦し
むしかない。私のことをほとんど寝ないでよくやれるという人がいますが、大変なことはそんなことでないので
す。寝ないでやっていることのなかに自分である姿があるからです。自分が自分であることです。寝なくて自分
であるなら、そんなに楽なことはないでしょう。
手続きは準備しなければだめだから、準備をします。来年もまたやれると逃げない、また会おうということで
はないのです。ここから歩んでいって欲しいです。そしたら、どこかで会えます。
歩んでいく人は、少ないものです。自分を見て歩んでいる人は、もっと少ないからです。皆、歩んでいますが、
足だけが動き、顔のしわだけが増えていく。よいしわを脳にも顔にも刻むことです。
今日、私が一番心に残っていたのは、簡単なことばでした。
「そんな日だから、そう、私は歌いたい」
。私もそ
んなふうになれればよいと思っています。
「こういう風が吹いていた、なら私は口ずさんでいたよ、この歌を」っ
て感じで、これは最近の私の境地です。
自分のなかで自分に対して歌う部分もあるし、歌わないことが歌うことになる場合もあります。安易に歌や声
で勝負しないことも大切なことでしょう。歌っているんだ、伝えているんだと思って、観客が集まっているよう
にみえても、それだけのものではないと思います。そんな結果より、1日1日歳をとっていくわけです。その年
齢をきちんと踏んでいって欲しいような気もします。
だいたいあなたのなかでつながりましたでしょうか。いろいろな理解の仕方があることがわかります。語られ
ることがモノトークから、人に伝えられるものになったら、自分が自分として感じられる、伝わる。あなたがラ
イブとかでやっているものより、
今日ここで言ってみたものの方が、
よほど密度が濃いし説得力があるわけです。
10 秒はOKです。伝わっています。しかしそれを3分でやりたいとか、ライブでもっと大きな世界を創って伝
えたいということであれば、それなりの手続きを踏まなければならないのです。だから、手続きを踏んだ人だけ
が旅立てます。黙っていて、それが人に与えられるはずがありません。
あなたが研究所のワークショップで、3万円で交通費込みで声を買えるとしたらどうします。買えても絶対、
人前で歌えないですよ。もっとお金持ちはたくさんいますから、どんな社長でも買いますよ。声は誰でもよくし
たいし、歌は雑でもうまくなりたいのですから(そのソフトがフロッピーディスクで売れるものなら、私は、ビ
ル・ゲイツを抜くでしょう)
。だから、そういうものはお金がいくらあっても手に入れられないから、貴重なので
す。そして、大したお金がなくても誰でも手に入るものなのです。しかし、いろんな手間が必要です。だから尊
いのです。
せっかくそのことで目覚めたのであれば、そういう花を、必ずしも歌とはいいませんが、自分できまりをつく
って約束を守って育てて欲しいと思います。そういうものを一つの表現に凝縮したのが歌であり花です。
表情トレーニングなどもありますが、毎日、鏡を見てニコと笑って、それだけでジョルジアの顔より魅力的な
顔が五万人の前で、できますか。心から働きかけないと無理でしょう。
そしたら、どこで踏んでいけばよいのか。
あとは、何でも深く読み込んで欲しいのです。本を読むにも、何回も読んで耐えるもの、何年も残るものは、
人間にとって深い意味があります。
もしその人が一つ高いことをやろうとしたら、
エネルギーを与えてくれます。
街角でフォークを歌うからといって、回りの人のフォークを聞く必要はないでしょう。もっと、自分をより魅
きつけるものを聞いた方が、パワーが凝縮していくと思います。一つのことで 10 コを語っている人もいる。一つ
のことで一つしか語れない人もいるのですから、表現を志す場合は、一つを固めて、自分を語っていっている人
たちのものを受け継いでいけばよいと思います。それから後、自分がやればよい話です。
先ほどのキツネの例でいうのなら、キツネと親しくなりたいといいながら、キツネを選ばない、キツネを愛さ
ない、
あるいは仲よくなろうといってキュッと首根っこをつかんで引き寄せて抱えたって、
友だちになれますか。
あなたの歌や音楽との接し方は、まだそんな感じです。
まず、離れて逃げない距離に、そっといること。立つこと。がまん強く。そしたらやがて、仲よしになれそう
な気配になってきます。手続きを踏まないといけないのです。毎日来ていると何年もたってみると何もいわなく
ても仲よくなっている。他の人から見たら、何であの人仲よしなの、キツネがあんなになつくの、私が近づいた
ら逃げるのにどうして。それは、そこの差です。
人と比べたり人をうらやむより、やれている人のプロセスに敬意を払いなさい。キツネが何だかわからないな
ら、わからなくてもよいです。今、わかったら舞台をやってみましょう。そこで考えてみるとよいでしょう。
○フィナーレ
最後に私が話して、終わりではここが成り立たないので、リブ・フォエバーを自分のなかで繰り返してくださ
い。私のなかでもこれ以上、語ることはありません。必要なものといったら、こんなものではないかと思ってい
ます。
では、これが記念撮影だと思ってください。円になって、言う人は前に出てください。言わない人は少し下が
ってください。
ことばというのはキーワードです。だからこのキーワードのなかで、今回の2回目までの課題、戦いを振り返
ります。来るまでの最初の戦い、2回目のこのワークショップの戦い、そして、次の戦いのためにことばのなか
に封じ込めてください。ここにまた戻ってくるのでなく、この地に来なくても、イマジネーションの世界でいつ
でも戻ることです。基本、つまり心を忘れたときには、やはり戻って欲しい。そのキーワードです。この歌詞は。
(リブ・フォエバー、一行ずつ回す)
ここに集約されていると思います。あまり努力とか根性などと出したくない。努力したとか根性があるという
ことではなくて、そうしている当人は楽しいからです。手間暇をかけて、やる価値を感じていることだからです。
釣りとか山登りとかでもそうでしょう。何でやるのか、回りから見たら苦しいだけのように見えても、本人には
楽しいのです。
「ご苦労なこっちゃ」と言われ、本人も「大変ですよ」って言いながら笑っていられる世界なので
す。
そのこと自体が苦しいのであれば、人前に立つこと自体が苦しいのであれば、自分の必要性が感じられないの
であれば、もっと違うものが自分の心のなかにあって、そういう花を育てていく方がよいのかもしれません。い
ろいろな生き方があり、それでいろいろな才能があります。○○君の才能もあれば、○○さんの才能もある。そ
れが全部、開花しているわけではないです。時代や流行、運やツキもある。それに動かされたくなければ、自分
の世界をつくることでしょう。
誰だって、5年後、何をやっているかわからないです。何もなくても、何もみえなくとも、何かあるとき、何
かみえたときのために、自分の用意はしておきたい。何かを手に入れるとか入れないという結果のところで言う
のではなくて、プロセスのところで言う。だから生きざまになってくるのです。
なんでプロの人は2時間3時間しか、寝ないでやれるのか、全世界を回って、歌い続けている人もいる。それ
は、そこが自分のステージだからです。ステージは、自分が生きる覚悟を決めた時空です。それは自分が自分と
一致できるからです。自分の本来のものが感じられるからです。
あなたが今日、声を与えられたら、世界を回れますか? 全然、準備できていないでしょう。レパートリー30
曲くらいありますか。300 曲から選びましたか。3000 曲も聞きましたか。
このくらいで疲れて、やれる体力、気力がありますか。そんな準備は、音楽始めて何年も経っているわけで、
できているはずでしょう。そこでプロセスの差がでてきます。
テニスのエバート・グラフの腕を与えられたとしても、彼女は普通の人ならたっていられないコンディション
で試合に行く、どうしてその気力が出るか、完全に、相手を負かすことができる力が出せるか。それは、その腕
を手に入れるプロセスでつけた力なのです。
バラの花を買ってくる、それは人様の育てたもので、どこかの作品なのです。コンサートもチケットを買えば
みられます。しかし、それはお金で買った楽しみにすぎません。
その世界の人にとってみれば、それは生きざまであって、日々のプロセスがつくっているのです。だからオン
して、リピートして欲しい。そのことをやれる感覚にしても、せっかく芽が出たのにそれを見ない、違うところ
に水をやっている人も多い。そんなことを毎年くり返さない。違いを見るのに見たくないところを見ないでどう
するのでしょう。最近は、美しい花は咲かせたいけど虫がいるなら育てるのをやめようという人ばかりが目立ち
ます。
最後に、輪になって一人ずつ、声を顔とを確認してみましょう。少しずつ声を出してみてください。前に出て
皆の声を浴びましょう。一人ずつ回ってみましょう。そして、最後にあいさつしましょう。声をやりにきたので
すから、最後に声を出して帰りましょう。
ここまで、研究所の最後の課題ということで、私が語りました。あなたがもう少しつぼみくらいになっていて
くれたら、もっと違う形で出せるかもしれません。いずれは次の世界に行きたいと思っています。
今回のはこれで最後です。やはり今日は、今日でまとめておくということです。じゃあやりましょう。トレー
ナーに先導してもらって、
「あの声欲しいな、なりたいな」とみんな、思ってもよいです。
「でもいらないな、自
分は自分だと、あの顔はいらないなと、あの体はいらないと……。みんなで。アー」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
レッスンのプロセスでのQ&A
ジャンル ([ ]内)1.姿勢 2.呼吸 3.声の発生 4.ことば 5.発音 6.低・中・高音域 7.声量 8.リズム 9.理論 10.
音程音感 11.日常の練習 12.レッスン内容
Q1[3,4,5]
「表情と声の不一致」歌の詩と心の一致がうまくできない。口の形がぎごちない。口と声が分離し
ていて、本当のことを歌っていない(気持ち、心が入っていない)みたいに見える。
A1 一致させましょう。何年かけても。
Q2[3,7]
「体でひびくこと 声の場所」自分とは明らかに違って声に音の圧力を感じる人がいる。同じ人間の
体をもっているはずの私に出せないはずないのに、私の体のなかのどこにその声があるのか。
A2 個人的にレッスンを受けてください。
Q3[12]
「フレーズをつくる、練り込んでいくという作業について」 しぜんに体から出てくるようにはならな
いんです。どこか、自分を見ているもう一人の自分がいるような感覚もあって。これは、自分が本当にその歌を
歌いたい、伝えたいと思っていないから、思いが薄いから、という理由なのでしょうか。
A3 いろいろとあります。思いが形になるためには、何百何千もの習作が必要です。
Q4[11]私は過去のことを語るのを避けているのです。たぶん意図的に。私は体と精神がひきちぎれるような
ときがありました。それを語りたくない、見たくないというのではなくて、そのものを見せたくないのです。語
ってわかってもらえるようなものではないのです。自分もリアルに話せないと思います。それを多くの他人のま
えにさらけ出すのが怖いのかもしれません。
A4 歌うのに関係ありません。とらわれないように。歌も表現も舞台も、今の自分をさらす仕事です。
Q5[11]スポーツの稽古ではかなりキツイことをやれてきたのに、毎日のヴォイストレーニングではどうも集
中できないし、消化不良で終わってしまいます。スポーツで感じた、キツイけど充実する感じが出てきません。
練習がつまらないものになっています。このままの状態では未来が見えてきません。やはり修羅場をつくってい
かなければいけないという気がしています。先生はどういう方法でつくってきたのですか。
A5 修羅場の向こうには、未来よりも地獄のあるばかりに見えることもあります。でも、修羅場というのは他
人からみたら「よくやるなあ」というもので、本人にとっては、極楽三昧、つくるもなにも、どんなにおもしろ
い映画や本、おいしい食べものよりも楽しいことでしょう。例が悪いかもしれませんが、
「あの女とつき合えば修
羅場」といわれても、本人は楽しいからやるのでしょう。日本のスポーツや旧来の会社などの組織での充実感は、
ややもすると軍隊と同じく、連帯感、大義名分、奉仕、犠牲に基づく快感ですが、アーティストの充実感は、自
立、自信、個として解放されたものにあると思います。
詳しくは、レッスンでお答えしていきます。
私がアドバイスしているのは、時間がまてなかったり、楽しさのなかで安易に流されぬようにするためです。
目的を見失わないで、より高いところ、厳しい条件にチャレンジしましょう。そうすれば、うまくできないこと
は必ず起こるのです。そのときに耐え、やめないで続けることです。もっと大きな喜びを手に入れるのに必要な
勇気を、少しでもって欲しいのです。
(福島 英)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
II.総集編
(1)
“少し危ない”感想文集(会報ワークショップ特別号=原文のまま)
★ワークショップは終わった。私ののどはつぶれた。この3日間で、いや準備段階の何日間も含めて得たものは
……。
“ウソの自分を再確認した”ということだった。ワークショップ前の準備は考えただけでも大変で、それで
も覚悟を決めたはずなのに、それを可能な限り、ギリギリまでやっただろうか……? 答えは No、本物は、あん
なものじゃないはずだ。
3日間で班でエチュードを創り上げた。私はそれに対する姿勢もプロセスもライブも本物じゃなかった。ラ
イブは特に入り込めなかった。疲れていた。入り込むまでテンションを高めることができなかった。でも何とか、
そして何度も入り込もうと努力した。結局はできなかったけれど、最後まで諦めはしなかった。ただ入り込めて
いない状態で、あまりにもその振りをするのは自分自身、恥ずかしくてできなかった。なんとも中途半端な表現
になってしまったと思う。
ただ、モノトークは唯一、個人での発表の場だったので、振りをするなんて恥ずかしいことは絶対にしたく
なかった。必死だった。正直言って、どういう感じだったかあまり覚えていない。そう言えば、全然緊張してい
なかったということが、フワッと浮かぶだけ。やさしさのエチュードは完全にノックアウトだ。のどがつぶれて
思うように声がでない。ハモれない。全然、声が交わっていかないのがくやしかった。声が出ないなりに、体と
か思いの波動とかできないものではなかったはずなのに、何か基本的なことを忘れていたような気がする。こう
して散々な状況でワークショップから帰って、私は本当に歌いたいのか、歌が必要なのか、できるのか、資格が
あるのか……といろいろ思いあぐねた。この先どうなるのか、続けられるのか、続けることに意味があるのか…
…と不安になった。迷った。でもやっぱり歌いたい。結果ではなく、そのプロセスを大切に、私のなかの“歌う
こと”を育てていきたいと思った。
★3日間、本当に苦しくてつらかった。周りのパワーに押しつぶされそうで、自分の存在がすごくちっぽけに思
えて情けなかった。トレーニング中、食事中、入浴中、何をしていても泣けてきて、あふれる涙を必死におさえ
てた。とにかくトレーニング不足、勉強不足だということを痛感させられた。特にエチュードというテーマに取
り組んだことで、自分の表現力のなさにつくづくあきれてしまった。でも、いつまでも落ち込んでいるわけには
いかない。参加したことで、私にはやらなければならないことがたくさんあることを改めて確認できた。山ほど。
感性を磨こう。もっと、読む・聴く・書く・見ることを貪欲にやる。もっとものごとを素直に受け止めよう。私
にも私なりの表現の仕方を見つけていきたい。自分と正面から向き合い、自分を信じて自分と戦い続けたい。こ
れは私にとって、大収穫の場になった。私にパワーを与えてくれたみなさんに感謝です。
★今まで忘れていた自分の呼吸やリズムを感じとることができました。宿題のノートを書いたことによって、自
分の気持ちを整理できたし、いくら書いても足りないくらいだったけれど、本音がなかなか書けなかった。封印
してしまいたいぐらい怖いことを考えて、ことばにしてしまったときのことは最後まで書けずにいました。けれ
ども、エチュードの練習をやっていくにつれて、体も心を開くことができるようになって、そんな自分も素直に
受け止めることができたし、自分がもっている自分に対するイメージがそれを邪魔していたんだということに気
づきました。人を嫌ったり憎むことなんて、ごくしぜんなことなんだと、やっと理解できました。そして、口に
出したら自分が壊れてしまうくらい許せないことも言ってみると、とても楽になって、やっと自分が自分になれ
た気がしました。素直に笑って泣いて、怒って叫んで、喜んで、愛して、まっすぐ人の瞳を見られる、いつも押
しとどめていた感情が流れ出て、何もさえ切るものがなくなったと感じました。
けれども、そうしていくなかでわかっていると思っていた喜びや優しさが、本当の課題になっていて、最後
まで答えが出せませんでした。発表のときも、一所懸命やってはいるものの、どんどん冷めていく自分がいて、
他の人にのまれてしまいそうになり、自分の課題への取り組みの足りなさと力のなさ、集中力のなさをとても感
じました。
練習をしていて、もう一つ気づいたことは、まわりの人に助けられるということでした。なかなか入り込め
ないでいるときも、まわりの音、声、空気など、いろんなものを聞いて自分のなかに取り込むと、しぜんとでき
てしまう、とても不思議でした。いつもいつも、ひとりぽっちだと思っていたけれど、そのとき一人じゃないこ
とに気づきました。
いつも私は、人に受け入れて欲しいと思っているのに、自分から心を開こうとしないで相手に何かを求めす
ぎていたとおもいました。それが壁を壊せなかった原因でした。人を怖がっていつも上目使いでもの欲しそうな
目をしていた私は、今はまっすぐ前を向いて、相手の目を見ていられるようになりました。まずは自分を開くこ
とが大切なんだと思いました。そうすればきっと、相手も受け取ってくれるはずだと、伝わるはずだと。人に写
る自分ばかり気にして本当の自分を見失っていたけれど、自然、まわりの人たち、先生方、頑張った自分が、気
づかせてくれました。そのままで、考えすぎないでいいんだと。きちんと受け止めてあげればいいんだというこ
とを。ワークショップを終えていろいろ課題は残ったけれど、今までよりもまっさらな自分をここへ連れてこれ
たことは、とても大きいと思います。いつまでも忘れずに、いつでもあの空と大地と緑と風のなかにいるような
気持ちでいたい。
★今回のワークショップは、自分のなかでもできるだけ自分を出そうと思っていました。空気もきれいだし、自
然がいっぱいで空がすごく広く感じたのがうれしかったです。おかげで気持ちも落ち着き、しぜんに元気が出ま
した。やはり広い場所、自然のなかにいると不思議と元気が出てくるんだなと実感しました。そして何よりうれ
しかったのが、朝の体操などでした。青空の下で体を動かすのがこんなに気持ちがいいのかと思い出しました。
そのおかげか、エチュードの練習なども集中しやすかったです。最初は、エチュードをする際、入りにくかった
のですが、みんな真剣に取り組んでいて、考えていることの奥の深さにびっくりしました。そして、取り組んで
いけばいくほど、みんなもそうだったのかと思いました。喜びのエチュードがなかなかうまくできないことにも
びっくりしました。今までは、自分では喜びの表現はできる方だと思っていたのが、全然逆で、悲しみなどの方
がやりやすかったということです。ノートを書いていても悲しいことや苦しかったことはすらすら書けるのに、
うれしかったことや楽しかったことは、感情では覚えているんですが、文字に書くと、どううれしかったのか、
どう楽しかったのか書けないのです。何に感動したかということも、そのときどきの小さな感動はあっても、す
ぐ忘れてしまっていたのですね。だから喜びを表現するときも、感覚を忘れてしまっているからわからなかった
のです。
そして何より自分に発見できたことは、いつの間にか感情を隠すことばかりしていたことです。これは、私
に限らずみんなそうだったようです。みんな社会に出ると協調することばかり気にして自己表現することをだん
だん忘れていってしまったんですね。自分もいつの間にかそうなってしまって、殻をだんだん大きくつくってし
まったのです。素直に喜んだりすることが、恥ずかしいと心のどこかで思っていたのでしょうね。でもそのよう
なことをいつまでも思っていたのでは、いつまでたっても本当の歌は歌えないと思いました。自分が恥ずかしい
と思ってやってたら、見てる方はもっと恥ずかしいということばに突き刺さるものがありました。人がどう思お
うと自分が表現したいものをやり続けるというように、私も、自分自身を全身でぶつけていかなくてはと思いま
した。まだまだ厚い殻を破るのは、時間がかかりそうですが、努力し続けようと思います。それが私の目標とす
る自分なのですから。
★とても苦しくて結果も悲惨だったけれど、気づくことが多かった。前夜祭でエチュードに入り込めなかった。
自分の目の前で人が狂ってる。目をつぶっていてもわかる。逆にどんどん、自分の気持ちが冷めていくのを感じ
た。他の人のパワーを体中で感じようと思っていても、客観的にならずにいられなかった。自分が悪い。後で入
り方の問題だと言われた。
「入る」……。思い込みの力を借りて、何か自分を増大させていったらいいのかなとか考えながら、当日に
なってしまった。モノトークの内容は、他人がどう思うにせよ、自分が一番、入りやすいようにあえて選んだこ
とだった。どん底から昇華の域へ昇らなければいけない。それだけを目指した。エチュードスクーリングの個人
的意見の発表会にて、私は全体のテンションを下げたかもしれない。問われたことに対してイメージが湧かなか
った。宿題ではなく、今までの自分に対して勉強不足なのだろうか。時間が迫ってきたころ、最後のコメントで
「本当にそう思ってるんでしょうかねぇ」と言われた。最初の問い以外には、私の気持ちは変わっていない。泣
いたり笑ったりして得た自分の意志。ただ、私はそのときシャウトしなかった。単純にこみ上げてくる気持ちが
なかった。憎しみのエチュードから希望のエチュードへ、どうやったらスムーズに流れるかモノトークを考えよ
と言われていたので、私は最後に明るくもっていけばいいんだなって思っていた。過去に済んでしまったことに
ついて、起承転結で原稿を作成していた。今の自分の気持ちがスッとしているがために、スクーリングでも落ち
着いた気分が出てしまった。
終わってから、
別に解決したことじゃなくてもいいんじゃないかっていう気がした。
現に本番では、組み立てすぎが心につっかえて、冷めていく自分がいやになって、土壇場でテーマを変えてしま
った。気持ちを奮起させるにはよかったけれど、一度決めたことは結果がどうあれ、決行してみる勇気も必要だ
った。すぐそばにいてくれる人を傷つけ、筋を通せなかった自分が情けなくって、かなり落ち込んだ。叫ぶって
何だろう。淡々と話していても叫びと感じることもある。私の場合は、伝わらなかったと思うので叫びにならな
かった。当然だ。だって、叫んでこなかったもの。頭でっかちになってしまったところはあるかもしれない。そ
れが気に入らなかったんだと思う。心・技・体の一致。/ここは気持ちがいい。空気がおいしい。吹く風がさわ
やかだ。なのに自然に帰れなかった。自然を通して自分を省みることがなかった。今まで、自分の声は部屋のス
ペースいっぱいにひびかせるつもりで歌ってきた。それがワークショップ以来、どこにいても、空と奥深く続く
林を見るようになった。
★自分のなかで、いろんなことに気づくことができた毎日だった。まずは行く前の課題から。これにはとても苦
労した。最初はどうしていいのかわからなくて、真っ白なノートを目の前に、ボーッとしていることが多かった。
大人になってからは日記をつけていなかったし、自分の過去をじっくり振り返ってみることなんてしなかった。
いつも前ばかり見ていた。自分にとって本当に悲しいこととは、辛いこととは、腹立たしいこととは一体何だっ
たのか? 自分は一体、
何に感動してきたのか? 自分って一体何なのか? とりあえず思いつくことをノートに書
いてみる。何でもいいから書いてみる。少しずつ少しずつ記憶の奥底に押しやっていた過去がゆっくりと水面に
上がってきた。いろんな表情の自分が見えてきた。忘れたかった思い出したくなかった嫌な自分もそこにいる。
ノートに書き綴る。でも、本当に正直にはなりきれなかった。誰も見ることはないとわかっていても、表現しよ
うと自分の体から離れたその瞬間から、それは嘘のことばになる。ああー苦しい。自分に正直になるためには、
いつの間にかいっぱいいっぱい着込んでいた鎧を、脱ぎ捨てなければいけないことに気づく。自分は決して強い
人間なんかではなかった。自分が傷つかないように、核心から目を背けていただけ、そうわかったとき、自分は
表現者として人前に立つ資格なんてないと思った。わかっていたつもりでいただけで、実は何もわからずにきて
しまったのだから。自分をごまかしている人が他人に本当のことを伝えることなんてできるわけがない。自分が
とても薄っぺらな人間に思えてきて悲しくなった。
ワークショップの間は、日常の生活から離れて、澄んだ空気と自然に囲まれて、とてもゆったりとした気持
ちになれた。いつもより自分を開放できたし、いろいろなことを考えるには最適な環境だった。そんな環境のな
かでエチュードのトレーニングは、自分が思っていたよりすんなりと入り込めた。自分の感情のままに大きな声
をあげ、激しく体を動かしてみたのは、何十年ぶりだろうか。今まで、がんじがらめに閉じ込められていた感情
の渦が、ワッと一気に外に出てきたようだ。忘れかけていた感覚が、体にじんわりと戻ってくるようだった。
「も
っともっと大きく表現してみよう」
「今まで押さえつけていた自分をもっと開放させよう」
そう自分に言い聞かせ、
これまで身につけてきた鎧を一枚ずつ脱いでいった。
たくさん汗をかいて涙を流して鼻水を流して大声をあげて、
力いっぱいやってみた。そして発表が終わったとき、全身の力が抜けて頭のなかが真っ白になった。何か吹っ切
れたような不思議な感覚だった。この感覚を東京に戻っても忘れたくないと思った。この吹っ切れた自分を土台
にして、さらなる一歩を踏み出したいと思った。
★昨年のワークショップで、このテーマの奥の深さに大変、興味をもった私は、この1年間でわき出てくる感情
を理解し克服していくことによって、徐々に深い声が出てくるということを実感することができました。また、
宿題のノートを書くことによって、これまでの人生で会ったたくさんの人々、周りの環境、音楽との関わり、そ
のときの自分の想いなどを整理することができ、自分が抱えている問題が見えてきたような気がします。今回の
ワークショップでの自分自身の課題は、喜び、やさしさ、希望のエチュードに向けて、いかにしてジェットコー
スターをプラスの方向に上昇させていくかということでした。このテーマは頭で計算するのではなく、何度も何
度も繰り返し全力で感情を出し切ってみると、
何が起きるかわからない部分があり、
再発見することができたり、
新しい試みを入れていけるような気がします。しかし、全力を入れるとどうしてもマイナスの方向に大きく沈ん
でしまうので、再生のときにすがすがしい顔になるためには、モノトークでマイナスからプラスに変える大きな
エネルギーを作らなければならない。そのエネルギーが「愛」だと、解釈しました。
「愛」といっても、日本と欧米での解釈の仕方には異なる傾向があるように思います。日本では、
「愛は勝つ」
という歌が流行ったように、
「愛」を個人対個人の問題として、競争して所有するものだという解釈が多い。一方、
欧米ではキリスト教など、宗教的な「愛」や、スティービーワンダーの「愛の歌」で形容される「愛」は、万人
に対する「無差別の愛」を指す。
「無差別の愛」には、競争意識は存在しない。特定の人を愛し、その他の人を愛
さないということではない。このことはことばで言うのは簡単だが、実際に行動することは難しい。
ワークショップ直前に「聖なる癒しの歌」というヴォイスヒーリングの本を読んだので、やさしさのエチュ
ードに一番興味がありました。
「やさしさ」や「愛」を行動で示す場合、
「すべてのことを受け入れる」というこ
とに鍵があるらしいです。そこで、苦悩のエチュードのとき、憎しみに満ちたみんなの目に、怖がらずに視線を
合わすよう試みてみました。一方、やさしさのエチュードのとき、一人ひとりの目を見ながら、その人らしい一
番いい顔を想像するよう試みてみました。どんな憎しみをも受け入れることができれば、どんな相手にもやさし
くなれるのではないでしょうか? 声に関しては、
喜びのエチュードで心も体も充分に解放することができなかっ
たので、
「天の声」というよりも柔らかい「地の声」というような感じになってしまいました。ワークショップの
前までは「地の声」と「天の声」は別のものだと思っていたのですが、柔らかい「地の声」をそのまま解放して
いけば、
「地の声」と「天の声」を一致させることができるのではないかと感じました。また、このテーマのモノ
トークを、そのままアカペラ1曲に置き換えられるようにしたいものです。
★ワークショップで「戦う」という感覚を肌で感じ、本当に集中していれば、自分の頭のなかにいろいろなこと
が浮かんでくることに気づきました。しぜんな表現の種は自分のなかにあって、それを素直に出すことができる
か、もちろん、その場面にくるまで納得のいくことば、表現なのかということを突き詰めていないといけないわ
けですが、自分がじんと感じる表現を発見し、そしてそこから自分が考えもしなかった方向にイメージが向かっ
ていくとき、心から楽しんでいる自分に気づき、そしてその一つひとつが重なるたびに集中力が増し、自分が発
見したイメージがエチュードのなかの一つひとつのテーマからハズれていないか、班全体の表現と関わりをもっ
ているか、提示された条件を満たしているかといったような、一歩退いた視点から観察することができました。
同時に、そういった表現、ことばを実際に見る人に対して投げかけることを意識したとき、
(笑われるのではない
か)
(勘違いされたりしないか)
(ミジメに見えないか)
(同情されたりしないか)
(見当違いのことを言っている
のではないか)といった心を明らかに感じていますが、だからといって、他にどうこうする方法も知りません。
結局、自分のできる精一杯のことを見てもらうしかないのだなと感じました。そしてだからこそ、芸術という名
のつくさまざまな創り物が、
自分にとっても触れる人にとっても、
かけがえのないものとなるのかもしれません。
これから先の毎日に何か自分の言動を写す鏡となるものを見つけられるでしょうか。自分の心に聞いてみるので
しょうか、それとも他人の姿から学びとるのでしょうか。それとも時間(瞬間)に委ねるしかないのでしょうか
……。共に戦い 傷ついた人よ あなたは まだ 生きていますか たとえ笑えていなくても たとえ無理やり
と暮らしても 涙は伏せておくことにします 静かな夢と永遠に
★まず準備、取り組む真剣さが足りなかったと、ワークショップを終えて思わされた。また、いろんな人に会え
たことにより、自分がどんなタイプかわかったような気がする。そして、日頃の自分の生活は甘いと思わされた
から、日常の生活を大事にして、常に何かを感じ、イメージし、隙間なくパワフルに生活しなければと思った。
ソロライブでは、自分を出し切れず、だんだんむなしくなっていた。また中途半端に終わったしまったと思
う。他の人の堂々と立っている姿、自分の歌に入りきっている姿、笑顔で話している姿、とてもうらやましかっ
た。声に関しては、自分の声は弱いと思うので、もっと強くしなければいけないと思った。
“人は自分のことなん
か見ていないから、自分で徹底的に自分のやりたいことをやって、そこから何かをつかんでいけ”ということば
が心に強くひびいた。このことばを聴いて、少し楽になったというか、何か思い切りやれそうな気になった。そ
れから、大事なのはプロセスということを頭に入れて、これからにつなげたい。今まで結果ばかり気にしていた
と思うから、プロセスを踏むことを考えて、結果は後からついてくるものだと考える。それともう一つ、
“自分に
あったことをやっているか”というのを聞いて、もう一度、自分が本当にやりたいこととは何か、具体的に考え
たり見つめなおして、本当に嘘をつかないで自分にならなければならないと思う。だから、自分の本当の場所に
いかなければ、何も始まらない気がした。
★「はじめて」と「2回目」は全然、違うなと感じた。まずエチュード。去年、私たちは何もわからないところ
から手探りでエチュードを「創って」いった。だけど今年のエチュードは、創っていくものではなくて、去年の
ものをよりよくこなしていくといった感じがした。これは何に関しても言えることだと思う。一番はじめに創る
ときが一番大変だ。しかし、今年「2回目」で大変と思ったことは、それを越えなくてはいけないということだ。
去年と同じことをしてはいけない。去年の私を越えなくてはいけないと思った。
「はじめて」で許されたことも「2
回目」は許されない。結果的に、私は越えられなかった。だけど、そこから得たものも、たくさんあった。次に
印象に残っているのは、先生の声だ。私は初めて、先生の歌を聴いた。途中で涙がでそうになった。先生が前に
言っていたことや、レッスン中にチラッと話す「想い」や「努力」を思った。この声に、彼の魂が入っているん
だと感じ、ゾクッとした。純粋に。
そして今回のワークショップでは、先生の話をたくさん聴くことができてよかった。先生の姿勢の原点みた
いなものが見えた。先生の言っていた「続ける」ということの難しさを、ワークショップから帰ってきて特に感
じる。去年、それで失敗したから、これもまた「2回目」の失敗をしないように「続け続けること」を頭におい
ている。ワークショップが終わってからが「第3のスタート」
、このスタートにはゴールがない。走り続けられる
ように。そう思いながら、帰りのバスに乗った。
★ワークショップの体験、鮮烈な印象などは、ますます強烈な記憶となって心によみがえります。同士と共に潔
く戦いきった後の心地よさ、すがすがしさ、おのれを捨て、おのれと互角で対峙したあとの力が抜けた状態。み
んなの顔もよい顔だった。日増しにだんだん、皆よい顔になっていった。精一杯、戦いきったあとの切ないまで
に美しい顔、りりしさ。ありがとう。ギリギリのところでやっているという、そのことだけで、その現場を直に
見ることができ、直に聞き、触れ、そのことだけで、もう十二分に満足しました。よくわかりました。大変な力
を得ました。星の王子様、朗読と解説も天下一品。自分では普段は意識しないものの、違和感もなく参加でき、
しかも皆様と同様に全力投球で表現するという行為に体当たりで没頭することができました。本当にみんなに感
謝の気持ちでいっぱいです。
これも、
先生と皆様のポリシーとロマンチシズムのかもしだす雰囲気なのでしょう。
新鮮な情熱を今、再び得て。さらにやはり自分は、今の自分であり続けるし、ここから、今また苦しい一歩一歩
を歩んでいくんだ、現に歩いているんだと再認識し、覚悟して。しかし、決して不幸や卑屈でもなく、むしろ吹
っ切れたさわやかな気持ちと心をもって。このような気持ちに確信をもったことも、今回の成果とも思います。
今の自分にとって、自分探しの道しるべのような気もします。声を出し、確認する毎日の過程のなかに、自分自
身に出会っている気がするのです。そして、そのプロセスは確かに楽しいものです。
★つかこうへいの言うように役者には毒の華が必要なら、毒だけならオリンピックでメダルがとれるくらい(?)
あるぞというミョーな自信がついた(ただし、なろうとしているのは歌い手であり、歌い手にそんなもんが必要
かというと、ステージという意味ではいいが、お客さんを苦しめてどうするのだ)
。絶望、憎しみのエチュードで
は、インスタントな地獄が形成され、喜び、希望のエチュードでは、本当に歓喜の世界がそこに表われて、これ
こそ皆、心の底では望んでいる世界なんじゃないかなと思った。もし「オレはいいや」
「偽善や仲よしごっこはイ
ヤだね」なんて人がいったって、だってそのなかにいたら、とても気持ちがいいのだもの、その場にいたくない
人なんていないよ!(安直かしら)
。
たくさんの宗教が人類に、一つになることや、一種の天国を創ることを理想に掲げてきたけれど、思想の壁
は決して越えられなかった。その点、音楽には国境も思想も人種も越える可能性がある。タイのお坊さんもバリ
のヒンズー教徒も、日本の中学生も、マライヤキャリーが好きなように、いいものをいいと感じる心は同じ。音
楽は頭できくのじゃなくて、心できくのだから。
すごく個人的なことですが、今までダンスと芝居以外ではスキンシップに慣れてなくて、どんなに好きな相
手でも触れられるのがコワイ人でした。結構、人間がコワかった。そんな自分が皆に抱きついちゃったのは、私
にとって革命的大事件だったんです! 素直に好意を表わせるようになったら、
人を傷つけることも減るだろうね。
今回、先生にはアーティストとしてあるべき姿を見せていただいた気がします。フィナーレで「先生と握手した
だけで涙が出た」
「先生が声を出したとき涙が出た」
「先生と握手したのが一番うれしかった」という証言が続々
です。皆、先生の目指すものに賛同し、自分もそうなりたいと思って集ってきている。そして、先生方が大好き
だから通ってきているんだ。先生が登場するだけで、初日の広いセミナーハウスの空気が変わる。うっすらと光
さえ感じる。きっと私たちに与えるものがとても大きいからでしょう。-私もいつか、泥沼深く根をはりながら、
まるで汚れを知らないように清廉な花をつける蓮のように咲いてみたい。その日のためにがんばる!
★このワークショップで学んだことはたくさんある。学んだというか、自分なりの答えを見つけていろいろなこ
とに納得できたという感じだ。たとえば、今までモノトークに抵抗を感じていてできない自分に対しても苦しん
でいた。自分の過去にこんな辛いことがあった。こんなに苦しんだとか、歌を歌いたい理由だとか、自分の語っ
ているところを想像してみて、鳥肌がたつ思いだった。自分が苦しかったことなど、誇らしげ(?)に語ったと
ころで何になるんだろう。本当に苦しい人ならそんなこと、そんなふうには語らないだろうし、語りたくないん
じゃないか。それなら私は、どうしたらいいんだろう。モノトーク(発表)の日の前日になってもずっと考えて
いた。あるお話の途中で、先生が「裸を見せてくれというんじゃない」と言った。そのことばは、モノトークに
関してふっきれかけていた私の心にすっとしみこんできた。
夜になって、
私はとりつかれたように原稿を書いた。
たぶん、私の体が声が、言わなければならないことばを……。そしてそれは、いわゆる「愛」とはかけ離れたこ
とば。でも、これが私のことば。テーマとかけ離れていようが仕方がないと半分、開き直りながら本番に臨んだ。
ワークショップが終わってから、自由に使うことを許される空間をありがたいと思った。誰かに邪魔されるなん
て考えなくてもいい。この自然のなかでは、私の声など蚊がないているようなものだ。この空間を空気を、忘れ
たくないと思った。
★自分のなかでは、エチュードのノートづくりから始まり、エチュードで終わったワークショップでした。前夜
祭では、テープが本当に恐ろしくて、あのテープのなかには本物の声も入っていると感じて、へんな霊がいる感
じで、
ゾーッとして憎しみの感情にも入り込めなかったし、
ワークショップに行くのどうしよう? と思いました。
でも、ノートを書いているうち、負のエチュードに入れることに気づいて、どんどん落ちることもできました。
ノートを細かくチェックし、考えをまとめていくと、すごく感情的になっている自分を感じました。私は今まで
感じることを潜在的に閉じていたことに気づき、いろんなことを感じすぎるため、とても傷ついてしまうことを
恐れている自分に気づきました。でも、エチュードをやったことで開かなくちゃいけなくなり、開いてみてそれ
がとても気持ちよいことであると発見もしました。エチュードでは、全体的なグループのエネルギーは、まとま
ってはいなかったかもしれないが、私個人としては、感情に入り込めたことがよかったと満足してます。が、も
っと短時間でもっと集中できるはずとも思います。
モノトークは、
用意していたものはフッとんでしまいました。
本当はキレイにやりたかったのですが、
あれだけ悲しくなってしまうと、
立ち直るのに泥臭くなってしまいます。
ノートで自分の中の負(マイナス)のエネルギーの部分を具体的に確認するのはしんどい作業でした。でも今、
生きてるんだからたいしたことないじゃんと思える人生でよかったです。底をみたら何か恐いものはなくなりま
した。が、とても内省的になってしまい、自分を許して立ち直ろうというところまで時間がかかりました。以前、
演技にワクがあるんだよね、と言われて、そのワクが何だったのか、エチュードを通じてわかってきました。セ
リフや詩を、悲しそうに読むことができても悲しさは伝わらないのだと、感情の入れ方は、もっとシンプルなの
だと気づきました。本当のことを本当の心と感情で伝えるのだということです。モノトーク、エチュードにウソ
はなかったか? 消化→昇華のプロセスをへて、人を納得させ、共感や感動を呼ぶ芸にちゃんとなっただろうか…
…と反省しています。感情に入り込んでいるだけでも駄目で、それを一歩、伝えるというところまで踏み込まな
いとと感じました。終わってからですが……。でも、味わったこの“開き”の感覚は忘れません。これを歌に演
技に活かせますように大切にせねば……。技術的なことでは、絶叫しても、思ったよりノドにダメージがなかっ
たことがうれしかったです。以前ならつぶしていたでしょう。少しは身体に入ってきているということが確認で
き、毎日毎日、発声練習をつけてくれる先生に感謝です。最後に、星の王子様をありがとうございました。解説
がなければ、全く理解できなかったと思います。私にとってもキツネや花は、かけがえのないものは……もっと
手間“ひま”かけないと、自分のものにならないのだということを知りました。また“ひまつぶし”の場を与え
てくださったことに感謝いたします。
★目標を新しく設定しなおして走り出したはずが、なかなか気持ちが追いつかなくて、同じ場所をグルグル回っ
ている状態のなか、今回のワークショップに参加した。自分自身に対して「何か違うやろー!!」と疑問を残した
まま帰ってくるのだけは繰り返したくなかった。何とかよじ登ってでも、一段上のステージにステップアップで
きるパワーを出せなかったら、
これ以上、
続けても意味がないと思うところまで自分を追い詰める必要があった。
「愛」という大きな、漠然としたテーマに向き合う時間を与えてくださったことに大変、感謝している。/いよ
いよ始まった。一つひとつのメニュのなかに、私の課題を克服するヒントとチャンスそのものが盛り込まれてい
た。まずは最初のソロライブと自己紹介。ライブで大失敗していたので、次の機会にはトップバッターのプレッ
シャーを克服するという課題があった。こんなに早くチャンスが巡ってきたにも関わらず、地に足が着いていな
い情けない自分を目の辺りにしただけで終わってしまって、悔しかった。しかし、貴重な3日間を、このまま負
け続けるわけにはいかない。せめて一瞬、一瞬を全力でぶつかって本当の自分が創りものに埋もれないようにし
て、表に出てきた姿をしっかり受け止めようと思った。発表会に向けてエチュードを練り込む過程で、班の皆さ
んにいろいろなことを気づかせてもらいながら、だんだん感覚が研ぎ澄まされていくのが心地よかった。
今回のワークショップの一番大きな収穫は、モノトークだった。前日の練習までは、言うたびにことばが変
わって、いたずらに時間だけが過ぎてしまったが、最初に提出したとき、小さな字でぎっしり1枚あった原稿が、
たったの3つの文にまとまって、頭のなかも気持ちも整理できた。先生のまとめのことばにあったように、ステ
ージ以前に戦いを一つ終えることができた。昨年の発表では、創りものの自分がペラペラそれらしくしゃべって
いる後ろで、本当の自分が「おい、なんか違うやろー」と呟いている状態だったが、今年は足をしっかり踏ん張
って、自分の声で言いきれた。やればできる!! 久しぶりに自分にOKを出せた瞬間だった。それと同時に、新た
な壁がドンと目の前に立ちはだかった瞬間でもあった。ホッとしている間はなかった。
フィナーレ「天の声」では、やっと握手をしてもらえるところまで近づけたと思うと、うれしくて涙が出た。
あちこちで抱き合う姿が目についたが、今の私にはまだ先生方に抱き締めてもらえるところまで手続きが済んで
いないと感じた。自分の存在価値を認めてもらえるようになるまでは、星の王子様のように「辛抱して暇つぶし」
をし続けたいと思う。最後に、今回のメインテーマが「愛」について。私にとって愛するということは、その人
(もの)が、最もその人(もの)らしく生きるように、ちょっとお手伝いをすること。しかも、愛された方が後
からジワーッと気づくものなんだと思う。
研究所には愛が溢れていることに、
みんな気づいているだろうか……。
駅へ向かうマイクロバスを、見えなくなるまで手を振りながら見送ってくださった、先生方のあたたかい愛を忘
れないように、また、それに甘えないように、毎日を過ごしていきたい。
★このワークショップに参加して、私にとって一番、意義深かったものは、今の自分の心のなかを深く見つめた
ことだった。ここ2年くらい、心のなかにずっと大きなかたまりがあって、ゴロゴロと嫌な動き方をしていた。
その度に憎しみが心のなかに姿を現わした。だけれども、その憎しみと天使とが常に葛藤していた。醜い自分な
ど、誰にも見られたくはなかったし、自分自身でさえも認めたくはなかった。誰かがワークショップのなかで言
っていたのと同様に、今回の宿題のノートにだって、はじめは本心を書けずにいたけれど「このチャンスを逃し
てはいけない」と、洗いざらい、生々しい気持ちをぶつけた。そして気がついたことは-。
“恨みとは、自分の否
を認められずに相手のせいにしていること”だと思いました。私がずっと目をふせてきたものとは、
「誰かを憎ん
でいる気持ち」ではなく「自分もひどいことをしていた」という事実なのではと思いました。私にとって心の内
を表に出すということは、とても難しいことです。虚栄心も自尊心も、人一倍強いからかもしれません。だから
いつも、人の眼で自分をみてしまう。そんな私だから、あのエチュードはやるべき課題だったし、私にとって、
どんな意味をもつものなのかもわかっていました。
ワークショップの直前に観に行ったミルバ※は、喜怒哀楽を感じている自分自身を、胸をはって出していま
した。そうですよね、きれいなだけの人間なんて、誰も見たくないです。100 パーセント、あのエチュードで一
つひとつのシーンになりきれたかと言われれば、なりきれなかったと答えます。でも皆の視線のなかで、髪を振
り乱し、歯の裏が見えるほどの口を開けて、じたんだを踏めたことは、私にとっても大きな一歩でした。普通の
人が目をふせて通るところで立ち止まり、手をつっこんで取り出して自分の心をみつめ、さらにはそれを人に見
せるのがアーティストならば、すごく残酷な職業だと思います。だけど、だからこそ人々は心を動かされるのだ
と思います。心をことばにするのは、とても難しいことだと思います。また、心を声にするのも、難しいことだ
と思います。その点で、ピアフの“アコーディオン弾き”はすごい。自分の心を解放すれば、歌を歌えるわけで
はなく、感じた心をどうことばにし、どう声にするかを学んでいかなくてはと思いました。私にとってこの夏ワ
ークショップは、今までの私にからみついた糸をほどいて、ゼロに戻るための作業でした。
★去年、初めてこの課題を与えられたときは一瞬、戸惑ったが、やってる間にはまってしまった。私の場合、特
に苦しみや悲しみや憎しみは、感情を入れやすかった。でも、再生以降が今一つ、ありがちな感じになってしま
ったように思う。おそらく私自身のなかでも、再生以降のイメージが弱く、大きく膨らますことができなかった
ようだ(かなり助けられはしたが、私自身の内側からの“想いの声”という意味では希望や優しさのところでは
入りきれなかったように思う)
。その反省を踏まえた上で、今年は、やはり嘘のない表現で、再生以降をトライし
ようと思った。限られた時間と空間のなかで、ラストの希望と優しさを、自分の気持ちの入った声で、変につく
りすぎず、
うまくできない自分を責めすぎず出すようにしてみた。
イメージとしては、
「皆んなが愛すべき同志で、
今一緒に居れてよかったよ。いろいろあってもやっぱり生きているのがうれしいよ……またがんばれる!」とい
う気持ちを表わしたかった。心のなかのイメージは嘘のないものが出せたと思う。ただ表に出た表現としては、
やはり小さかったように思う。思った気持ちをもっともっと大きく強く出さなければ、自分のなかだけで消化し
ても伝わらない。それには、もっと深く広く感じる心や、柔らかい頭と身体、そして声が必要だと改めて思った。
あと難しいのが、班員同志でのそれぞれの“想いの声”をぶつけあって個々が盛り上がるところまではいけても、
共鳴しあってより大きく、パワフルな“肉声の表現の集まり”にはなりきれていないことだ。歌を自分のいいカ
ッコをするためのエゴの武器にするのをやめようと思う今、私は歌うことでいい声を聞かせて、聞いている人を
心地よくする……、技のように磨かれた芸で人々を感動させたい……、私の歌を誰かが必要としてくれるかも?
……などという他人を満足させるためではなく、
生きている自分を感じたいから声を出したいんだということを、
正直に感じた。そのための欲をもっともちたいと思う。私が心の根の部分でどう歌いたいかという“欲”をイメ
ージしていこうと思った。それが原点だと思った。それを聞いて他人がいろんなことをちゃんと感じてくれたら
すてきだと思う。きれいな空気のなかで、心に届いた小さな楽器の音色や、仲間の素直な助言や、きれいな笑顔
や、先生のことばの端々からそんなことを改めて教わったように思う。
★自己紹介のときに、
“この3日間ワークショップに参加していなかったら何をしていた”ということが共通の質
問事項に上げられていたが、自分の場合ははっきり言って、大して内容のある3日間は過ごせなかっただろう。
みんなと同じで金曜日は仕事、土日はせいぜい海に行ってくるくらいなもので、1年間のなかでもほとんど印象
に残らない3日間だったと思うが、確かにワークショップに参加させてもらったおかげで、この1年間で最も印
象に残るできごとの一つとなった。しかし、これは“楽しい修学旅行”で終わってはいけないし、とはいえ、こ
の場を素直に楽しまないともったいない。そしてこの3日間の体験を、どうやってこれからの実生活にプレイバ
ックさせていくかが、一つのポイントであろう。
まず、誰にとっても一番、ヘビーだったと思う“エチュード”であるが、あの 30 分間で表現、体験したエネ
ルギーを、自分の3分間のステージに凝縮させられるかが一つのテーマだと思う。自分の場合は、ワークショッ
プの翌週にライブがあり、その意気込みでステージには臨んだが、意外にあっけなく惨敗をしてしまった。実際、
ステージでは緊張していたせいもあるが、スポットを浴びた瞬間、頭が真っ白になってしまい、これまで自分の
人生で味わった喜び、挫折、愛、憎悪など、全部吹き飛んでしまい、何を表現するというレベルには達しなかっ
た。では、ワークショップのエチュードはどうしてできたのだろう? まあ、単純に言って“思い込み”でもある
し、
“集団でやることによるパワーの共鳴”など、周囲が助け合ったからできたということもある。結局、それを
個人にプレーバックできなければ意味がないということだ。自分の場合、エチュードは確かに全体の一部でしか
ないものの、個人の場として自分なりの表現をしたつもりだった。しかし、それはみんなの助けがあって、それ
らしいものになっただけであり、これも一つの“借り物”であったことに気づかねばならない。
「星は光りぬ」
「リブ・フォエバー」は、今回やったエチュードのずっと先の延長上にある。では、ジョルジ
アの何がすばらしかったのだろうか、どうしてあれほどまでに心が打たれるのだろうか。少なくとも、彼女は技
術だけで歌っていたわけではなく、あたかもそれが真実であり、彼女のことばとして語られ、非常に説得力があ
り、それは顔にも現れていた。どうして当時、23 才の彼女に歌えたのだろうか、そんなに彼女は辛い人生を歩ん
できたのだろうか? いや、
“辛い人生”=“コンプレックス”だけで、
「リブ・フォエバー」のような悟りにも近
いような曲が歌えるだろうか。まあ、作詩作曲のブライアンメイは確か、当時、離婚か何かして人生ボロボロの
時期だったような気がするけどね。ジョルジアが、ノートを書いたかどうかは定かではないが、直感的にしろ何
にしろ今回、私たちがやったこと以上の思考は繰り返し、そしてあの歌詞を自分のものとして表現ができたとい
うことだろう。
ワークショップに参加する前に、いろいろとノートを書いたが、本来は表現者はノートを書く書かないにし
ろ、ああいった作業、思考を繰り返し、そして自分自身を煮つめているのだろう。もっと一つひとつのことばを、
もっと探求する必要があるかもしれない。
すぐにそれが効果としてステージに現れるほど世の中も甘くはないが、
そういった作業を“継続”してやれば、
“僕たちにとって永遠とは今このとき”ということばも、真実味を帯びて
くるかもしれない。う~ん、確かに日本人でうまいと思われているヴォーカリストとは比べものにならないほど
圧倒的なものを感じた。
自分の練習量を振り返ると恥ずかしくも思う。確かにすごいことができる人はすごいことをやってきた人な
のね。本当に努力が足りないということを実感させられる。今、問われるのは、彼のように歌えるかではなく、
彼のような努力ができるかということだろうが、恐らくできるまい。でも、それでも自分の心の思うままにベス
トを尽くすしかないであろう。
★今回のワークショップは行かないつもりだった。ギリギリまで迷ったけど、前夜祭に参加して行かなければい
けない気がして結局、決心した。宿題としてノートをつけ始めた頃、まるで合せたかのようにいろいろなことが
起きた。
歌うためだといって自分を犠牲にしてなるべく自分を見ないようにして、
先ばかり頑張って追っていた。
そして偶然、
道で会ったある人としばらく話をしていて
「自分のためだといって本当の気持ちを偽っていないか。
自分のなりたい姿を今の自分と錯覚していないか」と言われた。私にとって、とても衝撃的なことばだった。さ
らに、久しぶりに会った友人に近況を話した後「歌と自分とどっちが大切なの?」というようなことを聴かれた。
今まで自信をもっていた自分が崩れる気がした。
「私はこうだ」と決めて安心していたけど、実際は全く違うんじ
ゃないか。私は本当にそれを選んでしまっていいのか。ノートを書きながら悩んだが、自分の正直な気持ちに従
うことにした。今までは「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいい」と思ってきたが、今度はやらない
ことが後々、私の糧になるような気がしたのだ。辛い方を選んだのかもしれないが、どちらがいいかなんて死ぬ
ときになってみなきゃわからないし、それならまっすぐ生きたい。そんなこんなでワークショップまで一つ自分
のなかでケリをつけられた。
ワークショップ……。まず、一人ずつ自己紹介を兼ねて発表した。私は詩を読んだが、何だか“不発”とい
う感じだった。妙な、本当に妙な遠慮をしてしまったと思う。
「表現するのにし過ぎることはない」と言われて、
もう二度とあそこに立つことはないのに、
ひどくもったいないことをしたと思った。
エチュードの練習を始めて、
去年との違いに驚いた。慣れたのか感情が出やすくなったのか、苦悩までは素直にできた。ノートのおかげなん
だろうか。ところが、喜びあたりから心が次第に固まってきた。どう一所懸命やってもつくっている自分を振り
払えない。笑顔のこわばりが自分でもよくわかる。もう逃げたかった。愕然とする私の目の前がゆらゆら揺れて
倒れてしまった。倒れるほど逃げたかったのかと思った。
私は班で行動するのが疑問だった。
「別に仲よくするために来てるんじゃないし……」と、変にいきがってい
た。歌をステージの上で歌うのは一人なんだから、個々の意識は当然、もつべきだ。でも、やさしさを送ること
は一人ではできないものだ。歌も歌うのは一人だけど、自分に対して歌うだけでなく、他の人間に対して伝えて
いくものだ。
「やさしさのエチュード」ができなかったのは、
「絶望」と同じように一人の世界のなかでやろうと
していたからかもしれない。他の人間のパワーを自分に感じ入れることを全くしていなかったし、それを受けて
出すこともしなかった。
私は、あのワークショップに来た人、全員に感謝したいと思う。助けられたとか助けたとかそういう問題で
はなくて、お互いが苦しんで、そのなかから出た喜びがしぜんに周りに伝わった結果、ああいう空間が生まれて
そのなかで私は、今までにない気持ちを感じとることができたんだと思う。
それから、軽井沢の空と緑と風にもずいぶん教えられた。あの木漏れ日は、必ず何かの折りに私の頭のなか
に出てくるだろう。エチュードは歌うときにも大きなヒントを与えてくれた。はじめ、エチュードでありのまま
の感情を出すことと表現することは全く違うところにあると思っていて、うまく入り込めなかった。でも、制約
のなかで今まで生きてきて積み重ねた感情の一つひとつを取り出すところが、すごく歌に似ていることに気づい
た。歌うときもあんなふうに感情を取り出せればいいと思う。
3日間、本当に密度の濃い時間を過ごした。そして私は、現実に戻ってきた。整理しなければならないこと、
職探し、考えるだけで胃が痛い。でも、いろいろな感情は日常から生まれて、歌によって育まれるのだから、現
実でも一所懸命にまっすぐ生きたいと思う。そうやって、私の生きざまが歌になるように、楽しんで水をやり続
けたい。
★エチュードという課題は好きだ。感情にブレーキをかけずに、ことばや動きにも制約されずに思い切り表現で
きるなんて、表現したい者にとって、こんなに嬉しい課題はない。でも、その気持ちだけではダメだった。エチ
ュードを演じることに、とうとう入りきれずにワークショップが終わってしまった。自分の内に、表現する感情
が充分には湧いてこないのだ。1日目に、ただ笑いころげるのと、赤ん坊になって泣き叫ぶのを皆でやった。あ
のときは体がしぜんと反応して止まらなくなる感じになったのに、エチュードのときは、声と表情で表現しよう
とするのだけれど、体はとり残されてしまうような感じだった。悲しみのエチュードのとき、昔悩んだことを思
い出してみたが、悲しみの感情はあまり湧いてこなかった。今、考えてみると、つらいことと悲しいことは違う
ようだ。私が過去に気が狂ったように泣いたのは、自分にとって大事なものを失ったときで、
「つらい」よりも、
もっと激しい感情だった。ワークショップでは、そこまで突き詰めてイメージできなかった。他のエチュードも、
どこかことばとして捉えて一般化してしまった。班でのスクーリングの話し合いも、イメージが定まらずにこと
ばを探してしまったような気がする。この課題を他人事にしないために、ワークショップ前にノートを書いたは
ずなのに、エチュードを自分のものにできなかった。取り組み方が甘かったと思う。エチュードを通して、表現
することの厳しさを思い知らされた。自分のなかに、あふれるほどの感情を、すぐその場で生じさせることの難
しさ。舞台装置も台本もない。頼りになるのは自分の身体だけ。自分の身体の内に入っている感情を取り出すに
は、イマジネーションが必要なのに、それが絶対的に不足していた。本当は、舞台装置や台本があっても、自分
の内から何も出てこなければ、表現は成り立たないのだ。ライブでも同じことだ。この反省をこれからに活かし
たい。
去年のワークショップと違った点として、エチュードの解説と全体のメニュの解説のヒントとして作品が紹
介されたことがある。これらの作品はとても印象深く心に残ったけれど、ワークショップ以外で接していたら見
過ごしていたメッセージもあった。これらの作品は一つの例であり、ワークショップから戻っても学ぶ材料はい
くらでもある。いろいろなことから学んで、自分の歌、表現に結びつけて考えていきたい。
エチュードの解説の作品(
「星は光りぬ」
「リブ・フォエバー」
「アコーディオン弾き」
)から受け取ったメッ
セージーは、時は流れていき、輝かしい一瞬を得れば、それを失う絶望がくる。でも(だからこそ)
、今この一瞬
を生きないで何があるというの?-は、私が 18 歳のときジャニスジョプリンの「コズミック・ブルース」を聴い
たときに受け取ったメッセージと同じものだった。あの歌を夜一人で聴いていたとき、ものすごく密度の濃い時
間を体験した。こんなすごい歌が歌えるなら、他に何もいらないと思った。あのときの決心をもう一度、思い返
した。
そしてあのとき受け取ったはずのメッセージを、
少しずつあいまいにしてしまっていた自分に気がついた。
一方、全体のメニュの解説で紹介された「星の王子様」から学んだことは、全く新鮮だった。
「仲よくなるに
は手続きがいる」ということばにはっとした。あたりまえのことのようで、ずっと気づかずにきてしまったよう
に思う。予め準備され、きれいにパッケージされて売られているお手軽なものに慣れすぎていた。何でもすぐに
手に入れようとしていた自分の傲慢さに思い当たった。まして、自分にとって大事なものは、お手軽に手に入れ
られるものでは決してないはずだ。私は大きな勘違いをしていた。一瞬をつかむような表現をしたいと思いなが
ら、そのことと、こつこつと汲み上げていくこと(手続きを踏むこと)を関係がない別々のことのように感じて
いたのだ。
ジャニスジョプリンが手続きを踏んでいないわけではない。努力ということばは似合わないけれど、歌が好
きでジャンルに関わらずにたくさんの音楽を聴いて、
しぜんに歌を歌うのに必要なことを吸収してしまったのだ。
私は一番、足りない声を中心に、歌や表現を学んでいる。なんて楽しいことだ。なのにときどき、トレーニング
がつまらなく感じてしまう。先ばかり見ようとして、今この一瞬に感じ、表現することを忘れているときだ。
「手
続き」に関する自分の勘違いに気づいたことと、自分にとって歌の原点となったメッセージに再び問いかけられ
たことと、エチュードの反省から今後の課題を得たことが、私にとっての今回の収穫です。
★参加するにあたって一番、楽しみにしていたのが“スタートラインに立てます”という下りだった。ときどき、
ただ声を出しに通っている気がしてて、きっとアーティストとしての資質を問いただす何かがあるんだろうと思
っていた。3日間で先生は“一瞬をつかんで持ち帰って欲しい”ということを何度も言った。初日の夜、ジョル
ジアの「Live forever」や「星は光りぬ」を聴かせてくれたときに感じた。
“スタートラインに立つってことは、
一瞬とは何かを見ることだ”
2日目の夜、エチュードのスクーリング。これが今回のワークショップのなかで一番、残った。あのときの
一言一言には、悲しみの一言でも自分でノートに書いた何ページの悲しみが集約されていたと思う。よろこびの
ときも、いろんな思いが体じゅうをめぐって出た一言が“ありがとう”だった。その瞬間に、自分の想いをつめ
込んでことばにする。心と身体とことばを一つにできたと想う。発表のときは表現しているんだか、地で思い切
りやっただけなのか、両方なのか、わからない部分もあった。だけど、スクーリングのときは一瞬が見えた。こ
の感覚はきっと、ずっと忘れないと思う。
あと発表が終わった後の先生の話が残っている。星の王子様だ。先生が言った4つのキーワードのなかで、
“暇をつぶす”話がのこっている。
“歌”を歌うためにどれだけの暇をつぶせるか? また今まで、どれだけの暇
をつぶしてきたか。パヴァロッティの3分間の歌とそのあとの笑顔には、とてつもなく大きな“暇”がつぶされ
ているだろう。今の自分には、その後ろに隠れた暇すら発見することができない。音楽だけではなく、社会や自
分自身に目を向ける。いろんなことが自分には足りない。これからたくさんの“暇つぶし”をしなくてはならな
い。
“もしかしたら今日で終わりかもしれない”人生のなかで自分が今、何をするのか? 何をすべきなのか? や
はり“歌いたい”として生きたいと思う。
★会報に、去年のワークショップに参加した人の評が載ったとき、私は羨望してそれを読んだ。多くの人が“感
激”し“解放”され、天の声を聞いたと書いていた。私もワークショップに参加すれば、心も体も解放されるの
ではないか、とものすごく期待をしていた。やっとの思いで参加できるようになったときは、とにかく嬉しくて、
抑えきれない高揚感と共に、軽井沢に着いた。これからここで過ごす時間のなかで、私のなかの何かが変わるの
ではないかと思っていた。でも、私が期待していたようなことは起こらなかった。
班でエチュードの練習をしていても、入りきれない私がいる。それは他の人にも伝わっていた。演じている
という感覚が常にあり、どこか距離をおいている。距離を縮めたくても、どうすればよいのかわからない。やれ
ばやる程、ぎこちなくなっていく。発表会の前夜、モノトークがどうしてもまとまらなくて、朝方まで眠れなか
った。同じような人が何人かいて、その中の一人の人に言われて気がついたのは、考えることと感じることは全
く違うということ。そして、感じるだけではなくて、それを外に出していくことが大切なのだということ。やは
り、私は頭でっかちになっていたんだ。もっとストレートにいけばいいんだと思ったら、少し楽になった。
最後の班の練習のとき、それまでと違った“何か”がつかめそうな気がした。軽井沢の、あの青い空も風も
鳥の声もすべてが力になってくれる気がした。発表の場に向かいながら、本番の自分がどうなるのかわくわくし
ていた。発表のとき、今までのどの練習のときよりも感情としては深かったと思う。けれど、極まることはなか
った。負の感情で落ちきれなかったから、昇りきることもできなかった。泣いている人たちが羨ましかった。泣
けばよいわけではないけれど“感極まる”状態になれていることが本当に羨ましかった。ワークショップから帰
って、体も心もヘトヘトに疲れているのに、未消化な自分をどうにかしないと落ち着けなくて、親と話し友人と
話し、昔の日記を読み返した。自己紹介で「日記にまでかっこをつけている」と言っている人がいたけれど、私
も全く同じだった。本当に心の奥底で感じたことは書いていない。読みながら、本当はこう思ってたんだよなと
思い出してしまうような嘘の日記。親に対しても自分の好みを言えなかった。親や祖母が選んでくれたものに対
して、嫌とは言えず時間がたってからそれを手にして泣いてしまうような子だった。小さな頃から自分の感情を
ストレートに出すことがうまくできないまま、私は大人になってしまったらしい。友人に「あなたは優等生なん
だよ」と言われた。人の目を気にしていないようで、ものすごく気にしているのではないか、と。
そういうことがわかったからといって、すぐに私が変われるわけはない。とにかく、自分に対して嘘をつか
ず、思ったままをいじくらずに出すことをしていこう。悲しいとか嬉しいとか楽しいとか、感じたことを声に出
してみよう。私が思いついたことは、ことばにすると、とても幼稚で単純なことだった。自分の、この壁を壊す
ことができたら、私の歌は今よりもずっとずっとよくなるのではないかと思っている。時間はかかっても、きっ
と大丈夫と何の根拠もないけれど、今は思える。期待していた私には、出会えなかったけれど、再生へのきっか
けはつかんだと感じられたワークショップだった。
★今回の自分のテーマは、感情に入り込むことだった。今年もあまり成長していなかった。去年は感情に入り込
もうと必死でやった。無理やりにでも感情を引き出そうとした。だが、うまくいかなかった。力めばのどにも悪
影響を及ぼす。心の底からわき上がる声は、体の底から出るのでのどにはこない、というのが頭の中にあった。
そんなこともあって、今年は力まずイメージだけでしぜんに感情がこみ上げてくるのを待つことにした。
暗く悲しいみじめな人生だった。そんな過去を、そんな思いを忘れよう、考えないようにしようと思ってい
たかもしれない。それを具体的に思いだし、書いてみた。負のエチュードならお手のもの、大得意のはずだ。な
のにエチュードになると憎くて殺してやりたくならない。悲しくてどうしようもなくならない。そのときのこと
を思い出してみるのだが、あのときの思いがこみ上げてこない。エチュードで感情が爆発できないのには、いく
つか原因があるだろう。それがなぜであるのか、じっくり考えなければならない。
今回、よい点もあった。正のエチュードでは、ドップリとまではいかないまでも、温かい気持ち包まれた。
モノトークのテーマ、
「愛」
について考えたとき、
こんな俺でもやさしさに包まれたことがあるんだと再認識でき、
感謝する気持ちになれたからだろうか。それと体については、声が去年よりスムーズに出るようになった。のど
をしめつけるクセが少し解けてきた。だから最後まで声がかれることはなかった。
全体的に男性より女性の方が感情が出せている気がした。
男は涙は流せないもの、
涙を流せば負けと育った。
自分に対しても何に対しても。俺は男になりたかったのだろう。強い男に。そしていつのまにか涙を流せなくな
っていた。感情を表に出せばつけ込まれる世の中、感情を押し殺すように生きてきた。心を解放しきるようにな
るには、まだまだ時間がかかりそうだ。今までは、自分を深く掘り下げることを具体的にやらなかった。これか
らは、そのことについて時間を費やさなければと思っている。
★自動販売機でジュースを買った。39 度の猛暑のなかで飲むジュースの味は格別で、何ともいえない。そんなと
き、ふと自動販売機にこんなことばが書いてあるのに気がついた。
「渇いたのどを潤しながら ゆるやかに流れる
時間をただよう ありふれた景色すら 違って見えてくるそんな瞬間」気づいてよかった。気づける自分がいた
ことが少しうれしかった。確かに暑いときに冷たいものを飲んでいる瞬間って、今まで意識もしなかったけれど
も、すごくシャキッとした気分になって、ゆっくりと瞬間が流れている。そんなときは、緑がより緑色に見えた
り、重苦しい空気が一転して軽いさわやかな空気に変わる。いつでもこんな新鮮な気分でいられたら、もっと繊
細にいろんな音や歌を感じられるのだろう。
ゆっくり瞬間が流れると、周りがもっと見えてくると思う。時間の流れる速さってどんな人間でも同じ、平
等だ。お金がなくても食べ物がなくても、どの時代に生きたとしても変わらない。その平等な時間のなかで、ど
れだけその瞬間を感じられるか。どれだけ新鮮に心でその瞬間をつかまえ感じられるか。結局、いつかはみんな
死ぬ。その限られた時間のなかで、どれだけ濃く生きるか。瞬間を感じられるか。とても大切なことだと思う。
きっと先生の1分と自分の1分は、同じ1分なのに全く違う1分なんだろう。自分が1分、ボーッとしている間
に、先生はいろんなことを感じているのだろう。こんな感じられない自分が嫌いだ。どうして感じられないのか。
どうして美しいものを美しいと心から感じられないのか。違う。自分が感じられないわけじゃなく、感じようと
して生きてこなかったから感じとれないだけだ。瞬間を多く感じていこう。そうなればもっと生きてて楽しいだ
ろうし、時間がもっと大切に思えるだろう。戻らないこの瞬間を生きよう。
「今、これからすぐに大地震が起こって自分が死んでしまうことをあなたは知っています。死ぬ前にあなた
はどんな歌をどのように歌いたいですか」このことばを聞いて、すぐこう思った。
「このまま死んだら絶対、後悔
する。笑顔でなんて絶対に死ねない。
」自分は今まで自分がやってきたことに何も納得しきれていない。今やって
いることにも納得できていない。
納得できるまでやっていない。
自分自身が納得できることを納得いくまでやる。
そんな生き方ができる自分でありたい。明日は棺桶のなかで眠っているかもしれない。何も達成されず死んでし
まっているかもしれない。だとしたら、もっと納得してもっと楽しんで、大切に生きなくてはいけない。プロセ
スを大事に生きよう。プロセスで納得していれば、まだ死ぬときに後悔が少ないのだろう。
マラソンランナーの有森裕子さんがこんなことを言っていた。
「メダルを取ろうとすることは、自分の意志に
反することだ。でも、メダルを取れる自分でありたい。だから毎日、納得のいく練習をしてスタートラインに立
ちたい。自分にとってはそこに立つまでが大切なことだ。勝負は、メダルは結果としてついてくるものだ。
」自分
もそんな人間でありたい。どれだけ瞬間を納得できるか。どれだけプロセスを楽しめるか。自分の課題だ。
ワークショップのプロセスはノートだったわけだけれど、自分は一冊埋め切れもしなかった。自分に甘い奴
だ。プロセスに納得できなかった。深く考え込めなかった。だから喜びのエチュードのとき、喜びを全く表現で
きなかった。イメージしきれなかったので、わき上がってこなかった。本心で喜びきれない。ウソの自分がまた
出てしまった。自分はどちらかというと負のエチュードの方が入りやすい。でも、どれだけ自分が悲惨的にしか
も不平、不満をもらして生きていたかを物語っているようで、なんか情けない。喜びを表現できる人間になろう。
そのためにも、もっともっと多くのことを経験して、もっと喜怒哀楽して生きよう。一杯傷つこう。でっかい人
間になろう。
ビリーホリデイやエディットピアフは、ものすごい表現力をもっていると思うのだけど、彼女たちは普通の
人の何十倍も苦い体験をして傷ついている。別に無理して、悲劇的な体験をする必要もないのだろうけれども、
結局、いろいろな経験を積んでいろいろ感じて生きることが、表現の幅を広げてくれるのだと思う。ウソはウソ
なんだ。歌にはすべて出てしまう。ありのままの自分が出る。見栄っ張りで醜い自分の心が出てしまう。とても
恐ろしいけれども、だから歌っておもしろい。自分が成長すれば、もっと輝きを増すだろうし、投げやりにほっ
ぽってしまえばガタガタにくずれていく。自分次第で変化する。歌うのが自分なんだから、あたりまえなのかも
しれないけれども、これはとてもおもしろいことだ。特に、エチュードだと、歌以上に自分が隠せなくなる。ウ
ソは必ず隠せない。自分自身を確認する意味でも、エチュードをやれてよかった。
研究所に掲げてあることばを思い出す。
「あなたがいてここが変わらないんだとしたら、
あなたって一体何だ」
ということばだ。自分があの場にいて、何か変わったのだろうか。自分があの場に何か影響を与えていただろう
か。まだまだだと思う。お金を払ってまで自分をみたい、歌を聞きたいと思わせるほどの影響力はない。認めざ
るを得ない。ワークショップに行く前から、嫌われるくらい強い自分でありたいと思っていた。爆弾になりたか
った。そうなろうと試みたんだけれど、自分の考えが浅かったので、ただ怒っているだけになって、班の人に不
快な思いをさせてしまった。もう少し冷静になって、周りを感じる余裕が必要だった。風の音、鳥のさえずり、
陽の光、軽井沢の匂いを感じられなかった。だけど、エチュードとモノトークが終わって、再生になるときに、
とってもいい風が吹いて気持ちよかった。そんなときは、周りの人の声もよく聞こえて、本当に気持ちよいと思
えた。大切な瞬間だった。
昨年もエチュードをやり、今年も同じエチュードをやった。去年以上のことはできてあたりまえだった。今
年は表現したかった。胸にグサッと入り込むようなすごい表現を。何回も繰り返して自分に言い聞かせた。確か
に、去年より少し進んだ。でも表現しきれなかった。ウソも出た。醜い自分も出た。ああ表現できたのに、と悔
やむところもある。去年より格別に成長したものがある。それは終わった後の達成感と、周りに感謝する気持ち
だ。去年は自分が受け身になりすぎていたから、何かよくわからないうちに終わってしまったが、今年は積極的
になった分、感じられるものが多かった。ウソにしても、自分が見栄っ張りだと知っていたので、素に近いウソ
だった。
でも、こんなもんで納得はできない。まだまだまだまだ全然ダメだ。この気持ちをプロセスに生かしたい。
ありがとうと思うことが多いワークショップだった。最後の天の声のときは、なんか嬉しくって、いろんな人に
抱きついてしまった。ありがとう友、ありがとう先生という気持ちで一杯だった。こんな気持ちがいつでも呼び
起こせれば、幸せな歌を歌えるのかもしれない。自分を見守ってくれた先生や、同志の気持ちに答えるためにも、
自分が力をつけることで、自分がいい刺激を与えることで、自分が努力することで感謝の気持ちを表わしたいで
す。ワークショップは毎回、大切なことを学ばせてくれるけれども、ワークショップがなくても、いろんな大切
なことを学べる自分でありたい。
★今回のワークショップに参加するにあたって与えられた宿題のノートを、どんどん自分の過去を掘り下げるよ
うに書いていくにつれ、自分が「アーティスト」というものを自分で勝手に定義し、それに自分をあてはめてい
くことに専念していたのではないかと思うようになった。
それはたとえば、
他人のことばの受け売りでもあるし、
自分でつくった枠でもある。じゃあ、それらを外して等身大の自分、それを真っ正面から見つめてみると、形的
なものを作り出そうとしていたホントにちっぽけな自分がいた。
「アーティスト」という以前のまず「人間」としての自分をしっかり確立もできていない。今回のワークシ
ョップは、そうした裸になった、まず「人間」としての自分をしっかり確立、そこから表現するものを得る、そ
れがエチュードであり、自分自身のことばでモノトークが表現できればと思い、ワークショップに臨んだ。その
ときはまだ、
「歌」にまで気持ちが行き届いていなかった。1日 24 時間、表現すること、歌うことだけを考えて
いればいいというのは自分には初めてのことであり、今の自分にとって一番ぜいたくな、そして貴重な時間だっ
た。
軽井沢の自然のなかを散歩しながら日常を振り返ってみると、今の生活サイクルの大部分の時間は仕事に費
やされていて、本当に必要なもの、やりたいことがあるなら、そちらにエネルギーを向けるべきで、自分はその
方向をちょっと間違えていたかなと思った。じゃあそのパワーを一番やりたいこと、
「歌」に向けるべきだなと思
い、帰宅後のビジョンを描いたりもした。
1日目の夜、
「明日、大地震が起きたら何を歌うか」
、このことばにすごく考えさせられた。考えて……出て
こない……、ない。今の自分にはそんな歌はない……。そのときは「いつでも大地震が起きている」歌には、自
分の意識が程遠く、情けなかった。そしてそのとき、少しずつ自分のなかに浮かんできた「じゃぁ、何で自分は
歌うのか?」という疑問。でもそのときは、まだ普段の生活の意識が抜けきってなかったので、それほど深く考
えなかった。
何か違うなと感じはじめたのは2日目。エチュードのコンセプトの話し合いのときだったと思う。このエチ
ュードという課題は、入り込めば入り込むほど、ある種、自分の内にこもる部分があると思う。そうして自分の
内にどんどん入り込んでいって、自分のなかに表現する何かを見出すのではないか。そしてそうした過程は、個
人に感じるものであって、そこから発展させてそれを人に見せる、すなわち表現することろまでいけるかどうか
疑問だった。つまり自分個人は、エチュードから何か得られても、まだ表現まではいけないんじゃないかと。自
分はまったく表現できなくて、何しに来たんだ?とまで考えてしまった。モノトークの原稿も全く納得がいかな
くて、何度も何度も書き直そうと思ったけど、いいことばが浮かばない。とことん掘り下げて、広く「愛」につ
いて考えてみたい……。けど、今の自分には、過去を振り返ることはできても、感傷的にはなれなかった。それ
に気づいて、じゃあそのままぶちまけちまえと思って、さっさと寝ることにした。そして発表会。もうキレたも
ん勝ちだと思ってキレるだけキレもした。のどが思い切りやられた。確かにスッキリはした。でもスッキリして、
どうした? 結局、イクことはできなかった。
結局は「何で歌うのか」の「自分のことば」は出てこなかった。何でだろう?……最後の先生のことば「プ
ロセスを楽しめるか」……考えてみると、今の自分は楽しんでいない。そもそも歌うことを自分は楽しんでいな
い。今の自分は歌うのは好きじゃない。-今までの自分は「歌しかないんだ」と勝手に決めつけ、自分のなかで
枠をつくって、そのなかで狭い視野になっていった。いつしか歌うことが言い訳になっていったんじゃないか?
そのことを宿題のノートを書きながら感じ、日常の意識から抜け出して、第三者的に自分を見つめることによっ
て、本心の部分に気づいたんじゃないか……。じゃあどうするか? 今は広く世界に目を向けて、どんどんいろん
なことにチャレンジして、自分を磨くべきじゃないか。そうしていくなかで、自分が本当に打ち込めるものが見
えてくるんじゃないかと。歌うのがつまらないなら、おもしろいと思うものから手をつけてみて、その過程のな
かで、また歌いたくなればそれはそれでいい。この歳で完成形を求めるなんて、なんてもったいない。できるだ
け広い視野で生きよう-ワークショップから帰ってきて、自分のなかにしぜんにこのことばが生まれてきた。表
現することだけを3日間考えた結果として、広い世界を求める自分が生まれた。今はこの自分を大切にしたいと
思う。
★ワークショップは、来年までにやっておくべき大きな課題をくれる。去年、私は自分の歌の「嘘と真実」に悩
み、毎回、真実を出すためにどうすればよいのか苦しむ課題を得た。ワークショップから冬が終わるまで、会社
の屋上で昼休み、休憩時間、時間さえあれば寝ころがって空を見上げて「天の声」をやって、いや、やろうとし
てた。歌うときは一度、泣いたりしてからやってみたり。とにかく「歌の真実」の存在を知りつつ、自分の体で
表現できないギャップのミゾで転がって苦しんでた。わけのわからないまま、会社の友だちまでも「ハイ、ララ
ラ」と(それも低い声でマネして)口ずさむくらいだった。たった一つの私の声を探そうとした。
さて、今年はどうだった。まず私は、本当に全身全霊を 100 パーセントで参加していただろうか。前日まで
の仕事の疲れを引きずっていたのではないか。確かに状況としても、疲れ切っているのは仕方ない。でもステー
ジは別ものだと、頭ではわかっている。自分の体の状態を超えたところにあるものだから。カゼとか筋肉痛とか、
昨晩 12 時までの労働とかとは異次元にするのがステージをつくることだ。ステージとは、歌ったり踊ったり芝居
することを意味するのではなく、空間を支配し時を止め、風を起こすことで、肉体から声や動作までも浮遊する
ことを言うと思う。自分の右手を後ろに引けば、お客も引っ張られることだ。それを去年に比べると、100 パー
セント体現できたとは思えない。情けないが、私のなかに少々、迷いがあったせいもある。
去年は同エチュードを、ただ無我夢中で熱狂的に取り組んでたけど、それは私がアーティストだからできた
ということは一つもない。人であれば皆、あのとき、あの場、あの課題だったら一度や二度、自分の本質を掘り
起こし輝くことはできるだろう。でも去年帰って来て、一人ででも、エチュードやらなくても、いつでもどこで
も、たとえばレッスンの自分の順番で、そんな生理状態になれないと意味がないって思った。それでやっぱり帰
って来てすぐのL懇で、散々のもとのもくあみで、一人で清冽な空間を創り出さなかった。そこから会社の屋上
での空を見上げての「天の声」をやり続けることになったのだ。
今年は、ワークショップでエチュードをやることによって、もっとその自分の体の生理状態を体に刻み込も
うと思っていた。だから去年のようなその場のハッタリのパワーや熱意でやっても、自分にとっては無意味で過
去の手法だと頭のどこかにあった。同じ課題ゆえに、何を私は取り出し何を捨てるのか明確にする間もなく突入
してしまった。
「迷い」のあるうちに始めてしまった。ここが一番問題で、大反省の点。
「一般の人、普通の人でもこの程度のことならできる」って去年、先生が言っていたのを覚えている。無我
夢中で何かに取り組んでいる姿は、
確かに人の感動を引っ張る。
でもそれを何度も見せられるバイタリティとか、
たとえばワンカットずつ写真をとっても、すべてがサマになってプロマイドとして売れるかというと、わからな
い。作品になるってことは、やはりやっている人が普通の人ではもたない。無我夢中になる生理状態を冷静にコ
ンスタントに体のなかに巻き起こし、何かを出していくことが、まず少しでも表現に近づくことだろう。そこへ
もう一歩、踏み出すたたき台として、ワークショップを利用しようとは何となく思っていた。
そして終わった今、もつところ、もたないところの瞬間の自分の生理状態の違いだけは感じられた。それは
すぐにはできないけど、どんなふうに糸がもつれているのか見えたような感じ。去年は自分の歌の嘘を知ってし
まったショックでアワワワ……という感じだったけど、今度は少し冷静に明確になった。自分の手で体のなかを
かき回し、熱風を巻き起こし、全力で2本の足でそこに立っていなければいけないのはわかっている。それを 100
発 100 中、コンスタントに出せるような訓練の方法自体を研究し、実践していくことが、今年の私の課題となっ
た。
★宿題ノートやモノトークの原稿を書いたことで「自分が何物になろうとしているのか」がより明確化(死ぬま
で歌い続けたい、死ぬまで人生を謳歌し続けたい、もっと言うと、何万人もの観衆の前で最高最大のライブパフ
ォーマンスをやってみたい、そして、自分が源(みなもと)となってみんなに夢と希望を与えたい-そう、フレ
ディマーキュリーのように!)されたことは、大きな収穫だった。それと、ほとんどが会うのがはじめてだった
他のレッスン生たちのがんばりに触れることができたのは、大きな刺激だった。このワークショップでの出会い
が本当に重要な出会いであるならば、わざわざワークショップの帰り際に親睦を深めなくても、これからきっと
2度3度と会うことになる(そしてより高いステージで!)はずだからね(本物は残る、と言わせてもらいまし
ょうか)
。
★昨年の軽井沢ワークショップの後、参加した人の口から「ワークショップを終えて東京という現実の世界へ戻
って来ると、ワークショップで得た“神聖な”ものが汚されそうで、必死でそれを守っている。
」というような話
を、耳にした。それについて私も、それほどかけ離れた感想はもっていなかった。しかし、今年のワークショッ
プの後は、やはり昨年と同じような感想や、
「感動した」ということばを他人が口にしても、私はそれに単純に同
調できない。言い換えると、そういった“おめでたい”気持ちにはなれない。2回目、しかも課題は昨年と同じ。
そのなかで一体、自分は何をつかめるのか。昨年と同じことをしていても意味がない。ただでさえ、つかみどこ
ろのないエチュード。昨年は演じることが楽しかった。先生に「演じるな」と注意されても、私のなかでは演じ
なければ成り立たなかった。本能のままに任せると、声をつぶした。そして今年は……昨年と同じでは意味がな
い。では、どうしたらよいのだろうか? ひたすらこの問いかけを繰り返す。人に伝えるためには、下手な芝居は
却ってマイナスだ。声が大きければよいというわけでもない。うまく歌うことも正解ではない。だからといって、
“素(す)
”では芸にならない。そうこうしているうちに、つぶさないようにひたすら注意していた声も、オーバ
ーヒートしてきた。自問自答、試行錯誤を繰り返し、そしてまたもや、つぶしてしまった声に自己嫌悪をいだき
ながら、最終的に舞台にのせた結果は、結局「観ているより参加した方がおもしろい」という程度のものにしか
ならなかった。所詮、今の私の力はこんなもんである。楽しかった、今年も。だからこそ、おめでたい気持ちに
はなれない。なぜなら観客に楽しんでもらうことはできなかったから。
正直言って、自分が客席側で他のグループの発表を観ていたとき、決してつまらなくはなかったが、やはり
知り合いのお稽古ごとの発表会を観ている心境だったのだから。ただし、何もできなかったとは思っていない。
私自身、自分の存在をそこに確かに感じることができる一瞬があったのは事実であり、これは昨年にはなかった
ことだ。
一番、印象に残ったのは“Live Forever”を聴いたことだった。Who wants to live forever?”この問いか
けに、私は衝撃を受けた。モノトークやエチュードを通して、死について考えていたとき、私は誰もが永遠の生
を望むのが当然だと思い込んでいた。しかし、改めてこう問いかけられて、何か目が覚めたような気がした。こ
の夏、一番の収穫かもしれない。
ワークショップで先生が使っていた鐘。外の芝生で寝ころんで、目をつぶってその音色を聴いていたとき、
私の目には、未だ行ったことのないチベットの祭壇のまえでラマ僧が祈りを捧げる姿が浮かんでいた。そして軽
井沢の風の音と共に、祈りの声、香の匂いまで感じるような気がしていた。その後、その鐘はやはりチベットの
仏具であることがわかった。偶然だろうが、あの鐘の音のなかに単なる“空気が振動して鼓膜を奮わせることに
より感じられる音”以上のものを、私は聴いていたのだと思う。私の声にも、こういった何かを宿したい。まだ
まだ、わかっていないことがたくさんありそうだ。
―このときの気持ちを忘れないように。幼児期を忘れた大人のように、こういうことを大切に生き続けられる人
は、一割もいない。賢しげに、そしてつまらなくなってしまった自分に気づいたら、また読み直してみてくださ
い。
(Ei)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(2)ワークショップアンケートの集計
〈1〉1996.7 ワークショップメニュー一覧
●一日目
1.ソロライブで自己紹介
2.散歩、ジョギング、自然探索
3.ヴォイストレーニング
4.エチュード見本(昨年メンバーによる)
5.夜のメニュ(波の音とアニタオデイ)
6.エチュード解説(星は光りぬ ジョルジア、エディット・ピアフ)
7.特別レッスン(
「魔王」上映他)
●二日目
8.朝のウォーミングアップ
9.各班トレーニング1
10.エチュード スクーリング(各班コンセプトづくり)
11.特別上映(カンツォーネ他)
12.エチュード スクーリング発表会(一人ずつ 10 題)
●三日目
13.各班トレーニング2
14.発表会(A、B、C班)
15.全メニュ解説(星の王子様ほか)
〈福島〉
16.フィナーレ(天の声)
〈2〉メニュで学んだこと、感想
1.ソロライブと自己紹介
★ソロライブをやっていて、ステージの広さと高さを感じられた。もっともっと大きく歌わないと、あの広さで
のみこまれてしまうのだから、とても大きな劇場では全く歯がたたないのだろう。
★まだお客さんをみることができない。笑顔を出せない。→心を開いていない? 加藤さんの歌い終わったあとの
笑顔がきれいだった。お客の反応がこわい。
★ああいう場で“どん”とできる人はすごいな。私はいつも、どこかで“程度”を決めてしまっている。
★最初に各人の歌を聞くと、それぞれの人がどんな人なのかがわかりやすくて、よかったと思います。私自身の
ライブに関しては、まだ遠慮があって、100 パーセント、力を出し切っていなかった。
「星は光りぬ」のレッスン
のときのお話にあった、
「これが最後かもしれない」というぐらいの心構えがなかった。次回から、悔いを残さな
いようにしたい。
★人の発表を観ていると「開く」ことができている人と、そうでない人の差がわかった。全神経が表現に集中で
きている人は、そこで一つになったパワーを外に解放できる。雑念が入って集中できない人は、外からのプレッ
シャーに負けてしまうか、はじめから緊張感をもてないでいるかのどちらか。
★2分間をステージと考えている人、できない人、密度の濃さで開きがあった。たった2分でもステージなんだ
と教えられた。そして、そこで出せることの難しさを思い知らされた。
2.散歩、ジョギング、自然探索
★鳥の声、木が揺れる音、光、風。自然の空気が全身で感じられた。芝生に寝ころんで目をつぶっていると、太
陽が体を暖めてくれた。私は愛されていると、それだけで感じる。生と死について考えてしまう。
★本当に久しぶりに都会を離れて自然のなかで伸び伸びできた。散歩していて、何だかオレは忙しすぎるなーと
思った。何でいつもアクセクやってんだろう? 何のため? ふつふつと今の自分に対する疑問が浮かんだ。
★空を見たの、すごく久しぶりだった。芝の上で寝ころんで、しばらく空を見ていた。すごく貴重だった。幸せ
な時間だった。
★気分が開放され、自然の空気をたくさん浴びて、心身ともリラックスできた。
★きのこや木の実がたくさんあって、うれしくなってしまった。時間が少なかった。また?先生が消えた。
3.ヴォイストレーニング
★トレーニングは、気持ちよかった。ゆっくり声を出して終わったと思ったとき、ピアノも止まっていた。
★散歩の後のリラックスした発声は、この時点でも、すごく声のノリが違うなと思った。
★太陽の光が当たる広い場所だったので、いっくら声出してもいいぞー!! って言われてるみたいで、気持ちよく
発声できた。
★いつもと違って、息を伸ばすトレーニングだったので、改めて自分の息が細いと痛感した。
★日頃、テキスト、本や通信のテープでしか聴けない生のレッスンを受けました。今回、私の参加の目的でもあ
る先生方や生徒の生のレッスン、声に触れることができました。深い息と体からの声の源を知ろうとしていまし
た。
★普段のレッスンと特別変わった内容ではなくても、
環境が違うと声のノリとかも違ってくるのを実感しました。
4.エチュード見本(昨年メンバーによる)
★とてもしぜんだった。喜びのエチュードまではよかった。喜び、希望のエチュードの難しさを知った。自分な
らどうやるだろうと考えてみた。モノトーク(一言)がよかった。
★一年前にやったことを、みんなちゃんと覚えており、息がピッタリだったのにビックリした。気持ちがみんな
入ってて、きれいだった。
★昨年のメンバーとして参加したが、勢いでできてしまうものだ。逆にどうやってやるかが本当に難しいと思っ
た。個人的には“赤ん坊”
“泣く”
“笑う”のエチュードの方が楽しかった。
★このエチュードというのは、正にエッセンスが凝縮されていると、僕は思っている。一見シンプル。しかしシ
ンプルなものほどレベルの高いものにするのが困難なものはない。いずれにしても、この見本以上のものだけは
表現しよう!とだけは思った。
5.夜のメニュ(波の音とアニタオデイ)
★波の音とあの声がとてもかみあっていて、気持ちがよかった。海辺で眠っているような気分でした。
★不思議な空気だった。きれいな砂浜に打ち上げられたようだった。波の音や波の繰り返す運動というのは、本
当におもしろい。呼吸のようだ。
★自然の音って、どうしてこんなに安らかな気持ちになるの。日常から離れて“私”をみつめられる。
★波の音がとても心地よかった。仰向けになりながら心も体も休まるようだった。月の引力と波の関係とか、潮
の関係とか、潮の動きと人体との関係もあると言われていることにも興味があります。
★暗いところで波の音を聴いていると、その音は私の体の細胞に直接、入り込んでくるような感じがしました。
★あたりも暗くなり、スタジオに入ると静かな波の音。
(しばらくそこに横になり)
、体を休め、息を感じ、ゆっ
たりとした幸福な気分にひたりました。
★冬眠中のウサギのように眠らせてもらいました。
6.エチュード解説(星は光りぬ ジョルジア、エディット・ピアフ)
★瞬間って大切だと思った。
“あなたは死ぬとわかっている。そんなときにどんな歌を歌いたいですか”この一語
が聞けてよかった。
★永遠というのはずっと続くことではなく、時空のない状態。ピアフもその域に達していると思う。
「私たちには
時間がない」→帰ってから自分のこととして実感した。このままじゃ終わらない。必ず成し遂げる。
★「明日、死ぬとしたら何を歌うか」ということばがグサッときた。
「オレにはあるのか? あれっ出てこない…
…ない!!」……ショックだった。
「いつでも大地震が起きている」歌にはオレが程遠く、何て浅いレベルで歌って
いるんだ……。
★一人一文ずつ回したとき「あぁ、甘い……」のところ、難しくていやだなぁと思ったら、やっぱり当たってし
まった。……らしいという表現は、やっぱり無理があってふしぜんだと実感した。
★“声で表現する”ってこんなに難しいことなんだ。ここで聞いた人々はみんなその表現がすごかった。私にと
っては自分の心ですら、まだ遠い。
★改めてきちんと歌っている人の作品を聞くと、スケールの大きさに気がつく。星は光りぬは、目を閉じて聞い
ていても(日本語を見なくても)
、盛り上がる感情やさびしさが伝わってくる。表現が大きい。
★どのテノールも声のダイナミックスが素晴らしいので、ぜひモノにしたいところ。ジョルジア大好き。すべて
が美しいと思える人。
★ジョルジアのリブ・フォエバーには個人的にも思い入れがあり、涙腺がゆるんだ。この3曲が、今回のテーマ
の伏線となっており、改めて歌の難しさ、深さを感じた。
★ピアフの表現力に圧倒された。
“止めて”と叫んだときの彼女の表情が忘れられない。
★「星は光りぬ」の人生最期の歌という背景も理解できていたが、これほどのテーマになると、まだ自分には歌
えないと思ってしまう。
「Who Wants To Live Forever」は Queen のオリジナルの方は聴いたことがあった。この
曲はフレディ・マーキュリーが歌っていた頃は、おそらくまだエイズではなかったのではないかと思うが、生と
死をテーマにした曲を彼が歌うと、その後の彼の姿がダブってしまう。Queen のラストアルバムである「Made In
Heaven」では、もっとこのテーマがリアルに歌われていて、死の恐怖をも克服してしまったかのようなフレディ
の天の声を聴いていると、涙が出てきてしまう。
★いつも先生が言う“いいものを受け継いで欲しい”というのがすごく刺さった。永遠とは今このとき、今でき
ることをしないと何もできない。心と体とことばが一つになったか?
★ピアフの顔と声が印象に残った。
★オペラのアリア、シャンソン、超一流の歌声のなかでの解説を聞いて感動しました。そして、せりふを一人ひ
とりまわしての輪唱(読み)
、表情深く、深い声とせりふの人もいました。私は詞を読むことにも、まだ薄っぺら
だなあと思いました。
★「リブ・フォエバー」
(この原曲は僕の好きなクイーン)
、永遠の生などない、しかし一瞬のなかに永遠の生が
あるはずだ。一瞬を捉えたい、そしてさらには、永遠を捉えたい、歌という手段で。息、声、そして表情で、歌
を表現し、永遠の生を表現する。アーティストとして、一人の人間として……。
7.特別レッスン(
「魔王」上映他)
★いまいち表現しきれませんでした。全く中途半端でした。
★歌の前に解説を入れてくださったので、歌のなかで意味を理解しやすくなった。
★自分はぜんぜん浅く表現にならなかった。プロの歌はすばらしかった。
★やってみたいと思いながらも手を上げず、他の人がどう出るか見てしまっていた。いつも受け身な私。一体、
何をしに来たのか、もっと自分に素直になって勇気を出してやらなければ、せっかくの課題も自分のものにする
ことができないままになってしまうと思った。
★歌のストーリーの朗読は、とってもおもしろい課題だったと思う。見てすぐに、そこまで役の心をつかめるの
か、それが表現できたらすごい
★声がとてもきれい。登場人物によって音色を使い分けている。すごいと思う。子供が魔王に脅えて“お父さん”
と歌っているところが印象に残っている。
★初めて見る台本で、台詞を読むということが難しかった。読むのに夢中で、場面も把握できなかったし、気持
ちも充分に込められなかった。一度、目を通した後で読めば、もう少しうまく読めたと思う。
★子供がよかった。自分は死に神をやらさせてもらったが、人から見ると死に神には見えなかったらしい。
8.朝のウォーミングアップ
★外で声を出しても、大気に吸い込まれてしまって、思う存分、声を出せるのがうれしいような、その手応えが
感じられなくて(聞こえなくて)拍子抜けしてしまうような、何とも妙な感じだった。やっぱり自然は大きかっ
た。不思議な楽器の音色は、あの広く大きなしぜんのなかでも、美しくひびき渡って心地よかった。
★マツの木がたくさん植えてあった。マツはのどにいいと聞いたことがあるので、できるかぎりマツのそばで呼
吸をとるようにした。いつもより息が吸いやすかった。軽井沢の空気ってやる~と思った。
★緑の芝生と朝の空気が気持ちよかった。
★みんなが小さな虫になってるようなかんじ。眼を閉じると、霧が深い静かな谷にいるようで、いつまでもやっ
ていたかった。人の声っておもしろい。
★とてもすがすがしく、ウソのような晴天がよかった。自分は発声はほとんどスタジオの狭い空間のなかでしか
やらないので、自然のなかで声を出すのはすごく大きくイメージが創れると思った。
★先生が声を出すと、きちんとどこからかはね返ってくるのに、私の声はポトポト落ちて消えてしまった。自然
のなかで私は、自分がちっぽけなんだととても感じた。自然のなかで自然と一緒に歌えるようになりたい。
★朝の体操は気持ちがいい。福島先生の貸してくれた鐘の音が忘れられない。
★芝生の上に寝ころがって太陽を浴びることができたのが、一番、ぜいたくな時間に感じた。自分のことを虫が
たくさん近寄ってくる「よい女」だと思って、ちょっと自信がついた。
★小さな鐘は、音も形もとてもすてきでした。音に集中しやすかった。
★外でやるのがよかった。一面、青空だったから気分も開放された。
★2日目の朝、息のウォーミングアップの後、ファルセットで鳥のように歌ったのは、大変、気持ちよかった。
★本当に空気が澄んでいて、気持ちがよかった。空気を思い切り吸い込んで、体をリラックスさせながらウォー
ミングアップができた。30 秒間の発声が、まだ苦しい。
★小鳥が鳴いて緑にあふれ、チリンチリン。
★体操をしながらの発声練習。鳥の声をまねしたり、いろいろな声を聴いて発声しました。
9.各班トレーニング1
★前夜からの話し合いが続き、
やはりみんな少しでも煮つめて表現したいんだという気持ちがビシビシ伝わった。
この時点で、のどがやられてしまった。
10.エチュード スクーリグ(各班コンセプトづくり)
★前の日の夜に、前もって話し合いをしていたのだけれど、話せば話すほど、この課題がどんなに大きく深いも
のかわかったし、他の人のいろいろな考えを聞けて勉強になった。私のなかに詰まっていたはずのものがスカス
カだと感じた。
★まず、
このエチュード自体に抵抗をもっている人が、
このエチュードへの意義を見つけることが先決となった。
そうしているうちに、自分でも新たにこのエチュードの意味が見えてきた。
★今にして思えば、ムダな時間を過ごしてしまった。うわべだけをとってつけたようにして話し合っていた。も
っと深くエグったように話すべきだった。
11.特別上映(カンツォーネ他)
★声もパワーも表情も空気も、普段とは全く違っていた。何もなくても、その人がやるだけで、その場所がステ
ージになってしまう。私は同じことをできるだろうか? 力をもっとつけなければいけないと思う。
★発声練習ではなくて、ちゃんとした歌を聞いたのは久しぶりで、ウキウキしながら聴いてしまいました。先生
もすごく楽しそうな、よい顔をしていました。
★ハリがあって、とてもいい声だと思った。体全部を共鳴させているのがよくわかる。
12.エチュード スクーリング発表会(1人 10 題)
★短いことばに集約されたそれぞれの思いが本当にさまざまで、みんなの生きてきた道みたいなものを一瞬、垣
間見たような気がした。発表が進むにつれ、自分を伝えよう表現しようとする姿勢がピリピリと感じられた。
★皆のしゃべりのなかにいいもの、光るコトバがいくつもあった。同じようなことを考えている人もいておもし
ろかった。皆、自分をさらけ出せたと思う。自分に関しては暗から明への気持ちの切替えができず、重いまま終
わって悔しかった。
★自分はもう全く話にならなかった。煮つめてない。入りきれるハズがない。一つだけ「絶望のエチュード」の
出だしだけ入れたが、維持できなかった。オレは何しに来てんだ?
★今まで心の奥底にあって目をそむけていたものに触れることができた。何かが音をたてて“パリン”と割れて、
気がついたら涙が出ていた。本当に自分に素直になれたときだと思う。
★封印していたことを自分の手でつかみ出して、それを口からことばにして吐き出す作業。とってもハードな経
験でしたが、久しぶりに泣きました。何だか安心できた一瞬でした。
★人によって、自分の感情を表わすことばがさまざまで、おもしろかった。その感情と直接、関係のないことば
でも、たった一言でも、その人だからこそ強烈に伝えられることってあるんだなと思った。
★このメニュが自分にとっては最も「一瞬」=「永遠」を考えさせられた。皆で回したからこそ限られたときに
一瞬にして場をつくれたら……!と思った。
★深い息でことばを発しようとすると、自分自身に嘘はつけないし、自分でしっかりと消化していることばしか
言い切れないということを感じました。普段から強く心に思っていることは、スムーズにことばになる。書きこ
とばと話しことばは違う。書きことばは頭で考えたことば、話しことばは自分の身についたことば。
★飾り、ごまかしのきかない場だった。歌は、形だけでごまかすこともできる。全くごまかしがきかなくて、き
つかった。自分の嘘がみえてしまう。自分の弱点をさらされたような気がした。
★これが自分のなかで開眼したところだ。一瞬をつかむというテーマに、はじめて近づくことができた。
★最初に福島先生に喝を入れられ、皆の気持ちがぐっと引き締まった。一つのテーマに関して自分のことばで端
的に伝えられるというのは、とても難しいことだと感じた。
13.各班トレーニング2
★場の使い方、モノトーク後のエチュードに焦点を絞って練習した。やさしさのエチュードは、本当にうまくで
きない。入り込めない。どうしたらいいのか……とネックだった。前半のエチュードは個を中心とした閉ざされ
た世界の表現に対して、後半はオープンで人と分かち合うことの難しさをいかに日常、そういうことができてい
ないかをまざまざと感じた。やさしさのエチュードは、発表している私たちだけでなく、観ていてくれる人たち
をも含めて、その空間を創り出したいということで、誰かが軽井沢中……宇宙中をイメージしようと言い、その
やさしさの空間を創ろうということになった。その一言がヒントになって、エチュード全体の流れがピタッとお
さまったような感じだった。
★みんな、前日とはすごく変わっていた。特に喜びのエチュード。壁を破れ!! きれろ!! そのことばとみんな闘
っていた。
★このときは、自分はなかに入らないで見ていた。自分たちがやっていることがどういうふうにやっているか、
客観的に見れてよかったと思った。
★最後のトレーニング。前夜、話し合ったことなどを頭においてやった。手のひらに空間を感じること。この空
間に宇宙全体を感じること。
★ピアノ伴奏でのトレーニング。毎回、私も手を抜かずに全力で表現したと思います。流れとして、表現方法に
ついての稚拙でしょうか。喜び、憎しみ、恐れ、いろいろな声の可能性を今、私も追求したいと思いました。
★皆のテンションが高まっていて、誰かが何かを発するたびに、それはさらに深まっていく。変な気負いもなく、
軽井沢の空気に溶け込むような、それでいてここだけ別の光を放っているような感じだった。
14.発表会(A、B、C班)
★個人的には喜びのエチュードが表現できずウソをついてしまった。ノートでもっと踏み込んでおかなくてはい
けなかった。でも、まわりの人の声や風の涼しさ、取りの声がいつもより感じられた。声をのせることも気持ち
よいと思った。C班の希望のエチュードがとても気持ちがよく、思わず一緒に声を出してしまった。
★A班の発表をみて刺激をうけ、
「これは全力を出さないと太刀打ちできない」と感じた。わが班もベストのもの
が創れたと思う。A班の天のエチュードをみて涙が出た。地獄と天国がこんなに象徴的に創れるなんて驚いた。
これを歌でやるんだなぁと思うのだった。
★どの班も喜び、希望のエチュードのツメがあまかった。C班も練習したときよりうまくいかない。私の順番は
すべて最後(モノトークなど)だったので、次のエチュードにうつるとき大変だった。しかし、自分の気持ちに
忠実になりつつ、他の人に助けをかりた。
★B班の誕生のエチュードが、すごく赤ちゃんのようだった。自分が当事者だったからかもしれないが、C班の
モノトークが一番テンションが高かったと思う。何だか戦場で死体がゴロゴロしている荒野のなかから、自分の
力で立ち上がるような意志を感じた。
★一番、印象に残っているのはC班の憎しみ。一人の人をとことん追いかけ、どついているあの場面は、迫力が
あった。
★最後の優しさと希望のところの班のメンバー全員の笑顔がすてきで、自分もしぜんに目を見てほほえめたのが
よかったと思う。
★内容も大切だけど時間の感覚をどこかで捉えた上で、感情、感性のラインを保つことの重要性を感じた。おそ
らくこのエチュードをたった独りでやっても「もつ」ことが、芸人なのかもしれない。
★喜びのエチュードで、午前中の練習のときよりもプラスの方向に昇っていかなくて焦ってしまった。深く沈ん
だ底から、プラスにもっていくためには、もっと大きなエネルギーが必要だと思った。喜びのエチュードで昇り
きれないと、やさしい声を出せないと感じた。自分が喜んで幸せでいなければ、他人に対してやさしくなれない
ということだと思う。
★どん底から上昇する矢印が見えてこなかった。だけど人間が見えた。悲しみを引きずったまま再生した人もい
たけど、自分をさらけ出したことで、後の天の声のエネルギーを吸い取りやすくなったように思う。
★昨年とはまた違うトレーニングだった。よいところも悪いところもあったが、私はある意味で壁を破れなかっ
た。それでも感じたし、胸にくるものはあった。
★できあがったものをみると、各班、それぞれ個性的なことに驚きました。またそれぞれに感動もしました。大
きな大きな情熱と思いと感情のうねりと密度の高い発表会でした。
15.全メニュ解説(星の王子様ほか)
〈福島〉
★資料としてもらった“星の王子様”は、一応は読んでみたものの、ただそれだけだった。テーマだということ
で、その解説を聞いて、そんなふうにつながっていたんだと改めて知る思いだった。結果でなく、プロセスが大
切。すべての手続き(プロセス)を楽しめるようにとの先生のことばが胸に残った。私のなかに歌いたい気持ち
が生まれ、今それに対していろいろな思いがでてきた。今回のエチュードのように手続き(プロセス)をふんで
“歌う”ことを育てていけたらと思う。
★海水から雲に引き上げられるときが始まった? 全力を尽くせばあとは自動的に成る気がした。
これからが勝負、
やっとスタートラインに立った? きまりを守ること。水をやらないとバラは枯れる。目でみない、心で見る、現
実よりも感じることの方が正しい。
★「星の王子様」で先生が伝えたいと思っていることはわかっていたつもりだった。あの物語のなかに、とても
シンプルで根源的なものがあるのでおどろいた。私が思っていたより、ずっと深かった。
★おもしろかった。本当に何か一つを得るためには、何が必要か。そして一番、心に残ったことばは、
「プロセス
を楽しめるか」ということ。自分はどうだろうか。
★今まで、私は与えられたものしかやっていなかった。与えられるのを待っていた。でもそれではいつまでたっ
ても何も得ることができない。自分でつかみにいかなければ、何にもならないと思った。私は、私のなかのお花
に暇をどれだけつぶしてきただろう? まだまだそんなに暇つぶししてないと思う。
虫がつけば他の花へとあちこ
ち歩きまわって、ダメにしてしまっていたんだと、話を聞いていて気づきました。一つの花、たった一つを大切
に育てていこうと思いました。
★「ステージ以前に戦いは終わっている」ということば、モノトークで実感した。
「肝心なことは目に見えない」
と「手続きが必要だ」という話も、なるほどと思えるできごとが今回のワークショップでいくつかあったので、
心の整理をするのにタイムリーでした。
★“星の王子様”
。今までは人との関係への教訓として思い返していたけれど、歌とのつきあいにおきかえること
ができるんだ。一生のうちで大切な何かを自分の手にするとは、それが人であろうと他のことであろうと、辛抱
と広い心が必要なんだと思った。
★星の王子様は、子供の頃に読みかけたが、読み出すと、思っていたようなメルヘンな内容ではなく、意味がわ
からない世界や言い回しに退屈して途中で読むのをやめてしまった覚えがある。今読む方が、ずっとわかりやす
そうだ。そういう意味では深くておもしろい。
★プロセスがあって結果がある。人は目に見える結果に感動するが、それはそこまでに達するための目に見えな
い“暇つぶし”があればこそということ。お金で「すばらしい声」が簡単に手に入ったとして、その声であなた
は人を感動させることができますか? と言われたときに、全くその通りだと思った。
★この話は知っていたけど、この部分がこんな解釈もできるのかと読み方の違いを感じた。一つのことから 100
学べるのと、10 ぐらいしか学べないのと器の違いを感じた。
「手続き」を踏むことを選ぶこと自体、新しいこと
なのかもしれない。
★「星の王子様」の話がおもしろかったです。この話には、実生活に応用できる知恵が詰まっているように感じ
ました。先生の解説の密度が濃くて、どれくらい吸収できたのかと思いますが、このメニュが今の私たちにぎり
ぎりの線だということはわかるような気がします。また、ことばに思いが入っていればいるほど、声は深くなる
ということも確信がもてました。自分の頭でわかっているつもりのものをもう一度、整理して自分の体で消化す
ると、うまく昇華していけるということも感じました。
「心で見る」
「プロセスを踏む」ということばがとても印
象に残りました。
★「暇をつぶす」ということばにドキッとしました。子供の頃は得意だったのに、今は暇などないと思い込んで
何でも早く片づけてしまおうとしている自分に気づきました。あと「手続きを踏む」というのは新鮮なことばで
した。焦るのは、手続きの存在を忘れているとき。誰よりも辛抱強く手続きを踏んでやろうじゃないの、という
気になりました。
★何をするにも半端で終わらしたら意味がない、とことんやってみて、そこから何かをつかみとることが大切。
自分に合ったことをやっているかやろうとしているか。そのまえに本当の自分を知っているか、本当の自分にな
っているか。自分に嘘をついていないか。見つめ直さなければ、次が踏み出せないと思った。
★暇つぶし。結局、本物へと近づくためには、徹底的に暇をつぶすしかないということ。
★手続きを踏むこと。ギリギリでやること。見つめること。続けること。
★「手続き」の大切さ、プロセスを愛しむこと、その他いっぱいいっぱい印象的なすばらしいお話と解説でした。
そして、書くことの大切さ。本当にそうなんですよね。でもなかなかできない……。
★「星の王子様」の話が、心のなかにスーッと入ってきた。発表が終わった後で、余計なものが排出された分、
すんなりと新しいものが入ってくる、そんな感じだった。
16.フィナーレ(天の声)
★声を出しながら、参加した一人ひとりとあいさつを交わしたり労をねぎらったり笑ったり泣いたりと、お互い
にその声が揺らぐのを感じた。のどがつぶれてしまって思うように声が出なかった。出したいと思う声と出てく
る声のギャップがあまりにすごくて、天の声のハーモニーにうまく加われなかった気がする。もちろん気持ちは
あったけど、
気持ちさえあればOKというわけにはいかないなと痛感!! 気持ち
(心)
と声が一つにならないのが、
自分自身、とてもはがゆかった。
★抱きたい、抱かれたいといった不思議な気分だった。みんなやさしい人たちだと思った。抱きまくってしまっ
た。ありがとう、ありがとうと思えた。こんな気分がいつでも出せれば、喜びの(幸せな)歌が歌えるのかもし
れない。
★アーティストとしてあるべき姿を見せてもらいました。何しろ先生と握手しただけで、皆、涙しちゃうんです
から。先生のカリスマ性はすごい! アーティストたるもの、そうありたい。きっとふだん、皆に与えているもの
がとてつもなく大きいからでしょう。
★皆と握手したりしてまわっているとき、ある女の子が瞳に涙をためて私の顔を見たとき、それがあまりにも純
粋だったので、私は泣いてしまった。とてもしぜんに彼女と抱き合った。
★今、このときこそ希望のエチュードでは? と思うほど、みんなの声から想いが伝わった。キレイだった。マジ
でゾクッときた。
★今になって、喜びや希望の感情が溢れ出てきた。人とこんなに素直に強く抱き合ったのは、生まれて初めてだ
った。自分を受け止めてくれたことが、とても嬉しかった。ひとりじゃないんだと思った。
★自分の声は恥ずかしながら低い音しか出ず、天の声になっていなかった。一人ひとり顔を合せてみて、すっと
溶け合える人、構えてるなと思う人、何だか頼られてる気がする人 e.t.c...声には出さないけど、伝わってくる
ものがあってちょっとつらかった。もっと「やさしさ」の研究をしようと思った。
★とても不思議な気持ちになった。みんなの気持ちも一つになって、こぼれなかった涙が、しぜんにこぼれてい
た。
★とても涙もろくなっている自分に驚く。
皆の前をくるりと回ったときは、
本当に感謝の気持ちで一杯になった。
声がかれてしまった。
★これを毎日やっていくと、何かすごいことが自分の周りで起きるのかもしれない。自分がどう変わるかより、
現実社会を違った目で違った感覚器で捉えることができる日がくるかも。
「地の声」から「天の声」で生きて、周
囲へ働きかける人になりたい。地の声の後の「再生」と、最初の「誕生」との違いに、何かすごいヒントがつま
っている気がした。
本当にピュアなことは、すべてを知った上での「再生」なのだろう。現実社会に傷つけられ、悲観しているの
は、単に無知の単純さを守りたい甘えなのだろうと思う。現実社会で起きることは(アーティストとして生活の
糧を得られないことも含めて)
「再生→天の声」へステップする必要不可欠なことでもあるのかもしれない。しか
し、やはりその前に、谷底まで地の声で叫び、泣き、絶望する激しさを体に埋め込む「手続き」をまず踏んでお
かねばならないのは、言うまでもない。そこからどう「プラスへ転化」させ、違うステージを創れるようにする
かが、命綱となる。結局、2年もかけてわかったことは、まだたったこれだけで、入口への階段が見えただけな
んだ。声が体がとばかり言っていたとき、こんなことはちっともわからなかったのが、オカシイ。これが「手続
き」なのかなあ。
★昨年の天の声がすごく印象に残っていて心地よかったので、今年もそれを期待していました。しかし、今年は
その予感に反して、全く違った意味ですばらしいフィナーレだったと思います。この場の感触を忘れないように
したいです。
★すごくはち切れていたけど、頭のなかはすごく冷静だった。あー終わったんだなーと思ったことをよく覚えて
いる。
★軽井沢の風や鳥の声や太陽の光と一体になっている感覚が、
わずかだけれど感じられたのは嬉しかった。
ただ、
私の発する声はまだ天の声ではなく、そう感じている自分もあの場にいて、解放しきれなかったのだと思うと悲
しかった。
★あんなにたくさんの人と笑顔を交わし合ったのは、とても貴重なことだった。あのメンバーが3日間、ともに
ときを過ごしたことも一度きりのことだ。それがさみしくてうれしい。でもこのときは幻ではなくて、いつでも
思い出したいときに思い出せるはずだ。
◇全体のメニュ構成について
★3日間であそこまでいけるとは想像を超えていた。本当にジェットコースターだ。ほんとに昇華した。
★かなり厳しいメニュだが、必要なことはかりで勉強になる。回を重ねるごとに自分のなかでもっともっと凝縮
できるようにしていきたい。
★気持ちの“根”の部分は柔らかくリラックスできたと思う。特に小さい楽器を使ったメニュでは、心身がほぐ
れて空気の流れや息の流れをしぜんに感じられた。この“エチュード”のメニュは、モノトークに入ったりする
のも流れのなかでしぜんにできるので、いろんな条件の人がランダムに集まって短時間でするには、入りやすい
メニュだと思います。ただ全体として、まとめるときに苦労します。
★エチュードを主体にした密度の濃い内容だと思いました。外でのんびりできる時間を作ってもらったことが、
とてもよかったです。
★今年は、かなり余裕のあるメニュ構成となって、その分、一つひとつのメニュにじっくりと取り組むことがで
きた。少しずつでもよいからハードなメニュにも取り組んでみたいとも思った。
◇印象に残ったメニュと感想
★星は光りぬと Live and forever とピアフのを聞いたとき、
グサッときた。
突然訪れる死を悔やまないためにも、
瞬間を大切に生きたいと思った。
★「星の王子様」……謎解きのようでした。同じことを考えて生きている人たちがいるなんて。私は間違ってな
かったんだー! すごいショッキングでした。一種のソウルメイト状態? 妙な人生だったけど、生きててよかっ
たー。
★エチュード スクーリング。直接の叫びで、班や参加者全員の声が聞けたのでよかった。本当にいろいろな声
があった。
★エチュード スクーリング……一番、自分をストレートに受け止め、ストレートに出せたときだと思う。これ
をやったことによって随分、自分と向き合うことがしぜんにできるようになった。
★エチュード スクーリング発表会。モノトークよりきつかったです。10 題のうち、心と体と声が一致したのは
ほんの一言二言だったが、うその判断が自分でできるようになった。
★星の王子様の解説。一言一言が簡単なようで、とても深い意味があること。自分に照らし合せることができ、
勉強になった。
★星の王子様のお話が印象に残りました。今まで、自分が見落としていたことがあまりにも多かったことか!
★「星は光りぬ」を聴いて胸にせまった。自分が死ぬ前の瞬間と、生きている間にもつ夢のような瞬間について
想像してみた。その胸に迫る感じは、その後のメニュでも甦ってきた。今でも甦ってくる。
★エチュード、トレーニング(リハーサル)でも本番でも、皆、一人ひとりの「自分というもの」に接すること
ができて、それはいろいろな意味で勉強になった。
★エチュードのスクーリング
(班でのコンセプト作り)
……一つの項目ずつに関して班の全員が話していくのは、
一見ムダのようにも思えたが、一言から拡がっていって興味深い話が聞けたり、自分では思いもつかなかったイ
メージを聞いたり、そうやっていくうちに班としての一つの共通のものが意図してではなく、できた気がする。
密度の濃い時間だった。
◇気づいたこと、学んだこと
★人と手を取り合うこと、一つになることの大切さを学んだ。それが今回、一番大きな収穫です。
★自分の過去をどのように消化するのか(たとえば歌ったりエチュードにしたり叫んだり)について悩んでいた
ことが吹っ切れた。
★本当に歌うには、本気で歌わないと伝わらないということ、飾らず本心で歌わないとウソになってしまうとい
うことがよくわかった。
★表現者としては、
空間に対する感覚がとても大切であるということ。
今まで意識をしたことが全くなかったが、
その場の空気を自分の存在によって変えていくには、とても重要であるし身につけていくのはとても難しいと思
う。生まれながらにしてもっている人にはかなわないのではないのか? しかし、生まれながらとは?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
Q なぜ今回は、一人ひとりと握手したの?
Ei ○○くんが一人ひとり抱きしめていたからさ。
Q どうして……?
Ei 夏が過ぎてゆくからさ
Q 寒くなるの?
Ei 心があつくなければね。
Q 今月のレポートは“熱い”ね
Ei 厚いよ
Q 子供の心をもった大人でなくてはいけないのに、
いつもは大人の心をもった子供ばかりなんだね
Ei ・・・・・・・・。
Q でも読んだら焚きつけられて、
また熱くなるんじゃない?
Ei ・・・・・・・・。いつも芯から燃えてなくちゃ
Q クールね
Ei 熱いからね
Q がんばりましょう、ね
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