宇野亞喜良 光を当て、輝かせること

─旅を読む 第
Interview of Gold Fishes
宇野亞喜良
は文学金魚で演劇評を連載中の星隆弘氏にも加わっていただいた。
回
(前編)
文学金魚編集部
ストレーションはもちろん、舞台人との交流についてもお聞きした。なおインタビューに
宇野氏はまた寺山修司作品を始めとする舞台美術も数多く手がけておられる。今回はイラ
ことのある作品であり、戦後のイラストレーションを界を牽引し続けてきた画家である。
も及ぶ。半世紀以上のお仕事の中で作風は様々に変わっているが、誰もが一度は目にした
誌の表紙・挿絵はもちろん、その範囲は各種パッケージデザインやポスター、絵本などに
宇野亞喜良氏は二十代から一貫してイラストレーターとして活躍してこられた。書籍や雑
光を当て、輝かせること
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1
の色ま で 指 定 さ れ ま す
よね。
劇 団 新 宿 梁 山 泊 公 演『 星 の 王 子 様 』 の ポ ス タ ー に つ い て
説明される宇野氏
画像をスキャナーで取り込んでいます。文字やイラストの背景は白なの
で、バックの色はコンピュータ上で追加しています。宇野さんはバック
かです( iPad
で文学金魚をお見せする)
。
文学金魚のロゴやイラストなんかは、コンピュータ上で色指定するんで
すか。
なれば全コンテンツを読めるわけですが、迷路的になってしまうのも確
そうですね。文学金魚でもコンテンツは基本的に削らないでアップし続
けています。それにはメリット、ディメリットがありますね。その気に
に入り込んでしまうような気がして(笑)
。
ネットはいろんなところに情報が分散しているでしょう。なんだか路地
みたいところというか、興味のあるところだけ見ればいいわけですが、
ネットはやらないというか、よくわからないもので。パソコンをやり出
すときっと面白くなるとは思うんですが、面倒なんですよね。紙だと読
文学金魚はインターネット上の文芸誌なんですが、宇野さんはネットは
あまりおやりになりませんか。
■イラストレーションと演劇について■
金魚屋
宇野
金魚屋
宇野
金魚屋
宇野
僕は実際に背景に色
を付けることが多い
ん で す が、 付 け な い
場 合 は 色 指 定 し ま す。
これは劇団新宿梁山
泊 の『 星 の 王 子 さ ま 』
きむすじん
(作・寺山修司、演出・
金 守 珍、 構 成・ 美 術・
宇野亞 喜 良 ) の ポ ス タ
ーなん で す 。 原 画 の 上
にトレ ー シ ン グ ペ ー パ
ーをか け て 、 赤 が 何 パ
ーセン ト 、 黄 色 が 何 パ
2
金魚屋
宇野
ーセントとか指定するんです。
宇野さんのイラストは、白い部分が白という色に見えます。それはプロ
だなぁと思います。宇野さんは映画と演劇がかなりお好きですね。
好きですね。でも最近は責任ある批評を依頼されることも多いんですが、
映画でも演劇でも、途中で眠っちゃったりしてね(笑)
。
金魚屋 演劇好きは、子供の頃に宝塚をご覧になって以来ですか。
。演
子供の頃は寝るってことはなくて、ちゃんと見てましたけど(笑)
宇野
劇は好きだったんでしょうね。僕は名古屋生まれなんですが、戦後名古
屋に御園座という、東京で言うと歌舞伎座のような劇場ができたんです。
そういう戦後の復興期に演劇を見ていました。当時は左翼系の演劇人が
多くて、舞台が終わると役者が出てきてアジテーションを喋ったりとか、
スクラムを組んでロシア民謡を歌ったりしていました。
金魚屋 新劇の人たちは、なぜか左翼系だったですね。
宇野
文学座だけが岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄という日本の作家が三
人寄って結成された劇団ですから、左系ではなかったですけどね。宝塚
ももちろん違いますが(笑)
。劇団青俳の、岡田英次さん主演でフラン
スのマルセル・パニョル原作作品でしたが、劇が終わってから芝居には
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出ていなかった木村功さんが登場してきて、やっぱり花道で一席ぶって
帰っていったことがありました。その後の木村功からは想像できません
が、初期は左翼青年だったんですね。劇団青俳だけじゃなく、前進座な
んかも左系の感じでした。
金魚屋 当時の宝塚は何を上演していましたか。
宇野
よく覚えていませんが、宝塚には、それまで見ていた新劇なんかとはま
るっきり違う熱気がありました。劇の後半になると、観客がみんな立ち
上がっちゃったりしてね。僕は宝塚を見た後、気持ち悪くなって三日間
寝込んじゃいました(笑)
。当時は宝塚はダメでしたねぇ。
金魚屋 劇とレビューの組み合わせというのは今と同じですよね。
そうです。母親が演劇とか舞台が好きでしてね。母親に連れられて、妹
宇野
と一緒に宝塚だけじゃなく、松竹新喜劇や漫才なんかも見に行っていま
し た。 劇 団 民 藝 が 戦 後 に 最 初 に や っ た 舞 台 だ と 思 い ま す が、
『その妹』
っていう劇があるんです。それも見ています。だから歌舞伎から文楽ま
で、今考えるとちょっと不思議ですが、いろんな舞台を見ていたんです。
金魚屋 宇野さんは演劇好きですが、お仕事はイラストレーター一筋ですね。
宇野
そうなんですが、舞台の仕事をする時も、これも一種のイラストレーシ
ョンだなという感覚があります。
つまり普通のイラストレーションだと、
それを発表・掲載する出版なり映像なりのメディアがあるわけです。そ
こでは予算なんかも含めて、限られた条件の中でイラストレーションを
作っていきます。それは演劇も同じですね。劇を見る人たちを考えなが
ら背景の絵を描いたり、ポスターをデザインしたりするわけです。制約
がある中で対象に光を当ててゆくというのは、イラストレーションも演
劇も似たようなところがあります。
ておら れ ま す ね 。
あの舞台はポスターやチラシはもちろん、舞台美術も宇野さんが手がけ
先日、新宿梁山泊の舞台『ハムレット』を拝見させていただきました。
■新宿梁山泊に つ い て ■
星 宇野
『ハムレット』では、その前の前の舞台で使った人形たちを使いました。
普通は旅芸人の一座が父親殺しのシーンをやるわけですが、それを人形
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星
宇野
星
宇野
星
宇野
星
宇野
でやっ た ん で す 。
江戸糸あやつり人形座ではないですよね。
違います。結城座は独特の糸の吊り方をするんです。江戸糸あやつりで
すね。『ハムレット』に出た人形たちは、出使いと言って、手で直接人
形を持って操るんです。
あの演出はすごく劇的でした。
以前やった芝居は中国の話だったんです。その時の中国の王様が、その
まんま今回も出ています。
旅芸人の一座が和風だったのは、そのせいなんですね。
そうなんです。シェイクスピアのオリジナルでは、北欧かどこかの事件
を舞台にしているわけだから、中国風じゃまずいわけですが、アジアの
劇団一座を呼んだという演出にしたんですね。
舞台美術は集団制作になると思いますが、どのような手順を踏まれるん
ですか 。
実にプリミティブですね。イラストレーションは絵をどう配置して、ロ
ゴをどこに置くかと
か、あ る 生 理 に 基 づ い
てやる わ け で す が 、 舞
台装置 は ち ょ っ と 違 い
ます。 お 金 が あ る 劇 団
だと、 こ ち ら が 描 い た
絵を渡 す と 東 宝 舞 台 と
か、プ ロ の 職 人 さ ん た
ちが作 っ て く れ る わ け
だけど 、 こ の 前 見 て い
ただい た 新 宿 梁 山 泊 な
どは、 劇 団 の 男 の 子 た
ちが金 槌 と ノ コ ギ リ を
使って 舞 台 装 置 を 作 り
ます。そこに僕が絵を 劇団新宿梁山泊公演『ハムレット』ポスター
描 い て ゆ く ん で す が、 イラストと題字 宇野亞喜良
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星
宇野
星
宇野
星
宇野
星
宇野
星 隣で役者たちが稽古しているんです。そちらの方にはライトが当たって
いるんだけど、描いてる僕の方には理想的な光が来ないんです。だから
薄暗い中で、風になびいているカーテンとか石垣とかを、ベニヤ板にダ
イレクトに描いてます。看板屋さんに近い仕事ですね(笑)
。体力がい
ります 。
梁山泊さんのブログに、舞台美術制作中の先生の写真が掲載されていま
した。こういうふうにお作りになるんだなぁと思いました。
。
贅沢な劇団ではないですから、そうせざるを得ないんです(笑)
客席の右側に、フクロウの顔をしたモナリザがありましたね。
よくモナリザだってわかりましたね。
最初はオフィーリアかなと思ったんです。でも調べてみると、あれは二
年くらい前に梁山泊さんが上演した『少女仮面』
(唐十郎作)で使用さ
れてい ま し た 。
そうです。ああいう死を覗かせるような風景は、シェイクスピアの中に
も、唐さんの中にもありますね。
役者があそこから出入りするわけですが、その時ライトが当たってドク
劇団新宿梁山泊公演『ハムレット』舞台美術制作中の宇野
ロが浮かび上がるようになっていて、とても効果的でした。ハムレット
が墓を 掘 る シ ー ン で も
ドクロ が 登 場 し ま す か
ら、イ メ ー ジ が 統 一 さ
れてい ま し た ね 。
新宿梁 山 泊 は 、 骸 骨 が
出てく る 芝 居 が 四 つ か
五つあ る ん で す 。 梁 山
泊はよ く ご 覧 い た だ い
ている ん で す か 。
実は『 ハ ム レ ッ ト 』 が
初めて で す 。 で も 宇 野
さんの イ ラ ス ト は 、 劇
場でも ら う チ ラ シ な ど
でしょっちゅう拝見し 氏(新宿梁山泊HPより転載)
6
ていま す 。
すね。
宇野
やっぱりチラシは大事なんですね。宣伝効果を果たしているわけだ。
次にどの舞台を見ようかと考えるとき、やっぱり一番先にチラシを見ま
星 宇野
後になって、この舞台の内容に、こういうイラストレーションは合って
なかったなって思うこともあるんですが、もう刷って撒いちゃってます
からね。僕たちの仕事っていうのは週刊誌的で、一週間で記憶から消え
てゆくだろうから、そんなに責任感がないというか、適当なやり方で描
いている部分もあります(笑)
。
チラシのイラストレーションをお描きになる時は、実際に戯曲の台本な
■舞台美術につ い て ■
星 んかをお読みになるんですか。
7
宇野
読みます。これは今年東京芸術劇場で上演した『新宿版千夜一夜物語』
のポスターです。寺山修司さんが一九六八年に書いた芝居なんですが、
寺山さんからこの芝居のポスターを頼まれた時にはまだ戯曲台本ができ
て い な か っ た ん で、 絵 を 先 に 描 く こ と に な っ た ん で す。 で、 裸 の 女 性
が自分のおっぱいを絞って母乳をカップに入れている絵を描いたんです
Project Nyx(プロジェクト・ニクス)公演
『新宿版千夜一夜物語ハムレット』ポスター
イラスト 宇野亞喜良
星
宇野
星
宇野
金魚屋
が、それを寺山さんがおもしろがりましてね。技術の人と相談して、実
際に乳房から母乳が出るようなキャラクターを芝居の中に入れたんで
す。だから厳密に劇の内容とポスターのモチーフがつながっていない場
合もあります。また台本はちゃんと読んだんだけど、自分のイメージに
近づけるために、わざと誤読する、間違った解釈をすることもあります。
一度そういう誤読をすると、なんとなく劇が自分の物になったような感
覚があって面白いんです。また演劇では、そういった誤読が許されるよ
うなところがあります。極端なことを言うと、役者なんかは、お客さん
の質とか雰囲気によって、微妙に毎日演技を変えたりすることがあるわ
けです。だから僕がヘアーとかメイクまで美術担当する時は、役者さん
に毎日変えてもいいよって言うんです。今日はこういう感覚でやりたい
と思ったら、青白い男が浅黒い男に変わってもかまわないんです。
役者さんのメイクも担当なさるんですか。
ここがポイントだなという役者さんは僕がメイクします。梁山泊の『ハ
ムレット』ではハムレットやオフィーリア、それにオフィーリアの父親
のポローニアスなんかを僕がメイクしました。ポローニアスは髷が結え
るくらい髪の毛が長い役者さんだったので、僕がハサミでジョキジョキ
短く切っちゃって、通いのデザイナーに、リーゼントにしておいてくれ
って頼みました。舞台芸術の仕事をすると、そういった造形ができるん
です。
シェイクスピアの戯曲を読んでいると、ポローニアスは頑固親父のイメ
ージなんですが、梁山泊さんの『ハムレット』ではリーゼントのせいか、
すごくおちゃめな人という感じになっていましたね。
息子をパリに行かせるときに、いろいろ哲学というか訓戒を垂れるわけ
ですが、「着る物にはいくらお金をかけてもいい」と言ったりするわけ
です。僕はあの台詞で、きっとおしゃれな人なんだろうなと解釈してあ
あいうメイクにしたんです。でもポローニアスは大臣ですから、シェイ
クスピアの中にもきっとそういう感覚があったんじゃないかなぁ。台本
だけじゃなく、メイクでも役者たちがいろんなところに迷い込んで、考
えてくれれば、劇がより面白くなるんじゃないかと思っています。
宇野さんは、集団の中で物を作ってゆかれるのがお好きなんでしょうか。
8
イラストレーションも演劇も、自分だけではなく他人がいるわけでしょ
う。
宇野
イラストレーションの仕事でも、このメディアはどういう人たちをター
ゲットにしているのかとかあまり考えなくって、担当の編集者がおもし
ろがってくれればいいと思っているところがあります(笑)
。ほかの人
と呼吸するようにつながっているところが面白い。演劇はもっとそうで
すね。実際に役者の顔を見ないと、デザインの感覚がつかめないような
ところがあります。演劇では人間をダイレクトに見てゆくおもしろさが
ありま す 。
金魚屋 他
人がどう思うか考えず、ただ好きな絵を描くというのが絵画のイメー
ジですが、それだけが絵ではないですね。
宇野
昔の画家たちは、今の僕たちの仕事に近いイラストレイティブな仕事を
していたんじゃないかと思います。宗教的な壁画を描いて、悪いことを
するとこういう地獄が待っているよと脅したり、神聖な気分を作ったり
していたわけでしょう。そういう依頼者のテーマを絵描きたちは描いて
いたところがあります。近代になってやっと、自我といいますか、自分
9
金魚屋
宇野
の考え、感覚や癖を出してゆく絵が発生したんじゃないでしょうか。イ
ラストレーターはむしろ、ラファエロとかダヴィンチ、ミケランジェロ
なんかの時代に近い仕事をしているのじゃないかなと思います。
オリジナリティの神話が、近代になって登場した新しい概念であるのは
確かで す ね 。
ゴッホやピカソなど、近代の絵描きだって、絵描きを職業にしている以
上、絵が同時代の人たちの共感を得て、同時代の魅力を伝えていないと
お金にならなかったりするわけです。イラストレーションはスポンサー
ドされてお金を得る仕事で、絵描きは絵自体の魅力でお金を得るわけで
すが、時代感覚をいかに獲得するかという意味では同じようなところが
あると思います。ただイラストレーションは自分一人で哲学を発酵させ
て絵画にするということではなくて、人間関係の中から絵が出てくるの
で、ちょっと無責任な職業なのかもしれません(笑)
。極端に言うと僕
自身はなんにも考えていなくって、人と会った時に絵が発生するような
ところがあります。そういう気楽なところがイラストレーションにはあ
りますね。でも僕が気楽にやってるだけなのかな。もっと厳粛に絵に向
き合っている人もいるかもしれませんが。
荒木さんが寺山さんのカメラの師匠みたいですね。確か荒木さんが天井
桟敷周辺を撮った写真集が一冊あるんじゃないかな。
寺山さんはカメラは荒木さんの弟子ということになっていますね。
野さんの前に荒木経惟さんにインタビューさせていただいたんですが、
川俊太郎さんは阿佐ヶ谷の河北病院で寺山さんの臨終を看取られた。宇
の同人でした。山田太一さんは早稲田大学時代の寺山さんの親友で、谷
寺山さんと高校時代からの友達で、寺山さん主宰の同人歌誌「牧羊神」
文学金魚はいろいろな方にインタビューさせていただいていますが、な
ぜか寺山修司さんのお話がよく出るんです。前衛俳人の安井浩司さんは
■舞台美術につ い て ■
金魚屋
宇野
金魚屋
あったような気がします。荒木さんの写真集は数が多くて、また後から
既刊写真集をバラバラにして再構成しちゃうから、ちょっと初版のタイ
トルはわかりませんが。
10
宇野
荒木さんの写真集は面白いですね。奥さんが亡くなった時の写真集で空
を写していますが、それがなんだか悲しそうに見えたりします。でもい
つの空かわかったもんじゃない(笑)
。そういう編集感覚というか、仕
立て方がうまいんですね。
金魚屋 宇野さんが舞台芸術をお仕事をされたのは、寺山さんが最初ですか。
宇野
資料が出てきたので『宇野亞喜良クロニクル』に収録しましたが、仕事
として最初にやったのは、藤城清治さんが主宰しておられた人形劇と影
絵の劇団「木馬座」の舞台美術なんです。一九六二年か三年に木馬座の
舞台装置をやっているんですね。木馬座は「ケロヨン」とかのテレビ番
組も作っていました。僕は人形劇は高校時代にやっていたことがあるん
ですよ。六〇年代に寺山さんと最初に仕事をしたのは、まだ天井桟敷が
ない時代に、人間座という劇団が寺山さんの戯曲を上演することになっ
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て、そのポスターを描きました。
金魚屋 寺山さんとはその頃からのお付き合いなんですね。
宇野
六〇年代に新書館という出版社が、
「フォアレディース」という女の子
向けのシリーズ本を出していたんです。そのシリーズで、僕は寺山さん
と初めて出会いました。僕は「フォアレディース」のアートディレクシ
ョンをやることになったんですが、寺山さんの小説がおもしろいってこ
とで、けっこうな数の少女たちのファンがついたんです。ファンレター
藤城清治主宰「木馬座」舞台美術ラフ画(一九六二年頃)
『宇野亞喜良クロニクル』(グラフィック社 二〇一四年
十一月二十五日刊)より
金魚屋
宇野
もいっぱいきていました。でも寺山さんは、自分の中には前衛性もある
のに、少女文学だけを書くのはどこか不満だったらしく、その後で天井
桟敷というアングラ演劇の劇団を作ることになったわけです。でも天井
桟敷の最初のポスターやチラシなんかの仕事は、僕には声がかからなく
って、横尾忠則とやったんです。僕を入れると少女っぽくなっちゃうん
で、寺山さんは横尾忠則の前衛性と組んだんだろうという、ひがみが僕
の方にはありましたけどね(笑)
。でも二、
三年経って、僕も寺山さんと
いっしょに仕事をするようになりました。
山田太一さんにお聞きしたんですが、山田さんと寺山さんは、学生時代、
まったくといっていいほど演劇には興味がなかったとおっしゃっていま
した。山田さんの方はそこそこ演劇をご覧になっていたようですが、寺
山さんは金がなかったから見てないんじゃないかなと言っておられた。
それがネフローゼで入院されて、十年くらいしたら天井桟敷を立ち上げ
て演劇人になっていたわけでしょう。いったい何があったんだろうなぁ
と興味をそそられるんですが、そのあたりを宇野さんはつぶさにご覧に
なって い ま す よ ね 。
実際に舞台は見ていなかったかもしれないけど、寺山さんは活字には強
い人だから、いろんなものを読んでいたんでしょうね。寺山さんの最初
の本は『われに五月を』ですが、そのブックカバーがずっと誰の作品か
『思い出さないで』
(寺山修司著 新書館
一九七一年刊)/『ふしあわせという名の猫』
(同
For Ladies
一九七〇年刊) イラストとブックデザイン 宇野亞喜良『宇野亞喜良クロニクル』より
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金魚屋
宇野
わからなかったんです。最近になって、野崎泉さん編の『鈴木悦郎 詩
と音楽の童画家』(河出書房新社)という本が出まして、それを見てい
たら『われに五月を』の表紙がありました。鈴木悦郎という人は、中原
淳一さんがやっていた少女雑誌「ひまわり」や「それいゆ」の表紙や目
次 の 絵 を 描 い て い た 人 で し て ね。 最 初 に 寺 山 さ ん に 会 っ た 時 に、 僕 は
「寺山さん、今、ピンクっていいですよね」と言ったら、
「ああ、桃色ね」
という答えが返ってきた。桃色というとどうもポルノチックで、女性の
ストリッパーの衣装なんかが思い浮かんでしまうでしょう(笑)
。僕は
おしゃれな感覚でピンクって言ったんですが、寺山さんには通じなかっ
たなぁと感じた思い出があります。だから寺山さんにはそういった可愛
い感覚が通じないんだろうなと思っていたら、鈴木悦郎を使って処女出
版のカバーを作っているわけですから、寺山さんは「ひまわり」や「そ
れいゆ」なんかを見てたんだなと気づきました。情報のつかまえ方は実
に素早い人だったから、演劇に関してもいろんなところから情報を仕入
れていたんでしょうね。
同人歌誌「牧羊神」はだいたい全部読みましたが、十八歳頃の寺山さん
は、日本中で一番優秀な文学青年だったんじゃないでしょうか。
そうでしょうね。当時、湘南の方の中学が校歌の歌詞を募集していて、
寺山さんはそれに応募したそうです。中原淳一さんの雑誌にも、公募の
文章を出したりしていたけど、落っこっていたらしいです。だから活字
文化に目覚めたのはそうとう早いですよ。それと早い時期に映画を見始
めていますね。天井桟敷という劇団名は、マルセル・カルネ監督の『天
井桟敷の人々』から取ったわけでしょう。あの映画の脚本は詩人のジャ
ック・プレヴェールですが、プレヴェールには『王と鳥』というアニメ
になった作品があります。その中に、王様がオルゴールをかけると、
「ロ
バと王様と私/明日はみんな死ぬ/ロバは飢えで/王様は鬱屈で/私は
恋で ・・・
/時は五月」っていう歌詞の歌が流れるんです。これはプレヴ
ェールの『おはなし』という詩の一部ですが、寺山さんはこの詩の「五
月」が好きだったんじゃないのかな。実際に青森に五月に行ってみると、
春らしい感じがぜんぜんしないんですね。だから寺山さんの『われに五
月を』の「五月」は、フランスの五月だったり、誰にでも通じる標準的
13
金魚屋
な五月がイメージされているんだろうと思います。寺山さんは戯曲で東
北をモチーフにして、地方色をおもしろがった時代があるような気がす
るけど、基本的には世界に通じるような標準言語を使っていたんだろう
と思い ま す 。
ただ寺山さんのマルチな才能は拡散して見えるところもあります。俳句
なら俳句一筋の作家から見ると、いいとこ取りの腰掛けのようで、批判
がある の も 確 か で す 。
でも寺山さんの人間性を悪く言う人はあまりいないでしょう。かわいげ
のある人でしたから。お母さんが生きているうちに作品の上では殺した
り、お父さんのことなんて考えてもいないのに、それをある日亡き父に
変えてみたりとか、人が読んだときにどちらが衝撃度が高いか考えて、
内容を変えてゆくといったジャーナリスティックな一面はありましたけ
どね。
『句画エッセイ集 奥の横道』とい
宇野さんは俳句も書いておられて、
う著書もありますが、句作を始めたのは寺山さんの影響ではないですよ
ね。
寺山さんとは関係ないです。
14
宇野
金魚屋
宇野
金魚屋 句会とかには参加されるんですか。
宇野
灘本唯人というイラストレーターがいて、その人が主宰する句会には何
度か参加したことがあります。
『句画エッセイ集 奥の横道』宇野亞喜良著
幻戯書房 二〇〇九年五月八日刊
金魚屋 宇野さんの場合、俳句もイラストレーション的なところがありますね。
宇野
絵を描いていて、その絵を俳句に置き換えるというか、絵を文章で表現
しているようなところがあるかもしれません。絵では表現しなかった、
脇に咲いてる花を俳句で表現したりとかね。俳句を書くと、そういった
ことができるので面白いんです。絵とイラストレーションで交感し合う
というか、照らし合うといった感じです。
■アングラ芸術 に つ い て ■
『毛皮のマリー』とか。
初期はかなり実験劇だったでしょう。
金魚屋 宇野さんは天井桟敷の初期はだいたいご覧になっていますか。
初期の方が見ています。
宇野
金魚屋
宇野
『毛皮のマリー』やこの前の『新宿版千夜一夜物語』なんかは、むしろ
風俗劇ですね。新宿に実際にあるお店の名前を使ったり、『毛皮のマリー』
は女装劇といって、ゲイバーのママさんたちをキャスティングしたりし
て。だからゲイバーのファンたちが客席を満員にしていました。その後、
『星の王子さま』という男装劇をやって、レズビアンバーのママたちも
俳優で使ったりしていたんです。ですからお客の入りを計算したんでし
ょうね。初期の方にはそういった風俗、通俗劇の要素があって、後半に
なるとちょっと観念劇っぽくなります。
天井桟敷組と状況劇場組という区分けですか。一応、寺山さんと唐さん
は、抗争しているということになっていましたよね(笑)。
金魚屋 唐十郎さんとはお仕事はされていませんか。
宇野
唐さんとは直接お仕事をしたことがないんです。新宿梁山泊のやる唐さ
んの戯曲の舞台美術は手がけていますが。
金魚屋
宇野
そうらしいですが、実際にはそんなことはないですよね。資料なんかを
見ていると、寺山さんのところに唐さんが行って、薫陶を受けたりした
ことも あ る よ う で す 。
金魚屋 寺山さんも唐さんも、土方巽さんのところにいた時期がありますね。
宇野
土方さんでつながっているんでしょうね。天井桟敷も、後半になると、
土方さんの暗黒舞踏的なものを取り入れていたように思います。土方さ
んがお亡くなりになって、慶応大学に資料が寄贈されて、慶応で研究会
15
があったときに僕も聞きに行ったことがあるんです。フィルムが上映さ
れて、その中に、カメラでバシャバシャ写真を撮っている人が写ってい
ました。上映が終わって、土方さんの奥さんの元藤燁子さんへの質疑応
答があったんですが、「公演中に写真を撮られるのは不愉快ではないん
ですか」という質問に対して、元藤さんは「土方は平気でしたよ。舞台
でオナラもしましたし」と答えておられました(笑)
。暗黒舞踏とは言
ってるけど、「桃色ダンス」という公演名もありますから、後の人は神
がかった厳粛なものだと思っているけど、
そんなことはなかったですね。
僕も初期の舞台を見ましたが、観客がカメラを向けると土方さんはポー
ズを取って、ずっと止まっていてくれるんです。シャッターが下りてか
ら 次 の 動 き が 始 ま る( 笑 )
。そういう撮られ好きだったりするところも
ありま し た 。
金魚屋 土方さんは抜群に写真写りが良かったですね。
客体としてどう写るか、ちゃんとわかっていたんでしょうね。
宇野
金魚屋
写真で見ると大きく見えます。
そんなに身体の大きな方ではないですが、
吉岡実さんなんかは、土方さんの舞踏について滑稽でグロテスクで猥雑
と書いておられます。そんなに神聖なものではなかった。大野一雄さん
の方が、ちょっと神々しかったかもしれません。あの方はキリスト教者
16
宇野
でもあ り ま し た か ら 。
「水ガメの中の水を鎌で斬りつけ
土方さんは東北の秋田出身でしょう。
て遊んだ」とか、不思議なイメージがありますね。お姉さんの着物を前
後ろ逆に着てみるとかね。今思い出しましたが、僕が寺山さんの舞台の
美術を初めてやったのは『アダムとイヴ』という芝居だったんです。そ
れは人間座という劇団が上演したんですが、その人間座で土方さんが出
演した芝居がありましてね。その時に瑳峨三智子という、山田五十鈴さ
んの娘が女優で出ていたんです。で、土方さんと瑳峨三智子が舞台に出
てくると、瑳峨さんの方が奇妙なんですね。土方さんは着物を前後ろに
着て、下駄を持って踊ったりして、奇妙さを人工的に作るんだけど、瑳
峨三智子って人は人工的じゃなくって変なんです(笑)
。お母さんの影
響なのか、着物もちゃんと着られるんだけど、だらしない着方をしてい
ました。奇妙な着物の着方で、映像としては瑳峨三智子さんの方が変に
見えてしまった。あの時は、ああ、土方さんの方が負けたなぁという印
象を持ちましたね。後のことですが、瑳峨三智子さんは九州の方のクラ
ブのママか何かになっていて、そこに推理作家でシャンソン歌手だった
戸川昌子さんがインタビューに行くというテレビ番組があったんです。
戸川さんが「あなたはいい女優だったのに、どうして女優をやめちゃっ
たんですか」と聞くと、瑳峨さんは「女優って仕事が来て初めて女優な
んだけど、わたしのところには仕事が来ないんですもの」と答えるわけ
です。それから瑳峨さんは、
唐突に戸川さんの方に腕を伸ばしましてね。
戸川さんはビクッとしたわけですが、瑳峨さんは「ゴミが」と言って、
どうも戸川さんの服についていたゴミがすごく気になっていたようなん
です(笑)。そういう計算できないようなおもしろさが瑳峨さんにはあ
りまし た 。
特に思想を語り合ったりはしないんだけど、当時はどこかで美学的につ
だけど愛国の士なんかが結びつくことはないですものね。
一九六〇年代は独特のおもしろさがありましたね。今、演劇人と詩人、
小説家、画家、イラストレーター、それに三島由紀夫みたいな、小説家
■一九六〇年代 に つ い て ■
金魚屋
宇野
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金魚屋
宇野
金魚屋
ながっていたようなね。それが楽しかったです。
僕らは一九八〇年代に青春時代を過ごしたんですが、ちょうど土方さん
がお亡くなりになって、もうこれで暗黒舞踏は終わりかなという感じが
漂っていました。寺山さんもお亡くなりになっていたわけですが、まだ
唐さんが精力的に活動されていたのでアングラ演劇は健在だという感じ
でした。でも最近になって、新宿梁山泊さんがすごく目立って見えてき
ているような印象です。もちろんJ・A・シーザーさんの演劇実験室◎
万有引力もあるわけですが、公演の数から言っても、梁山泊さんがアン
きむすじん
グラ演劇を支えているような印象ですね。
それは嬉しいですね。金守珍という演出家は、最初、蜷川幸雄さんのと
きむ
ころにいて、そこをやめて唐さんの下についたんです。その二つがつな
きむ
がっているところが、金さんのおもしろさじゃないですかね。
、
『ガラスの使徒』の二本の映画を撮っておられ
金さんは『夜を賭けて』
ますが、基本、舞台演出と舞台俳優がメインのお仕事でしょう。知って
18
いる人は知っている超有名人ですが、知らない人はぜんぜん知らない。
でも唐組ももう動いていないようですから、唐さん、寺山さんのアング
ラ劇をある程度まとめて見ようとすれば、梁山泊さんの公演に通うしか
ないか も し れ な い 。
演劇実験室・天井桟敷 パリ公演『毛皮のマリー』ポスター
(一九七一年)
イラスト 宇野亞喜良(『宇野亞喜良クロニクル』より)
きむ
金さんはきっと、正統にアングラ劇を継いでゆくと思います。ただいろ
きむ
いろなものに流行があるように、演劇も動いています。金さんは今、唐
さんと寺山さんとシェイクスピアの三つをやっているわけですが、それ
きむ
らが交流すると、また違った演劇の味が生まれてくるのではないかと思
います。さっきお話した『新宿版千夜一夜物語』ですが、金さんの演出
では、ただおっぱいを絞るだけじゃなく、その前に寺山さんの短歌を一
つ入れるわけです。そうするとおっぱいを絞るシーンが抒情的に、なに
きむ
かのメタファーであるかのように見えるんです。
「亡き母の」とかいう
短歌が流れると、母のおっぱいなのかなと思ったりね。金さんは、そう
いう寺山さんも思いつかなかったような演出を始めていて、この方法だ
と喜劇が突然悲劇的になってしまったりするんですね。舞台でバケツの
水をこぼしながら、「涙は人間が作った一番小さな海です」とかいう寺
山さんの言葉を入れると、劇の味が変わってきちゃうんです。不条理劇
の中にセンチメンタリズムが入ってくるというかね。
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宇野
金魚屋
アングラ劇は、とにかく事件を起こしていって、これはいったいどうな
るんだろうと思っていると、最後にすべてがつながって見えるようなと
アヴァンギャルド
ころがあります。そういう意味では従来の演劇の構造を壊そうとしたり、
今までになかった新しい演劇を作りだそうとする前衛劇とはちょっと違
演劇実験室・天井桟敷 第五回公演『新宿版千一夜物語』ポス
ター(一九六八年)
イラスト 宇野亞喜良(『宇野亞喜良クロニクル』より)
宇野
うと思います。アングラはギリギリのところ、いわゆる〝劇〟なのであ
って、意外とオーソドックスな面があるんじゃないでしょうか。
『風のほこり』とい
唐さんが新宿梁山泊のために書き下ろした戯曲に、
う作品があるんです。これは唐さんのお母さんとおぼしき女性が、エノ
ケンのところに戯曲を売りに行くといったお話です。唐さんのお母さん
は実際に、エノケンなんかの軽演劇が好きだったのかもしれませんね。
『風のほこり』というのは、エノケンたちがやっていた劇団「カジノ・
フォーリー」のもじりなんです。そういうふざけたところというか、ユ
ーモアがあるんです。でも唐さんも寺山さんも、一種マザコン的なとこ
ろがあるんじゃないでしょうか。寺山さんの『新宿版千夜一夜物語』は
アラビアン・ナイトですから、本来は魔法のランプをこすると怪物が出
てくる。でも寺山版では新宿のトルコ、今で言うソープランドで男のペ
ニスをこすると怪物が出てくるということになっています。で、男のペ
ニスがダメになっちゃって、一番最後に、寺山さんのお母さんの名前は
寺山はつって言うんですけど、
「はつ、はつ」って言いながらオナニー
をするシーンがあります。そういうふざけたことをやっているわけです
けど、お母さんの名前でオナニーをできるっていうのは、マザコンのす
ご い と こ ろ で す ね ぇ( 笑 )
。寺山さんの短い小説の中にも、いろんな言
語をはつという言葉に置き換えて、はつばっかり使っている作品があり
ます。そういうことができるのは、マザコンの人だけでしょうね。
嫌いという感覚が、なんとなくおわかりになっているようでした。
修ちゃんという感じで。山田さんは、寺山さんのお母さんが大好きで大
寺山さんがお母さんと一緒にいるのを長時間見たのは、山田太一さんだ
けなんですね。お母さんの溺愛ぶりはすごかったようです。修ちゃん、
■演劇と嘘につ い て ■
金魚屋
宇野
谷川俊太郎さんは、寺山さんが九條今日子さんと結婚した時の媒酌人で
しょう。寺山さんと九條さんが新居で暮らし始めた時に、九條さんが気
がついたんだけど、かさこそ音がしていて、見に行ったら家屋が燃えは
じめていたという事件がありましたね。お母さんのはつさんが火をつけ
たんです。寺山さんが病院に入院していた時に着ていた浴衣の切れ端で
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火をつ け た そ う で す 。
嫉妬しながら贅沢に暮らしていたんでしょうね。
メリカの将校のところに家政婦の仕事で行ったりしていて、寺山さんは
センスのいい方だったと思います。寺山さんの少年時代、お母さんはア
ようですが、ちゃんと寺山のことは理解していて、そういうところでは
生きている間に、修ちゃんはわたしを何回殺したことか」と言っていた
この子には後を託せると思ったんでしょうね。お母さんは、「わたしが
じゃないでしょうか。九條さんは不愉快な嫁だったかもしれないけど、
柄のいい人たちを後に据えているわけで、やっぱり頭のいい人だったん
森崎さんが戸籍上の兄妹か姉弟になった。だからはつさんは、知的で人
條さんを養女にするわけですね。森崎偏陸も養子になって、九條さんと
金魚屋 それは演劇的ですね(笑)
。
宇野
九條さんとの結婚を、お母さんが許してくれなかったので、お母さん抜
きでひっそりと二人で式を挙げたわけです。ただはつさんは、最後に九
金魚屋
寺山さんは自伝的な劇や詩をたくさん書いています。母子家庭だったの
は間違いないですが、貧乏だったとかいじめられたとかは、かなり脚色
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宇野
金魚屋
宇野
金魚屋
宇野
金魚屋
宇野
が入っているようですね。
。
嘘ばっかりみたいですよ(笑)
実際は優等生で人気者で、裕福ではなかったかもしれませんが、食べる
のに苦労した子供時代ではなかったようです。
お母さんの働きぶりが相当すごかったようですからね。幼稚園の時に、
みんな下駄だったのに、彼だけ革靴だったそうですから(笑)。
土方さんもそうですね。戦後すぐにモダンダンスを習っていたわけです
から、相当なシティーボーイだったかもしれない。でも後年の土方さん
は、文字も知らないようなふりをしていましたから(笑)。
奥さんのお家の仕事から来ているんですか。
アスベスト館という名前は、
元藤さんのお父様が、アスベストの輸入で財をなされたようです。ただ
今になるとアスベストって、なにかおどろおどろしいですね。暗黒舞踏
によく 合 っ て い ま す 。
。昔、土方さんと対談を
火が出たらおしまいみたいな感じですね(笑)
したことがあるんです。その中で、お豆腐を描いていて、豆腐の窪みと
かをやたらにリアルに描いてゆくと、豆腐に見えなくなって、レンガに
見えちゃうようなことがあるってお話したんですね。本人はその気がな
くても、画家の執念で描いているうちに物が変容してしまうことがあり
ますよねっていう話をしたんです。土方さんはその話が気に入ったらし
く、講演を録音した『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』とい
うレコードを聴いていたら「豆腐が石になることもあるんだよ」とおっ
しゃっ て い ま し た 。
金魚屋 意外とアイディアをパクってるんですよ(笑)
。
宇野
でも土方さんはきっとパクりとは思ってなくて、自分の想念の中で、既
成のイメージになっちゃっていたんでしょうね。僕の方でも、土方さん
に一つアイディアをあげたという感じで気分が良かったです(笑)。で
もそれだけイメージが豊かで、もらえるものはもらっちゃうといったよ
うな時代だったんですよ。
( 2015/03/02
後編に続く)
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