ミレーのオフィーリアと『草枕』の那美

ミレーのオフィーリアと『草枕』の那美
横 山郁 子
1.序論
シ ェ イ ク ス ピ ア (Shak es p ea r el の 『 ハムレット~
目激石の 『草 枕 ~
(
Hamlet1600年 頃 ) が 夏
(1906年 ) に 影 響 を 与 え た こ と は , こ れ ま で に も 知 ら れ て
いる 。 j
秋石が 『草 枕 』 を 執 筆 し た 当 時 は 坪 内 遁 遥 の 『ハ ム レ ッ ト 』 が も て は
やされていた時代であり, ~草 枕 』 の主人公である画工は,ハムレット ( Haml e t l
や オ フ ィ ー リ ア (Ophelia
l に何度も 言及 し て い る 。 冒頭部分では山路を登り
ながら東洋の詩歌について考えるのだが余は固より詩人を職業にしてお
らんから,王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何も
ない 。 只 自分 に は こ う い う 感 興 が 演 芸 会 よ り も 舞 踏 会 よ り も 薬 に な る 様 に 思
われる 。 フ ァ ウ ス ト よ り も ハ ム レ ッ ト よ り も 有 難 く 考 え ら れ る 。 J1)と早速引
き合いに出している 。 その後で休憩することにした峠の茶屋では,那古井の
嬢 様 の 嫁 入 り に つ い て 聞 い て 様 子 を 想 像 す る う ち に 「オ フ エ リ ア の 面 影 が 忽
然 と 出 て 来 J る。ま た , 宿 で 寝 入 っ た 後 に 長 良 の 乙 女 の 夢 を 見 る の だ が 長
良 の 乙 女 が 振 袖 を 着 て , 青 馬 に 乗 っ て , 峠 を越すと ,いきなり , ささだ 男 と
,
[
ささべ 男 が 飛 び 出 し て 両 方 か ら 引 っ 張 る 。 女が念、にオフエリアになって ,相1
の校へ上って,河の中を流れながら,
う つ く し い 声 でうたう 」 の で あ る 。 こ
の よ う に 激 石 が 『ハ ム レ ッ ト 』 を 意 識 し な が ら 『草 枕 』 を 執 筆 し た こ と は 明
らかであるが,本論では,これまであまり論じられていないオフィーリア水
死 の 場 面 を 描 い た ジ ョ ン ・エ ヴ ァ レ ッ ト
・ ミレー (
JohnEv
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l の絵
が 『草 枕 』 の 那 美 に 与 え た 影 響 に つ い て 考 察 し て み た い 。
2
.絵画の中のオフィーリア
2
.1 . オ フ ィ ー リ ア 溺 死 の 場 面
オフィーリアは,デンマーク 宮廷の重臣であるポローニアス (
Poloniusl を
父 親 に 持 ち , 兄 レ ア テ ィ ー ズ (La
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sl は フ ラ ン ス 留 学 に 出 発 , 恋 人 は 将 来
国 王 と な る べ き 王 子 ハムレッ卜,
という順風満帆な人生を送っていたが,ハ
ム レ ッ 卜 の 父 王 が 急 死 し , そ の 亡 霊 が 仇 を と る よ う ハ ム レ ッ 卜 に 迫 るあたり
から雲行きがあやしくなる 。 亡霊に 言 わ れ る ま ま 父 親 の 敵 と し て 叔 父 ク ロ ー
1
3
5
ディアス (
Claudius)を 殺 す こ と に た め ら い を 感 じ る ハ ム レ ッ トは ,狂 気 を 装
い , 真 実 を 知 ろ う と す る の だ が , そ の 計 画 を オ フ ィ ー リア に も 明 か さ な か っ
た た め , オ フ ィ ー リア は , 父 ポ ロ ー ニ ア ス が ハ ム レ ッ ト に 殺 さ れ た の は 単 に
クロ ー デ ィ ア ス と 間 違 え ら れ た た め と い う こ と も 知 ら ず , 彼 女 に 冷 淡 な 態 度
をとるのも愛情がなくなったからではなく芝居だということもわからないま
ま , 失 意 の う ち に 発 狂 し て 水 死 し て し ま う 。 この 小川 で 亡 く な る 場 面 は , 実
際 に 舞 台 で 演 じ ら れ る こ と は な く ,王妃ガートノレード(Gertrude) の 台 詞 の 中
で様子が語られるだけである 。
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. 165-181)2)
王妃
小川 の ほ と り に 柳 の 木 が 斜 め に 立 ち ,
白い 葉 裏 を 流 れ に 映 し て い る と こ ろ に ,
オフィーリアがきました , キンポウゲ,イラクサ ,
ヒナギク , そ れ に 口 さ が な い 羊 飼 い は 卑 し い 名 で 呼 び ,
清純な乙女たちは死人の指と名づけている
紫 闘 の 花 な ど を 編 み 合 わ せ た 花 冠 を 手 にして 。
あの子がしだれ柳 の枝にその花冠をかけようと
よ じ 登 っ た と た ん に , つ れ な い 校 は 一 瞬にして折れ,
あの子は花を抱いたまま泣きさざめく流れに
1
3
6
まっさかさま 。 裳裾は大きく広がって
しばらくは人魚のように 川 面に浮かびながら
古い歌をきれぎれに口ずさんでいました,
まるでわが身に迫る死を知らぬげに,あるいは
水のなかに生まれ,水のなかで育つもののように。
だがそれもわずかなあいだ,身につけた服は
水をふくんで重くなり,あわれにもその
美 しい歌 声 を も ぎ と っ て ,川 底 の 泥 の な か へ
引きずりこんでいきました。
(
第 4幕 第 7場 )3)
しかし , こ の 場 面 は 芸 術 家 の 創 作 意 欲 を 刺 激 す る ら し く , 多 く の 画 家 が 題
材として取り上げている 。
ジ ョ ゼ フ ・セ パ ー ン ( Jo
sephSevern) は 1831年 頃 に ロ ー マ で 「オフィーリ
ア」 を描いたが,大きな特徴はオフィーリアが摘み取った花を並べて,
HAMLETと 綴 っ て い る こ と で あ る 。 心 変 わ り し て し ま っ た ( と オ フ ィ ー リ ア
は信じている)恋人に対する思いを 表現したこのアイディアは,親交があっ
た シ エ リ ー (S
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y) か キ ー ツ (
Keats) の 着 想 の 可 能 性 も あ る
4
)
リ チ ヤ ー ド ・レ ッ ド グ レ イ ヴ (
RichardRedgrave) の 「花 輪 を 編 む オ フ ィ ー
リ ア (1842年)は, 小川 の ほ と り で 木 の 幹 に 腰 か け , 題 名 通 り 膝 の 上 で 花
輪を編む様子が描かれているが,白いドレスを着て頭に花輪をのせ,左手 の
薬 指 に は 結 婚 指 輪 に 見 立 て た ら し い 緑 色 の 葉 か茎 で排えた指輪がはめられて
いる 。 狂 気 の 中 で , ハ ム レ ッ ト の 花 嫁 に な る と い う 現 実 世 界 で は か な え ら れ
なかった 夢 をみているのだろうか。膝の上の花の中には,死のシンボルとし
て知られる芥子の花が見え,足 元 の川面には蓮の花が咲いている 。迫りくる
死を予感させると共に,せめて来世では夢がかなうようにとの画家の思いが
込められているのかもしれない。
ジ ョ ー ジ ・フ レ デ リ ッ ク ・ワッツ (
GeorgeFrederi
cWatts) は , 後 に 舞 台 で
オ フ ィ ー リ ア 役 を 演 じ て 高 い 評 価 を 得 た エ レ ン ・テ リ ー (El
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nTerry)を モ デ
1881-1882年 グ ロ ー ヴ ナ ー ・ギ ャ ラ リ ー で の 個 展 に 出
ル に 「オ フ ィ ー リ ア J (
展)を描いた。
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小 川 の ほ と り に 柳 の 木 が 斜 め に 立 」 っ て い る そ の 大枝 に も
たれかかって小川 をのぞきこむ構図であり,悲壮感に満ちた表情が印象的で
ある 。
ジ ョ ン ・ウ ィ リ ア ム ・ウ ォ ー タ ー ハ ウ ス ( JohnWilliamWaterhouse) の 「 オ
フ ィ ー リ ア J (1910年 ロ イ ヤ ル ・ア カ デ ミ ー に 展 示 ) は ,青 い ド レ ス を 着 て
,
摘 ん だ 花 を 髪 に飾り ,手 に 花 輪 を 持 っ て い る 。右 手 を つ い て い る 大 き な 木 は ,
後に彼女の身体を 支 えきれなくなる柳の木であろう 。
1
3
7
こ の 他 に も , ウ ジ ェ ー ヌ ・ドラクロワ (EugeneDela
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x) は , 半 身 小 川 に
浸 か っ て い る 状 態 の 「 オ フ ィ ー リ ア の 死 」 を , ア ー サ ー ・ヒ ュ ー ス (Ar
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Hughes) は 小 川 の ほ と り で 花 冠 を か ぶ り 手 に 花 輪 を 抱 え る 「 オ フ ィ ー リ ア 」
を描いている 。
2
.
2
. ミレーのオフィーリア
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軟 石 が 最 も 影 響 を 受 け た の は ジ ョ ン ・エ バ レ ッ ト ・ミ レ ー の 「 オ フ ィ ー リ
ア
(1
8
5
1
1
8
5
2年 , テ イ ト ・ギ ャ ラ リ ー ) だ と 思 わ れ る 。 こ の 絵 は , オ フ イ
ー リアが 小川 に 転 落 し て 亡く な る 直 前 裳 裾 は 大 き く 広 が っ て / し ば ら く
は人魚のように川面に浮かびながら/古い歌をきれぎれに口ずさんで」いる
場 面 , あ る い は 「身 に つ け た 服 は 水 を ふ く ん で 重 く な り , あ わ れ に も そ の 美
しい 声 をもぎとって, 川 底 の 泥 の な か へ 引 き ず り こ ん で 」 い く ま さ に 死 の 瞬
間 を 描 い て い る の が 特 徴 で あ る 。 オ フ ィ ー リ ア の 口が わ ず か に 開 い て い る の
は, 歌を口ずさんでいるからであろうか。
ミ レ ー は ラ フ ア エ ル 前 派 を 代 表 す る イ ギ リスの 画 家 で あ り , 歴 史 的 ・文 学
的な主題を細密な写実描写で表現した。
「オフィー リア 」 に も そ の 特 徴 が 表 れ て お り , ミ レ ー は ひ と 夏 ,イ ングラ
ン ド 南 部 の あ る 川 の ほ と り に カ ン パ ス を 置 い て こ の 絵 を 仕 上 げたと 言 わ れ
ているが,水辺の植物が写実的に徽密な筆致で描かれている。
5
)
描写されて
い る 花 々 に は 象 徴 的 な 意 味 が 込 め られ て お り , 柳 は 見捨てられた愛, イラク
サは苦悩,ヒナギクは無垢,パンジーは愛の虚しさ,首飾りのスミレは誠実
・純潔 ・夫 逝 , ケ シ の 花 は 死 を 表 す と 考 え ら れ て い る
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モデノレは,後に同じラフアエル前派の画 家ロセッティ
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l であるが ,彼 女はロセッティ
に尽くすもののその愛情は報われず,精神疾患や流産といった不 幸 に次々見
舞 わ れ , ア へ ン ・チ ン キ や ク ラ ロ ー ル と い っ た 薬 の 乱 用 へ と 溺 れ て い き , 最
後 は 半 ば 自 殺 の よ う に 大 量 の 薬 を 飲 ん で , 結 婚 か ら わ ず か 2年 後 に 若 く し て
亡くなってしまう 。 その悲劇 的 な人生は,水=涙に溺れて死んでしまう悲劇
のヒロ イ ン を 初 併 さ せ , オ フ ィ ー リ ア に 通 じ る 不 幸 の 影 を 感 じ さ せ る 。
また 「自 然 に 忠 実 」と い う ラ フ ア エ ル 前 派 の 原 理 に 従 い ,
ミレーは湯を張
った浴槽の中に彼女を浮かべ,下 からランプで温めながら描いたと言われて
いる 。 しかし創 作 に 熱 中 す る あ ま り ラ ン プ を 消 し て し ま い ( あ る い は ラ ン プ
が消えたことに気っかず描き続けた結果) ,彼 女 は ひ ど い 風邪 をひいてしま
い,彼女の父親は治療費を支払わなければミレーを裁判に訴えて罰金を払わ
せ る と 怒 鳴 り こ ん だ と い う エ ピ ソ ー ド が 残 っ て い る 。 6)
1
3
8
2
.
3.激 石 と ミ レ ー のオフィ ー リア
被石本人の日記には記述がないものの ,
ミ レ ー の オ フ ィ ー リア に 関 し て , 1
ロン ドン で 見 た 可 能 性 は 高 い 。激 石 は , 明 治 3
3年 9月 8日 ( 土 ) に 横 浜 を 発
って以降, 1
0月 28 日 ( 日 ) 晩 に ロ ン ド ン に 到 着 す る ま で の 経 由 地 も 含 め て ,
留 学 中 に 頻 繁 に 美 術 館 , 博 物 館 を 訪 れ て い る 。 本 人 の 日記 に 記 録 が あ る も の
だけでも次の通りである 。
明 治 33年
1
0月 25 日
(
木)
(パリにて) 美 術 館 を 覧 る 。
1
0月 27 日
(土)
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( f リ に て ) 博 覧 会 を覧る 。
11月 3 日
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seumを見る 。
II月 5日
(月)
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yを見る 。
l月 29 日
(火)
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2月 l日
(金)
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3月 27 日
(水)
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yに至る。
4月 7 日
(日)
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yに至る 。
6月 22 日
(土 )
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nを見に行く。
9月 7 日
(土 )
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yMuseum に至る 。
1
0月 1
3日
(日)
土 井氏と Kensi
ngtonMuseumに至る。
明 治 34年
(中略) P
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tGalleryを見る 。
少なくとも,延べ 1
3回 に わ た っ て 足 を 運 ん だ こ と が 確 認 で き る 。
ま た , 芸 術 に 造 詣 が 深 い 人 物 と の 関 わ り も 多 く , 松 本 亦 太 郎 (心 理 学 者 ・
美 学 者 。 の ち 京 大 ・東 大 教 授 ) , 正 木 直 彦 ( の ち 東 京 美 術 学 校 ( 現 東 京 芸 術
大 学 ) 校 長 ) ,浅 井 忠 ( 洋 画 家 。 京 都 高 等 工 芸 学 校 主 席 教 授 。 文 展 審 査 員 )
大塚保治(美学者。東大教授)らの名前が,共に美術館を訪れたり,手紙を
送ったり受け取ったりした親交のある人物として ,留学期間中の日記に名前
が挙げられている 。
ii!iJ¥石がロンドンに到 着 す る 前 , パ リ滞 在 中 に 訪 ね た 相 手 と し て 日 記 の 中 に
も 登 場 す る 浅 井 忠 が ,明 治 35年 7月 初 め に パ リか ら や っ て き て お り 秋 石 た
ち は 浅 井 氏 を 案 内 し て テ ー ト ・ギャラ リー に 行 っ て い る 。 数 々 の 名 画 を 見 な
が ら 慈 蓄 を 傾 け た 浅 井 画 伯 の 説 明 を 激 石 は 熱 心 に聴いていたそうである。
7
)
ま た , 明 治 34年 7月 に j
秋 石 は ロ ン ド ン 留 学 中 5番 目 ( 最 後 ) の 下 宿 , クラ
パ ム ・コモン ・チ エ ー ス 街 に あ る ミ ス ・リーノレ方に転居しているが,ここに
1
3
9
下 宿 し て い る 期 間 に , 濃 霧 の 中 を 「ヴ ィ ク ト リ ヤ で 用 を 足 し て , テ ー ト函 館
の 傍 を 河 沿 い に バ タ シ ー ま で 来 る と , 今 ま で 鼠 色 に 見 え た 世 界 が , 突然と 四
方 か ら ば っ た り 暮 れ た 」 と,後 に 『永 日 小 品 』の 中 で 語 っ て い る 。 8) こ の 時 ,
単に傍らを 歩 いただけではなく,時には中に足を踏み入れて展示されている
作品を鑑賞したであろうことは容易に想像できる 。東北大学所蔵の『激石文
庫 』 に は テ ー ト ・ギ ャ ラ リ ー の 目 録 が 残 さ れ て お り , テート ・ギ ャ ラ リ ー に
展示 されている絵画について ,i
秋石 が 自 分 の 作 品 の 登 場 人 物 に 語 ら せ て いる
ことからも , そ う 考 え る の が 自 然 で あ る 。
『草 枕 』 の 中 で 画 工 は , 温 泉 の 湯 に っ か り な が ら ,
ミ レー の オ フ ィ ー リ ア
について次のように考えをめぐらせている 。
余は浴槽のふちに仰向の頭を支えて,透き徹る湯のなかの軽き身体を,
出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。 ふわり,ふわりと魂がくら
げのように浮いている 。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠
前 を 開 け て , 執 着 の 栓 1長 を は ず す O ど う と も せ よ と , 温 泉 の な か で , 温 泉
と同 化 してしまう 。 流 れ る も の 程 生 き る に 苦 は 入 ら ぬ 。 流 れ る も の の な か
に , 魂 ま で 流 し て い れ ば , 基 督 の 御 弟 子 と な っ た よ り 有 難 し 、。 成 程 この 調
子 で 考 え る と , 土 左 衛 門 は 風 流 で あ る 。 ス ウ ィ ン パ ー ン の 何 と か 云 う詩に ,
女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う
O
余が平
生 か ら 苦 に し て い た , ミ レ ー の オ フ エ リ ア も , こ う 観 察 す る と 大 分 美 しく
なる 。何 で あ ん な 不 愉 快 な 所 を 択 ん だ も の か と 今 ま で 不 審 に 思 っ て い た が ,
あれは矢張り画になるのだ。 水 に 沈 ん だ ま ま , 或 は 沈 ん だ り 浮 ん だ り し た
まま , 只 そ の ま ま の 姿 で 苦 な し に 流 れ る 有 様 は 美 的 に 相 違 な い 。 そ れ で 両
岸 に い ろ い ろ な 草 花 を あ し らって , 水 の 色 と 流 れ て い く 人 の 顔 の 色 と , 衣
服 の 色 に , 落 ち 着 い た 調 和 を と っ た な ら ,由主度画になるに 相 違 な い 。
す で に 述 べ た 通 り ,ミ レ ー は モ デ ル を 浴 槽 の 中 に 横 た わ ら せ て 絵 を 描 い た 。
温泉にっかりながらオフィーリアの死の場面について考察する画工は,
自ら
オ フ ィ ー リア 水 死 の 疑 似 体 験 を し て い る と も 考 え ら れ る 。
さ ら に , 激 石 が 帰 国 後 , 東 京 帝 国 大 学 で シ ェ イ ク ス ピ ア の 講 義 を始めた頃,
明 治 36年 1
2月に , ミ レ ー の オ フ ィ ー リ ア の 絵 の 複 製 が , 絵 入 り 月 刊 美 術 雑
誌 『白 百 合 』 三 号 に 掲 載 さ れ て い る 。 激 石 は , 留 学 中 に 個 人 教 授 を 受 け た 恩
師 ウ ィ リ ア ム ・ ク レ イ グ 氏 が 中 心 と な っ て 注 を つ け た ア ー デ ン 版 『ハ ム レ ツ
ト』 の テ キ ス ト を 用 い て 講 義 を 行 っ て お り , ハ ム レ ッ ト の ヒ ロ イ ン , オフィ
ー リ ア の 絵 が 掲 載 さ れ た こ の 雑 誌 も 興 味 を 持 っ て 見 た 可 能 性 が 高い。
9)
また ,1
軟石 は 熊 本 に 住 ん で 3年目 ,明 治 3
1年 頃 に ,妻 の 鏡 子 が 自 宅 近 く の
1
4
0
白川 井 川 淵 に 投 身 自 殺 を 図 り , 網 打 ち の 漁 師 に 助 け ら れ た と い う 経 験 を し て
いる 。 6 月 末 か 7 月 初 め の 早 朝 の こ と で , 梅 雨 期 で か な り 水 量 も 多 か っ た よ
うである 。 そ の 後 し ば ら く は 就 寝 の 際 に 妻 と 手 首 に 糸 を つ な い で い た と い う
から,心配だったのだろう 。 また,この 事件はi
秋石の 2度 目 の 小 天 温 泉 行 き
の直後に起こったと考えられる 。 次章で詳しく述べるが,小天を旅行した際
に出 会 っ た 人 々 が 『草 枕 』 の 登 場 人 物 の モ デ 、 ル に な っ た こ と を 考 え る と 不 思
議 な 因 縁 を 感 じ る 。 妻 の 入 水 自 殺 未 遂 を 経 験 し た わ ず か 2年 後 に , 今 ま さ に
水中に沈んで水死しようとしている場面を極めて写実的に描いたミレーのオ
敷石にとってこの絵は,非常にショッキング
フィーリアを見たわけである 。i
で印象的だったと思われる 。
3
.那 美 の 中 の オ フ ィ ー リ ア
3
.1.那美のモデル
『草枕』のヒロ イ ン 志 保 田 の お 嬢 さ ん 」 で あ る 那 美 の モ デ ル は , 一 般
に は 前 田 卓 だと 言 わ れ て い る 。j
軟 石 は 明 治 30年 の 年 末 からノl
、天へ旅行した際
に , 地 元 の 名 士 , 前 回 案 山子 の 別 邸 に 滞 在 し て お り , 卓 は案 山子 の 次 女 で あ
る。 ま ち の 様 子 や 宿 の 作 り か ら , 小 天 が 那 古 井 の , 前 田 家 別 邸 が 志 保 田 の モ
デルだと考えられている
O
那美 は 「
ま た那古井の方へ御帰りに 」 なった出戻
り 娘 だ が , 卓 も 激 石 滞 在 当 時 は 2度 の 離 婚 を 経 験 し て 実 家 に 身 を 寄 せ て い た 。
また卓自身が, 小 説 内 の エ ピ ソ ー ド の い く つ か は 実 際 に あ っ た こ と だ と 森 田
草 平 へ の イ ン タ ビ ュ ー に 答 え て い る 。10) 峠 の 茶 屋 に お 能 の 高 砂 の よ う な 老 女
が い た こ と 、 源 兵 衛 の よ う な 下 男 や , 床 屋 のモデノレになったようなひょうき
んな男がいたこと、父親の案山子がj
軟石たちをお茶に招いて骨董を見せたこ
と , 卓 が 青 磁 の 鉢 に 入 れ て 羊 美 を 出 し た こ と ,湯 殿 で 鉢 合 わ せ し た こ と も 実
際 に あ っ た こ と で あ る 。 し か し 同 時 に , 自 分 の こ と も 含 め て 違 う こともたく
さ ん あ る と 語ー
っている。
3
.
2
.オフィーリアと那美
那 美 に は オ フ ィ ー リア に 通 じ る 部 分 が あ る 。 共 通 点 と し て ま ず 挙 げ ら れ
る の は 「狂 気 」 で あ る 。 前 述 し た よ う に オ フ ィ ー リア は , ハ ム レ ッ 卜 が 誤
って彼女の父親ポローニアスを刺殺した後 ,正気を失ってしまう 。 歌を歌
いながら 登場し ,辻棲の合わないことを口にする 。 その痛ましい様子 は ,
兄 の レ ア テ ィ ー ズ が 言Eる 通 り で あ る 。
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なんということだ,この脳髄も熱で干あがってしまえ,
この目も塩からい涙で焼きただれてしまえ。
気が狂ったか
1その恨み,天地がひっくりかえろうと
必 ず は ら す ぞ 。 ああ、 五 月 の パ ラ , か わ い い 乙 女 ,
やさしい妹, 美 し い オ フ ィ ー リ ア !
こんなことがあっていいものか, 若 い 娘 の 理 性 が
老人のいのちのようにはかないとは。人の心は
人を愛するときもっとも純なものとなる 。
愛するものの亡きあとは,おのれの心の
いちばん大切なものを捧げたくなるのだろう 。(
第 4幕 第 5場)
この後,
レアティーズも一緒に歌うように誘い,他愛もないことを話し,
更 に 歌 っ て 退 場 す る 。 そ し て レ ア テ ィ ー ズ は 「た と え お ま え が 正 気 で 仇 を 討
てと 言 っ て も こ れ ほ ど 心 を 動 か さ れ は し な か っ た ろ う 」 と ハ ム レ ッ 卜 へ の 復
讐 を 固 く 決 意 す る の で あ る 。 次 に オ フ ィ ー リア の 名 前 が 出 て く る の は , 先 に
述べたガートノレードが彼女の溺死を伝える場面である 。
那 美 に も 狂 気 の 影 が つ き ま と う 。ま ず は 床 屋 が 「あの娘は面はいい様だが,
きちげ え
本 当は き 印 し で す ぜ 村 の も の は ,みんな気狂だって云ってるんでさあ 」
と画工に話し,更に ,那 美 に の ぼ せ て 文 を 送 っ た お 寺 の 坊 主 が本堂で和尚さ
ん と お 経 を あ げ て い る 時 に 「そ ん な に 可 愛 い な ら ,仏様 の 前 で 一 所 に 寝 ょ う 」
と 誘 っ た と い う 逸 話 を 証 拠 と し て あ げ る 。 源 兵 衛 も 「あ の 志 保 田 の 家 に は 代
きちがい
はや
々気狂が出来ます今の嬢様も,近頃は少し変だ云うて,皆が嚇しますJ
と言 う。
画 工 自 身 も 花 曇 り の 空 が,亥J
I一 刻 に 空 か ら , ず り 落 ち て , 今 や 降 る と
待たれるる夕暮れ」 に
目 も 醒 む る 程 の 帯 地 」 に 「あ ざ や か な る 織 物 J の
1
4
2
花 嫁 衣 装 を 身 に 纏 っ て 歩 く 那 美 の 姿 を 目撃 し こ の 長 い 振 袖 を 着 て , 長 い
廊 下 を何 度 往 き 何 度 戻 る気 か ,余 に は 解 か ら ぬ。い つ 頃 か ら こ の 不 思 議 な よ
宴
をして , この 不 思 議 な 歩 行 を つ づ け つ つ あ る か も , 余 に は 解 ら ぬ 。 そ の 主 意
に 至 つ て は 圃 よ り 解 ら ぬ 。圃 よ り 解 る べ き 筈 な ら ぬ 事 を ,か く ま で も 端 正 に ,
か く ま で も 静 粛 に , か く ま で も 度 を 重 ね て 繰 り 返 す 人 の 姿 の ,入 口 に あ ら わ
れ て は 消 え , 消 え て は あ ら わ れ る 時 の 余 の 感 じ は 一 種 異 様 で あ る 。 」 と感じ
ている 。
那 美 に は , ミ レ ー の オ フ ィ ー リア を 連 想 さ せ る 言 葉 も 多 い 。 画 工 に , 鏡
の 池 は 「画 に か く に 好 い 所 で す か 」 と 聞 か れ 「身 を 投 げ る に 好 い 所 で す j
と 答 え て い る 。 更 に 「私 は 近 々 投 げ る か も 知 れ ま せ ん 」 と 続 け 私 が 身
を 投 げ て 浮 い て い る と こ ろ を 一一ー 苦 し ん で 浮 い て る と こ ろ じ ゃ な い ん で す
ーーや す や す と 往 生 し て 浮 い て い る と こ ろを 一一 奇 麗 な 画 に か い て 下 さ い 」
と 頼 む 。彼 女 が 語 る 様 子 は , 恐 怖 や 苦 痛 で は な く 諦 観 に 至 っ た か の よ う な 表
情 を 浮 か べ て 水 に 浮 い て い る と こ ろ を , 色鮮 や か な 花 々 と と も に 美 しく描か
れ て い る ミ レ ー の 絵 の 中 の オ フ ィ ー リア そ の も の で あ る O
那 美 の 言 葉 に よ る 影 響 か , 画 工 は 鏡 が 池 に や っ て き て 「こ ん な 所 へ 美 し
い 女 の 浮 い て い る 所 を か い た ら , ど う だ ろ う と 思 」 う。
r
あの顔を種にし
て ,あ の 椿 の 下 に 浮 か せ て ,上 か ら 椿 を 幾 輪 も 落 と す 。椿 が 長 え に 落 ち て ,
女が長えに水に浮いている感じをあらわしたしリと考えるが
矢 張御那
美 さ ん の 顔 が 一 番 似 合 う 様 だ 」 と は 思 う も の の 「あ の 表 情 で は 駄 目だ J r
何
だ か 物 足 ら な し 、」 と 納 得 が い か な い 。 色 々 考 え た 末 , 那 美 の 表 情 に は 憐 れ
が足りないのだと気付く
O
そ の 後 ,停 車 場 で 思 い が け ず 「離 縁 さ れ た 亭 主 」
と再会し ,元 亭 主 が 乗 っ た 鉄 車 を 見 送 る 那 美 の 顔 に 今 ま で か つ て 見 た こ と
の な い 「憐 れ 」 が 一 面 に 浮 い て い る の を 見 て , 画 工 の 胸 中 の 画 面 は 成 就 し ,
同時に『草枕』も終結する 。~ 草枕 』 では,画工により洋の東西の芸術論
が 語 ら れ る が ,最 後 に は , ミ レ ー の オ フ ィ ー リ ア の 構 図 に 那 美 の 顔 を あ て
はめ , 東 洋 と 西 洋 の 美 が 融 合 し て 完 結 す る の で あ る 。
4
.結 論
『草 枕 』 に は , ~ ハムレット 』 の影響を 受 けたと恩われる場 面 が多々あり ,
画 工 自 身 が 『ハ ム レ ッ ト 』 の み な らず
,
ミレーのオフィーリアにも具体的に
言 及 し て い る 。 こ れ は す で に 論 じ ら れ て き た こ と で あ る が 、今 回 , ヒ ロ イ ン
那美には実在のモデルとは異なる部分もあり ,オフィーリアが那美の人物造
形にも影響を与えた点についても指摘できたのではないかと考える 。
1
4
3
注
1
) ~草 枕 』 の引用は , 夏 目 激石『 草 枕 』 新潮社,
1950年 に 拠 る 。
2
)Hamletの引用は, HaroldJ
e
n
k
i
n
se
d
.TheArdenShakespeareHAMLET
.London
andNewYork:Methuen.1982に拠る 。
3
) 訳 文 は ,小 田 島 雄 志 『ハ ム レ ッ ト 』 白水社, 1983年 に 拠 る 。
4
) 河 村 錠 一 郎 ( 監 修 ) Shαkespearei
nWesternA
r
t 東京新聞, 1982年
, 92頁 。
5
) 仁 木 久 恵 『激 石 の 留 学 と ハ ム レ ッ ト ー 比 較 文 学 の 視 点 か ら 』 リーベル出版,
2001年
, 134頁
。
30頁
。
6
)Shakespearei
nWesternArt, 1
7
) 前田 愛 「世 紀 末 と 桃 源 郷 『草 枕 』 を め ぐ っ て J ~ 坊ちゃん ・ 草枕 Jl , 激 石
作 品 論 集 成 , 第 2巻,桜風社, 1990年 , 262頁 。
8
) 夏 目 激 石 『文 鳥 ・夢 十 夜 ・永 日 小 品 』 角 川 書 庖 , 1956年 , 110頁 。
9
) この 絵は, ~ 趣味 Jl (明治 40年 3月 号 ), 中 村 義 一 『近 代 日 本 美 術 の 側 面 一
明 治 洋 画 と イ ギ リ ス 美 術Jl (造形社、 1978年 ) に も 紹 介 さ れ て い る 。
1
0
)安住恭子
H草 枕 』 の那美と 辛 亥 革 命 』 白 水 社 , 2012年,
26頁。
参考文献
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