オフィーリアの埋葬 ―大岡昇平『ハムレット日記』と「母

オフィーリアの埋葬
―大岡昇平『ハムレット日記』と「母なるもの」
石 塚 倫 子
Ⅰ. はじめに
『ハムレット日記』は昭和 30 年(1955 年)、『新潮』に連載されたのち、
25 年の歳月を経て、ようやく昭和 55 年、「オフィーリアの埋葬」の部分
が書き足されて出版となった。大岡昇平(1909‐1988)がこれを完成さ
せる気になったきっかけは、日本のハムレット作品について比較文学研究
をしている研究者からの問い合わせであった。1 連載後、本人は失敗作と思
2
い放置していたらしいが、 研究対象となるなら未完のままでは申し訳ない
と、ブランクを経て完成版に取り掛かったということである(後記『大岡
昇平集 4 』145)。
しかし、長い間手を付けずにいたとはいえ、この作品は作家にとってか
なりの思い入れがあったようだ。そもそも大岡の狙った『ハムレット日記』
は、戦後の占領下の日本を踏まえて政治的な『ハムレット』を描くことに
あった。以前からシェイクスピア劇に関心のあった大岡は、創作にあたっ
て、相当の意気込みで構想を練り、原作にない部分を書き加えて、ハムレ
ットの日記形式にして、マキアヴェリスト・ハムレットの策略と失敗のプ
ロセスを描いたのである。3 いわば、それは政治という男の世界観から描い
た『ハムレット』であったともいえる。しかし、この作品にはそれだけで
は理解し尽くせない部分がある。すなわち男の秩序の裂け目に見え隠れす
る名づけえぬ存在―女性―をこの作家が『ハムレット日記』の中でどう扱
っているかにかかわる問題である。
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日記にしたためられたハムレット自身の不安定な主体は、ガートルード、
オフィーリアという女性たちと密接な関係にあることは否定できない。そ
れは作者・大岡の恋愛小説の女性たちと切り結びながら、原点のところで
彼の母つるの存在へと収斂されていくとも言えよう。ここでは原作の『ハ
ムレット』及び初出と改訂版の「ハムレット日記」の違いを比較しながら、
最後まで大岡が書きあぐねていた「オフィーリアの埋葬」の意味を探りつ
つ、大岡昇平のハムレット、そして大岡自身にとって、「母なるもの」が
いかなる形で表象されているか考えてみたい。
Ⅱ. シェイクスピアの「オフィーリア埋葬」
大岡が最後に書き加えた「オフィーリアの埋葬」は、シェイクスピアの
『ハムレット』ではどのような意味を持っているのだろうか。最終幕であ
る 5 幕の 1 場、クローディアスの奸計を逆手にとってイギリスから一人帰
還することができたハムレットは、宮廷への帰途、オフィーリアの埋葬場
面に遭遇する。ここで、ハムレットは墓堀人足が無造作に掘り出す頭蓋骨
を目の当たりにし、人間の生が死と隣り合わせであることを痛感する。さ
らに恋人の不慮の死を知り、ハムレットははじめて自分にとって、オフィ
ーリアがいかに大切な存在であったかを悟る。
僕はオフィーリアを愛していた。たとえ実の兄が
何万人分の愛を示そうが、僕一人の愛には
かなうものか。( 5 幕 1 場)
埋葬の場に物陰から踊り出るハムレットは、以前の狂気を装い、真意を
はぐらかして何事にも不決断であった過去のハムレットではなくなってい
る。このあと宮殿に戻ると別人のように、潔く運命を受け入れ、亡き父の
思いを晴らして果てる。復讐悲劇の公式どおり、最後は主人公以下ほとん
どの主要人物が死ぬのだが、かわりにデンマークの秩序は回復し、ハムレ
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ットは英雄として名を残す。つまり、「埋葬」シーンを経て、優柔不断の
ハムレットは明らかに変容し、男の歴史―his story―を刻んで終わること
になるのだ。
一方、大岡によるハムレットはどうだろう。書き加えられたオフィーリ
ア埋葬のシーンは確かに原作通りである。だが、その後ハムレットは本当
の狂気に憑りつかれ、復讐は果たすものの、デンマークは彼の遺言通りに
はならない。内外のさまざまな勢力がこの国の領有権を巡って動き出し、
デンマークは「擾乱のるつぼ」(247)4 と化してしまう。大岡のハムレッ
トは英雄などではなく、狂気によって4人ものデンマーク人を殺害したう
え、母国を政治的野心の餌食にしてしまった不名誉な王子で終わる。政治
に策をめぐらすあまり、逆に彼は国を治める公人としては見事に失敗し、
一私人として不安な主体を抱えたまま息を引き取ることとなる。結末をパ
リの友達に手紙で知らせる親友のホレイショーでさえ、「王子なんか糞喰
らえ」(350)の心境なのだ。では、ハムレットを英雄に変身させなかった
この大岡の「埋葬」シーンは何を意味するのだろう。
Ⅲ. タブーの侵犯
1.
オフィーリアは純潔か
大岡は改訂版『ハムレット日記』で、実は「埋葬」場面を加えただけで
なく、ほかにも随所に加筆・修正を施している。そのひとつがハムレット
とオフィーリアの肉体関係である。ある対談で、大岡は「ハムレットとオ
フィーリアをぼくはほんとは寝かしたかったんですよ」と述べている(大
岡・小田島、171)が、加筆版ではオフィーリアの私室を訪れたハムレッ
トは、腰に手を回し、強引にオフィーリアを引き寄せる。このとき素直に
体を許すオフィーリアについて、ハムレットは「意外、なんの抵抗もなか
った」(229)と日記にしたためている。5
さらに、ハムレットはこの時のことを「世継王子妃となるつもり」
(305)
でオフィーリアが身を任せたと端から疑っている。旅芸人が宮殿で「ゴン
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ザーゴー殺し」を演じている間も、「一度肌身を許した以上、しかも王の
立聞きに協力した以上、どんなことをハムレットにいわれても文句はない
はずだ」(253-54)と内心で彼女を厳しく裁いている。このオフィーリア
は宮廷からまもなく退くことになっているが、「どうせオフィーリアには
もはや用はない。田舎の別荘で茴香か矢車草を摘んで、溜息しておるのが
よい。」(254)と見下し、「そもそもこんな女に心が惹かれたような気がし
たのが、私のいたらぬところであった」(254)と臍をかむ。確かにシェイ
クスピアの『ハムレット』でも、「尼寺へ行け」のセリフに代表されるハ
ムレットの激しい言葉はオフィーリアを傷つけるが、少なくとも王子は彼
女の下心など疑ってはいないし、第一、ポローニアスやレアティーズを含
め、だれひとり王子の妃の座を狙ってなどいないことは、テクストを読む
限り明らかである。この大岡流女性嫌悪の原点に何があるのだろう。
2.近親相姦と穢れ
ここでもう一つ注目したいのは、大岡はオフィーリアとハムレットを乳
兄弟にしている点である。血は繋がらなくとも、兄弟のように育った二人
だとすれば、兄妹が一線を越えることは母と叔父が夫婦になると同様、近
親相姦のタブーを侵すことになる。原作では母ガートルードの再婚につい
て、ハムレットも父の亡霊も、近親相姦の罪を嘆く。6 大岡は若い二人に
もこの禁忌を侵犯させることによって、母と叔父の禁じられた欲望をクロ
ーズアップしている。すなわち、主人公とオフィーリアの関係は、ガート
ルードとクローディアスの関係の投影ともみなされ、ハムレットのオフィ
ーリアに対する執拗な女性嫌悪は、原作より一層、根の深いものに見えて
くるのだ。
…母上はわが心の王座より顛落して、最も悪しき罪の汚穢にまみれて
いる。母上すら信頼できぬとすれば、私は誰を信頼したらよいのか。
清純に見ゆるオフィーリアさえ、小さな胸の奥に入って見れば、蝮の
卵を育てつつあるかも知れぬのだ。
(208)
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禁忌を侵す女への憎しみ―それは「母なるもの」への恐れと憎しみとも
みなせる。オフィーリアへの眼差しは、ハムレットの母に対するエディプ
ス的な心理の転移とも考えられよう。
原作のハムレットとエディプズ・コンプレックスについてはすでにシェ
7
イクスピア研究ではしばしば指摘されているが、 大岡のハムレットは当
初から父殺害の「共犯の疑い」(204)を母に持ち、同時にガートルードの
性的な部分に激しく嫌悪感を抱いている。大岡は、男性作家が構築してき
た文学における女性像は「マザー・コンプレックス」に深く根ざしている
ことを指摘しているが(「母性の変貌」317-18)、大岡自身の『ハムレット』
翻案も例外ではなさそうだ。ガートルードは「幼き頃より見馴れたかの慈
しみ深き眼差、他の者に向っては発せられたことのない、甘くなだめるよ
うな声音を持って」(207)、「母子の安全のため」(206)に再婚したはず
だった。しかし、夫婦になった叔父と母の睦まじい姿を見ると、ハムレッ
トは裏切られた思いを拭い去れない―「いそいそと不義の床に赴く母上の
お姿を、瞼に浮かべるだけで、わが心はおどり、胸はむかつく。母上は私
を欺かれたのである」(207)。母を挟んだ三角関係で、ハムレットは嫉妬
と思慕で引き裂かれ、母を「この世で最も汚らわしき存在」(208)と嫌悪
する。ジュリア・クリステヴァは、母性をアブジェクト(=おぞましきも
の)と名付けているが、抑圧された欲望として、「母なるもの」は限りな
い魅惑と嫌悪を誘発する両義性を備えている。8 近親相姦タブーとはその
母なるものと自分の間に距離を置くための装置だが、『ハムレット日記』
の近親相姦が二重構造になっていることは、母性の根源にある穢れを一層
顕在化させ、ハムレットと母の関係を密接にしていると言えよう。
しかし、原作以上に嫌悪されるガートルードとオフィーリアは、日記の
後半、埋葬シーンを経て、別の性格を帯びてくる。特に、加筆・修正後の
『ハムレット日記』においては、深く狂気の世界に陥っていくハムレット
の思いの中で、女性は不思議な聖性を帯びてきているように思われてなら
ない。
32
Ⅳ.
1.
母なるものの穢れと聖性
大岡作品のヒロインたち
大岡は、たくさんの作品の中で、いくつかの恋愛小説を手掛けている。
それらのヒロインに焦点を絞ってみると、ある共通した特徴を帯びている
ことに気づく。当時の社会的道徳観では許されない女性、すなわち夫以外
の男性に恋をする人妻や何人もの男と関係を持つ水商売の女性が、魂は清
らかさを保ち続けているのだ。たとえば、彼の姦通小説群の中でも代表的
な『武蔵野夫人』(1950 年)の道子は夫を愛することが出来ない。夫はと
いえば、いとこの妻・富子と逢引を重ねている。しかし、それでも道子は
品位と清らかさを失わず、夫に尽くし続ける。道子の本当の気持ちは親戚
の復員兵・勉に向けられているのだが、夫と富子の欲望だけの穢れた愛と
は対照的に、二人の愛は武蔵野の美しい自然を背景に純化されていく。そ
して道子は勉と最後の一線を越えることなく、最後まで皆を気遣いながら
自死へ至る。社会的ルールを逸脱する不倫の愛であっても、道子は最も純
粋な気持を貫き、心は無垢のままでいる。
『武蔵野夫人』からおよそ 10 年後に書かれた『花影』(1961 年)では、
大岡は水商売の女・葉子を描く。葉子は多くの男性を知っているが、心は
不思議と無垢な女性である。葉子もまた、身勝手な男たちを責めることな
く、ひっそりとひとり死を選ぶ。男性遍歴を重ねた末、夜の街の徒花のよ
うにはかなく散る葉子には、少しも薄汚れた印象はない。それは作家自身、
かなり意識的に造形した人物像でもある。
私の小説に出て来る女性は、必ず複数の男と性的交渉を持たねばなら
ず、しかも決して男を愛してはならない。性的経験から無疵で出て来
なければならないのである。
(大岡『少年』300)
道子や葉子のように、肉体は処女ではなく、社会的にもルールを踏み外し
ていながら、無垢な柔らかさとやさしさを体現するヒロイン。それは、ど
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こかで大岡の実の母の姿と重なっているのかもしれない。
2.母の出自とファミリー・ロマンス
大岡昇平は明治 42 年(1909 年)、株式仲買人の父・貞三郎と母・つる
との間に長男として東京に生まれている。父は和歌山県の地主の三男坊で
あったが、早くから相場に手を出して父祖伝来の財産を失い、親戚中に迷
惑をかけたのち分家し、早々に上京して所帯を持ったのである。一時は株
で儲けて相当裕福な暮らしをしていた時期もあるが、最後は失敗して結局、
ほとんどを失ってしまう。一方、母は和歌山県の芸妓の置屋で生まれ育っ
た「仲居の私生児」(『母』420)で、父との間に昇平を身ごもったことで、
両家からの反対を押し切り、夜逃げ同様にして貞三郎に嫁ぐ(後藤、
190‐91)。昇平は父が大儲けして羽振りのよかった時期には青山学院、
成城高校で学び、渋谷のお坊ちゃんとして育ったようだ。
しかし、家庭内では幼いころから父は独裁者であり、何かというと妻子
に暴力を振るい、昇平は父を恐れると同時に憎み、母を哀れんで育ったと
いう。芸妓の出身であるということは、当時の社会では大変な引け目であ
り、因習的「家」制度が色濃く残っている時代、親戚の恥以外の何もので
もなかった。実際、つるはいつも父の機嫌を窺い、婚家に遠慮し、近所に
は自分の過去を悟られないよう細心の注意を払いながら暮らしていたらし
い。父は外にも愛人がいた(実際、母の死後に幼子を 3 人連れた父の愛人
が家に入り込んでいる)が、母は愚痴一つこぼさず耐え続け、昇平が 21
歳のとき、肺結核でこの世を去っている。
大岡は母の出自について、母の実家の料理屋から漂う独特の雰囲気から
或る程度は察していたが、ある日近所の子供の口からそのことを知り、ひ
どく傷ついたことが『少年』に記されている。それ以後、母の芸妓という
過去は大岡にとって「噛まずに呑み込むほかはないもの」(『少年』294)
となり、苦い秘密として心の奥に沈んでいく。しかし、その生い立ちを嫌
悪する一方で、憐れな母を父から守ろうとする気持、理屈ぬきに母性をあ
こがれる想いは、母との特別の一体感を生んでいたことが察せられる。
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その一例として、7 歳年下の弟・辰弥が生まれるまで、母と二人きりの
生活をしていた大岡は、乱暴な男の子より女の子と遊ぶのが好きで、母や
自分を虐げる身勝手な父を自分の本当の父ではないと思っていた時期もあ
9
ったようだ。 少年は無意識下で母のファルス(=欲望の対象)として母
子一体の幼少期を過ごしたとも言えよう。一方、父に対しては、大岡は相
場師という職業に恥ずかしさを感じており、暴力、女、浪費を性懲りもな
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く繰り返しては母を苦しめるために、反発と敵意を感じていたようだ。
あるとき、大岡は和歌山へ帰った折に父母の知り合いから、自分が「おつ
るはんに似てるかも知れんけど、貞三郎さんにもそっくりや」といわれて
がっかりした(『母』412)と述懐しているが、父の実子でないというファ
ミリー・ロマンスを信じていたかった大岡には、面白くない経験だったに
違いない。大岡は母親の笑った顔を見たことがないと述べているが(ゆり、
46-37)、社会の監視と蔑みの眼差しを恐れ、語ることを許されず、父に依
存して生きるしか術のない母は、哀れで切なく映っていたことであろう。
しかも、その環境の中で一途に息子を愛す姿は聖母のような清らかさをも
感じさせていたに違いない。それは、世間の古い道徳観や因習に縛られて、
はかなげにやさしく生きる、大岡の小説のヒロインたちに投影されている
だろう。
しかし、大岡にとって母はまた穢れでもある。母が芸妓というセクシュ
アリティを売る仕事であったことが、大岡の主体の本質に引っかかる。母
の血は自分の中にも流れている。それは大岡自身の内なる穢れでもある。
母つるは大岡の女性関係を特に嫌がったことが記されているが、それはつ
るが貞三郎から「おまえのせいだ」と詰られるのが何よりつらかったため
らしい―
母の顔と声から、父のいった「せい」とは母の躾だけでなくその全体、
卑近な言葉でいえば「はら」を指すものと直感された。
(『母』415)
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性的な放縦さは母の血のせい、ということなら、母を嫌悪することは永遠
に自分を嫌悪することになる。
作品に戻って考えてみよう。ハムレットが「私もまた汚れた身」(207)
であると認め、「自分が信じられないから、他人を信じない」(349)と語
るとき、根源に「母なるもの」の穢れを負っているからだとすると、ハム
レットがガートルードをおぞましいものと嫌悪すればするほど、それは取
りも直さず自己の否定になる。いつまでいっても「母なるもの」は自家撞
着的にハムレットの中で、内なる穢れとして堂々巡りをすることになるの
だ。
Ⅴ. 『ハムレット日記』における「オフィーリアの埋葬」の意味
1.アブジェクシオン
先にあげたクリステヴァは、人は大人に成長するプロセスで原初の母子
融合状態を断ち切り、母親を他者として自己から切り離すことが必要で
(=原抑圧)、その作業が「アブジェクシオン」であることを、フロイトや
ラカンを踏まえた上で主張している。また、母性とは、融合の快楽で誘惑
しながら、同時に嫌悪を誘発するおぞましきもの(アブジェクト)であり、
このおぞましき「母なるもの」を棄却する行為がアブジェクシオンだとも
規定している。
だとするなら、「オフィーリア埋葬」は、ある意味においてこのアブジ
ェクシオンを表象するひとつの儀礼だったとも言えるのではないだろうか。
いままで見てきたように、ハムレットにとって、母ガートルード、そして
その転移であるオフィーリアは穢れたおぞましい存在であった。そして、
それはハムレットの内部の穢れにも通じる。この連鎖を断ち切るには、内
なる穢れをオフィーリアの死によって顕在化させ、葬る必要がある。すな
わち、葬ったのはオフィーリアではなく、ハムレットの中で整理がつかな
かった母のセクシュアリティであり、その母を棄却しきれなかった自分自
身であるとも言える。
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しかし、それにしては、原作の『ハムレット』と違い、大岡のハムレッ
トはすっきりと象徴秩序(つまり、もろもろの記号象徴体系からなる父の
秩序)に参入できてはいない。彼の主体はますます不安定であり続け、つ
いに狂気の深みへとはまってしまう。確かに、その意味では『ハムレット
日記』の主人公は、確たる男性主体を獲得していないのである。しかも、
埋葬したはずのオフィーリアは、このあとすぐにハムレットの夢の中に亡
霊として現れる。棄却したアブジェクトを表象するオフィーリアが、再び
回帰してハムレットに同化するのである―「はい、あなたさまとは、同じ
乳母の、同じ乳房から飲んだせいか、同じ頃に同じような気持になります
る、つまり狂気に」(336)。それなら、この埋葬にはほかにどんな意味が
あるのだろう。
2.変容するオフィーリア
大岡が 1980 年の改訂版で行ったもう一つの大きな加筆・修正個所は、
オフィーリア埋葬を記した翌々日の日記である。「オフィーリアが夢に出
てきた」で始まるこの日の日記には、埋葬されたばかりのオフィーリアが
亡霊となって登場し、生前では一度も出なかった本音を語り、生き生きと
しておしゃべりなオフィーリアに変身している。ハムレットは夢の途中ま
で、彼女が死んでしまっていたことに気づかないほどである。1955 年版
では、この日の日記は改訂版の半分以下の短い文章に終わり、オフィーリ
アは二つの歌(死者を悲しむ歌、バレンタインの娘の歌)の触りを歌う以
外は、ハムレットの狂気と復讐の空しさをほのめかすだけで消えてしまう。
全体として狂った娘にふさわしい哀れで影の薄い登場にすぎない。
改訂版のオフィーリアは、ハムレットと対等に、いやそれ以上に語る言
葉を持っている。しかも、自らのセクシュアリティを認め、率直にハムレ
ットを求めている―「殿下は私をニンフとお呼びになりましたが、まこと、
オフィーリアはあなた様に添い臥しのお恵み賜った、と私の部屋にお成り
をお待ちしておりました、…」(338)。シェイクスピアのオフィーリアと
比べても、彼女が狂って取り乱した言葉でしか女としての欲望を語れず、
37
却って哀れを誘うのと違い、このオフィーリアは理路整然としている。む
しろ、ハムレットと立場は逆転し、ハムレットの方が狂っていることを
諄々と諭しているのである。さらに、大岡が気にしていた煉獄の存在につ
いても、敢えてオフィーリアは否定し、亡霊はハムレットの妄想だと語り
11
悲劇の王子を脱構築してしまう。
ハムレットの態度も初出の版とは違う。冷たくオフィーリアを突き放す
55 年の版では、
「寄るな、汚わしい女怪奴。大望ある身は身投娘の世迷ひ言聞く耳持
たぬわ。とつとと消え失せろ。
」(『新潮』52(10)、230)
と怒鳴って追い払った後、「不愉快な目醒め」とともに起きあがり、以後
「氣の詰る思ひ」がしたとある。一方、改訂版では、ハムレットは夢で出
会ったオフィーリアの具合を気遣ったり、以前激高してつらく当たったこ
とを詫びている。それどころか、オフィーリアを「いとしく思っていた」
し、「あわれ思っていた」と告白し、「あの世へ行ってからは、そなたが私
を導いてくれることを望んでいた」(341)とまで言い、オフィーリアにす
がるような様子さえ見せる。仕舞いに、「とっとと消え失せい」と追い払
うも、オフィーリアは消えず、いつまでもその悲しげな顔はハムレットの
前に凍りついたように残るのである。目覚めると、ハムレットは「さわや
かな風が、窓より吹き込んで、頬を撫でるのを感じ」(342)、さらに、一
瞬、次のように思う。
オフィーリアのいう通りかもしれぬ、と私は考え直した。夢の中では
腹を立てたが、彼女は私をこのメランコリーから解放しようとして、
天から遣わされた使いかもしれぬ。
(342)
ここで、25 年後、大岡のオフィーリアは「女怪奴」から「天から遣わ
38
された使い」、つまり「天使」となり、この夢は寝覚めの悪い悪夢ではな
く、さわやかな朝日を運ぶ風となっているのだ(「太陽は海のかなたの、
ノルウェイの山々の頂きより、六月の露を踏んで昇ろうとしていた」342)。
日記の日付は 2 月 19 日から 6 月 11 日へと変更されている。デンマーク
の長い冬の後、ハムレットの心に暖かな初夏が訪れたかのようだ。オフィ
ーリアは狂ったもののけから、ハムレットを包み、癒し、諭す聖女、ある
いは聖母マリアのような存在へと変容しているかのように見える。「オフ
ィーリア埋葬」はこのオフィーリアの亡霊が登場する夢の部分を合わせ、
ようやく女性を受け入れ、和解するハムレットへと変容させるひとつの機
能を果たしていると言えよう。
Ⅵ.
まとめ
最後にオフィーリアの夢の中で、ガートルードを責めないよう諭された
ハムレットは次のことも認めている。
そうさ、私も自分が淫らな存在であることを知っているから、ほんと
うは母上のことをそれほど悪く思ってはいないのだよ。殊にあのよう
に悔いておられるのであれば、なおさらだ。
(340)
ここでのハムレットは自分の中の穢れを母のせいだとして、母を嫌悪し、
責め、棄却することで自分を守ろうとするハムレットではない。ハムレッ
トの死後、ホレーシオのしたためる日記のなかで、次のような個所が改訂
後書き加えられていることも事実である―「気が狂っていたが、その人と
なりには何ともいえぬ優しいものがあった。母への思いやりもそうだ」
(350)。さらに、ガートルードがクローディアスの仕込んだ毒杯を仰いだ
あとの一節も、同じく改訂版でつけ加えられている。
しかし王妃は「いただきます」といい張りつつ、三分の一ほど飲ん
39
でしまった。
何かを予感していたのかもしれない。自分の罪の深さを自覚し、わ
が子が勝つのを見つつ死ぬ喜びを選んだのかもしれない。それともす
べては、かの万能の偶然によって継起したのかもしれない。
(352)
ガートルードが何も知らずに毒杯を仰いだのか、それとも息子をかばって
あえて飲んだのか、この点はシェイクスピアの原文でも明らかではない。
しかし、少なくとも大岡の改訂版では、明らかに母と息子は和解し、理解
しあっているように思われる。初出の版で「王子はクローヂヤスとガート
ルードの愛慾の迷ひの深さを理解してゐたのである」(『新潮』52(10)、
234)という終盤の箇所は、「王子はクローディアスとガートルードの間の、
愛情の深さを理解していたのである」(355)に書き換えられている。つま
り、「愛慾の迷ひ」は「愛情」に変更されているのだ。憎い叔父でも母は
クローディアスを愛していた。それは肉欲だけの愛ではない。これを認め
ることで、ハムレットはようやくひとりの女性としての母を理解し、受容
している。そして、その作業に大岡自身 25 年の歳月を要したともいえよ
う。
ハムレットは結局、狂気から自由になれなかったし、英雄にもなれなか
った。しかし、「埋葬」、そして女性たちとの和解を経て、そこには弱々し
いながら、寄り添う何かを認め、覚悟を決めた姿が感じられる。死の直前、
毒が自分の体内にも効いてきたとき、ハムレットは地獄へ行くクローディ
アスやレアティーズを「みじめな姿だな」(355)と述べたあと、「母上の
みは道連れなさらぬことを望む。…死に行く先はどことも知れぬが、父上
やオフィーリアのいる煉獄があるなら、私もそこへ行きたいものだ」と、
呟いている。これは初出の版にはない個所である。煉獄といえば、プロテ
スタントのキリスト教では否定されていたものである。
しかし、カトリックの教義において死後、導かれることになっている煉
獄―魂の罪を浄化する場―を、敢えてあの世に求めることで、ハムレット
40
は死後の救いを信じようとしているように思われる。かつてハムレットは
「大事なのはいかにして、亡霊とともに生きるかということ」(296)と、
述べていたが、父やポローニアス、オフィーリアといったさまざまな亡霊
とかかわりながら、彼らの思いの丈に耳を傾け、ある意味で彼は死者を鎮
12
魂していたのかもしれない。 そして、そのプロセスで亡霊たちの死後の
救いを信じたかったのではないだろうか。
その作業は、秩序と理性だけの記号秩序の世界ではなし得ない。象徴化
不能な記号の裂け目に埋もれた「母なるもの」を通してのみ可能なのだ。
確かに「母なるもの」はおぞましい一面を持つ。しかし、同時に聖母のよ
うな慈愛と許しも併せ持っているとするなら、大岡にとって最後に書き足
された「オフィーリア埋葬」の深い意味も見えてくるような気がする。
註
1
このきっかけを与えたのは岡三郎氏であり、そのことが「『ハムレッ
ト日記』の研究あれこれ」という氏の全集出版(岩波書店版『大岡昇
平集 4 』)に付された月報のコメント(1983 年 5 月)に書かれている。
2
『作家の日記』ほか、何箇所かで大岡自身が述べている。
3
拙論「政治化されたハムレット―大岡昇平『ハムレット日記』再読」
『英語英文学研究』11(2005)、28‐42 頁参照。
4
引用文に付された数字はすべて『野火・ハムレット日記』(1988 年)
版の頁をさす。
5
シェイクスピアのテクストでは、この点は全く明記されていない。お
そらく、プラトニックな関係だったとするのが大方の認めるところで
あるが、実は数ある『ハムレット』論の中には、オフィーリアはハム
レットと情を交わしていただけでなく妊娠していて、誰にも相談でき
ず一人で抱え込んで自殺したのだという解釈もある。
6
エリザベス時代では、教会法で血がつながっていなくても夫の兄弟と
41
結婚することは近親相姦とみなされていた。
7
1949 年のアーネスト・ジョーンズのフロイト的『ハムレット』解釈
以来、多くの批評家がエディプズ・コンプレックスから論じた『ハム
レット』論を展開している。
8
ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力』参照。
9
『少年』の中で、大岡は「自分は両親の本当の子供ではないのではな
いか、拾い児なのではないか、少なくとも父の子ではないのではない
か、という空想を抱いた」と述べている。(『大岡昇平集 5 』303)ま
た、昇平には 5 歳年上の姉がいたが、入籍前の子供だったため、3 歳
になるまで戸籍上は庶子扱いだったようである。姉は母方の大叔母の
養女となる約束があった。昇平の幼少期は、父の仕事の羽振りがよか
ったので、姉は幼稚園に通っていて、昼間は母と昇平ふたりであった
と推察される。『幼年』(『大岡昇平集 11 』所収)参照。
10 中原中也によく「相場師の子」と罵られ、不愉快だったと述べている。
(『母』412)
11 大岡は、プロテスタントでは煉獄が存在しないということを D.ウィ
ルソンの論文を読んで知り、「煉獄にいる亡霊の魂とオフィーリヤの
埋葬の宗教的意味について未練があって、主題が分裂した」と述べて
いる。「わが文学における意識と無意識」参照。
12 大岡が戦争で失った多くの僚友を思ってオフィーリアの埋葬に着手で
きなかったのであろうという示唆があり(花崎)、またそれは『ハム
レット日記』が、常に「死者」や「亡霊」とともにあった戦後文学の
延長線上にあるためだという指摘がある。
(立尾)
参考文献
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