平成22年 - 聖アルフォンソ・ファミリー

年
間
テ
ー
マ
すべてをキリストのもとに一つにまとめる
( 聖パ ウロ エフ ェ ソの信徒 への 手紙 1,10)
No.
250
2010年7月1日発行
(毎月1回1日発行)
谷山カトリック教会
891-0113
鹿児島市東谷山2-33-13
TEL
E-Mail: [email protected]
URL: http://www5.ocn.ne.jp/~tycc/
099-268-2084
FAX 099-284-5738
発行人: ヨゼフ・ムイベルガ神父 編集委員: 太田勇二郎 Sr.下川千穂子 徳重敏寛 板倉義典
人 権 に つ い て
多くの指導者たちは、人権問題は革命からの要
請と見なしました。そいうわけで教会は約10
0年間、人権を否定し続けました。しかし実際
には、1539年にスペインのサラマンカでド
ミ ニ コ 会 の 神 父 、 Francisco de Vitoria
(1483-1546) は大学の講義に於いて南米の原
住民のかわいそうな状態に注意させて彼らの
人権を弁護していました。
1962年、福者ヨハネ23世教皇は第二ヴ
ァチカン公会議を開きました。公会議の「現代
世界憲章」41番は人権を明確に認めました。
この憲章に次の通り書いてあります:
「人間の
定めたいかなる法律も、人間の人格的尊厳と自
由を、教会に託されたキリストの福音ほど完全
に確保することはできない。キ
リストの福音は神の子らの自由
を告知宣言し、最終的には罪か
ら出たあらゆる奴隷状態を排除
し、良心の尊厳とその自由な決
定を厳重に尊重し…すべての人
をすべての人の愛に託する。…
従って教会は自分に託された福
音の力をもって人間の権利を宣
言し、この権利をいたるところ
で推進させている現代の力強い
動きを認め、高く評価する。た
だし、この運動に福音の精神を
吹きこみ、あらゆる種類の間違った自律の概念
から守られなければならない。われわれは、神
定法のあらゆる規則から解放される時にこそ、
はじめて人間の権利が完全に確保されるとい
う考えに誘惑される。しかし、この道を取れば
人間の尊厳は救われるどころか、かえって消滅
するのである。
」 主任司祭 J.ムイベルガ神父
泣く女 ピカソ
10年位前から、見る見るうちに、新聞には
人権違反の記事が増えてきました。人間個々の
根本的な権利が色々な政府や軍隊または圧力
団体によって無視されています。様々な国があ
ります、思い出してみましょう。例えば、朝鮮、
ジンバブエ、ルアンダ、コロンビア、ミャンマ
ー、インドネシア、中国、イラク、アフガニス
タン、パキスタン、インド、サウジアラビア、
などなど。
さて、問題になっているその権利とは何か:
命と安全な生活、個人の財産、恣意的な裁判に
対する保護、宗教と良心の自由、結社の自由な
ど。過去のつらい体験に基づいてこれらの権利
が文書化されました。1917年のレーニンの
革命、第2次世界大戦、194
5−47年の毛沢東の革命など、
多くの事件が数えきれないほど
の人々の命を奪い、彼らの財産
を強奪し、家、教会、お寺、工
場、町、あるいは掛替えのない
文化財を破壊しました。これら
の想像を絶する苦悩と悲劇を考
慮に入れて、いろいろな政府は
国民にすべての根本的な権利を
保障し、憲法に書き入れるよう
に決定しました。1948年に
国連は「世界人権宣言」を発表
しました。この宣言はすべての国の政府が、必
ず人権を尊重するように求めたものでした。1
980年に国連はこの宣言に「女子差別撤廃宣
言」
、1984年に「反拷問協定」
、1989年
に「子供の権利の保護協定」をつけ加えました。
フランスの革命の時、人権を求める叫びが徹
底した大声となって聞こえてきたので、教会の
彼は優れた哲学者で、パリ大学で教え、聖書の講義も行っ
ていた。1256年35歳の若さでフランシスコ会の総長に任ぜ
られ、後にアルバーノの司教および枢機卿に任命された。
「創造の世界は神の印を私たちに与える。しかし神を観想
するためには、理性によって磨かれた信仰が必要である。」
「いばらと十字架、釘と槍、そして御傷。これらの豊かな遺産
が、私たちの心を満たし、愛を燃えたたせますように。すべて
の賛美はキリストに向けられますように。」
友人のアクィノの聖トマスが、どこでその偉大な知識を得た
のかと尋ねた時、彼は十字架を指差して「私は、ただ十字架
につけられたイエズス・キリストを学ぶだけです。」と答えた。
1274年帰天(享年53歳)。
聖遺骨収納展示ケース完成
聖堂正面向かって右のマリア様の壁に、新しく作成されたアクリ
ルケースが掛けられ、そこに聖遺骨が安置されました。これまで修
道院で大切に保管されていましたが、この度私たちの前に御姿を
見せて下さいました。
① ―――→
② ―――→
③ ―――→
④ ―――→
③
④
⑤
⑥
⑦
↑︱︱ ⑦
①
②
↑︱︱ ⑥
↑︱︱ ⑤
番号
聖 人 / 福 者 名
日本の殉教者 (不明)
聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴーリ
聖ヨハネ・ノイマン
聖クレメンス・ホフバウアー
福者カスパル・シュタンガシンガー
聖ジェラルド・マイエラ
福者ペトロ・ドンダース
ペンテコステでの紹介___号
1696-1787
1811-1860
1751-1820
1871-1899
1726-1755
1809-1887
レデンプトール会の創立者
新大陸の羊飼い
樫の木の人
青少年の指導者
修道者の鑑
見捨てられた人々の友
168
185
187
169
170&182
185
2010 ミニバザー(6月27日)成功裡に挙行される
夜来の雨も上がってお客さんの出足も良く、ミニよりも少し大きめのメディアムサイズのバザーが賑やか
に行われました。沢山のお買い上げ有難うございました。詳細は次号でご報告します。お手伝い下さっ
た全ての皆さん、有難う!
ム
イベルガ神父様の講義「カトリック教会の歴史」は毎週水曜日10時から行われていま
したが、2009年暮れ、58回をもって終了しました。この講義録をそのままにしておく
のは惜しいと思いまして、本誌246号よりそのダイジェスト版を掲載することに致しました。し
かし紙面の関係と編者の能力を考えまして、暦年記載を続けるのではなく、トピック毎の読み
切りシリーズにしたいと思います。神父様が収集された貴重な珍しい図版も出来るだけ取り
入れますからどうぞご期待下さい。 (主な参考資料:アウグスト・フランツェン著「教会史提要」、ヨハネス・ラウ
レス著「キリスト教的ヨーロッパ史」、エドワード・ノーマン著「ローマ・カトリック教会の歴史」他)
第5回
編者:太田勇二郎
コンスタンティヌスの寄進状
西ローマ帝国から、唯一の主権者だった西ロー
マ皇帝が姿を消し、東ローマ帝国皇帝の威光にも
陰りが見え始めた時に、その空白を埋めたのは、イ
タリアに広大な領土を持つローマ教皇でした。この
領土は、コンスタンティヌス帝自身(参照 No.247)が
ローマ司教座に丸ごと与えた土地建物が始まりで、
やがて「聖ペトロの世襲領(西ローマ帝国滅亡後、
寄進によって所有することになった教皇領)」やシ
チリア島などが合併されて拡大したものでした。
後に「世俗権」と呼ばれるようになる権力が、土
地所有が政治権力と切り離せない中世のヨーロッ
パに於いて、カトリック教会の独立を守るために働
きました。「キリストの代理人」が世俗の問題に関与
せざるを得なくなって、政治にかかりきりになるとい
う事態が度々生じましたが、そうした「世俗権力」が
あったので教皇の独立が守られた事実も否定でき
ません。
明するのは15世紀になってからですが、しかし当
時の人々が真実だと信じていたことに、有形の根
拠を与える目的で作成されたものであって、聖遺
物同様の聖性を見ることが出来ます。
こうした教皇による君主制の始まりは、来るべき
西ヨーロッパ封建化の流れと一致するものでした。
そもそも封建制度とは、ローマ帝国内に移住して来
たゲルマン部族の多種多様な政治形態の総称で
すが、例外なく、社会を領主と封臣との地域的集合
体としてとらえていました。つまり領主が土地を与え
封臣はその代わりに軍務を果たすことで成立して
いました。また臣従の礼を尽くすことで主従関係を
確かめ合っていました。広大な土地を持つことにな
ったカトリック教会が、この土地所有と結ばれた封
建制度に組み込まれていくのはごく自然なことでし
た。そして遂には主従関係の頂点に立つことになり、
それは封建貴族の長を意味することで、教皇は王
として君臨することになりました。
民族大移動で歴
史に登場するフラン
ク族はゲルマン諸部
族の連合体で4世紀
半頃ガリアに侵入し、
ある時はローマ人と
結び、ある時は争い
ながら、西へ西へと
進んでソンム河畔
(フランス北部、カルディア地方)に到達しました。
「コンスタンティヌス帝の寄進状」と呼ばれるフレ
スコ画は、13世紀の作品で、ローマのサンティ・ク
アットロ・コロアーティ教会に保存されています。左
に座る教皇が寄進状の巻物を受取っているシーン
です。コンスタンティヌス帝とその後継者たちは、イ
タリアやその他の広大な土地をカトリック教会に寄
進しました。しかし後世になると、その法的な根拠
が必要になって、寄進状が作られたのだと思われ
ます。それは8世紀のことです。寄進状が偽物と判
時代は下って、その部族を整えたカロリング朝フ
ランク王国のカール1世に、教皇レオ3世は、サン・
ピエトロ大聖堂で西ローマ皇帝の冠を授けました。
800年のことです。これは古代ローマ帝国からの持
続性を認める行為でしたが、誰の目にも「世俗の権
力を与えたり奪ったりする権威」が教皇にあることが
明らかになる事件でした。(フランス、カストル、ゴヤ
美術館蔵)
平成22年 谷山教会 7 月 の予定と祝日表 (7/1∼7/31) 西暦2010年
日時
典礼 と 行事
朗読
掃除
班会等
7月1日 (木) 記念日 福者ペトロ岐部司祭と187殉教者
2日 (金)
19:00
初金ミサ、召命のロザリオ
3日 (土)
14:30
19:00
教会学校
年間第14主日のミサ
4日 (日) 6:30と9:00 年間第14主日
キリスト教文学会
19:00
②③
②③掃除後教会
②③
6日 (火) 記念日 聖マリア・ゴレッティおとめ殉教者
10日 (土)
14:30
19:00
④
教会学校
年間第15主日のミサ
11日 (日) 6:30と9:00 年間第15主日
司牧評議会
ミサ後
④掃除後教会
④
班会お休み班
⑩
15日 (木) 記念日 聖ボナベントゥラ司教教会博士
17日 (土)
14:30
19:00
⑤⑪
教会学校終業式
年間第16主日のミサ
18日 (日) 6:30と9:00 年間第16主日
若者の集い
18:00
⑤⑪
①ミサ後教会
国民の休日 (海の日)
19日 (月)
20日 (火) 記念日 聖アポリナーリス司教殉教者
22日 (木) 記念日 聖マリア(マグダラ)
24日 (土)
⑤⑪掃除後教会
19:00
⑥⑦
年間第17主日のミサ
25日 (日) 6:30と9:00 年間第17主日
⑥⑦
26日 (月) 記念日 聖マリアの両親 聖ヨアキムと聖アンナ
29日 (木) 記念日 聖マルタ
30日 (金) 記念日 聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士
31日 (土) 記念日 聖イグナチオ(ロヨラ)司祭
年間第18主日のミサ
19:00
8月1日 (日) 6:30と9:00 年間第18主日
聖書と教理-1
[毎週(日) 20:00]
レジオ・マリエ
[毎週(月) 10:00]
[毎週(火) 10:00]
ロザリオの祈り
典礼について
[毎週(水) 10:00]
召命ミサ
[毎週(水) 19:00] 七つのステップ(福音の分かち合い[毎週(水)上記ミサ後]
聖体礼拝
[毎週(木) 9:00∼12:00]
聖書と教理-2
[毎週(木) 9:00∼12:00]
[毎週(金) 20:00 (初金はミサ後)]
召命のロザリオ
聖書と教理-3
[毎週(土) 19:00 のミサ後]
⑧⑨
七
月
の
⑥⑦掃除後教会
行
事
当
番
は
四
班
⑧⑨掃除後教会
⑧⑨
4日、11日、18日、25日
5日、12日、19日、26日
6日、13日、20日、27日
7日、14日、21日、28日
1日、 8日、15日、22日、29日
9日、16日、23日、30日
3日、10日、17日、24日、31日
聖ペトロ使徒座への献金(6月27日) ¥
16,332
クリスマスは どんな出来事(できごと)のお祝
(いわい)ですか?
A) イエスさまの ご昇天(しょうてん)
B) イエスさまは 神(かみ)のまことのことば
C) イエスさまが人間(にんげん)としてお生
(う)まれになった
D) 山上(さんじょう)の説教(せっきょう)
カインとアベルは 誰(だれ)でしょう?
A)ブルガリアへ行った宣教師(せんきょうし)
B)アダムとイヴの息子(むすこ)たち
C) エジプトの王(おう)
D)エルサレムの神殿(しんでん)の司祭
(しさい)
年
間
テ
ー
マ
すべてをキリストのもとに一つにまとめる
(聖 パウ ロ エフ ェソ の信 徒へ の手 紙 1,10)
No.
251
2010年8月1日発行
(毎月1回1日発行)
谷山カトリック教会
891-0113
鹿児島市東谷山2-33-13
E-Mail: [email protected]
URL: http://www5.ocn.ne.jp/~
tycc/
TEL 099-268-2084
FAX 099-284-5738
発行人: ヨゼフ・ムイベルガ神父 編集委員: 太田勇二郎 Sr.下川千穂子 徳重敏寛 板倉義典
レデンプトール会の創立者である聖アルフォンソ
るようになりました。そして、その時に聞いた神の呼
は倫理神学者、司教、福音を根気よく教えている説教
師、または特に祈りの教師として知られています。彼
びかけに応えようと決心しました。
「この世から離れ
(出家)
、私に従いなさい!」この回心の後、アルフ
の時代の教会の特色は倫理神学の厳格主義でした。あ
の時代の、感情の冷たい神学
やジャンセニズムの救いの
ォンソは次のように祈りました。
「父である神よ、あ
なたはすべての人々を愛し
ています。私みたいなかわい
間違った予定説は、慈悲深い
神のイメージを大変醜くい
ものにしました。この神学は
病的な恐怖を起こしたので、
聖アルフォンソは人々の心
そうな罪人をも愛していま
す。私はあなたのあわれみの
協力者になることができま
すか?主イエズス・キリスト、
あなたと共にあなたの父の
を新たに神の愛に開きたか
ったのです。彼の説教と霊的
な書物はいつも、心からのま
あわれみをすべての見捨て
られた人々に示したいので
す。そしてあなたと共にあな
たは心に響く祈りへと導き
ます。おもしろいことに聖ア
ルフォンソの祈りは彼の生
涯を鏡のように見せてくれ
ます。
1696年に聖アルフォ
ンソはナポリで生まれまし
た。17歳の時、国法と教会
法の博士を取って大成功の
弁護士になり、30歳の時、
叙階の秘跡を受け、1732
たの十字架を背負って頑張
ります。アーメン」
アルフォンソの説教がナ
ポリ市の特に浮浪者と蔑ま
れた人々によく聴き入れら
れたことは不思議ではあり
ません。神への愛は彼の隣人
愛の基礎でした。彼の神と人
間、特に罪びとに対する信頼
は彼の祈りの特徴となって
います。この祈りの体験によ
年レデンプトール修道会を創立し、30年の後ローマ
法王の任命によってアガタ・デイ・ゴティの司教にな
りました。91歳の時、パガニ(南イタリア)で帰天
されました。
聖アルフォンソは特別に寛大な心と強い正義感の
持ち主としてよく知られていました。しかし、厚かま
しい陰謀によって大切な裁判に負けた時、財産家の世
界、お金と自尊心の世界は真の幸せを与えないと分か
ってアルフォンソはいつも信頼を表し、憂いに深く沈
んだ人々と圧迫された人々に新しい希望を与えるこ
とができました。簡単に言うと聖アルフォンソの祈り
方はキリスト教の霊性を根本的に刷新しました。つま
り聖アルフォンソは私たちに次のことを教えていま
す:あなたの祈りはいつも神の創造に対する賛美や感
謝やよろこびを表わさなければならない。と
主任司祭 ヨゼフ・ムイベルガ神父
8 月 25 日
かった、と言う必要のないよ
うに、いつも注意していなけ
ればなりません」ということ
でした。
彼は敬虔な王でありました
が、戦いにも強い王でした。
トゥールーズの反逆者を従え
たり、テイュブルグでイギリ
フランス王ルイ 9 世は、12 歳の時王位に
就いて、しばらくは母親の後見のもとにあり
ましたが、1235 年に実権を握ってからはそ
の後の 35 年間、深い信仰と愛徳と英知をも
ってフランスを統治しました。当時は殺伐と
した時代でしたが、彼は驚くほど憐れみ深い
王であったと言われます。
王があまりにも長い時間をかけて祈るの
で、家臣が文句を言うと、
「お前たちの方が、
もっと長い時間を、ばくちに費やしているで
はないか」と答えたと云います。また王の口
から呪いの言葉を聞いた者は、誰一人いませ
んでした。王が常日頃言っている言葉に、
「あ
なた方が、何かしたり又言う時には、後にな
って、あんなことはしなかったとか、言わな
スのヘンリー3世を征服してギネンスを支配し、貴族間の争いを
調停しました。1248 年と 1270 年には十字軍を発して聖地エ
ルサレムの奪回を試みました。しかし、2 回目の出陣中に病を得
て、チュニスで帰天したのでした。
聖ルドヴィコの時代は、素晴らしいゴシック建築が次々と建て
られた時代でした。1239 年、コンスタンティノープルの王か
ら、
「イエズスの茨の冠」と伝えられた聖遺物を貰った時、彼は
サン・シャペルという美しい教会をパリに建てました。
小餅、佃煮
ひやしうどん
ハーブ、小豆
焼き菓子(クッキーなど)、書籍
ドーナツ、ふくれ菓子、マドレーヌ 他
ハーブ入り石鹸、手作り小物 他
山野草寄せ植え、手作り小物
韓国名茶
すもも、にんにく
売上
利益
38,635
9,700
13,200
33,750
23,605
15,000
15,360
13,460
10,890
13,800
38,635
8,986
4,912
3,725
2,361
1,500
1,536
1,346
1,089
1,380
187,400
65,470
平易な英文ですから、訳する必要もないと
メイン商品
掘出し市(提供品)
思いますが、﹁
もし上海にお越しになる機会が
出店者名
本部
6班
10班
聖アルフォンソ合唱団
臨床パストラル
あすなろ
愛の聖母園
野の花
大良商店
指宿教会
あれば、喜んで私の住まいにお迎え致します。﹂
(B)2010 春のミニバザー報告(6月27日開催)
と書かれています。
(A) ペンテコステ6月号
(No.249)に「上海からの手紙」とし
て紹介した、上海の金司教(Aloysius Jin S.J.)のことを憶えてい
ますか。彼は、尊敬するマテオ・リッチ(1552-1611、ザビエルの
夢見た中国宣教に成功したイエズス会士)に見習って、日頃の
努力・精進を続けるように薦めたものでした。彼の言葉、「社会
は毎日変化しており進歩していますから、怠けると教会の声が
聞こえなくなります。」とは、実に重いものでした。
私達は金司教に文章を拝借したお礼を申し上げて、ペンテコ
ステ6月号を謹呈しました。そのお返事が届きましたので右に転
載します。
ム
イベルガ神父様の講義「カトリック教会の歴史」は毎週水曜日10時から行われていま
したが、2009年暮れ、58回をもって終了しました。この講義録をそのままにしておく
のは惜しいと思いまして、本誌246号よりそのダイジェスト版を掲載することに致しました。し
かし紙面の関係と編者の能力を考えまして、暦年記載を続けるのではなく、トピック毎の読み
切りシリーズにしたいと思います。神父様が収集された貴重な珍しい図版も出来るだけ取り
入れますからどうぞご期待下さい。 (主な参考資料:アウグスト・フランツェン著「教会史提要」、ヨハネス・ラウ
レス著「キリスト教的ヨーロッパ史」、エドワード・ノーマン著「ローマ・カトリック教会の歴史」他)
第6回
編者:太田勇二郎
中世の教会 (その一)
歴史は川の流れのように進み中断することが
ありません。従ってその流れを刻んで時代区分
を試みても、その試みによって捕えられるもの
はいつも部分的な局面に過ぎず、区分全体を表
すことは難しく時には間違いも生じます。およ
そ西暦500年から1500年までの期間を
「中世」と呼びますが、この名称はそもそも言
語学から借用されたものでした。その上、15
世紀の人文学者達はその間の時期をそっくり
「野蛮な中世」と性格付けたため、この時代の
真の価値の誤認が生じました。
中世における西洋の歴史的な発展は、古典古
代とキリスト教とゲルマン精神の三和音に基づい
ています。若いゲルマンの諸民族が教会に入っ
てきて強い影響力を与えたので、教会史の表舞
台は地中海海域から北方に移動していきます。
ローマ人は、ゲルマン人の戦争と征服のやり方
が自分たちの帝国の文化や文明を破壊する「蕃
族」であると思っていました。しかし平和時に
は、ゲルマン人はローマ帝国の文化的・文明的
な業績を尊敬しており、この文化に対しては率
直に学ぶ姿勢を持っていました。
しかし、ゲルマン的生活の根
本構造は保存されたままでした
から、
「キリスト教の組織上の諸
形態のゲルマン化(W.ノイス)
」
が起り、次のような仕方で影響
を及ぼしていきました。1)古代
の都市構造の中で大きくなって
いた教会は、ゲルマン的な影響
を受けて(ゲルマン人は農耕民
族)
、農業の構造をも受け入れま
した(聖職禄制度、田舎での小
教区の設定など)。2)土地所有
者の権利についてのゲルマン的
見解が教会制度に大きな影響を
及ぼします。それに従えば、あ
る土地に建てられた教会はあらゆる世俗的な権
利(税金、寄付所得)と霊的な権利(秘跡の授
与、司牧など)は共に土地の所有者に属し、司
教にはそれについて何らの権限もありませんで
した。この私有教会制度は間もなく西洋全体に
根を下ろしていきます。3)領主、貴族、自由人、
半自由人、隷属民(奴隷)という、ゲルマン的
身分の厳格な区別が、キリスト教的中世の中に
移行してゆき、高位と低位の聖職者間の厳しい
身分の区別が出来上がっていきます。またそれ
は、教会における貴族支配に有利に働きました。
4)闘争や戦争に対するゲルマン人の態度は、
キリスト教的騎士道の成立や、神のために聖別
された戦士の観念や聖戦、騎士修道会や十字軍
の理念をもたらしました。5)ゲルマン的王制
は、キリスト以前の時代から神秘的で宗教的な
輝きを持っていましたが、その輝きは、教会に
よる聖別によって更に高められ、キリスト教的
王制の内に生き続けました。それは間もなく高
い尊厳を持ったキリスト教的な司祭−国王へと
拡張されていきます。6)王制のこの宗教的な拡
大は、あらゆるゲルマン諸国に於いて見られ、
国王がその先頭に立つ領邦教会制度として成立
しました。皇帝たちも彼らの地
位を教会的・宗教的なものとみ
なし、またそのように改造して
いきました。
戴冠 式で塗油 聖別され る中世の
王。君主と聖職者が相互依存の関
係を示している。14 世紀フランス写本
現代人は中世の工芸品や絵
画・美術を大いに称賛しますが、
中世の宗教の実態や血なまぐ
さい争いを知ると、嫌悪感を覚
えます。次号からその幾つかを
紹介していきます。しかし過去
に現在の考えや基準を押し付
けて判断するのは間違いのも
とで、過去は過去で見極め、そ
のままにしておくのが賢明だ
と思います。
平成22年 谷山教会 8月 の予定と祝日表 (8/1∼8/31) 西暦2010年
日時
典礼 と 行事
朗読
掃除
⑧⑨
8月1日 (日) 6:30と9:00 年間第18主日
4日 (水) 記念日 聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭
6日 (金) 祝日 主の変容
日本カトリック平和旬間(15日まで)
初金ミサ、召命のロザリオ
19:00
7日 (土)
19:00
⑩
年間第19主日のミサ
⑩
8日 (日) 6:30と9:00 年間第19主日
9日 (月) 記念日 聖テレサ・ベネディクタ(十字架の)おとめ殉教者
班会等
八
月
の
行
事
当
番
は
五
班
10日 (火) 記念日 聖ラウレンチオ助祭殉教者
11日 (水) 記念日 聖クララおとめ
12日 (木) 記念日 聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタル修道女
13日 (金) 記念日 聖ヒッポリト司祭殉教者
①
14日 (土) 記念日 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者
聖母の被昇天のミサ
19:00
15日 (日) 6:30と9:00 聖母の被昇天
①
16日 (月) 記念日 聖ステファノ(ハンガリー)
20日 (金) 記念日 聖ベルナルド修道院長教会博士
②③
21日 (土) 記念日 聖ピオ十世教皇
19:00
年間第21主日のミサ
22日 (日) 6:30と9:00 年間第21主日
若者の集い
18:00
②③
23日 (月) 記念日 聖ローザ(リマ)おとめ
24日 (火) 記念日 聖バルトロマイ使徒
司
牧
評
議
会
・
班
会
・
キ
リ
ス
ト
教
文
学
会
は
お
休
み
25日 (水) 記念日 聖ルドヴィコ
27日 (金) 記念日 聖モニカ
28日 (土) 記念日 聖アウグスチヌス司教教会博士
④
年間第22主日のミサ
19:00
29日 (日) 6:30と9:00 年間第22主日
④
聖アルフォンソ合唱団ヨーロッパ遠征記念プレコンサート (ザビエルカテドラル)
15:00
聖書と教理-1
[毎週(日) 20:00]
レジオ・マリエ
[毎週(月) 10:00]
[毎週(火) 10:00]
ロザリオの祈り
典礼について
[毎週(水) 10:00]
召命ミサ
[毎週(水) 19:00] 七つのステップ(福音の分かち合い[毎週(水)上記ミサ後]
聖体礼拝
[毎週(木) 9:00∼12:00]
聖書と教理-2
[毎週(木) 9:00∼12:00]
[毎週(金) 20:00 (初金はミサ後)]
召命のロザリオ
聖書と教理-3
[毎週(土) 19:00 のミサ後]
ペトロとパウロは どこで 処刑(しょけい)されま
したか?
A) ローマ
B) アテネ
C) エルサレム
D) ニューヨーク
1日、 8日、15日、22日、29日
2日、 9日、16日、23日、30日
3日、10日、17日、24日、31日
4日、11日、18日、25日
5日、12日、19日、26日
13日、20日、27日
7日、14日、21日、28日
聖書(せいしょ)の専門家(せんもんか)をラビと呼ぶ
のは どの宗教(しゅうきょう)でしょう?
A)仏教(ぶっきょう)
B)イスラム教(きょう)
C) 儒教(じゅきょう)
D)ユダヤ教(きょう)
年
間
テ
ー
マ
すべてをキリストのもとに一つにまとめる
(聖パウロ エフェソの信徒への手紙 1,10)
No.
252
2010年9月1日発行
(毎月1回1日発行)
谷山カトリック教会
891-0113
鹿児島市東谷山2-33-13
E-Mail: [email protected]
URL: http://www5.ocn.ne.jp/~tycc/
TEL 099-268-2084
FAX 099-284-5738
発行人: ヨゼフ・ムイベルガ神父 編集委員: 太田勇二郎 Sr.下川千穂子 徳重敏寛 板倉義典
つい最近、ある記者が 「人々がなかなか施しを
する心を持たない」 と訴え嘆いていました。例とし
てパキスタンの洪水災害が取り上げられていました。
インダス川で1000人以上の人がおぼれたのに、
大勢の人々はすべて、家、畑、動物などを無くした
のに、国際的なレベルでさえも、助けるようにとの要
請はとても少ないもの
でした。
それと比べたら、6
年前の津波または今
年のハイチの大地震
は、マスメディアによっ
て非常に強い共感を
呼び起しました。あの
時は、精神的なショッ
クを与えた写真と緊張
に満ちた記事が、早く
助けるようにと、すべて
の人間の良心に訴え
ていました。パキスタ
ンの場合には、感動
的な報道が欠けてい
たのか、あるいは喜ん
で寄付する心が麻痺
していたのでしょう
か?恐らく、両方は当たっています。
使徒行録の9章10章によると、初代教会の信
者達は「多くの施しをし、よく神に祈っていた」(10,
2)。彼らはイスラエル民族の歴史、エジプトの奴隷
制度の貧困の体験を忘れませんでした。祈る時、
神がシナイの砂漠でユダヤ人に、どんなにたくさん
の恩恵を与えられたかを思い出していました。だか
ら、強制的にバビロンに捕虜として連れて行かれた
トビトというユダヤ人は息子のトビアスに次のことば
を使って戒めました。「持っているもののうちから施
しをし、いつも、貧乏人に顔をそむけるな… 施しは
豊かに図れ、多くを持ったら多くを与えよ。(なぜな
ら)施しは人を死(罪)から解き放つ」と。(トビト4,7.
10.16)。
「多くを持つ」。突
然世界中に大きな銀
行が財政的な困難に
陥ってそれが広がっ
た時、たくさんの国の
政府は困った銀行を
助けるために巨額の
金を出して急いで協
力しました。しかし、パ
キスタンを助けて下さ
い、との国連の呼びか
けに対しての反応はと
ても遅いでした。
たびたび、物質的
な助けだけでなく、精
神的、霊的な助けも
足りません。物質的な
苦労を我慢し、苦労を
克服するために人々は心のしるし、理解されている
しるしを必要としています。それは災いの犠牲者だ
けではなく、私たちの病人と老人の仲間達に対して
も言えます。聖ヨハネ・クリゾストモはいつか次のよう
に言いました。「施しは私たちの心の傷にとっては
薬です。」 病人または老人訪問は薬のような効果
があります。
主任司祭 ヨセフ・ムイベルガ神父
9月 10 日
ニコラオは1245年、イタリアのアンコーナのサンタンジェロで生まれ
ました。両親は長い間子供に恵まれなかったので、彼を神様からの賜物とし
て大切に育てましたが、特に母親は「息子が聖人になるように神様がお定め
になった」と言って、教区司祭の影響を受けるように心がけました。
ある時、一人のアウグスチノ会修道士が「世間を愛してはいけない。世間
の物を愛してもいけない」と説教しているのを聴いて、アウグスチノ会に入
りたいと熱望し、入会を許されてやがて司祭に叙階されました。
初め彼は隠遁的生活に召命があると思っていましたが、ある日祈っている
時に、
「トレンチノへ行け」という声を聞きました。それで間もなく彼はトレ
ンチノに送られ、30年間説教の生活を送り、1305年帰天しました。
聖アルフォンソ合唱団は 9 月 16 日から 12 日間の予
定でドイツ・イタリアに遠征します。それを記念してプレ
コンサートが去る 8 月 29 日、ザビエル教会聖堂で行わ
れました。当日は、聖堂一杯にお客様が溢れ、暖かい
声援を送って下さいました。バッハのコラール(最初の
一曲)合唱の後、ムイベルガ神父様のご挨拶がありまし
た。次にその一部をご紹介します。
『この遠征のきっかけは、谷山教会を訪問したドイツと
イタリアのお客様が、私たちのクリスマスとイースターの
合唱を聴いてびっくりされたことから始まります。「日本
人はヨーロッパと同じように立派な車を作りますが、宗教
音楽はどうかなぁ?あなた方はミサの時に声を出します
か?」 などの間違ったイメージがヨーロッパにはありま
す。日本車と座禅と沈黙はよく知られていますが、それ
だけではないと、私たちは日本のカトリック教会の声も聴
かせたいのです。
もう一つの目的として、谷山教会だけではなく他の教
会でも、立派な合唱団が生まれるとしたらこんなに嬉し
いことはありません。その動きを励ますために今日ここで
歌っています。』
お話の途中を利用して、合唱団は二階へ静かに移
動しました。教会の造りがヨーロッパでも同様なので、パ
イプオルガンの横で「戴冠」その他の曲を歌いました。
合唱は二階から、天国からの声のように聞こえたと思い
ます。最後に再び祭壇の前に戻り、「中国地方の子守
歌」「さくらさくら」をアカペラで歌い、感謝のうちにプレコ
ンサートは終わりました。この模様は MBC テレビで報道
されましたから、ご覧になった方も大勢いらっしゃると思
います。
プ ロ グ ラ ム
1
J.S.バッハ作曲
カンタータ 147番 「口と心と行いと生活で」 より
コラール “イエスよ、人の望みの喜びよ”
2
ごあいさつ
ヨセフ・ムイベルガ神父
3
W.A.モーツァルト作曲
「戴冠」 ミサ曲 KV317
4
W.A.モーツァルト作曲
Ave Verum Corpus めでたし、まことの御からだ
5
G.ロッシーニ作曲
「小荘厳」 ミサ曲より
~ ~ 休憩 (10分) ~ ~
二重唱 “世の罪を除きたもう主よ”
ソプラノ 三浦 かおり
アルト 手塚 洋子
6
W.A.モーツァルト作曲
Tantum ergo かくも偉大なる秘跡を
Sancta Maria 聖なるマリア
7
日本民謡・古謡より
中国地方の子守歌
さくら さくら
8
お礼のことば
松澤 宜生
ム
イベルガ神父様の講義「カトリック教会の歴史」は毎週水曜日10時から行われていま
したが、2009年暮れ、58回をもって終了しました。この講義録をそのままにしておく
のは惜しいと思いまして、本誌246号よりそのダイジェスト版を掲載することに致しました。し
かし紙面の関係と編者の能力を考えまして、暦年記載を続けるのではなく、トピック毎の読み
切りシリーズにしたいと思います。神父様が収集された貴重な珍しい図版も出来るだけ取り
入れますからどうぞご期待下さい。 (主な参考資料:アウグスト・フランツェン著「教会史提要」、ヨハネス・ラウ
レス著「キリスト教的ヨーロッパ史」、エドワード・ノーマン著「ローマ・カトリック教会の歴史」他)
第7回
編者:太田勇二郎
中世の教会 (その二)
キリスト教の普及の方法がローマ人とゲルマン人
との場合異なっていたため、キリスト教は両民族の
国家に於いて全く違った地位を得ていました。ロー
マでは一般にまず下層民がキリスト教徒となり、皇
帝からはげしく迫害され、上層民からは軽蔑されま
した。皇帝がキリスト教徒となると一転してこれを国
教とし、異教徒を迫害し(例えばゾロアスター教)、
反抗者を強いて改宗させました。
ゲルマン族の場合は、これとは反対に上層階級
が先に洗礼を受け、国王の振る舞いは当然その臣
下にも及んだので、迫害ということは全く無く、むし
ろ受洗は自由意思によるもの
で、臣下の義務を果たすこと
として自ら進んで改宗したの
です。中世が始まって早々、
496年のクリスマスに、フラン
ク・メロヴィング朝の王クロヴィ
スと臣下3000人が受洗しま
した。そしてこの改宗は、その
後数年のうちに、フランク全族
がカトリックに改宗するという
結果をもたらしました。
中世のヨーロッパでは、こ
の国家と教会の共存二元論
に基づいて規定されていきま
す。東方のビザンティン的中
央集権主義とは異なって、西
方では最初から二つの中心
を持つ楕円形になり、両者は、
人間が神に拘束されているこ
とを承認して、同一の文化的統一体となりました。
そして種々の障害があったにも拘わらず、著しい進
歩を遂げていくことになります。
739年教皇グレゴリウス3世(在位731-741)は、
カール・マルテル(689-741)にランゴバルド族の
攻撃から教会を守るように訴えました。カール・マル
テルはメロヴィング朝フランク王国の宮宰の地位に
ありましたが、主家の衰退に乗じて実権を握り、カロ
リング朝フランク王国への道を開いた人物です。彼
は自国がイスラム軍の侵略を受けた時、ランゴバル
ド族の支援を受けたため、教皇の要請を断ってい
ます。
その後、800年にカール・マルテルの孫でカロリ
ング朝フランク王国を興したカール1世(742-814、
フランス名はシャルルマーニュ)に、教皇レオ3世
(在位795-816)が西ローマ
皇帝の冠を授けましたが、こ
の時の教皇の姿勢は慎重で
した。帝冠はあくまでもカール
1世個人に授与し、フランク王
国全体の聖別は行いません
でした。
しかし962年になると、教皇
ヨハネス12世(在位955-96
4)がオットー1世(ドイツ王、
在位936-973)に初代神聖
ローマ皇帝の冠を授けた時は、
帝権の正当性を完全に復活
させようと考えていました。
教会の権威は、現世の秩
序を維持するために俗権を必
要としており、世俗の権力は、
永遠の命を得るために聖権を
必要としていました。この相互
依存の関係にある教皇と皇帝がいつも平穏という
わけではなく、勢力の均衡が崩れたり、利害関係が
からむと、当然のことながら両者間に緊張と争いが
生じました。
平成22年 谷山教会 9月 の予定と祝日表 (9/1~9/30) 西暦2010年
日時
典礼 と 行事
朗読
掃除
9月3日 (金) 記念日 聖グレゴリオ一世教皇教会博士
初金ミサ、召命のロザリオ
19:00
4日 (土)
19:00
⑤⑪
年間第23主日のミサ
⑤⑪
5日 (日) 6:30と9:00 年間第23主日
司牧評議会
ミサ後
8日 (水) 祝日 聖マリアの誕生
10日 (金) 記念日 日本205福者殉教者
記念日 トレンチノのニコラオ修道者
11日 (土)
14:30
19:00
⑥⑦
教会学校始業式
年間第24主日のミサ
⑥⑦
12日 (日) 6:30と9:00 年間第24主日
班会等
九
月
⑤⑪掃除後教会 の
行
事
当
番
は
六
班
⑥⑦掃除後教会
④ミサ後教会
13日 (月) 記念日 聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士
14日 (火) 祝日 十字架称賛
班会お休み班
①②③
15日 (水) 記念日 悲しみの聖母
鹿児島教区司教座教会献堂記念日
16日 (木) 記念日 聖コルネリオ教皇 聖チプリアノ司教殉教者
聖アルフォンソ合唱団ヨーロッパへ出発
18日 (土)
19:00
⑧⑨
年間第25主日のミサ
⑧⑨掃除後教会
⑧⑨
19日 (日) 6:30と9:00 年間第25主日
20日 (月) 記念日 聖アンデレ金と同志殉教者 2 敬老の日
21日 (火) 祝日 聖マタイ使徒福音記者
19:00
⑩
年間第26主日のミサ
26日 (日) 6:30と9:00 年間第26主日
世界難民移住移動者の日(献金)
27日 (月)
⑩掃除後教会
⑩
キ
リ
ス
ト
教
文
学
会
は
聖アルフォンソ合唱団帰鹿
28日 (火) 記念日 聖トマス西と15殉教者
29日 (水) 祝日 聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル大天使
30日 (木) 記念日 聖ヒエロニモ司祭教会博士
聖書と教理-1
[毎週(日) 20:00]
レジオ・マリエ
[毎週(月) 10:00]
[毎週(火) 10:00]
ロザリオの祈り
典礼について
[毎週(水) 10:00]
召命ミサ
[毎週(水) 19:00] 七つのステップ(福音の分かち合い[毎週(水)上記ミサ後]
聖体礼拝
[毎週(木) 9:00~12:00]
聖書と教理-2
[毎週(木) 9:00~12:00]
[毎週(金) 20:00 (初金はミサ後)]
召命のロザリオ
聖書と教理-3
[毎週(土) 19:00 のミサ後]
ユダヤの人(ひと)は 平和(へいわ)のあいさ
つをするときに、なんといいますか?
A) ハロー
B) ボンジョルノ
C) メルハバ
D) シャローム
5日、12日
6日、13日、20日、27日
7日、14日、21日、28日
1日、 8日、15日、22日、29日
9日、
、
25日 (土)
若
者
の
集
い
お
休
み
30日
10日、17日、24日
4日、11日
四旬節(しじゅんせつ)のあいだ、神父様(しんぷ
さま)のストーラの色(いろ)は何色(なにいろ)
ですか?
A)カーキいろ
B)はいいろ
C) バラいろ
D)むらさき
年
間
テ
ー
マ
すべてをキリストのもとに一つにまとめる
(聖パウロ エフェソの信徒への手紙 1,10)
No.
253
2010年10月1日発行
(毎月1回1日発行)
谷山カトリック教会
891-0113
鹿児島市東谷山2-33-13
TEL
E-Mail: [email protected]
URL: http://www5.ocn.ne.jp/~tycc/
099-268-2084
FAX 099-284-5738
発行人: ヨゼフ・ムイベルガ神父 編集委員: 太田勇二郎 Sr.下川千穂子 徳重敏寛 板倉義典
9月の初め頃、アメリカの小さなプロテスタントの
から、ひとつのことを決してわすれてはなりません:
教会のある宗派の牧師さんが「インターナショナル・
コーランを燃やす日」を宣言した時、彼は全世界の政
イスラム教徒にとっては信仰が聖なる宝物です。
そうであっても、あるカトリック雑誌のジャーナリ
治家とマスメディアの世界を興奮させました。アメリ
カの大統領と教皇ベネディクト 16 世が、この宗教に
ストが「コーランを燃やす日」に対しての反応を笑い
ものにしました。「いったい、全世界は気が狂ってし
対する不寛容の計画を厳しく非難しました。コーラン
が、たとえ 1 冊であったとしても公に燃やされること
まったのですか。一番ひどい馬鹿げたことさえも(マ
スメディアに)大騒ぎでまじめに伝えられています。
になれば、それ
はイスラム教
精神の変調を
きたした者が、
の全世界に危
険な結果をも
私たちの行動
を決めさせる
たらしたでし
ょう。
ことになって
いるのです
たとえば、
2005 年にデン
か?」
ジャーナリ
マークの新聞
がモハメット
ストと政治家
達は本当に大
について 12 の
面白可笑しい漫画を掲載した時、大勢の国のイスラム
げさな反応を
示しましたか。そうではないと私は思っています。な
教の信者達がデンマーク大使館の前でデモに参加し
ました。パキスタン、インドネシア、マレーシアでは
ぜなら宗教の聖典を燃やすことを、もっとはっきりし
た言葉を使って厳しく批判することが必要で、それが
暴力行為さえもありました:教会に火がつけられ、キ
リスト教の学校と幼稚園が破壊されました。今年の 9
恐ろしい災厄を防ぐからです。その時、イスラム教と
他宗教との間の平和だけではなく、寛容も、信仰の自
月には、チェチェンのボクサーがデンマークの漫画新
聞に手紙爆弾を送ったこともあります。信仰の深いイ
由も、その上に特にイエズス様と聖母マリアに対して
の尊敬も危機に瀕していました。コーランに次のこと
スラム教徒には、信仰の心が侮辱されると、それは不
親切な態度だけではなく、不信仰の行為と受け取りま
ばも書いてあります。「マリアよ、まことにアラーは
じきじきのおことばであなたに吉報を伝えたもう。マ
す。不信仰な人に対しては、コーランのことばが使わ
れます:
「信仰を拒む者には、痛苦の刑罰を通告せよ。
リアの子、その名はキリスト・イエス、現世でも来世
でも高い栄誉を得、またアッラーの側近のひとりであ
多神教徒は見つけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、
拘禁し、またあらゆる計略でこれを待ち伏せよ。だが
ろう。…また死者を生き返らせるであろう。」(第
3,45.49)。だから、今日コーランを燃やす人は、明日
かれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を
なす時は、かれらのために道を開け。まことにアッラ
聖書が焼かれても不思議に思うことはできません。
ーは、寛容者・慈悲者であられる。
」(第 9、3.5)だ
主任司祭 ヨゼフ・ムイベルガ神父
10月5日
6世紀の初めごろ、イタリアでは聖ベネデ
ィクトの評判が非常に高かったので、多くの
親が、自分の子供たちをこの聖人に預けて
教育してもらいたいと望みました。テルトゥッ
ロという貴族は息子のプラチドを、資産家の
エキチウスはマウロという息子を送りました。
プラチドは7歳、マウロは12歳の時でした。
ある日プラチドがスビアコの湖に落ちました。
修道院に居たベネディクトはその時直ぐにマウロ
を呼んで、「早く行って助けなさい。プラチドが溺
れかけている」と言いました。マウロは大急ぎで
駆けつけ、プラチドの髪の毛をつかんで水中から
引き揚げました。(プラチドが水に落ちたのをベ
ネディクトが知ったのは、頭の後ろにも目を具え
ていたからだといわれました。)
後にプラチドはシチリアのメッシーナに修道院
を建て修道院長となりました。そこには多くの修
道者が集まり盛大になりましたが、546年海賊が
上陸して全員を皆殺しにしました。多くの歴史家
たちは、この話を作り話と思っていましたが、158
8年洗礼者聖ヨハネ教会(メッシーナ)が改築さ
れた際に、沢山の頭蓋骨が発見されて、この言
い伝えに間違いのないことが証明されました。
ヨーロッパ遠征より帰国
有難うございました。イタリアで1か所、ドイツ
で3か所公演し、感謝のうちに9月27日全員無事
帰国致しました。
団・オーケストラとの合奏もまことにスムーズで、
またその後の交流も非常に楽しく、まことに愉快
な公演でした。
いずれの地でも、初めの珍しさは後の驚きに
変わったようで、公演後には暖かい大きな長い
拍手を頂戴して、私たちは面目をほどこしました。
団員は幸いにも一人の欠場者もなく壇上に立ち、
全員が持てる力を発揮致しました。現地の合唱
公演には練習と休養の時間が必要で、あまり
観光は出来なかったのですが、それでも、天正遣
欧少年使節が宿泊して歓待を受けたというゴン
ザガ城や、ヴェローナのサン・ゼノ大聖堂、ランズ
ベルグの聖マリア被昇
天教会などを見せてい
ただきました。
公式な記録は日を置
いて発表させていただ
きますが、とりあえず帰
国のご報告とさせてい
ただきます。
(文責: 太田勇二郎)
ム
イベルガ神父様の講義「カトリック教会の歴史」は毎週水曜日10時から行われていま
したが、2009年暮れ、58回をもって終了しました。この講義録をそのままにしておく
のは惜しいと思いまして、本誌246号よりそのダイジェスト版を掲載することに致しました。し
かし紙面の関係と編者の能力を考えまして、暦年記載を続けるのではなく、トピック毎の読み
切りシリーズにしたいと思います。神父様が収集された貴重な珍しい図版も出来るだけ取り
入れますからどうぞご期待下さい。 (主な参考資料:アウグスト・フランツェン著「教会史提要」、ヨハネス・ラウ
レス著「キリスト教的ヨーロッパ史」、エドワード・ノーマン著「ローマ・カトリック教会の歴史」他)
第8回
編者:太田勇二郎
十 字 軍
コンスタンティヌス大帝の時代以来、多くのキリス
国を征服することは到底無理なことでした。しかし、
ト教徒は主キリストが生活し、活動し、受難した土地
8世紀初頭以来キリスト教的ヨーロッパを滅ぼそうと
へと巡礼しました。聖地がアラビア人によって占領
していたイスラム教徒は、この十字軍遠征によって
された後にも(6世紀末)、アラビア人は何ら交通を
アフリカやアジアへ撃退されることになり、ヨーロッ
妨害せず、巡礼者を悩ますことはありませんでした。 パにとっては大きな政治的な意義を持ちました。
ところが、11世紀末にセルジュク・トルコが聖地を
文化的な収穫は一層大きなものでした。遠征が
占領して巡礼者の圧迫を始めたため、西欧には憤
行われたイタリアの諸都市は益々大きくなり繁栄を
激の嵐が起こり、やがて聖地解放のための、異教
とげました。近東から持ち込まれた贅沢な商品が、
徒に対する戦いを要求する声が高まりました。
イタリアからアルプスを越えて南ドイツの諸都市に
教皇ウルバヌスⅡ世(在位 1088-1099)はクレル
運ばれ、ここから北ヨーロッパへと配られていきまし
モン(1095)に公会議を召集し、パレスティナ巡礼
た。貨幣経済がヨーロッパ全ての国々に広まり、原
者の困窮を報告した上で参会者の義侠心に訴えま
始的な現物経済は駆逐されたのでした。
した。一同はこれに対して異口
十字軍遠征はなによりも第一
クレルモン公会議
同音に「神の御旨なり」と言い、
に宗教的な理想主義に発したも
不信の徒に対する聖戦を決議
のでしたから、当然のこととして
しました。参戦を承諾した者は
民間の宗教生活をも実り多いも
すべて右肩に赤い十字を縫い
のにしました。十字軍の精神に
付けたので、これがもとで、イス
基づいて、フランシスコ会やドミ
ラム教徒に対する戦いは十字
ニコ会という大規模な托鉢修道
軍と呼ばれるようになりました。
会が誕生し、物質的な財貨を過
教皇は、当時、私的闘争に
大評価するようになった風潮に
明け暮れ互いに争っていた封
対して、英雄的清貧の理想を説
建諸侯を和解させ、その力をキ
きました。民間信心も刺激を受け
リスト教徒の敵に対する共同の
て豊かなものになり、わけてもキリ
行動へと結集させることを願っ
ストの苦難及び聖母への信心が
ていました。また個々の人々が、
高まって、やがて「十字架の道行」
世俗的な利益が手に入るという
はキリスト教徒の最も好む信心と
希望と冒険心を、たとえ持っていたとしても、大体
なりました。
において、騎士階級が宗教的な理想によって導か
ヨーロッパの学術もまた十字軍遠征によって新し
れていたことは確かだと思います。
い刺激を受けました。スコラ学者はアリストテレスの
しかし、11世紀末から13世紀末までに7回の十
著作を知ることが出来、諸々のギリシャ古典がヨー
字軍遠征が行われましたが、軍事的にみれば失敗
ロッパに齎されました。素晴らしいゴシック様式の建
でした。統一的な指揮が欠け、艦隊もなく、堅固な
築物を創り出す感興を起こさせたのも、十字軍遠
作戦基地もなかったのですから、このような遠隔の
征によるものとされています。
平成22年 谷山教会 10月 の予定と祝日表 (10/1~10/31) 西暦2010年
日時
典礼 と 行事
朗読
掃除
班会等
10月1日 (金) 記念日 聖テレジア(幼いイエズスの)おとめ教会博士
初金ミサ、召命のロザリオ
19:00
①
2日 (土) 記念日 守護の天使
教会学校
14:30
年間第27主日のミサ
19:00
①掃除後教会
①
3日 (日) 6:30と9:00 年間第27主日
敬老祝賀会
ミサ後
4日 (月) 記念日 聖フランシスコ(アシジ)修道者
十
月
の
行
事
当
番
は
七
班
5日 (火) 記念日 プラチドとマウロ
9日 (土)
14:30
19:00
②③
教会学校
年間第28主日のミサ
10日 (日) 6:30と9:00 年間第28主日
ひまわり幼稚園運動会 (清見公園)
9:00
②③
②③掃除後教会
班会お休み班
⑧⑨⑩
2 敬老の日
11日 (月)
15日 (金) 記念日 聖テレジア(イエズスの)おとめ教会博士
16日 (土)
14:30
19:00
17日 (日) 6:30と9:00 年間第29主日
ミサ後
司牧評議会
18:00
若者の集い
23日 (土)
14:30
19:00
④
教会学校
年間第29主日のミサ
④
教会学校
年間第30主日のミサ
24日 (日) 6:30と9:00 年間第30主日
世界宣教の日(献金)
④掃除後教会
⑤⑪
⑤⑪掃除後教会
⑥⑦
⑥⑦掃除後教会
⑤⑪
28日 (木) 祝日 聖シモン 聖ユダ使徒
30日 (土)
14:30
19:00
教会学校
年間第31主日のミサ
31日 (日) 6:30と9:00 年間第31主日
キリスト教文学会
19:00
⑥⑦
聖書と教理-1
[毎週(日) 20:00]
3日、10日、17日、24日、31日
4日、11日、18日、25日
レジオ・マリエ
[毎週(月) 10:00]
[毎週(火) 10:00]
5日、12日、19日、26日
ロザリオの祈り
典礼について
[毎週(水) 10:00]
6日、13日、20日、27日
召命ミサ
[毎週(水) 19:00] 七つのステップ(福音の分かち合い[毎週(水)上記ミサ後]
聖体礼拝
[毎週(木) 9:00~12:00]
7日、14日、21日、28日
聖書と教理-2
[毎週(木) 9:00~12:00]
[毎週(金) 20:00 (初金はミサ後)]
8日、15日、22日、29日
召命のロザリオ
聖書と教理-3
[毎週(土) 19:00 のミサ後]
2日、 9日、16日、23日、30日
献金報告: 9/26 世界難民移住移動者の日 \10,675
イエズスさまが ご復活(ふっかつ)されたとき
ふたりの弟子(でし)はイエズスさまと出会(で
あ)っていながら分(わか)からずに、どこかへ
向(むか)っていました。そこはどこ?
A) エルサレム
B)エマウス
C)ベトレヘム
D)ダマスカス
新約聖書(しんやくせいしょ)の福音(ふくいん)
によると、ご復活(ふっかつ)の日にお墓(はか)
は
からっぽでした。最初(さいしょ)の発見者(はっ
けんしゃ)はだれ?
A)へいたい
B)でし
年
間
テ
ー
マ
すべてをキリストのもとに一つにまとめる
(聖パウロ エフェソの信徒への手紙 1,10)
No.
254
2010年11月1日発行
(毎月1回1日発行)
谷山カトリック教会
891-0113
鹿児島市東谷山2-33-13
TEL
E-Mail: [email protected]
URL: http://www5.ocn.ne.jp/~tycc/
099-268-2084
FAX 099-284-5738
発行人: ヨゼフ・ムイベルガ神父 編集委員: 太田勇二郎 Sr.下川千穂子 徳重敏寛 板倉義典
キリストのおかげで、キリスト教的死は肯定的な意
味を持つことになります。「わたしにとって、生きると
はキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(フィリ
ッピ 1,21)「次のことばは真
実です。『わたしたちは、キリ
ストとともに死んだのなら、キ
リストとともに生きるようにな
る』」 」(二テモテ 2,11)。キ
リスト教的死の本質的な新し
さとは、キリスト者は新しいい
のちに生きるためにすでに
洗礼によって秘跡的には
「キリストとともに死んで」おり、
わたしたちがキリストの恵み
のうちに死ぬならば、肉体
的な死はその「キリストととも
に死ぬこと」を完遂し、わた
したちをキリストのあがない
のわざに完全に組み入れる
ということです。
死において、神は人間をご自分に呼び寄せられ
ます。ですから、キリスト者は死に対し聖パウロと同
じように、「この世を去って、キリストとともにいたいと
熱望」(フィリッピ 1,23)する
ことができます。そして、キリ
スト者は自分の死を、キリス
トにならって、御父への従
順と愛の行為に変えること
ができるのです。
「わたしには、王として地の果てに至るまで支配
するよりも、イエズス・キリストに一致するために死ぬ
方がよいのです。わたしが求めるのは、わたしたち
のために死んで下さったキリストであり、わたしが望
むのは、わたしたちのために復活してくださったキリ
ストなのです。わたしには陣痛が迫っています…
わたしに清い光を受けさせてください。そこに行き
着くことができた時、わたしは人間となるでしょう。」
のちに入るのです。
「この世的なわたしの望み
は十字架につけられました。
…わたしのうちには一筋の
生ける水が流れていて、わ
たしの中でささやきながら、
『御父のもとに来なさい』と
語りかけています。」
「わたしは神様を見たいの
です。見るためには,死な
なければなりません。」
「わたしは死にません。い
死に関するキリスト教的な見方は、教会の典礼に
すばらしく表現されています。「〔主よ、〕信じる者に
とって、死は滅びではなく、新たないのちへの門で
あり、地上の生活を終わった後も、天に永遠の住み
かが備えられています。」 (カトリック教会のカテキズム
304-305 より抜粋) 主任司祭ヨゼフ・ムイベルガ
カロロは1538年、イタリアのロンバルディ
ア地方で生まれ、15歳の時、パヴィアの大学で
民法と教会法を研究しました。1560年叔父の
教皇ピオ4世からローマに招かれ、22歳の若さ
で助祭枢機卿にあげられ、さらにミラノの大司教
に選ばれました。
当時は教会内や修道院内の風紀が乱れていた
ので、カロロは必要な改革に取りかかりました。
ある日、彼が聖堂で祈っていた時、改革を快く思
っていない不平分子の1人の修道者が、カロロを
銃で撃って殺そうとしました。幸いなことに命は
取りとめたので、カロロは教会のために自己を捧
げる決心を新たにしました。
当時ミラノ大司教区はヴェネツィアからジュ
ネーブまで広がり、3千人の司祭と6万人の男女
の信徒がいました。カロロは教区内を度々巡察し
て回り、特に貧しい人々を助けました。1570
年の飢饉の時には、毎日3千人のために食物を探し求めました。1575年にミラノが疫病のペス
トに襲われた時も、市を離れずに患者の救済に力を注ぎました。1584年46歳で帰天。優れた
公教要理を著したことでも知られています。
☆
今年のビッグバザーは11月28日(日)ミサ後に行われます(10時~13時)。各班とも
例年通りの出店を計画し、準備が進められているようです。引き出物、中元・歳暮の品、手作
り品の持ち寄りもよろしくお願いいたします。なおご承知の通り、バザーの収益金は「信徒会
館建設資金」として積み立てられます。
☆
奄美大島に洪水・土砂崩れの大災害
が発生しました。被災者に心よりお見
舞いを申し上げます。現在お見舞い
(名称:水害募金)を集めていますの
で、どうぞご協力下さい。
☆
聖アルフォンソ合唱団が欧州に遠
征し演奏会が大成功であったことを、
カトリック新聞(10月24日号、5
面左上部)が取り上げてくれました。
分かりやすい記事なのでぜひ目を通
して下さい。
ム
イベルガ神父様の講義「カトリック教会の歴史」は毎週水曜日10時から行われていま
したが、2009年暮れ、58回をもって終了しました。この講義録をそのままにしておく
のは惜しいと思いまして、本誌246号よりそのダイジェスト版を掲載することに致しました。し
かし紙面の関係と編者の能力を考えまして、暦年記載を続けるのではなく、トピック毎の読み
切りシリーズにしたいと思います。神父様が収集された貴重な珍しい図版も出来るだけ取り
入れますからどうぞご期待下さい。 (主な参考資料:アウグスト・フランツェン著「教会史提要」、ヨハネス・ラウ
レス著「キリスト教的ヨーロッパ史」、エドワード・ノーマン著「ローマ・カトリック教会の歴史」他)
第9回
編者:太田勇二郎
叙任権闘争とカノッサの屈辱
教皇グレゴリウス7世(在位1073-1085)はグレ
治から離れなけばならず、もしも1年以内に破門が
ゴリウス改革とわれる一連の教会改革で成果を上
解かれなければ、王は廃位されたものと看做されて
げ、教皇権の向上に寄与しましたが、なかでも107
いました。激怒したハインリッヒ4世は教皇を罷免す
5年に「ディクタトゥス・パペ」と呼ばれる重要な教皇
るためにローマへ進軍すると脅かしましたが、気の
令を発布しました。これは、教皇が聖権と共に俗権
毒にも、身内の重臣や司教達が王から身を退いて
をも有するとする声明でしたが、ここで言われる俗
しまいました。これまでの独裁的な政治手法のため
権とは、教皇が教皇領以外の領地を直接統治する
に、王は嫌われていたのでしょう、また王が余りにも
ということではないが、世俗の権力者の行動を監督
強力になってしまった時の危険を感じていたのでし
出来るという意味を持っていました。
ょう。彼らは王を罷免すると決議しました。王への敵
古代末期以来、封建貴族や諸侯たちは彼らの
対意識が強かったザクセン公始めドイツの諸侯達
領土に聖堂を建て(領主私立聖堂)、その主任司
は、この時とばかりに反旗を翻し、アウグスブルグで
祭を任命していました。この世俗権力が強大してい
会議を開き新しい神聖ローマ皇帝を決めると宣言
くと、その地域の司教の選出にも影
しました。そして権威の付与者として
響があり、それは教会財産の管理
また仲裁者として教皇をドイツへ招く
権にも及ぶことになります。中世に
ことが決定されました。ことここに至っ
入ると教皇権も伸長してくるので、
て、ハインリッヒ4世は完全に手詰まり
この叙任権をめぐる争いが頻発す
となり、教皇が会議に参加する前に
る様になっていました。
彼に赦しを乞うべく、北イタリアへ向
神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世
かいます。
は父の遺志を継いで王権の強化に
ローマを出てアウグスブルグの会
努めていました。しかし当時の神聖
議に向かっていたグレゴリウス7世教
ローマ皇帝の地位はまだまだ不安
皇は、トスカーナ女伯マチルダのカノ
定で、ドイツ諸侯と教皇の支持を巧
ッサ城に滞在していました。1077年
みに取り付けたバランスの上にかろ
1月、突然現れたハインリッヒ4世に
うじて成立していました。北イタリア
教皇は戸惑い、捕縛されるのではな
S ベネデットポー博物館の展示より
に於ける影響力を高めるために、
いかと恐れて城から出ようとしません
彼は1075年、自分の子飼いの司祭たちをミラノ大
でした。王は贖罪の衣を着て三日間城門に佇んで
司教やフェルモやスポレトの司教などに次々と任命
赦しを願ったと言われます。教皇は破門を解く旨を
し始めました。当然グレゴリウス7世はそれに対し、
伝え、ローマへ戻っていきました。
司教の任命権(叙任権)は王ではなく教会にあるこ
この事件は、叙任権闘争(つまりローマ教皇対神
とを通達して、叙任権闘争に突入します。
聖ローマ皇帝との抗争)における一事件に過ぎま
再三勧告した後に、グレゴリウス7世は王の破門
せんが、この後ローマ教皇庁では皇帝すら教皇に
を宣告し、王の臣下の王に対する忠誠の宣誓も解
跪いたと教皇権の優位性の宣伝に利用しました。
きました。当時の国法によれば、破門された王は政
展示博物館が女伯マチルダゆかりの建物なので、主役の二人よりも
彼女の方が立派に描かれている
平成22年 谷山教会 12月 の予定と祝日表 (12/1~12/31) 西暦2010年
日時
12月2日 (木)
典礼 と 行事
18:30
朗読
掃除
班会等
宮田夫妻来鹿
3日 (金) 祝日 聖フランシスコ・ザビエル司祭
19:00
初金ミサ、召命のロザリオ
④
4日 (土) 記念日 聖ヨハネ(ダマスコ)司祭教会博士
教会学校
14:30
待降節第2主日のミサ
19:00
④掃除後教会
5日 (日) 6:30と9:00 待降節第2主日 (宣教地司祭育成の日献金)
司牧評議会
ミサ後
④
6日 (月) 記念日 聖ニコラオ司教
班会お休み班
①②③⑧⑨⑩
7日 (火) 記念日 聖アンブロジオ司教教会博士
神父牧師会議 (加治屋町教会)
19:30
8日 (水) 祭日 無原罪の聖マリア
11日 (土)
14:30
19:00
⑤⑪
教会学校
待降節第3主日のミサ
⑤⑪掃除後教会
⑤⑪
12日 (日) 6:30と9:00 待降節第3主日
13日 (月) 記念日 聖ルチアおとめ殉教者
14日 (火) 記念日 聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士
18日 (土)
14:30
19:00
⑥⑦
教会学校終業式
待降節第4主日のミサ
⑥⑦掃除後教会
⑥⑦
19日 (日) 6:30と9:00 待降節第4主日
21日 (火) 記念日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士
22日 (水)
19:00
鹿児島バロック音楽研究会第1回コンサート (鹿児島加治屋町教会)
24日 (金)
19:00
クリスマス・イヴのミサ
25日 (土)
10:00
祭日 主の降誕 (洗礼式/初聖体)
聖アルフォンソ合唱団がハイドン・ニコライ・ミサを歌います
⑧⑨
⑧⑨
26日 (日) 6:30と9:00 祝日 聖家族
27日 (月) 祝日 聖ヨハネ使徒福音記者
28日 (火) 祝日 幼子殉教者
29日 (水) 記念日 聖トマス・ベケット司教殉教者
1日 (土) 0:00と10:00 祭日 神の母聖マリア 世界平和の日
2 元日
⑩
聖書と教理-1
[毎週(日) 20:00]
5日、12日、19日、26日
6日、13日、20日、27日
レジオ・マリエ
[毎週(月) 10:00]
[毎週(火) 10:00]
7日、14日、21日、28日
ロザリオの祈り
典礼について
[毎週(水) 10:00]
1日、 8日、15日、22日、29日
召命ミサ
[毎週(水) 19:00] 七つのステップ(福音の分かち合い[毎週(水)上記ミサ後]
聖体礼拝
[毎週(木) 9:00~12:00]
2日、 9日、16日、23日、30日
聖書と教理-2
[毎週(木) 9:00~12:00]
[毎週(金) 20:00 (初金はミサ後)]
10日、17日、24日、31日
召命のロザリオ
聖書と教理-3
[毎週(土) 19:00 のミサ後]
4日、11日、18日、25日
献金報告: 奄美大島豪雨水害義援金 \58,514 創世記(そうせいき)にはパラダイスについての
おはなしがあり、そこには特(とく)に美(うつ
く)しいお庭(にわ)があります。それは?
A)塩田(えんでん) B)沿道(えんどう)
C)炎熱(えんねつ) D)エデン
十
二
月
の
行
事
当
番
は
九
班
若
者
の
集
い
は
お
休
み
キ
リ
ス
ト
教
文
学
会
は
お
休
み
イエズスさまの時代(じだい)の徴税人(ちょうぜ
いにん)はきらわれた人(ひと)たちでした。しか
しある徴税人はイエズスさまと出会(であ)って回
心(かいしん)しました。その人の名(な)は?
A)ポンペイウス
B)ザーカイ
C)バルティマイ
D)マタイ
年
間
テ
ー
マ
すべてをキリストのもとに一つにまとめる
(聖パウロ エフェソの信徒への手紙 1,10)
No.
255
2010年12月1日発行
(毎月1回1日発行)
谷山カトリック教会
891-0113
鹿児島市東谷山2-33-13
E-Mail: [email protected]
URL: http://www5.ocn.ne.jp/~tycc/
TEL 099-268-2084
FAX 099-284-5738
発行人: ヨゼフ・ムイベルガ神父 編集委員: 太田勇二郎 Sr.下川千穂子 徳重敏寛 板倉義典
「今日ダビデの町で、あなたたちのために
救い主がお生まれになった。
「それで」天では神
に栄光、地上ではみこころにかなう人々に平和。」
(ルカ 2,11-14)。この短いことばによってベ
トレヘムの羊飼い達に、イエズスさまの誕生が
知らされました。羊飼い達の反応はどうだった
のでしょうか?彼らは感情を交えずに、この知
らせの真相を見極めようと決め
ました:「ベツレヘムへ行こう。
そして主が知らせて下さったこ
とを見てこよう」と。私たちの
世界でも、平和が必要であると
認める人々は、この羊飼いたち
のように事実に即して考える心
があるようにと祈ります。
時々、次の質問が聞こえま
す。
「キリスト教のイエズスさま
は本当に人間を罪から救いまし
たか?このキリストの教えの力
は弱く、あるいは無くなったの
ではないでしょうか?」経済と
技術の世界と違って、イエズス
さま誕生後の人々がどんなに良くなったか、ど
んなに救われたかと、秤で計ることはできませ
ん。人間は各々新しく生まれてくるものです。
救いの歴史は生まれた各人によって新たに始ま
ります。一人一人が道徳的に進歩しているかど
うかはその人の自由な判断によります。ある人
は他の人々の良い体験を自分のものとしますが、
別の人はその体験を否定し何も習おうとしませ
ん。私たちを救いと平和の協力者として計画さ
れた神さまは、人間の自由を決して取り上げた
りはしません。イエズスさまの誕生の時から、
彼の模範によって繰り返された愛のすばらしい
力が湧き出たことに、わたしたちは幸いにも言
及することができます。
わたしたちの社会に新しい価値が入れられま
した:たとえば病人保護や、子どもたち、老人
たち、身体障害者の世話など。現実にはキリス
ト教によって、色々な身分の全ての人間に対し
て、尊敬が高められました。
313年にコンスタンティヌス
皇帝がキリスト教を認めた時、
皇帝は信者として、国民に対し
て自分にいろいろな責任がある
と思いました。たとえば皇帝は
法律によって日曜日をみんなの
休日として採用しました。また
は奴隷たちにいろいろな権利を
認めました。他のたとえは4世
紀の聖アタナジウス司教です。
彼は自分の目であちこちの部族
が互いに激しく争ったことを見
ました。しかし、司教が彼らの
間に入って、イエズス・キリス
トの和解と平和の道を教えまし
たから、司教のいる所では争いが消えました。
これらの価値が無くならないように、私た
ちの政治家もこれらの価値を認め大切にしなけ
ればなりません。しかし、人間には、信仰の世
界から離れて神を恐れない恐怖の世界に戻る強
い可能性があります。世界改良と平和は自動的
に現れることはありません。平和は一人一人の
良い意志と努力によります。
「だから」天では神
に栄光、地上ではみこころにかなう人々に平
和!
主任司祭 ヨゼフ・ムイベルガ 神父
「柱の聖人」として有名なシメオンが柱の上に座っていた時、ダニエ
ルという若い修道者が訪ねてきました。シメオンは、ダニエルが柱の上
まで登って来ることを許して、祝福を与えました。ダニエルは42歳まで
修道院に居ましたが、シメオンの印象を決して忘れませんでした。
院長が亡くなった時、彼は後継者になるように頼まれましたが断って、
コンスタンティノープル近くの古い神殿に1人で住むことにしました。数
えきれないほどの人々がダニエルの智恵を信頼して、その教えを聞く
ために集まってきましたが、その中には2人の皇帝もいました。彼はた
だ一度柱から降りてきたことがありましたが、それはそのうちの1人の皇
帝を諫めるためでした。
493年80歳で帰天しました。彼の遺書には愛徳の重要さが強調さ
れています。
ダニエル修道者 ↑ シメオンの修道院 ↓
☆ 10月31日
スイス人の旅行者がアルペン
フォルンを演奏して下さいまし
た。眼を閉じれば、アルプスの
高原の緑が見え、そこを流れ
て下っていく力強い響きを感
じました。
神薗城聖くんが試し吹きを
させてもらったら、上手に吹い
たので、みんな超ビックリ!
☆ 11月28日
今年のビッグ・バザーが にぎやかに開催されました。
← 遺跡の平面図
●
(シリヤ)
シメオンの修道
院は広大な敷地
に建てられ、四つ
の大聖堂に囲ま
れた中央に(黒
点)柱があって、
そこにシメオンが
座っていました。
ム
イベルガ神父様の講義「カトリック教会の歴史」は毎週水曜日10時から行われていま
したが、2009年暮れ、58回をもって終了しました。この講義録をそのままにしておく
のは惜しいと思いまして、本誌246号よりそのダイジェスト版を掲載することに致しました。し
かし紙面の関係と編者の能力を考えまして、暦年記載を続けるのではなく、トピック毎の読み
切りシリーズにしたいと思います。神父様が収集された貴重な珍しい図版も出来るだけ取り
入れますからどうぞご期待下さい。 (主な参考資料:アウグスト・フランツェン著「教会史提要」、ヨハネス・ラウ
レス著「キリスト教的ヨーロッパ史」、エドワード・ノーマン著「ローマ・カトリック教会の歴史」他)
第10回
編者:太田勇二郎
アヴィニョン幽囚
ユーグ・カペーがフランスに君臨した頃は、その
ペトロの後継と教会における首位権の理念が存在
権勢は父祖伝来の所領であったイル・ド・フランス
していました。またローマ帝国によって基礎づけら
に限られていました。しかしその後カペー朝の諸王
れたカトリックの普遍主義の観念も結ばれていまし
は王権の強化に努め、例えば官
た。
僚制度を従来の聖職者から世俗
それに反してアヴィニョンは、全
の法曹家に更迭したりして中央
くのフランス王国の権力域内にあり
集権化を進めました。その頃の外
ました。たとえそれが1348年のク
的事情もカペー朝には好都合に
レメンス6世の土地購入によって独
働きました。十字軍遠征者の多く
立した教皇領を得たとしても、そこ
は異国で斃れ、また他の者は近
はフランス王国に周りを取り囲まれ
東アジアに領地を設けたりして、
て、全世界からは隔離された状態
経済力を使い切っていました。王
にありました。フランス人の教皇た
は断絶した家系の封土を改めて
ちは、結果的にフランス王権のた
授与することなく王領に合併し、
めに働くことになります。フィリップ
また他の領土は婚姻によって己
4世の求めに応じて、神殿騎士修
アヴィニョン旧教皇庁
のものとしていきました。
道会員の没落iに手を貸したことは
13世紀の末ごろ、端麗王フィリ
その一例です。
ップ4世(1268-1314)は充分に勢
かくしてアヴィニョンの幽囚は、
力を得たと信じて、教皇ボニファ
諸民族にとっての教皇座に対する
ティウス8世による破門を退け、教
普遍教会的な一致の思想を壊し、
皇クレメンス5世(1305-1314)を
教皇権の名声に限りない損害を与
擁立しました。フランス王位の圧
え、イノセンティウス3世の時代に
力の下で多くのフランス人が枢機
享受していた信頼を動揺させて、
卿団に受け入れられていました
重大な危機を引き起こしたのでし
ローマへ帰還するグレゴリウス 11 世
から、次の教皇たちもフランス人
た。この幽囚はグレゴリウス11世
になっていきます。クレメンス5世はローマへ行くこ
(1370-1378)の帰還によって終わりますが(137
とを、最早必要と考えず、リヨンで即位式を受けフラ
7年)、カトリック教会は大分裂(シスマ)の時代に突
ンスにとどまりました。若干の揺れ動きの後に、彼は
入していきます。
1309年にその居所をアヴィニョンに定め、彼の後
i 十字軍の終了後も 神殿騎士修道会員は豊かな財産
継者もそこに留まることになりました。
と特権を持っていました。国王は目の上のこぶであっ
た彼らに対して陰謀と中傷の記録を作り、残酷な拷問
ローマ市の放棄と教皇座のアヴィニョンへの移転
を使って彼らを異端と猥褻のかどで起訴して、二千名
は、一般的な重心が移動する前兆となりました。
の会員の財産を没収しました。同修道会の総長モレー
「永遠の都」ローマには、何世紀もの伝統によって
のジャコブは異端者として火あぶりの刑に処せられま
諸民族の意識の中で、この地の司教座における聖
した。
平成22年 谷山教会 12月 の予定と祝日表 (12/1~12/31) 西暦2010年
日時
12月2日 (木)
典礼 と 行事
18:30
朗読
掃除
班会等
宮田夫妻来鹿
3日 (金) 祝日 聖フランシスコ・ザビエル司祭
19:00
初金ミサ、召命のロザリオ
④
4日 (土) 記念日 聖ヨハネ(ダマスコ)司祭教会博士
教会学校
14:30
待降節第2主日のミサ
19:00
④掃除後教会
5日 (日) 6:30と9:00 待降節第2主日 (宣教地司祭育成の日献金)
司牧評議会
ミサ後
④
6日 (月) 記念日 聖ニコラオ司教
班会お休み班
①②③⑧⑨⑩
7日 (火) 記念日 聖アンブロジオ司教教会博士
神父牧師会議 (加治屋町教会)
19:30
8日 (水) 祭日 無原罪の聖マリア
11日 (土)
14:30
19:00
⑤⑪
教会学校
待降節第3主日のミサ
⑤⑪掃除後教会
⑤⑪
12日 (日) 6:30と9:00 待降節第3主日
13日 (月) 記念日 聖ルチアおとめ殉教者
14日 (火) 記念日 聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士
18日 (土)
14:30
19:00
⑥⑦
教会学校終業式
待降節第4主日のミサ
⑥⑦掃除後教会
⑥⑦
19日 (日) 6:30と9:00 待降節第4主日
21日 (火) 記念日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士
22日 (水)
19:00
鹿児島バロック音楽研究会第1回コンサート (鹿児島加治屋町教会)
24日 (金)
19:00
クリスマス・イヴのミサ
25日 (土)
10:00
祭日 主の降誕 (洗礼式/初聖体)
聖アルフォンソ合唱団がハイドン・ニコライ・ミサを歌います
⑧⑨
⑧⑨
26日 (日) 6:30と9:00 祝日 聖家族
27日 (月) 祝日 聖ヨハネ使徒福音記者
28日 (火) 祝日 幼子殉教者
29日 (水) 記念日 聖トマス・ベケット司教殉教者
1日 (土) 0:00と10:00 祭日 神の母聖マリア 世界平和の日
2 元日
⑩
聖書と教理-1
[毎週(日) 20:00]
5日、12日、19日、26日
6日、13日、20日、27日
レジオ・マリエ
[毎週(月) 10:00]
7日、14日、21日、28日
[毎週(火) 10:00]
ロザリオの祈り
典礼について
[毎週(水) 10:00]
1日、 8日、15日、22日、29日
召命ミサ
[毎週(水) 19:00] 七つのステップ(福音の分かち合い[毎週(水)上記ミサ後]
聖体礼拝
[毎週(木) 9:00~12:00]
2日、 9日、16日、23日、30日
聖書と教理-2
[毎週(木) 9:00~12:00]
[毎週(金) 20:00 (初金はミサ後)]
10日、17日、24日、31日
召命のロザリオ
聖書と教理-3
[毎週(土) 19:00 のミサ後]
4日、11日、18日、25日
献金報告: 奄美大島豪雨水害義援金 \58,514 創世記(そうせいき)にはパラダイスについての
おはなしがあり、そこには特(とく)に美(うつ
く)しいお庭(にわ)があります。それは?
A)塩田(えんでん) B)沿道(えんどう)
C)炎熱(えんねつ) D)エデン
十
二
月
の
行
事
当
番
は
九
班
若
者
の
集
い
は
お
休
み
キ
リ
ス
ト
教
文
学
会
は
お
休
み
イエズスさまの時代(じだい)の徴税人(ちょうぜ
いにん)はきらわれた人(ひと)たちでした。しか
しある徴税人はイエズスさまと出会(であ)って回
心(かいしん)しました。その人の名(な)は?
A)ポンペイウス
B)ザーカイ
C)バルティマイ
D)マタイ