トランジスタ・ラジオの開発の物語 鹿井信雄 <戦後の日本から出たヒット

■ トランジスタ・ラジオの開 発 の物 語 鹿 井 信 雄 ■
<戦 後 の日 本 から出 たヒット商 品 >
第 2次 世 界 大 戦 が終 わって間 もなく昭 和 30年 夏 、世 界 の人 々を驚 かすような製 品 が現
れた。それは、トランジスタという小 さな電 子 部 品 で動 くため、トランジスタ・ラジオと呼 ばれ
た。小 さなプラスチック製 の箱 に入 っていて、乾 電 池 で動 き、好 きなラジオ番 組 を聴 くことが
できた。
トランジスタとそれを使 ったラジオの両 方 を、世 界 で初 めて開 発 したのは、戦 争 後 間 もな
く、井 深 大 (いぶか まさる)さんやその仲 間 達 が作 った東 京 通 信 工 業 という小 さな町 工 場
であった。彼 らは、それまでやっていた軍 隊 のためのものではなく、一 般 の人 々のための技
術 開 発 をする決 心 を固 めていた。
当 時 はラジオや音 楽 のレコードを聞 くための電 気 蓄 音 機 は、豪 華 な木 製 のキャビに入 っ
た家 具 のようなスタイルで、価 格 も高 く、大 きくて家 庭 に一 台 、それも応 接 間 などに飾 られ
ていたのである。それが、一 人 づつ、個 人 が購 入 し、自 分 の好 きなスポーツやニュースや音
楽 を、自 分 が好 きな時 に、外 でもどこでも、一 人 でも聴 くことが出 来 るようになったので、世
界 中 の人 たちがびっくりし、また喜 んだのである。後 にはポケットに入 るために”ポケッタブ
ル・ラジオ”とも呼 ばれるようにもなった。 東 京 通 信 工 業 に入 社 して、このトランジスタラジ
オの開 発 に取 り組 んだ鹿 井 信 雄 (かのい のぶお)は、小 さいときから、機 械 いじりが好 き
だったので、無 線 通 信 機 を組 み立 てて、世 界 中 の見 ず知 らずの相 手 と、今 で言 えばメール
のように使 う通 信 を楽 しんでいた。
<電 気 のラジオから電 子 のラジオへ>
世 界 で初 のトランジスタラジオの開 発 に取 り組 んだ鹿 井 信 雄 は、昭 和 6年 宮 城 県 仙 台
市 に生 まれた。学 生 時 代 にはグライダーを飛 ばしながら、アンテナの研 究 に打 ち込 んだが、
それが仕 事 に役 に立 った。
アンテナは、空 中 に飛 んでくる電 波 という微 弱 な電 気 エネルギーを掴 まえる仕 組 みであ
る。 ラジオは、この小 さな電 力 を使 って、大 きな電 力 源 からのエネルギーをコントロールし
て、音 を出 すのである。この大 きな電 力 のエネルギー源 は、それまでは全 て家 庭 用 の壁 の
コンセントから100ボルトの電 力 を使 っていた。 従 って、外 にラジオを持 ち出 すことはでき
なかった。当 時 、微 弱 な電 力 で、大 きな電 力 をコントロールするための部 品 は真 空 管 と呼
ばれていた電 球 のようなもので、それ自 身 がエネルギーを消 費 してしまっていたからである。
東 京 通 信 工 業 (後 のソニー)は、それを電 池 でも使 えるラジオを開 発 するため、省 エネで
働 くトランジスタという部 品 を開 発 しようと、必 死 になって取 り組 んでいたのである。ちょうど
そこに入 社 した鹿 井 は、トランジスタ用 の電 子 回 路 設 計 の理 論 から組 み立 てなくてはなら
なかった。それまで使 われていた真 空 管 の電 気 回 路 の理 論 は、大 学 でも少 しは勉 強 してい
たが、回 路 の設 計 も電 気 ではなく、電 気 の素 である電 子 の動 きを捉 えた理 論 が必 要 になっ
たのである。実 は、これがアンテナの設 計 の時 に使 った方 法 と同 じ考 え方 に基 づくもので、
鹿 井 は、”アンテナの勉 強 をしていて良 かった”と思 った。
<性 能 を出 すために組 み合 わせ技 術 を目 指 せ>
鹿 井 が入 社 した東 京 通 信 工 業 (後 のソニー)では、軍 用 の電 気 機 器 ではなく、一 般 の人
達 が使 うラジオであったが、そこではもっと高 度 な技 術 が要 求 されていてびっくりした。トラン
ジスタは、アメリカで発 明 されノーベル賞 をもらうような大 発 明 であったが、まだ高 価 で、軍
や通 信 用 等 に開 発 が集 中 されていた。 しかし、ソニーでは一 般 の人 々のために一 番 進 ん
だ技 術 でイノベーションを起 こすことを目 指 していた。
とはいえ、トランジスタの開 発 は、難 しかった。性 能 がばらついていて、100個 トランジス
タを作 っても、使 えるのは2つか3つしかない。残 りは不 良 品 として捨 てなくてはならない。軍
用 ならば国 の予 算 なので良 いが、ラジオではその分 の値 段 が高 くなってしまい、大 勢 の
人 々に買 ってもらうことができない。
鹿 井 は、バラツキの大 きなトランジスタの性 能 を測 定 していくつかのグループに分 類 し、
それの性 能 と合 ったコイルをソニーの仙 台 工 場 に開 発 してもらった。それらを組 み合 わせ、
同 じソニーの中 で苦 労 をしてトランジスタの開 発 をしていた半 導 体 開 発 グループの人 々の
負 担 を、大 分 少 なくすることができた。このような「部 品 の組 合 わせ技 術 」は、技 術 における
非 常 に大 切 な考 え方 の一 つである。やがて半 導 体 でもその技 術 の延 長 線 に、人 々の生 活
を一 変 するような非 常 に大 きなイノベーションが起 こる、それはその始 まりの一 歩 だったの
である。 しかし、アメリカから世 界 初 のトランジスタラジオが発 表 され、ソニーは、2番 手 と
なってしまった。
<仕 事 は皆 でやる作 業 とそれを形 にすること>
新 製 品 の開 発 は、目 標 に向 かって皆 が協 力 して、作 り試 し直 してゆく地 道 な作 業 をこな
して、結 果 を積 み上 げて行 くプロセスである。いよいよ最 初 に売 り出 そうとしたラジオが完 成
した。しかしそれは、プラスチックの箱 が熱 で歪 んでしまい、失 敗 に終 わった。
当 時 は、 当 然 ながら、 トランジスタ用 の電 子 部 品 も世 の中 には存 在 していなかった。 電
子 回 路 にも、電 子 が通 る道 を妨 害 する抵 抗 器 や、電 子 を蓄 える容 量 器 や、電 子 が振 動 す
るように動 くことを妨 げたりするコイルなどが必 要 であった。これらの電 気 回 路 用 部 品 は、
戦 前 からの大 手 の電 気 メーカは自 分 で作 っていたが、彼 らは、真 空 管 を使 っていたので、
電 子 用 部 品 を作 ってはくれなかった。
鹿 井 は、自 分 達 と同 じような町 の工 場 を訪 ね、電 子 用 の部 品 の開 発 を御 願 いした。こう
してお互 いに協 力 し合 った、アルプス、ミツミ、コンデンサのムラタ、ニチコン、スピーカのフォ
スター、コイルの東 光 等 、世 界 に誇 る電 子 部 品 の専 門 メーカが、東 京 通 信 工 業 (現 ソニー)
と共 に世 界 に羽 ばたいて行 くことになった。ソニーばかりでなく、そういった工 場 にも、いくつ
もの失 敗 があった。しかし、失 敗 を重 ねながらも、成 功 するまで続 けた企 業 が成 長 したので
ある。
こうして、 多 くの企 業 や技 術 者 達 の協 力 によって、1955年 ついにトランジスタラジオが
完 成 して、世 界 に羽 ばたいて行 った。 しかし、半 導 体 のイノベーションは、次 の”映 像 の時
代 の挑 戦 ”の波 へなって行 ったのである。
(完 )
執 筆 者 :唐 澤 英 安 データ・ケーキベーカ(株 ) 代 表 取 締 役
(社 )研 究 産 業 協 会 http://www.jria.or.jp/w/
(科 学 技 術 館 メールマガジンNo.102、103、104、105 号 より)