広瀬川小さな旅 - 夏 2013.08.03 本日のコース ①集合:大崎八幡宮 → ②四ツ谷用水 → ③鶏橋・鶏沢 → ④牛越橋 ⑤三居沢 → ⑥澱緑地 → ⑦中島丁武家屋敷 → ⑧澱不動尊 → ⑨へくり沢跡 → ⑩解散:仙台城石垣の石 ①大崎八幡宮 大崎八幡宮は仙台六十二万石の総鎮守と して伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息 吹とを今に伝え、社殿は安土桃山時代の我 が国唯一の遺構として国宝建造物に指定さ れています(昭和 27 年国宝指定)。 厄除け・除災招福や必勝・安産の神とし て信仰され、正月の松飾りやしめ縄、古神 符を持ち寄って焼く「松焚祭(どんと祭)」 (仙台市指定無形民族文化財)は、毎年数十万人の参拝客、見物客で賑わいま す。 ②四ツ谷用水 四ッ谷用水は、家庭用水はもとより消防用 水、水車用水、産業用水、排水路などのため に、伊達政宗公が川村孫兵衛重吉に命じて作 った用水路で、城下町を縦横に流れ、枝流も 含めると総延長が 40km を超える用水でし た。 明治時代にはいると、上下水道の整備や 交通の邪魔になるなどの理由で埋められ、その姿を消していきました。現在は その流れを見ることはできませんが、仙塩工業用水として利用されています。 また、八幡 2・4・5 丁目付近などで用水跡を見ることができます。 1 → ③鶏橋・鶏沢 鶏橋の下には、滝のような鶏沢が流れてい ます。また、鶏橋・鶏沢には次のような伝説 があります。 昔、金色に輝く美しい鶏が夜な夜なこの橋の欄干 にとまって、高々と鳴いてはどこかへ飛び去って いきました。町の人たちは、それを何か悪い前兆 ではないかと噂しました。ちょうどその頃、八幡 神社に見事な鶏の絵馬を奉納されていて、ある 夜、不吉な前兆を気にした町人が八幡神社にお参 りにいくと、その絵馬から一羽の鶏が抜け出し て、橋の方へ飛んでいくのを見ました。その人は、 鶏はこれだったかと思い、金網を持ってきて鶏の 絵馬に貼ってしまったところ、その夜から鶏は現 れなくなりました。しかし、その数日後から大雨 が降り続き、やがて大洪水となり、町を大いに荒 らしました。人々はそれで初めて、鶏が八幡様の 化身で、洪水を知らせようとしていたのだと知 り、警告を無視したことを反省し、沢と橋に鶏の 名前をつけて後世の戒めにしたというものです。 ④牛越橋 水辺も近く、川遊びをする市民も多く見ら れます。秋になると橋の下の河川敷一帯が芋 煮会の会場として大勢の人で賑わいます。 「牛越」とは、仙台城築城に使われる石材を 国見の山から切り出し、牛に曳かせて対岸ま で運んだことから名付けられたものです。 ※ 参考:広瀬川 HP 広瀬川の記憶 http://www.hirosegawa-net.com/kioku/12_1.html vol.12 「牛越橋のたもとで、50 年前の風景をさがす」 2 ⑤三居沢 □三居沢発電所 宮城紡績工場が明治 21 年(1888 年)に発 電を行い、これが東北地方で最初の発電とな っています。昭和 26 年(1942 年)から東北 電力の所属となり、現在も水力発電が行われ ています。平成 20 年 (2008 年)に日本機 械学会の「機械遺産」に東北から初めて選定 されています。 隣接する電気百年館は、東北の電気誕生百年を記念した展示館で、水力発電 の歴史や電気事業・電力供給の変遷が展示されています。2 階の展示室では三 居沢の自然が紹介されています。 □三居沢不動尊 境内の奥に 13mの大滝があります。大きく湾曲し た断崖から流れ落ちる「お滝」は全国的にも珍しく、 「三居沢のお不動さん」として古くから人々の信仰 を集めています。 毎月 28 日には縁日が開かれ、大勢の参拝客で賑わ います。水上に浮かんだ「浮きみくじ(100 円)」は、 ここだけのオリジナルです。 ※ 参考:広瀬川 HP http://www.hirosegawa-net.com/essei/vol03_1.html 広瀬川散策エッセイ vol.3 「雪をかぶる中流、三居沢から米ヶ袋まで」 ⑥澱緑地 澱緑地は遊歩道も整備され、散歩する人、 ジョギングする人、本を読んでいる人など、 市民の憩いの場となっています。 3 ⑦中島丁武家屋敷 仙台城下町の特徴の一つとして、侍屋敷が 城下面積の 70%程度を占め、武士人口が極 めて多かった点があげられます。また、組士 以上の侍の住む屋敷地は「丁」、足軽・職人・ 商人の住む市街は「町」と表記上も明確に分 けられていました。 中島丁は伊達家の主な家臣の武家屋敷で、 広瀬川とその北を流れる「へくり沢」によって島状に見えたため、中島丁と呼 ぶようになったそうです。 この地の一角にある高さ 30mの巨大なタブノキ(保存樹木)が屋敷林の名残 を伝えます。 ※ 参考:広瀬川 HP 広瀬川の記憶 http://www.hirosegawa-net.com/kioku/12_2.html vol.12 「牛越橋のたもとで、50 年前の風景をさがす」 ⑧澱不動尊 1273 年(文永 10 年)に建てられた仙台地方で 最も古い板碑のひとつで、市の有形指定文化財に なっています。この碑は、兵衛太郎という人物の 極楽往生を祈願して建立されたことは伝えられて いますが、兵衛太郎がどのような人物であったか は判明していません。 ⑨へくり沢跡 尚絅学院と十二軒丁の間にある深い渓谷を のぞきこんだところ。昔は「へくり沢」と呼 ばれ、通行の難所でした。八幡町から子平町 にのびる土橋通りは、この沢に土手を築いて 土橋をかけたことに由来します。 昭和 15 年頃の様子を描いた絵(春日神社内に展示) 4 ⑩仙台城石垣の石 仙台城の石垣に実際に使われた石が、国道 48 号線 と十二軒丁の出会う一角に展示されています。国見 方面から切り出された石は、牛越橋のあたりを渡っ て運ばれ、石工職人によって積み上げられました。 関西から移り住んだ職人たちが屋敷を構えたのが、 現在の八幡 2 丁目あたり(旧町名:石切町)です。 石工たちが石垣の完成を祝って踊ったのが、すず め踊りの原形といわれています。 5
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