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Page 1 Page 2 EMBASSY 。F ーND`A AND THE EASTERN ーNSTー

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X
第八回東 方学術賞
拝啓
晩 秋 の候 貴 台 に お か れ ま し て は 仰 清 村 の こ と と 仰 慶 び 申 し 上 げ ま す
さ て 財 団 法 人 泉 方 研究 会 に お き ま し て は 本 年 度 も イ ンド 大 使 館 と共
同 主 催 に て 学 術 及 び 文 化 活 動 の分 れ た 茉 績 を 世 に 広 く 頭 彰 す る こ と に 致 し
︵句 ︻Cや F ”コpげの﹁付 ∽ 命J晏 ま ”J D EりのD ︶
ラ ン ベ ルト ・シ ュミ ット ハウ ゼ ン殿 ︵ハンブ ル グ 大 学 教 技 ︶
先 披 来 運 考 委 員 会 にお いて 慎 童 客 説 の結 果 第 八回泉 方 学 術 賞 費 ☆ 者 は
まし た
学 術 賞 とし て
学 備 賛 と し て 今 る 順 吉 殿 ︵北 海 道 大 学 教 技 ︶
の業 絵 を 讃 え る こ と に決 定 し ま し た の で 左 記 の 如 く 頭 彰 式 を 行 な いま す
、
一 場 所 イ ンド 大 使 館
千島 ケ 淵︶
泉 京 都 千 代 田区 え 段 南 二丁 ロ ニ ノ十 一︵
、
月 曜 日︶ 午 後 二時
一 日 時 平 成 四年 十 二月 七 日 ︵
〓 ﹂に
つき ま し て は 仰 多 用 ャ 逢 縮 な が ら 仰 来 行 の 栄 に あず か り た く ヽ
一
充
仰案 内 申 し 上 げ ます 敬 具
財 回 法 人 未
理 事 長
会
村
平 成 四年 十 一月 士口 泉
各 位
究
建 仲 式 央 終 了 後 は リ フ レ ッシ ュメ ント でお く つろ ざ 下 さ いと の伝言 が 大 使 鶴 か ら
月 ︶ま で に仰 わ ら せ
あ り ま した 出席 の仰 連 絡 は 共 方 研究 会 へ十 一月 二十 日 ︵
電 話 O ニー 二 二五 一十 四〇 八 一︶仰 未 “ の際 には 仰
頂 け れ ば幸 モ に存 し ま す ︵
手 牧 な がら 費 付 に本書 状 封 南 を 仰 示 し T さ います よ う 仰 願 い申 し 上 げ ます
ヤ孫
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Embassy of india,
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2 t i l ) 1 8r1ヽ
ヽ
EMBASSY OF INDlA
AND
THE EASTERN INSTITUTE・ INC.
cordially invite you
Award Presentatlon Ceremony of
Eastern Study Prize for 1992
PrOf, Lambert schmithausen
Prof.JunkiChi lmanishi
University Of Hattbur思
Hokkaido
(Academic Achievement Award)
(Academic Achievement Award)
for their outstanding scholarly
on Monday, 7th December,
achievement
1992
at 3.00 p.m。
at the
Chancery of the Embassy of
( 2 ‐1 1 , K u d a n M i n a m i 2 - c h o m e ,
RoS,V.P.
Eastern institute, inc
T e l . 0 3 ‐3 2 5 1 ‐4 0 8 1
University
india
Tokyo)
ぎ
中村 理事長 挨拶
、
。
主催者を代表 しまし て 三百御挨拶 申 し上 げ ま す
こ のたび イ ンド大使館 の御協力 を得 まし て、共 同 でこ こ に第 八回東方 学術賞 の贈 呈式 を開 く ことが でき ます こ
とは 、われわ れ の最も光 栄 とすると ころ であ ります 。本 田は 、朝野各方 面 から御多忙 を御繰 り合 わせ 、わざ わざ
こ の会 場ま で御来組御 臨席 賜 りま した ことを 、 ここに厚 く御 礼 申 し上 げ ます 。
東 洋思想 の研究及 び そ の成果 の普 及 ﹂と いう ことを 目的 とし ている研究会 でありまし
財 団法人 東方 研究会 は ﹁
、
て 昭和 四十 五年 ︵こさ ︶十 一月十 二日付 け を も って財団 法人 の設立 許 可を受 けま したが 、す でに二十 二周年 に
、
。
。
相当 致 します そ の間 諸 般 の活動 を続 け て参 り ました ま こと に微 々た る団 体 では ありま す が全国 にわた る各
方 面 の同志 、篤志家 の御協 力 により まし て次 第 に発展し て参 りまし た。
、
そし てさら に斯学 の発展 を計るため に真 に学問的 意義 が あ り 世 の人 々を益 する恒久的 な事業 を遂行 した いと
、
かねがね念願 し ておりま し たが そ の 一環と し てイ ンド大 使館 と共 同主催 に て ﹃東方学術賞 ﹄ を設け て、学者 の
。
すぐ れた業績 を世 にひろ く顕彰する こと に努 め て参 りまし た そし て本年 度も イ ンド大使館 と共 同主 催 に て、学
。
者 の優 れた業 績 を世 にひ ろ く顕彰 す る こと に致 しま した
、
それ に つきまし ては インド大使館 のプ ラカ ーシ ・シ ャー ︵〓の マ8 三曇 程 >吾湯選旨 ヽ平弊秘 ゴ
∽ぎじ 大使
をはじ め 、館員 の方々 の心 からな る御協 賛 を得 まし て、順 調 に進め る こと が できまし た。よ って先般 来諸方 面よ
り多数 の設 者 のご意見 を徴 し 、さら に選 考委 員会 を設け て慎 重 に審議 を続 け て参 りました。選考委員 は、奥 田清
、
、
明殿 川崎信 定殿 、勝又 俊 教 殿 、玉城 康 四郎殿 奈良康明 殿 、前田専学 殿 、水 野弘 元殿 、山 田恵 照殿 、山 口瑞鳳
。
、
殿 と小 生と計 十人 に御 依 頼 申 し上げ まし た そ の結 果次 の方 々 の業績 をたたえ る こと に致 し 本 国こ のよう に顕
。
彰式 を開催 す る ことにな りま した
これ より第 八回東方 学 術 賞 の受賞 者 の方 々 のお 一人お 一人 の功績 の顕彰 に移 ります。
、
、
、 ﹁
。
本 年 度 も 昨 年 度 の場 合 に引 続 き 外 国人 学 者 に東方 学 術 賞 を贈 呈 す る こと にな り まし た 本 年
東 方 学術
.
︺
、
、
賞 ﹂ ︵ゴ畳 詩 ヨ ● 呑 〓 里 曇 里 十言 男 亀 ︶ を受 賞 さ れ ます のは ドイ ツ ・ハンブ ルグ 大 学教 授 ラ ンベ ルト ・シ ュ
ミ ット ハウゼ ン博 士 でご ざ いま す 。 シ ュミ ット ハウ ゼ ン博 士 は 、
一九 二九 年 にド イ ツ のケ ル ン でお生 ま れ にな り
ま し た 。 一九 五 八 年 か ら 六 一年 にか け てボ ン大 学 ・ケ ル ン大 学 でパ ウ ル ・ハッカ ー教 授 ︵軍乳 ・ぎユ 〓
居杏じ や
、
、
、
、
ハン ス ・ロ ッシ ュ教授 ︵吾 乳 ・雷 蕩 F秘 野 ︶ な ど の下 で イ ンド学 哲 学 そ し てア ラビ ア語 な どを修 め ら れ
、
、
そ の後 六 一年 か ら六 三 年 に かけ て、 ウ ィー ン大 学 で 高 名 な フラウ ワルナ ー教 授 ︵零乳 ・甲 ﹁苺室 堂 ぎ母 ︶な
ど に師 事 し 、六 三年 に博 士 号 を授 与 さ れ ま し た 。次 い で、 ミ ュン スタ ー大 学 ︵野 〓q 竺 ぞ ot 吾 秘 意 じ の講 師 ︵
、
冒器 ユ ﹀ ・助 教 授 を経 て、
一九七 三年 に ハンブ ルグ 大学 の教 授 に就 任 さ れ イ ンド学 ・仏 教 学 の分 野 にお け る研
、
、
。
、
究 のか たわ ら 学 生 ・研 究 者 の指 導 育 成 にあ た ら れ てお り ま す ま た 博 士 は 一九 七七 年 にす嵩 〓ヨ 皆■ あ 日
、
骨 沼 〓沼 訂 辞 ﹂母 〓所沼 蕩晏 乳 青 つ の メ ンバ ー と な られ 現 在 に至 ってお りま す 。
シ ュミ ット ハウゼ ン博 士 の優 れ たご 業 績 は 、 お 配 り致 し ま し た ﹁主 要著 作 目録 ﹂ で明 か でご ざ いま す が 、博士
は 、 ウ ィー ン大 学 に提 出 さ れ た博 士 論 文 を増 補 し 、 ﹁
主 要著 作 目録 ﹂ の 向吾 石 彙 考 誘 口 の① にご ざ います 〓営
︶
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。
、
一
ユ 言晏雪 一
■蒼誘 汀吾①と し て出版さ れ てお ります これは マンダ サ ミシ ュラ の <吾軒彗選 ご弊p を校 訂 し綿
、
、
qご
誤 った感覚知 覚 ︵
密 な注 解を施 した翻訳 と研 究 で 五 世 紀 から十世 紀 ま で のイ ンド哲学 の体系 における ﹁
号 器 ヨ畏 聴ユ豊 8 ︶ ﹂ の理論 の歴史 的 展開 を詳査 し、 これら の理論が 、
君畳∽ 沼秘● 痛 君瑠 主曇 ︶ ﹂と ﹁
夢体 験 ︵
。
他 の学派や思想 家 の影 響 を色 濃く受 け ていた こと を指摘 さ れ ま した
また 、 シ ュミ ット ハウゼ ン博士 は 、仏 教 の唯 識思 想 の研究 にも優 れ た業績 を数 多く残 さ れ てお ります 。 汗 ﹁
,
ぅ
吾 吾 ふ軍翌巴 の② ︺ で
三 妥営 ギ諄 沼 事 耳や 軍 α
q <野所愚 芯報 震 吾ぎ ュ ュq <
景 嵩 堂 きぎヨ J︹主 要著作 目録 向
は、ざ答母 悪野室 一の <ゴ所8答報震 憲訂ユ の中 の エルヴ ァーす の章を校 訂 し 、そ の翻訳 に綿密 な注 解を つけ 、
、
、
序 章 の研究 の中 ではそ の書 の構成 や特異 な思想 的立 場を明 か にし 注 解 では 解 脱 に至るプ ロセ スにおけ る人格
秘 苺芯 も呉 ごユ主︶ の思想 な ど の重 要な問題 に考察 を加 えられ てお ります。
の根 底 から の再構 成 であ る ﹁転依 ﹂ ︵
、
、
、
そ の他 に 初 期 のヨーガ行 派 にお い て 如何 に 心 と心 の働 き がす べて滅 し尽 くし た境地 である 0再登ギ
、 ﹁
主堪 撃 工吾 吾︶ と ぃぅ 一種 の潜在意識 を考 え
∽曇増ユ 主 ︵滅定 ︶ に関 連す る諸 問 題 の解 決 の為 に
阿頼耶識 ﹂ ︵
ね ば な ら な か った のか
、
のか を考 察 し た
、
、
そ し て そ の ﹁阿頼 耶 識 ﹂ の観 念 が ど のよ う に初 期 ヨーガ 行 派 で発 展 さ せら れ てい った
>一
〇コ 十
やくやく︼
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J● 〇ヽ一
ユ 向
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やヽ一
〇一
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拶 の命コ+﹁
命〇ヨ命●0キ Oネ <〇∝やめいヽ
ヨ●コ一
や一
伊 ゃす一一
〇∽Ooす
“コや0や”
的一
< ︺のく命一
く
吾 吾彙 毛 誘 口 の③ ︺な ど もご ざ い ま す 。
︵博さ 万 じ ︹主 要著 作 目録 [
、
、
、
近 年 は 仏 教 の自然 観 な ど に関 す る論 考 も 多 く 最初 期 の仏 教経 典 では 植 物 にも ∽豊 主豊 8 ︵
心 の働 き ︶を
、
、
、
認 め 心 の働 き のある状 態 と な い状 態 の境 界 的 位 置 に位 置 づ け ら れ て いた植 物 は 後 に実 践 上 の都 合 か ら そ の
沼 ユ ざ君 ● を無 視 さ れ るよ う にな った こと を述 べた ↓訂 範ご三 曇 oネ 夢●
∽曇 〓曇 8 oキ ヨ豊 芳 一
コ将 ユ< 冒量 〓 望 ︹主 要著 作 目録 [
吾 る 男 毛 誘 口④ ︺や 、 晋量 〓望 いユ zユ電 ● ︹
主 要著 書
目録 雪里景 軍 翠色 ⑤ ︺ な ど が ござ いま す 。融 和 を宗 とす る仏 教 の自 然 観 を積極 的 に社 会 に活 か す 活動 を さ れ てい
,
ます。
、
、
同 氏 の イ ンド 哲学 ・唯 識 思想 にお け る学 問 的 業 績 を 評 価 し て 財 団 法 人 東 方 研 究 会 は ﹁東 方 学術 賞 ﹂ を お贈
り し た いと 存 じ ま す 。
、
、
、
大 学 の学 期 の途 中 と いう こと で 工 日 でも ハンブ ルグ を 出 る こ と は できな い﹂ と いう こと で シ ュミ ット
、
。
、
ハウ ゼ ン博 士 は あ いにく 本 国 の顕 彰 式 に はご 参 加 頂 けま せ ん でした し か し 博 士 にかわ って ド イ ツ学 術 交流
、
。
。
会 東 京 事務 所 長 のケオ ルグ ・ノイ マン先 生 が賞 を お受 け 下 さ いま す こ こ に ご 紹 介 申 し上 げ ま す
こ の度 ﹁東 方 学 術賞 ﹂ を 受 けら れ ま す今 西順 吉 教 授 は 、東 京 大 学 印 度 哲 学 科 及 び 大 学院 にお い て印 度哲 学 ◆仏
、
、
教 学 を修 め ら れ た後 一九 六 四年 か ら 六 六 年 ま で西 ド イ ツ のゲ ッテ ィンゲ ン大 学 に留 学 さ れ ヴ ァルト シ ュミ ッ
ト教 授 に つい てさ ら に イ ンド 学仏 教 学 の研鎖 を深 め ら れ ま し た 。
、
帰 国 後 北 海 道 大学 文 学 部 専任 講 師 ・助教 授 を 経 て 一九 八 七 年 か ら 同大 学教 授 と し てイ ンド学 ・仏 教 学 を学 ぶ
、
。
多 く の学生 の指 導 育成 に あ た られ て 現 在 に至 っており ま す
、
、
今 西教 授 の専 門 は と く に イ ンド六 派 哲 学 中 のサ イ ンキ ヤ哲 学 であ り マー ダ ヴ ァ著 ﹃サ ルヴ ァグ ル シ ャサ ・
サ ング ラ ハ﹄ ︵全 哲学 網 要 ︶第 十 四 章 ﹁サー ンキ ヤ哲 学 ﹂ の文 献 学 的 研 究 やサ ーガ ー ルジ ュナ ︵龍樹 ︶ ・ア ーリ
婆 薮 ︶ によ って言 及 され た サ ー ンキ ヤ 思 想 を考 察 し た 、す ぐ れ た研究 が あ り ます 。
ヤ デ ーヴ フ ︵提 婆 ︶ ・ヴ ァ ス ︵
冒M類 足論 ﹄ の成 立 に関 わ る詳細 な研 究 、ま た 、 ﹁我 と 無 我 ﹂及び
さ ら に、説 一切 有部 の七 つの論 書 の 一つ、
下
︱⋮ ⋮⋮ ⋮⋮ ⋮︱
、
﹁
無 我説 における我 の概念 ﹂ と題 す る論文 にお い ては 仏 教 の無我説 と ウ パ ニシ ャ ッド哲学 のアート マン説 と の
関係 を明ら か にし ていま す 。
さら に今 西教授 には筑 摩書 房か ら刊行 され た ﹃漱石文 学 の思想 ﹄第 一部自己形 成 の苦悩 、第 二部自 己本位 の文
。
、
、
学 と いう研究 があります 今 西教授 は こ の両大 著 にお い て 夏 目漱石 の小説 ﹃草枕 ﹄ の思想 内容お よび作 品構
。
サ ー ンキ ヤ ・カ ー リカー﹄ の影 響 が認 め ら れる こと を実証 し ま し た 従 来 の漱石 研究 には 、 こ のような
成 には ﹃
、
。
比較 思想論的 研究 すな わ ちイ ンド哲 学 をとり わ けサー ンキ ヤ哲学 から のアプ ローチ は皆 無 でありまし た さら
に、漱 石が東 京大 学 の学生 時 代 に丼 上 哲 次郎教 授 の ﹁
印度哲 学史 ﹂ の講 義 を聴講 し ていた こと、 および漱石 の親
。
友 たち がサー ンキヤ哲 学 に つい ての論 文 を出 版 し ていた こと を明 らか にし た こと も今 西教授 の貢 献 であ ります
よ って、同氏 の学 問的 功 績 を高く評価 し 、財 団法人 東方 研究 会 は ﹁東方 学術賞 ﹂を お贈 り致 し ます 。
、
。
以上 の次第 であ りま す の で 諸 方 面 の御賀 同 をお願 い申 し上 げ ま す
、
。
、
なお副賞 と し て加え るた め に イ ンド大使館 か ら いろ いろな記念 品 が寄贈 さ れ ま した また 株式 会社 名著普
怒 ぎ ︵青〓貿 耳 丁し が 、東京 書 籍株式会 社 から は奈 良康 明博士
蕩q ご主曇 ∽ 乳 >
及会 から 向・蒼 吾蕩畢 編著 一
、
。
仏教 名言辞典 ﹄ 株 式 会社春 秋社 から は中 村 元著 ﹃
原 始 仏教 の成立 ﹄が贈呈 さ れまし た
編著 ﹃
、
。
開催 に つきま し ては イ ンド大使 館 の方 々 の特 別 な御 協 賛 にあず かりま した ことを深 く感謝 し てお りま す そ
。
のお力 によりま し て微 力 な我 々 の志 願 が このよ う に見事 に実 った の であります おかげさま で諸方面 よ り祝電 ・
。
御 祝 いなど を頂 きまし てあ り がた く存 じます
。
、
、
式 のあと のパ ー ティー は インド大使 館 の御 好 意 によ る も の であ ります また 報道関係 はじ め諸 方 面 の方々
。
に御協 力頂 き まし たこと を大 いに感 謝致 し てお り ます そ し て御集 ま り の皆様 に心 か ら厚 く御礼申し上 げ ま す 。
ただ何分 にも、我々が微 力 で手不足 でありま す ため に、何 か と不 行 届 き の点 が多 々 ありまし た こと は 、ま こと
に申 し訳な く存 じます が 、 こ の点 は平 に御寛恕 の程 お願 い申 し上げ ます 。 そし て、将 来 にわ た って 一段 と活 動を
、
。
発展 さ せた いと存 じ てお り ま す ので 今後 と もよ ろしく御 指 導 御後 援 の程願 い上 げ ます
、
。
、
以上 甚 だ蕪辞 を連 ねま したが これを以 て御挨 拶 のことば とさ せ て頂 きます
軍T
一
――
THE EASTERN STUDY PRIZE
ACADEMIC ACHIEVEMENT AWARD
PROF. LAMBERT SCHMITHAUSEN
(UNIVERSITY OF HAMBURG)
BOrn
in November 17, 1939 at Colognc in
Germany,
as a son to Lambert schmithausen, a sculptor, and Martha
Schmithausen.
He
studied
lndology,
Philosophy
and
Arabian
at
the universities of Bonn and
Cologne
from
1958 to 1961 (under Prof. Paul Hacker, Hans Losch and et
al.)
and at the University of Vienna from 1961, to
1963
(under
Prof.
Frauwaliner et al。
).
Received
Dr.phil.
from Vienna in 1963. Venia legendi for indology Mdnster
in 1966. He served the University of Mdnster as a
9'Dozentt'(Lecturer)
from 1966 to 1970, and as
an
Associate
Professor
for indology from
1970
to
1973.
Since 1973, he is serving the University of Hamburg as a
Full
Professor
for indian Buddhist Studies,
He
is
a
member
of
the
JOachim
Jungius―
Cesllschaft
der
Wissenschaften since 1977.
For lecturing, he has traveled extensively.
He
has
apan in two occasions: January/April 1979
and
been
to 」
September/October 1989, he was a
September/October 1990。
FelloW of the Australian National University, Canberra,
He
was
married to Helga Schmithausen
(b.Sahl)
in
1960. He is blessed with two children:
Cregor(b.
1964)
and Feliciatas (b. 1967)
東
方
学
術
賞
今 西 順 吉 教 授
985年
3月 3日 生
957年
東京大学文学部卒業
959年
東京大学大学院修士課程修了
964年
西 ドイツ ・ゲ ッテ ィンゲ ン大学留学
966年
東京大学大学院博士課程修了
966年
北海道大学文学部専任講師
968年
北海道大学文学部助教授
987年
北海道大学文学部教授 、現在 に至る
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