2009 No.2 MAR - 公益社団法人 日本航空機操縦士協会

ISSN 0389-5254
2009 No.2 MAR
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
操縦士協会のめざすもの
(第204回理事会決議)
1. 私達の活動の目的は、 定款に定められた通り 「航空技術の向上を図り、 航空の安全確保
につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、 もって我が国航空の健全な発展を促
進する」 ことです。
2. 私達は、 定款の目的を踏まえ、 将来のあるべき姿として 「安全で誰からも信頼され、 愛
される航空を実現する」 というビジョンを描いています。
3. 私達は、 目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。
航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、
社会全体で安全意識を高めて行くこと)
地球環境と航空の発展との調和を図る。
航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。
第44期 (平成20年度) 重点施策
操縦士協会の目指すもの
を達成するために次のスローガンを掲げて取り組みます。
SAFETY
ECOLOGY
HUMANITY
航空の 「健全な発展と活力」 は、 操縦士だけでは維持できません。 社会とりわけ航空
関係者の理解が必要です。 操縦士が集い航空の現状と課題を幅広く伝え、 情報の共有化
を促進させます。 国際活動は、 参加目的を交流と情報収集の段階から一歩進め、 これま
で以上に操縦士協会の存在を印象付けていきます。
・操縦士組織の PR 活動
・航空関連情報・知識の提供と技能支援
・操縦士の専門知識と経験を活かす
・社会的な信頼の構築
・関係団体との協力と交流
・財務の健全化
操縦士協会は会員を募集しています。
JAPAは公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。
目的
本協会は、 航空技術の向上を図り、 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を
行い、 もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的とする。
協会の会員は、 下記のように分かれます。
正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、 原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。
賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。 個人賛助会員は、 満16歳以上の操
縦士技能証明を持たない方で、 法人賛助会員の資格は、 特に定めはありません。
正会員の会費;60歳未満:月額
1,700円
(内訳1,500円:協会運営費、 200円:共済費)
60歳以上:月額
1,500円:協会運営費
個人賛助会員;
月額 1,500円:協会運営費
法人賛助会員:
一口年額 50,000円:協会運営費
入会すると?
①協会機関誌 (AIM・PILOT誌など) の無償入手
②航空関連商品 (書籍等) の割引購入
③会員向け、 空港施設見学や講習会への参加
④協会契約割引施設の利用
お申し込みは別途 「入会申込書」 をお送り致しますので、 事務局までご連絡下さい。
皆様のご入会をお待ち致しております!
社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION
TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail [email protected]
Home page URL http://www.japa.or.jp/
CONTENTS
No.313
4
2009 No.2 MAR
安全運航堅持への課題
〈Crew Incapacitation〉
81
副会長
8
増田
18
奉和
特集
シニア・パイロットのエピソード (第24回)
失速に関連する想い出
岩瀬
「空を愛する女性たちを励ます賞」
表彰式と懇親会
鐘尾みや子
85
IMC の山中で…。
90
地球環境問題関連用語の解説
91
FAI ニュース
21
健祐
緊急座談会 (2009-2-23) 報告
奥貫
博
ハドソン川の奇跡に思う(1)
運航技術委員会
92
中部支部だより
いっぺん名古屋空港にも来てチョー!
26
GA:ジェネアビ情報
ふくしまスカイパーク
(福島市農道離着陸場)
94
奥貫
34
36
45
博
それもあったか航空情報!
青木
富男
屋良
朝義
開催報告
西日本支部だより
95
沖縄の飛行三季折々
航空気象
冬型時の関東地方のシアーラインには要注意
−総観規模から局地気象を把握するには−
航空気象委員会
97
開催報告
寄稿
98
航空局通達
100
JAPA 通信
103
オススメ!情報ボックス
秋山豊寛さん宇宙初体験! 沖縄講演会
原嶋
利光
XP-1 (次期固定翼哨戒機) の初飛行
関戸
48
昭洋
第30回 ATS シンポジウム
「ALTIMETER SETTING」 高度計規正の方法
Go around 後の飛行方法
56
104
JAPA SHOP
105
JAPA で飛行訓練を!
航空史曼陀羅
その28. 和製リンドバーグ中尾純利の生涯
徳田
62
書籍 & Goods 紹介
忠成
JAPA のシミュレーター
Flight Training Device
特別寄稿
FTD 訓練室
飛燕巡礼
増田
69
浩司
Aviation Café
106
JAPA Aerial Photo Exhibition
108
編集後記
大局的見地からの気象解析
74
蔵岡
賢治
青木
美和
I Aviation
―アメリカの空から想う―
第5回 ピンクに秘めた私の気持ち
社団
法人
日本航空機操縦士協会
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
安全運航堅持への課題
〈Crew Incapacitation〉
副会長
増
はじめに
田
奉
和
昨年の原油価格急騰やサブプライムローンに
端を発した世界同時経済不況により、 現在多く
のエアラインが苦境に立たされている。 しかる
に航空の安全をいかに堅持していくかは国、 航
空業界をあげて継続して取り組む普遍かつ最重
要のテーマである。 今年1月15日に起こった
US エア機の 「ハドソン川の奇跡」 では、 サレ
ンバーガー機長をはじめクルーは、 その能力を
最大限に発揮し、 乗客を危機から救った。 エア
ラインパイロットが安全運航を担い、 その責務
を果たすことの重要性を改めて示す事例であっ
たといえる。
現在、 わが国では航空会社が運航する定期便
数は、 日々2500便を超えているが、 今回、 航空
会社の運航の一翼を担うエアラインパイロット
(以下乗員と記す) に焦点を当て、 どのような
形で運航の安全に関わっているのかを紹介する
とともに、 目まぐるしく変化する環境において、
航空界が取り組むいくつかの課題も交えて述べ
てみたい。
ニーズにあった能力が醸成され、 確認されて初
めて運航に従事できる。
無線従事者免許のひとつである航空無線通信
士資格も必要であるが、 唯一、 総務省管轄のラ
イセンスである。 当然ながら、 航空従事者には
有効な航空身体検査証明書の保持が義務付けら
れている。
また、 国際航行を行う操縦士は各種技能証明
に加えて航空英語能力証明が取得要件として、
昨年3月から新たに加わっている。
これらのライセンスを保持することにより、
乗員としてスタート地点に立つことができるが、
ライセンスは一度取得すれば、 永続的に運航業
務に従事できるという保障ではない。
副操縦士に昇格後も、 数多くの訓練・審査を
パスし、 航空身体検査基準をクリアーし続けな
ければ、 実際の運航には従事できない。 現在、
MPL (Multi Pilot License) といったエアラ
インに適用される新しいライセンス制度の研究
が進んでいるが、 新ライセンス制度でも乗員に
求められるレベルが変わるものではない。
1. 乗員の資格
2. 乗員の養成
航空に携わるあらゆる人々の弛まぬ努力の結
果として、 航空の安全が守られ続けている。 そ
のなかで、 乗員は航空法に定められている国家
資格である航空従事者技能証明等のライセンス
保持者でなければならない。 エアラインの航空
機を運航するには最低限、 国土交通省管轄の事
業用操縦士、 多発限定、 計器飛行証明の国家ラ
イセンスを取得し、 当該航空機の型式限定ライ
センスを取得することになる。 これら国が必要
としている能力に加えて、 各航空会社が定めた
現在、 エアラインのソースとしては、 航空大
学校、 自社養成、 自衛隊の民活制度、 外国人操
縦士、 経験者があるが、 エアライン乗員の道は
過去に比べると多様化、 複雑化している。 特に
近年、 東海大学をはじめとした大学が操縦学科
を設置しエアライン乗員を目指した教育を行っ
ており、 今後の乗員ソースとして期待されてい
る。
ここで、 ある航空会社の自社養成乗員の入社
から、 副操縦士を経て機長になり、 定年で乗務
4
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を降りるまで、 どのようにライセンスを取得し
ていくのか、 その流れを以下に紹介する。
5次までの試験 (学力検査、 心理適性検査、
航空適性検査、 航空身体検査、 面接試験など)
に合格した者は、 在校中に航空無線通信士の資
格を取得する。 大学を卒業後、 入社した乗員候
補生は最初の1年間ほど社内で他職種、 他職場
での勤務を経験し、 航空輸送に関する知識と視
野を広げる。 その後、 米国にある飛行訓練施設
に入り、 乗員になるための一歩を踏み出し、 順
番に4種類の技能証明ライセンスを取得してい
く。 各々の飛行訓練に入る前に学科試験に合格
しなければ訓練を開始することができない。 自
家用操縦士単発機、 事業用操縦士単発機、 双発
限定 (これは学科試験は不要)、 計器飛行証明
である。
帰国後、 日本で実用機のライセンスを取得し、
路線訓練・審査を経て副操縦士となる。
国及び航空会社が求める訓練・審査を終了し
副操縦士に昇格するには、 訓練開始から凡そ2
年半の期間がかかる。
副操縦士昇格後、 10∼12年間は実運航で技倆
の研鑽・蓄積を重ね、 社内のスクリーニングを
パスした人格識見も備わった者が機長候補とし
て機長昇格訓練に入り、 3.5∼4ヶ月の訓練を
受けて審査に臨む。
機長として飛ぶためには定期航空運送用操縦
士の技能証明の取得、 および社内審査に合格す
ることが要件であり、 機長昇格発令に至るまで
は、 入社後15年∼17年の歳月が必要となる。
乗員には年間に技能審査、 路線審査、 リカレ
ント訓練 (LOFT、 CRM、 緊急訓練)、 航空身
体検査 (機長は2回) がそれぞれ1回づつ実施
され、 訓練・審査の繰り返しは定年まで、 乗員
を続ける限りは継続される。
また、 乗務機種を変更する場合は、 新たに型
式限定変更訓練と審査がある。
一般的には、 22∼23歳で入社し、 27歳で副操
縦士に昇格、 40歳前後で機長に昇格する。
基礎訓練開始から、 副操縦士発令、 そして運
航経験を重ねて訓練・審査を経て機長になり、
数種類の航空機に乗務して定年に至るまで、 繰
り返し受験する技能証明関連の国家試験の回数
は80回を超え、 また、 航空身体検査受検は50数
回を数える。
このような厳格な技倆管理、 健康管理の継続
があってこそ乗員として、 安全で高品質な運航
をお客様に提供できるのである。
一方エアラインが抱いている課題として、 今
後の乗員不足問題にも絡む、 数年前から始まっ
た 「団塊世代乗員の大量定年退職」 がある。 現
在、 法の改正で60歳以上65歳未満の乗務が可能
となり、 エアライン各社では60歳定年後も乗務
が可能な制度を導入している。 エアラインにとっ
て、 熟練の乗員が継続して乗務することは、 単
に乗員不足に対する稼動上の効果のみならず、
技倆・技術の伝承の観点からも有益なことであ
る。
3. 運航環境
日常運航に影響を及ぼす要因は数多くあるが、
出発地、 目的地および代替空港の気象状況。 使
用する航空機の整備状況や航空情報、 飛行中に
は刻々と変化する天候、 時として発生する航空
機のシステムや客室関連トラブルなど、 同じ状
況、 条件での運航は決してない。
近年の空港の増設、 航空機の増加に伴い、 空
域は過密度を増している。 航法援助システムは
急速に発展を続け、 空域の調整が進んでいると
はいえ、 一定の空域に多くの航空機が往来する
ことは安全に関しての弛まぬ改善が不可欠とな
る。
もとより乗員は実運航で多くの経験を通じて
技倆の涵養を継続し、 運航に関わる状況や情報
を的確に認識、 判断し、 意思決定ができる能力
を維持、 向上させていくことが求められている。
現在エアラインで稼動しているフェイズシ
ミュレーターは、 数百種類のシステムトラブル
をはじめ、 あらゆる天候を創りだすことができ
る。 操縦席は6本の油圧ジャッキにより動かさ
れ、 3次元を飛行する実機に限りなく近い動き
をするなかでエンジン火災や油圧システムの故
障、 あるいは操縦系統や与圧、 電源系統の故障、
離着陸のための雪氷滑走路、 またルート上やア
2009 MAR
5
プローチ中の乱気流などをはじめ、 実機訓練で
は決して創り得ない様々な状況を現実に近いも
のとして提供することができ、 臨場感あふれる
訓練が繰り返される。
ライト兄弟がノース・カロライナ州キティ・
ホークで初の有人飛行に成功したのは1903年12
月17日、 飛行距離は120フィート、 飛行時間は
12秒間であったと伝えられている。 このときか
ら105年を経た現在、 航空技術の発達は目覚し
いものがあり、 航空機はより大型化され、 より
速く、 より高く飛ぶようになった。 航空技術は
もとより航空機そのものの安全性、 運航上の安
全性などあらゆる分野で新しい技術が採用され
発展してきたが、 10人前後の乗客を乗せた旅客
機が最初に飛んだ時から現在まで変わってない
ものがある。 それは操縦席に2人の乗員 (操縦
士) が乗務していることである。
1950年代後半に基本的にはレシプロ機と変わ
らない装備であるが、 推進装置がジェットエン
ジンへと大変革をした。 コメット、 B707、 DC8
などの第一世代機の到来である。 1960年代には
B727、 B737、 DC9 など自動化が進められ第二
世代機と呼ばれた。 1970年代前半には第三世代
機といわれる B747、 L1011、 DC10、 A330 な
ど大量輸送の広胴機時代に入った。 そして、
1980年代になるとコンピュータ、 新素材、 低騒
音、 低燃費と効率性の高い機体が主流となり
B747-400、 B737-300、 B767、 B777、 エアバス
などの第四世代機の時代に入り、 航空機の進歩
は止まるところを知らない。
一方で、 ライト兄弟が初飛行をする遥か昔か
ら現在に至るまで、 生まれたばかりの人間の能
力は基本的には変わっていない。 したがって、
航空機の運航に携わる人達は、 膨大で革新的な
知識を限られた時間に吸収し、 運航に活用しな
ければならない時代に入っている。
かつては操縦室に機長、 副操縦士、 航空機関
士、 航法士、 通信士の5名が乗務した航空機も
あったが、 今はほとんどの機種が機長、 副操縦
士の2人で運航されている。
6
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4. 航空機の自動化と乗員
航空機の高度な技術的発達は、 乗員オペレー
ションにも多大な影響を与えてきた。 特に、 乗
員のワークロードの観点からは、 高度の自動化
によりワークロード自体が軽減されることで、
より的確な状況認識や意思決定ができる環境を
提供していることが挙げられる。 一方で、 2名
により運航することは、 乗員1人が肉体的ある
いは精神的な機能消失が生じた場合を考慮し2
人乗務となっているのが主たる理由であり、 1
人で当該航空機の運搬の完遂ができないことで
はない。 なぜなら、 2Men Crew の旅客機は
Type Certification (型式認定) を得る過程で、
1名の乗員による操縦が可能であることが要求
されており、 必ず試験飛行を行ってそれが証明
されている。
したがって機長が操縦困難な状況になっても、
副操縦士が着陸まで安全に飛行を継続できる充
分な技倆を有しているし、 エアラインはその技
倆担保を行っている。
5. インキャパシテーションについて
上記のように、 現在の運航は2名の乗員によっ
て行われているが、 仮に1名が操縦できなくなっ
た場合、 実際のところ、 どのようになるであろ
うか?
乗員が操縦困難に陥る現象をインキャパシテー
ションという。 わが国のエアラインではこの10
年間に2度インキャパシテーションが発生して
いる。 国内線運航で機長が、 国際線運航では副
操縦士がインキャパシテーションに陥っている。
最近の事例では、 昨年10月にアンカレッジ発香
港行きの UPS26便 (MD11) の機長がインキャ
パシテーションになり、 副操縦士が目的地を成
田空港に変更して着陸した。
上記の3便はいずれも問題なく通常と同様に
運航を果たしている。
インキャパシテーションについて、 ここでも
う少し詳しく述べるが、 インキャパシテーショ
ン は 大 別 す る と Obvious Incapacitation と
Sabtle Incapacitation の2種類がある。
Obvious Incapacitation とは、 通常、 肉体
的精神的に全機能を喪失する状態をいい、 人事
不省に陥ったり、 意識はあっても全身が麻痺し
ていたりして、 業務遂行が全くなし得なくなる。
時には全身の痙攣を伴ったり、 発生後数分で仮
死状態に陥る場合もある。 原因としては心不全、
心筋梗塞、 脳内出血、 脳卒中、 てんかん等があ
る。
Sabtle Incapacitation とは、 肉体的精神的
機能の一部または一時喪失の様態をいい、 手足
等身体の部分的な麻痺、 知覚、 反応の鈍化また
は欠如 (放心状態、 注意力散漫)、 言語障害、
不適切な応答、 意味不明な発声となって現れる。
時に注意すべきことは、 外見が普段と変わらな
いのにインキャパシテーションに陥っている場
合があることである。
Obvious Incapacitation は、 当該乗員が座
席から崩れ落ちたり、 前方に突っ伏したり、 気
絶昏倒するので明白に発見できるが、 Subtle
Incapacitation は発見が難しいので、 次の方法
が判断基準として推奨されている。
① 標準操作等の励行
Standard Procedure & Profile (Call
out. Check List)
Monitoring & Cross Checking
② Two Communication Rule
Two Communication Rule とは2度の呼
びかけ、 指摘あるいは忠告等に対して適宜を
得た適切な応答、 反応がなされない場合に、
Incapacitation と判断する。
Incapacitation 発生時の措置として、
① Incapacitation に陥った乗員の業務を速や
かに引き継ぎ、 必要な場合 Go-Around を実
施 す る 。 ま た 、 Auto-Pilot 活 用 、 Emergency の Declare 等で業務量の軽減を図る。
② 当該乗員が以後の運航の障害とならないよ
う、 身体を座席に固定させる。 あるいは他の
乗務員に依頼し、 操縦席から運びだすなどの
措置を講じる。
③ 発生した状況を ATC 機関および会社に通
報し、 関係機関の援助を仰ぐ、 等々。
いずれにしても適切な2MEN CONCEPT の
実施が、 インキャパシテーションの早期発見に
繋がっていく。 インキャパシテーションは医学
の問題だけでなく、 運航面でのリスクをなくそ
うという訓練面でのアプローチもある。
リカレント訓練にインキャパシテーション時
の対応を組みこんだエアラインがある。 もとよ
りエアラインでは、 機長、 副操縦士どちらがイ
ンキャパシテーションに陥っても安全運航が全
うされる水準にあるが、 訓練科目としてもその
設定は有効であろう。
おわりに
今回、 「安全運航の堅持への課題」 というテー
マをとりあげ、 乗員の技倆水準の確保とインキャ
パシテーションの対応なども例に挙げて述べた
が、 安全を維持するためには、 問題が発生する
手前、 手前に手を打つことだと言われて久しい。
アクシデントを発生させないためには、 イン
シデントを、 インシデントを発生させないため
にはヒヤリ・ハットの発生をいかに抑えるかと
いう構築、 実践が重要である。
ヒヤリ・ハット発生の極少化への継続努力は
インシデントの発生を抑制し、 アクシデントゼ
ロに帰結していくことになる。
44年前、 世界初の時速210km の営業運転を
達成した東海道新幹線に、 安全性は大丈夫だろ
うかと思いながら利用した乗客は少なからずい
た。 しかしながら、 現在は時速300km で疾走
する新幹線の安全は当然のこととして受け止め
られるところまできている。
新幹線は理想的な公共交通機関に近づいてい
るといえる。
一方、 わが国の航空輸送は航空界が長年に亙
りインフラ整備を行い、 ハード、 ソフトの改善
努力を積み重ねてきている。 今では航空の安全
はかなり信頼されるものになってきている。
航空機を利用するお客様にとって安全は当然
のことであって、 利便性、 快適性などには関心
が向くものの、 安全についてはほとんど気にな
らない、 むしろ関心がなくなるくらいになるこ
とが、 日夜、 航空輸送に携わっている航空関係
者の究極の目的であり、 公共交通機関の真のあ
り方なのであろう。
2009 MAR
7
特集
(第24回)
失速に関連する想い出
JAPA 顧問 (元 JAL 機長)
岩瀬
健祐
フライトテスト委員会 特別委員
編集委員会 委員
運航技術委員会 地球環境問題分科会リーダー
航大時代
1959年
一人のパイロットが40年に亘り経験したいろ
いろなエピソードを、 1回ですべてを紹介する
ことは不可能です。 テスト・パイロットとして
の珍しい経験の中から、 Jet 機の失速という特
殊領域の想い出の一部をまとめてみました。 現
役の方々の飛行安全に役立てば幸いです。
(*印は実体験、 航空経歴は文末参照下さい)
1. *Stall への減速率が、 Vss (Stick Shaker
Speed) に影響を与えた事例 (B-727)
1970年、 Air Burma のパイロットに B-727
の Post Overhaul Flight Test の教育を実施し
た と き の こ と で あ る 。 約 15,000ft で Stall
Warning System のチェックを実施した時、
Air Burma のキャプテンが、 少しずつ高度を
下げながら減速していき、 Vss のデータを記録
したところ、 許容値を少し上回る値となった。
再度 Try してもらったが、 同じ結果となった。
操縦を交代し右席で実施した。 高度を維持して
実 施 し た と こ ろ 正 常 値 が 得 ら れ た 。 Air
Burma のキャプテンの dV/dt (減速率) が小
さすぎたためと納得してもらった。
テスト条件にミートしない場合のデータが違
う典型的な例であった。
1回目の Last Flight
宮崎→羽田 1997-11-14
2. *Clean Configuration (巡航形態)
での Stall で Wing Drop (B-727)
ANA の B-727 (JA8303) のオーバーホール
後 の 試 験 飛 行 で 、 巡 航 形 態 の Stall で Stick
Shaker Speed (Vss) より早く Initial Buffet
が発生するという状況があったので、 JAL の
機体でチェックしてほしいと JCAB より依頼
があった。 丁度オーバーホール後の機体 (JA
8310) の耐空証明取得の試験飛行が計画されて
いた。 試験飛行室所属キャプテンとして、 この
問題解決までに6回試験飛行を行ったが、 以下
は、 当時のメモと整備の技術報告書からの抜粋
である。
1st FLT (July 7, 1971);
巡 航 形 態 で の Stall Warning System の
Check を実施したところ、 全日空機と同様の
現象が発生した。 厳密には Stick Shaker 作動
とほぼ同時に Initial Buffet が発生した。 なぜ
か左へロールする傾向があった。 Chart Value
と比べると Vss で5kts、 VIB (Initial Buffet
Speed) で11kts 大きかった。 アプローチおよ
び着陸形態では正常値が得られた。
整備による失速警報装置の点検、 フラップや
スポイラーのリギング・チェックが行われ、 異
常なしとの結論であったが、 念のため Wing
T/E (Trailing Edge) をほんの少し Adjust
し Airfoil Camber を増す処置を実施した。
2nd FLT (July 8, 1971);
翌日の再度の試験飛行の結果は、 速度的に若
8
2009 MAR
干の改善が見られたが、 Vss と VIB がほぼ同
時に発生するという傾向は、 前日と全く同じで
あった。 整備地区に戻った後の機体の外部点検
で、 主翼の Leading Edge がスムーズでないこ
とに気付き、 そのことを Post Flight Briefing
で指摘したが、 他の機体も似た様な状態でもっ
とひどい機体もあるからとの機体工場側の説明
で、 このコメントは取り上げられなかった。
この件に関連して、 7月10日、 羽田の全日空
の整備会議室で、 Boeing/ANA/JAL の関
係者による合同ミーティングが持たれたが、 原
因特定には至らなかった。
Slip をさせてみることになった。
5th FLT (July 15, 1971);
Rudder Trim 5 Unit (整備側の記録では1.5
と記録されている) の Side Slip で対象 Stall
に入ることで、 パイロットは白となった。 (現
時点では、 どちらの数値が正しいのか不明)
Leading Edge Roughness により CL Max.
が小さくなるという NACA (現 NASA) レポー
トを読んだ技術部中村技師のアドバイスで、 両
翼の Leading Edge を Smooth Out すること
になった。
Leading Edge Roughness の影響
3rd FLT (July 11, 1971);
Clean Configuration の時のみ、 Complete
Stall まで頑張ると、 左への Wing Drop が発
生した。 右に Aileron をフルにきっても、 再大
Bank 角は最大60度を超えたと思われる。 無我
夢中で Max. Power を Apply すると、 No.1
Engine が Stall するオマケ付きであった。 Engine Stall は主翼の剥離した気流をエンジンが
吸い込んだためである。 幸いなことに、 Engine の Damage は無かった。
主翼上に気流糸 (Tuft) をはり、 Stall 時の
剥離状況を Video Tape に録画することになり、
整備作業指示書にしたがった毛糸張りが行われ
次のフライトとなった。
この表面粗さの原因は、 Erosion (侵蝕) と
呼ばれ、 飛行中の雨滴との衝突や、 離着陸時に
滑走路上の細かい砂粒等が巻き上げられ Leading Edge と衝突してできたものと推定されて
いる。
4th FLT (July 13, 1971);
今回も左への急激な Roll が発生し、 Control
Wheel を右一杯にとってやっと Roll は止まっ
た。 Flight 後 Video をみると、 左翼先端から
数えて No.1と No.2 Slat の間付近から、 気
流糸の巻き上げが始まり、 瞬時に翼端と翼の付
け根にその現象が伝搬するのが見られた。 (残
念ながらこの Video は行方不明となっている)
急激な左へのロール (Wing Drop) は、 右
への Side Slip のためではないかと疑われ (パ
イロットのテクニックに疑問が投げかけられ)、
操縦室の前方窓の中心のフレームの外側左右に
Yaw String を取り付けて、 フライトで Side
6th FLT (July 16, 1971);
6回目の Flight では、 Vss の次に VIB がお
こり対称 Stall に入った。 Video Tape に録音
した音声には、“直った!”との筆者の歓喜の
声も残っていた。 (この Video Tape も行方不
明、 貴重な資料の保存体制に不満の残るところ
である。)
当時、 日本航空の整備技術陣は、 疑わしいと
ころを一つずつクリアーにしていく方針でこの
問題に対処し、 結果的に真の原因に到達した。
定期的な主翼 Leading Edge の状態チェック
と Smooth Out が整備要目として追加された。
問題解決に努力した当時の関係者全員の熱意
2009 MAR
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に改めて敬意を表明したい。
その情報をもとに、 全日空の機体もすべて
JAL と同じように Leading Edge を Smooth
Out することになり、 その後両社の B-727でこ
の問題は再発しなかった。
3. *離陸ローテイションで失速警報作動し離
陸断念、 1日に2回同じ体験 (B-727)
1971年、 オーバーホール後の耐空検査で、 羽
田 RWY33 から離陸滑走を始め V1=VR=115
kts で Rotation を開始した途端、 Stall Warning が作動した。 瞬時の決断で離陸断念をし、
整備地区に引き返した。
整備サイドでは、 Stall Warning System の
チェックを実施し、 異常がないからもう一度お
願いしますということになった。 再度の離陸を
試みた結果は、 全く同じタイミングで Stall
Warning が作動した。
1日2回、 同じ機体で、 同じ滑走路上ほぼ同
じ位置で離陸断念をしたのは、 最初で最後であっ
た。 当然、 整備に機体の綿密なチェックを依頼
して、 当日のフライトはキャンセルした。
整備で見つけた不具合は、 Flap 角度のシグ
ナルの Stall Warning Computer に入る三相
の 結 線 が 120 ° ず れ て い た こ と で あ っ た 。
Rotation で Nose Gear の Oleo Strut が伸び
Air Mode になると、 Stall Warning System
の回路が成立するよう設計されているが、 実際
のフラップは離陸位置にあるにもかかわらず、
Stall Warning Computer には、 結線ミスでフ
ラップが出ていないとの信号が入り、 低速であ
るため Stall Warning が作動したものである。
ライン運航では、 離陸継続になるケースであっ
た。
他の航空機を含め、 結線ミス、 ケーブルの接
続ミス等は現在でも報告されており、 人間が作
業をする中でのエラーを、 如何に防ぐかは永遠
の課題である。
10
2009 MAR
4. *雹にあたり損傷を受けた機体の大
修理後の Stall Test (DC-8-61)
HND→SPK のフライト (PIC が外人キャプ
テン) で、 Iwase Departure で上昇中、 CB の
近くで激しい雹に遭遇し、 Radome が破損し、
速度計が Unreliable となり、 HND へ引き返
した。
水平飛行中は、 速度計が Unreliable 時の参
考データ (IAS と Pitch および Thrust) を参
照し、 木更津近辺からは B-727 と編隊飛行で
速度を確認しながら、 無事 RWY 33R へ着陸
した。
機体は Radome が破損し、 Wing Leading
Edge、 Engine Cowling に大小多数の凹みが
でき、 Engine Fan Blade もかなり損傷を受け
ていた。 整備工場で大修理を行った後の試験飛
行を担当した。
外部点検で機体が、 あまりにもきれいなこと
に驚いたものである。 Stall Test では Shaker
が作動し Initial Buffet を確認した後、 Elevator を緩めると、 Wing Level で静かに Pitch
Down した。 過去に経験した DC-8 の中で最良
の Stall 特性を示した。
Douglas の新造機と比べても、 機体の状況
は完璧で、 当時の日本航空機体工場の修理能力
は世界に誇れるものであったと確信している。
その技術力の伝承はどうなっているのだろうか。
5. *訓練専用機での Approach to Stall
で Early Buffet 発生 (DC-8-61)
米国ワシントン州モーゼス・レイクで、 訓練
専用機として継続使用中の DC-8-61 の機体で、
Approach to Stall の課目で、 Buffet が Stall
Warning より速く発生する状態が続いた。
現地調査の結果、 Wing Leading Edge およ
び下面、 Flaps 下面に、 非常に多くの空中衝突
をした虫の残骸がこびりついた状態であった。
B-727 の経験から、 機体をできるだけ丁寧に
洗浄し虫の残骸を除去する整備作業実施後、
Stall チェックを行ったところ、 ほぼ Chart
Value 通りのデータとなった。
以後、 整備で早めに機体を洗浄することとなっ
た。 訓練で Touch and Go の回数が極端に多
い機体での出来事であった。
ているにもかかわらず、 Pitch Up が続き、
Secondary Stall に入った。 高度に余裕があっ
たのでエンジンを絞ることで Pitch Down とな
り Recovery できた。 その後、 古い DC-8 の
Control Wheel は、 順次 Grip の Beep Switch
部分に Guard のついたタイプのものに換装さ
れた。 さらに、 すべての DC-8 に Stabilizer が
一定の量以上動いた時に、 音で知らせる Stabilizer in Motion Warning System が追加装備
された。
モーゼスレイクで飛行中の DC-8-61
6. *Full Nose Up Trim Stall
(DC-8-30)
退役後羽田整備地区に駐機中の JA8001
DC-8-30 (JA8001) を 使 用 し た 6 Month
Check の際、 Stall からの Recovery で、 Max.
Power を Apply 後、 急激な Pitch Up となり、
Secondary Stall から Unusual Attitude に陥
り、 雲中を降下し雲の下に出て姿勢判断ができ
事なきを得たケースが発生した。
さらに類似の Pitch Up が2件発生し、 その
内の1件で Checker が Stabilizer Trim が Full
Nose Up 位置になっているのを発見した。 整
備で詳細な点検をしたところ、 Control Wheel
の Beep Switch が Loose Contact の状態にあ
る こ と が 判 明 し た 。 Checkee Pilot が
Approach to Stall の課目実施中、 手袋をした
左拇で Beep Switch (Stabilizer Trim Switch)
に自身では気付かないで不用意にさわり続け、
Full Nose Up Trim になったものと推定され
た。
新品の Beep Switch を取り付け、 6 Month
Check の枠内で、 Stall Test を実施した。 減速
の過程で意図的に Full Nose Up の状態にして
Control Column を押しながら水平飛行をし、
Stall Warning 作 動 後 、 Max. Thrust を
Apply すると、 Control Column を一杯に押し
7. *Stall への Thrust Effect
(DC-8-62)
三沢の訓練空域で、 Stall Warning System
を 交 換 し た 機 体 (JA8053) で の 6 Month
Check に先立ち、 気圧高度:13,000ft で、 失速
関連のデータをとった。 その時通常の失速試験
データの他に、 珍しい Power ON Stall を実施
したので、 報告書からその Data を紹介する。
Flaps23°、 Gear Down、 CG:29.2%MAC
機体重量:197,000lbs、 Vtrim:no data
EPR:1.96 (GA:In Flight Take off EPR)
Chart Value:Vss=114kts、 Vs=107kts
Test Data:Vss:no record
VIB :Capt/Copilot:103/105
Vs :not checked
Pitch Attitude:20.5°
減速のためには Pitch を20°以上に上げる必
要があった。 VIB-2kts でも Buffet は非常に軽
く、 明確な Buffet は100kts 位で認められた。
上記から、 DC-8-62 のこの重量・Flaps 23°
での Go Around Thrust の失速速度への効果
2009 MAR
11
は、 10kts 弱と推測できる。 Heavy Weight 時
ほど、 その効果は小さくなる。
た。
テスト・フライト終了後、 試験飛行室のデス
クで Tape Recorder を何回も聞き直し、 テス
ト状況のメモを書きとめる姿を見て、 Matsen
機長の任務に対する真摯な姿勢に感銘を受けた。
駐機中の JA8053
8. *NAL 依頼による、 Vs1g と Vsmin 比
較検証のための Stall Test (DC-8-50)
1973 年 4 月 3 日 、 航 空 宇 宙 技 術 研 究 所
(NAL : 現 JAXA) の 要 請 で DC-8-50
(JA8019) を使用して、 日本海の Golf Area
で Stall Test を実施した。 客室に測定機器を
装 着 し 、 ICAO で 発 表 す る た め の Vs1g と
Vsmin の Data を収集した。 このときの Data
は、 当時の NAL 関係者によって ICAO で発表
された。
米空軍で C-5A の Chief Test Pilot を務めた
経験のある、 Ralph S. Matsen 機長が左席で
PIC、 航空自衛隊試験飛行操縦士課程を終了し
た岩瀬が右席で Copilot Duty、 航空機関士は
阪谷のクルーで、 Golf 空域で、 高度10,000ft、
巡航、 離陸および着陸形態での Complete Stall
を繰り返し実施した。
Matsen 機長は、 Stall Test 実施中、 可能な
限りの飛行諸元と飛行状態や操縦特性を声に出
して Tape Recorder に記録していた。
最 後 に Landing Configuration で の Stall
に引き続き、 Stall Warning の鳴る中、 Power
On で高度9,300ft を維持し水平飛行が可能であ
ることを確認した。 この時の Gross Weight
に対応する FAR Stall Speed は105 kts であっ
たが、 それより低い速度 (102−103kts) で飛
行可能であったのは、 Engine Thrust の上向
き成分の効果であり、 このときの Buffeting
は非常に強かった。 さらに速度を101kts まで
減速したときに機は急激な Pitch Down となっ
12
2009 MAR
DC-8-50 JA8019
9. *FAA 型式証明テストを見学し
た時のハプニング (DC-10-40)
1975年、 JAL DC-10 が FAA の型式証明テ
ストを行っている時、 見学する機会に恵まれた。
早朝、 アリゾナ州ユマ国際空港から飛び上がり、
FAA の Test Pilot が左席で、 巡航、 離陸、 お
よび着陸形態で Stall Test を何十回も実施し
た。 巡航形態では1kt/sec の Bleed Rate を得
るために上昇しながら減速していた。
Recovery では必ず1番3番エンジンのみを
加速し十分速度を得てから2番エンジンも使っ
ていた。 正式な Stall Test が一段落したとき、
FAA/Douglas のテスト・パイロットたちの
好意で、 左席に座って、 Stall Test を体験した。
Complete Stall の後、 Recovery 操作ですべ
ての Throttle Lever を握ってエンジンを加速
し た 途 端 、 右 席 の Douglas の パ イ ロ ッ ト が
「アッ!」 と声を出し、 機体後部にいた Douglas のテスト関係者からも 「Trailing Cone が
吹き飛ばされた」 との連絡が Interphone で伝
えられた。
(*Trailing Cone は、 Test 中の外気の静圧
を測定するため、 機体後方よりビニール・チュー
ブの先端に取り付けたロート上の器具である。
$700とのことであった。)
その後の Stall Test は中止となり、 ユマに
引き返し FAA のテスト・パイロットによる
Touch & Go の訓練となった。
FAA のテスト・パイロットが、 Stall Recovery のとき2番エンジンの Throttle Lever を
握らず、 1番と3番のエンジンのみで加速して
いたのを見ていながら、 疑問に思いつつもその
理由を確認せず着席し、 訓練と同じ感覚で
Recovery 操作を実施したための失敗であった。
“ストール”
“マックス・ パワー”
“アッ! トレイリング・コーンが飛んだ”
10. *予備エンジン輸送形態での Stall
Test で Wing Drop (DC-10-40)
日 本 航 空 と の 契 約 で Douglas 社 は 、 JAL
DC-10-40型機で、 予備エンジン輸送のための
FAA の型式証明テストをユマ空港をベースに
実施した。 その際、 操縦室でその飛行テストを
つぶさに見学する機会に恵まれた。 そのフライ
トは極めて順調に推移し、 その時、 Douglas
の Test Pilot たちに何らの質問もせずに帰国
した。
体の間に取り付ける整備作業慣熟の後、 航空局
検査官1名と社内関係者約30名が搭乗し、 デモ
ンストレーション飛行を実施した。
離陸形態での失速を実施したとき、 Stick
Shaker 作動後も Elevator を一杯に引き続け
たところ、 突然機体が左に Roll した。 この
Wing Drop が発生した瞬間、 前述の B-727 で
の Wing Drop の事例を思い出した。
左70°を超える Bank から無事に Recovery
出来たが、 客室左側座席に座っていた人は海し
か見えず、 右側にいた人は空しか見えなかった
とのことであった。 Recovery が Smooth であっ
た (最大引き起こしGは1.6) ことと、 何ら機
体に異常が発見されなかったので、 引き続き着
陸形態での Complete Stall を実施した。
フライト後の Debriefing で異常姿勢に陥っ
たことを謝ったが、 航空局S検査官だけは、 小
型機ではもっとひどい状態になったことがある
と平然としておられた。 JAL 関係者は異常体
験からの無事生還でかなりざわめいていた。
DFDR の取り卸しを依頼し、 後日 Print Out
してもらった Digital Data の Wing Drop 関
連部分を次頁表に示す。 詳細は、 航空宇宙学会
誌 Vol.55 No. 641 (2007.6) を参照されたい。
Wing Drop 後の関連する特定パラメター
sec P-ALT CAS PITCH ROLL ELEV AIL
アリゾナ州ユマ国際空港内ダグラス施設駐機場の
JA8533 に取り付けられた予備エンジン
日本航空で DC-10 が国内線に就航した1976
年7月22日、 羽田で予備エンジン輸送形態での
慣熟飛行がおこなわれた。 No.1エンジンと胴
15
13967 116.01 14.77
16
13939 117.01 15.12
0.09 -11.65
RUD
-8.35
-0.06
-2.72
-1.05 22.76
-0.06
17
13902 117.51 13.71 -15.38
4.01 53.09
2.46
18
13858 116.51
7.74 -38.23
2.94 86.48
5.63
19
13802 113.01
-1.41 -62.14
0.79 130.69
6.33
20
13720 110.75
-9.49 -71.26
-2.24 125.07
6.56
21
13615 116.01 -15.82 -60.03
-2.46 84.73
5.57
22
13473 123.75 -21.09 -39.64
-3.21 44.31
4.51
23
13322 130.01 -24.26 -24.17
-2.81 30.94
3.98
24
13176 137.25 -23.21 -19.95
1.45 58.89
3.98
25
13054 145.75 -20.04 -21.71
0.53 80.07
4.92
26
12944 155.75 -18.28 -20.65
0.41 69.61
4.16
27
12797 164.51 -15.12 -12.92
1.19 39.16
3.81
28
12633 171.75 -11.61
1.67 15.38
3.41
-5.18
2009 MAR
13
11. *ANC 離陸時、 ローテイションで
Stall Warning 作動 (DC-10-40)
ANC から HND へのフライトで、 V1を過ぎ
Rotation 直後に、 Stall Warning が作動した。
瞬時に左右速度計を Check し、 ほぼ同じ速度
で あ る こ と 、 同 時 に Flap Handle の 位 置 と
Flap Position Indicator の指示が正しいこと
も確認し、 確信を持って離陸を継続した。
Gear Up 後 V2+10+αで上昇中、 Overhead
CCB Panel にある Stall Warning System の
CCB を Pull Out するよう、 F/E に指示した。
この段階でのピッチ角は約20度であり、 F/E
は Seat Belt を外して立ち上がるとき副操縦士
席に掴まる必要があった。 当該 CCB を Pull
Out して初めて Warning Sound が消え、 静か
になった操縦室で、 ANC に引き返し着陸して
も、 HND まで飛行して着陸しても、 CCB を
Pull Out したままの飛行となることに変わり
はなく、 総合的に判断して、 成田までのフライ
トを続行することを決めた。
Flaps/Slats を あ げ 上 昇 し 、 Company
Radio で Stall Warning System 不作動のまま
HND までフライトすることを伝えた。
DC-10 は 、 ASE (Automatic Slat Extension) 機能をもっており、 Clean Configuration で、 Stall Warning が作動すると、 自動
的に Out Board Slat が出る機構なので、 この
トラブルでは CCB を Pull Out しなければ、
巡航形態にすることができない状態であった。
この故障に対する Check List はなく、 その時
のクルーの経験によっては ANC に引き返す決
心をすることもあり得るケースであった。
“V2”“Stall !! ”“VR”“V1”
14
2009 MAR
12.
全 DC-10型式証明取り消し事故
1979年5月25日、 アメリカン航空191便シカ
ゴ発ロスアンゼルス行き DC-10-10 が、 離陸直
後 (Lift off 後31秒で) 墜落するという事故が
発生した。 離陸は副操縦士の操縦で行われ、 ロ−
テイションのとき、 No.1エンジンが脱落、 翼
面上を周辺の Parts をもぎ取って後方へと吹
き飛んだ。 V2+α までは方向維持もされほぼ
Wing Level で加速上昇した。 その後 V2+αか
ら V2への減速が見られ、 159kts (V2+6kts)
になってから、 左への Roll が始まり、 最終的
には90度を超えるバンク角で地上に激突し、
271名の全乗客乗務員が死亡した。
事故調査報告書の中から、 判明した事実の主
なものと、 筆者からみた疑問点や JAL での対
応を下記に示す。
No.1 Engine が脱落したため、 多くのシ
ステムが不作動となった。 No.1 Hydraulic
System につながる左翼の LE Slats は Retract し た 。 No. 1 AC Generator Bus 、
No.1 DC Bus への電力供給はなくなり、 そ
のために Voice Recorder、 Capt. FD、 No.1
Stall Warning System 、 Slat Disagree
Warning System 等が不作動となった。
Stick Shaker は機長側にしか装備されて
いなかった。 左翼と右翼の Slats のシグナル
は、 No.1と No.2 Stall Warning System
にクロス接続されるよう設計されていなかっ
た。 たとえそのように設計されていても、 こ
の事故では、 失速警報は鳴らなかった。 (事
故後、 クロス配線の改修が行われた)
事故機は Slat Retracted 状態での失速に
陥ったにもかかわらず、 クルーは何故機が左
へ Roll するのか判らなかったと思われる。
DFDR の電源は生きていた。 ただし、 い
くつかのパラメターの記録が途絶えている。
Rotation は、 1.5°/sec で機首を上げ、 Lift
Off 時には機速は V2+6kts となっていた。
Lift off 後、 左へ若干傾いたものの、 加速上
昇を続け、 172kts まで加速したが、 当時の
Engine Failure の手順にそって、 V2 にする
ため少しずつ減速したと思われる。
こ の 時 の Gross Weight で の Slat Retracted Stall Speed が、 159kts であること
を事故調査報告書で述べているが、 たまたま
この速度まで減速した頃、 左への Roll が始
まった。
丁度その頃、 それまでの右への Rudder 操
舵が突然1秒間だけ Zero に戻り、 再び右に
大きく踏み込まれている。
(私見−1):この Rudder が Zero になる直
前に、 Capt. による Take Over が行われた
と考えられ、 僅か1秒間という短時間ではあ
るが Rudder Control の継続性が途絶えたこ
とが、 毎秒4°以上の急激な Roll が続くト
リガーとなったと推察される。 事故調査報告
書ではこの推測は述べられていない。
一旦 Slat Retracted での失速の迎え角を
超えて左への Roll が始まると、 迎え角はさ
らに大きくなり、 Roll からの回復は不可能
な状態となる。 パイロットは、 機の重大な故
障状況を認識することなく地上への激突に至っ
た。
事の重大性から、 FAA が DC-10 の型式証
明を取り消した、 約一か月強の間、 JAL の
すべてのクルーはフライト再開に備え、 SIM
による技量・資格維持訓練を実施した。 何回
かの合同ミーティングが開催され、
NTSB/FAA 情報の説明が行われた。
No.1 Engine が脱落した原因は、 AAL
の Engine 交換でフォークリフトを使った
不注意な作業によるものと判明し、 すべての
航空会社に取り付け作業の見直し点検が指示
された。
Takeoff Engine Out 時のパイロットの速
度調節も、 V2を維持するという記述から、 V2
以上になった速度は、 V2+10kts 以下の場合
はその速度を維持、 V2+10kts 以上の場合は
+10kts までは減速してもよいが、 それ以下
にはしないことに変更された。 FD システム
のロジックも変更となった。
墜落寸前の DC-10
Bank90゜を超えている
(私見−2):前述の B-727 および DC-10 の
2つの Wing Drop 事例の最大 Roll Rate は、
このアメリカン航空の DC-10 の Roll Rate よ
り、 はるかに大きく、 高度に余裕があったこ
とと、 Stall のテストを実施しているという
認識の下での Recovery 操舵であったという
幸運を改めて感じざるを得ない。
13. *事故を防いだ New Stall
Recovery Procedures (B-747)
New Stall Recovery Procedures は、 故シカ
ゴ大学名誉教授の藤田哲也博士の研究で解明さ
れた Micro Burst の激しい下降気流や、 Thunder Storm の激しい Tail Wind Shear に遭遇
した時、 高度ロスを防ぐために、 最大推力
(Max. Power、 必要なら Throttle Lever を最
前方に出す) を Apply し、 機首を上げながら
減速し速度エネルギーを位置のエネルギーに換
え、 Vss (Stick Shaker Speed) になったらほ
ぼ そ の 時 の 機 首 上 げ 姿 勢 を 維 持 し Stick
Shaker が 鳴 っ た り 鳴 ら な か っ た り の Pitch
Control をする方式である。
典型的なダウンバーストの横断面図
2009 MAR
15
この訓練をシミュレータで経験したクルー編
成による、 メキシコ空港での着陸で、 Short
Final 200ft 位で Down Burst に遭遇し、 Capt.
は Thrust Lever を Gate Position (前方最大
可動範囲) まで出し、 Stick Shaker を鳴らし
ながら、 かろうじて正常な Glide Path に戻り
安全に着陸できた、 という事例が発生した。
F/E はこれで墜落かと思ったと述懐していた
が、 全てのエンジンの EGT が限界を超え Red
Light が点灯しても、 敢えて Thrust Lever を
絞るという修正はしなかったそうである。
着 陸 後 Tower に 報 告 し 、 Ramp へ Taxi
back の間に、 後続の Mexico 航空のジャンボ
機が同様の事態に遭遇したとのことであった。
日本航空で New Stall Recovery Procedure
の導入が行われたことが、 事故を未然に防いだ
といっても過言ではない。
14. CG Envelop Expansion Test (?)
で操縦不能に陥り墜落 (CRJ-100)
Bombardier 社の CRJ-100 が日本にデモン
ストレーション・フライトに来た時、 たまたま
長崎空港で試乗する機会に恵まれた。 後日
Bombardier 社の関係者から聞いた話では、 試
乗した当該機が飛行試験中に墜落したとのこと
であった。 (1993-7-26 @ Byers, Kansas, USA)
当日の飛行試験項目は、 CG Envelop Expansion とのことであり、 事故調査の途中情報で
あるが、 飛行中に CG を変更するために客室に
積み込まれた鉛のバラストが固定されずに、 人
手で移動させるようになっていたとのことで、
High Angle Attack の Pitch 姿勢になった時、
そのバラストが後方にずれ、 結果的に CG の後
方限界をはるかに超える状態になり、 操縦不能
に陥ったと推測されているとのことであった。
バラストのタイダウンの手間を省いたための高
価な代償であった。
以下は最近入手したインターネット情報です。
The aircraft was on a test-flight. While performing a side-slip maneuver at 12,000ft, the
crew lost control of the aircraft and it entered
a deep stall.
Descending through 8,000ft, the captain ordered the anti-spin parachute deployed. Due
to a system misconfiguration by the co-pilot,
however, the chute fell free of the aircraft.
Control was never regained and the aircraft
crashed into a cornfield.
伝聞情報とインターネット情報と、 どちらが
正解に近いか、 読者の“頭の体操”の材料にな
ればと紹介する次第です。
小心な象
16
2009 MAR
航空経歴;
1937:広島県福山市生まれ。
1959:大阪府立大学工学部機械工学科航空工学
コース3年修。 航空大学校入学。
1961:航空大学校卒、 日本航空入社。 その後
DC-4/DC-6B/DC-8/B-727 副操縦士
1967:B727 機長。
1969:運航技術部試験飛行室、 DC-8 機長。
1972:航空自衛隊試験飛行操縦士課程卒。
1973:試験飛行室復職。 DC-8 機長。
1976:DC-10 機長。 飛行技術室兼務。
1983:運航乗員訓練部 DC-10 操縦教官室長、
1985:訓練技術室長。
1987:運航乗員訓練部副部長。
1990:技術研究所基礎技術部副部長。
1993:技術総本部付部長。
1995:運航本部長付運航乗務員。
1997:定年退職。 特別運航乗務員として乗務。
2000:退職。
総飛行時間:約13,000時間。
この間 (1969∼1995) 各種試験飛行等;
・Overhaul 後の耐空証明取得 (B-727, DC-8)
・中古機/新造機領収 (B-727,DC-8, DC-10)
・Stall/Slippery Test (B-727, DC-8, DC-10)
・その他各種技術飛行、 新機種評価飛行
・DC-10飛行訓練 (CPT, FFS, 実機)
試験飛行・訓練以外の航空・宇宙関連業務;
・新技術調査
・SAE S-7 Committee メンバー (1973∼1997)
・IATA:FCTFSTF, HFWG メンバー歴任。
・NASDA (現 JAXA):関連委員会等専門委
員歴任。
・JAPA:理事 (1992−2000)、 副会長 (1992−
1996)、 監事 (2000−2002)
現在顧問、 各種委員会委員。
・航空身体検査証明審査会委員等歴任。
・SETP (実験テスト・パイロット協会) メンバー。
・世界中の多くのエアライン・パイロットやテ
スト・パイロット、 宇宙飛行士等の知己多数。
・対談 (チャック・イエーガー氏および向井千
秋さん)
・PILOT 誌、 航空宇宙学会誌等への投稿多数。
チャック・イエーガー氏と対談
1990-3-5 Nut Tree レストランにて
・多くの講演会や座談会等で司会担当。
・非常勤講師歴;
大阪府立大学工学部 (1984/85/88)
東京農工大学工学部 (1995∼2001)
・海上自衛隊第51航空隊 操縦訓練教官講習で
講師担当 (2000∼2008)
・各種学会/シンポジウム/セミナー等で講演。
表彰歴等;
1983:ロングビーチ市名誉市民賞。
1997:航空功労賞運輸大臣表彰。
感謝状受領;
2002:海上自衛隊航空集団司令官より
2005:航空自衛隊航空開発実験団司令より
操縦体験機種;
Beech:B-18/C/D/E, Baron, Queen Air
C-90A King Air,
Cessna:402, Conquest-1
Piper:Super Cub, Arrow-4, Sheyanne-1A
Douglas:DC-4, DC-6B, DC-8-30/50/61/
62, DC-10-10/30/40, MD-11
Boeing:B-727-100, B-767-100, B-747-100,
B-757FBW
Lockheed:T-33A, F-104DJ
Airbus:A-300, A-310
British Aerospace:BAe-146
川崎重工:KAT, KM
富士重工:T-1B
Bombardier:CRJ-100
Lockwell:Hawk Commander
Curtis:C-46
Grumann:Gulfstream−
Dassault:Falcon-C
2009 MAR
17
緊急座談会 (2009-2-23) 報告
ハドソン川の奇跡に思う(1)
運航技術委員会
誌面の都合で、 座談会の書き起こし記事は、
2回に分けて掲載します。
(編集委員会)
M (司会):本日はお忙しい中、 運航技術委
員会主催の座談会にお集まりくださいまして
有難うございます。 出席いただいた皆さん5
人は、 司会者以外は双発機または4発機の現
役キャプテンです。 1月15日 (現地時間) に
ニューヨークで発生した、 ハドソン川への不
時着水事故に関連して、 航空局技術部運航課
長から通達文書 (本号98頁掲載) が、 協会会
長宛に届きました。
プロのパイロットとして事故に対して何を感
じたか、 前向きな議論をしていきたいと思い
ます。 PILOT 誌に要旨を掲載予定です。 最
初に、 乗務機種と路線をご紹介ください。
C1:B-777 で北米路線と国内線です。
C2:A-320 で国内だけです。
C3:B-767 で国内と国際線はホノルルと東南
アジアです。
C4:B-737 で近距離国際線も飛んでいます。
C5:B-747-400 で国際線を飛んでいます。
M:有難うございます。 私は3発機で乗務して
いた OB です。 すでにご存じだと思いますが、
インターネットや新聞等で入手した各種情報
から、 事故の概要を紹介します。
US Airways1549 便 (機体 A320) は、 ノー
スキャロライナ州のシャーロット・ダグラス
国際空港へむけて、 ニューヨークのラガーディ
ア 空 港 か ら 北 に む け て 離 陸 上 昇 中 、 Bird
Strike に遭遇し、 両エンジンがフレーム・ア
ウトした。 機長は出発空港に引き返すことを
18
2009 MAR
考えたが難しいと判断した。 空港管制が近く
のテターボロ空港に向かうよう指示を出した
けれども、 エンジンの再始動に成功せず、 機
長は左旋回を続けマンハッタン西側の Hudson 川への不時着水を決心した。 非常にスムー
ズな着水に成功した。 突発的な不時着水にも
かかわらず、 150名の乗客とクルー5名全員
が無事に救助された。 機長の適切な判断と操
縦技術、 および救助の船舶が多かったという
幸運にも恵まれ、 零下8度Cの気温の中、 軽
傷者のみという結果に“ハドソン川の奇跡”
と呼ばれている。 (資料−2/3)
第一報を聞いて感じたこと
M:以下Q&A方式で、 疑問点や気になる点を
皆で話し合いたいと思います。 この事故情報
の第一報を聞いた時、 何を感じたか、 あるい
は考えたかを簡単にお話しください。
C1:幸運の連鎖だと思いました。 (全員うな
ずく)
C2:FBW 機のシステムをもっと勉強する必
要性を感じました。
C3:DFDR や CVR の記録を早くみたいです
ね。 (管制の交信記録は2月5日公表されて
います。 資料−4)
C4:HUD はこのような状況で役に立つかど
うか考えさせられました。
C5:Jet 旅客機での Perfect Ditching だと感
心しました。 しかも Both Engine Out です。
M:参考までに、 インターネットで入手した当
該機の航跡図と乗客が翼の上で救助を待って
いる写真を次頁に載せてあります。
US Airways 1549便航跡図 (インターネット情報)
「ハドソン川の奇跡」 という
ネーミングについて
M:「ハドソン川の奇跡」 というマスコミの言
い方に対して何か感じられますか?
C1:事故へのネーミングとして、 うまい言い
方だと思います。
C3:現時点では妥当な表現でしょう。 これか
ら出てくるいろいろな事実から、 違った見方
がされるかもしれません。 アメリカの
PPRuNe Forum という Internet 情報には、
Fact as reported;Flight crew did not hit
the ditch switch. とか、 その他の情報がす
でに出ています。
C5:私はフロリダ航空の 「ポトマック川の悲
劇」 を思い出しました。 ところで、 A320 の
2009 MAR
19
Ditch Switch について簡単に説明してくだ
さい
C2:胴体後部下面にある Out Flow Valve 等
を 強 制 的 に Close す る Switch で 、 Over
Head Panel ほぼ中央にあり、 無与圧の場合、
機内に水が入るのを防ぐために、 着水寸前に
押すことになっています。 Ditching Check
List に確かに項目があります。
C4:PPRuNe とは何の略ですか?
C3:Professional Pilots Rumour Network
です。 面白いコメントがたくさん出ています。
M:私もうまいネーミングだと思いました。 海
上自衛隊の飛行艇のパイロットは、 うまく着
水するだろうと感じました。
現在までに入手した一連の資料は運航技術委
員会ファイルとします。
さて、 この事故は Bird Strike に引き続いた
突発的不時着水です。 まず現在までの判明し
ている情報から、 この事故を Human Factors の視点で C5 さんから話していただき、
その後 Bird Strike 関連、 Ditching 関連へ
と話題を移していきたいと思います。
エンジンが2つとも Flame Out したという
ハンディキャップを背負った機を非常にうま
くコントロールして、 映像では着水前の降下
角は約1度で着水しています。 これが、 機体
の損傷が大破しなかった要因だと思いました。
【SHEL モデルで考える】
C5:話を判りやすくするために、 SHEL モ
デルで考えてみましょう。 下図の SHEL モ
デルのタイム・トンネルの過去、 現在、 未来
のそれぞれが SHEL モデルの基本形です。
人間の社会活動に関連するシステムを、 人間
(Liveware) を中心に置き周りに、 取り巻く
4つの要素 S (Software;ソフトウエア)、
H (Hardware;ハードウエア)、 E (Environment;環境)、 L (Liveware;人間) を
配置してあります。 各要素の囲いが波型になっ
ているのは、 隣合わせの囲いがマッチングし
ていれば、 2つの要素の間 (インターフェイ
ス) がうまく機能している事を意味していま
す。 今回のケースは離陸までは、 Hardware
ある Human Factors の視点でみた
A320 Ditching
【アメリカ滞在中に感じたこと】
C5:休暇でアメリカに滞在中、 この事故につ
いての現地の報道が、 日本と違って 「How
to survive.」 の視点が前面に出ていたと感じ
ました。 いくつかの機長の取った行動から、
特別な機長のような言い方がありましたが、
Airline のキャプテンなら誰でもそのように
行動すると日本のマスコミにはコメントして
おきました。 管制との交信記録から見て約20
秒で Ditching の決断が行われており、 この
ような状況下でのメンタル・コントロールも
素晴らしですね。 判断と決断の違いは、 判断
には多くの要素を考慮し決断へと進むわけで
すが、 それは Perfect を積み重ねる道ではな
く、 不確実さを排除し、 確実な道を一つ選ん
だのが今回の結果につながったと思います。
20
2009 MAR
SHEL モデルのタイム・トンネル
である機材は正常でした。 衝突した鳥は航空
機の運航環境 (Environment) になります。
Hardware である両エンジンが Flame Out
となり、 パイロットに想像を絶する Work
Load がかかりました。 この事態に対処する
パイロット間の連携がどうであったか等は
CVR の公表でもう少し具体的に評価できる
と思います。 さらに、 機長から客室乗務員へ
の Briefing は時間的余裕がなかったのでは
と推察されます。 管制官とのやり取りを含め、
これらは Liveware と Liveware のインター
フェイスの問題です。 昼間であったこと、 ハ
ドソン川の存在や周辺空港の位置関係、 鳥の
種類も E 関連の項目です。 この鳥の群れに
パイロットは何時気がついたのだろうか、 回
避の余裕はなかったのか等々は L と E のイ
ンターフェイスです。 鳥の情報がパイロット
には全くなかったのかいずれ判明するでしょ
う。 この種の情報は、 S (Soft) の問題です。
Ditching Check List 等も S 関連項目です。
救助活動に従事してくれたフェリーのクルー
等への情報も S ですね。
C1:時系列的に Chain of Events を並べて
みる必要もあるのではないですか。
C5:そうすれば判り易くなりますね。 前出の
航跡図の位置と時間、 時間と高度情報の表は
Chain of Events の 一 例 で す ね 。 Human
Factors の SHEL モ デ ル の 派 生 形 で あ る
「SHEL モデルの分子結合」 を使って Pilot
を中心としたLの周りや、 さらに外側に存在
する S, H, E, L に関連要素を配置すると、
今回の事故の全体を理解しやすいと思います。
(前出 SHEL のタイム・トンネルと下の分
子結合の図は、 日本航空技術研究所発刊の
「ヒューマン・ファクター ガイドブック」
からの引用です)
SHEL モデルのタイム・トンネルの中の、
重 要 な イ ベ ン ト を 並 べ た の が “ Chain of
Events”(事象の連鎖) であり、 今回のよう
SHEL モデルの分子結合
に多くの Fortune (幸運) を主体として並
べれば“Chain of Fortune Events”(幸運
の連鎖) ということが出来ます。
事故の全容が判らない段階での、 ヒューマン・
ファクター的検討は、 かえって事故に対して
予断を与えることになりますので、 このへん
で終わります。 事故調査報告書が出た段階で、
詳しい検討をすべきだと思います。
M:ありがとうございました。 次に、 Ditching
への引き金となった Bird Strike について
Brain Storming に入りたいとおもいます。
Bird Strike 関連
【航空局運航課長通達】
M : こ の 座 談 会 は 、 JCAB 運 航 課 長 か ら の
JAPA 会長宛通達に沿った、 協会としての
一つの Action です。
C1:何かが起こる度に通達が出されています
が、 我々パイロットはアウトサイド・ウォッ
チは当たり前のように行っています。 今回の
事故を機会にその重要性を再認識したいと思
います。 加えて、 通達と同時に、 よりいっそ
う全国の空港の鳥害対策も是非お願いしたい
ですね。
C3:ところで全航連にも同じ内容で出ている
のでしょうね。
C2:出ていると思います。 鳥の団体の 「全鳥
連」 にも通達を出して欲しいですね (笑)
C4:彼らは“空は太古から我々のものだ!”
と主張するでしょうね。 (笑) 今回の事例も、
彼らの事故記録の件数に追加点となります。
ところで、 今回の鳥の種類は判っているので
すか?
【鳥の種類と Bird Strike の経験】
M:ガンの一種だという情報があります。 とこ
ろで、 皆さんは、 Bird Strike の経験があり
すか? 実体験でなくても、 目撃したことや
他のパイロットによる報告等でも結構です。
ご紹介ください。
C1:B-747 の Copilot 時代、 ハンブルグで複
2009 MAR
21
数のエンジンに鳥が当たり、 物凄い震動が発
生しました。 1発だけ Shut Down し Fuel
Dump をして引き返しました。
目の前で目撃したのは、 羽田で B-747-400 が
離陸の時、 鳥にぶつかりエンジンから火を噴
きながら一部部品を落として Lift Off して
いった例があります。
M:そのエンジンの破損した Fan Blade が、
半年以上 Dispatch Room に展示されていた
のを思い出します。
C3:下地島での訓練で、 渡り鳥のさしば (鷹
の一種) を撃ち落としたことがあります。
C2:大分で離陸上昇中に一度ぶつかりました。
鳥の種類は判りません。
C4:関空で危うくぶつかりそうになりました。
ちょっとだけ避けました。
M:Out Side Watch で避けうるものですか?
C1:避けたらぶつかったという例が、 モーゼ
ス・レイクでの訓練中ありました。
C2:昼間は避けられても、 夜間は見つけた時
には遅すぎるかもしれません。
M:鳥の習性は Landing Light に向かってく
る感じがします。 (反対意見あり)
私の経験も紹介します。
① 1962年のことでした。 DC-4 の副操縦士
時代、 右席で Ruway15 からの夜間の離陸
で、 Lift Off 直後 Landing Light の明か
りの中に多くの鳥が飛びあがってくるのが
見え、 衝突不可避と感じ思わず首をすくめ
ました。 バン・バンと操縦席窓にぶつかり
ました。 血のりが Windshield につきまし
たが、 機長 (外人) は操縦輪を支えてくれ
ていました。 システムに異常がないことか
ら、 伊丹へとフライトを続行しました。 到
着後エンジンのみならず機体の方々に鳥の
痕跡がありました。 Runway 上の鳥は誰
かの胃袋に入ったと聞きました。
② も う 一 つ の 体 験 は 、 DC-10 で の Bird
Strike です。 1996年12月3日、 377便で福
岡に夜間着陸した時でした。 まさにエンジ
ンを Idle に絞った Flare のタイミングで
鳥の群れと衝突しました。 Capt 側 Side
22
2009 MAR
Window、 Copilot 側 Windshield、 レドー
ム、 エンジンにぶつかったことは判りまし
た。 この衝突音はタワーでも聞こえたとの
ことでした。 焼き鳥の臭いがしてきたため、
す ぐ に 空 調 シ ス テ ム を 止 め 、 Flap は
Damage を受けた可能性を考慮して、 22°
まであげて止め、 Flap を出したまま Spot
in する旨、 Ground Control および Company に連絡して駐機場に向かいました。
翌早朝、 整備が点検後 OK とした当該
機で離陸したクルーから、 機内に焼き鳥の
においがしばらく続いたこと、 および羽田
Approach で ILS が不作動となっていたと
の報告を受けました。 整備から聞いた話で
は、 レドームを開けてチェックしたところ、
レドーム内張りのハニカム構造にクラック
が入り交換となりました。 さらにILS の
GS アンテナが壊れていたとのことでした。
(鳥衝突の瞬間から Spot in までの CVR
の記録を残すべきと考え、 社内関係セクショ
ンを通し正規の手続きで翌出発前に CVR
を取り卸し、 羽田で音声を録音してもらい
ました。 そのダビングテープがしばらくは
DC-10 乗員部にも保存されていましたが
現在は残念ながら行方不明です。)
③ 他の DC-10 キャプテンの珍しい体験も
紹介します。
HND RWY 04で離陸した DC-10 が数
多くの鳥 (多分カモメ) にぶつかり、 1
番3番エンジンに振動が発生し、 キャプ
テンは悩んだ末、 エンジンを一つ (どち
らか不明) Shut Down し羽田へ引き返
しました。 着陸後整備で点検したところ、
回し続けた Engine の方が、 壊れ方がひ
どかったと聞いています。 回し続けたた
め状態ガ悪くなったかどうかは判ってい
ません。 (このケースは、 日本でも双発
機の両エンジンに鳥が吸い込まれる可能
性のあることを示すものです。 当時この
事例の詳細をご存じの方、 連絡ください。
JAPA Office TEL:03-3501-0433)
HND Runaway22 に着陸まえ、 高度
300ft 位でカモメに衝突し、 失速警報が
鳴る中キャプテンは、 進入を継続し無事
着陸しています。 AOA (Angle Of Attack) Vane が壊れていました。
【Bird Strike の統計資料から】
M:Bird Strike の可能性が高い空港と、 ぶつ
かる鳥の種類を挙げてください。
C1:一般論でいえば、 国内外ともに、 海や湖、
大きな河の近くに位置する空港では可能性が
高いと思います。 鳥の種類は、 資料では、 コ
ウモリ、 カラス、 カモメ、 ウミネコ、 ツバメ、
トビ、 ハト、 シギ、 ツグミ、 カモ、 ガン、 コ
アジサシ、 ヒバリ、 サシバ等がありました。
ツルだとかコンドルがぶつかったと聞いたこ
ともあります。
C3:国内では、 JAL の FLIGHT SAFETY
誌に掲載された、 2006年度のバードストライ
ク・サマリー (資料−5) によると、 件数の
多い順で、 羽田、 成田、 神戸、 鹿児島、 福岡、
宮崎、 新千歳、 伊丹、 北九州、 出雲、 奄美、 ……
とあります。 国外では、 MHW (モーゼスレ
イク)、 旧 BKK (バンコック)、 DVQ (上海)、
SGN (サイゴン)、 SIN (シンガポール)、
MNL (マニラ)、 TAO (青島)、 その他です。
M:2006年度の統計データをみると、 いろいろ
な切り口でまとめてあります。 例えば、 鳥の
種 類 別 、 月 別 、 空 港 別 、 機 種 別 、 Flight
(二つの図は、 アメリカでの統計資料です)
Phase 別等です。 しかし、 例えばそれらの物
差しだけで、 ある機種が多いとか、 ある空港
で多いとか結論付けはできないと思います。
たまたまある航空会社の、 その年度のデータ
であると理解すべきです。 便数、 就航機数、
昼夜、 天候などの影響あるからです。
【Bird Strike によるエンジン故障例】
C4:Engine Failure につながったような重
大な Bird Strike の件数の統計、 あるいは損
害額が判りますか
C5:JAL の古い FLIGHT SAFETY 誌に
色々な事例が出ています。 (資料−6/7/8 )
また、“Top 10 Things to Know About Bird
Strikes ” と か 、 “ Significant Bird Strike
Events”などインターネットにも情報があ
ります。 (資料−9/10)
M:日本国内の最新の情報が欲しいですね。 被
害額は多い年には年間数億円と聞いたことが
あります。 入手できている資料のリストをお
配りします。
M:双発機で Bird Strike のために両方のエン
ジンの推力を失ったのは、 今回が初めてでは
ありません。 1988年エチオピアで B737-200
が Crash Landing しています。
【Bird Strike 対策案】
M:資料−6には、 色々な Bird Strike 対策が
紹介されていますが、 このほかに何か良いア
イディアをお持ちですか?
2009 MAR
23
C1:鳥害研究をする学生・研究員の効果的対
策案に賞金を出す。 例;①1Engine Noise と
Bird Strike の関係、 ②衝突しない鳥との
DNA 比較調査、 ③天候と Bird Strike 発生
率。
C2:鳥を Detect できる電波の波長の研究を
して、 現在のレーダーのプログラムを改修し
機能向上を図る。 滑走路チェックに時間がか
からない手法開発。
C3:Bird Strike Avoidance Maneuver その
他の情報を、 AIM-J 936項に追加する。
C4:偵察衛星並みの超解像度の望遠カメラレ
ンズ付き Bird Detection Radar を開発する。
C5:Landing Light の光源に、 鳥の嫌がる
光で、 かつ雪や霧の時のハレーションの少な
いものを使う。 外国の航空機で、 左右の
Landing Light が交互に点灯するようになっ
ているのを見たことがあります。
M:検討に値する情報ですが、 夜間はこの交互
に点灯する機能は使わない方が良いですね。
【双発機と4発機の Bird Strike の確率】
C5:双発機と4発機でどちらが Bird Strike
に遭遇する確率が高いかは、 状況によるので
何とも言えません。 季節、 路線 (空港)、 鳥
の種類、 高度、 速度、 エンジンの取り付け位
置、 推力の程度で変わると思います。 何らか
の条件を決めて、 この場合はこのようなデー
タになります、 ということではないでしょう
か。
M:資料番号19 (Bird Strike Damage Rates
for Selected Commercial Jet Aircraft) に
ある種の研究発表が載っています。 その中の
結論部分だけ誌上紹介します。
・CAA, ICAO, Boeing のデータから導か
れた鳥害遭遇率はほぼ同じ割合である。
・報告された Bird Strike の90%以上が2,500
ft AGL 以下で発生している。
・鳥害に遭遇した Boeing 製航空機の75%以
上が、 エンジンとナセルに損害を受けた。
・Boeing 製航空機の鳥害遭遇率は、 航空機
とエンジンの前面投影面積に直接関係して
24
2009 MAR
お り 、 747 が 最 も 高 い 率 を 示 し 、 以 下
767, 757, 737-330/400/500となっている。
・もし、 鳥害遭遇率が、 100万フライトを航
空機とエンジンの前面投影面積で割った物
差 し で 計 算 す る と 、 737-300/400/500 は
747, 757, 767 に比べ大きくなる。
・CAA と Boeing データは、 広胴型機は通
常幅胴体の航空機と比べて、 鳥害遭遇率が
50%高いことを示唆している。
C1:AIM-J の資料や、 日乗連ニュース (資
料−11) の内容の一部は、 実際のパイロット
の回避操作へのヒントも含まれています。
AIM-J 資料の改訂を検討してほしいですね。
【その他】
M:下記質問に挙手でお答えください。
Q1:Bird Strike 回避の SIM 訓練必要か?
……全員 NO!
Q2:管制その他からの鳥情報の充実必要か?
……約半々
Q3:Bird Strike 情報を毎年配布すべきか?
……全員 Yes
Q4:Bird Strike Report の改訂必要か?
……もっと短時間で書ける工夫が欲しい。
Q5:鳥をエンジンに吸い込んだ経験ありや?
……Yes 75%
Q6:鳥情報で離陸を待った経験ありや?
……約半々
Q7:レドームへの Bird Strike 経験ありや?
……全員 Yes
Q8:空港の芝生、 溝等が鳥の生息区域と思う
か?
……全員 Yes、 空港建設に反映してほし
い
【回避操作の留意点】
エンジンを不必要に加速しない。
できれば上方に避ける。
どの Landing Light をつけるか、 また点
灯のタイミングに工夫が必要。
低高度、 低速度での大きな Maneuver は
避ける。
滑走路長に余裕があれば Intersection Departure や Long Touch Down も考慮する。
【Bird Strike 後、
損傷を拡大しないための留意点】
In
Flight
Engine Shut Down はあわてず
慎重に。
出来る限り、 さらなる Engine の加速はお
こなわない。
Windshield に付着した残骸等の除去にワ
イパーを使用してはならない。
着陸で Threshold を通過してからは、 回
避操作はしない。
Reverse はできるだけ使わない。
Flap の Retraction は App. Flap Position
ま で 。 LE Flaps も Extended の ま ま Spot
In。
Bird Strike & Ditching 関連資料リスト
No.
資料タイトル
2009/2/23
情報ソース
年月日
頁数
1
米国における航空機不時着水事故に関連…
国空航第837号
2009/1/21
1
2
US Airways 1549
航跡図
PPT スライドの中より
2009/1/19
1
3
US Airways 1549
PAX over Wings
PPT スライドの中より
2009/1/19
1
4
Full Transcript Aircraft Accident AWE1549
FAA NY TRACF
2009/2/2
9
5
2006年バードストライク・サマリー
FLIGHT SAFETY No.015
2007-Aug.
4
6
世界の鳥除去法
FLIGHTSAFETY
No.88
1993-June
2
7
鳥衝突による航空機事故
FLIGHTSAFETY
No.91
1993-Dec.
3
8
世界のバードストライク対策の現況
FLIGHTSAFETY
No.132
2000-Oct
3
9
Top 10 Things to Know About Bird Strike
AirSafe.com
2008/5/29
2
10
Significant Bird Strike Events
AirSafe.com
2008/5/29
1
11
Bird Strike;航空機はスピードに注意
日常連ニュース
2009/1/22
2
12
An Overview of the Bird Hazard Threat …
AirSafe.com
2008/5/29
1
13
BIRD STRIKE COMMITTEE USA
BSC-USA
2009/2/11
5
14
2009 Bird Strike North America Conference
BSC-Canada
2009/1/15
1
15
2004年バードストライク・サマリー
FLIGHT SAFETY No.003
2005-Aug.
4
16
2005年バードストライク・サマリー
FLIGHT SAFETY No.009
2006-Aug.
5
17
2007年鳥衝突に関するデータ
JALI 運航安全推進室
2008/2/15
7
18
AIM-J
AIM-J
2009Jan-Jun
1
19
Bird Strike Damage Rates for Selected……
AirSafe.com
2001
12
936【鳥害対策】
No.32-34
2009 MAR
25
GA:ジェネアビ情報
ふくしまスカイパーク
(福島市農道離着陸場)
奥貫
農道離着陸場としての誕生
今回は農道空港として誕生した離着陸場の代
表例として、 福島スカイパークを取り上げてみ
たいと思います。
農道空港 (農道離着陸場) は昭和63年以降の
10年間に、 農林水産省補助事業の農道離着陸場
整備事業によって、 逐次整備が図られました。
その趣旨は、 農道を拡幅して航空機の離着陸を
可能とさせ、 地域の農産物の空輸による販売の
拡大を図ることでした。
小型機の利用を前提としたものですので、 滑
走路は長さ800m×幅25m、 1回に運べる貨物
の量は、 最大でも1.5トン程度の規模のもので
す。 この補助事業によって完成した離着陸場は、
全国各地の計8箇所でした。
それぞれ、 地域の期待を背負っての誕生でし
たが、 小型機による物輸インフラ未整備等々の
問題から事業は思い通りには展開せず、 バブル
経済の崩壊もあって、 推進元の農水省は、 平成
9年の12月には、 農道空港事業からの撤退を表
明してしまいました。
以降は、 航空に無縁であった地方自治体が、
多くの批判のある中、 離着陸場の運営を支えて
いかなければならない状況になりました。 農水
省補助金他の公費の補助を受けての開設である
以上、 施設が有効に活用されない事態は避けな
ければなりません。
ふくしまスカイパーク (福島飯坂地区農道空
港) は、 本来の 「花やかに空を飛ぶ福島の農産
物」 をスローガンとする 「農業の振興」 と共に
「地域の振興」 「地域の安全」 を開港当初から掲
げ、 防災ヘリ、 小型機及びグライダー等の利用
を広く呼びかけてきました。 即ち 「農道空港+
ジェネラルアビエーション」 のコンセプトを掲
ふくしまスカイパークの全景
26
2009 MAR
博
げて開港した最初の例といえます。
この離着陸場は福島市の北西10km の地点に
あります。 関東平野に小型機でも約1時間で着
くことが出来ますので、 首都圏の飛行場を利用
して、 新鮮な農産物を空輸することが可能です。
また、 住民の福祉増進のための離着陸場とし
ての開設は、 近隣に小型機のための同種飛行場
が存在しないこともあって、 当初より、 様々な
目的への利用が期待されていました。
ふくしまスカイパークの
最初の8年間
福島スカイパークは、 地方自治法の規定に基
づいて、 住民の福祉を増進する目的のため設置
された施設です。 その目的は、 農産物の空輸を
通じた農業の振興等広く産業の振興を図り、 地
域の活性化と市民の福祉向上に寄与するための
ものとされています。 その事業内容は以下のも
のです。
・農産物の空輸
・農業生産性の向上と地域の振興
・離着陸場の多面的活用 (H18.4.1条例に追
加)
・その他、 離着陸場の設置の目的を達成するた
めに必要な事業
この事業内容に沿って、 先ずは、 農産物の空
輸が推進されたのですが、 それは決して容易な
ことではありませんでした。 先ず直面したのは、
小型機による物輸の受け入れ体制が無いことで
した。 首都圏に近いとはいえ、 羽田空港や成田
空港が利用できる訳ではなく、 唯一の公共飛行
場の東京都調布飛行場も、 諸般の制約から、 利
用は思うようにはなりません。
首都圏には、 福島の新鮮な農産物への需要と
期待があっても、 必要な時に空から届けること
が出来ないのです。 日本では、 小型機による物
輸事業自体が存在していない状況ですから、 事
態の打開は困難でした。 また、 農道空港の事業
は農水省の推進によるものでしたが、 航空機に
よる運送や飛行場の関係は、 当時の運輸省の管
轄ですので、 縦割り行政の中での難しさもあり
ました。
そのような諸般の逆風を正面から受けながら
も、 農産物の空輸が推進されました。 その最初
の8年間の実績は以下のものでしたが、 受け入
れ状況の改善は得られず、 以降の発展が期待で
きないことから、 当初の目的であった農産物の
空輸事業継続の休止は、 止むを得ないと言わざ
るを得ない状況でした。
年度
H10
H11
H12
H13
H14
H15
H16
H17
出荷地域
福島
伊達
32
5,476,700
○
○
37
7,594,237
○
○
35
6,942,600
○
○
23
4,667,500
○
○
20
4,060,000
○
○
2
405,000
○
5
1,022,500
○
○
4
819,500
○
○
出荷は平成17年度まで行われた
回数
経費 (円)
空輸回数と輸送費の推移
農産物フライトの積み込み
使用された単発セスナ機の搭載量は約300Kg
です。 軽4輪のトラック1台分相当です。 離着
陸場の規模からは、 搭載量1.5トン程度の機体
も利用可能なのですが、 大型の機体は固定費も
大きくなりますから、 大量輸送の見込みが無け
れば、 利用は困難なのです。
また本来であれば、 前日に収穫した農産物を
2009 MAR
27
積み込み、 暗い内に離陸して首都圏の飛行場に
空輸し、 トラックに積み替え、 お店が開く頃に
は店頭に、 といったことが出来ればよいのです
が、 この日本ではそうも行きません。 米国の小
型機の飛行場ではごく一般的な、 VHF をカチ
カチと送信して、 飛行場の照明を点灯させ、 離
陸したらまた VHF をカチカチと送信して消灯
しておく、 といった便利な夜間照明システムは、
日本には存在しないのです。 従って、 航空機に
よる運送の時間的な利点も生かされない状況で
した。
この様な航空事情は全国共通ですから、 農道
空港を利用した農産物の空輸が継続発展してい
る例はありません。 それぞれの地域の振興を目
指しつつ、 離着陸場の多面的活用による再出発
を図っている現状です。
ふくしまスカイパークの再出発
ふくしまスカイパークの農産物の空輸事業は、
ももやりんご等の果物の PR 面での寄与はあっ
たといえるものの、 継続発展の見込みがないこ
とから休止となり、 平成18年以降、 それに代わ
る離着陸場の多面的活用による再出発が図られ
ることとなりました。
長さ800m の滑走路は、 小型機には十分な長
さのものですから、 それまでも、 飛行機、 ヘリ
コプター、 滑空機、 動力滑空機による利用は、
盛んに行なわれてきました。 その着陸回数は、
福島モーターグライダークラブの活動
28
2009 MAR
多い時でも年間4000回、 毎週80回、 毎日10回程
度といった実績のものでした。
この離着陸場をベースとしての飛行活動は、
NPO ふくしま飛行協会、 及び、 福島モーター
グライダークラブによるものですが、 いずれも、
現在も活発な活動を展開しています。
また離着陸場の上空での訓練飛行に適してい
ることから、 エアロバティックス機の利用も活
発に行なわれ、 エアロバティックス飛行チーム
Deep Blues の室屋選手のホームベースとして
利用されています。
平成17年に農産物の空輸事業が休止となった
時点以降も、 この離着陸場の利用を継続してき
たのは、 これらの小型機の人達なのですが、 こ
れを小型機や離着陸場には不慣れな福島市が運
営管理をするのでは、 いかにも無理があります。
そこで、 民間の発想やノウハウを取入れなが
ら、 新規利用者の開拓及び運営の効率化が図ら
れるよう、 指定管理者制度の下で NPO 法人ふ
くしま飛行協会に管理委託を行うことになった
ものです。
NPO 法人ふくしま飛行協会
指定管理者としての NPO 法人ふくしま飛行
協会について述べる前に、 先ずは指定管理者制
度からの説明をします。
指定管理者制度とは、 指定管理者を指定して、
公の施設の維持・管理や行政処分などの業務を
委任する制度です。 その目的の達成に適した団
体であって、 公募を経て議会の議決が得られれ
ば、 営利法人、 NPO 法人、 民間団体まで、 様々
な団体が指定管理者になることができます。
施設自体は自治体が保有のままですが、 その
運営を定めた条例の範囲内であれば、 様々な企
画の立案実行や使用許可等も行うことができま
す。 行政側から見ればリスクのある、 行政サー
ビスの質の確保が心配な制度との見方もありま
すが、 そこは民間の力に期待して、 当初の目的
が達成できれば良いのですから、 指定管理者の
選定が特に重要なポイントと言えるでしょう。
NPO 法人ふくしま飛行協会は、 審査・選考
を経て、 平成18年4月に福島市から管理運営を
委任されました。 当然ですが、 その業務及び会
計について、 監査委員会による厳しい監査を受
けることは言うまでもありません。
平成15年6月に設立された NPO 法人ふくし
ま飛行協会は、 上記の指定管理者制度に基づい
てふくしまスカイパークの管理を委託され、 福
島市の指定管理のもとに、 農業振興のためのふ
くしまスカイパークの多面的活用、 さらに防災
やレジャーなど多目的な活用も目指した地域振
興に努めているものです。
その主な業務内容は以下の4つです。
文化、 芸術又はスポーツの振興
災害支援活動
こどもの健全育成
指定管理業務を含む、 上記を達成するため
に実施する事業
は、 離着陸場ならではの活動としての、
「スカイスポーツ及び航空文化の振興」 が中心
となります。 その内容としては、 機体展示場の
公開及び運営、 展示飛行等が実施されています。
また、 離着陸場としての広大な地形を活用とし
たさまざまな活動にも提供されています。
「災害支援活動」 では、 社団法人日本飛行
連盟の赤十字飛行隊への加入により、 日本赤十
字社の依頼を受けて、 災害時の活動支援を行な
うことを目指すものです。 この活動のために赤
十字飛行隊福島支隊を設立し、 上空から状況報
告、 情報転送、 医薬品投下等、 様々な活動に参
加するものです。 福島県には、 ヘリコプターが
4機と少ないため、 その活躍が期待されていま
す。 また、 赤十字ボランティア野外訓練への参
加など、 日本赤十字社福島県支部と連携をして
活動を行っています。
「こどもの健全育成」 では、 航空を通じて
子供たちの育成に寄与する活動が展開されてい
ます。 その主な内容は、 毎年30人程度の体験飛
行招待や、 毎年20回程度の、 こどもたちが飛行
機に直接触れたり、 コックピットに乗ったりで
きる少年少女航空教室等です。
「目的を達成するために実施する事業」 と
少年少女航空教室
しては、 後述のスカイアグリが推進されていま
す。 これは、 空のイベントの開催により、 首都
圏を初めとする全国各地の人に福島に来て頂き、
また、 福島の果物を初めとする農産物の知名度
向上に貢献することを目指すものです。
その他、 航空公園実行委員会の設置、 石垣市
との交流推進のための石垣の物産販売や写真展、
また食の饗宴 (食と匠とのコラボレーション)
などが行われています。
スカイアグリ事業
ふくしまスカイパークの指定管理者として、
ふくしま飛行協会には、 その運営に際し、 農業
振興、 適正な運営、 及び、 施設の多面的活用が
課せられています。 これらの課題に対処するた
めの事業は農業と航空のコラボレートを目指す
スカイアグリ事業 (Sky+Agriculture) と名
付けられ、 独自の活動を展開しています。
先ずは農業振興として、 福島の農産物の PR
とイメージアップ、 産地育成等を通じ、 福島産
の果物や野菜の消費拡大を図り、 産地として育
成しています。 また、 指定管理者制度に従って、
ふくしまスカイパークの施設を適正に運営する
ことが最も基本的な役割として課せられていま
す。 更に、 ふくしまスカイパークでは年々多面
的な利活用の促進が図られていて、 県警ヘリや
消防ヘリの操縦訓練が行われる等、 防災の基地
としても利用されています。 そのほか空からの
2009 MAR
29
環境フェスタ」 が開催されました。 これは指定
管理者 NPO 法人ふくしま飛行協会が福島市と
防災ヘリコプターの救助訓練
監視活動や、 地域振興を目的としたスカイレ
ジャー、 遊覧飛行等による地域間交流なども行っ
ています。 またラジコン飛行機競技会や、 市と
指定管理者が連携し、 地元農産物や加工品の販
売を中心としたイベントも開催されています。
これらのイベントを通じて多くの人に集まっ
て来ていただき、 その度に農業振興のパンフレッ
トを配り、 果物販売を行うことで、 ひとつのイ
ベントでもスカイスポーツの振興だけでなく、
農業振興にもつながるというようなスカイパー
クの多面的な活用が実践されているのです。
さらにスカイパークの滑走路を中心とする広
大な施設は、 車両・航空機等の展示・撮影会、
音楽バンドの練習・大会、 テレビ・映画撮影、
星空観望会など、 様々な利用が可能です。 この
ユニークで、 多目的な活用方法は地方自治体の
管理の下では、 なかなか行われにくいものです。
昨年の GW には特別企画の 「スカイパーク
県警ヘリコプターの展示飛行
30
2009 MAR
不法投棄に関する空からの監視活動の協定を機
に実施されたもので、 観光地福島にあって市民
がごみのない美しい町づくりの意識向上のため
実施すると共に、 滑走路走行を一般車両に開放
するなど、 多面的活用を試み、 さらに農業生産
品等の地域経済に来場者のシャワー効果を期待
して行われたものです。 「環境フェスタ」 は4
月27日∼29日に開催され、 三日間で延べ16,000
人の来場者が訪れ、 大成功に終わっています。
そのほかにも、 スカイアグリのイベントとし
ては、 エアロバティックス飛行展示を中心とし
た 「もも祭り」 や 「りんご祭り」 などが開催さ
れていて、 首都圏を初めとする県外からの来場
者も多く訪れています。
これらのスカイアグリのイベントには通年4
日約30,000人もの来場者が参加し、 また GW
特別企画事業では来場者数が一昨年の12,000人
から昨年は16,000人と増えてきており、 着実に
地域のイベントとして根付いてきているといえ
ます。 こうして NPO 法人ふくしま飛行協会は
指定管理者として、 地域の農業と空の活動をコ
ラボレートさせたデザインを進めているのです。
ふくしまスカイパークの利用状況
NPO 法人ふくしま飛行協会の今後の課題は、
スカイアグリ事業などのイベントに訪れるスカ
イパーク来場者を、 いかに地元の顧客として長
期的に取り込み、 福島の農業振興に結び付けて
いくかというものです。
現時点では、 ふくしまスカイパークは全国の
数ある農道離着陸場の中でも最も有効に活用さ
れ、 また指定管理者制度に移行して成功してい
る例であるといえます。 ふくしまスカイパーク
の利用実績、 着陸回数、 及び収入は、 以下の表
に示すとおりです。
平成18年以降、 多面的利用による施設使用増
加がみられますが、 その一方、 固定翼機の着陸
等の利用が減少の傾向が見られるようです。
さて、 ふくしまスカイパークの可能性と今後
の展望ですが、 多面的利用については、 その歯
車が回り始めた時点と見ることが出来ます。 航
空関係については、 声をかければいくらでも活
発な利用が可能ですが、 ふくしまスカイパーク
は、 地方自治法の規定に基づいた、 地域の活性
化と市民の福祉向上に寄与するための施設です
から、 多面的利用による多くの方の利用が何よ
りも大切なのです。
平均的に見ますと、 1日あたり1∼2機の利
民間機
合計
機数
回転翼
固定翼
H10
66
334
60
460
H11
37
476
96
609
H12
33
613
103
749
H13
36
676
54
766
H14
44
412
39
495
H15
29
269
44
342
H16
27
393
42
462
H17
25
335
27
387
H18
35
276
95
406
H19
30
239
33
302
・固定翼機は飛行機、 滑空機及び動力滑空機
・H20.3.31現在, 農政部農業振興課
年度
官公庁
回転翼
ふくしまスカイパークの延べ利用機数
年度 固定翼機
回転翼機
計
H10
1,068
1,141
2,209
H11
1,612
777
2,389
H12
2,113
955
3,068
H13
3,631
413
4,044
H14
1,439
716
2,155
H15
1,162
625
1,787
H16
1,511
786
2,297
H17
1,213
336
1,549
H18
1,109
736
1,845
H19
631
535
1,166
平成18年以降、 イベント等の施設使用増加に
より、 固定翼機の着陸回数が減っている
ふくしまスカイパークの着陸回数
用、 毎週7∼15機程度の利用です。 着陸回数は、
1日あたり3∼10回、 毎週20∼80回程度の利用
ですから、 まだまだ利用拡大の余地はあるとい
えるしょう。
施設
土地
計
利用
利用
H10 1,053 1,798
60
30 2,941
H11 1,353 2,080
500
102 4,035
H12 1,701 1,428
100 1,387 4,615
H13 1,930
358
250 1,416 3,953
H14 1,012
183
150
828 2,173
H15
812
560
380 1,410 3,161
H16 1,039
123
420 1,454 3,035
H17
836
93
2,170 1,471 4,569
H18
939
653
1,859 1,436 4,886
H19
500
85
2,142 1,436 4,162
平成17年以降、 施設の多面的な利用の促進に
より、 施設利用料が大幅に増加している。
年度
着陸
停留
ふくしまスカイパークの収入 (単位:千円)
ふくしまスカイパークの
可能性と今後の展望
多面的活用については、 既に述べた通りです。
航空関係での全く新しい可能性の話とすれば、
例えば大分県央空港のように、 場外離着陸場か
ら公共飛行場への格上げ、 航空事業会社の誘致
等も考えられるのですが、 膨大な追加費用を必
要とする事業は将来への課題として、 先ずは現
在の延長で考えてみたいと思います。
これまでの利用では、 官公庁の利用が一定の
水準で推移しています。 これは県警ヘリや消防
ヘリの操縦訓練、 防災、 災害の対策活動基地と
しての利用、 空からの不法投棄監視活動が主体
ですから、 無くてはならないものです。
民間機の利用は、 平均的に見ますと、 官公庁
機10倍を超える規模で、 その訳90%は固定翼機
の利用によるものです。 その主なものは、 スポー
ツ航空としての、 グライダー、 モーターグライ
ダー、 そして飛行機の利用となります。
飛行機のエアロバティックスの活動では、 全
2009 MAR
31
スカイパーク・フェスタ
国的にも特異な活動の実績と発展の可能性があ
ります。 古くは RED BARON チームの活動、
そして現在は、 エアロバティックスの世界選手
権を戦う室屋さんの DEEP BLUES の活動、
更に、 今年は、 新しい複座エアロバティックス
機の導入による、 エアロバティックス・クラブ
の立ち上げも進行中の状況です。 ピッツや、
FA200 もこの地を利用しています。
その他、 エアロバティックスでは、 世界チャ
ンピオンの経歴を有する、 リトアニアのユルギ
ス・カイリス氏も、 室屋さん達とのチーム活動
を通じて、 スカイアグリ事業の 「もも祭り」
「りんご祭り」 での展示飛行に協力していただ
くと共に、 展示場に機体を置いて公開していた
だいています。
利用する側から見れば、 この地は、 直下に市
街地等が無く、 離着陸場のすぐ近くに競技エリ
アが設置できるため、 エアロバティックス飛行
に適した離着陸場ということが出来ます。 競技
エリアは、 1辺1Km の立方体空間ですが、 離
着陸場の近くに設置するとした場合は、 図のよ
うな場所が候補になると考えられます。 全日本
のエアロバティックス競技会が開催されるとし
たら、 ふくしまスカイパークは、 間違いなく筆
頭の候補に挙がることでしょう。
また、 常設のエアロバティックス練習空域と
して、 全国のエアロバティックス愛好者の利用
も考えられます。 室屋さんを始めとするスタッ
フも、 エアロバティックス機も、 練習空域も全
て揃ったふくしまスカイパークは、 国内随一の
32
2009 MAR
常設のエアロバティックス練習空域案の例
エアロバティックス環境と言えるものです。 ふ
くしまスカイパークの可能性と今後の展望を考
える上で、 エアロバティックス活動は、 その柱
とも言える存在になることでしょう。
その他、 この地は、 山岳ウェーブをはじめと
する良好な上昇気流に恵まれ、 グライダーや、
モーターグライダーの飛行にも適しています。
国内での、 グライダーによる500Km、 1000Km
等の長距離飛行は、 いずれも、 この地の近傍上
空を通過して達成されています。
可能性としては、 グライダーの長距離飛行の
日本選手権等、 競技の候補地としても、 適した
存在と言うことができるでしょう。
おわりに
農道空港から始まった小型機の離着陸場は、
批判的見方も多いのですが、 このふくしまスカ
イパークのように、 管理を民間の活力に委ね、
多面的利用により、 多くの人に離着陸場に来て
いただき、 果物をはじめとする農産物の PR や
販売促進、 また、 地域の人達の福祉増進や、 災
害対策支援に貢献することが出来れば、 市民の
理解も得られるのでは、 と思います。
小型機を利用する側から見れば、 大変に有難
い存在ですので、 その趣旨に沿って、 感謝の気
持ちを忘れず、 有効に利用させていただきたい
と思っております。
お世話になった皆様:
・特定非営利活動法人 (NPO 法人)
参考資料等:
・福島大学 清水ゼミナール 地域開発経済論
「農道空港を活用した観光型農業の可能性」
データ、 図表、 文章等を利用させていただき
ました。
・ふくしまスカイパーク (福島市農道離着陸場)
―地上と大空を結ぶ航空公園―
指定管理者
特定非営利活動法人ふくしま飛行協会
記載情報及び、 写真を利用させていただきま
した。
・ホームページ NPO ふくしま飛行協会
http://www.ffa.or.jp/
記載情報を利用させていただきました。
・福島市農道離着陸場条例、 その他条例等
記載情報を利用させていただきました。
名
称
ふくしまスカイパーク
管
理 024-558-6880 (TEL/FAX)
事 務 所 福島市大笹生字芋畑169番地
指
定
管 理 者
特定非営利活動法人 (NPO 法人)
ふくしま飛行協会
管理者直通 TEL:024-558-4200
(12月末−翌年3月末の閉場
期間はこちらに連絡下さい。)
FAX:024-558-1001
〒960-8251
福島市北沢又字日行壇7−48
http://www.ffa.or.jp/
ふくしま飛行協会
ふくしまスカイパーク指定管理者
理事長 斎藤 喜章 様
・福島市役所 農業振興課 副主査
小澤 周一 様
・特定非営利活動法人ふくしま飛行協会
副理事長兼事務局長 清瀬 達夫 様
副理事長
猪口 春生 様
企画広報部 副部長
橋本 広美 様
・TEAM DEEPBLUES
エアロバティックス飛行チーム
有限会社パスファインダー 室屋 義秀 様
・その他、 特定非営利活動法人 ふくしま飛行
協会の皆様。
運用時間
滑 走 路
標
高
08:30−17:00 (12月末−3月閉場)
25m×800m
ELEV.1318Ft
方
向
32/14
位
置
37°49'12″N/140°23'27″E
種
別
場外離着陸場
飛行援助
用航空局
ふくしまフライトサービス
130.675MHz
利用手続
事前申請必要
ふくしまスカイパークのトラフィックパターン
東北道・福島飯坂 IC から国道13号を米
沢方面へ約10分、 中沢地区信号を左折、
農道空港の看板の所を右折約5分です。
電車の場合は、 JR 福島駅からタクシー
で約20分です。
2009 MAR
33
それもあったか航空情報!
エアライン・ジェネアビ・新聞社・官庁等のパイロットの皆様、 現在有効な 「航空情報サーキュ
ラー」 をご存知ですか?
2009年2月12日現在、 有効な航空情報サーキュラーの一番古い物は10年前のものです。
今後、 確認のため随時見直し版を掲載します。
編集委員会
更新年月日
番号/年
34
航空情報サーキュラー
目次
2009.2.12
有効開始日
009/91
有視界飛行方式により飛行する航空機の異常接近防止対策について
15 APR 91
011/95
出発及び到着の方式等を構成する航空保安無線施設の短時間 (4時間程
度) 停波及び突発的停波時における対応について
17 AUG 95
029/97
飛行場等の周辺を有視界飛行方式により飛行する場合の安全対策につい
て
18 DEC 97
010/98
B777-300 型機に係る誘導路の運用について
16 DEC 98
003/00
航空法施行規則第153条の改正について※1
10 FEB 00
011/02
測地準拠基準について
21 MAR 02
006/03
飛行前情報ブリテン (PIB) の提供について
07 AUG 03
002/04
成田国際空港の滑走路 34R 延長部分への誤認着陸防止について
22 JAN 04
003/04
同時平行 ILS 進入の導入について
22 JAN 04
019/04
成田国際空港における飛行コースの監視について
08 JUL 04
019/06
FSC (広域対空援助業務) による乱気流に関する PIREP 情報の提供に
ついて
31 AUG 06
004/07
SSR モード S 地上レーダーの運用開始について
18 JAN 07
019/07
花巻空港における誘導路誤認進入防止について
16 AUG 07
020/07
MSAS の供用開始について
30 AUG 07
029/07
東京国際空港再拡張事業工事施工時における滑走路の運用について
25 OCT 07
036/07
成田国際空港におけるマルチラテレーション評価の実施について
22 NOV 07
039/07
ローカライザーに係る航空情報用略語の変更に伴う暫定措置について
6 DEC 07
004/08
東京国際空港におけるマルチラテレーション評価の実施について
14 FEB 08
005/08
RAIM 予測情報のノータムによる提供について
14 FEB 08
006/08
GPS を計器飛行方式に使用する運航の実施基準
14 FEB 08
008/08
飛行場運用制限に係る航空路誌補足版の記載方法等の変更について
28 FEB 08
2009 MAR
番号/年
航空情報サーキュラー
目次
有効開始日
012/08
航空路誌、 航空路誌改訂版、 航空路誌補足版及び航空情報サーキュラー
に関する訂正及び変更のノータムの地点略号変更について
15 MAR 08
013/08
静岡空港における滑走路誤認着陸防止について (静岡空港の供用開始ま
で)
16 MAR 08
018/08
ATS データリンクサービスを利用した30海里縦間隔の適用に関する試
行運用の開始について
3 JUL 08
028/08
航空法施行規則第79条の改正について※2
31 JUL 08
030/08
グラッフィックノータムの提供開始について
28 AUG 08
034/08
静岡 VOR/DME (SZE) の試験電波発射について (H20.3.11まで)
11 SEP 08
035/08
静岡 ILS30 (ISZ) の試験電波発射について (H20.3.11まで)
11 SEP 08
039/08
関西国際空港における誘導路誤進入防止について
6 NOV 08
041/08
アジア−ハワイ間における User Preferred Route (UPR) の試行運用
について
6 NOV 08
043/08
美保飛行場における滑走路誤認着陸防止について
20 NOV 08
044/08
Baro-VNAV 進入実施基準
20 NOV 08
045/08
航空機衝突防止装置 (ACAS) の運用について
20 NOV 08
047/08
成田国際空港における誘導路誤進入防止について
18 DEC 08
001/09
航空情報サーキュラー照合表
1 JAN 09
002/09
飛行場等の周辺を有視界飛行方式により飛行する場合の安全対策につい
て
15 JAN 09
003/09
東京国際空港における誘導路誤進入防止について
12 FEB 09
004/09
多機能型地震計の運用について
12 FEB 09
005/09
飛行計画経路の変更について
12 FEB 09
※1:「計器飛行方式により飛行しようとする飛行機の代替飛行場を飛行計画に表示しないもの」 等が記載
されている。
※2:「目標点標識及び接地帯標識」 等が記載されている。
2009 MAR
35
象
気
航空 C
TE H
Ta l k
冬型時の関東地方の
シアーラインには要注意
−総観規模から
局地気象を把握するには −
航空気象委員会※
●あんな雲で揺れるとは……
F機長:先日、 那覇からのフライトで羽田への
降下中、 房総半島の沖には対流系の雲の列が
ありました。 肉眼でもしっかりと確認できま
したが、 機上レーダーにはほとんど映らなかっ
たのです。 ちょっと迷ったのですが、 わざわ
ざ避けるほどでもあるまいと、 見くびったの
が間違いでした。 かなり揺れて、 お客様に不
愉快な思いをさせてしまったことを後悔して
います。
X予報官:それは何時のことですか?
F:2008年4月1日、 夕方の17時ごろです。
X:冬型で寒い日でしたね。 たぶんそれはシアー
ライン上に発生した対流雲 (積雲系) だった
のでしょう。 その時刻に近い 0900UTC の地
上天気図から見ていきましょう (図1)。
F:地上天気図では (西高東低の) 冬型ですね。
図1
※ 原
36
シアーラインがあった辺りには何も描かれて
いませんが、 あのような雲が発生した原因は
何だったのですか?
X:一見しただけでは分かりにくいのですが、
注意深く見ると、 関東地方から紀伊半島にか
けて等圧線が西側にやや膨らんでいます。 こ
の辺に弱い気圧の谷があって、 シアーライン
が存在しているんです。
K機長:私にはよくわかりませんが……。
X:我々のように気象図を見慣れていれば一目
瞭然ですが、 なかなかわかりにくいでしょう
か。 F機長が揺れに遭遇した時刻に近い
0820UTC のアメダスを見ましょう (図2)。
F:房総半島の南の海上に描かれている点線が
シアーラインですか。
X:そうです。 関東平野を吹き渡ってきた北風
2008年4月1日0900UTC の地上天気図
基
図2
2009 MAR
1日0820UTC のアメダス
図3
さまざまな大気現象の時間スケールと水平スケール (大野)
と、 東海地方からの西風がぶつかってシアー
ラインを形成しています。 このような現象は
よく発生しますし、 実は群馬県や山梨県など
の関東山地の影響なのです。 つまり、 大陸か
らの北西風がそれらの山地を迂回して、 この
辺りで“再会”しているのです。
●現象の規模に合った天気図を
参照する
K:明瞭なシアーラインがあるのに、 地上天気
図に描かれていないのは何故ですか?
X:いい質問ですね。 地上天気図は、 一日に
1,000km 程度移動する、 あるいは1週間程
度持続するような高・低気圧を対象として解
析しています。 半日程度で消滅するような現
象は通常は解析しません。 国内悪天予想図
(FBJP) も同じです。 このような大きな規
模の現象を、 気象学では 「総観スケール」 と
呼んでいます (図3)。 今回のシアーライン
は、 時間スケールが半日∼1日、 水平スケー
ルが200∼300km 程度で、 「メソスケール」
と呼ばれる現象です。 だから地上天気図には
描かれていないのです。
図4
1日0600UTC 予想の国内悪天予想図
K:なるほど……。
X:0600UTC の国内悪天予想図を見ましょう
(図4)。
F:関東地方の南部には高度2,000∼18,000ft
に山岳波が予想されています。
X:そうですね。 東北地方には、 脊梁山脈に沿っ
2009 MAR
37
図5
1日0900UTC 予想の狭域悪天予想図 (赤枠内の文字・記号は原図より拡大している)
てFL200 ∼270の高高度まで伝播した山岳波
が予想されています。 これについては機会を
改めて、 気象庁のKさんに詳しく説明しても
らうとして、 この狭域悪天予想図 (FBTT)
を見て下さい (図5)。
F:房総半島の南海上に、 積雲や積乱雲を含む
雲列が予想されていますね。
X : は い 、 こ れ は 0655UTC に 発 表 さ れ た
Valid 0900UTC の予想図なので、 F機長が
出発前に見ることはできなかったのですが、
現象が見事に予想されています。 航空機の運
航にはメソスケール程度の現象が影響を及ぼ
すことが多いようです。 このように狭域悪天
予想図には、 シアーラインなどのメソスケー
ルの現象が表現されますので、 総観スケール
の国内悪天予想図で何もないからと安心せず、
両方見ていただきたいと思います。 なお、 こ
の 図 は 関 西 地 方 の FBBB と 中 部 地 方 の
FBGG もあるので活用して下さい。
K:ところで対流雲の雲列の発生はどうしたら
予想できるのでしょうか?
38
2009 MAR
図6
1日0440∼0640UTC の気象衛星可視画像
X:シアーラインは昼前から房総半島にあり、
時間が経過するにつれて雲が増えていました。
このことは気象衛星の可視画像 (図6) や千
葉県内のアメダスの日照時間を見ればわかり
ます。 また、 0300UTC を初期値とした数値
予報 (MSM:メソモデル) は、 0900UTC
に房総半島の南海上にシアーラインの発生と、
わずかな量ですが降水も予想していました
に工夫されているのです。
F:なるほど私が揺れに遭遇した場所に注目す
ると、 時間の経過とともに雲域が拡がって、
地上のレーダーで捕捉できるまでに発達して
いますね。 那覇を出発する前の14時頃に確認
した際は、 レーダーエコーなんて何もなかっ
たのです。 やはり短時間に発達した現象だっ
たのか……。
X:そうですね。 このエコーが出てきたのは
0650UTC 頃からで、 ライン状になったのは
図7
数値予報モデル (MSM)
1日0300UTC 初期値の予想図
地上の等圧線・風、 前1時間降水量
(図7)。 さらに数値予報は、 時間とともに房
総半島の南海上の風が北寄りになって強まり、
シアーがより強まるとなっていました。 ただ
し、 この下層に発生した北風と西風とのシアー
は、 850hPa 以上になるとほぼ風向が揃って
明瞭でなくなってしまう予想で、 実況もその
通りでした。 このように狭域悪天予想図は、
予報官が実況の推移や予想資料を注意深く監
視しながら描いています。 タイムリーに参照
されるととても有用な資料であると思います。
●冬の雷雲の特徴とは……
X:で は 0600∼0900UTC の 国 内 悪 天 実 況 図
(UBJP) を見て下さい (図8)。 この図には
凡例のように、 気象衛星の赤外画像、 気象レー
ダーエコー強度、 さらに航空機が観測した並
以上の乱気流や着氷、 発雷などが記入されま
す。 気象の状況を総合的に把握しやすいよう
0720UTC 頃からです (図9)。 先ほどの国内
悪天実況図 (UBJP 0900UTC) を見るとわ
か り ま す が 、 0850∼0900UTC の 間 に は
LIDEN (地上で雷の発生を観測するシステ
ム) が対地雷を観測しています。
K:シアーラインの雲列の雲頂高度はどれくら
いだったんですか?
X:F機長が通過した時刻に近い 0800UTC の
気象衛星の赤外画像の雲頂温度は−15℃です。
同時刻の毎時大気解析を参考にして推測する
と、 一番高い所は約 14,000ft です。 0900UTC
頃の発雷した雲域の雲頂温度は−20℃なので、
約 16,000ft と推定されます。 防衛省の道本
光一郎氏の研究では 「レーダーエコー頂気温
が−20℃よりも低温になると雷放電が観測さ
れるようになる」 とあります。 今回の事例の
“雲頂温度−20℃”はレーダーエコー頂気温
ではないのですが、 道本氏の研究とほぼ一致
していますね。
K:雲頂高度が 16,000ft 位だとすると、 羽田
への降下中なら、 雲列の付近をちょうどそれ
をかすめるくらいの高度で通過しますね。 対
流雲の発達が 16,000ft 付近で止まったのは
何故ですか?
X:対流雲の発達をエマグラムで理解してみま
しょう (図10)。 空気塊が上昇する場合は、
雲が発生するまでは乾燥断熱線、 飽和して雲
が発生した (持ち上げ凝結高度) 後は湿潤断
熱線に沿って上昇することは、 ご承知の通り
です。 ここで重要なのは、 持ち上げ凝結高度
から自由対流高度の間です。 空気塊の気温が
周り (大気の温度分布) より低ければ、 その
2009 MAR
39
図8
図9
1日0600∼0900UTC の国内悪天実況図
1日0700∼0830UTC の房総半島の南海上の
レーダーエコー強度の変化
ままでは浮力が生じないので上昇できません。
そこで空気塊を持ち上げる何らかの物理的な
力が必要となります。 今回の事例では、 大気
下層で北風と西風がぶつかり合った、 その収
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2009 MAR
図10
対流の発達のエマグラムによる理解 (大野)
束が原動力になっています。 初めは外からの
力によって上昇を始めた空気塊ですが、 やが
てその気温の方が周囲より暖かいような高度
(自由対流高度) まで持ち上げられると、 浮
力が生じることになります。 そして気温が周
囲と等しくなる、 つまりゼロになる高度まで
上昇しますが、 それが雲頂です。 当日
0000UTC と 1200UTC の館野のエマグラム
(図省略) から推定すると、 16,000ft あたり
がその高度だったと考えられます。
K:納得です。
X:次 に 違 う 視 点 で 解 析 し て み ま す 。
0806UTC の可視画像と 0820UTC のレーダー
エコー強度の断面図を比較してみましょう
(図11)。
F:可視画像では雲列が館山付近から始まって
いるのがわかりますが、 レーダーエコーには
図11
気象衛星可視画像、 レーダーエコー強度の高
度1km 平面図と同図のA−Bで切ったエコー
強度断面図
雲列の西端付近は何も映っていません。 私が
かすめた雲は機上レーダーには映っていなかっ
たので、 この辺りだったのかも知れませんね。
K:エコー強度の断面図を見ると、 雲頂付近の
強度は弱いですね。 この雲の近くを飛行した
場合、 機上レーダーの Antenna の Tilt をよ
ほど下げないと捕捉できないかも知れません。
冬の対流雲は映りにくい場合があるのでなか
なか難しいです。
●過去にも似たような事例が……
X:過去の乱気流事故の中には、 このようなシ
アーラインに発生した対流雲が原因と推定さ
れるものがあります。 2004年2月23日の13時
頃、 成田に向けて降下中の航空機が雲中で乱
気流に遭遇し、 客室乗務員が負傷しました。
事故発生当時の地上天気図、 アメダス、 気象
衛星画像 (緑色の点線は航空機の航跡) です
(図12)。 気象レーダー図は省きましたが、 レー
ダーには何も映っていないからです。
F:確かに明瞭なシアーラインがあるし、 対流
雲の雲列の感じも似ていますね。
X:しかし、 パイロットは何でこのような雲に
入ってしまうのでしょうか?
Tさん:対流雲が連なった雲列であっても、 や
がてそれぞれの雲頂が風に吹き流されるよう
です。 「上空から見ると、 まるで薄いベール
がかかった層状雲のように見える場合がある」
と、 あるパイロットから聞いたことがありま
す。
K:さすが運航管理者のTさん、 わかりやすい
説明ですね。
X:なるほどそうですか。 対流雲の存在に気づ
かなかったのですね。 そう言えば、 冬のある
日、 自宅 (横浜市金沢区) の窓から南の方向
を見たら、 海上に積乱雲がありました。 時間
が経つにつれて、 雲頂付近が崩れて雲が風に
流されていくように見えました。 これはその
時に撮影した写真です (図13)。
K:Xさんは休日も天気のことが頭から離れな
いんだ……。 (笑)
X:たまたまですよ。 外を見て、 「あれっ、 何
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図12
図13
2004年2月23日0300UTC の地上天気図、 0400UTC の気象衛星可視画像 (緑色の
破線は RJAA への推定飛行ルート)、 0350UTC のアメダス
冬のある日 (0633UTC)、 横浜市金沢区から撮影した伊豆大島付近に発生した積乱雲
雲頂が西寄りの風に流されて層状雲のように拡がっている
でこんな日に積乱雲みたいな雲が出るんだろ
う」 と思い、 すぐにパソコンを立ち上げてイ
ンターネットを見ました。 アメダスではシアー
ラインがあり、 衛星画像にも雲列が映ってい
て、 レーダーには発達したエコーが出ていた
ので撮影したんです (図14)。
T:冬の積乱雲の立体構造について考える際は、
夏の積乱雲の中層と下層の部分の雲を取り去っ
て、 上層の部分だけをそのまま地上付近まで
降ろして考えると、 イメージがつかみやすい
でしょう。
X:前出の道本氏の研究ですが、 夏の積乱雲と
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2009 MAR
冬の積乱雲の違いを図にされています (図
15)。 実は右図は道本さんの原図を、 F機長
の事例の大気状態に合わせて描き直したもの
です。 原図の地上気温は3℃でしたが、 右図
では約16℃と仮定しました。 これはシアーラ
イン付近の海面水温が18∼19℃、 勝浦や伊豆
大島の地上気温が14∼16℃だったからです。
このようにして見ると、 雲頂温度が−20℃と
なって、 先ほど発雷した時の解析値と同じで
あり、 雲頂高度も 18,000ft とほぼ同じにな
りました。
K:へぇっ∼、 日本海側も太平洋側も、 対流雲
図14
図13の積乱雲を撮影した日時に近い地上天気図、 0630UTC のアメダス、
0641UTC の気象衛星可視画像、 0630UTC のレーダーエコー強度
図15
夏と冬の雷雲の電荷分布を示すモデル図 (道本)
右側の図は原図から改変 (地上気温3℃から16℃へずらした)
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の構造は実は似ているのでしょうか。
X:今回はたまたまそうなっただけかもしれま
せん。 太平洋側は日本海側に比べて海面水温
が高いので、 雲頂高度も高めになる可能性が
ありますが、 詳細はもう少し調べてみないと
わかりませんね。
T:色々調べると面白そうですね。
X:今回のようなシアーラインは、 関東地方で
は冬型の時によく見られますし、 対流雲もよ
く出ています。 伊豆諸島の漁師はこの雲列の
ことを 「ならい ※の土手」 と呼んでいるそう
です。 雲列の下は、 風がぶつかり合って起こ
る三角波で波が高いから気を付けろ、 という
意味もあったようです。
K:ほぉっ∼、 なるほど!
X:黒潮が流れているのが原因かどうかはわか
りませんが、 房総半島沖には一年を通して対
流雲が発達することがよくあります。 特に冬
型のシアーライン上の対流雲からは、 時に竜
巻や突風が発生することもあります。 私も伊
豆大島に赴任している時、 海上に竜巻が発生
したのを目撃しました。 また、 先ほど説明し
た2004年2月23日には、 東京の世田谷区で突
風によって家屋の瓦が飛ぶ被害なども出てい
ます。 過去には、 神奈川や千葉でも同様に竜
巻や突風の被害が出たこともあります。 実は
羽田の離着陸が、 このシアーライン上に発生
した対流雲からの降水による突風で乱れたこ
ともあるのです。 なかなか油断ができない現
象です。 伊豆諸島の漁師さんが戒めているよ
うに、 「冬型のシアーラインによる対流雲に
は要注意」 を航空界のお天気俚諺に加えましょ
うか?
F:それはいいですね。 私も今回の事例を教訓
に、 後輩に伝えていこうと思います。
【参考文献】
「雷雨とメソ気象」 大野久雄著 東京堂出版
「冬季雷の科学」 道本光一郎著 コロナ社
「背の低い積乱雲と被雷」 PILOT 2004年1
月号
※ならい……冬の寒い風のことで、 東日本の海沿いの地方で呼ばれる (風向きは地域によって異なっている)。
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◎寄
稿
XP-1 (次期固定翼哨戒機) の
初飛行
川崎重工業株式会社 (海自 OB)
はじめに
固 定 翼 哨 戒 機 の 変 遷 は 、 PV-2 、 S2F 、
P2V-7、 P-2J、 P-3C とそれぞれ性能を拡大し
ながら発展してきました。
P2V-7 の改造型の P-2J は、 全83機のうち1
機も失うことなく、 世界に誇れる名機と言われ
ました。 時代の推移とともに哨戒能力の向上が
求められ、 1981年 (昭和56年) に3機の P-3C
を米国から導入し、 以後、 川崎重工業でノック
ダウン生産 (米国の機体部品を輸入し、 川重で
組立て) 及びライセンス生産 (米国にライセン
ス料を支払い川重で製造) により派生型を含め
約100機が製造されました。
P-3C も導入から約20年が経過し、 次期哨戒
機の導入が検討され、 2001年 (平成13年) から
XP-1 の開発が開始されました。
私は、 2000年 (平成12年) に海上自衛隊から
割愛で川重に入社し、 定期修理を終えた
P-3C 、 C-1 、 C-130H 、 E-2C 及 び 社 用 機 の
C90A に搭乗していますが、 運良くこのたびの
空自岐阜飛行場における XP-1 の初飛行の機長
となる機会を得られたわけです。
XP-1 の開発
川重が主担当企業として、 2001年12月に防衛
省向け次期固定翼哨戒機 (XP-1) 及び次期輸
送機 (C-X :空自 C-1 等の後継機) の2機種
開発プロジェクトが発足しました。 この開発は、
国内初で世界的に見ても例をみない2機種同時
開発となりました。
関戸
昭洋
川重を主担当とし、 三菱重工業、 富士重工業、
日本飛行機など主要な企業だけでも約200社が
開発に参画し、 設計者についても最大時には約
650名にも及んでいます。
現行の P-3C の後継機となる XP-1 は、 新開
発の国産で低燃費、 低騒音のターボファン・エ
ンジンを4基搭載した、 哨戒機としては戦後初
の完全な純国産機となります。
全長約38メートル、 全幅約35メートルで、
P-3C より約3メートル長く、 約5メートル幅
が広い機体となっており、 耐電磁干渉性に優れ
た実用機世界初の FBL (Fly By Light) 操縦
システム、 潜水艦を探知する世界最高水準の音
響システムや小型不審船などの探知識別能力が
より一層向上したレーダーシステムなどの新技
術を採用しています。
当社のパイロットのうち、 XP-1 に4名、
C-X に3名が開発当初からプロジェクトに参
画し、 設計会議及び検討会など各種会議に関与
しました。 油圧リグ、 燃料リグ、 操縦系統など
各システムの系統試験、 飛行管理システムを含
むフライト・シミュレータによる試験などに加
わるとともに、 フライト・ハンドブックなどの
作成にも参加して、 初飛行前には、 フライト・
シミュレータで一人当たり約80時間の訓練を行
いました。
XP-1 の初飛行
2007年 (平成19年) 7月4日に国会議員、 防
衛省、 関係省庁、 自治体関係者、 関連会社関係
者など多数の来賓をお迎えし、 XP-1 及び C-X
2009 MAR
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の試作初号機のロール・アウト (ハンガー・ア
ウト) 式典が行われました。
その後、 地上試験及び地上滑走試験を繰り返
し実施して、 開発に携った関係者一同の期待を
込めて初飛行に臨んだのです。 副操縦士は、 私と
同日付で空自から入社した馬場良直パイロットで、
技術者、 計測員の合計11名が搭乗しました。
週間天気予報及び前日の天気予報は、 ともに
雨時々曇りと報じられていました。
ところが、 2007年 (平成19年) 9月28日 (金)
当日の朝は、 誰もが予想しなかった青空が広が
り、 XP-1 の初号機は初飛行に成功したのです。
フライト・シミュレータで慣熟及び訓練を重
ねたとはいっても、 機体を初めて飛ばすわけで
すから全く不安がなかったとはいえません。
よく 「初飛行の前の晩は眠れたか」 と聞かれ
ますが、 前日の天気予報から少しあきらめの気
持ちもありましたから、 いつもどおりぐっすり
眠ることができました。
滑走路に入り、 エンジンの出力を最大にして
離陸滑走を開始する時が緊張のピークに達して
いたと思います。
いよいよ離陸速度になり、 機体の反応をみな
がらゆっくりとコラム (操縦桿) を引いて離陸
した直後は、 「飛べるっ!」 と確信しました。
それだけ機体は安定していましたから、 固唾を
飲んで見守っているであろう責任者や関係者に
いち早く知らせたいと考え、 自ら社用無線機で
「機体は極めて安定している。 良好!」 と発信
していました。
初飛行においては、 脚は上げず、 フラップは
初飛行の XP-1 (2007.9.28)
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2009 MAR
XP-1 と随伴機の P-3C
試験空域での模擬着陸進入の慣熟のため離陸形
態から着陸形態への操作及び離陸形態へ戻す操
作のみを行いました。
上空で実施した主な項目は、 次のとおりです。
① 離陸形態における随伴機 (P-3C) との計
器読み合わせ
② 離陸形態における小操舵による3舵確認
③ フラップ操作 (離陸形態→着陸形態)
④ 着陸形態における随伴機との計器読み合わせ
⑤ 着陸形態における小操舵による3舵確認
⑥ 模擬着陸進入
⑦ 模擬着陸復行
⑧ フラップ操作 (着陸形態→離陸形態)
試験空域から帰投後、 着陸の接地直前までの
操縦性を確認するため、 飛行場上空で着陸形態
でのロー・アプローチを1回実施しました。
ロー・アプローチ時の進入中は、 シミュレー
タと全く同じ感覚であったため、 初めての進入
をしているような感じではありませんでした。
このとき思ったのは、 全く違和感のない実機
の操縦感覚を模擬した当社のシミュレータの精
度の高さに感心するとともに担当した技術者に
対し感謝の気持ちがこみ上げてきました。
心の余裕ができると共に、 張りつめていた気
持ちからも解放され、 ロー・アプローチも完了
して、 いよいよ着陸というとき、 たくさんの人
たちが見上げている様子が俯瞰されましたので、
“へたな着陸はできないな”という緊張感が走
りました。
計画どおりの速度及び高度で滑走路端を通過
し、 若干のフレアーをしながら40フィートから
初飛行で着陸する XP-1
10フィートにかけてゆっくりエンジン出力を絞
り、 思いどおりの姿勢で滑らかな接地をするこ
とができました。 スピード・ブレーキ、 スラス
ト・リバーサー及びフット・ブレーキの作動も
良好でした。
離陸直後から安心して飛行することができ、
かつて経験したことのないほど極めて安定した
優しい機体であることを確信し、 エンジンも順
調で計画どおり約1時間の完璧な初飛行を無事
に成功させることができました。
今後の予定
初飛行後、 約11か月の間に極めて珍しいこと
XP-1 (次期固定翼哨戒機) 初号機
初飛行セレモニー
に天候にも恵まれ計画どおり計14回の社内飛行
試験を実施しました。
2008年 (平成20年) 8月29日に防衛省に納入
され、 海自第51航空隊の搭乗員によって、 翌月
の5日に厚木航空基地へ飛び立ちました。 続い
て試作2号機も2か月後に納入され、 厚木にお
ける2機による約3年半の性能評価が行われて、
量産機が製造されることになります。
したがって、 私たちが次に搭乗できるのも量
産機からということになります。 数年先には逐
次 P-3C に替わって日本周辺海域における広域
の警戒監視などに活躍していることでしょう。
初飛行記念
平成19年9月28日
2009 MAR
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第30回 ATS シンポジウム
第 30 回 ATS シンポジウム
ATS 委員会
=共通視聴覚教材 第2弾=
「ALTIMETER SETTING」 高度計規正の方法
ATS シンポジウムは今年で第30回目を迎えた。 ATS シンポジウムの母体は、 航空管制協会と日
本航空機操縦士協会が協力して開催する R/T Meeting である。 R/T Meeting は Radio Telephony Working Group Meeting の略称で、 管制用語の問題が事故の背景にあったとされるテネリフェ
事故を契機として1977年12月に発足した。
管制用語の研究から始まった R/T Meeting であるが、 長期間に及ぶ活動の中で、 管制方式およ
び管制一般の諸問題の研究等も行なうようになり、 実運航の第一線で働くパイロットと管制官が共
通の認識を深めるための率直な意見交換の場として、 「安全で効率のよい運航」 を支える航空管制
の在り方を検討する会議となっている。 その R/T Meeting における研究の成果を発表し、 「パイ
ロットと管制官の共通の理解」 をより一層深めるための場が、 毎年10月に行われている ATS シン
ポジウムである。
また、 操縦士協会が発行する AIM-J は、 現場のパイロットと管制官の間で共通の認識に欠ける
点を補うために 「運航の多岐にわたる諸規定を整理して必要な情報と方式を網羅し、 かつルールベー
スではカバーしきれない部分については、 判断と手順の規範となるようなマニュアルとして編集」
され、 航空局の監修を受けたもので、 航空界でその真価が高く評価されている。 現在 AIM-J の編
集は、 AIM-J 編纂協会が行っており、 R/T Meeting は事実上 AIM-J 編集委員会の母体でもある。
つまり、 操縦士協会と管制協会による 「安全で効率のよい運航」 を支える航空管制の在り方を検
討し、 「パイロットと管制官の共通の理解」 をより一層深めるための活動は、 R/T Meeting におけ
る研究活動を基盤として、 AIM-J の発行と ATS シンポジウムの開催のふたつの啓蒙活動によっ
て、 広く航空界に公益性をもたらしている。
1. 共通視聴覚教材製作への取り組み
そうした中で、 第26回 ATS シンポジウムでは、 パイロットと管制官の共通の理解を促進するた
めに“Good Operating Practice”をテーマとしてビデオを作製して上映した。 R/T Meeting メ
ンバーのシナリオによる自作自演のビデオだったが、 大変理解しやすいという評価を頂いた。 その
ような背景を踏まえて、 これからはビデオ等の視聴覚教材の作成が、 新たな第三の啓蒙活動の手段
として活用できるのではないかという提案があった。
この提案に基づいて検討を重ねた結果、 操縦士協会は公益事業の一つとして、 R/T Meeting で
の研究の成果をもとに、 定期航空をはじめ、 パイロットと管制官の教育に活用すべく、 管制協会の
ご協力を頂き、 航空各社等でも採用してもらえるような ATC に関する 「共通視聴覚教材」 の作成
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2009 MAR
第30回 ATS シンポジウム
に取り組むことになった。
R/T Meeting の30年間の研究活動を踏まえ、 論理的に整理され、 現場で活用できる、 より実際
的なレベルの高い教材を提供することができれば、 各社が個別に教材を製作するより遥かに効率的
である。 そして更に広く普及できれば、 「パイロットと管制官の共通の認識」 をより一層深めるた
めに、 大変効果的な Tool となるものと期待される。
昨今ご存知のように、 定期航空の分野において重大な事態には至らなかったものの、 ATC にか
かわる不具合を含む様々なトラブルが発生している。 そこで、 R/T Meeting で検討した結果、
2006年度は 「ATC Communication を考える」 というテーマを選び、 ATC Communication の本
質を考え、 確実に Communicate するための一つの手法として 「Communication Loop」 の考え方
を紹介した DVD を作成した。 定期航空会社での定期訓練を中心に、 パイロット、 管制官共に航空
界のさまざまな分野で教材として活用されている。
2. 共通視聴覚教材第2弾 「ALTIMETER SETTING/高度計規正の方法」 について
このテーマは、 第17回 ATS シンポジウム (1995年10月28日) で 「Altimeter Setting と管制間
隔」 として研究発表を行った。 この研究発表は、 広域ターミナル管制において、 着陸飛行場の
QNH を ATIS で入手している到着機に 「ターミナル管制所が設置されている飛行場の QNH」 を
提供することの問題提起と、 同じ空域を異なった QNH をセットして飛行している航空機相互間の
垂直間隔の精度の検証であった。 この研究発表を受けて、 航空管制誌などで 「高度計規正のあり方」
が論議されたが、 未だに問題を残したままの運用が続いている。
そこで R/T Meeting では 「高度計規正のあり方」 について更なる検討を重ね、 第21回 ATS シ
ンポジウム (1999年10月16日) で再び 「高度計規正」 をテーマとして取りあげ、 管制方式基準の関
連項目の改正提案を行った。 R/T Meeting からはその後も繰り返し改正の提案を行っているが、
管制方式基準改正の壁は厚く、 改正提案は未だに日の目を見るに至っていない。
その後も継続的な R/T Meeting での検討の結果、 管制の現場には 「高度計規正は管制指示であ
る」 という認識が未だに根強いことと、 高度計規正は誰の責任で行うのかの認識が定着していない
ことが浮かび上がってきた。 そしてターミナル管制所によって衛星空港に着陸する到着機への
QNH の提供がまちまちであることも判明した。 そこで R/T Meeting では、 三度この問題を ATS
シンポジウムで取りあげることとし、 第28回 ATS シンポジウム (2006年10月21日) で啓蒙を行っ
た。
「高度計規正」 については、 パイロットと管制官が共にルールベースでの正しい認識を持つこと
が重要であるので、 まずはパイロットと管制官が 「高度計規正のあり方」 についての共通の認識を
もてるように啓蒙すべく、 DVD による共通視聴覚教材第2弾のテーマとした。
3. 「ALTIMETER SETTING/高度計規正の方法」 の骨子
DVD 作成にあたり、 基本的には、 第28回 ATS シンポジウムにおけるレジュメの内容とプレゼ
ンテーションを映像化した。 DVD 映像は概略次の内容になっている。
●
プロローグ
問題提起の導入として、 アルティメタ セッティングが不適切であったために生じたトラブル
の場面を、 少しオーバーに表現して紹介している。
2009 MAR
49
第30回 ATS シンポジウム
①
3つのセッティング
高度計規正の基礎知識として、 QNH, QFE, QNE の3種類の規正方法を紹介している。
② 規則はどうなっているか
航空法施行規則第178条による高度計規正の方法について、 法の趣旨を中心に説明してい
る。
③ 管制方式基準はどうなっているか
管制方式として定められているアルティメタ セッティングの運用方法について説明して
いる。
④ 現状はどうか
ターミナル管制所によるアルティメタ セッティング運用実態を紹介している。
⑤ 1,000フィートの垂直間隔とは?
垂直間隔の1,000フィートの意味について説明している。
⑥ ヒューマンファクターズの面からの検証
高度計規正の運用では、 ルールベースでは解決できないヒューマンファクターズについて
説明している。
⑦ 望まれるアルティメタ セッティング
着陸時のクリティカルなミスを防ぐために、 望まれる高度計規正のあり方を提案している。
●
結 論 ∼エピローグ
パイロットの責任と管制の運用のあり方、 それにパイロットと管制官の信頼関係が大切であ
ることを結論として述べている。
50
2009 MAR
第30回 ATS シンポジウム
=研究発表=
Go around 後の飛行方法
【はじめに】
昨年の ATS シンポジウムでは 「“Go around”と“Missed approach”との意味の違いと、 それ
ぞれの言葉が何故まちまちな意味に使われるのか」 を解明し、 言葉の使い分けを明確にするための
研究発表を行った。 この研究発表の結論として、 「復行=Go Around」 を 「航空機が、 着陸または
そのための進入の継続を断念して上昇体勢に移ることをいう」 と定義することを提案した。
昨年8月の管制方式基準の改正では、 これまで着陸復行だけを Go around としてきたものを、
計器進入を開始した後着陸するまでのどの段階ででも 「復行を行うことが Go around である」 と
定義した。 つまり、 Go around は着陸の中止だけではなく、 進入の中止も含む言葉としたので、
「着陸復行」 という言葉はなくなり、 すべての 「復行」 が 「Go around」 となった。 一方、 「進入復
行=Missed approach」 は計器進入によって目視物標を視認できなかった場合、 あるいは計器進入
を途中で中止した場合に、 上昇に転じる計器飛行での飛行である。 この場合の飛行方法が、 計器進
入方式に 「進入復行方式 (Missed approach procedure)」 として付随している。
一昨年の ATS シンポジウムでの研究発表に続いて、 今回は 「Go around を行った後の飛行方法」
について、 R/T ミーティングで研究した成果を発表したい。 R/T ミーティングでは、 計器進入中
に行った Go around についても検討を行ったが、 進入方式論や管制間隔等、 非常に広範囲な議論
となったので、 今回はそのうちの 「着陸寸前の Go around」 のみにスポットをあてて発表するこ
ととする。 したがって、 以下このレジュメでの 「Go Around」 は 「着陸寸前に行った Go Around」
を指すこととする。
いわゆる 「着陸寸前の Go around」 は、 フライトの基本パターンであり、 かつ日常的に経験す
ることであるが、 R/T での検討の結果、 これを IFR で行う飛行方法はフライトの他の部分とは全
く違った特殊な性格を持っていることに気付いた。 「Go around 後の飛行方法」 が特に難しいとい
うことはないが、 「特殊な性格である」 ということを認識していないために、 パイロットと管制官
の間に意思の疎通に欠けるトラブルが生じることが解ってきた。
【Go around 後の飛行方法の法的根拠と管制承認の問題点】
計器飛行方式 (IFR) というのは、 一般に飛行方式として設定された、 あるいは管制官によって
あらかじめ明確に示された飛行方法が承認され、 その管制承認に従って行う飛行である。 飛行方式
は、 たとえば計器進入では、 方式に従った計器飛行によって滑走路に近づき、 進入限界点までに目
視物標を視認できれば、 進入方式を離脱して目視による飛行で着陸する。 もし目視物標を視認でき
なければ、 進入復行点から進入復行方式に従って計器飛行を継続する。 この飛行方式では、 目視物
標を視認した航空機は目視による飛行で着陸することを想定しており、 Go around することは想
定していない。 この飛行方式を承認している管制承認でも、 方式で目視物標を視認した後は目視に
よって滑走路に進入することは想定しているが、 そこで Go around することは想定していない。
つまり、 管制官とパイロットの間に、 あらかじめ 「こういう場合はこうする」 という約束が全くな
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第30回 ATS シンポジウム
いのが Go around 後の飛行方法である。 これが先に述べた 「Go around 後の飛行方法は非常に特
殊な性格である」 という一つ目の意味である。
飛行方式としても、 また管制承認としても想定していない飛行方法となると、 何を根拠に IFR
での飛行方法が決まるのかが問題となる。 それは 「航空法による IFR の定義」 でしかない。 航空
法では IFR を 「管制圏における IFR」 と 「情報圏における IFR」 の2種類に分け、 管制圏での
IFR にのみ 「……かつ、 その他の飛行方法について第96条第1項の規定により国土交通大臣が与
える指示に常時従って行う飛行の方式」 と定義している。 (情報圏での IFR の定義には、 この部分
がない)。 この定義による 「第96条第1項の規定により国土交通大臣が与える指示に常時従って行
うその他の飛行」 は、 「管制承認および管制官があらかじめ指示した飛行方法」 以外の飛行方法と
して定められているので、 その一つが Go around 後の飛行と考えられる。 つまり、 「Go around
した後の飛行は、 航空法に従って管制官の指示がないと IFR で飛行することができない」 という
ことである。
航空法第96条第1項の規定は概略 「パイロットは管制区・管制圏においては管制官の指示に従っ
て飛行しなければならない」 という内容である。 Go around 時以外の通常の IFR でのフライトで
は、 基本的に管制承認に従って飛行しているので、 それをオーバーライドする管制官の指示があれ
ばそれに従わなければならないが、 管制官の指示がなければ敢えて管制官の指示を求める必要はな
い。 ところが Go around 後の飛行に関しては、 管制官の指示がなければ IFR では飛行できないの
だから、 第96条第1項の規定の考え方も特殊な性格をもってくることになる。 これが 「Go around
後の飛行方法の特殊な性格」 の二つ目の意味である。
【Go around 後の飛行方法は誰が決めるのか】
他の飛行方法でも同じだが、 Go around 後の飛行でも 「飛べるか、 飛べないか」 は最終的には
パイロットが決めることである。 しかし、 その飛行方法を指示するのはあくまでも管制官である。
そして重要なことは 「管制官が指示しなければ IFR では飛行できない」 ということである。 この
仕組みを理解していなと、 管制官は 「要求されなければ黙っていれば良い」 と誤解しやすい。
Go around 後の飛行方法は、 パイロットが要求してそれにそって管制官が指示するのか、 管制
官が飛行できる方法をパイロットに聞いて指示するのか、 それとも管制官が指示した飛行方法にパ
イロットが同意できない場合に別の飛行方法を要求するのか、 いずれにしても 「想定していないこ
と」 なので様々な手順が考えられるが、 Go around は突然発生して直ちに処置しなければならな
い緊急性の高い事態なので、 管制官とパイロットがどんな 「共通の認識」 を持てるかが今後の課題
と言えよう。
管制圏の飛行場では、 管制官の指示が得られるからまだ良いが、 管制官の指示が得られない情報
圏での Go around は深刻である。 VMC であれば IFR をキャンセルすることで問題がなくなるが、
IMC であればそれもできず、 ルールベースでの対応は非常に困難である。 15年前の第15回 ATS シ
ンポジウムでは、 この点にスポットを当てた問題提起を行っている。 そこでの結論は、 「次善の策
として、 管制官が管制承認として想定していた飛行方法に最も近い飛行を行うこと」 としている。
【Go around 後の飛行方法の考察】
行い得る Go Around 後の飛行方法は、 開始する場所 (どの滑走路か、 騒音対策の問題はないか)
や気象状態、 それにトラフィックの状況などによって多様である。 大きくは 「直線進入での Go
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第30回 ATS シンポジウム
Around」 と 「サークリングでの Go Around」 に分けられるが、 両者に共通した問題点も多いの
で、 それぞれの問題点を洗い出すことにする。
飛行方法の選択にあたっては、 トラフィックの状況によって選択し得る飛行方法が制限される場
合は 「管制官の判断」 が全面的に優先することは言うまでもない。
1. Go around 後の飛行方法:
「着陸のやり直し」 としての Go around 後の飛行方法は、 大きく分類すると 「目視による飛行」
と 「計器飛行による飛行」 の形態に分けられる。 「目視による飛行」 は俗に 「トラフィックパター
ンの飛行」 とも呼ばれ、 他のトラフィックとの間隔は管制官の責任で維持され、 そのため左右のパ
ターンの指定はあるが、 細かい経路の選定は気象状況に合わせてパイロットの判断で行い、 障害物
との間隔もパイロットの責任で飛行する。 一般に 「Request traffic pattern」、 「Join right traffic」
等の用語が使用される。 効率の良い着陸のやり直しはトラフィックパターンの飛行と考えられる。
「計器飛行による飛行」 は目視飛行による着陸のやり直しが困難な場合に、 計器進入をやり直す
(場合によっては待機またはダイバージョンする) ための飛行方法である。 進入復行方式に沿った
飛行が適用される場合 (直線進入での Go Around) と適用できない場合 (サークリングでの Go
Around) があり、 進入復行方式に沿った飛行が適用できない場合は具体的な飛行方法 (ヘディン
グと高度) の指示が必要になる。 いずれの 「計器飛行による飛行の指示」 も、 ターミナルレーダー
が運用されている飛行場であれば、 ノンレーダーによる飛行方法は初動のみで、 速やかにレーダー
に引き継ぐことを前提としている。
2. 進入復行方式の適用:
進入復行点を通過するか、 それ以前であっても、 MDA から着陸のための降下を開始した後は目
視による飛行であり、 飛行方式としては、 そこでの Go around には進入復行方式は適用されない。
しかしながら、 直線進入での Go around では、 滑走路進入端で Go around した場合でも滑走路上
を速やかに上昇できるならば、 進入復行方式に沿って飛行しても、 実際にはほとんどの飛行場で障
害物との間隔に問題はなく、 管制間隔も維持されているはずである。 管制方式として、 Go around
後に進入復行方式に沿って飛行することの是非については明確には定められていないが、 管制の実
態として、 Go around 機が MAPt を通過しているのかどうか分からない場合もあり、 実際には Go
around 後の飛行方法として進入復行方式に沿った飛行を指示するケースが多い。 ただし、 サーク
リング後の Go around では、 どの滑走路に対する進入復行方式なのか、 どのように進入復行方式
に会合がするのかが極めて曖昧になるので、 進入復行方式に沿った飛行の指示は行うべきでない。
3. 進入復行方式以外の計器飛行による飛行方法の指示:
先行出発機が管制官の予想を超えて緩慢な動きをしたために、 後続着陸機に Go around を指示
した場合、 進入復行方式だと先行離陸機と同じ方向へ飛行することになるケースでは、 管制官は
Go around の指示の後に、 別の方向へのヘディングと高度を指示しなければならないこともある。
また、 ターミナルレーダーが運用されている飛行場では、 気象状態には関係なくタワーとターミナ
ル管制所との間で調整されている場合もある。 あるいは 「あそこの方角にはトラフィックはいない
から、 そちらに向けて飛行させれば安全だ」 という経験的な判断での飛行方法の指示もある。 天候
が良ければ管制官の目視間隔によって飛行方法を指示することもできるし、 IMC の時でも実際に
はブライトディスプレイ等によって関連機のいない方角への飛行を指示することができるだろうが、
方式論として、 どんな飛行方法を指示することができるのか、 今後検討する必要がある。
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第30回 ATS シンポジウム
4. サークリング中 (Downwind∼Turning final で) の Go around:
パイロットが周回進入中に天候の悪化などで滑走路を見失った場合の Go around では、 できる
限り速やかにその旨を通報し、 管制官からの指示を受けるまでの間、 原則として着陸しようとした
滑走路の方向 (飛行場の中心と思われる方向) に向かって上昇することが推奨されている。 管制官
はできるだけ速やかに、 飛行方法を指示すべきである。
5. 管制官とパイロットとの飛行方法についての判断の食い違い:
管制官とパイロットで飛行方法についての判断が食い違うことがある。 それは気象状態が IMC
でもそこそこ天気の良い場合に生じやすい。 トラフィックの流れによる制約も含めて、 天気が非常
に良い場合と、 非常に悪い場合は、 管制官とパイロットで 「飛行できる方法」 について判断が食い
違うことはあまりない。
IMC ではあるが周回進入の最低気象条件はなんとか満たしている場合には、 Traffic pattern 経
由での着陸ができるかどうかの判断に食い違いが生じやすい。 サークリングを行った航空機に対し
て、 管制官が 「周回進入ができたのだから Traffic pattern を回れるはずだ」 と思い込むと、 空中
の気象状態は必ずしも目視飛行に十分でないこともある。
直線進入からの Go around で、 気象状態が周回進入の最低気象条件よりもかなり悪い時であれ
ば、 管制官は躊躇することなく計器飛行での飛行方法を指示するだろう。 その指示に対して、 通常
はパイロットも敢えて目視による飛行方法を要求することはないが、 もしパイロットが Traffic
pattern 経由での着陸を要求した場合、 管制官は 「パイロットができるというなら良いではないか」
と、 要求どおりに指示しなおすケースがある。 しかしながら、 管制官が無理だと判断した飛行方法
でも、 パイロットの要求どおりの飛行方法を指示するのであれば、 管制官もその後の飛行の安全性
について考慮する必要がある。
したがって、 パイロットが管制官の指示した飛行方法と違った飛行方法を要求するのは、 原則と
して 「管制官が指示した飛行方法は自信をもって飛行することができない」 と判断した場合だけに
すべきである。 上記の例では管制官は自分の判断を優先させて、 計器飛行での飛行方法を指示すべ
きである。 「パイロットの要求にそって管制承認を発出する」 という管制の原則は、 あくまでも
「安全に飛行できる」 と判断されることが前提になっていると考えられる。
6. GCA での Go around:
GCA では 「Go around」 の用語を使用することはあまりないが、 着陸許可を発出した後に滑走
路に犬などの予期しない障害物が入って、 タワーが着陸誘導中の管制官を経由して指示するケース
などが考えられる。
7. 情報圏の飛行場での Go around 後の飛行方法:
情報圏では IFR の定義が管制圏とは違い、 管制承認の経路の範囲でしか IFR では飛行できない。
気象状態が許せば IFR をキャンセルして Traffic pattern を回ることができるが、 Go around 後
も IFR を維持するならば進入復行方式に沿って飛行せざるを得ない。
情報圏の飛行場でも直線進入での Go around は比較的容易に対応できるが、 サークリングでの
Go around は深刻である。 この場合は、 飛行方式に合致しているとはいえないが、 周回進入の最
低気象条件は満たしていることから、 目視によって障害物を避けながら上昇し、 行った計器進入の
進入復行方式に会合するしかない。 この飛行方法が 「次善の策として」 AIM-J 694項に説明され
ている。
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2009 MAR
第30回 ATS シンポジウム
【まとめ】
Go around 後の飛行方法について
1. 管制官が Go around を指示した場合
管制官は Go around 後の飛行方法について必ず指示しなければならない。
飛行方法としては次の方法が考えられる:
① 進入復行方式に沿った飛行
② Traffic pattern に入って着陸をやり直す飛行
③ 状況によっては特定のヘディング (または飛行方向) と高度による飛行
★管制官は、 Go around 後の飛行についてパイロットが意図を通報した場合には、 トラフィッ
クの許すかぎり、 かつ安全と判断される範囲で、 要求に沿った飛行方法を指示すべきであ
る。
★パイロットは、 管制官から指示された飛行方法に従うことが困難と思われる場合は、 別の
飛行方法を要求すべきである。
2. パイロットが自ら Go around した場合
パイロットは Go around を決意した場合は、 できる限り速やかにその旨を通報し、 その後
の飛行方法について要求することが望ましい。
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55
連
載
航
空
●
曼
史
その28. 和製リンドバーグ
●
陀
羅
すみとし
中尾純利の生涯
徳田
忠成
逓信省航空局が、 陸海軍依託操縦生制度によっ
て民間パイロット養成を開始したのは、 大正10
年1月からである。 この制度は昭和13年に、 航
空局がパイロットの大量養成を意図した航空機
乗員養成所ができるまで続いた。 この18年間に
依託制度によって養成されたパイロットは総計
163名 (陸軍99名、 海軍64名) である。 ここで
は 「和製リンドバーグ」 と讃えられた、 陸軍依
託1期生の中尾純利の人生を追ってみたい。
夫 (毎日新聞航空部長、 戦後、 渋谷区会議員)、
小川寛爾 (南方航空輸送部司政官、 43歳で殉職)、
加藤寛一郎 (殉職)、 河内一彦 (朝日新聞航空
部長)、 永田重治 (満州航空管区長)、 国枝実
(戦後、 航空大学校初代校長)、 松崎武夫 (台湾
総督府機長、 戦後、 事業経営)、 小林佐久麻
(飛行学校卒業直後に21歳で墜死) と、 その後
の民間航空発展の牽引車となる、 そうそうたる
顔ぶれである。
航空局が陸軍の外局として誕生したのは、 大
正9年8月1日である。 その3ヶ月後に、 全国
版新聞紙上に、 早くも航空局陸軍依託操縦生制
度の募集が掲載された。 民間パイロット養成の
必要性が叫ばれても、 航空局はまだ自力で養成
する力がなく、 陸軍へ依託したのである。 この
制度の生みの親は航空局技術課長・児玉常雄
(日露戦争の英雄・児玉源太郎大将の5男、 の
ち大日本航空総裁) で、 終戦まで民間航空育成
の中心的存在だった。
受験資格は満17歳から19歳までの未婚男子で、
学歴は問わないが、 旧制中学4年修了程度の能
力が必要であった。 10名の採用に160名が応募
し、 身体検査で残った114名が学科試験にいど
んだ。 科目は国語、 作文、 地理、 英語で、 飛行
適性検査はおこなわれていない。
なお、 海軍への依託操縦生は陸軍の約1年後
から始まり、 航空機関士の養成は2年後に、 府
立工芸学校へ依託されている。
中尾の他に、 晴れて選ばれた1期生9名の名
前をあげる。 ( ) 内は主な活躍内容である。
伊藤治郎 (戦後、 日本航空協会嘱託)、 羽太文
わずか10名ながら、 イタリア空軍士官が着用
しているようなスマートな制服が支給され、 近
くの民家に下宿して所沢陸軍飛行学校へ通った。
さらに月30円の手当がついたが、 10円は天引き
されて強制的に貯金、 食費8円50銭、 部屋代な
どに50銭、 小遣いは11円程度だったが、 大学出
初任給が20円のころだから、 大変な厚遇である。
民間からの最初の依託ということで、 学科や
整備の教育ないし実習には、 10名ほどの教官や
助教、 助手があたり、 飛行訓練では、 わざわざ
依託生専用の飛行班をつくって対応している。
まさに至れりつくせりの指導であった。 訓練期
間は8ヶ月間で、 最初の2ヶ月間は飛行理論か
らはじまって、 機体、 発動機の原理および構造、
気象などの学科、 それに発動機の分解組み立て
もおこなった。 訓練機はニューポール 81E2 練
習機 (甲式2型) やサルムソン 2A2 偵察機
(230馬力、 教官が前席) が使用された。 最初は
地上滑走をミッチリやったが、 面白いのは、 浮
力がつかないように改造された地上滑走専用機
が使用されている。 6ヶ月間の平均飛行時間は
38時間20分、 トップで卒業した最年少の中尾純
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2009 MAR
ニューポール81E2型
利は35時間だった。
充実した厳しくも愉しい飛行訓練を終えた9
名は、 この年9月1日、 2等飛行操縦士免状を
手にして卒業式を迎えた。 逓信大臣賞を授与さ
れた中尾は、 抜群のパイロット適性と度胸、 そ
して緻密さを備えていたが、 のちの活躍がそれ
を証明している。 彼は卒業生を代表して大空へ
舞い上がり、 宙返り3回、 ツバメ返し2回、 さ
らに横滑り1回のデモンストレーション飛行を
披露した。
中尾純利は鹿児島県出水郡阿久根村山下 (現
在・阿久根市山下) で、 ライト兄弟が初飛行に
成功した年、 1903年の2月25日、 父助三郎と母
フチの3男として生まれた。 聡明だった少年時
代から空へ尋常ならざる関心を示し、 いつも彼
の手には、 出版されたばかりの月刊雑誌 「飛行
少年」 が握られていた。 眼を輝かしながら、 む
さぼるように読んだであろう姿が目に浮かぶ。
士族の血をひく彼は、 中学校卒業後、 青雲の
志をいだいて上京、 工手学校を卒業、 まずは海
軍省技術本部に就職し、 図工をしながら飛行士
になる機会を狙っていた。 明治維新以来、 志あ
る薩摩隼人の上京熱はすさまじい。 中尾もその
一人だったのである。
そして前記の試験を受けて合格した。 同期生
も似たようなところがあり、 永田は東京砲兵工
廠目黒火薬庫の図工、 国枝は工業学校卒業後、
陸軍航空学校雇員として所沢飛行場で働いてい
た。 家が貧しくて飛行機操縦の訓練をあきらめ
ていた千葉県出身の小川寛爾は、 当時としては
めずらしい自動車学校の整備工をしていた。
卒業後の中尾は、 同期生の小川寛爾と伊藤治
郎と共に所沢に残り、 後輩にあたる依託2期生
および3期生の教官に従事していたが、 やがて
1等飛行機操縦士に昇格、 およそ半年の教官商
売のあと、 優秀な彼に目をつけた三菱にスカウ
トされて移籍し、 そこの試験飛行係になった。
この頃の三菱は、 正確には大正9年5月に三
菱神戸造船所から分離設立したばかりの三菱内
燃機製造であり、 三菱重工業に社名変更したの
は昭和9年6月である。 三菱は10式艦上戦闘機、
10式艦上偵察機の生産にのりだし、 大正11年8
月には、 10式艦上雷撃機が初飛行に成功してい
た。
三菱には前年にイギリスから来日し、 テスト・
パイロットをしていた、 まだ25歳の若きウィリ
アム・R・ジョルダン元英海軍大尉がいた。 彼
は日本の航空操縦士免状第3号、 且つ日本最初
の1等飛行機操縦士になった人である。 19歳の
中尾は、 彼から多くを学んだが、 工務係だった
中川岩太郎技師補 (のち三菱重工・航空機部長)
などと、 仕事に専念するようになった。
三菱での彼の最初の大飛行といえば、 大正15
年5月25日から31日にかけての無着陸長距離飛
行記録である。 機種は海軍が正式機として採用
した13式艦上攻撃機で、 海軍航空隊による燃料
や潤滑油、 エンジン冷却水の消費量などの飛行
か が み が はら
調査のためである。 各務ヶ原 (岐阜県) をベー
スに、 3日間で2,680km を飛行した。
危険な仕事をなんとか乗り切っていたが、 昭
和3年6月13日 (金) には、 陸軍航空本部技術
部のある所沢上空で隼型戦闘機の試作1号機を
テスト飛行中、 高度1,200m で空中分解、 パラ
シュートで脱出している。 しかも飛行直前の、
わずか3時間前にパラシュートの操作方法を習っ
たばかりだったというから、 それまではパラ
シュートを装備せずに、 テスト飛行していたこ
とになる。
この時のテスト飛行は、 アメリカ帰りの技術
将校の指示だったが、 多分、 わが国でのパワー・
ダイビングのはしりと思われる。 内容は、 高度
2009 MAR
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4,000m でエンジン全開、 そして60°のパワー・
ダイブをやり、 振動がでたらパワーを絞れとい
うものだった。 機体はバラバラになってくだけ
散ってしまった。 ところが、 その破片の中から、
白い花びらのようなパラシュートが浮かんだ。
彼は降下中も高圧線をたくみに回避するなど、
その度胸に陸軍将校たちも舌を巻いたという。
この貴重なテスト以来、 陸軍は試作機の荷重試
験を検査項目に加えることになったという。 中
尾が命がけで体験した賜物であった。
命拾いした中尾は、 日本初の機体からの落下
傘降下記録者となり、 チャールズ・リンドバー
グが会員になっている 「キャタピラー・クラブ」
会員となり、 その勇気ある行為を称えられた。
また三菱では、 こんなエピソードがある。 10
式艦上偵察機の領収飛行をおこなった霞ヶ浦航
空隊でのこと、 立会いの監督官が難題を吹っか
けた。
「急降下して一気に引き起こし、 壊れるか壊
れないか試験してみてくれ」
こんなことをすれば、 空中分解することは分
かりきっている。 居合わせた三菱の技術者は息
をのんだ。 しかし、 中尾はその時少しも動じな
かった。
「承知しました、 やりましょう。 監督官もど
うぞ後席へお乗りください」
この命令は取り消された。
三菱に12年間ほど在籍し、 主席テスト・パイ
ロットとして活躍した中尾は、 昭和9年2月、
依願退職によって満州航空へ移籍した。 理由は
定かではないが、 海軍の試験飛行課長との折り
合いが悪かったといわれている。 しかし、 地上
での彼は気さくで周囲の誰からも親しまれた。
余暇にゴルフに親しんだ話は有名である (後述)。
一緒に仕事をしていた中川岩太郎によると、
「ゴルフ、 将棋、 玉突きなど、 彼は何をやっ
てもすぐうまくなりました。 酒はたしなむ程度
で乱れることはなく、 いつも紳士然としていま
した」
満州航空に入社2年半後の昭和11年12月19日
に日満独航空協定が成立、 ただちに満州航空内
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に特航部を新設、 20人ほどの職員が集められた。
中尾もその1人である。 次第に欧米列強から孤
立しようとしていた日本は、 昭和10年に入って、
ベルリンと東京を結ぶ最短距離の日独航空路計
画を模索していた。 敵地となるであろう南回り
こんろん
ルートを回避し、 バクダッドから崑崙山脈とゴ
ビの砂漠上空を飛行する 「空のシルクロード」
を創るのが目的である。 特航部は昭和12年5月、
資本金500万円で国際航空と衣替えし、 ドイツ
からハインケル He116型2機を購入した。
中尾は、 早速、 中島飛行機の長距離機 LB2
を改造した 「暁号」 で、 ゴビ砂漠にある飛行場
建設予定地オチナの調査飛行をおこなった。
その後、 中尾は、 松井勝吾 (陸依5期)、 陸
軍の加藤敏雄および横山八男両少佐、 それと機
関士2名、 通信士2名と共にドイツへ留学した
(前号参照)。 ドイツから購入したハインケル
He116旅客機の慣熟と、 航法訓練のためである。
ドイツへ着いた中尾たちは、 国際航空仕様の
機体が完成するまでの間、 ルフトハンザ航空の
定期便に乗りこみ、 ドイツ人乗務員に嫌味の一
つもいわれながら、 苦労して夜間飛行や無線航
法の経験を積み重ねていった。
国際航空設立と同時に入社し、 渡独して教育
を受けた佐藤信貞通信士 (戦後、 航空大学校航
法教授兼教頭) によると、 無線航法機材は、 テ
レフンケンの方向探知機と、 ローレンツの盲目
着陸用受信機で、 当時としては最新式のもので
あった。
しかし、 この遠大な 「空のシルクロード」 計
画は、 日華事変の勃発、 ヨーロッパ情勢の悪化
などで、 実現不可能になった。 完成した He116
型2機は、 昭和13年4月、 ベルリンからロドス
島、 バスラ、 カラチ、 カルカッタ、 バンコク、
台湾を経て、 およそ7日間、 飛行時間約57時間
をかけて日本へ持ち帰ったことは、 前号に書い
た。 幻となった国際航空は大日本航空に吸収、
中尾も満州航空から国際航空、 そして大日本航
空と転々としている。
昭和14年1月25日、 総距離4,900km になる
日本・タイ親善飛行で中尾は、 乃木号の機長席
に座っていた。 日本政府は山田長政のアユタヤ
(タイの旧首都) での活躍もあって、 近親感を
もっていたタイとの航空路設定を希望しており、
その準備のための慣熟飛行である。 ある時、 エ
ンジン不調で田園に不時着したことがあるが、
ほとんどノーショックだった。 反日感情の強い
現地人が、 燃料タンクに泥水を入れた結果だっ
た。 タイとの航空協定は、 この年11月に締結さ
れた。
昭和14年8月26日からの、 「ニッポン」 号に
よる世界一周飛行の成功によって、 中尾は 「和
製リンドバーグ」 と讃えられたが、 その概要は
1月号に略述したので、 ここではそれを補足す
る。
「ニッポン」 号機長の指名は難航した。 日華
事変に応召中の毎日新聞社航空部副部長の羽太
文夫軍曹が内定していたが、 海軍主導でおこな
われている企画に陸軍が難色を示し、 結局、 満
州航空総裁の児玉常雄や関東軍航空参謀を説き
ふせて、 中尾が指名され、 大毎新聞社嘱託に決
まった。
他の乗員は、 吉田重雄操縦士、 中攻整備の神
様といわれた下川一機関士、 佐伯弘技術員、 佐
藤信貞通信員、 八百川長作通信士兼機関士であ
る。
昭和14年8月26日に羽田飛行場を出発、 翌日
は千歳飛行場で一泊した。 千歳では、 千田貞敏
乗員課長 (のち少将、 終戦時に割腹自殺)、 大
久保武雄国際課長 (戦後、 海上保安庁長官) な
どが、 壮途を見送った。
酸素不足で苦労しながら最初の着陸地は、 ア
ラスカのノーム、 そこからフェアバンクス、 北
米西海岸沿いに飛行してロスアンゼルス、 米大
陸横断でニューヨーク、 ここで第二次大戦が勃
発したが、 飛行は続けられた。 南下して南米、
アンデス山脈を翔破、 3,030km の大西洋横断
飛行でアフリカ西海岸のダカール、 大戦勃発の
ためにローマから東へ変針して中東、 そして東
南アジアと、 この大飛行を完成させたのである。
10月20日、 最終ルートの台北から、 無事、 ニッ
羽田飛行場出発前に花束を贈呈される 「ニッポン」
号の乗員たち。 左から2番目が中尾機長。
ポン号が羽田に到着したことで、 全国民が沸い
たが、 中尾の郷里・阿久根町では、 町民こぞっ
て 「ニッポン号の歌」 を歌いながら、 祝賀の旗
行列をおこなった。
国をうずめた日の丸の
歓呼の中に羽ばたいて
わが 「ニッポン」 はまっしぐら
六万キロの空を飛ぶ 空を飛ぶ
中尾たちは、 皇居に参内して天皇陛下に拝謁、
叙勲と御下賜の名誉に輝いた。 なお、 毎日新聞
社の名声も上がったが、 同社はこれを記念とし
て、 毎年記録的な大飛行をおこなった航空人に
1万円と表彰状を贈ることを決め、 さらに常備
薬 「わかもと」 の創業者・長尾欣也によって技
術奨励金が設けられた。
中尾なくしてこの大飛行は完遂しなかったと
いわれるが、 大胆かつ沈着冷静な彼は、 ことの
ほか飛行前点検を入念に実施したことで有名で
あり、 これが飛行の成功に通じることを信条と
していた。 これは今に通じる手順であり、 彼が
三菱重工在籍中、 危険と隣り合わせで、 60余種
の飛行機をテストして身につけたものだった。
地下鉄東西線竹橋駅上にある、 毎日新聞社ビ
ル一階入口には記念碑が建てられている。
世界一周飛行を成しとげた中尾は、 大日本航
空職員として、 昭和18年4月、 第一運営局運航
2009 MAR
59
「ニッポン」 号と乗員のサイン
部運航通信課長・参事、 そして翌19年2月、 熊
本航空訓練所副所長、 そして所長に昇格した。
本来、 この訓練所は、 大日本航空の自社乗員養
成を意図して設立されたが、 戦況の悪化ととも
に軍用の定期ないし緊急輸送の増大に呼応する
必要があった。 乗員訓練どころではなくなった
のである。
昭和20年6月、 陸軍航空輸送部の指令により、
たけし
同訓練所は陸軍特務航空輸送部に編入され、 猛
輸送部隊が編成された。 中尾所長が総指揮官と
なり、 約100名の乗員、 三菱 MC-20型輸送機15
機で編成された猛輸送部隊は、 京城の金浦飛行
場へ移った。 敵機の空襲に晒されている日本内
地では、 どこも特別任務の輸送基地にできなかっ
たからである。
特別任務とは、 本土決戦に備えて、 仏印のプ
ノンペン駐在の陸軍下士官搭乗員約1,500人を、
内地へ送還する仕事であった。 飛行ルートは、
すでに制空権を敵に奪われているプノンペン―
サイゴン―ツーラン―台北―上海―京城を飛ぶ、
危険な飛行が続いたが、 任務半ばで終戦になっ
た。 まだ42歳の働き盛りだった。
鹿児島県阿久根市の郷里へ帰った中尾は、 し
ばし茫然自失の呈だったが、 あり金をはたいて
ポンポン船を買い、 にわか漁師の生活にはいっ
た。 日本人による飛行は、 全面的に禁止された
が、 しかし彼は、 近い将来の民間航空再開を信
じて疑わなかった。
朝鮮戦争が勃発したのは、 昭和50年6月25日
であるが、 その2、 3週間前の5月下旬、 中尾
60
2009 MAR
は、 田中不二夫から突然の電報を受けとった。
セカイヒコウキロクモチ」 ゴクヒ」 ジョウキョ
ウマツ」 ○オクツタ」 タナカフジオ
伊藤飛行機製作所を卒業し、 3等飛行機操縦
士資格をもっている田中は、 パイロットとして
は落第生だったが、 経営手腕はなかなかのもの
で、 洲崎に飛行学校を設立したが、 終戦直前に
は、 所沢へ移って飛行学校を経営していた。 そ
して終戦の年11月、 民間パイロット交流の場と
して、 代々木に鶏鳴社を立ち上げたのである。
田中不二雄の呼びかけに応じて上京した中尾
は、 まだ事情も呑みこめないまま、 言われるま
まに田中と二人で GHQ へ赴いた。
「とにかく優秀なパイロットを4人集めてほ
しい。 GHQ の占領政策の変更であり、 日本の
民間航空再開は間じかに迫っているので、 要員
の飛行訓練を米軍が引き受ける。 ついては、 飛
行時間5,000時間以上で夜間飛行経験者を集め
てほしい。 この間は、 4∼5万円の給料を支給
する」
集まってきたパイロットは、 中尾のほかに後
藤安二 (海依14期、 のち日航訓練部長)、 崎川
五郎 (海依16期、 のち日航査察操縦士)、 佐竹
仁 (海依13期、 のち日本アジア航空専務) であっ
た。
早速、 4人は厚木の米軍キャンプへ連れて行
かれ、 極秘の操縦訓練が行われた。 その最中に
朝鮮動乱が勃発したのである。
「訓練はこれ以上続けられない。 ところで、
技量保持ということで、 朝鮮戦争の輸送任務を
手伝ってほしい」
ここで4人は、 ようやく飛行訓練の目的を理
解することができた。 これは極秘裏にすすめら
れていた朝鮮戦争の後方支援としての輸送任務
だった。 崎川は、 飛行訓練の話が舞い込んだと
き、 本気で〈アメリカはなんて親切なのだろ
う〉と、 喜んで飛びついたという。 彼は極秘事
項を漏らしたとして、 一時的に拘束されたこと
がある。
4 人 は 行 き が か り 上 、 B-17 型 「 ス ー パ ー
フォートレス」 に搭乗、 千歳、 京城、 沖縄の国
東京国際空港として返還された直後
羽田空港長時代の中尾純利
内飛行のほか、 朝鮮、 硫黄島、 マニラなどへの
輸送任務に従事した。 彼らは行き先によって、
朝鮮人や中国人、 さらに二世米軍人を名乗らさ
れた。 彼ら4人は第1小隊となり、 第2小隊、
さらに第3小隊まで編成され、 要員も元航空士
から元機関士も集められて、 総勢20名ほどになっ
ていた。
万事が慎重な中尾は、 極秘飛行の事実を、 航
空庁次長をしていた大庭哲夫 (のち全日空社長)
のところへ報告にいった。 すでに第2回生の操
縦士が訓練に入っていたが、 これがキッカケに
なって隠密飛行は中止になったという。 丁度そ
の頃、 昭和27年8月1日に日本航空が誕生した
のである。 隠密飛行事件については、 機会があっ
たら詳しく書いてみたい。
が必要である。 ジェット旅客機時代の到来を、
目前にして、 関係各方面のご理解とご支援を願
う」
2年後の6月30日、 東京国際空港は、 念願の
全面返還となった。
昭 和 27 年 7 月 1 日 、 米 軍 か ら 返 還 さ れ た
HANEDA AIR BASE が東京国際空港として
生まれ変わったとき、 中尾は初代空港長に就任
した。 航空庁長官になっていた大庭哲夫による
人事である。
東京国際空港長になって3年半の昭和31年2
月、 中尾は日本経済新聞紙上に、 「空の玄関番
の願い」 という記事を載せた。 要約すると、
「東京国際空港は今なお米軍との共同使用で
ある。 多くの人は、 米軍の一日も早い立ち退き
を力説するが、 米軍の施設によって空港の機能
は保たれており、 除雪の車両一つにしても、 日
本側にはない。 従って、 完全に日本人の手によっ
て運営していくには、 巨額の予算と人手と技術
中尾のゴルフ好きは有名で、 それも徹底して
いた。 三菱重工に在籍していた頃、 名門、 名古
屋ゴルフ倶楽部和合コースで昭和8年の第1回
クラブ・チャンピオンになったほどである。 と
ころが戦時中であり、 記念のカップは供出して
しまったという。 三菱重工社員のメンバーは30
人くらいで、 ゼロ戦の設計者として有名な堀越
二郎は、 ハンディ14だった。 余談ながら、 和合
コースは昭和3年5月に開場された、 日本でもっ
とも古いゴルフコースの一つであり、 かつて数々
の名勝負が展開された。 今でもシニアゴルフ選
手権や女子選手権などが開催されている。
さらに戦後の中尾は、 名門中の名門、 小金井
カントリー・クラブでも、 ハンディ4で昭和30
年にクラブ・チャンピオンになっている。 しか
し、 この頃から彼は、 胸を患って体調を崩す日
が多くなった。 結核と診断され、 昭和33年10月
16日から療養生活にはいった。 東村山の療養所
に入院、 医師だった長男の純一も加わった医師
団による治療の甲斐もなく、 昭和35年4月26日、
波乱に満ちた生涯を閉じた。 享年57歳だった。
(参考文献 「南国イカロス記・かごしま民間航
空史」 平木国夫著)
2009 MAR
61
◎ 特別寄稿
飛燕巡礼
航空機設計スペシャリスト
1 フライトプラン
きっかけは日本の友人からのメールでした。
最近アメリカのさる人から、“旧飛燕のエンジ
ン 「ハ−40」 に関する技術データの問い合わせ
を受けている。 どうやら太平洋戦争で、 日本の
戦闘機として活躍した飛燕の復元作業が進行し
ているらしい。 しかもその場所はオーストラリ
アのメルボルンに近い Wangaratta という所
らしいが、 ちょっと行ってどんな具合か確かめ
てきてくれないか、”というものでした。
最初の反応は、 (ちょっと) といわれてもこ
の広いオーストラリア、 私の住んでいる所 (ブ
リスベーンの近くです) からメルボルンまでは、
日本で言えば東京から沖縄に飛ぶようなもの、
そう簡単には、 といったものでした。 しかし数
日地図を眺めているうちに、 これなら行けそう
か、 行ってみるのも面白そうだな、 いやこれは
絶対行くべきだ、 に変わりました。 なんと言っ
ても飛燕は私の勤めていた会社の代表作でもあ
り、 あの土井武夫さんの設計した機体ですから。
直線距離にして約620nm。 途中スプリング国
立天文台の有る、 4千 ft 級の山々が連なる所
を東か西に避けるとしても後は平坦地、 ほぼ真っ
直ぐな飛行経路となり、 充分給油無しで行けそ
うです。 (表−1機体概要) ただし6時間を越
える飛行となると、 生理的要求も考慮する必要
があるので、 途中どこかに立ち寄ったほうがよ
さそうです。 オーストラリアで飛行計画を立て
るときには (特に内陸部では) 何処で燃料を入
れるか、 が大変重要です。 飛行場なら大抵の小
さな町にもありますが、 燃料を置いているとこ
62
2009 MAR
増田
浩司
ろはあまりなく、 しかも案内書に燃料有り、 と
なっていても普段は無人で、 管理人を呼び出し
て鍵をあけてもらう方式が多いからです。
筆者の自作愛機
表−1
Jabiru J200 VH-ACZ
VH−ACZ 概要
Jabiru J200
自作機 (エクスペリメンタル
カテゴリー)
グラスファイバー製
二人乗り
自
重
313kg
最大離陸重量
750kg
巡 航 速 度 100∼110kt
燃 料 消 費 15∼18L/H
燃料搭載量
140L
エ ン ジ ン Jabiru 3300
水 平 対 向 6気筒 3300cc 120馬力
1, 2時間待たされたり、 最悪の場合、 今日
は行けないと断られる事が無きにしもあらずな
のです (一度だけですが経験しました)。 今回
は Temora という町に立ち寄る事にしました。
ここは飛行クラブの経営となっているため、 こ
の点多分大丈夫だろう、 と考えたのです。
2 いざ出発
クイーンズランド州の夏季は熱帯性の気候で、
よく雷雲が発生するので、 天気図を眺める日々
が続きましたが、 数日安定した天候が見込まれ
た12月初めに、 いよいよ出かけることにしました。
当日は4時起床、 朝食もそこそこに近くの飛
行場に駆けつけました。 出発を急ぐ理由の一つ
は、 この広大な乾燥大陸の夏季に発生する強烈
な熱上昇気流を、 少しでも避ける事にあります。
何しろ数年前のことですが、 パラセールの国際
大会で練習中の2名が上昇気流によって数万
ft まで吹き上げられ、 一人が死亡、 もう一人
は意識を失い凍傷にかかったものの、 奇跡的に
助かったという事故が発生しています。 もう一
つは、 南の州は夏時間を採用しているので、 現
地到着時間が遅くなってしまうためです。
サンドイッチと水、 後部空間にいつもどおり
テントと寝袋を積み、 セルフの給油所で燃料満
タンとして出発準備が完了しました。
5時半離陸、 静穏な気流の中を順調に飛行。
眼下には、 この時期黄金色の広い麦畑が広がり、
所々コンバインの動いているのが散見されます。
私の機体には簡単な GPS が取り付けてあり、
これで地名を確認しながらの飛行です。 何しろ
オーストラリアの内陸部では参考となる目標物
が少ないうえ、 たとえ地図上に地名が記入されて
いても、 時にはそれが十軒程度の集落の場合も
あったりします。 従って、 あたかも海の上を飛
行しているようなもので、 時々現れる岩礁や島
の名前は、 GPS で確認する以外にないのです。
エンジンは順調に作動しています。 ふと昔見
た 「翼よあれがパリの灯だ」 の一シーンを思い
出しました。 ジェームス・スチュアートふんす
るリンドバーグが、 エンジンの調子を気遣いな
がら、 一体どれだけ順調に爆発を繰り返せばパ
リに着けるか計算するというシーンです。 私も
まねしてやってみました。 2600回転で巡航して
約7時間……。
12個の点火プラグそれぞれが50万回無事に作
動してくれれば、 目的地に着けそうです。 自動
車に乗っているときなら、 点火プラグのことな
ど考えた事もありません。
10時を過ぎるといよいよ上昇気流が発生しま
す。 機体がゆすられ始めて忙しくなってきまし
た。 間もなく最初の着陸予定地の Temora が
見えてきて、 予定通りの飛行経路をたどってい
るようです。 ここは人口5千人程度の、 ちょっ
とした町です。
近づいてみると、 立派なクロスした2本の滑
走路が見え、 その一方は田舎町にしては (失礼)
立派過ぎる2千メートル級です。 ここには航空
博物館があり、 飛行可能なミィーティアなどの
ジェット機もあると聞いていますので、 そのた
めかもしれません。
その長い滑走路の4分の1も使わず着陸して、
長い誘導路を給油所までタキシングして行きま
した。 給油所の前に立ち確認すると、 そこは、
クレジットカード OK、 のカード式の無人スタ
ンドとなっています。 ところがいざカードを差
し込むと、 ID 番号を入力せよと出るのです。
クレジットカードに暗証番号があるとは知りま
せんでした。 誰かに聞こうと飛行クラブまで行っ
たのですが、 そこは鍵がかかっていて、 あたり
に人の気配はありません。 その日がたまたま休
日だったのか、 平日はいつもこうなのかも分り
ません。 どうやらここでの給油はあきらめなく
てはいけないようです。 ともかくも生理現象だ
けは解決したので、 さて次はどうしようかと迷
いました。 燃料補給無しでもいけそうではあり
ますが、 私の機体の燃料計はガラスパイプを透
して液面を見る方式で、 機体姿勢によってもか
なり変わるので、 あまりあてになりません。
こうなると一旦燃料補給と決めていたのを変
更するのも居心地が悪いもので、 少し回り道な
がら WaggaWagga (妙な名前ですが先住民の
付けた名前だと思います) という町に寄り道す
る事に計画変更、 ここの滑走路も立派です。 かっ
て空軍が C-130 を配備していた、 と云う事で
納得。 降りてみてびっくりしたのは、 イナゴの
大群です。 誘導路上にびっしりととまっていて、
機体が近づくと次々と舞い上がってプロペラに
吸い込まれます。 ここにはタービン機の定期便
が入っているのが見えました。 タービンエンジ
2009 MAR
63
ンの鳥衝突試験はありますが、 イナゴ吸い込み
試験など聞いたことがありません。 これだけ大
量のイナゴを吸い込んで、 はたして大丈夫なの
だろうか、 と他人事ながら心配になりました。
ここも無人スタンドのカード方式ですが、 私
の持っている BP カードが使えるので無事給油
完了。 (写真−1) カード式の給油所には、 こ
の他にシェル、 モービルがあるので、 あちこち
飛び回る人はこの3枚を持っていると便利です。
胸高鳴る一瞬!
そこには復元中の飛燕の胴体3基、 主翼1基
そして回収された多数の部品がありました。 ま
さに写真等で見た飛燕そのもので、 胴体のうち
の1基は、 既にあの特徴ある緑色の迷彩塗装が
なされています。 (写真−3)
飛燕は3千機ほどが作られ、 改良によるいく
つかの派生型がありますが、 それらは機銃や装
甲に関するものが主で、 外観上は殆んど変化が
ありません。
BP の無人給油所 (写真−1)
飛燕の胴体 (写真−3)
あとは一路 Wangaratta 目指してラストス
パート。 現地時間の3時少し前に到着、 早速オー
ナーの Griffith 氏に面会を求めました。
Precision Aerospace 社ハンガーと
筆者の愛機 (写真−2)
3 飛 燕
挨拶もそこそこに、 早速工場を案内してもら
いました。 大きなハンガーの中では10種類に近
い機体の復元が進行中で、 雑誌等で馴染みのあ
る第二次世界大戦の戦闘機の姿もあります。 既
に塗装も終わり、 今にも飛びそうな機体から、
まだジュラルミンの地金を光らせた組み立て中
のものまで。 近よって詳細に見学したいのをぐっ
と我慢して、 先ずは飛燕です。
64
2009 MAR
オーナーの Griffith 氏によれば、 これまで
にパプアニューギニアで7機分の飛燕の残骸を
回収した、 とのこと。 現地にはまだ数機の存在
を確認しており、 その1機のコクピットにはパ
イロットが残ったまま、 もっとも 「白骨化して
いるけどね」 とは彼の説明。
これらの機体はヘリコプターで近くまで行っ
た後、 1日ぐらい険しい山の道なき道を歩いて、
ようやくたどりつけるような場所で、 回収は容
易ではないとのこと。 機体の一部は写真 (写真−
4) のように展示されていますが、 大半は分解
して棚に整理されています。
回収された胴体部 (写真−4)
腐食したりして、 そのままでは使えないような
部品でも、 寸法を測って同じ部品を作るのに利
用するので、 大切な資産であるとの事。 電子機
器類 (と言っても無線と照準器程度ですが) は
特別のケースに保管されていました。 (写真−5)
回収された部品の棚 (写真−5)
主翼 (写真−6) は脚柱や一部の金具を除い
て、 新たに作成している模様。 ただし Griffith
氏は、 新たに作る部品もオリジナルの寸法を測っ
て、 その通りに作っており (彼はこれをリバー
スエンジニアリングと表現)、 レプリカとは違
うと強調。 計器類もオリジナルのものをオリジ
ナルどおりに配置しており、 操縦席に座れば、
そのまま60数年前にタイムスリップできるとい
うわけです。
感想ですが、 ここに集められた部品の全てがそ
のようなものでもなさそうです。 例えばエンジ
ン。 これは米軍が技術調査用に押収した物件の
払い下げを受けたもので、 防錆処置を施された
エンジンケースは外に出してあって見ることが
できましたが、 その他の部品はまだコンテナー
に入ったままでした。 彼はこのエンジンを回し
て飛燕を飛ばそう、 と考えているわけですが、
機体の復元に較べると、 こちらの方はそう簡単
ではなさそうで、 そこでオリジナルメーカへの
技術データの問い合わせとなった、 というわけ
です。
第二次世界大戦時のエンジンも欧米メーカー
に関して言えば、 今もその殆んどが何らかの形
で存在しており、 テクニカルデータや補用品の
入手もそれ程困難とは思われません。 この様な
感覚で問い合わされた日本のメーカーも、 さぞ
かし目を白黒させたのではないかと思います。
敗戦と同時に全ての技術資料や補用品は廃却さ
れ、 戦後は新たなメーカーとして発足している
わけですから。
飛燕のエンジンはもともとドイツのダイムラー
ベンツのライセンス生産であり、 こちらの筋か
らエンジンを手に入れる、 という可能性を聞い
たのですが、 彼はあくまでも日本のエンジンに
こだわっているようで、 これもオリジナリティー
の問題のようです。
細かな事ですが、 エンジンを胴体に取り付け
る際の防振ゴム。 何処でどう入手したものか、
綺麗なゴムが既に胴体内のエンジン支持金具に
取り付けられていました。 もし60年も前のもの
だとしたら、 劣化の心配はないのでしょうか。
4 土井さんのこと
飛燕の主翼 (写真−6)
現地に数十年も雨ざらしになっていた部品を
かき集めて組み立てて、 はたして飛行可能な飛
行機ができるものだろうか、 というのが率直な
飛燕の主翼桁を見ていると、 この機体の主任
設計者である土井さんの顔が目に浮かびました。
土井さんは昭和の初期に川崎造船所 (当時) に
入社、 ここで開発された殆んどの機体で指導的
役割を果たされており、 その代表作ともいえる
のがこの飛燕です。 正式名称は3式戦闘機で、
太平洋戦争のはじまった昭和16年12月に初飛行、
2009 MAR
65
その勝れた高速性能により、 翌年から量産が始
まっています。 日本では珍しい液冷式エンジン
を搭載し、 その為ラジエータが胴体下中央部に
あり、 これが特徴的です。 アメリカの P-51 ム
スタングも同じような位置にあるため、 模倣で
はといわれることもあるようですが、 独自の風
洞試験の結果、 ここが最適位置として決められ
たのであって、 偶然の一致だそうです。
土井さんが開発された機体は、 ほぼ全て同じ
方式の主翼桁をその寸法を調整する事により採
用しており、 どんなに厳しい急降下に入れても
主翼はびくともしなかった、 というのが土井さ
んの自慢でした。 確かに丈夫そうな桁で納得で
きます。 (もっとも飛燕が急降下中に音速に達
したことがある、 という話は誰も信じていませ
んでしたが)
飛燕の主翼は左右一体で、 この上に胴体を乗
せる構造となっています。 すぐ隣でライバルで
あるアメリカの戦闘機 P-39 の主翼が組み立て
られていましたが、 こちらは左右別々で胴体に
ピンで組みつける構造で、 整備性と構造強度に
関する考え方の違いとして、 面白い対照だと思
いました。
私は学生時代、 土井さんの特別講義を受けま
した。 丁度 YS-11 の開発中で、 土井さんは装
備品を担当されていたので、 その話が中心でし
た。 YS-11 は戦後初めての旅客機開発で、 戦
前の航空業界を支えた著名な人たちが設計に参
画し、 5人のサムライなどと言われましたが、
土井さんはそのうちの一人です。 しかしこのサ
ムライ達、 戦闘機の設計ともなれば一家言も二
復元中の P39 (写真−7)
66
2009 MAR
家言もある人たちですが、 旅客機の装備には誰
も興味を示さないので、 土井さんが引き受ける
ことにされたそうです。
座席の寸法をどのように決めたか、 という話
では、 これらのデータがない当時、 あらゆる椅
子の寸度を測ってデータを集められたようです。
しかしその方法は、 巻尺を持って測ってあるく
といったものではないのです。 土井さんは自分
の身体の各部の寸法を、 例えば指をいっぱい広
げると何センチ、 といった具合で熟知されてお
り、 座り心地が良いと感じた椅子の寸度を、 身
体を使ってさりげなく測ってメモする、 という
ものだったようです。
私が川崎に入社後は、 顧問をしておられた土
井さんにお会いするたびに、 「今はなにをして
いるかね」 聞かれ、 時には顧問室に引っぱり込
まれて質問を受けたり、 アドバイスをお聞きし
たものです。
口癖は 「君、 設計は ART of Compromise
だよ」。
エンジニアリングの基礎を教えられたような
気がしています。
現役時代は部下に大変厳しかったという話も
伝えられていますが、 その頃はもうその面影も
ありませんでした。 90歳を過ぎるまで顧問とし
て会社に顔を出され、 若い人達からも“土井さ
ん”“ 土井さん”と親しまれていました。
5 復元ビジネス
今回訪問した会社は、 Precision Aerospace
と言い、 復元作業だけを行う会社です。 (写真−
2)
私は、 今まで復元作業といえば博物館か趣味
のグループ、 またはせいぜい整備会社が片隅で
副業として行うもの、 といった程度にしか理解
しておらず、 専門の会社があるのには驚きまし
た。 飛行機の復元だけで会社が成立できるほど
需要が有るのだろうかと気になりますが、
Griffith 氏に言わせると 「需要はある、 むしろ
供給が追いつかないくらいなのだ」 とのこと。
需要に追いつく為には元となる機体が必要で、
この入手が難しいということなのでしょうか。
このビジネスについては聞きたい事は山ほどあっ
たのですが、 初対面である事や職業上の秘密に
属するのでは、 と言う遠慮からあまり質問も出
来ず残念に思っています。
彼はオリジナルにこだわっており、 しきりに
レプリカとは違う、 と云う事を強調します。 レ
プリカとは、 過去の有名な機体を外見はそっく
りで、 新しい材料、 装備品、 技術で作るもので
す。 私などは、 このほうが空を飛ぶという観点
からは、 安全性・信頼性が向上して良いのでは
ないかと思うのですが、 どうやら別の価値観が
あるようです。
それはピカソの絵を精巧に模写して、 複製品
として売り出しても、 本物の値段には遠く及ば
ないということに通じるのかな、 と思います。
日本では収集家といえば絵画か陶器が中心です
が、 珍しい、 または世界に一つしかない飛行機
が手に入るなら、 金に糸目はつけないというお
金持ちの飛行機愛好家が世界には多数いるよう
です。 そしてその値打ちは、 実際に飛べるかど
うかで大きく変わるのです。
もちろん復元作業とは言え、 全ての部品が揃
うわけではないので、 新たに作らねばならない
ものも出てきます。 その場合もオリジナル部品
の計測、 または資料にさかのぼって作成する事
となり、 このためここには N/C (数値制御)
マシーンも備えられていて、 図面化から N/C
データの作成まで全て内部処理されています。
話はそれますが私の住んでいる町では、 年に
一度クラシックカーのお祭りが開かれ、 一体何
処にしまってあったのか、 というほどの車が展
示されます。 クラシックカーは特別のライセン
スプレートが与えられますので、 彼らは全て自
走して集まってくるのです。 そのいっかくに軍
用車のコーナーもあり、 戦車も展示されていま
した (写真−8)。 どのようにしたら戦車が個
人の持ち物とできるのか、 その仕組みは知りま
せんが、 ライフルがどうなっているかと思い砲
身に指を入れて確かめていたら、 持主に見つかっ
てしまいました。 彼はにやりと笑って 「もちろ
ん政府から払い下げられた時には砲身は外され
ていたよ」 と言い、 如何に本物らしく砲身を加
工したか、 という苦労話をひとくさり聞かされ
る破目となりました。
戦車もクラシックカー (写真−8)
飛行機に限らず、 古い機械を保存することに
対する彼らの情熱とこだわりは、 我々の想像を
越えているように思います。
6 あとがき
オーストラリアでは飛燕が好きだ、 と言う人
に結構出会います。 「カイ61を知っている?
俺はあの戦闘機が好きなんだ」 などと言われて、
それが飛燕の型式番号キ−61即ち、 Ki-61 の英
語読みだ、 と云う事に気がつくまでにはしばら
くかかりました。 日本を代表する戦闘機と言え
ば何といってもゼロ戦、 どうしてだろうという
疑問に対して私の思いついた理由は、 オースト
ラリアは日本の陸軍と戦ったのだ、 ということ
です。 飛燕は日本陸軍の戦闘機です。
パプアニューギニアのほぼ中央部の山岳地帯
にココダ (発音には自信がありません) 峠と言
う所があり、 いわばオーストラリア軍の聖地に
なっています。 太平洋戦争当初、 怒涛のごとく
侵攻するする日本軍を、 ここでかろうじてここ
で食い止めたのです。 この峠を越えられれば、
その後はポートモレスビー、 そしてオーストラ
リア本土というドミノ現象に強い恐怖感があっ
たようです。 今でもこの険しい山道を、 先人の
苦労を偲びながら踏破するツアーは、 ココダ詣
でとしてオーストラリア人に人気があり、 しば
2009 MAR
67
しば TV でも取り上げられます。
ここで闘って散った日本の飛燕を回収して、
復元する作業が今オーストラリアで進行してい
るのです。 機体に関しては、 後1年もあれば完
成するそうです。 問題はエンジンで、 不足する
部品、 特に補器類は簡単に作り直す、 というわ
けにはいかないかもしれません。 その場合は代
替品を捜すと言う事になるのでしょう。 しかし
何時の日か、 飛燕が再び大空に舞い上がる事は
間違いない、 と思います。 Griffith 氏は、 初飛
行は俺がやるのだ、 と今から楽しみにしていま
す。 その時は再び Wangaratta を訪れて、 そ
の勇姿を眺めたいと思っています。
なおエンジンに関しては、 その再生に協力す
べく川重の有志のメンバーが資料探しに奮闘し
ている事を付け加えておきます。
=編集委員より=
三式戦闘機 「飛燕」 (キ61) について
川崎航空機で製造、 1941年12月帝国陸軍戦闘
機として正式採用された。 液冷エンジンを装備、
高空性能に優れ、 主にニューギニア方面で B29
爆撃機の要撃目的に配備されたが、 本文中にあ
るように対戦相手はほとんどオーストラリア軍
であったようだ。
派生型として型に4種と改良型、 型、 型
改がある。 (写真は型改) 生産機数は3,159機。
方式:低翼単発単葉単座
エンジン ハ−40 水冷1175馬力
全幅12.00m、 全長8.94m、 翼面積20.00㎡、
自重2630kg、 総重量3470kg、
翼面荷重173.5kg/㎡、
最大速度580kmph、 航続距離1800km、
上昇限度11600m、
武装13mm 銃2丁、 20mm 砲2門
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土井武夫氏のプロフィール
1904生−1996没 92歳
山形市 (現) に生まれる
1927 東京帝国大学 工学部航空学科卒
1927 川崎造船 (現川崎重工業) 入社
ドイツ人技師 リヒャルト・フォー
クト博士に師事
航空機の設計に関わる
主な設計航空機
九二式戦闘機 九五式戦闘機
三式戦闘機 「飛燕」 YS 11 P2J
職歴 川崎重工業技術顧問
名城大学教授
著書 航空機設計50年の回想 (酣灯社刊)
増田浩司氏のプロフィール
1941年満州国奉天市に生まれる (1946年静
岡県島田市に帰国)
1965 名古屋大学航空工学修士卒
1965 川崎重工業に入社 主に航空機空力
設計に従事、 飛行制御関係のチーフ
エンジニア
1993 米国ボーイング社で YSX 開発研究
のグループリーダー
1998 日本航空機開発協会 (JADC) 超音
速機の研究開発グループリーダー
2001 定年退職 オーストラリア ブリス
ベン郊外の町に移住、 飛行家として
自作航空機 「Jabiru」 で飛行を楽し
む毎日
訳本
「テストパイロット C. G. ウィル
ソン著」 (講談社刊) など
大局的見地からの気象解析
B767 機長
蔵岡
賢治
エアラインのパイロットは、 国内のみならず、 日本から東西はアメリカやヨーロッパ、 南は東南
アジアやオーストラリア等々の地球の裏側まで飛行し、 その間地球的規模の大気大循環で引起され
る気象の影響を受けます。
出発の際は、 局地的規模の目的地の気象予報で出発しますが、 その局地的規模の気象も地球的規
模の大気大循環の中で引起されます。 数時間の飛行には、 この地球的規模の見地から経路や局地的
規模の目的地の気象を解析する必要があります。
〈地球規模の大気大循環解析〉
地球的規模の大気大循環や局地的規模の気象を解析するには、 大気が沈降する高気圧や大気が上
昇する低気圧で解析する他に、 寒気・暖気、 つまりお風呂で考えると大気大循環の理解が容易です。
図−①
図−①左、 温帯に属する日本付近では、 秋、 冬、 春にかけ寒気が南下してくる。
お湯の中に水を入れる様なもので、 水 (寒気) はお湯 (暖気) の底に潜り込む。
お湯は上に移動し対流が起こり、 その流れは東よりの風となる。 水 (寒気) の張
出しが強いほどお湯 (暖気) は上昇し強い流れ (Jet 気流) となる事が判る。 大
気大循環で、 上空に移動したお湯は上空を南下し、 亜熱帯の緯度付近で沈降し亜
熱帯高圧帯を形成する。 その亜熱帯高圧帯から北の温帯に移流する下層の地上付
近の大気はコリオリーの力で西寄りの風の偏西風となる。
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お風呂で天気を考えるとは意外ですが、 図−①右、 赤道付近は、 お風呂を温め
る様なもので、 太陽の輻射で暖められた地表付近の大気は高く上昇し、 上空で北
に移流して亜熱帯の緯度付近で沈降し亜熱帯高圧帯を形成します。 その亜熱帯高
圧帯から南の赤道付近に移流する下層の地上付近の大気はコリオリーの力で東寄
りの偏東風 (北東貿易風) となりますね。
図−①右、 概略はその説明で良いと思う。
赤道付近は、 北半球の偏東風 (北東貿易風) と、 同じ理由でふく南半球からの
偏東風 (南東貿易風) の集まる地域で南北の貿易風がぶつかる熱帯収束帯 ITCZ
(Inter Tropical Convergence Zone) と言われ、 赤道付近で集合する大気と、 太
陽の輻射熱で暖められた大気の上昇で対流圏を押上げ Tropopause も高くなり巨
大な積乱雲が形成される。 上昇した大気は、 北半球と南半球に分かれ、 移流した
大気の Tropopause も次第に低くなる。
そうか! 東南アジアを飛ぶ時 ITCZ の位置が重要だ、 との意味が判りました。
日本付近は Jet、 赤道付近は ITCZ ですか! それでは地球規模の大気大循環で
季節の移り変りは太陽の位置も影響するはずです。 長距離を飛行すると風向風速
も変わります。 気象を最初に勉強した時、 コリオリーの力を習いました。 風向風
速でも大気大循環が判ると思うのですが?
図−②
大気循環模式図
図−③
コリオリーの力 (地球規模の風)
地球の低緯度と高緯度は地表面の移動速度が違い
ます。 左図、 速度が速い動く歩道から速度が遅い
動く歩道の真北に Ball を投げると、 Ball は速度が
遅い動く歩道側では、 前方 (東方向) に飛びます。
逆に、 右図、 速度が遅い動く歩道から速度が速い
動く歩道の真南に Ball を投げると、 Ball は速度が
速い動く歩道側では、 後方 (西方向) に飛びます。
高緯度や低緯度に吹く大気大循環の風も同じです。
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図−②、 地球規模の大気大循環も、 身近なお風呂規模の対流循環で理解すれば
掴み易くなる。 身近な気象は対流圏で起こり、 成層圏との境は気温で高さが変わ
る。 北半球の夏は、 太陽が黄道北緯23度付近 (23.4度) まで上がり直下の地表面
を温める。 亜熱帯高圧帯が日本付近になり高気圧に覆われ天気の良い暑い日が続
く。 黄道が南半球に移動すると北半球は冬になる。
図−③、 地球規模の大気大循環で吹く風は、 図−②と図−③コリオリーの力で
偏西風や偏東風 (貿易風) となる。 つまり、 大気大循環の大気が低緯度に移動す
るか、 高緯度に移動するか、 で風向が変わる。 低緯度の高高度では風が弱くても
揺れる場合がある。 過去、 経験的だが、 高層の大気循環の弱い風と積乱雲の Top
から吹きだす風が混じり温度も変化したので、 積乱雲 Top の高度から降下し熱
気の中に入って揺れなくなった事もあった。
〈局地的規模の気象解析〉
図−④は、 日本付近の大局的気象解析に役立つ FBJP です。 この図は関東地方の Turbulence で
負傷事故が発生しました。 真っ先に地上天気図に飛びつくのではなく、 先ず大局的に気象概況を掴
む事が重要です。
図−④
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今掲示してある、 または発行されている天気図で FBJP 等は気象を概略だが
大局的に掴み易い。 先ず FBJP の例だけで、 概略、 自己解析してみる。
関東の東に低気圧があり複数の Jet 気流が存在し、 その高度も異なり途切れて
いる。 西日本に伸びている寒冷前線の南下速度と日本の東海上にある温暖前線の
北上速度はかなり大きく、 低気圧は急激に発達するだろう。
西日本にある2本の Jet 気流は、 第一波で南下した寒気により FL370 180kts
の Jet 気流が形成され、 第二波で南下した、 より低温の寒気が FL290 140kts の
低い Jet 気流を形成している。 二つの Jet 気流は関東付近で接近し、 寒気と暖気
が入り混じり低気圧で発達した雲もあり要注意の空域と言える。
東北地方の東海上と北海道にある2本の Jet 気流は、 寒気が南下してできた、
と言うより猛烈な暖気北上に伴いできた、 と推測され、 0℃Line が大きく湾曲
し、 Jet の湾曲も逆になり小さい。 この日は、 関東・東北・北海道の上空で寒気
南下、 暖気北上に伴う大きな温度変化と風速変化が読み取れる。
確かに、 この天気図では大局的に地上と高層までの気象が掴めますね。
気象解析で、 出発空港の Takeoff 時の気象は今見える気象からおおよそ推測
できます。 しかし Landing 時の気象は現況や予報に頼らざるを得ません。
従って、 ついつい真っ先に地上天気図に飛びつきますが、 それだけでは地上や
高層を含む大局的な気象解析は難しいものがあります。 先ず大局的見地で読取れ
る天気図から、 地上や高層の気象を Image し移り変り等を掴んで、 地上天気図
や高層天気図を読み気象解析をする、 と言うことですね!
〈Jet 気流の気象解析〉
図−⑤
※Jet 軸は暖気側に存在する
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大気大循環の中で述べたが、 日本がどっぷりと暖気の中に浸かる夏を除けば秋・
冬・春や梅雨期に日本上空に現れる Jet 気流を Image する事は重要だ。
図−⑤はその模式図で、 Jet 気流の何処を飛ぶか? Pilot によっても異なる。
図では東京から福岡の Flight で、 風が強い Jet 軸の上を飛んでいる。
Climb では強い風の Jet 軸を突っ切り、 風が弱くなる Tropopause 付近を
Cruise して、 Descent では再び Jet 軸を突っ切って降下する事になる。
Pilot によっては風が強くなる Jet 軸の下方を飛ぶ場合もある。
何れを飛ぶか? は大局的見地から、 時間や燃料などを考え効率的な飛び方をす
るだろう。 最近 FMC が装備された機材が多くなっているが、 出発前に高度毎の
風 (Wind Aloft) を入れ計算させ効率的な高度を探っても良い。
日本からアメリカやヨーロッパの東西に飛ぶ場合も Jet 気流の位置や高度が重
要になってくる。 Jet 気流に沿って飛ぶ場合は、 図−⑤の模式図の Image を参
考に、 その時の高度や位置の気象や大気を考えて欲しい。
気象は大局的見地から掴む、 と言う事が理解できた様に思います?
出発前に、 大局的に地上と高層まで気象が掴める天気図を先ず見よ! ですか。
加えて、 過去、 Pilot 誌に気象委員会から出された気象解析の詳しい説明を参考
にして地上や高層の天気図で考えれば良い訳ですね。
〈最後に〉
Flight 全体の Management は大局的見地から行なう事が求められ、 機長になる訓練でも重要な
課題です。
気象解析も、 Landing 出来るか否か? だけに飛びつく、 或いは、 気象解析もせず、 揺れた?
揺れない? 等に飛びつく様な近視眼的な解析ではなく、 なぜ揺れるのか? 今後の気象の推移は?
等々、 飛ぶ経路を含む大局的な立体的な Image や見地から気象解析をして下さい。
お客様に安全で快適な運航を提供するのが、 我々エアライン・パイロットの責務です。 気象につ
いては、 大局的かつ立体的な見地から気象を解析し、 予測されるリスクを考え、 先手先手で、 リス
クを回避することが重要です。
毎日のフライトでの気象分析を習慣化し、 事後解析はいくらでもできますが、 Flight 前の事前
解析で気象のリスクが読めるパイロットになるよう、 常に気象に関心を持ちたいものです。
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連
載
I Aviation
―アメリカの空から想う―
第5回
ピンクに秘めた私の気持ち
Horizon Airlines
なんだか、 今日の Santa Barbara 空港はや
けに忙しそう! 管制塔からそんな雰囲気は感
じられなかったのに、 いつもより Ramp に人
が沢山います。
私がよく来るこの閑散として、 こじんまりと
した、 メキシコ風のおしゃれな建物がターミナ
ルとなっているサンタバーバラ空港に、 いつに
なく緊迫感が漂っているな、 とタクシーしなが
ら思っていました。
実はここ、 サンタバーバラはアメリカのお金
持ちが居住し、 数多くのジェネアビとビジネス
ジェットのベースになっています。
豪邸が並ぶ上空を通過してアプローチ体勢に
入るとき、 他の空港の場合よりも騒音や高度に
気を配ります。
初めてこの空港に行き、 アプローチ態勢に入っ
た時、 海に面して聳え立っている沢山の豪邸を
見て、 その壮大さに感動しました。 豪邸と言う
よりお城と言った方がいいかもしれません。
小さなローカルの飛行場。
滑走路からタクシーしてターミナルまで、 い
Santa Barbara 空港のターミナル
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2009 MAR
青木
美和
くらも時間はかかりません。 タワーとグランド
の管制官は同じ人が受け持っています=つまり
持ち場を歩いて移動する、 よくあります。
いつものスポットと言っても、 右の方にはす
ぐにジェネアビの飛行機たちが留っているよう
な所に機体をゆっくり誘導させて入る最中、 ど
うも右側のジェネアビの方が騒がしい様子に気
づきました。
キャプテンはゆっくりと、 いつもの場所へ機
体を止め、 私に Parking CheckList をするよ
うに指示します。
ラジャー、 と言いながら右窓に引っ掛けてお
いたチェックリストを取ろうと、 右に視線をず
らした時でした。 外にボディガードらしき人達
にエスコートされ、 女性が飛行機に乗り込もう
としています。 知り合いなのか、 何人かのお付
きの人に Hug & Kiss をした後、 ボディガー
ドと一緒に乗り込んで行きました。
カリフォルニア、 サンタバーバラ空港:こじんまり
としているがとってもチャーミングでアットホーム
な雰囲気を醸し出すターミナル。
一瞬、 この出来事に見入ってしまった私は、
いつもより Parking CheckList を進行するの
が少し遅れてしまっているのにすぐ気付き、 我
に返りチェックリストを進行させました。
エンジンを止め、 乗客を降ろし、 機内の清掃
を済ませようとしていた時、 現地のおしゃべり
好きそうな Ramper が機内に入ってきてこう
言 い ま す 。“ Do you guys know Selina
Williams? Her airplane will be parking next
to you in a moment.”Selina Williams とい
えば、 テニスが好きな人なら誰でも知っている
有名なテニスプレーヤー。 あんまりテニスを見
ない私でさえ、 彼女のファッションセンスから
始まり、 そのバイタリティーあふれる存在は、
アメリカのメディアをいつも騒がせているので、
よく知っています。 私たちも、 ついミーハー気
分で外へ出ました。 ランプに下りると、 やはり
いつもよりも人が多くいます。 セキュリティー
の為に人が多いのか、 私たちの様に Ramper
にミーハーが多いのか、 区別はつきません。 滑
走路の向こう側にある格納庫から、 彼女の飛行
機がゆっくりとこちらへ Taxi してきます。 さ
すが自己主張派の Selina だ! 飛行機に大き
く“Selina”と格好良くペイントされています。
青と黄色で塗装された機体は、 航空会社の機体
顔負けの派手さだ! 私は見ていたい気持ちを
抑え、 キャプテンに頼まれていた Dispatch の
紙を取りに行きました。
紙をくれた人に、 さっきも隣に VIP な感じ
の人が飛行機に乗り込んで行くのを見たよ!
と言ったら、 すかさず彼女は“あれは有名な
私達クルーは、“著名人の飛行機見たさ”についラ
ンプへ降りて見物客となってしまった。 お恥ずかし
い…… (笑)
サンタバーバラ空港の風見飛行機!?
これも地元の Artist が手がけたも
のだそうだ。 アットホーム!
Oprah (女性 TV パーソナリティ) よ! もち
ろんあなた Oprah 知ってるでしょ!”とウイ
ンクしながら言います。
え? アノ有名な Oprah? どうりで沢山
の人で囲まれていたわけだ! 何気なく近くに
いた有名人の存在に、 私はなぜか急に自分がミー
ハーだった事に改めて気付きました。 そして、
はやくクルーの元に帰って、 さっき隣に待機し
ていた飛行機は Oprah で、 そして彼女の自家
用機だった事を教えてあげたい気持ちでした。
その後、 Selina が登場 (笑) するまで、 私
たちは乗客を迎え入れ、 Santa Barbara を後
にしました。 ちょっとしたジェネアビでの出来
事でも、 私達エアラインの仕事をしている者に
とって新鮮な感じです。
アメリカはジェネアビがとっても盛ん。 私自
身もジェネアビの世界に、 とっても長い間身を
置いていました。 忘れかけていたジェネアビ、
そして何よりビジネスジェットの世界を久々に
新鮮に感じ、 思い出にふける一日となりました。
私のジェネアビ経験は、 自分のトレーニング
から始まり、 CFI としての7年間、 そしてビジ
ネスジェットの経験を2年ほどしているので、
私は証明書付のジェネアビパイロットと言って
2009 MAR
75
よいでしょう。 ジェネアビ時代、 もちろんトレー
ニング期間や CFI としての経験を含み、 私に
とって掛け替えのない勉強をさせてもらった期
間でした。 そして、 何よりも思い出に残ってい
る経験と言えば、 コーポレイトパイロットとし
て、 ビジネスジェットで飛んでいた時の経験か
もしれません。
私とビジネスジェットの世界との始まりは、
奨学金から始まります。 ここでちょっと遠回り
になってしまいますが、 当時私の置かれていた
環境について少し説明しようと思います。
当時の私は、 CFI としてあまりにも長すぎる
時間を過ごしていました。 私のゴールはエアラ
インのパイロット! 教官になる気などさらさ
らなかった私は、 アメリカでのパイロットとし
てのキャリアを積む最初の仕事は CFI、 だとは
知らなかったんです。 最初は1年ほど CFI を
し、 タイムをためてステップアップし、 エアラ
インに進めるはずだったんです。 ところが、
2001年9月11日にあのテロが起きてしまいます。
航空業界に最悪の衝撃をもたらす事となってし
まいました。 ただでさえ、 外国人としてアメリ
カのエアライン (Part 121) で働く事は色々と
大変なのに、 TSA (アメリカ運輸保安局) が
生まれ、 新たな規制が始まってしまったんです。
アメリカのエアラインに就職するには労働許
可書が必要なんですが、 テロ事件の後、 一気に
仕事を失ったアメリカ人のパイロットを差し置
いて、 私達外国人パイロットを雇うはずなどあ
りません。 すべての航空会社は、 労働許可書=
ビザのサポートを行っていないんです。 当時、
私の頭痛の種は、 住民権の獲得だったんです。
CFI を始めて1年が経ち2年が経ち、 時ばかり
流れても、 無情にも住民権はおりません。
CFI6年目の時、 自分はやる気のない最悪の
教官である、 という事に気付きました。 生徒に
は夢希望を語りかけながら教えている反面、 自
分はただ毎日仕事だけこなし、 何にも挑戦して
いなかったんです。 昔、 パイロットになる事を
夢見て、 張り切って毎日トレーニングに明け暮
れていた頃の自分を懐かしんでいました。
そこで、 私は思い立ったんです! 今、 自分
76
2009 MAR
に挑戦できる事はないのか? ほとんどの免許
を取ってしまっていた私ですが、 まだ持ってい
ない免許はたくさんあります。 例えば、 水上機
の免許、 グライダーの免許、 Tail Wheel の免
許、 アクロバティックの免許!と色々考えまし
た。 中でも、 水上機の免許はとっても魅力的で
した。 週末の3日間をかければ、 近くの湖で取
得できます。 ただ一つ難点が。 当時の私は毎月、
生活する分の収入しかなかった為、 貯金がなかっ
たんです。 やる気と意欲に満ち溢れていました
が、 実際は経済的な面で、 その希望も断念する
しかありませんでした。
しかし、 私は考えました。 当時、 私の妹はア
メリカの大学院に行く為、 奨学金受験の準備を
していました。 大学入学に奨学金制度があるの
なら、 Aviation の世界にも奨学金で免許を取
れる大きなサポートシステムがあっても良いで
はないか? その日から私は、 インターネット
や多くの人々に尋ね、 奨学金を受け、 免許を無
料で取れないものかと調べてみたのです。 奨学
金なら自分で費用を負担しなくても良い、 とい
う事実に私は、 どこからともなく出る意欲にか
き立たれ、 情報を集めました。
調べるうちに、 世の中には幾つもの奨学金制
度のあるのに驚きました。“なんて心が寛大な
のだろう?”と$500から$30,000まで広がる
大学の卒業式で
各種の奨学金の内容を読みながら、 Aviaion に
対する、 アメリカのサポートシステムの偉大さ
に感動しました。 私はその中の一つに目を留め
ます。“Women in Aviation Internation”が
設けている奨学金制度の一つで、 Cessna 社が
サポートしているものでした。 内容は“Cessna
Citaion Encore Business Jet Type Rating
Full Scholarship”でした。 奨学金は$18,000。
ただで、 Encore の Type Rating を取らせてく
ださると言うものだ! 多発の免許は持ってい
るものの、 Jet は持ってない私。 Type Rating
という言葉に少しわくわくしながら、 チャレン
ジしてみたいと思いました。
その瞬間まで Business Jet の世界をほとん
ど知らなかった私は、 その時初めて、 Business
Jet の世界の門を真剣に叩いてみよう、 という
事になったんです。
多くの審査をこなし、 私は$18,000のお金を
得る事ができました。 さすがにこの時ばかりは、
自分でもびっくりしました。 何せ、 私は外国人!
少なくともそういう扱いをされてきたアメリカ
生活の中で、 Cessna 社は外人の私に投資をし
てくれたんです。 (奨学金を得るまでのとって
も長い過程と Cessna Encore のトレーニング
に関するストーリーは、 又次回に話させてもら
う事にしましょう)
私の Corporate Pilot としてのキャリアは、
言うまでもなく Cessna Encore で始まった。
場所はかの有名な Boeing Field (KBFI)。
セスナ社からビジネスジェットタイプレートの奨学
金授賞式にて。 周りはセスナ社の女性職員。
KBFI はシアトルで一番の離着陸を持つジェネ
アビの主要空港。 Star Bucks や Costco、 それ
に Microsoft などの大企業が自家用飛行機を
待機させています。
私はシアトル郊外に本社を構える、 ある会社
の所有する Encore の飛行機のパイロットにな
りました。 と言っても一機の飛行機に2人のキャ
プテンと4人のコーパイを抱えている為、 出番
はローテーションで回ってきます。 それでも、
私にとっては喜ばしい機会でした。
ビジネスジェットの世界も色々で、 私のよう
に個人の会社専用機を、 必要な時だけ飛ばすも
のもあれば、 大会社 Netjet などは、 ほとんど
Airline と変わらないスケジュールを持つ会社
もあります。 スケジュール以上に違うのは、 そ
れぞれの会社の社風だ、 と思います。
この世界に入って、 色々なパイロットと話し
ますが、 やはり会社によって飛行機の用途も違
えば、 パイロットに対する扱いも違います。
ある会社は、 会社に関連した行事にしか使用
せず、 個人の用事には使わないとか、 私の雇用
主のように、 自分の好きな時に好きなように使
用する、 いわば私用重視の会社もあります。
私の乗せる乗客は、 70%がオーナーとオーナー
の家族親戚! 孫息子の彼女を大学のある町ま
でお出迎え! なんていうのもありました。
30%は VIP のカスタマーや取引先の方々。 太っ
腹にも、 ある時は近所の方のリクエストまで聞
いていました (笑)。
私の任務は様々でした。 副操縦士としての任
務のほかに、 まずは飛行機の管理から始まりま
ビジネスジェット
Cessna Encore
2009 MAR
77
す。 掃除からケータリングの手配、 レンタカー
の確認。 熱々のコーヒーを入れ、 朝一番の新聞
を取りに行きます。
乗客のニーズに答え、 色々な気配りをし、 好
みのワインを選びます。 はじめ、 ワインの知識
の無かった私は、 赤も白もお構いなしにクーラー
ボックスの中で冷やしてしまったんです。 社長
は、 いやみ一つ言わなかったものの、 思い出し
てみると、 赤ワインが好きなはずなのに白ばか
り飲んでいた気がします。 キャプテンから怒ら
れ、 赤ワインは冷やさないという事を知らなかっ
た無知な自分を恥じました。 この時の経験で、
やけにワインに詳しくなったんです (笑)。 会
話も、 今までに経験した事のないような分野の
会話が飛び交います。 Business トークが主だ
が、 スポーツの結果から政治の事まで幅広く。
私などの意見なんか聞かれない、 と思いきや、
ばしばし意見を聞かれます。 おかげで、 世間知
らずだった私に新聞を読む習慣がつきました。
オーナーはアイダホ州 Sun Valley に牧場を
持っている為、 シアトルから週末、 よくアイダ
ホまで通います。 Sun Valley は避暑地とは聞
いていましたが、 たかが田舎のアイダホ!とた
かをくくっていました。
KSUN (Sun Valley) はとっても小さい飛
行場で、 谷底に位置しており、 周りを絶壁の山々
が囲んでいます。 GPS なしでは中々見つける
事のできないこの飛行場は、 不慣れなパイロッ
トは IFR で飛ぶ事ができません。 実際に、 ア
プローチチャートにも、 不慣れなパイロットは
IFR を控えるように、 と書いてあります。 毎
週のように行くキャプテンの指導のおかげで、
私はそう苦労もせずに行き方を覚える事ができ
ました。 始めて降り立ったその空港は、 私が思っ
ていた小さな山の中にある空港とは180度違っ
ていました。
滑走路は一本ですが、 降り立った瞬間、 眼に
飛び込んできた光景はすさまじいものがありま
した。 今までに見た事もない数のビジネスジェッ
ト (小さいものから大きいものまで) が、 ぎっ
しりと狭いランプにひしめいています。 KBFI
でも、 こんなに沢山のビジネスジェットは見た
78
2009 MAR
事はありません。
なんなの! ここは? キャプテンは、“こ
このパーキングはコツがいるから、 やり方を見
ておきなさい”と言います。
私は“開いた口が塞がらない”とは、 こうい
うことを言うんだ、 と思いました。
ランパーに誘導されたにもかかわらず、 キャ
プテンはランパーのやり方に不満なのか文句を
言いながら、“ここはいつも場所がないんだ!
すれすれでタクシーするので、 他の飛行機を傷
つけないようにゆっくりと! でもいったんス
ローダウンしてしまうと、 エンジンを吹かすの
は無理だから! なぜなら他の飛行機にエンジ
ンの Wake が届いてしまうからね!”と教え
てくれました。“Incredible! すごすぎる!”
とつぶやく私! アイダホの小さい空港ならきっ
と簡単なフライトだろう、 と今朝たかをくくっ
ていた自分を後悔し、 緊張とこれからビジネス
パイロットとしてこのような場所に頻繁に行く
事になるだろう、 と与えられる責任感に汗だく
だくとなっていました。
Sun Valley に行くようになって少し経つと、
ここがどのようなところかよーく分かります。
ただの避暑地はありません。 全米のお金持ち
達の、 由緒ある避暑地なのだ! 夏は涼しく、
冬は上等の雪が降り、 スキーリゾートにはもっ
てこいの場所。 ハリウッドのスターたちが都会
の慌しさから離れて、 ひっそりとここで休養す
る場所でもあるらしい。
ひしめく豪華な飛行機を始め、 ターミナルも
すばらしい。 カントリー風のログハウスで出来
たターミナルの中は、 豪華なインテリアで飾ら
れています。 私自身、 あまり好きではないんで
すが、 あちらこちらに立派な動物たちの頭が壁
に掛けられ、 訪れた人、 特に狩人達の血を騒が
せているようです。
大きな暖炉がロビー中心部にあり、 立派なソ
ファーが囲んでいます。 雑誌も高級品専門の雑
誌や、 ビジネスウィークリーばかりで、 私が日
ごろ読む様なものは何一つ置いてありません。
トイレも、 女性に必要な物が一式そろってい
て、 小さなビンに持ち帰り用なのか“香水”も
籠にあふれんばかりに置いてあります。
何もかもが新しい経験でした。
ある時、 いつもの様に Sun Valley の空港に
飛行機をパーキングさせ、 スキーを楽しみに来
たお客様を降ろし、 レンタカーを機体の横に付
けてもらい、 スキーの道具を運び込んでいた時
のことです。 私は両肩に、 重く背丈の長いスキー
道具を担いで運んでいたところ、 隣の飛行機か
ら降りて来た女性にこう言われました。“そん
な重い荷物は男性にやってもらいなさい! フ
ライトアテンダントのする事ではないわよ!”
そう言ってサングラスを少し下に下げ、 片目で
ウインクし歩き去って行きます。
真っ黒い長い髪を揺さぶり、 片手に飲料水を
持ち、 スニーカーにヨガパンツの姿は、 私たち
が自動車でヨガのスタジオに通うように、 彼女
も飛行機を使って、 ヨガの教室に通っているよ
うな雰囲気さえ漂わせている人でした。
もちろんこれは私の空想で、 彼女がヨガに来
ているとは思えませんが! (笑) そして、 親切
にも、 近くの Ramp Agent に“フライトアテ
ンダントにあんな重労働させちゃだめでしょ!
手伝ってあげてよ!”と言ってくれたんです。
私は、 その Ramp Agent をよく知っている
ので、 すかさずその女性に“違うんです! こ
れが私の仕事ですから! 私パイロットですか
ら!”と言いました。
歩き去ろうとしている彼女は一瞬振り返って
立ち止まり“ほんとう? それはごめんなさい
ね! 勘違いしてしまって! すごいわ! あ
なた! パイロットなんて! かっこいい!
私もいつか飛行機飛ばしてみたいのよ! お仕
事がんばってね!”と言って立ち去りました。
私のことをよく知っている Ramp Agent の
おじさんに私は“フライトアテンダントに間違
えられるのはいつもの事よ!”と言ってウイン
クして見せました。
彼は近寄ってきて“いつも手伝うって言うの
に、 美和は自分でやるって言うからさ! 今日
も見守っていただけなんだ、 ごめん!”と言っ
てくれました。
実際に、 私はこの仕事を始めて、 男性の手助
けを断るようにしていたんです。 女性だから、
と言って出来ないと思われたくなかった、 私な
りの意地でもあるんです。
そして彼はこうも付け足しました!“彼女、
誰か知ってるかい? デミムーアだよ”
“え?!”
私はとっさに振りかえって、 彼女の姿を探しま
したが、 もう見えません。
彼女はここ Sun Valley に家を持ち、 子育て
をしているらしい。“初めてアメリカの俳優さ
んと会話しちゃった! それもデミムーアよ!”
と言うまでもなく、 お調子者の私は会話ともい
えない彼女との出会いを、 友達、 家族、 同僚に
自慢しました! (笑)
この仕事を始めて色々な事を学びました。
先ほど話したように、 会話術からワインの選
び方まで、 実に幅広いんです。 その中でも最も
重視したのは、 カスタマーサービスです。
私のキャプテンは、 オーナーから100%の信
頼を得ていました。 このキャプテンに学んだこ
と、 聞いたこと、 話したことはここだけの話に
留めること。 そして、 この飛行機は自分の飛行
機だ、 と思って大切にすること。 そして何より、
自分に出来る最善の気配りをすること。
あーそうそう! これは大切! とキャプテ
ンは付け加えました。 オーナーはワインにうる
さい。 だから、 ワインの選択は値段にかかわら
ず、 良い物しか置かないこと。
私は彼の元で、 ビジネスジェットの世界を少
しずつ学び始めました。 仕事にも少しずつ慣れ
てきた頃、 いつも旦那様に付き添って来られる
奥様達がこのようなコメントを残しました。
“自家用機もいいけど、 普通のエアラインの
ファーストクラスに乗れば、 フライトアテンダ
ントにお酒をサーブしてもらえるし、 可愛い航
空会社ならではの食器とかも見られて楽しいの
にねー”と! 私からすれば、 あまりにも贅沢
な愚痴ではないか?と心では思っていました。
しかし同時に、 私にも出来る、 良いカスタマー
サービスのアイデアが浮かんだんです!
それはピンクの花柄のナプキンから始まり、
機内にはミモサも用意しました。 ミモサは、 男
の人が好んで飲むようなものではないので、 女
2009 MAR
79
性の為に準備した一品です。 ケータリングも、
女性らしく淡いピンクの色でまとめ、 雑誌もビ
ジネスウィークリーに付け足し、 女性雑誌も用
意しました。
Encore は小型のビジネスジェットなので、
約9人も乗ればキャビンは満席です。 フライト
アテンダントを同乗させるスペースなどありま
せん。 男性陣はいつものように仕事の話などで
盛り上がり、 ワインを片手に会話に熱中! そ
の傍ら、 女性人たちはつまらなそうに見えます。
こんなわけで、 いつも男性中心のキャビンの
中に、 初めて花を添えてみました。 私なりの気
配りだったんです。 その日、 キャビンに乗り込
む男性オーナー達に、 私はギャグのつもりでピ
ンクは好きですか?と聞いてみました。 キャプ
テンは、 美和が又何かたくらんでいるよ!とオー
ナー達に警告していました。
それもそうだ! いつものように自分の飛行
機に乗り込んだら、 すべてがピンクで飾られて
いたとしたら、 びっくりするだろう! (笑) や
りすぎるなよ!とのキャプテンの忠告に忠実に
従い、 淡いピンクで品のある色を選んだつもり
でした。 女性陣が最初に機内へ入ってきました。
私は張りきって“Welcome!”といって迎えま
す。“わーすごい! 今日はどうしちゃった
の?”と目を輝やせながら乗り込んでくる3人
の女性達は、 いったんキャビンの外に出ると、
だんな様達に手を振って“今日は女性貸切でス
パにでも行って来るわ!”なんて叫んでいまし
た。 とにかく、 うれしそうでした。 もちろん、
私も。 初めて、 彼女たちは会話に花を咲かせて
いました。 男性陣は案の定、 ナプキンの色より
ビジネストークに忙しそうでした。
フライトが終わった後、 オーナーから小切手
を渡されました。“よくやった! これからも
よろしく! っと!”私は手のひらに握らされ
た小切手を見てびっくり。 キャプテンに、 これ
はどういう意味ですか?と世間知らずの私は聞
く。“美和! それは Tip だよ! 貰っとくが
いい!”“えー! こんなにも?”初めて、 パ
イロットとして Tip を頂きました。 今朝、 正
直言ってやりすぎで、 オーナーからお叱りを頂
80
2009 MAR
くかも、 と内心不安だったんです。 そんな心に、
“私に出来るカスタマーサービス”の基本をそ
の時改めて確信し、 自信が持てました。
私が航空関係に身をおいて、 もう13年も経ち
ます。 色んな事を Aviation から学んできまし
た。 フライトのトレーニングはもちろんの事、
それ以外に学んだ事の方が多いのではないか、
と思います。
パイロットに求められている事は沢山ありす
ぎて、 リスト化できないように思えます。 その
中でも、 エアラインのパイロットして働くよう
になってから、 心に問いかける事がありました。
それは、“私に出来る、 空の上でのカスタマー
サービスとは何か?”コックピットにこもりっ
きりで、 乗客との接点は全くありません。 唯一
つ言えるとすれば、 PA をする時、 私は初めて
乗客に自分の存在をアピールできるんです。
PA に賭ける私の思いには、 すごいものがあり
ます。 声の質にも気遣います。 長くもなく短く
もなく、 うるさくなく、 しかも聞きやすい PA
が出来るように練習するんです。 キャプテンに
しばしば“考えすぎ! 乗客はそんなに真剣に
聴いてないよ!”と言われたこともあります。
自分に出来るカスタマーサービス! そう私
はあの時“ピンクに秘めた私の気持ち”ジェネ
アビ時代に培ったカスタマー精神を忘れないよ
うにしよう、 と日々心がける毎日なのです。
ビジネスジェットの女性パイロット達と NBAA で
会食! 彼女達はアメリカで女性ビジネスジェット
パイロットのパイオニアとして活躍している。
「空を愛する女性たちを励ます賞」
表彰式と懇親会
社団法人日本女性航空協会 理事長 鐘尾 みや子
2008年11月26日、 社団法人日本女性航空協会
「第12回 空を愛する女性達を励ます賞」 の表彰
式と懇親会が、 東京赤坂アークヒルズ ANA イ
ンターコンチネンタルホテル東京において行わ
れ、 今年は 「航空行政の現場およびジェネラル
アビエーションで活躍する女性たち」 をテーマ
に、 5名の方が表彰されました。
受賞者の方々
(高山) (阿部) (小野寺) (小田嶋) (浦松) (平田)
社団法人日本女性航空協会 「空を愛する女性
たちを励ます賞」 は、 協会創立45年を記念し、
「空への夢と希望をもって活躍している 空を
愛する女性たち を広く社会に知っていただく
とともに、 同じ道を志す女性たちの指標となっ
ていただこう」 という目的で1997年に設定され
たもので、 毎年、 特定のテーマを決めて候補者
を選び、 外部の方々で構成されている選定委員
会で最終的な受賞者が選ばれることになってい
ます。 これまでに受賞された方々は、 自衛隊、
海上保安庁、 警視庁などのパイロットや整備士、
各航空会社の整備士、 航空管制官、 宇宙航空産
業に携わる女性エンジニアや航空工学研究者、
各航空会社のベテランの女性キャビンアテンダ
ントや各空港のグランドスタッフ、 ドクターヘ
リに乗務する医師、 ツアーコンダクターなどさ
まざまな職種におよび、 いずれもその分野のパ
イオニアとして活躍されていることが評価され
ました。
今回は 「航空行政の現場およびジェネラルア
ビエーションで活躍する女性たち」 をテーマに、
国土交通省から平田律子さん (東京航空局航空
機検査官)、 浦松香津子さん [大阪航空局運航
審査官 (航空従事者試験官併任)]、 ジェネラル
アビエーションの分野において航空機操縦訓練
教育に携わり、 長年にわたり多くのパイロット
を育ててきた、 小田嶋良さん (本田航空運航部
飛行機訓練課)、 小野寺直美さん (日本モーター
グライダークラブ)、 阿部紀子さん (アイベッ
クスアビエイション運航部) の5人が選ばれ、
また、 選定委員会特別賞として、 角川映画 「空
へ―救いの翼」 に主演した女優の高山侑子さん
が選ばれました。
国土交通省から2名の受賞者、 そしてジェネ
ラルアビエーションの分野におけるベテラン教
官3名の受賞者ということで、 国土交通省から
は航空局長:前田隆平様、 航空局技術部長:宮
下徹様、 航空局技術部運航課長:冨田博明様、
東京航空局次長:四戸美津夫様、 東京航空局大
田区駐在航空機検査官室航空機検査長:宮崎武
次様、 東京航空局保安部航空機検査官室先任航
空機検査官:河野芳克様が来賓として出席され、
2009 MAR
81
前田隆平航空局長より、 当協会が1952年創立と
いう歴史があり航空業界唯一の女性のための公
益法人であることから、 ある意味で女性の進出
が早かったともいえ、 また、 空の仕事というと、
一般の方には華やかに見えるかもしれないが実
際には苦労も厳しい面も多く安全の確保という
重大な責務を負った仕事であり、 そういう面で
も本日表彰された方々に敬意を表したい、 とい
う趣旨のご挨拶をいただきました。
前田隆平航空局長のご挨拶
続いて、 選定委員会選定委員長山本雄二郎様
より、 受賞者の紹介と次のような受賞選定の経
緯が紹介されました。
「平田律子様は小さい時からの夢を果たされ、
今では3人のお子様も育てられた。 女性として
ご苦労も多かったと思いますが、 家庭と仕事も
両立を含め立派な業績を残された方だという点
が非常に高く評価されました。 浦松香津子様は、
民間で15年ほどパイロットの経験があり、 国土
交通省に入ってからは試験官として学科・実地
の試験も担当されているそうです。 自分が操縦
を教えたかつての受験生が一人前の立派なパイ
ロットになって胸が熱くなった、 というお話を
伺い、 こういった方がいらしてパイロットが育っ
ていくのだなという点が評価されました。
ジェネラルアビエーションの分野では小田嶋
良様、 総飛行時間9,175時間と伺っております。
航空大学校のご出身だそうですが、 当時エアラ
インでは女性のパイロットの採用はなく、 ジェ
ネラルアビエーションの分野に入り遊覧飛行、
写真撮影など固有の業務に当たられています。
82
2009 MAR
お客様が大変満足されているのを見て充実感を
覚えるという、 さすがにプロです。 小野寺直美
様は、 事務職として入られ、 資格をとり、 最初
は非常勤の教官をされたということです。 現在
は、 日本モーターグライダークラブの非常勤教
官を勤めながら成田市の成田小学校で英語の教
師をしている、 異色の存在です。 阿部紀子様は、
民間乗員養成所を出ていくつかの会社で操縦に
携わった後、 現在のアイベックスアビエイショ
ンで操縦訓練を担当されていると聞いておりま
す。 10年ほど子育てのためのブランクのあと復
帰されて、 かえってこの仕事が楽しくなったと
聞いております。
また、 今回初めての試みで、 女優の高山侑子
様を推薦いたしました。 12月公開の映画 「空へ―
救いの翼」 のヒロインです。 映画では航空自衛
隊の女性救難パイロットを演じております。 高
山さんの場合はお父様も航空自衛官で、 かつて
新潟救難隊に所属され不幸にして航空機事故で
お亡くなりになり、 その追悼式でスカウトされ
たそうです。 ご本人によるとこれも運命かなと
思ったそうです。 たとえ映画であっても若い女
性の活躍する姿を通じて航空業界を目指す女性
たちが増えてくることを強く期待し、 あえて特
別賞という形で表彰の対象にいたしました。 今
回異色の表彰となった経緯です」
表彰状を受ける平田律子さん
そして表彰式の後、 会場を移し懇親会が行わ
れました。
懇親会では航空局技術部長 宮下徹様より、
今回航空安全行政を行っているものの中から受
賞者が選ばれたことへの謝意と、 アメリカでは
航空安全行政の中枢に女性がたくさん働いてい
るのに日本の航空安全行政ではまだまだ女性の
進出が遅れているので、 そこを何とか改善して
いきたいという趣旨のご挨拶をいただきました。
続いて選定委員日本航空協会専務理事・事
務局長 太田正様に乾杯の音頭をとっていただ
き、 和気藹々とした雰囲気の中で懇親会が続け
られました。
懇親会の途中で、 今回選定委員会特別賞とし
て選定された高山侑子さん主演の角川映画 「空
へ―救いの翼」 の DVD も流され、 角川映画プ
ロデューサー鍋島壽夫氏から 「航空機がこれほ
ど人命救助に役立つということ、 また自衛隊の
中に救難隊があり災害時にこのように人を救っ
ている、 そういうことは一般にはあまり知られ
ていないことです。 この映画が果たす役割は航
空機と人間が一体となれば人が救えるというこ
とを伝えることです。 この映画を見て若い人た
ちに興味をもっていただければ、 そして空の仕
事にも興味をもっていただければこの映画を作っ
た意義があると考えています」 というご挨拶が
ありました。
そして、 3名のベテラン教官がそれぞれ所属
する本田航空株式会社、 日本モーターグライダー
クラブ、 アイベックスアビエイション株式会社
から来賓として出席された大澤一朗様、 中澤愛
一郎様、 高野裕二様よりお祝いの言葉が述べら
れ、 それぞれのクラブで指導を受けた教え子た
ちが一堂に会して、 会場の雰囲気を大いに盛り
上げていました。
日本モーターグライダークラブの関係者
それぞれの受賞者の喜びの言葉を以下にご紹
介いたします。
[平田律子さん]
もともと幼いときから空や宇宙が好きで、 中
学生のときなど NASA に就職したいとも考え
ていました。 空を飛ぶものに対してとても興味
を持っており、 航空の世界で仕事を続けたい、
と今の仕事を選びました。 構造やシステムが見
える状態になっている航空機を見るのが面白く、
また、 安全性を維持するために行っている様々
な手法を用いた整備作業も興味深くて、 現場に
出向くのはとても楽しく、 今の仕事は大好きで
す。 3人の子どもたちに恵まれていますが、 子
育てをしながら仕事をすることはやはり大変で、
ワークライフバランスの実現にはほど遠い現状
です。 夫をはじめとして、 職場や、 周りのみな
さまの深いご理解とご協力により、 なんとかやっ
ています。
[浦松香津子さん]
約15年間、 飛行機・滑空機教官を経験したう
えで、 航空行政に携わりたいと考えて応募し、
航空従事者試験官として採用されました。 40代
後半で、 初の2人操縦のジェット型式 (A320)
を訓練し、 受験したのは本当に大変でした。 苦
労したエアバス A320 の訓練でしたが、 シミュ
レータ訓練・受験の後、 実機訓練で、 美しい下
地島空港の滑走路に向かって A320 の操縦桿を
握り、 タッチアンドゴーを繰り返した1週間は、
純粋に真剣に操縦に取り組むことができました。
それらの訓練を通して学習、 経験したことをそ
の後の試験、 審査業務に生かすことができ、 私
自身も大きく成長したことが大変有意義でした。
[小田嶋良さん]
今の仕事を選んだ動機は飛行機を操縦したかっ
たことです。 免許を取るにはかなりお金がかか
ることがわかったので、 なるべくお金のかから
ない航空大学校を目指しました。 卒業時エアラ
インには就職できなかったので、 使用事業会社
でエアラインの教育も行っている本田航空を志
2009 MAR
83
望しました。 今まで仕事を続けてきた中で大変
だったことは、 教育証明の取得です。 口述をし
ている夢を見てうなされながら目が覚めたこと
もありました。 楽しかったことは、 「遊覧のお
客様が喜んで帰ったこと」、 「教え子が実地試験
合格した時」、 「写真撮影で、 カメラマンとの狙
いがピタッと合った時」。 これまでの仕事上で
一番心に残っていることは、 「教育証明を取っ
ゼロ
て初めて0から教えた人を単独飛行に出したこ
と」 です。 そして今、 嬉しいことなのですが子
供ができ、 生まれるまで空を飛べないことが一
番辛いです。
教え子に囲まれた小田嶋良さん
[小野寺直美さん]
私自身飛ぶことが大好きですが、 同時に空を
愛する人たちが大好きなのでこの仕事をつづけ
てきました。 訓練生のファーストソロの後、 飛
行場の仲間たちで喜びを分かち合えるのは最高
ですし、 ライセンスを取得した人たちが、 家族
や友人達と嬉しそうにフライトする様子を見る
のも本当に楽しいです。 反対に違うクラブの知
らない方であっても、 事故が起きるととても辛
いです。 私は最初の教官を飛行機事故で亡くし
ています。 その時はショックでしばらく飛べま
せんでした。 今も事故を耳にするたびに辛くて
悲しい気持ちでいっぱいになります。 だからこ
そいつも安全を教えて行きたいと思っています。
[阿部紀子さん]
子供のころから、 手に職付けて早く家を出た
84
2009 MAR
いと思っていました。 強く影響を受けたのが、
NHK 朝の連続テレビドラマ 「雲のじゅうたん」
と 「ハワイの空に“とんでる女”」 というハワ
イに航空会社を作った日本人女性パイロットの
新聞記事です。 それぞれ自分の力で突き進んで
いくパワフルな女性たちのお話でした。 飛行機
を操縦するということにも興味を持ちましたし、
また、 パイロットというのは国家試験資格であ
るので、 女性にも就職のチャンスは同様にある
だろうと考えました。 パイロットもサラリーマ
ンという立場ですが、 一旦上空に上がれば自分
が最高責任者であるという点が今も気に入って
います。 一方、 身近に航空事故で亡くなった方
の数は両手に納まらず、 決して忘れることはで
きません。
[高山侑子さん]
2005年、 父の追悼式に参列するために上京し
た際に、 現事務所にスカウトされました。 母か
ら、 「何かの運命だから」 と背中を押され、 芸
能界に入りました (注) 。 12月公開 空へ−救い
の翼− は映画初出演で初主演です。 しかも、
実年齢と8歳も違う役柄だったので大変でした。
でも、 スタッフさんや共演者の方たちがすごく
優しくて、 特に三浦友和さんには娘のように接
してもらいました。
(注) 父親は航空自衛隊新潟救難隊の救難員。
2005年 (平成17年) 4月、 訓練中の墜落
事故で殉職。
女優の高山侑子さんを囲んで
IMC の山中で…。
フライト・セーフティ・ファンデーション誌 エアロセーフティワールド 2008年11月号より
訳
佐藤
裕
事故調査官はこの EMS (Emergency Medical Service) ヘリコプターの墜落事故について、 霧に
包まれた峠を飛び越えたパイロットは通過後、 不意に霧の中に巻き込まれてしまった、 と話す。
急患輸送を行っていたベル 412SP ヘリコプ
ターのパイロットは、 闇夜の中、 機体をフェリー
していたが、 霧の中、 南カリフォルニアの山中
に墜落し、 パイロットと医療チーム2名は死亡。
合衆国運輸安全委員会 (NTSB) は2006年12
月10日、 カリフォルニア州ヘスペリアで発生し
たこの事故について“パイロットは不意に計器
飛行気象状態 (IMC) に突入してしまい、 地
面との間隔を保てなくなってしまったのではな
いか”と書いている。
事故に結びついた要因について“月明かりも
無い暗い夜、 霧の発生している山中を飛行して
いたため”と NTSB は話す。
パイロットの総飛行時間は3,371時間で、 こ
れには12年間軍でヘリコプター・パイロットと
して飛行した3,094時間、 固定翼航空機での飛
行時間57時間が含まれている。
パイロットは連邦航空局 (FAA) のヘリコ
プター・コマーシャル・パイロット・サーティ
フィケイト、 及び計器飛行証明を保有していた。
2005年12月、 カリフォルニア州トウェンテイ
ナイン・パームに拠点を置くマーシー・エアー・
サービス社に、 ベル 222U のパイロットとして
雇用される。
同社でのイニシャル・トレーニング終了後こ
のパイロットは、 EMS ヘリコプターの機長と
して飛行し始める。
マーシー・エアー・サービス社での飛行時間
220時間。
その後、 2006年8月、 カリフォルニア州ビク
タービルにある同社のベースに転勤し、 ベル
412SP ヘリコプターへの移行訓練を受け、 訓
練を修了する。
“連邦航空規則パート135に定めるチェック・
ライドを受けたのは2006年8月29日で、 このチェッ
クには約20分間の計器飛行訓練装置での時間も
含まれている。
チェック・ライドの成績調書には、 計器飛行
気象状態で、 オートパイロットを使用する計器
飛行を行ってはならない”との指摘事項が書か
れていた、 と事故報告書。
“このパイロットは計器飛行に必要な要件を
満たしていなかったため、 同社でも IFR での
急患輸送を認めず、 いかなる飛行状態において
も、 暗視装置 (NVG:Night Vision Goggle)
を着用して飛行することも認めていなかった。”
事故報告書はこのヘリコプターの製造年月日
について触れていないが、 最近の点検終了後、
機体の総飛行時間は9,978時間であった、 と書
いている。 点検を実施した日付けについても、
事故報告書は触れていない。
このヘリコプターは、 プラット・アンド・ホ
イットニー・カナダ社製 PT6T-3B エンジンを
2基装備し、 最後に点検を行ったとき、 左エン
ジンの総運転時間は17,799時間で、 メジャー・
オーバーホール完了後4,528時間に、 そして右
2009 MAR
85
峠付近に散乱する事故機の破片
エンジンの総運転時間は5,521時間であった。
このヘリコプターは、 パイロット1名での
昼/夜間の有視界飛行 (VFR) 承認を受けて
いる。
その上、 IFR に必要な計器を装備していた
ので、 パイロット1名での FAA が定める、 昼、
夜間での VFR 及び IFR での飛行承認も受け
ていたが、 このヘリコプターが所属するベース
は VFR のみの運航しか承認されていなかった
ため、 VFR のみで飛行していた。
ヘリコプターにはサテライト・ベース・オー
トマティック・フライト・フォローイング・シ
ステムが搭載してあり、 飛行しているヘリコプ
ターの緯度、 経度を示す情報を含み、 各種のデー
タを30秒毎に地上のベースに伝える。
しかし、 マーシー・エアー社では高度及び速
度を伝える新しいソフトウェアを追加装備して
はいなかった。
マーシー・エアー社は同社のヘリコプターに
NVG を追加装備をしていたが、 事故を起こし
たヘリコプターには装備されていなかった。
VFR でしか運航できないヘリポート
事故当時、 マーシー・エアー社はコロラド州
イングルウッドに本社を置くエアー・メソッド
86
2009 MAR
社がライフ・ネットとして運営するグループの
傘下として参加していた。
エアー・メソッド社には約700名のパイロッ
トが在籍し、 この中には335名のライフ・ネッ
トに所属するパイロット、 50名ほどのマーシー・
エアー社に所属するパイロットがいて、 合衆国
全体に広く展開する200機ほどの EMS ヘリコ
プターを運航している。
ビクタービルにあるマーシー・エアー社のベー
スは、 エアー・メソッド社がリジョン1とする
5つのベースの1つとして指定されていた。
ビクタービルは VFR でのみの承認を受けて
いるベースであるため、 このベースで飛行する
パイロット達は、 全て VFR でのみ運航してい
る。
しかし、 この会社は特定のヘリコプターにつ
いて、 IMC の中でもオートパイロットが正常
に作動し、 かつパイロットも計器飛行の要件を
満たし、 チェックを受け、 終了しているパイロッ
トには IFR での EMS 飛行を認めていた、 と
事故報告書。
この社では、 連邦航空規則パート135に定め
られる毎年のチェック・ライド、 及び安全性を
確認するセイフティ・トレーニングに加え、
6ヶ月毎に、 異常姿勢に陥った場合の回復操作、
そして不意に IMC に突入の操作を重点的に行っ
ていたと言う。
ビクタービルのベースにはリード・パイロッ
ト、 いわゆるチーフ・パイロット1名、 安全を
担当するセイフティ・パイロット1名、 日常の
飛行についてチェックするライン・パイロット
2名がいて、 彼らも皆、 日常的に EMS 飛行を
行っている。
EMS 飛行は通常、 パイロット1名、 医療チー
ム2名で行なわれている。
同社の運航規程には、 飛行に向かう前に、 そ
の飛行に予測される危険性に関するリスク評価
を行う用紙への記入を義務付けているが、 クルー
のみで飛行する、 EMS 飛行以外では、 このリ
スクを認識、 評価し、 どのように解決するか、
については義務付けられていない。
このベースに設けられている規則によると、
EMS 飛行に向かう際に予想される危険性を予
測した上、 どのようにして飛行するかを記入す
る (フライト・マニュフェスト) 用紙への記入
を義務付けている。
事故を起こしたパイロットは、 この日行う2
回の EMS 飛行に関する、 危険性に関する評価
を行っていて、 2回の飛行についても“異常な
く実施出来る”ということを示す“G”及び
“グリーン”と記入している。
オートパイロットの使用が勧められていた
義務付けてはいなったものの、 同社はパイロッ
トに対し、 オートパイロットの使用を薦めてい
た。
VFR での運航のみを承認されているビクター
ビルを含み、 多くのベースでもマージナル
VFR 気象状態、 夜間の VFR 飛行時にもオー
トパイロットの使用を勧めていたと言う。
チェック・エアマンは事故調査官に対し“全
員と言うわけではないが、 多くのパイロット達
はヘリコプターに装備してあるオートパイロッ
トの操作方法を良く理解していて、 飛行中、 必
要性を感じた場合には使用している”と話す。
運航規程には、 不意に IMC に突入してしまっ
た場合“パイロットはヘリコプターの姿勢 (水
平飛行姿勢に)、 機首方位を保ち (予め分かっ
ている障害物を回避できる方向へ旋回し)、 こ
の後上昇出力に増加させるとともに、 速度を上
昇速度にしなければならない”と書いてある。
“この後パイロットは、 標準旋回以内の角度
で旋回し、 周辺の最低安全高度に達するまで上
昇し、 管制機関 (ATC) との交信に努め、 ト
ランスポンダーに緊急時のコード7700をセット
しなければならない”とも書いてある。
事 故 現 場 か ら 15 ノ ー テ ィ カ ル ・ マ イ ル
(28km) 北西に位置するビクタービルでの墜落
事故当時の天候は、 視程10マイル (16km)、 雲
量はブロークン3,800フィート、 オーバーキャ
スト4,900フィートであった。
事 故 現 場 の 南 西 19 ノ ー テ ィ カ ル ・ マ イ ル
(35km) に位置するオンタリオ国際空港 (カリ
フォルニア州) の気象状態は、 視程10マイル、
ブロークン3,800フィート、 オーバーキャスト
5,500フィートであった。
エリア・フォーキャストの、 エアメンズ・メ
テオロジカル・インフォメーション・ノーティ
ス (AIRMET) によると、 山岳地帯は雲、 降
水現象、 ミストと霧に覆われ、 IFR 気象状態
である、 と報じている。
カホン・パスで事故が起きた直後、 ビクター
ビルにいたセイフティ・オフィサーは周辺の気
象状態をチェックし、 峠周辺のシーリングにつ
いて、 4,000フィート程度だろう、 と予想した。
飛行要請は拒否される
ビクタービルに勤務するパイロット達は、 午
前8時から午後8時までと午後8時から翌朝8
時までのシフト勤務をこなし、 この状態で7日
間勤務し、 この後7日間の休みを取ることになっ
ている。
2009 MAR
87
事故を起こしたパイロットはこのローテーショ
ン勤務を2006年12月8日に開始し、 この日は午
前8時から午後9時30分まで勤務した。 その翌
日の2006年12月9日は、 午前8時から午後8時
30まで勤務している。
12月10日、 午前8時に出勤したパイロットは
EMS 飛行の要請を受けるが、 カホン・パス周
辺の天候が悪化しているため、 これを拒否。
この日3回目の急患輸送を終えたパイロット
は午後5時42分、 ロマ・リンダ大学医療センター
からビクタービル、 南カリフォルニア・ロジス
ティック・エアポートにあるベースへ戻るため、
離陸した。
ヘリコプターにはクルー以外の搭乗者がいな
いため、 この飛行はパート135には該当せず、
規制の緩やかなパート91にあたる(注①)。
夜間であったが飛行経路の大部分は有視界気
象状態であったため、 このパイロットは社に
VFR フライト・プランをファイルしている。
この日行った飛行は全てカホン・パスを通過
し、 ビクタービルからロスアンジェルスの西に
あるサンベルナルディノ/リバーサイドを往復
している。
同社のパイロットは事故調査官に“峠周辺の
視程が悪い場合、 渓谷の東、 あるいは西側にし
がみ付くようにして飛行し、 しかも障害物を回
避しながら飛行しなければならない”と話して
いる、 と事故報告書。
同社のサテライト・トラッキング・データに
よると、 このヘリコプターは“カホン・パスの
最も低い場所を通過し、 インターステイト15
(I 15) 沿いに飛行している”とも書いている。
“ハイウェイは大きなS字を繰り返し描きな
がら、 峠の標高の高い地点 (約4,200フィート
MSL) へと向かって行く。
ハイウェイ沿いには、 やや距離があるものの
民家や工場があり、 これらの明かりにより、 暗
い夜でも水平線及び地形の起伏を見ることが出
来る。
峠の最高標高地点に達すると、 ハイウェイは
88
2009 MAR
北東に曲がり、 砂漠地帯に点在する民家等の明
かりが良く見える。
まもなく峠の最高地点達しようと言うとき、
ヘリコプターのトラックは東に進路を変え、 ハ
イウェイから離れて行く”と報告書。
トラッキング・データを見ると、 I-15 沿いに
飛行し、 カヨカホン・パスの最高地点に向かい、
北に向かって行く。
ハイウェイが北に方向を変える地点上空で、
不可解なことにヘリコプターは、 ハイウェイ沿
いではなく、 北東に進路を変えてしまう、 と事
故報告書。
午後5時55分に記録された最後の位置のデー
タを見ると、 ヘリコプターは I-15 の0,4ノーティ
カル・マイル (0,7km) 東の地点を飛行してい
る。
墜落した地点はハイウェイから0,7ノーティ
カル・マイル (1,3km) ほど山の渓谷側で、 標
高4,026フィート MSL 地点にある高さ100フィー
ト (31m) の送電線の鉄塔付近である。
このカホン・パス付近に数多く設置されてい
る送電線の鉄塔は、 航空図にも示してあり、 北
東方向から北へと向かう。
報告書は墜落時、 現場付近に居合わせた目撃
者の証言を“最初、 原野の草が燃えるような、
小さな炎が見えた”そしてさらに“炎が見えた
5秒ほど後、 小さかった炎は巨大な火の玉となっ
た”と書いている。
そしてこの大きな炎は、 現場付近に立ち込め
ていた、 濃くなったり薄くなったりと変化する
霧に遮られ、 見え隠れしていたと言う。
霧の状態について標高3,500フィート付近に
居合わせたこの目撃者は、 「そう厚い霧ではな
かったと思う、 高いところから降りてきて、 や
がて消えてしまった」 と話す。
この日の早朝、 凧揚げをしていた目撃者の1
人は現場付近の風向風速について、 北西の風で、
風速13マイル、 ガスト29マイル程度だった、 と
話す。
地域を管轄する警察には、 山中で火災が発生
している、 と言う電話での報告が徐々に増えて
くる。
気象状態について、 霧のせいだろう、 峠付近
の稜線は見えず、 送電線の鉄塔も見えない、 と
電話で話したという。
現場に急行した救助隊員は“霧が濃くなった
り薄くなったりしていたので、 墜落現場の捜索
に手間取ってしまった”と話す。
事故当時、 カホン・パスから目的地までの天
候は良好で、 VFR で飛行できた、 と考えられ
ている。
火災を起こしたものの、 大きな破損を免れた
エンジン、 機体そして操縦系統についての調査
も行われたが、 事故に結びつく異常は発見され
ず、 墜落するまで正常に作動していたと思われ
る、 と事故報告書はまとめている。
こ の 文 書 は NTSB の 事 故 報 告 書
LAX07FA056、 及び補足文書を引用し、 まと
めた。
注
①
この事故、 及び他の EMS ヘリコプターの
墜落事故を重視した NTSB の特別調査委
員会は FAA に対し、 患者輸送を終え、 ク
ルーのみでベースに戻る飛行についても、
パート135に従って飛行するよう、 航空規
則を改定するべきである、 と勧告している。
ベル212の発展型であるベル412ヘリコプター
が運航会社に引き渡されたのは1981年で、 こ
の航空機は4つのブレードを装備するベル社
初のモデルである。
412SP (スペシャル・パフォーマンスを
示す) は、 従来の412型に比べ、 最大離陸重
量は増加し、 燃料搭載量及び搭乗者数も多く
なっている。
412SP は2基のプラット・アンド・ホイッ
トニー・カナダ社製 PT6T-3B-1 ターボシャフ
ト・エンジンを装備し、 エンジン2基での離
陸出力は1,400SHP (1,044KW)、 最大連続出
力は1,130SHP (843KW)。 最大離陸重量及
び着陸重量はともに11,900ポンド (5,398KG)。
海面上における巡航最大速度は 124kt で、
最大巡航距離は354ノーティカル・マイルで
ある。
2009 MAR
89
地球環境問題関連用語の解説 21
87. Greenhouse Gas (温室効果ガス)
Greenhouse は温室、 Gas はいわゆるガスで
ある。 地球全体が温暖化していく状態を、 温室
内の温度上昇と同じようにとらえ、 地球温暖化
の最大の原因である CO2 やメタン等を、 環境
問題専門家が比喩的に Greenhouse Gas (温室
効果ガス) と名付けたものである。
地球温暖化対策の主な目的は、 温室効果ガス
の排出 (Emission) を削減することにある。
88. Green Economy
植物の緑色 (Green) が光合成で地球上の
CO2削減に寄与しているところから、 地球温暖
化防止という環境保全と、 経済の発展が両立す
る持続可能な経済・産業活動を表す言葉として
使われている。 具体的な産業の例をあげると、
CO2削減技術の研究開発、 クリーン・エネルギー
(原子力・水力・風力・太陽光発電・水素燃料・
バイオマス燃料、 地熱発電、 海洋温度差発電等)
事業、 低公害車の普及、 エコハウス建設等々で
ある。
89. Green New Deal
1月20日、 初めて地球環境問題に理解のある
米国大統領が誕生した。 第44代オバマ大統領が、
選挙期間中に提唱した Green New Deal 政策
は、 1930年代の世界大恐慌を克服すべく、 時の
ルーズベルト大統領が採用した、 一連の公共事
業中心の革新的政策“New Deal”にあやかっ
て“Green”を付けたもので、 落ち込んだ米国
経済を浮揚させるために、 地球温暖化対策に役
立つ事業の支援・創生政策を意味している。
90. Carbon Offset (カーボン・オフセット)
日常生活や経済活動において、 避けることが
できない CO2 等の温室効果ガスの排出につい
て、 まずできるだけ排出量が減るよう削減努力
を行い、 どうしても排出される温室効果ガスに
ついて、 排出量に見合った温室効果ガスの削減
活動に投資すること等により、 排出される温室
90
2009 MAR
効果ガスを埋め合わせるという考え方のことを
いう。 イギリスを始めとした欧州、 米国等での
取り組みが活発であり、 わが国でも民間での取
り組みが拡がりつつある。
91. COP (Carbon Offset Plant)
一般に植物は、 昼は光合成で二酸化炭素を吸
収し酸素を吐き出し、 夜は二酸化炭素を吐き出
しています。 ところが植物の中には、 昼夜を問
わず CO2 を吸収する能力を持つ植物がありこ
れを COP (CO2削減植物) と言っている。
COP には、 CO2 の吸収量と育てやすさによ
り、 5段階のレベル分けがされており、 レベル
3∼5までが24時間 CO2 を吸収する種類であ
る。 ちなみにレベル3にはカランコエなど、 レ
ベル4にはサボテンなど、 レベル5にはカトレ
アなどが挙げられている。 人間が吐き出す CO2
を、 COP を屋内外で楽しみながら育て、 地球
温暖化防止の一助にするという発想から、 イン
ターネットで COP の販売が始まっている。
92. GOAST (温室効果ガス観測技術衛星)
1月23日、 種子島から打ち上げに成功した
JAXA の GOAST (Greenhouse gases Observing Satellite) は、 設計寿命は5年、 二酸
化炭素とメタンを3日ごとに標準観測モード
(180km メッシュの場合) で56,000地点 (区画)
を観測できる。 現在の地上観測点は282であり、
かつ地域的に偏在しているので、 GOAST によ
り地球全域にわたり、 温室効果ガスの濃度分布
を測定することが可能となる。 地球規模で温室
効果ガスの現状を把握し、 将来の効果的削減対
策に生かすための日本が誇る技術である。
第20回掲載用語
84. 海洋エネルギー
85. 海洋温度差発電 (OTEC)
86. 海洋バイオマス研究コンソーシアム
ews
FAI N
FA I ニュース
Federation Aeronautique Internationale
毎年、 FAI 関係の競技会は、 6月ごろから
開催されます。 エアロバティックス関係では、
既に先月号で規定科目を紹介させていただきま
したが、 開催予定のものは、 今頃が準備のピー
クの時期になります。 例年、 そうなのですが、
開催の細部は、 かなり流動的なこともあり、 競
技会自体の直前キャンセル、 あるいは開催場所
の変更といったこともあるようです。 参加、 あ
るいは見学等、 興味があります方は、 JAPA
経由、 各部門の、 日本の正、 副デレゲートにお
尋ねください。 では今月の各部門の報告です。
ロータークラフト (ヘリコプター)
これまでの日本チームの主な成績としては、
世界選手権でのフリースタイル金メダルを始め
とし、 精密ホバリング、 スラローム等での上位
入賞等があります。 中には、 満点の得点を獲得
しながら、 同点場合の判定基準により、 惜しく
も優勝を逃したこともありました。
フリースタイルやホバリング系では、 世界の
トップクラスの実力を小型で非力なロビンソン
R22 ヘリコプターで達成している所が、 驚き
の目で見られています。 今でこそ、 R22 での
出場は見られるようになりましたが、 当時は、
ロシアの軍用大型ヘリ等、 高性能の機体が主流
でしたから、 腕を頼りに小型ヘリで切り込んだ
日本チームは脅威の目で見られたものです。
課題は選手の数を増やすことと、 審判の養成
です。 自国の審判によるアピールが無いと、 判
定の場合に不利になる場合も多いのです。
GAC:ジェネラルアビエーション (飛行機)
ジェネラルアビエーション部門では、 今年は
精密飛行競技会の世界選手権とラリー飛行競技
会の欧州選手権が開催の予定です。 また、 来年
は、 ラリー飛行競技会の世界選手権の開催が計
奥貫
博
画されています。
第19回精密飛行競技世界選手権
開催地:トルン (ポーランド)
日 程:2009.7.19−7.26
第7回ラリー飛行競技欧州選手権
開催地:カステリョン (スペイン)
日 程:2009.6.9−9.12
第17回ラリー飛行競技世界選手権
開催地:Dubnica (スロバキア)
日 程:2010.8.9−8.15
欧州ではこの種の FAI 競技会が盛んに行わ
れています。 飛行機で飛ぶことがスポーツとし
て理解される文化をうらやましく思います。
エアロバティックス (FAA-CIVA)
前回の FAI ニュースでは、 今年開催予定の
各チャンピオンシップについて、 その開催場所
と日程、 及び Programme Q (known) シー
ケンスをお知らせしましたが、 これらはいずれ
もパワー (飛行機) の競技会です。 CIVA には、
パワー (飛行機) のほかにグライダーエアロバ
ティックも含まれており、 今年はその世界選手
権 (WGAC) が開かれる年となっています。
その開催場所と日程については、 昨年の CIVA
ミーティングにおいてパワー (飛行機) と同様
に審議され、 フランスのシャンブレーで7月23
日∼8月1日開催ということに決まっていまし
た。 しかし、 今年になって急にフランスのナショ
ナル・エアロクラブが主催を辞退すると通告し、
開催地と日程が白紙になってしまうという異例
の事態に陥りました。 そして2月に入ってから、
チェコ共和国のチェスケー・ブディェヨヴィツェ
で7月10日∼19日開催という知らせが入りまし
たが、 通常は4月半ばのプレエントリー締め切
りが1ヶ月も早く3月半ばとされているので、
各国の準備が大変そうです。
2009 MAR
91
中部支部だより
いっぺん名古屋空港にも来てチョー!
愛知県西春日井郡豊山町豊場
●AIRPORT WALK
昨年11月に県営名古屋空港内にアピタ (ショッ
ピングセンター) に 「AIRPORT WALK」 が
オープンしました。
これは、 セントレア (中部国際) に移管する
前の国際線ターミナル跡を利用してのショッピ
ングセンターで、 浅野支配人によりますと、 集
客を考えたとき、 女性に喜ばれるお店 (テナン
ト) と、 女性に付き添ってきた男性をいかに楽
しませるかがポイントだとか……。
そこで、 空港隣接のこの建物が、 威力を発揮
する訳です。
内部は、 国際線ターミナル時代とさほど変わ
らず、 レイアウトされ、 なんといってもマニア
必見? 御用達? の展望台も復活して、 あの
ころの楽しみが戻ってきたことです。
お店は、 空港を意識して、 インフォメーショ
ン・カウンターは、 ボーディング・ボードを貼
り付け、 ムードを高めています。
テナントでは、 紀伊国屋書店で航空にちなん
だ本のコーナーがあり、 楽しみです。 ただ、 私
たちの必要な書類は、 近く (空港外) のパイロッ
トショップ 「バスタークライム」 で購入してい
ます。
また、 おもしろ企画では、 オープン時に機体
を展示したいとのことで、 セコ・インターナショ
ナルの日本に一機しかない MD ヘリコプター
ズの 600N 型 (ノーターヘリ) を展示しました。
(隣でしたが、 もちろんフライトする訳にはい
かず、 グランド・ホイールでコロコロ転がしま
した。)
92
2009 MAR
名古屋空港内
青木
富男
昨年末のクリスマス大抽選会では、 5千円分
のポイントで1回の応募で、 特賞は、 ペアでヘ
リコプターに乗り、 フランス料理コース5組を
ご招待、 2等は、 ペアでヘリコプターによる名
古屋ナイトフライト (遊覧) で10組に当たりま
した。 何とも空港隣接の施設らしい粋なはから
いでした。
オープン時は、 CAB の官舎跡地を臨時の第
2駐車場にして、 距離にして5∼600m の所を
シャトルバスが運行していました。
うれしい誤算なのか、 年明け後も毎週日曜日
は、 シャトルバスが運行され、 空港内の私道を
走るため、 愛知県よりノータムが出されていま
す。
名古屋空港は、 JAL のエンブラエルも登場
し、 また、 三菱さんの MRJ (国産ジェット旅
客機) ももうすぐ初飛行? で、 かつてのにぎ
わいを取り戻しつつあります。
ボーディングボードを利用した受付
写真中央は、 浅野支配人、 両脇に受付女性
昨年11月にオープンした AIRPORT WALK ショッピングセンター
展望台より国内線のスポットを遠望。
小さくてわかりにくいが、 JAL のエンブラエルが
見える。
オープン時、 MD600N ヘリコプターを展示し、 多
くの人々に見てもらった。 また、 撮影会やミニ航空
教室も開催された。
ラウンジ (ランウェー側ビューラウンジ) は、 写真
では、 わかりにくいが、 飛行機を見ながらの飲食が
できる。
エンブラエル ERJ170
昨年の初タッチダウン (TGL) の時のもの。
2009 MAR
93
開催報告
西日本支部だより
西日本支部
まいしま
・舞洲ヘリポート付近を飛行する場合の通信設定について
VFR により飛行する航空機が舞洲ヘリポートの 3NM・3000FT 未満を飛行しようとするとき、
大阪フライトサービスに通報し、 必要な情報を取得するよう努めることが AIC で求められていま
した。
実際はその空域を関西 TCA にコンタクトしながら飛行する航空機もあり、 JAPA 西日本支部で
は八尾協議会・大阪空港報道各社と共に、 空域の見直しを関係各所に要望していました。
このたび AIC が改定され、 舞洲ヘリポートに通報し必要な情報を取得するよう努める空域が
5NM・1500FT 未満に変更されました。
西日本支部では、 衝突防止のため、 1500ft 未満では大阪フライトサービスに、 1500ft 以上では
関西 TCA に通報し、 他機の交通情報を入手するように努め、 見張りを十分に行うことを推奨しま
す。
飛行場管制業務が実施されている飛行場等において行われる航空交通情報の授受の要領等、 その
他詳細につきましては AIC NR002/09 「飛行場等の周辺を有視界飛行方式により飛行する場合の
安全対策について」 をご覧ください。
・小型航空機安全セミナー・支部総会
西日本支部主催第53回小型航空機安全セミナーと総会の案内につきましては、 支部 HP をご覧く
ださい。
http://japawest.exblog.jp/
AIM-j 2009年前期版が現在有効です。
2008年12月に発行された2009年前期版、 日々の業務の
中で大いに役立ててください。
会員以外の一般向けにも販売しています。
3,500円 (税込) です。
ご購入・お問い合わせは、 鳳文書林出版販売
03−3591−0909
又は (社) 日本航空技術協会
03−3747−7600までお願いします。
94
2009 MAR
沖縄の飛行三季折々
JAPA 沖縄支部
副支部長
屋良
朝義
(自家用操縦士)
沖縄には唯一の飛行クラブ 「ジャパンフライ
ヤーズ協会」 (JFA) があり、 会長以下21名の
会員で組織され、 日々沖縄の青い空を飛びまわっ
ています。 会には、 定期運送操縦士、 航空整備
士、 運航管理者、 航空管制官、 航空管制情報官、
自衛官等いわゆるプロの方々も多数所属し、 日
頃から安全飛行の啓蒙には特に力を入れて活動
しています。 使用機材は、 PA−28−140 (パイ
パーチェロキー) で、 南西諸島を主に飛行を楽
しんでいます。
それでは、 これから皆さんを沖縄の澄み切っ
た青い空へご招待します。
江島”への飛行がお勧めです。 島ではこの時期、
てっぽう百合が咲き誇り、 眼下に広がる真っ白
な百合の絨毯を眺めながらタッチアンドゴーを
繰返す、 贅沢な一時がなんともいえません。
☆One Point Advice
伊江島空港には、 1,500m の滑走路がありま
すが、 定期便の就航も無く、 操縦訓練にはもっ
てこいの空港です。 但し、 この空港は米軍の訓
練区域 W178の中に位置するため、 平日の飛行
ができないのが難点です。
● 夏の飛行
クラブメンバーと機体洗浄後の一コマ
● 春の飛行
うりずんの季節。 旧暦の2月∼3月、 新暦の
3月∼4月頃の季節を沖縄の言葉で 「うりずん」
と言います。 気温は25℃前後で南風が心地よく、
太陽も日差しも優しい季節で、 絶好のフライト
日和が続きます。
この時期は、 沖縄本島北部、“美ら海水族館”
のある本部半島の西約9km に浮かぶ島、“伊
沖縄の梅雨は、 本土より1ヶ月早く例年6月
23日頃に明けます。 これから12月初旬 (この原
稿を書いている今日12月4日も最高気温は26℃
になりました) まで長い盛夏の季節が続きます。
ハッキリ言って沖縄には秋がありません。 この
季節は、 連日30度を越す猛暑が続き、 出力の弱
い小型機での飛行は大変厳しく、 男性4名を乗
せて飛行するのは、 至難の業です。
夏に飛行を計画される方は、 身も心も軽くし
てから飛行してください。
さて、 この時期のお勧めは、 一面に広がる
“ブロッコリー畑”です。
沖縄本島北部、 天然記念物“やんばるくいな”
のすむ、 常緑広葉樹が広がる山原 (やんばる)
の原生林の森は、 夏の太陽をいっぱいに浴び、
より一層緑が濃くなり、 上空から見るとブロッ
コリー畑の上を飛行しているのかと錯覚するく
らい緑が美しいです。
2009 MAR
95
☆One Point Advice
亜熱帯地域に属する沖縄は、 局地的に豪雨に
襲われる事が多々あります。 特に7月∼9月の
盛夏の時期は、 那覇空港周辺で積乱雲が急激に
発達し、 空港のみ豪雨になることも少なくあり
ません。 VMC から IMC に急変することも日
常茶飯事です。 通常は、 15分前後で VMC に回
復します。 しかし、 IMC が長引く時もありま
すので、 那覇空港周辺で30分程度は HOLD で
きる燃料計画で飛行されるのがベターです。
の慶良間の海は、 何時でも美しく、 言葉では表
現できません。
座間味村 HP より
愛機
パイパーチェロキー (伊江島空港)
● 冬の飛行
12月中旬から2月までは、 沖縄も一応冬の季
節になります。 平均気温は18℃前後ですが、 北
よりの季節風が20kt 前後吹く日が多く、 体感
温度は10℃前後となり、 身も心も震え上がりま
す。 また、 2月は最も雨の多い季節で、 連日
1,500ft 前後に BKN の雲が広がり、 どんより
とした天気が続きます。 プロ野球のキャンプが
始まる2月1日は、 例年雨が降っています。
さて、 このうっとうしい空に時々垣間見る晴
れ間を狙って飛行するお勧めは、 那覇の西約40
km に浮かぶ“慶良間列島”です。
この時期の慶良間列島近海には、 遠くアラス
カより越冬と出産のために来た、 ザトウクジラ
が多数生息しており、 空からホエールウォッチ
ングを楽しむことができます。
また、 東洋一の透明度を誇り、 ダイバー憧れ
96
2009 MAR
☆One Point Advice
旧暦の2月 (新暦の3月) 頃の沖縄は、 小春
日和が続き、 穏やかな天気となる日が多くなり
ます。 絶好のフライト日和となりますが、 風向
がころころ変わり、 突如大荒れの天気になる事
があります。 沖縄ではこのことを 「2月風廻い」
(にんぐぁちかじまーい) と言い、 漁師にも恐
れられています。 これは、 春先に関東地方に大
雪をもたらす“南岸低気圧”のたまごが、 東シ
ナ海に発生する時に現れます。
くれぐれも、 細心の注意を払って飛行を楽し
んで下さい。
● 最後に
沖縄の空は、 小型機、 旅客機、 回転翼機、 は
たまた戦闘機まで多種多様な飛行機が狭い空域
を飛行しております。 また、 本来日本の空域に
は存在しないはずの、 クラスB空域があり、
VFR 機でも管制官の指示に従って飛行しなけ
ればなりません。
沖縄支部では、 ビジターの方々のために 「嘉
手納基地情報」 として、 空域の飛行方法に関す
る資料をホームページに掲載しています。 是非
ご活用下さい。
開催報告
秋山豊寛さん宇宙初体験! 沖縄講演会
JAPA 沖縄支部委員
原嶋
利光
平成21年1月18日、 日本人初の宇宙飛行を体験した秋山豊寛さんの沖縄講演を、 皆様の多大な協
力のもと JAPA 沖縄支部が開催致しました。 開催にあたり沖縄の子供達を一般公募の他に招待し
たいと思い、 沖縄本島東南部にある久高島の子供達を招待しました。 会場には親子連れなど約400
人が訪れました。
今回講演会を行なうにあたって、 私は招待客
である久高島の子供たちの引率を担当しました。
島の子供たちと数名の引率者、 保護者と40名ほ
どでバス一台をチャーターし、 会場のある那覇
市へ向かいました。 子供達にとって久高島を出
るのは久しぶりのようで、 バスの中でもおしゃべ
りや、 車窓からの風景を楽しんでいました。 中
でも印象に残ったのは、 6歳ぐらいの男の子が
窓を開けて外を眺めていると、 隣の中学生の男
子生徒がしっかりその子を落ちないように支え
ている姿が微笑えましく感じました。 また周囲
を見渡しても、 年上の子が下の子達の世話をしっ
かりみていました。 私は学生時代、 何度か子供
達の活動のボランティアで引率した事がありま
したが、 これほどまでに自然に世話をしている
のを見たことは無かったので、 感心しました。
会場に到着後、 エレベーターで移動した際、
一緒にいた保護者のひとりが 「○○君はエレベー
ターに乗るのは初めてだよね!」 と話しかけて
いました。 どうやら島には、 エレベーターが無
いようです。
講演が始まってからは、 秋山さんが宇宙飛行
に出かけるまでの過程や、 宇宙から見た地球の
話などについて、 興味深く耳を傾けていました。
講演の最後には秋山さんへ直接質問ができる時
間もあり、 宇宙でのトイレの使い方など、 時に
は笑いもあり楽しそうに聞いていました。
講演終了後は秋山さんと記念撮影を行ない、
子供達の中には秋山さんにサインをもらうなど、
秋山さんとの交流を喜んでいました。
帰りのバスの中で 「今日の秋山さんの講演を
聞いて宇宙飛行士になりたい、 と思った人は手
を上げて!」 と尋ねたところ、 5人の子供が勢
い良く手を挙げました。 また久高島を代表して
中学生の男子生徒からお礼の言葉があり、 各企
業からの協力で頂いたお土産を手に、 子供たち
は無事バスで港まで帰りました。
今回の活動の締め括りとして、 JAPA 沖縄
支部の会員に役立つイベントを行なうのも大事
な支部活動のひとつではありますが、 沖縄の子
供達に航空や宇宙に触れる機会を提供すると共
に、 少しでも子供達の将来へ繋がるよう、 今後
もこのような企画が出来たらと思います。 また
それがこれから先の航空、 宇宙事業の発展につ
ながると私は確信しております。
日本人初宇宙飛行士秋山豊寛さん沖縄講演会
【命の星、 地球に生まれて】
日時:平成21年1月18日
場所:那覇市パレット市民劇場
主催:日本航空機操縦士協会沖縄支部
共催:秋山豊寛さん沖縄講演会を成功させる会
琉球新報社
協賛:日本トランスオーシャン航空
那覇空港ビルディング
後援:沖縄県・那覇市・南城市
2009 MAR
97
航空局通達
98
2009 MAR
2009 MAR
99
通信
理事会通信
理事会は、 第44回通常総会の準備で、 とても忙しい毎日が続いています。 公益目的事業に軸足をおいて社
会に役立つ活動、 事業方針にどのように表現できるか。 更に、 バランスのとれた予算を、 連帯感を育み執行
していけるのか、 などなど、 頭を抱えています。
来期の活動は、 基本方針に①航空の安全に資する事業の推進、 ②操縦士の社会貢献の促進 (航空関係者の
知識と能力を育み空の安全と技術向上を目指す)、 ③航空に関心を持つ方々への参加と働きかけ、 ④資格の維
持と雇用の安定を促進 (FTD を使い技術指導の機会を確保) を掲げ、 教育・啓蒙事業/改善への貢献/技術
支援/操縦士の風土作り/適切な事業展開と運営/人の和と連帯感の促進 がキーワードとなります。
予算案は、 新公益法人制度に移行したことを受けた支出、 会員とのコミュニケーション促進と (HP の機能
向上) と FTD 事業の拡張などの費用が特徴といえます。 事業方針案と予算案については、 今月の理事会で決
定される予定です。
最近のイベントですが、 2月19∼20日に東京・天王洲で小型航空機セーフティー・セミナーが下記内容に
て開催されました。 19日147名、 20日165名の参加がありました。
【19日】
・航空局基調講演 (小型航空機の安全対策について)
航空局技術部長
宮下
徹 氏
・Runway Incursion と飛行場管制方式
航空管制調査官
井本
岳史 氏
JAPA 副会長
増田
奉和
運輸安全委員会統括航空事故調査官
小杉
英世 氏
・ASI-NET (システムの必要性と活用の仕方)
・航空事故調査の立場から
・事故より学ぶ (事故例とその対応)
アグスタウエストランド社
【20日】
・実地試験について (操縦士としての資質)
・運航審査について (機長の評価の仕方)
航空従事者試験官
山下
勝 氏
大阪航空局先任運航審査官
森岡
清 氏
渡邉
正義 氏
・第四世代式計器表示装置を有する飛行機の基礎操縦教育について
法政大学理工学部教授
・事故より学ぶ (訓練時の事故からの教訓、 型式移行訓練における教育の着眼点)
アグスタウエストランド社
[活動報告]
−平成21年1月−
1月5日
新年賀詞交換会
1月14日
航空クラブ新春卓話会
1月6日
編集委員会
1月15日
乗員養成検討委員会
航空身体検査証明審査会
1月10日
ATS 委員会
1月13日
航空保安大学校講義 (訓練監督者養成研
修)
100
2009 MAR
運航技術委員会
1月16日
第249回理事会
航空保安研究センター理事会
1月18日
秋山豊寛宇宙飛行士講演会 (沖縄支部)
2月14日
ATS 委員会
1月22日
航空医学委員会
2月16日
航空保安運用連絡会議議題提出趣旨説明
1月23日
運航技術委員会
1月24日
航空気象委員会
航空安全講習会 (山梨)
会
編集委員会
2月17日
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 鹿児島
学科試験問題検討会 (技術協会との
MTG)
1月28日
ヘリコプター委員会
2月18日
宇宙飛行士審査委員会
1月29日
制度検討会・経理委員会
2月19日
第6回小型航空機セーフティーセミナー
1月30日
関西空港事務所管制技術交流会
学科試験問題検討会
1月31日
(20日まで)
2月21日
航空安全講習会 (東京)
−平成21年2月−
中部支部総会/安全セミナー
航空安全講習会 (東京)
2月23日
運航技術委員会
2月25日
ヘリコプター委員会
2月2日
航空障害標識調整会議 (管制保安部)
2月3日
航空身体検査証明審査会
2月4日
FTD 承認検査
GA 委員会
2月7日
航空安全講習会 (茨城)
気象実務者講習 (海自海洋業務群司令部)
2月9日 SLJ 最終実行委員会 (静岡)
2月10日
編集委員会
2月26日
2月27日
八重洲監査法人 監査
法務委員会
2月12日
技量維持連絡会
2月13日
第195回常務理事会
経理委員会・制度検討会
FT 委員会
航空大学校卒業式
2月28日
北海道支部総会
航空気象委員会
CNS/ATM シンポジウム (航空保安研
究センター)
[今後の主な予定]
−平成21年3月−
3月1日
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 名古屋
3月19日
航空保安大講義 (本校)
3月2日
編集委員会
3月23日
航空振興財団理事会
3月5日 航空機操縦士養成機関連絡会議 (第4回)
3月6日
FAI 会議 (航空協会)
3月7日
九州支部総会 (長崎)
東日本支部総会 (協会事務所)
航空保安運用連絡会議
3月25日
ヘリコプター委員会
航空医学研究センター理事会・評議員会
3月27日
運航技術委員会
3月10日
航空身体検査証明審査会
航空管制定期連絡会議
3月11日
航空交通管制協会理事会
航空輸送技術研究センター評議員会
3月13日
第250回理事会
航空保安施設信頼性センター理事会
3月14日
ATS 委員会
3月16日
航空保安協会理事会
3月17日
航空機安全運航支援センター理事会/評
議員会
3月18日
3月28日
夢は叶う Yes I Can (航空教室) 北九州
西日本支部総会、 セミナー
航空気象委員会
3月31日
航空保安大学校修了式
乗員養成検討委員会
2009 MAR 101
第44回通常総会の開催予告
早いもので今年も総会開催の時期が近づいてまいりました。 なるべく大勢の会員の皆様方に出席いただき
ますようお願い致します。
日
時
平成21年5月21日 (木) PM
場
所
羽田空港第1旅客ターミナルビル (ビックバード内)
6F ギャラクシーホール
予定されている総会議案は以下の通りです。
平成20年度事業報告及び決算報告について
平成21年度事業計画及び予算案について
*総会議案は次号 (2009/No.3) に掲載の予定です。
事務局だより
PILOT・AIM-J 等確実にお届けするために、 自宅・勤務地・mail box 等、 変更された場合は速やかに協
会事務局までご連絡下さい。 また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、 便利な口座
自動引落による納入についてご案内致しますので、 協会事務局までご連絡下さい。 申込書をお送りさせてい
ただきます。
∼結婚祝金を給付しております∼
正会員の皆様 (会費月額1,700円 (共済費200円を含む) を納入いただいている60歳未満の方) が対 象となりますが、 結婚祝金を給付しております。 給付額は20,000円です。 給付申請には戸籍抄本、 振 込口座の書類提出が必要となりますので事務局までご連絡下さい。 なお、 婚姻届の届出より3ヶ月以 内 に 申 請 い た だ く こ と と な っ て お り ま す の で 、 予 め ご 了 承 願 い ま す 。 JAPA ホ ー ム ペ ー ジ (http://www.japa.or.jp)
の会員サポート
(共済規程)
をご参照下さい。
102
2009 MAR
オススメ! 情報ボックス
書籍&Goods紹介
編集委員会
このコーナーでは、 書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めGoods等を紹介していきます。 読者の
皆さんも、 是非、 フライトで使用している便利グッズや、 パイロット仲間に紹介したいグッズ、 書籍な
どの情報を、 編集委員会までお知らせください。 もちろん、 ステイ先などでの飲食店情報などもお待ち
しています。
素晴らしき飛行機写真の世界
著者:青木 勝えい
発行:株式会社出版社
〒158-0097 東京都世田谷区用賀
4 5 16
TEL :03−3708−5181
定価:1,500円+税
この PILOT 誌においても表紙写真及び、 投
稿写真としての航空機写真を常時募集している
のですが、 その応募作品の中には、 非常に惜し
いものが多くあります。
同じ場所で、 同じようなカメラとレンズを構
えていても、 撮影された写真に差が生じるのは、
やはりシャッターを押すタイミング、 背景と機
体のバランス、 光線の状態等々ファインダー内
の隅々にまで注意を払ったかどうかです。 もち
ろん、 それ以前に、 露出、 ピント、 ブレ等の基
本がしっかりと押さえられていなければならな
いことは、 言うまでもありません。
最高のチャンスに恵まれた写真であっても、
特殊な意図のものでない限り、 ブレやピントの
外れている写真は、 表紙等には、 使えないので
す。 悔しくても、 残念でも、 仕方がありません。
良い写真が撮れるようになるには、 本書のよ
うな大ベテランの作品を見て、 どうすればよい
のかを理解するのが早道と思います。 この本に
紹介されている撮影の基本的事項、 ヒント、 ノ
ウハウ、 注意事項等は、 そのどれもが実践に裏
付けられた、 すぐに役に立つものばかりです。
もちろん、 最も大切なことは、 意図を持って、
撮影の現場に行くことです。
その行動することの意味も含め、 本書には、
航空機の写真を撮るための様々な内容が、 以下
の順に述べられています。
PART 1. 飛行機の魅力
PART 2. 飛行機を撮ろう
PART 3. 空港へ行こう
PART 4. 撮影テクニック
PART 5. 青木勝の下地撮影行
著者はまた 「あとがき」 において、 以下のよ
うにも述べています。 「…ざっと39年間、 飛行
機を撮り続けてきたのだが、 いまだに飛行機撮
影が面白くてならない。 今尚、 新たな発見と感
動がある。 飛行機への思いは年毎に深まる一方
なのだ」。
そのような著者の手になる本書を参考として、
素晴しい航空機の投稿写真が送られてきますよ
う、 期待を込めて、 本書を紹介させていただき
たいと思います。
2009 MAR 103
JAPA SHOP
品
名
定
価
会員価格
送料
一般価格
送料
AIM−JAPAN
AIM−JAPAN 英語版
学科試験スタディーガイド
パイロットガイダンス
TAKE-OFF 安全飛行への招待
ヘリコプター操縦教本 第2版
航空気象 (新刊)
区分航空図501∼506各
3,500円
3,500円
3,500円
3,500円
3,500円
3,500円
2,500円
2,600円
3,150円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
3,150円 送料込
2,250円 送料込
2,340円+280円
3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+420円
3,500円+380円
3,500円+380円
3,500円+380円
2,500円+380円
2,600円+280円
区分航空図507
ターミナル航空図253、 254
首都圏詳細航空図
パイロット手帳
PILOT 誌
手袋
ライセンスケース
空中衝突
3,100円
2,600円
3,000円
1,200円
800円
5,000円
3,800円
2,300円
2,790円+280円
2,340円+280円
2,700円+280円
1,080円+280円
720円+240円
4,500円+280円
2,800円 送料込
2,070円+380円
3,100円+280円
2,600円+280円
3,000円+280円
1,200円+280円
800円+240円
5,000円+280円
3,800円 送料込
2,300円+380円
お買い求めは操縦士協会もしくは、 お近くの販売店をご利用ください。
直販の場合は代金先払いとなりますのでお近くの郵便局よりお振込みください。
(お振込前に必ず在庫確認をお願いいたします。)
振込口座:郵便局00180−9−88490 社団法人 日本航空機操縦士協会宛
お問い合わせ先:TEL 03−3501−0433
FAX 03−3501−0435
E-Mail:[email protected]
104
2009 MAR
2009 MAR 105
JAPA Aerial Photo Exhibition
ハスキー A-1 の着陸 尾輪機の着陸は易しく無いが なかなかの味わいがある
ハスキー A-1 と曳航を待つ ASK-21 グライダー
羽生滑空場で活躍するハスキー A-1 (編集委員・奥貫)
106
2009 MAR
あなたが写した
航空機の写真が
表紙 に!
編集委員会では、 PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を
募集します。 現在も読者からの投稿が表紙を飾っています。
応募写真の掲載は、 編集委員会で審査の上掲載の予定です。
下記応募要領をご了承の上、 ふるってご応募ください。
・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、 原則として
投稿者が撮影されたものに限ります。 撮影日時・場所・説明等の
添書きも添付してください。
尚、 Digital 写真の場合はできるだけ大きな画素数で撮影したも
のとして下さい。
・応募写真の取り扱いは日本航空機操縦士協会に属し、 お返しでき
ませんのでご了承ください。
・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、 謝礼として3万円
(複数写真で表紙構成となった場合は分割)、 表紙に掲載とならな
かった場合でも優秀な写真は本誌に掲載し薄謝を進呈いたします。
・住所、 氏名、 年齢、 職業、 電話番号、 E-Mail Address 等を明記
してください。
※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。
送付・お問合せ先
社団法人 日本航空機操縦士協会
編集委員会
〒1050003 東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 (3501) 0433 FAX 03 (3501) 0435
E-mail:[email protected]
JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION
2009 MAR 107
編集後記
● 「ハドソン川の奇跡」 と讃えられたサレンバー
ガー機長の Manual にはない瞬時の判断に
よる WELL DONE! は、 管理社会にドップ
リ漬かっている今様パイロットへの素晴らし
い生きた教訓でもある。
(徳田)
●2009年の航空界は、 Hudson 川への不時着水
に成功し、 乗客151名、 乗員5名全員が救出
されるという Big News で幕開けとなりまし
た。 この事例から、 将来の Ditching などの
貴重な情報が得られるに違いありません。 日
本でも対応訓練の問題が浮上するでしょう。
正式な事故調査報告書が公開されるまえに、
諸々の事前勉強をすることをお勧めします。
(KEN)
●本誌発行の頃、 展示飛行シーズンの準備が始
まります。 昨年を反省して今年を考えるので
すが、 前進が無いことは後退を意味します。
また欲張ってもバランスが崩れ、 事故にもつ
ながりかねません。 慎重に進めることが必要
です。
(奥貫)
●本号記事のジャンルの多様さにお気付きだろ
うか。 農道空港、 ビジネス航空、 新開発の航
空機、 自家用航空、 地方空港の実勢など、 そ
して会員の多数を占める定期運送も紙面のシェ
ア挽回の兆しに。
(カレン)
●飛燕の記事にパプアニューギニアでの機体の
残骸回収の話がある。 白骨化したパイロット
が残ったままの機体もあるとの事。 第二次大
戦における日本人の海外戦没者の遺骨収集は
どうなっているのだろうか。
(T. A)
今月の表紙は、 先月号に続き、 I.Ozawa 様の投
稿写真です。 降雪中の滑走路から離陸する機体
をとらえた写真は珍しく、 冬の北海道の厳しい
気象条件が良く表現されています。
(奥貫)
●批判と評論、 冷静に状況を分析して最善の策
について意見を述べるのが評論である。
(RYU)
●ヤップ島の“ZERO”残骸を見て来ます。
(T. O)
●春のいぶきが感じられる寒さの中、 皆様から
寄せられる原稿に暖かさを感じつつ編集作業
にいそしんでいます。
(編集長 蔵岡)
No.313 2009年 3 月号/平成21年3月発行
発行
社団法人 日本航空機操縦士協会
(Japan Aircraft Pilot Association)
〒105-0003
東京都港区西新橋1−18−14
TEL 03 3501 0433 (代)
ホームページ
FAX 03 3501 0435
E-Mail:[email protected]
振替口座/00180 9 88490
108
2009 MAR
URL http://www.japa.or.jp/
禁無断転載
落丁・乱丁本がありましたら
お取替えいたします
編集人
蔵
岡
賢
治
発行人
白
石
豊
樹
定価
印
刷
800円 (税込)
株式会社プリカ