大乗經典に現われた末法思想の 二重 - ECHO-LAB

大 乗 経 典 に 現 わ れ た末 法 思 想 の二重 相 (木
村)
大 乗経 典 に現 われ た末法 思 想 の
二重 相
して豫言 されて いる。無量壽経下巻流通分 には ﹁當來之世経道滅 蓋
我 以慈悲 哀懲特留 此経 止佳 百歳﹂ とあり、亦法華経藥王品 に二文、
普賢菩薩勧 獲品に三文等 に第 五の五百歳 に法華 経 流 布 の豫 言 が あ
る。其代 表的文は藥王品に ﹁我滅度后後 五百歳 中廣宣流 布於 閻浮提
無令断絶﹂ とあ る。斯 く末法 の豫言 に法滅的 と法興的 との二種 があ
る。末法 の二重相 と題した理由は蝕 にある。この鮎 は ﹃天國 は近づ
動 機は終末観を含 む豫言 であ る。か の猫太教 や基督教に は審剣 の終
宗教的信仰 の覧醒や教團 の革新運動には種 々の原因 あるも其中心
経等 ではその反封 に法興 と豫言 している。前者 は最悪 の末法 であ り
重相 と類似 している。大集経 は第五 の五百歳を 法滅 と豫言し、法華
宣言 であり人類 への最後 の審到 である﹄と いう基督教 の終末観 の二
木 村 日 組
末 観があり、印度敬 には共通 に眞理 より向下する過程 の段階を 四
ある。して第五 の五百歳其 自髄 は 一面滅亡史 であり他面興立史 であ
後者 は最良 化する末法 であ る。前者 は有限的 であり後者 は無限的 で
けり﹂ とイ ヱスが告示せし瞬間それが同時 にサタ ンと其王國崩壊 の
で示し、誉那教では六期 で示している。佛教 では原 始佛敬時代 に
つて、終末と開 展と相反す る二面 の焼貼 となつている。これは最 悪
像 の二期 が成立し、大乗時代に末法 が加 わつて正像末 の三時 に遜 別
し正法 より向下する過程 の段階を示して いる。こ の三時 に就 て古來
の末法 に封す る人間 の反 擾力が種 々の過程を経 て時代 を善良 化する
からであ る。佛教 は最も優 れた世界的宗教 であり、其終末 観も合理
的 であ る。故 に佛教 の末法 の豫言に照し て世界史 を解剖 し人類 の過
其年数 を異 にする四種 の読 が傳えられ ているが、﹁正法五百年像法千
年末法萬年﹂ とする読が正 しいとし て古來探 用されて いる。筆者 も
之 に從 う。次 に之を論ず るに先 づ以て定 めね ばならぬ問題 は佛滅年
代 であ る。筆者は其 の研究中 であるから目下 の虜衆聖黙記 の年代 に
のである から萬年 には尚を九千五百年を残 して いる。 この萬年 は千
白 法隠没時代と特性 附け ている。 これ は末法 の最初 の 五百年を指す
示 し、最 後 の五百年 印ち第 五の五百歳或 は第四 の五百歳を圖 壽堅固
る。其慮 で佛教 の末法 の豫 言は濁 り印度 にのみ 蘭 係 す る も の でな
く、全世界 に關係するも のでなくては豫言 の債値がな い。故 に藥王
つて光輝を放 ち科學 は佛教 によ つてそ の所を得ると考えるから であ
科學萬能 の現代 に所 して科學を如何 に指導す べきか否かを認識する
ことは極めて重要 な問題 である。何 ぜなれば佛 敬 の原 理は科學 によ
去 の歩 みと其進展 の過程を顧 ることは最も興味深 く、か つ世界 の將
來 を知 る上に極 めて意義深 いも のである。科學 と矛盾 しな い佛 教が
の十倍 とも亦無限とも解し得 るが、法華経に無令断絶 とあ るから筆
れた時 代に印度 が知らな かつた幾多 の國 が地 上 にあ つた こ と を知
品 には於閻浮提 とあ つて全世界 を指 している。然し斯 る豫言 が現 わ
從 つて置く。す ると入末 は西暦 一〇 一四年 となる。'
大集経 では三時
者 は無限 の意味に解す る。大集経 では第五 の五百歳 は法滅期終末 期
を具髄 的に五 つの五百年或 は四 つの五百年 に分 け法 滅向 下 の過程を
と して豫 言されているが、他 の大乗経典 ではその五百歳 を法興期 と
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に 始 り、 セ レウ カ スを 経 て メガ ステ ニスの印 度 見 聞 記 が成 り、 阿 育
接燭 は印度 とギ リシアであ つて、前 三二六年亜 歴山大 王 の印 度侵入
る。(世
一界
)の 一髄化⋮⋮東西 の接鰯がこ の準 備をした。史上最初 の
法 が最善 化す る爲 め如何なる過程を経 て韓換した かを見 る必要があ
いるから、入末 までに世界が 一髄化す る必要 があり、また最悪 の末
る。して入末期 になると 一閻浮提 に法華経 が流布する と豫言 され て
た。斯 る数世紀 は正しく欧 洲の入末期 であ つた。其間幾多 の科學的
各國 王各諸侯 の上に立ち、民衆 は封建 の束縛 と教灌 の璽迫下 にあ つ
帝國 が成立 した十世紀 である。皇帝 の普遍的樺威 と法王 の其れ どは
間 の本然 の姿 たる自由準等 友愛 の民主 々義 の世界 と轄 じた。国人間
性 の自畳と文 化開 拓⋮⋮教會 の教構が絶頂に達した のは紳聖 ロー マ
年 の ア メリ カ の濁 立 と 一七 八 九年 の フ ラ ン ス革 命 に よ つ て欧 洲 は人
五 世 紀 に亙 る ルネ ッサ ン スを経 て宗 教 改革 を 迎 え、 進 ん で 一七 八 八
は ホ ワ イ ト氏 に よ つて ﹁科 學 と宗 敬 と の闘 孚 ﹂ と いう 論 文 とな つ て
獲見家 は異端審問所 の下 で言語 に絶する迫宮を受 けた。そ の翻孚史
王 の西 方 諸 國 と の友 交 關 係、シ ュンガ ・カ ー ヌワ の爾 時 代 の ヤ ヴ ハナ
の侵 入、 メネ ンダ ー の物 語等 は 何 れ も東 西 接 鰯 史 で あ る。 ギ リ シ
表 われた。著者 は ﹁この翻孚 は科學と神學 と の闘 孚 であ つて科學 と
ア 文 化 の影響 は最 初 阿 育 王 の石 柱 に表 わ れ た が、 前 二- 同 一世 紀 に
議 達 し た ガ ンダ ハラ佛教 彫 刻 は そ の大 な るも の であ る。 三七 五年 東
鰍 す る が、 科 學 を 滅 そう とす る神 學 こそ は宗 教 の敵 であ る﹂ と述 べ
宗教 との其れ ではない。科學 は寧ろ眞 の宗教 を高 貴ならしむる に貢
て悪世末法 の状態を物語 つている。然 し十字軍、 ルネ ッナンス、宗
亜 か ら 西 進 し た フ ン族 は ゲ ル マ ン族 等 の大 移 動 に動 機 を 與 え、 モ ン
教改革等 の過程を経 て其 れが善良化 の末法 へと轄 じはじめ、其自然
ゴ ル族 の マジ ァー ル 一派 も 西 進 し て ハンガ リ 國 を 建 てた。 八 世 紀 に
は サ ラ セ ン族 が東 西 に侵 入 し爾 文 化 の交 流 を 計 つた。 十 一-十 三 世
法、善 良化 の末法 の實現を意味するものである。現 代 こそ法華経が
同時 に科學 を中心 と文化 の世界が實現 したことは正しく正法化 の末
の結果、理性 の世紀たる十八世紀を経 て近代肚會 を築 き、人間 の文
紀 に か け て起 つた 七同 の十 字 軍 は 東 西 の接 鰯 を 助 け、 十 三 世 紀 に世
通 し て欧 洲 を 知 つ た 日本 は 一八 四 八年 ペ リ ー の強 請 を 入 れ 日米 條 約
顯 わす佛陀 昼謹 の縁起 の大法を受入 れる時代 であ る。廣 宣流布無令
化開拓 によ つて科學 の十九世を實現 して舷 に全世界 を科 學化した。
の成立を契機 に世界 の 一髄化が蝕に完 成したの である。口教権よ り
断 絶とは これを意味す。また佛陀の根本教法 は科學 にそ の所 を得 せ
界 的 侵 略 に成 功 し た蒙 古 の元 帝 國 は東 西 の接 燭 と文 化 交流 に最 大 の
自 由 へ...
西.
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.マ滅 亡 か ら宗 教 改 革 ま で の千 年 (四 七 六- 一五 一
図 結論 ⋮⋮世界 の 一髄化 と共 に杜會 の制度國家 の組織 も 一髄 化し、
七) の欧 洲 の申 世 を支 配 し た のは 實 に カ ト リ ッ ク教 會 の教 樺 であ つ
しめて、眞 の卒 和 の世界建設に近づき つつあ るを 知 る。(紙敷不足
る功 績 實 に大 であ つた。 し て十 六 世紀 に ボ ルト ガ ル ・オ ラ ンダ等 を
た。 中 世 の文 化 は 正 しく 教 會 的 性 格 を 有 し 其 學 問 は 紳 學 を 申 心 と
の爲 め参考書 全部を割愛する。)
役 割 を 施 した。 其 他 世 界 的 族 行 家新 航 路 新 大 陸 獲見 家 達 の之 に封 す
し、﹁
萬 物 は神 に よ つて造 ら れ 神 の意 志 に よ つて動 き聖 書 の教 に反 す
る理性 の世界 はあ り得 ない﹂ とし、 ス コラ哲學 は斯 る精紳 を絶封化
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し た。然 し十字軍 によ つて中世 の教灌と封建は大きく輻廻 し、十 四
大 乗 経 典 に 現 わ れ た末 法 思 想 の 二重 相 (木
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