人工知能の発達とベーシックインカム

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【第 120 回】 2016 年 8 月 16 日 森信茂樹 [中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員]
人工知能に仕事を奪われる人々を、
ベーシックインカムで救おうという議論の現実味
中間層が崩壊する恐れも?
人工知能が日本に及ぼす影響
人工知能(AI)の発達で仕事を奪われる中間層が続
出するという。ベーシックインカム(BI)によってそうした人々の生活を保証しようという議論もあるが、果たしてそれ
は現実的か
人 工 知 能 (AI)の発 達 は、わが国 経 済 ・社 会 にどのような影 響 を及 ぼすのか。
アルファ碁 に象 徴 されるディープラーニングの進 化 の状 況 を見 る限 り、AI が
経 済 社 会 のあらゆる分 野 に活 用 されれば、飛 躍 的 な生 産 性 の向 上 をもたらす
可 能 性 は高 い。その一 方 で、これをうまく使 いこなす人 とこれに伴 い職 を失 う人
との間 に、かつてデジタルディバイドと呼 ばれていた大 きな格 差 が、大 々的 に
発 生 するだろう。
すでに野 村 総 研 から、「日 本 の労 働 人 口 の 49%が人 工 知 能 やロボット等 で
代 替 可 能 に」というセンセーショナルな予 測 も公 表 されている。
一 方 政 府 は、名 目 GDP600 兆 円 の実 現 に向 けた成 長 戦 略 (日 本 再 興 戦 略
2016)の中 で、第 4 次 産 業 革 命 を奨 励 しているが、その中 に以 下 のような記 述
がある。
「今 後 の生 産 性 革 命 を主 導 する最 大 の鍵 は、……第 4 次 産 業 革 命 である。…
…既 存 の枠 組 みを果 敢 に転 換 して、世 界 に先 駆 けて社 会 課 題 を解 決 するビジ
ネスを生 み出 すのか。それとも、これまでの延 長 線 上 で、海 外 のプラットフォー
ムの下 請 けとなるのか。……人 口 減 少 問 題 に打 ち勝 つチャンスである一 方 で、
中 間 層 が崩 壊 するピンチにもなり得 るものである」(下 線 筆 者 )
第 4 次 産 業 革 命 に的 確 に対 応 できなければ、健 全 な思 想 の中 核 となる中 間
層 の崩 壊 という大 きな問 題 が生 じるとして、経 産 省 作 成 の図 表 の中 で、「放 置
すれば 700 万 人 を超 える失 業 者 が生 じ、うまく対 応 できても 161 万 人 の失 業
者 が出 る」と試 算 している。
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しかし問 題 は、AI への対 応 が順 調 に進 んだ場 合 にこそ生 じるのではないか。
第 4 次 産 業 革 命 が生 じた場 合 、そのことが失 業 者 の急 増 や所 得 格 差 の拡 大
など極 端 な負 の影 響 をもたらす可 能 性 がある。したがって、それへの対 応 も併
せて検 討 しておくことが必 要 だ。
IT や AI の発 達 は、グローバル経 済 の下 で、市 場 メカニズムにより、我 々の
制 御 できないスピードで、いわば暴 力 的 に進 んでいく。一 方 所 得 格 差 への対 応
は、生 身 の人 間 を相 手 にした政 治 の世 界 だけに、対 応 が後 手 後 手 になること
は目 に見 えている。
さてその対 策 として、欧 州 の経 済 学 者 を中 心 に、ベーシックインカム(最 低 保
障 制 度 、以 下 BI)が提 唱 されている。BI というのは、国 家 が無 条 件 に(勤 労 や
所 得 ・資 産 の多 寡 にかかわらず)、最 低 限 の生 活 を保 障 するための給 付 を行
う制 度 である。もともと、格 差 や貧 困 問 題 への対 応 として提 唱 されてきたのだ
が、AI の発 達 という新 たな要 因 が加 わり、支 持 層 の幅 を広 げている。
つまり、AI がいくら効 率 よく生 産 しても、それを消 費 する(できる)者 がいなけ
れば経 済 は成 り立 たない。AI は消 費 主 体 ではないのである。そこで、政 府 が
BI により国 民 の最 低 生 活 の保 証 をすることにより、消 費 をつくり出 し、経 済 の
維 持 的 な発 展 につなげようという考 え方 である。
そうなれば人 々はあくせく働 くことから解 放 され、その分 余 暇 とか文 化 活 動 に
振 り向 けることができる、という。AI の発 達 により生 産 性 が現 在 の 2 倍 に上 昇
すれば、我 々の勤 労 時 間 は半 分 でよくなり、残 りの半 分 の勤 労 に対 応 する所
得 は国 家 が保 障 ・給 付 することができるというわけである。
これは全 くの空 想 物 語 とは言 えない。米 国 アラスカ州 やアラブ諸 国 の一 部
で、石 油 の算 出 による経 済 的 利 益 を国 民 や州 民 に還 元 するという観 点 から、
無 条 件 の生 活 の補 助 が行 われている。
また本 年 6 月 5 日 、スイスで成 人 に対 して毎 月 27 万 円 を給 付 する「ベーシ
ックインカム(以 下 BI)の導 入 」の是 非 について国 民 投 票 が行 われた。結 果 的
には否 決 されたものの、フィンランドやオランダなどでも検 討 が始 まっている。
わが国 でも、先 ごろの参 議 院 選 挙 で、生 活 の党 など 3 党 (ただし小 政 党 )が
BI の導 入 を政 権 公 約 として掲 げていた。
興 味 深 いのは、BI はリベラルと新 自 由 主 義 の双 方 から主 張 されているという
点 である。リベラル派 は貧 困 対 策 として、新 自 由 主 義 者 は執 行 に多 くのコスト
や問 題 を抱 える社 会 保 障 制 度 をスリム化 し、小 さな政 府 を実 現 しようという考
え方 からの主 張 である。
人口知能に奪われた収入をベーシック
インカムで保証することの 3 つの課題
ユートピアのような話 だが、このような世 界 をつくり出 すためには、乗 り越 える
べき大 きな課 題 が 3 つある。
1 つは、勤 労 をどう考 えるかという問 題 である。BI の最 大 の特 色 は、無 条 件
に給 付 を受 けることができるということだから、勤 労 と所 得 が切 り離 されること
になり、モラルの問 題 を引 き起 こすだろう。とりわけわが国 のように勤 労 を美 徳
とする国 で、このような政 策 にコンセンサスが得 られるだろうか。これは、哲 学
的 な問 題 でもある。
2 つ目 は、BI のための財 源 をどうやって調 達 するのかという点 である。本 年 6
月 4 日 号 のエコノミスト誌 は、医 療 費 (ヘルスケア)を除 く社 会 保 障 費 の GDP
比 を計 算 し、これを総 人 口 で割 って 1 人 当 たりの給 付 額 を試 算 する方 法 を示
している。
これにしたがってわが国 の場 合 を計 算 してみよう。エコノミスト誌 (OECD 統
計 )によると、わが国 の医 療 を除 く社 会 保 障 費 負 担 割 合 (GDP 比 )は 5.7%な
ので、それを GDP500 兆 円 にかけて 1 億 2000 万 の人 口 で割 ると、おおむね 1
人 当 たり年 間 23 万 円 (月 2 万 円 )程 度 になる。過 去 、ダイヤモンド・オンライン
で山 崎 元 氏 が社 会 保 障 給 付 費 (90 兆 円 から医 療 費 を差 し引 いた 60 兆 円 )か
ら逆 算 されているが、その水 準 は 1 人 当 たり月 4 万 6000 円 である。
これでは、現 行 の生 活 保 護 水 準 (たとえば 50 代 の単 身 世 帯 で、生 活 扶 助 費
が 8.2 万 円 、住 宅 扶 助 費 が 5.4 万 円 、合 計 13 万 5000 円 )をはるかに下 回
る。したがって最 低 限 の生 活 保 障 という場 合 、一 人 当 たり月 10 万 円 弱 の給 付
額 となる。つまり、その水 準 に引 き上 げるためには、AI が生 み出 す追 加 的 な付
加 価 値 に大 規 模 に(ざっと計 算 して 5、60 兆 円 )課 税 する必 要 が出 てくる。
AI から生み出す付加価値に課税して
BI の財源を捻出するには
では、どのように AI から生 み出 す付 加 価 値 に課 税 して BI の財 源 を捻 出 した
らいいのだろうか。
まず、AI を操 る高 所 得 者 への課 税 強 化 が考 えられる。今 の最 高 税 率 55%
(国 ・地 方 )を大 幅 に引 き上 げるのである。しかしこれは、彼 らの勤 労 意 欲 を損
なわせたり、海 外 への所 得 の租 税 回 避 や節 税 行 為 を引 き起 こしたりすることが
容 易 に想 像 され、実 効 性 は薄 い。法 人 への課 税 強 化 も同 じである。
結 局 、土 地 という移 動 できないものへの課 税 強 化 につながるが、これは別 の
意 味 で経 済 に悪 影 響 を及 ぼす。
このように BI の裏 側 には、財 源 の調 達 の問 題 (税 制 )があるわけで、ここまで
考 えておかなければ現 実 の選 択 肢 とはなり得 ない。
最 後 に、BI は大 きな政 府 を志 向 するのか、それとも政 府 の効 率 化 を目 指 す
新 自 由 主 義 的 な政 策 として導 入 するのか、この点 を明 確 にしなければ、支 離
滅 裂 な議 論 になる。わが国 でも、双 方 からの主 張 が混 在 している。
このような論 点 を、AI が我 々の就 労 の半 分 にとって代 わるまでに議 論 してい
く必 要 がある。その間 は、フルタイムで働 いていても貧 困 層 から抜 け出 せない
人 々への対 処 として、勤 労 にインセンティブを与 える給 付 付 き税 額 控 除 (勤 労
税 額 控 除 )の導 入 を行 う必 要 がある。「給 付 付 き税 額 控 除 」は、勤 労 を給 付 の
条 件 としている点 で BI とは異 なるが、人 々の生 活 水 準 を引 き上 げ、自 らの価
値 を高 める点 では共 通 している。
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