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作品受容における文芸新聞の役割 : 『失われた時を求めて』

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作品受容における文芸新聞の役割
作品受容における文芸新聞の役割
―『失われた時を求めて』とヌーヴェル・リテレール紙(1922−1954)―
禹
朋子
ある作家、あるいは文学作品に対する評価は、どのようにして定まっていくのであろうか。
国・地域や時代によってその要因は様々であろうが、19 世紀末以降のフランスにおいて定期
刊行物が果たした役割は極めて大きい。マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』
のフランス本国における受容についてももちろん例外ではなく、とりわけプルーストとフィガ
ロ紙やヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ誌の関係が深いものであったことは良く知られてい
る。前者はプルーストが有名作家になる以前から原稿を寄せていた保守派の新聞であり、後者
は新進作家を集めた文芸雑誌としてプルーストに関する論考をしばしば掲載して彼を支持し
た。またその出版部門、NRF は一度はプルーストの持ち込み原稿を拒否したものの第二巻以
降の出版権を得て、最終刊までの刊行を行ったのである。
これらに代表される発行数の多い日刊紙と有名作家や批評家が寄稿する文芸専門雑誌(多く
は月刊)の間にあって忘れられがちであるが、第一次世界大戦と第二次大戦の間の一時期、フ
ランスでは丁度その中間に位置する週間の文芸紙がいくつか刊行され、良質の文芸欄を提供し
ていた。この両大戦間期というのは、まさにプルースト作品の評価が定まっていく時期に当
たっており、それら文芸紙の重要性は無視できないと思われる。本稿はそのひとつ、ヌーヴェ
ル・リテレール紙に掲載された記事を分析し、『失われた時を求めて』の受容におけるその役
割について考察するものである。
『失われた時を求めて』出版事情と評価確定の重要期
『失われた時を求めて』のフランス本国における受容について考える際、まず注意しておか
なければいけないのは、その出版事情と時期の特殊性である。小説は複数の巻から成り、第一
次世界大戦をはさんで八回に分けて出版されている。1913 年に第一巻『スワン家の方へ』が
出版された後、戦争勃発のため印刷作業が滞る一方、作者による作品の加筆訂正も進行して
いった。第二巻『花咲く乙女達の陰に』の出版は終戦後の 1919 年、NRF 社(のちに出資関係
の変更によりガリマール社)により行われた。これがゴンクール賞を受賞し、プルーストの名
は一躍多くの人々に知られることとなった。以後、1922 年に死去するまで毎年一巻のペース
で刊行がなされるが、最後の三巻は、それぞれ 23、25、27 年に実弟ロベール・プルーストと
編集者の手により死後出版されたのである。
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作品受容における文芸新聞の役割
この作品の評価形成過程に関しては、いくつかの大きな区切りを設けることができる。第一
巻の出版、ゴンクール賞受賞、プルーストの死去、最終刊の出版、そして第二次世界大戦であ
る。『スワン家の方へ』に際してはプルースト自身がいくつかの定期刊行物に記事を掲載して
もらう為に奔走したことが知られている。これをもって、プルーストはそれ以前には一部の文
芸愛好家にしか知られていない存在であったから、そうでもしなければ第一巻が注目されるこ
とはなかっただろうと主張する向きもあったが、そのように即断するのは早計で、実際には
1913 年から翌年にかけて、かなりの数の批評記事が出されている。けれども戦中の空白期間
の後発売された第二巻が文芸賞を受賞したことが、プルーストを扱った批評記事の数を決定的
に増大させたことに変わりはない。以後、新たな巻が発売されるたびに、これが各紙・誌で話
題にされないことはなくなった。
ゴンクール賞受賞時に勝るとも劣らない数の記事が一斉に書かれたのは、1922 年 11 月にプ
ルーストが死去した際のことである。この出来事は、追悼記事ばかりではなく、その後も作家
の友人、知人であった有名人達の回想記事、そしてプルーストとの間に交わされた書簡の発表
を促した。現代の批評であれば、この種の記事は作品の理解において本質的ではないと断じる
であろうが、当時は作家の人と作品が分けて語られる習慣がなかった為に、プルーストの風変
わりな生活や作品刊行途中での死去、彼について語る友人達の名声は『失われた時を求めて』
を神話化する作用を持ったのである。
しかしこの時点で小説はまだ完結していない。以後も新たな巻の発刊の度に書評が出され、
文芸誌ではその評価が論じられた。1927 年の最終巻刊行は、作品全体の評価を可能にした。
その結果、記事ばかりではなくプルーストについての本もより多く出版されるようになり、新
聞・雑誌は今度はそれら研究書の書評も掲載することになった。1930 年代も後半に入ると
徐々に関連記事数は減少してプルースト批評は停滞期に入り、世界は二度目の大戦に突入す
る。戦中、文芸活動は当然不活発にならざるをえないし、とりわけフランスがドイツに支配さ
れていた時期は、ユダヤの血を引くプルーストについて語ることが困難であったことは想像に
難くない。
プルーストとその作品がこの「煉獄」から抜け出すのは戦後まもなくのことであり、しかも
この時期の記事には作品の内的価値についての議論はもはや見られない。プルーストは偉大な
小説家であり、その作品は傑作であるという論調が各誌を支配している。1952 年にはプルー
ストの未発表原稿を発掘したベルナール・ド・ファロワが『ジャン・サントゥイユ』を、次い
で 54 年には『サント=ブーヴに反論する・新雑録』を刊行し、また同 54 年には『失われた時
を求めて』の新校訂版がガリマール社のプレイヤッド叢書の一つとして出版される。戦争直
後、サルトルをはじめとする行動文学派は、プルーストはブルジョワの文学にすぎないと主張
し、社会におけるプルーストの無用性批判をしたことは有名だが、これら新刊行本の反響は大
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作品受容における文芸新聞の役割
きく、プルースト作品の魅力そのものが勝利を収めたといえよう。
その後、新批評が人と作品を切り離して『失われた時を求めて』を論じていくが、これはま
た別種の研究態度であり、したがって、実質的にプルースト作品に対する第一の価値判断がな
されたのは、1920 年代から 30 年代前半にかけて、すなわち両大戦間のことであると考えてよ
い。
両大戦間の週刊紙
先ほど述べたように、この両大戦期にいくつかの週刊紙が創刊された。経済事情により日刊
という形態が保てなくなったため、週刊化することになったものも多かった。これには自社出
版物の宣伝効果をねらった出版社の参入もあり、そのためにすぐれた文芸欄を持つものも少な
くなかった(1)。ヌーヴェル・リテレール紙は 1922 年 10 月に創刊され、第二次大戦中の 1940−
44 年の休刊をはさみ、1958 年まで発行された。紙面は新聞大の大判で、当初は全 4 ページの
体裁であった。出版元はラルース社であるが、ガリマール社からの出資を得ていた。従って、
ガリマール社からの広告が数多く出稿されていたばかりか、同社の出版物には特に配慮がなさ
れていた。この成功に刺激されたファイヤール社は 1924 年 3 月にカンディード紙を創刊(終
刊は 1944 年)
、たちまち成功を収め、当初の部数は 8 万部、1936 年には最大の 46 万 5 千部に
達するに至った。これがヌーヴェル・リテレール紙最大のライバル紙となったが、カンディー
ド紙の方は政治色が濃い右派紙である点が大きく異なっていた。カンディード紙に対する左派
政治・文芸新聞としてグランゴワール紙が 1928 年、マリアンヌ紙が 1932 年に刊行される(2)。
プルーストに関連する記事はこれらのいずれにも見られるが、その数には大いに差がある。
筆者の調査した範囲では、各誌の創刊から第二次大戦までの期間について、最後に挙げた二紙
には各数件、カンディード紙に 25 件、ヌーヴェル・リテレール紙には 89 件の関連記事を見つ
けることができた(3)。『失われた時を求めて』の版元であるガリマール社との特別な関係を考
えても抜きんでた数であり、政治を扱わないという紙の姿勢とその文芸欄の質をうかがわせ
る。以下、その創刊からプルースト作品の各種刊本が出そろう 1954 年までの期間について、
特徴的な掲載記事への考察を加えていきたい。
書評欄「本の精神」
(«L’esprit des livres»)
文芸紙は、まずなによりも作品評価の場である。ヌーヴェル・リテレール紙の書評欄「本の
精神」
(«L’esprit des livres»(4))を担当していたのはエドモン・ジャルーであるが、彼はプルー
スト作品をどう評価していたのだろうか。
ヌーヴェル・リテレール紙の発刊以降に出版されたのは、『囚われの女』
『逃げ去ったアルベ
ルチーヌ』『見出された時』の各巻であるが、これらはいずれもこの書評欄で論じられてい
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る(5)。『囚われの女』について E. ジャルーが特に取り上げているのは、アルベルチーヌに関す
る主人公の嫉妬の異常さ、シャルリュス男爵がヴェルデュラン家から追放される場面のコミッ
クな要素、そしてベルゴットの死の場面である。この時期までにプルーストにおけるコミック
の重要性を、しかもモレルがシャルリュス男爵を裏切るという、本来的に悲劇的な場面におい
て指摘した論考は他にあっただろうか。また、ジャルーがプルースト自身のそれを想起しつつ
ベルゴットの死の場面を論じていることは、当時の読者が実際に置かれていた状況を知る上で
貴重な証言となっている。
書評欄は通常、紙面の下方三分の一を占めており、多くの場合複数の新作評を含んでいる
が、『逃げ去ったアルベルチーヌ』にはその全面が充てられている。ここでジャルーはアルベ
ルチーヌの出奔と死、主人公の嫉妬と悲しみ、ヴェネチア旅行、身分違いの二つの結婚、とい
う大筋を過不足なく紹介しつつ、独自の意見も提示している。まずそのひとつは、物語の主人
公がプルーストその人ではないかと一度だけ考えてみよう、と読者に提案していることであ
る。「私」という一人称を名乗る小説の主人公と作者プルーストを同一視する傾向は出版当時
はもとより、その後も長く見られた現象であった。その原因は、これが一人称小説であること
と、作中の挿話と作者の実生活との類似点が多く見られたこと、そして作中人物にもモデルが
あると考えられ、その特定が盛んに行われたことにある。もちろん小説はフィクションであっ
て自伝ではないとプルーストが繰り返し述べていることはジャルーも十分承知していて、文中
でもその旨述べているのだが、それにもかかわらずアルベルチーヌを失った主人公の内面分析
を読むほどに、その感情の真なることを感じ、そのような誘惑に駆られることもジャルーは率
直に認めている。これはまた実際にその後多くの読者の抱えたジレンマでもあった。
また、それまでは非の打ち所がない貴公子として描かれていたサン=ルーが、実はその叔
父、シャルリュス男爵と同じく同性愛者であったことがこの巻で明かされる。この突然の展開
については、プルースト自身からその計画を聞いたことを明かし、一般には極めて不道徳と考
えられている性質の分析にプルーストが手を染めたことに対して一定の理解を示している。す
なわち、プルーストはこれまで嫌悪感から人が避けてきた領域を探索しようとしているのであ
り、この行為を不道徳だと言うことはできないはずだ、と述べるのである。このようにプルー
ストの大胆な試みを積極的に支持する態度は、出版直後の反応としては稀なことである。
最終巻に対する書評は二週にわたって連載された。この長い論評のうち、特に重要なポイン
トを二点挙げるとするなら、その一つは、第一次世界大戦が作品構成の当初案を大きく変えた
と指摘されていることである。『失われた時を求めて』は、その草稿帳がフランス国立図書館
に所蔵されていることや、計画変更の激しさ等の理由から、草稿研究がとりわけ盛んに行われ
ている作品の一つである。現代の我々は、戦争もまた作品の生成に大きな影響をもたらしたこ
とは当然知っているのだが、これを草稿研究の成果だと考えるきらいがある。これは実は誤り
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で、そのようなことは、この書評に既に述べられているのである。
今ひとつ指摘したいのは、今読んでもこれといった欠点の見あたらないジャルーの解説が次
のように締めくくられていることである。「今日、ようやくマルセル・プルーストの作品の真
の偉大さが我々の前に姿をあらわした[…]しかし作品に内在する美が完全に明らかになるに
は、まだ何年もかかるだろう。もしかすると同時代人にとっては、全てが明らかになることは
決してないかもしれない。
」この指摘はまさに現実となり、プルーストとその作品については
様々な観点から多くの論考が書かれ、また著作も早くから出版されたのである。
プルースト論、およびその論評
ヌーヴェル・リテレール紙は、そのような論考のみならず、関連著作の評も多く掲載してい
る。両大戦間期に掲載された記事、書評を見ると、この時期のプルースト評論一般に見られた
テーマを網羅していることがわかる。すなわちプルーストの人と作品、小説の構成、文体、作
品に見られる相対主義、神秘主義、音楽の重要性、プルーストとユダヤの問題、プルーストと
心理学、プルーストとフロイト、プルーストの現代性といったものである。
また著者の顔ぶれについても、プルーストの友人であった作家達に加え、バンジャマン・ク
レミュー、レオン・ピエール=カン、ルイ・ド・ロベール、エルネスト=ロベール・クルチウ
ス、ジョルジュ・カトィといった、後にプルーストについての著作を残す人々が含まれている
ことに注目したい。要するにこの時期、ヌーヴェル・リテレール紙が引き寄せていた評論家と
その論考は最も良質のものである上、特定の流派に偏ることもなかったと言えるだろう。
インタビューコラム「…との一時間」
(«Une heure avec...»)
ヌーヴェル・リテレール紙の連載コラムの中でも最も知名度が高く、また独自色が高いの
は、フレデリック・ルフェーヴルの「…との一時間」(«Une heure avec...»)であろう(6)。これ
はルフェーヴルが作家に対して行うインタビューコラムであり、創刊時から 1938 年まで連載
された。空欄には毎回のゲスト名が入れられて標題とされた。このコラムのおかげでヌーヴェ
ル・リテレール紙は、評論家ばかりでなく、作家が意見表明することのできる場としても機能
していたのである。
ルフェーヴルはヌーヴェル・リテレール紙創刊メンバーの一人であり、また編集長でもあっ
た。自ら創作活動をする一方、ラジオ・パリにおいても作家のインタビュー番組を担当し、こ
のジャンルの創始者とも言われた人物である。また、ウージェヌ・ダヴィの『北ホテル』の原
稿を読んで評価し、その刊行の為に尽力したことでも知られている。
ヌーヴェル・リテレール紙の創刊は、プルースト死去の直前であるから、«Une heure avec
Marcel Proust» という記事は存在しない。しかし様々な作家がプルーストについて述べてい
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る。全ての記事がそうだというわけではないが、わざわざプルーストついて尋ねれられたので
はなく、話がそこに及ぶといった形でプルーストの名前が挙がる場合、あるいは新たな巻本発
刊直後のリアクションが見られる場合など、各作家の関心事や意見に直接触れることができる
ようで、興味深いものとなっている。
1923 年は、10 月までにジャン・コクトー、フランソワ・モーリヤック、ジャン・ジロ
ドゥ、ロラン・ドルジュレス、ジャック・マリタンとアンリ・マシスといった面々が掲載記事
の中でプルーストについて触れている。コクトーの談話(7)は、プルーストの友人としてのもの
である。取材時、コクトーは作者からの贈呈本二冊をルフェーヴルに示して説明しているが、
ここで極めて重要なことが述べられている。第二巻『花咲く乙女達の陰に』にはプルーストの
手によってセヴィニエ夫人による月光の描写が書き写されているというのである。コクトーは
この点について次のように説明している。「プルーストはこの描写に多くを負っていると言っ
ていました。
」実際この巻には、月明かりによって事物が通常と異なって見えるその様(具体
的には木々が人間のように見えるという光景)を、その理由を示すに先だって、まず知覚がと
らえた通りに描写しているセヴィニエ夫人書簡集の一節が引用されている。物語の主人公はこ
の箇所に魅力を感じるのだが、その理由はまだ理解できない。のちにヴァンサン・デコンブが
指摘したように(8)、知覚の錯覚を理知に優先させる方法は、作中の画家エルスチール、ひいて
はプルースト自身の重要な芸術原理である。セヴィニエ夫人の月光の描写の重要性は、後続の
巻『囚われの女』で初めて解説され、読者に示されることになる。
プルーストの説明を紹介する際、「言っていました」という部分でコクトーは prétendre とい
う単語を使っている。この動詞は、しばしば「…と言い張る」と訳されるように、発言者の主
張が誤っていることを含意するものであるから、コクトー自身、プルーストによる説明を本当
だとは思っていなかったことを示している。この時点でコクトーの談話が多くの人の注意を引
いたとは思われないが、実はこのさりげないエピソードには作品理解の重要な鍵が含まれてい
るのである。1923 年というのは『囚われの女』が発売された年である。しかし印刷完了が 11
月であるため、コクトーもルフェーヴルもその内容をまだ知らないことに注意したい。
モーリヤック(9)は、発売されたばかりの自作『火の河』の登場人物達が性的な要素に強く支
配された存在であることを認め、自分達の世代はプルーストとフロイトの影響を受けた最初の
世代であると述べた後、自分がこの作品を書いた時点では彼らの著作を「一行たりとも読んだ
ことがなかったし、プルーストとフロイトのことはほとんど知らなかった」と急いで付け加え
ている。逆に言えば、1923 年の時点で二人が大いに話題にされ、他の理論や作品を判断する
基準の一つですらあったことを示す証言である。
外務省でフランス文学作品外国部長を務めていたジロドゥは、プルーストを含めた NRF の
作家達が外国でいかに売れているかについて述べているが(10)、文壇において勢力を増した
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NRF に対する反発も少なからずあり、その反映はこのコラムにも見られる。この年掲載され
(11)はアン
たドルジュレス(7 月)、ならびにマリタンとマシスのダブルインタビュー(10 月)
ドレ・ジッドと NRF に対する激しい攻撃の場と化した。12 月に掲載されたジャック・リヴィ
エールのインタビュー(12)は、実質的にはこれに対する反論の機会を提供するものである。マ
シスがプルーストに向ける批判というのは「出来事は自己の内面にしか起こらず、現実といえ
ば心理的なものに限られ、自己が唯一の対象であり、知りうるただ一つの現実である」という
“悪しき状況”を作り出したことにあった。クローデル(13)も「内面ばかりを見つめているのは
不健全である」と、同様の意見を 1925 年のインタビューで述べているから、これはマシス特
有の偏見というわけではない。当然リヴィエールはマシスに対する反論を行う。
しかしこの論争も翌 24 年にルネ・ボワレーヴ(14)がマシスは「聖像破壊の情熱にとらわれ
て」犠牲者を攻撃しているに過ぎないと批判していることでわかる通り、NRF の立場を危う
くすることはなかった。ボワレーヴは同じインタビューの中でプルーストに対して次のように
述べている。イギリスの作家が自由に執筆しているのに比べ、フランスの作家達は形式上の規
則にとらわれがちであったが、この問題を打破したのがプルーストであった。そしてプルース
トは模範とすべき作家ではない、といった批判は承知しているとした上で「プルーストの作品
ほど強烈に、かつ長きにわたって私に影響を及ぼした作品はない」と続けているが、この部分
は例外的なことに全て大文字で書かれ、大いに強調されている。
1924 年から 25 年にかけてのゲストのなかには、1898 年生まれの若い作家ジョセフ・ケッセ
ル、ルフェーヴルが取材した最初の女性作家となったコレット、そしてデビューしたばかりで
まだ無名に近かったジョルジュ・ベルナノスの名が見える。かれらはプルーストについてより
自由に個人的な意見を表明している。ケッセル(15)は、プルースト作品は聖書のようなもので
「一度読み終わっても再読でき、そのことによって新たな、そしてさらに多くのものを得るこ
とができる」作品であると述べている。コレット(16)はプルーストを今日最高の作家の一人と
位置づけ、プルーストの新しい巻が出されることは自分にとって大事件であり、その価値をま
だ認めない人がいるなんて信じがたい、と断じている。
ベルナノス(17)はジッドの話題作『贋金作り』を失敗作だと見なす一方、プルーストは心の
深淵を探索する先駆的な作家であり、カトリック作家がプルーストに先んじなかったのは不思
議であるとすら述べている。ルフェーヴルから「スキャンダル」について尋ねられると、これ
を次のように一蹴している。「スキャンダルなどと言うのは、恋愛に関する研究が、ブラッス
リーで人の心を学んだ放蕩者だけのものになってしまうのを見るようなものです。」ここでプ
ルーストに関して「スキャンダル」という一語で示されているのは、『ソドムとゴモラ』の巻
以降、『失われた時を求めて』で表立って扱われるようになった同性愛のテーマであり、また
そもそも不道徳な行為があっても不思議ではない下層階級ではなく、貴族や大ブルジョワに属
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する登場人物がその悪に染まっている様子を描いている点を指していると考えられる。ルフェ
ーヴルが以上のようなことを述べるために、紙面で「スキャンダル」という婉曲な表現を使う
にとどめていること自体、プルーストの小説が当時の道徳規範を大きく逸脱していたこと、そ
して彼に讃辞を送ることが勇気ある行為であったことを改めて我々に示してくれる。あるいは
以上挙げた三人の若手、女流、新人作家はこのことを十分意識した上でインタビューに答え、
自らの立場を示したとも言えよう。
1926 年になると、アンドレ・モロワの記事が二度にわたって掲載される(18)。モロワはのち
にプルーストの本格的な伝記(19)を出版することになるのだが、ここでも作家としての意見と
いうよりは批評家としての見解を述べている。プルーストの小説において主人公は外の世界を
ゆっくりと、(知性ではなく)精神を通じて理解していくこと、またプルーストは「人間存在
の核」というべきものを示すことがなく、登場人物がどこかばらばらな印象を与えること、あ
るいはプルースとイギリス小説の影響関係等、現在にも通用する作品理解の重要点を 26 年の
時点で示していることには驚嘆せざるを得ない。
第二次大戦後の状況
1940 年から 44 年までの間、ヌーヴェル・リテレール紙は戦争の影響により休刊する。復刊
後の同紙に掲載されたプルースト関連記事を一瞥するだけで、そのトーンが大きく変化してい
ることが容易に見て取れる。しかし、変わったのは新聞の質ではなく、世論の方だと考えるべ
きであろう。第一次大戦終了時もそうであったが、戦争直後というのは、文学作品に対する需
要が高まる時期である。1930 年代も後半にはいると、プルーストはもはや若者には読まれな
い古びた作家なのではないか、という論調も見られたのであるが(20)、そのような悲観的な予
想は裏切られることになった。
1946 年に掲載された G. シャランソルの記事(21)は、小説の主人公が休暇を過ごしに行く
町、コンブレのモデルとなったイリエのルポルタージュである。文中、シャランソルは実際の
町と架空の町を完全に同一視し、イリエの町の鐘楼の写真に「コンブレの鐘楼」というキャプ
ションをつけて掲載している。このような郷土愛の発露とも言うべき態度は、おそらくは戦争
の反動なのであろうが、これはこの記事に限ったことではなく、その翌年 1947 年 4 月発行の
雑誌「平野と丘」
(Plaines et collines(22))第 5 号にも同様の特集が見られる。
また戦後、『失われた時を求めて』の原型となった習作『ジャン・サントゥイユ』がベルナ
ール・ド・ファロワによって発見され、1952 年に出版されたことは既に述べた通りである
が、そのことを報じた記事の標題は当時のプルーストの扱いを象徴的に示している。アンド
レ・モロワはこの作品を「巨匠の習作」
、ケンプはこれを「聖遺物」と呼んでいるのである(23)。
プルーストを一種のスターのようにあつかう風潮は、同 52 年、彼の忠実な家政婦であった
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作品受容における文芸新聞の役割
セレスト・アルバレの証言をテレビや各新聞、雑誌がプルーストの死後三十年記念記事として
大々的に扱ったことで決定的になった。むろんヌーヴェル・リテレール紙もその例にもれず、
プルーストの命日に近い 11 月 20 日号に記事を掲載している(24)。
おわりに
掲載される批評、論考の数、そして質からしてヌーヴェル・リテレール紙が両大戦間のフラ
ンスにおいて、プルーストの作品評価のオピニオン・リーダーの一つであったことは疑い得な
い。しかしプルーストの作品受容においてそのような重要な役割を果たしたのも第二次大戦勃
発までのことであった。それは何も戦後、ヌーヴェル・リテレール紙の質が低下したことを意
味するものではない。二次大戦後は、プルーストに対する評価は完全に好意的なものとなり、
意見形成の必要がなくなってしまったのである。プルーストについて新たに活発な議論が起こ
り、再び何らかの価値判断の対象となるには、ヌーヴェル・クリティックの登場を待たねばな
らない。そしてその頃にはヌーヴェル・リテレール紙はもはや終刊を迎えていたのである。
ヌーヴェル・リテレール紙掲載プルースト関連記事一覧(1922−1954)
・このビブリオグラフィー作成にあたっては、次の図書の書誌を参考にした。ただし誤りや不正確な記載も
多く、訂正・増補に努めた。
− ALDEN, Douglas W., Marcel Proust and his French Critics, Los Angeles, Lymanhouse, 1940.
− BONNET, Henri, Marcel Proust de 1907 à 1914, 2e éd., Paris, Nizet, 1971.
− CHANTAL, René de, Marcel Proust : critique littéraire, Montréal, Presses de l’Université de Montréal, 1967,
2 vol.
・記事については全て閲覧ないし複写により入手済みであるが、掲載ページについては不明なものがいくつ
かある。ページ不明のまま複写依頼し、ページ全体のコピーが入手できなかった場合である。ただしその
場合もレフェランスの標題、日付が正しいことに間違いはない。
・複写については本学をはじめ、国内外の図書館のご協力を得た。記して深謝します。
1. 1922.11.25, Cocteau, Jean, «Le masque de Proust», p. 1.
2. 1922.11.25, Jaloux, Edmond, «L’œuvre de Marcel Proust», p. 1.
3. 1922.11.25, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Pierre Mille(L’apport de Marcel Proust)
», p. 1−2.
4. 1922.11.25, Martin du Gard, Maurice, «Marcel Proust est mort», p. 1.
5. 1922.11.25, Morand, Paul, «Une agonie», p. 1.
6. 1923.01.20, Crémieux, Benjamin, «Le livre de la semaine. Sur l’hommage de Marcel Proust».
7. 1923.03.24, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Jean Cocteau», p. 1−2.
8. 1923.05.26, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec François Mauriac», p. 1−2.
9. 1923.06.02, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Jean Giraudoux», p. 1−2.
10. 1923.07.07, Berl, Emmanuel, «Freud et Proust», p. 3.
11. 1923.07.07, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Roland Dorgelès», p. 1−2.
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作品受容における文芸新聞の役割
12. 1923.07.28, Spire, André, «Marcel Proust et les juifs», p. 1.
13. 1923.10.13, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Jacques Maritain et Henri Massis», p. 1−2.
14. 1923.12.01, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Jacques Rivière», p. 1−2.
15. 1924.02.09, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. La Prisonnière», p. 2.
16. 1924.02.09, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec André Bellessort», p. 1−2.
17. 1924.02.23, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Correspondance(lettre de Jacques Rivière)
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20. 1924.06.07, Berl, Emmanuel, «Marcel Proust en jugement», p. 8.
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22. 1924.09.11, Robertfrance, Jacques, «Freud et l’opportunisme».
23. 1924.10.11, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Les Plaisirs et les jours», p. 3.
24. 1924.11.01, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Souvenirs d’un jardin détruit, par René Boylesve», p. 3.
25. 1924.11.22, Duvernois, Henri, «Le souvenir de Marcel Proust», p. 1.
26. 1924.12.27, Reboux, Paul, «À la manière de... Marcel Proust», p. 4.
27. 1925.02.21, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Jacques Rivière, romancier», p. 3.
28. 1925.04.18, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Paul Claudel», p. 1, 2, 6.
29. 1925.06.06, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Jacques de Lacretelle», p. 1−2.
30. 1925.06.06, Pierre-Quint, Léon, «Le style de Marcel Proust», p. 6.
31. 1925.06.13, Breton, Claude, «Les visages de la comédie. Discordances», p. 7.
32. 1925.06.13, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Joseph Kessel», p. 6.
33. 1925.08.08, Charasson, Henriette, «De qui est-ce ?», p. 2.
34. 1925.08.29, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Marcel Proust : ses critiques», p. 3.
35. 1926.01.16, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Albertine disparue», p. 3.
36. 1926.01.23, Revon, Maxime, «René Boylesve, Proust et le ’Freudisme’», p. 2.
37. 1926.03.27, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Colette», p. 1−2.
38. 1926.04.17, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Georges Bernanos», p. 1, 2, 7.
39. 1926.04.24, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec André Maurois(à suivre)
».
40. 1926.05.01, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec André Maurois(suite)
», p. 1−2.
41.
1926.07.10, Coeuroy, André, «La Musique et l’immortalité dans l’œuvre de Marcel Proust , par BenoitMéchin», p. 3.
42. 1926.08.28, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres.... Sur Jean-Paul et sur Marcel Proust», p. 2.
43. 1926.09.04, Robert, Louis de, «Quelques réflexions sur Marcel Proust», p. 1−2.
44.
1926.09.11, Crémieux, Benjamin, «Autres réflexions sur Marcel Proust ( réponse à l’article de Louis de
Robert)
», p. 1−2.
45. 1926.09.18, Robert, Louis de, «Réponse à M. Benjamin Crémieux à propos de Marcel Proust», p. 2.
46. 1926.10.02, Anonyme, «Revue des revues. Encore Marcel Proust», p. 5.
47. 1927.05.14, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Léon Braunschvicq», p. 1, 4.
48. 1927.06.18, Crémieux, Benjamin, «Les lettres françaises. Marcel Proust épistolier», p. 4.
49. 1927.09.17, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Marcel Proust, André Gide, Paul Valéry, par Paul Souday».
50. 1927.12.03, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Le Temps retrouvé».
51. 1927.12.10, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Le Temps retrouvé(suite)
».
52. 1927.12.31, Proust, Marcel, «Une lettre inédite de Marcel Proust», p. 2.
―2
4―
作品受容における文芸新聞の役割
53. 1928.03.03, Curtius, Ernst-Robert, «Perspectives : du relativisme proustien», p. 7.
54.
1928.07.14, Blanche, Jacques-Émile, «Mes modèles II : Marcel Proust ; le salon de Mme Straus, Marcel
Proust et l’Affaire», p. 4.
55.
1928.07.21, Blanche, Jacques-Émile , « Mes modèles II : Marcel Proust et l’Affaire ( suite ), les sources
d’information mondaine de Marcel Proust, la férocité de Marcel», p. 4.
56.
1928.07.28, Blanche, Jacques-Émile, «Mes modèles III : la férocité de Marcel(suite), Marcel Proust et la
religion», p. 4.
57. 1928.09.22, Pierrefeu, Jean de, «La leçon de Proust», p. 1.
58. 1928.10.06, Pierrefeu, Jean de, «Quelques aspects de Proust», p. 1−2.
59. 1928.10.06, Proust, Marcel, «Un poème inédit de Marcel Proust : ‘Pour Louisa’», p. 1−2.
60. 1928.10.06, Pierre-Quint, Léon, «Lit-on Marcel Proust ?», p. 1−2.
61. 1928.11.03, Pierre-Quint, Léon, «Quelques lettres de Marcel Proust avec les souvenirs de Mme J. P. Pouquet»,
p. 3.
62. 1928.12.01, Anonyme, «Revue des revues. Marcel Proust et André Gide», p. 12.
63. 1928.12.22, Normand, Suzanne, «Une amitié féminine de Marcel Proust : Louisa de Mornand», p. 8.
64. 1929.03.02, Honnert, Robert, «Le Maréchal de Richelieu, héros de Proust», p. 1.
65. 1929.05.18, Astruc, Gabriel, «Du côté de chez Proust», p. 10.
66.
1929.09.14, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Un Romancier de la vertu et un peintre du vice : Charles
Dickens, Marcel Proust, par Raphaël Cor», p. 3.
67. 1930.03.01, Ambrière, Francis, «Paul Souday et ses livres», p. 4.
68. 1930.06.07, Gregh, Fernand, «Un nouveau commentaire de Montaigne», p. 1−2.
69. 1930.06.28, L. T., «Robert de Montesquiou et Marcel Proust», p. 5.
70. 1930.07.12, Anonyme, «Lettres inédites de Proust», p. 5.
71. 1930.07.12, Charensol, G., «47 lettres de Marcel Proust à Walter Berry», p. 3.
72. 1930.12.13, Rosny, J. -H. aîné, «Une soirée chez Proust», p. 1−2.
73. 1931.06.06, Cassou, Jean, «Proust, poète et mystique», p. 7.
74. 1931.08.01, Robert, Louis de, «Broutilles sur Proust», p. 1.
75. 1932.04.23, Proust, Marcel, «Lettres de Proust à Souday», p. 1−2.
76. 1932.11.19, Ambrière, Francis, «Une amitié de Proust», p. 8.
77. 1932.12.31, Anonyme, «Les revues étrangères. Dix ans après la mort de Proust», p. 7.
78. 1933.01.28, Lefèvre, Frédéric, «Une heure avec Léon Pierre-Quint», p. 1−2.
79. 1933.08.05, Dumeanil, René, «La musique dans l’œuvre de Marcel Proust, par Florence Hier», p. 3.
80. 1933.09.23, Gouhier, Henri, «La Psychographie de Marcel Proust, par le Dr. Charles Blondel», p. 4.
81. 1934.12.08, Mauriac, François, «Le Proust russe attendu», p. 1.
82. 1936.02.22, Ambrière, Francis, «Le Professeur Adrien Proust, par le docteur Robert le Masle», p. 6.
83.
1936.02.22, Lalou, René, «Le monde des livres. Une nouvelle lecture dix ans plus tard, par Léon PierreQuint», p. 5.
84. 1936.07.25, Anonyme, «Thèses sur Proust actuellement en préparation à la Sorbonne», p. 3.
85. 1936.07.25, Cattaui, Georges, «Marcel Proust : l’homme et l’œuvre», p. 3.
86. 1936.07.25, Mante, Mme Gérard et Kolb, Philip, «Chronologie proustienne», p. 3.
87.
1936.07.25, Proust, Marcel, «Deux inédits : lettre de Marcel Proust à Léon Yeatman. Pensées et aphorismes.
Fragment inédit d’un manuscrit de Marcel Proust, ‘Capitalisme’(sic.)
», p. 3.
―2
5―
作品受容における文芸新聞の役割
88. 1938.02.12, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Le Drame de Marcel Proust, par Henri Massis(à suivre)»,
p. 4.
89.
1938.02.19, Jaloux, Edmond, «L’esprit des livres. Le Drame de Marcel Proust, par Henri Massis(suite)»,
p. 4.
90. 1946.08.29, Charensol, G., «À Combray à la recherche de Marcel Proust», p. 1−2.
91. 1946.09.26, Bérence, Fred, «Une héroïne de Proust, souvenirs inédits sur la reine de Naples», p. 1, 5.
92. 1947.02.13, Frappier, Jean, «Proust à travers sa correspondance», p. 1−2.
93. 1948.01.01, Kemp, Robert, «Renaissances proustiennes», p. 2.
94. 1950.08.10, Bordeaux, Henri, «Mon ami Marcel Proust», p. 1, 7.
95. 1951.10.25, Maurois, André, «Les esquisses des maîtres», p. 1.
96. 1952.06.05, Delamain, Mme Maurice, «Proust et sa mère», p. 4.
97. 1952.08.21, Kemp, Robert, «La vie des livres. Les reliques», p. 3.
98. 1952.09.18, Saix, Guillot de, «Au temps du symbolisme : inédits de Proust et de Mallarmé», p. 1−2.
99.
1952.11.20, Saix, Guillot de, «Trente ans après : Céleste, servante au grand cœur nous raconte les derniers
jours de Proust», p. 1−2.
100. 1954.11.18, Kemp, Robert, «Proust et Sainte-Beuve», p. 2.
注
(1)当時の文芸紙出版状況については次のものを参照のこと:
− BELLANGER, Claude et al., Histoire générale de la presse française, tome 3. De 1871 à 1940, Paris,
Presses universitaire de France, 1972. Chapitre V «La difficile adaptation de la presse aux temps modernes
(1919−1940)
», section V «La vie des journaux», p. 509−616.
− CHARTIER, Roger et MARTIN , Henri-Jean / dir . , Histoire de l’édition française , tome 4. Le Livre
concurrencé 1900−1950, Paris, Fayard ; Promodis, 1991[1ère éd. 1986]. このうち特に以下の章:
Parinet, Élisabeth et Tesnière, Valéry, «Une entreprise : la maison d’édition», p. 131−148. Fouché, Pascal,
«L’édition littéraire, 1914−1950», p. 210−258. Lecoq, Benoît, «Les revues», p. 352−358. Boschetti, Anna,
«Légitimité littéraire et stratégies éditoriales», p. 511−551.
(2)終刊はそれぞれ 1944 年、1940 年。
(3)記事一覧参照のこと。
(4)のちに図書としても出版された。JALOUX, Edmond, L’Esprit des livres, 1e −3e série, Paris, Plon, 1923−
1931.
(5)記事一覧の 15, 35, 50, 51.
(6)連載記事は、本にもまとめられた。ただしいずれの版も、全てのインタヴューをふくんでいるわけで
はない。
− LEFÈVRE, Frédéric, Une Heure avec..., 1e−6e série, Paris, NRF(1e et 2e séries); Gallimard(3e −5e );
Flammarion(6e)
, 1924−1933.
− LEFÈVRE, Frédéric, Une Heure avec..., 3 vol., Paris, Siloë, 1996−1997.
(7)記事一覧の 1.
(8)DECOMBES, Vincent, Proust, philosophie du roman, Paris, Minuit, 1987. Chapitre 14, «Le côté Dostoïevski
de Mme de Sévigné».
(9)記事一覧の 8.
(1
0)同 9.
(1
1)同 11, 13.
(1
2)同 14.
―2
6―
作品受容における文芸新聞の役割
(1
3)同 28.
(1
4)同 18.
(1
5)同 32.
(1
6)同 37.
(1
7)同 38.
(1
8)同 39, 40.
(1
9)MAUROIS, André, À la recherche de Marcel Proust, avec de nombreux inédits, Paris, Hachette, 1949.
(2
0)記事一覧の 83 参照.
(2
1)同 90.
(2
2)同誌の副題は「ボースとペルシュの生活と芸術の記」(Chroniques de la vie et de l’art en Beauce et
Perche)
。コンブレに近いシャルトルで発行されていた地元誌である。
(2
3)それぞれ記事一覧の 95, 97.
(2
4)同 99.
―2
7―
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