フランスの文化と社会 II (M. David COURRON) ‒ 2016 年度 秋学期 恩赦 恩赦 (le droit de grâce) とは、フランス国憲法 (la constitution française) の第十七条 (l’article dix-sept) に 記 さ れ て お り (être écrit)、 共 和 国 大 統 領 (le Président de la République) に与えられている (être accordé) 権利 (un droit) である。この制度は、第 三、四共和政の時代に誕生した (apparaître) 制度 (un système) であり、囚人の刑罰を 消す (annuler la peine d’un détenu)、または軽減する (atténuer)、ということを意味す る。しかし、完全に権利や名誉 (l’honneur, la dignité) を復活させる (rendre, restituer) ことはできない。具体的に、恩赦には八つの種類があります。1、罪刑消滅 (l’abolition d’une peine) justice) peine) 2、赦免 (la rémission) 3、容赦 (le pardon) 5、追放刑 (le rappel de ban) からの呼びもと 7、復権 (la réhabilitation) 4、出廷許可 (ester en 6、減刑 (la commutation de 8、再審 (la révision de procès) である。1から 3は、判決 (un jugement) の前に行われる。1の罪刑消滅は、死刑 (la peine de mort) に 対する恩赦であるので、現在のフランスでは死刑制度が廃止されて (être aboli) いるた め、あてはまることはないが、2の赦免は、主に過失致死事件 (un homicide par imprudence) を起こしたものを対象にし (être l’objet de)、殺意がなく、有責性 (la responsabilité) の低い人で、勤勉さを感じられる人に与えられる。このような恩赦は、 大統領選挙の時や新王の戴冠式、7 月 14 日の国家記念日 (la fête nationale) など、フラ ンス国家で、おめでたいことがおこった折に大統領の気まぐれや、心の中にある考えに よって適用範囲が決定され、実行される (mettre en pratique)。また、恩赦の実行には、 法務大臣 (le ministre de la Justice) の公印 (un sceau) が必要とされているが、それに公 印をすることを拒否する (refuser) ことは、ほとんどない、というよりは、心得の上で は、禁止されている (être interdit)。実際に恩赦を嘆願する (supplier) ためには、命令 書を手に入れて、自分で書く必要がある。現在でも、その決定は紙媒体で行われるため、 当事者は事件当時の状況、心情など、しっかりと記し、自分は恩赦の対象である、とい うことを証明 (une preuve) しなくてはならない。また、収容所 (un camp de rétention, une prison) では日々勤勉に過ごす態度を表すということが大切である。 実際に行われた恩赦の例をあげる。1996 年 7 月 14 日に、58000 人の囚人のうち 4800 人を対象に恩赦が実行された。その権利を与えられた人は、最高 4 か月以内の刑 (une peine inférieure à 4 mois) を受けた人に一か月につき 7 日間の減刑がされた。しかし、 テロリスト (un terroriste) や 15 歳以下への犯罪 (un crime sur mineur)、麻薬犯罪 (le trafic de drogue)、贈賄犯罪 (la corruption) の人は除かれている (sauf, à l’exception de)。 ここからは、犯罪の重さが考慮されていることがわかる。また、恩赦があることである フランスの文化と社会 II (M. David COURRON) ‒ 2016 年度 秋学期 問題も起こっている。例えば、大統領選挙のあとには集団に対して恩赦を行うことが伝 統的であり (traditionnel)、それは特に、交通違反者 (un contrevenant) の罰金 (une amende) への恩赦のことをさす。そのため、恩赦をもらえることを期待して、交通違 反を犯しても罰金を払わないフランス人が増えるという問題である。しかし、サルコジ 大統領 (le Président Sarkozy) は、大統領選挙後、このような伝統的な恩赦を行わず、 また集団に対する恩赦を廃止し、すべて個人に対する恩赦だけを許した。また、シャル ル・ド・ゴール (de Gaulle) 大統領とポンピドゥー (Pompidou) 大統領は恩赦を拒み、 実施しなかったが、ジスカール・デスタン (Giscard d’Estaing) 大統領とミッテラン (Mitterrand) 大統領はそれを復活させた。特に、ミッテラン大統領は、死刑制度をなく すという形で、恩赦を実行した。
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