江國研究室主催 第 24 回 人間社会研究会 2012 年 3 月 26 日 田中 ひとみ アイリーン・パウア(Eileen Edna LePoer Power)著『中世に生きる人々』講読 (2) 「第 1 章 農夫ボド」 「農夫ボドの生活」 (pp.9~38) 1. 農夫(保有農)の義務 (i) 賦役(労働地代) 賦役日(領主屋敷に働きに行く日) ・ 前の週、管理人に賄賂(野菜・玉子など) ・ 当日 男性(ボド) ― 遅刻しない様(管理人が恐いため) 、早朝起床する。近所の仲間と、 牛・馬を引き僧院の直営地へ行く。 ― 直営地の耕地、採草地、森で労働(森の周りの柵作り、薪の運搬、 屋根の修理など) ― 終日労働 女性(ボドの妻、エルマントリュード) ― 領主屋敷内の女部屋で毛織物などをする。 (材料の必需品は管理人 が準備してある。 ) ― 2~3 時間のみ ― 領主内の仕事が終わったら、自分の夫が保有する畑などで働き、 後は家へ帰り食事を作る。 (葡萄畑での労働、家禽の世話、羊毛の 毛剪りなど) (ii) 地代(生産物地代) 玉子・鶏・毛織物などの生産物を領主屋敷へ持っていく。 2. 農夫(保有農)(ボド)の感情 (i) 辛いこと (a) 寒い日の早朝、起きたくない。 (b) 他人の土地を耕作しなくてはいけない農民は嫌だ。他の職業(商人・ 職人)につきたい。 (c) 賦役は辛い仕事だ。 (d)王様(シャルルマーニュ(Charlemagne) )の国内旅行のために、領地内で歓迎の 大饗宴の準備手伝いをさせられるのは大変だ。しかも、その接待の見返りは司教 達だけにあり、自分達には何も見返りは無い。 1 * シャルルマーニュの国内旅行: 中世初期によくしていた。戦争の無い時、牛車で領地(直営地を順に回り、家 臣(司教)や貴族の家に泊まり、食糧を食いつくしていた。王様はただの人と 同じ服装で、3 人の息子と 5 人の娘と護衛と象・犬を連れて回っていた。接待に 奔走した司教には褒美として土地を与えたりした。 (e) 「巡察使」ミシ・ドミニキ(Missi Dominici)の巡回(国王の巡回裁判)で、裁判を してもらうために、身分に応じて賄賂を贈る。そのため、いつにもまして労働を しなければならなく、大変である。 * 国王の巡回裁判: 貴族・自由人・コローヌス(colonus)が、各地方から苦情をもってかけつけ、 教会の前の公の場で裁判をしてもらう。その機会を得る為に、皆、身分に応じ て、賄賂を贈った。 (ii) 辛いことの解消法 ・ 病気や苦しみ解消を、古い信仰・迷信に依存していた。 ・ キリスト教会は、あまり干渉しなく、 呪文の言葉を少し訂正させるのみ。 「父なる天」 →「永遠の主」 、「母なる大地」→「聖母マリア」など (iii) 楽しいこと (a) 安息日に教会の庭で、踊り、歌うこと ・ 安息日である、日曜日と祭日は賦役労働や他の一切の労働(運搬以外)を禁止 し、教会から大帝に進言し、シャルルマーニュの子も同様の内容を布告した。 ・ 歌は土着の異教の歌であったので禁止されていたが、皆、かまわず歌っていた。 「ケルビックの踊り手」という、ウースター(Worcester)州司祭の大醜聞の歌 もあった。 (b) 安息日に吟遊詩人の歌を聞くこと ・ 吟遊詩人は賛美歌を歌わず、異教徒であるフランク族の英雄を歌った。 ・ 公会議は止めさせるよう、僧院長らに注意したが、聞かなかった。 ・ シャルルマーニュも吟遊詩人が好きだった。 ・ 「シャルルマーニュの伝説」は吟遊詩人により中世の英雄物語として語り継が れた。 (c) 聖ドウニ (Denis) の大市へ行き、買い物したり、珍しいものを見たりすること ・ 一年に一度の市。10 月 9 日にパリの城門の外、柵の中で開かれる。 ・ 市の日は、一般の店は休店し、シリア・ベネチアの商人やユダヤ人の商人が聖 ドウニ僧院に市場税を払い、店を出した。僧院も店を出し、領内で作らせたチ ーズなどを販売した。 ・ 手品師・軽業師・吟遊詩人などもいた。 ・ 土地管理人は市へ行き、時間を浪費しないよう注意した。 ・ 外国の珍しい言葉も耳にした。 (サクソニア・フリースランド・スペイン・プロ バンス・ルーマン・英国など) 2 3. 考察 ボドの時代は、荘園制度の初期の頃であり、労働地代(賦役) ・生産物地代(貢納)が課せ られていたが、貨幣地代については、ボドの生活を表した箇所では、特に記述されていな い。ボドの時代には貨幣地代は、まだ一般化されていなかったことがうかがわれる。 フランク王国の歴史 (1) 3 世紀中頃: フランク族(Franks)(主な支族はサリー支族(Saliams)) (2) 4 世紀初め: ローマ領内へ移住 (3) 5 世紀初め: 北ガリア(ベルキーからセーヌ川流域)へ (4) 481 年: メロビング朝(フランク支族であるメロビング王家 (Merovingians) の クロービス (Clovis) がガリア全域を統一。 ) (5) 751 年: カロリング家 (Carolingians) のピピン (Pippin) がクーデターに より、王位につき、カロリング朝が始まる。(カロリング家はメロビング王家の 家令(宮宰)の筋。) (6) 804 年: 教皇レオ (Leo) 三世は東ローマ帝国のビザンツ皇帝にではなく、ピピン の子シャルルマーニュ(カール(Karl))に皇帝の冠を与えた。以後、シャ ルマーニュはイタリア北半統一、ピレネー南麓またライン川以東、など 西ローマ帝国にも匹敵するくらいに国を広げた。 (中央集権) (i) 全国を約 300 州に分ける。 (ii) 巡察使を毎年各州に送る。 (iii) 法の一元化 (iv) 個人的な主従関係 (v) 兵農分離で専業的重装兵隊 (vi) 王は教会の守護者 (vii) カロリング・ルネッサンス (実態) (i) シャルルマーニュ(支配者)の個人的資質のみ。 (ii) 領域国家(司法・行政・財政)ではない。 (iii) 官僚はまだ出現していない。 (iv) 伯は地方の豪族、巡察使も地方で土着化 (7) 843 年: シャルルマーニュの子の死後、ヴェエルダン (Verdun) 条約で三分割され た。 3 荘園の歴史 (1) 9~10 世紀: フランク王国のヴィラ ・ 生産物地代 ・ 散村(農民達が集まり住んでいない)がほとんど ・ 集村(農民達が集まり住んでいる)は少しだけ ・ 北ガリアのカロリング家の支配地・教会所領のみ (2) 11~12 世紀: 集村が一般化 ・ 領主達が領経営に先進技術を積極的に導入。 ・ 自己保身のため、有力な領主のもとに集まり住む道を選んだ 農民達が村を作り上げ、共同経営の思想い目覚める。 ・ 領主と村のこのようなかたちが、封建社会を支える農業経済の基盤とな った。 ・ 三圃制農法(耕地を春作・秋作・休耕)が始まり、19 世紀まで盛んに行 われた。 (3) 13 世紀: 貨幣地代 〔参考文献〕 前川貞次郎・堀越孝一・野田宣雄著『チャート式シリーズ 新世界史 古代・中世編』 数研出版. 4
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