生まれてきてよかった - So-net

「生まれてきてよかった」
宇部市民オーケストラ後援会長
佐藤
育男
いまだに感動している。辻井伸行君に、である。そして、ご両親に。
私も、日本人の端くれ。熱しやすく冷めやすい。しかし、辻井一家への感動は
いまもなお冷めやらない。
彼の天才ぶりは以前から知っていた。だから、ヴァン・クライバーン国際ピア
ノコンクール優勝のニュースにもさほど驚かなかった。目に障害があっても、ほ
かの五感がもっと豊かになるだろうと思っていたからだ。しかし、彼が課題曲を
見事に弾きこなしたことには感動した。コンクールのために新たに作曲された難
曲。彼も、このときばかりは譜が見えるライバルたちに比べてハンディがあるな
あ、と思ったそうだ。それを本番までの短時間によく暗譜できたものだ。この難
解な現代曲も、彼の手にかかると叙情さえ感じてしまう。テクニックもさること
ながら、よほど心が温かいのであろう。
優勝の直後、父親が、
「 息子が高校生のころ、目は見えなくてもいいんだけれど、
でも一度だけ母さんの顔が見てみたかったなぁ、と言われたときは…可哀想で…」
とインタビューに涙をこぼした。
「でも、これで息子はなんとか自力で生きていけ
るかと思うとホッとしました」という言葉には、障害児を持った親の思いがこも
っていた。以前、息子の反抗期で、父子の対話が途絶えたとき、
「好物の寿司を自
分の収入で食べることができるだろうか」という父のひと言に、息子はピアノで
一生、食べていくことを決意したという。
息子も優勝会見で、
「早く父に知らせたいです」と言ったことや、帰国後の会見
でも、「早く結婚して、親に心配をかけないようにしたいです」という発言には、
将来を案ずる親に応えて必死に精進する姿が目に浮かんだ。
「けなげ」という言葉
がこれほど胸に響いたことはない。
その席上、
「一日でも目が見えたら何を見たいですか?」と、こころないとも思
える記者の質問に、
「 両親の顔を見たいです。そして友だちや花火なんかも…でも、
今は心の目で見ることができるので十分満足しています」と、笑みを浮かべなが
ら答えたおおらかさ。ハンディに苦しみ、親を恨み、人生に絶望したかもしれな
いだろうに…。そんな大きな人間に育てたご両親を知りたくて、辻井いつ子の著
書『のぶカンタービレ!』を買った。
そこには、街中に飾られるクリスマスツリーを見て、
「この子は一生この美しい
光景が見えないのだ」と悲しみ、近所の子どもに比べてお座りやハイハイが遅れ
がちなのを見ては、
「この子は生まれてきて幸せなのだろうか」と落ち込んだ母が
いた。息子を道連れに死を考えたほど将来を悩んだ彼女は、苦しみの末にひとす
じの光を見出す。それは、八か月になった息子がたまたまピアノの音楽にリズム
をとりながら足をバタバタさせていた姿だった。
「この子には音楽の才能があるか
もしれない!」。それからは、「親がどれだけ気づいてあげるか」に賭けた。息子
が興味を示すことには万難を排して向き合った。音楽家として、ひとりの人間と
して人生を豊かに、という思いから、すべての感性を豊かに育て上げた。美術館
にも連れて行き、作品ごとにその芸術性について語ってきかせ、可能な限り触ら
せた。この母あって今の彼がある。母は強し、と感動した。
そんな母子を父親も支えた。ピアノを習わせつづけることには相当な費用が要
る。プロへの登竜門といわれるショパンコンクールに出場するにも、一か月の現
地(ワルシャワ)滞在を余儀なくされる。これもまた大変な出費である。経済的
な支えはもちろんのこと、精神的にも支え、どんなに忙しくてもできる限り息子
と対話を続けた。
彼のCDには、
「川のささやき」という曲が入っている。父親と川沿いを散歩し
たときのせせらぎを曲にしたのだ。聴くと実にさわやかで快い。アルペジオ風の
装飾音は、子どもが父にまとわりついて盛んにしゃべっているようでもある。
父は産婦人科医である。本業について、
「産婦人科は、おめでたい科というイメ
ージがありますが、決しておめでたいことばかりではなく、流産や死産など、悲
しい結末を迎えなくてはならないことも少なくありません。私自身もハンディキ
ャップを持つ息子の父ですが、ハンディがあるからと絶望する必要もなければ、
悲しむこともないのだと息子に教えられました。私の経験を生かして、医療面か
らも精神面でもお母さんをサポートしたいと思っています」と、ある取材に答え
ている。
最近、新聞の声の欄が私の目を引いた。東京都、安部展弘さんの「わが子への
慈愛が非行を阻む」と題する主張である(毎日新聞・平成二十一年七月十三日号)。
その後半に、父孝氏の言葉が引用されていた。いわく、
「辻井伸行さんのお父さん
のお話がとても印象深いものでした。
『この子がいつか生まれてきてよかったと思
える日は来るかな…』という言葉でした。障害を持つ子どもから去っていく父親
も散見されるなかで、慈愛に満ちたお父さんの言葉に、すべての親が子に対して
そんな気持ちでいられれば、きっと水谷修(夜回り)先生のご苦労も報われると
思った次第です」と。
父の愛も大きい。
(宇部日報
2009・7・31)