子育て情報 平成 27 年 2 月 2月号 椙山女学園大学附属幼稚園 逃げる(?)二月に想うこと 園長 横 尾 尚 子 「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と言われています。正月から三月までは行事が多く、あ っという間に過ぎてしまうことを、語呂合わせ的に表現したもののようです。中でも二月は、一年で一 番短い月。しかも、一年で一番寒い月でもあります。「寒い、寒い」と縮こまっている内に福が逃げて しまわぬように、節分の豆まきでしっかり邪気(鬼)払いをして、「すぎのこいきいき DAY」で大いに盛 り上がりたいものです。どの学年も、歌やリズム、劇遊びといった表現活動を通して、この一年間の成 長ぶりを見せてくれるようです。子ども達が、どのような個の育ちを、集団としての育ちを表現してく れるのか、今から楽しみでなりません。 二月は、私の誕生月でもあります。子どもの頃の誕生日は、朝から家族の「おめでとう!」が降り注 ぎ、友達からのお祝いの言葉やプレゼントを楽しみにする、私のためだけの特別な日でした。でも、母 親になって気づきました。誕生日は、自分のためだけにあるのではなく、親に感謝する日なのだと。私 が産まれた日、母はどれほどの陣痛に耐えて、私を産んでくれたことでしょう。父はどれほど気をもみ ながら、病院の廊下をウロウロしたことでしょう。私の誕生日がくるたびに、一年無事に成長したこと に安堵しつつ、どれほどの喜びを噛みしめたことでしょう。それが親になって、やっとわかったのです。 それからは、夫の誕生日には夫の両親に、私の誕生日には私の両親に、「産んでくれてありがとう」の 電話をしてきました。ですが、ここ数年で夫の両親は他界し、この夏父も逝去しました。 「ありがとう」 を言える相手は、私の母一人になってしまいました。今度の誕生日には手紙を書こうと思います。母と の暮らしを思い出しながら、少し長めの手紙を書こうと思っています。 母の顔を思い浮かべていたら、もう一人お母さんの顔が浮かんできました。もう 20 年近くも前のこ と。短大の教員になりたての私は、学生達と一緒に、重度知的障碍児のサマーキャンプにボランティア として参加しました。その時に、担当させてもらった女の子のお母さんの笑顔です。その女の子は、食 べることも、移動することも、寝返りをうつことさえも自分ではできなくて、四六時中母親の手を必要 としていました。24 時間 365 日、付きっきりで世話をしているお母さん(達)に、せめて一晩ゆっくり眠 る機会を提供したい、それがキャンプの目的の一つでした。そして、それを可能にするために私に課さ れたのが、30 分毎に女の子を寝返りさせることでした。 「同じ姿勢が続くと身体の部位が圧迫されて、 体調に異変が起こるかもしれないから気をつけて」と厳重注意を受け、緊張と不安で一睡もできずに、 寝返りをさせ続けた長い夜。やっと空が明るくなってトイレに立ったところで、バッタリお母さんに会 いました。そして思わず、 「たいへんですね」と声をかけてしまいました。 「親御さんの大変さは、ほん のちょっと付き合ったあなた達の想像をはるかに超えるものだから、軽々にその言葉を言わないよう に」と釘を刺されていたのに。あの時自分があまりに辛かったものだから、ついそう言ってしまいまし た。ところが、お母さんから返ってきたのは、「いいえ、ちっともたいへんじゃありません。だって、 この子は私の天使ですから」の言葉と、ひまわりのような明るい笑顔でした。そのあまりに晴れやかな 笑顔に、私は魅了され、しばし立ちつくしてしまいました。 その後、私も母親になり、夜泣きに悩まされたり、仕事と子育ての両立がうまくいかなくてイライラ したり。切羽詰まって、「もう、駄目だ!」と頭を抱えることも度々でした。でもその度に、どこから か「この子は私の天使です」という声が聞こえてきました。そして、「あのお母さんが笑ってこの言葉 が言えるようになるまでに、どれだけの涙を流したことだろう。私もがんばろう」と思い直すことがで きました。あのボランティアの日、救われていたのは私でした。 逃げる二月の一日一日を、ひまわりのような笑顔で園児と過ごしたいと願っています。
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