第 17 回日本在宅医学会大会 市民公開講座 抄録集・ホームページ掲載

第 17 回日本在宅医学会大会
開催日
タイトル
2015 年 4 月 26 日(日)
時間
市民公開講座
9:30~12:10
収容人数
1,500 名
最期まで家で暮らせるの ?
ふりがな
講演者情
報
姓
氏名
所属施設
とくなが
徳永
名
すすむ
進
野の花診療所
部門
役職
医師
抄録集・ホームページ掲載用原稿
テーマ(80 字以内)
在宅という鉱脈
略歴(300 字以内)
1948 年、鳥取県に生まれる。京都大学医学部を卒業。京都、大阪の病院・診療所を経て、1978 年から鳥取赤十
字病院の内科医に。2001 年 12 月、鳥取市内にてホスピスケアのある有床診療所「野の花診療所」を始める。今
年で 14 年目となる。2014 年 4 月から在宅ホスピスに力を入れている。
1982 年『死の中の笑み』(ゆみる出版)で、第 4 回講談社ノンフィクション賞を受賞。1992 年、第 1 回若月賞(独自
の信念で地域医療をしている人に贈られる)を受賞。
著書には『隔離』(ゆみる出版)、『詩と死をむすぶもの』(朝日新書)、『野の花ホスピスだより』(新潮社)、『ケアの
宛先』(雲母書房)などがある。
講演概要(1000 字以内)
二分法には落とし穴がある。とは言え、何かと便利な故か、二者択一の教育に慣れた身は、例えば「家
か病院か」と設問を用意する。
「家派」と「病院派」の二大政党のようだ。老人が集中的に増加し、老人
関連の施設が増えている。
「老人施設」の中には、家的であろうとする施設もあり、まるで病院のように
巨大化したものもある。どちらかと言えば、
「老人施設」は「病院派」と政策協定を結ぶ政党のようだ。
死は、かっては「家派」に属するものだった。1974 年ごろには、両派が半々の議席数となった。その
ころから一気に「病院派」が議席を拡大していく。気が付くと、
「家派」は少数政党に陥落していた。だ
が、ここで注目しておかないといけないことがある。
「家派」は大きく数を減らしているが、0議席とは
なっていない。それどころか、ここ数年は、
「家派」及び「病院派」の中の家会派的な「老人施設派」が
その数を増やしつつある。
「路上派」という党派は、インドや周辺の東南アジアの国々には、以前には多
く見られたが、日本では広がりにくいようだ。「海外派」もあるが、戦時期の数にははるかに及ばない。
さあ、2015 年から 2025 年の 10 年間について考えてみることにする。家で最後を生き抜く人、死を家
で迎えることを選ぶ人は増える。そうあった方がいい、と思う。
「病院派」の中に、家を選べる人、家が
よりふさわしい人が沢山ある。どうしたら「家派」に移す、移ることができるか。何とかして「家派」
のよさ、マニフェストを知ってもらうことだろう。勤務医、病院ナース、地域連携室、民生委員、公民
館員、メディア、市民に。
知ってもらうことはきちんとリストアップしないといけないが、その根底にある考え方の一つは、次
のような「インディアンの言葉」のその底に、既に示されている。
―今日は死ぬのにとってもいい日。全て命あるものが私と共にある。全ての声が私の中で響き合う。全
ての美しいものが、私の目の中でくつろぐ。悪い考えは去り、今日は死ぬのにとってもいい日。大地は
静かに私を取り囲む。私の畑は、一年の役目を果たし、私の家は笑い声に満ちている。子供たちが家に
帰ってきた。そう、今日は死ぬのにとってもいい日。―
(ナンシー・ウッド著「MANY WINTERS」)