2009 年度 第 3 回 地球市民教育勉強会 デルだ、同じ体験をしたと話したという。ベトナム には戦争の歌は多くあり、植民地にされた重さ 「ベトナム歌謡の夕べ」 を物語っている。ファム・ズイは熱心に抵抗運 動に参加していたが、歌詞について批判を受け 日時:2 月 25 日(木) 19:00~21:00 るようになり、ベトナムでファム・ズイの歌が禁止 講師:村田光司(ベトナム青葉奨学会) になる。そのためアメリカへ渡った。 場所:沖縄NGOセンター 担当者ONCインターン 岸本 フランスとの戦争は 1954 年にパリで和平協定 参加人数:11名 を結び終結する。 19:05~ 途中での参加者がベトナム語で自己紹介をし ■担当者の簡単な挨拶 てくれました。 ■参加者の自己紹介 帰る日 1954 年 作詞:ファム・ズイ ■第 2 次世界大戦後の歌を辿る フランスとの戦争が終った時に作られた。戦争 1950 年前後の歌 で植物も作物も枯れてしまった。家族を失った 日本・沖縄→美空ひばりの時代 人々、離れ離れになってしなった家族もいるけ 戦争が終わり、新しい時代へ歩みだす ど、残った命たちは戦争に行っていた人々の帰 りをあたたかく微笑み、そして喜んでいる。切な わたしの村 音楽ビデオ視聴、歌詞を配布 いメロディーと静かな喜びを感じることができる。 Q.どんな歌だと思いますか? 多くの人々がこの歌を支持した。 参加者:明るい感じ、穏やか、農家に嫁いだ女、 楽しく歌っている など ■この歌が作られてから 10 年後、ベトナムでは A.戦争の歌。1950 年代で日本は戦争が終っ 何があったでしょうか? ているが、ベトナムはフランスに攻められ、まだ 1960 年代のベトナム・・・南北ベトナムの問題 戦争が続いていた。のどかで明るい歌だが、歌 (北ベトナムの抑圧的な政権)、ベトナム戦争、 詞はとても深刻。戦争中だが、みんな頑張ろう ファム・ズイ、バンカムの歌が禁止される。 という励ましの意味が込められている。 作詞は、バンカムさんでベトナムの国家も作詞 美しい昔 1960 年代 作詞:チン・コン・ソン 歌:天童よしみ Gio Linh のお母さん 天童よしみさんが紅白でトリを飾った歌。 1954 年 作詞:ファム・ズイ *歌詞抜粋 Gio Linh とはベトナムの地域の名前。フランス軍 ―今は地の果てに、あなたの知らない愛がある への抵抗が盛んだった地域。ファム・ズイも抵 ことを教えたのは誰? 抗運動の参加していた。 ―赤い地の果てに愛を求めて・・・ この歌は実話であり、村にモデルになった女性 Q.この歌はどのような意味が含まれている? を探しに行ったら。100 人もの女性が自分がモ 参加者:赤い地は血? 地は血というイメージ、 戦争、愛は独立?解放? 美しい昔 A.赤い地は戦争、愛は北ベトナムからの独立、 作詞・チン・コン・ソン 解放の意味も含まれている。独立、解放を求め 歌:カイン・リー 戦いに行った。ベトナム戦争はベトナム人同士 ベトナム語で聴く。 の戦いでもあった。 →フランスとの戦争の時代に作られたものとは ■ベトナム留学生の参加者の方が「友だちが来 違い、とても暗く切ない歌。 る」という曲を笛で演奏。 *参加者から留学生へ質問タイム ◆参加者:高江というとても小さな所でも、国と Q.ベトナムの若い人で笛を吹く人は少ない? 高江の人々が対峙する構造ができている。どち A.少ない らも同じウチナーンチュであり、ベトナムと同じ Q.これまで紹介した音楽は歌いますか? 形。 A.知ってはいるけど、歌うことは少ない。 Q.最初の1、2曲目はかなり直接的な歌詞。 ◆参加者:フランス、アメリカと戦争を行ってき 日本ではあまりない感覚。これらお音楽を聴い たベトナムの人々が、「怒らないで」、「悲しまな て、ベトナムの人々は何も思うのですか? いで」と言い、お互いを許しあう気持ちを持って A.悲しい気持ちになる。 いるのはこの方だけですか? 村田さん:日本の戦争の歌は攻めて行く時の歌。 日本が戦場ではなかった。ベトナムでは自分達 村田さん:国を二分した戦争の後遺症は思い。 の敀郷、村が戦場となった。戦争時はとても人 しかし、激しい戦争が終った後、ファム・ズイはフ 気があり、多く歌われていた。チン・コン・ソンさ ランスへ音楽を学びに行っている。そしてフラン んの歌は若い歌手も歌っている。 スのコーヒーを好んで飲んでいた。割り切った考 え方も持っている。 ミー・タム ベトナムで人気の女性歌手 ミー・タムのライブ映像を視聴、悲しい失恋の歌 ◆参加者:アレン・ネルソンさんがベトナムの 最近のベトナム音楽にも触れる。 人々へ謝罪をした時、みんな出てきていた。ベ トナムの人々は悲しみを語れる、憎しみ合わな カイン・リー ミー・タムと同世代の歌手 い。とてもきれいな歌詞。辺野古では対峙し、お バンメトートというベトナムの町、世界第 2 位のコ 互い憎しみ合う構造が作られている。 ーヒー生産地。シューブラックという民族の女性 ◆参加者:ベトナムの人々はフランス、アメリカと カイン・リーの曲を数曲聴く。 の戦争の中で生きてきて、お互いが許し合わな ければいけないような、ギリギリの所で生きてい ■質疑・応答 る。誰かを恨んでも何も良くはならない。日本に Q.ベトナム歌謡に興味を持ったきっかけは何 対しての色々な感情を持っている人は沢山いる ですが? が、今は自分達も成長していたいから、日本の A.初めてベトナムに行った 16 年前、案内して 技術も取り入れていく。 くれた女性が好きな歌と言って、チン・コン・ソン の歌を勧めてくれた。チン・コン・ソンの歌に心を 打たれた。とても気持ちがしっくりする、ベトナム の街は胸が切なくなる。 また、ファム・ズイの歌詞はベトナムの人々の気 持ちを一番表している。 Q.ベトナムに興味を持つ人はたくさんいる? A.ベトナムに観光で来て、ベトナムのことが好 きになり戻ってくる。 Q.ベトナム音楽が好きな女性もいる? A.ベトナム男性歌手が好きで追っかけをして いる人も多い。 ■感想シートへの記入 ■勉強会終了 *参加者の感想* *前回ONC10 周年の時にベトナムの音楽を 聞いたときに感じた思いが吹き出てきました。 *「いい嫁をもらって幸せな生活を送ろう」とか 「一緒に勉強しよう」という部分が、これが平和 な世の中なんだなーと、こんな身近なことが平 和なんだと感じました。 *ベトナムの音楽をこんなにじっくり聞いたのは 初めて!反戦歌から最近のラブソングまで幅広 く知れて楽しかった。 *日本の歌謡曲とは違うイメージを感じた。音 楽には歴史が刻まれているんだということも感じ ました。 *ベトナムでの先住民族の方たちの歌はどうな っているのか気になりました。 *歌詞がストレートな感じでちょっと驚きもありま した。あまり戦歌(反戦歌)とか聞かないので、ス トレートに心に響きました。 *ベトナムは戦地となったので、生々しい歌詞 が多いのだろうと納得。村田さんのマナックなこ だわりに、ベトナムへの愛を感じよかったです。 *司会の進行も楽しくて参考にしたい。
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