あらびかコーヒー - ホーム|島根県立大学短期大学部 松江キャンパス

 人間生きていると色んなことがあるも
んだとつくづく思う。僕はギターを弾き、
わけか大学の立派な文化情報誌にこうし
ろが、今だって弾いているのにどういう
僕 を 救 っ て く れ た の が エ レ キ・ ギ タ ー、
え、それを歪んだ形で出すしかなかった
あれから四十年近い月日が流れたとい
うのに、気持ちもやっていることもあの
流れる色んな音楽からも多くを学んだ。
当時のままでここまで来られたことは我
そして音楽だった。
!!
歌を歌う事を生業としていて、世間的に
てエッセイを書いている! 十年前は同
級生で俳優の佐野史郎と共に松江南高の
ながらスゴイと思う。海外にしばらく住
はロック・ミュージシャンとして知られ
松江というとても保守的な街に生ま
れ、周囲をお寺に囲まれた静かな場所に
んで音楽活動を行い、高校時代は雑誌で
四十周年のイベントで全校生徒と先生方
しか見ることのなかったアーティスト達
ている。高校生の時から髪を伸ばし先生
育った僕はその反動からか、とても反抗
とも共演出来るようにもなった。そして
を前に講演までやっている
的で大きな音を立てるのが好きな子供
一体何が
だった。水郷祭や鼕行列を真似、ひっく
今自分の音楽を振り返ってみる時、この
!!
島根県松江市生まれ。15 歳でギター
を始め、18 歳でヤマハ・ネム音楽院
に入学。その頃より天才ギタリストと
の呼び声高く、在学中に BOWWOW
のリード・ギタリスト、リード・ヴォー
カリストに抜擢される。
デビュー当時はキッスやエアロスミ
ス と の ツ ア ー が 大 き な 話 題 を 呼 び、
豪快で圧倒的なサウンドとギターテ
クニックによりジャパニーズ・ヘヴィ
メタル・ムーブメントの先駆けとなっ
た。その後 VOW WOW を結成しロン
ドンをベースにヨーロッパ、アメリ
カで約 4 年間活動、イギリスでチャー
トインするなど海外での評価も高く、
メタリカ始め海外有名アーティスト
への影響力も大きい。
また、バンド活動以外にもギター・イ
ンストゥルメンタル・アルバムのリ
リースや矢沢永吉のツアーへの参加、
ジャズ・フュージョン系ミュージシャ
ンとのセッション、アコースティッ
クの弾き語りや他アーティストのプ
ロデュースに至るまでその幅広い音
楽性を武器に世界の音楽シーンで活
躍をしている。
起きたんだ~
り返って押し入れの戸を足でどんどんと
僕が育った街がどれだけの影響を与えて
にはいつも目を付けられ、それでも隙さ
えあればギターを弾いている、そんな子
でも実際のところ、僕はエレキを持つ
前の方がずっとワルかったと思う。はけ
蹴り続けるようなね。
故郷が奏でさせてくれる音楽
供だった。
口のないストレスやコンプレックスを抱
いく。そしてドラマティックとも言える
て魚を捕まえると誇らしげに飛び去って
待つ。向こうの方ではトンビが急降下し
きながら陽の沈むのを穏やかな気持ちで
「 ち ゃ ぽ ん、 ち ゃ ぽ ん 」 と い う 波 音 を 聴
り、フナムシの行列を眺め、あの独特の
白潟公園の湖へと降りる階段の途中に座
まだ今のように綺麗に整備されていない
で 行 っ た 宍 道 湖 畔 で 夕 日 を 観 て い る 時。
僕の心の中にはいつも故郷松江があ
り、今も優しく見守っていてくれる。こ
もあるくらいだ。
入 っ て い る し、
言っていい程宍道湖を連想させる曲が
つ も の 手 法。 ア ル バ ム の 中 に は 必 ず と
ムを作る時、いつの間にか取っているい
い余韻を残す。これって僕がソロアルバ
を経てドラマティックに盛り上がり切な
静けさと大きな音の対比、穏やかなイ
ントロダクションからスリリングな展開
くれたのかを知ることとなる。
美しい夕日夕焼けそしてその余韻……。
じ世界に向けて発信し続けたいと思って
そんな僕でもとてもおとなしくなる時
間があった。それは毎日のように自転車
十五歳の時、天神町にあった映画館で
上映されていたロック映画の影響でギ
います。
れからもこの素晴らしき街を、音楽を通
1 のんびり雲|第 6 号| 2012
という曲
Yomegashima
ターを弾き始め、無意識のうちに溜まっ
ていた負の感情は音となって外へ流れ出
るようになっていった。初めは大きな音
を出すだけで満足だったけれど、次第に
表現の楽しさや喜びを求めるようになっ
てきた。ギターを弾くことで自信も付き
仲間も増え、もう音楽なしの生活なんか
考えられなくなってしまっていた。茶町
にある喫茶店MGに入りびたり、そこで
祈 り ― 山 本 恭 司(BOWWOW)
プロデュースによる東日本大
震災復興支援チャリティーア
ルバム。
発売日:2012 年 10 月 3 日
昔はよく言われていた――「エレキを
持っているヤツは不良だ!」って。とこ
山本恭司
をしていただいたのです。
編集部は特別企画を実施することにしま
本誌「のんびり雲」は今年で六号。特
集は喫茶店です。そこで、「のんびり雲」
■はじめに
子さんは「カフェでのライブは初めてな
時過ぎ、明るい笑顔で会場入りされた六
らびかコーヒー〉で行いました。午後五
今回の特別ライブは、平成二十四年七
月九日に松江市袖師町にある喫茶店〈あ
■優しく美しい六子さんの歌声に
癒 さ れ た ―― の ん び り + ほ っ こ り
ライブ
〝のんびり+ほっこり〟してください。
敵 な 素 顔 に 迫 っ た 単 独 イ ン タ ビ ュ ー で、
と六子さん。さあ、素敵な夜の幕開けで
あったので、今回やっと実現して嬉しい」
ス テ ー ジ と 客 席 の 距 離 は 約 一・五 メ ー
ト ル。「 前 か ら カ フ ェ ラ イ ブ に は 興 味 が
もらってのライブです。
けビト」として活躍中)にサポートして
コーディングを手がけている「金ちゃん」
そして、ついに開演の七時。少し緊張
した面持ちで六子さんがステージに登
んだり、とても和やかなムード。
六子さんに、今回の特集にご協力してく
ださった〈あらびかコーヒー〉でライブ
場 大きな拍手と歓声が会場に響きま
す。今回は六子さんの楽曲アレンジやレ
初めての試みで編集部一同、緊張と不
安でいっぱいでしたが、多くの人に支え
いの様子。リハー
んです」とワクワク・ドキドキでいっぱ
した。――なんと、島根が生んだ歌姫の
られ無事に成功! そんな、終始笑顔で
行われたライブの模様と、六子さんの素
可愛らしい表情と
サルでは、明るく
す。
慢のカレーを食べ
らびかコーヒー自
を咲かせたり、あ
客さんが談笑に花
した。店内は、お
係として頑張りま
お手伝いや駐車場
タッフは、お店の
と来場。編集部ス
とお客さんが続々
午 後 六 時、 リ
ハーサルが終わる
ました。
入りにしておられ
そんな六子さんが三曲目に披露してく
ユーモア溢れる姿も見せてくれました。
ジ ジ ュ ー ス が 届 き 二 人 で 乾 杯 す る な ど、
り。途中、ステージから注文したオレン
トークで会場内はたいへんな盛り上が
曲と曲の間のチューニングの際に
は、六子さんと金ちゃんの面白おかしい
に聴き入っていました。
場の全員が真剣な表情で六子さんの歌声
い季節の歌」という切ない恋の歌に、会
たりの「七夕」。「この時期にしか歌わな
ず披露していただいたのが、七月にぴっ
さとの歌、恋愛の歌といった感情豊かな
第一部では、全七曲を披露していただ
きました。六子さんの歌の特徴は、ふる
曲が多いところではないでしょうか。ま
たりコーヒーを飲
り、音合わせを念
プロの表情に変わ
は一変して真剣な
―― 世 代 を こ え、 青 春 の 歌 声 や 歌
詞 に 酔 い し れ、 忘 れ ら れ な い 夜 に
なりました。(アンケートより)
こと金崎圭介さん(お兄さんと二人で「届
!!
▪セットリスト▪
第1部
七夕
あなた
グラディ
ハーモニー
輝く季節
さようなら
雨
第2部
最後の強がり
夜空
空に雲があるように
自分らしく
大切なこと
優風
だんだん
en 絆
た。そして、第一部はあっという間に終
ん思い思いの感情に耽っている様子でし
デ ィ」。 曲 の タ イ ト ル「 グ ラ デ ィ」 は、
了してしまいました。
れたのが、お父さんに贈る歌――「グラ
グライダーとダディをくっつけた言葉だ
そうです。どうしてグライダーなのかと
いうと、それはお父さんが飛ぶものが大
好きだから。お父さんへの愛が伝わる素
敵な一曲。会場に来ていた全てのお父さ
―― し っ と り と し た 歌、 元 気 に な
れ る 歌。 二 時 間 日 常 の こ と を 忘 れ
てハマりました。「自分らしく」と
い う 歌 が 一 番 グ ッ と き ま し た。(ア
盤が大好きで、鉄を削るのが楽しくて仕
う エ ピ ソ ー ド も 話 し て く れ ま し た。「 旋
高校が松江工業高校の機械科で、クラ
スに女子が自分一人しかいなかったとい
ました。お茶目な六子さんも素敵です。
え、会場のほっこりムードも一層高まり
ハプニングが! そんなハプニングも持
ち前の明るさと人柄の良さで笑いに変
し か し、「 輝 く 季 節 」 で は チ ュ ー ニ ン
グを失敗して音を間違えてしまうという
さん感動している様子でした。
パワフルで安定したパフォーマンスに皆
んの歌に込められたメッセージ、そして
の曲も披露してくださいました。六子さ
グの「輝く季節」といった島根になじみ
島根県食育イメージソングの「ハーモ
ニー」や「中海四季紀行」のテーマソン
―― い つ も 遠 く か ら し か 見 ら れ な
か っ た 六 子 ち ゃ ん。 今 日 は 間 近 で
表 情 も よ く 見 え、 歌 声 に も 迫 力 が
感じられました。(アンケートより)
と語る姿。そして、その思いがギュッと
あり、人と人とのつながりが大切なのだ
てくれた六子さん。歌えることが幸せで
いる人の背中を押す曲です」と熱く語っ
す。悩んでも道はたくさんある。悩んで
ともありました。最近は、すごくやりが
ままのほうが良かったのかな?と悩むこ
きなことを仕事にして、やっぱり趣味の
ん の 話 を し て い た だ き ま し た。「 私 も 今
そして、アンケートで人気だったのが
悩んでいる人の背中を押す曲「自分らし
れるのでしょう。
溢れた六子さんならではの視点から生ま
子さんも終始笑顔。こんな曲は地元愛に
笑顔が見れることが嬉しいですね」と六
手 拍 子 で 会 場 は ノ リ ノ リ に。「 手 拍 子 が
んのために歌ってくれました。
方なかったですね」と、見た目とは裏腹
詰まった曲に聴いていて涙を流すお客さ
ンケートより)
に男性っぽい一面を持つ六子さん。そん
いを感じていて楽しい毎日を送っていま
まで悩むことがたくさんありました。好
く 」。 こ の 曲 に つ い て は、 本 当 に た く さ
できる曲は、すごく楽しい。お客さんの
を込めた曲「空に雲があるように」では、
第二部は、新曲「最後の強がり」から
スタートしました。また、自然への思い
な六子さんが経験した恋の曲では、皆さ
4
んもおられました。
―― 音 楽 の 心 地 よ さ、 素 晴 ら し さ
は も ち ろ ん、 人 と 人 と の 出 会 い、
つ な が り を 感 じ た 夜 で し た。( ア ン
最後の曲は、六子さんの人生を大きく変
「 昔、 お 父 さ ん が 喫 茶 店 で 店 長 を し て い
よ く 連 れ て 行 っ て も ら っ て た そ う で す。
ンタビューは進みました。
カ フ ェ ラ イ ブ ―― 癖 に な っ ち ゃ い
そうです
実は、あらびかコーヒーさんにも来たこ
たことがあるんです。私、記憶にはない
―ライブお疲れ様でした。ライブは、ど
とがあるらしいんです! お店オリジナ
ルのマッチを集めてましたね。お父さん
全十五曲、二時間にも及ぶ
ライブに皆さん大満足の様
へんな盛り上がりでした。
合いの手を入れるなど、たい
は「 絆 」。 お 客 さ ん も 一 緒 に
てくれました。アンコール曲
ライブで楽しめまし
本当にアットホームな
いった感じと盛り上が
も、 し っ か り 聴 く と
がたくさんでした。で
イブをするのも初めてだったので初体験
代わりの楽しみでした」
んですけど、写真があって……喫茶店に
いからこその一体感で会場は笑顔が満開
うでしたか?
とのマッチ集めが、コーヒーを飲めない
えた曲「だんだん」です。サビを会場の
です。こうして、六子さんのライブは終
二時間も座りながらギター二本だけでラ
「カフェライブは初めてで緊張しました。
全員で歌いました。ステージと客席が近
までパワフルな歌声を聴かせ
了――と思いきやアンコール すでに
十四曲を披露した六子さんですが、最後
子。本当にアットホームとい
た。癖になりそうです
コーヒー自慢のアイスコー
かコーヒー〉です。あらびか
してお世話になった〈あらび
た。取材場所はライブ会場と
な顔の六子さんに出会えまし
面白さ、可愛らしさ……色々
せ て も ら い ま し た。 明 る さ、
ライブ翌日、再び六子さん
とお会いしインタビューをさ
■六子さんの素顔に迫
る ――「 の ん び り 雲 」
独占インタビュー
が …… 何 か あ り ま す
ついて伺いたいのです
んの喫茶店の思い出に
集にちなんで、六子さ
―「のんびり雲」の特
う間でしたね」
た。二時間があっとい
ライブを思い出しまし
も分かったので、路上
話しました 。お客さ
んとの距離も近く表情
さん良かったよ」と
い る の で、「 あ ら び か
ヒーを飲みながら終始笑顔で
か?
フェライブにはまって
すね。兄弟の遊吟もカ
ゆうぎん
る 感 じ の 両 方 が あ る、
う言葉がぴったりの〝のんび
(笑)。またやりたいで
なりました。
り+ほっこり〟したライブに
!!
〝のんびり+ほっこり〟とイ
!?
ケートより)
そして、終演の時間が迫ってきました。
■単独インタビューの様子。のんびり+
ほっこりムードで進みました。
た( 笑 )。 本 当 に 喜 怒
ふるさとの歌をうたうアーティストっぽ
初は、Loco(ろこ)だったんですけど、
の芸名は、事務所の皆で決めました。最
哀 楽 が 激 し い ん で す。
くないってことで、本名の六子 (むつこ)
」って感じでし
私も喜怒哀楽が激しく
の 読 み を 変 え て 六 子 ( ろ こ )に な り ま し
てー
て、そこが似てますね。
た」
タ イ プ っ て と こ ろ は、
音楽活動に役立ってま
す」
んですよ。苦みが駄目で砂糖とミルクを
「ここ二、三年の間に飲めるようになった
―六子さんは、コーヒー好きですか?
をします。ライバルでもあって高めあえ
いうつながりがあるので自然と音楽の話
両方優しいですけど。兄弟とは、音楽と
て 感 じ で バ ラ ン ス が 良 い で す ね( 笑 )。
みたい。両親はアメ(父)とムチ(母)っ
「 仲 良 し で す ね。 両 親 は 良 い 意 味 で 友 達
が、やはり仲良しなんですか?
を取るタイプが多いけど、近くなると一
力。この辺の人って最初はちょっと距離
で す。 あ と は、 人 が 優 し い と こ ろ も 魅
景色よりもきれい! この風景は、なく
てはならない存在。私のパワースポット
うなグラデーションが好きです。どこの
なる山の中に沈んでいく、そんな絵のよ
ていけ!」と言われても出ません(笑)」
島根から絶対出ないと約束できます。「出
は、 ず っ と 地 元 で 歌 い 続 け て い く こ と。
らって、島根を盛り上げたいです。あと
音楽で全国から多くの人に島根に来ても
根じゃないと聴けない歌」を届けたいで
もらうこと、認めてもらうことです。「島
―最後に六子さんの「夢」を聞かせても
入 れ る と 美 味 し い( 笑 )。 ブ ラ ッ ク は、
る仲。最初の頃は、全員が音楽という道
気に仲良くなれるというか、距離が縮ま
すか?
あの苦みが駄目なんです。最近は少しず
に進んだので「親不孝きょうだいだね」っ
るじゃないですか。そんな温かさと風景
■おわりに
―仲良し家族といった
つ苦みの美味しさが分かるようになって
て 話 し た り も し て ま し た。 で も、 母 が
があるからこそ六子の歌ができます。こ
らえますか?
きましたけど。でも、まだまだコーヒー
「自分もアイドルになりたかったけど反
こにいるから私は歌が作れるんです」
いかがでしたか? ページ数の制約が
あり、「書きたいのに書けない!」といっ
「地元で活動しながら全国の人に知って
に関しては〝ひよっこ〟です(笑)」
対されて諦めたから、音楽の道に進んで
―そんな素敵な島根が生んだ歌姫の六子
た内容もあり、全てをお届けできず残念
……特に夕日のオレンジと茜色が低く連
―さて、ライブでは全十五曲を熱唱して
思 い 出 深 い 曲 は「 グ ラ デ ィ」 ――
家族は大きな存在です
くれることは嬉しい」って言ってくれて
さんですが、六子 (ろこ/むつこ)という
です。特別付録で〝六子book〟を作
「 宍 道 湖 が 好 き で す。 宍 道 湖 か ら の 風 景
いただきましたが、六子さんにとって思
……。 身 近 な 人 が 応 援 し て く れ る の は、
名前の由来はなんですか?
― 地 元 山 陰 が 大 好 き な 六 子 さ ん で す が、
温かさときれいな風景がある島根
―― こ こ に い る か ら 私 は 歌 が 作 れ
るんです
た の が き っ か け。 六 子 ( ろ こ )と い う 今
六子は幸せになれる名前」とおっしゃっ
で す ご く 幸 せ な 人 生 を 送 っ て い る か ら、
園長先生が「自分の妹が六子という名前
つ こ )さ ん だ っ た こ と が 由 来 で す。 そ の
(おおや・りさ/文化資源学系二年生)
でした。だんだん。
りを、身体全体で感じた夢のような一時
ほっとしております。のんびり+ほっこ
ブでしたが、楽しんでいただけたようで
す。 音 楽 で 島 根 に 恩 返 し し た い で す ね。
い出の曲はなんでしょう?
本当に嬉しい。家族は私にとって大きな
成したい勢いでした。編集部も初めての
「 ラ イ ブ で も 歌 わ せ て も ら っ た「 グ ラ
試みなので、至らぬ点が多くあったライ
存在です」
お父さんのために歌ったんです。そした
島根の魅力または好きなところはどこで
て披露した際に、サプライズで「お父さ
らお父さんが大号泣しちゃって、私の歌
んに贈ります」って、ライブに来ていた
声 よ り 大 き な 声 で 泣 く ん で す よ。「 や め
けた曲なんです。この曲をライブで初め
ディ」ですね。初めて全部を自分で手が
た幼稚園の園長先生の妹さんが六子 (む
イメージがあります
音 楽 で 島 根 に 恩 返 し を す る ―― そ
れが私の夢です
でも、感情を表に出す
!!
「本名の六子 (むつこ)は、兄が通ってい
■六子さん・金ちゃんとの記念写真。
(上段)
「のんびり雲」編集部員。(下段)あらびか
コーヒーの皆さん。
6
特集:喫茶店
創業三十四年目を迎えた
か、落ち着きのある雰囲気が漂っていて、
われています。これらの木のおかげなの
店内は木のテーブルと椅子が並び、床
は板張り、壁や天井にもたくさん木が使
の角の辺りにあります。
江警察署の南側にある広い駐車場の南西
にはちょっとわかりにくいのですが、松
きな通りに面していないため初めての人
ライブ」が開催される九日前でした。大
こを会場に「六子ののんびり+ほっこり
する必要があり、そのほか傷んだところ
そのために店内の壁を一部ぶち抜いたり
煎 機 を 袖 師 店 に 移 動 さ せ る 計 画 で し た。
店だけにし、北堀店に設置してあった焙
があったのですが、北堀店をやめて袖師
ヒーはそれまで袖師店と北堀店の二店舗
七月十二日はちょうど店の改修工事を
始 め る 予 定 の 日 で し た。 あ ら び か コ ー
故に遭われたのです。
として働いてこられたマスターが交通事
件が起きました。それまでお店の大黒柱
目に入った昨年の七月十二日、大きな事
今年、創業三十四年目を無事に迎えた
あらびかコーヒーですが、実は三十三年
創業三十三年目の危機
ている「女性のための創業塾」で勉強す
るため、島根県商工会連合会などが開い
改 修 工 事 は 計 画 通 り 行 う こ と に な り、
英子さんはお店の経営を担えるようにな
はないか」と心配したそうです。
ら、父は生きがいをなくしてしまうので
らびかコーヒーがなくなってしまった
くことになったのです。英子さんは「あ
が、家族の協力もあって両親を支えて働
しかし、そうはなりませんでした。三
人 の 娘 さ ん の う ち 唯 一 嫁 ぎ 先 が 松 江 で、
です。
店を閉めるという話も持ち上がったそう
て、お店を継ぐ予定の人はいません。お
は難しい様子でした。国田さん夫妻には
赤木紀元
ほっとひと息つける空間です。
の修理もあわせてすることにしていたの
(松江市)
あらびかコーヒーがオープンしたのは
一九七九年六月十六日で、私たちが訪れ
です。
ることにしました。そして、事故から三
お店の近くに住んでいた次女の英子さん
娘さんが三人いますが、みんな嫁いでい
たときには創業三十四年目を迎えていま
あらびかコーヒー(松江市袖師町)に
取材でおじゃましたのは六月三十日。こ
した。私たちは、マスターの国田和彦さ
カ月余りが経った十月十七日、あらびか
)、それに昨
マスターの入院で改修工事どころでは
な く な り ま し た。 頭 を 強 く 打 っ た マ ス
コーヒーは新たな大黒柱を得てリニュー
た次女の中村英子さん(
ふさこ
)、妻の隆子さん(
年突如、店の大黒柱見習い(?)となっ
ターは、短期間で退院できても、これま
アルオープンを果たしたのです。
ん(
)の三人にそ
で通り大黒柱としてお店を担っていくの
64
38
71
れぞれお話を伺いました。
7 のんびり雲|第 6 号| 2012
あらびかコーヒー
■使いこまれたやかんでコーヒーを淹れるマスターとそれを見守る奥さん。
ます。
喫茶店を開くことには周囲からの反対
も 少 な か ら ず あ っ た そ う で す。 し か し、
には、正式にお店のこと
こうと思っている」と
マ ス タ ー は そ う い っ た 反 対 を 受 け る と、
リーマンをしておられま
マスターは元々島根の
方ですが、上京してサラ
脱サラUターン
れば絶対にうまくやっていけると思って
うに不景気でもなかったため、熱意があ
希望に満ち溢れていたそうです。今のよ
が新しくお店を開くのと同じで、期待と
と 言 い ま す。 一 九 七 九 年 の 六 月 十 六 日、
をどうしようか考えてい
言っておられました。
した。しかし、大の地震
いました。
よけいに成功させてやろうと意気込んだ
嫌いのマスターは、関東
子さんは、夫と
業主婦だった隆
た。それまで専
六歳、三歳でし
も た ち は 九 歳、
き、三人の子ど
茶店を始めたと
ら松江に帰り喫
マスターが脱
サラして東京か
らです。
も寂しかったか
帰ったとき両親が家にいない生活がとて
な る と 心 に 決 め て い ま し た。 学 校 か ら
喫茶店は継がない、サラリーマンの妻に
両親の働く姿を見てきて、自分は絶対に
英子さんはそれまでお店を継ぐ気は全
くなかったそうです。子どものころから
下の子どもが小学校に入る三年後くらい
も充実していて楽しく働けている。一番
のことと両立しながら過ごす毎日はとて
きれていない気もするけど、自分の家庭
英子さんは、「今はまだ両親にフォロー
してもらって仕事をやっているから継ぎ
いました。
くて思い出に残っていると話してくださ
られて、お話ができたことが本当に嬉し
子先生があらびかコーヒーにたまたま来
から二十年ほど前のことですが、その昌
はとても心を打たれたそうです。もう今
児童心理学の昌子武史という先生の話に
そんなとき、心の支えになったのがN
HKのラジオ教育相談でした。なかでも、
す。
としてこれでいいのかと葛藤したそうで
寂しい思いをさせてしまい、自分は母親
な り、 子 ど も た ち に 手 を か け て や れ ず、
ました。忙しいとどうしても仕事優先に
す。子育てと喫茶店の仕事の両立に悩み
琲は瞬間の美学 東京珈琲専門学院推薦
店」と書かれたプレートが掲げられてい
た。あらびかコーヒーの入り口には「珈
を開くために必要な知識を身に付けまし
東京珈琲専門学院という学校に一カ月
ほど通って、コーヒーの作り方や喫茶店
茶店を開く計画を立てます。
ろう。そう思って、マスターは松江で喫
ヒーを作って周りのみんなを喜ばせてや
ヒ ー の こ と で す。 松 江 で お い し い コ ー
んだのが東京で出会ったおいしいコー
悩んでいたそうです。そのとき頭に浮か
事に就けるかもわからず、どうしようか
ですが、当時三十八歳で三人の娘の父
でもあったマスターは、島根に帰って仕
由です。
たことも、帰りたいと思ったひとつの理
た。勤めていた会社の方針に疑問を抱い
根で暮らす親の様子も気になっていまし
りたいと考えていたそうです。また、島
言われていたことが気になり、島根に帰
とか続けてこられたのは時代が良かった
は軌道に乗っていきます。これまでなん
力して努力して徐々に客足も増え、お店
たと言っておられました。それでも、努
あまりに痩せてベルトがユルユルになっ
しかし、当初はなかなか売り上げが伸
び ず、 開 店 し て 三 ~ 四 カ 月 の こ ろ に は、
あらびかコーヒーの開店日、若い人たち
で大きな地震が起こると
一緒にお店で働
「サラリーマンの妻になる!」
くことになりま
8
■水出しコーヒーの具合
を確かめるマスター。
■マスターは焙煎について詳しく説明してく
ださいました。
からかもしれないし、心がけが良かった
何かの出会いを託したいと思う
コーヒーのいのちを大切にとり出し
限りない緊張を見出して
でも、その小さな世界に
雲の舞い落ちる音のような
まるで鳥の羽のような
たかゞ一杯のコーヒー
が書いてありました。
琲は瞬間の美学」とあり、次のような詩
す。手作りの表紙を開くと、最初に「珈
付きなので、かなりのページ数の冊子で
ヒーは口当たりが良く、とてもまろやか
コ ー ヒ ー) の 器 具 で 作 っ た ア イ ス コ ー
テーブルにある水だしコーヒー(ダッチ
ご ち そ う に な り ま し た。 店 内 の 中 央 の
た豆で淹れたアイスコーヒーを取材中に
そうです。そんなマスターの支えになっ
社 の サ ン ト ス No.2
だ そ う で、「 こ れ が
あれば喫茶店をやっていける」と思った
ターのお気に入りのコーヒー豆はカシケ
がずっと続けておられます。そんなマス
しかできない仕事として、マスター自身
使っていたメニューも大事に保管してあ
あらびかコーヒーでは開店以来ずっと
手書きのメニューを作っておられて、昔
珈琲は瞬間の美学
は 妥 協 し な い、 そ う 話 す マ ス タ ー か ら
ます。お客さんに満足してもらうために
の説明は特に力が入っていたように思い
機を見せていただきましたが、そのとき
りに煎っておられます。取材の際に焙煎
仕入れた生豆をマスターの経験と勘を頼
なっていたと思う。子どもたちは手をか
過 ご し て い た ら、 き っ と 退 屈 な 人 生 に
リーマンを続けていて、東京でそのまま
隆 子 さ ん は、「 喫 茶 店 を す る こ と で た
く さ ん の 人 に 出 会 え た。 も し 夫 が サ ラ
いました。
――マスターは最後にそう話してくださ
たことは悪い選択ではなかったと思う」
はないかと思う。だから喫茶店を経営し
マンをやめて喫茶店をやってきたからで
族で仲良くやってこられたのもサラリー
かけたし感謝もしている。こうやって家
が評価された。家内にはたくさん迷惑を
「 や り た い こ と を 続 け て こ ら れ た し、
周りにもそれなりに自分の作るコーヒー
た。
とても楽しそうに話してくださいまし
取り組みを積極的にやっていきたい」と、
戦 し て お ら れ ま す。「 こ れ か ら も 新 し い
かコーヒー」など、さまざまな企画に挑
のリニューアルオープンの少し前にはブ
英子さんは、店の日常業務のかたわら
企画担当としても大活躍です。昨年十月
されました。
たちのおかげです、と感謝の言葉を口に
な味わいでした。
ります。開店間もないころのメニューを
コーヒーへの並々ならぬこだわりが感じ
けてやれなかったが、みんなちゃんと自
マスターは開店以来ずっと自家焙煎を
続 け て お ら れ ま す。 仕 入 れ 先 を 厳 選 し、
何冊か見せてもらいました。原稿用紙に
られました。
立してくれたことがすごくうれしい」と
創業三十四年目を迎えた温かな喫茶店
「 あ ら び か コ ー ヒ ー」 で、 マ ス タ ー 自 慢
からかもしれない、――そう語ってくだ
手書きの文字。飲み物も食べ物も種類が
話してくださいました。また、お店を続
のコーヒーをいただいてみてはいかがで
■(上段)娘の英子さん。(下段)あら
びかコーヒー前にて。
さいました。
たくさんあって、しかもコーヒーは解説
けてこられたのは、パート従業員の方々
しょうか。
ログを立ち上げ、その後も「出張あらび
事故に遭われた後も焙煎はマスターに
や弟夫婦の協力のおかげだし、あらびか
(あかき・としゆき/文化資源学系一年生)
■取材風景。隆子さんのお話を聞く。
コーヒーに足を運んでくださっている人
9 のんびり雲|第 6 号| 2012
■開店間もないころのメニュー。
◆初めてのMG
(松江市)
あっちゃんと、
喫茶MG
石川美紀
わ い 深 い、 昔 な が ら の 喫 茶 店「 M G 」。
ました。こんな店に入ったのは初めてで
MGの店内は独特の雰囲気を持ってい
のお願いに訪れたときと同じ笑
六 月 一 八 日、 い ざ 取 材 の 日。
店内に入ると、淳子さんは取材
のが第一印象で、取材日が楽し
五月一八日、午後二時過ぎ。ランチの時
す。どうしてなんだろうと、入ったとき
顔で「どうも~」とあいさつを
……。私たちは店の奥の方の席に座るこ
間も過ぎ、お客さんは少ないだろうと思
からずっと気になっていましたが、どう
してくださいました。
みになりました。
い、この時間を狙って取材交渉に訪れた
やら一番の原因は壁一面に張られた張り
とにしました。
……はずでした。しかし、いざ店内に入
紙のようです。思わず圧倒されました。
松江市西茶町にあるレトロでどこか味
る と、 入 り 口 近 く の テ ー ブ ル に も 店 内
喫茶MGは一九六九年八月七日にオー
思い切って自転車屋を喫茶店に変えるこ
も や っ て い け る 仕 事 が し た い 」 と 考 え、
◆自転車屋から喫茶店に
プン。淳子さん、お母さん、弟の克行さ
んでしたが、どこか場違いな感じがして
喫茶店に入るのは初めてではありませ
■店内の壁にあった MG のマーク。
中央のカウンターにもお客さんの姿が
緊張してしまいました。でも、この店の
とにしたそうです。もし、お兄さんが自
すよ~」と二つ
む と、「 い い で
に取材を申し込
た。しかし世の中は自動車の時代に変わ
らはお母さんが経営を引き継いでいまし
さんが一〇歳のときに亡くなり、そこか
した。店を経営していたお父さんは淳子
淳子さんの家はもともとは自転車屋で
はお兄さんの店「タクワサイクル」を取
しています。本号巻末の「R431物語」
のお兄さんは脱サラして自転車屋を経営
りお父さんのDNAでしょうか、今、そ
し て い な か っ た の で す。( け れ ど、 や は
転車屋を継いでいたら、喫茶MGは存在
64
んの三人で店を始めました。
■開店当時からあるマッ
チ。自動車の MG が描か
れています。
中心人物である「あっちゃん」こと浅野
返事で引き受け
りつつあり、店を継ぐと思われていたお
り上げています。ぜひご覧ください)。
)
てくださいまし
兄さんも自動車会社で働き始めました。
ちなみに、この「MG」という喫茶店
あつこ
た。快活で明る
そこで淳子さんは「人に頼らず女手で
淳 子 さ ん(
い方だなという
■「キューピット」
を作る淳子さん。
特集:喫茶店
弟さんが車好きなところから命名しまし
Gからとったのだそうです。お兄さんと
にしては珍しい店名はイギリスの車、M
そうです。
「 何 か を や ら な い と!」 と 夢 中 で 働 い た
細かいことまでは覚えていないが、ただ
は夏になるとメニュー入りするカキ氷は
が結構たくさん来てくれたそうです。今
プン。夏場だったこともあり、お客さん
た。八月七日、今と同じ、朝一〇時オー
心機一転、自転車屋から喫茶店に。記
念すべき開店初日の心境を聞いてみまし
ている方でした。
トカットがよくお似合いで、笑顔が輝い
Gになくてはならない存在です。ショー
太陽のような、母のような、とにかくM
す。例えると、温かく包み込んでくれる
淳子さんはとても明るく素敵な方で
たものです。設計には藤田丈さんという
方のご協力があったそうなのですが、「M
Gにとって出会えて良かった人」だと淳
子さんは語ってくださいました。
木のぬくもり。――淳子さんのそのこ
だ わ り は、「 家 に 帰 っ て き た よ う な 安 ら
ぎ 」「 ホ ー ム 」 の よ う な 店 に し た い、 と
いう思いからです。今では常連のお客さ
んは結婚し子どもを連れて来たり、その
子が大人になりまた自分の子を連れてき
たりと、親子三代が訪れる場合も少なく
ないそうです。MGは、いつまでも訪れ
たい、他の人にも伝えたい、そんな場所
となっています。
房が)寒かったら言ってくださ
注 文 を 聞 き、 そ の 際 に は「( 冷
てくださりながらもお客さんの
した。私たち取材班の相手をし
うにすっと席に座る方ばかりで
う、自らの定位置であるかのよ
会いとご縁」を大切にしている方であり、
来ることだと答えてくださいました。「出
お客さんと知り合いになって繋がりが出
たと感じることはと尋ねると、この店で
れたときだそうです。やっていて良かっ
たお客さんが何年かして再び来店してく
いてやりがいを感じるのは、松江を離れ
はとても印象的でした。喫茶店をやって
中にはなんと十七歳の頃の小泉凡先生
ものだそうです。
類はお客さんが来店記念に張って帰った
プするかのような雰囲気でした。張り紙
てあったりと、一瞬で昔にタイムスリッ
などのチケット、写真、定期券などが張っ
り、壁には古いポスター、公演やライブ
■ご招待券とコーヒー券。いずれ
も開店当時のもののようです。
た。
当 時 は な か っ た の で す が、 ビ ー ル も あ
午後三時頃取材を開始し、しばらくは
お客さんがいなかったため、ゆっくりお
◆「あっちゃん」
り!とにかく何でもあり!のお店だった
とのことです。昔のことなので、あまり
話が聞けたのですが、四時を過
ぎると次から次へとお客さん
いね」などの気遣いも忘れませ
店内は他にも、開店当時からの椅子や
テーブル、ランプシェードが残っていた
ん。それに、淳子さんはお客さ
だからこそ、今でも人々に愛される店な
が。やはり常連さんなのでしょ
ん の 名 前 を よ く 覚 え て い ま す。
のだと感じました。
使用されていて、温もりを感じる造りで
MGの店内には壁や床などにヒノキが
◆張り紙がいっぱい
たいていのお客さんとは一〇~
二〇年の付き合いだそうです
が、一年に一回しか来ないよう
ているというのだから驚きで
した。当初はヒノキの香りもしていたそ
なお客さんでも顔と名前を覚え
す。
の温もりがある店にしたいと考え実現し
うです。このデザインは、淳子さんが木
また、取材中に淳子さんが何
度も口にした「縁」という言葉
11 のんびり雲|第 6 号| 2012
■開店当時からの椅子とテーブルに座る野口さんと吉岡さん。
聞いてみると、張ったのは四〇歳を過ぎ
の定期券も張ってありました。ご本人に
囲気を醸し出している最大
が、他の喫茶店にはない、MG独特の雰
なこともほとんどないと思います。これ
ケットや定期券が張ってあるよう
て あ る こ と は な く、 も ち ろ ん チ
日の過ぎたポスターが店内に張っ
がとうに過ぎています。普通、期
演やライブのポスターなどは期日
られていたことが分かります。公
ついていたりと、長い間そこに張
張り紙は、茶色く変色している
ものがあったり、押しピンが錆び
トとして有名な山本恭司さんの姿もあっ
活躍している佐野史郎さんや、ギタリス
り場」でした。そこには現在俳優として
めの喫茶店」というよりは「若者のたま
い た よ う で す。「 お 茶 を 飲 み 一 息 つ く た
人々が集い、若者の熱気で溢れかえって
さに惹かれ立ち寄る人々や音楽好きの
でしょう。しかしその良い意味での異質
流れる、一見風変わりな店であったこと
城下町松江のどこか静かな街のイメー
ジとは違い、ここMGは大音量の音楽が
でした。
場所でもあり、とにかく人が集まる場所
行ったら誰かいるかも」と思って訪れる
いました。特に用事がなくとも「MGに
ち合わせの場所としてもよく利用されて
は連絡が取れない時代であったため、待
です。また携帯電話もなく、そう簡単に
合ったりと、情報交換の場であったそう
に つ い て 話 し た り、 音 楽 に つ い て 語 り
溢れかえっていました。学校生活や恋愛
店内は常に音楽が流れ、多くの学生で
喫茶店でした。
人気のアーティストのレコードが流れる
リン、ピンク・フロイドなど、若者に大
迎 え、 そ れ を 記 念 し て「 Eternal Notes
」
という記念誌が作成されました。学生時
そのMGは一九九九年、開店三〇周年を
潰れると言われていたそうです。しかし
め、開店当時、周りの人々から三カ月で
淳子さんたちMGのスタッフは飲食業
に関してほぼ素人の集まりであったた
◆MGに詰まった青春
お話を聞かせてくださいました。
たことがひしひしと伝わってきます。わ
子さんを見ていると、「MG=音楽」だっ
数々や、当時のことを楽しそうに話す淳
までも壁から剝がさないポスター類の
昔MGに集まっていた音楽好きの方々
とは、今も音楽で繋がっています。いつ
に話しておられました。
し切れてしまったと淳子さんは寂しそう
ンビニも増えたことで、学生との縁が少
Dへと時代は変わり、飲食物が買えるコ
現在のお客さんは二〇~五〇代のお勤
めの方が多いそうです。レコードからC
Gに通っていました。
たそうです。お二人は高校在学中からM
リットだと淳子さんは話してくださいま
トです。かつてMGはビー
に関するポスターやチケッ
そ れ ら の 多 く は「 音 楽 」
■佐野史郎さんのお気に入
りのレコード『IT'S A BEAUTIFUL DAY』。
■メンバーの鈴木茂さんが
来店時に書いてくださった
生サイン付きの「はっぴい
えんど」1st アルバム。
ざわざ昔のレコードを出してきて様々な
てからだそうです。学生時代の定期券を
の理由なのでしょう。
見つけてMGを思い出し、持って行って
張ったとのことでした。
した。お客さんは一度張るとずっと忘れ
トルズやレッド・ツェッペ
◆MG=音楽
ずにいて、また来店したときの喜びに繋
紙を張ることが出来るのも木の壁のメ
がるのだそうです。
■ MG の常連だった高田渡
さ ん の 1st ア ル バ ム『 ご あ
いさつ』。
■(上段)取材中。淳子さんはとても気さくな方で会
話が弾みました。
(下段)壁に張られたチケットの数々。
12
くさんのメッセージが寄せられていま
賢司さんなど、MGゆかりの人々からた
さんや大塚まさじさん、純音楽家の遠藤
ようになったフォークシンガーの高田渡
司さん、遠くからたびたびMGを訪れる
代にMGへ通った佐野史郎さんや山本恭
た。 学 生 時 代 に M G に 通 っ て い た 人 や、
本恭司さんはその全てに出演されまし
コンサートも行われ、佐野史郎さんや山
周年には記念ライブ、四〇周年には記念
わらない場所なのです。三〇周年と三五
MGは人々の心のよりどころ、ずっと変
飲 ん だ だ け で し た。「 あ の 山 本 恭 司 さ ん
いう飲み物(カルピスのコーラ割り)を
きを避けて行ったため、キューピットと
りのメニュー。でも、取材の日はお昼ど
こだわりたっぷり、ボリュームたっぷ
食材などを選びぬき調理しています。
の を 提 供 し た い と い う こ だ わ り を 持 ち、
の全ては、弟さんが安い価格で最高のも
びMGを訪れました。とろと
何かのご縁で松江を訪れた際に常連と
ろの卵とお肉の味がしっかり
なった人々など、懐かしい顔ぶれが揃い、
MGで青春の日々を過ごした人々に
活かされた優しい味付けが口
す。写真もたくさん掲載されていて、こ
と っ て、 M G は 自 ら の「 拠 点 」 で し た。
の中にふんわりと広がりま
の記念誌を見れば昔のMGの様子を覗く
ここで多くの人々に触れ、音楽や文化に
す。 友 だ ち を 誘 っ て 四 人 で
も好んで食べたというカツ丼を食べなけ
触れたことで、今の自分があるのでしょ
行ったのですが、みんなが絶
同窓会のような雰囲気で行われたそうで
う。だからこそ、ふとしたことでこの場
賛。多くの人に支持されてき
ことが出来ます。
所を思い出す、そんな喫茶MGは、やは
た理由がよく分かりました。
ればMGは語れない!」と思い、八月七
り特別な場所なのです。
す。いつまでも、皆が集まればそこには
愛のある言葉、楽しそうな笑顔の写真。
そしてそのMGという安らぎの場を
ずっと守ってきたのが淳子さん。人々に
日、カツ丼を食べるために再
とって「MG=音楽」だったのと同時に、
松江の人々に愛されてきた
喫茶MG。これからも人々が
当時のMGが広がります。
「MG=あっちゃん」だったのに違いあ
気兼ねなく帰って来られる場
所として、いつまでも変わら
りません。
カツや、手ごねハンバーグ、コロッ
ススメメニューとしてカボチャの
さいました。また、淳子さんのオ
もあるカツ丼が人気と教えてくだ
り定食と雑誌の表紙を飾ったこと
いて聞いてみると、お昼の日替わ
淳子さんにMGのメニューにつ
二年生)
(いしかわ・みき/文化資源学系
とでしょう。
顔で私を迎え入れてくれるこ
ろうと、淳子さんは明るい笑
す。今度訪れるのがいつにな
も何かのご縁なのだと感じま
Gと淳子さんに出会えたこと
ずにいてほしいです。私がM
ケを挙げてくださいました。料理
◆カツ丼を食べに行く!
■壁に張られた定期券。
■ブリジット・フォンテー
ヌ『comme a la radio』。淳
子さんのお気に入りのレ
コードだそうです。
■ザ・ビートルズの『ABBEY
ROAD』。松江で初めてビー
トルズの曲を流したのは
MG では……?と話してく
ださいました。
■ MG のカツ丼。この味、この
香り……もう、たまりません!