「不確実性の罠」から需要創出革新へ

第2巻第2号から
2007年12月に刊行された「Asian Economic Policy Review(AEPR)」の第2
巻第2号(通算4号)
“Japan: Where To From Here?”
(日本はどこへ向かうのか?)
から、吉川洋・東京大学教授の論文およびミレヤ・ソリス・アメリカン大学准教授と浦田
秀次郎・早稲田大学教授の共同論文の抄訳を掲載する。前者は「失われた10年」の教訓、
後者は日本の対外経済政策を論じている。
日本の失われた10年:我々は何を学んだか、そしてどこへ向かうか
Japan’
s Lost Decade:What Have We Learned and Where Are We Heading?
「不確実性の罠」から需要創出革新へ
吉川 洋
東京大学教授
失われた10年は多くの教訓をもたらした。その1つは標準的なマクロ経済学の限界である。これまで経
済における「不確実性」は軽視されてきたが、経済がいったん「不確実性の罠(わな)」に捕らえられる
と、標準的な経済政策の有効性は弱まることを認識すべきである。同時に、失われた10年を克服した日本
経済は将来に向けて、需要を創出するイノベーションを特に重視することを求められている。
日本の「失われた10年」は過去のものと
の低下にあるとする説があるが、TFPの
なった。しかし、それは経済だけでなく社
実質的な低下は長期停滞の反映にすぎない
会にも大きな傷跡を残した。自殺者の激増、
かもしれない。
パートタイム労働者の急増に象徴される不
長い停滞の基本的な原因は需要面にあ
平等の拡大などである。失われた10年は依
る。実質国内総生産(GDP)成長率の需
然、エコノミストが挑戦すべき非常に重要
要分解を見ると、92、93年の景気後退期、
な研究課題である。
94−96年の回復期、および97、98年の景気
低迷の主因は投資不足
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言
後退期とも、固定資本投資が循環的な景気
変動を説明する最も重要な要素であること
を示している。
われた景気の良い1980年代に、誰が暗い90
固定資本投資以外には消費の低迷が注目
年代を想像しただろう。景気後退の後、金
される。しかし、資産価格下落の影響は家
利は90年代後半までにゼロに下落したが、
計消費に比較的小さい影響しか与えなかっ
経済はよみがえらなかった。
た。消費低迷を説明する要素として雇用の
重要な問題は、なぜ日本経済が長い停滞
不安定も挙げられる。90年代の長い停滞は
に陥ったかである。特に成長鈍化の原因は
日本の労働市場の構造を完全に変えた。企
何か、それが需要面にあるのか供給面にあ
業は「リストラ」を掲げ、92年から99年の
るのかが問題だ。サプライサイドから日本
間に不本意ながら失職した者の数は3倍以
の停滞の原因は単に全要素生産性(TFP)
上に増えた。97年秋には北海道拓殖銀行や
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日本経済研究センター会報 2008.2
山一証券などの大きな金融機関が倒産し、
をもたらした。しかし、現実には、バブル
終身雇用が終わったことを示した。雇用不
期に行楽地や東京のオフィスビルなどの土
安は消費を低迷させ、家計は空前の不確実
地集約的部門が思いのままに高い利益を手
性の拡大に直面していた。
にできるとする(誤った)期待が地価を暴
日本経済の停滞を円高の結果とする見方
もある。この議論は、為替レートの変動が
問題の基本原因という前提に立っている。
騰させ、同時に企業の徹底的な土地投資を
引き起こしたのである。
理由がどうあれ投資は停滞し、金融政策
しかし、成長への純輸出の貢献は、為替レ
は経済の低迷に対応した。日銀は91年7月
ートがフレキシブルだった70年代と80年代
に公定歩合を6.0%から5.5%に引き下げて
の方が、為替レートが固定されていた50年
から度々利下げに踏み切ったが、経済はほ
代と60年代よりはるかに高かった。また、
とんど回復しなかった。
1ドル=240円(85年)から120円(88年)
一方、株価の下落は、国際決済銀行
への対ドル為替レートの変化は日本の輸出
(BIS)の自己資本率基準を満たさざるを
部門の生産性上昇によるもので、円高を日
得ない邦銀に深刻な問題を生み出した。銀
本経済の長い停滞の主な原因と見なすのは
行は貸し出しを減らし、大型金融機関の倒
説得力がない。
産が真の貸し渋りの引き金となった。貸し
弱まった政策効果
マクロ経済政策は長期停滞にどのように
渋りは資金繰りの厳しい企業の投資を圧迫
させただけでなく、経済全体の不確実性の
程度をかなり高めた。
対応したのか。失われた10年の間、政府と
97、98年の金融危機の間、経済は「不確
日銀は不良債権問題に深くかかわった。90
実性の罠」に捕らわれていた。消費者物価
年代に政府は、経済再生のため9つの包括
指数は99年に低下し始め、日本経済はデフ
的な財政政策を打ち出し、投入額は合計
レに陥った。貸し渋りの最中、日銀はさら
130兆円に上った。しかし、90年代に経済
に金利を引き下げた。コールレートは99年
が持続的成長を決して回復しなかったとい
にはついに0.03%になった。取引コストを
う事実から、財政政策が概して失敗であっ
考慮すると事実上、ゼロ金利である。
たことは誰もが認める。
ゼロ金利下で、日銀は伝統的な金融政策
金融政策は80年代後半の資産価格バブ
のための道具を使えなくなった。「流動性
ル、および90年代の長期停滞に責任があっ
の罠」(ケインズ、1936年)は単なる理論
たとしばしば指摘される。この見方による
上の可能性であるとかつては考えられてい
と、80年代に低金利が資産価格バブルを発
たが、長い停滞の中で日本はこの問題に直
生させ、地価高騰が土地の担保価値増加に
面した。そんな中でクルーグマン(98年)
よって流動性不足の企業に過剰投資を可能
は初めて、代替的政策を提案し、日銀が全
にさせた。そして90年代には資産市場の崩
力を挙げて取り組まなければならないの
壊による土地担保価値の減少で投資の停滞
は、将来、通貨供給量が増加すれば物価水
日本経済研究センター会報 2008.2
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準が上がることを公衆に納得させることだ
金利ではなく、大きな不確実性だからであ
と主張した。
る。不確実性は金利の弾性値を下げ、理論
多くのエコノミストが、これと似てはい
的にはゼロまで減少させる。インフレ期待
るが多少異なる提案を示した。例えば物価
を起こさせるような政策は効力がないだけ
水準目標の達成経路の公表、マイナス金利
でなく、不確実性を拡大する方向に働き、
の導入などだ。しかし、重要な点は、どの
おそらく有害でもある。全く非の打ち所の
提案も金融システムの潜在的な不安定性や
ないインフレターゲットも、大きな不確実
不確実性を考慮していないことである。
性に直面している経済では機能しない。
これらの提案では、実質金利の引き下げ
我々が日本の失われた10年から学んだ重
によるインフレ期待が需要を刺激すること
要な教訓は、不確実性の度合いが上昇する
になる。だが、経済全体における金利の弾
のに伴い政策の有効性が必ず低下するとい
性値は一定ではなく、大いに不確実性の度
うことである。この問題を「不確実性の罠」
合いに依存する。不確実性の度合いが高ま
と呼ぶ。経済がそのような不確実性の罠に
ると弾性値は低下し、ついにはゼロに接近
捕 ら え ら れ て い る か ど う か で 、「 不 況
する。したがって不確実性の度合いが上昇
(depression)」と通常の循環的な「景気後
するとき、マクロ経済政策の有効性は必ず
弱められ、最後には効力がなくなる。
クルーグマンのモデルでは理論上、実際
退(recession)」とは区別される。
需要創出が日本の選択
にインフレが起きていなくても、中央銀行
現在、我々はどこに向かっているのだろ
が期待インフレを発生させるのは容易であ
うか。人口減に伴い必然的に日本の労働力
る。しかし、経済が実際にデフレに直面し
人口は減少する。重要な問題は、労働力不
ているとき、中央銀行の政策的措置が何で
足に直面する日本経済の潜在成長率がどの
あれ、誰が容易にインフレを信じるだろう
程度かということである。一般の悲観的な
か。期待インフレを決定する最も重要な要
認識とは逆に、成長に対する労働の直接的
素は、物価の変化率である。実際、消費者
な寄与は、資本の深化とTFPよりはるかに
物価によって測定されるデフレは、失業率
小さいとみられる。2%成長が日本の潜在
の着実な低下を伴う4年連続の2%成長の
的経済成長のコンセンサスと考えられる。
後、2006年に最終的に終息した。
現在の日本で特に重要なことは、技術的
インフレターゲットが幾つかのケースで
進歩あるいはイノベーションである。イノ
インフレ収束に役立ったことは認めるが、
ベーションあるいは技術的進歩は主要な新
流動性の罠に陥った経済におけるデフレへ
製品や産業を生み出す。需要を創出するイ
の治療法としてのインフレターゲットには
ノベーションは産業構造の変化を伴うだろ
疑問を呈したい。失われた10年の日本のよ
う。それは挑戦と同様にチャンスでもある。
うに不確実性の罠に陥った経済において
イノベーションに成功すれば、日本経済の
は、基本的な問題は本質的にデフレやゼロ
未来の基礎を形成するだろう。
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