私たちと地球、明日の人類を救え(図表入り)

私たちと地球、明日の人類を救え(図表入り)
―復興・財源は、押しつけでなく 支え合いでこそー
2011.6.26
毛 利 正 道(弁護士)
本 文
4ページ
付録1 緊急学習集会 原子力発電を見直そう
私たちに何が出来るか
23ページ
付録2 地球人類が共生できるつながり社会に
―環境破壊と貧困・孤立のパーソナル社会を問う
26ページ
付録3 つながりは最大の戦争抑止力―「すわこ文化村」から
30ページ
本文のもくじ
第1 押しつけか 支え合いか
被災者よりも財界、 「大震災復興構想会議」
大震災復興でも、社会保障改革でも、消費税大増税
「憲法96条改正を目指す議員連盟」
第2 大震災が人類に示したもの
(1)地球は、そこに生きるものにとってまことに危険な天体
1000年に一度の巨大地震津波
福島第一原発損傷汚染は人災
(2)大災害の被害を最小限に食い止める姿勢が必要
びっくりと怒り 避難所に布団無し
今頃検討している場合か 二重ローン問題
GPS津波計 100億円を惜しむ政府
5ページ
防衛費の4分の一 1.1兆円が防災費
地球上 30年間に自然災害で250万人死亡
軍事費138兆円 桁違いに少ない防災費
(3)人類存立の基盤である地球に危機が迫っていることを浮き彫りにした
地球温暖化防止 2100年までに地球の気温が最大 6°C上昇
CO2 を2050年までに1990年の値から80%削減する責務
核兵器・核実験と原発によって地球を汚染
原発は、核兵器と不即不離
・核兵器製造技術を急遽転用して造られたため基本的に安全性が脆弱
・通常兵器で攻撃されても放射能汚染が広がり、その点で「原発=核兵器」になる
・核兵器の原料プルトニュウムを次々に生産できる
1
・そのため、原発を保有すると核兵器保有の意図を疑われ、緊張悪化要因になる
・「核の平和利用」名目の原発推進により、民衆の核兵器拒否感を払拭させう
・現在の人類には制御能力がなく、人類の存亡に関わる重大汚染を起こす
温暖化も放射能汚染も止める
決定的な どこでも地産地消 釜口水門に発電水車を造ろう
(4)私たちは気付いた、「支え合い」があって初めて自分・家族も守れることに
否定された「自己責任論」の世界
人類は連帯し合ってこそ生きていける
象徴である巨大原発がクライシス=危機
第3 復旧復興と世直しの基盤となる「支え合い」社会
11ページ
(1)縄文時代から 裏長屋と「ゆい」の江戸時代を経て現代まで
(2)「1000年の山古志」の世界 被災地立ち上がりの鍵 住民合意をどう支えるか
(3)日本列島津々浦々でも ご近所社会の再生を
(4)ご近所社会ならでのシェア社会も なんでも一人一台から 共同所有共同利用へ
(5)国際的ご近所社会も大切に
地域国際防災緊急支援体制の確立
「日米同盟」より、国際的「ご近所社会」を
領土紛争にも調停役として必要な地域共同体
第4 私たちと地球、明日の人類を救うための提案
17ページ
(1)人類の連帯・共同の力で大震災被害を一刻も早く回復させる 責任者は東電だけではない
(2)復興資金を、できるだけ強制でなく支え合いと連帯の中で造り、現地の復旧を支える
①個人・団体・企業に対し、最大限の寄付を政府・著名人一体となって要請する
・寄付した人びとについては、法人税法・所得税法に特例を設けて有利に扱う
・原発導入を推進した多くの責任者から、自主的に償い金を拠出していただく
・長期間にわたって少額の分割金を寄付していく形態も大いに推奨する
・亡くなる場合に備えて、この特別会計あてに遺産を譲るとの遺言書を造ってもらう
②無利子国債を発行し、個人・団体・企業から自主的に大いに購入してもらう
③ ①②によっても不足する分については、貯め込み資金豊富な大企業に対し、償還金額
が元金未満の国債の引き受けを義務づける
(3)人類の知恵と資力を、大災害・地球温暖化から人類の存続を守ることに中心的に用いる
① 次の大災害による被害を最小限に食い止める
② 当面、自衛隊の半数をレスキュー隊に全面改組し、専用の機材を揃え、日常不断に訓
練することにより、災害緊急時に国の内外で活動できるようにする
③ 原発をできるだけ早期に全廃する方向を明確にしつつ、再生可能エネルギーと省エネ
によって CO2 を目標通りに削減し地球温暖化を防止する
原発をすべて廃絶しても停電にはほとんどならないことに自信を持って
(4)儲け本位社会の基盤となっている土地私有制をなくして公有制に変える
(5)「車社会」を大胆に見直し、軽自動車と公共交通社会に
2
(6)大災害時に避難しやすい、若しくは避難するための公共交通手段を研究開発することに力
を入れる
第5 日本国憲法の花開く新しい社会を
21ページ
(1) 前文「核時代における恐怖と欠乏から免れる」権利としての平和的生存権、9条、13(生命
幸福追求権)・14条(法の下の平等)・25(生存権)・26(教育権)・27(勤労権)・29条
(財産権)などが保障される
(2) 次世代にも11条・97条「将来の国民」にも憲法の人権が保障される。12条「不断の努力で
保持を」
3
本文
私たちと地球、明日の人類を救え
―復興・財源は、押しつけでなく 支え合いでこそー
はじめに
東日本大震災の翌日、
「原発が爆発し、津波が日本を飲み込む」映像(そのように見
えた)に接し、人類の終わりに出会ったような暗い気持ちになりしばらく続きました。東
京電力柏崎刈羽原発が建った場所のすぐ近くで生まれ育ち、とりわけ先の新潟中越沖地震
での原発損傷に心痛めていた私への追い打ちでした。私のよく知っている方が、地震2日
後に自死されましたが、同じような気持ちを強く抱かれたのかもしれません。幸い、私は、
つらい気持ちを周りの人々と語り合うなかで精気を取り戻してきましたが、ほぼ3ヶ月後
の6月5日、止めどなく涙が溢れることに出会いました。妻とともに出かけた長野県茅野
市内「第48回 長円寺 花のコンサート」、マテー千佐子さんとその高校生の娘さんによ
る「母娘連弾のピアノの調べ」でのことでした。大震災の時に滞在されていたオーストリ
アで、皆さんが日本人と見るや温かい声をかけて下さったというお話のあとで、「幻想曲
さくらさくら」
「ノクターン二題 ショパン」をお聞きしたときのことでした。大好きな映
画ならともかく、音楽を聴いてこんなに止めどなく涙が流れることなど生まれて61年で
初めてのことでした。そんな自分にびっくりするとともに、こんなにも大震災で心が傷つ
いていたのか、それが今癒されていっている、という実感がしました。
第1 押しつけか 支え合いか
そんな私が、4月中旬からほかのことは隅に置いて危機感を持って懸命に取組み、ま
る2ヶ月かけてまとめたものが、本論攷です。菅首相が設置した「大震災復興構想会議」
で、議長さんが検討テーマの柱であるべき原発損傷を議題から外そうとし、弱い者いじめ
の消費税大増税をのっけから打ち出そうともしました。さらに同会議としても、まず日経
連・経済同友会・日本商工会議所という財界トップ3の意見を聞き、そのあとで被災地を
視察しました。しかも視察は数時間程度であり、とても被災者一人ひとりの声をじっくり
聞く姿勢ではなかったようです。案の定、昨日6月25日に出された「復興への提言」で
は、住民同士の「つながり」を強調しつつ、
「連帯」のために「基幹税」を増税すると明記
されました。誰がみてもこれは、国民に不評の消費税大増税を、震災復興のための「連帯」
名目のもと、消費税法改正法の制定という強制力で押しつけようとするものです。
しかし、「連帯」「つながり」と国民への強制は果たして両立するものでしょうか。消費
税増税については、いつもほぼ半数の国民が弱い者いじめ税であるとして反対しています
が、その人たちにとっては、明らかに意に反する強制です。これでは国民は「支え合い」
の気持ちになれるでしょうか。被災者にとっても、復旧復興は一人ひとりにとって決して
強制と受け取られるようなものであってはなりません。その点では、
「提言」で述べられて
4
いる集約化・民間企業導入を柱とした農林水産業の復興も、これまで必死に生きてきた一
人ひとりの被災者を切り捨てる結果となる危険が大きいと思います。本当に復旧・復興へ
の国民の連帯と支え合いを求めるのであれば、あくまで被災者を先頭とする全国民の真の
自主性・自発性を引き出すような魅力的な復旧復興計画でなければならず、そのための資
金計画も当然そうでなくてはならないのです。
他方、政府の「社会保障改革に関する集中検討会議」も6月2日、やはり「支え合い」
のために消費税を2015年度までに段階的に10%に引き上げることを柱とする「社会
保障改革案」を出しました。さらに、社会保障費は全額消費税で賄うと言っていますので、
消費税20%は覚悟せよということです。また、6月7日には、民主・自民など超党派の
改憲派議員約100名が、賛同者200名を得て「憲法96条改正を目指す議員連盟」の
設立総会を開きました。改憲案を国会で発議するための要件を「3分の2」から「2分の
1」に減らして、国民の反対が強い憲法改正でもやりやすくするためです。このような一
連の動きからみて、この国の為政者は、ほとんどの国民が持っている「大震災被災者のた
めになんとかしたい」との気持ちを逆手にとって、被災者を含む国民にその意に添わない
政策を強制しようとしているということではないでしょうか。そのほとんどは、悪評濃か
ったこれまでの為政者の基本路線を踏襲・拡大するものになり、被災者も立ち上がれず、
国民みんなもいっそう苦しめられることになることでしょう。
「押しつけか、支え合いか」、これが大震災後の現局面における、日本が選択すべき二つ
の道だと思います。後者こそが真に国民が望む新しい日本の建設に資するものだとの視点
から、以下の諸点を、アンチテーゼとして打ち出したいと思います。ご検討いただけると
幸いです。
第2 大震災が人類に示したもの
1
今回の大震災は、巨大地震・巨大津波・原発最重度損傷による広範な放射能汚染が同
時に起こり、東北・日本列島・世界の人類・生き物に対し、人命(行方不明合わせ23
000名余)
・社会・経済・生態系など多方面にわたる甚大な被害を複合的に与えました。
それだけでなく、3ヶ月を経過した現在も、その被害が拡大したり、回復があまりに遅々
としている実情にあります。順次、みていきます。
2 地球は、そこに生きるものにとってまことに危険な天体
今回の地震はM9.0、阪神大震災の1400倍の威力のある地震でした。南北500
キロ東西200キロの範囲で最大横巾60メートル上下11メートルも海底がずれ、この
巨大な変動で、高さ12メートルのものが時速30キロで8000メートルも内陸部に侵
入してくるという巨大津波を引き起こしたのです。東北の太平洋沖では毎年8㎝程度太平
洋プレートが日本海溝から日本列島の下に沈み込んでいて、そのひずみがたまると100
年前後の間隔で大きな地震が起きているのですが、今回は、その100年単位の地震の震
源域ではなく、陸からより遠くてより浅い地帯がずれたもので、この部分がずれたのは、
約1000年前869年に起きた、巨大津波を伴った貞観地震以来とのことです。この貞
5
観地震を含め、これまでの3000年間で、巨大地震津波が3回あったことが今から10
年前には判明していました。しかも、M8以上で津波が3キロメートルも陸地に侵入した
巨大な貞観地震については、2006年7月の全国のメディアで「貞観地震、内陸3キロ
に到達する津波」と一斉に報道されており、2009年7月には、経済産業省内での正式
な会議で、貞観地震津波を根拠として同規
模の巨大地震津波が起こる可能性がある
と明確に指摘されていたにも拘わらず、東
電はその場に出席していながらこの忠告
に従わず、今回の惨事にいたったのです。
福島第一原発の損壊は、天災どころか、明
らかな人災です。
ここで注意すべきことは、今回の震源
域と同じように太平洋プレートが動いて
いて従ってひずみも1000年間たまっ
ているはずの茨城沖の同様な範囲が今回
大きくずれていないため、近い将来にその
地域で今回と似た巨大地震津波が起こる
可能性があると指摘されていることです。
そうなりますと、文字通り首都圏直撃とい
うことでしょう。
(2)この関連で言いますと、東海・東南
海・南海と、静岡から四国の沖くらいま
で連動して起きる大地震が、約150年
に一回の頻度で何度も起きています。こ
れもやはりプレートが沈み込んで起き
るわけですが、あの一帯が次々に地震を
起こすわけです。1854年の安政大地
震、1707年の宝永大地震がそうでし
た。おびただしい人たちが亡くなり、九
州や日本海側まで大変な被害を被りま
した。ところが、この震源地域にはその
数倍の威力を持つ巨大地震が1000
年単位で起きていることが判明してい
ます。これは、今回の巨大地震と同じメ
カニズムで起きている可能性が強いよ
うです。このようにみると、今回と同様
な巨大地震津波が、茨城県沖から四国沖
にかけて遠くない時期に起きる危険性
があることになります。
しんぶん赤旗 2011.5.20
6
(3)これらはプレート移動に起因する大地震ですが、他方、阪神大震災や原発損傷を
起こした新潟中越沖地震のように、直下型地震を起こす活断層というものがあります。
活断 層 というの は断層
とい う ずれがあ る地盤
のうち、過去200万年
の間、というと長いよう
です が 地球の歴 史から
みたら極めて新しい、そ
の間 に 繰り返し 活動し
ている断層です。これが
日本 列 島に20 00箇
所もあります。私が住ん
でいる長野県岡谷市は、
日本 列 島を西か ら東に
通っ て いる中央 構造線
とい う 大断層帯 と北か
ら南 に 通ってい る糸魚
川静 岡 構造線と いう大
断層 帯 が交差し ている
地域で、周囲に活断層も
たくさんあります。活断
層が 起 こす直下 型地震
の怖 さ も皆さん が経験
しているとおりです。こ
のよ う にあらた めて地
震の こ わさを直 視すべ
きです。
しんぶん赤旗日曜版 2011.6.5
3 大災害の被害を最小限に食い止める姿勢が必要
(1) 最近、びっくりするとともに怒り心頭に発したことがあります。6月初めの時点
で9万人以上が避難所暮らしをされています。政府見通しのように8月前半までに
入居希望者全員が仮設住宅に入居できるとは到底思えないのですが、その政府見通
し通りになるとしても、長い方で5か月間も避難所で暮らすことになります。とこ
ろがなんと、避難所に布団がなく、固い床に毛布を敷いただけのところで暮らして
いる方が大半のようなのです。災害救助法では避難所で布団などの寝具類一式も支
給できることになっているのですが、それが徹底しておらず、仮設住宅入居時にな
7
って始めて渡されるのが一般的
ということです。皆さん、そんな
ところで寝起きすること、一ヶ月
でもがまんできますか。長い方は
高齢者・障害者含めてそれが5ヶ
月も続くというのですよ。
(2)
また、2重債務問題で困って
おられる方がたくさんいます。事
業・住宅のためにローンを抱えて
いる方々が、震災で何もかも喪失
してしまい、新たに立ち上がるた
めに資金を借りようとしてもい
ままでのローンを抱えたままで
は新規融資を受けられない。これ
をなんとかしようという対策です。
しんぶん赤旗 2011.6.7
でも、災害によってこのような方が生ずることは、全被害規模の大小に係わらず当
然予想されることです。日常から、このような場合に備えた制度を完備しておけば
よいのです。大震災後の今になって、大慌てすること自体、災害対策を軽視してい
ることを示しているのです。
さらに、津波対策としても、1基1億円のGPS津波計を100基、想定震源域
海上に設置しておけば、津波発生を早期に予知でき津波被害防止に効果的というこ
とですが、これもなされていませんでした。
(3)
翻ってみて、地震津波台風洪水などが多発するここ災害大国日本で、防災関係
予算がどれだけだと思いますか。2010年度国家予算では、防衛費4.8兆円に
対して1.1兆円、僅か4分の1以下にすぎないのです。これには地方自治体の防
災予算が含まれていませんが、それを入れても3兆円程度にすぎません。災害大国
であれば、災害予防と災害発生時へのきめ細やかな対応策を日常的に十分採ってお
くべきなのに、この実態なのです。
じつは、防災を軽視することは日本だけでもないのです。私たちが生きている地
球で、自然災害で過去30年間に249万人が死亡し、5億7千万人が被災してい
ます(2010年版防災白書)。犠牲者が年を追って大幅に増加して来ていますし、
その中での開発途上国の犠牲者がとても多いです。他方で、建設的なものをなにも
生み出さない軍事費が2010年だけで地球上で138兆円、1秒間で437万円
も使われています。世界の防災費は、桁違いに少ないこと、まず、まちがいありま
せん。おかしいと思いませんか。
日本でも世界でも多発する自然災害にふさわしい防災対策に必要な資金人材を日
常的に十二分に投入して、いざというときの被害が最小になるように備える。この
ような姿勢が不可欠です。
8
4 人類存立の基盤である地球に危機が迫っていることを浮き彫りにした
(1) 産業革命以降300年、人類は利潤=儲け追求を目的とする社会をひた走り、資
源浪費大量生産大量消費によって、地球を汚し続けて来ました。企業が儲けるため
に、テレビも、自動車・ケータイ・パソコン・居室も、個々人毎に1個若しくは数
個も売りつけるなかで、ひどく環境を汚してきたのです。最新のIPCC(気候変
動に関する政府間パネル)報告書は、CO2 削減など効果的な温暖化防止対策が取ら
れなければ、2100年までに地球の気温が最大 6°C上昇し、海面上昇・洪水干
ばつなどの異常気象、ハリケーン台風などの巨大化、感染症地域の拡大、熱中症に
よる死亡の増大や生態系の破壊によって多くの種が絶滅の危機に瀕するなど、人類
の生存存続にとって深刻かつ重大な危機が生ずると警告しています。これを防ぐた
めには、少なくとも、人類が排出する CO2 を、1990年の値から2020年まで
に25%、同じく2050年までに80%削減しなければならないのです。
(2) 加えて、1945年以降、人類は核兵器・核実験と原発によって地球を汚し続け
て来ました。なかでも原発は、儲け追求社会の落とし子そのものです。それによっ
て、例えばここ日本では、1945年までは長くほぼ一定であった癌死亡率が、そ
の後急上昇して、現在毎年30万人が癌死して死因のTOPに居座り続けている事
態を作り出しています。世界中でも同じ傾向です。
そのうち、原発は、
① 核兵器製造技術を急遽転用して造られたため基本的に安全性が脆弱
② 通常兵器で攻撃されても放射能汚染が広がり、その点で「原発=核兵器」になる
③ 核兵器の原料プルトニュウムを次々に生産できる
④ そのため、原発を保有すると核兵器保有の意図を疑われ、緊張悪化要因になる
⑤ 「核の平和利用」名目の原発推進により、民衆の核兵器拒否感を払拭させうる
という、大量破壊兵器=核兵器と不即不離のものですし、さらに
⑥ 現在の人類には制御能力がなく、地震にも弱く大事故によって人類の存亡に関わ
る重大汚染を起こすものでもあります。
一刻も早く、核兵器同様、地球上のすべての原発を、とりわけ巨大地震大国であ
るここ日本列島から廃絶すべきです。なお、戦後、アメリカから日本に原発が導入
されたのは、アメリカにとっては④が、日本で推進した人々にとっては②が狙い目
でした。とくにアメリカの場合、核兵器を通常兵器と同じく制限なく使いたいとの
戦略を立てたアイゼンハワー大統領が、ヒロシマ・ナガサキや核実験による新たな
第5福竜丸23名の被爆による、日本国民の原爆に対する極めて強い拒絶感を一掃
するために、「核の平和利用=原発」を日本に大々的に導入したのです。
(3) これまでの日本政府は、表向き、地球温暖化を防止するためには、火力発電を減
らしてクリーンな原発を設けなければならないと声高に主張して原発増設を認めて
きました。しかし、それでは、温暖化は防止できても、放射能汚染で地球人類が生
きていられなくなってしまうことが今回の大震災被害で明確になったのです。私た
ち地球人類は、CO2も原発・核兵器もすべてなくすことによって、始めて、こど
もたちに未来を残してやることができるのです。それには、一日も早くすべてのエ
ネルギーを再生可能自然エネルギーに変えることが必要です。
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それは可能でしょうか。できます。
まず、2050年までに、電力・自動
車を含む地球上の全エネルギーを再
生可能自然エネルギーで供給できる
との研究成果が発表になりました(国
際環境NGO WWF)。また、昨年
2010年という年は、世界の再生可
能エネルギーによる発電可能能力(設
備容量)が初めて原発のそれを超えた
年であり、かつ、発電コストも原発で
造るよりも太陽光で造ったほうが安
くなった年という、地球人類にとって
記念すべき年になりました。
経済誌でも脱原発の大特集
(4) それにしても容易なことではありません。どのように実践してゆくのでしょうか。
今回の原発汚染で、誰もが思ったことは、東京の電力のためにフクシマが犠牲にな
ったということでした。遠方からの送電は、平均5%の送電ロスや莫大な送電設備
建設保守管理費用の点でも問題です。そうであれば、まず、電力の地産地消を大胆
に進めることを為政者と自らに求めることです。具体的には、各戸・各企業・各市
町村・各都道府県・各国家において、各自で使う電力を各自自前で賄うことを目指
すことです。すなわち、人類が地球上至るところそれぞれで消費する電力を減らし
自分で造る電力を増やすこと、これを計測器により可視的に行うのです。どの単位
においても、必要電力を100%自前で造ることは至難の業ですが、どこにおいて
も一歩一歩その実現に向かって真剣に努力してゆく、そのプロセスが大切なのです。
そのなかで、これまでの社会・生活への見直しやこれを変えるための住民同士の連
帯・支え合いも生まれ強まります。
原発に代表される現在の発電は、儲けを増やすことが目的か、大型のものを一箇
所に集中させて造られていますが、これからの発電は、各戸・各企業での太陽光発
電や流れる河川に設ける水車による発電をみれば分かるとおり、必然的に小型・分
散・多様化してゆくことになり、それは、災害対策としても効果があります。私は、
まず、地元諏訪湖から天竜川に注いでいる釜口水門(観光地でもあります)に発電
用水車を造り、電力の地産地消のシンボル・モデルにもしたいと思います。
電力でこの取組が順調にいくようになったら、次は、自動車や灯油などを含む総
エネルギーの可視的な地産地消にぜひ取り組みましょう。
5 私たちは気付いた、「支え合い」があって初めて自分・家族も守れることに
(1) 日本で戦後急速に「発展」した利潤追求社会とは、他の人を搾り取ることによっ
て自らが肥え太る社会でした。そこでは、這い上がるも蹴落とされるもその人個人
個人の責任であるという「自己責任論」をでっち上げ、蹴落とされても蹴落とした
10
者や社会を恨まず自分を恨め、と押しつけられたのです。そのため、例えば、イラ
ク人を救うためにイラクに入国して人質とされた高遠菜穂子さんら、他の人のこと
を思いやる気持ちなどできるはずがなく、「自分さえよければ」との社会意識に覆
われるなかで、人間同士が、家庭でも、地域でも、学校・職場でもバラバラにさせ
られてきました。「孤立無縁社会」の深化です。
(2)
その私たちが、今、大震災での2つのことから、次のように実感しました。
① 大津波に人間と人間が築いてきたすべてのものが飲み込まれる場面に接して、
そして同時に、極めて早い時期から、大変な目にあった被災者自身が支え合いな
がら人助けのために立ち上がる場面にも接して、人類一人ひとりの力は非力、で
も人類成立の原点、人類がほかの生物と異なる本質である共同性を大切にして支
え合っていけばなんとか生き抜いていけるのではと実感したのです。人類は、多
くの未成熟の子どもを同時に育て上げるための安定した家族と、その家族がほか
の動物のえさになることを防ぐための100名前後の集団化によって、成立し成
長してきたのですが、理屈はともかく、人類のこの原点を生物としての本能から
実感したのだと思います。私がそうでした。
②
さらに、儲け本位社会の象徴である巨大原発がクライシス=危機を起こし、3
ヶ月経っても収束できないどころか放射能汚染を拡大させている場面に接し、
「我が亡き後に洪水は来たれ」というこれまでの儲け本位社会では自分や家族す
ら生きていけない、これを変えなければと実感したのです。これは、大震災直後
には落ち込んだとはいえまだ多数であった原発存続の声が、時の経過と共に減少
して原発廃止の世論が多数になったことに如実に表れています。また、東京―大
阪間に計画されているリニア新幹線に対する国民からのパブリックコメントが、
昨年夏には134:12と賛成が圧倒的だったものが、大震災後の今年春には、
16:648と大逆転したところにも表れています。
第3 復旧復興と世直しの基盤となる「支え合い」社会
1 縄文時代から
紀元前の時代、ここ日本列島では、1万年続いた縄文時代がありました。定住・狩
猟漁労採集を基調とする社会ですが、世界のほかの地域では長くてもおよそ5千年程
度であるこの時代がほぼ倍の長さ続いたのです。1万年ですよ。また、10万年前ま
でにアフリカで誕生した現在の人類が、3系統に分かれてアフリカから地球のほかの
地域への長い旅にでたのですが、日本列島にはその3系統のヒト集団が現代において
もいずれも共存して存在しているということです。世界では、新たに入ってきたヒト
集団がそれまでそこに住んでいたヒト集団を根絶やしにすることがよく行われていた
ので、どこに行ってもよくても2系統しか存在していないのだそうです。そして、こ
のような長い平和的な縄文時代において、各地の遺跡から分かることは、多くのとこ
ろで、5名前後の家族用居宅が同じ場所に数戸から多くて10戸ほど円を描くように
存在しているのです。もちろん、同一の居宅や集合体が1万年も続くことはないので
すが、同じ年代に10戸ほどがそこに同時に存在していたことははっきり分かってい
11
るのです。
このように、ここ日本列島では、縄文の時代、 国宝土偶「縄文ビーナス」の誕生 より
10戸程度までの家族が共同で支え合いながら 豊かな縄文時代の象徴といわれている
長い長い間エコな生活をして来ており、人間集
団相互も大規模に殺し合うことなく平和的に共
存していました。この当時にDNAに刷り込ま
れた遺伝子が、その後も続いて来たのです。こ
の支え合い社会は、災害大国の日本列島で、人
命を救い生活を再建させていくうえでも大切な
役割を果たしてきました。
2 江戸時代を経て現代に
それは例えば、江戸時代の「街なか」にあたる江戸での裏長屋に続いています。表
通りと表通りとを繋ぐ細い通路を挟んで、10戸から20戸程度の一部屋だけの居室
があり、そこに多種多様な人々が戸別に居住しているのですが、居室以外は、井戸・
生活道路などすべて共同利用共同管理の支え合い社会でした。
裏長屋の様子 「江戸のエコ生活」より
お裾分けしあう贈与社会で、みんなでのお祭り・遊びはたくさんあり、公衆浴場・
貸本屋などシェアなお店も発達しており、極めつけはゴミ汚物のない完全リサイクル
社会でした。農村では、もっと徹底しており、
「ゆい」による共同作業が常日頃なされ
ていたのです。私が感心したのは、春夏秋冬で伸び縮みしていた時間のことです。例
えば、明六ツ(あけむつ)という時刻は、今の時刻でいうと夏は朝5時で、冬は朝7
時のことでした。逆に、暮六ツ(くれむつ)という時刻は、今の時刻で夏は夕方7時、
12
冬は夕方5時のことでした。要は、夏は明るい時間が長くて燃料がなくても働けるの
で働く時間を長くしておき、冬はその逆にしておくというわけです。冬は長い夜をゆ
ったりと過ごしたのでしょうね。エコなだけでなく、時間に追い立てられ散る現代人
からみると、余裕が感じられていいですね。
「江戸のエコ生活」より
このような支え合い社会は、少なくとも農村部においては戦後の1955年頃の高度
経済成長が始まる頃まではそのまま存在しており、現在においても、生まれたところで
死ぬことが普通の地域においては、今も生き
ていることが多いのです。東北地方はそのよ
うなところが多いですし、6年前の新潟中越
地震で壊滅全村避難の被災をした山古志村で
もそうでした。地震10日後には、集落毎に
同じ避難所に入り、仮設住宅も集会所を必ず
併設して集落毎に入居し、なじみの顔がそろ
うなかで安心感が生まれ、「寄り合い」(話し
合い)を重ねながら、全村民の7割500戸・
1400名が村に戻って再建の道を歩んでい
るのです。新潟日報の記者は、今回の大震災
後に山古志村で出会った、長岡市内に避難し
ているという福島県の男性が、
「山古志をお手
本に、私たちも復興したい」と涙を滲ませな
がら話してくれたと記しています。
このような「ご近所社会」は、縄文
時代のDNAを持つ日本人になくてはなら
ないものだと思います。もちろん、昔、女
性が「三界に家なし」と言われた時代には
そんなご近所などない方がましと思
われることもあったでしょうし、戦争中は
13
信濃毎日新聞 2011.6.1
嫌がる人々を戦争に駆り立てる役割を担わされたこともありましたが、それは、ご近
所社会の本質ではありません。個人の意思を束縛することは避けつつ、支え合うこと
は十分できることです。
3 被災地立ち上がりの鍵
今回の大震災からの復旧復興においても、生存者が相当数存在している多くの地域
においては、これまでのご近所社会とそこでのこれからの寄り合いを生かし切った住
民合意が決定的に重要だと思います。ご近所社会といっても、本当の隣組ほどのせい
ぜい10戸以内で構成される安心感満ちたご近所社会のほか、より広く構成員がみん
な互いに「なじみ」の存在である数十戸程度の集落内でのご近所社会もあります。そ
のどちらも、構成員が「寄り合い」を頻繁に重ねることができるようにするのが行政
の役割ですから、集落毎の仮設住宅入居・集会所の併設など、ご近所社会再生に尽力
すべきです。特に、後者は、地域の事業体の再建を図るうえで決定的です。復興構想
会議は、住民合意と言いつつも、どのように住民合意を造っていくのか具体性に乏し
いため、結局、被災者の意思に反する机上の空論を被災者に押しつける危険が十分あ
ります。
4 日本列島津々浦々でも
ご近所社会の再生は、被災地だけで必要なわけではありません。日本列島あちこち
で、大震災で支え合うご近所社会の大切さに気付いた人々がたくさんいます。まずは、
これまで疎遠にしていたお隣さんとお茶してみませんか。私は、ドキュメンタリー映
画「1000年の山古志」を一昨年観てご近所社会の大切さに気付き、勇気を出して
早速、昨年のお正月にほぼ30年ぶりに初めてお隣さんを訪ね、大いに酔っぱらいま
した。お隣さんご夫妻も「こんなに楽しいことはなかった」ということでしたので、
今年のお正月もお訪ねさせていただきました。あなたも、このように一歩を踏み出し
てみませんか。行政も、例えば、自宅の一室を集会所に提供してもよいというお宅に
建物改修費を補助する、など具体的にご近所社会復活を支援できるのではないでしょ
うか。この歩いて集まれる場所を持つご近所社会では、大人・高齢者だけでなく、絶
えて久しいと言われている、大切な地域子ども社会も徐々に復活してゆくことでしょ
う。
また、ご近所社会というのは、被災地のことで触れたとおり、お隣りに住む方とい
やでも交流しなければならないということではありません。私は、感動溢れる文化企
画のなかで、人と人とのつながりが再生できればと、4名の理事で力を合わせNPO
団体「すわこ文化村」を2年前に立ち上げ、地元岡谷市や近くの町々にお住まいの皆
さんとこれまでに18回延べ1313名にもなる皆さんと新たな出会いを重ねつつ交
流してきていて、お仲間を意味する「むらびと=村民」も68名となりました。まさ
に「なじみの存在」がたくさんになって嬉しいです。
「すわこ文化村」では、企画を通
しながら、趣味関心を同じくする新たな繋がりの結成もサポートする方針なのですが、
さきの「1000年の山古志」上映会を通じて、
「諏訪にいがた県人会」が誕生。故郷
にいがたを遠く離れた36名が会員となって「越後十日町雪まつりツアー」
「昔懐かし
いボーリングを楽しむ会」「きのこ狩り」「山菜採り」など大いに楽しんでいます。私
自身、生き返ったようです。このような、少し広い地域内での「なじみ」の人々とも
14
に、趣味・関心を通じての新たな繋がりを造っていくというのもいいものですよ。
このように、被災地でもそうでないところでも、支え合うご近所社会再生に尽力
してみませんか。そして、ご近所社会ならば、儲け本位の企業に頼らなくても、地域
単位で働き口を持つボランティア的な事業体も次々に生まれてくることでしょう。ま
さに「地域起こし」です。
5 ご近所社会ならではのシェア社会も
先にも述べましたが、テレビ・ケータイ・自家用車・居室・パソコン・ゲーム機・
DVDソフトなど、私たちの周りには儲け本位社会で造られ売られている「物」が
溢れています。一人で数台持っていても珍しくないでしょう。これは、物を大量に
売るためにいわば「造られたパーソナル社会」であり、それは「孤立無縁社会」の
一要因にもなっています。一昔前は、どこの家にもなかったか、せいぜい一家に一
台あった程度でした。これだけたくさんの物を造るにはすさまじく地球資源を使う
ため、地球環境が破壊されているのです。江戸時代の裏長屋まで遡らなくても、か
なりの物は地域での共同利用共同管理で足りるのではないでしょうか。DVDソフ
トなどは、ご近所社会で見るときには、
「視聴は個人に限る」などという著作権上の
制限をはずして欲しいものです。
このように、ご近所社会では、共同利用=シェア社会=エコ社会が可能になるの
です。
6 このように、ご近所社会の再生は、ここ日本にとって、戦後65年の、ひょっとする
と明治以来140年にわたる歩みのパラダイム的大転換になるのではないでしょう
か。
7 国際的ご近所社会も大切に
(1)地域国際防災緊急支援体制の確立
東南アジアの10カ国で構成している東南アジア諸国連合ASEANは、AS
EAN災害管理緊急対応協定という条約をつくり、2009年に加盟10カ国全部
が批准して発効させました。これは世界初のもので、域内の国々で災害があったと
きに地域全体で共同して救援復旧するというものです。同じようにカリブ海地域や
EU の中でも災害時の救援などを決めています。日本にはこれがありません。それ
でも、今回、北朝鮮から10万ドル寄付をいただいたり、周囲の国々から救援に駆
けつけていただきましたが、しかし、それは、各々が自主的にやってくれたことで
す。天災で全ての国が同時にやられることはまずないので、被害国を周りの人たち
が助けるという協定を結んで日常的に訓練し財政的にもすぐに動ける状況をつくっ
ておくことがとても大切です。近隣国といえばロシア・北朝鮮・韓国・中国・ASEAN
であり、互いにすぐに飛んでいけるところです。ここに国際防災救援協定を結び、
いざというときに動けるものに高めておくことが重要不可欠だと思います。
この国際防災救援体制による周辺隣国同士の緊密な支援は、領土問題などとかく
反目しあう要因がある状況でも、これを打ち消して相互の国民の連帯感を強めるこ
とになる点でも重要です。2008年の四川大震災の時、
「日本人の救助隊は、首尾
一貫、用意周到、真摯に諦めずに2人を探した。16時間かかりやっと掘り出した
15
2つの遺体を丁寧に包み、その遺体に対し列を作って黙祷を捧げた」と報道され、
中国人の日本人観を変えさせたといわれています。今回も、大挙来日した中国メデ
ィアの誠実な報道により、中国国内で親日感情が高まっているとのことです。また、
北朝鮮でも、日本の惨状について、日本国民に好意的な内容で大々的に連日テレビ
放映されているということです。
(2)「日米同盟」より、国際的「ご近所社会」を
この国際防災救援体制での恒常的な連携は、まさに国際的な「ご近所社会」へ
の一歩です。でも、日本は、アメリカとのみ、緊密な軍事経済政治上の「同盟」を
結んでいます。今回の大震災では、米軍は原発汚染から逃げるまでは、
「トモダチ作
戦」と銘打って大規模な救援復旧を行いました。でもそれは、同盟国だから助けた
というようなものではなく、地球上にいたるところにある米軍基地に対する住民の
根強い拒否反応のなかで、米軍への好ましい印象を高めてもらうために世界各地で
大災害があるたびに行っている作戦の一つにすぎないのです(前沖縄県宜野湾市長
伊波洋一氏の講演より)。それどころか、軍事「同盟」というものは、中国・北朝鮮
などを仮想敵国とし、これに対する共同防衛を主眼とするものですので、北東アジ
アで緊密な地域協力を確立するうえでの障害になることが明白です。アメリカが、
北東アジア地域協力体制のなかに自分も入れて欲しいということでしたら、障害物
である日米安保条約を解消してからどうぞ、と答えるべきです。
(3) 領土紛争にも調停役として必要な地域共同体
この地域の多数国による連携の強化は、じつは、地域内の2国間紛争の解決にと
って大きな価値がある場合が少なくないのです。例えば、昨年来のカンボジア・タ
イ間の軍事衝突に至っている領土紛争では、結成40年に及ぶ東南アジア諸国連合
ASEAN議長国インドネシアが調停役として尽力しています。長年にわたるアメ
リカの地域支配に対して、団結を強めて対等に渡り合うに至った中南米諸国ではよ
りダイナニックで、コロンビア・エクアドル間の領土紛争に南米諸国連合が調停役
を担って2010年に解決へのレールが敷かれ、ボリビア・パラグアイ間の領土紛
争も、2009年に南米諸国間の連帯拡大を基礎にアルゼンチンが調停役を担って
74年ぶりに解決しました。このように、紛争当事国のどちらからも信頼される公
平な第三者であって初めて調停役を担うことができるのです。
ASEANでも、毎年300回も域内協議の場を持って連携を強めており、こ
れを基礎にして、すべての軍事同盟が一応解消され、非核兵器地帯条約も締結され
るに至っています。このような経験を北東アジアで生かし、ここでの地域共同体結
成のために奮闘することこそ、非軍事憲法を持つ日本の政府と民衆がなすべきこと
です。この北東アジアでの地域共同体結成は、もはや空想ではありません。日中韓
三カ国の協力はすでに2000年から始まり、2010年の年末までに17回の閣
僚級会議と50以上の各級交流対話の機会が設けられて来ました。特に2008年
12月には福岡で、
「ついでのときに」ではない、初めての独立した日中韓首脳会談
がなされ、その共同声明で、3国の連携強化に向けて常設の協力事務所を開設する
ことが合意されました。そして、昨年2010年12月には、3国政府間でこの事
務所を2011年のうちに韓国の仁川市(インチョン)松島(ソンド)地区に設立
16
し、大使級の外交官を最初の事務局長に据える方向が合意されました。韓国メディ
アがこれを歓迎して大きく報道しています。
このように地域での連携が強まり共同体にまで高まっていけば、日本と中国との
間の尖閣諸島領有権紛争も、例えば、韓国が調停役を担うということも十分あり得
ることです。日本の江戸時代には、裏長屋でのもめごとをご隠居さんが調停役に廻
って解決するというようなことがよく見られましたが、まさに、地域国際関係にお
ける「ご近所社会」ではないでしょうか。
第4 私たちと地球、明日の人類を救うための提案
1 人類の連帯・共同の力で大震災被害を一刻も早く回復させる
(1)今回の原発被害を招いた多くの責任団体個人の資力から十分な賠償をさせ、国民が負担す
る税金から最終的に支出する分は極力減らす
原発を地震大国日本に導入し、
「安全神話」で推進してきた政治家・電力企業・銀
行・原発メーカー・学界とその主要な個人は賠償責任を尽くすべきです。
(2)ご近所社会とそこでの寄り合いを基礎とした住民自身による復旧を支える
原発から避難していて見通しも全く立たない福島県の人々にとっては、この「ご
近所社会での寄り合い」を通した集落再生など夢のまた夢でしょう。ですが、バラ
バラにさせられている福島県の人々にとって、人間として生き抜いてゆくためには
これが不可欠です。東電や政府挙げて、コミュニティ名簿整備・寄り合い場所の提
供やそこにいくための旅費負担など、住民が交流できる対策を直ちに取るべきです。
この必要性は、福島県の人々に限りません。
(3)人類の連帯・支え合いの大切さを実感した人びと(ボランティア・現地の人びと)による復旧作
業をより奨励する
高校・大学などで、自発的なグループボランティアを勧める
(4)3ヶ月経過した現在でも、復旧のための手がいくらでも必要な状況にあることを踏まえ、復旧
を急速に促進するために公共体の責任でこれを担う事業体を造り、全国から多くの雇用
者を雇って事業展開できるように支える
(5)福島第1原発の危険性を一刻も早く除去するため、これまで冷遇されて来た「原発批判派」
研究者の力を大いに借りる
2 復興資金を、できるだけ強制でなく支え合いと連帯の中で造り、現地の復旧を支える
(1)国民から支持される内容の、資金計画と復旧復興計画を広く示しつつ、その実行のため
の特別会計を設けたうえ、
(2)①②③の計画を同時に公表して、そのうえで、
(3) 時間軸としては①②③を順次に進める(大企業からも、社会のリード役的存在としてなるべ
く自発的に①を選択してもらえることが望ましいし、それができないとも言えない)
① 個人・団体・企業に対し、特別会計への最大限の寄付を政府・自治体・著名人一体となって
要請する
・寄付した人びとについては、法人税法・所得税法に特例を設けて有利に扱う
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・原発を推進した多くの責任ある団体個人から、自主的に大いに償い金を拠出してい
ただく
本年3月30日に、これまで原発を推進してきた研究者のなかの16名が、
「今
回の事故を極めて遺憾に思うと同時に、国民に深く陳謝いたします」との「緊急
提言」を出していますが、まずは彼らの誠意に期待するものです。
・長期間にわたって少額の分割金を寄付していく形態も大いに推奨する
・亡くなる場合に備えて、この特別会計あてに遺産を譲るとの遺言書を造ってもらう
現在は、死亡したときに相続人は遠縁の方だけで、1千万円単位で残っている
遺産をめぐって、しなくてもよい紛争が起こるケースも多々ありますが、これ
によって、そういうことが少なくなることでしょう。
・これら長期にわたる寄付、遺言による寄付は、②の無利子国債の償還資金にもなる
② 無利子国債を発行し、個人・団体・企業から自主的に大いに購入してもらう
③ ①②によっても不足する分については、貯め込み資金豊富な大企業に対し、償還金額が元
金未満の国債の引き受けを義務づける
資本金1億円以上の大企業には、容易に換金可能な流動性資産が99兆円もあり、
このうち16兆円は最近2年間に上積みされたものでもあるので、この程度の支出
を義務づけても大企業がこけるとは思えません。また、元金よりも償還金が少なく
てすむので、②の無利子国債の返済資金を後年度に調達するためにこの国債を発行
することも出来ます(徐々に償還金額が減っていけばよいのですから)。
(4)被災者に追い打ちをかける消費税増税は行わない
3 地球と日本列島の知恵と資力を、大災害・地球温暖化から人類の存続を守ることに中心的に
用いる
(1)次の大災害による被害を最小限に食い止める
① 大災害を事前に予知する能力を高め、かつ、大災害が起こったときの被害が最小にな
るように予防力を高めるために、大いに資力人材を用いる
② 当面、自衛隊の半数をレスキュー隊に全面改組し、専用の機材を揃え、日常不断に訓
練することにより、災害緊急時に国の内外で活動できるようにする
自衛隊の装備・訓練とレスキュー隊のそれとは雲泥の差があります。現在は、
緊急時に自己完結的な救援体制が取れる組織がほかにないため、自衛隊に頼る
しかなく、大震災では大いに奮闘していただきましたが、いまだ実際の救援活
動に少なくない不十分さを残していると指摘されてもいます。
また、さきに述べた地域国際救援隊制確立の課題からみても、例えば戦前の
日本支配への抵抗感がかなり残っている中国や韓国では、緊急時ではあっても
自衛隊の受け入れに拒否感が起こりうるなど、軍隊である自衛隊では対応しき
れないケースが出てくる可能性があるのです。
③ バスなどで日帰りできる程度(これが「地元から離れたくない被災者」にとって重要)に
離れた3個ないし5個程度の自治体相互間において、例えば被災1週間以内に「ご近所
社会」毎に避難できる大災害時緊急体制を平素から協定して訓練し確立しておく
(2) 原発をできるだけ早期に全廃することを明確にし、合わせて、再生可能エネルギーと省エネ
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によって CO2 を目標通りに削減し地球温暖化を防止する
① 「我が亡き後に洪水は来たれ」=今の自分さえよければよい、とする儲け本位の資源
浪費大量生産大量消費社会に大胆なメスを入れることなくしてこれが実現できないこと
は明らかです。
② 原発をすべて廃絶しても停電にはほとんどならないことをしっかり理解したうえ、脱原発
の声を広げてゆく
じつは、原発を稼働させていた40年間、現実の電力最大使用量が、原子
力発電を除いた「火力と水力の発電可能能力(自家発電含む)」を超えたことは一
度もなく、いつもかなり余力がありました。電力会社別にみても、大勢に違いは
ありません。特に、ひどく暑かった昨年の8月7日は、使用電力量が歴史上最高
に高かったのですが、それでも、上記「火力と水力の発電可能能力(自家発電含
む)」のほうが大きく上回っていて、なんと7300万KW毎時も余裕があったの
です(「週刊エコノミスト」本年5月24日号24頁)。これは、おおどころ東京
電力の過去最高使用電力量よりはるかに多い値です。夏は、水不足による水力発
電が減少するのではとの心配もあるでしょうが、かりに全国の水力発電所がすべ
て停まっても、日本の総水力発電能力である3500万KW毎時が減るだけです
から、73−35=3800万KW毎時という大きな余裕があることに違いはあ
りません。火力・水力発電所も定期点検や補修をする必要はありますが、なにも
夏の電力使用最盛期にしなければならないことはないでしょう。それに、今、全
国で省エネ・節電に懸命で、結構効果が出ることでしょう。
小出裕章「原発のウソ」より
このように、原発すべてを即時停止しても直ちに大量の停電が起きること
はまずないのです。この点は、よく理解しておくべきことです。
③ 儲け本位社会の基盤となっている土地私有制をなくして公有制に変える
19
1基でも危険な原発が多数集中すれば、今回のように幾何級数的に危険に
なることはちょっとまともに考えれば誰でも分かることです。にもかかわら
ず、東電福島第一原発地域に原発が立て続けに6基も造られ更に計画中の原
発も2基ありというように巨大化したのは、ひとたび土地を取得して原発を
造れば、後続もその周囲に造ることが安上がりになることが大きな理由です。
そのため、全国の多くのところで、原発が集中して建てられているのです。
そもそも土地は、人類ではなく、地球が創りだしたものですから、空気・
海と同じく、個人でなく万人が享受すべきものです。今回の大震災からの復
興でも、被災地住民が「寄り合い」を重ねるなかで、全員で自治体に寄付す
ることによって、土地私有制を部分的になくしていくことが出来ます(他方、
土地を被災者から強制的に取り上げることは、否定されるべき「押しつけ」
です。)
④「車社会」を大胆に見直し、軽自動車と公共交通社会に
米国において大量の自動車生産が経済発展の原動力になって来たことから
みても、そしてここ日本列島でも戦後そうであったように、大量の資源を使
う自動車の生産消費は、資源浪費大量生産大量消費金儲け本位社会を推進す
る中核になってきたものです。その点では、原発と同じです。現在、車は、
その人の社会的地位を洗わす財物であるかのように扱われている向きがあり
ますが、大震災でみたのは、27万台が次々に津波に呑まれ、どんな高級車
も津波で流されればただのゴミというリアルな現実でした。また、車は、家々
の廻りでの子どもの遊び場を蹴散らして奪い取り、戸口から戸口にご近所に
も会わずに移動してしまうなど、
「孤立社会」を助長している側面があり、そ
の点で、「ご近所社会」再生の障害にもなっています。
そこで、以下のようにします。
・バス電車モノレールなどの省エネ公共交通機関を抜本的に拡充する(今回の被災地
でも!)
・ 各自が所有する車は軽自動車を基本とし、それ以上の排気量の車は、共同利用形
態を基本とするように政策によって誘導する
私は、3月まで2000ccのワゴン車に乗っていましたが、一人で有害
廃棄物を多量にまき散らし、重い車両で路面とタイヤゴムをガリガリ削り取
っている罪悪感にさいなまれ、軽自動車に買い換えました。罪悪感が減り、
経費節減にもなり、狭いところにも駐車できるなどいいことずくめです。必
要なら、軽自動車も、大いにハイブリッド化、電気自動車化を推進すればよ
いのです。
軽自動車が自動車の標準的サイズになれば、広い場所を駐車場スペースと
して独占しなくて済むことにもなります。他方、大きな車は、狭くはご近所
単位から、自治会・自治体単位での共同所有共同利用が使用者の利益になる
ように政策で誘導してゆくのです。これを推進するために、必要以上の高価・
大型・多数台保有に対する懲罰的重税や保有規制を行うことは、この政策的
誘導の一つとして認められます。
20
・ 大災害時に避難しやすい、若しくは避難するための公共交通手段を研究開発する
ことに力を入れる
4 もっともっと、いろいろなアイデアあります
(1) 電力・水道・緊急時通信などの防災上・環境保全上重要なライフラインは、私有
を認めず、住民が監視できるよう、すべて公有(国有・自治体有)若しくは公管理
にすべきです。今回の東京電力がそうであったように、ライフラインを私企業に握
られていると、住民がぶ厚い企業秘密の壁に翻弄させられ、大災害直後の最も情報
が必要なときに後手後手に回ることが多いのです。
(2) 大企業についても、大災害による生産販売不能により国民生活が大きく影響を受
けることがあるため、常に国内に2系統の部品供給生産体制を確保しておくことな
どの適切な行政指導や義務づけがなされるべきです。
(3) 6自治体が合併した釜石市など「平成の大合併」によって巨大自治体が多数生ま
れましたが、報道ではその周縁部で行政による救援の動きが弱かったとの指摘があ
ります。防災の第一次的責任は、その実情を最も知る市町村が握っていることが必
要ですが、合併などによってその市町村の自治力が減退して来ていたということは
ないのか、十分な検証が必要です。そして、防災力強化の観点から、必要なら合併
を取りやめて元に戻すことがあってもよいのではないでしょうか。道州制やこれに
近い発想が取り出さされていますが、住民第一にみるなら、それは逆でしょうと言
いたいものです。
第5 日本国憲法の花開く新しい社会を
1
2
今回の未曾有な大震災被害のような場合、この国の最高法規=日本国憲法は、ど
のように規定しているのでしょうか。前文には、
「核時代における恐怖と欠乏から免
れる」権利としての平和的生存権が明記されていますし(2008年4月27日名
古屋高裁イラク派兵違憲判決)、9条(戦争放棄)、13条(生命自由幸福追求権)・
14条(法の下の平等)・25条(生存権)・26条(教育権)・27条(勤労権)・
29条(財産権)などが保障されています。そして、重要ことは、これら憲法が保
障する基本的人権は現在の国民だけでなく、「将来の国民」、すなわち、子どもらや
その子孫たちにも「侵すことのできない永久の権利として」保障されると、11条・
97条、二つの条文で明記されていることです。更に、現在及び将来の国民に保障
されるこれらすべての人権は、政治家や公務員がこれを遵守しなければならない(9
9条)だけでなく、
「国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」
(1
2条)とされています。なんと、用意周到なことでしょう。
放射能汚染を食い止めることにしても、地球温暖化防止にしても、まさに現在の
国民のほか、なんの罪もない将来の国民のいのちを守る国民的一大事業です。私た
ち現在の国民は、日本国憲法が示しているように、今を生きる国民として不断の努
力を傾注して、この一大事業を担いたいものです。今必要なことは、「火事場泥棒」
的に改憲策動をすることではなく、魅力的な日本国憲法を満開に開花させることで
す。それは、一人ではできません。
「ご近所社会」を再生させるなかでこそ、人類本
21
来の共同のパワーが生まれ、人類としての本領を発揮することができるものと確信
しています。ともに、そのための一歩を今!
主な参考文献
暴力はどこから来たか(山極寿一)NHKブックス(2007年)
DNAでたどる日本人10万年の旅(崎谷満)昭和堂(2008年)
国宝土偶「縄文ビーナス」の誕生(鵜飼幸雄)新泉社(2010年)
世界史のなかの縄文(佐原眞・小林達雄)新書館(2001年)
縄文の思考(小林達雄)ちくま新書(2008年)
目からウロコの縄文文化(渡辺誠)ブックショップ・マイタウン(2008年)
江戸のエコ生活(菅野俊輔)青春出版(2008年)
大江戸生活事情(石川英輔)講談社(1997年)
中世の巨大地震(矢田俊文)吉川弘文館(2009年)
きちんとわかる巨大地震(産業技術総合研究所)白日社(2006年)
津波地震(河田恵昭)岩波新書(2010年)
膨張する中国の対外関係(天児慧・三船恵)勁草書房(2010年)
日本の領土(芹田健太郎)中公新書(2010年)
原発のウソ(小出裕章)扶桑社新書(2011年)
22
付録1
6.11脱原発100万人アクション
緊急学習集会 原子力発電を見直そう
私たちに何が出来るか
第1 フクシマ原発損傷汚染の実態をしっかり知る
二度と過酷事故を起こさせないために必須
1 原発でなにが起こったのか
3基でメルトダウン
想定内の地震で損傷
レベル7(4基同時損傷・チェルノブイリを超える汚染)
2 なぜ起こったのか
地震大国日本に現代人類が制御不能な原発を設置したこと
核アレルギー払拭を狙った米国
「安全神話」で原発を推進し、想定内外事故への管理規制を軽視無視 米国ではスタッフ3000名
学官業政報一体になった原発推進=批判派排除体制
3 放射能汚染の程度
横ばいだった癌死亡率が、1945年以降核実験・原発と共に急上昇して、現在、毎年30万人癌死
現在の日常放射線世界平均年間2.4mSv も、原爆・核実験・原発によって増加した値では?
原発放射能による被曝年1mSv(0.11μSv/h)(法律で立入が禁止される値)でも、子ども 2500 名
(大人1万名)に一人癌死(日常放射線があるため、計測値 0.15 が 1 年続くと年間被曝1mSvになる)
内部被曝が加わる
チェルノブイリ近郊で、小児癌発症児が130倍に増加
原発内労働者 7800 名のうち、ホールボディカウンターで内部被曝も計測された人わずか 1800 名のみ
96%が福島県内に立ち寄っただけの人 1193 名に、ホールボディカウンターで異常値
4 原発(地震津波複合)被害者の実情
全く罪のないこどもたちに酷い犠牲
避難者 83000、避難所生活 45000、県外に転入学した子ども 8000 名以上(家族・友だちと離れた)
「放射能が移るから学校に来ないで」、お腹を蹴られて入院した「いじめ」
5 原発被害がなかったと同じレベルまで、すべての損害賠償を一刻も早く
税金使用は最小限に
原発事故が高くつくことを実感させることは、「費用対効果」論に対して重要
第2 危険な原発はできることなら一刻も早く全廃させるべき との強い世論を形成する
理由
1 原発は、現代人類にとって制御不可能であり、人類の存続に対する重大な脅威となる
2 危険かつ管理不能な原発廃棄物が蓄積され続けていく
3 武力攻撃されたら、「原発=核兵器」になる
核兵器と原発は不即不離=戦争嫌なら原発もなくそう
4 とりわけ地震大国には設置できない
第3 原発がなくても直ちに停電になるわけではないことをよく理解する
1 全40年、最大使用電力量が「火力+水力の発電可能能力(自家発電含む)」を超えたことは全くない
2 原発を除いた全発電可能能力(2010.3現在 自家発電含む)
過去最高の使用電力量(2010.8.7)
2.32億Kw(毎時―以下省略)
△ 1.59億Kw
原発を除いた設備による発電可能量
7300万Kw
(出典 5月24日号「週刊エコノミスト」24頁)
3 電力会社別でみても、9企業は余力あり、関西電力も周囲から44万Kwの供給あれば間に合う
23
データ 電気事業連合会「2010年度電気事業便覧」
4 昨年猛暑夏でも、浜岡原発無しで、中電の発電能力に403万Kwの余力があった
5 夏季水不足による電力不足あっても、水力発電可能能力自体3500万Kwのため、休日移動などの省
エネ対策がなされれば、(かつ、わざわざ最盛期に点検・補修をしなければ)停電はまず考えられない。
6 いかなる停電もあってはならないのか
第4 憲法との関連を意識して考えよう
1
「日本国憲法の花開く新しい世を築こう」
前文「核時代における恐怖と欠乏から免れる」権利としての平和的生存権、9条、13(生命幸福追求
権)・25(生存権)・26(教育権)・27(勤労権)・29条(財産権)などが保障される
2
次世代にも11条・97条「将来の国民」にも憲法の人権が保障される。12条「不断の努力で保持を」
第5 地震域真上にある原発の即時無条件廃止を求める
1 浜岡 87%確率でM8以上 早急に完全廃止に持ち込むことが極めて重要=原発政策を左右する
2 美浜(活断層真上)・敦賀ともんじゅ(活断層1キロ以内)
3 全原発総点検は当然
女川・柏崎・島根・井方も地震帯域内
現在稼働中の17基も1年以内に定期点検に入り、全基再稼働不能も
4 原発の安全確保を目的とする独立第3者機関は、脱原発(廃炉まで20年管理必要)のためにも必要
第6 脱原発と地球温暖化防止との両立を成し遂げるーいずれも人類の生存存続に関わる
1 原発以外の発電可能能力1.5億Kwの77%==1.2億Kwが火力
(CO2 の33%が火力発電で)
第4次政府間パネル・日本政府公約(2100年最大6.4°C上昇を2°C以下に抑えるために)
を遵守するには、CO2 を2020年までに1990年12.6億トンから25%削減して9.5億トンにする
そのためには、現在 CO2 12.1億トン−9.5=2.6億トン=現在の21%を削減する必要あり
火力発電削減分をすべて自然Eで賄うには=1.2億Kw×0.21=2500万Kw必要
火力発電以外で排出している CO2 削減分をすべて自然Eで賄うには、その2倍=5100万Kw必要
計7600万Kw全部を残り9年の間に自然Eで賄うことは著しく困難であり、省エネ・節電が不可欠
第4次政府間パネル CO2 を2050年までに同80%削減する=並大抵のことではない
環境E政策研究所「省エネと自然Eへの代替で、2050年に自然Eのみで電力を賄える」
他方、2050年までに、地球上の全Eを自然Eで供給できる(国際環境NGO WWF)との研究あり
2010年、世界の自然Eの発電可能能力が初めて原発のそれを超えた! コストも太陽光が安い
2 中間項として、LNG(液化天然ガス)火力発電所を増設する
石油・石炭より排出 CO2 かなり少ない
E効率60%(原発30%・石油石炭45%)=少ない量の燃焼でも電力を多量に造れる
既に発電量の29%を占める 当面、原子力・石炭・石油による発電量61%をこれに一部置き換える
3 自然再生可能エネルギーを急増させる
その「錬金術」
電力と総エネルギーの地産地消を大胆に進める
これを為政者と自らに求める
―東京の電力のためにフクシマが犠牲になった! 平均5%もある送電ロス+莫大な送電設備建設
保守管理費用、夜型浪費孤立社会から昼型省エネ支え合い社会に、明るい時に活動できるよう夏
と冬とで時間を伸縮させていた江戸時代にも注目、―
① 各戸・各企業・各市町村・各都道府県・各国家において、各自で使う電力などを各自自前で賄うこ
とを目指す (消費する電力を減らし自前電力を増やす、これを計測器により可視的に行う)
② それは、現在の発電の大型・集中・一様化から、必然的に小型・分散・多様化することになり、災
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害に強い状況も生まれる
例 釜口水門で水車発電を行えばシンボルともなる
③ 農業始め各生産物の消費と、廃物リサイクルも、輸送Eが少ないこの手法を可能な限り採る
④ CO2 を排出する「車社会」から、シェア(共同利用)・公共交通機関への転換を大胆に進める
4 政府に、原発早期全廃(2020年?)・自然再生可能E100%をめざすプログラムを造らせ更新させる
第7 脱原発めざし明日からなにを
1 浜岡原発廃止陳情を各自治体に出そう 憲法集会・伊波洋一氏「議員に住民の生の声を届けよう!」
2 脱原発諏訪連絡会に加入し、勉強もし、脱原発の世論を急速に広げていこう
3 メディアに脱原発の声を届けよう
25
付録2
地球人類が共生できるつながり社会に
―環境破壊と貧困・孤立のパーソナル社会を問うー
無数の商品に囲まれて
日本を含む現代世界のほとんどの国では、企業が物・文化・エネルギーなどの「商品」
をできるだけ多く売ることによって利益を上げることが、社会の重要不可欠な要素になっ
ています。そこで、商品をできるだけ多く売るには、なるべく多くの人間から買ってもら
う必要があります。究極は、すべての人間一人ひとりが、無数の商品を買って持っている
状態です。現代日本は、その状態にどんどん近づいているように見えます。
例えば・・・
部屋です。昔はかなりの人間が数人で長屋などの一つの部屋に住んでいましたが、商品単
位としての一つの家か、アパート一区画に数人で住むが部屋は一人一部屋とは限らな
いという現在もまだ支配的な形態を通過しつつ、ワンルームマンションなど一人が一
区画に居住する、ないし、普通の人が一人ないし二人でたくさんの部屋がある住居に
住んでいるようになりました。
テレビは、50年前頃から商品として出始めましたが、始めの頃は、一家に一台でした。そ
れが、今では一人一台にかなり近づいています。複数の部屋に一台ずつ置いて、観る
人がTPOに応じて観ることも稀ではないかもしれません。
車もそうです。一人で数台保有している人も稀ではなくなりました。
電話もそうです。一家に固定電話一台の時代から、今では携帯の普及でほとんど一人一台
になり、一人で複数持っている人も珍しくありません。
映画についても、昔は映像ソフトを個人が持っていることなどほとんど無く、みんな映画
館で大勢で観たものですが、今では、ソフトを買うかレンタルするかして個人で観る
人がかなりいます。
食べ物も、たくさん作ってそれを数人で食べるパターンから、近くにコンビニがあればも
ちろん、なくても弁当を運んできてもらって、あるいは家族がいる家でも孤食で、そ
れぞれ一人で食べるようになりつつあります。
コンピューターも、昔は一企業に一台あれば良いほうでしたが、今では、一家に一台から、
一人で一台ないし複数台になっています。
仕事はどうでしょうか。昔は、一人の人が一生涯に携わる仕事は多くの場合一つでしたが、
今ではそんなことは稀になり、職場が頻繁に変わることがごく普通になっています。
仕事の中で友人を作ることが一層難しくなっています。
このような「パーソナル社会」では、昔の社会に比べて、商品が種類・個数ともに爆発
的に売れて、売れたことによる利益の総額も大きく伸びています。その総体がGDPに近
26
いものとなり、経済成長の根幹となるわけでしょう。他方、一家4人の平均家庭単位で、
50年前と現在の姿とを比べてみた場合、4人の生活にかかっている生活費の総額は、ど
うなっているのでしょうか。価格競争があるため爆発的と言えるかどうかはよく分かりま
せんが、大幅に増えていることは間違いないでしょう。例えば、一家4名の携帯電話料金
の総額は、昔の固定電話一台のそれと比較にならないでしょう。
これでよいのでしょうか
このような現代社会、とりわけここ日本では、次のような、問題とすべき特徴があるよ
うに見えます。
① 人間一人当たりの生活費が高くなっているため、それに比例して収入も伸びないと、暮
らしていけない人が増えて来ます。現在、このような人が増えていることには異論がな
いでしょう。
② 企業が競って多くの商品を多くの人間に売ろうとするため、販売価格を下げようとしま
す。そのため、人件費・原材料費などの経費を下げるため、国内でギリギリまで落とし
つつ、経費が低い外国(中国・東南アジアからついにはアフリカなど全地球規模で)で
造るようになり、国内で多くの人が働く機会を失われています(例えば、街で旗めいて
いる「のぼり旗」も、日本の印刷零細企業が中国の企業に製造を委託すると、従来と同
質のものが7割も安く販売できるとのこと。これでは国内の従業員が大幅に不要になる
わけです)。
③ 企業が、「我が亡き後に洪水は来たれ」という姿勢で、安い経費と高い販売価格(=そ
の差額としての高い利益)を世界的規模で追求するため、環境破壊と地球温暖化の悪魔
のサイクル、水・食料危機とこれによる戦争発生、多種多様な新たな病原体の発生など、
地球の生物、人類の生存条件が著しく脅かされています。
④ 他方で、個々人毎に商品を持っている状態であるため、その商品一つひとつに目をおい
てみると、それを使っていない時間がかなり多いという「壮大な無駄」が生じています。
ワンルームマンション、テレビ、車、パソコンなどほとんどの物について、通常は、だ
れもその商品を使っていない時間がたくさんあるのです。この面で、地球資源の浪費と
も言えるのではないでしょうか。
⑤ 特に、一人ひとりがたくさんの物を持っていて、今では、小学校高学年頃以降の多くの
人びとにとって、一日中誰とも口を聞かなくとも生きていける社会になっている実態が
あります。そうなると一人ひとりがバラバラになりやすくなります。日本では、他の「先
進国」に比べ、子どもから高齢者まですべての年代・階層で「孤立・無縁社会=非社会
化」が著しく深まっていると思います。その原因としては、人間関係が極めて濃かった
1955年頃から高度成長を経て現代までにあまりに短期間に進行したという特質が
あると思いますが、これまで述べて来たような世界的規模での現代社会における「パー
ソナル化」が基底にあることは否定できないでしょう。
27
生活のすべての面でつながりを
私自身も享受している「パーソナル社会」の居心地のよさを全否定するわけにはいき
ませんが、現代日本は、
「パーソナル社会」における上記のようなマイナス面が一挙に顕
在化している由々しき事態にあると言えるように思えます。とすれば、顕在化している
個々の問題点に対する対策(例えば、①については社会保障、②については派遣禁止法、
③についてはグローバル化に対する課税などの規制、④についてはルームシェアなど共
同使用、⑤については地域での繋がり再生・自殺対策等)も対症療法としては必要です
が、その根底にある「パーソナル社会」自体に大きなメスを入れ、根本的対策を立て実
行していく必要があるのではないでしょうか。私は、
「感動溢れる文化企画の中で、温か
い繋がりを築くことができれば」との思いから、諏訪地域でNPO団体「すわこ文化村」
の代表理事として、1年半関わってきました。12回の企画での参加者926名と「村
民」(「会員」のようなもの)55名のとの出会いから得た『とっても温かいもの』から
見ると、その根本的対策とは、人間のすべての生活部面において、
「つながり社会」を築
いてゆくことだと思うのです。個々人の人格・人権の尊重という前提は決して侵すこと
なく、行政が各部面で必要な財政的・精神的・広報での支援をすることがむろん不可欠
です。
具体的なイメージは
私のイメージする「つながり社会」の到達点とは、例えば・・・
アパート:ワンルームでは各戸に高価になる水回りが付くため、賃料は安くならない。一人
用3畳部屋3つと共用部屋・水回りを持つ、3人用1賃貸区画を持つアパート
を建設する。そうすれば家賃が下げられる。1∼2人だけが住む住宅:空いて
いる部屋を第3者に賃貸する。必要なら改造する。
知人同士: グループホームを保有したり、賃借したりする。
一般住宅:ご近所数軒が集える部屋を備える住宅を増やす。高齢者が若者に部屋をほぼ無
償で貸し、若者は送迎・買い物など一定の勤労奉仕をする
自動車 :保有している人から空いている日時に有償で借り上げ、車を必要としている人
に有償で貸与する事業を行政か民間が行う。また、必要な人がレンタルする場
合、3名以上で一緒に借りる時にはレンタル料を安くする。3名以上で共同で
購入する場合に支援する。
旅行
:3名以上でツアーするときには、費用が安くなる。
その他 :いろいろな商品(ソフト的なものも含む)についても、3名が一緒に買ったり
借りたりする場合に、安くなるようにする。今も、高校生3人で映画を観ると
大幅割引になる仕組みが一部にある。
仕事
:北欧のように、ほとんどの人が午後5時には仕事を終えている。現在、過労死
しそうになりながら行っている仕事をワークシェアリングすればできる。
28
アフターファイブ:社会構成員ほとんど全ての手が空き、文化・スポーツなどいろいろな場
に、老若男女が多種多様に集い合い、繋がりあっている。
家庭菜園:全国各地でもっと普及させ、3名で一緒に借りる場合はより優遇する。
高齢者と子ども:各種高齢者施設と学校・保育園が隣り合っていて、日常的に交流している。
このほか:各人が、自分の関係する分野で以上のような発想を生かすとするとどのような
になるのか、そのためにはどのような政策的支援が必要なのか、周りの人々と
考え合ってみませんか。
ところで、このような「つながり社会」だと、
(ソフトを含む広義の)商品の売れ行きが
落ちて、経済不況に陥ってしまうのではないか、との不安が出てきます。この点は、経済
研究者の手助けも必要だと思っています。ただ、国民所得向上のために経済成長をめざ
すと、どうしても「パーソナル社会」になりがちであり、それでは地球人類の破滅になっ
てしまうでしょうからある程度の摂生(せっせい)は不可欠です。
「この程度の(高くない)
国民一人当たり所得であっても十分幸せに暮らせる」、そのようにすべての国民が思える社
会が目指されるべきではないでしょうか。
「生存条件破壊と貧困・孤立のパーソナル社会か
ら、
「地球人類が共生できるつながり社会」に、とのキャッチコピーなら、環境破壊・貧困・
孤立・無縁社会を憂う、日本と世界の人びとに希望と力を与えてくれそうな気がするのは、
私だけでしょうか。
29
付録3
つながりは最大の戦争抑止力―「すわこ文化村」から
1 NHKテレビ「無縁社会」などから
・人間扱いされない、使い捨てられる社会
・独りでいると寂しくて涙が出る
・家族に迷惑かけたくない
・笑顔のない社会
・つながりがないと、存在しないと同じ
・一日中誰とも口をきかない
・お店に入っても多くの人がひと言もしゃべらない
・遺書「この世にもう生きていけなくてごめんなさい」
・助けてと言えない「非社会」
・自立を求めて、孤立を与えられる
・故郷でも都会でもつながりがなく、無縁死
・せめて天国では、独りになりたくない
・無縁ビジネスが根を太く張っている社会
・背景にある自己責任論、そこには未来はない・・・
今年に入って、近くの福祉施設に行って、
「男はつらいよ」リリー(浅丘ルリ子)シリ
ーズ3作を順次上映したが、私自身いずれもほぼ終始涙が湧き出た。映画好きの私の眼で
みて、最高の感動作に入る。公開された35年前頃にもむろん観ているが、間違いなくこ
んなには感動しなかった。なぜか、3作目で分かった。登場する人みんなが、本気で人の
ことを心配している。現代はそれがない寂しい社会だからこそ、そしてそれが人間社会に
不可欠のものだからこそ、こんなにも感動したのだと。
現代日本は、子どもから若者・30代・家族・働き盛り・高齢者、学校・地域・職場、
男女、あらゆる階層にわたり、ひとと人がバラバラにさせられ、人間にとってかけがえの
ないつながり・絆が失われている。その孤立度は、世界の中でも群を抜いている。
2 「すわこ文化村」発足から一年余
2009年4月1日、感動溢れる文化企画を主催し、感動で開いたこころで温かいつ
ながりを築く、をテーマに、地域でNPO非営利活動任意団体「すわこ文化村」を立ち上
げた。私と地域に住む3名の女性が理事となり(私が代表理事)、資金面の不安なく望む企
画を実現するため、出資金(終身会費)1万円の負担を条件に募ったところ、これまでに
43名から会員になっていただけた。
【これまでに実施した企画】(各企画の2段目は、地元紙の見出し・記事)
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① 09年6月荒木栄を歌ううたごえ喫茶と「荒木栄の歌が聞こえる」上映会
50名
「すわこ文化村」が発足
荒木栄を取り上げた初企画好評
② 同年8月「Cocco終わらない旅 大丈夫であるように」上映会
80名
若い世代中心に90名が参加
アンケートに若い世代の声びっしり
③ 同年9月(飛び入り企画)「冬の兵士・良心の告発」を観て語り合う会
28名
現代の戦争は殺される側にも殺す側にも耐えられないものになっている
④ 同年11月 松元ヒロ公演「繋がる夢 つながるライブ」
102名
熱いメッセージに笑いと拍手
軽妙な語りで風刺
⑤ 同年12月(飛び入り企画)絵本画家永吉カヨさん すてきな原画&トーク 18名
永吉カヨさんとほのぼの
絵本の魅力を語る
⑥ 10年2月「1000年の山古志」上映会
141名
「1000年の山古志」に感動
復興描く映画に多くの来場
⑦ 同年3月(飛び入り企画)DVD「どうする?あんぽ」上映交流会
18名
基地は有事の際に標的になる 本当に基地が必要なのか考えて
【今後予定している企画】
⑧ 同年6月「いのちの山河 日本の青空Ⅱ」上映会
諏訪共立病院と共に呼びかけて
⑨ 同年8月 会員交流合宿
貸し切りペンションにて
⑩ 同年11月 文化祭 (会員を始め多くの人びとから一芸を披露していただく)
毎月の理事会が楽しく、そこで決めて10着特注で揃えた緑色のすてきな法被を着て、
毎回記者会見。趣旨に共鳴していただいているのでしょう、地元の複数の新聞が、企画
発表時と実施時にはほぼ必ず、ときには中間の実行委員会の様子などについても、丁寧
に、大きく、ときには一面トップで報道。裁判所調停委員をしている席上、当事者から
「新聞に出ていましたね」とにこやかに声をかけられ、その「威力」を実感した。おか
げで、どの企画も、ほぼ半数が初めてお顔を見る方であり、
「まず、お隣と行き来してみ
ませんか」との私の声に大きく頷いたり、晴れ晴れと、満足そうなお顔で会場を去る方
が多い。収支も安定。今年3月のDVD上映交流会で、このDVDを用いてあちこちで
上映交流会を開いてはと提起したところ、半数の9名がその意向を示し、少なくともこ
れまで(4月5日)に4カ所での上映が決まった。
特筆すべきは、
「諏訪にいがた県人会」の発足であろう。私が新潟出身であるところか
ら、この際に遠く郷里を離れて当地で暮らしている人びとの集まりを造れないかと、新
潟の映画「1000年の山古志」企画発表時に、
「新潟県人集まれ」と大きく報道してい
ただき、それがご縁となって、映画を観に来られた7名が世話人となってこの4月中に
大きな集まりを持つことになった。準備会の席上、
「寂しい」
「絆」
「つながり」という言
葉が飛び交ったのが印象的だった。「いのちの山河」でも、民医連医療機関に呼びかけ、
若者と共に学習会で深めるなど、熱いつながりになっている。このように、いろいろな
機会に、いろいろなつながりを作ったり強めたりしたいと思っている。
31
3 なぜ、つながりを築くのか
ヨーロッパでは、封建社会から現代社会への移行に15世紀頃から数百年費やしてお
り、その間に闘いを重ねつつ人間一人ひとりが個人として尊重されるようになり、その
確立した個人がまた縦横に連帯して闘い歴史を進めてきた。これに対し、日本では、そ
の期間が明治初年から数えても100年、封建社会の重要な要素である「主に従」地縁
血縁社会からの離脱という面では、主要には戦後からわずか65年にすぎない。しかも、
新自由主義=自己責任論に席巻されているここ30年である。このようなあまりにも急
激=ハイスピードな資本主義的(競争主義的)深化に、歩く速さがぴったりしている人
間は到底ついていけない。このつながりの喪失は、多くは貧困=経済弱者にスパイラル
式に(悪循環になって)表れるものの、経済弱者とは言いにくい層にもかなり普遍的に
生ずるまでになっている。
私は、このような壊れつつある日本人を、私の出来るところから救いたい。そう思っ
て「すわこ文化村」の活動を進めるなかで、自宅の隣家を27年前の新築時にちょっと
訪ねただけであることにハッとし、この正月に思い切って訪ねた。ご夫婦お二人とお酒
をいただきながらなんと3時間半も話に花が咲き、この上なく楽しかった。後で聞くに、
隣家でも何十年ぶりの楽しさだった、またぜひに、とのこと。
「諏訪にいがた県人会」も、
遠く故郷を離れて42年になる私を救うことであろう。これに限らず、多種多様の新た
な出会いがあり、私自身、すわこ文化村の活動が本当に楽しい。昨年8月に還暦を迎え
た私にふさわしい新たな挑戦である。私を含めた日本人を救うには、日本全国至るとこ
ろで、ひとと人のつながりを築き太くする、いろいろなしかし、意識的な取組がなされ
る必要がある。それが、真に自立した個人を育む道でもある。一人ひとりの住民にとっ
て、その人が自室から外に出かけるいくつもの機会がある、という社会を築きたい。す
わこ文化村は、あくまで私のおかれた条件を最大に生かした一例に過ぎない。全国各地
で、志を同じくする人びとが立ち上がることを期待する。そして、そう遠くない将来、
「全国文化村経験交流会」が開催できれば、本望である。
4 戦争を止める最大の力
このように、つながりを喪失しているということは、人間のみならず社会が崩壊しつ
つあるということである。現代の日本人が人権や平和のための闘いに立ち上がらないとし
て嘆く声がある。それは、自公政権を引きずり下ろした日本人に失礼であるが、しかし、
立ち上がるまでにあまりに腰が重いと実感することも少なくない。よく湯浅誠が言うよう
に、闘いに立ち上がるには、闘わなくてもよい「居場所=つながり」が必要なのではない
か。そうだとすると、こと平和・人権を謳う団体は、当面の闘いの課題に対応するだけで
なく、それとともに、その団体の特質にふさわしいひとと人のつながり=居場所を築くこ
と、それ自体を重要な課題にすべきである。
加えて、コスタリカに行ったときに、あちこちで似た話を聞いた。それは、子どもに
遊びと愛と自己実現の場を与えれば、自己肯定感をもった子に育つ。そうすれば、他人に
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対して思いやりのある子どもに育ち、そのような大人が多数になれば、他国のひとに思い
やりを持てる国民になる、そうすればコスタリカが戦争をすることは決してないと。
哲学者内山節も、諏訪で長く教壇に立った三澤勝衛の「風土論」を紐解きながら、自
分が暮らすかけがえのない風土をよく知れば、世界の様々な地域に、自分たちと同じよう
にそれぞれの風土と共に生きる人びとがいることに気付く、そうすれば、そこに生きる人
びとをかけがえのない風土と共に戦争で破壊しようとは思わない、ここに見事な平和思想
があると述べる(「清浄なる精神」)。
このように見てくると、人間が他者との温かいつながりを持っていれば、他国に住む
人びとも自分たちと同じ温かいつながりを持った存在だと容易に想像することができ、間
違っても「核兵器をぶち込め」というような発想にならないのではないか。
翻ってみるに、国民が孤立分断されている社会では、マスメディアを介した権力側のプ
ロパガンダが、国民一人ひとりの心を捕らえてなかなか離さない。2004年4月のイラ
クの人々を助けに入った高遠菜穂子さんら邦人3名イラク人質事件。その時、
「自衛隊を撤
退させないと焼き殺す」との犯行声明の直後から、3名が殺害されたときの政府の責任を
免れんとしてか、小池百合子環境相始め政府関係者が次々に「自作自演」「自業自得」「自
己責任」
「迷惑」と合唱し、メディアがこれを縦横に増幅させた。そのため、羽田空港を降
りた3名は「犯罪者のように扱われて」(韓国紙)、手をぶるぶる振るわせるところに追い
込まれ、更に「死ね」
「迷惑」などとおどろおどろしく書かれた大量の封書などがその後4
年間も自宅に送りつけられた。そこには自己責任論で日々苦悩している日本人が政府の妄
言に「共振」したという面があるにしても、そのすさまじさは、このあまりの騒動を見て、
アメリカのパウエル国務長官が「危険地域に誰も入らなくなったら世界は前進しない。3
名を誇りに思うべき」と忠告したほどであった。これと似た事態が、09年4月の北朝鮮
「ミサイル」発射問題でも起きた。北朝鮮もアメリカも、事前に人工衛星と公表している
にも拘わらず、日本は政府・メディア挙げて「ミサイル発射」を迎え撃つとして、戦争一
歩手前の大キャンペーンを繰り広げた。このようなとき、民衆がつながりあう日本社会で
あったとしたなら、
「政府はああ言っているが、ホントかな」との疑問が急速に広がり得た
のではないだろうか。
このように、つながりあう日本社会なら、メディアを使った戦争やファシズムに向かう
権力側のプロパガンダを容易には許さないであろう。そしてまた、抑止力論の対象にされ
ている北朝鮮や中国から見たとき、日本がこのような安心できる国であることが分かれば、
国際的非難を浴びてまで武力で事を構えようとはしないであろう。全国8千に迫る多彩な
人士による9条の会が結成されているのも、それをさらにすべての小学校区に結成しよう
と呼びかけられているのも、このような視点と無縁ではあるまい。
(この論説 2010年4月脱稿)
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