2015.01 2015年 第29回滋賀医科大学呼吸循環器内科湖筍会に寄せて

2015 年第 29 回滋賀医科大学湖筍会に寄せて
滋賀医科大学呼吸循環器内科・教授
堀江
稔
あけましておめでとうございます。
この原稿が配られる恒例の同門会の時点では、すでに 2015 年も 1 月以上が過
ぎておりますが、湖筍会の皆様におかれましては、多忙かつ充実した 2015 年
をお迎えのことと拝察申し上げます。日頃より、湖筍会の活動に格段のサポー
トをいただき誠に有り難うございます。
さて、平成 26 年度は、呼吸器・循環器に 2 名ずつの卒後 3 年目ドクター4 名を
迎えることができました。また、呼吸器内科には、卒後 8 年目の内田先生が、
大学院・医員として入局し、また、循環器内科には、卒後 6 年目の和田先生
(現在、国立循環器病センターの医員)と中国内モンゴルからの留学生のイー
ミンさんが大学院に入学され、湖筍会同門会員が 7 名増えました。今回の同門
会で、自己紹介等が有るかと思います。なにとぞ、今後ともよろしくご指導お
願いします。
同門会の皆様の多くの人事については、別紙にまとめてありますが、特筆すべ
きは、昭和 59 年から 30 年以上にわたって、旧第一内科さらには呼吸循環器内
科のために尽力いただき、大学の不整脈部門の進展に貢献いただきました伊藤
誠先生が、4 月に草津駅近くのビル一階で伊藤内科クリニックをオープンされ
たことです。当科を含めて、すでに多くの患者さんを大学にご紹介していただ
き、盛業されているご様子ですが、ますますのご成功をお祈りします。また、
8 月には、長らく滋賀医科大学の RI 部門で、心臓核医学検査を牽引してもら
い、また、研究面では magnetic resonance spectroscopy (MRS)で多くの仕事
をされてきた中江一郎先生が、近江八幡で開業されている湖筍会の森野先生を
継承する形で開業されました。ますますのご活躍をお祈りします。
また、今年の湖筍会総会の講演には、昨年 4 月に内科学講座(消化器・血液)の
教授に就任された安藤朗先生に、長年の研究テーマである消化器免疫のお話し
を賜る予定です。先生は滋賀医大の 4 期生で、同門にも同期の先生がおられる
と思います。楽しみにしていて下さい。
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さて、昨年は大学の姉妹校のあるベトナム・ホーチミン市の訪問に続いて、アジ
ア太平洋不整脈学会(APHRS)が、昨年 10 月終わりにインドのニューデリーで行
われ、参加してきました。最近までインド入国には、ビザが必要で、予め日本で
取得しておかなくては行けなかったのが、最近、アベノミクス経済効果で、イン
ドとの関係が強くなったせいか、Visa on site という、向こうに着いてから空
港でビザがとれるようになった。直前にならないと、準備を始めない小生には、
好都合で、当然ながら、このタイプのビザをとることになった。後から聴くに、
多くの先生が、このビザの壁のために、APHRS 参加を断念されたとのことである。
さらに、Visa on site は最近導入されたばかりで、充分周知されておらず、空
港の係官によっては入国を拒否されることがあると、大変、脅かされての出発だ
った。一緒の飛行機でニューデリーに着いた大野先生は、わたしが強制送還され
るのを見てから入国するとのことで、このビザ取得に付き合ってくれた。しか
し、それは全くの杞憂で、非常にスムーズにビザは発行されて、入国成功。涙の
強制送還を期待していた先生には、拍子抜けだったに違いない。
しかし、更なる関門は、迎えに来てくれるはずのホテルの迎えが、どこを捜して
もおらず、結局、その辺に居る地元の人たちに聴きまくって、空港ビルの外に、
プラカードを持っている連中がいて、そのうちの誰かが、そのホテルに連れて行
ってくれるとやっと分かった。あまり当てにならない話ではあったが、果たして
ビルを出ると、そこで待っている件の運転手を発見することができた。これも後
から聴くと、あまりにも空港ビル内の治安が悪いため、航空券を持っていないも
のからは、空港ビルに入るのに入場料を取っているとのことで、ドライバーが沢
山の客をいちいち到着ゲートまで来て捜すことをしないことがわかった。この
システムは、他の国ではないようで、今回の APHRS に参加された先生の中には、
戸惑う人もいたらしい。結局、たちの悪い白タクに捕まってしまったという話も
耳にした。
ニューデリーでは、大野先生が、インド来訪 2 回目(といっても約 20 年ぶり)
で、本当に助かった。学会中、ランチを食べに行くために、市内に出たが、彼女
はタクシーではなく、2 人乗りのオートリキシャ(三輪タクシー)をいつも利用
しており、その時も、町中で客待ちをしているオートリキシャを捕まえた。これ
に乗るには、先に運転手と値段交渉をするが、われわれは外国人なので足下を見
られ、余り遠くないところなのに最初 200 ルピーを請求された。その翌日の夕
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方、男三人で 3 時間タクシーを貸し切って出かけたが、このときの料金が 200 ル
ピーであったことを考えると、この運ちゃんがいかに法外な値段をふっかけた
のが分かる。そこで大野流値切りの登場であるが、すぐに後ろに停まっているオ
ートリキシャに向かって、そのドライバーと料金交渉を始めるのである。する
と、最初の運ちゃんが追いかけてきて、100 でいいというところを、50 ルピーま
で値切って、そこで初めておもむろに後部座席に座るという寸法である。
ニューデリーの道路は、いたるところ混沌の極みである。広いところでは片道5
車線もあるのだが、オートリキシャをはじめ乗用車やトラックなど。まったくの
秩序無く(と我々には見える)、どんなに混み合っている道でも、平気で突っ込
んでくる。5 車線のところを 6〜7 台の車が並行して走っている状態が日常茶飯
事だ。とくに、狭い道は舗装されていないところが多く、オートリキシャは、ビ
ービーと高く耳障りなクラクションを鳴らして通行人を蹴散らし、排気ガスと
土埃を残して走り去っていく。このカオスに満ちあふれた道を走るために必要
なのは自己主張である。常にクラクションを鳴らして自分の存在を周囲に知ら
せながら、空いたスペースにすばやく車体を滑り込ませ、少しでも前に行く。も
はや、センターライン等というものは意味をなさない。実際、そうしないと一向
に前に進めないのだ。バスはどんどん幅寄せしてくるし、タクシーも隙があれば
追い抜きをかけてくる。ここには秩序のようなものはない。あるのは混沌だけ。
この混沌を自分の力で泳ぎ切らなければいけないのだ。このような生きたイン
ドを感じるには、オートリキシャは迷惑極まりない奴だが、格好の乗り物かもし
れない。
ちなみに、その日のランチで行ったレストランは、かのニューデリー中央駅の近
くで、ここからはインド各地に長距離列車が出ているらしいが、決まった時刻表
は果たしてあったのだろうか、わたしの探した範囲内では見当たらなかった。駅
の長い長い跨線橋の向こう側は、すでにオールドデリーらしく、大野先生曰く、
20 年前は、この場所に沢山の牛が寝ていたとのことである。その翌日、ホテル
の近くで、今度は車が走っている道の横で沢山の犬が寝ているのを見かけた。さ
らに驚いたことに約 40 年前、ニューデリーに来たことがある某大先生は、当時、
沢山の人間が平気で道に寝ていたとのことである。まさに、写真家、藤原新也が
カメラを通して描いた「印度放浪」の世界かもしれない。
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若い頃、彼の本を読んで衝撃を受けたのは、私だけはないようで、当時、一寸し
たインドへ・ブームがあったように覚えている。この本というか写真集は、近年、
復刻されて、「インド放浪」という廉価版が朝日新書から出版されている。本の
紙質はあまりよろしくないが、カラー版の写真が物語る 40 年前のインドには迫
力がある。間に挿まれている藤原氏のエッセイもおもしろい。
実は、インド滞在中のある午後、少し時間が空いたので、40 年前に来たことの
ある件の大先生と 40 過ぎの某先生とわたしの男 3 人組で、短時間タクシーで市
内を回ってもらった。なんと、オールドデリー中心街の貧民窟は、昔と少しも変
わらず、道端に沢山の老人たちが悠然と寝ていた。明らかにそこでは時間が止ま
っており、インド亜大陸に何千年も前から生きるアーリア民族の歴史を垣間見
たような気がした。かれらが使うヒンドウ語で、
「カル」という言葉は、
「明日」
をも意味し、
「昨日」も意味するらしい。かれらの時間の観念が、我々とは全く
違うのかと思うが、同じ連中が、いったん、車に乗ると、前述のように先を争っ
て、とんでもないカオスの世界を作り出すわけで、果たしておなじ民族なのかと
疑ってしまう。今回の APHRS が初めてインドで開催されるということで、無理
をしてでもニューデリーを訪問して良かった。次の機会があったから、今度はイ
ンドの他の町、とくに田舎の方に行ってみたい。たぶん、最低 2 週間くらい旅行
を続けると、また違った印象を持って帰るのかもしれない。今回、インド通の大
野先生が一緒だったおかげで、楽しい学会となった。お礼に帰りの経由地・香港
で、季節まっただ中の上海蟹をごちそうしました。
ナマステ。
(2015.1.1)
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