45 ストリート - Tokyo Baptist Church

「45 ストリート」
ビジョンを広める
ルカの福音書 4:14-21
私は、ここ TBC で学生担当の牧師をしているクリス・マカトリーです。今日
は、スチューデントミニストリーが、間もなく始めようとしている「45 ストリー
ト」というキャンペーンについて、お話したいと思います。2 年前ここにいらした
方々は、「45」というキャンペーンを覚えていらっしゃるかもしれませんが、「45
ストリート」は、その続きです。
「45」という名称は、ミカ書 4:5「まことに、すべての国々の民は、おのおの
自分の神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名
によって歩もう。」(新改訳)に基づいています。そして、キャンペーンの背景にあ
るビジョンは、若い世代の皆さんに、ミカ書 4:5 を責任もって実現して欲しいとい
うものであり、その結果、世の中の人々が神の栄光の現われを、彼らの生き方の中
に、そして生き方を通して目の当たりにすることです。
45 のキャンペーン中、またキャンペーン後に、数々の驚くべきことを体験し
ました。特に 45 フリーダムキャンプというプログラムを通して、多くの若者が主を
知るようになりました。学生や渋谷の人々に、イエス・キリストの一生について書
かれた本を 13,000 冊近く配布しました。渋谷での夜の奉仕活動を通じ、多くの若者
が TBC にやって来て、家出をしていた一人の少女は家族の元に帰りました。さらに、
前回のキャンペーンの間、TBC の学生と、学生と共に働いた、スチューデントミニ
ストリーのスタッフの信仰が、大きく成長しました。
本当に多くの驚くべきことを神はしてくださいました。そしてこのキャンペ
ーンを終えた今でも驚くべきことをなし続けられています。しかし、これで十分で
はないのです。神はそれ以上のことをお考えです。神は私達に、この国の文化を変
革し、生き方を変え、そしてこの国に手を差し伸べるよう呼びかけています。つま
りイエスは、私達がこの国で、多くの素晴らしいことをなすよう命じられ、私達は
神の力と栄光によって、その仕事に励まなくてはならないのです。外に出て行き、
ビジョンを広めることこそが、45 ストリートの目的です。
45 ストリートとは、キリストの体である私達を通して、新たな若者文化を生
み出すという神の活動に加わることです。神は、単に文化に影響を与えるためだけ
に、私達を任命したのではありません。文化を生み出すよう任命したのです。そし
て、神は、教会がこの変革の媒体になることを命じられました。皆さんは、神がな
されていることに参加したいとお思いですか?
ルカの福音書 4:14-21 は、これを見事に強調しています。そして、この聖句
の中に、以下の 3 つの重要な質問の答えを見出すことができます。(1)イエスは
私達に何をするよう命じられたか? (2)なぜ、それを行う必要があるのか?
(3)どのように行うのか? さあ、順に見ていきましょう。
「(14 節)イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評
判が回り一帯に、くまなく広まった。(15)イエスは、彼らの会堂で教え、みなの
人にあがめられた。
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(16)それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安
息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。(17)すると、預言者イザヤの
書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
(18)「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝え
るようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人
には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々
を自由にし、(19)主の恵みの年を告げ知らせるために。」
(20)イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目
がイエスに注がれた。(21)イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、
聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」(新改訳)
イエスは 40 日間の断食と祈りを行い、悪魔の誘惑に遭った後、聖霊の力を
帯びてミニストリーを始められました(14 節)。そして、この時初めてイエスは故
郷に戻ったのです。イエスは礼拝堂に入り、18-19 節で、彼のミニストリーの目的を
明らかにされました。
この 2 節は、キリストのミニストリーの目的を要約しています。お分かりの
ように、キリストの使命は私達のそれと同じなのです。そして、私達が完全な形で
使命を遂行し始める時、この国で、この街で、具体的には渋谷で、神の力の現われ
を見るのです。
キリストの使命が私達の使命であると言えるのは、次の2つの理由からです。
A) キリストが私達に、この世でのイエスの使命を与えたからです。これは私達の罪
を贖うというイエスの使命ではありません。それについてキリストは、ヨハネの手
紙 19:30 で、「完了した」(新改訳)と言っています。イエスが全ての支払いを済
ませたのです。しかし、まだキリストが私達に与えた仕事があるのです。
イエスは、ヨハネの手紙 17:18 でこのように述べています。「あなた(父)
がわたしを世に遣わされたように、わたしも彼ら(イエスの弟子達)を世に遣わし
ました。」(新改訳)また、使徒の働き 1:8 で、イエスは「わたしの証人となりま
す。」(新改訳)と言っています。キリストは、私達に使命を与えたのです。
第 2 に、B) 私達はキリストの体だからです。「あなたがたはキリストのから
だであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(コリント人への手紙第 1
12:27・新改訳) 私達は、この世において、イエス・キリストの手であり足であるの
です。そして、神は私達に仕事を与えたのです!でも、何をしたら良いのでしょ
う? キリストが私達に与えた使命とは、何なのでしょう? イエスは、ルカの福
音書 4 章でそれを明確に示しています。
1) イエスは私達に何をするよう命じたか? まず、貧しい人々に良い知らせ
を告げること。
TBC の素晴らしいところは、大宣教命令を真剣に捉えていることです。私達
は、良い知らせを分かち合います。イエスなしでは、皆さんの友達、家族、そして
この国(や世界の)人々は、地獄に行ってしまうのです。
ですから私達は、分かち合わねばならず、特にマタイの福音書 5:3 で述べら
れている「心の貧しい人々」と分かち合わなくてはならないのです。希望がない
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人々。自分の限界まで辿り着いて、自分もこの世も欠落していることに気付いた
人々! そのような人々に、神の恵みのゆえに、イエス・キリストの信仰を通して
救われるのだと伝えなくてはならないのです。
しかし、そこで終わってはいけません。確かに、私達は伝道、つまり、イエ
ス・キリストの良い知らせを分かち合わなくてはなりません。でも、もし人々に御
言葉だけを与えているのなら、私達は任務を果たしていません! もし、私達の主
張が、行動に裏付けられていないのであれば、伝道は浅薄なのです。
イエスは、貧しい者に良い知らせを伝えるためにやって来たと言っています。
それが何を意味するか、十分に理解していますか? 貧しい人々に、良い知らせを
分かち合っていますか? 心が貧しいだけではなく、明確に貧しい人々と分かち合
っていますか? もし、そのような人々と分かち合っていないのであれば、皆さん
の伝道の努力は不十分です。これは、どういうことなのでしょう?
ルカの福音書で、イエスは何度も貧しい人々について語っています。実に、
聖書は貧しい人々にどのように配慮し、助けるべきかという聖句に満ちています。
イエスが良い知らせを伝えたのは、特にこのような人々なのです。でも、彼らはい
ったい誰なのでしょうか?それを示している、3 つの箴言を読んでいきます。
第一に、社会的に価値がないと思われている人々。箴言 10:15 はこのように
述べています。「富む者の財産はその堅固な城。貧民の滅びは彼らの貧困。」(新
改訳)社会で生き残るために必要なのは、富、技術、そしてその人の影響力です。
しかし、貧しい人はそのようなものを持っていません。ですから、彼らは経済状況、
社会的地位、感情の状態において、自らを崩壊させる破壊的サイクルに陥るのです。
第二に、貧しい者とは、文化的に忌み嫌われ排斥された人々。箴言 14:20 に
よると、「貧しい者はその隣人にさえ憎まれるが、富む者を愛する人は多い。」(新
改訳)とあります。今、渋谷で群れる、社会に好まれていない子供たちがいます。
彼らは無一文で、奇妙な格好をし、奇妙な振る舞いをし、人々に避けられています。
そして、ほとんど希望がないのです。
第三に、貧しい者とは、搾取される人々。箴言 13:23 はこう言っています。
「貧しい者の開拓地に、多くの食糧がある。公義がないところで、財産は滅ぼし尽
くされる。」(新改訳)ほんの少ししか持っていないのに、それすらも取り上げら
れるのです。ところで私は、人々の罪深い行動に責任がないと言っているのではあ
りません。酔っ払いが、家を失うことに責任がないと言っているのではないし、高
校中退者がその結果に責任がないと言っているのでもありません。
ただ、お金のために中年の男に電話番号を渡したり、もっと悪いことをして
いる 14 歳やそれ以下の年齢の少女たちがいるということを、皆さんに知っていただ
きたいのです。あらゆる夜の娯楽やファッション界は、若い子供たちを餌食にする
よう形成されています。そして、多くの人々がそれで儲けています。大儲けをして
いるのです。希望のない子供たちは、不当に扱われ搾取されているのです。
前回の 45 キャンペーンの期間中、私と妻は、えりという名の一人の家出少
女を受け入れることにしました。えりと話をしながら、私はこんな風に聞きました。
「君は自分に価値があると思う?」「あまり」と彼女は答えました。もし自分に価
値がないと感じていたら、あなたはこれから何をして、何があなたの身に起ころう
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としているか想像できますか? 渋谷はそんな子供たちで埋め尽くされているので
す。
もし、皆さんがこのような事実を知らないのであれば、いつでも夜の渋谷を
歩いて確認してみてください。このようなことが、教会のある区で起こっているの
です。悪魔は、自分たちの天罰を封印し、日本全土における信仰上の締め付けを保
ち続けるため、無力で騙されやすい世代の人々を堕落させているのです。私達は、
何もしないで、ここでじっとしているのですか?
箴言 29:7 はこう述べています。「正しい人は寄るベのない者を正しくさばく
ことを知っている。しかし悪者はそのような知識をわきまえない。」(新改訳)ま
た、ヤコブの手紙 1:27 はこう教えています。「みなしごや、やもめが困っていると
きに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神
の御前に清く汚れのない信心です。」(新改訳)
皆さんは、クリスチャンですか? イエスを愛し、従う気持ちがあります
か? それなら、何もしないという選択肢はありません。鉢山町 9-2 で素敵な礼拝
に参加して、じっとしているだけでは十分でないのです。私達は、貧しい人々に良
い知らせを伝えなくてはなりません。そして、口だけでなく行動を起こさなくては
なりません。それが、イエスが次に語ったことなのです。
イエスは、捕らわれの身の人々に自由を宣べ伝えなければならないと言って
います。それは、罪の奴隷になっている人々に、という意味です。麻薬中毒者や、
落胆したり自殺願望のある人、悪魔に捕らわれた人、そのような人々の所へ行き、
キリストにおける、解放と自由を宣べ伝えなくてはなりません。
盲目の人々の視力が回復するよう、手助けをしなくてはなりません。盲目の
人を、信仰において、また物理的に世話するのです。私達は、虐げられている人々
を解放しなくてはなりません。病む人に心を配り、この地域社会で悪魔の仕業と闘
い、そして地域社会で正義を追求するのです。
最後に、私達は主の恵みの年を告げなくてはなりません。人々に、希望は解
き放たれ、キリストにおける自由を経験する時は今なのだと、伝えなければなりま
せん。それが、イエスが私達に命じたことです。
もし、皆さんが渋谷に行ってキリストの使命を実現したとしたら、その影響
がどんなものになるか想像できますか? 私は、まさにその目的のために、神が教
会をここに建てられたのだと確信しています。そして、キリストが渋谷を変える時、
若者文化が変わるでしょう。若者文化が変わる時、この国が変わるのです。しかし、
私達が行かなくてはならないのです! 皆さんは進んで行く意志がありますか?
中には、行く必要を確信していない人もいるでしょう。もしそうなら、エゼ
キエル書にこうあります。「だが、あなたの妹ソドムの不義はこうだった。彼女と
その娘たちは高慢で、食物に飽き、安逸をむさぼり、乏しい者や、貧しい者の世話
をしなかった。」(エゼキエル書 16:49・新改訳)
私は皆さんに罪悪感を抱かせようとしているのではありません。でも実際に、
あなたは TBC にいるのが非常に心地良いのではありませんか? しかし、私たちは、
たった 15 分歩いた所に、傷ついた多くの若者がいることを、知らなくてはなりませ
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ん。ソドムのように、何もしないで傍観するのですか?それとも、行って、彼らに
仕え、必要なものを満たし、愛し、彼らに対して、イエスの手となり足となるので
すか?
第二の質問、2)なぜそれを行う必要があるのか? 世の中に身をゆだねる
のではなく、世の中に生きることは、代償を伴います。問題は山積みで信仰上の攻
撃も起こるでしょう。それなのになぜ、そのような問題を通り抜ける必要があるの
でしょうか? なぜ、めちゃくちゃな人々の生活に、そこまで関わり合う必要があ
るのでしょうか?
イエスがそのような言葉を礼拝堂で語った時、イザヤ書 61:1-2 を引用しまし
たが、全ては引用しませんでした。実際には、このように締めくくりました。「主
の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、」(新改訳)
なぜイエスは、後半を除外したのでしょうか? それは、パウロがコリント
人への手紙 第 2 6:2 で述べているように、「今は救いの日」だからです。今は、
神の恵みの時なのです。今こそ、希望の無い人や傷心な人が恵みと慈悲を見出だせ
る時なのです。しかし、武牧師が先週言われたように、裁きの時がやって来ます。
神の激しい怒りが、渋谷の全ての人々に、えりに、皆さんの友人、同僚、同級生や
家族に降り注ぐ、報復の日が来るのです。そして、その日には、全てが手遅れなの
です。
しかし、今日は救いの日です! 教会は目を覚まし、地の塩、世の光となる
機会を捕らえなければなりません! イエスは、マタイの福音書 5:16 で、人々があ
なたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしな
さい、と説いています。渋谷の人々、東京の人々にイエス・キリストを見てもらい
たいのなら、私達の言動は一致していなくてはなりません。どちらか一方ではなく、
両方行うことを命じられているのです。準備は出来ていますか?
3)どのように行うのか? このようなことを、どう行うのか?どこから、
力を得るのか?罪悪感からではありません。そのようなモチベーションは持続しな
いからです。
まず、自分自身が貧しい者であることを理解する必要があります。私達は、
神に差し出す価値があるものを何も持っていません。私達はかつて神の敵で、神を
嫌っていました。それでも、キリストは私達を愛し、私達のために死んでください
ました。そして、私達に救いを与えたのです。キリストは、私達を悪から救いまし
た。神からの恵み以外、私達は、世の中や渋谷にいる堕落した人々と何ら変りない
者であることを、自覚しなくてはなりません。
そして、それを自覚した時、皆さんは彼らを見下したり、無視したり、近寄
られたくないと思う理由などないことを理解するのです。なぜなら、イエス・キリ
ストはあなたの罪深い心を見てもなお、あなたの所に来て、愛したのですから!
この区でイエスを必要としている人々を、無視できるでしょうか?!
第二に、私達は必要なものを全て持っている、ということを自覚しなくては
なりません。イエスは、ルカの福音書 4:18 でこう述べています。「わたしの上に主
の御霊がおられる。主が、…わたしに油を注がれたのだから。」(新改訳)イエス・キ
リストが、神の御業を行う備えとして、皆さんに同じ御霊を与えたことにお気付き
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でしょう! 皆さんは、神の聖霊で油を注がれたのです。そして、神と共にあれば、
全てのことは可能なのです。神の計画を止めるものは何もありません!
でも、皆さんはそれを信じますか?! もし、信じないのなら、それはあなた
が聖霊に満たされていないのです。ルカの福音書 4:1 はイエスが「聖霊に満ちて」
いたことを教えてくれます。そして、ルカの福音書 4:14 では、イエスがミニストリ
ーを、「御霊の力」で行ったことを教えてくれます。信徒の働きを見ると、幾度と
なく、神の使徒と弟子は常に聖霊に満たされていたと描写されています。どのよう
にして、そうなったのでしょうか? 誠実な祈りによってです。もし、皆さんと私が、
この文化を変えるという、神の活動に参加することを真剣に考えているのなら、祈
りを真剣に捉えなくてはなりません。妻のいずみが、このことについて簡潔に証し
ます。
……………………………………………………………………
去年アンドリュー・マレイの本を読みました。本の中で作者はこう引用しています。
サムエル記第 1 12:23「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯
すことなど、とてもできない。」(新改訳)アンドリュー・マレイは、祈りの欠乏
という罪について、そして今日どれだけの教会が、世の中に少ししか影響を与えて
いないかについて語っています。なぜなら、彼らは聖霊の力の中での熱心な祈りと
執り成しを軽視しているからです。
この本を読んだ時、初めて自分が持っていないものに気付きました。もちろんそれ
まで、毎日聖書を読み、祈っていました。しかし、アンドリュー・マレイは、深い
祈りと、執り成しを通じて育まれる、深く親密な愛情に満ちた神との関係について、
語っていることに気付いたのです。そして、私は神の前に謙虚になり、祈り、断食
し、祈りの欠乏という罪から離れ始めました。従順に歩み始めるにつれ、私は神を
何とも新しく、深く経験しました。そして、神は私の心に炎を灯し、私は朝から晩
まで祈り始めました。時には、寝ている時も祈っていました。そして、人々のため
に執り成しを行う時、クリスチャンでない人が神の存在を体験したことを、目の当
たりにしました。人々が身体上、そして信仰上癒されたのを、目の当たりにしまし
た。貧しく見捨てられた人が慰められたのを、見ました。
そして神は、私の目を開き、自分自身をクリスチャンと呼びながら長い間、どれだ
けの恩恵を喪失していたのか見せてくださったのです。神は、祈りの欠乏の罪によ
って起こる深刻な結果について、深い理解を与えて下さいました。神は最近、こう
私に語りました。「いずみ、もしあなたが真剣に執り成しをしていたなら、これま
でにどれほどの人々が救われたと思いますか? もし真剣に執り成しをしていたな
ら、これまでにどれほどの人が癒されたと思いますか? あなたが自分のことをク
リスチャンと呼んでいた全ての年月の間、もし祈りを真剣に捉えていたのなら、こ
れまでにどれほどの人々が慰められたでしょう?」
イエスを知らない人々や、失意の人々や、貧しい人々を大切に思ってこなかったと
いう事実が、私の心を貫きました。私は、神が祈りと執り成しを真剣に捉えない教
会に対して嘆いていることを知りながら、今ここに立っています。なぜなら、神は
今この時、暗闇の中でさ迷っている人々を気にかけておられるからです。神が私達
の中で、そして私達を通して不可能を可能にできるよう、また日本で神が崇められ
るよう、キリストを信じる者全てに、神が与えてくださった恩恵を無駄にしないよ
うにしましょう。
……………………………………………………………………
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神は私達に命じられました。迷った人々が私達を待っているのです。今、私
達は何をしますか? 祈ることから始め、外に出て行き、神が私達に与えてくださ
る仕事に励み、福音を説き、そしてまたイエスの手となり足となるのです。イエス
が私達に与えた仕事に励む準備はできていますか?もしそうなら、45 ストリートの
一員になってください。
皆さんお手元にある、45 ストリートのサインアップカードに、この旅に参加
する 5 つの方法が書かれています。
1) 祈りとディボーションの冊子を通じて、今日から 45 日間、45 ストリートのため
に祈る。 皆さんに一緒に行っていただきたい、45 日間の祈りとディボーションの
冊子を用意しています。祈りなくして、このことは不可能であると知っています。
神のみが、この国を変えることができるからです。それが、私達が祈る理由です。
45 日間、責任をもって毎日祈りたいとお思いでしたら、ディボーション冊子を用意
していますので、ウェルカムテーブルでピックアップして下さい。400 冊しか用意し
ていませんので、真剣に責任を持って行って下さる方は、1 冊だけお持ち下さい。義
の人の祈りは力強く効果的です。あなたがクリスチャンであるなら、あなたは神の
ゆえに正しいのです。共に、神に叫びましょう。
2) 4 月 5 日、45 渋谷クリーンナップに参加しサポートする。人々が気にかけられて
いることを知り、イエスのメッセージに心を開くよう、まずは現実的なやり方で、
コミュニティーに仕えることから始めたいと思います。そのために、渋谷の掃除を
行います。ごみを拾い、公衆トイレを掃除し、落書きなどを消します。また、清掃
する店やその店主のために祈ります。そして、このプロジェクトを教会全体として
行います。もし、1,300 人全員が、渋谷の掃除に参加したなら、コミュニティーに対
する、どれほど大きな愛と配慮の象徴になるでしょうか。それだけではなく、これ
は渋谷が物理的のみならず、信仰上きれいになるという希望の象徴でもあるのです。
3) 45 プログラムに関心がある学校に結び付ける。イングリッシュキャンプ、ホーム
ステイプログラム、またはこれから作っていくプログラムに関心があるかもしれな
い学校をご存知でしたら、ご紹介下さい。
4) 渋谷や地元の学校での、45 ホープクラブのお手伝い。私達には、イエスにある希
望があり、それをコミュニティーに伝えたいと思っています。だから、金曜夜の礼
拝(ブリッジ)、渋谷での音楽イベント、青山学院大学でのイベントなどを行いた
いのです。このようなことにより、そこにいる人たちに出会う機会が生まれ、私達
の持っている希望の理由を分かち合うことができます。
5) 45 ホームステイプログラムのホストファミリーになる。ホームステイプログラム
は、通年のプログラムになりました。いつでも、数週間皆さんの家を開放し子供た
ちのホームステイを受け入れることができます。多くの人々が、このプログラムを
通じて救われました。
45 ストリートについて、更に詳しく知りたい方は[email protected] まで
お問い合わせください。どうぞカードを記入して、献金バスケットに入れてくだ
さい。
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45 ストリートは、日本での新しい若者文化を生み出すという、神の活動に参
加する一つの手段です。参加されても、されなくても、どうぞイエスが皆さんにお
与えになった使命を果たしてください。行ってイエスの手となり足となってくださ
い。聖霊の力において行き、敵からこの地を取り戻すために、神に用いられましょ
う。既に勝利は掴んでいます。ただ、祈りながら信仰のうちに踏み出す必要がある
のです。今こそ神がこの国を変えることができるというビジョンを広める時です。
外に出て行く時です。文化を生み出す用意は出来ていますか?祈りましょう。
クリス・マカトリー
学生担当の牧師
東京バプテスト教会
2009 年 2 月 14 日&15 日
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