2006年度

平成 18 年度、日本文化履修コース(国語国文)卒業論文概要
古代日本漢詩の押韻
芹野智之
〈論文の目的〉
中国における漢詩の移り変わりは、いかに古代日本漢詩に影響していたのでしょうか。
この問題を解明することが、研究の主な目的です。
中国唐代、漢詩において、後世「近体詩」と呼ばれることとなる厳密な規則に基づく形
式が確立されました。この規則は、句法に関わるもの、押韻に関わるもの、平仄に関わる
ものに大きく分けられます。古代日本漢詩に関する研究は、従来、主に内容面において行
われていました。規則の面では、句法・平仄に関して研究されることがあるにしても、押
韻に関しては未開拓であったといえましょう。
そこで、古代日本漢詩について、特に押韻の面から、中国における漢詩や韻書と比較す
ることによって、その目的を果たそうと試みたのであります。
〈論文の概要〉
中国で成立した書物に韻書というものがあります。これは、漢字を韻母(母音・語末の
子音)の種類によって分類したものです。この韻母の同一または類似した性格を利用する
のが押韻と呼ばれる技法です。例えば、「春望」(杜甫)の韻字(韻を踏むために置かれ
た字)である「深」「心」「金」「簪」は全て『広韻』という韻書で同じ項目に分類され
ています。研究では隋代に成立した『切韻』の系譜を引く『広韻』を利用しました。日本
でも平安時代に『童蒙頌韻』が成立しています。『広韻』と比較すると所収の韻字に食違
う部分があり、これは呉音の影響ではないかと思われます。因みに、『童蒙頌韻』に遅れ
て成立した漢詩集『本朝無題詩』には『童蒙頌韻』所収外の韻字も含まれ、『童蒙頌韻』
が実際作詩に利用されていたとは必ずしもいえないようです。
『広韻』を利用して、古代の日本漢詩集に見られる漢詩の押韻を検討しました。『広韻』
には押韻に用いることが可能な漢字の範囲が示されていますが、奈良・平安時代に成立し
た漢詩集にそれとは食違う押韻例が見られました。この原因には、古代中国語音韻の反映
や日本漢字音の影響が考えられます。前者に関連する押韻例は全体的に見られますが、後
者に関連する押韻例は時代が下るにつれて増加しています。
ところで、日本文学に多大なる影響を及ぼした中国の詩文集に『白氏文集』というもの
があります。古代日本漢詩の平仄を検討すると、日本漢詩において古体詩から近体詩へと
移行する時期が『白氏文集』伝来の時期と重なることが指摘されました。また、『日本古
典文学大事典』を参照すると、時代が下るにつれて五言詩から七言詩が主流となっていく
様相が認められました。そこにも『白氏文集』の影響があったようです。
『白氏文集』は日本漢詩に近体詩への道を大きく拓くこととなりましたが、古代中国語
の音韻が反映していると考えられる押韻例は、古代日本漢詩全体に見られます。これは『文
選』等の古典が平安末に到ってもなお重んじられていたことの表れなのかもしれません。
一方、時代が下るにつれて日本漢字音の影響を受けたと考えられる押韻例が増加していま
す。漢字を日本語に適うものにしていった歴史の一端が窺われます。
ここに、古典を尊重しながらも、新しい文化を摂取し、独自の文化を作り上げるという
日本文化の性質が表れているといえるのではないでしょうか。
『伊勢物語』の研究――「昔男」の性格
中野
聡
『伊勢物語』は平安時代の初めごろに書かれ、現在でも親しまれている作品である。そ
の魅力の一つに、主人公の「昔男」の存在があるだろう。
「昔男」はさまざまな人たちに情
愛を示し、そしてその心を歌に詠んでいる。たとえば、友愛、親子の情、主従の間の情な
どがあり、その心が歌に託されている。
「昔男」は、こうした情愛の持ち主として書かれて
おり、そこに作品の面白さがあるだろう。では「昔男」は、なにを考え、なにを感じて情
愛をもったのか。また、それをどのように表現したのだろうか。
「昔男」の内面を、男女の
間の愛に注目して考察してみたい。「昔男」の異性愛を描いた章段は、『伊勢物語』の一二
五章段の中で、とりわけ多く、注目するべきと考えられる。また、女との関係もさまざま
である。住む場所や、立場、身分などは、さまざまである。そうした女たちと、
「昔男」と
の関係は、一通りではない。
「昔男」が抱く「思ひ」も、多種多様である。それらを見るこ
とで、「昔男」がどのような心をもって、女に接しているか、「昔男」の情愛とは、どのよ
うなものであるか、考えてみた。
第一章では作品全体を整理した。書名・作者・成立と、作品のベースであると指摘して
いる「歌語り」と、そこから文章になった際の、表現の特徴、作品の主題のひとつにあげ
られる、
「みやび」について、それぞれ見た。作品を考えるうえで、これらの問題は無視で
きない。先行研究をふまえて概観した。
第二章では、「昔男」の内面を考える前に、「昔男」は何者であるのかを見た。「昔男」
は在原業平をモデルにした、物語の人物である。
『三代実録』の卒伝にある「体貌閑麗、放
縦にして拘らず、略才学なく、善く倭歌を作る」という評から、官人としては特別すぐれ
てはいないが、容貌がよく、和歌もたくみであり、恋物語の主人公の資質をもっているこ
とを見た。また、無位であった時期もあり、政治の世界とは距離をおき、私事の世界で生
きていたと思われる。
『伊勢物語』は、私事の世界を多く描いた作品であり、こうしたこと
からも、
「昔男」の人物像は、業平に近い。また『伊勢物語』には、業平の史実・伝記と異
なる章段や、業平とは無関係な説話による章段があることを見た。
第三節では、「昔男」の恋愛の諸相を、いくつかの観点から考え、「昔男」らしい心の動
きとは何かを考察した。第一節では、都と鄙という異なる地での恋愛を見た。都の中でも、
女の立場はさまざまである。そうした女を、「昔男」は身分や立場で判断しない。しかし、
都でも鄙でも、
「昔男」は女に心を動かすが、その関係は、社会制度や文化の差によって崩
れてしまうものであった。第二節では、
『大和物語』と『一条摂政御集』を用い、それぞれ
と比較をおこなった。それにより、
『大和物語』は、歌のやり取りのうまさや、男女の間の
趣の深さに注目し、それに対して『伊勢物語』は、
「昔男」の失意や挫折も描いていること
を見た。
『一条摂政御集』は、
『後撰集』のころの和歌隆盛と、藤原氏中心の政治情勢から、
権力と衝突しない色好みを描いた作品である。これと比べて、
「昔男」は、権力から自由で
あろうとする精神の持ち主であることが分かる。そこに『伊勢物語』のもっている、
『後撰
集』時代にはない魅力があった。第三節では、
「昔男」のふるまいと、そこからうかがえる
「昔男」の心の動きについて述べた。男のふるまいが顕著にあらわれる、女と引き離され
る章段と、別離した後の章段、女につれないふるまいをとる章段を合わせて考察した。第
四節では、「昔男」がもつ情愛と、『伊勢物語』のテーマのひとつである「みやび」が、ど
のような関係にあるかを考えた。以上のことから、
「昔男」は女とのつながりをとても大切
にし、情愛によって、心と心を通わせようとしている。またそれは、権力や社会制度にな
じまないものであった。そして「昔男」は、情愛を歌として美的に表出しており、それが
作品としての「みやび」ともなっていた。
『賀茂保憲女集』の研究〜歌を詠むこと、生きること〜
高橋
朝美
かものやすのりのむすめ
本稿では賀茂保憲女 という人物の遺した家集を扱った。平安時代中期の歌人であるが、
勅撰集に入集した歌もわずかで、その名はあまり知られていない。宮廷に出仕することも
なく家におり、晩年には病の床でひとり詠歌をして暮らした、孤独な歌人であった。史料
が少なく作者について詳しいことは分からないが、彼女の遺した家集はその存在を強烈に
主張している。賀茂保憲女という人がたしかに生き、そしてことばを紡ぎ続けていた。そ
の事実を私なりに辿った。
第一章第一節では、作者の周囲の人間の史料についての先行研究や伝記を確認し、作者
の生きていた環境を考えた。作者の父は、陰陽師として名高い賀茂保憲であり、安倍晴明
の師匠であった。賀茂家は陰陽道の家として有名である。また作者の叔父には『池亭記』
などで有名な慶滋保胤がおり、作者への影響が考えられることも考察した。第二節では、
も が さ
本文に「疱瘡 をなむすぐれて病みける」とある作者の罹病についても先行研究をまとめて考
察した。親族の活躍を耳にしながらも家に閉じこもり、そのうえ重病を患い床に臥してい
た作者の心情を慮らずにはいられない。彼女はそのような状況の中、この家集をひとりで
つくりあげたのである。
第二章では、家集をくわしく読み解いていった。この家集の一番の特徴は前半部分に置
かれた長い文章(序文)である。第一節ではこの文章の分析を丁寧におこなった。「孤独と絶
望」「ことばの噴出」という二つの観点に分けて考えた。作者はその文章の中で、繰り返し自
己と何かを比較し、自分が以下に劣っていて、不幸な存在であるかを書き連ねている。そ
の比較の対象は殿上人から鳥や虫、木や花、さらに草にまで及び、「我が身のごと悲しき人
はなかりけり」と言い切っている。そこから、彼女が「変化」というものから隔絶された存在
であることを示した。生きているものなら全てに時間とともに何らかの「変化」が訪れる。
しかし、他者と関わることもなく孤独に生きる作者には、老いる以外の「変化」は訪れない
のである。そのことを、作者は対象を見つめる中で発見しているのである。
作者の心の世界には常に美しい自然が入り乱れる。そしてやはり、全ては変化し、彼女
を通り過ぎていくのである。それを見つめる彼女の視線が捉えたもの、それを彼女は書き
つづけた。これを私は「ことばの噴出」と表した。そして第二節では和歌を丁寧に見ていっ
た。ここにも作者の孤独が表れている。和歌というものは誰かと贈答をする手段として詠
むことがほとんどであった。しかし、この家集には贈答歌はごくわずかしかない。つまり、
他者の存在は感じられないのである。これもこの家集の特徴であると言える。しかし、そ
れゆえに広がる独自の世界、独自の詠風がとても魅力的である。伝統的な古歌を踏襲して
いる歌があるかと思えば、全く新しい詠風のものもある。この時代にあっては清新な家集
であり、受け入れられないものもあったのかも知れないが、作者の心のことばが散りばめ
られているようで、胸に迫る家集である。
第三章では、作者が影響を受けたであろう家集についてと、この家集に影響を受けた作
品についてまとめた。孤独と生きる悲しみを書き綴った作者の家集は、同じ悲しみを抱え
る人間の心によって受け止められてきたのである。この家集は、生きる悲しみと向き合っ
た人間の遺したことばとして、価値のあるものだといえる。心の暗さと向き合い、生きる
ために作者は歌を詠んだのである。
『和泉式部日記』の研究〜和泉式部と敦道親王の孤独と共感〜
小林夏姫
『和泉式部日記』は四月から始まる十カ月の間の和泉式部と帥宮敦道親王との恋愛を描
いている。二人には身分差があり、正式な結婚はありえない。帥宮が天皇候補にもあげら
れる身分なのに対して、和泉式部は受領階級の娘である。二人が関係を続けるとすれば、
「召人」として宮邸に和泉式部を呼ぶ以外に方法はないのである。この作品は、和泉式部
が宮邸にあがるまでの二人の心の通い合いを一四七首におよぶ贈答歌を通して表現してい
る。そして和泉式部が宮邸にあがった後には贈答歌はなくなり、散文的な世界となる。帥
宮の北の方を退去に追いこんでしまうまでを描いている作品である。
和泉式部は、数多くの情熱的な歌を残している。確かに恋に生きた女性かもしれない。
しかしそれは極めて一面的なものの見方であり、それでは和泉式部を理解したことにはな
らない。この作品からは、どうにも解決できないもの思いに悩む女の姿がみてとれるので
ある。この卒業論文では、
『和泉式部日記』を通して、和泉式部と敦道親王の心が自然のな
かでどのようにして揺れ動き、また変化し、二人が何を考えて生きたのかを考えることを
目的とした。第二章第三章を中心に報告する。
第二章第一節では、自然描写について考察した。景物の用例を調べてみると「月」につ
いで多いものは「雨」そして「霜」や「風」である。この作品は花の季節を過ぎた「四月
十余日」から始まる十カ月の間の出来事を記しているために、花の描写が少ない。
「春」は
二人の関係がまだ始まっておらず、
「春」がないのは当然である。しかし、一つの文学作品
としてみた場合、「春」がないのは不思議である。「春」を除き、その代わりに「雨」「霜」
「風」を多く描いているために、この『日記』はどこか物悲しい雰囲気が漂っているよう
に思われる。
「雨」
「霜」
「風」に暗示される二人の恋愛には、悲哀感に満ちていると言えよ
う。第二節・第三節では最も用例の多い「月」とそれに次ぐ「雨」についてそれぞれ考察
した。すると、いずれも重要な場面において描かれていることが分かった。相手を疑い、
訪れが間遠になっても月を同じ心で眺め、歌を詠み合うことによって相手の感性をすばら
しいと改めて実感する。二人を繋ぎとめたのが「月」であったといえる。そして「雨」は
もの思いが強いときに登場していることがわかった。
「雨」は女の気持ちを代弁する一つの
景物なのである。もの憂い女の心情を伝える役割を「雨」がしている。二人の「距離」と
「共有」を象徴しているものが特に「月」
「雨」であった。和泉式部は効果的かつ意図的に
「月」
「雨」を使っている。この作品は自然と人間の心理とを一致させて書かれており、そ
れは極めて和歌的な世界であるといえよう。
第三章では第一節で和泉式部と帥宮それぞれの人生を考え、それぞれが孤独な人生を歩
んできたことを確認した。そして、第二節で二人の関係が社会でどのように位置付けられ
ていたのか、
「召人」という言葉をキーワードとして考察した。宮廷入りを決断した女の心
情は宮の愛に答える幸せなものでは決してなく、厭世感の漂うものとなっている。第三節
では、二人が厭世観をそれぞれ抱いており、それゆえ身分差を越えて恋愛することができ
たことを述べた。しかし、その厭世観と恋愛関係を続けることとは矛盾があるように思わ
れる。結論として、
「出家願望」と「共に宮廷で暮らすこと」は一見矛盾するように思える
が、決して矛盾しない。二人は出家の願望を抱きながらも現実を生きる道を選んだのだ。
二人にとって共に暮らすことは、出家と限りなく近い意味をもっているのである。
男女の仲ははかなく、結局この世はひとりぼっちの世の中であるという認識が和泉式部
にはある。だが、二人の恋愛を美しく形象化することこそが、和泉式部の目的だったので
はなかろうか。
『和泉式部日記』は、和泉式部の心の底を見つめるような作品であり、単な
る恋愛が描かれているのではなく、人間の根源に潜む何か深いものが描かれていると私に
は思われるのである。
『源氏物語』の研究
――女三宮という存在――
高橋亜樹
『源氏物語』の女三宮は、朱雀院の最愛の内親王であり、光源氏が晩年に迎えた正妻で
ある。女三宮は、「源氏を裏切り、柏木と密通を犯す」という重要な役割をもちながらも、
彼女についての描写は少なく、印象が薄い人物である。私はそのような女三宮に興味を抱
き、その人物造型について、他の登場人物とのかかわりを通して明らかにしていくことと
した。
第一章では、女三宮の「幼さ」について、紫上との比較をしながら考察した。作品の中
でも比較されているように、女三宮は幼時の紫上の幼さと相通ずるものがある。しかし、
紫上が幼い中にもはっとするような一面を持っていたのに対し、女三宮は多用される「の
み」という言葉によく表れているように、ひたすらに幼い「ばかり」であった。また、紫
上が「中宮の母」という高い地位にありながら、実家という後ろ盾がなく、中宮も養女で
あるという点でその立場は不確かなもので、彼女自身それを自覚して苦悩しているのに対
し、
「内親王」である女三宮は、父や兄に守られ、その立場はゆるぎないもので何の不安も
ない。紫上には、晴れやかな外面と、それに反する不安に満ちた内面の両面があり、その
複雑さが紫上の人間性を高めてもいるが、女三宮には心のひだとでも言うべき精神性はな
く、何事においても「それ一辺倒」で、人間的な奥深さには欠けている人であるといえる。
第二章では、女三宮の密通と出家に関して、同じく密通を犯した藤壺と比較して考察を
した。藤壺が見事に源氏との密通事件を隠蔽したのに対し、女三宮は物事を隠蔽するとい
う能力は持たず、源氏に密通を知られてしまった。また、その事実が世間に漏れてしまわ
ないように隠したのは女三宮よりも源氏のほうであり、出家も朱雀院の判断により行われ
た。ただ、柏木との密通が彼女に精神的な成長を与えたのも事実で、幼稚なばかりの女三
宮が、源氏に不信感をもつようになったり、亡くなった柏木を「さすがにあはれ」と感じ
るようになったりしたことは、その成長の必要・不必要にかかわらず、大きな変化のよう
に思われる。
第三章では、女三宮に接することの多い朱雀院や源氏について考察した。そのことが、
女三宮の生活に近づき、その人生を知る糸口になりはしないかと思ったからである。そこ
からわかったのは、源氏物語における〈父〉と〈子〉のありかたである。たとえば、朱雀
院・女三宮父子はともに「知らず知らずに光源氏の人生を翻弄する」
「唯一ともいうべき強
い自己主張をし、物語の表舞台から撤退していく」という、よく似た人生を歩んでいるこ
とが考察からわかったが、これは桐壺院と源氏もまた同様にいえることで、源氏物語には、
〈寵愛される子〉が〈寵愛する父〉の血を濃く受け継ぎ、同じような生き方をしていくと
いう、一つの父子のかたちを見出すことができるのである。
また、朱雀院という実の父親のみならず、女三宮を朱雀院の代わりに庇護し養育する源
氏も、ある意味〈父〉といえる。源氏と女三宮の関係は、朱雀院と女三宮が肉親ゆえの切
なる愛情で結ばれているのに比べると、公的で息苦しく、うわべだけを飾っただけのもの
で最終的には破綻してしまった。だが、興味深いのは、垣間見の場面でも密通の場面でも
そうであったのだが、何か起きたときに女三宮が真っ先に気にするのが「源氏に知られた
らどうしよう」ということであり、柏木はそこに入る余地がまったくなかったということ
である。このことから、源氏と女三宮の間には、「主従」「師弟」とでも言えそうな、ある
種強い絆があるといえる。思うに、女三宮という人は、結婚するまでは朱雀院との関係が、
結婚してからは源氏との関係がすべてという世界の中に生きていて、それだけで十分であ
ったのであろう。女三宮の一面的で複雑さのない性情は、このような人間関係の中にもあ
らわれているといえる。
『堤中納言物語』の研究〜「物語」の崩壊と再生〜
若杉
弥生
本稿では『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」「貝合」の二作品を取り上げ、その世界
観や意味を考察した。型破りな姫君の活躍する「虫めづる姫君」や、子供だけの世界を描
いた「貝合」はそれまでの平安朝物語とは異質な物語である。この意味を探ることで、
『堤
中納言物語』の文学上での位置づけや意義、
『 堤中納言物語』の編纂された意図を論考する。
第一章では、『堤中納言物語』が平安後期から鎌倉時代までには成立していたことを推
察した。また、『堤中納言物語』の特徴として《未完性》《合わせ・くらべ》《パロディ性》
があることを確認し、それぞれの意味についての考察を行なった。
第二章では、
「虫めづる姫君」について考察した。
「笑われる者」である「虫めづる姫君」
と『源氏物語』近江の君を比較すると、
「虫めづる姫君」は一篇の主人公であり、それゆえ
「信念の表明」の機会を得ている。また近江の君を「笑う者」は「理想人」としての人々
であるが、
「虫めづる姫君」を「笑う者」にはそうした優位性はない。これらが「虫めづる
姫君」と近江の君との違いであり、これによって「虫めづる姫君」は「笑う者」を笑う存
在となることができたのである。また「虫めづる姫君」には『源氏物語』若紫巻の紫の上
の姿と似た描写がなされている箇所がある。紫の上はやがて源氏の妻となり、
「女」として
位置づけられる。しかし「虫めづる姫君」は「女」になることを拒み、性的に未分化な状
態を暗喩する「烏毛虫」に留まろうとする。
「結婚」を拒む「虫めづる姫君」は、安易に結
婚へと突き進む少女たちに疑問を投げかけているのではないだろうか。
第三章では、「貝合」についての考察を行なった。「貝合」には継子譚が背景に置かれて
いるが、
『落窪物語』と比較すると、
「貝合」には『落窪物語』のような虐待の場面がなく、
また一貫して蔵人少将の視点から描かれており、そして継子譚の定番である勧善懲悪的な
終わりではなく、蔵人少将が置いた貝を見つけた女童たちが歓喜して物語が終わる、とい
う三点が相違点としてあげられる。また大人の少将が子供ばかりの世界を垣間見ることは
一般的な色好み譚のパロディとなっている。物語が少将の視線から動かないのは近代の小
説的手法の表れであり、継子譚を出したのは『落窪物語』など「貝合」以前の物語を読者
に意識させる手法であると考察した。継子譚が選ばれたのは当時の読者層を意識したため
である可能性のほかに、継子譚が教育的な役割をもった物語であるために、少女たちに物
語を与える大人たちにも歓迎された可能性を考えた。
「貝合」は今までの物語が語ってきた
「幸福な結婚」の場面を排除することで、これまでの物語に「反抗」し、結婚のあり方に
対しての疑問を提起したのである。
第四章では、第一章から第三章までの考察をまとめた。『堤中納言物語』はそれまで常
識とされてきた考え方に疑問を投げかけた。その「伝統」への「反抗」がパロディ性とな
って表れている。そしてこのパロディ性はそれまでの物語世界とは何かを読者に意識させ
る効果をもっており、これによって『堤中納言物語』は単なる「伝統」の破壊ではなく、
「伝統」の作り直しをしたのである。また『堤中納言物語』が、散逸する短編が多かった
時代に集として纏められたことから、それ以後も残り続けることを意識した短編集である
ことを考えた。そしてこれまでの物語の「幸福な結婚」に対して疑問を投げかけているこ
とから、編纂者は、『堤中納言物語』をこれまでの物語と比較させ、「結婚」のあり方を考
えさせることを目的としたのではないだろうか。
平将門人物造型論
水澤響子
『将門記』は、平将門が関わり、起こした争いと、その結末が描かれている。将門は、
平貞盛と押領使藤原秀郷に敗れ、最期を迎える。その戦いの過程で、将門の考え方や行動
は変化していく。国家と対立してからの将門は、舎弟の平将平や小姓の伊和員経に行きす
ぎた行動は世の人々の誹りをまねくと諫められても聞き入れず、国庁を荒らす。ここでは、
反乱を起こす者らしい、自分の意思をおしとうそうとする様子が感じられる。しかし、国
家に対する反逆を始める以前の将門は、平良兼との戦いにおいて、戦いに勝つことよりも
良兼との血縁を優先させ、良兼を戦場から逃がすという行動を取る。ここでは、将門の持
つ人間的な情が描かれ、国家との対立が起こってからとは異なる姿が見られる。何を契機
としてこのように変化するのか、どのような点が変わっているのか、新編日本古典文学全
集(小学館)の『将門記』を用いて考えた。将門の変化を考える上では、多用されている
血縁に関する言葉や喩えに着目した。
同族間の争いに始まり、武蔵国、常陸国での争い、国家への反逆と、戦いが場所を変え、
拡大していくことを確認し、その三つの区切りを元に、将門の描かれ方を見ていった。同
族間の争いでは、将門と、敵対する平良兼、平貞盛、平良正の人間性の違いが表わされて
いて、同族の者たちとの考え方の対比により、良兼を戦場から逃がす行動に見られる、将
門の血縁重視のあり方が印象付けられている。血縁に関する記述によって将門の人間性が
表わされており、将門の血縁重視を表わす行動がある一方で、後の国家への反逆を示唆し、
憂えるような、夫に父を討たせる遼東の娘の喩えも用いられている。
続く武蔵国の争いでは、争いに介入する理由を将門が述べる中で、争いを起こしている
権守興世王、郡司武芝と血縁関係が無いことを述べ、関係が無くとも手を貸すことが強調
されている。ここでは、同族間の争いに続き、将門が他者に対する情を持ち合わせている
ことが感じられる。藤原玄明と関わりを持ち、国家と対立する契機ともなる常陸国の争い
では、血縁に関する考え方を交えて将門の考え方が表わされなくなるが、国庁襲撃以降は
再び将門の血縁に対する考え方が表わされる。
常陸国の国庁襲撃以降、将門は父親殺害も辞さない或る太子の喩えを出すなどして、自
らの国家を治めたいという意思を明確にしていく。そして、戦いを主導していき、敗死す
ることとなる。将門の死後に戦いを振り返る中では、国庁襲撃以降だけが問題であったの
ではなく、同族間の争いのころに遡り、親族や同族と敵対し、合戦を続けた将門の行ない
が批判されている。
『将門記』の中では、将門の人間性を表わす中で、血縁に関する記述が効果的に使われ
ていて、血縁記述が無くなる常陸国での争い以降、将門の考え方は変わっていき、国家反
逆に至る。常陸国での争い以降、国を治めたいという目的に沿って行動していくようにな
り、当初とは異なる将門の姿が見えてくる。
恋川春町の研究
―『金々先生栄花夢』をめぐって―
野瀬山
和可子
『金々先生栄花夢』(以下『栄花夢』)は、恋川春町の名を戯作者として知らしめること
となった作品である。文学史上、本作以降の草双紙は「黄表紙」として分類され、
「黄表紙」
を創始した作品として非常に高く評価されている。本稿では、
『栄花夢』が従来の草双紙と
どのような点で異なるのか、更に後続の草双紙へどのような影響を及ぼしているのかを考
察した。
第一章
恋川春町および『金々先生栄花夢』に関する先行研究
第一節では、まず恋川春町についての先行研究をまとめた。それらによれば、春町は武
士の素養として俳諧を嗜んでいたこと、そしてそれを通じて喜三二など他の戯作者と知り
合ったこと、洒落本などの挿画を描くうちに戯作に興味を持ち始めたことなどが、戯作を
描くきっかけになったと思われる。更に第二節では『栄花夢』に関する先行研究の流れを
まとめた。どの文献でも『栄花夢』は現在、草双紙の歴史において「黄表紙」というジャ
ンルの祖となった作品と評されている。また子供向けとされていた草双紙というものを大
人の読み物にしたという評価も多い。
これらの先行研究から、どのような点から従来の草双紙と異なるのか、またそれまで戯
作者として無名であった春町がなぜ『栄花夢』を描くに至ったかという疑問を持った。
第二章 『金々先生栄花夢』の特徴
第一節では、
『栄花夢』の主人公である金兵衛に焦点を当て、
『江戸生艶気蒲焼』
(以下『艶
気蒲焼』)の主人公艶二郎と比較した。ここから、主体的に行動を起こす艶二郎に対して金
兵衛は受動的な主人公であるという特徴を見た。続いて第二節では、本文に謡曲のパロデ
ィが多用されていることに注目し、春町は謡曲を知っている人々、つまり知識人を読者と
して想定していたのではないかと推察した。更に第三節では洒落本が取り入れられている
場面について考察し、洒落本を取り入れることで当世性を強めることができるのではない
かと考えた。以上の点から、『栄花夢』の特徴を決定づけた。
第三章 『金々先生栄花夢』が与えた二つの道
第一節ではまず青本の特徴を見るために『浮世栄花枕』を挙げた。
『栄花夢』に直接影響
を与えたとされるこの作品は、主人公が受動的で空想性にも富み、草双紙本来の特徴が十
分に盛り込まれている。この受動的な主人公という特徴は『栄花夢』にも活かされている。
第二節では、
『栄花夢』後の草双紙として『金々仙人通言一巻』と『見徳一炊夢』を挙げ、
それぞれ『栄花夢』と比較した。そこから、
『栄花夢』以後の草双紙は全て「黄表紙」と呼
ばれてはいるが、『金々仙人通言一巻』のように青本の要素を強く残したもの、『見徳一炊
夢』のように空想性・当世性に富むものなど内容が多彩になっていったことがわかり、
『栄
花夢』の影響力を再認識した。
『東海道四谷怪談』における〈悪〉
福原敦美
『四谷怪談』で印象的なものは、なんといってもお岩の執念の凄まじさであるが、もう
ひとつ伊右衛門の「悪」の魅力もあげられる。南北の作品の魅力の一つとしてよく取り上
げられるのも、「悪」の描き方の多様性と独創性である。南北の作品で活躍する「悪」は、
なぜ魅力的なのかという疑問点から本稿は出発する。
また、『四谷怪談』は、『仮名手本忠臣蔵』(以下『忠臣蔵』)の「裏舞台」として描かれ
ている。このことから『忠臣蔵』と構造上どのように関連してくるか、さらに南北自身が
作った「忠臣蔵物」からの投影もあわせて考える。南北作品の集大成とされる『四谷怪談』
において、これら「悪」はどのように描かれているのか、それを探るのを本稿の目的とす
る。
第一章では、
『四谷怪談』の先行研究を中心として、その成立背景と、作品ならびに作者
の評価について整理した。また、天明から文化文政期に至るまでの歌舞伎の動向も整理し、
作者南北がいかなる時代の中で作品を生み出していったのかを確認した。また、伊右衛門
の役柄である「色悪」について、同時代の歌舞伎の動向を鑑みながら整理した。
第二章では、
『四谷怪談』と同時上演された『忠臣蔵』について、南北自身の「忠臣蔵物」
きくの え ん つきの し ら な み
か な で そ
が ねざしのほうらい
である『 菊 宴 月 白波 』と『仮名 曾我 当 蓬 莱 』について、その人物像の変化などを比較し
ながら、『四谷怪談』にどのような影響を与えているのかを検討した。
第三章では、それまでの比較検討を基にしながら、主要人物得ある「伊右衛門」と「直
助」、そして「お岩」について詳しく論考した。また、『四谷怪談』に投影されている『忠
臣蔵』の世界の構造を見ていくことで、それが彼らの人物像にどのように影響しているの
かをみていった。また、
『四谷怪談』における「悪」とはどういったものなのかも、分析し
た。
このようにして、作者南北が、
『忠臣蔵』のドラマ性である「忠義」や「義理」を貫く義
士たちの姿を、自身の「忠臣蔵物」において徹底的にパロディー化し、その中で、
『忠臣蔵』
で「不義士」とされる人々を活躍させていることをみていった。そして、彼らは「悪人」
として作品中で精彩を放っていること、それはもちろん『四谷怪談』にも表れていること
を指摘した。
『四谷怪談』は『忠臣蔵』の構造を裏返し、かつ、そこから踏襲された人物を
使って描かれる「悪」の物語ととらえることができるのである。