技術室通信 No.59 - 京都大学防災研究所 技術室

京都大学 防災研究所
技術室通信
No.59
Technical information
目
1997/ 4/25
次
東京大学地震研究所職員研修会参加報告
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情報−コンピュータ−夢
雑記
東京大学地震研究所職員研修会参加報告
技術室
山田
勝
1997年1月30日∼31日の日程で東京大学地震研究所内で行われた職員研修会に
参加した時の報告。
1月30日:13:30∼13:40
挨拶など
13:40∼14:20
菊池正幸
「リアルタイム地震学の展開」
14:20∼15:00
中田節也
「火山噴火の多様性とその予測の限界」
15:10∼15:50
行田紀也
「浅間火山40年」
15:50∼16:30
増谷文雄
「霧島火山の構造探査」
16:30∼17:10
小渕和宏
「国における契約について」
17:30∼19:30
懇親会
1月31日:09:40∼10:20
壁谷澤寿海
「建物の耐震診断と被災度判定」
10:20∼11:00
瀬戸憲彦
「刻時装置今昔」
11:10∼11:50
森田裕一
「微小地震観測網の遠地地震記録から見
える地球深部の構造」
討論会
13:30∼15:00
「技術職員の業務環境改善についての話し合い」
出席者
研修会
50人、懇親会
50人
外部:
弘前大
1人、
3人、
東北大
名大
2人、
京大
1人
講演会で霧島観測所の増谷技官の構造探査観測をする時の観測点の土地の交渉や、手続
きの苦労話や、講演会終了後の討論会で東大の技官は女性も多く、技官でもで女性の場合、
事務的な仕事が多く、大変なので、教官の人も出来るだけ効率良く出すように、協力して
ほしい等、活発な議論が交わされた。また、防災研の技術室のようなものを作ろうとの議
論もなされて、京大ではどの様な組織になっているのか質問されたので現状を述べた。懇
親会の席では、東大、弘前大、東北大、名大の技官の方々と会話が出来たこと、休憩の時
コーヒーを飲みながら東大の教官の方々ともお話が出来てたいへん勉強になりました。
次回
60号(5月)は浅田技官、細技官にお願いします。
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情報−コンピュータ−夢
企画情報班コンピュータシステム掛
多河英雄
防災研究所が改組されて、ほぼ1年が経とうとしております。
技術室が創られ、WS(ADM99) が運び込まれ、Win95 と MAC の2台のパソコンがネットワー
クにつながり、通信環境が整いました。
まずは技術室と事務部のメールを整備しました。すでにメールを使用されていた方もお
られ、技官のメールアドレス一覧は、技術室通信の 50 号に乗っております。
事務部のメールも稼働するようになって、アドレス一覧が事務部から配布されておりま
す。以上のことは、技術室でチーム(吉田氏と私)を組み、リーダーは吉田技官で、大半
のことは彼に行っていただきました。最近事務部に5台のパソコンが追加され、それのセッ
トアップも吉田氏にやっていただきました。
年度が変わり、人の移動がありまして、メールアドレスの調査を、事務・庶務掛にして
いただき、最新のメールアドレス一覧を防災のホームページに載せてあります。ブラウザ
を起動し、防災のホームページに入り事務部に移動し、そこの掲示板(所内専用)の中に
あります。
インターネット上を渡り歩くことを「ネットサーフィン」と呼びますが、一度入って、
見ていますと時間の経つのが早いこと。次から次へと見ていきますと興味が尽きません。
防災研究所のホームページは、一昨年度に近森氏が中心に作成されましたが、その後 各
部門・センターで更新され、楽しいページが増えてきました。が、一度も更新されていな
いページも残っています。HTML(ホームページ)作成は、簡単ですから誰でもできま
す。少し時間があれば、新しいページができるでしょう。
個人のホームページ作りにかかり、96 年 5 月 22 日には最初のホームページをUPしま
した。その後何度も更新しておりますが、頻繁に更新するのは、事実上不可能です。けれ
ども、月に1度は更新したいと考えています。ただ、情報を発信するのは世界中の人が見
ることですから、無責任な情報は発せられません。もっとも私のページは日本語オンリー
ですから、国外からアクセスがあることは考えられませんが。
一時期載せていたページに、ある会社のデジタルカメラを酷評していましたが、今は削
除してあります。
もし希望者がおられるなら、技術室で「HTML入門講座」をやってもいいかなと思っ
ています。初級なら私が担当できますし、中級以上なら、吉田氏がおられます。
画像を張り付けると、思った以上に楽しくなりますが、絵を描くのは得意な人はいいの
ですが、才能のない私には無理です。ですから、デジタルカメラを用意したのですが機種
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選択を誤ってしまい、使用できません。どんどん新しい機種が出ていますので、この次は
よい買い物をしたいものです。それではどうして画像を取り込むか?
スキャナーで実際
にある画像(絵や写真)を取り込めばよいのですが、技術室にはそれすらありません。私
のページにも少ないですが画像があります。どうしたか
それは画像を配布しているページがあります。それらからダウンロードしてきたもので
す。
今後メールやWWW(World Wide Web
インターネット上のホームページ)が、防災研
究所でどのようになっていくのでしょうか?
そこに私の夢が涌いてきます。
すでに地震予知センターニュースが月刊から、WWWになりました。企画情報班として
は、近い将来WWWに統一したいとの合意があります。先日の防災研ニューズレター委員
会でも、ニューズレターをWWWにも載せることが検討されています。このような広報誌
は次第にWWWになるのでしょう。
「夢」
所内に限って考えますと、可能性の高いのは、
◎各種通知のメールでの送達(一斉同報)
特に急ぎの連絡は、即時性があ
り有利だと思われます。注:4月17日に椎葉教授が全員に対するメーリ
ングリストを創られました。私が管理することになっておりますが、でき
ることはメールアドレスの追加・修正・削除です。
◎各種回覧のWWW化
1)要点だけの回覧(もしくはメール)で済み、コピー枚数がが減量できる。
2)工事・停電・断水等のお知らせでは、紛失のおそれがなく、いつでも見ることが
できる。
◎出張届けをメールで部門長・センター長と庶務掛に出せば、自動的に処理される。部門
長・センター長の確認もメールと電子印鑑で済まされる。
書式にあったプリントアウトがなされ、旅費計算・旅費経理まで済まされ、所員の行
動一覧に行き先が登録される。最終的には、印鑑を押す必要はあるでしょうが、処理が早
くなるのは確実でしょう。欲を言えば、復命書に日時・用務先が印刷されて戻ってくると、
うれしくなります。
◎休暇届も同様にメールで出せば、済むようになるでしょう。
休暇願をメールで、部門長・センター長と庶務掛に出せば、自動的に処理される。
◎経理処理が、最大の目標です。メールシステムではどこまでできるか?
難しいところです。すでに水災害部門では、エクセル(表計算ソフト)とWWWを利
用した、経理システムがテスト的に運用されています。うまくできる様でしたら全所的に、
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導入されるでしょう。そのときに気をつけなければならないのは、データの保全の問題で
す。ハードの故障・ソフトのバグ・操作のミス等でデータが破壊されることを、完全に防
ぐことはできません。データのバックアップは重要です。ミラーディスクを用意するとか、
システムを複数にして運用するとかが必要になってくるでしょう。
思うままに雑然とした「夢」を書きましたが、これを書いている間に実現したものもあ
りますし、案外早く夢が完成するかもしれません。(それこそ夢なのか)
毎日朝一番に、電子掲示板を見て今日の予定を知るのが、メールを確認するのと同じよ
うになるかもしれません。
「あなたも夢の中へ行ってみたいと思いませんか?」
参考
水災害研究部門内に配布された案内の一部
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雑記
中村
行雄
今日、企画情報班の山田企画運営掛長から、この4月は技術室通信の当番に当たってい
ると、指摘され何を掲載すればよいか戸惑いの気持ちでいっぱいになっている次第である。
以前の技術室通信では、大戸川の砂防に関して掲載した。つぎは、信楽焼について掲載し
た。最後に田上山について掲載したが、4報目には果たして何を掲載しようかと途方にく
れている次第である。
3年前に甲府へ出張したときに、富士川の治水について入手した資料をもとに報告を述
べてみることにしようかと考えている。
富士川の源は山梨県、長野県の境にある駒ヶ岳(T.P2,996m)である。
この川ははじめ北へ流れるが、しばらくして大きく向きを南東に変え、八ヶ岳の裾野と明
石山地、巨摩山地の間にある断層谷を流れ、中巨摩郡竜王町で甲府盆地にでる。この間に
右支川の大武川、小武川、御勅使川を、また左支川の塩川を合流する。甲府盆地にでた富
士川はその西側を流れて盆地南端の鰍沢町に達し、ここで笛吹川を合流する。
甲府盆地は、構造盆地で周囲におおむね断層崖で区切られている。富士川の西側は巨摩
山地、その前面に市ノ瀬台地がある。巨摩山地より富士川に向かって流れ出す大小の支川
は扇状地を造っているが、その最大のものは御勅使川扇状地である。一方、支川の笛吹川
は、山梨県、埼玉県、長野県の境をなす甲武信岳(T.P2,483m)を源とし、南西
に向かって流れ、山梨市で甲府盆地に出る。
笛吹川は盆地の南東側を流れて富士川に合流する。笛吹川の東南側は御坂山地でその前面
は曽根丘陵となっている。御坂山地より笛吹き川に向かって流れ出す支川は曽根丘陵開析
している。
甲府盆地は構造運動により沈降して出来た湖が富士川、笛吹川をはじめとする河川の運
び出す土砂により堆積し、生成した沖積世の平地である。このように、富士川は南アルプ
スや秩父の山々から清流を集め、下流静岡県富士市にいたって谷を出る。そして河口近く
に半径7km程度の三角州を造っている。谷を流れ下る途中で、赤石山地から流れ出る早
川をはじめとするいくつもの支川を右から合流させ、左から天子山地や富士山から流れ出
る佐野川や芝川を合流させ、駿河湾に注ぐ幹川流路延長128km、流域面積3,990
km2と全国109水系中15番目の大きさである。
富士川は最上川・球磨川と並んで日本三大急流の1つに数えられている。古くから水害が
記録され、治水事業が行われてきた。中でも戦国時代の武将・武田信玄公により造られた
信玄堤・万力林は全国的にも有名である。
治水の歴史は「人間がどのように、土地と関わったか」という事と深いつながりがある。
とくにわが国の場合は弥生時代以来、「稲」を主とする農業を営み、その生産の場は、主
に沖積世の低平地であったから、なおさらである。
富士川の治水は、甲府盆地においては盆地開発のはじまった弥生時代ないしは奈良時代
より行われたものと思われる。史料は乏しいが兎ノ瀬開削の伝説や、行基伝説、日本武尊
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の伝説等の説話から推定される。天長2年(825年)には御勅使川、富士川(釜無川)
が、氾濫し大被害をこうむったので朝廷は勅使を下向させ、民を救うと共に、竜王町赤坂
へ三社神社を礑ったという。
この記録から推定して当時すでに竜王町の釜無川付近に小規模ながら堤防もあり、盆地開
発が進められつつあったことがうかがえる。時代と共に甲府盆地の低平地はさらに水田を
主とし、土地開発が進むが、そこはまた富士川(釜無川)の氾濫原でもあるから、堤防を
はじめとする治水施設で洪水を防ぐ必要があった。
甲府盆地の開発を促進させ、より安定した土地利用を可能にさせた治水事業の中で特筆
すべきものは、前にも述べた信玄堤を中心とする武田信玄の事業である。
その他、富士川の治水事業の中で主要なものは、江戸時代に古郡孫太夫とその子孫が富
士川三角州の開発のために富士市に築堤した「雁堤事業」、また、江戸時代桜井氏、山口
氏によって行われた笛吹川沿いの「内水排除事業」、および明治時代以来日本政府が建設
省の直轄事業として行っている富士川改修事業と山梨県、静岡県、長野県の地方自治体が
行っている支川の改修事業である。
前にも述べたが、富士川は日本三大急流の一つに数えられているように、急流河川で天
井川のため、水害が数多く記録されているが、最近では、昭和34年の台風7号、昭和5
7年の台風10号による出水で大きな被害が発生している。
また、富士川流域は、首都圏に近く、東京都心から車で2時間程度という交通の利便性も
あって、近年めざましい発展を見せている。特に河川の近くや、内水地区において、都市
化が著しく、治水上深刻な課題を抱えている。
富士川が洪水でひとたび氾濫すれば、流域は広範囲に浸水する可能性があります。特に
甲府盆地、富士川河口付近の平地ではその範囲が広く、被害は甚大なものとなる。
この地域には、東海道新幹線、東名高速道路、中央自動車道及びJR各線、各国道等、
わが国の基幹施設があります。また、富士川では古くから治水事業が行われ、人々の生活
を洪水から守る努力がなされてきました。その結果多くの生命、財産が洪水から守られて
いますが、まだまだ安心の出来る状況ではありません。
さらに、かつて常習水没地帯といわれた地域でも、今ではたくさんの住宅や工場等(リ
バーサイドタウン、釜無工業団地、県流通センター、食品工業団地、甲西工業団地等)が
建ち並ぶようになり、ますます人口、資産が増加しています。
これらの区域を富士川の洪水から守る河川改修事業が急がれています。
また、安全で活力ある生活大国を構築するため、治水事業を計画的かつ強力に推進するこ
とが望まれています。
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