ロンドンに在住する、フォトグラファー の富岡秀次 / Shu

初めまして。ロンドンに在住する、フォトグラファー
の富岡秀次 / Shu Tomioka です。
レコード・コレクターズ誌で93年より “ブリティッシ
ュ・ロックの肖像” を連載させて戴いています。
撮影&インタヴューを通じて今迄に出会った“ブリティッ
シュ・ロックの巨人達”の印象などを書き連ねてみたいと
思います。
第三回 ディック・へクストール=スミス・ベネフィッ
ト・コンサート@100 クラブ 1992 年7月2日
今月は、悲しい死が続きました。
英ミュージック・シーンを代表するシンガー&ソングラ
イターのエイミー・ワインハウスと、ミュージック・マ
ガジン社の創設者であり、音楽評論家として一つの時代
を築き上げた中村とうようさんです。
エイミーは27歳、とうようさんは79歳と年齢は随分
離れていますが、共に避ける事が可能だった死なのでは
ないか?という思いが残ります。特に自死なさった、と
うようさんの胸中にどのような想いが去来していたのか
知る術もないのですが、残念でなりません。
心から御二人の冥福を祈ります。
この記事、写真の権利は富岡秀次が所持しており、SPACE DOG!が許可を得て転載しています。一切の無断転載を禁じます。
もう一つ、とても悲しい事に、私の連載の始まりから
面倒を見て下さって来た、レコード・コレクターズ誌編
集長、寺田正典さんが7月をもって退職なさいました。
寺田さんの助力無しでは、始まらなかった連載です。心
から感謝の気持ちでいっぱいです。御実家に戻り、家業
をお継ぎになるとの事なので、とても良い決断をなさっ
たと思えますが、やはり友が離れてしまう寂しさを感じ
ないではいられません。
レコード・コレクターズ連載“ブリティッシュ・ロック
の肖像”が始まるきっかけとなったのが、このディック・
へクストール=スミス・ベネフィット・コンサート@100
クラブのリポートでした。
これは実際には記事にならなかったのですが、私がか
つて憧れていたミュージシャンが集まった様を目の当た
りにしていてもたってもいられず、リポートをミュージ
ック・マガジン社に送ったのです。半年程何の連絡も無
く諦めていたところに、寺田さんから FAX が届き『連
載』させて戴く事になりました。
ディックはビーバップ・ジャズのサックス・プレーヤ
ーとして、ケンブリッジ大学在学時から有名でした。
ロンドンに出て来て、色々なジャズ・バンドから引っ
張りだことなり、その後アレクシス・コーナーズ・ブル
ース・インコーポレイテッドのメンバーになります。同
僚のジンジャー・ベイカー (ds) ジャック・ブルース (b) ら
と同様にブルース・ミュージックに魅せられ、グレア
ム・ボンド・オーガナイゼイション、ジョン・メイオー
ルのブルースブレイカーズ、コロシアム等のバンドの一
員として定職を得ながらも、数々のセッションで欠かせ
ないプレーヤーとして活躍しました。
この記事、写真の権利は富岡秀次が所持しており、SPACE DOG!が許可を得て転載しています。一切の無断転載を禁じます。
つまり、ブリィッシュ・ロックの始まりからいた人なん
ですね。彼の特異な風貌(長身で禿頭と顎髭)は、グレ
アム・ボンド〜のアルバム・ジャケットで強烈に印象的
でしたね。
ディックはこのベネフィット・コンサートの当時、心
臓バイパスの手術や卒中に見舞われていて、再起不能と
思われていました。それで生活苦に陥った彼の為にこの
ギグが持たれたわけです。
参加ミュージシャンは、ポール・ジョーンズ (vo /元マ
ンフレッド・マン、現ブルース・バンド) ジョージー・フ
ェイム(ハモンドの名奏者ですね。元ヴァン・モリスン
等)ピート・ブラウン( vo & perc / クリームの作詞で有名。
他にピブロクト等) ディック・モリッシー、アート・シー
メン(共に sax 奏者。ジャズ&ブルースの大御所)アー
ト・ウッド(vo / ロニー・ウッドの兄で元ジ・アートウッ
ズ)クリス・ファーロウ( vo / “アウト・オヴ・タイム” の
大ヒットで有名。元コロシアム等) ミッキー・ウォラー
( ds / 元ロード・サッチや第1期ジェフ・ベック・グルー
プ) ズート・マニー ( key / 彼のビッグ・ロール・バンドで
有名) ジョン・エサリッジ (元ダリル・ウエイズ・ウルフ、
ソフト・マシーン) ブライアン・ナイト( g / 最初期のスト
ーンズに在籍) 等が主なところでした。
あっ、トイレで酔っぱらったポール・ウエラーと連れシ
ョンさせて戴きましたっけ。彼は、演奏しなかったけれ
ど、アート・ウッドと一緒に来ていました。この夜の演
奏は、誠に楽しい思い出として記憶に残っています。ヴ
ィデオが作られたのですが、実際にリリースしたのかど
うか(私は所有していますが)。
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このギグでオフィシャル・フォトグラファーになったの
がきっかけで、この後何故か元気に回復したディックの
専属フォトグラファーとして何年も色々なヴェニューを
廻りました。
『ディックの友人ならば』と、色々なミュージシャンが
連載の為のインタヴューを受けてくれました。ディック
は04年に亡くなりましたが、最後まで、ケンブリッジ
卒らしい、知的で温和な態度を保っていました。
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