福島こどものみらい映画祭基調 テーマ:映画と語る家族のカタチ、育つ

福島こどものみらい映画祭基調
テーマ:映画と語る家族のカタチ、育つチカラ
映画の歴史が始まって一世紀あまり、多くの映画が、世界各地で暮らすこどもたち
の 身 体 の 躍 動 を 、心 の と き め き を 、魂 の 震 え を 、フ ィ ル ム の 中 に 刻 み 込 ん で き ま し た 。
そして、映画に描かれた「こども」というフィルターを通して、私たちは、自身の歩
んできた道のりを振り返り、身のまわりの世界のあり方に思いをめぐらし、託すべき
未来の姿について想像力を働かせてきました。今そこにある世界を見つめるこどもた
ちのまなざしは、まっすぐに私たちの目に飛び込んできて、見慣れていたはずの世界
を、日常に埋没していた世界をあらためて照らし出し、それはまるで私たちの発する
ことばを、取るべきふるまいを、待っているかのようです。
「 福 島 こ ど も の み ら い 映 画 祭 」 2009 で は 、 そ の よ う な 映 画 を 通 し て 、 こ ど も た ち が
育っていく社会環境について考えるための、さまざまなきっかけや見方、考え方を提
出していきたいと考えています。まずは、スクリーンの中のこどもたちと一緒になっ
て、笑ったり、怒ったり、泣いたりしてみませんか。悩んだり、考え込んだり、恋を
したりしてみませんか。こども時代のハラハラドキドキ感を共有し、思うがまま喜怒
哀楽を表現することによって、私たちは、ひょっとしたら、実際にこどもたちの目に
映っている世界とめぐりあうことができるかもしれません。こどもたちが抱く悲しみ
や苦しみ、憤りは、しばしば大人たちが作り上げている世界に原因を持っていたり、
時には大人自身が直面する困難を反映したり、時にはそうした困難をより尖鋭化され
た 形 で 表 し た り も し ま す 。そ れ に 出 会 う と い う こ と は 、ま ず 何 よ り も 、大 人 の 世 界 を 、
こどもたちの視線からあらためて見つめ直すという試みでもあるはずです。
「 福 島 こ ど も の み ら い 映 画 祭 」 2009 は 、 こ の よ う な 考 え 方 か ら 「 映 画 と 語 る 家 族 の
カタチ、育つチカラ」というテーマのもとに、廣木隆一監督『きみの友達』とそれに
関わるシンポジウムを企画いたしました。映画という素材をめぐって、多くの皆さん
が、多様な考え方、多様な経験を持ち寄って、集い、考え、話し合うことを通じて、
未来への展望を開く糸口としようと、
「福島こどものみらい映画祭実行委員会は心から
呼びかけます。
○ 家族のカタチ
20 世 紀 、日 本 社 会 の 大 き な 変 動 と と も に 、
「 家 族 の カ タ チ 」も 変 容 を 続 け て き ま し た 。
20 世 紀 を 生 き た す べ て の 人 々 が そ う で あ っ た よ う に 、 あ る い は 、 そ う で あ っ た か ら こ
そ 、日 本 社 会 の 中 の「 家 族 の カ タ チ 」も 、さ ま ざ ま な 政 治 や 法 の 制 度 、相 次 い だ 戦 争 、
経済や社会の急激な変化の波に翻弄されてきました。社会の変化は「家族のカタチ」
に影響を与え、
「 家 族 の カ タ チ 」の 変 容 は 私 た ち の 生 活 様 式 の 変 質 を も た ら し 、そ し て 、
そ れ ら が 再 び 社 会 全 体 の 変 化 へ と つ な が っ て い き ま し た 。法 の う え で は 、伝 統 的「 家 」
制度に基づく旧民法から日本国憲法とそれに基づく新しい民法への改正がおこなわれ、
家族のメンバーの地位や役割が重要であった時代から、夫婦間の愛を中心とする平等
な関係が強調されるようにもなりました。伝統的な大家族中心の社会から夫と妻、そ
の子から構成される核家族中心の社会へ変化することによって、一つの家族の構成員
の数は減少の一途をたどりました。戦前においては都市部を中心としていた核家族化
の 流 れ は 、戦 後 、急 速 に 全 国 規 模 に 拡 大 し て い き 、昨 今 の 少 子 化 現 象 と も あ い ま っ て 、
従来の家族の果たしてきた役割や機能も変化を余儀なくされています。経済のうえで
は、戦後の急速な経済発展のなかで農林水産業から第二次、第三次産業へと産業の構
造が転換され、そのことによって、賃金労働者の急増、職場と住居の分離、性別によ
る 役 割 分 業 の 強 化 な ど の 現 象 が 急 速 に 進 み ま し た 。さ ま ざ ま な 要 素 が「 家 族 の カ タ チ 」
に影響を与え、そこに生きる私たち一人ひとりのライフスタイルや考え方に何らかの
チカラを及ぼしているようにも見えます。家族をもつことで、私たちはどのように社
会を生き、どのような問題に直面しているのでしょうか。
同 時 に 、「 家 族 の カ タ チ 」の 変 容 は 家 族 の 構 成 や そ れ ぞ れ の ラ イ フ サ イ ク ル の 変 化 ば
かりではなく、私たちの意識や価値観にも大きな影響をもたらしてきたようにも見え
ま す 。「 プ ラ イ バ シ ー 」 や 「 マ イ ホ ー ム 」 と い っ た 価 値 観 の も と で 、 戦 後 の 家 族 は 、 冷
蔵 庫 、 洗 濯 機 、 掃 除 機 と い っ た 「 三 種 の 神 器 」、 カ ラ ー テ レ ビ 、 ク ー ラ ー 、 車 と い っ た
3 C な ど の 、 消 費 の 舞 台 で も あ り ま し た 。 1980 年 代 以 降 、 こ れ ら 消 費 の 舞 台 は 、 家 族
よりもさらに小さな単位、個人へと移っていきました。個室としてのこども部屋、一
人に一台のテレビやテレビゲーム、いついかなる場所でも一人で音楽を聴くことので
き る ポ ー タ ブ ル ・オ ー デ ィ オ ・プ レ ー ヤ ー 、 言 う ま で も な く 、 携 帯 電 話 や イ ン タ ー ネ ッ
ト ・ ・ ・ 。 も は や 、「 家 族 の カ タ チ 」 に 「 ス タ ン ダ ー ド ( 標 準 )」 と 呼 ぶ こ と の で き る
ものはないと言ってもよいかもしれません。恋愛や結婚、仕事のあり方、同時に、そ
れらについての意識や考え方など、生き方の選択肢はきわめて多様化し、そのことに
よ っ て 、 女 と 男 の 関 係 も 、 出 産 や 子 育 て の 方 法 も 、 も ち ろ ん 、「 家 族 の カ タ チ 」 も 、 そ
れぞれ個別の価値観に基づいて、独自にしあわせの道を模索しているかのようです。
意識や価値観の多様化は、旧来の価値観から人々を解放し、新しいライフスタイル
の可能性を育みつつあります。一方で、時には、それぞれの家族の孤立化は、これま
でに培ってきた地域の経験を伝承したり、複数の家族の経験を共有したり、それらの
経 験 を 次 の 世 代 へ と 受 け 継 い だ り し て い く こ と を 、困 難 な も の に す る 場 合 も 生 じ ま す 。
今日、メディアでは毎日のように、家族をめぐるさまざまな現象、新しい出産、子育
てのあり方、新しい家族関係が報道されています。時には、目を覆いたくなるような
家族内の悲劇が報じられることもあります。こどもたちは、どのようにして自己をつ
く り あ げ て い く の か 、個 人 の 利 害 を 乗 り 越 え て 他 者 と の 関 係 を 作 る こ と が で き る の か 、
人と人との豊かなコミュニケーションの中に自分を置くことができるのか、その出発
点 は 家 族 で す 。「 世 界 で 最 も 古 く 、 最 も 新 し い 問 題 」 で あ る 「 家 族 」、 こ ど も を 「 育 て
る 」、 こ ど も が 「 育 つ 」 現 場 と い う 観 点 か ら 考 え て い き た い と 思 い ま す 。
○ 育つチカラ
「 福 島 こ ど も の み ら い 映 画 祭 」 2009 の 上 映 作 品 の 一 つ 、 山 下 敦 弘 監 督 『 天 然 コ ケ ッ
コー』は、くらもちふさこの同名漫画を原作とし、田舎町の少女が転校生に寄せる淡
い想いを描きながら、実は彼女がそれまでは知らなかった世界と出会い、それに立ち
向かうための「チカラ」を身につけていく若い季節の一瞬を鮮やかに切り取ります。
ヴェラ・ベルモン監督の『ミーシャ
ホロコーストと白い狼』は、第二次世界大戦を
背景としながら、果てしなく広がる大自然の中で狼と旅する少女がみずから「生きる
チカラ」を獲得していく過程を描きます。そして、ドキュメンタリー映画『里山っ子
たち』では、木更津市の保育園で実践されている里山保育の光景が一年間にわたって
フィルムの中におさめられ、こどもたちに内包されている「育つチカラ」がその輝き
を増していくのを目の当たりにするはずです。掌にずしりと感じるおたまじゃくしの
卵 、風 の 運 ぶ 微 妙 に 異 な る 草 や 土 の 匂 い 、生 き 物 や 山 野 草 が 奏 で る リ ズ ミ カ ル な 音 楽 、
それらと向かい合うことで、こどもたちは知らず知らずのうちに自分たちの「育つチ
カラ」を磨き上げていきます。喧嘩や諍いを繰り返しながらも、五感を研ぎ澄まして
「生きる」ということの意味について、改めて考えさせられます。
第三世界の映画を見ていると、こどもたちの育つ社会環境の厳しさに愕然とするこ
とがあります。時にその生活環境は劣悪で、最低限の衣食住を満たすことさえままな
ら な い 。 し か し 、 そ の 瞳 は き ら き ら と 輝 い て い て 、「 生 き る 」 と い う 一 点 に お い て こ ど
も た ち は 自 ら 「 育 と う 」 と し て い る 。 私 た ち の 社 会 に お い て 、「 教 育 」 と い う こ と ば が
「教え育てる」ということを意味するとき、こどもたちの中の「育つチカラ」はそれ
ほ ど 顧 み ら れ て い な い の か も し れ ま せ ん 。「 教 育 」が 綿 密 に 組 み 立 て ら れ た ス ケ ジ ュ ー
ル の も と で 進 め ら れ る と す る な ら ば 、「 育 つ チ カ ラ 」は 現 実 の 人 と 人 と の コ ミ ュ ニ ケ ー
ションや自然の中を歩くときの、さまざまな偶然、突発的な出来事との遭遇の中から
育 ま れ る の で は な い で し ょ う か 。本 来 こ ど も た ち に 備 わ っ て い る は ず の「 育 つ チ カ ラ 」
をどのように見い出し、見守っていくことができるのか、私たちは果てなく考えてい
きたいと思っています。
経 済 不 況 、就 職 難 、リ ス ト ラ・・・若 者 た ち が 、い や す べ て の 人 た ち が 、時 と し て 、
今すでにある社会に対して、何らかの閉塞感を抱くこともあるかもしれません。同時
に、その閉塞感を打ち破ることができるのも、私たち自身が、実生活の中で育んでき
た、育みつつある、これから育もうとしている「育つチカラ」なのではないでしょう
か。こどもたちを見つめる映画の視線、カメラを見つめるこどもたちの視線、スクリ
ーンを見つめる私たちの視線など、いくつもの視線が交錯するところに「家族のカタ
チ」の焦点を合わせると、そこにこどもたち自らが発する「育つチカラ」が見えてく
るかもしれません。どうぞ私たちと一緒にそれを探してみませんか、一歩一歩、着実
に。
福島こどものみらい映画祭実行委員会は皆さまに呼びかけます。こどもたちを描い
た無数の映画、スクリーンから発せられるこどもたちのまなざしの光、言葉の力に対
して、私たちは、今、どのような思いを抱き、どのような視線を返し、どのような未
来を語ることができるでしょうか。どうぞ一緒に考えてみてください。そうしたこと
を願いつつ、今を生きているこどもたち、かつてこどもだった大人たち、世界に対す
る好奇心にあふれたすべての「こども」たちのために、そうした「こども」たちがそ
れ ぞ れ の 人 生 経 験 を 携 え て 、 集 い 、 語 ら い 、 考 え る 場 と し て 、「 福 島 こ ど も の み ら い 映
画 祭 」 2009 を 企 画 し ま し た 。
すべての「こども」たちの皆さんのご来場を、心よりお待ちしております。