世界の月探査活動については8ページ。

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Mission 1 宇宙活動
1
1. 宇宙活動
Mission 1
宇宙活動
そして『地球上では得られない無重量や超真空といった特殊な宇宙環
境を利用しようとする活動』などがある。
また、これらの活動を人間が宇宙に出て直接実施したり、あるいは将
1. 宇宙活動
1
来、宇宙で人間が生活することをめざした活動も行っている。
ひと口に 宇宙活動 といっても、その範囲・活動内容は幅広く多岐
にわたっている。
現在行っている宇宙活動を大まかに分類すると、『直接、月や他の惑
星に探査機を送って、惑星の状態や誕生の謎を探る活動』、『宇宙の位
置利用、つまり地球の周りを回る人工衛星を利用した各種活動』、
月・惑星探査
宇宙空間の位置の利用
宇宙活動
人間の宇宙活動
宇宙開発のさまざ
まな活動を、直接
人間が宇宙に出て
行う活動
宇宙環境の利用
ロケット
2
月や太陽系の他の惑星などに
直接探査機を送り、探査・観
測を行う活動
科
学
衛
星
●太陽・地球周辺
観測衛星
●天文観測衛星
●技術試験 ●その他
地上からは観測できな
い、太陽や地球周辺、
さらに宇宙の天文現象
を観測する活動
実
用
衛
星
●通信・放送衛星
●気象衛星
●地球観測衛星
●技術試験 ●その他
地球の周りを回る人工
衛星を利用して、われ
われの生活に役立たせ
る活動
無重量など、宇宙の環境を利
用して、新物質の開発、ライ
フサイエンス実験などを行う
活動
地上から宇宙、または宇宙の
ある場所から他の場所に物を
輸送する手段
3
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Mission 1 宇宙活動
2. 宇宙活動のあゆみ
コンスタンチン・ツィオルコフスキー
t(旧ソ連、1857〜1935)
2. 宇宙活動のあゆみ
1
(1)ロケットの発明
病気がもとでほとんど耳が聞こえなくな
り、 独 学 で 数 学 と 物 理 の 教 師 に なった 。
1898年「ロケットによる宇宙空間の開発」
を発表。宇宙空間を飛行するのはロケット
しかないこと、液体燃料ロケットや多段式
ロケットなどの有利さを論証、宇宙ステー
ション、原子力ロケットなどのアイデアも提
出。「宇宙旅行の父」
。
ロケットの歴史は古く、11世紀に中国で発明された「火箭(かせん)」
と呼ばれるものが現在の「固体燃料ロケット」の原型である。その技術
はやがて蒙古やインド、ヨーロッパにまで渡っていった。大砲や鉄砲が発
明されると急速に兵器としての価値を失っていったが、インドでは18世紀
ごろまで火箭の技術がロケット兵器として使われていた。インドに遠征した
イギリスのコングレーブはその威力を知り、1804年にロケット弾を開発した。
19世紀の終わりごろから現実的な宇宙開発を考える人たちが多く現れ
た。宇宙開発史上、特に重要な役割を果たした科学者が5人いる。旧ソ
連のツィオルコフスキー、アメリカのゴダード、ルーマニアのオーベルト、
ドイツのフォン・ブラウン、そして旧ソ連のコロリョフである。彼らによって、
s
ロバート・ゴダード(アメリカ、1882〜1945)
1926年、マサチューセッツ州オーバー
ンの農場で世界初の液体燃料ロケット打ち
上げに成功。エンジン(上部)と燃料タンク
(下部)を3mの2本のパイプでつないだ骨
組み構造で、高度13m、飛行距離56m、
飛行時間2.5秒だった。その後、ジャイロ
で制御するロケットなどを関発。「近代ロケ
ットの父」
。
ロケットや宇宙飛行に必要な理論が完成され、近代ロケットが開発された。
ヘルマン・オーベルト
t(ルーマニア、1894〜1988)
現在のロケットの直接の祖先は、ドイツの世界初の中距離弾道ミサイル
1923年、ロケット工学の基礎理論を確
立し、ドイツ国内でフォン・ブラウンら技術
者を育てた、
「惑星空間用ロケット」を出版。
ドイツ宇宙旅行協会の会長。液体燃料の比
率、燃焼圧の値など、研究成果は後のロケ
ットV-2に活かされている。「近代ロケット
の先駆者」
。
「V-2」である。第2次世界大戦中(1942年)にフォン・ブラウンたちを中心
に開発され、戦争で使用された。終戦後、フォン・ブラウンら大勢のドイツ
人科学者・技術者はV-2ロケットの技術とともにアメリカ軍に投降し、レッド
ストーンやジュピターなどのロケットを開発した。旧ソ連にも多くのドイツ人
技術者やV-2ロケットの部品などが持ち込まれ、ロケットの開発が行われた。
t 世界初の固体ロケット「火箭」
麻くず、硫黄、木炭等を混ぜ合わせて竹
の筒に詰め、細い竹を安定棒としてつけた
もの。中国はこの火箭で蒙古軍を苦しめた。
1
s
フォン・ブラウン(ドイツ、1912〜1977)
ド イツ 陸 軍 の 技 師 とし て 液 体 ロ ケット
「A-2」、中距離弾道ミサイル「A-4(V-2)」
を開発。終戦後アメリカでロケットの開発を
行 っ た が 、 理 想 は 常 に 「 宇 宙 旅 行 」。
1958年、アメリカ初の人工衛星打ち上げ
を成功させた。1960年にNASAに移り、
史上最大のサターンⅤロケットの開発を指
揮。アポロ11号による人類初の月着陸を
敢行。「米国宇宙ロケットの父」。
t セルゲイ・コロリョフ(旧ソ連、1907〜1966)
コングレーブの開発したロケット弾
イギリスのコングレーブは1801年から
独自に改良を重ね、1804年に「コングレ
ーブロケット」を開発。ナポレオン軍との
戦いなどで使用。
4
s
1930年代から1960年代の旧ソ連の宇宙
活動を指揮した巨人。彼の生存中、アメリカ
と旧ソ連の激しい宇宙開発競争は常に旧ソ連
が勝利をおさめ続けた。コロリョフの名は長
い間秘密にされてきたが、旧ソ連の崩壊後、
彼の指導はロケットの開発、科学・実用・軍事
衛星、有人飛行、惑星探査機のすべての分
野にわたっていたことが明らかになった。
5
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Mission 1 宇宙活動
2. 宇宙活動のあゆみ
t アメリカ初の衛星「エクスプローラー1号」
(2)宇宙開発競争の幕開け
1
の打ち上げ
「バンガード1号」失敗の後、フォン・ブ
ラウンのチームが衛星打ち上げを率いるこ
とになった。1958年1月31日、打ち上げ
成功。地球を取り巻く放射線帯(バンアレ
ン帯)を発見。直径16.5cm、重さ14kg。
1957年10月4日、旧ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」を
打ち上げた。世界中がこの快挙に驚いたが、アメリカと旧ソ連は「冷た
い戦争」の真っ最中だったため、アメリカは衛星の打ち上げ準備を急い
1
だ。しかし1ヵ月後の11月3日、旧ソ連は犬を乗せた「スプートニク2号」
を打ち上げた。
翌年の1958年1月31日、アメリカは初の人工衛星「エクスプローラー1
号」の打ち上げに成功し、かろうじて威信を取り戻した。「スプートニク
1号」に比べれば重量1/6の小さな衛星だったが、アメリカも宇宙に進出
しアメリカと旧ソ連両国の宇宙開発競争の幕が切って落とされることにな
s
世界初の通信衛星「スコア」
(アメリカ)
1958年12月18日、アメリカはアトラス
ロケットの燃え殻を軌道に投入。これにはア
イゼンハワー大統領の声(クリスマスメッセ
ージ)がテープレコーダーに録音してあり、
世界で初めて宇宙からの放送に成功した。
った。1957年から1969年の12年間の世界の宇宙開発は、アメリカと旧
ソ連の「競争」を軸に展開されていった。
t 人類初の人工衛星「スプートニク1号」(旧ソ連)
1957年10月4日打ち上げ、この年はツ
ィオルコフスキーが生まれてちょうど100
年目。直径58cm、質量83.6kg。超高層
大気の密度、温度を測定。
(3)地球周辺で活躍する人工衛星
1960年代になると、より多くの目的をもった人工衛星が打ち上げられる
ようになった。他国の情報などを収集する軍事衛星、天文・天体観測の
ための科学衛星、宇宙の電波中継所としての通信・放送衛星、宇宙の
気象台としての気象衛星、そして1970年代には私たちの住む星「地球」
を観測する地球観測衛星などである。これらの衛星は、世界各国から
数多く打ち上げられている。
初の生物衛星「スプートニク2号」(旧ソ連)
1957年11月3日犬「ライカ」を乗せて
打ち上げ。犬は回収の計画がなく軌道上で
死亡。質量508kg。
s
t「バンガード1号」の打ち上げ失敗(アメリカ)
旧ソ連に先を越されたアメリカは衛星打
ち上げを急ぎ、1957年12月6日、打ち上
げを実施。しかしロケット点火2秒後、転倒
し大爆発。全世界注目の中、無残な失敗に
終わった。(その後「バンガード」は1958
年3月17日の再打ち上げに成功。地球が西
洋梨の形であることを突き止めた)
6
7
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Mission 1 宇宙活動
2. 宇宙活動のあゆみ
(4)月探査活動
1
アメリカと旧ソ連の宇宙開発競争は、1958年には月をめざす激しい競
月探査機を送るようになり、中国やインドも月探査計画を進めている。
争に突入し、1970年代まで続けられ、80数回ものミッションが行われた。
2004年にはアメリカが2020年までに4人の宇宙飛行士を月に送るという、
以後、月探査は中断していたが、1990年代からは、日本やヨーロッパが
新しい有人月探査計画を発表している。
★月探査活動
〈アメリカ〉
¡悲運の月探査機「パイオニア」
1958年の8月の0号の失敗に続き1、2、
3号も失敗。
¡月面の撮影「レンジャー計画」
1954年7月の7号から9号より数千枚の
月の写真を撮影。月面に探査機を突入さ
せ、衝突の瞬間まで撮影を行った。
¡月面の地質探査「サーベイヤー計画」
月に軟着陸し、直接、月の地質などを調
べる探査機を1966年5月から7機を打ち
上げた。
(2号、4号は軟着陸に失敗)
¡月面全体の撮影「ルナー・オービター計画」
さらに、1966年8月から月面全体の地形
などを観測・撮影するため、月を回る軌
道に探査機を5機打ち上げ、有人探査に
大きく前進した。
〈旧ソ連〉
¡史上初めて月に命中「ルナ2号」
1号は太陽の周りを回る人工惑星になった
が、1959年9月、2号は月に命中。3号
は謎だった月の裏側の写真撮影に成功。
¡史上初の月面軟着陸「ルナ9号」
1966年2月に9号が月面軟着陸に成功。
続いて4月には、史上初めて10号を、月
を回る軌道に投入することに成功した。
¡亀を搭載し月から地球に「ゾンド探査機」
1968年9月に打ち上げられた「ゾンド5
号」は、亀や植物を搭載して月を周回し、
9月21日にインド洋に着水、生物回収に
成功した。
1
¡有人月探査を断念
1960年代末ごろには、ロケットや探査機
などの失敗で、旧ソ連は人間を月に送るこ
とを断念した。1969年、「アポロ11号」
に対抗して「ルナ15号」を打ち上げた。
15号は月を回る軌道に投入され、「アポ
ロ11号」の月着陸と同じころ、月面に墜
落。アメリカと旧ソ連の有人探査競争は
終わった。
★その後の月探査
旧 ソ 連 で は 1 9 7 0 年 9 月から 無 人 の
「ルナ16号」から24号を打ち上げ、月の
土を持ち帰ったり、無人の月面車「ルノホ
ート」を送り観測を続けた。その後、月探
査は一時、中断したが、1990年代に再
開された。日本初の月探査機「ひてん・は
ごろも」、アメリカの「クレメンタイン」、
「ルナー・プロスペクター」
、ヨーロッパの
「スマート1」などが月探査を行っている。
日本初の月探査ミッション「ひてん・はごろも」
8
「ルナー・プロスペクター」
9
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Mission 1 宇宙活動
2. 宇宙活動のあゆみ
(5)惑星探査活動
1
アメリカと旧ソ連の宇宙開発競争は、1960年ごろからは、金星や火星
をめざす無人惑星探査競争も激しさを増していった。1970年代からは水
星・木星・土星・天王星・海王星、さらに、彗星に向けても探査機が打ち
上げられた。1990年代から小惑星へ、2006年には冥王星へ探査機が
送られ、これら多くの惑星探査機による観測で、たくさんの謎が明らか
になり、大きな科学的成果が得られている。
★火星探査活動
〈アメリカ〉
初の探査機は1964年11月に打ち上げら
れた「マリナー3、4号」。3号は失敗に終
ったが、4号は1965年7月に火星に接近通
過し、初めて火星の素顔を撮影し、火星に
は運河はなくクレーターがあることが判明
した。
1975年の「バイキング1、2号」は火
星に軟着陸し、生物探査を行うなど大きな
成果を残したが、火星の生物は発見できな
かった。
1996年には「マーズ・グローバル・サー
ベイヤー」が、「バイキング2号」以来21
年ぶりに、火星の周回軌道に乗り、火星の
地図作成を行った。
以 後 、「 マ ー ズ・パ ス ファイン ダ ー 」、
「2001マーズ・オデッセイ」などの探査機
が打ち上げられ、2004年には探査車「ス
ピリット」と「オポチュニティ」が火星表面
の探査を行い、多くの観測結果を得ている。
2006年には高分解のセンサーを持つ、
「マーズ・リコナイサンスオービター」が火
星に到着し、観測を行った。
10
〈旧ソ連〉
1960年、初の火星探査車が打ち上げら
れたが軌道に乗らず失敗した。その後、失
敗が続いたが、1971年5月に打ち上げら
れた「マルス2、3号」の2機は火星周回
軌道に乗り、2号は火星表面にペナントを
打ち込んだ。3号は着陸カプセルを軟着陸
させたが、着陸後20秒で通信が途絶えた。
その後いくつかの探査機が打ち上げられた
が、アメリカに比べ、多くの観測成果は得
られなかった。
〈日本〉
日本初の惑星探査機「のぞみ」は1998
年に打ち上げられ、2回の地球スウィング
バイを経て火星に向かったが、2003年
12月火星軌道に投入できず、失敗した。
〈ヨーロッパ〉
2 0 0 3 年 6 月に 打 ち 上 げら れ た 「 マ ー
ズ・エクスプレス」は、同年12月に火星軌
道に到着し大気の調査などを行っている。
小型探査機「ビーグル2」は軟着陸に失敗
したが、「1億5000万ドルミッション」と
いわれた低コストでの火星探査を実現した。
★金星探査活動
〈アメリカ〉
初の探査機は1962年7、8月に打ち上
げられた「マリナー1、2号」。1号は失敗。
2号は金星の近くを通過し、金星の気温等
を観測した。また1978年5月に打ち上げ
られた「パイオニア・ビーナス1、2号」
で詳細を観測。1989年5月に打ち上げら
れた「マゼラン」で詳細な地図を作るなど、
旧ソ連に比べて打ち上げ回数は少ないが多
くの成果を上げた。
後、1965年11月に打ち上げられた「ベ
ネーラ3号」は金星の表面にペナントを打
ち込み、1970年8月に打ち上げられた7
号で史上初の金星軟着陸を行った。その後、
多くの探査機の軟着陸で表面の撮影や土壌
の分析を行い、大きな成果を挙げた。
〈旧ソ連〉
1961年2月に初の探査機が打ち上げら
れたが、失敗した。多くの探査機の失敗の
〈ヨーロッパ〉
2005年10月に打ち上げられた「ビー
ナス・エクスプレス」は、2006年4月に
金星の軌道に乗り、観測を行っている、
2003年6月に打ち上げられた火星探査
機「マーズ・エクスプレス」と同型機で、
コストと開発期間を抑えている。
★水星探査活動
〈アメリカ〉
1973年11月打ち上げの「マリナー10
号」は水星に接近し、4000枚にのぼる撮
影を行った。2004年3月に打ち上げられ
た「メッセンジャー」は、2011年に水星
に到着する予定。
★木星・土星・天王星・海王星・冥王星探査活動
〈アメリカ〉
1972年から1977年にかけてアメリカは
「パイオニア10、11号」
、
「ボイジャー1、2
号」の4機の外惑星探査機を打ち上げた。
「パイオニア」は木星・土星の探査を行った。
「ボイジャー」は木星・土星・天王星・海王
星の探査を行った。太陽系脱出をめざしてい
るこれらの探査機には、どこかにいるかもし
れない知的生命体に向けて、地球人からのメ
ッセージを搭載している。
1
2006年1月には初の冥王星探査機「ニュ
ーホライズン」が打ち上げられた。冥王星と
衛星カロン、エッジワース・カイパーベルト
天体の探査を行う。
〈アメリカ・ヨーロッパ〉
1989年10月に打ち上げられた「ガリレ
オ」は、1995年12月に木星の軌道に乗り、
観測を行った。2003年木星の大気に突入し
て消滅した。
1997年10月に打ち上げられた「カッシ
ーニ」は、2000年12月に木星に接近し、
「ガリレオ」と共同観測を行った。2004年
7月には土星の周回軌道に乗り、12月には
ESAの着陸機「ホイヘンス」がタイタンに着
陸し、300枚以上の画像撮影を行った。
11
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Mission 1 宇宙活動
2. 宇宙活動のあゆみ
(6)人類の宇宙への進出、そして月面着陸
1
アメリカと旧ソ連の宇宙開発競争のさなか1961年4月12日、旧ソ連はガ
20日、アメリカの有人月探査「アポロ11号」の成功で、激しかった宇宙
ガーリンによる人類史上初の有人宇宙飛行に成功した。その後両国と
開発競争は一応の幕を閉じた。以後、アメリカは「スペースシャトル計
も月への有人探査をめざして有人宇宙船を打ち上げたが、1969年7月
画」へ、旧ソ連は「宇宙ステーション計画」へと進んでいった。
︵
旧
ソ
連
︶
▼ガガーリンによる人類初の宇宙飛行
1961年4月12日、ガガーリンを乗せ
た
「ボストーク1号」
が打ち上げられ、
史上
初の人間の宇宙飛行に成功した。わずか
1時間48分の地球1周の宇宙旅行では
あったが、
この時人類は地球から離れ、
広
大な宇宙空間での活動を開始した。1人
乗りのボストーク宇宙船は1963年まで
に6機打ち上げられた。その間、
旧ソ連で
は宇宙船同士の編隊飛行や初の女性宇
宙飛行士テレシコワの宇宙飛行など、ア
メリカに比べて華々しさが目立った。
▼2〜3人乗り「ボスホート」宇宙船
1964年10月12日、旧ソ連は3人乗りの
「ボスホート1号」
を打ち上げた。世界初の3人
乗り、
しかも宇宙飛行士が宇宙服を着ないで
乗り込んでいることで、世界の注目を集めた。
さらに1965年3月18日には2人乗りの2号
を打ち上げ、
レオーノフ宇宙飛行士が世界初
の宇宙遊泳を行った。旧ソ連の有人宇宙船は
これ以後、1967年から「ソユーズ」宇宙船計
画へと進められた。
▼「ソユーズ」宇宙船
旧ソ連は新たな宇宙船「ソユーズ」を開発。
1967年4月に1号を打ち上げた。
しかし宇宙
船が地球に帰還する途中、パラシュートのひ
もがもつれ、地上に激突。搭乗したコマロフ
宇宙飛行土が死亡するといういたましい事故
が発生した。アメリカと有人月探査競争を進め
ていた旧ソ連では、超大型ロケットN-1の開
発の遅れや事故のため、有人月探査を断念し、
宇宙ステーション計画を進めていった。
「ソユ
ーズ」宇宙船は改良されながら現在でも運用
されている。
▲2人乗りジェミニ計画
アメリカでは月をめざすアポロ計画の前段
階の計画として、2人乗りのジェミニ計画を推
進した。
「ジェミニ」
宇宙船は合計10機打ち上
げられ、ランデブー・ドッキングなど有人月探
査に必要な実験が繰り返された。1965年6
月、
4号のホワイト宇宙飛行士による宇宙遊泳、
1966年3月、8号のアームストロング宇宙飛
行士たちによるアジェナ標的衛星との史上初
のドッキング実験など、着実に有人月探査の
準備を進めていった。
▲有人月探査アポロ計画
1968年10月、アメリカは「アポロ7号」を
地球周回軌道に打ち上げ、いよいよ有人月探
査のアポロ計画に突入した。その年の12月
には、超大型ロケット、サターンⅤにより、
「ア
ポロ8号」を史上初の月周回軌道に打ち上げ
た。そしてついに、1969年7月20日、
「アポロ
11号」が月着陸に成功し、人類の夢であった
月世界に、人類の足跡を残すことに成功した。
月着陸をめざして計7機が打ち上げられ、
1970年の13号の事故を除き、
6機が成功し、
計12人の宇宙飛行士が月面に降り立った。
1
人
類
の
宇
宙
進
出
︵
ア
メ
リ
カ
︶
12
▲マーキュリー計画
またしても旧ソ連に先を越されたア
メリカでは、急いで1人乗り宇宙船のマ
ーキュリー計画を進めた。1961年5月
5日に「フリーダム7」でシェパード宇宙
飛行士を、また7月21日にはグリソム
宇宙飛行士を乗せた
「リバティ・ベル7」
を打ち上げた。しかしこれらは15分間
の弾道飛行を行うもので、旧ソ連の宇
宙船との規模の差は歴然としていた。
アメリカ初の有人地球周回は、1962
年2月20日、ジョン・グレン宇宙飛行士
(1998年10月、77歳で向井宇宙飛行
士らとスペースシャトルで2度目の宇
宙飛行)
を乗せた「フレンドシップ7」で
ある。1963年までにマーキュリー宇
宙船は合計6機打ち上げられ、計画を
終えた。
13
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Mission 1 宇宙活動
2. 宇宙活動のあゆみ
(7)競争から協調へ、そして全人類のために
1
アポロ計画が開始された1960年代後半になると、宇宙開発競争には多
「スカイラブ」で、また1981年からはスペースシャトルでこのような実験を行っ
くのお金がかかり、国民の生活さえも圧迫しかねない状況となった。宇宙
ている。これまで多くの宇宙飛行士によってたくさんの実験を行い、宇宙
開発は1つの国だけの力で行うにはあまりにも負担が大きすぎるほど拡大し
環境利用の大きな可能性が見い出されている。そして21世紀初めには、日
ていたのである。そのため、アメリカも旧ソ連も、もっと国民の生活に役立
本、アメリカ、ロシア、ヨーロッパ、カナダなど15ヵ国が協力して本格的な宇
つような目的、特に通信分野などの人工衛星の利用に力を注ぐ方向へと
宙環境利用が可能になる国際宇宙ステーション(ISS)時代が始まっている。
変えていった。また気象観測や地球観測活動は、地球を1つの星として全
惑星探査の分野でも、ハレー彗星のために、1984年から85年にかけて
体をとらえることや長期的な観測が必要になる。これらの分野では世界各
旧ソ連やヨーロッパ、日本、アメリカが探査機を打ち上げ国際協力探査計
国が協力して、人工衛星による観測体制を整えて地球を見守る活動を行
面を行ったように、木星探査機「ガリレオ」や土星探査機「カッシーニ」
っている。
など多くの分野で国際協力が実施されている。
1970年代になると、宇宙環境を直接利用する活動へも進んでいった。
と積極的に国際協力、協調が進められていくであろう。
▼「アポロ−ソユーズ」 テスト計画
1975年7月、アメリカと旧ソ連はそれぞ
れの宇宙船「アポロ」と「ソユーズ」を打ち上
げ、軌道上でドッキング、共同飛行を行った。
両国の宇宙飛行士はお互いの宇宙船を訪れ
たり、共同実験などを行った。
▼宇宙ステーション「ミール」
1986年3月から運用。第二世代のステー
ションとして、
ドッキングハッチを6個備え、各
種モジュールを追加している。国際協力も含
め、数多くの実験を実施。2001年3月に制
御落下した。
国際宇宙ステーションヘ向けて
▲スペースシャトル
1981年4月から運用。これまでのロケット
と違い、新しい輸送機関として開発された。実
験室を搭載し、その中で国際協力も含め数多
くの宇宙実験や衛星の軌道投入を実施。現在
も運用中。
▲国際宇宙ステーション(ISS)
2010年ごろの完成をめざして、
日本、アメ
リカ、ロシア、
ヨーロッパ、カナダなど15ヵ国
の国際協力により、建設が進められている。こ
の宇宙ステーションの運用で、宇宙環境利用
の新しい展開が期待されている。
▼宇宙ステーション「サリュート」
1971年4月〜1986年6月までの間、1
号から7号までが打ち上げられた。数多くの
「ソユーズ」宇宙船や「プログレス」貨物船が
ドッキング。宇宙飛行士が長期滞在し、実験
を実施した。
1
宇宙活動は、今や人類共通の大きな事業となっている。これからはもっ
1971年から旧ソ連では宇宙ステーションで人間の宇宙長期滞在を行い、
▲宇宙ステーション「スカイラブ」
1973年5月〜1974年2月運用。
「アポロ」
宇宙船が3回ドッキングし、宇宙飛行士が長期
滞在するなど、さまざまな実験を行った。
14
無重量状態を利用したさまざまな実験を行ってきた。アメリカも1973年に
15