第一課題別集会報告 (PDF 727.6KB)

第51回東京都公民館研究大会
「公民館の魅力をさぐる」
第一課題別集会「シニアの力で公民館が変わる」
討議内容:シニアによる市民活動が、どのような影響を公民館に与えているかを知り、こ
れからの公民館の魅力を探ります。
○日時・・・平成26年1月18日(土)午前10時~午後4時
○会場・・・国分寺市立本多公民館ホール
○分科会担当市・・・東大和市
○参加者・・・117名
○助
言
者
○事例報告者
石井山
竜平(東北大学大学院教育学研究科准教授)
岡田
正嗣(東大和市南街・桜が丘地域防災協議会副本部長)
町田
重光(東大和市立公民館
夏休み☆みんなでつくる遊空間実行委
員長)
新井
○企 画 委 員
純孝(東大和市民ネット副会長)
佐々木辰彦、福田進、半田道夫、山﨑喜美子、川村光弘、幡野智恵子、
小 倉 安 洋 、近 藤 慶 二 、東 口 正 美( 以 上 東 大 和 市 立 公 民 館 運 営 審 議 会 委 員 )
福 島 啓 二 、尾 又 恵 子 、溝 呂 木 美 幸 、宮 田 勇 樹 、原 和 則 、小 川 圭 、熊 谷 歩 、
高橋佳宏(以上東大和市立公民館職員)
1.事 例 報 告
1.1 事 例 報 告 「 東 大 和 市 南 街 ・ 桜 が 丘 地 域 防 災 協 議 会 」
岡田正嗣氏
(1)本題に入る前に
①シニア世代の一般的な特徴として、
・戦前・戦後の動乱期を経験し、心身共に強い人間
として成長
・社会に出て高度成長期を体験してそれを支えた
世代
・当 時 、国 の 人 口 構 成 が ピ ラ ミ ッ ド で あ っ た た め 、社 会
では20代からプロジェクトの先頭で仕事をするこ
とができた
・成 長 の た め に 、常 に 新 し い プ ロ ジ ェ ク ト を 計 画・実 行
できた
・定年後も社会で培ったノウハウを別の形で貢献したい気持ちを持っている人材が多い
などがあります。
また、公民館活動を支援できる年代はシニア世代ではないか、というのは、
・現役世代は仕事に忙殺され、公民館活動支援は実質的に無理
・シニア世代は現役世代と同等又それ以上のノウハウを保持
・過去の豊富な経験から困難な状況に直面した時、有効な調整機能を発揮できる
・このシニア世代を活用する事は極めて重要(人材の宝庫)
であり、公民館はシニア世代を利活用すべきではないかと考えています。
(2)説明内容の概要
①南街・桜が丘地域防災協議会の概要
・組織:21団体(自治会:14、マンションの管理組合:7)
・対象地区の世帯数:約9千世帯、人口:約2万人
・役員:10名、幹事:34名、女性班たんぽぽ:11名(構成員はほぼシニア世代)
②南街公民館との関係
・地理的に当該地域の中心に位置している
・当該協議会と行政側の窓口の機能
・地域への情報の発信/収集
・各種事業の共同での策定/実施
東大和市は、北側に東京都の貯水池があり、南側にあるのが南街地域です。
また南街公民館は、この地域のほぼ中央に位置しています。
南街地域の南側には、大型マンションが建設され、南風の流れが下がり、大火があっ
た場合は非常に危険な地域であります。
③南街・桜が丘地域の特徴
・地盤的には問題ない地域である
・立川断層が近くにあるが直下ではない
・天災に対して問題が少ない(津波、洪水、液状化)
・家屋密集地域である(市の人口8万5千人の約25%が狭い地域に居住している)
・地震に対しての高危険度地域である
・高齢者が極めて多い(老老防災)
・地震に関する地域危険度測定で高度危険地域と判定された
以上のことから、災害時に火災発生対応が必須です。
④自治会活動の基本事業(公民館はこの活動を支援)
・東大和市に住んで人生を享受できる
・自治会の活動は活動が目的ではなく人生を享受する手段の1つである
・活動の3つの柱(防災対策、青少年健全育成、高齢者対策)
⑤防災協議会の立ち上げの原点
地域の沈滞化した自治会活動の活性化手段として防災をその切り口とした。
・平成19年4月より予備調査開始
・防災対策
・他の地域の活動状況調査/資料収集
・プロジェクトチームの発足
・連合自治会として発足したかったが、自治会とマンションの管理組合の2種の存在が
あるため、本会は防災協議会として発足
⑥防災活動の基本方針
・各自治会(管理組合)が独自に活動するための支援(各組織各々の強化が必要)
・公民館側(関連機関)との密接な連携
・加入住民への防災意識の高揚支援として、計画的な機関誌の発行
・種々事業の展開/参加要請
・絶え間ない人材の育成
⑦地域は東大和市立第二小学校の全学区
・南街地域(木造)と桜が丘地域(大型マンション)
・避 難 地 域:桜 が 丘 地 域( 東 大 和 南 高 校 、都 立 南 公 園 )、南 街 地 域( 第 二 小 学 校 、第 二 中
学校)
子ども達は南街の木造地域を通学するため、避難時の安全確保は地域住民が行わなけ
ればならないということでまとまりました。
⑧地域の相違を超えての作業
・南街地域と桜が丘地域の共通項
・避難時の小学生の安全確保
・避難場所(公民館、第二小学校)との共同作業
・規約作りは共同作業(行政側、自治会側、管理組合)
⑨防災協議会の立ち上げ経過及び現状
平成19年4月から予備調査を開始し、関係者でプロジェクトチームを結成。活動
の基本方針や対象地域を確定し、地域全ての自治会及びマンション管理組合を取り込
み、南街公民館をはじめとする行政関連部門に参加していただき、東大和市第二小学
校を防災拠点として、平成20年4月に防災協議会を結成。南街公民館は関連機関の
パイプ役、行政の窓口となっています。
防 災 協 議 会 の 組 織 は「 最 上 位 に 各 団 体( 自 治 会 、マ ン シ ョ ン 管 理 組 合 )を 位 置 づ け 」
し て 、「 防 災 協 議 会 は こ れ ら の 団 体 の 活 動 を 支 援 す る 」 を 基 本 と し て い ま す 。
即ち活動は防災協議会からのトップダウン指示でなく、各団体は自身の活動の中で
組織強化をして行くボトムアップの形として、防災協議会は各団体の活動を円滑にす
る為の支援を行います。
⑩南街公民館と防災協議会との共同活動状況
防 災 協 議 会 の 活 動 は 南 街 公 民 館 の 実 施 事 業 と 連 動 し 、公 民 館 事 業 カ テ ゴ リ ー 中 の「 地
域コミュニティ形成」及び「地域団体育成」をその活動目標と位置づけ、双方の共同
歩調で進めています。具体的には、
・南街公民館が実施する街づくり懇談会事業の策定及び実施協力
・南街公民館と防災協議会が双方で年間事業計画を協議・策定し、更に各事業の目標の
共 有 化 を 図 り 、「 手 段 」
「対象」
「 目 標 」「 結 果 」か ら 、「 活 動 指 数 」
「対象指数」
「成果指
標」
「 上 位 成 果 指 標 」を 分 析・調 整 し 、新 た な 課 題 を 見 つ け て 、次 年 度 に 向 け て よ り 良
い事業計画を策定しています。
⑪南街公民館の「街づくり懇談会事業」
平成18年度から実施している8年目の事業。南街・桜が丘地域の課題を抽出して
事 業 化 し ま す 。今 年 度 は「 地 域 の ク リ ー ン 作 戦 」
「 空 間 放 射 線 量 の 測 定 」ほ か 、地 域 の
課題に関する講演会や施設見学を行っています。この事業策定には、防災協議会も参
加しています。
⑫平成25年度防災協議会の年間主要事業
・ 総 合 防 災 訓 練 ( 第 二 小 学 校 / 第 二 中 学 校 )( 4 0 0 名 程 参 加 )
・救急救命講習会(年2回)
・可搬ポンプ操作講習会
・防災資機材操作訓練
・各団体への防災訓練支援(重点事業)
・東大和病院の「トリアージ参加」
・東大和南高校との防災訓練(平成24年度から開始)
・女性班の活動強化(要援護者支援)
・地域の放射線量の継続測定(平成23年度から開始)
・食品の簡易放射線量の測定(平成24年度から開始)
・南街公民館との共同事業(街づくり懇談会)
・東大和市民ネットに加入(ブログの立ち上げ、データの迅速化・共有)
⑬防災協議会の活動拠点
南 街 自 治 会 集 会 所 を 拠 点 と し 、自 主 防 災 倉 庫 に は 2 5 0 万 の 資 機 材 を 備 え て い ま す 。
災害に備え住民として基本行動を指導します。
・ 自 助 、 共 助 、 公 助 、 特 に 最 近 は 「 近 助 」( 隣 近 所 の 方 と の 交 流 ) が 重 要 。
・家庭での準備
①健康の維持管理
②家具の転倒防止、火災報知器、非常食、水、安心カードの保管、消火器、懐中電灯
③家の中での避難経路の確保
④自治会への加入
⑤防災訓練への参加(救急救命/応急処置を含む)
⑥避難場所への経路の実踏実施
南街地域は火災が重点要件
⑭避難場所の具体的行動内容の強化
・協議会と避難場所との本格的共同避難訓練
・施設使用細部の取り決め/ルール化
・模擬避難訓練を実施して必要時間の測定
・行政側の対応確認(模擬避難訓練)
・地域VS避難場所の差別化(人口比率により決定)
・関連機関との連携(第二小学校・第二中学校・南街公民館・都立東大和南高校)
・必要Toolの作製
⑮公民館との共同事業による主要資料の作成
・平成21年度:南街・桜が丘地域の防災地図
・平成22年度;南街・桜が地域地デジ電波電界強度の測定結果及びその考察
・平成23年度;南街・桜が丘地域の空間放射線量の測定及びその考察
・平成24年度;南街・桜が丘地域防災協議会の平成24年度活動報告
⑯外部からの評価
平成24年4月に東京都から第一回東京防災隣組(全36団体)として認定されまし
た。
⑰今後の課題
・住民への防災意識の浸透
・関連機関との一層の連携強化(南街公民館と共同での事業計画の策定)
・関連知識(防災/救命)の継続的な習得
・魅力ある行動計画の策定
・各自治会/管理組合との一層の関係強化
・後継者の育成(防災協議会側)
・公民館職員の人材育成(行政側の対応)
1.2 事 例 報 告 「 夏 休 み ☆ み ん な で つ く る 遊 空 間 」
町田重光氏
10年前の「東大和市立公民館のつどい」の中か
ら、公民館運営審議会委員が中心となって子どもの
居場所づくりの活動を開始。夏休み期間に、公民館
の学習室で子どもの居場所確保、利用グループが体
験イベントを展開。
はじめに
私は60歳で定年退職した後、公民館の日本語ボ
ランティア講座に関心を持ち、これを受講しました。そして直ぐに毎週南街公民館で行
う「日本語の会」のメンバーとなり、日本で暮らす外国人に日本語を教える活動を始め
ました。そのことから公民館まつり等の役員にもなり、公民館運営審議会の委員にもな
りました。そうした中で、これからお話しする「夏休み☆みんなでつくる遊空間」が誕
生したのです。
もし、
「夏休み☆みんなでつくる遊空間」
( 以 下 、遊 空 間 と い う )が 誕 生 し な か っ た ら 、
子どもたちが夏休みに公民館に出掛けてくることは無かったでしょう。そして、日頃公
民館で活動しているサークルの大人たちとの交流もなかったことでしょう。
シニアの世代の人達が何らかの意識を持って、積極的に一歩踏み出すことによって、地
域の母親や子供たちに喜んでもらえるのです。新しい生き甲斐となるのです。
遊空間とは(概要)
「夏休み中の小学生・中学生・高校生が、中央公民館で自習・読書・おしゃべりした
り、公民館を利用している皆さんの活動を体験できる楽しいトコロです!公民館の学習
室を、みんなのフリースペースまたはイベントの場として用意しました。夏休みの公民
館 は 、み ん な の ス テ キ な 居 場 所 で す 。ぜ ひ 、遊 び に 来 て く だ さ い 。」こ れ は 、一 小 か ら 十
小までの全校生徒に配布したチラシの呼びかけ文です。街に公民館があり、その活動が
自分たちだけの楽しみでなく、地域の人たちにも伝わり、世代を超えて子どもたちにも
伝わることは有用なことだと思います。公民館にどのようなサークルがあり、どのよう
なことをやっているのかは、公民館まつり等を通じて地域の人たちに知られていると思
います。遊空間は、日頃公民館で活動している大人たちが、夏休みの子どもたちに公民
館に来てもらって、絵や絵手紙、粘土細工、おやつ作り、将棋、マジック、ダンスなど
を 楽 し ん で も ら お う と い う も の で す 。平 成 1 6 年 に 始 ま り 今 年 度 で 1 0 年 に な り ま し た 。
子どもたちは、自分でやってみたいイベントを探し、公民館にやって来ます。参加人数
は、毎年延1,000人を超えています。
昨年の感想文を見ると「最初は難しいと思ったけど、すごくおもしろかったです(小学
生 )。」
「 組 み 立 て る の が 難 し か っ た 。何 を 作 ろ う か と 考 え る の が 楽 し か っ た( 割 り ば し と
輪 ゴ ム で 家 を 作 ろ う )( 小 学 生 )。」「 普 段 ふ れ あ う こ と の な い 小 学 生 の み ん な と 絵 手 紙 を
作 る こ と が で き て 、 楽 し か っ た し 、 貴 重 な 経 験 が 出 来 た の で 嬉 し か っ た ( 高 校 生 )。」 な
どなど遊空間を通じて生まれるものが沢山あることが実感されます。
「めちゃめちゃ楽し
か っ た 。」「 来 年 も ま た 来 た い 。」 と い う 声 を 聞 く と 私 も 嬉 し く な り ま す 。
遊空間の歴史(どのように始まったか)
そ ん な 遊 空 間 は 、ど の よ う に し て 出 来 た の で し ょ う か 。中 央 公 民 館 に は 、
「公民館のつ
どい」という事業があります。その目的には「普段交流のない5つの公民館の利用者が
一堂に集まり、公民館活動の中で気づいた問題や地域の課題について考え合う場として
開 催 す る 。」と あ り ま す 。平 成 1 5 年 開 催 の「 第 1 9 回 公 民 館 の つ ど い 」の 青 少 年 分 科 会
では、
「 み ん な で つ く る 遊 空 間 ~ 中 高 生 の 居 場 所 づ く り ~ 」を テ ー マ に 話 し 合 わ れ ま し た 。
記録集には、
「 集 ま る 場 所 や 遊 ぶ 場 を 失 っ た 中 高 生 。そ ん な 中 高 生 を 白 い 目 で 見 る 大 人
たち。日々の私たち大人の態度や意識が、子どもを追いつめているのではないでしょう
か。そんな居場所を失った子どもたちに、ほっとできる場所や時間をつくってあげたい
と思いませんか?各地域では、既に青少年の居場所づくりの活動が始まっています。東
大 和 で も 地 域 の 大 人 た ち の 意 識 や 教 育 力 が 問 わ れ て い ま す 。」と 書 か れ て い ま す 。そ し て 、
居場所として考えられたのは公民館でした。
このことが公運審に報告された際、夏休みの期間だけでも公民館にそうした場所が出来
ないか、比較的利用者が少ない夏休みの期間に限定すれば可能ではないのかという意見
が出されました。そして、主旨に賛同する公運審委員で小委員会を作り公民館職員と話
し合いをしました。公民館側は青少年に公民館施設を自由に使用させるということに未
経験なこともあって、他の利用者とトラブルが起きては問題と相当に消極的でした。そ
れ で も 、夏 休 み に 間 に 合 う よ う 夜 間 を 含 め 何 度 も 話 し 合 い を 行 い 、日 替 わ り の イ ベ ン ト 、
自習、宿題相談、インターネットの使用、ロビーの優先使用という内容で、かつ、日頃
公民館を利用している大人たちがボランティアで見守りを行い、公民館職員が対応可能
な日時に開催するということで実施が決まりました。
「 公 民 館 の つ ど い 」が 期 待 し た 遊 空
間は、
「 完 全 フ リ ー の 居 場 所 」で し た の で 期 待 通 り の も の で は あ り ま せ ん で し た が 、こ れ
ま で の 公 民 館 に は 無 か っ た 新 し い 事 業 が ス タ ー ト し た の で す 。「 み ん な で つ く る 遊 空 間 」
という名称もそのまま使うことにしました。
遊空間の模様
初年度の模様を記しますと、小中高生に視聴覚室とロビーを解放、午前は自習・読書
等、午後は日頃、公民館で活動しているグループや団体および個人が延25のイベント
を行いました。遊空間に来た子どもたちは、日によって多かったり少なかったりしまし
たが、大人たちはとても熱心でした。ウクレレ、ハーモニカ、リコーダー、ケーナなど
は子どもたちに教えたあと一緒に演奏しました。ビーズ、絵手紙、パステル、押し花、
パン粘土なども人気があって、自分の作品を大喜びで持ち帰りました。将棋に来た中学
生は時間の経つのも忘れたように夢中でしたし、朗読の会に来た高校生5人は難しい早
口言葉をやってくれました。その他、歌やダンス、気功や漢詩、エアロビクスにバレエ
と盛り沢山でした。公民館職員もイベントの準備や資料の印刷など熱心にやってくれま
した。イベント、応援スタッフの方々を含め、その熱意は、きっと子どもたちの心に届
い て い る と 思 い ま す 。公 民 館 や 多 数 の 関 係 者 の 協 力 が あ っ て こ そ だ と 思 い ま し た 。ま た 、
平成19年度から都立高校生の奉仕体験活動が始まり、中央公民館に隣接する東大和高
校の生徒たちがイベントをしたり、見守りボランティアをしてくれています。ロビーな
どのフリースペースも読書やおしゃべりに利用されています。心配されたトラブルもこ
れまで 1 件もありません。
遊空間の活動と公民館の役割
10年目となった今年は、中央公民館だけだった遊空間が地区館でも開催されるよう
になり、高校生のイベント・ボランティアへの参加もより多くなりましたが、今後の課
題はどのようなことでしょうか。最大の課題は市長・市議・教育委員会・学校等が遊空
間の価値を認識し、そうした観点での施策を行って行くかどうかです。現実は、遊空間
を公民館の1行事としか考えていません。遊空間に参加した子どもたちがどんなことに
楽しみや喜びを感じるのか。イベントやボランティアに参加した高校生や大人たちは、
子 ど も た ち と の ふ れ あ い を ど の よ う に 思 っ て い る の か 。地 域 の 活 性 化 と か 世 代 間 の 交 流 、
青少年の健全な育成、潤いのある社会とかの大切さは言葉だけ、かけ声だけではダメで
す。どうしたら良いのかを真剣に考え、実行しなければなりません。
遊 空 間 に は さ ま ざ ま な 要 素 が あ り ま す 。例 え ば 、日 本 建 築 家 協 会 の「 ま ち を つ く ろ う !
空間ワークショップ」では、大小の木材をジャンボ輪ゴムでつないで家や建物を作りま
す。いくつかの組に分かれ、上級生から下級生まで一緒になって作ります。どうしたら
しっかりした家になるのか、ドームの屋根にするにはどうすればいいのかなどみんなで
考え、建築家の人に聞いて作って行きます。もちろんチームワークが必要ですし、出来
たときの喜びもみんなのものです。協会は「日本の最大の環境問題は子どものあそび環
境 で あ る 。」と い う 認 識 か ら こ の 事 業 を 始 め た そ う で す 。
「このワークショップを通して、
子どもたちが建築や都市づくりに興味を持ってくれればすばらしいと思います。そうで
なくても自分の空間を自分でつくることの楽しさを味わってくれるだけでも大切なこと
だ と 思 い ま す 。」と 述 べ て い ま す 。そ の 他 に も「 楽 し い 音 楽 & リ ト ミ ッ ク 体 験 」や「 ア イ
メ イ ト っ て 、知 っ て る ? 」な ど の 主 催 者 に も 子 ど も た ち へ の そ れ ぞ れ の 思 い が あ り ま す 。
市長・市議・教育委員会・学校等にも、思いを持って欲しいと思います。
我々大人たち・地域の市民が遊空間をきっかけに子どもたちとのふれあいの場をより
多く持っていくのかも重要なことです。これはそう簡単ではないと思います。私の考え
ではやはり公民館かと思います。こうした観点を公民館事業に積極的に取り入れること
は効果が期待できると思います。公民館は高齢化社会に対しても、子どもたちの情操教
育に関しても大きな可能性を持っていると思います。
「 公 民 館 は 勉 強 だ け で な く 、い ろ い
ろなことが出来て、便利でありがたいと思った。公民館はすごい!」これも、子どもた
ちの感想文のひとつです。
今後の公民館の魅力として期待すること
遊空間が私たちに教えてくれたもの。それは遊空間が子どもたちに「公民館は楽しい
と こ ろ 」と い う イ メ ー ジ を 持 っ て も ら う こ と が 出 来 る も の だ と い う こ と で す 。
「また行き
たい」と思うその楽しさは、日頃公民館を利用している地域の大人たちが作り出したも
のです。こうして公民館に来ることに慣れ親しんだ子どもたちに、継続して楽しんでも
らう工夫を考えてみましょう。月に1日、公民館のホールを解放し、子どもたちが自由
に遊べる「子どもの遊び場」をやればきっと喜んで来てくれることでしょう。試行錯誤
で良いと思います。公民館が考え、市民に提案し、やってみてください。子どもたちに
夢を与えてください。公民館の新しい魅力として期待しています。
1.3 事 例 報 告 「 東 大 和 市 民 ネ ッ ト 」
新井純孝氏
(1)活動の出発
私たちは東大和市の上北台公民館を拠点に活動し
て い ま す 。き っ か け は 2 0 1 2 年 に 自 宅 に 届 い た「 や
りがい講座」のチラシで、上北台公民館講座「退職
された皆さん、地域にお帰りなさい!~地域を調べ
て発信しよう!~」の案内でした。企業の中での仕
事に区切りをつける、あるいは区切りをつけた世代の人たちにとって、働くことが中心
だったファーストステージから、その次のセカンドステージで、どのように地域の活動
に参加するか、地域に貢献していくかということは、多くのこの世代の人たちにとって
大きな関心事なのです。これまでの経験を生かして、地域のコミュニティに積極的に役
立ちたいと考える人たちも沢山いる訳です。私もそう考えているうちの一人でした。
その案内は「地域を調べて発信しよう!」ということで、この講座で何かを学んで挑
戦して、少しは地域の役に立つことが出来るかもしれないという予感や期待、あるいは
強い興味をこの講座に持ったのは私だけではないと思います。その案内には「ブログ」
という言葉は出ていませんでしたが、多分Webサイトやホームページのようなものを
作ることは想像されました。私自身、そんなこと果たしてできるようになるものなのだ
ろうか、という不安をもっての参加となりました。eメールでの画像のやり取り程度は
ともかく、Webサイトと称するホームページやブログにはまったくといっていいほど
経験がありませんでした。
(2)ブログの立ち上げで苦労
毎週の講座の内容は大変に面白く、市の歴史や出来ごとの調べ方、情報のまとめ方、
資料のデジタル化、ブログというサービスの紹介、などなど、あっという間の9回講座
でした。参加者のうち経験者は3名で、私自身はブログ未経験者組でした。目標は講座
期間中にブログの立ち上げでしたが、たどり着いた人は半分程度だったでしょうか。
多くの人たちが無料のブログサービス「FC2」を利用してのブログの立上げではあ
りましたが、画像の処理をこなせるようになるのに時間をとられている人が多いように
見受けられました。多くの人が利用する「FC2」のブログは安定してはいますが、他
のブログサービスに比べて制約も多いようです。やはり講座の先生の「FC2のサービ
スは安全性が高いのでお薦め」というのが決め手となりました。
9週間を終えて講座は終了したもののこのままではということから、ブログをつくる
という当面のゴールを目指して、あるいは次のステップに向けて、私たちは自主グルー
プをスタートすることになります。自分の考え、自分の文章やコメントがワープロ感覚
で手軽に情報発信が出来るというこの「ブログの魅力」が引き込まれるように面白い、
もっと使いこなせるようになりたいということがあったのだと思います。
自主グループの目標は、まずは各自で手掛けたブログの完成、そして、ブログサイトを
通じての情報発信、お互いのメッセージ交換ができるようなレベルへの技術習得です。
毎週課題を決めて、例えば画像の処理、お互いのブログ同士のリンクの貼り方等など自
主的な勉強会が続くことになります。先生役はメンバーの中から先行している何人かの
人が交代で務めるようにしました。
(3)立ち上げたブログの数々と東大和市民ネットのサイト紹介
残りのメンバーのブログも徐々に立ち上がり、現在は会員数17名、それぞれのブロ
グサイトも立ちあがっています。※2~3紹介する
それぞれのブログが立ち上がりつつある中で、私たちはサークルを結成します。サー
クルは定例会を月に2回、それに勉強会を1回、それぞれ毎回2時間ずつの活動を続け
ています。効率よく楽しく活動を続けるためには、運営上の仕組みづくりや工夫も必要
でした。代表的なのはメーリングリストの活用や、後ほどご紹介する会員相互の総合掲
示板的なポータルサイト「東大和市民ネット」の立ち上げでした。
これにより私たちの活動をサークル会員以外にも広げたり、知らせることができるよ
うになりました。私たちのブログがこの「東大和市民ネット」のポータルサイトを通じ
て誰でもがアクセスできるようになりました。
※いくつか内容をご紹介
元々、東大和市民ネットのサイトをつくったのはゆくゆく取り組みたいこと、あるい
は 夢 が あ り ま し た 。市 民 ラ イ フ に 役 立 つ 様 々 な 情 報 サ イ ト 、例 え ば 市 内 の イ ベ ン ト 情 報 、
市民団体の活動紹介、市民のお役立ち情報等を提供する、そんな情報サイトに発展させ
ていきたいというものです。
(4)学びネットの紹介
そんなことから手掛けたのが、市民ネットのサイトの中につくった「学びネット」で
した。これは、市内で活躍している様々なサークルや、団体への市民からのつながりを
つくる道具としてのサイトです。
ここにあるのは毎年発行される「学びあいガイド25」ですが各サークル、団体への
コ ン タ ク ト ポ イ ン ト は 各 公 民 館 と な っ て い ま す 。そ れ を 学 び ネ ッ ト は W e b サ イ ト か ら 、
それぞれのサークルの活動内容を魅力的に伝えることができるようにしようとしていま
す。もちろん、了解の得られたサークルに限ったものとなります。
学 び ネ ッ ト を 通 じ て 、こ の 紹 介 サ ー ク ル を 増 や す 活 動 を 1 0 月 の 上 北 台 公 民 館 で の「 公
民館まつり」に合わせて進めてきました。この紹介サークルを学びネットにアップする
作業ステップは、
「 紹 介 サ ー ク ル の リ ン ク 作 業 」と 呼 ん で い ま す が 、こ れ は 普 段 行 っ て い
るブログ記事のアップ以上に難度の高い作業で、この学びネットにアップする作業ステ
ップを通じて、誰もがブログに関わる、より深い知識や技術を身につけることができる
ようになります。さらにこれらの各サークルを紹介するためには、その紹介するサーク
ルの関係者との話し合いを持つことや、お互いのサークルのことについても理解を深め
合うことにもなり、サークル同士の横の連携も深まるという結果にも繋がりました。こ
れは想定外の収穫でした。
学びネットでの「紹介サークルのリンク作業」を通じて多くのメンバーが腕を磨きま
した。それぞれのメンバーが各分野、例えばある人は「体操・健康」を担当して、ある
人は「民謡・音楽」を担当するという具合です。分類の担当毎に「ひとつのブログサイ
ト」を別個につくりあげ、それぞれをネットで繋げてあたかもひとつのWebサイトに
見せる方法で作り上げました。この方法で紹介サークルも既に28となっています。そ
して10月の公民館まつりの出展デモでは、今皆さんに説明しているような一連の内容
を デ モ パ ッ ケ ー ジ に し て 多 く の 方 々 に 説 明 さ せ て も ら い ま し た 。私 た ち の 活 動 を 紹 介 し 、
理解者を増やし、ブログ仲間を増やしていこうという試みでした。
(5)これから何を目指すのか
まだまだ生まれたばかりの市民ネットサークルですが、
「 ブ ロ グ づ く り 」と「 W e b サ
イトづくり」を通じて面白いことに挑戦しよう!これを合言葉に活動を続け、東大和市
の地域情報サイトとしてのサイトづくりに一歩一歩繋げていきたいと思っています。
(6)公民館への期待
既 に 日 本 で は 4 人 に 1 人 が 6 5 歳 以 上 と な っ て い ま す 。人 口 の 高 齢 化 率 と い う 点 で も 、
日本は世界のフロントランナーです。これから団塊の世代を中心に、広い意味のシニア
という人たちが続々と地域に帰ってきます。
近年、地域の活性化とか地域力の向上には、自治会・町内会といった地縁型組織とボ
ランティアやサークル、NPOに代表されるような支援型、あるいはテーマ型組織が補
完し合う地域づくりが不可欠といわれています。この地域づくりに、こういったシニア
のパワーを上手に地域に生かしていく必要があると考えます。
シニアがボランティアやサークル、NPOといっても最初からスタートするには敷居
も高く、地域コミュニティでの慣らし運転や慣らし活動も必要です。いわばシニアには
第二の義務教育やオリエンテーションが必要とも思います。東大和市でも市民大学が今
年度スタートしましたが、公民館でもその一翼を担い、そういった活動の実践の場とし
て重要な役割を果たしうるものだと考えています。
私たち、
「 東 大 和 市 民 ネ ッ ト 」も 将 来 計 画 を 実 現 し て 地 域 の 貢 献 に よ り 繋 が る 活 動 と し
てゆくためには、より多くの市民、行政、企業の関係者との協働を考えるNPO化、あ
るいは協議会方式とかも視野において活動を続けています。
「そのための今を育ててくれ
る」そういう公民館の役割に大きな期待をしています。多分に私見的な意見ではあるか
もしれませんが、いろいろな市民同士、あるいは何かと何かをくっつけて化学反応を起
こさせる、そして地域のパワーを大きくする、そんな触媒役としての公民館の皆さんの
活躍と役割に期待しています。
2.質 疑 応 答
質問者:最初の発表者に質問です。自治会の加入率はどのくらいか。
岡
田:マンションは7団体ありますが、その内管理組合は100%の加入率です。それ
以外にも自治会をつくっているのは2団体だけです。一方南街の平屋地域はすべて
自治会があり、平均して60~70%が現状です。
質問者:最初の発表者に質問です。会の立ち上げ時に予備調査をしたとありますが具体的
にはどういった項目をどのくらい時間をかけたのか中身を教えてください。
岡
田:小学校を中心として、南街のような平屋地域、桜が丘のような高層住宅地域の3
者が、防災を含めた色々な活動をしている地域を探しました。基本的に全国を探し
ましたがそのような活動をしている地域を見つけることができませんでした。調べ
てもないのであれば、新たな取り組みとして自分たちで作ればいいというのが原点
となりました。探し方ですが、本を読んだり、消防署や近隣の知り合いに防災につ
いて聞いたりと、関係者に活動内容を聞いて独自の活動を切り拓いていきました。
半年かけて調査をしましたが参考事例がないことが分かったので、残り半年で独自
に計画をたて、皆さんを勧誘して協議会を立ち上げました。
質問者:3人にお伺いしますが、活発な活動の中で公民館職員との関わりや職員からの背
中を押すような働きがけがありましたか。
新
井:活動のきっかけは上北台公民館のやりがい講座で、その後も似たような講座もあ
りましたが、自分が参加した講座は非常によく練られていました。講座を終えた後
のシニア達の事を予測して準備をされていました。
岡
田:協議会を立ち上げる前に地デジの問題があった時のことですが、当該地域は電波
障害のため強調アンテナが地域全体に張り巡らされており、各戸にはアンテナのな
い地域でした。アンテナが無いのは防災的にも都合が良いので、その状況を継続で
きないかと行政側に話しかけましたが埒が空きませんでした。そこで当時の公民館
長に相談したところ東京都の職員と話をすることができました。一自治会長が東京
都に相談をしに行っても相手にされませんが、公民館の名を借りて道を作ってもら
ったことがあります。本庁でできないことでも公民館ならできることがあります。
行政の窓口になってもらうことが重要なのではないでしょうか。
公民館の職員がその地域の問題点を把握し、自分の仕事として捉えて我々に還元
してくれるという気持ちを持っていないと、なかなか公民館職員の仕事はできない
のではないでしょうか。100%できなくてもよいから住民の立場に立って仕事を
してもらえるとよろしいのかなと思います。
町
田:遊空間の関係では、最初は公民館がすごく消極的で、我々が押し切った形で始ま
ったものですから、何をやるにしても自分たちでやったので実行委員はすごく忙し
かったです。全体の90%くらいは実行委員がこなしていました。年々公民館が協
力してくれるようになっていき、今では五分五分でやるようになっています。そう
いう協力がないと長続きはしないと思うのが実感で、年々刺激を受けながら遊空間
を実行しています。
質問者:遊空間の歴史の中で公運審に報告され、趣旨に賛同する委員で小委員会を作り、
公民館職員と話をしたとあります。公運審に持ち込んで進めたのは大変だったと思
いますが、趣旨に賛同しない委員はいたのですか、また公運審で合議が得られたの
でしょうか。
町
田:公運審は本来、公民館から報告や提案を受け、それを審議するのが立場であり、
委員から事業をもちかけることはそもそもありません。しかし、遊空間は『公民館
のつどい』での報告を受けたものをこのままでよいのか?という意見に賛同した委
員で始めました。反対した委員はいませんでしたが、委員の立場でそこまでやらな
くてもよいのではと考えたとは思います。その後、委員からの発案で事業が行われ
た事案を聞いたことはないので遊空間は唯一の事例なのかなと思います。
そのような経過で始まったこともあり何かトラブルがあった場合、公民館からス
トップがかかってしまう可能性もありました。そこで色々な市民の協力を得て見守
りボランティアを付けて10年間続けてきました。
3.助 言 者 問 題 提 起
3 人 の 事 例 発 表 の 方 々 あ り が と う ご ざ い ま し た 。岡 田
さんの取り組みはリスクに強い地域社会を作っていく
と い う 、今 、公 的 に も 最 も 求 め ら れ て い る 課 題 、町 田 さ
んの取り組みは地域の子どもをそれぞれの持っている
知 識 と 技 を 駆 使 し て 地 域 ぐ る み で 育 ん で い く と い う 、本
来であれば税金を投入して行政が取り組んでもいいような取り組みです。新井さんの取り
組みは20年前には考え付かなかったような内容で、インターネットを駆使してそれぞれ
が自己表現しそれが繋がっていくということで、ここで繋がった縁が3年、5年、10年
後に新しいものを作っていく、そういう可能性を持っているという思いで聞かせていただ
きました。
自分自身に照らし合わせると、自分は40代半ばですが、皆様の世代になった時にこれ
だけの活躍をする馬力が果たしてあるのか?そういうところが一番気になっておりまして、
元気がないんですね。ここで定年退職を迎えるような先生方の方が余程元気があります。
彼らが次世代のためにたくさんの仕事を作って戻してくれるものですから、なかなか元気
が持てない状況にあります。その中で、岡田さんの資料の最初にあったシニア世代の一般
的 な 特 徴 と し て 、動 乱 期 を 経 験 し た こ と で 心 身 共 に 強 い 人 間 で あ る と い う こ と で し て 、我 々
は動乱期を経験していないので心身があまり鍛えられてないと反省いたしました。ただ、
自分よりももう少し若い世代の状況を考えると鍛えられていないということではなく、よ
り厳しい状況にあるかと思います。
私は毎月「月刊社会教育」を読む会を仙台と山形で開催しています。仙台では公民館の
ことを「市民センター」と呼びますが、地区の市民センターの職員がやってきます。2日
前に仙台で開催した時に、新人の職員で20代の男性が来ました。仙台市の場合は滅多に
そういう人は来ません。理由として、仙台市は60館あるうちの54~55の地区館は財
団法人に指定管理に出されていて直営ではありません。そこの給料は12万円強なので2
0代の男性が働いても所帯を持ってやっていけない状況にあります。
彼は北東北の某住宅メーカーで働いていたそうですが、数年で辞めて今の仕事に就いた
とのことでした。最近、若年の早期退職者が多いということが話題になることが多いもの
ですから、私は彼に、なぜ辞めたのかを聞きました。元の職場より給料がはるかに安いか
らこれから大変でしょうといったら、まだこちらの方がマシだというんですね。公民館の
方がいいというのです。
「 ど ん な ひ ど い 職 場 で も 、そ こ に 残 っ て 頑 張 っ て い る 人 も い る で し
ょ う 」と 聞 く と 、
「 そ う い う 先 輩 の 姿 を み て 、こ の 仕 事 は 見 切 り を つ け た 方 が よ い と 思 っ た 」
という話だったのですね。30代40代の先輩の、職場でつくられた価値観、そうしたも
のに触れ、将来の自分はそうなりたくないと思ったので辞めた。そういう話なのです。
つ ま り 、今 日 の 企 業 は と て も 厳 し い 環 境 に あ り ま し て 、使 い 捨 て 的 な と こ ろ が あ り ま す 。
おそらく、かつての日本社会においては、大人の学びの総体で最も大きなボリュームを占
めていたのは企業内教育だったと思われます。日本では職業教育は、学校教育でそれ程や
らず、企業が雇った後に育てていくという形態が長らくとられていて、シニア世代はそれ
を経験してきた世代です。しかしこれからの時代は、そうではなくなっています。従業員
のうちかなりの部分については、使えなくなったら捨てる、そういう態度に切り替わって
います。そうした雇用環境の人たちは、職場や先輩に「育てられた」と思えるような経験
を持っていません。上の世代を見ながら、そうはなりたくないと思い、辞めていく。そう
いう世代が、はたして、年をとった時に次世代のために動こうとおもうかというと、なか
なか厳しいと思います。
ともかく、今のシニアはパワフルですね。そしてそうした資源を使わない手はない、い
かに活用するのか、ということが話題になりがちなのですが、果たしてそういう見方だけ
でシニアを見ていいのか?というのが、私の話の主旨になります。それだけ恵まれている
人たちが力を持っているからと、どんどん活用していけば良いのか、という見方とは違う
角度から情報提供をして、役割を果たしたいと思います。
私は震災前から、仙台市の公民館などで、シニア対象の講座を4年間やってきました。
その内容は自分史講座です。かつては自分史という学習方法は、さまざまな地域でさかん
に取り組まれてた方法で、それぞれの人生をお互いに披露しあいながら、ブラッシュアッ
プをして、1つの冊子にまとめていく、というものです。仙台の公民館でもかつては取り
組まれていたそうですが、現在はゼロとなっていました。そういう中で4年前から細々と
続けています。
きっかけは、私が東北大学に赴任したのが9年前で、赴任したばかりのころ、とある学
習会に出席するようにいわれました。それは、これから30年~40年先の東北大学をど
ういった特徴のある大学にしていくのかを議論するもので、そのとき絞り込まれたテーマ
は、
「 長 寿 学 」と い う も の で し た 。日 本 は 他 の 国 に 先 駆 け て 長 寿 社 会 に な っ て き て い る 、そ
して東北社会は他の地域に先駆けて過疎化・高齢化という問題がかなり厳しい、そうした
実 態 も 踏 ま え 、そ し て 年 を 重 ね る と い う こ と を よ り ポ ジ テ ィ ブ に 受 け と め る こ と が で き る 、
そうした研究を先導することができないか、という議論でした。
それを学部に持ち帰り、学部の先生方と教育学としてどのような取り組みができるかを
議論しました。そのとき話題になったのは、一般に人間の能力は年をとると落ちていくと
見ますが、しかし、人間の能力を細分化していくと決して落ちていく能力だけではなく、
むしろ年を経るごとに高まっていく能力もある、ということです、近年の高齢者向けの学
習プログラムは、加齢による衰退の側面をどう食い止めるかという観点からつくられるも
のが多いけど、発達心理学では衰退ではなく、むしろ加齢によって獲得される能力が注目
されている、ということなんです。そうして加齢とは、獲得していく部分と喪失していく
部分の両方が混じり合ったというものであるということを学んできました。
そ し て 、そ の 獲 得 の 部 分 に つ い て は 、
「 非 標 準 的 な 生 活 経 験 の 持 ち 方 」と い う の が 大 き な
関係をもっているのだそうです。つまり、同時代だから共通して得た知識、経験、という
ことではなく、自分で選び取った経験、そういったオリジナルな経験がどれだけ蓄積され
ているかということと、高齢期の発達、ということに大きな相関があることはデータでも
分かっています。
そう考えたとき、自分史学習という方法は、そうした自ら選び取った経験知を互いの間
で流通させることができる学習方法なのではないか、と思えたのです。多くの場合、教育
とか研修会というと、誰の話を聞かされるか分らない、なにをさせられるかわからないと
いうところに入り込む、という側面がありますよね。それに対して、自分史講座は、誰か
に何かをさせられるのではなく、集まったお互いが講師になるというやり方です。講師は
いなくて集まったそれぞれがお互いの師になっていく。しかし、そういう方法が社会教育
から消えてしまっている。社会教育の側でできないのであれば、大学が人も金も出してみ
ますから、しばらくやってみませんか、という形で始めたのが自分史学習ということだっ
たんです。
この事業をやる上で触発された記録があります。それは旧浦和市で長らく社会教育職員
をなさっておられた片野親義さんという方がいて、この方がとてもいい本をたくさん出し
ておられます。ご自身の公民館時代の実践をまとめられていて、その中に「死とともに持
っていきたい学び」というエッセイがあります。高齢者学級は、多くの公民館で取り組ま
れているが、その多くが、あてがわれたメニューをこなしてもらう、そうしたやり方であ
る中で、片野さんは、学習の主体は学び手であるから、学び手が学習の中身をつくってい
く、そうした高齢者学級をつくっておられました。そのなかで自分史学習もとりくまれて
いた、そのときのことが書かれています。
自分史を語り、書き残されたとある方が亡くなった後、その娘さんが訪ねてこられたと
の こ と 。ご 自 身 の 死 期 に も そ の 文 集 を 大 事 に さ れ て い ら っ し ゃ っ た と い う お 話 で す 。
「人間
はいつか必ず死を迎える。死を迎える時にふと脳裏を横切るのは学びとは何なのか、死を
迎える時にふと思い出す学びとは何か、死を迎える時に死と一緒に持っていきたくなる学
びとは何なのか、どうして滝本さんは死と一緒に文集「桜坂」を持っていきたくなったの
か 、 何 が そ う さ せ た ん だ ろ う 。」
こ う い っ た 文 章 に 刺 激 を う け 、始 め た 自 分 史 講 座 で し た が 、実 際 に は 非 常 に 大 変 で し た 。
特に最初の1年目は本当に苦労しました。最初は公募をしなかったのですね。実施した公
民 館 主 事 さ ん と 話 し 合 い 、「 こ の 人 は 面 白 い お 話 を 聞 か せ て く れ そ う だ 」「 こ の 人 は 地 域 で
地 味 だ け ど 大 事 な 役 割 を 果 た し て く だ さ っ て い る 」と い う 方 ば か り を 選 ん で も ら い ま し た 。
この人がどのような人生を辿ってきたのか、なぜそういう人格に至ったのかを聞かせても
らい、それを冊子にすれば、すごく良い冊子になるに違いないという思いで、集まってい
た だ き 、説 明 を し た と こ ろ 、3 分 の 1 く ら い の 方 に す ご い 批 判 を さ れ て し ま い ま し た 。
「何
で あ な た 方 に 私 の 人 生 を 語 ら な け れ ば な ら な い の か 。」「 墓 場 に 持 っ て い き た い こ と の ほ う
が沢山あるんだ」
「 誰 に 読 ま れ る か 分 ら な い も の を 、と て も じ ゃ な い け ど 話 せ な い 」そ う 言
われたんです。
これは困ったと思いました。事業は走り出しているのでやっていかなければならない。
毎週集まりますが、東北のシニアの方はとても真面目ですから一端頼まれたものですから
毎回来られます。でも語りたくない、こんな取り組みはできない、といったまま、季節は
過ぎていきます。
もうひとつ失敗がありまして、この取り組みには、中国からの留学生を何人か同席させ
てしまいました。彼らはとても真面目で、余計な事をしてはいけないとじっと黙っておと
なしくしていたんですね。しかしそれがシニアの方からすると観察されているみたいで嫌
だったんです。これは何かの調査なのか、私たちは何かの実験材料なのかと、居心地が悪
いという話になったんです。しかし、その後氷を溶かしてくれたのは彼らでした。ただ、
彼等曰く、
「 ど う し て あ な た 方 は 、自 分 の 話 は つ ま ら な い 、役 に 立 た な い 、だ な ん て い う ん
ですか」
「 中 国 で は 、お 年 寄 り が 1 人 亡 く な る と い う こ と は 、地 域 か ら 図 書 館 が な く な る の
に 等 し い 、と い う 諺 が あ り ま す 。」こ の 留 学 生 の 年 代 は 、中 国 で 一 人 っ 子 政 策 の 第 1 世 代 に
あ た り ま す 。父 母 は 働 い て い て お 爺 さ ん 、お 婆 さ ん に 育 て ら れ て い る ケ ー ス が 多 い ん で す 。
そ う い っ た こ と も あ る の で し ょ う 。中 国 の 青 年 が 、非 常 に ピ ュ ア に 年 配 者 を 尊 敬 し て い る 、
ということは、僕にとっても大きな発見でした。つまり、同時代にありながら、社会や文
化が違えば、高齢世代と若年世代の関係は大きく異なるようなのです。中国では高齢世代
が若年世代に尊敬されていますが、日本はどうでしょうか。高齢世代が、自分たちの経験
はどうせ次世代に役に立ちはしない、そう思ってらっしゃる傾向が高い。そういう捻じれ
が大分あるなと気付かされました。
最終的にこのような冊子ができましたが、冊子を作る過程で、一緒に取り組んでいる臨
床心理の先生がこのようなことをいわれました。
「 私 は 年 を 重 ね る と い う こ と は 、い か に 諦
めるかということの連続ではないかと思い始めています」とのことでした。最初はピンと
こ な か っ た ん で す 。年 を 重 ね る こ と と 諦 め る と い う 事 が リ ン ク し な か っ た ん で す 。し か し 、
続きを聞くとなるほどと思いました。自分の思い描く通りに人生を進められている人なん
ていない。とはいってもそう簡単に諦めたり受け止めたりできる訳ではない。とても諦め
ら れ な い と い う 思 い を 沸 々 と し て 心 の 奥 底 で 足 掻 い て い る 、そ れ が 人 間 と い う も の な ん だ 。
そのような中、よりうまく年を重ねることができる人は上手に諦めることができる人なの
かもしれませんね、とそういう会話をしてきました。
先ほどの留学生が話してくれたことを皮切りに、これまで絶対語りたくないといってい
たシニアの方々が、ポツリポツリと自分たちの人生について語り始めたんです。出てきた
のは、生々しい戦前、戦中体験、そうした育ちへのコンプレックス、その時期に形づくら
れた価値観、その価値観で戦後社会を生きられるのかという葛藤、自分より先に亡くなっ
た同時代者への想い、また様々な後悔、と、押し込めていたたくさんの想いを少しずつ吐
露していただいたということなんです。
そ の こ と を ふ り か え り な が ら 、私 は『 月 刊 社 会 教 育 』に こ う い う 文 章 を 書 き ま し た 。
「そ
うした事を聞かせていただきながら、私達が気付かされたのは、人は生きてきた過程で、
抑えきれないほどの悲しみ、許しきれない憎しみ、果たせなかった無念、拭い去ることの
できない後悔など、諦めなければならないけれど、諦めきれない想いを幾重にも積み重ね
ながら生きており、そうした中で過去とは一定の距離を保ちながら自分の今の存在に何と
か 意 味 を 見 出 し な が ら 生 き て い る こ と で あ っ た 。」
私 は 当 初 、集 ま っ て い た だ い た シ ニ ア の 人 た ち を 、地 域 で と て も 貢 献 し て い る 方 な の で 、
公共心、道徳心が高い方なのだと最初は見ていました。しかし、そういった言葉はなじま
な い 。続 き を 読 み ま す 。
「受講生の皆様の地域への貢献をライフワークに組み込んだ今の生
き方は、そうしたそれぞれの辿ってきた道のりを受け入れながらも、場合によっては受け
きれないながらも美しく生きる、正気を保ちながらも生きるための工夫であって道徳心や
公益心、郷土愛といった言葉のみでは説明しきれない深く重たい境涯からの行動である、
ということに気付かされた」んです。
元気で知恵のある方々に地域に対して貢献してほしい、標高が高いところからいえば、
そういう問題設定が成り立つんですが、それぞれの生き様に接する中で、何故その人たち
が そ う い う 生 き 方 を 選 択 さ れ た の か 、地 域 へ
の 貢 献 を 生 活 に 組 み 込 ま れ て い る の か 、と い
う 裏 側 に は 、そ う し た 様 々 な 葛 藤 を 乗 り 越 え
て き た 生 き 様 や 生 き 方 が あ る 、と い う こ と に
気付かされたんです。
そういう取り組みを経ていきながら我々
は 冊 子 を つ く り 、ま た 絶 対 に 書 き た く な い と
言っていた方ですが今ではリピーターにな
っ て く だ さ り 、も っ と も っ と 書 き た い こ と が
出 て き た と 、そ し て 私 は 自 分 の 棺 桶 に こ の 冊
子を入れたい、自分の夫に読ませたい、という言葉も聞かせてくださいました。
こ の 取 り 組 み は 、3 年 間 公 民 館 で 継 続 し ま し た が 、そ れ 以 上 は 続 け ら れ ず 、そ の 翌 年 は 、
東北大学加齢医学研究所が開始したスマートエイジングカレッジという高齢者大学のゼミ
としておこないました。自分の人生を振り返って、これなら後世に伝えたいと思われるも
のを書き残していただくということで、受講生の皆様に集まっていただき、できあがった
冊 子 は 、「 福 寿 草 」 と い う タ イ ト ル が つ き ま し た 。 こ こ に 私 は 、「 語 り 手 か ら 伝 え て 」 と い
う 文 章 を 書 き ま し た 。 こ の 文 章 は 、「 受 け 継 ぐ 、 託 す 」 と い う の が キ ー ワ ー ド で す 。
少し、枠組みの大きな話をしますが、ありとあらゆる生き物は、種を残しますね。植物
も動物でも。そして植物の場合は、種は大したケアをしなくても水や光といった一定の条
件 が 揃 え ば 発 芽 し て 大 き く な っ て い き ま す 。し か し 動 物 、と く に 人 間 は そ う は い き ま せ ん 。
産み落とされるだけではなく、様々な形で育てられないことには、ないしは前の世代が培
ってきた文化や言語、そういったものを受け継いでいかないことには生きていくことがで
きません。そしてありとあらゆる生き物の中で、最も未熟に生まれてくるのが人間です。
その分、たくさんの教育を受けなければならない、そういう意味では、様々な生き物の中
で 人 間 と い う 生 き 物 の 特 徴 は ど こ に あ る と い う と 、教 育 を 受 け る 、学 習 を す る こ と に あ る 、
と い え る の で す 。こ こ で い う 教 育 を 、今 の 僕 流 に 別 の 言 葉 で 言 い 換 え る な ら ば 、
「受け継ぎ、
託す」という言葉になります。
そしてこの、
「 受 け 継 ぎ 、託 す 」と い う 営 み は 、種 の 持 続 の た め に 必 要 条 件 と い う こ と だ
けではなく、人間が尊く生き抜くことができる、そのための究極的な知恵ではないだろう
か、というのが、震災を経由した私の現段階の思いです。
私たちは、東日本大震災後、それによって多くを奪われた方々に、インタビューを重ね
てきています。そしてその厳しい経験を聞かせていただきながら、感じるのは、この方々
は 確 実 に た く ま し く な っ て い る 、と い う こ と な の で す 。千 年 に 一 度 の 震 災 を 経 験 さ れ た 方 々
は、たしかに、たくさんのものを失ったわけですが、そのことと引き替えに、次世代に伝
えるべきこと、託すべきことを、たくさん自分の中にインプットされています。そして、
そうしたものをもってらっしゃる方、もたなければとされてらっしゃる方は、とても力強
い 、そ う い う こ と を 感 じ ま し た 。そ の こ と を 思 い な が ら 続 き の 文 章 は 書 き ま し た 。
「どんな
苦境にあっても、だからこそ人は人に何かを託すことができる。できること、すべきこと
が残されている。そこに生きる希望を見出せることこそが人類が授かった最大のアドバン
テ ー ジ な の で は な い か 。」
残念ながら今の日本社会では、ただ懸命に生きただけでは、託し手にはなれません。か
つてあまり変動しない社会であれば、年配者の経験は次世代に継承されるということが当
たり前になされていたわけですが、人間の成長以上に社会の変化が激しい今、そうした営
み が 減 少 し て い る 。そ う し た な か で 、こ の 自 分 史 学 習 は 、継 承 主 体 と し て 互 い に 鍛 え あ う 、
学習方法だと思いますし、そうした趣旨での学習方法が多彩に開発されないといけないと
思っています。
そういう意味で公民館は、教育機関として、高齢世代には一体どういう発達阻害がある
のか、それをクリアしていくために、いかなる学習方法が有効なのか。そして今は、たま
たまパワフルな世代ですけど、もっと元気がない、阻害の深い世代がやってくるわけです
から、その前に公民館がそうした学習方法をもっと鍛えていかなければならない、そうい
うタイミングに来ているのではないかと思っています。
是非、そうしたことを少し頭に、心に置いていただきながら午後の時間では、これから
の公民館がどのような学習を提供できる場になっていけばよいのかについて、深めていた
だく時間にしていただければと思います。
どうもありがとうございます。
4.グ ル ー プ 討 議 結 果
4.1 議 論 の テ ー マ
①午前中の話題提供をどのように聞いた
“あなた”なのか
② い ま 、公 民 館 を 取 り 巻 く 状 況 に は 、ど の
ような変化が現われているのか
③ そ の な か で 、公 民 館 に は ど の よ う な 内 容
が求められているのか
4.2 各 グ ル ー プ 討 議 結 果 発 表
A班:①3つの事例について気づいたこと、感想を述べてもらいました。
・公民館利用者の活動の幅を広げて地域に向けるシステムに感じました。
・シニア力を発揮する方法は色々あります。勇気を持って発信しましょう。
・活発な活動事例を提示していただき参考になりました。
・やりがい講座を受けてみたい。
②公民館の関わりについて学んだことということを視点に話し合った。
・公民館講座の低下を憂いている。地域と公民館職員との連携が望まれます。
・遊空間について、居場所作りについて、市民の声から公運審に働きかけて公民
館の活動に至ったという事例を公民館の役割として実感した。
・学びネットの発信により、サークル、団体の紹介と同時に会員募集につなげる例
でした。
③石井山先生の言葉にあったどういう公民館を育てたいかの視点で話し合った。
・人と人との出会いを作り出す、また演出するのが公民館の仕事だと思いました。
・発表をいただいたような、防災を通して地域の拠点となるような公民館を目指し
たい。
・子 ど も た ち が 集 ま れ る 取 り 組 み を 積 極 的 に 考 え て い き た い 。
(シニアが集まれる取
り組みも)
・正規職員の不足に対する市民サービスの仕方を考える必要がある。
B班:①午前中の発表を受けて、シニアの新しい力を発揮できる場所とまとめました。
・今のシニアの方たち=団塊の世代が新しい力で能動的に、また主体性を持って力
を発揮できる場所として公民館という存在がある。
②個の力を活かす状況的変化として書かせていただきました。
・今まではグループをサポートするというような形の中で、そうではなくて公民館
に来ることで個が生かされていくようになっているのではないか。
・公民館にまったく興味がない人たち、世代がいる中でもっと積極的にPRをして
発信力を高めていく必要があるのではないか。
・利用目的の多様化という中で、本来は社会教育の場として学びの場でしたが、学
びから交流、交流から学びという新しい関係に。
・主に公民館利用者は7~8割が女性ですが、この方たちはまだまだ参加者であっ
てこの方たちが更に発信力を持っていくといいのではないか。
・多様化するニーズの中、費用対効果が求められている環境である。
③多様なつながりと書かせていただきました。このつながりとは
・多様である。
・新しい時代の中で新たなつながりの必要性があり、その中でコーディネーター的
な役割、つながっていく仕組みづくりが大事である。
・市民のニーズにどれだけ柔軟に対応していけるのか。そこには職員の努力が大き
いのではないか。
・遊空間を通して、学校教育など違う形のこととつながっていくという力が公民館
に求められている。
C班:①座学ではなく実際に人々のためにどのような事ができるかという気持ち、いわゆ
る社会貢献、また公民館発ではなくボトムアップが非常に大事な要素として上げら
れました。というのは公民館の方にこういう取り組みの企画を出したところOKし
てもらえなかったため、では我々が企画をして自分たちで人を募って、自分たちで
学びの企画を組みながらやっていこうとスタートした防災計画であり、ネットに参
加することであり、遊空間であったと。こういうスタンスが公民館と一緒になって
成功に導いていった例ではなかったのか。その場合に重要な力になったのがシニア
世代の力で、大きく貢献したところが素晴らしい。
②高齢化によって公民館の担い手が減少している課題、グループ同士の横のつなが
り、世代間のつながりが非常に弱くなってきている傾向があります。そういう傾向
に対して
・公民館としてどのような対応が可能なのか。
・公運審がそれをやらなくなっている地域もあり、やはり公運審の存在は大きいの
ではないか。
・有料化されることで更に減少する傾向があり、シニアの人は暇だから公民館に行
くという意識であればそれを変えていく必要があります。
・公民館職員の意見として、職員自身が学んで研鑚する必要がある、人事がコロコ
ロかわるのはつらいという話がありました。
・社会教育から生涯学習への移行にともない、あれもこれもと社会の変化に対応す
る課題が出てきて大事なものが見過ごされている課題があります。
・そうした様々な問題に対応するためにこれからの公民館には何が必要なのか。提
案がありましたのが公民館の活動内容をホームページ等も使い、もっと宣伝をア
ピールする力がこれから求められていきます。開かれた公民館として必要ではな
いか。
③公民館は、公・民・館ですから人とのつながり、それから学び合い、育ち合う、
そういった場としての公民館。公民館の原点をもう一度見つめ直してスタートす
ること。それから地域の課題、弱者の課題、多くの世代対応性を取り入れる、そ
のために他機関とのさらなる連携も必要であります。
しかし、これは非常に難しい課題であります。ですからそのような意味で、ボト
ムアップを生かしていく公民館の姿勢、公民館という存在の原点にもう一度立ち
返って進んでいく必要があります。それが認知度を高めるとか、いわゆる記録を
つくっていく。また民営化からの揺り戻しとして現われてもいます。
まとめとして、公民館が重要な機関であるという意味で何が大事かというとシ
ニア世代の力を我々自身、若い世代、更に下の世代も学ぶことが大事。学ぶとい
う行為自体が生きるということである、そういう認識を改めて確認していく必要
があります。
D班:①全体的な印象として、シニアの方は色々な力をお持ちなので活用していただきた
いと思います。しかし、あくまでも主役ではなく名脇役に徹することが大事ではな
いか。では主役は誰かというとやはり若い世代、特に若い公民館職員が名脇役であ
るシニアの方と連携して、活用して良い公民館を創っていくとまとめました。
②利用者が多様化していまして、有料で貸館的な利用者、公民館登録サークルの利
用者、講座やイベントのみに参加する利用者、大体この3つに分けられますが、
・公民館登録サークルではなく、有料で借りる利用者が増えてきていて、その中に
若者が増えてきている状況にあるので、公民館として若者の定着をどのようにす
ればいいのか。
・若者について色々意見があると思いますが、戦後の力のあるシニアに比べれば突
破力はあまりないかもしれませんが、実力はあるんだと、まだまだ捨てたもので
はない。
・そういう状況の中で若いお母さんの参加も増えてきていて、そういう子どもを連
れてくるような講座も実施する必要があるのではないか。
③市民の企画力を巻き込みながら公民館職員の企画力を上げ、公民館を知る機会と
して遊空間のような集まれる場を作れていけたらいいと思います。そういう集まる
機会の中で公民館を知っていただき、そこに集まった人たちが公民館の事業等に気
が付いて、また来てくれるようになる、そういう場があるといいなと思いました。
公民館の必要性として、学習の拠点として、公共性のある仕組みを作れる職員が
今後求められていくのではないか。
E班:①今日の3本のレポートについて、力強い実践で、感銘を受けました。
・3本とも市民側のレポートでしたが職員側のレポートがあると良い。
・職員の役割、市民活動への対応、つなげていくことの重要性を話していただける
と良かった。
・次世代につなげていく交流の場を公民館が中心になって進めていくことが核に成
っていく、そういう役割が重要である。
・防災活動で公民館が連携して避難場所として活用をしていることは素晴らしい。
・影 の 部 分 と し て シ ニ ア の 方 が 戦 中 、戦 後 、高 度 経 済 成 長 の 中 で 働 け 働 け と い う 中 、
貧困、経済、地域の分断化、過疎化の問題をないがしろにしてきた状態もある中、
シニアの力強さだけが強調されていることに違和感を感じた。
②公民館を取り巻く状況として
・公民館での子どもの居場所、学校との連携、色々な学童保育を含めた連携をもっ
と公民館がつなげていく。
・若者の活用もほとんどない状況なので見直していくことが必要。
・行政改革の中で民間委託といった動き
・公民館職員が短期間で異動している影響で地域や生活課題という視点で学習する
のは難しい。ある程度の時間をかけて職員が学んでいくことが必要である。
・親子との連携、子どものイベント活動、NPOとの連携をもっと重視して今後の
公民館活動として対応していくべき。
③公民館に参加させるには、まず楽しくて面白い事業が基本的な姿勢として取り組
む必要があります。今はインターネットが活発になっています。昔の社会教育活動
は集団的でしたが、今は個の活動が中心になってきています。やはりシニア世代は
インターネットの活用も大事ですが、昔のアナログ文化を継承し、若い人たちに伝
えていく必要があると思いました。
F班:①3人の報告に感銘を受けた中で
・シニアが生き生きして活動していて素晴らしい。
・青少年との関係をつくっているのが素晴らしい。
・職員の意見で、学びの質としてどのように取り組んでいくか、ヒントや考える材
料をもらった。
・どこでも取り組めるはずですが、同じことを同じようにやっても多分、上手くい
かない。それぞれの地域での蓄積があるところから出発しなければならない。
②どのような問題があるのかを重点的に話し合った。
・公民館が暇つぶし的なアミューズメント化した広場になっていて、内向きで自分
たちの楽しみだけで終わっている。
・団体同士の横のつながりが希薄でもったいない。
・役員の成り手が少なくなって、キーワードでいうと高齢化して趣味的で内向きに
なっており、色々なものが作れるはずなのに勿体ないことになっている。
・働いている人には公民館は身近ではない、とても遠い存在に感じていた。
・社会教育の施設なのに、そういう風に理解して公民館を使っている人たちが少な
くなっている危惧があり、その背景として公民館を取り巻く予算の大幅な削減、職
員の削減の問題があり、事業も多くは実施できなくなっている。
・効果や効率が優先されて、人が学び成長する理解がどんどん希薄になっている。
③上記の状況を踏まえて、今できることは何だろうと話し合った結果3つ出ました。
一点目は
・退職後に力を発揮したいシニアの方、自ら学ぶ力を持っている方々が地域には多
く点在しており、そのような点をつなぐには一つは公民館の事業が大きな役目を果
たします。そのためには、様々な世代が結びついていけるような事業に取り組むた
めに、職員や市民、ないしは利用者の間で話し合ってみてはどうか。
・地域課題講座をやる職員は丹念に地域に出かけていってみたらどうか。
・地域課題だけでよいのか、防災や子育てもあると思いますが地域課題に限定して
しまうと社会問題的な、例えば平和や孤立の問題、今自分たちが歴史的にはどのよ
うな時代に置かれているのかという認識の問題といった、地域だけではない様々な
皆の共通の問題が置き忘れられてしまう可能性があるのではないか。やはり社会を
どう捉えるかという視点も大事なのではないか。
・貸し会場とありましたが、趣味で自分を自己実現していくのも否定できない。そ
ういう入り口も大事なので、バランスを考えて事業を実施していく必要があるので
はないか。
二点目は
・人材が点在している状況をどのようにつないでいくのかという、公民館にコーデ
ィネーター的な役割が求められているのではないか。グループとグループは勿論、
個人と個人をつなぐことも視点に入れていく必要があるのではないか。
三点目は
・職員の資質が問われている。これにはやはり、市民が職員を育てる部分も大きく
あるので、市民活動に積極的に参加ができる職員というものに期待したい。
・市民の側も個人のことだけを楽しむのではなく、皆と一緒に楽しんだり、人生を
生きていくにはどうすればよいのかという能動的な学びをするために知恵を出し合
っていくことが大事なのではないか。
G班:①午前中の感想を交換しあった。
・地域のパイプ役を公民館が果たしている。
・人とのつながりを濃くしていく役割がある。
・防災上の色々な力の向上を自分たちで行っていてすごいと思った。
・幅広い情報提供と演出を公民館がやっている。
・公民館は生涯学習の場として欠かせない場であり、シニアの方々が時間を有効的
に活用するための場として大事だと感じた。
②二点目を一歩進めて公民館の魅力を高めていくための手段を話し合った。
・多くの市民が集まる公民館の使い方がタコつぼ的になっている。
・公民館まつりの時に利用者が乗ってこない、協力的ではないという現実。
・働いている世代は活動する時間がない。
・公民館の学習のあり方を知らないで公民館を利用している方がたくさんいるよう
に思えるので、そういうあり方を再確認することが必要ではないか。
・若い方々の利用の促進。これは難しいですが工夫をしながらしていく。
・魅力ある講座の開催。
・人と人をつなげる場でもあるので、職員の研修や力量のアップが必要。
③課題を解決するためにはどのようにするか。
・情報の発信と収集が重要である。
・利用者と職員の連携、協働も大事でこれをすることで解決できるのではないか。
・職員が利用者の人達をつなげていく扇の要になる。
・職員の力量や人柄が大事になるのではないか。
・利用者同士の交流を意識して深めていく。
・テーマからシニアの経験を十分に活かすような講座の開催。情報の収集といった
それぞれの得意分野があるのかを日頃から利用者や職員がキャッチしながらそれを
生かしていくことが大事。
・時 代 が 変 わ っ て も 公 民 館 の 原 点 を お さ ら い し な が ら 、そ こ を 踏 み 外 さ な い よ う に 、
やったことを地域に還していくことも忘れないようにしたい。
5.全 体 を 通 し て の 意 見 交 換
石 井 山 先 生 の 発 案 に よ り 、全 体 を 通 し て
の意見交換を行うことになった。
Q:社 会 教 育 法 、行 政 法 の 改 正 あ る い は 改
悪 、こ れ が 非 常 に 心 配 で あ る と の 声 が 出
たので詳しい方にご解説をお願いした
い。
A ( I 氏 ): 解 説 と い う 事 で は な く 、 教 育
委員会の制度が大きく変わるであろうといわれています。確か12月18日頃に文科省
の 制 度 検 討 委 員 会 で 一 応 の 結 論 が 出 て い ま す 。今 年 の 5 月 か 6 月 に は 多 分 、
「地方教育行
政の組織及び運営に関する法律」が改正される見通しです。その中で教育委員会のあり
方が大きく変わる可能性があります。そうなると教育委員会の位置づけである公民館も
少し位置づけが変わってしまい、もしかして社会教育法も大きく変わってしまう心配が
あります。これについては第3回の公運審の研修会で首都大学の新井先生がご説明して
いただけるとの事なので、是非参加をしていただきたい。どう変わるのか、何が心配な
のか、どういう事が懸念されるのかを皆で話しをしていけると思っています。
意 見:こ の 頃 離 婚 す る 家 庭 が 増 え て い ま す 。3 人 に 1 組 と
い っ た よ う に 。そ の 中 で 公 民 館 で は 二 親 揃 っ た 家 庭 が 標
準 な の か と 思 う こ と が 多 々 あ り ま す 。親 と 子 の 事 業 と い
っ た 、比 較 的 幸 せ に 恵 ま れ た 家 庭 が 更 に い い 経 験 が で き
て と て も い い 事 だ と 思 い ま す 。し か し 、一 方 で 今 の よ う
な社会情勢からこぼれ落ちてしまっている方もいっぱ
いいると思われるのが心配です。
Q:I先生に質問ですが、社会教育法の部分で教育委員会の移譲について心配があるとこ
ろで、福生市では事業評価を先駆けてやられていると思いますが、西東京市でも取り組
み始めました。教育委員会の移譲や社会教育法が変わっていくのではないかという中で
事業評価の果たす役割をどのように考えられますか。
A:事業評価の件については西東京市のOさんと一緒に日本公民館学会で論文を書いてい
ますので、そちらを見ていただければと思います。今日の話の中にあった公民館の公共
性や重要性については、公民館が行政サイドからどう見られているのかが重要でありま
す。その重要な事の一つがどこの自治体も財政的に追いつかなくなってきているので、
公民館を含めて新たな建物は建てにくくなっています。古い建物は改修しにくくなって
います。廃止という選択肢が予想されていて実際、東京以外のあちこちの自治体で相当
数廃止されています。そういう事も含めて公民館の事業評価が何故重要か。公民館の事
業が果たして本当に住民にとって重要だったのかを評価を誰もしないままきている、そ
ういう風に行政側から捉えられているのです。ですから町田さんの発表にあった通り、
子どもたちが公民館にたくさんきて、地域の住民がそれを支えているという学習が見ら
れ て い る と い う こ と 。こ れ を 定 量 的 評 価 と い う と 難 し く な り ま す が 、人 数 だ け で は な く 、
どういう取り組みがあって、どういう人が関わっていて、それが地域課題を住民が自ら
解決しているという定性的評価ができるものが出てくれば、公民館に引き続き予算はつ
きます。
今、あまりにも評価という取り組みをしないままどの自治体もきてしまったために、
行政側、いわゆる財政側からすると公民館への支出を躊躇っているところが大きいので
はないか。私も長い間、行政職員をやっていましたので、財政当局と直接予算交渉を何
回もしてきましたが、ほとんどの場合が財政側は公民館事業の評価については分ってい
ません。ですから職員が評価軸を持って、評価票を持って、評価の視点を明確にした上
で成果や評価に至るまでの経緯をちゃんと説明して、この事業にこれだけ予算がかかっ
ているという、新たなものが生まれていることを説明すれば必ず財政的にもついてくる
と思います。
財政側というか市のトップが一番怖いのは、町田さんのような取り組みを市民自らが
されている方なんです。こういう取り組みをけなしたり、無くそうとすると市民からモ
ロに反発が来ます。こういう取り組みを公民館で実際に行われていることが十分に評価
になります。少し評価という取り組みを真剣に始めて、実際にやってみてどんどんリニ
ューアルし、バージョンアップしていくことで公
民館の取り組みは随分と理解を広げられると思い
ます。
今、一番の課題は財政当局です。ここにどうい
う理解をしてもらえるかが分かれば必ず進めてい
けると思います。それから法律が変わっても公民
館や自ら学ぶ場を憲法が保障している限り必ず学
習の場は確保できると感じます。
感想:今、何が公民館で変わったのかというと、公民館は元々社会教育の場で、今までは
役所が色々メニューを考えて、それを市民の人に教育する。進駐軍があるので民間人を
教 育 す る と い う こ と で 始 ま っ た と い う 風 に 昔 聞 い た こ と が あ り ま す 。上 か ら の 教 育 で す 。
では今、公民館で何が変わっているかというと、日本の戦後社会の中で市民自ら市の
地 域 の 中 で 何 か を し て い こ う と い う の が 比 較 的 、運 動 と し て 起 き て き た 時 期 で は な い か 。
シニアといっても幅が広く、すごく意識が高い方もいればほとんど引き籠っていたり、
アミューズセンターに入り浸っている方もいます。そのような中で企業の中で、人間と
いうのは引き継いだ価値観は変わる事はなく、グループの中でいかに自分の意見を通し
ていく、成果をどう見ていくかということで鍛えられてきた人種であると思います。そ
ういう人達が今、初めて企業から解放されて地域に戻ってきました。その中で意識のあ
る人は、悪い言葉でいうと社会的な地位を求めていて、そういう熱意が地域の中で生か
されるという生きがいと成果を感じ取って根付いてきているのではないか。そのいい例
が午前中に事例として発表された形で結びついてきていると感じました。
おそらく公民館が時代とともに少しずつ変わってきて、実際に市民が活動して地域を変
え て い く 、欧 米 で は 当 た り 前 の こ と が 日 本 の 社 会 で も や っ と 芽 生 え て き た と 捉 え て お り 、
そして公民館が変わってきました。
公民館に市民がやってきて教育を受ける、現在社会教育といわれているものは、成果
等を考えると社会教育法の中では必要ないものです。学歴で見ると大学に進む方が5
0%を超えている時代。私達が卒業した20数年前は15%くらいしかいなかった。そ
うやって学歴が上がってきた中で、今さら社会教育をやる必要ないであろう。何の成果
があるのか、縮小していく方向しかないであろう。そういう中で今までと違った形でボ
トムアップという言葉もありましたが、市民の中でそういうことをやっていけるような
芽が出てきた。それを育てていかない限り公民館の存在価値はありません。その事が公
民館としてこれから何をすべきなのか一番の事案ではないかと思います。
感想:府中市ではファシリテーター講座をやっていまして、私は「人と人をつなぐ役割」
という講座を受講していた。やはり、市民と行政をつなぐ役割、それと個と個をつなぐ
役割というような勉強を初級、中級、上級という風に明治大学の連携講座でやっていま
す。そういう人たちをフルに活用するような時代が公民館に来ないかという思いで、今
日は聞いていましたけれども、やはり地域の住民なくしては公民館は存在しえないとい
うことで住民の活用ということをどこの市町村でも考えていった方がよいと思いました。
事例発表者町田氏(班討議を振り返って)
先ほどの事例発表の中で、シニアは脇役だということで皆様はビックリされたのでは
ないかと思いますが、班討議の中では脇役だけども主役である若い人たちに発信する、
声 を 出 す 存 在 だ と い う こ と で す 。で す か ら シ ニ ア が 脇 役 だ か ら 評 価 さ れ な い の で は な く 、
シニアから声を出していけば若い人たちもついてくるのではないか。
今日、これだけの人たちがこれだけの時間をかけて熱心に討議されたことですので、
絶対に今後の公民館活動に活かされることと思います。今日1日が無駄にならないよう
に思います。
6.助 言 者 石 井 山 先 生 に よ る ま と め
感想として思ったこと、少し情報提供をいくつか話させていただきたいと思います。
まず1つ目として、I先生を始め、議論になりました「評価」についてです。今日報告
のあった3つの事例は、どれも素晴らしい事例であることは間違いないのですが、行政に
とってもありがたい事例である、というところでも共通しているのではないか。本来は行
政がとりくむべきともとらえがちな領域に、住民の方が様々な動きしかけてくださってい
る、とてもありがたい事例であると。そういう意味で行政からの評価が得やすい事例であ
ると思うのですが、ただ、そういうところだけで社会教育事業が評価されていいのか。
少しずれるかもしれませんが被災地の話をさせていただきます。私は東北に住んでいる
関係で、よく全国の方から、震災にむきあって頑張っている、ひとづくり、まちづくりの
取り組みをしている、そういう公民館があったら紹介してほしいといわれます。それに最
初は推薦もしていましたが、最近は止めました。そういう気がなくなってしまいましたの
です。なぜなら、津波で被災した地域では、街の未来にむけて切実な学習と検討があり、
そこから行政への提案がありながら、そうした提案の行政の受けとめが弱いという問題が
ありながら、行政は、津波の影響をあまりうけていない地域では「まちづくり」のための
ひとづくりにとりくむ、そのコントラストに心が冷めてきた、ということなんです。
つまり、視野を事業だけに狭めてみれば「素敵な事業」であっても、今この地域が全体
として一体どういう状況であるかをふまえると、何と呑気なという様に見えてしまうとい
うのが私の立ち位置からの景色なのです。
た だ 、行 政 は 、敢 え て そ う い う 形 で 自 分 た ち の 守 備 範 囲 を 狭 く と ら え る 傾 向 が あ り ま す 。
それは何のためかというと、
「 評 価 」の た め で す 。上 流 で 設 定 さ れ た 目 標 、そ れ に で き る だ
けそれに近いような画を実現することで評価を得る。評価に馴染みやすいような住民参加
をつくっていく。そうやって、住民の方々に頑張っていただいたことを行政や事業の手柄
にしていく。
ですからわたしは、住民参加と評価に関しては、そうしたスコープの限定性を見抜いて
いかなければならないんじゃないかと思います。では一体どこを評価するのか。それに関
して岡山市の話をさせてください。
2010年に岡山の公民館に激震がはしりました。岡山市の公民館は、かつて職員の待
遇は非常勤のみだったところから、公民館の質を職員と住民が協働で検証するという動き
を経て、職員を常勤化するという動きをつくってきた。それだけ公民館に力があったとい
うことです。そこに2010年に首長さんが目を付けまして、ご自身の選挙公約である、
安全安心ネットワークを地域に構築するために、公民館を教育委員会から剥がして一般行
政に持っていこうという思惑が動きました。それに対し、岡山では、様々な学習運動が繰
り広げられ、そして2つの署名運動が起こりました。1つは、その政策はあまりにも拙速
だから一旦白紙に戻して皆で考え直しましょうという趣旨の運動。ここには職員が大分絡
んでいました。私もこの年はこの運動に関わって一緒に勉強しました。
もう1つは、市長部局移管には絶対反対であるという、より急進的な立場からの署名運
動で、これは市民主導で起こりました。私は当時、この運動をおこした市民の人たちとは
会っておらず、しかし気になっていたものですから、2012年になってようやく、一体
どのような人たちがこの運動の担い手だったのかと思い、伺いに行きました。普通、市民
からすれば、教育委員会管轄から市長部局へ移管といっても、それで何が変わるかよく分
らないじゃないですか。それでありながらそのような判断にいたり、運動をおこす理由が
知りたくて話を聞きにいったのです。
代表をされたのは、青樹恭さんという女性で、その話があまりにも大事だと思いました
の で 、1 年 く ら い 前 の『 月 刊 社 会 教 育 』に 書 い て い た だ い て い ま す 。
「我が家のネコたちに
は関係のない話」というタイトルで市長部局移管の問題について書かれているので、関心
を持っていただいた方は、是非読んでいただきたいと思います。
要点だけ話しますと、青木さんはそもそも岡山出身ではないんですね。福岡で生活され
て い た の が 、旦 那 さ ん の DV に 耐 え き れ ず に 、身 寄 り の な い 関 西 に に げ よ う と し て い た と こ
ろ、阪神淡路大震災が起こって関西に行けなくなり、途中下車のような形で岡山での生活
をはじめられたそうです。その時たまたま民放FM局が立ち上がり、番組制作スタッフの
市民募集があり応募された。そこで彼女がしたかったのは、実は彼女は同性愛者でした。
バイセクシャルであるとの自覚はあったけど、結婚生活の破綻の中で、自分はレズビアン
であるとの自覚を持たれたそうです。そうした生まれ持ったものを抱えながら生きている
のはとてもしんどかったけど、そんな存在が不自然ではない、そういう番組づくりができ
ないかと提案したそうです。局でもだいぶ議論になったそうですが、理解され、それから
しばらく番組作りに携われたとのことです。
番組作りに携わってそんなに日が経っていない頃、急に岡山市の公民館職員から電話を
もらったそうです。貴女に是非講師をしてもらいたいと。彼女はとても驚いたそうです。
ラジオ番組でもあつかいにくい問題を学習の対象にする公共施設がある、ということに驚
いたそうです。その職員は、人権学習の講座でこうしをして欲しいとの話でした。どうい
う問題意識でこの講座を作ろうとしているのか、全体がどういう計画なのか、自分に何を
求めているのかを聞いているうちに、これは生半可な想いではできない、この人の想いに
応えるためには相当、自分も勉強をしていかなければならない。そして、公民館の講師を
させていただき、それを重ねていく中で、本当に自分こそが学ばせていただきました。と
いう話だったんです。
彼女曰く、もし公民館が首長部局にいってしまったら、職員の立場で、地域にどういう
存在がいるのか、どういう課題があるのかをつかみ、地域に必要な学習を、地域の人と一
緒に考え作っていく、そういう住民の至近距離での職員的・専門的な判断というものが岡
山から無くなる、それは岡山にとって絶対に損失であるというお話でした。
私はその話を聞きまして、まず、ピンチの時にこそ本質が見えるなと思いました。従来
のあり方を変更させようとする力が働き始めたところに、そうはさせない人たちがきちん
と育っていた、これこそ市民の評価なのではないかと思うわけです。そしてもう一つ、い
わゆる「成果」以上に、計画の段階こそが評価において一番大事だと思うわけです。
先 ほ ど も 話 し ま し た が 、こ の 地 域 や 、こ の 社 会 は ど の よ う な 事 態 に あ る の か 、そ の な か で 、
地域の人材や人脈を組み合わせていかなる学習をしかけることができるのか、そうした現
状認識力とか、事業想像力とかを、公民館職員ないしは公民館職場がいかに磨き、鍛えて
きているのか。そのことをきちんと公運審など資金距離にいる住民が感じる、ということ
が私はとても大事なことだと思います。
このように語ると、やけに高尚なことを求めているように聞こえるかもしれませんが、
そうではありません。例えば私は先月、貝塚市公民館の高齢者教室のお話を伺う機会があ
りました。貝塚には水間鉄道という地域のローカル鉄道があり、年配の方々には大事な足
なのですが、本当に経営が厳しく、経営者が地域のためになんとか廃線を食い止めている
という実態なのだそうです。
その水間鉄道でホーム下を覗くと、線路の枕木にさまざまに名前が書いてありました。
枕木オーナー制度というのをやっているんですね。地域の人に支えてもらうという形でお
金を投資してもらうやり方なのですが、彼女が担当されている高齢者大学、つるかめ大学
の名前がついている枕木もその中に2本ありました。どういうことかというと、たまたま
縁があってそこの社長さんの講演を聞いたと、そして「地域の支援はみんなで支えていか
ないと。今あるものを当たり前にするのではなく、きちんとそれを使い、愛し続けないと
消えてしまう」という話を聞いて、この話は是非つるかめの皆さんにも聞かせたいと思っ
て そ の 社 長 さ ん に 電 話 を し た 。す る と 社 長 さ
ん は そ の 思 い を う け て 、ノ ー ギ ャ ラ で や っ て
き て く れ 、そ の 社 長 さ ん の 話 を 聞 い た 高 齢 者
の 方 々 が 、皆 で お 金 を 出 し 合 っ て 枕 木 オ ー ナ
ーになったという事なんです。
私 は そ の 話 を 聞 い て 、こ の 職 員 は「 学 ん で
い る 」 と 思 い ま し た 。 そ れ も 、「 住 民 の た め
に 」、そ の 講 座 の 皆 さ ん の た め に 学 ん で い る 、
と 思 い ま し た 。こ の 人 た ち に 一 体 何 を 学 ん で
もらえばよいのかを常に考え、そのために
日々学んでいる。そういう職員の日々の研鑽の姿勢を、公運審の方々がきちんと理解され
ておられれば、公民館はそう簡単に壊れないのではないでしょうか。
事業評価となると、そこに全く携わってない人にも判るようにする、ということになり
ますが、まずは至近距離の人たちこそが本質を捉まえる、そういう評価を核にすえること
が大事ではないかと思います。
そういう現状認識と何を解決していくのかということを本気で考えている目線からは厳
しい状況であったとしてもけっこう大胆な教育計画が出来上がるものなんだということを
東北の話としてさせていただきます。
「シニア」という本日のテーマに引き寄せてもう一つ。私は最も注目しているケースの
1つに山形県に置賜地区という南側の地区がありましてそこに川西町という小さな町があ
ります。井上ひさしさんのふるさとですが、何の変哲もない田舎町で過疎化が進んでいる
自治体です。そこに吉島地区という小さな地区がありまして川西町を8つに分けた1つの
地区です。そこの人たちがしばらく前に全戸加入のNPOを作りました。きっかけは公民
館が指定管理に出されたんですね。公設公営の公民館でしたが行政が抜けると、その地域
の方々に担っていただく、つまり行革です。そういう状況の中でせっかくこういう状況で
あるなら我々で担えるような新しい仕組みを作っていこうという形でそのNPOが立ち上
がりました。
公民館以外の場所を使って実に面白い企画をたくさん作っています。例えばその地域に
ある吉島小学校ですが、人口が減っている状況の中で2年前に中学校が廃校になり、1年
前には保育園も無くなり小学校だけが1館残っている。半分くらいは空き教室になってい
ます。そこに吉島の皆さんは「燦々塾」という高齢者学校を作りました。高齢者の方々が
そこを出入りするという動きをされました。そのことによって何が生まれたかというと、
制度設計の段階から敢えて休み時間をずらしたんです。そのことによって子どもが学んで
いる姿を大人が見る。おじいさん、おばあさんが見る。おじいさん、おばあさんが学んで
いるのを子どもが見る。そういう状況をつくりました。学校の中の掲示物を見ても通常は
学校の中の掲示物というものは子どもだけが見ますが、大人も見る訳です。それで子ども
の活躍が大人にも分かる、そういう仕組みです。
その中学の校長先生に話を聞いたところ、
「 私 は 地 域 が 見 え て い る と 思 っ て い た 。だ け ど
そうではなかった」といわれるんですね。つまり、この地域には、子どもを持っていない
世帯がたくさんあり、これまでそういう方々が見えていなかったということなんです。そ
ういう方々が公民館に入られた。そのことで何が生まれたかというと、たとえばある子ど
も が 、学 校 で 出 会 っ た ご 年 配 に 触 発 さ れ 、
「 将 来 百 姓 に な る 」と い っ た そ う で す 。ご 高 齢 の
方々も、地域の子どもの存在を目の当たりにして、元気づいていると聞きます。この学校
に赴任された先生方の話を聞くと、大人たちの目線にみまもられているこの学校の子ども
たちのモラルが他校と違うといいます。
そのこと以上に、この吉島で私が注目しているのは、20代30代の若者が活躍してい
るところです。彼らに地域で役割を与え、それをしっかりと支えていく、そうして、自分
を認めてもらえる人間関係を貯えた彼らは、将来は自分が地域で大きな役割を支えていか
なければならないとの自覚を持ち、そこにむけて自らを鍛えようと頑張っている。今、こ
の日本の社会の中で考えていかなければならないのは10年後20年後にそういう方々に
なっている、つまり今日はシニアの力を育てていくという話をしましたが、20年後30
年後のシニアが育つというような大きな意味での教育計画を作っていかないといけないこ
となんじゃないか。先ほどの市長部局移管の話でしますと、やはり首長さんというのは自
分の任期の中でどう手柄を大きくするかになりますが、教育というのはそういうスケール
を越えて取り組まれなければならない。30年40年かけて次の世代が育っていく、そう
いう世代継承を考えていける装置を地域教育機関は目指さないといけないのではないかと
思います。そういう大きな教育計画を実働させることに関しては、もしかしたらも音大の
大きい農村部の方が先導しているのかもしれない。でも都市部においても同じような課題
はあると思います。
最後に、私は今とても非常に大げさな話をしましたが、しかしその大きなメカニズムを
動かしていくための術というのは、ささやかなことの積み重ねなのかなと思います。先ほ
どお話した貝塚市で、つるかめのおばあちゃんたちに「何故公民館に来られているんです
か」という質問をしたら、あるおばあちゃんがこう答えました。私は世間話が大好きだ。
近所のおばちゃんたちといつも世間話をしている。ただ、その世間話というのは、たいが
いは人の悪口。地域で話をするということはそういう話になってしまう。しかし公民館に
来 る と た く さ ん の 話 を す る け れ ど も 、人 の 悪 口 は 話 題 に な ら な い 。そ れ で 充 分 に 楽 し い と 。
だからたくさんの人に来てもらいたいと思うんですよねというような話をされた。こうい
う場は勝手にできあがるのではなく、主事1人1人が、皆が居心地がよく、学び、高めあ
う環境とはどうあるべきかの熟慮を積み重ねながら作っている。そういうささやかな実践
の積み重ねの中で、大きなメカニズムが駆動するものなのだと思います。
こ う し た 公 民 館 の 価 値 は 、残 念 な が ら 一 般 行 政 部 局 を 始 め 、公 民 館 を 利 用 し て い な い 方 々
に は な か な か ご 理 解 い た だ け な い の が 今 で す が 、是 非 こ の ピ ン チ に 、横 に つ な が り な が ら 、
この大事な空間、教育機関の大事さを表現する言葉を、東京の皆さんにあらためて生みだ
していただきたい、そしてそれに私たちは学ばせていただきたいと思います。