日本語版 公開研究会「障害・クィア・シティズンシップ」 メインメニューにスキップまたはかつどうほうこくだいにごうのもくじにもどる 日時 2012 年 1 月 19 日(木)15 時 30 分~18 時 00 分 場所 東京大学 本郷キャンパス 教育学部棟 1 階 第一会議室 ●テーマ トランス/ディサビリティー―比較人類学の視点から見る障害、クィア、性同一性障害の現代的 運動― ●スピーカー カレン・ナカムラ(イェール大学准教授) ●コメンテーター 清水晶子(東京大学教養学部准教授) ●司会&話題提供 星加良司(東京大学大学院教育学研究科講師) この報告では、障害とセクシャリティとジェンダーの交差性を扱う。以前は、障害学はクィア・スタデ ィーズ(それは女性学やジェンダー研究の一分野と見なされていた)とはかけ離れたものだと考えられて いた。交差するアイデンティティへの関心が高まってきた現在、障害学は非常に大きな可能性を持って おり、とりわけ障害学がまだ若く伝統的な学問領域に取り込まれていない日本においては有望である。 私の理解では、障害学とは人間の身体的・知的・精神的・神経学的な多様性についての研究である。障 害学では、文化的な構築物という観点から障害カテゴリーと人間の多様性が分析される。これはなにも、 身体的・精神的インペアメントが実際には存在しないということを意味するのではない。そうではなく て、身体についての概念、その可能性と不可能性、正常性と異常性といったものは、物理的・社会的な 制度と同時に社会的な規範や慣習によって媒介されているということだ。障害学は歴史横断的、文化横 断的な分析を行うことによって、障害というカテゴリーが偶有的なものだということを、社会的、法的、 制度的、生物医学的、そして個人的な観点から検討している。障害学は女性学とクィア・スタディーズ の連携分野と同様に、アクティヴィストのコミュニティ、国家の行動者、非政府組織、社会の定常と変 化に関わるその他のメカニズムとの間で、密接でしばしば緊張した関係を保っている。 これらの 3 つのカテゴリー(障害、ジェンダー、セクシャリティ)の交差 について考察することにより、 形成されたアイデンティティの探究(クィア) を開始することが可能となる: セクシャリティ、障害、ジェンダーのそれぞれのカテゴリーを表す円がお互い重なり合う図 * 障害とジェンダー: ○トランスセクシャルの人々とインターセックス者 * 障害とセクシャリティ: ○障害者の性的権利 障害とセクシャリティ:レズビアンおよびゲイの障害者 * 障害、ジェンダー、およびセクシャリティ: ○優生手術と生殖腺除去手術 1.0 障害とジェンダー 障害とジェンダーが交差する地点に、トランスセクシャルな身体とインターセクシャルな身体がある。 日本では“genderidentitydisorder”が「性同一性障害」と訳されたために、トランスセクシャル・トラ ンスジェンダーの人々が「障害」という位置付けを主張することが可能になった。米国では、これは連 邦法上の専占により実現しなかった。また、今日は扱えないが、インターセクシャリティの問題は、イ ンターセクシャルな身体が障害とジェンダーとの交差するアイデンティティの中核にあるということ を理解する上で重要である。 1.1 日本におけるトランスセクシャリティ 私は、日本におけるトランスセクシャリティの翻訳の問題に関心を持っている。精神科カテゴリーのひ とつである「genderidentitydisorder」(ICD-10:F64)は、日本語では「性同一性障害(gender-identitydisability)」と訳される。その結果、日本では多くのトランスセクシャル・トランスジェンダーの人々が 自分は障害者であると主張することが可能になったが、この政治的・社会的レトリックは欧米ではほと んどみられないものである。 言うまでもないが、日本には 17 世紀まで遡る歌舞伎において男性が女性役を演じる(女形)長い伝統があ る。初期の形態の歌舞伎では男性役を演じる女性もいた。また現代においては、1913 年に創設された宝 塚歌劇団の中で男性役を演じる女性を見ることができる。概して、私はこの種の演劇作品には関心を持 っていない。 日本における最初の性転換手術として確認されているのは、1950 年から 1951 年の間に日本医科大学付 属病院で施行された手術である。患者の永井明子は、精巣および陰茎を除去し、豊胸する手術を受けた。 興味深いことにこの出来事は、米軍兵士 ChristineJorgensen が、デンマークで性別適合手術を受けた 後に帰国して有名になる 1 年も前のことだ。 1965 年、婦人科医であるコウノ・タロウ博士が警視庁に逮捕された。彼は患者 3 名に対して精巣除去手 術を施行したことによる 1948 年優生保護法(現:母体保護法)違反の容疑、およびこれとは無関係の麻薬 取締法違反の容疑で起訴された。裁判では 1969 年にすべての容疑について有罪とされ、懲役 2 年、罰 金 40 万円が科された。判決では、患者が十分に安定した精神状態で自分の精巣を除去することを選択 したことを確認しなかったことが、コウノ博士を優生保護法違反とする根拠とされたものの、この事件 により日本では性転換手術が約 40 年間にわたり事実上中断された。 障害としての disorder 1980 年、日本の精神科医は、アメリカ精神医学会『精神疾患の診断・統計マニュアル』第 3 版(DSMIII)が刊行されたことに沸き立った。DSM を日本語に翻訳する動きがあり、DSM の中で一貫して使用 されている「disorder」という用語の適切な日本語訳は何かについて論争が生じた。主な候補は「病」 「症」 「障害」であった。DSM の執筆者の一人である Dr.RobertSpitzer は、日本に滞在して翻訳の手助 けを行って、 「病因を示唆する訳語にすべきではない」と強調し、2 時間に及ぶ白熱した議論の後、「障 害」という用語が採用された(Honda1983:191)。1982 年、DSM の日本語版が『DSM-3 精神障害の分類 と診断の手引』(高橋 1982)として刊行された 2。 当然ながら、 「障害」という用語は「disability」と「disorder」の両方を意味する。日本では「障害」と いう用語を選択した結果、複数の「psychiatric disorde(r 精神障害)」が「psychiatric disability(精神障 害)」になった。以下は、私の医学辞書からランダムに抽出したものである: Developmental aphasia................発達性言語障害 Conversion disorder....................転換性障害 Circulatory disturbance..............循環障害 Behavioral disorder......................行動障害 Autonomic disorder.....................自律神経障害 Affective disorders......................感情障害 Anoxia-reoxygenation injury......再酸素負荷障害 Cognitive impairment...................認知障害 Coordination disturbance...........協調運動障害 Conduction defect........................刺激伝導障害 Compression neuropathy............圧迫性神経障害 難点のひとつは、impairment、injury、disorder、disturbance、pathology、disability という英語を「障 害」と訳した場合、日本語の医学用語としてはこれらが必ずしも区別されないことである。 ずれにせよ、この曖昧さは日本のトランスセクシャルの人々にとって幸運なものであった。というのは、 DSM-III のカテゴリーである「gender-identity-disorder」が性同一性障害になったからである。この用 語が普及するまでには、しばらくの時間を要した。日本語の新聞の中で「性同一性障害」という言葉を 検索して最初にヒットするのは、1996 年 7 月 3 日 3 に、埼玉医科大学の医師が学長に対して、日本初 の性転換手術を行うかどうかを尋ねたという記事である。 性転換手術の再開 1998 年 10 月、埼玉医科大学は、日本国内で 39 年ぶり 4 の性別適合手術(女性から男性への性転換)を実 施した。当病院の倫理委員会は、母体保護法に基づいて起訴されることを回避できると同委員会が考え る、精神医学的評価を含む特別なガイドラインを作成していた。 2003 年 7 月 6 日、日本政府は「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」を成立させた。 これは、性同一性障害者が自身の戸籍上の性別を合法的に変更することを可能にするとともに、日本に おける性別適合手術の基本原則を定めた革新的な法律であった。 公式の英訳ではもうひとつの重大な問題が隠れてしまっている。この法律の日本語の名称は「性同一性 障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」である。「性同一性障害者」という用語は「people with gender identity disorder」と訳されるが、直訳は「people with gender identity disability」である。 日本のトランスセクシャルのコミュニティは、日本における性同一性障害の障害としての側面を利用し ている。世田谷区議会議員であり、トランスセクシャルのアクティヴィストである上川あやは、自身が 男性から女性に性転換したことを通じて、障害の問題に関する自らの意識を主張している。 こ の 日 本 の 事 例 は 、 大カ テ ゴ リ ー と し て の 障害 か ら ト ラ ン ス セ ク シャ リ テ ィ へ の 枠 組 み の拡 大 (Snow&Benford 1988)という点で、きわめて興味深い。米国では、保護されたカテゴリーとしての障害 は、大カテゴリーである、アフリカ系アメリカ人および女性の公民権の枠組みを拡大したものであった。 1.2 米国におけるトランスセクシャリティ 米国では、トランスセクシャルの人々を支援するアクティヴィストの大部分は、トランスセクシャリテ ィが精神疾患として分類されることを拒否しており、精神科医および医療提供者(その多くはゲートキー パーとみなされる)との関係に細心の注意を払っている。政治的には、トランスセクシャリティはレズビ アン、ゲイ、バイセクシュアル、およびクィアの運動と連携し、LGBTQ という呼称を造っている。 米国では、障害を主張するトランスセクシャルの人々に対するきわめて現実 的な制約が存在する。保守 派共和党の Jesse Helms 上院議員は、議員自身が社 会的逸脱者と考える人々が障害のカテゴリーに加 えられることを阻止するため に精力的に活動した(Elwood 1999:270)。1990 年の米国障害者法(ADA) が可決されたとき、次のものは障害のカテゴリーから除外された:同性愛、バ イセクシャル、服装倒錯、 トランスセクシャル、小児性愛、露出症、窃視症、 性同一性障害(身体的障害に起因しないもの)、その 他の性的行動障害、強迫 性賭博、窃盗癖、放火癖、精神活性物質使用障害(現行の薬物違法使用に起因 するもの)。 (Helms 議員にとってきわめて遺憾なことに)AIDS/HIV 感染者 6 は ADA の対象となり、その結果、 AIDS 感染者から ADA に基づく差別を主張する訴訟が起こされた 7。この法律では、働くことができな い HIV 感染者も社会保障障害給付の受給資格があるとしている。しかし、全体としては、AIDS 感染者 を ADA の対象としたものの、それによって障害のカテゴリーが、一般の人々の心の中に同様に受け入 れられるほど拡大するには至っていない、というのが私の見方である。 2.0 障害とセクシャリティ 障害とセクシャリティが交差する領域において、障害者のための補助的な性的サービスの利用可能性に 関する議論が行われてきた。障害者は自慰やその他の手段により性的欲求を解消する権利を有するか。 こうした種類の議論には以下のものが含まれる:オランダにおける SAR などの性的な社会福祉サービス、 米国におけるセックス・セラピスト、日本におけるセックスボランティアおよびバリアフリーのファッ ションヘルス。 このセクションでは、障害とレズビアン・ゲイのアイデンティティとの交差性についても考察する。 [障害者の生殖が認められるべきか否かという問題、および優生学に関する論争は、障害、ジェンダー、 およびセクシャリティの交差性に該当する。] 2.1 日本における障害者のための性的サービス 現代の日本では売春は法的には違法であるが、売春婦やその客が逮捕されることはほとんどない(未成年 者による勧誘および人身売買の場合を除く)。1956 年に日本政府は売春防止法を可決した。この法律の 可決についてはそれほどの熱意はなく、その結果、売春が性交の有無により定義されるという大きな抜 け穴が生じた。したがって、売春とは、本物のペニスが本物のヴァギナに挿入され(すなわち、人工陰茎 および他の開口部は含まれない)、それと同時に金銭取引が行われる行為に限定され、それ以外の行為は 定義上は売春ではない。また、1956 年の売春防止法には、売春そのものについては何の罰則も定めず、 売春施設を設立する罪および売春の勧誘について罰則を定めたに過ぎないという抜け穴があった。平成 22 年(2010 年)版警察白書によると、日本で許可を受けて営業している店舗の数は次のとおりである― ―ソープランド:1,238、ファッションヘルス:836、ストリップ劇場:139、ラブホテル:3,692、性玩具店:303。 さらに、15,889 店のデリバリーヘルスがあり、これは 4 年前のほぼ 2 倍の数である(警察庁 2011:100)。 2005 年 5 月、私は日本の障害をめぐる政治に関する研究を行っていた際に、関西地方にある障害者の ための主要な自立生活センターのひとつで開催された、月例の研究会に参加した。その月は、同年に刊 行された次の 2 冊の本についての議論が行われた:『セックスボランティア』(河合香織著)、 『私は障害者 向けのデリヘル嬢』(大森みゆき著)。 進行役は、この自立生活センターの介助者の一人が務めた。介助者の大部分は、20 代または 30 代前半 の大学生または大学卒業者である。自立して生活している重度身体障害者は、福祉事務所を通じて介助 サービスを依頼することができる。介助者は、車椅子を押す、盲人の利用者を案内するといった単純な 内容から、食事、排泄、入浴の介助といったはるかに個人的な内容に至るさまざまな作業に対して報酬 が支払われる。この自立生活センターでは、障害を有する利用者全員が、同性のスタッフによって介護 を受けていた。 進行役のスズキさん 8 は、開口一番、メディアによる障害者の描写について言及し、メディアではほと んどの場合、障害者が性欲を持たないものとして描かれていると指摘した。スズキさんが感じていたの は、番組のディレクターが障害者を主人公にした「純粋な」ラブストーリーを安易に作っている、とい うことだった。 スズキさんの介助者としての経験では、彼の利用者の多くは性知識や性的な経験を持っていなかった。 彼らは施設で青年期を過ごしたのかもしれず、あるいは生涯にわたり家族と共に生活していたのかもし れない。特に、重度障害者は常に厳重な監視下に置かれ、プライバシーや自由な時間はほとんどなく、 そのため性器探求を行うことは困難であった。性器探求に対する機能上の制約に加えて、こうした環境 面の困難も存在したわけだ。 スズキさんが勤めている自立生活センターでは、必ず介助者と同性の利用者を組み合わせていたので、 スズキさんは男性利用者についてしか語れなかった。スズキさんは、女性の障害者がどのように性的満 足を得ることができるのかについては知らなかったが、「男性は私が介助者として付き添ってファッシ ョンヘルスに行くことができるが、ファッションヘルスの 9 割は障害者を受け入れないというのは確か です」と語っていた。 スズキさんが利用者の一人に、ファッションヘルスに行きたいと思う理由を尋ねたところ、その利用者 は「ソープランドの女性は、施設のスタッフよりずっと丁寧に私の身体を洗ってくれます。彼女たちは 私のペニスの下まで洗ってくれます。ペニスをきれいに洗ってもらうととても気持ちいいです。[スズキ] 君、あなたは介助者として利用者の身体を洗うとき、そこまで十分な注意を払いますか。そこまでする 男性介助者は多くありません」と答えていた。 障害者に対して、介助者を一種の支援機能と考えるようにという助言がしばしば与えられる。そうすれ ば、障害者は介助者に何かをしてもらったときに、介助者に毎回感謝の言葉を述べる必要はなく、介助 者に厄介をかけていると感じる必要もない。介助者は障害者の手足や目となるべく、障害者のそばにい るのである。コップ 1 杯の水に手を伸ばしたとき、自分の手に感謝したりはしないのだから、同じこと を介助者に頼むたびに、なぜ介助者に礼を言わなくてはいけないのか。 しかし、研究会では、利用者をファッションヘルスやソープランドに連れて行くよう介助者(結局のとこ ろ、日本の社会福祉制度により報酬が支払われている)に依頼することの妥当性について議論が行われた。 利用者を入口まで案内するよう介助者に頼むのは構わないか。利用者が階段を上れない場合に、階段を 運び上げてもらうのは?脱衣を手伝ってもらうのは?性的行為そのものの手助けを頼むことは?介助者は どの時点で障害者の独立した手足となることをやめ、自身の道徳観と個人的感情を有する個人に戻るの だろうか。さらに合法性の問題があった。売春は(罰則の規定がないとしても)違法であり、ソープラン ドやファッションヘルスの利用に関する問題全体に暗影を投じている。 しかし、より親密なレベルにおいて、介助者が障害者の手であるとしても、介助者に自慰の手助けを頼 んでもいいだろうか。そして、それが許される場合、障害を有する利用者と介助者の性別のみならず、 両者のセクシャリティについても考慮する必要があるだろうか。 スズキさんは、障害者に性的サービスを提供するオランダの社会福祉団体、SAR の事例も取り上げた。 スズキさんは、SAR の利用者の 90%が男性であり、障害者にはセックスをする権利があるとしながら も、セックスは愛ではないという SAR の主張について説明した。スズキさんは、これは、障害者は愛す ることではなくセックスをする権利を与えられているということを意味するのかどうかについて疑問 を呈した。 日本では障害者に特化したファッションヘルスやデリバリーヘルスがいくつかあり、インターネット上 で自身のサービスを公然と宣伝している。具体例として次のものがある:「ラ・メール」(熊本)、 「ときめ き」(広島)、「デリケア」(岡山)。ウェブサイトから判断する限り、いずれも女性スタッフから男性客へ のサービス提供に限定されている。障害のある女性客に対する男性スタッフによるサービス提供、ゲイ またはレズビアンのサービス提供に関する記載はない。 2005 年、障害におけるセクシャリティについて考察した『セクシャリティの障害学』(倉本智明編)が刊 行された。倉本氏は刺激的な内容の序論の中で、自分自身が「性的弱者」であると言えるのか、自由主 義社会の枠組みの中における障害者の権利とは何かを問うている。他の論文も同様に刺激的かつ洞察に 満ちたものであり、ジェンダーの境界、セックス、および身体的制約にかかわらず自分自身のセクシャ リティを保持する権利について考察されている。 2.2 米国におけるセックス・セラピスト 米国では売春は概ね違法であるが、西部のネバダ州では、厳しく規制された農村部の売春施設における 売春が認められている。いずれにしても、米国のほとんどの大都市には、街娼、コンパニオン派遣サー ビス、そしてマッサージパーラーやサウナを装った売春施設が相当数存在している。米国では売春は違 法であることから、バリアフリーの、または障害者が利用できる売春施設やコンパニオン派遣サービス の広告はほとんどないようである。 その代わり、米国における性的サービス提供者は一般的に、性的な代用または代理パートナーとして専 門化されている。これらの用語は、Masters&Johnson の 1970 年の著作『人間の性不全』の中で初めて 紹介された。Raymond Noonan は 1984 年に執筆した論文の中で以下のように述べて、売春と性的な代 用を区別している。「一般的に認められる両者の違いは、通常、性的交流の意図に基づいている:売春が 性器の快感に限局される即時的な満足を意図しているのに対し、性的な代理人は、性的機能や性的関係 の形成が不十分であることを補う長期にわたる治療的な再教育および再適応を意図している (Brown1981;Jacobs ら 1975;Roberts1981)」 。 2.3 日本におけるレズビアン・ゲイの障害者 日本では、テレビで否定的なステレオタイプとして描かれることを除いて、レズビアン女性やゲイ男性 の存在が公然と示されることはまれである。私は、自身のセクシャリティについて公言している日本の ゲイまたはレズビアンの障害者を知らない。当然ながら、これはそうした障害者が存在しないというこ とを意味するものではなく、狭いサークル内でそうした障害者の存在が知られていないということを意 味するものでもない。例えば、私が日本でろう者の政治学に関する研究を行っていたとき、運動の女性 リーダーの一人がレズビアンであることはサークル内でよく知られていた。私は 1990 年代に多くのろ うのゲイ男性にも出会った(東京ゲイ・レズビアン・聴覚障害者レインボー団体(Tokyo Gay and Lesbian Deaf Rainbow Alliance)を通じて)。私は精神障害者を対象に現在実施している研究において、レズビア ンやバイセクシュアルの女性にも数人出会った。しかしながら、私の知る限りでは、ゲイまたはレズビ アンの障害者が自身の生活史について記した書籍はない。性同一性障害に関する日本語の書籍が多数出 版されていることに鑑みると、このことは特に注目に値する。 2.4 米国におけるレズビアン・ゲイの障害者 日 本 と は 対 照 的 に 、 米国 で は レ ズ ビ ア ン や ゲイ の 障 害 者 に よ る 著 作が 相 当 数 刊 行 さ れ て いる 。 RaymondLuczak の『欲望の目:ろうのゲイとレズビアンの読者』(1993)は、このジャンルにおける画期 的な書籍のひとつである。Connie Panzarino の『鏡の中のわたし』(1994)、KennyFries の『自伝:肉体 の記憶』(1997)がこれに続いた。1999 年、『Journal of Gay,Lesbian,and Bisexual Identity(ゲイ・レズ ビアン・バイセクシュアルのアイデンティティ誌)』は《Queer&Dis/Abled(クィアと障害者)》という特 集号を刊行した。 クィア/クリップ理論の代表的な 2 人の理論家は、2006 年に『クリップ理論:クィアと障害の文化的な徴 候』を執筆した Robert McCruer と、1997 年に『障害の性の政治学:語られることのない欲望』(Cassell Academic 出版社)を共同編集した Tom Shakespeare である。 3.0 障害、ジェンダー、およびセクシャリティ 障害とジェンダーとセクシャリティが交差する中心に、優生学の問題がある。今日はその中の幾つかの 側面について扱おうと思う。第 1 に、障害者の産む権利の積極的な否定についてである。第 2 に、障害 者が生まれることを防止することについてである。第 3 に、障害者の性的な成熟に対する強制的な外科 的介入についてである。 3.1 米国における優生学 2007 年、Susan Burch と Hannah Joyner は『言葉では表現できない:Junius Wilson の物語』を刊行 した。この本は、ノースカロライナ州で生まれたアフリカ系アメリカ人男性のろう者である JuniusWilson の、20 世紀初頭における実際の人生を追っている。彼は 1925 年に強姦の容疑で誤って 告訴され、州立有色人種精神病院の犯罪者病棟での事実上終身刑の判決が下された。彼は犯罪者病棟に 収容された上に、去勢された。Burch と Joyner は、Wilson の生涯および 65 年間の投獄生活について 語っている。彼のストーリーには、米国におけるレイシズム(人種差別主義)とアフリカ系アメリカ人へ の取り扱い、そしてろう者のような障害者への取り扱いの物語が複雑に絡み合っている。 米国というのは、19 世紀後半から 20 世紀を通じて優生思想を深く内面化した国だ。アレクサンダー・ グラハム・ベルは代表的な優生学者であり、1884 年に、論文『人類における聾唖変種の形成について』 を執筆した。 2011 年には、ノースカロライナ州の州立施設に移送された 7,600 人以上の人が、1933 年から 1977 年 までの間に強制的に不妊手術を施行されたことが明らかになった。中でも、低 IQ 者、てんかん患者、 人種的マイノリティ、貧困生活者がこのプログラムの標的となった。報道によると、カリフォルニア州 を含む他の 31 の州も優生学プログラムに参加していた。ノースカロライナ州では、強制的に不妊手術 を施行された人々に対する補償方法について議論していたが、1 人当たり 20,000 ドルとする案が検討さ れている 9。 3.2 日本における優生学 20 世紀初頭には、優生学は世界的にポピュラーだった(米国を含む)。人類学者 JenniferRobertson は、 日本民族の純粋性を主張しようとしていた日本の政治的・社会的リーダーは戦前期に英国や米国の優生 学の文献を熱心に読んでいた、と述べている。特に、Robertson は 1920 年代・1930 年代に日本の 2 人 の代表的な優生学者の間で行われた論争について指摘している。 池田林儀が推進した積極的優生学は、性的再生産の環境を改善しようとするものであり、衛生や栄養、 個人や家族が妊娠・出産について選択するために必要な教育が重視された。20 世紀前半には生物学的(遺 伝的)なものと環境とが関連付けられて理解されていたため、この時期の日本の文献では、 「優生保護的」 という用語が「衛生的」および「科学的」を意味する形容詞としても、それらの婉曲表現としても頻繁 に使用された。永井潜が熱心に提唱した消極的優生学では、不適合と見なされる人々に対する中絶や不 妊手術が進められた。 「不適合」というのは曖昧な言葉だが、その中にはアルコール依存、ハンセン病患 者、精神疾患、犯罪者、身体障害、特殊な性的指向が含まれていた(2002:196)。 敗戦しても、民族の純粋性を守ろうとする情熱は衰えなかった。1948 年、日本政府は、「優生上の見地 から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」ことを目的に掲げた優生 保護法を制定した i。優生保護法は、積極的優生学の要素がきわめて少なく、圧倒的に消極的優生学(「不 適合」な子孫の出生の回避)を指向したものであった。 例えば、優生保護法は優生手術および妊娠中絶 10 が許可される条件を列挙している。この法律により、 優生手術(すなわち、不妊手術)が一般に可能となり、妊娠中絶は患者およびその配偶者(該当する場合)が 許可した場合に限られるとされたが、未成年者、精神障害者、精神遅滞者の場合には同意を撤回するこ とが可能であった。こうした場合、患者の法定後見人(法定後見人がいない場合には県知事)が、患者の 同意を得ることなく、優生手術または妊娠中絶を認めるよう県の優生保護委員会に要請することができ た。 昭和 40 年(1965 年)版厚生白書には以下の記載がある: 優生保護法の目的は、優生科学の観点から、劣っている子孫の出生を回避することである。本人または その配偶者が、遺伝性の精神疾患、遺伝性の身体的異常、遺伝性の精神遅滞のいずれかを有する場合に、 あるいは本人またはその配偶者の 4 親等の近親者の誰かが、遺伝性の精神疾患、遺伝性の身体的異常、 遺伝性の精神遅滞のいずれかを有する場合に、優生手術(不妊手術)の施行が許可される。これらの場合、 公共の利益に関わるものであると県の委員会が判断すれば、費用全額が公費により支払われる。 優生保護法においては、(中でも特に)以下のものが遺伝性の疾患と考えられた:「統合失調症、躁うつ病、 てんかん......、顕著な遺伝性の精神病型(例:......)、顕著な性的精神病理、顕著な犯罪傾向......、顕著な遺 伝性の身体疾患(例:......)、完全な失明、色素性網膜炎、遺伝性のろうまたは聴覚障害、血友病......」 土屋貴志(1997)によると、1949 年から 1994 年までの間に、16,520 件の不妊手術が患者の同意を得ない まま施行された。それらの手術の過半数(68%)は女性に対して実施されたものである。私は、日本のろう 者および難聴者を対象とした自身の研究において、少女期に子宮摘出を施行された数多くの高齢の女性 ろう者に出会った。他の日本の研究者は、身体障害者を対象とした施設入所時の優生不妊手術について 報告している。 4.0 結論 日本と米国のいずれにおいても、新たな障害(学習障害など)、および以前は障害とはみなされなかった 障害(impairment、disorder)、その他の疾患(condition)を障害に含めるかについての、障害のカテゴリ ーの拡大に関する議論が数多く行われている。同時に、障害のカテゴリー自体が拡大するのに伴い、政 府には財政上の大きな圧力がかかり、障害者の数を制限するか、障害者の給付金を抑制するかの選択を 迫られている。これにより、当初の障害のカテゴリーに該当する人々(すなわち身体障害者)と新たな障 害のカテゴリーに該当する人々との間に、ゼロサムゲームとして把握されるような解消不能と思われる 緊張関係が生まれている。 法律では、身体障害、精神障害、発達障害に対する障害者手帳の交付資格者がかなり狭く定義されてい るので、これまでのところ、日本の障害者のアクティヴィストはカテゴリーの拡大を求める外部の圧力 から比較的守られてきた。その結果、少なくとも戦後の大部分の期間において、このカテゴリーは柔軟 性が比較的乏しい固定されたものとなった。 しかしながら、最近 10 年間では一部に変化が生じ、特に「障害」という用語の範囲が拡大され、精神障 害(特に、当初の精神障害の定義の範囲に含まれていなかったもの)、ならびに ADHD やディスレクシア (これは日本では学習障害(LD)に分類される)などの特定の発達障害および行動障害も含まれるようにな った。実際、LD 児の親の会は「LD 親の会」と呼ばれている。 日本においても米国においても、障害学が、障害に関する議論の方向性について意識し続ける必要があ るということはこれまでと同様に明確である。どの領域が新たに開拓されており、どの領域が消え去ろ うとしているのか。また、障害学はどのようにすれば、障害のあるアクティヴィストが政府に対する戦 略を立てるのを手助けし、一方で従来の障害のカテゴリーを維持する上で無意識に社会の秩序維持に寄 与しないように行為することができるであろうか。私は、これらの点は障害学が将来直面する課題であ ると考える。 Bibliography Pauly, I. 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Notes この法律が可決された時点で、日本は依然として連合国軍占領下にあったという事実に留意する必要が ある。議論を呼ぶところであるが、この法律の条文は、1996 年に母体保護法に取って代わられるまで存 在していた。 北米インターセックス協会(ISNA)のアクティヴィストである Chery lChase は、おそらく世界のインタ ーセックス問題に関する主要な論者であろう。ISNA のホームページでは、インターセックスを障害で あるとは言っていないが、「原則」と題するページに以下の記述がある:「インターセックス患者は親密 な性的関係の構築ひいては親密な人生のパートナーを持つことを困難にする障害を生まれながら持っ ています」 。(http://www.isna.org/library/law/vilain_aaas_2005。2012 年 1 月 12 日に閲覧。) 私が指導している大学院生の Ellen Rubinstein からこの議論に関する情報を得た。 1996 年 7 月 3 日毎日新聞第 3 面:性転換「社会的認知待つ」手術の実施、判断できず―埼玉医大倫理委 答申 この期間に、日本の民間の形成外科医が数多くの手術を秘密裏に施行していたことについては疑問の余 地がない。しかしながら、そうした手術の大部分は、精巣摘出や卵巣摘出などの一次生殖器の手術では なく、豊胸、乳房除去、顔面再建といったものであった可能性が高い。1980 年代・1990 年代には、大 部分のトランスセクシャルの人々がタイなどの国に渡航して、一期的性別適合手術を受けていたようで ある。 興味深いことに、2012 年 1 月 10 日の BBC の報道によると、ギリシャでは現在、 「小児性愛者および放 火癖者」を障害のカテゴリーに含める政府の計画に関する議論が行われているようである (http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-16486416。2012 年 1 月 11 日に閲覧)。 日本では、AIDS は難病のカテゴリー(特定疾患/難病指定)に分類されており、AIDS 患者には一定の医 療給付が支給されるが、それ以外には主要な 3 つの障害者区分の社会福祉給付の対象とはならない。 『フィラデルフィア』(1993)は不当解雇訴訟を描いた映画として有名である。この映画は部分的に GeoffreyBowers の実話に基づいている。彼は法律事務所から解雇された後、1987 年に訴訟を起こした。 日付によると ADA 施行前のことである。 仮名。 1997 年にワシントン州シアトルで発達障害児に対して実施された優生手術の集中コースである、アシ ュリー療法に関する考察も例として適当であろう。 優生保護的人工妊娠中絶そのものは、きわめてまれなようであった。1953 年の研究では、被験者の受け た妊娠中絶のうち、 「優生保護的理由」 によるものは 0.4%に過ぎず、経済的理由によるものが大部分(80%) を占めていた(Burch1955:146)。言うまでもなく、優生保護的人工妊娠中絶を選択するに至った状況に はスティグマ(悪いイメージ)がつきまとうことから、女性が妊娠中絶の真の理由を述べていない可能性 がある。
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