「寛容な心と真実な言葉」 ピリピ4:5

13・4・14
「寛容な心と真実な言葉」 ピリピ4:5
Ⅰ「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい」
:5。1.「あなたがたの寛容な心」とは、
私達人間が生み出せるものではない。これは、神が、あなた方に与えられた寛容な心の事。私達は、家
族に寛容で、他人には寛容でない面と逆に、他の人には、寛容でも、血のつながっている身内には寛容
でない面がある。だから、どちらにしても、祈りが欠かせない。
「私に寛容を与えてください」と。
「寛
容」の原語は、「長く苦しむ」という意味。主は、欠点と弱さ、罪の多い私達の為に、長く苦しみ、罪
の苦しみを私達の身代わりに受け、主を信じた後も、色々な事で長く苦しむ私達を決して見捨てず、共
に苦しみ、寄り添って下さる。私達の人間的な愛は、苦しみの中では長く続かない。決して私達を見捨
てられない主の寛容な愛を忘れないで、祈ろう。「長い期間、自制する必要がある時、あなたからの寛
容を与えて下さい。切れてしまいそうになる時、感情に流されてしまわない寛容を与えて下さい」と。
人生の中で、いらいらさせるような人と面と向き合わなければならない時がある。そんな時も祈りたい。
「私に寛容を与えて下さい。あなたがいかに、私自身に対して今日まで寛容であられたかを忘れない心
を与えて下さい」と。寛容は、神ご自身の御性質である。神の愛(アガペー)を示す御言葉の最初に出
て来る→「愛は寛容であり、愛は親切です」
(Ⅰコリ13:4)
。もし神が寛容な方でないなら、私達人
間は誰一人生きていないし、救われもしていない。もし神が寛容な方でないなら、一人もクリスチャン
はおらず、キリスト教は存在していない。寛容である事が、私達人間に対する神の深い愛。2.「主は
近いのです」:5。①主の再臨が近づいているのです。②主は、寛容・忍耐・自制が長く続かない弱い
私達の近くに、そばに、心の中におられて、気の短い私達を寛容な愛で愛し、支え、主は心から拠り頼
む私達に私達にはない寛容な愛を与えて下さる。
Ⅱ 寛容な心と人に言うべき時には、愛をもって真実な言葉を語る事は矛盾しない、両立する。聖書は、
その両方を教えていることを覚えたい。私達も両方を大切にしたい。神からの真の愛は、相手の人格と
相手のしている事、意見を区別する。相手の人格を愛し、赦し、相手のしている間違い、間違った教え
を正す。1.イエス御自身は、最も寛容な方であるが、言うべき時、相手の間違いを正すべき時には、
正しく言葉を発せられた。①間違っていた律法学者に対しての主の言葉:イエスは彼らの心の思いを知
って言われた。
「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
『あなたの罪は赦された』と言うのと、
『起
きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか」マタイ9:4,5。②「パリサイ人は出て行って、どの
ようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した」マタイ12:14。律法主義で間違って高ぶっていたパリ
サイ人への主の言葉:
「まむしのすえたち。おまえたちの悪い者に、どうして良いことが言えましょう。
心に満ちていることを口が話すのです。…人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの
日には言い開きをしなければなりません」12:34,36。③大祭司と役人へ言ううべき時には言わ
れた主の真実な言葉:
「そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問
した。イエスは彼に答えられた。『私は世に向かって公然と話しました。…なぜ、あなたはわたしに尋
ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわた
しが話した事がらを知っています。』イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、
『大祭司にそのような答え方をするのか』と言って、平手でイエスを打った。イエスは彼に答えられた。
『もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、
わたしを打つのか。』ヨハネ18:19-23。2.寛容なパウロも、言うべき時には言った。主の教
会を間違った事、間違った教えから守る為に→「ケパ(ペテロ)がアンテオケに来たとき、彼に非難す
べきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところ
から来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だ
んだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょ
に本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。しかし、彼
らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパ(ペテロ)にこう言
いました。『あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生
活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか』ガラ2:11-14。
Ⅲ
Ⅰコリ13:4-7の愛(アガペー、神の愛、神からの愛)についての御言葉にもバランス、両立
がある。①「愛は寛容であり」:4と②「
(愛は)不正を喜ばずに、真理を喜びます」:6とある。つま
り神からの真の愛は、寛容であり、且つ、不正を喜ばず正し、真理を喜び、真理、真実を語る愛である。
祈り:まず、父、子、聖霊なる三位一体の神ご自身が罪と弱さと欠点の多い私達を見捨てず、今日まで
寛容であり続けられている大きな愛を心から感謝します。その愛をいただいて私達も、いらいらさせら
れる人に対して、短気ではなく、長い苦しみの中にある人に寄り添う愛、寛容を示す事ができますよう
に。また、人々の間違った態度、間違った支配、間違った教えで主の教会や他の会の秩序が乱れている
時には、すべてを御存知の神に祈りつつ、相手の人格を憎まず、愛して、正すべき事を正し、言うべき
事を言えますように。これは、私達人間の力では、とても難しいですから、聖霊様、お助け下さい。
「も
しだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさ
い」ガラ6:1