2014.11.19 TDK 2014.11.26 TDK 2014.12.01 TDK DIC: 2260 P RO G RA M 今夜の素敵なプログラムをめぐって 奥田佳道(音楽評論家) ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart 序曲 (第2パリ交響曲)変ロ長調 K.Anh.C11.05(311a) (約10分) Overture (2 .Paris Symphony) in B-flat major, K.Anh.C11.05(311a) フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313 ★ (約23分) Flute Concerto No. 1 in G major, K. 313 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756∼1791) 序曲(第2パリ交響曲)変ロ長調 K.Anh.C11.05(311a) 秘曲のなかの秘曲が開演を告げる。神に愛されし者=アマデウスをミドルネームに 戴くモーツァルト。 第1楽章 アレグロ・マエストーソ Allegro maestoso 第2楽章 アダージォ・マ・ノン・トロッポ Adagio ma non troppo 今日は、 この天才の技や芸術観をさらに飛翔させたと言われるマンハイム=パリ旅 第3楽章 ロンド:テンポ・ディ・メヌエット Rondo : Tempo di menuetto 行(1777年9月故郷ザルツブルク出発、1779年1月帰郷)の際に書かれた作品が選 - 休 憩(20分) - Intermission フルートとハープのための協奏曲 Concerto for Flute, Harp and Orchestra in C major, K. 299 ハ長調 K.299 ★◆ (約27分) 第1楽章 アレグロ Allegro 第2楽章 アンダンティーノ Andantino 第3楽章 ロンド:アレグロ Rondo : Allegro 交響曲 第31番 「パリ」 ニ長調 K.297(300a)(約19分) Symphony No. 31 in D major, K. 297 (300a), "Paris" 第1楽章 アレグロ・アッサイ Allegro assai 第2楽章 アンダンテ Andante 第3楽章 アレグロ Allegro ばれているが、 さてこの曲は? 1778年9月、父レオポルドに宛てた手紙にシンフォニーの話が出てくるのだが、楽譜 は行方不明。 この時期モーツァルトはもうひとつ序曲風の交響曲を書いたようで、 そち らは出版譜が遺された。同年6月に初演された有名な 「パリ」交響曲(プログラム最後 に演奏される交響曲第31番) に次ぐ作品ということで、一頃は<第2パリ交響曲>なる 異名もとったが、研究に基づいてモーツァルトの楽譜を刊行する新モーツァルト全集で は偽作とされ、 (真作かどうか)疑わしい部、 すなわちAnh.(Anhang付録、追加の意) に編入。 かつてのケッヘル番号K311aの代わりにAnh.C11.05 という偽作の分類 番号が与えられている。 この序曲風のオーケストラ曲は誰がいつ書いたのだろうか。 楽器編成 フ ル ート2、オ ー ボ エ2、クラリネット2、バ ス ー ン2、ホ ル ン2、 トラン ペット2、ティン パ ニ 、弦 楽5部 指揮/ユベール・スダーン Hubert Soudant, Conductor フルート/小山 裕幾 Yuki Koyama, Flute (★演奏曲) ハープ/山宮 るり子 Ruriko Yamamiya, Harp (◆演奏曲) 管弦楽/兵庫芸術文化センター管弦楽団 Hyogo Performing Arts Center Orchestra ※演奏時間は目安となります。前後する可能性がありますので予めご了承ください。 フルート協奏曲 第1番 ト長調 K.313 モーツァルトはくだんの旅行中、 マンハイムで優れたフルート奏者ヴェンドリングと 出逢い、恐らく彼の紹介でオランダの裕福な商人でフルートをたしなむ音楽愛好家 フェルディナン・ド・ジャンと知遇を得る。 そのド・ジャンのためにフルート四重奏曲を2曲、 協奏曲を2曲書くことになった。 完成 表2 P1 DIC: 2260 2014.11.19 TDK 2014.11.26 TDK 2014.12.01 TDK したのは四重奏曲が3曲、 オリジナルの協奏曲が1曲(第1番 ト長調 K.313)、 オーボエ のフルートを所有していた。令嬢も鍵盤楽器やハープを器用に弾いたとされる。 協奏曲からの編曲が1曲 (第2番 ニ長調 K.314)、 それにアンダンテ ハ長調 K.315 そんな父娘が共演するための音楽ゆえ、晴れやかな雰囲気や幸福感も身上となる。 だった。 しかしアンダンテをのぞく四重奏曲と協奏曲は、 プロの演奏家ヴェンドリングの ウィーンからパリに嫁いだマリー・アントワネット (1755∼1793 ウィーン時代のドイツ名: 妙技を想定して書かれた可能性も捨てがたい。 マリア・アントーニア) がハープ好きだったことも手伝い、1770年以降のパリには、今の 第2楽章のみ、 オーケストラにフルートが入る。 ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 楽器よりも小ぶりで構造もシンプルだったとは申せ、 ハープの製作者や演奏家、教師が K.216の第2楽章もそうだが、 モーツァルトの時代、 このような場合はオーボエ奏者が 結構存在していたようである。 持ち替えで演奏していた。 楽器編成 フルート協奏曲第1番は1778年1月か2月に書かれた。本当に愛すべきコンチェルト である。 独 奏フ ル ート、独 奏 ハ ープ 、オ ー ボ エ2、ホ ルン2、弦 楽5部 交響曲第31番 楽器編成 独 奏フ ル ート、フ ル ート2、オ ー ボ エ2、ホ ルン2、弦 楽5部 ニ長調 K.297(300a) 「パリ」 壮麗な響きがホールを満たす。 傑作だ。 1778年のパリ滞在中に、 当地を代表する音楽 フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299 団体コンセール・スピリチュエルのために作曲、6月に初演された当時としては破格に スケール感豊かな交響曲である。パリのオーケストラは当時、 ヨーロッパ最大規模を 優美な楽の音が舞う。 やはりマンハイム=パリ旅行の際に書かれた逸品で、 第2楽章 誇っていた。 すべての管楽器が揃っていた上、弦楽器の人数も多かった。 モーツァルト アンダンティーノの調べは有名。両端楽章の創りも素晴らしい。 は同団体、 すなわちオーケストラの支配人ジャン・ル・グロから委嘱を受け、嬉々として 愛らしい響きが身上だが、協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)のスタイル 創作に勤しんだのではないか。 で書かれている。協奏交響曲とは、18世紀中葉のパリやマンハイムで持て囃された 18世紀半ばに広まった新興の楽器クラリネットを含む完全2管編成で書かれ、ユニ <複数のソロ楽器のための協奏曲>のことで、 モーツァルトも 「ヴァイオリンとヴィオラ ゾンによる華やかな開始部や、 くっきりとした強弱、 クレッシェンドの多用などが往時の のための協奏交響曲」 (1779年) や 「4つの管楽器のための協奏交響曲」 (1778年、 パリやマンハイム楽界の趣味を鮮やかに映し出す。魔法のような転調も聴こえてくる。 オリジナルは行方不明) を書いている。 ハイドンにも 「オーボエ、 ファゴット、 ヴァイオリン、 1778年6月の初演後、曲の直接の依頼者ジャン・ル・グロから 「凝りすぎた創り」 を チェロのための協奏交響曲」 (1790年代) がある。 指摘されたモーツァルトは後に、控えめなアンダンテ楽章も書く。同年8月にはそちらが しかしバロック音楽から派生したと考えられるこのジャンルは、19世紀中葉以降、 演奏されたようである。 音楽のメインストリームからは外れてゆく。 メンデルスゾーン、 シューマン、 ブラームスが つまりこの交響曲には2つのアンダンテ楽章があるのだ。 ふつうに演奏されるのは、 <複数のソロ楽器のための協奏曲>を作曲し、最晩年のブルッフやリヒャルト・シュトラ 先に書かれた8分の6拍子のアンダンテ (第1稿) 。 しかし、 ほどなく書かれた4分の3拍子 ウスが親密な 「二重」協奏曲を紡いだとは言え。 による 「簡素な」 アンダンテ (第2稿) の魅力も捨てがたい。今日はその第2稿を聴く貴重 モーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」 は1778年春、 フルートを愛した な機会となる。 フランスのド・ギーヌという公爵(1735∼1806 アドリアン・ルイ・ボニエールまたは ルイ・ド・ボニエールと呼ばれた) と、 ハープをたしなんだその令嬢のために書かれた。 ド・ギーヌ公爵はベルリン、 ロンドン勤務も経験した外交官で、 当時としては最新式 P2 楽器編成 フ ル ート2、オ ー ボ エ2、クラリネット2、バ ス ー ン2、ホ ル ン2、 トラン ペット2、ティン パ ニ 、弦 楽5部 P3
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